カテゴリー「ピアノ」の記事

2024年3月24日 (日)

マウリツィオ・ポリーニを偲んで

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深夜にツィッター(X)を眺めていたら愕然としました。

ポリーニの訃報。

しばらく前から体調を壊していて、コンサートもキャンセルしていたばかり、ミラノの自宅で3月23日に亡くなりました。

享年82歳。

私にとってのポリーニは、朋友アバドがあっての存在でもありましたので、とても悲しいです。
アバドが10年前に80歳で去り、ポリーニがその10年後に82歳で旅立つ・・・
ともにミラノ生まれでした。

高校時代にポリーニを知り、もう50年が経過したけれど、ポリーニは数多いピアニストのなかでずっとトップランナーだった。

リサイタルで聴くことはできなかったのですが、コンサートでは2回。
小澤さんと新日フィルに来演して、シェーンベルクの協奏曲。
アバドとルツェルンとともに、ブラームスの2番。
脳裏に焼き付くピアノに向かい、高い集中力でもって演奏するその姿。
アバドも、小澤さんも、そしてポリーニもいなくなってしまった。

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 ショパン 練習曲集 (1972)

初めて買ったポリーニのレコード。
練習曲全曲を聴いたのもこれが初めて。
ストラヴィンスキーとプロコフィエフのDGへの初録音は、ずっと後で聴くことになりますが、ここでのショパンの音楽そのもの素晴らしさにも感激。
鋼のような強靭な打鍵と鮮やかな技巧による精密かつ彫像のようなポリーニのピアノ。
連日、青白いような情熱の炎を自分的にたぎらせて聴いたことも、わが青春の思い出であります。
当時は、柔のアシュケナージ、鋼のポリーニのイメージで、人気を二分しておりました。

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   ショパン 前奏曲集 (1974)

まだまだショパン初心者だった若い頃の自分には、続々と出てくるポリーニのショパンは、その作品理解を深めるとともに、その完璧な演奏はその曲のひとつの指標となったのでした。
24の曲が全体を通してみるとしっかりとした構成感につらぬかれているし、それぞれに詩的な豊さや歌もある。
ポロネーズ集もこの頃の大切な1枚です。

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  シューマン 幻想曲 (1973)

  シューベルト さすらい人幻想曲 (1973)

ともに、それぞれのソナタ作品も収録。
ファンタジーと名をなすロマン派ならではの作品を、ポリーニは明晰に、明るい音色でもって弾き、ポリーニがイタリアの血を引くピアニストであることを認識できる。
一方で、こうした作品でも強靭な響きはポリーニならでは。
ほのかに感じる陰りも。

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  ブラームス ピアノ協奏曲第2番 (1976)

もう幸せしか感じないイタリアの陽光とウィーンの甘味さ感じる演奏。
一方で、存外に熱くもあり、気ごころしれたアバドとのコンビが、スタジオでもライブ感みなぎらせていたことがわかる。

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  バルトーク ピアノ協奏曲第2番  (1977)

ついにシカゴへ!
当時、これが出たとき、そんな風に思った。
マーラーでアバドと良好な関係をお築きあげていたシカゴの共演。
ときにオケの一員とも思われるくらいに打楽器的な様相さえ呈するすさまじいばかりのポリーニのピアノ。
このふたりの朋友の最高傑作だと思う。

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 ノーノ 力と光と波のように (1973)

ジャケットは借り物です。
レコード時代、前衛ということで、アバドが珍しくバイエルンと録音したというのに、この派手なジャケットに手がでなかった。
ノーノ、ポリーニ、アバドという3人が共感しあってのもの。
コミュニストとしてのノーノの当時の思いは、いまや化石化しているともいえるが、電子音やテープ音、トーンクラスターなども当時の前衛を今聴くのも懐かしさを感じる。
それこそ、打楽器としてのピアノは、ポリーニあってのもの。
今年1月、52年前に初演されたミラノのスカラ座で、メッツマッハーの指揮で演奏され、わたしも録音した。
おりしもそれは、ノーノの生誕100年とアバド没後10年のための演奏でした。
そのあとポリーニが逝ってしまうなんて・・・・

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            スカラ座のHPより


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  ベートヴェン 後期ピアノソナタ集 (1975~77)

若い頃にいきなり後期作品を一挙に録音。
ここでも冴えわたるポリーニの明晰極まりない音。
澄み切ったベートヴェンの後期様式に、イタリアの光が当てられたようで、そこにはまたミケランジェロの彫像のような力強さと、贅肉のとれた無駄の一切ない引き締まったイメージを感じさせる。
バックハウスのベートーヴェンばかりを聴いていた自分には、ヴェールが1枚はがされたような気がしたものだ。
協奏曲は、ベームとではなく、この頃にアバドとシカゴあたりで録音して欲しかったものだ。

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イギリスのクラシック専門チャンネルの訃報ツィート。

先月の小澤さんの訃報に続いて、こうも世界に音楽家の悲しみの知らせが駆け巡るとは・・・

ショパンコンクールで彗星のごとく現れ、その後名前を消したかのように、楽壇から姿を消したポリーニ。
その後、70年代に突如として出現して、年代的にも音楽をどんどん吸収していった自分のピアノ分野での指標となったのがポリーニ。
2000年以降はあまり聴かなくなってしまいましたが、ずっと聴いてきたポリーニのピアノ。

ポリーニの前は、私世代では、バックハウス、ケンプ、ルービンシュタイン、リヒテルなど巨匠の時代でした。
そこに出てきたのが、アルゲリッチ、アシュケナージ、バレンボイム、そしてポリーニでした。
演奏スタイルのありかた、聴き方も変化していくなかで、ポリーニは巨匠ではなく修道僧にも似た音楽の探究者だったと思います。
よりヒューマンなアルゲリッチともぜんぜん違います。

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2009年にルイージとドレスデンの演奏会の曲間に、ホールの外に深呼吸しに出たら、どうみてもポリーニさんに遭遇。
一服されてました。
ツァラトゥストラとアルペンというシュトラス大会、ポリーニさんも聴いていたんです。

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スカラ座のHPは、ポリーニの追悼と変わってました。

喝采を受けるポリーニの姿、いい写真です。

天国でアバド兄貴とブラームスをやろうよ、と語り合ってるのかな・・・

マウリツィオ・ポリーニさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2015年8月19日 (水)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第4番 ミケランジェリ

Shikenjyo

実家近くの裏山の竹藪。

竹は、こうして見ていてとても美しく趣きがあるのですが、その成長と、他を圧する生存能力には脱帽です。

先だって、テレビでもやってましたが、放置された田畑が竹に浸食されて、おまけに地中でつながっているものだから、傾斜地では、表面の地表が地滑りを起こす危険性もあるといいます。
稚竹のうちに、どんどん収穫して食べてしまえばいいんでしょうけど、竹の有効活用を含め、数々あるそうですが、なかなか人手と経済性が伴わないらしいです。

難しいものです。

今夜は、若竹のように、新鮮で活きのいい音楽を。

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   ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op7

        アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ

                     (1971.7 @ミュンヘン)


ベートーヴェンのピアノソナタシリーズ。
作品2の1~3番に引き続き、第4番は、単独で、作品番号7。

作品2では、あとのものほど、規模と充実度を増し、ここ4番では、さらにスケールアップし、ベートーヴェンの意気込みも、大いに増していることを感じ取ることができます。
その大きさから、出版当初は、グランド・ソナタとの命名もされていたそうな。

作品2の翌年、1796~7年の作曲。
当時ベートーヴェンが住んでいた家のお向かいの貴族、ケーグレヴィッチ伯爵令嬢にピアノを教えていて、事実、彼女は、弟子としても優れたピアニストだったらしい。
 レッスンにやってくるときは、ときおり、ベットガウンにスリッパに、トンガリ帽子という奇異ないでたちで訪れたりしたらしく、そんなベートーヴェンが微笑ましく思えたりしますな。

その彼女に、このソナタは、捧げられ、この曲は、当時、「愛する女」と名付けられたとされますが、そのあたりの因果関係は今は不明であります。

曲は4つの楽章からなり、変ホ長調という調性から、大らかさと伸びやかさが支配し、後年の深刻さやヒロイックな様相は、まったくうかがえませんね。

1楽章は、アレグロ・モルト・エ・コン・ブリオですから、まいどお馴染み、ベートーヴェンの第1楽章って感じの表記です。
スケールの大きさは、最初から、しっかり発揮されていて、活力に富んでいながら、しなやかさも見せる魅力的な楽章です。

2楽章は、少しばかり瞑想的なラルゴ。
ベートーヴェンの緩徐楽章の抒情を充分に感じとれますね。

3楽章は、普通にアレグロで、3部形式ながら、スケルツォでもなし、メヌエットでもなし、とかつてより評されてますが、親しみあふれるフレーズが続出。

そして、終楽章は、ロンド形式。トリルの目立つ楽章で、終わりを飾るスケール感はないものの、緩急が豊かで、長調と短調のやりとりの面白さを感じます。
次の5番へのステッアップへの布石も。

地味ながら、青年ベートーヴェンの姿を味わうに相応しい桂曲だと思いました。

今回は、ミケランジェリの懐かしの名演で。
このレコードが出たときは、ミケランジェリのDGデビューのひとつではなかったでしょうか。

贅沢にも、これ1曲で、1枚のレコード。
演奏時間にして、31分。
ほかの演奏では、23~5分ぐらいなのに、この演奏時間。
そう、全体にゆったりめで、丹念に弾いている結果です。
しかし、造型は堅固で、一部の隙もなく、完璧な仕上がりながら、冷たさは一切なく、明晰さからくる明るいカラーが全体を支配してます。
 イタリアの音楽家らしい「明晰な美」への追及が際立った演奏ではないかと。
この演奏、CD時代になって、シューベルトのソナタや、ブラームスのバラードなんかもカップリングされて、さらにお安くなって、かねてとは隔世感を味わわせてくれたりもしてます。

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2015年7月 6日 (月)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第1~3番 バックハウス

Zojyoji

出たり引っ込んだり、関東では、今年の梅雨も7月の上旬に、いよいよ本番。

紫陽花は、もう見ごろのピークを終えてしまいましたか・・・

いろんな色があるけれど、やっぱりブルーですかね。

そして、新鮮なブルーに似合うのが、ベートーヴェンの初期作品の清々しさ。

Beethoven_backhaus

  ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 op2-1

                ピアノ・ソナタ第2番 イ長調  op2-2

        
             ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3


        Pf:ウィルヘルム・バックハウス

                      (1963.10 1968.3 1969.4
                         @ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール)


ベートーヴェンは、1795年(25歳)、作品番号2の3曲のピアノ・ソナタを完成させ、師ハイドンの前で、演奏しました。
 その3曲の前にも、5曲ほど、ソナタないしはソナチネは書かれているが、番号付きとしては、これらの3つがスタートとなります。

ウィーンに出てきたばかりの頃のベートーヴェンは、当時のウィーンの大御所、ハイドンの門をくぐり、勉強をしたものの、血気あふれるベートーヴェンからすると、師のもとでの授業は、予想外に退屈なものだったらしい。
 
 むこうみずにも、別な先生のもとに走ったベートーヴェンは、さすがに、師ハイドンに対して気兼ねし、感情的な行き違いを、なんとか解消しようとして、師に捧げるべく、これらの3つのソナタを作曲したわけです。

ですから、この3曲は、意欲的な顔、師への感謝を込めた明朗な顔、そして、のちの大きなソナタへの先駆けのようなシンフォニックな顔、いずれも異なる気分が横溢している。

1番は、いきなり短調という悲劇色の濃い作品。
短いけれど、ベートーヴェンの野心がにじみ出たソナタです。
短調の両端楽章にはさまって、2楽章と3楽章は、軽やかで、装飾性も豊かで古典的。
終楽章は、のちの、熱情ソナタみたいですね。

2番は、1番とかわって、明るいイ長調。
短調のあとには、明朗快かいたる、長調がやってくる。
これも、後年のベートーヴェンの常かもです。
ちょっと掴みどころがないけど、流れるような優美さと、弾むリズムの対比がいい1楽章。
内省的な面持ちをもった2楽章は、これも後年、ベートーヴェンの美しい緩徐楽章の典型の走りと感じます。
低音で、ずっと続くスタッカートも印象的。
 そして、この曲で、はやくも、軽やかにスケルツォが登場。
さらに4楽章も流れがよく、明るく、のびのびした若々しさを感じます。
この2番のソナタは、結構好きですよ。

さて、一挙に規模を大きくした3番
ハ長調ならではの、壮麗さと、がっしりした印象をあたえる構成感。
よく演奏される曲だし、耳馴染みもいい。
 なんたって、1楽章は、アレグロ・コン・ブリオ。
いかにも、ベートーヴェンらしい。
アダージョ楽章は、ずいぶんとロマンティックで、古典派の枠をすでに超えた雰囲気もあり、なかなかに詩的であります。
この楽章は、好き。
 短めのスケルツォは、弾みがよろしく、続く華麗なフィナーレの前段として、交響曲の中の同じ存在のように聴ける。
ダイナミックで、技巧的でもある終楽章は、意欲に燃えるベートーヴェンらしく、元気はつらつ♪

 レコード時代、一気に全集で購入したバックハウスのソナタ全集。
当時は、ドイツものだったら、なんでもバックハウスとケンプだった。
そののちに、ブレンデルやアシュケナージ、ポリーニがやってきたのだったが、CD化された同じ全集を、あらためて、入手して、ことあるごとに聴いていますが、揺るぎない威厳と格調の高さが、こうした初期作でも感じるのは、バックハウスならでは。

最近の演奏家たちのような、鮮烈さや、タッチの冴え、考え抜かれた多彩な解釈などとは、一線を画するバックハウスの演奏ですが、やっぱり、わたくしには、別格の存在であります。
梅雨の長雨のなか、とても麗しい時間を過ごせた夜です。

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2014年11月30日 (日)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 シュタットフェルト

 Gaien_a

神宮外苑のいちょう並木。

連日晴れていたのに、土曜の午前は、よりによって厚い雲に覆われる曇天でした。

それでも、地面に降り積もった黄色い葉と、曇り空でも、上からは黄色い光が舞い降りてきて、目にも優しく、歩道の散策も楽しいものでしたね。

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  バッハ   ゴールドベルク変奏曲

     Pf:マルティン・シュタットフェルト

             (2003.10 @カイザースラウテルン)


最近、よく眠れない。

夢ばかり見て、寝た気がしないうえ、朝、やたらと早く起きてしまう。

酒を飲んだ晩も、飲まない晩も、みんなおんなじ。

だから、電車に乗って座ったら即寝。
昼食べたら、パソコンのまえで、うつらうつら。
いかん悪循環。

そんないまの自分に、ぴったしの音楽が、なんといっても「ゴールドベルク」。

ただ、ワタクシは、この曲の作曲を依頼したカイザーリンク伯爵のように不眠ではありませんよ。
ちゃんと寝てるけど、目ざめが早すぎなだけ。

この曲、もう何度か取り上げてるし、いつもその内容は、同じようなことを書いてます。

あらためて、バッハのこの作品の緻密さと、全体が網の目のように、互いに結びつけあっているという完璧な統一感、それらを実によく解らせてくれる演奏で。

10年前の録音ですし、もう、多くの方がお聴きかもしれません。
わたくしは、ビジュアル的にも、売り出し方が気にいらず、どこぞの若造・・・・的な、偏向反応で、遠ざけておりましたが、彼のCDをいくつか入手したのは今年に入ってのことでした。

その彼の名は、マルティン・シュタットフェルト。

1980年、ドイツ、ゴブレンツの生まれ。
録音時23歳、現在は34歳の若手。

97年、ルービンシュタイン・ピアノコンクール優勝
01年、ブゾーニ国際ピアノコンクール入賞
02年、バッハ・コンクール優勝
そして、03年の、この録音。

若さに似合わぬほどの巧みな語り口と、全体を見通した考え抜かれた表現力。
でも、一方で感じさせる、奔放なまでの若さの爆発という眩さ。
才気走ったところを感じさせずに、強い説得力を鮮やかな手口でもって披歴。

テンポや、表情は、ときに動きますが、それが、グールドのような感性的、突発的なものでなく、知的に考え抜かれたものと感じます。

最初と最後におかれたアリアが、それぞれに、異なる味付けでもって、嫌味なく滔々と奏されます。
楚々と展開するカノンのあと、変奏の中央に位置する16番目の序曲をきっぱりと弾いたあとの後半。
この前半と、後半の鮮やかな対比は、バッハの意図を見事に表出しているかと思います。

わたくしには、ひとつひとつの変奏を個々に楽しめる個性的な演奏だし、全体を見渡して作品の緻密さに感じ入ることもできる、いわばマルチな演奏でもありました。

今のところ、ドイツ系の音楽ばかりのシュタットフェルト氏ですが、ショパンやフランスものなんかどうでしょう。

これからも注目の若手ですね。

 過去記事

「マレイ・ペライア盤」

「ピーター・ゼルキン盤」

「レオンハルト盤」

「リヒター盤」

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2014年11月 2日 (日)

チャイコフスキー 四季 アシュケナージ

Tokyotower20141028

晩秋の東京タワーの夕暮れ。

すっかり、秋冬バージョンとなりました。

そして、夏バージョンは。

Tokyotower_8m

すっきり、見通しもいい感じの夏姿の東京タワー。

すけすけ感が、涼しげですよね。

こうした、照明プロデュースをする企業が、我が邦には、しっかりあって、かつては考えにくかった芸術・商業ジャンルを切り開きましたね。

四季が、しっかりあって、それぞれの機微に敏感なわたくしたち日本人。

その感性こそが、いろんな想像力をそだて、育むんだと思います。

この日本の美しい四季が、世界の人々を魅惑し、多くの訪問客を産んでいるのですね。

近隣のふたつの国が、どうあがいても、逆立ちしても及ばないこと、それは、日本の美しい四季ですよ!

Tchaikovsky_seasons

     チャイコフスキー  「四季」

      ウラディミール・アシュケナージ

              (1998.12 @ベルリン)


チャイコフスキーの「四季」は、ピアノによる12ピースの小品集。

ヴィヴァルディの四季は、協奏曲集。
ハイドンの四季は、オラトリオで規模の大きい声楽作品。
真夏に、神奈川フィルで聴いたグラズノフの四季は、バレエ音楽で管弦楽曲。

それぞれの「四季」が、それぞれにいろんな形式と、作曲家たちの生国の四季に、しっかりと寄り添った特徴ある季節を描いていて、その聴き比べも楽しいものです。

しかし、ロシアとイタリアの違いは、あまりに大きいですね。

1875~76年にかけて、チャイコフスキー35歳の作品。
有名どころでは、ピアノ協奏曲第1番の頃ですね。

月刊誌Nouvelliste(小説家)に掲載するために、作曲され、年間各月、1月から12月までを、ロシアの詩人たちの詩に基づいて、連続して書かれ、12の互いに結びついたような素敵な小品集が生まれました。

   1月 「炉端にて」              プーシキン

   2月 「謝肉祭」               ヴァゼムスキー

   3月 「ひばりの歌」            マイコフ

   4月 「松雪草」               マイコフ

   5月 「白夜(五月の夜)」       フェート

   6月 「舟歌」              プレシチェーエフ

   7月 「草刈りの人の歌」       コリツォフ

   8月 「収穫の歌」           コリツォフ

   9月 「狩りの歌」           プーシキン

  10月 「秋の歌」            トルストイ

  11月 「トロイカ」         ネクラーソフ

  12月 「ノエル(クリスマス)」 ジュコーフスキー


 12か月が、ときに、日本の四季とも合致するタイトルたちで、いずれも詩的で、夢見るような雰囲気は、いかにもチャイコフスキー。
そして、チャイコフスキーのバレエ音楽の世界です。

ですが、さすがに、日本の四季と、どうみても、そして、どう聴いても違うのは、陽気な2月の「謝肉祭」、日本は、豆まきの鬼退治?

あちらでは、初夏のように迎える、日の沈まない白夜の5月は、日本では、春から夏の陽気のいい季節で、夜の音楽の様相ではないですね。

この曲集で、一番有名で、ロマンティックな6月の「舟歌」は、哀愁たっぷりで、日本の鬱陶しい梅雨の季節とは明らかに違う憂愁です。
美しい音楽です。

7,8月は、収穫の秋のような題材となってますが、これはロシア旧暦によるものなので、先取りのかたちになってますが、それでも、季節は冬に向けて早い足取りです。

9,10月は、われわれにも親しい、ちゃんとした秋で、ことに「秋の歌」は、儚さも感じるもの憂いムードですよ。

のこり二つの章は、まさに冬。
ロシアの冬は、閉ざされたように長い。
11月から、ムードとしては、4月まで。

日本の四季との違いを、書いてみましたが、このチャイコフスキーのこれらの桂曲は、まさにそのタイトルを感じさせる、そのとおりの音楽たちです。

そのどれもが、二部構成で、音楽的にも、互いに結び付きがあって、12曲が、大曲的には、大きなひとつの作品としても、巧みに構成されています。
 劇音楽家、シンフォニストとしての大家、チャイコフスキーならではの、優れた作品ですね。
きっと、みなさん、その懐かしいまでの雰囲気に、これ、聴いたことがある、といった既聴感にもとらわれることでしょう。

ガウクがオーケストレーションした版は、まだ聴いたことがありませんが、まさに、オケ向きの原型です。
でも、わたくしは、ピアノによる、ロマン溢れる演奏で、あれこれ、ロシアの自然やら、日本の四季やらを、思いめぐらすのが好きです。

 指揮者としては、いまでも、なんともやら的なアシュケナージさんですが、かねてのむかしより、ピアニスト、アシュケナージは、完璧な存在です。
繊細でリリカルで、強鍵にもことかかない、その多彩な表現力は、一律的な指揮活動とは大違いの感。
ともかく、素晴らしいピアノです。

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2014年10月27日 (月)

シューマン 幻想曲 ポリーニ

Zoujyouji

ある日の夕焼け。

都内増上寺の境内にて。

夕焼け大好き、ロマンティックおじさん。

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  シューマン 幻想曲 ハ長調

      ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

        (1973.4 @ミュンヘン ヘラクレス・ザール)


今夜は、思い入れのある1曲、そして1枚。

レコードでさんざん聴いていたけれど、CD時代になって、CD再購入をしていなかった。

レコード・CD、両時代を知るものにとって、こんな風に、妙に宙に浮いてしまった1枚ってあるんじゃないでしょうか。
レコードプレーヤーを再稼働させることもないと、こうなります。

先日、思いついたように、中古屋さんで、入手しました。

そして、CDプレーヤーに乗せるや否や、あの頃の、ポリーニの硬質で、かつ、ブルー系のピアノの音色が、一挙に、わたくしを、若き日々へと誘ってくれました。

あぁ、なんて、素晴らしい音楽に、演奏なんでしょう。

外は、冷たい風が吹き始めました。

でも、このシューマンの音楽は、暖かく、ロマンティックで、人肌を感じさせます。

 幻想曲という名は、自由な構成感から来ているもので、本来、シューマンは、ベートーヴェンの没後10年という意味合いを込めて、気合を入れて作曲に没頭した。
しかし、なかなか、そのアニヴァーサリーには完成できず、1年後の1838年に仕上がった。

3つの楽章からなりますが、この曲の白眉は、きっと緩徐楽章である、終楽章でありましょうか。
初めて聴いていらい、つねに、その楽章に焦点を絞って聴いてきました。

ショパンでも、リストでもない、シューマンにしか書けなかった、本物のロマンティシズム。
「星の冠」と、当初は名が与えられたのも、さもありなん的な、美しくも、陰影も感じさせるシャイな音楽だと思います。
 この楽章は、キリリとした、白ワインがぴたりときます。

ポリーニの、硬質ななかに、明るい透明感あふれる演奏が、この楽章を、神々しいまでの純粋な音楽に昇華しております。

 もちろん、ほかのふたつの楽章も、好きですし、ポリーニの演奏も明晰極まりないのですが、わたくしの耳は、かつての昔より、この3楽章に首ったけなのでした・・・・。

はぁ・・・・、もう40年近くの年月が経つんだ。。。。

遠い目線に、遠い思い出。

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2014年9月27日 (土)

バーバー ピアノ・ソナタ 三舩優子

Nakanoshinbashi

ぼろいカメラですが、普通に橋の欄干に固定して、サッと写したら、こんな感じに撮れました。

中野の街から、新宿高層ビルを望む。

川は、神田川でございます♪

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   バーバー  ピアノ・ソナタ 変ホ短調

      ピアノ:三舩 優子

            (2009.8.6 @三芳町文化会館)


サミュエル・バーバー(1910~1981)のピアノソナタ。

初めて聴きました。

アメリカ、保守派のバーバーは、多作家で、交響曲からオペラまで、あらゆるジャンルに、そこそこの数の作品を残しております。

わたくしが、バーバーの音楽を初めて聴いたのは、いまや有名曲となった、ヴァイオリン協奏曲で、EMIが、シリーズ化した「アメリカ・ザ・ビューティフル」という音源シリーズの中の一環で、ハンソンの「ロマンティック交響曲」とカップリングされた、スラトキンの指揮によるものでした。

ハンソンも含め、郷愁と懐かしさを感じさせる作風は、現代を生きた作曲家として、かえって新鮮に思え、バーバーのイメージは、そのように自分のなかで定着していったのです。

その後に聴いてゆく、「弦楽のためのアダージョ」や「ノックスビル」なども、同じ延長線上に捉えました。
しかし、バーバーの音楽は、ノスタルジックな、ビューティフル・アメリカン一色ではなかった。
 交響曲や、他の協奏曲、オペラ「ヴァネッサ」などを聴き進むうちに、ロマンティックで簡明な側面に加え、シリアスで、ちょっと難解、シャープな顔を持ち合わせていることを認識するようになりました。

今回のピアノ・ソナタも、まさにそう。

4つのきっちりした楽章を持つ、古典的なフォルムのソナタで、第1楽章から調性がないようで、不安な雰囲気に気押されるけれど、バーバーらしい、というのもヘンですが、ふたつめの主題が旋律的で、ホッとしたりもします。
 スケルツォに相当する第2楽章は、2分あまりですが、めまぐるしくも可愛い感じ。
そして、深みを感じるアダージョの第3楽章は、かなり深刻な表情で、秋の日に聴くと、とても寂しい気持ちにさせてくれる。
何か、忘れものをしてきたみたいで、気がかりな感じ・・・
 名技性を要求される激しいアレグロの終楽章にも、どこか厳しさが先行し、不安な気分に押される感あり。
フーガ形式で書かれ、しかも複雑なリズムが錯綜し、素人のわたくしなんぞ、よくこんな音楽がばりばり弾けるな、と感心することもしきり。

しかし、どうだろう、ここに聴くバーバーの音楽は。

大好きな、ヴァイオリン協奏曲のノスタルジックなイメージにのみ自身の想いを限定していたにすぎず、交響曲や、ヴァネッサ、そしていま、このソナタを聴いた自分は、バーバーという作曲家を体系的に見直さなくてはならないと痛感してます。
 それは、まるで、バーンスタインの音楽を、キャンディードやミサ曲、交響曲をしっかり聴いて、自身の耳を再修正したことと同じように思う。

1947年、米作曲家同盟設立25周年に書かれた作品。
戦後、そして冷戦への不安など、まだまだ不穏な時代ですね。
この曲は、ホロヴィッツが初演し、そしてレコーディングもあります。
あと、クライバーンも好んだようです。

先日、バーンスタインの「不安の時代」で、共感のこもった見事なピアノを聴かせてくれた、三舩優子さんの、こちらのCD。
会場で買ったものです。
以来、何度も繰り返し聴いてます。
技巧の冴えもさることながら、4つの楽章のメリハリある描き分けと、濁りのない明確なその、ピアノの音に感銘を受けます。
鮮やかな終楽章に耳が行ってしまいがちですが、3楽章の灰色の世界に浮かぶ、ほのかな抒情に、いつものバーバーの顔が見え隠れしたりする、そんな優しい三舩さんのピアノがとても気にいりました。

ピアノ・ソナタ以外にも、バーバーの代表的なピアノ作品がたっぷり収録されてます。
晩年の透徹極まりない「バラード」や、ゆるやかな気持ちにしてくれる組曲「演奏」などなど。
またの機会に取り上げたいと思う桂品です。

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2013年12月11日 (水)

シューマン 幻想小曲集 ブレンデル

Gaien2

神宮外苑の参道をお散歩してきました。

昨日の低気圧で、黄色く色づいていたイチョウも、散ってしまって、黄色い絨毯ができあがってました。

春のピンクの絨毯と、秋の黄色い絨毯。

日本の四季は、ほんとにきれいなのだ。

Schuman_brendel

 シューマン  「幻想小曲集」 op12

      ピアノ:アルフレート・ブレンデル

                  (1982.3 @ロンドン)


ひさしぶに聴くシューマンのピアノ曲。

遅すぎる晩秋を、本格的な冬の始まりに見て、感じてしまったから。

そんなロマンティックな心情に、ぴたりと寄り添うのが、シューマンのピアノ作品だし、ブラームスの室内楽、そしてディーリアスの感覚的な音楽。

「幻想小曲集」、この曲を初めて聴いたのは、高校生のとき。
そう、17歳ぐらいですよ。
オッサンになりはてた自分にも、そんなときがあったんですよね。

NHKFMで、午後のリサイタルっていう番組が、平日、毎日あって、日本人演奏家による室内楽と器楽演奏、歌曲が放送されてました。
それを録音しまくることで、知り、開眼していったオーケストラやオペラ以外の世界。
シューマンのピアノ曲の数々も、ここで知りました。

多感な高校生の心に、ショパン以上に、ひびきました。
ショパンのような直截なロマンや憧れじゃなくって、もっと複雑で、近づくと離れてしまうような手に負えないモヤモヤ感がを感じました。
 そのある意味、いびつな情熱の吐露が、若い自分には、女性的なショパンよりも、男性的なロマンティストとしてのシューマンを感じたのでありましょう。

高校生の時には、思いもしなかったほど、その何百倍もの音楽を、しかも当時には聴くこともできなかった音楽たちを聴いた、いまの耳でこうして聴いても、シューマンはあのときと変わらずに鳴り響いてます。

いくつになっても、歳を経てもシューマンはシューマン。
夢を垣間見させてくれます。

 1.夕べに    2.飛翔     3.なぜ?     4.気まぐれ   

 5.夜に      6.おとぎ話   7.夢のもつれ  8.歌の終わり


1837年、26歳のときに作曲されたこの曲集は、ライプチヒ訪問時に親しくなったイギリスの女流ピアニスト、ライドラウに献呈されております。

これら8曲の日本語訳の邦題は、ほんとうによく出来てると思います。
それぞれの曲の持つ、雰囲気を、本質的に捉えてしまっています。

「幻想小曲集」という大きなくくりと、これらの各曲の邦題だけで、もうなにも解説はいりません。

短い、日本語のそれぞれを思いながら、これらの曲を聴くだけで、もうこと足ります。

夜への関連性が強いのですが、昼に見た、素敵な光景や、会った人のことを想いながら聴くと言う意味でも、夜の音楽でもあります。

ブレンデルの明快でありながら、ふくよかタッチのピアノは、そんなシューマンを聴く人のロマン的心情を優しく包んでくれてやみません。

Gaien3

いい夢みましょう~

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2013年10月 3日 (木)

ショパン バラード第3番 ポリーニ

Higanbana

毎年、9月の半ばには必ずあらわれる彼岸花。

そして必ず群生してます。

川の土手や、田畑の畦に集まるこの赤い花は、日本の初秋の風景のひとこまです。

またの名を「曼珠沙華」。

以前にも書いてますが、ユリ科なので地中に球根状で繁殖しますが、それが少しの有毒性があり、それがわかっていた日本人は、お墓や田畑が地中動物たちに荒らされないように、地境にこれを植えたとあります。

そんな過去を知ると、この禍々しい姿と赤が妙に怪しく見えてくるんです。

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   ショパン  バラード第3番 変イ長調 op47

        Pf:マウリツィオ・ポリーニ

                (1999.4 @ヘラクレスザール、ミュンヘン)


ショパン、なぜにあなたは、ショパンで、ショピンでないの?

Choinをショパンと読んで、Chopanでない件。

フランス語なのか、ポーリッシュなのか?

それはともかく、なんだかなんだでショパンは大好きですよ。

ロマン派の時代、ベートーヴェンより40歳若いだけ(1810~1849)。

外観上の形式はきっちりと守られているけれど、こんなにフリーダムに内面を綴った作曲家という意味で後年のマーラーみたい。

4曲からなるバラードは、同じく4曲からなるスケルツォとともに、ショパンの音楽の骨格をなす作品群だと思います。
それぞれに、作曲時期は異なりますが、スケルツォはベートーヴェン以来あった、ある意味伝統的な形式。
でもバラードという形式は歌曲の分野以外は、具体的にはほかにないのでは。
そしてショパンはこのバラードに自由な楽想をそれぞれに封じこめました。
4つとも全部違う。
そして、物語を語るうえで3拍子というのは必定で、4曲ともに3拍子。
それぞれに、物語的な背景を持っていて、無題ながら標題音楽という隠れた側面もあり。
それらを踏まえて聴く、ショパンの技巧性に富み、抒情と激情があいまみえる音楽に、ピアノの枠を超えたオペラティックな世界に通じるものを、わたくしは感じるのでありました。

今宵は3番変イ長調を。

1841年31歳の作。ポーランドの詩人ミツキエヴィチの詩「水の精」によるもの。

「美しい少女に恋した騎士。でも心変わりをしてしまい、あるとき湖の底に飲まれる」

水の精に恋した騎士の物語。

ショパンの抒情的な、そしてバルカローレ(舟歌)のようなリズムが心地よく、哀しくも美しい音楽です。

ときおり唸るようにして歌いまくるポリーニのショパンは、きっちりと完璧な一方で、歌謡性が高く、わたくしには絶品という言葉しか浮かびません。

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2013年2月 2日 (土)

ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」 ポリーニ

Roppongi_vuitton

六本木けやき坂にある、ヴィトンのお店のウィンドウ。

ガラスにイルミネーションが映ってますよ。

ブランド品には縁はありませんが、冬のここ一帯の美しさは東京随一でしょう。

でも頭寒そう。人ごとじゃありませんから・・・・・・。

Stravinsky_pollini

   ストラヴィンスキー  「ペトルーシュカ」からの3章

         Pf:マウリツィオ・ポリーニ

               (1971.9 @ミュンヘン)


バレエ音楽「ペトルーシュカ」からのちにストラヴィンスキー自身によって、3つのシーンを選び出し、ピアノ作品としたもの。

原曲バレエもピアノの活躍が目立ち、録音によってはビッグネームがそのピアノを担当してたりもしております。
小澤盤のティルソン・トーマスや、デュトワ旧盤のヴァーシャリとか。

でも、こちらのピアノ版はオケ部分もピアノにそなまま転じているため、難解このうえないとされてまして、聴いててどうやって弾いてるんだろ的な箇所もいくつもあります。
そう、ピアノ1台で、それこそオーケストラを兼ねてるような。

  「ロシアの踊り」
  「ペトルーシュカの部屋」
  「謝肉祭の市」


謝肉祭の場面の後半のピアノが活躍する「ロシアの踊り」から快活にスタート。
2章は、サーカス小屋の部屋で、悶々と、でもバレリーナへの憧れも。
だんだんと盛り上がり、ついに恋破れるさまの音の展開はまったくスゴイものです。
そして3章は、楽しいお祭りの様子。だんだんとピークの爆発に向かってゆくワクワク感はオーケストラ版に同じで、緩急と悲喜の対比はピアノ版の方がクッキリと明確。
そしてついにクライマックスに達し、ピアノ1台にこんなに興奮している自分を見出します。
急転直下のエンディングでは、ペトルーシュカの悲劇的な死をも思わせます。

それもこれも、このポリーニの超名演を聴くがゆえ。
この演奏はまじでスゴイ。
完璧という言葉が絵空ごとに感じてしまうくらいに、その上ゆく存在の演奏。
凄まじい技巧と、正確無比の強靱な打鍵。
硬質でありながら、しなやかで、音色も怜悧であり、明晰。
ショパンコンクール優勝後、しばらく現世から離れ、DGに電撃的にデビューした最初の1枚だと記憶します。
カップリングのプロコフィエフも戦争ソナタもクール極まりない名演でありました。

いやはや、久しぶりに、ポリーニのかつての本領を聴きました。

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