バッハ 復活祭オラトリオ
霊南坂教会の十字架。
先週のサントリーホールへ行く前にホール裏手の庭園から。
プロテスタント系の教会なので、バッハが似合います。
土曜日には翌日の礼拝に向けてオルガンの練習も行われていて、よく佇んで聴き入ってしまいます。
コンサートの後は、桜坂の桜と美しいコラボレーション。
復活祭に聴くバッハ。
バッハ 「復活祭オラトリオ」 BWV249
S:ジュディス・ラスキン
A:モーリーン・フォレスター
T:リチャード・ルイス
Bs:ハーバート・ビーティ
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
テンプル大学合唱団
(1963.4.17 @アスレチッククラブ、フィラデルフィア)
1725年4月1日、この年の復活祭主日に初演。
ヨハネ受難曲の初演の3日後ということで、まさに受難と復活をそのままになぞった、まさにバッハらしい、また音楽と生活に根ざした宗教という当時の風潮をまさに体現した機会音楽でもあります。
いまから300年前。
日本では徳川第8代将軍「吉宗」の治世で、暴れん坊将軍の享保の改革の最中。
そう思うと、日本にも独自の成熟した文化があり、浄瑠璃などが興隆し、和楽器も盛んになり、また寺社と結びついた尺八の演奏も普遍化。
西欧音楽が楽譜という形でしっかり残ったが、日本での音楽も記録として残されていると思うので、最近は日本の音楽史なんてのにもやたら興味が沸いてます。
曲は50分足らず.
大作の受難曲のように身構えることなく、全体に明るい色調の音楽。
しかし、内容は聖書の人物たちが登場し、磔刑後のイエスを見守り、その復活に歓喜する喜ばしい内容なのです。
マタイ伝とヨハネ伝、マグダラのマリア、もうひとりのマリア、弟子のシモン・ペトロ、ヨハネの4人が登場し、4人の歌手が担当。
冒頭のトランペットが活躍するシンフォニアと、美しいオーボエソロを伴なったアダージョ。
復活の様子を歌うレシタティーボとアリア、合唱曲。
抒情的な様相もともない、峻厳なバッハの顔でなく、明るく前向き、そして優しいバッハの姿がある屈託ない佳曲。
たくさんの宗教的な作品も録音したCBS時代のオーマンディとフィラデルフィア。
いずれも煌びやかさよりは、生真面目で渋いほどによくまとまった演奏が多いです。
私の長年の愛聴盤はオーマンディの「メサイア」なんですが、あちらはほどよく華麗でゴージャス。
でもこのバッハ、ほんと渋く、こじんまりとまとまっている。
フィラ管の名手たちのソロも浮き立つことなく、バッハの音楽に真摯に寄り添う演奏であります。
女声ソロはいいが、男声陣がややアメリカナイズされて聴こえるのが面白いし、合唱団はもうまさに、ザ・アメリカでありました。
手持ちのCDのカップリングは、バーンスタインのマニフィカトで、濃厚さと思い入れ、爆発力がユニークです。
いまから60年以上前のバッハ演奏。
たっぷりと音楽を鳴らして聴かせるスタイルは、古典派もロマン派も同じ。
ややムーディに流れ、野放図にも思いましたが、案外と新鮮な気持ちで聴きました。
S:バーバラ・シュリック
A:カイ・ヴェッセル
T:ジェイムズ・タイラー
Bs:ペーター・コーイ
フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ
(1994.4 @ゲント、ベルギー)
ほぼ20年前に記事にしてたヘルヴェッヘ盤。
オーマンディのあとこれを聴くと、30年の録音の年月の隔たり以上に隔世の感を感じる。
靄が晴れてスッキリしたかのような印象。
でもこれでも今から30年前の録音で、現在の古楽的演奏はさらに進化している。
ここで思うのはこの演奏の美しさと透明感。
オーマンディの方は、熱心な宗教心あふれるアメリカの人々が日曜日にカジュアルに教会に集っているかのような光景が浮かぶ。
ヘルヴェッヘの方は、ヨーロッパの街や村の教会で、篤信あふれる住民たちが静かに祈ってるような、そんな光景。
でもどっちもバッハなんだよな。
いまでもアメリカのオーケストラでは、オーマンディのようなバッハが演奏されているはずだ。
300年のバッハの音楽の歴史、そして60年前、30年前のバッハ演奏の変化、そのあたりも楽しめた今回のイースターです。
バッハ偉大なり。
コンサートのあと夜桜を求めて散策。
スペイン大使館近くのスペイン坂あたり。
東京の夜は奇麗だな、1時間かけていま住む神奈川の夜は真っ暗の街に帰りましたよ。












































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