シューマン 弦楽四重奏曲 作品41 ドロルツ四重奏団
悪天続きの初秋のなかで、今年の彼岸花は各処でたくさん咲いているのが確認できたし、色も濃くて美しかった。
ほかの花々はイマイチだったけれど、彼岸花だけ。
しかし、雨ばかりで見物に行く機会がなかなかなくてヤキモキしたもんだ。
そんななかの一瞬のスキを突いて大井町まで。
本来なら富士がきれいに見えるんですがね・・・
シューマン 弦楽四重奏曲第1番 イ短調 op.41-1
弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調 op.41-2
弦楽四重奏曲第3番 イ長調 op.41-3
ドロルツ弦楽四重奏団
(1965.12 , 1966.3 @UFAスタジオ、ベルリン)
ジャケ買いしたCDです。
シューマンの弦楽四重奏曲全3曲と同時に録音されたピアノ五重奏曲を2枚に収めたCD。
レコード時代のオリジナルをそのまま復刻したもので、上記が3番の四重奏とピアノ五重奏。
ピアノは若きエッシェンバッハ。
1番と2番の四重奏はこのジャケット。
この幽玄なる絵画は、おなじみのドイツのロマン主義時代の画家、カスパール・ダーヴィッド・フリードリヒ(1774~1840)。
「海辺の月の出」(1822)、「月を眺める男と女」(1830~5)
シューマン(1810~1856)の活動時期とかぶるフリードリヒの風景画の数々。
シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスなどのジャケットにも昔から多く使われてましたが、シューマンの渋い室内楽のロマンあふれる音楽にはぴったり。
シューマン31歳、前年の1841年が「交響曲の年」であり、翌1842年は「室内楽の年」として、作品41の3曲は短期間に書かれた。
ベートーヴェンやメンデルスゾーンなど古典の形式や先達を意識したこれらの作品。
シューマン家では仲間が集まり、さかんに室内楽の演奏に興じていたが、そこで演奏された先輩たちの音楽にも感化され、研究もした。
伸びやかなメンデルスゾーンの音楽、ベートーヴェンの厳格さや後期作品の求道心などを感じさせるとともに、シューマンらしいロマンの芳香と複雑なる内面をも感じる音楽です。
この前のブログでベートーヴェンの同じ作品番号をもつ3つのピアノソナタ集を聴いた。
ひとりの作曲家が短期に書いた作品集を続けて集中聴きすることの意義は、大きく、そのときその作者がどういう状況だったかなどを推しはかりつつ聴くのも楽しいものだ。
以前にライプチヒ四重奏団の演奏会を聴いたときのblogから補筆してます。
1番:
イ短調の憂愁と激情の交差するドラマテックかつロマンな曲。
幽玄な出だし、まさにシューマン風の旋律も聴かれる1楽章。
2楽章のスケルツォの面白さ、忙しさ(ちょっと壊れかけてる・・・)
3楽章のロマンあふれる様相は大先達の第9をも思わせた。
終楽章はプレスト。
2番:
牧歌的なおおらかさと流動感あふれる雰囲気はメンデルスゾーンみたいだ。
平和な雰囲気で気分やすらぐ1楽章はずっと浸っていたい。
変奏曲形式の2楽章でもうっとりできるし、その歌謡性はシューベルトの室内楽にも通じる。
3楽章はここでもスケルツォで、短調の展開のなかにハ長の妙に明るいトリオがはいる。
舞踏調の忙しい終楽章は、1番や2番の交響曲の終楽章と同じようなフレーズを感じさせたりもして明るく軽やかだ。
3番:
全体に漂う幻想味。この曲が一番、われわれが思うシューマンらしさあり。
ベートーヴェン風の序奏をともなう自由なスタイルで、自在さただようが緻密に書かれたなかにクララの名前を模したモットーが織り込まれているという。素人のワタクシにはわからないが・・・
2楽章は、スケルツォだが、変奏曲スタイルで書かれた珍しいやり口?曲想やテンポも揺れ動き、不安げだし、そこがとても印象的だ。
3楽章、緩徐部分。ベートーヴェンの抒情にも通じ、より哀感もあり明滅するかのようなロマンがあふれる素晴らしい楽章と聴いた。
終楽章は、とりとめなさが魅力で行進曲風の推進性もあり妙に明るかったりで、これもまたシューマンらしい。
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1950年、すなわち戦後にまもなく結成されたドロルツ四重奏団。
フルトヴェングラーからカラヤンの時代のベルリンフィルのメンバーを中心に、エドゥアルト・ドロルツによって結成されたカルテット。
途中のメンバー交代も含めて広範な活動をして、EMI、オイロディスク、DGなどへの録音も多かった。
しかし、1973年のドロルツの死をもって解散。
その後は、残されたレコードがロマン派系の音楽を中心にファンに愛され続けたものの、CD時代になってはあまり聴かれなくなった存在。
ドイツの四重奏団らしい緊密さと、緻密かつ重厚さもあり、まさに過去のベルリンフィルの顔も感じさせはするが、昨今のハイレベルに達した四重奏団のキリリと引き締まり、時代設定も踏まえた多彩な演奏ぶりなどと比較すると、明らかに緩く感じるのも事実。
まさにそういう時代だったとも思うドロルツ四重奏の演奏ではあるものの、かつて抒情派ともいわれた存在もかくやと思わせる、幽玄たるシューマンのロマンあふれる姿がここに聴かれ、懐かしさとともに、いまやこのような演奏は他に聴くことができないという意味で新鮮でもありました。
かつてのレコ芸の室内楽評を担当した某O氏などは、美音、甘い演奏、通俗性などと指摘し、戦後のこのスタイルはもう復活しないだろう・・・とまで評しておりました・・・・
もう半世紀前の記事でしたが、いま現在の多様化した音楽の聴き方や受容のありかたからすると、こうした評論の内容はいまや的外れと思いたい。
その演奏からレコードや紙ジャケットの手触り。馥郁たるロマンを感じることってもう味わえないのですからね。
DGの60年代の録音もまさにそれが言えていました。
富士は見えねど、金時山から箱根へ連なる山並みはよく見えますし、眼下の小田原、南足柄などもクッキリ。
好きな場所です。
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