カテゴリー「ブラームス」の記事

2023年10月 7日 (土)

ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏

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暑さは去り、秋が来た。

しかし、秋は駆け足です。

彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。

秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。

ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。

とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。

ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。

今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。

私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス

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  ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.5.5,6 @ムジークフェライン)

伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。

日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。

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     ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73

 ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.12.13,15 @ミュンヘン)

74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。

この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

        (1970.5 @コンセルトヘボウ)

若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。

このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。

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  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98

 クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

         (1972.3.8 @ルカ教会)

ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。

ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。

それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。

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ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。

ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。

4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。

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2023年3月23日 (木)

神奈川フィル @小田原三の丸ホール 

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毎度おなじみ小田原城。

自分の育った神奈川西部エリアに帰ってきてから1年。

小田原と平塚には始終行くようになりましたが、鶴首していたのがこのふたつの街に出来た新しいホールでのコンサート。

平塚のホールは先月に行きました。

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昨年オープンした小田原三の丸ホールでは、待望の神奈川フィルの演奏会♪

お堀のすぐそばの、まさに三の丸が位置した場所にできたホール。

長年、小田原の文化の中心だった市民会館が閉館し、その跡を継いだのがこちらのホール。

市民会館は何度かその舞台にも立ったこともあり、寂しいものですが、この美しい新ホールには今回まったく心奪われました。

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2階のホワイエから望めるお城と背景は丹沢連峰、この左手奥には箱根の山々も見えます。

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落ち着いた雰囲気のホール、先日聴いた平塚ひらしんホールよりも天井高で、音の広がりのよさを予見できる造り。

そして実際に聴いてみて、素晴らしい音響に感嘆。

フォルテからピアニシモまですべてがよく聴こえ、どんな強音でも楽器ひとつひとつが聴こえる分離の良さと、併せて音のブレンド感も豊か。
ずっと浸っていたい安心で気持ちのいい響きと聴こえの良さでしたね。
サントリーホールはいいけど、響き過ぎる。
実にちょうどいい三の丸ホールで、県立音楽堂を新しくしたような音だと思いました。
次は声やピアノも聴いてみないものです。

Kanaphil-odawara

  ブラームス    ハンガリー舞曲第1番、第5番

  ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

  マーク・サマー  Jukie-O~ジュリー・オー
                     (アンコール)
     チェロ:宮田 大

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

    飯森 範親 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

        (2023.3.19 @小田原三の丸ホール)

ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーという同時期に活躍した民族色の強い作曲家たち。
しかも昨年のホールオープニングに来演した都響のオールブラームス・プログラムからの流れを意識して飯森さんが選んだものとありました。

それで付け足しとも思われたハンガリー舞曲の意味がわかった。
オーケストラを乗らせ、整える意味、観客も乗せるという意味では短い舞曲はよかったかも。
5番のラストではパウゼに溜めをつくって、飯森さん、観客を振りむいて、どう?っていう仕草をしましてリラックスムードも作り上げましたね。

前半の目玉、宮田大さんのドヴォコン。
ほんとは、エルガーが聴きたかったと思いつつ、実に久方ぶりのドヴォルザーク。
まさにメロディーメーカーだなと楽しみつつ聴きました。
1楽章はソロとオケがしっくりくるまで見守りましたが、楽譜なしの暗譜の飯森さんの指揮がなかなか的確でありつつも、ソロとの齟齬もややあったかな、と思いました。
でもですね、2楽章の牧歌的かつ詩的な演奏はもう絶品。
神奈川フィルの木管のソロの素晴らしさにみちびかれ、チェロソロが入ってくるところなんざ感涙ものでした。
この楽章でのソロとオケとの幸せな交歓の様子、聴いて、見て、本当に幸せな気分になりましたね。
終楽章も好調のまま、なんやら自然に囲まれた小田原の街の緩やかさと、温厚な機微をその音楽と演奏にと感じることができたのでした。
宮田さんの豊かで繊細なチェロの音色は神奈川フィルにぴったり。

アンコールがすごくて、ドヴォルザークを食ってしまったかも。
ジャズチェロというジャンルがあるかどうか知らないが、まさにそんな感じで、ファンキーさリズム、そして歌にあふれた佳曲で、ピチカート、胴たたきも駆使した技巧的な作品。
めちゃくちゃよかった、大拍手でしたよ。

後半は、神奈川フィルも出演のドラマ「リバーサルオーケストラ」でみなさんにすっかりお馴染みのチャイコフスキー5番。
ドラマではこの作品がちょこっとアレンジされて、運命的なあの動機と2楽章のロマンテックな旋律が随所で流れてました。
最終回、オーケストラの存続を決めるコンサートでは、まさにこの交響曲が勝負曲となり、晴れやかなラストシーンとなっておりました。
わたしの席のお隣には小学校高学年ぐらいの少女を伴ったお母さまがいらして、後半が始まるときに少女はお母さんに、「いよいよチャイ5だね」とささやいてました。
こうして、クラシック音楽も広がりを見せていくことに、音楽を聴く前から感動しちゃいました。

この曲が自分も小学生以来大好きで、もう半世紀以上はいろんな演奏で聴いてきましたが、神奈川フィルでの実演はこれが3度目で一番多い。
その神奈川フィルの演奏会も仕事のこともあり、生活環境の変化もありで、実に7年ぶりとなりました。
舞台に並ぶ神奈川フィルのメンバーのみなさん、半分以上は懐かしく、知悉の方々。
そんな神奈フィルメンバーが奏でるチャイ5は、ドラマでも田中圭演じる指揮者、常葉朝陽の言葉によれば、チャイ5はみんなに聴かせどころがある交響曲。
ほんとその通りで、スコアを見ると、どの楽器も、第1も第2もみんなまんべんなく活躍するし、めちゃくちゃ難しいし音符の数もはんぱなく多い作品。
それぞれのソロや聴かせどころでは、〇〇さん、〇〇ちゃん、頑張れとドキドキしながら聴く始末。
プロのオケだからそんな思いは不要だけれども、自分にとって神奈川フィルは、そんな思いでずっと聴いていたオーケストラだった。
聖響さんの時代のときの公益社団法人への法人格見直し時における存続危機に一喜一憂しながら応援したオーケストラ。

7年もご無沙汰してしまった反省と後悔も、このチャイ5の素晴らしい演奏で気持ちの高ぶりをとどめようがない状況になりました。
冒頭のあの動機を奏でる管楽の演奏から、こりゃまずい、涙腺が・・となりました。
オーソドックスな飯森さんの指揮にみちびかれ、観客もすぐにチャイ5に入り込みました。
アタッカで続いた2楽章、若いホルン首席の方、マイルドでブリリアント、完璧でした、心配した自分がバカでした。
めくるめくような甘味さと、感傷の交錯、ロシア系の濃厚さとは真反対にある神奈川フィルの煌めきのサウンドは、かつてずっと聴いていた音とまったく同じ。
石田組長はいなくても、小田原で聴いてるこの音は神奈川フィルサウンドそのものだった。
もうここで泣いちゃうと思いつつ聴いてた。
休止を置いて、まろやかな3楽章。
終楽章もアタッカで続けて、さて来ましたと会場の雰囲気、おっという感じになったのもドラマの効果でしょうか。
堂々と、でも軽やかに、しなやかにすすむ。
指揮の飯森さんも、ときにオケに任せつつ、ときにドライブをかけつつ、すっかりのりのり。
お馴染みの楽員さんたちが、隣同士で聴き合い、確認しあいつつ、体を動かしつつ、そしてなによりも楽しそうに演奏してる。
もうめちゃ嬉しい、テンションめちゃあがり。
そして、ラスト、コーダで金管の堂々たる高らかな咆哮、指揮者は指揮を止めてオケに任せ、その開放的なサウンドが三の丸ホールの隅々に響き渡る。
それを五感のずべてで感じるかのような喜びたるや!
込みあがるような感動と興奮を味わいつつ終演。

声掛けはお控えくださいとの開演前のアナウンスに、ブラボーは飛ばせませんでした。
もう、いいんじゃね、と思いますがね。



飯森さんの合図で、撮影タイム30秒。
しかし、みなさんあわてて起動しても、なかなか間に合いませんねぇ(笑)
こんどは起動タイム1分、撮影タイム30秒でお願いね。

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こちらは1年前の城址公園の桜。

2022年4月8日の撮影ですが、今年はその頃にはもう散ってしまうでしょう。

桜の花は儚いですが、音楽はずっと変わらず、わたしたちの傍らにいてくれます。

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神奈川フィル、また聴きに行こう。

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2022年2月 4日 (金)

ふたつの2番 チャイコフスキー&ブラームス アバド指揮

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わが吾妻山の菜の花と背景の相模湾

春の兆しは1月終わりぐらいからもうやってきてます。

晴れと寒さも加わり、今年の吾妻山はことさらに美しく、カメラを構える方も多数。

今日は、アバドの若き日々のふたつの2番を。

ともにすでにブログで書いておりますが、アバドらしさ満載です。

チャイコフスキーとブラームスの交響曲第2番。

どちらが先に書かれたか?

ブラームス!と思ってしまいますが、実はチャイコフスキーの2番の方が先に書かれてます。

チャイコフスキーの2番が1872年、ブラームスの2番が1877年。

ブラームスは1833年生れ、1897年没。
チャイコフスキーは1840年生れ、1893年没、ということで、チャイコフスキーの方が後に生まれ、先に亡くなっています。
いかに、ブラームスが慎重で晩成型のタイプであったことがわかるし、チャイコフスキーが才能を早くから開花させ、そして急ぐようにして急逝してしまったか・・・・

しかし、これら2番に共通するのは、南へのあこがれと、それを堪能した解放感です。
チャイコフスキーは、ウクライナの南方にあるカムヤンカというモルドバ寄りのドニエストル川流域の地で夏の休暇を過ごし、そこでウクライナ民謡などを取り入れつつ作曲。
ブラームスは、オーストリアの風光明媚なウェルター湖畔ペルチャッハで、同じく6月から10月までの夏のタイミングで作曲。
ともに、明らかに明るさが基調となる素敵な交響曲となりました。

その2曲を若いアバドはDGに録音。

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 チャイコフスキー 交響曲第2番 ハ短調 op.17

  クラウディオ・アバド指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1968.2.20 @ロンドン) ジャケットは借り物です

アバドがレコードデビューしてまだ2年、ロンドン響との録音も始まっていたが、同時期に共演を始めていたニュー・フィルハーモニア管とのいまでは希少な録音。
同オーケストラとは、あと、ブラームスのカンタータ「リナルド」があります。
ともかく渋いところを30代初めのアバドは責めてました。

DGがそんなアバドに注目してレコーディングパートナーにしたけど、必ずしも演奏会の演目と並行して録音したわけじゃないみたいだ。
いつもお世話になっておりますアバド資料館を拝見しますと、このチャイコフスキーも次のブラームスも同時期の演奏会記録にはなくて、録音だけの曲目選択だったと思われます。
いまでは考えられないことだけど、かつては、レーベルやプロデューサーの意向で、そんな采配ができた。
さらにデータを見ると、同じ1968年2月、アルゲリッチとショパンとリストを録音していて、そちらはロンドン響。

むかしのレコ芸で、高崎保男先生が、ニュー・フィルハモニアを指揮するアバドのトリスタン前奏曲と愛の死を聴いたことを書いておられ、60年代のアバドがどんなトリスタンを演奏していたのか、ともかく気になってしょうがなかった思いがありました。

8年経過して1楽章を全面的に改定した版を作って、いまがそれが定番となりましたが、全編明るい雰囲気のただよう2番を、イタリア人が奔放に指揮した、というような評価ばかりだった。
しかし、あっけらかんとした終楽章にも、アバドらしい冷静さを伺えるとともに、何と言っても、この曲の魅力であるロシアの抒情にあふれた、それはファンタジックな1番にも通じる第1楽章の演奏が、旋律美とリズム感にあふれまくっていて、そのあたりの抒情を巧みに引き出し、メリハリとともに、全体のバランスも見事にとった構成感を感じさせる真摯な演奏なのであります。
16年後のシカゴとの演奏もアバドゆえに好きだけど、オケが立派すぎるし、録音に雰囲気が少なすぎるので、比べたら旧盤の方が好き。
随所にあらわれるアバドの歌心と表情の若々しさ。
イギリスのオーケストラのニュートラルさも、この時期のアバドの感性をそのまま映し出してくれるようだ。
それにしてもウクライナ・・・・・いかになるのでしょう。

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    ブラームス 交響曲第2番 ニ長調  Op.73

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

   (1970.11 @イエス・キリスト教会、ベルリン)ジャケットは借り物です

1970年といえば、日本では大阪万博の年でアポロ11号が月から持ち帰った「月の石」で大フィーバーしていた。
音楽界でも、世界中のオーケストラやオペラ、ソリストたちが次々に来日、おまけにベートーヴェンの生誕200年の年でもありました。
カラヤンとベルリンフィルは5月に来日し、大阪でベートーヴェン・チクルスを行い、東京でもベートーヴェン、ブラームス、幻想、チャイコフスキー5番などを演奏していて、そのプログラム数の多さはいまでは考えられないくらいだ。

その年の秋の録音であるアバドとのブラームス2番。
カラヤンが文字通り独占状態だったベルリンフィルのレコーディングは、ベーム、ヨッフム、ライトナー、なぜかプロデューサーのゲルデス以外にDGへの録音はなかなかなされなかった時分。
若いイタリア人指揮者がカラヤンの主力レパートリーのひとつをベルリンフィルでいきなり録音することは、当時の感覚からすると驚きでした。

このレコードが発売されたときは、自分は中学生で、当時のNHKは、新譜レコードをよく放送してくれていたものだからFMで聴いた記憶があります。
ブラームスはなぜか4番しか聴いたことがなく、1番すらよく知らなかった自分にとって、ともかく明るくきれいな曲だな、という印象でした。
そして当時のレコ芸などでも、このアバド盤は絶賛されていて、この曲の決定盤は、カラヤンかアバドだとかされてました。
数年後に、4つのオーケストラを振り分けた交響曲全集で、ようやく正規にレコードを購入しました。→ブラームス 交響曲全集
全集のなかで、この2番がいまだに一番いい演奏だと思うし、のちの88年の再録音よりも自分は好きですね。
 なんたって、若やいだ、のびのびとした演奏で、北からやってきたブラームスが、春光あふれる自然のなかでくつろいでるような、そんなイメージなんです。
歌にあふれた演奏、美しい弱音、均整のとれた全曲を見通す構成感など、後世にずっと変わらないアバドの個性がここに満載です。

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相模湾に、小田原の街、箱根の山

春はもう少し

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アバドの若き日々の演奏に、こちらも若き日々を思い起こし、なんだかとても爽やかな気分になれました。

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2021年5月30日 (日)

ケルテス指揮 ウィーンフィル

Shinagawa 

とてもすがすがしい1枚が撮れました。

休日の公園のひとこま、奥に東京タワー、品川です。

Shinagawa-2

この公園の奥には、すてきなバラ園がありました。

黄色いバラ、好きです。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K550

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1972.11 @ウィーン)

イシュトヴァン・ケルテスとウィーンフィルの懐かしき名演を取り上げます。

ケルテスのモーツァルトは定評あり、オペラやアリア集の録音もありますが、交響曲は6曲で、そのいずれもが爽やかで柔軟かつ、ゆったりとした気分にさせてくれる佳演であります。
25番もともに、短調の厳しさや寂しさは少なめで、音楽的に純なところがいいのです。

ケルテスは、1929年生まれで、1973年に43歳で亡くなってます。
よくよくご存じのとおり、イスラエルフィルに客演中、テルアヴィブの海岸で遊泳中に溺死してしまった。
いまもし、もしも存命だったら91歳。

ケルテスと同年生まれの現存の指揮者を調べてみますと。
ドホナーニと引退したハイティンクがいます。
そして1927生まれのブロムシュテットの元気な姿には、ほんとに感謝したいです。

亡くなってしまった、同年もしくは同世代指揮者は、プレヴィン、レーグナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、コシュラー、マゼール、クライバー、マズア、デイヴィス、ロジェストヴェンスキーと枚挙にいとまがありません。
アバドは1933年、小澤は1935年、メータは1936年。
こんな風に見てみてみると、ケルテスの世代の指揮者たちが、いかに充実していたかよくわかりますし、もしも、あの死がなければ、とほんとうに惜しい気持ちになります。

ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの大巨匠世代の次の世代の指揮者たち。
当然のことに、70年代が始まる直前からクラシック音楽に目覚めて聴いてきた自分のような世代にとって、彼らの世代は、当時は次世代を担う若者指揮者とされ、自分が歳を経るとともに活躍の度合いを増して、世界の重要ポストにその名を占めるようになっていった様子をつぶさに見てました。
つくづく、自分も歳をとったものだと感慨深く思いますが・・・

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  シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1970.4 @ウィーン)

これぞ、理想的なシューベルトのひとつ、とも思われる歌心とやさしさにあふれた演奏。
CD初期のデッカから出た変なジャケットだけど、よく見ると悪くないww
 ウィーンフィルと交響曲全集を録音してますが、なんとまだ未入手。
これを機会に揃えましょう。
やや劇的に傾いた7年前の録音の未完成と、愉悦感のある5番の対比が面白いが、モーツァルトの40番を愛したとされるシューベルト。
ト短調の3楽章がウィーンフィルの魅力的な音色もあいまって、軽やかかつ透明感も感じるのが素敵なところ。
60年代初めの、やや力こぶの入った指揮から、70年代、40歳になったケルテスが長足の進歩をしているのを感じた次第。

ハンガリーのブタペストに生まれ、まずはヴァイオリンから。
24歳で指揮者のキャリアをスタートさせ、ハンガリー国内で活躍、オペラも多く手掛けるが、国民が政府に立ち上がったことを契機に起きたソ連軍の侵攻~ハンガリー動乱で、西側に亡命。
 アウグスブルク歌劇場の指揮者となり、すぐさま総監督に指名され、徐々に脚光を浴びるケルテス。
現代の指揮者たちと違い、劇場からたたき上げていくスタイルでした。
そして生まれるウィーンフィルとの出会いは、かの「新世界」の録音で、1960年。

ここから怒涛のキャリアアップが開始です。
ザルツブルク音楽祭、イッセルシュテットのいたハンブルク、アンセルメの健在だったスイス・ロマンド、カルベルトのバンベルクなどでも絶賛。
さらに、ロンドン響への客演も好評でドヴォルザークの録音が開始され、65年には首席指揮者に就任。
そのまえ、64年には、ケルン歌劇場の総監督にもなってます。
さらにバンベルク響の首席に。

活躍の場は、ケルンとバンベルクを中心にウィーンとロンドン。
そして、68年にロンドンを辞すると、アメリカでも活動開始し、シカゴではラヴィニア音楽祭を任されます。
こうしてみると、ハンガリーを出て、40歳まで怒涛の活躍と、ポスト就任の嵐、それからデッカがいかに推していたかがわかります。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.2 @ウィーン)

1972年から、モーツァルトとともに、ブラームスの交響曲の録音が始まりました。
ケルテスのみずみずしい音楽作りが一番味わえるのが3番の演奏ではないかと思います。
2楽章なんて、ずっと聴いていたい爽やかでありつつ、ロマンあふれる演奏で、ジャケットの背景にあるような新緑のなかで聴くようなすてきなブラームスに思いますね。
2番はこのときは録音されず、64年の演奏を再発するかたちで全集が完成しました。
73年3月の録音の直後、ケルテスの死が待っていたからです・・・・・
ハイドンの主題による変奏曲は、指揮者なしでウィーンフィルの団員のみで録音されたのも有名なおはなしです。

ケルテスの死の顛末は、今年1月に亡くなった岡村喬夫さんの著作「ヒゲのおたまじゃくし世界を泳ぐ」に詳細が書かれてますが未読です。
イスラエルフィルに客演中のケルテス、その演目のメインはハイドンの「ネルソンミサ」で、都合12回の演奏会が予定された。(CD化あり)
4回が終了したある日、泳ぐことが大好きだったケルテスは、歌手たちを誘って、ホテル前の海岸に海水浴に出ます。
歌手たちは、岡村さん、ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキの3人。
階段を降りて砂浜に、しかし、あとで気が付いた看板には、この海岸はホテルの責任範囲外と書かれていて、とても見つかりにくいところにあったと。
女性陣は、浜辺で帽子をかぶって見学、いきなり飛びこんだケルテスは、岡村さんに早く来いよと誘い、岡村さんは躊躇しながらも海に入りますが、ケルテスの姿はどんどん遠くに。
波は高く荒れていて、岡村さんは必死の思いでたどり着いて助けを求め、レスキューたちが瀕死のケルテスを救いだしましたが・・・・

演奏会は指揮者を変えて継続したそうですが、ポップは泣き崩れて歌えそうにない状態。
しかし、演奏会が始まるとシャキッとして見事に歌い終えた、さすがはプロと岡村さんの本にはあるそうです。
涙ながらにケルテス婦人のもとに報告に行った話とか、ケルテスの最後を知ることができる貴重な著作のようです。

  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

    イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1961 @ウィーン)

Dvorak-kertesz-1Dvorak-kertesz-2

言わずと知れた「新世界」の名盤のひとつ。
32歳の若きケルテスの力みなぎる指揮に、名門ウィーンフィルが全力で応えた気合の入った演奏。
5年後のロンドン響との再録は、繰り返しも行い、ちょっと落ち着いた雰囲気を感じますが、ここに聴かれる演奏は、いい意味で若くてきりっとした潔さがあります。
思い切り演奏してるウィーンフィルもこの時代のウィーンフィルの音色満載で、デッカの生々しい録音も手伝って、あのショルティのリングにも通じるウィーンフィルを楽しめます。

Dvorak-kertesz-3

わたしが小学生だったとき、クリスマスプレゼントで初めて買ってもらったレコードが、この1枚です。
あと同時に、カラヤンの田園。
この2枚が、わたくしの初レコードで、記念すべき1枚でもありました。
平塚のレコード屋さんで、クラシックはそんなに多くはなかったのに、よくぞこのケルテス盤がそこにあって、よくぞ自分は選んだものです。
こちらは初出のオリジナルジャケットでなく、68年あたりにシリーズ化された、ウィーンフィルハーモニー・フェスティバルというシリーズの再発ものです。
半世紀以上も前の新世界体験、いまでも自分の耳のすりこみ演奏ですし、何度聴いても、爽快な思いにさせてくれる1枚であります。

歴史のタラればですが、もしもケルテスが存命だったら。
・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を託された~ハンガリー系だから相性抜群で、さらなるドヴォルザークの名演を残したかも。
・ウィーンとの蜜月は継続し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になり、モーツァルトやドイツオペラ、ベルカント系までも極めたかも。
 
Dvorak-kertesz-4  

 あとウィーンフィルとはベートーヴェン全集も録音されたかも。
 1972年秋のウィーンフィルの定期オープニングは、ケルテス指揮で、ブレンデルを迎えて、ベートーヴェンの4番の交響曲と「皇帝」が演奏された。ブレンデルとの全集なんかもほんと聴いてみたかった。

・カラヤンの跡目として、ベルリンの候補者のひとりになっていたかも。
・西側の一員として、自由国家となったハンガリーにも復帰して、自国の作曲家の名演をたくさんのこしたかも
・ワーグナーを果たして指揮したかどうか、バイロイトに登場したかどうか
・ブルックナーは4番を残したが、マーラーの交響曲は指揮しただろうか

こんな風に妄想し、想像することも音楽を聴く楽しみのひとつではあります。

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品川の公園には、こんなイングリッシュな光景も展開してました。

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2020年2月26日 (水)

ブラームス ピアノ協奏曲第1番・第2番 アシュケナージ&ハイティンク

Ooimachi-01

こちらは、神奈川県の大井町から見た富士。

ここは、東名高速からよく見えるけど、大きなビルがあって、そこはかつて第1生命のビルでした。

いまは、そのビルは、ブルックスコーヒーが買収して、オフィスビルと、ちょっとしたショッピングゾーンになってます。

逆光なのが残念ですが、夕日のシルエットだけでも美しい富士山です。

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   ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調

         ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

      ウラディミール・アシュケナージ

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

               ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1981.5 @アムステルダム、1982.10 @ゾフィエンザール)

引退を表明した、クラシック音楽界をけん引した2人の名匠。

もうじき91歳になるハイティンクは、2019年9月に指揮活動から引退。
アシュケナージは、82歳にして、1月にピアノニスト・指揮者から引退。

ともにいろんな演奏会やレコード時代からの数々の音源を通じて、親しんできた演奏家です。

ハイティンクは、1973年頃から、好きな指揮者となり、アバドと並ぶ押しの演奏家となりまして、当時、評論筋からはけちょんけちょんだったのが、そんなことはない、とも思いつつ、やっぱりそうかな?とも若い自分は思ったりもしてました。
でも、コンセルトヘボウと手を携えるようにした、その誠実な演奏が、やがて絶賛されるようになると、わたくしは、我がことのようにうれしかったりもしました。
ハイテインクの初レコードは、コンセルトヘボウとのブラームスの3番。

一方、アシュケナージもピアニストとして、1972年頃からFMを中心に聴き始め、当時はソ連からの亡命者、そしてなによりも、超絶技巧の持ち主と抒情派的な奏者として、大好きなピアニストとなりました。
デッカ(当時はロンドンレーベル)一筋。
初レコードは、ショパンの葬送ソナタがメインのライブ録音盤でした。

 でも、アシュケナージが指揮をするようになってしばらくしてから、わたしのアシュケナージに対する関心は薄れてしまうのでした。
ラフマニノフとかは、よかったんだけどなぁ。
なんか、これは、という1枚が、アシュケナージの指揮にはないような気もします。
いい人すぎるのか、エッシェンバッハのようにオペラもやらなかったし、アクの強さもなかったし・・・

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アシュケナージとハイティンクの共演盤は、このあとにラフマニノフの名盤を残すことになりますが、実演以外での初のこのコンビによる録音が、ブラームスの協奏曲。
ショスタコーヴィチの交響曲の録音に取り組んでいたハイティンクは、コンセルトヘボウで、このブラームスの1番の協奏曲と同時に5番の交響曲を録音してます。

1番は、重厚かつ芳醇なフィリップスサウンドで聴きなれたコンセルトヘボウが、デッカ録音で、どこかテカテカして聴こえて、さらに分離もよすぎて最初に聴いたときに、あれれ?と思った記憶があります。
それほどまでに聴き慣らされてきた、コンセルトヘボウ=フィリップスという音のイメージの強さに感じいった次第だし、レーベルが異なるとこうも雰囲気が変わってしまうのか、というものでした。
その後のショスタコーヴィチシリーズで、自分の中では、デッカの録音するコンセルトヘボウの音を受け入れて、明るさと豊かな響きと克明さを楽しむようにはなりましたが、でも、シャイーとの録音は、あまり好んで聴くものではありませんでした。

そんな前提条件で聴いた、80年代初めの1番はどうもしっくり来ずに、1番の協奏曲への苦手意識も伴って上滑りの気持ちに終始しつつ聴くこととなりました。
でも、アシュケナージのピアノも堂々としてるし、明晰で、音の粒立ちも際立っていて、しんねりもっつりとしたブラームスのイメージから遠いところで、1番を再現した名演だと思いますし、ハイティンクも共演指揮者の鏡として、アシュケナージのピアノにしっくりと噛み合った共感あふれるオーケストラとなってます。
 それでもしかし、曲への苦手意識とデッカ録音の当初のコンセルトヘボウでの録り方がしっくりこない、初聴きときのイメージはいまでも継続中なのでありました。
でも2楽章は、曲としていいな。

同じ、コンセルトヘボウのピアノ協奏曲1番であれば、FM放送でしか聴いてはないけど、ブレンデルとイッセルシュテットの録音の再発を強く望んでおきたいです。

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一方、ウィーンフィルのレコードにおけるイメージは、多くの同年代以上のリスナーがお持ちかもしれませんが、ゾフィエンザールにおけるデッカ録音であることは、共感をいただけることかと存じます。
のちに、DGでのムジークフェライン録音が、全レーベルの録音会場となり、どちらも等しくマイルドなウィーンフィルの音を伝えてますが、数々のオペラ録音や、イッセルシュテット、ショルティ、カラヤン、ベーム、ケルテスなどのデッカのウィーン録音は、やはりゾフィエンザールがあってのものだと思います。

そのイメージそのままの、ウィーンフィルを起用した2番の録音。
ひとことで言えば、ふくよかで豊麗なブラームスがここに聴ける。
当時の、いつものウィーンフィルの音色がふんだんに味わえる喜び。
柔らかなホルンに始まり、ピアノがそれを受けて入ってくる、さらにオーケストラの全奏がこれに応える。
ここまで聴いただけで、アシュケナージのおおらかかつ明快なピアノ、ハイティンクとウィーンフィルののびやかで、やわらかな音色。
そして、広がり豊かな素晴らしい録音。
ブラームスを、ピアノ協奏曲2番を聴く喜びを、ここでもう十二分に味わえ、この演奏がこの曲に相応しく、完璧なものであることがわかる。
初めて聴いた、もう37年も前の若き自分がよみがえるような気がする。
そう、若々しさも十分な演奏でもあるのだ。

2番の協奏曲は、高校時代に大いにはまり、この曲の初レコードだったバックハウスとベームの名盤を来る日も来る日も聴いたものです。
その録音も、同じデッカのゾフィエンザールでのもので、今聴いても、とても素晴らしい音がする。
そして、大学時代に聴いたのが、ポリーニとアバドの録音で、こちらもウィーンフィル。
DGはムジークフェラインで、これまたまろやかな録音で、演奏も若々しい春の息吹を感じるステキなものだった。

バックハウス、ポリーニ、アシュケナージのウィーン録音と、ブレンデルとアバドのものが、2番の協奏曲のわたしのフェイバリットであります。
ギレリスとリヒテル、ゼルキンなど、世評の高い盤は、いまだに未聴です。

ということで、繰り返しますが、1番はちょっと苦手です(しつこいですね)。

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 こちらは毎度おなじみ、吾妻山からの富士で、お正月のもの。

よく見ると、気球が飛んでます、見えるかな?

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ウィルスはおっかないけど、いつかは収束します。

いまは、お家で音楽を楽しむに限ります。

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2019年12月12日 (木)

ヤンソンスを偲んで ④ピッツバーグ

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ヤンソンス、追悼シリーズは、アメリカへ。

ヤンソンスは、アメリカの楽壇にもしばしば客演してましたが、1997年に、マゼールの後任として、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督に就任しました。
2004年までその任にありましたが、残された正規のレコーディンは1枚のみ。
これが、いまとなっては痛恨の極みであります。

アメリカのオーケストラは、専属にするのにも、録音契約を結ぶのにもお金がかかります。
EMIは、この当時、サヴァリッシュとフィラデルフィアの録音はよく行ってまして、さらにそこにアメリカで2枚看板を掲げる余裕もなかったのでしょうか。
また、その当時、メジャーレーベルの勢いにも陰りが出てきた時期なので、その後の新興レーベルやオーケストラの自主制作が主体となるまでの、ちょうど端境期にあったことも要因かもしれません。

マゼール時代は、レコーディンに恵まれていたピッツバーグ交響楽団の録音がヤンソンス時代、極端に少なくなったのは残念でなりません。
ただ、ピッツバーグ交響楽団は、財政的にも豊かだったし、地元放送局が高品質のレコーディングアーカイブを持っているので、いつかその音源が正規に出てくるような気もします。
 年々か前に、自主制作的に、ヤンソンス&ピッツバーグの数枚組のCDが出てましたが、とても高額なものでした。

これ→Pittsburgh-3

ベートーヴェンやチャイコフスキー、ヴェルレクやマーラー10番(アダージョ)なんかが入ってる垂涎の一組です。

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  ショスタコーヴィチ 交響曲第8番

 マリス・ヤンソンス指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (2001.2.9~11 @ピッツバーグ、ハインツホール)

ショスタコーヴィチ全集の1枚で、8番のみのピッツバーグの担当で、ライブ録音です。

あらためて、何度か聴き直しましたが、ライブとはいえ、オーケストラの抜群の巧さと、機動性の高さを感じます。
またヤンソンスならではの、気迫の込め方とノリの良さが、スケルツォ的な2楽章や、行進曲調の3楽章では見事な迫力を伴って興奮を呼び起こします。
だが、音色が少しばかり明るすぎることも確かで、アメリカのオーケストラならではの解放感が、曲の持つ深刻さと無慈悲さをちょっと後退させてしまった感もあります。
それが、この8番という交響曲の難しさであり、二律背反的な面白さでもあるように思います。
思い切りスコアのみを信じ、きわめてシンフォニックな演奏に徹したハイティンクの演奏が自分的には一番と思ってますし、ムラヴィンスキーの厳しい透徹感と寒々しさもスゴイと思うし、聴きやすさで一番のプレヴィンもいいと思う。
 そんななかでのヤンソンスの8番は、バイエルンあたりで再録が欲しかったかも・・・

こんな風に思うほどに、ヤンソンスとピッツバーグの演奏は、もっといろいろ聴いてみたかった、という結論になります。

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父アルヴィド・ヤンソンスも1984年に心臓発作で指揮中に死亡。

オスロで、心臓発作に襲われたマリス・ヤンソンスは、ピッツバーグに着任してから、当地の病院で埋め込み型の細動器を装着する手術を行いました。
しかし、ピッツバーグで指揮中、その機械が動かなくなることがあり、まるで撃たれたかのように見えたそうです・・・
それでも手摺をつかみながら指揮を終えたヤンソンスだったとのこと、訃報のニュース記事に楽員が話として出てました。
 任期中に、9.11もありました。
そのときは、コープランドの「市民のためのファンファーレ」を演奏したそうです。
 そして、初のアメリカでの仕事、優れたコミュニティに感嘆し、自らも地元のバスケットチームの熱烈な応援団になり、遠く日本に来演していたときも、そのチームの勝ち負けが気になってアメリカに電話したりしていたそうです。
この8番のCDの最後のトラックに、リハーサル風景が収録されてますが、ユーモアたっぷりで、楽員たちからの笑い声もしばしば起きてます。
また新聞記事ですが、楽員たちは、ヤンソンスが指揮台からよくジョークを飛ばす。
そして、なによりも、ともかく「いい人」だったと・・・・・

なんだか泣けてきますね。

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ピッツバーグ響は、今年の始め頃まで、FM放送の過去のアーカイブをかなりの量でネット公開してましたが、夏ごろよりなくなってしまいました。
そこで、まだあるころに見つけて録音したのが、バレンボイムとのブラームスのピアノ協奏曲の1番と2番。

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   ブラームス ピアノ協奏曲第1番・第2番

      Pf:ダニエル・バレンボイム

  マリス・ヤンソンス指揮 ピッツバーグ交響楽団

            (2016 @ハインツホール)

バレンボイムとはほぼ同年齢の間がら。
しかしながら、そのバレンボイムのピアノは痛々しいほどの出来栄えで、ミスタッチの連続。
風格と造りの大きさだけが、そのピアノから伝わってくるというあんばいです。
それでも、両曲ともに、演奏の終了時には、ものすごい歓声が沸きます。
このピアノにつけるオーケストラも冷や冷やものだったかもしれませんが、リズムやテンポには弛緩がなく、そこはさすがのバレンボイムの年輪による芸風だと思います。
 ヤンソンスの指揮するオーケストラは、しっかりとブラームスしていて、ドイツ的な音色を持つピッツバーグならではの響きを感じます。
バレンボイムの名誉のため、この両曲の緩徐楽章の味わいの深さは、並大抵のものでなく、オーケストラもしっとりとヨーロピアンな雰囲気でもってつけてます。。
バイエルンでもこのコンビでやっていると思いますが、貴重なピッツバーグ録音を手元に残すことができました。

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12月2日、いまの音楽監督、マンフレート・ホーネックは定期演奏家に先立ち、ヤンソンスの功績を称え、追悼の言葉を述べました。

Jansons1

ウィーンフィルでも、奏者として、ヤンソンスの指揮のもとで演奏していたかもしれません。
いま、絶好調のホーネックとピッツバーグの追悼演奏は、シューベルトの「万霊節のための連禱」のオーケストラ編曲バージョン。

Jansons2

「お休み平安の中で すべての魂よ」と歌われる、美しくも深い歌曲です・・・・

ピッツバーグを卒業すると、ヤンソンスはヨーロッパへ帰り、いよいよ名門オーケストラふたつとの仕事に取り掛かります。

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2018年6月 9日 (土)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

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日比谷公園の中庭。

色濃い新緑が美しく、今年、早かった紫陽花も、この品種はちょうど見ごろ。

日本が梅雨に入る前、5月28日、ハンス=マルティン・シュナイトさんが亡くなりました。

享年87歳。

2009年に引退してドイツで静かにお過ごしだった。

神奈川フィルの音楽監督としてのシュナイトさんをたくさん聴くことができたことは、私の音楽生活のなかでも、とりわけ大きなものを占めるものです。

その神奈川フィルとの音源は、また機会をあらめて取り上げることとして、今回は追悼の気持ちをこめて、ドイツ・レクイエムを。

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  ブラームス  「ドイツ・レクイエム」 op.45

      S:平松 英子    Br:河野 克典

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:荒井 英治

                     (1999.10.28 東京芸術劇場)

   S:平松 英子    Br:トーマス・バウアー

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:石田 泰尚
            協力:神奈川フィルハーモニー

                     (2008.4.25 東京オペラシティ)


ふたつのシュナイトさんのドイツレクイエム。
このうち、2008年の演奏会は、私も聴きました。
さらに、2007年の神奈川フィルの定期演奏会における、この曲の演奏会も聴くことが出来ました。

1997年に、東京フィルハーモニーのメンバーと協力のもと、設立されたシュナイト・バッハ管弦楽団。
毎年、日本にやってきて、この楽団と、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと、独墺系の声楽作品を指揮。
 同時に、神奈川フィルへの客演も2001年頃からスタートさせ、年間2プログラムを指揮。そして、2007年から9年までは、音楽監督として在任。
思えば、音楽監督時代の3年間しか、私は聴くことができなかった。
もったいないことをしたものです。

幼少より聖トーマス教会の合唱団でスタートし、バッハの神髄を身につけ、さらには、カール・リヒターの急逝のあとの、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者となった本物のドイツの宗教音楽の大家。
そればかりでなく、バイエルン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ヴッパタール劇場では総監督も、といった具合に、オペラ指揮者としても活躍をしていた。
以前に、幣ブログでも書きましたが、ヴッパタールでは、「ニーベルングの指環」も手掛けているんだ。

ドイツ音楽の伝統を受け継いだシュナイトさんの日本への思いは、暖かく、そして、日本人への見方もある意味的確だった。
いろんなもので読んだことの集約ですが、仏教が中心ではあるが、八百万の神がいる日本では、日本人はキリスト教もそのなかの一つ的なところもあって、宗教音楽への一次的なフィルターがなくまっさら、ゆえに指導のしがいがあった。
最後の演奏会で、シュナイトさんが語られました、世界は争いが絶えないが、日本人の仏教の心が平和を実現するのではないか。。。という言葉が印象に残る。
 そんな風に、日本を愛してくれたシュナイトさん。

氏の音楽には、「歌」と「祈り」が必ずその基本としてありました。
きれいなピアニシモにもこだわり、そこにも歌心が。
そして南ドイツ人らしい、明るい音色を好みました。
そして、指揮する後ろ姿には、いつも祈っているような、そんな印象が。

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ルター訳の聖書からの聖句を用いたブラームスの「ドイツ・レクイエム」に、ルター派のシュナイトさんはとりわけ大きなシンパシーを感じていました。

99年の演奏と、08年の演奏、真摯な音楽への取り組みと、言葉ひとつひとつを大切に、そしてその意味をよくよく歌いこむ丁寧さ、さらに全体の明るい基調など、ともに共通したすばらしさです。
ただし、ふたつの演奏で、大きく違うのは、演奏時間。
99年(68分43秒)、08年(75分31秒)。
わたしの聴いた3年間は、シュナイトさんのとるテンポは、いずれも遅めで、この2つの演奏タイムを見ても、後年の演奏スタイルであったわけだが、年を経て、テンポが遅くなることは多くの指揮者にあること。
しかし、シュナイトさんの音楽は、掘り下げが、より入念に、より緻密になり、結果として、音のひとつひとつが、祈りの中に凝縮されるような感じが、いつもしていました。

99年盤は、全体に覇気もあり、張り詰めたような厳しさがあるが、08年盤の方は、合唱とオーケストラの精度がさらに向上。ホールの違いもあって、録音も素晴らしい。
そして、聴いていて音楽と自分の呼吸感が、次第に同化していって、いつしか清らかな気分に満ち溢れる、そんな感動に包まれるのが08年のシュナイトさんの優しいまなざしの「ドイツ・レクイエム」。

日本を、横浜を愛してくれてありがとうございました。
シュナイトさんの魂が永遠でありますこと、お祈りいたします。

演奏会観劇記録

神奈川フィル

「ブラームス ドイツ・レクイエム」
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番」
「ブリテン シンプルシンフォニー、プルチネルラ、ベートーヴェン1番」
「ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、ブラームス 交響曲第4番」
「未完成、4つの最後の歌、死と変容」
「ハイドン 熊 、田園交響曲」
「ブルックナー ミサ曲第3番」
「ブラームス セレナード第2番 、シューマン 交響曲第2番」
「ブラームス 交響曲第3番 、ヒンデミット 画家マティス」
「ブラームス 二重協奏曲 、交響曲第1番」
「ブラームス 悲劇的序曲、哀悼の歌、運命の歌、ブルックナー テ・デウム」
「ブラームス ハイドン変奏曲 シューマン チェロ協奏曲 ライン」
「シューマン マンフレッド、ピアノ協奏曲、交響曲第4番」

その他のオーケストラ

「魔笛、トルコ風、シューベルト 交響曲第9番」 仙台フィル
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、田園」 札幌交響楽団
「ブルックナー 交響曲第7番」 ジャパン・アカデミーフィル
「ドイツ・レクイエム」 シュナイト・バッハ管弦楽団
「ヨハネ受難曲」 コーロ・ヌオーヴォ
「ミサ曲 ロ短調」 シュナイト・バッハ管弦楽団

どのコンサートも、ひとつひとつが忘れがたい演奏。
神奈川フィルには、私が聴けなかったものが10回以上。

わたくしにも、神奈川フィルにも、ひとつの時代でした。

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2017年12月15日 (金)

ドヴォルザーク、マルティヌー、ブラームス フルシャ指揮 東京都交響楽団

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ヤクブ・フルシャ指揮する、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてまいりました。

 東京都交響楽団 第844回定期演奏会

  ドヴォルザーク  序曲「オセロ」

  マルティヌー    交響曲第2番

  ブラームス     交響曲第2番 ニ長調 

    ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団

            (2017.12.11 @東京文化会館)


前半がボヘミア、後半が独墺。
ブラームスとマルティヌー、そしてスークと集中的に取り組んできたフルシャの、首席客演指揮者としての最後のシリーズ。
この回とは別に、マルティヌーとブラームスのそれぞれ1番の交響曲が演奏されて、首席客演のポストの退任となります。

ここ数年、見る間に躍進したフルシャ。
バンベルク響の首席に加え、チェコフィルの首席客演への就任、フィルハーモニア菅にも客演ポストを持っている多忙な指揮者になりました。
ビエロフラーヴェク亡きチェコの音楽界をリードしてゆくことになるでしょう。

さて、渋いドヴォルザークの序曲。
3部作の序曲のひとつ、「オセロ」は、3つの中では一番地味ながら、美しい「自然のなかで」と同じ旋律も出てくるし、じっくり聴けば、いかにもドヴォルザークらしい、優しいメロディにもあふれていて、とても素敵な曲だ。
フルシャの情のこもった指揮に、都響の豊かなサウンド、それに文化会館の木質の響きが加わって、ほのぼの感と、終結部の切れ味のいいエンディングとが、ともにばっちり。
中間部にさらりと出てくる弦の懐かしい旋律に、思わず涙腺が刺激されました。

マルティヌーは、CDでは聴いてはいるが、実演でじっくり聴くのは初めて。(以前に神奈川フィルのゲネプロで4番)
ブラームスの1番と2番の関係にもたとえられるマルティヌーの1番と2番。
CDで聴いているといつも思う、錯綜するややこしさをマルティヌーの音楽に感じていたが、こうしてライブで聴いてみると、この2番の特徴である牧歌的な明るさとともに、マルティヌーが、各楽器をいくつものグループに分けたり、くっつけたりして、いろんなことが同時にそれぞれ進行していくさまが、とてもよくわかって、ほんとうにおもしろかった。
そして、マルティヌーの音楽が、決してモダンでも現代風でもなく、4つの楽章にしっかりと構成された伝統的な交響曲であること、そしてアメリカ亡命先での生涯の活動であったものの、やはりマルティヌーの音楽はチェコのものであること、そんなこともよくわかりました。
 マルティヌー協会の会長もつとめるフルシャの適格な指揮ぶりが、安定してました。
そして、マルティヌーの音楽に、きらきらした色彩も感じ取ることができたのも指揮者の腕前でしょうか。
第二楽章がことに美しく、ときに不安をも感じるほどの楽想の表現もよかったです。
にぎやかな終楽章も楽しくて、ブラボーも飛び交ったのも頷けるノリのよい演奏でした。

 後半は、おなじみのブラームス。
前半は、あまり親しみの少ない音楽だったの比べ、ブラームスの、それも伸びやかな2番ですから、冒頭から会場の雰囲気の和み方が違うように思いました。
 演奏もまさにそのとおりで、オーケストラもほんとうに気持ちよさそうに、体を揺らしながら、ブラームスをたっぷりと奏でております。
その演奏ぶりを、まったく邪魔することなく、オケを信頼して、そして解放してしまったかのような大らかな指揮のフルシャでした。
1楽章の繰り返しもしっかり行いつつ、インテンポでじっくりと仕上げられたブラームス。
忙しい12月に、そして、少し憂鬱な月曜日の締めくくりを、晴れやかな気分にしてくれた喜びに満ちた終楽章で、今度は聴き手みんなの心を明るく解き放ってくれた演奏でした。
 気持ちいい~

大きな拍手は鳴りやむことなく、そして楽員を称えるフルシャさん、次の会にはおそらく降り番なのでしょうか、コンマスの四方さんに敬意を込めて両頬にキッス。
退任の感謝のご挨拶、とても微笑ましく、そしてとても紳士的でした。

素敵な演奏会をありがとうございました。

帰りに、上野駅のパンダフルクリスマスをばパシャリとしました。

Pandatree

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2017年1月20日 (金)

ブラームス ドイツ・レクイエム アバド指揮

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新春の吾妻山は、富士と海と、菜の花と水仙。

中腹あたりに、水仙の群生があり、香しい香りが漂っているのでした。

そして、1月20日。

もう3年、いや、まだ3年。

なんだか、遠い記憶のようになってしまったあの日。

クラウディオ・アバドの命日です。

あのときが、夢の彼方のように感じ、いや、感じたい自分があって、アバドは、兄のようにして、いつまでも、自分の近くにいてくれるような気もしているから、あの日が、なかったようになってるのかもしれない・・・・、自分のなかで。

癒しと、追憶のレクイエムを聴きます。

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  ブラームス ドイツ・レクイエム op.45

    ソプラノ:チェリル・ステューダー

    バリトン:アンドレアス・シュミット

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                 スウェーデン放送合唱団
                 エリック・エリクソン室内合唱団

              (1992.10 @ベルリン、フィルハーモニー)

ブラームスを愛し、若い頃から、その作品をずっと取り上げていたアバド。

交響曲は2番や4番を、スカラ座時代から、ほかの番号もロンドンや各所で。
協奏曲の各種は、数え切れないほどの名手たちと共演。

そして、声楽作品も、ウィーンやベルリン、ロンドンで。

ドイツ・レクイエムやアルト・ラプソディまでが、通常の指揮者は、取り上げ・録音するけれど、アバドは、合唱作品のほとんどを取上げた。

いま残された録音や、放送音源の数々で聴く「アバドのブラームス」。

ことに、アバドのブラームスの声楽作品は、その端正な佇まいと、紳士的ともいえる慎ましさは、ロマン派にあって、古典派の立ち位置でもあったブラームスの演奏として理想的。

正規音源としては、ベルリンフィルハーモニーでのこちらの92年の録音と、97年のウィーンでの映像があって、どちらも、そうしたブラームスの真髄に迫った名演に思います。

今日はCD。

どうだろう、この精度の高さは。

合唱とオーケストラが、弱音からフォルテの強音まで、どこまでもきれいに、混濁することなく混ざり合い、どの声部の音も、すっきり・くっきり聴こえる。
そして、その音色。
どこをとっても、お馴染みのベルリンフィルの音なんだ。
この音は、変わったと言われたカラヤン時代の音と同じだし、現在のラトルの紡ぎだす洗練さと重厚さの音ともおんなじ。
 全体のトーンは、緻密極まりない合唱団も含めて、明るめだけれど、この明晰な明るさは、カラヤン時代もあったことで、ラテン的な輝きを感じさせる点でも、カラヤンの音とも少し通じるように今宵や感じました。
もちろん、カラヤンのようなゴージャス感はないですよ。

ともかく、明るく、美しく、音がなみなみとあふれるような、アバドの「ドイツ・レクイエム」。

北ドイツでなく、南の方。
アルプスのふもとにあるような、そんなブラームスが好き。

絶頂期だったステューダーと、この当時、声楽作品ではひっぱりだこだったA・シュミットの律義な歌は万全。
欲を言えば、ヘルマン・プライとの共演でも聴いてみたかった。
アバドとプライは、朋友のように、よく共演していたから。
 でも、このとき、まだ存命だったプライだったら、アバドの根ざす、明るさと透明感あるブラームスにはならなかったかも・・・。
プライの人間臭い優しさは、巧さにつながり、色が出てしまったかも・・・・。

アバドは、そのプライと、ロンドン響時代に、このドイツ・レクイエムで共演していて、1983年のこと。
それから、アバドの初「ドイツ・レクイエム」は、同じロンドン響で、77年のこと。
そのときは、ルチア・ポップがソプラノ!

平和と安らぎのなかに終えるドイツ・レクイエムを聴きながら、外は今にも、ちぎれた雲から雪が舞い降りてきそうな寒さ。

日本中寒いです。

いや、世界中、異常に寒く、ことにヨーロッパの寒波はすごいらしい。
凍死者が多数でたり、交通事故が多発したりと大変らしいし、ふだん雪とは無縁な地中海地方やイタリア南部、スペイン南部も大雪・・・・

アバドの眠る、スイス、エンガディン地方もきっと深い雪に見舞われていることでしょう。
しんしんと、そして、あたたかく、クラウディオ兄を包んで欲しい。

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そして、サンモリッツを有するエンガディン地方、2026年の冬季オリンピック誘致を目論んでる様子。
昨今の、五輪を思うにつけ、静かにしておいていただきたいが・・・・・・・

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クラウディオ・アバド 3回忌に

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2015年11月28日 (土)

神奈川フィルハーモニー第314回定期演奏会  サッシャ・ゲッツェル指揮

Minatomirai

横浜、みなとみらい地区は、今年も華やかなイルミネーションに彩どられる季節となりました。

そして、それに相応しい、ステキで煌びやかなコルンゴルト・サウンドを堪能できました。

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   ブラームス     ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op83

          ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

   コルンゴルト    シンフォニエッタ op5

   J・シュトラウス   ポルカ「雷鳴と電光」 ~ アンコール

     サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                   (2015.11.27 @みなとみらいホール)


今シーズン、もっとも楽しみにしていた演奏会のひとつ。

そう、ワタクシは、コルンゴルト・ファンなのであります。

忙しいせいもありますが、この1ヶ月ぐらい、コルンゴルトの音楽以外は聴いてません。

ですから、オピッツという日本贔屓の世界的大家をソリストに迎えるという豪華なブラームスのことは、あんまり眼中になかったという不届きものです・・・・。

ブラームスの2番の協奏曲。
この大曲は、レコード時代からすり減るほどに聴いてきたけれど、演奏会で聴くと、何故か、いつも虚ろに聴いてしまい、途中から覚醒するということが多い。
実は、今回もそうなってしまった。
おまけに、オーケストラがどうもいつもの冴えがなかったように思いましたし、ちょっとした乱れもありました。
大好きな神奈川フィルに対し、ちょっと辛口の評価です。

そんな流れに、ピリッと引き締めが入ったのが、3楽章のチェロ・ソロでした。
ピアノに隠れてしまって、そのお姿が見えませんが、その優しいけれど、しっかりした語り口のチェロの音色は、山本さんと、すぐにわかります。
そう、ここから、わたくしも音楽に集中できたし、演奏もキリッと締ったような思いがしました。
実は、以前聴いた、ポリーニとアバド&ルツェルンの同曲の演奏会でも、前半は冴えず、しかも、あのポリーニがミスを連発するなどでしたが、3楽章でのブルネロのチェロがすべてを救い、その後は迫真の名演となりました。
そもそも、この曲が難しい存在なのでしょうか・・・。

それと、ゲッツェルさんの指揮が、ちょっと飛ばしすぎた場面もあるかもです。
このコンビの適性は、コルンゴルトや、マーラー、シュトラウスあたりにあるのかもしれません。

オーケストラのことが先行しましたが、しかし、オピッツさんのピアノは、抜群の安定感がありました。
まったくぶれがなく、滑らかかつ力強く、でも音には透明感すら漂う無為の域に達した凄さを感じました。
丸みと、強固さ、ともにブラームスに相応しい音色。
お姿どおりのピアノでした。
そして、いつも思うのは、サンタさんみたいだし、シュークリームのオジさんみたいだと(笑)

 さて、後半のコルンゴルト。

神奈川フィル応援のFBページに書きましたが、そこから一部転載します。

 神奈川フィルでコルンゴルトを聴くのは、これで4回目。

   2014年10月 ヴァイオリン協奏曲 (1945)

   2015年 1月 チェロ協奏曲     (1946)

       〃    「シュトラウシアーナ」 (1953)

   2015年11月 シンフォニエッタ   (1913)

ヴァイオリン協奏曲以外は、ゲッツェルさんの指揮。
作曲年代をみてわかるとおり、これまでの3曲は、いずれも、ナチスの台頭により、コルンゴルトがヨーロッパを去り、アメリカに渡り、映画音楽の世界で活躍し、戦後ふたたび、本格クラシックのジャンルの作品に回帰した時期のもの。
 そして、それより遡ること3~40年。

今回の「シンフォニエッタ」は、神童と呼ばれ、ウィーンの寵児としてもてはやされた時期、コルンゴルト16歳のときの音楽なのです。

このように、横断的にコルンゴルトの音楽を1年間で楽しめたことに、まず感謝したいです。

複数の音源で、徹底的に聴きこんで挑んだだけあって、大好きなコルンゴルトに思いきり浸ることができました。

冒頭の「陽気な心のモティーフ」が、4つの楽章それぞれに、いろいろと姿・表情を変えてあらわれるのが、これほど明快にわかったのは、やはりライブで、演奏者を見ながら聴くことによる恩恵でありました。
キラキラのコルンゴルトの音楽を、神奈フィルの奏者の皆さんが、楽しそうに、そして気持ちよく演奏しているのもよくわかりました。
 そしてゲッツェルさんも、この曲を完璧に把握して、いつもながら縦横無尽の指揮ぶり。
それはもう、音楽が楽しくて仕方がない、といった具合でした。
オーケストラから、もっともっとと、音楽をどんどん引き出す、そんな積極果敢の指揮。
この積極的音楽がゲッツェルさんの魅力です。
それが、われわれ聴衆にズバズバと伝わるわけです。

優しく羽毛のような軽やかさも楽しめた第1楽章。
強靱な響きと、文字通り夢見るような中間部の対比をダイナミックに描いた第2楽章。
そして、神奈川フィルならではの繊細さと、音色の美しさを堪能できた魅惑の第3楽章。
この楽章は、わたくし、大好きなんです。
イングリッシュホルンが素敵だったし、第1ヴァイオリンがボーイングを変えて弾く場面も興味深く拝見しました。
 不安と狂喜の交差する、ちょっとややこしい終楽章も、ゲッツェルさんは、しっかりと整理しながら、大いなるクライマックスを築き、華麗なるエンディングとなりました。
軽くひと声、ブラボ進呈しました。

屈託ない若いコルンゴルトの音楽ですが、後年は辛酸をなめ、郷愁をにじませ、その音楽は、ほろ苦さを加えてゆくのでした。

今宵は、甘味で、とろけるような、ウィーンのお菓子をたっぷりといただきました。

ゲッツェル&神奈川フィル、最高っ

アンコールは、ウィーンっ子大爆発。

自分的には、コルンゴルトのあとに、ウィーンものを持ってくるんだったら、もうちょっとおとなしめのポルカやマズルカを所望したかったけど、聴衆は沸きにに沸きましたね

縦横無尽・上下左右の軽やかなゲッツェルさんの指揮姿は、かのカルロス・クライバーを彷彿とさせました。

Queens_4




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