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2026年9月

2026年9月30日 (水)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 作品31 ギレリス

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お盆前まではやたらと暑かったからコスモスやラベンダーはいいまひとつ。

その後は今度はずっと雨で日照不足や過剰な湿り気で、農作物も花々もさんざんな初秋。

でも涼しくはなって、ピアノ曲や室内楽作品などに耳を澄ますのによい季節。

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 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第16番 ト長調 op.31-1

         ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」

         ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 op.31-3

        エミール・ギレリス

        (1972.1 トゥルク、1981.10 イエスキリスト協会)

このジャケットのレコードは買うことはなかったけれど、1枚1枚発売されるギレリスのベートーヴェンは常に気になる存在でした。

残念ながら全集を完成することが出来なかったエミール・ギレリスのベートーヴェンを聴く。
残さなかった番号は、1,9,22,24,32番の5曲で、最後の32番がないのが残念だが、DGのまとめてくれた選集は、ブレンデルやコヴァセヴィチ、ポリーニとともに、ベートーヴェンのソナタの私の大切な音盤となってます。
レコード時代は、バックハウス・オンリーだったが、いまでは少しいにしえに過ぎるように感じるようになった・・・

3曲からなる作品31のピアノソナタ集。
1801~04年にかけての作曲で、17番が先に書かれたようだが、曲の性格はそれぞれに異なるものの、中期以降の様式をすでに先取りしていて、とても充実した作品集となっている。
ハリゲンシュタットの遺書の年と重なる時期であるが、ベートーヴェンはすでに難聴に悩み、絶望とともに生への願望、芸術への献身の日々のなかにあった。
そんなことも思いつつ、これらの作品集を聴くと、音楽に尽くし、その創作とともに生きるというベートーヴェンの強さと優しさを感じたりもしましたね。

古典的な佇まいを持つ16番作品31-1は、調性からしても明るく、かつ優雅さも持つ。
トリルの印象的な2楽章、ロンドとタイトルされた終楽章はそのロンド主題がもっぱら活躍するユニークな楽章。
案外ととらえどころなく、難しい作品かもしれず、聴いた後にどんな曲だっけ?と思ったりする不思議さもあったりした。

かつては弟子とされたシントラーに作者自ら「(シェイクスピアの)テンペストを読め」と語ったという逸話から「テンペスト」と名付けられたとされた17番作品31-2。
しかし現在では、この逸話はシントラーの創作であるとされる。
昭和世代のワタクシからすると、ずっとテンペスト・嵐とレコード解説などで読んでイメージしてきたものだからちょっと寂しいものがあります。
それにしても短調で自由かつ奔放な1楽章は厳しくも不安や沈滞ムードにもあふれ、ベートーヴェンの苦しみともとれる。
また独白めいてもいて、幻想的でもあるところが魅力的。
まいど感じるベートーヴェンの緩徐楽章の美さが、17番の2楽章にもありますが、どこかためらいがちで、後ろ髪ひかれる雰囲気も魅力的。
常動曲のようなリスム音型にずっと支配され、単調さが情熱を生むような終楽章。
とても印象的な第1主題はなぜか中学時代より忘れられない旋律で、どこかの家から聴こえたピアノの練習の音の記憶とむずびつく。
刹那的な雰囲気やすう~っと終わってしまうところなんかも妙に中学生の頃の甘酸っぱさを思い起こさせる・・・

3曲のなかで唯一、4楽章形式を持つ18番作品31-3。
この作品は案外と好きで、これもまた昔ばなしですが、ルービンシュタインの最後の録音としてレコードが出た時は大学生になったばかりで、モノクロのジャケットが気になって、18番の作品そのものも気になってしょうがなかった。
結局は、誰の演奏か忘れてしまったがエアチェックして飽くことなく聴いて、この曲が好きになっていった。
2つの舞踏的な楽章を持つユニークな曲で、わたしはこの作品に明るさと生命力をも感じたものです。

2楽章は、ソナタ形式によるスケルツォ楽章で、のちのちの交響曲におけるスケルツォの先駆けみたいに感じる強さと洒脱さもあり面白い。
もうひとつの舞踏的な楽章の3楽章は、メヌエット。
抒情的でもありつつ、付点音符がいいアクセントとなりぞの弾みが心地よい。
一転してプレストになる終楽章も舞踏的で、こちらはタランテラ舞曲風で力強くもあり、明朗快活なベートーヴェンに安堵したりもする。
転調で短調がやってきてちょっと不安になるが、それを吹き飛ばすようにバシッと曲を締める。

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1985年に68歳の若さで亡くなってしまったギレリス。
鋼のピアニストと呼ばれたギレリスも、西側での活動を盛んにおこなうようになり、レコーディングも増えて剛腕ばかりでない精緻で知的なピアニストであることがわかった。
セルとのベートーヴェンとヨッフムとのブラームスの評価が決定的だったろう。
70年代前半から始まったDGへのベートーヴェンのソナタ録音。
この作品集にあっては、まいどながら完璧であるとともに、ベートーヴェンの音楽の若さや澄んだ抒情、また表情の機微なども見事に捉えた柔軟な演奏。
楽想の変わりゆくさまを弾き分けることが実に自然でありつつ、その個々においても説得力がとてもある。
音楽そのものが語っているようにも思える自然さもあり、精緻でありつつも、情感もあふれていて、とても素晴らしいベートーヴェン演奏だと痛感。
中期、後期となるとギレリスの演奏は、さらに厳しさを加えたり、透明感も感じさせたりと、ベートーヴェン作品を順次聴いてゆく楽しみを与えてくれます。

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2026年9月26日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番、6番 シュタイン指揮

Bentensan

今年の彼岸花はどこを見てもキレイに咲きました。

雨ばかりの悪天で湿り気が多いのがよかったのか・・・

それにしても、まったくその形跡すらないのに、お彼岸の頃になると忽然と伸びてきて赤い怪しい花を咲かせる。

どんなことがあったも、なにがあっても、自然はちゃんとめぐってくるんです。

ずっとヘヴィーな音楽ばかりだったので、このへんでお馴染み極まりない曲を懐かしの指揮者で。

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  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 op.64

           交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」

   ホルスト・シュタイン指揮 バンベルク交響楽団

                ウィーン交響楽団

        (1970 @ドミニカナーバウ バンベルク)
                 (1980 @ウィーン)

昨年に忽然と発売され驚いたシュタインのチャイコフスキー。
MQAなるオーディオコーティング技術が用いられ古い音源を新鮮に蘇らせての発売。

「悲愴」の存在はまったく知らなかったが、バンベルクとの5番のレコードの存在は覚えてました。
ずっと聴きたかったレコードが、半世紀を経て音源化されるという驚き。

Tchaikovsky-5-stein

これが日本コロンビアから発売されたときのジャケット。

1973年1月号のレコード芸術のコロンビアレコードの広告。
後生大事に持ってます。
モノクロの写真をAIを使ってカラー化しました。
小さい画像なので文字が潰れてしまうので、曲名とシュタイン、バンベルクは英語表記で指示を入れました。
そうしたらなんということでしょう、Karajan Berliner Philharmonikerに書き替えられ、さらにレーベルもアメリカのコロンビアレーベルにされて組成されました。
AI様も、チャイコフスキー5番と言ったらカラヤンとベルリンフィルとなるんでしょうか、それともワタクシのブログでカラヤンのチャイ5は何度も取り上げて思い入れあるものだから、そのあたりも考えてのことだったのでしょうか・・・
いずれにせよ、恐ろしきAIの能力。
シュタインとバンベルク、手持ちのコロンビアのレーベルも指示すると、ちゃんとこのように出来上がりました。

CD化されたものでは、録音は1973年とありますが、72年の暮れには日本発売されてますので、私は1970年頃の録音と推定しそのように表記しました。
シュタインは器用でレパートリーも広い指揮者でしたし、ことにロシアや北欧ものも得意にしていて、N響での4番の交響曲は大迫力の演奏だったと記憶します。
エアチェックテープがありましたが、上書きしてしまい、いまや聴けないのが残念だし、あれば3大交響曲が揃ったのに・・・
 あと、この5番は、1980年のスイスロマンドとのライブのNHK放送をエアチェックしたものがあり、こちらは自家製CDRにしてます。
1980年の演奏で、同時に演奏されたのはミンツのヴァイオリンで、モーツァルトの3番です。
スイスロマンドとの演奏は実に素晴らしくって、オケの明るさもあり、とてもしなやかで、同時に緩急もつけた自在ぶりとノリの良さがなかなか聴かせるものでした。

その10年前のバンベルクとの5番。
バイロイトで常連となる頃、各地の劇場でなくてはならない存在となりつつあったシュタイン。
1973年のN響デビューに合わせた来日記念盤でもありましたが、録音のせいもありますが、ドイツのオーケストラとは思えない明るさを感じました。
おそらく、当時のバンベルク響の本拠地が教会だったので、その豊かなホールトーンをまとも捉えた録音が今回のマスタリングでさらに磨きがかかったものと思います。
当時のレコ芸の月評でも「反響の長い録音」とか「残響の多い会場」との指摘がなされてました。

試しにいまは音楽専門の素晴らしいホールに移転したバンベルク響のドミニカーナ教会での演奏の画像を調べたらありました。
こちらもAI様にカラー化してもらいましたら、指揮はどうもシュタインのようです。
教会の柱がちゃんとあり、奥はやはり祭壇のようです。
カイルベルトもここで指揮していたんでしょうね。
この画像を見ながら、この演奏を聴くとまた実に雰囲気がいいのでした。

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響きが多いのに耳が慣れると、やはりシュタインのスタイリッシュなまでの音楽造りが新鮮です。
スイス・ロマンドよりも速めに進行する1楽章ですが、陰りは少なめで音楽は低徊することなく、ストレートにどんどん進む。
2楽章も思い入れや情緒の入れ具合も少なめで、極めて音楽的に進むが、ホルンソロはこの時代の南ドイツ風なやや古風な響きがする。
クライマックスが来て、木管の合いの手を伴いながら主旋律が繰り返されるが、そのときの弦のピチカートは無骨なまでの素っ気なさで、旋律も泣くことなく淡々と歌う。
カラヤンとは大違いなところが微笑ましい。
3楽章の克明さはユニークでかつ律儀な感じだが、存外にスマートな運びでもありました。
終楽章はインテンポでもってかなりの快速ぶりで、ズバズバ進行するが、大げさなダイナミズムや緩急の強い付け方などは皆無。
いつも速めの展開でありつつ内容の詰まった演奏を聴かせたシュタインのワーグナーを思わせる充足感をここでも感じた。
ただ金管の響きなどに時代を感じさせるものがあり、また強奏時に音が混濁する点も終楽章では見受けられたので、そこは録音のせいかもしれない。

念願のシュタインとバンベルクのチャイコフスキー5番。
シュタインらしいスタイリッシュでありつつ、質実剛健さもある演奏でした。

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ウィーン響との共演も多かったシュタイン。
レコーディングは先だって取り上げたシュミットの「7つの封印の書」とシューベルトのハ長調交響曲のみだったので、この「悲愴」の登場はありがたい。
とても流れがよく、スムースで、あのワーグナーのシュタインとは思えないような美しくもしなやかな演奏。
オケの特性もあったのか、多少の無骨さも感じた5番に対し、角も取れた柔軟な響きをかもし出すオーケストラの持ち味を活かした瀟洒な雰囲気も感じる。
とくに2楽章が美しく、まさかのシュタイン!、あのシュタイン、と思わずつぶやいてしまうほどに軽やかで強弱も巧みに効かせた情緒あふれる演奏だった。
もちろん1楽章も美しく、ほんとに久方ぶりに聴いた「悲愴」がこんなに美しい音楽だったと再認識した。
3楽章のダイナミクスも幅広く、タメもなくストレート・直球勝負の剛腕シンプル演奏は新鮮。
終楽章は泣きが入りことなく、譜面が音になったような無駄のない直截な表現に徹しすがすがしいほど。

聴いていて、ウィーン交響楽団がウィーンの楽団であること、ウィーンならではの楽器の特徴は2000年代にはもう消失してしまったとのことをここに感じたこと。
ともかくこの演奏の時代までは、オーケストラにもローカルがあったことを寂しくも認識できたのです。
そう思いながら、終楽章の消えゆく終結部を聴いた。

マスタリングにより刷新されたシュタインの2つのチャイコフスキー。
鮮やかによみがえったと思うが、両曲ともに響きの過多は感じた。
もう少し、シェイプしてもよかったのかも。
そして、それにしてもシュタインという指揮者は多面的な側面もありつつ、どんな音楽でものその本質をがっちりつかんで指揮することのできた根っからの劇場人だったのだと認識できました。
N響でのコンサートの数々をあらためて正規に復刻して欲しい。

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バイロイトでしょうか、ピット内での指揮姿の似合うシュタインでした。

日本を愛してくれたけど、日本ではオーケストラピットに入ることはなかった。

新国がもっと早く出来ていれば、サヴァリッシュ、スウィトナー、シュタイン、3人のワーグナーやシュトラウスが新国で体験できたかも・・・・

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2026年9月21日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮「7つの封印の書」

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秋の装いのサントリーホール

ヴィオッテイ新監督のシーズン演目の目玉がこの日。

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    東京交響楽団 第745回定期演奏会

  フランツ・シュミット オラトリオ「7つの封印の書」

    ヨハネ :マクシミリアン・シュミット
    主の声:ローベルト・ホル
    ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマー
    アルト    :カトリオーナ・モリソン
    テノール:パトリック・グラール
    バス  :クレシミル・ストラジャナッツ

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東響交響楽団
                  東響コーラス
       合唱指揮:富平 恭平
   
       オルガン:大木 麻
理

     (2026.9.19 @サントリーホール)

1週間前にルイージとN響によるNHKホール公演あり、私は聴きに行けなかったけれどその対比はできませんが、N響は全曲を休憩なしで通しで演奏し、東響の今回は1部と2部の間に休憩あり。
2時間の通し演奏は、この作品特有の緊張感の持続と流れにおいて効果的であると思われるが同じ長さでもマーラーやワーグナーのような親しみがまだない音楽なので、聴き手には辛い一面もあるかもしれない。
映像で保有のルイージの演奏2種、ホーネック、ともに休憩なしのように見られた。

 またソリストの配置にも違いが。
N響ではヨハネと4人の歌手は指揮者の左右、主の声はホール右手のオルガンの横。オルガニストはもちろんそちらに。
東響では、ヨハネはオーケストラ右奥のテューバの横、4人の歌手はその反対側、左手のホルンの横で、さらにオルガンもそちらに。
主の声は正面オルガンの前。
ホールの特性、響きの具合とオルガンの位置関係などから考え抜かれた結果かと思いますが、N響は聴いてないからわからないけど、あの大きなホール空間ではこうするしかないし、その音響も想像ができます。

さらに今回すごいと思ったのは、東響コーラスがいつものとおりに暗譜でいどんだこと。
これまた他演との比較でなんですが、N響もふくめ、すべてNDR合唱団までもがみな譜面を手にしての合唱。

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期待に胸膨らませ、始まったホルンから始まる4つの音による印象的な音型。
ここから大好きなんですが、思い入れも施すなく淡々たる出だしだが、とても柔らかい。
その柔和な雰囲気のままに、今のヨハネのスペシャリストともいえるシュミットのリリカルな声がぴたりとはまる。
ここからもう今宵の素晴らしい演奏の結果が予見され、最後にもう一度繰り返される、4音の音型の再来が楽しみになった。 
 次いで優しい雰囲気のなかでの滋味深いゼーリヒの深い声による主の言葉も素晴らしかった。
4人のソリストたちの贅沢な布陣といったらないくらいで、彼らの聴かせどころの4重唱は文句なく素晴らしく、リリックでもシュミットと異なる清涼さあふれるグラールのテノール、ばらキシですっかりおなじみになったモリソンの深みと光沢あるアルト。
清潔な歌声、バッハなどにも相応しいソプラノのランツハマー、そして驚きのブリリアントなバスのストラジャナッツは初めて聴いたが、こちらも幅広いレパートリーを持っているようでまた聴いてみたい。
 ともかく、6人の独唱たちが高レベルであったことは、この演奏が世界にも誇れる水準となったことの要因のひとつだろう。
ヨハネやソロが歌うとき、ヴィオッテイはオーケストラを抑えめにしていて、ときに慎重すぎると感じた場面もあるが、その分、プロローグでの抒情的な場面の美さが、東響のソロの皆さんの秀逸さもあって聴き惚れてしまうのでした。

1部へのつなぎのオルガンソロは、サントリーホール全体を響きで満たしてしまい、私は奏者のいないパイプの数々を見上げながら仰ぐようにして聴きました。
封印が次々と解かれて音楽も千変万化する第1部。
この日のためにものすごく練習を重ねたであろう東響コーラスが大活躍の第2の封印開封では、オーケストラも炸裂、絶叫の度合いも興奮さそうものでしたし、それを嘆く女声コーラスとの対比もライブで見て聴くと鮮やか!
次ぐ食糧危機を嘆く女声ふたりの悲しみの二重唱の素晴らしさ、そして戦場でのふたりの男の二重唱の囁き合いに、木琴と弦が付きそう場面に息を飲み、そこにオルガンが入ってふたりは融和する、これらの場面に耳を澄ませ、音源では味わえない感動をここでも味わう。
第5の封印で、主の裁きを待つ合唱を受け、ゼーリヒのパルジファルにおけるグルネマンツのような歌唱があり、やがて地震・天変地異の大変動を迎えるが、うごめきうなりをあげる低弦、低音金管、つんざくようなトランペットに高域木管・・・
すべてが精緻に仕上げられ混濁なくクリアなのはヴィオッテイのいつもの音楽造りで、東響の完璧なアンサンブルが大いに寄与。
壮大なフーガに興奮を覚えつつ、合唱にも明快な指示を与えつつカッチリを指揮を進めるヴィオッテイの手腕にも感服だ。

休憩後の第2部の開始は再びオルガンソロ。
1部の終わりのフーガをそのままに引き継ぎ壮大な伽藍を見せてくれた。
大木さんの一音一音に共感あふれるオルガンの音色、またも天井の方を仰ぎ見るようにして聴きました。
サントルリーとミューザ、両方のオルガンを弾き分けるというのも大変なことかもしれないが、その比較もしてみたかった。。。
 ヨハネのこの作品におけるもっとも長大な歌いどころは、ワーグナーのワルキューレのウォータンの2幕の独白かのような内省的かつドラマテックなモノローグに比較できると思う。
ヴィオッテイはここでもオーケストラを抑制しつつ、歌心ある背景をしっかり作っている。
この独白的なか所は、聖書では長大な場面で、幼子の誕生や地上に降り立つ竜・サタンを物語るが、シュミットはかなり端折って書いたと思うので、音楽のリアルティや霊感はやや欠けるように感じてた。
実演でオーケストラの各部の動きを観察しながら聴くと、そのような不満は皆無で、ヴィオッテイの積極的な指揮ぶりも頼もしく感じた。
言葉の明瞭なシュミットの歌唱は疲れることなく、よく通り、何年か前のゲロンティアスでの名唱も思い出した。
4人のソロを挟みつつ、禍いを語り、描きつつ静かに進行する第7のラッパに至るまでのその間の緊迫感と合唱も加わって盛り上がりゆくさまは、ワクワクしたし、ついに壮大なフーガにここでも至り着く、この経過につぶさに立ち会いつんざくようなトランペットの一条の響きで閉じることに鳥肌。
ヨハネの事後の顛末の語りで、最後の結びが近いことの空気感が漂い、ここで主の荘厳なるバスのゼーリヒの3度目の御発声が極めて感動的。
しかしこれでは終わらないのがこの作品。
輝かしい「ハレルヤ」がついに来た。
ヴィオラ、チェロ、ヴァイオリンと上昇音階でもって高上りようなオーケストラの様相を見つつ、合唱団の7度のハレルヤ。
思いのほか淡々と沈着に進行させるヴィオッテイだったが、これがまぁ徐々に、徐々に盛り上げてゆくのがよくわかったし、最後のにはティンパニ3人も加わって輝かしさの極みを作り上げた。涙も出た。
 そのあとの原初的ともいえるグレゴリア聖歌風の男声合唱によるアカペラに神妙な場面となり、いよいよ冒頭の回帰となった。
このあたりの終結感がとてもよくできていて、神は奪い、試し、そして救われる、そんな聖書の詩句が思い浮かぶようなこの黙示録につけた音楽の展開に心より納得のできた演奏だった。
万全の布陣でのヴィオッテイ東響の「7つの封印の書」、完璧な演奏でした。

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公私ともに嫌なことや試練の連続するワタクシですが、この音楽と演奏にひととき救われました。
ありがとうと言いたいです。

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素晴らしかった6人の世界的歌手。
シュミットとゼーリヒは、この作品のスペシャリストでもあります。
オルガンの大木さんもバッハ演奏で秀でた方です、静岡で一度聴いてみたいです。
それと忘れてならない冨平さんが鍛えた合唱の素晴らしさ。
N響での新国合唱団を指揮したのも冨平さんです。

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カーテンコールで喝采に応え、分厚いスコアを掲げるヴィオッテイ。

アーノンクールのウィーンフィル盤の演奏会で合唱に参加していたといいます。

合唱作品やオペラへの適性もとてもあるヴィオッテイです。
まだ若いから、この先、どこかでまたこの大作を指揮するでしょうし、何度も指揮をして将来もまた東響で取り上げて欲しいと思います。
来シーズン以降での、声を伴ったプログラムがどうなるか、それも楽しみです。

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2026年9月18日 (金)

シュミット 7つの封印の書 シュタイン&アーノンクール

Hallelujah

以前にどこかの教会で撮影した「ハレルヤ」の十字架

「HALLELUJAH」、こうしてよく見てると、この言葉のなかに「JAH」という名詞が入っていて、それはヘブライ語で「神」。
旧約ではヤーウェとよく出てくるし、ミッション系の学校を出たのでキリスト教概論などでは、さかんにヤーウェ、ヤーフェと教え込まれたものだ。
「HALLELU」(ハレル)は、ほめたたえよという意です。

シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」では、長いその作品の終盤のクライマックスで、この「ハレルヤ」を7回連呼する場面があり、そこがまたやたらと感動的なのです。

ただでさえあまり知られていないウィーンで活躍した作曲家フランツ・シュミット(1874~1939)の長大な声楽作品が、日本でこの9月にふたつの団体で週替わりで演奏される。
世界でも稀なことだと思うし、両楽団の話では、ほんとの奇跡的な偶然で、惑星直列にも匹敵することだとしてます。
ルイージとNHK交響楽団、ヴィオッティと東京交響楽団のふたつ。
東響の会員なのでヴィオッテイは当然として、ルイージの方も行くか迷ったが、しかしワンオペ介護の哀しさよ、連続2週の外出は厳しかった・・・

この作品は以前より音源は持っていたが、真剣な分析や聴き方をしてこなかった。
シュミット作品の音源は、このほかは交響曲とオペラ「ノートルダム」ぐらいしか持ってませんが、今回聴きこむことで、この作品が実によくできていることと、感動的な音楽であることに開眼し、同時にほかの交響曲とノートルダムも聴き進めているところです。

 フランツ・シュミット オラトリオ「7つの封印の書」

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   ヨハネ :エバーハルト・ビュヒナー
   主の声:ローベルト・ホル
   ソプラノ:ガブリエル・フォンタナ
   アルト    :マルガレーテ・ヒンターマイヤー
   テノール:クルト・アツェスベルガー
   バス  :ロベルト・ヘルツァー

 ホルスト・シュタイン指揮 ウィーン交響楽団
              ウィーン楽友協会合唱団
   オルガン:マルティン・ハーゼルベック

       (1996.5 @ムジークフェライン、ウィーン)

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         ヨハネ :クルト・シュトライト
   主の声:フランツ・ハヴァラタ
   ソプラノ:ドロテア・ロシュマン
   アルト    :マリアナ・リポヴシェク
   テノール:ヘルベルト・リッパート

 ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
              ウィーン楽友協会合唱団

   オルガン:ヘルベルト・タヘッツィ

       (2000.4 @ムジークフェライン、ウィーン)

多作家とはいえなかったシュミットは、ブラティスラヴァの出身で、ピアノとオルガンを学んだのちに、ウィーンで学び、チェリスト、ピアニスト、教育者として活躍しつつ、作曲活動も行っていた。
チェロ奏者としては、ウィーン宮廷劇場のオーケストラの奏者となり、大先輩マーラーのもとでも弾いていた。
そんな多彩な才能を持つシュミットのほぼ最後の力作が「7つの封印の書」であります。

ウィーンでの要職の数々、功なしとげた60歳のシュミットは、体調の悪化と衰えを実感し、畢生の大作とすべく「7つの封印の書」を手掛ける。
1935年頃から作曲を開始し、1937年に完成をし、初演は1938年6月にカバスタの指揮でウィーン行われた。
この初演の年の3月には、オーストリアはナチスドイツの巧みな工作により、併合されひとつの主権国家としての存在を失ってしまい、国民投票でも賛成多数という結果となった。
こうした雰囲気のなかでの初演。
武力侵攻を受けたわけでなく、国際的に禁じられていたドイツとオーストリアの合併をオーストリア内部にシンパの政党を作ったりしての工作のもと、スルスルっと一体化してしまった。
このあと、1939年にシュミットは心臓発作を起こして亡くなってしまう。
だからシュミットとナチスの関係は時系列的にもあまりむずびつかないと思う。

Bible

ヨハネ福音書はバッハだが、その福音書でなく、新約聖書の末尾に載っている「ヨハネによる黙示録」を元にした作品。
黙示録を原典にした音楽はほかには見当たらないくらい珍しい。
福音書はイエスの生涯や奇跡を描いているが、黙示録はイエス後の話としての「終末預言」的な内容。
スペクタクルであり、荒唐無稽であり、残酷でもあり、その先に救いあり・・・
何回か読んだけれど、さっぱりわからん。
ちなみに、ほぼ半世紀を経過したわたくしの「聖書」、いかに読んでないかの証左ですが、とても美しく劣化がひとつもない。
頁の1枚1枚は、薄くて繊細だけれど、とても丈夫なんですね、いまさら驚きました。

この黙示録をベースに、全体の目撃者でもあるヨハネが語り役としてソロの大半を歌い、バスが神々しい「主」を担当。
黙示録の登場人物をソプラノ、アルト、テノール、バス。
合唱は群衆であり、黙示録を語る人々でもあり、客観的な存在でもある。

4つの部分からなるが、ずっと歌があるので、ただ聴いてるだけではあまり理解が及ばないと思う。
対訳と聖書を首っ引きで今回はなんども聴いてみて、まとめてみた。
聖書の詩句・言葉を忠実に使用している場面と、まったく使わずシュミットが創作したものとがあり、その区分もしてみました。
悲劇や災害の場面では、聖書は長大で詳細な描かれ方をしてますが、そこは大幅な割愛もあります。

クリックで別窓で開きます。

プロローグ

Sieben-siegeln1

第1部

Sieben-siegeln2

第2部・エピローグ

Sieben-siegeln3

イメージとして思い起こしたエルガーのゲロンティアスは1900年、ブリテン戦争レクイエムは1958年、グレの歌は1911年。
後世の私のような聴き手が、単に結び付けてるだけですが。
ツェムリンスキー、シェーンベルク、シュレーカーらと同じ世代でありながら、時代を考えると保守的な作風でもあったシュミット。
オーケストラはよく鳴るし、くすんだ響きも渋いとこあるし、輝かしさもあるのでオーケストラ好きでも満足できる作品。
またオペラ好きからしても、テノールの活躍はうれしいし、歌手にとってもやりがいあふれる作品だろう。
出番は少ないが、バスにはグルネマンツ的な深みが必要だし、ほかのソロたちももっと見せ場は欲しかったがマタイ的な感じでもある。
そして主役は合唱で、ある意味、語り部として物語りを牽引しつつ、人間そのものを歌う。
緻密さと明瞭な言葉、厚みも必須の合唱。

手持ちのCDは20年前に買ったシュタイン盤とヴィオッテイが東響でやることを知った昨年購入のアーノンクール盤。
ともにウィーンの演奏。
ウィーン響はずっとこの作品を演奏し続けていて、シュタインとの録音が残されたのは幸いだ。
アーノンクールのような劇性や踏込みの深さはないけれど、安定感と日常間がともにある万全の演奏がシュタイン。
オペラ的な立体感がありつつソロが突出しないような慎ましい配慮もあり、各所での盛り上がりに欠けていないシュタインの指揮。
アーノンクールは合唱の扱いが非常にうまく、その合唱もアーノンクールの劇的な指揮にピタリと着いてゆく。
ウィーン響もウィーンフィルもともにまろやかで、強音もうるさくなく心地よい。
歌手ではリリカルなビュヒナーと深みあるホルを配したシュタインの方が好きかな。

録音音源では、メッツマッハーとホーネック盤。
また映像ではデンマークとダラスでのルイージも観ました。
ルイージさん、どんだけシュミットが好きなんだろ。

Church-front

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2026年9月 3日 (木)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」オーケストラルアドベンチャー ペルトコスキ指揮

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秦野市内を流れる水無川の上流にある「風の吊り橋」。

自然を活かした大きな公園となっていて、丹沢山脈の麓にあり、ともかく気持ちがいいので始終行ってます。

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もう盛りは過ぎたけれど向日葵畑もあり、行く夏を惜しむこともできましたね。

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 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」

     オーケストラルアドベンチャー
       ヘンク・フリーヘル編

  タルモ・ペルトコスキ指揮 香港フィルハーモニー管弦楽団

        (2025.6.27,28 香港文化センター)

2000年生れの注目の指揮者、ペルトコスキが2027年のバイロイトで「ローエングリン」を指揮して、同劇場最年少記録を更新するというので、そのペルトコスキのワーグナーを聴いてみた。
フィンランド生まれ(母はフィリピン系)で、あたりまえのようにヨルマ・パヌラの指導を受けており、その門下生であるサカリ・オラモに師事している。
若いとうえば、同じフィンランド人のクラウス・マケラであったが、彼よりも4歳若いのがペルトコスキ。
ラトビア国立響、トゥールーズ・キャピトル管、香港フィルの3つのオーケストラの音楽監督に就任しており、マケラに負けず劣らずの躍進ぶり。
マケラがメジャーオケを総なめにしたのに対し、ペルトコスキ君はバルト3国のオケ、フランス、香港となかなかに渋いところを押さえた感じ。
毛色の違う国のオーケストラで、レパートリーを磨きつつ、オケとともに歩み成長するには、いいポストだとも思う。

マケラはデッカとの契約だが、コンセルトヘボウとシカゴは自主制作レーベルを持っているので、この先デッカ録音はどうなるだろうか。
DGはペルトコスキをどのように売り出してゆくか、それもまた楽しみではあるが、ドツカンマーオケとのモーツァルトに続いて香港フィルワーグナーというところが実に面白い。
しかもLPレコードとネットでの音源配信での発売という名門DGらしからぬ新しい手口。
ダウンロードしてPCオーディオで楽しみましたよ。

これがまあ、かなりの高音質で本格装置で大音量で聴いてみたくなる音源なのです。
リングのハイライトといえば、全部聴けないときのスペクタキュラーな存在として、私のような世代には「ショルティのリング」の抜粋で構成した「ワーグナー・デラックス」で、CD時代初期にはオーケストラだけで「ニュー・ワーグナーデラックス」が長らくの愛聴盤だった。
その後のフリーヘル編はデ・ワールト、あとはテラークのマゼール編で楽しんだ。
もちろんコンサートでもワールト、シュナイダー、ヴァイグレ、ノットなどたくさん聴いてきましたが、いずれにしても私には「歌のないリング」は常にどこか物足りなく脳内で歌唱再生したりして想像力を働かせて聴くというのが毎度のこと。

今回のペルトコスキ・香港フィル盤は、背景に歌を意識させることなく、オーケストラ作品としての演奏に徹しているかのよう。
1時間、スムースな音楽の流れに違和感なく乗っているだけで終わってしまった。
もう一度聴いてみたが、そうあまりにウマいし、なんらの引っ掛かりもないし、すべてのか所がそれなりにあるべくしてちゃんと収まってるし、整っている。
溜めどころ、力の入るところ、情熱的なところ、崇高な場面、感動的な場面、いずれも見事にちゃんと演奏されてる。
模範解答のような「リング」オケ版。
これでいいけど、私にはそれじゃ面白くないとなるんです。
要は、もっとハメを外すくらいにガンガンやるとか、突っ走るとか、重厚長大にやるとか、ハイスピードでやるとか、まったくやる気なさそうにやるとか、ともかく楽しみ与えてくれる「味付け」が欲しかった。

香港フィルはめちゃくちゃ巧い。
デ・ワールトとズヴェーデンでワーグナーやシュトラウス、マーラーを叩きこまれたオーケストラ。
メンバーも白人系の人も多いようだが、その音は案外と野放図なところがあり、大げさが過ぎて感じる奏法や音色やなどもあった。
オケの特性か、指揮者の指示なのか、このオケをちゃんと聴くのは初めてなのでわかりません。
一国二制度で自由が保たれていた香港がこの先どうなっていくか、このオーケストラの先行きもペルトコスキの進化とともに気になるところです。

少年時代からのワーグナー好きが、ワーグナー指揮者になる。
まさにペルトコスキはそういう道を早くも歩んでます。
フィンランドとラトヴィアですでに「リング」を22,3歳で指揮していて、オランダ人、トリスタン、パルジファルも指揮しているという強者。
そうした機会が与えられること自体がその実力のあらわれでしょう。
その様子を確認したかったが、今年2月のオランダオペラでのトリスタンの放送を逃したのは大きかった。
来夏のバイロイトデビューのローエングリンに期待です。

バイロイトの指揮者としての最年少記録は、マゼールの30歳。
その次が、シッパースの33歳、サヴァリッシュ34歳、マーク・エルダー34歳、ラニクルズ37歳、パッパーノとシノーポリの39歳。
ペルトコスキ、ともかく若い。
年齢云々でその演奏を断じるのは、もうそんな時代じゃないのはわかってるけど。
実力をともないつつ、こうした若さゆえの注目のされ具合が先行し、地道に活動している中堅の指揮者に日が当たらず、どんどん埋もれてしまうんじゃないかと懸念します。

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朝晩に秋の予感が。

それにしても雨が多いのが恨めしいし、災害に直結しないように願うばかり。

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