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2026年9月26日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番、6番 シュタイン指揮

Bentensan

今年の彼岸花はどこを見てもキレイに咲きました。

雨ばかりの悪天で湿り気が多いのがよかったのか・・・

それにしても、まったくその形跡すらないのに、お彼岸の頃になると忽然と伸びてきて赤い怪しい花を咲かせる。

どんなことがあったも、なにがあっても、自然はちゃんとめぐってくるんです。

ずっとヘヴィーな音楽ばかりだったので、このへんでお馴染み極まりない曲を懐かしの指揮者で。

Tchaikovsky-stein

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 op.64

           交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」

   ホルスト・シュタイン指揮 バンベルク交響楽団

                ウィーン交響楽団

        (1970 @ドミニカナーバウ バンベルク)
                 (1980 @ウィーン)

昨年に忽然と発売され驚いたシュタインのチャイコフスキー。
MQAなるオーディオコーティング技術が用いられ古い音源を新鮮に蘇らせての発売。

「悲愴」の存在はまったく知らなかったが、バンベルクとの5番のレコードの存在は覚えてました。
ずっと聴きたかったレコードが、半世紀を経て音源化されるという驚き。

Tchaikovsky-5-stein

これが日本コロンビアから発売されたときのジャケット。

1973年1月号のレコード芸術のコロンビアレコードの広告。
後生大事に持ってます。
モノクロの写真をAIを使ってカラー化しました。
小さい画像なので文字が潰れてしまうので、曲名とシュタイン、バンベルクは英語表記で指示を入れました。
そうしたらなんということでしょう、Karajan Berliner Philharmonikerに書き替えられ、さらにレーベルもアメリカのコロンビアレーベルにされて組成されました。
AI様も、チャイコフスキー5番と言ったらカラヤンとベルリンフィルとなるんでしょうか、それともワタクシのブログでカラヤンのチャイ5は何度も取り上げて思い入れあるものだから、そのあたりも考えてのことだったのでしょうか・・・
いずれにせよ、恐ろしきAIの能力。
シュタインとバンベルク、手持ちのコロンビアのレーベルも指示すると、ちゃんとこのように出来上がりました。

CD化されたものでは、録音は1973年とありますが、72年の暮れには日本発売されてますので、私は1970年頃の録音と推定しそのように表記しました。
シュタインは器用でレパートリーも広い指揮者でしたし、ことにロシアや北欧ものも得意にしていて、N響での4番の交響曲は大迫力の演奏だったと記憶します。
エアチェックテープがありましたが、上書きしてしまい、いまや聴けないのが残念だし、あれば3大交響曲が揃ったのに・・・
 あと、この5番は、1980年のスイスロマンドとのライブのNHK放送をエアチェックしたものがあり、こちらは自家製CDRにしてます。
1980年の演奏で、同時に演奏されたのはミンツのヴァイオリンで、モーツァルトの3番です。
スイスロマンドとの演奏は実に素晴らしくって、オケの明るさもあり、とてもしなやかで、同時に緩急もつけた自在ぶりとノリの良さがなかなか聴かせるものでした。

その10年前のバンベルクとの5番。
バイロイトで常連となる頃、各地の劇場でなくてはならない存在となりつつあったシュタイン。
1973年のN響デビューに合わせた来日記念盤でもありましたが、録音のせいもありますが、ドイツのオーケストラとは思えない明るさを感じました。
おそらく、当時のバンベルク響の本拠地が教会だったので、その豊かなホールトーンをまとも捉えた録音が今回のマスタリングでさらに磨きがかかったものと思います。
当時のレコ芸の月評でも「反響の長い録音」とか「残響の多い会場」との指摘がなされてました。

試しにいまは音楽専門の素晴らしいホールに移転したバンベルク響のドミニカーナ教会での演奏の画像を調べたらありました。
こちらもAI様にカラー化してもらいましたら、指揮はどうもシュタインのようです。
教会の柱がちゃんとあり、奥はやはり祭壇のようです。
カイルベルトもここで指揮していたんでしょうね。
この画像を見ながら、この演奏を聴くとまた実に雰囲気がいいのでした。

Bamberger-symphoniker-1

響きが多いのに耳が慣れると、やはりシュタインのスタイリッシュなまでの音楽造りが新鮮です。
スイス・ロマンドよりも速めに進行する1楽章ですが、陰りは少なめで音楽は低徊することなく、ストレートにどんどん進む。
2楽章も思い入れや情緒の入れ具合も少なめで、極めて音楽的に進むが、ホルンソロはこの時代の南ドイツ風なやや古風な響きがする。
クライマックスが来て、木管の合いの手を伴いながら主旋律が繰り返されるが、そのときの弦のピチカートは無骨なまでの素っ気なさで、旋律も泣くことなく淡々と歌う。
カラヤンとは大違いなところが微笑ましい。
3楽章の克明さはユニークでかつ律儀な感じだが、存外にスマートな運びでもありました。
終楽章はインテンポでもってかなりの快速ぶりで、ズバズバ進行するが、大げさなダイナミズムや緩急の強い付け方などは皆無。
いつも速めの展開でありつつ内容の詰まった演奏を聴かせたシュタインのワーグナーを思わせる充足感をここでも感じた。
ただ金管の響きなどに時代を感じさせるものがあり、また強奏時に音が混濁する点も終楽章では見受けられたので、そこは録音のせいかもしれない。

念願のシュタインとバンベルクのチャイコフスキー5番。
シュタインらしいスタイリッシュでありつつ、質実剛健さもある演奏でした。

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ウィーン響との共演も多かったシュタイン。
レコーディングは先だって取り上げたシュミットの「7つの封印の書」とシューベルトのハ長調交響曲のみだったので、この「悲愴」の登場はありがたい。
とても流れがよく、スムースで、あのワーグナーのシュタインとは思えないような美しくもしなやかな演奏。
オケの特性もあったのか、多少の無骨さも感じた5番に対し、角も取れた柔軟な響きをかもし出すオーケストラの持ち味を活かした瀟洒な雰囲気も感じる。
とくに2楽章が美しく、まさかのシュタイン!、あのシュタイン、と思わずつぶやいてしまうほどに軽やかで強弱も巧みに効かせた情緒あふれる演奏だった。
もちろん1楽章も美しく、ほんとに久方ぶりに聴いた「悲愴」がこんなに美しい音楽だったと再認識した。
3楽章のダイナミクスも幅広く、タメもなくストレート・直球勝負の剛腕シンプル演奏は新鮮。
終楽章は泣きが入りことなく、譜面が音になったような無駄のない直截な表現に徹しすがすがしいほど。

聴いていて、ウィーン交響楽団がウィーンの楽団であること、ウィーンならではの楽器の特徴は2000年代にはもう消失してしまったとのことをここに感じたこと。
ともかくこの演奏の時代までは、オーケストラにもローカルがあったことを寂しくも認識できたのです。
そう思いながら、終楽章の消えゆく終結部を聴いた。

マスタリングにより刷新されたシュタインの2つのチャイコフスキー。
鮮やかによみがえったと思うが、両曲ともに響きの過多は感じた。
もう少し、シェイプしてもよかったのかも。
そして、それにしてもシュタインという指揮者は多面的な側面もありつつ、どんな音楽でものその本質をがっちりつかんで指揮することのできた根っからの劇場人だったのだと認識できました。
N響でのコンサートの数々をあらためて正規に復刻して欲しい。

Stein2

バイロイトでしょうか、ピット内での指揮姿の似合うシュタインでした。

日本を愛してくれたけど、日本ではオーケストラピットに入ることはなかった。

新国がもっと早く出来ていれば、サヴァリッシュ、スウィトナー、シュタイン、3人のワーグナーやシュトラウスが新国で体験できたかも・・・・

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