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2026年10月

2026年10月12日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

Trabimonhills

雲ひとつなく晴れ渡った日曜日。

あまりに気持ちがいいので、新橋駅から歩いて溜池のサントリーホールまで。

虎ノ門ヒルズを横切ってホテルオークラとアメリカ大使館の間を抜けて、霊南坂からホールへと。

お気に入りの歩きコースです。

Viotti-tso-202610

    東京交響楽団 第746回 定期演奏会

  バッハ(齋藤 秀雄編)   シャコンヌ

  ショスタコーヴィチ  交響曲第10番 ホ短調 op.93

           ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

      コンサートマスター:景山 昌太朗

                     (2026.10.11 @サントリーホール)

この演奏会は休憩がありません、との事前告知あり。
さらに場内でも2曲の間には休憩を挟まず、続けて演奏されますので・・・とのアナウンスもなされました。 

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の長大な終曲「シャコンヌ」を斎藤秀雄が編曲した作品が最初に。
「学生たちのためにアンサンブルや表現力を学ぶための実践的教材」として編曲。
弦楽だけでなく、打楽器も含むフルオーケストラ作品となっている。
バッハ作品のオーケストラ版といえばストコフスキーですが、そちらは華麗でゴージャス、壮麗なイメージ。
対する斎藤版シャコンヌは、フルオケ作品でありつつ、その編曲時の目的通りに各楽器・奏者たちがそれぞれに語りあいつつ、ときに室内楽的でもあり、またフルに鳴り渡る大オーケストラサウンドも聴かせたりもする多彩さがある。
しかし、私はそこに「和」のテイストも感じました。
独奏楽器が引立つ場、その背景などに、とくにそう思った。
原曲は高度な技法とともに、ある意味、華々しさを加えて演奏されてしまう場合もあるが、ここではともかく渋い。
 その渋いところを実によく押さえ、内省的な演奏に徹したかのようなヴィオッテイの指揮。
今年の5月にヴィオッテイは、オランダのネーデルランドフィルでこの曲を演奏し、その模様は録音して聴きましたが、そこではコンセルトヘボウと思われる響きの豊かなホールの影響もあり、より華やかな印象を受けていた。
ちなみに、そのオランダでの演奏会は、2曲目がショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲2番、メインはラフマニノフの交響的舞曲。
さらにさかのぼること2月には、ウィーン響とも「シャコンヌ」をやり、そのときはやはり休憩を入れず連続して、ショスタコーヴィチの7番を演奏してます。
 いずれの回でも、シャコンヌのあとはショスタコーヴィチ。

その意はよくわからないが、音楽の根源的な存在のバッハ作品。
とかく社会的な側面から語られるショスタコーヴィチの音楽を純粋音楽として捉えての見方。
ふたつを並べて、さらに連続して演奏することの思いはそんなところにあるのだろうか・・・

ということで、フォルテで終わったバッハのあと、ヴィオッテイは指揮棒を止めたまま、その動きをコントラバスとチェロに向け、抑圧的な重々しい主題が始まった。
この連続性がとても自然だったし、聴き手には嫌でも緊張感を強いるものでその緊張感と集中力を絶やさずに、この長大な1楽章を聴くことになった。
音楽が動き出し、ヌブーさんのクラリネットが第1主題を奏でるが、暗さよりは明晰さ、そしてこの日、冴えわたったフルート知久さんのソロで始まる次の主題も不可思議感というよりは、音の輪郭をはっきりさせ、そのあと続く壮絶な盛り上がりにおいても冷静なる展開を見せ、そこがまた音楽の本質に迫るようで興奮をした次第だ。
ともかく緊張を強いられる1楽章の展開が少しも重々しくなく感じた演奏。
 スピード感あふれる2楽章ではまさに高速ギアにチェンジしたみたいで、ヴィオッテイもオーケストラを追い込んでゆくようで、そのオケも一糸乱れず着いてゆくし、この熱狂的な展開に息を飲み、目を見張ったものだ。
きっとホール中の聴衆がそう思ったであろう。
 1楽章とともに、案外と難しいのが3楽章。
演奏によっては、また一部CDではいつも取り止めなく感じてしまうが、各楽器を明快に浮かびあがらせ、その先にホルンのモットーが自然に入ってくる感じで、どこまでも自然。
ホルンがあざとく感じてしまう場合があるが、ヴィオッティ&東響の自然体の演奏の仕方、吹かせ方はとてもよかったし、ホルン氏よく頑張りました。
その後にやってくるハチャムチャな盛り上がりはスピーディーに徹した展開で、不可思議に静かに終わるこの楽章のなかで突出せずに納得できるものでした。
景山コンマスのソロも最後よかった。
 さてきっとすげぇよ終楽章、と予見しつつ始まった緊張感ある模索的な開始部から、アレグロになだれ込む。
ここでもヴィオッテイは快速ギアを踏み、あとは次々と興奮の坩堝へと聴衆を誘いまくるのでありました。
弦のリズミカルかつ歯切れのよい刻み、耳をつんざくことなく心地よいピッコロの絶叫(濱崎さん、いつもながら見事すぎだろ)、うごめく低弦、全曲に渡りバシバシ決めて決まりまくる綱川さんのスネアや打楽器陣の炸裂大会、小躍りしたくなるホルンの咆哮、、、ともかく誰もかれも、なにもかも、ヴィオッティの鮮やかな手綱さばきに舞い踊るようにして演奏しまくり。
そしてこちとら、興奮しまくり。
こんなにスピードあげても、音楽として破綻することなく、しっかり4つの楽章の帰結として構成感も保たれている気がしたし、あの長大な1楽章が遠い昔に感じるような、そんな完結感あふれる演奏だった。
 昨年聴いた、東響の10番、ヒコックス君もいい演奏だったが、ヴィオッティは鮮烈さでは上回ってました。

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2曲併せての75分間。
こんなに濃密かつ緊張感あふれる演奏会はそうそうに出会えない。
ノット前監督がいつも聴かせてくれた予想できない驚きの展開と、ヴィオッティ新監督にいまのところ感じている劇場空間を思わせる劇的な音楽展開。
どちらも最高に好きです。
そして東響の技量の高さと、能動的かつ鮮度高い音の素晴らしさ。

来シーズンも楽しみすぎる演目ばかりだ。

Viotti-a

コールに応えて登場のロレンツィオ氏。

毎度おなじみの左手にいらっしゃるブラボー氏の声にワオ!

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こんなユーモラスなやり取りもあり和みましたね。

撤収作業中のメンバーもニッコリ。

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2026年10月10日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会B ノット指揮

Suntry-20261009

秋の日はつるべ落とし。

西日が眩しい時刻に家を出て、車中で暮れゆく街並みを見て、すっかり暗くなった都会のホールに到着。

都心でもススキ、秋めいてきました。

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  東京都交響楽団定期演奏会 Bシリーズ 第1053回

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58

   ヘンデル    メヌエット ト短調 (ケンプ編)~アンコール

      アンヌ・ケフェレック

 ブルックナー  交響曲第6番 イ長調

   ジョナサン・ノット指揮 東京都交響楽団

     コンサートマスター:矢部 達哉

        (2026.10.9 @サントリーホール)

先週に引き続き、ジョナサン・ノットが客演する都響の演奏会へ。
チラシのとおり、「明朗なる歌」。
明るい調性の作品ふたつによるプログラムは今回も秀逸。

コンサートマスターは矢部氏で、その隣には前回演奏会のコンマスで、ノットとの共演を数多く経験してきた水谷さんという布陣。
ほかのセクションも首席がふたりそれぞれ並ぶという豪華ぶり。

高校~学生時代のワタクシのピアノのアイドルはケフェレックでした。
毎年のように日本にやってきてくれる親日家でもあり、いつか聴こうと思いつつも常に逃して半世紀。
実は今回が初ケフェレック姫でございました。
次週にベートーヴェンの後期ソナタ3曲のリサイタルがあり、チケットを押さえにいったら早々に完売・・・

にこやかなノットさんを従え、しっかりした足取りであらわれたアンヌ様は、ともかく華奢でしたが姿勢正しく、気品あふれるお姿でした。
「ベートーヴェンの4番」、開始早々、楚々としたなかにあふれる清楚かつ清らかな音色に瞬時にして耳が釘付け。
見るからに儚いお姿ですが、その打鍵は確かで、その紡ぐ音も明晰きわまりない。
ノットと都響も柔和な響きでバックアップ。
長めのカデンツァを採用したケフェレック、緊張感のなかに微笑みを絶やさぬステキなピアノはここでも明快であり、技巧云々でなく、ともかくどこまでも奥行を感じさせるゆとりがその音楽にあり、聴くワタクシの心の襞にどんどん入ってくるのでした。
 2楽章の深遠な雰囲気もケフェレックのピアノでは優しい微笑みすら感じさせる。
休息を取らず1楽章からすぐさま開始したノットのオーケストラは、ここではかなり歯切れがよく、厳しい表現に切り替えたように感じたが、柔和なピアノとそのオーケストラとの対比がとても聴きごたえあり。
そして3楽章の愉悦感は、ノーブルかつ弾むような軽やかさでケフェレックはここでも丹精さを失わず、品の良さを常に保つ貴婦人そのもの。
そこにピタリとつけるノット・都響も軽快。
どこまでも続いて欲しいと思ったケフェレックのベートーヴェンの4番は、私には忘れえぬ演奏となりました。

アンコールには、得意とするヘンデルの作品。
切なさと求道的なムードも感じさせるこの出だしに、わたくしは思わず涙が出ました。
学生時代に集めたケフェレックのレコードの数々、バッハやリストを思い出し、この半世紀の自分の営みや、この先の不安なども脳裏を駆け巡り・・・・
しばらく拍手もできませんでしたね。
おセンチになりました、ありがとうケフェレックさま。

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「ブルックナー6番」
東響とのブルックナーでコロナの影響で唯一持ち越された6番。
ノットの退任のあとの新シーズンスタートに東響のプログラムに選ばれた懸案の6番を指揮したのはエラス=カサド。
そして東響退任したノットは、今度は都響に招かれてこの6番。
先のシュミットの7つの封印とともに、今年の音楽シーンのトピックのひとつは、カサドとノットのブルックナー6番、あとは外来オケも巻き込んでのマーラー「復活」大会かもしらん。

ふたつのブル6を聴いて、端的に言えば、輝かしくも明るく元気にあふれたカサド、落ち着きと大人の風格のなかにも抒情と情熱を兼ね備えたノット、そんな風にまとめてみた。
どちらも抜群に素晴らしい演奏だったのです。

いつものように対抗配置で、ノットは譜面台は置きつつも暗譜での指揮。
1楽章が始まる寸前に大きな咳が聴こえちょっとガッカリ。
マイクが林立していたこの演奏、ライブ録音されたかもですが、そのあたりはしっかりカットされるだろう。
気を取り直して、朗らかなる1楽章のいつものノットらしい推進力あふれる演奏にすぐさま引き込まれる。
同時に音のブリリアントな艶やかさと厚みは、まさに都響。
木管のさえずりも素敵だし、そのあたりがクッキリと浮かびあがるし、あらゆる楽器の音がよく見えるし聴こえる。
 そして、この日いちばん素晴らしかった第2楽章の自然美あふれる美しさと神々しさ。
木管による哀しみあふれる第1主題、さらにステキすぎたのが第2主題の癒しさえ感じる旋律を慈しむように丁寧に演奏したこと。
その次にくる葬送のような悲しみの旋律も対比として鮮やか。
この3つの主題が織りなす美しいこの楽章に指揮者もオーケストラも無為の境地にあるように感じた。
この楽章の静かにピアニシモの度合いを加えていって終わってゆく様子をノットの指先をずっと見つめて聴いた。
ほんと、少しの指の動きにオーケストラが反応して、最後のヴィオラで静かに終わるところ、息ができないほどに感動した。
 一転、リズミカルなスケルツォ楽章は明快なノットのタクトのもと、都響の分厚い音が軽やかに聴こえるほどに生き生きとした場面を作り出し、中間部のピチカートやホルンも楽しそうに聴こえる。
コンマスふたりはアイコンタクトで実際にニッコリしながら弾いていました。
 ノットさん、きつとアタッカで入りたかった終楽章は、まいどの楽章間の咳払いで間ができたが、それでもすぐさまの開始。
この終楽章は一気呵成の勢いでどんどん進む。
カサドのようにはテンポを動かさず、ノットは都響をかつての東響のようにスリリングに煽りつつ、でもあくまで自然な盛り上げを作り上げるという大人の演奏に徹した。
それでもホールが熱気に包まれてしまうのがいつものノットらしいところで、後期3作品のような納得感ある終わり方を持たない少し唐突な6番のエンディングを鮮やかに完結感を持って示してくれた。
動きを止めた指揮棒、弓を掲げたまま止まったオーケストラ、うれしい静寂がありました。
ノットが静かに腕を下ろすと万来の拍手が巻き起こりました。

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指揮者もオーケストラも、われわれ聴衆もみんな満足の極み。

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いつものノットの呼び出し。
都響だけど、いつもの東響の聴き手もいるはず。

来週は大阪フィルでロンターノ、夜想曲、ブラームス1番。
再来週は広島響でパヌフニク父娘の作品、シュニトケ、ショスタコ9番。
ブラームス以外は完全にノットらしい演目です。
ほぼ1か月の日本滞在はうれしい限りですね。

12月にはいよいよ、バルセロナのリセウ劇場でまずオーケストラコンサート。
牧神の午後、シューマン、ハルサイというプログラム。
さらに年末は、韓国のKBS響で「第9」。
2027年1月にスイスロマンドでマーラー7番。
2月にはリセウのピットに入ってバイエルンで上演されているクラッツァー演出の「ラインの黄金」。
4年かけて「リング」をやる予定。
さらにリセウの来シーズンを調べたらグレゴリアンと「イエヌーファ」、「戦争レクイエム」などが予定されていた。
忙しいオペラハウスの指揮の合間を縫って9月には紀尾井オケに来演予定。
東響の指揮台にも立って欲しいな。

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2026年10月 4日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会A ノット指揮

Geigeki-20261003

37日連続の雨、そのあまりうれしくない記録がついに途絶えた10月3日。

池袋の東京芸術劇場に東京都交響楽団の演奏会を聴きに行きました。

昨シーズンまで東響の音楽監督を務めたジョナサン・ノットが都響を初めて指揮するので!

悪戯心で加工して、劇場前の公園ステージにあるスクリーンにノットさんに登場いただきました。

思えばちょうど1年前の秋冬、ノットと東響の最後のシーズンを大曲を通じて堪能していたのでしたが、その1年後にほかのオーケストラに客演して来日するとは思ってもなかった。

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      東京都交響楽団 第1052回 定期演奏会

 メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」op.26

 ブルッフ     スコットランド幻想曲 op.46

   エルガー     「愛の挨拶」op.12 ~アンコール

       Vln: 辻 彩奈

       Hp: 吉野 直子

 ストラヴィンスキー 葬送の歌 op.5

 スクリャービン  「法悦の詩」(交響曲第4番) op.34

    ジョナサン・ノット指揮 東京都交響楽団

     コンサートマスター:水谷 晃

       (2026.10.3 @東京芸術劇場)

とてもユニークだけれど、実によく考え抜かれたプログラム。
前半がドイツロマン派の作曲家によるスコットランド地方にまつわる音楽。
後半は第1次ロシア革命の頃のふたりのロシア作曲家によるワーグナーの影響下にもあるともいえる同時期の作品。
前半にほのぼのとさせ、後半には緊張感を高め、アドレナリンを注入される、そんなムードになったのでした。

暗譜で指揮したフィンガルは、思わぬドラマチックな演奏となった。
ノットらしく、流れのいい展開ながら、波しぶきや風を感じさせるような強さも強調され、都響がまた分厚い音で応えた。
メンデルスゾーンでこんなに迫力ある響きを感じるなんて思ってもみなかった。
一服の清涼剤のように思っていたオーケストラピース的作品が、驚きの大作のように感じられもしたのでした。

次いで、大好きなスコットランド幻想曲。
もう半世紀以上前にテレビでハイフェッツの演奏を視聴して、とくに最終楽章が妙に好きになりました。
いま好きな演奏は、ニコラ・ベネデッティとタスミン・リトル、諏訪内晶子となぜか女性奏者ばかり。

ハープも活躍するこの作品に、名手の吉野さんを配する豪華ぶりで、彼女はヴァイオリンと並んで指揮者の横で演奏。
その配置からか、ハープの響きがヴァイオリンのソロに隠れてしまうように感じたが、席によって違ったのではと思う。
それにしても、初めて聴いた辻彩奈さんのヴァイオリンが極めて素晴らしくて、音が若々しく艶があり、技巧も見事だが繊細さと強さとともに兼ね備えたその音色に酔いました。
神妙な序奏のあと、1楽章に入ってからのオーケストラの優しい響きに誘われ登場するメイン主題に、思わず涙ぐんでしまった。
郷愁さそうステキなメロディ、まだ見ぬハイランド地方の光景も目に浮かぶようなこの旋律を辻さんは、心を込めて丹精に、そして艶やかに弾きましたし、吉野さんのハープの合いの手も美しい。
 スケルツォでは快活なヴァイオリンに、ノットの切れ味あふれる指揮で、終わりの部分の繰り返しもカッコイイ。
そしてまたもや泣けたのは、3楽章の民謡を主題にした展開で、ほのぼのとしつつ、慈しみあふれるメロディにうっとり。
ブルッフのこのあたりの歌謡性と叙情は、ヴァイオリン協奏曲とともに、交響曲でも味わえるもの。
辻さんのヴァイオリンの伸びやかさと嫌味のまったくない素直な歌わせぶり、加えて愛情いっぱい感じるオーケストラの暖かみ。
 一転して終楽章の元気の良さ、屈託のない明るさは晴れ晴れとするようで、ハープもここではこの配置が有効に機能し、なるほどと感心することしきりでした。
この楽章は妙にテンポを落としたりするとダレてしまうのですが、そこはノットの指揮はキビキビしていて、どんなに細かいパッセージでもクッキリ響かせる辻ヴァイオリンとともに鮮やか極まりない。
ラストにしんみりとメインテーマが来てしんみりさせ、そのあとの大団円。
素晴らしい演奏、そしていい曲なのでありました。
 アンコールはヴァイオリンとハープでエルガー。
英国つながり、しかもハープの伴奏とはまた、そうきましたか!と思いました。
これまた心和む美演でございました。
 
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後半のストラヴィンスキー。
バレエ音楽のストラヴィンスキーの音楽とは全く異なる、どちらといえば表現主義的な雰囲気も感じつつ、でも「火の鳥」と近い時期の作品だから、その先駆け的なムードもあり。
こうしたふだん聴き慣れてない音楽を、明快にわかりやすくしてくれるのは毎度のノットの才覚。
エアチェックしたデュトワとシカゴ、ゲルギエフとミュンヘンフィルなどで予習をしておきましたが、それらの模糊とした捉えどころのないイメージは、そんな音楽なんだという印象しかなかったのです。
しかし実演で聴くとやはり違うもんです。
指揮姿とオーケストラの面々、さらには豪華にも吉野さんもハープで加わる演奏を視覚的に捉えることで、音楽がどんどん耳に届き入ってきました。
明確な旋律線などないが、切々たるR・コルサコフの死を悼むというこの音楽のイメージがワーグナー的でもありつつ、色彩感も感じつつ、ひとつの幻想曲のようにも思った。
ノットの共感あふれる指揮のもとに、透明感あふれる響きを紡いだ都響も見事なものでした。
ラストのハープの上昇音とともに曲を閉じる場面はチャイコフスキーのようにも感じました。

さて、大好きな「法悦の詩」。
ほどよく短いし、大迫力のオーケストラが聴けるし、ということでアバドのレコード購入以来何度聴いたかわからない。
しかし、実演で聴くのは初めてで、今回ほど、あっという間の短い時間に感じたことはなかった。
それと同時に、ノットならもっと凄かったはず、との思いもぬぐえない。
あまりにサラサラと進みすぎて、ひっかかりがなさすぎて、気が付いたらクライマックスを迎えてオシマイ、そんな風に思った。
  ノットの指揮ぶりを知り抜いた水谷コンマスのソロはキラリとしていて見事だったし、ここでもハープ席に座った吉野さんも大活躍でよく音が聴こえた。
さらに首席トランペットの一条の光さすような鋭いソロも完璧。
さすがは都響で、各奏者の技量の高さと分厚い響き、高度な合奏も聴きごたえあり、オーケストラを聴く喜びは堪能。
しかし、それらがないまぜになって、ひとつの方向性を持たせ、熱狂とも呼べる熱さを予想外に呼んで行くのがこれまで東響で聴いてきたノットの音楽だったが・・・・
ここでは私はやや燃焼不足の神秘と法悦に思えたのでした。
くり返しますが、演奏としては完璧で、いくつものモティーフが同時進行するさまや、変転するリズムへの対応など、ノットの鋭い指揮とそれに応える都響は見事でした。
言ってはなんですが、東響とではまた違ったかも・・・・
初顔合わせということで、この作品においては1度キリでなく、何度かやって内容を高めて欲しいと思ったのでした。
オルガンも加わり、凄まじい盛り上がりとなり、そのあと静かにロマンティックな表情から徐々にクレッシェンドして眩しく輝くエンディング。
そこはもうドキドキしましたが、ここでももっと行けるんじゃ・・という思いもありました。

スクリャービンはちょっと辛口評価ともなりましたが、この日の最高の演奏はスコットランド幻想曲だった。
次のブルックナーがどうなるか、楽しみです。

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東響での懐かしいコンビ、水谷コンマスとノット。

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今回も盛大な拍手でノットさんの呼び出し。

お馴染みのにこやかな表情。

日本が大好きなノットさん。

都響のあとは、大阪フィル、広島響と西へ向かいます。

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2026年10月 3日 (土)

シューマン 弦楽四重奏曲 作品41 ドロルツ四重奏団

Ooi-yume-1

悪天続きの初秋のなかで、今年の彼岸花は各処でたくさん咲いているのが確認できたし、色も濃くて美しかった。

ほかの花々はイマイチだったけれど、彼岸花だけ。

しかし、雨ばかりで見物に行く機会がなかなかなくてヤキモキしたもんだ。

そんななかの一瞬のスキを突いて大井町まで。
本来なら富士がきれいに見えるんですがね・・・

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     シューマン 弦楽四重奏曲第1番 イ短調 op.41-1
         弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調 op.41-2
         弦楽四重奏曲第3番 イ長調 op.41-3

       ドロルツ弦楽四重奏団

     (1965.12 , 1966.3 @UFAスタジオ、ベルリン)


ジャケ買いしたCDです。
シューマンの弦楽四重奏曲全3曲と同時に録音されたピアノ五重奏曲を2枚に収めたCD。
レコード時代のオリジナルをそのまま復刻したもので、上記が3番の四重奏とピアノ五重奏。
ピアノは若きエッシェンバッハ。
1番と2番の四重奏はこのジャケット。

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この幽玄なる絵画は、おなじみのドイツのロマン主義時代の画家、カスパール・ダーヴィッド・フリードリヒ(1774~1840)。
「海辺の月の出」(1822)、「月を眺める男と女」(1830~5)

シューマン(1810~1856)の活動時期とかぶるフリードリヒの風景画の数々。
シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスなどのジャケットにも昔から多く使われてましたが、シューマンの渋い室内楽のロマンあふれる音楽にはぴったり。

シューマン31歳、前年の1841年が「交響曲の年」であり、翌1842年は「室内楽の年」として、作品41の3曲は短期間に書かれた。

ベートーヴェンやメンデルスゾーンなど古典の形式や先達を意識したこれらの作品。
シューマン家では仲間が集まり、さかんに室内楽の演奏に興じていたが、そこで演奏された先輩たちの音楽にも感化され、研究もした。
伸びやかなメンデルスゾーンの音楽、ベートーヴェンの厳格さや後期作品の求道心などを感じさせるとともに、シューマンらしいロマンの芳香と複雑なる内面をも感じる音楽です。

この前のブログでベートーヴェンの同じ作品番号をもつ3つのピアノソナタ集を聴いた。
ひとりの作曲家が短期に書いた作品集を続けて集中聴きすることの意義は、大きく、そのときその作者がどういう状況だったかなどを推しはかりつつ聴くのも楽しいものだ。

以前にライプチヒ四重奏団の演奏会を聴いたときのblogから補筆してます。

1番:
 イ短調の憂愁と激情の交差するドラマテックかつロマンな曲。

幽玄な出だし、まさにシューマン風の旋律も聴かれる1楽章。
2楽章のスケルツォの面白さ、忙しさ(ちょっと壊れかけてる・・・)
3楽章のロマンあふれる様相は大先達の第9をも思わせた。
終楽章はプレスト。

2番:
牧歌的なおおらかさと流動感あふれる雰囲気はメンデルスゾーンみたいだ。
平和な雰囲気で気分やすらぐ1楽章はずっと浸っていたい。
変奏曲形式の2楽章でもうっとりできるし、その歌謡性はシューベルトの室内楽にも通じる。
3楽章はここでもスケルツォで、短調の展開のなかにハ長の妙に明るいトリオがはいる。
舞踏調の忙しい終楽章は、1番や2番の交響曲の終楽章と同じようなフレーズを感じさせたりもして明るく軽やかだ。


3番:
全体に漂う幻想味。この曲が一番、われわれが思うシューマンらしさあり。

ベートーヴェン風の序奏をともなう自由なスタイルで、自在さただようが緻密に書かれたなかにクララの名前を模したモットーが織り込まれているという。素人のワタクシにはわからないが・・・
2楽章は、スケルツォだが、変奏曲スタイルで書かれた珍しいやり口?曲想やテンポも揺れ動き、不安げだし、そこがとても印象的だ。
3楽章、緩徐部分。ベートーヴェンの抒情にも通じ、より哀感もあり明滅するかのようなロマンがあふれる素晴らしい楽章と聴いた。
終楽章は、とりとめなさが魅力で行進曲風の推進性もあり妙に明るかったりで、これもまたシューマンらしい。

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1950年、すなわち戦後にまもなく結成されたドロルツ四重奏団。
フルトヴェングラーからカラヤンの時代のベルリンフィルのメンバーを中心に、エドゥアルト・ドロルツによって結成されたカルテット。
途中のメンバー交代も含めて広範な活動をして、EMI、オイロディスク、DGなどへの録音も多かった。
しかし、1973年のドロルツの死をもって解散。
その後は、残されたレコードがロマン派系の音楽を中心にファンに愛され続けたものの、CD時代になってはあまり聴かれなくなった存在。
ドイツの四重奏団らしい緊密さと、緻密かつ重厚さもあり、まさに過去のベルリンフィルの顔も感じさせはするが、昨今のハイレベルに達した四重奏団のキリリと引き締まり、時代設定も踏まえた多彩な演奏ぶりなどと比較すると、明らかに緩く感じるのも事実。
まさにそういう時代だったとも思うドロルツ四重奏の演奏ではあるものの、かつて抒情派ともいわれた存在もかくやと思わせる、幽玄たるシューマンのロマンあふれる姿がここに聴かれ、懐かしさとともに、いまやこのような演奏は他に聴くことができないという意味で新鮮でもありました。
かつてのレコ芸の室内楽評を担当した某O氏などは、美音、甘い演奏、通俗性などと指摘し、戦後のこのスタイルはもう復活しないだろう・・・とまで評しておりました・・・・
もう半世紀前の記事でしたが、いま現在の多様化した音楽の聴き方や受容のありかたからすると、こうした評論の内容はいまや的外れと思いたい。
その演奏からレコードや紙ジャケットの手触り。馥郁たるロマンを感じることってもう味わえないのですからね。
DGの60年代の録音もまさにそれが言えていました。

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富士は見えねど、金時山から箱根へ連なる山並みはよく見えますし、眼下の小田原、南足柄などもクッキリ。

好きな場所です。

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