ブルックナー 交響曲第1番 アバド指揮
紫陽花シーズンも最盛期、日本は北海道をのぞいて梅雨本番。
近くの町、開成町のあじさい、今年は行けなかったので以前の写真です。
6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生日。
1933年生れ、93回目の生誕祭。
私の世代では、若手三羽烏と呼ばれた同世代の、アバド、小澤、メータ。
メータのみが存命で、つい先だって90歳を迎え、現役で活躍中。
ブルックナー 交響曲第1番 ハ短調
クラウディオ・アバド指揮 ウィーフィルハーモニー管弦楽団
ルツェルン祝祭管弦楽団
今年のアバド生誕祭は、ブルックナーの1番。
若い頃からブルックナーは1番のみを好んで指揮していて、4つの録音を聴くことができます。
いつもお世話になっておりますアバド資料館のデータを拝借しますと、ウィーンフィルとは69年を皮切りに、70,72,73,96年。
ローマRAI放送と69年、ロンドン響と70年、ニューヨークフィル、クリーヴランドで70年、シカゴ、フィラデルフィアで71年。
ベルリンフィルで72年と70年代初頭に各地で指揮してます。
その後は96年のウィーンで録音も見据えて取り上げるまで空白あり。
ベルリンではほとんどやらず、晩年のルツェルンでのブルックナーチクルスの一環で2012年に指揮してます。
この1番ほどには、録音を残した4,5,7,9番は演奏頻度が高くなかった。
もちろん30~40代の頃に1番は集中してますが、90年代とルツェルン時代は録音も見据えたブルックナーチクルスの一環であり、アバドのブルックナーへの取組で、円熟期にもっとも打込んでいたのは、5番と9番ではなかったのではないかと思います。
1番の作品ついては過去記事より引用しておきます。
1866年、ブルックナー42歳の作品。
オルガニストとしての活動の一方、その合間に作曲法を勉強し、ミサ曲や序曲、無印習作交響曲、第0交響曲などを書いていた。
リンツでオルガン奏者を務めつつ、1865年、「トリスタン」の初演に立会い、大いなる感銘を受け、ビューローとの接点もできた。
ワーグナーに触発されつつ完成したのが正式に番号をふった1番。
68年に自身の指揮で初演されたものの、その指揮のまずさとオケのショボさもあり評価は得られず。
その後に77年や84年に改訂をしており、これらの版を「リンツ版」といい、手直し職人の名のとおり、1890~91年、66歳になってから手を入れた版が「ウィーン版」といわれる。
このウィーン版の改訂時には8番がすでに完成し、9番にとりかかる時期。
ブルックナーの音楽のスタイルは30年経っても変わらないことが、1番の改訂を最後の交響曲のあたりでやったという事実でもってわかりますね。
ハ短調に始まり、最後にはハ長調に転じて、勝利宣言のようになるという交響曲の常套を踏んでいるところも妙に愛らしい。
原始霧と呼ばれるブルックナー開始は1番はなく、軽やかさもある刻みで始まり、推進力にあふれる1楽章は、優しく歌謡性にもあふれた第2主題が素敵だし、木管の鳥のさえずりのような動きが随所にあって好き。
抒情的な2楽章は、ブルックナーの緩徐楽章のなかで、2,6番と並んで大好きでして、もう大昔に行ったスイスアルプスの景色をいつも思い起こしながら聴いてしまう、まさにヨーロッパの音楽と感じる。
いかにもなブルックナーらしい弾みの良いスケルツォ楽章は、ほかの番号にも通じる変わることないブルックナーらしい音楽。
この楽章のよいところは、中間部のおおらかさ、呑気さ、牧歌感でしょう。
火のようにと指定された4楽章は気合い充分にみなぎった激しさと苛烈さがありつつ、全体を見通してフィナーレを築き上げようとするシンプルさが後年の作品たちの威容からすると物足りなさがある。
しかしこの推進力と大胆さは、ブルックナーの青さ、若々しさがみなぎっていて捨てがたい。
大家による大人な演奏より、若い指揮者が大胆に指揮することで1番の良さが引立つものと言っていい。
リズムのよさ、軽やかさ、抒情性、歌謡性、大胆さ、このあたりが1番では求められると思いますね。
アバドは一貫して多くの指揮者と同じく「リンツ版」による演奏だったが、最後のルツェルンでは「ウィーン版」を取り上げた。
2012年のルツェルンでの演奏、そしてその翌年2013年は未完成とブルックナーの9番。
その年の秋には日本公演も予定され、私もチケットを確保してましたが体調悪化で中止・・・
そしてその半年後の2014年1月にアバドは亡くなってしまう。
9番の前に改訂したウィーン版をアバドが指揮したかったのは、ルツェルンでのブルックナーチクルスに第9で区切りを付けると言う流れがあったからではないかと思う。
2014年以降は、ブラームスを取り上げる計画だったとか。
1969年 ウィーンフィル
ともかく活きがよく、意欲にあふれた演奏。
老舗オーケストラを前に臆することなくやりたいことをやってしまった感じ。
ベートーヴェン7番のリズム感、ロッシーニのような軽快さ、そんな大胆なブルックナー。
動画で70年頃の演奏を観ることができるが、コンマスはボスコフスキーで、ウィーンの面々は何食わぬ顔で演奏。
若い頃のアバドはともかく指揮ぶりがダイナミックで、その姿を見てるととてもブルックナーを指揮しているとは思えないところが面白かった。
第2楽章の清涼感感じる若々しい抒情が素敵だし、スケルツォもノリノリでよろしい。
なんだかんだで、1番好きな演奏かも。
録音はデッカのゾフィエンザール録音のイメージそのものだが、やや古くも感じる。
1972年 ウィーフィル・ライブ
数年まえに忽然とあらわれた音源で、ウィーン芸術週間でのライブ。
前半がオイストラフとのブラームスの協奏曲で、この演奏会はNHKFMで放送された。
エアチェック小僧になりたての自分だけれど、これは録音してなかった。
この頃のアバドはウィーフィルと蜜月の度合いを深めていて、前年にパーマネントコンダクターとなり、73年には来日した。
生々しい録音で、デッカのスタジオ録音より、ムジークフェラインでの演奏ということもありウィーンフィル丸出しの印象。
柔らかな響きと丸っこい音色は、いまは失われし70年代のウィーンフィルの音だと感じる。
アバドはライブでは燃えちゃうので勢いがあり、演奏時間は変わらぬが煽るようなところもあり、速めに感じる。
熱さと懐かしさ感じるブルックナー。
終楽章が熱い。
1996年 ウィーフィル
1月のライブ録音で、11月には9番を録音して、それがウィーフィルとは最後のレコーディングとなりました。
若い時の録音となんら変わらぬ若々しい表情を持つ演奏で、それこそがアバドの個性ともいえると思う内容。
節まわしのゆとりや、より増した自然さ、間の美しさなど、やはり30年間の重みも感じ充実度が高い。
ウィーフィルはウマくなった感あり、ローカル感は減退。
でもよりインターナショナルになったいまのウィーフィルよりはずっとウィーンしてるし、DGのムジークフェライン録音は潤いも豊かで素晴らしいものだ。
この時期に、いっそのこと、2,3,6番にも挑戦して欲しかった。
8番はアバドが絶対にやりそうもない曲だったけれど。。。
2012年 ルツェルン祝祭管弦楽団
ウィーン稿を取り上げたルツェルンでのブルックナーチクルス。
先に触れたとおり、1番を書いたときは、トリスタンに接しワーグナーへの心酔を深めた頃。
このウィーン版では、そのワーグナーへの思いがより強く感じるようにオーケストラの厚みと響きがグレートアップしている。
私の持つ唯一のウィーン版は、ヴァントの録音だが、このアバド&ルツェルンの方が洗練の度合いが増し、壮麗さがあるのは録音の良さばかりでもあるまい。
なんといっても腕っこきのオーケストラの面々が肩の力を抜きつつも、真剣にブルックナーに向き合ったときの音のすごさは、特に4楽章に感じるし、最初から最後まで69年録音のときと同じ若々しさと推進力があるのが驚き。
その4楽章ですが、このウィーン版は大曲然となりすぎていて、屋上屋を重ねるように感じなくもなく、やはり若々しいちょっと青いリンツ版の方がいいと思う。
2楽章での透明感は、病後のアバドが到達した境地であり、翌年の第9もかくやと思わせる無為の域を感じます。
最初の録音と、この最後の録音とで2楽章を何度も聴いて、ここ数日の晩を過ごしました。
ブルックナーの1番を愛したアバドが、とても微笑ましく、アバドという指揮者が最後まで若々しさとしなやかさを保った演奏家であった。
今年の生誕祭には、そんな思いをあらためて強くしました。
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