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2026年9月18日 (金)

シュミット 7つの封印の書 シュタイン&アーノンクール

Hallelujah

以前にどこかの教会で撮影した「ハレルヤ」の十字架

「HALLELUJAH」、こうしてよく見てると、この言葉のなかに「JAH」という名詞が入っていて、それはヘブライ語で「神」。
旧約ではヤーウェとよく出てくるし、ミッション系の学校を出たのでキリスト教概論などでは、さかんにヤーウェ、ヤーフェと教え込まれたものだ。
「HALLELU」(ハレル)は、ほめたたえよという意です。

シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」では、長いその作品の終盤のクライマックスで、この「ハレルヤ」を7回連呼する場面があり、そこがまたやたらと感動的なのです。

ただでさえあまり知られていないウィーンで活躍した作曲家フランツ・シュミット(1874~1939)の長大な声楽作品が、日本でこの9月にふたつの団体で週替わりで演奏される。
世界でも稀なことだと思うし、両楽団の話では、ほんとの奇跡的な偶然で、惑星直列にも匹敵することだとしてます。
ルイージとNHK交響楽団、ヴィオッティと東京交響楽団のふたつ。
東響の会員なのでヴィオッテイは当然として、ルイージの方も行くか迷ったが、しかしワンオペ介護の哀しさよ、連続2週の外出は厳しかった・・・

この作品は以前より音源は持っていたが、真剣な分析や聴き方をしてこなかった。
シュミット作品の音源は、このほかは交響曲とオペラ「ノートルダム」ぐらいしか持ってませんが、今回聴きこむことで、この作品が実によくできていることと、感動的な音楽であることに開眼し、同時にほかの交響曲とノートルダムも聴き進めているところです。

 フランツ・シュミット オラトリオ「7つの封印の書」

Schmidt-sieben-siegeln-stein11

   ヨハネ :エバーハルト・ビュヒナー
   主の声:ローベルト・ホル
   ソプラノ:ガブリエル・フォンタナ
   アルト    :マルガレーテ・ヒンターマイヤー
   テノール:クルト・アツェスベルガー
   バス  :ロベルト・ヘルツァー

 ホルスト・シュタイン指揮 ウィーン交響楽団
              ウィーン楽友協会合唱団
   オルガン:マルティン・ハーゼルベック

       (1996.5 @ムジークフェライン、ウィーン)

Das-buch-mit-sieben-siegeln-harnoncourt

         ヨハネ :クルト・シュトライト
   主の声:フランツ・ハヴァラタ
   ソプラノ:ドロテア・ロシュマン
   アルト    :マリアナ・リポヴシェク
   テノール:ヘルベルト・リッパート

 ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
              ウィーン楽友協会合唱団

   オルガン:ヘルベルト・タヘッツィ

       (2000.4 @ムジークフェライン、ウィーン)

多作家とはいえなかったシュミットは、ブラティスラヴァの出身で、ピアノとオルガンを学んだのちに、ウィーンで学び、チェリスト、ピアニスト、教育者として活躍しつつ、作曲活動も行っていた。
チェロ奏者としては、ウィーン宮廷劇場のオーケストラの奏者となり、大先輩マーラーのもとでも弾いていた。
そんな多彩な才能を持つシュミットのほぼ最後の力作が「7つの封印の書」であります。

ウィーンでの要職の数々、功なしとげた60歳のシュミットは、体調の悪化と衰えを実感し、畢生の大作とすべく「7つの封印の書」を手掛ける。
1935年頃から作曲を開始し、1937年に完成をし、初演は1938年6月にカバスタの指揮でウィーン行われた。
この初演の年の3月には、オーストリアはナチスドイツの巧みな工作により、併合されひとつの主権国家としての存在を失ってしまい、国民投票でも賛成多数という結果となった。
こうした雰囲気のなかでの初演。
武力侵攻を受けたわけでなく、国際的に禁じられていたドイツとオーストリアの合併をオーストリア内部にシンパの政党を作ったりしての工作のもと、スルスルっと一体化してしまった。
このあと、1939年にシュミットは心臓発作を起こして亡くなってしまう。
だからシュミットとナチスの関係は時系列的にもあまりむずびつかないと思う。

Bible

ヨハネ福音書はバッハだが、その福音書でなく、新約聖書の末尾に載っている「ヨハネによる黙示録」を元にした作品。
黙示録を原典にした音楽はほかには見当たらないくらい珍しい。
福音書はイエスの生涯や奇跡を描いているが、黙示録はイエス後の話としての「終末預言」的な内容。
スペクタクルであり、荒唐無稽であり、残酷でもあり、その先に救いあり・・・
何回か読んだけれど、さっぱりわからん。
ちなみに、ほぼ半世紀を経過したわたくしの「聖書」、いかに読んでないかの証左ですが、とても美しく劣化がひとつもない。
頁の1枚1枚は、薄くて繊細だけれど、とても丈夫なんですね、いまさら驚きました。

この黙示録をベースに、全体の目撃者でもあるヨハネが語り役としてソロの大半を歌い、バスが神々しい「主」を担当。
黙示録の登場人物をソプラノ、アルト、テノール、バス。
合唱は群衆であり、黙示録を語る人々でもあり、客観的な存在でもある。

4つの部分からなるが、ずっと歌があるので、ただ聴いてるだけではあまり理解が及ばないと思う。
対訳と聖書を首っ引きで今回はなんども聴いてみて、まとめてみた。
聖書の詩句・言葉を忠実に使用している場面と、まったく使わずシュミットが創作したものとがあり、その区分もしてみました。
悲劇や災害の場面では、聖書は長大で詳細な描かれ方をしてますが、そこは大幅な割愛もあります。

クリックで別窓で開きます。

プロローグ

Sieben-siegeln1

第1部

Sieben-siegeln2

第2部・エピローグ

Sieben-siegeln3

イメージとして思い起こしたエルガーのゲロンティアスは1900年、ブリテン戦争レクイエムは1958年、グレの歌は1911年。
後世の私のような聴き手が、単に結び付けてるだけですが。
ツェムリンスキー、シェーンベルク、シュレーカーらと同じ世代でありながら、時代を考えると保守的な作風でもあったシュミット。
オーケストラはよく鳴るし、くすんだ響きも渋いとこあるし、輝かしさもあるのでオーケストラ好きでも満足できる作品。
またオペラ好きからしても、テノールの活躍はうれしいし、歌手にとってもやりがいあふれる作品だろう。
出番は少ないが、バスにはグルネマンツ的な深みが必要だし、ほかのソロたちももっと見せ場は欲しかったがマタイ的な感じでもある。
そして主役は合唱で、ある意味、語り部として物語りを牽引しつつ、人間そのものを歌う。
緻密さと明瞭な言葉、厚みも必須の合唱。

手持ちのCDは20年前に買ったシュタイン盤とヴィオッテイが東響でやることを知った昨年購入のアーノンクール盤。
ともにウィーンの演奏。
ウィーン響はずっとこの作品を演奏し続けていて、シュタインとの録音が残されたのは幸いだ。
アーノンクールのような劇性や踏込みの深さはないけれど、安定感と日常間がともにある万全の演奏がシュタイン。
オペラ的な立体感がありつつソロが突出しないような慎ましい配慮もあり、各所での盛り上がりに欠けていないシュタインの指揮。
アーノンクールは合唱の扱いが非常にうまく、その合唱もアーノンクールの劇的な指揮にピタリと着いてゆく。
ウィーン響もウィーンフィルもともにまろやかで、強音もうるさくなく心地よい。
歌手ではリリカルなビュヒナーと深みあるホルを配したシュタインの方が好きかな。

録音音源では、メッツマッハーとホーネック盤。
また映像ではデンマークとダラスでのルイージも観ました。
ルイージさん、どんだけシュミットが好きなんだろ。

Church-front

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