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2025年8月29日 (金)

ディーリアス 「アパラチア」 ヒコックス指揮

Benten

隣町にある湿生公園。

子供の時、ここは特別な場所として、よそ者が来るのを拒むような独特の雰囲気があり、どこか神聖な思いをいだいていた。

当時は、こんな風に整備されてなくて神社を囲む水辺は変わらないが、ただ緑と水だけの場所だったと記憶します。
春には桜が咲き、レンゲで色どりもよくなり、雲雀が高いところで囀る、まさに楽園でしたね。

私の思い出の心の心象風景のひとつです。

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  ディーリアス 「アパラチア」

   リチャード・ヒコックス指揮

             Br:ジョン・シャーリー=クヮーク

     ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
     ロンドン交響合唱団

      (1980.4 @キングスウェイホール)

ディーリアス(1862~1934)
その活躍時期は、まさにマーラーと同時代で後期ロマン派。
イギリス音楽のくくりで、ビーチャムが擁護者としてその名を広めることに尽くしたので、イギリス人とも思われるが、両親はドイツ人。
生まれと育ちがイギリスなので、イギリスの自然や風土がまさににじみ出ている音楽が多いけれど、実際のディーリアスはコスモポリタンな存在の人だった。

ドイツやフランス、北欧をまわって音楽仲間と交流し、奔放な生活を過ごす前、自分の跡を継がせたかった父は、息子にアメリカに向かわせプランテーション経営を学ばせることとなる。
その新天地アメリカでディーリスは逆に自由を謳歌し、そしてアメリカの風物や新しい音楽も吸収してゆく。
1884年、ディーリアス22歳のとき。
フロリダ州のオーランドの北部あたり、地図を見たらオレンジ・シティという名の街もあり、ディーリアスのおた往時が偲ばれます。
セントジョンズ川という大きな河川があり、そこを見下ろせる場所だったらしい。
フロリダで想像できるように、原生林や熱帯林、そこにたゆたう河にはきっとワニなんかもいたであろうし、まだまだ開拓前のワイルドさだった。
肝心のプランテーション経営には興味を示さず、フロリダの異世界のような自然に魅せられ巡り歩いたらしい。
当時は、まだまだ奴隷制度の名残もあり、黒人社会だったなかに白人はごく少数で、ディーリアスも黒人の使用人とともに生活をしたようだ。
その彼がバンジョー片手に歌う歌の数々は、ディーリアスの脳裏にしみついたのでした。
わずかに2年ほどのアメリカ生活を切り上げ、ニューヨークから故郷に帰還。
そのあとは、もう音楽家への道まっしぐらで、ライプチヒに向かってしまうディーリアス。

アメリカ体験から10年以上を経過し、忘れられないアメリカで聴いた黒人たちの歌をもとに、オーケストラのための変奏曲を書くことを思い立った。
構想の実現には苦戦をし、その間にオペラや多くの我々の知るディーリアスの作品の数々が作曲され、1902年についにこの作品を完成。
自分が見てきたアメリカの湿地帯や熱帯林の印象、かつての奴隷たちの歌、そうしたものを、黒人民謡を主題とした合唱つきの変奏曲としたのがこの作品。
フロリダとアパラチアとは、まったく関連性なく思えますが、原住民インディアンの言語でいくとアメリカ大陸全体を意味するのが「アパラチア」ということになるらしい。

以下は過去の記事を再掲します。

38分あまりの大作、ディーリアスらしい詩的な雰囲気と、懐かしい過去への思いに満ちていて、どこかで聴いたような、どこかで見たような音の光景がここにある。
序奏と14の変奏、そしてフィナーレからなっているが、要所で合唱が、そして最後のフィナーレの盛り上がりでは、バリトン独唱と合唱が相和して歌う。
その基本旋律が「Oh honny, I'm going down the river in the moning」というかつて聴き、忘れがたかった黒人の歌。

序奏が印象派風ですばらしい。
朝もやのなかに、アメリカの川辺の湿原が浮かび上がってくるかのような雰囲気が醸し出される。
やがて、この曲のモットーである基本旋律が、コールアングレで歌われると、もう聴く者を望郷への世界へと誘ってくれる懐かしサウンドだ。
この旋律さえ気にいって覚えておけば、全曲が楽しく聴くことができる。
いろいろ姿を変えつつ展開され、それぞれに味わいがあるが、最後のクロージング場面が感動的。

あの旋律を木管が歌い、バリトン独唱が「Oh Honny・・・」歌い出すと合唱がすてきな合いの手を入れる。
快活な朝、そしていましもやってくる夜明けをのときを歌い、おおいなるクライマックスとなる。
このクライマックスに対し、オーケストラは、静かに、静かになってゆき、音を失ってゆくにして消えるようにして終わってゆく。

アメリカという国、白人の植民地支配から生まれた国。
そこにはインディアンもいたし、望郷の思いを寄せる遠い故郷を持った黒人もいた。
いまの病める世界の覇権国、巨大な異民族国家となったアメリカと、100年以上前のディーリアスの見たアメリカ。
黒人たちの哀しくも愛にあふれた歌、水辺の大自然・・・・
ディーリアスの描いたアメリカは、美しくも切ない。

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(Thomas Moranというイギリス生まれのアメリカの画家の書いたセントジョンズ川
 年代的にディーリアスのいた頃とかぶるので、きっとこんな景色を見ていたんだ)

バルビローリとA・デイヴィス、リチャード・ヒコックスの3種の音源を聴いてますが、今回は、息子アダムの指揮に接したばかりなので、父親ヒコックスの指揮で聴きました。
ジャケットは拾い物を拝借しましたが、「海流」とカップリングされているので、そのイメージが先行してますが、アーゴレーベルの洒落たデザインです。
オーケストラが、ビーチャムがディーリアスを多く指揮したロイヤル・フィル、合唱はヒコックスが育てたLSOの合唱団ということで、実に味わい深い組み合わせであり、演奏もまた滋味あふれるものです。

いつしか息子氏も、こんな風にディーリアスを指揮してくれる日が来ますように。

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80年代はじめにEMIから発売されたディーリアスの一大アンソロジーのレコード。

バルビローリのアパラチアのジャケットです。

このシリーズはターナーの幻想的で茫洋な世界がすべてに使われ、いま思うとレコードはほんとに芸術品のようでした。

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2025年8月25日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ヒコックス指揮

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盛夏も終盤、サントリーホールのお花も秋めいた色合いになりました。

でもしかし、連日の猛暑はこの日も容赦なく、木陰を選びながらゆっくりとホールにアプローチしました。

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         東京交響楽団 第733回 定期演奏会

 リャードフ 交響詩「魔法にかけられた湖」op.62

 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18

 チャイコフスキー 「四季」~10月『秋の歌』

      Pf:谷 昴登

 ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ホ短調 op.93

           アダム・ヒコックス指揮 東京交響楽団

                      コンサートマスター:小林 壱成

       (2025.8.23 @サントリーホール)

真夏のロシアプログラム。
指揮するは、イギリス生まれの新鋭。
1996年生れ、2019年指揮デビューのアダム・ヒコックス。
幣ブログには、「ヒコックス」のタグがすでにありまして、そう、イギリス音楽と合唱音楽の伝道師の故リチャード・ヒコックスの息子がアダムです。
英国音楽好きのワタクシですから、父ヒコックスはかなり多く聴いてきましたし、未知のイギリス作品もヒコックスのおかげで開拓できたり、好きになったりしたものです。
父は1948年生れで2008年に60歳という早すぎる痛恨の死を迎えてしまったわけですが、アダムは父が48歳のときに生まれ、12歳のときにその父を亡くしてしまってます。
だから、父親の音楽に接したのはあまり長い期間ではないはずですが、逆に父からするとその年齢での息子は、ほんとうに可愛かったでしょう。

息子アダムがいて指揮者になったのを知ったのはほんの3年前。
日本からでもまだ自由に聴けたBBC Radioにて、彼の名前を見つけたのです。
アルスター管を指揮してのシベリウス5番でしたね。

そしてまさかこんなに早く、彼の指揮姿に接することができるなんて。
ノット監督の人脈や東響さんの目利きのよさに感謝です。
1999年に父リチャードと新日フィルの演奏を聴いてまして、これは何度か記事にしてますが、同時にプレヴィンもN響にやってきて。まったく同じ曲目をやりました。
私は、ヒコックスはブリテン「春の交響曲」を、プレヴィンはRVWの5番を選択しましたが、いま思えばすべてを聴くんだった。

けっこうダイナミックな指揮をするな、と思った父親の方の指揮姿。
そして、颯爽と登場したスラっとスリムな息子アダム。
ときおり見せる横顔は、26年前の父リチャードにそっくりでした。
風貌は、これもまた2世指揮者のマリス・ヤンソンスの若い頃にも似てます。
指揮は、同世代の若い指揮者がダイナミックに動きまわるのに比し、かなり抑制的で動きは少なめ、しっかり拍子をとり、長い左手の表現力も豊かで、表情も印象的で、総じて根っからの指揮者だな、と思わせるナイスなものでした。

1曲目に珍しいリャードフの作品を持ってくるあたり、なかなかの選曲です。
かつてコンドラシンがN響に来た時に指揮した曲で、いまでもそのエアチェック音源は聴いてまして、ロシアの後期ロマン派風の幻想味ゆたかな静かな音楽。
ディーリアスやアイアランドを思わせるような詩的な素敵な作品を丁寧に美しく演奏したアダム&東響、暑くてほてった身体がクールダウンした心境でした。

その名も初の谷 昴登クンの鉄壁のラフマニノフには驚きました。
これもまたヒコックスの指揮と同じく、若さにまかせた演奏ではなく、音楽に共感しつつ、一音一音丁寧に弾くスタイルと思いました。
それが抜群の技巧の裏打ちされたうえで弾かれるラフマニノフの歌と抒情。
だからとりわけ第2楽章の静かな中に秘めた感情が徐々に高まっていくのが奏者・指揮者ともに素晴らしく、耳にタコ状態のラフ2だけれども、心から感動した。
3楽章でのスリムな若いふたりのスマートな演奏が、これも見事な高まりをみせて圧巻のピアノとオケの大トウッティ、とくにオーケストラの皆さんは身体を揺らしつつ感じ入りつつの演奏で、聴くこちらも大感動。
久しぶりに若くてフレッシュなラフマニノフを聴かせていただきました。
アンコールのチャイコフスキーが、ラフマニノフの先取りのような抒情的な作品で、とても洗練されたアンコールを選んだものだと感心。
ホールを静寂につつみこんで、ピアノの一音一音が愛おしくも感じる、そんな素敵な演奏でした。

1953年のショスタコーヴィチ10番は、ソ連当時大いなるイデオロギー論争となったという作品ではあるが、いまはそんなことはまったく関係なく、ショスタコーヴィチの人気曲のひとつとして世界中で演奏されている。
1954年に、この曲を日本初演した東京交響楽団を29歳の若いイギリス人が指揮をする。
これぞまさに、時代の流れと、この曲およびショスタコーヴィチの受容の歴史を感じさせます。

腕の長いヒコックスの指揮は明快で、素人目で見ていても拍子もわかりやすく、動作の若さと説得力があり、気持ちのいい指揮ぶりです。
曲の半分近くを占める長大な1楽章は最初から最後まで、ヒリヒリした緊張感が途切れず、何度か訪れるクライマックスへの持って行き方も落ち着いていて堂々たるものだ。
またDSCHの様々な萌芽も、よく聴きとれる明快さもあり。
精緻なアンサンブルを誇る東響の実力も、この楽章では存分に発揮され、また木管群のそれぞれのソロも最高でした。
 煽ることなく、せかされることもなく、着々と進行させた2楽章は、とても音楽的でオーケストラの動きがこんなによく聴こえたのも驚き。
かつて聴いたことのあるゲルギエフとマリンスキーの演奏は、快速特急でなにも引っ掛かりのない演奏だった。
 この曲で一番不可思議さただよう3楽章だが、ホルンソロのつややかな素晴らしさに感銘。
この楽章に様々な意味合いを見出し、解釈するなどということはせず、若いヒコックスは、楽譜の面白さをそのままに素直に音にしてしまった感があり、優秀なオーケストラあってのものだろう。
ここでも猛然とクライマックスに突き進むヶ所があるが、ヒコックスは落ち着き払ったもので、何度も登場するエルミーラのモティーフの強弱、遠近の付け方、聴こえ方も秀逸でありました。
 物悲しい4楽章の出だし、きっかけを求めて、まるで何かを模索しつつ進むところ、いろんな楽器のつぶやきがそれぞれに面白い。
素っ頓狂なクラリネットから急速展開するところは、オケもうまいし、アダム君のノリの良さも抜群でリズム感も素晴らしい。
ショスタコーヴィチのピッコロの使い方は、どの曲でもほんとうまいね、とか思いつつ、もうこちらも興奮収まり切れず、どきどきワクワクがとまらん。
こうしてDSCH高鳴る圧巻のエンディングへと突き進むのですが、ほんとにちょっと欲をいえば、もっとはじけてもよかったかも。
でもインテンポぎみに着実なラストを築き上げたヒコックスの実力は並々ならないと感じましたね。
楽譜に忠実に、ある程度の客観性も備えた演奏だったかと思います。

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ホールは大喝采でブラボーも多数飛んでましたし、気が付いたら、わたくしも参加してましたよ。

ちなみにジョナサン・ノットと東響の同じ10番を改めて聴いてみましたが、やはりノットは凄かった。
スピード感、音楽の流れの自在さと迫力、緊迫感など・・・

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父リチャードの数々の音盤を愛する私に、またひとつ楽しみができました。
手持ちの放送音源には、ウォルトンのペルシャザールがあり、合唱の扱いや自国物へのリスペクトなど、父親譲りのものがあります。
オペラにも積極的で、ドニゼッティやヴェルディ、プッチーニをとり上げているほか、ヴァインベルクの作品まで指揮するなど、本格派です。
まだまだ若いアダム・ヒコックス、無理せず着実に伸びていって欲しいと思いますね。

ポストとしては、グラインドボーン・シンフォニアの首席のほか、ノルウェーのトロンハイム響の指揮者にこの9月から就任します。
グラインドボーンは夏の音楽祭はティチアーティが音楽監督でロンドンフィルがレジデンツオケになりますが、秋のシーズンでもオペラ上演があり、そこでのオーケストラの指揮者ということになります。
さらにオペラのオケでもあるトロンハイムは、腕を磨くのに申し分のないオケでしょう。

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鳴りやまぬ拍手に応えてひとり登場のヒコックス。
こうしてみると、ほんとに若くてあどけなさも感じます。
同じ2世指揮者、ヴィオッティが音楽監督となる東響の常連指揮者になって欲しい。
そして父譲りの英国音楽などをじっくり聴かせて欲しい。

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2022年10月12日 (水)

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲&南極交響曲

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9月最初の頃の吾妻山。

ここはコスモスが早く咲きますが、今年はやたらと早くて7月の終わりごろから咲き始めて、お盆明けにはもう萎みはじめてしまいました。

やたらと暑かった今年の夏、いろんなことがありましたが、季節の巡りがどんどん早くなっているような気がしてなりません。

今年はヴォーン・ウィリアムズの生誕150年、そして10月12日が誕生日です。

9曲ある交響曲、いずれも個性的な作品ですが、その様相からいくつかのカテゴリーに分けることができます。

田園情緒あふれる抒情的な3番(田園)と5番はすでに記事にしましたが、今回は描写的なスクリーンさえ思い浮かぶような作品をふたつ。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第2番「ロンドン」

    リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

       (2000.12.19 @オール・セインツ教会)

ロンドンという巨大な都市の一日を描いた交響曲。
過去記事を手を入れながら。
この街の風物や、住む人を通して描いてみせた4つの楽章のがっちりした立派な構成のちゃんとした交響曲。

英国作曲家たちを語る上で、二つの世界大戦の影響は避けては通れない。
長命だったRVWゆえに、二つの戦争が影を落とした作品も多く、そのひとつが「ロンドン交響曲」で、第一次大戦開始直前に書かれていて、このあと従軍してフランスで活動もしている。

活気ある都会を描きつつも、終楽章では失業者であふれるロンドンの様子が陰鬱にも表現されていて重苦しい気分にさせる。

第1楽章「テムズ河畔のロンドンの街の夜明け~市場や街の朝の雑踏」
第2楽章「大都会の郊外の静やかな夕暮れ」
第3楽章「夜想曲~夜の繁華街」
第4楽章「不安な大都会~失業者の行進」

活気あふれる都会が目覚め、生き生きとしてくる場面を巧みに描いた1楽章。
第2楽章の抒情的な音楽は、RVWならではで、3番や5番と同じ雰囲気もあり、これを聴きながら、先に崩御されたエリザベス女王を偲ぶこともできる。
夜の雑多な雰囲気を感じさせる3楽章もロンドンの街の姿だろう。
暗い雰囲気の4楽章、途中、雑踏のにぎやかさもぶり返すが、最後はまた不安に覆われ、ウェストミンスター寺院の鐘が鳴りつつ静かに終わる・・・・。


都会は賑やかで華やかだけど、その陰には不安もいっぱい。
時間だけが流れるように通り過ぎてゆくのも、いまの都会は同じく。

ヒコックスは、7番「南極」と9番を残して急逝してしまったが、シャンドスに残した残りの交響曲は、いずれも精度の高い、RVWへの共感あふれる名演ばかりで、おまけに録音も極上。
このロンドン交響曲の録音では、RVWが作曲ののちに手をいれて軽減化してしまった現行の通常版でなく、作曲当時の原典版による録音であることが画期的。
 その相違は、繰り返し的に現れる展開をもっと簡略化し、全体の演奏時間も10分ほどスリム化した現行版に対し、各楽章にいろんな局面で繰り返しやモティーフの追加を行っているのがオリジナル版。
聴き慣れたこともあるが、通常版のほうがスムーズだし、曲のイメージはストレートに伝わってくる。
でも、大きな違いは2楽章の悲しみの発露がより大きいことと、終楽章がくどいことを通り越して、ロンドンという街の大きさを巧ますじて表していること。
全体で、10分以上長い原典版。
その分、深刻さも増してます。

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   ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第7番「南極」

      S:シーラ・アームストロング

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       (1984.11 @アビーロードスタジオ)

R・シュトラウスばりの標題性豊かで、写実的な交響曲。
「アルプス交響曲」の南極バージョン。
オルガンがギンギンに鳴って大氷河の絶壁や孤高の絶景を思わせるし、ウィンドマシンも極めて寒々しい効果をあげている。
さらに、ひょこひょこ歩きのペンギンまで巧みに模写される。
ヴォーン・ウィリアムズは多彩で、教会音楽やミサも残しつつ、シンフォニストでもあったし、オペラ作曲家でもあった。
エルガーとの違いはオペラ。
具象的な劇作品の有無においてまったく違うが、英国を愛することではまったく同じ。

多彩なRVWの9つの交響曲のなかでも、いちばん交響詩的かつ映画音楽風。
「南極のスコット」という映画につけた音楽をベースに自身で5楽章編成の交響曲に編み直した交響曲

作曲者はこの作品に「Sinfonia Antartica」というイタリア語の表記を与えた。
1951年、80歳という年齢での作品!
映画は1912年に南極点を目指したイギリス、スコット隊の遭難の悲劇を描いたものだった。
このスコット隊に先んじること1ヶ月前には、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点に到達していて、アムンゼン隊は極点のみをひたすら目指したのに対し、スコット隊は学術的な研究や観察を経ながらの進行ゆえに時間の差と悲劇の遭難が生じたと言われる。

大編成のオーケストラによる「南極」の描写音楽という要素に加えて、大自然に挑む人間の努力やその空しさ、最後には悲劇を迎えることになり、その死を悼むかのような悲歌に終わる。
描写音楽に人間への警告も加えたような、こんな一大ページェント作品なのだ。

 シュトラウスのような楽天的な派手さはなく、常にミステリアスで、神秘の未知との出会いと危険のもたらす悲劇性に満ちた交響曲になっている。
氷原を表わすような寒々しく冷気に満ちたソプラノ独唱や女声合唱、おまけに滑稽なペンギンや鯨などの驚きの出会いが表現される。
怪我をした隊員が足手まといになることを恐れ自らブリザードの中に消えてゆくシーンまで、こんな悲しい場面もオーボエの哀歌を伴って歌われている。
 最終楽章では、大ブリザードに襲われ隊は壊滅をむかえてしまう。
嵐のあと、またソプラノや合唱が寒々しく響き、荒涼たる寂しい雰囲気に包まれる。
ウィンドマシンが空しく鳴るなか曲は消えるように終わってゆく・・・・

アルプス交響曲と南極交響曲をともに録音したのはハイティンクが随一だろう。
アルプス交響曲にいたっては、手持ちの音源で、コンセルトヘボウ2種、ベルリンフィル、ウィーンフィル、シカゴ、ロンドンなどとの演奏を手持ち。
それらの演奏がカラヤンのように、巧みに聴けせるのでなく、かっちりとした交響曲として壮大に起立するかのような存在として聴かせたのがハイティンク。
南極交響曲でも、探検隊彼らへのレクイエムのように慈しみを持ちつつも冷静な演奏に徹していて、長く聴くに相応しい普遍的な演奏となりました。

希望が無限なように思われる苦難を耐え忍ぶこと。
ひるまず、悔いることなく、全能と思われる力に挑むこと。
このような行為が、善となり、偉大で愉しく、美しく自由にさせる

これこそが人生であり、歓喜、絶対的主権および勝利なのである」(シェリー詩)
こちらが1楽章への引用句。

「私は今回の旅を後悔していない。我々は危険を冒した。
また、危険を冒したことを自覚している。
事態は我々の意図に反することになってしまった。
それゆえ、我々は泣き言を言ういわれはないのだ。」
  
遭難後、発見されたスコット隊長の日記。
終楽章に引用された一節。

いまの地球人にはこんな書き込みはできないだろう。
自然を制覇し、思いのままにできると思ってしまっている。
日本の山々を切り崩して行われる再生可能エネルギーなんてマヤカシものにしかすぎない。

RVWの描き、感じた自然への脅威を、人間は忘れてはならないし、自らが造った都会の暴走も意識しなくてはならないだろう。

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冠雪まえのブルーな富士。

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2015年9月12日 (土)

アルウィン 交響曲第1番 ヒコックス指揮

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絞りの調節に失敗してしまい、チョコレート色のコスモスが、まっ黒になってしまいました。

いつも散策する、このお気に入りの公園は、その一角が、英国庭園風になっていて、ちょっとほったらかしのワイルド系なとこもいい。

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  アルウィン    交響曲第1番

     
サー・リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

                 (1992.20@トーティング、オールセインツ教会)

ウィリアム・アルウィン(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
 その同時代人たちと比べ、さらに、つい最近まで存命だったことなどを思うと、その作風は、保守的でさえあります。

 そして、同時に、しばしば書くことで恐縮ですが、アルウィンは、英国抒情派の作曲家のひとりでもあります。
わたくしの思う、その抒情派は、ほかに、V・ウィリアムズ、アイアランド、バターワース、フィンジ、ハウェルズ、、モーラン、ラッブラなどです。

こうした田園風な抒情を持ち合わせている一方で、ウォルトンやティペットのようなダイナミックな部分をも持ち合わせていて、なかなかに多彩な側面のある作曲家であります。

さらに、アルウィンは、映画音楽もかなり残していて、劇的、心象的な音楽造りの才能をうかがわせます。
 同じくして、映画音楽とクラシックのジャンルを縦横に行き来した作曲家として、RVW、ブリス、ウォルトンなどが、英国作曲家として思い浮かびますが、今回の1番の交響曲を聴いていると、わたくしは、コルンゴルトを思い起こしてしまいました。
 あふれる歌心と、抒情の煌めき、そして、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの鳴りのよさ。
そう、コルンゴルトの長大なあの交響曲です。

アルウィンは、フルートの名手でもあり、ロンドン響の首席でもあった時代もありました。
そんなことからか、あらゆる管楽器、そしてもちろん、ヴァイオリンやピアノのための協奏作品を多く残し、同様に、そうした楽器による室内楽作品もいくつか書いてます。

そんな、どちらかといえば、少し規模の小さめの作品たちや、映画音楽を書いていた当初のアルウィンですが、世界大戦後、1950年に、一念発起して、本格交響曲に取り組み、完成させました。
これまでの、作品から、一歩も二歩も踏み出したアルウィンの心境は、のるかそるかぐらいの、チャレンジングなものだったといいます。

バルビローリの指揮するハルレ管により、チェルトナムで初演されたとき、聴衆も、評論家も、大変好意的にこの曲を迎え、バルビローリに至っては、次の2番の交響曲をオーダーするほどの思い入れを持ったのでした。
 45歳のアルウィンは、こうして、本格クラシック作曲家として自他ともに認められ、以降、交響曲を5つ、オペラを二つと、英国音楽に、その足跡を残したのでした。

曲は、それぞれ10分あまりの規模の、正統的な4つの楽章から構成され、全曲で40分。
 やや暗めのアダージョで開始する第1楽章から、最終楽章の爆発的な解放感と明るさは、まさに、暗から明へという、交響曲の伝統にしっかり則っております。

しかし、なかでも、緩徐楽章たる第3楽章が、絶美といっていいほどの存在で、いつまでも、ずっとずっと浸っていたい美的・静的な世界であります。
ともかく、メロウで、そのきれいなことといったら、クリスタルの世界でもあるんです。

中間部が、優しく、抒情的な第1楽章は、ちょっと映画音楽的。
ホルンの咆哮もかっちょええ。
 打楽器大活躍のリズミカルな第2楽章は、スケルツォ的な存在。
そして、あの美の第3楽章があって、終楽章は、明るく輝かしい。
Allegro jubilanteと表記されてます。
これまでの、各楽章を振り返りつつ、コーダは、壮麗かつダイナミックの極みとなり、聴き手に結末感を大いに抱かせつつ、超スペシャルなエンディングとなります。

ヒコックスと、作曲者ゆかりのロンドン響の充実の演奏で。

 アルウィンは、画才にも秀でた人で、シャンドスはそのすべてに彼の描いた風景画を用いておりました。
この1番のジャケットは、「ダルトムーア」と題された素敵な作品。
イングランド南端、花崗岩におおわれ、ケルト臭も満載の神秘的な地が、ダルトムーアです。
行ってみたいものです。

アルウィン 過去記事

 「リラ・アンジェリカ」

 「交響曲第5番」

 「リチャード・ヒコックスを偲んで」

 「オータム・レジェンド」

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2015年7月 3日 (金)

ヴォーン・ウィリアムズ 「ドナ・ノビス・パーチェム」 ヒコックス指揮

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大磯町の高麗山と夕陽。

隣接地、湘南平は、子供の頃の遠足の地でしたが、このあたり一帯は、高句麗からの来訪者が住んでいたり、高麗寺が、家康に保護されたりと、歴史的にもゆかしい場所であります。

なにより、そして、容がいいです。

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  ヴォーン・ウィリアムズ カンタータ「ドナ・ノビス・パーチェム」

                    ~我らに平和を与えたまえ~


     S:イヴォンヌ・ケニー    Br:ブリン・ターフェル

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

                      (1992.3 @アビーロード・スタジオ)


レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)は、クラシック音楽のあらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残した作曲家です。
運命の数字の9曲の交響曲に、お馴染みのグリーンスリーブスや、タリスなどの管弦楽作品、協奏作品、室内楽、器楽に、オペラ複数曲、そして歌曲や声楽曲も多数。

ふたつの世界大戦を体験し、その影が、その作品たちにはうかがえることもしばしば。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽も。

RVWの音楽は、もっともっと聴かれていいと思います。

そんな曲のひとつが、今日の声楽作品である、カンタータです。

「ドナ・ノビス・パーチェム」は、バターフィールド合唱協会の委嘱により作曲され、1936年10月に初演。
英国は、大国として、世界に植民地政策を敷いていた時期でもありながら、徐々に、その国力も衰退の色が出てきて、一方で、20年前の敗戦国、ドイツでは、ヒトラーがすでに政権を握り、この年の8月には、「ヒトラーのオリンピック」と言われた、ベルリン・オリンピックが行われております。
 ちなみに、日本では、2・26事件が起きた年でもあります。

そんな不穏な空気が、少しづつ流れつつあった世界。

ヴォーン・ウィリアムズは、このカンタータに、戦争の悲惨さや哀しみ、そして平和を祈る気持ちを、しっかりと込めました。

最初に、言います、自分の気持ち。

「この作品は、ほんとうに、美しく、感動的です。
泣きます、思わず、手を合わせてしまいます・・・。」

6つの部分からなるこのカンタータは、続けて演奏されます。
全体で39分。

ラテン語による典礼文、聖書、そして現代詩が交互に、または混合されて出来上がっている。
それは、まさに、後年のブリテンの「戦争レクイエム」を思わせる構成となっていて、そちらがそうであったように、祈りと悼み、そして戦争の辛さを、われわれに訴えかける力が極めて強く出来上がっていると思う。
 そして、詩の方は、RVWの作品に多くあるように、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の作品から取られております。

①「アニュス・デイ」・・・静かに、でも痛切な思いを込めて、ソプラノがアニュス・デイと歌い始め、ドナ・ノビス・パーチェムと、この曲の各章の締めに歌われるタイトルを表出する。
やがて、合唱も同じように静かに入ってきて、さらに悲しみを強く持ちながら強い音の場面となってゆく、ラテン語による第1章。

②「叩け、叩け、太鼓を」・・・・ホイットマン詩、米南北戦争時で、実弟が戦地にあり、それを思って書かれた詩。
RVWは、英国にあって、第一次大戦での思いを、この詩に重ね合わせた。
 この章は、レクイエムにおける、「怒りの日」に相当するような雰囲気で、不吉なラッパから始まり、急に激しい咆哮となり、オルガンも加わってダイナミック。
教会の中での集まり、結婚式、それらの平和な日常生活に、ドアをぶち破って、戦争へ導く太鼓や行進の響きが轟く・・・そんな詩の内容。

③「Reconcliation~和解」・・・・こちらも、ホイットマンの詩。
繊細なヴァイオリンソロにより始まるこの章は、静かで、心に沁みわたる曲調で、RVWの抒情の世界が味わえる、ほんとうに美しい音楽。
バリトンのソロと、エコーのような合唱。
 「青空は美しい、美しいから戦争も、虐殺も、時間が経過すれば、きれいに忘れられる。死と夜の姉妹の手は、たえず優しく、何度も繰り返し、この汚れた世界を洗ってくれる・・・・」

なんて、哀しいんだろ。

人間の編み出す悲惨な戦争や殺し合い、でも、どんなときにも、変わらぬ自然の美しさ。。。。

この美しい章の最後には、また、「Dona nobis percem」が歌われます。

④「二人の老兵のための哀歌」・・・・ホイットマンの詩集「草の葉」から。
この詩に寄せた曲は、1914年に書かれていて、それが転用されている。
そして同年、朋友のホルストも、この詩に、素晴らしい作品を書いてます。
 行進曲調の太鼓、低弦のピチカートに乗って歌われる合唱だけの章。
前章の戦時の太鼓の響きを引き継ぎ、息子に語りかける老兵、月の静かな光のもと、銀色に輝く横顔、それが天国では、明るく輝くだろうと・・・・。
淡々としたなかに、悲しみと、諦念が滲んだ桂章。

⑤「死の天使が、地上に舞い降りた」・・・・・英・仏・露・土で行われたクリミア戦争(1853~6)に反対した、政治家、ジョン・ブライトの反戦の名演説を、バリトン独唱で、無感情に。

 合唱とソプラノで、強い「Dona nobis percem」を挟んで、旧約のエレミア書から。
「われわれは、平和を望んだが、よいことはなかった・・・、民の娘は、いやされることがないのか。」

ここでも、繰り返し、争いの無情さを訴える章。
でも、音楽は、少しずつ、明るい兆しが。。。

⑥「おおいに愛される人々よ、恐れるには及ばない」・・・・安心しなさい、心を強くし、勇気を出しなさい。 旧約ダニエル書から。
後光が差すかのような厳かなバリトンソロで開始。
「わたしは、この場所に栄光を与える・・・」と同じくバリトンソロによる主の宣言、これは、旧約のハガイ書。

次いで、合唱で、ミカ書、レビ記、詩篇、イザヤ書、ルカ伝と、合唱が歌い継いでゆく。
平和・平安を思わせる空気が充満し、じわじわと盛り上がり、高まる感動に乗せて、ついには、栄光をと歌う!
 そして、曲は、最後に、急速に静まり、「Dona nobis percem」が、ソプラノ独唱で繰り返されるなか、合唱が絡み合い、オケは鳴りをひそめ、アカペラで進行する終結部。
 思わず、ここで手を合わせたくなる心の祈り。
Percemを繰り返すソプラノが、静かに消え入り、この天国的に美しい章は消えてゆくように終わり、優しい気持ちにつつまれて、ひとときの心の平安を味わうこととなります・・・・・・・。

でも、すぐに現実に引き戻され、喧騒と情報の渦に引き込まれる、そんな現代人なのです。

 ヒコックスの献身的なまでの感動的な指揮ぶりが、よくわかる名演。
手塩にかけたロンドン響コーラスの見事さ。
英国ソプラノの典型とも呼ぶべき、無垢でピュアなケニーの美しいソプラノ。
後の威圧的な声が想像できない、ピュアなターフェルのバリトン。
素晴らしい曲に、素晴らしい名演だと思います。

ブライデン・トムソン、ボールトの演奏も、いつか聴いてみたいと思ってます。

そして、この作品と似たような構成を持ち、ヨハネに題材を求めた「聖なる市民」が、この音盤にはカップリングされてまして、そちらもいずれ取り上げましょう。

もうひとつ、RVWのオペラも、一作を除き、ほぼコンプリートしましたので、時間はかかりますが、ゆっくりと書いて行きたいと思ってます。
すでに取り上げたお気に入り作品は、「毒のキッス」でして、これまた怖いタイトルにもかかわらず、愛らしいオペラなんですよ。(過去記事→

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2014年11月14日 (金)

スタンフォード 「スターバト・マーテル」 ヒコックス指揮

Sengakuji_b

こんなちょっとした心遣いが、美しい。

先日、お散歩した泉岳寺の義士たちの墓石に、それぞれにお花が経向けられておりました。

都会にありつつ、一歩中に入ると静かなエリア。
このあたりから、三田にかけては、寺社がたくさんあります。
そして、低層住宅も混在していて、閑静な場所です。

その泉岳寺の山門の真横に、8階建てのマンションの建設が始まってまして、周辺の方々は、景観の観点から、工事と計画の見直しを陳情してます。
建築基準法上、また、条例上も、適法であるため、区では許可範囲なので、どうしようもない状態になってます。

土産物屋さんで、反対署名をして、お話も伺いました。
計画者は、さほどの大手ではないので、なかなか止めることはできないだろう。
上階二つがファミリーで、あとはワンルーム。
せいぜい、3階建てぐらいまで。
彼らは、マスコミに取り上げられるのを一番嫌がっている・・・

都市計画は、時の流れとともに、さらに地域性もそのメッシュをことさらに細かく付与するべきかと。
住民による、審査請求も提出されました。

 参考 守る会  http://sengakuji-mamoru.jimdo.com/

Stanford_atabat_mater

  スタンフォード 「スターバト・マーテル」

    S:イングリット・アットロット  Ms:パメラ・ヘレン・ステファン
    T:ナイジェル・ロブソン     Br:ステファン・ヴァーコー

  サー・リチャード・ヒコックス指揮 BBCフィルハーモニック
                       リーズ・フィルハーモニック合唱団
               
                

                  (1995.11.17@リーズ、タウンホール、ライブ)


チャールズ・スタンフォード(1852~1924)は、アイルランド生まれ、ケンブリッジに学び、そのあと、ドイツ本流のライピチヒとベルリンでもしっかり勉強し、生涯はイングランドで過ごした英系作曲家です。

時代的には、いま、わたくしたちがさかんに聴く、ディーリアス、エルガーやV・ウィリアムズ、ホルストよりも、少し先んじた人で、同じような時期とタイプの人に、パリーとマッケンジーがおります。

また彼らとともに、先人として、英国音楽の礎を、なにげに築いた作曲家でもあるんです。

交響曲を7つのほか、オペラも数作、あらゆるジャンルにその作品を残してますが、いまでは、あまり聴かれることはないですね。
その点は、パリーもおんなじ。

わたくしは、ハンドレーと本場アルスターによる交響曲全集を持ってますが、正直、どの曲がどうのこうのは、言えるほどに聴きこんでません。
数年前に、大友さんが、東響で、3番の「アイリッシュ」をやったときに、感銘を受けました。
 アイルランドのブラームスみたいな印象しかなかったのに、しっかり英国音楽とアイルランドの民謡も活かされた雰囲気に、思いきり見方を変えることとなったのでした。

 今回の、「スターバト・マーテル」も、驚きの出会いでした。

「悲しみの聖母=スターバト・マーテル」、古今東西、多くの作曲家が、このジャンルに、たくさんの名曲を残してまいりました。
ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクらの作品ばかりが、多く聴かれますが、まだまだありました。

スタンフォードのスターバト・マーテルは、ヒロイックなまでにかっこよく、かつ、歌心にあふれていて、夢中になって聴いちゃう45分間なのだ。

1906年の作品。
第一次大戦の10年前、世紀末のムードを漂わせつつも、世の中な、物騒な方向へと突き進んでいく時代。
この曲には、そうした切迫感はありませんが、先に述べたような、音のカッコよさがあって、メロディアスなスタンフォードならではのムードとあいまって、哀しみにくれるヴァージン・マリアの心情を、ちょっと悲劇のヒロインみたいにしたててる感があるのです。

交響カンタータとも、当初は呼ばれましたとおり、5つの部分からなり、1部は、大きなプレリュード。
まるで、交響曲の第1楽章のように、静かに始まり、徐々に盛り上がり、ブラスも活躍するナイスなオーケストラ作品と化します。

次いで、2部は、独唱が静々と歌う、いかにも英国音楽風のジェントルな様相で、極めて美しい。
緩徐楽章といったところ。

3つ目の部分は、オーケストラによる間奏で、短いですが、これもまた、大らかかつ、曲全体のムードを集約したような桂曲であります。

4つ目は、その合唱の出だしと、ソプラノソロが、まるきり、ブラームスのドイツ・レクイエムを思わせます。
その後も、ちょっと甘いムードを醸しながら、抒情的な展開となりますが、歌好きとしては、スタンフォード特有の英国&ドイツムードが、たまらなく美しく感じます。

さて、最後の第5部は、聖母マリアを讃える、解放感あふれる爽快なムードです。
この曲の中で、一番長い部分ですが、合唱が主体で曲は進み、ちょっとの中だるみも感じてしまいますが、最後の浄化されたかのような平安かつ、天国的なムードは、極めて素敵です。

何度も何度も、暇さえあれば流してましたので、その音楽はしっかり耳に刻み込むことができました。

素晴らしさとともに、イマイチ感も同居する、スタンフォードですが、同じようなパリーとともに、やはり、捨て置けない作品が、こうしてあるんです。

ヒコックスが甦演した、スタンフォードゆかりの地、リーズでのライブ録音は、完璧演奏。

それと、この印象的なジャケットの絵画。

英国のFrank Cadogan Cowper(1877~1958)という方の作品。

赤の使い方が印象的なその絵画は、ほかの作品でも際立ってますよ。

英国世紀末画家、調べてみてください。

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2014年11月 7日 (金)

アルウィン 「オータム・レジェンド」 ヒコックス指揮

Autumn_azumayama

秋の吾妻山。

今年は、まだ帰っていませんので、ちょっと前の、今頃の晴天の景色。

秋だけど、季節は、冬に向かってまっしぐら。

ここ数年、秋の出番は少なめで、冬が早く来て、遅くまでのさばる陽気が続いてます。

日本人の心情としては、春と共に、秋を長く味わいたいものです。

Alwyn

  アルウィン 「オータム・レジェンド」~秋の伝説

      コール・アングレと弦楽のための

        コール・アングレ:ニコラス・ダニエル

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

                      (1991.1 @ロンドン)

ウィリアム・アルウィン
(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
ついこの間まで存命したわりには、保守的な作風。
でも、ウォルトンやティペットと同系列に考えるならば、かなりモダーンな雰囲気の音楽が多い。
一方で、RVW,ハゥエルズなどの抒情派にも通じる個性もあります。
 

作曲とともに、フルートも学んで、ロンドン響でエルガーやRVWのもとでフルートを吹いていたこともあるアルウィン。

ロンドンでの活躍を経て、後半生はサフォーク州のカントリーサイド、ブライスバーグで作曲に油絵(このジャケット)に、のびのびと暮らしました。

 

5曲の交響曲、あらゆる楽器のための協奏曲複数、これもまた多様な楽器による室内楽曲、オペラふたつ、歌曲、映画音楽60と、かなりの多作家。
オペラを是非聴いてみたいものですが、アルウィンの奥さまマリーさんと共同して、残された作品のレコーディングに情熱を注いだシャンドスレーベルですが、ヒコックスの逝去もあって、いまはひとまず終了している様子。

1954年、ブライスバーグの自身のアトリエで、まさに、画家・詩人のロセッティが、そこにあるのを感じつつ、絵筆をとりつつも、先達の絵にインスピレーションを得た、素敵な音楽を作曲しました。

Rossetti_damozel_2

   ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」(The Blessed Damozel)

若くして亡くなった乙女が、天の宮殿から、地上の恋人を慕って歌う、そんな内容です。

具体的には、この絵に添えられた、ロセッティの詩の一節がそうです。

 
 Surely she leaned o'ver me-her  hair

      Fell all about me face・・・・

 Nothing: the Autumun fall of leaves

      The whole year sets apace



確かに、彼女は、僕の頭のうえに身を乗り出した

   髪が、僕のあたまのあたりに、はらりと垂れた

 でも、なんでもなかった、秋の落葉だったのかな

  こうして、1年は、すぐに過ぎてしまうんだ


    
この詩は、天の乙女が大半を歌いますが、唯一、地上の青年の独白がありまして、それがこの場面です。

まさに、天上と、地上の絵を耽美的に描いたその絵画は、静謐で抒情的なアルウィンの音楽を聴くと、ぴたりときます。

この詩に、そのまま音楽を付けたのは、まさに、ドビュッシーで、「選ばれし乙女」という声楽作品になりました。

 さて、アルウィンの10分あまりの、あまりに美しい作品。

沈鬱な前半部分は、寂しそうな弦楽のうえに、コール・アングレの物悲しい音色を巧みに活かした楚々とした歌が淡々と続きます。
これを聴いていると、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしたりもします。

少しテンポをあげて、音楽は動き出しますが、基調は短調で、それはきっと、早くに別れなくてはならなかった恋人への思いの焦燥感を感じます。

そして、後半が実に素晴らしい。

彼女の長い髪が、頬にふれた、そんな優しい感触を、秋の落葉に対して青年は、とても暖かい気持ちでもって受けとめるのでしょう。
優しく、慰めにあふれた旋律が、弦楽器から始まり、コール・アングレもそれに応えて暖かく応じます。
 やがて、かすかな諦念も感じさせるなか、静かに、静かに音楽は終わります・・・・。

こんな美しい音楽は、是非、ひとり静かに聴いてください。
コンサートでもやって欲しくない、自分のお部屋で聴くのが一番。
できれば、窓の外に、色づいた葉をのぞみながら。

 このCDには、あと、わたくしの愛するもうひとつのアルウィン作品、「リラ・アンジェリカ」が収録されております。

 アルウィン 過去記事

 「リラ・アンジェリカ」

 「交響曲第5番」

 「リチャード・ヒコックスを偲んで」

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2014年10月 9日 (木)

ハウェルズ エレジー ヒコックス指揮

Hagi_higan

もう季節は巡って、過ぎてしまいましたが、彼岸の頃の野辺の様子。

初秋を、彩る、萩と彼岸花でした。

これらの草花に、似合うのが、夜の月や、秋の虫の音色。

月といえば、昨夜(8日)は、月食でした。

雲に覆われながらも、後半を見ることができました。

古来、月食は不吉なものとされますが、大昔の方々からしたら、月がみるみる欠けてしまう、しかも、赤く光るなんて、そりゃ、なにかよくない印と思えたことでしょうね。

それでも、なにごともなく、穏便に日々が過ぎることを祈るばかりです。

次の月食は、来年、2015年4月4日だそうです。
春の月ですよ。

Howells_strings

   ハゥエルズ  エレジー

       
       ~ヴィオラ、弦楽四重奏と弦楽オーケストラのための~

    サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ

                    (1992.10 @ロンドン 聖ユダ教会)


今日は、心静かに耳を傾け、ちょっと泣ける音楽を。

ハーバート・ハゥエルズ(1892~1953)は、わたくしの大好きな英国作曲家のひとりです。
シンフォニックな作品や、大規模な作品は、残してませんが、美しい管弦楽作品、声楽曲、器楽曲などに、心に沁みとおるような味わいあふれる音楽を書いた、英国抒情派のひとりです。

その時代を生きた芸術家と同じく、ふたつの大戦を経験し、多くの死にも接して、そして、その死への思いが、彼の音楽の根底に、ときに悲しく、ときに優しく刻まれてているのです。

さらに、40代にして、最愛の息子を今度は病気で亡くしてしまい、ハゥエルズの音楽は、さらにシリアスに、そして宗教的な祈りの要素も加えながら深みを増してゆきます。
傑作「楽園讃歌」は、その代表です。

そのハゥエルズも、若き日々は、英国の田園風景の機微にてらした、緩やかな音楽をしばしば書いておりました。

今日の「エレジー」も、その流れの中にありながらも、友の死を悼んだ作品でもあります。

1917年の作。
遡ること、1910年、ヴォーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」を聴いて、大いに感銘を受けました。
そして、ロイヤル・カレッジ時代の、パーセル・ウァーレンという友が、第1次大戦で亡くなってしまう。
ヴィオラを専攻したその友のことを想って書かれたのが、この「エレジー」です。

10分くらいの作品ですが、全曲にわたって、ヴィオラが、まさに「哀歌」とよぶに相応しい、哀しくも、儚い楚々たるメロディーを奏でます。
そのムードは、さきに感銘を受けた。RVWのタリス幻想曲の古風な佇まいにも似て、静謐でありながら、悲しみをたたえた独特の雰囲気があります。

あまりに動きが少なく、静かに、静かに、音楽が過ぎゆくものですから、最初は何も感じることがなく終わってしまいますが、何度も繰り返し聴くことで、心の中に、哀しみと、癒しの気持ちが芽生えてくるのを感じます。

ハゥエルズの音楽を、多く残してくれた、亡き名匠、ヒコックスの指揮で。

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2014年5月 7日 (水)

クィルター 「虹の終わる場所に」 ヒコックス指揮

Azumayama_2

連休も終わり、街は日常に。

でも、頭のなかは、まだお休みっぽかった休み明け。

カレンダー通りのわたくしは、後半に、神奈川の実家に行ってきまして、また、まいどおなじみの、吾妻山と、海へと、それぞれ歩き回ってきました。

この時期の吾妻山は、ツツジが満開を終えたところで、ぎりぎりに、その美しい色合いと香りとを楽しむことができました。

奥に見える山は、大磯の湘南平です。

子供の頃の遠足は、この吾妻山と、向こうの湘南平が定番にございました。

Hickox_engrish_miniature

  クィルター 「Where the Raibow Ends~虹の終わる場所に」組曲

  サー・リチャード・ヒコックス指揮 ノーザン・シンフォニエッタ・オブ・イングランド

                     (1989.5 @クゥエイサイド、ニューカッスル)


ロジャー・クィルター(1877~1953)は、サセックス州ホーヴの生まれの英国作曲家。

あまり、お馴染みではないかもしれません。
彼が、歌曲の分野に多くの作品を残したからかもしれませんが、100曲以上に及ぶクィルターの歌曲は、多彩な作風の宝庫で、英国歌曲の系譜にしっかり名を連ねる彼の面目躍如たる世界なのです。
 明るく、親しみやすく、そしてメロディアスな歌曲たち。
でも、そんな中にも、シリアスで、どきっとするような歌たちも、またたくさんあります。
シェイクスピアの詩による、「来たれ、死よ」などは、まったくもって素晴らしい名品です。

そのクィルターさんが、残した管弦楽作品のひとつが、劇音楽「Where the Raibow Ends」です。

1911年、ロンドンのサヴォイ劇場で上演される、クリフォード・ミルズとレジナルド・オーウェンの作による子供向けの妖精劇とも呼べるような、ファンタジーな舞台作品のために書き下ろした音楽。

劇の内容は不肖ですが、初演以来、ロンドンのクリスマスシーズンには欠かせない舞台となっていったようです。
この音楽のなかから、5曲を選び、組曲としました。

 ① Rainbow Land

 ② Will o'the Wisp

 ③ Rosamund

 ④ Fairy Frolic

 ⑤ Goblin Forest


それぞれ、数分の小曲。
でも、それぞれのタイトルのとおり、とっても優しくって、心なごむ雰囲気にあふれてます。
①などは、英国抒情派ならではの、透明感と、まさに雨上がりの淡い虹のような景色が思い浮かぶようです。
②可愛いワルツに、ちょっと切ない中間部。
子守歌のように、静かで愛らしい③
妖精たちの踊りでしょうか、陽気で快活な④と⑤

こうして、人を優しい気持ちにしてくれる、クィルターのWhere the Raibow Endsでした。

では、いい夢を見るようにいたしましょう。

さらば、おやすみ。

過去記事

 「英国歌曲展14 辻 裕久」

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2013年10月15日 (火)

ホルスト 「サーヴィトリ」 ヒコックス指揮

Yasukuni2013103

前にも出しました、都会のど真ん中、靖国神社の日本庭園。

池にはビルも映ってます。

騒音ゼロ、静かな雰囲気に、気持ちも研ぎ澄まされます。

Holst_savitri

   ホルスト  歌劇「サーヴィトリ」

    サーヴィトリ:フェリシティ・パーマー サティアワン:フィリップ・ラングリッジ
    死神:ステファン・ヴァーコー

     リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
                      ヒコックス・シンガーズ

                         (1983.6 @ロンドン)


グスターヴ・ホルスト(1874~1934)は、前にも書きましたが、生粋の英国人ではなく、父方はスゥエーデン。
ゆえに、グスターヴという北欧風の名前なのです。

そして、ホルストといえば、判で押したように「惑星」なわけですが、作品番号が付いているだけでも、200曲以上の作品があり、その主力は、声楽・合唱作品にあるとみていいと思います。
もちろん、管弦楽作品にも捨てがたい曲がいくつもあって、「エグドン・ヒース」などは、最高に素晴らしい曲だし、数々の組曲作品も捨てがたいです。

主力の声楽作品では、「合唱交響曲」や「雲の使者」などは、わたくしの最も好きな作品ですし、しゃれたパートソングの数々も涼しげで心地よい音楽たちです。

さらに、オペラのジャンルでは、8つの作品(うちひとつは未稿)が残されました。

ホルストは、親友のヴォーン・ウィリアムズとともに、イギリス各地の民謡を収集し、それらは素敵な合唱作品の一部に結実していて、いかにも英国風な趣きがあります。
 一方で、若い日々から、インドのサンスクリット文化にも感化され、東洋風なエキゾシズムにあふれた音楽もいくつも書いている。
「惑星」における占星術的な思想も遠からずこの分野から発したものでありましょう。

そのサンスクリット文学から、叙事詩「マハーバーラタ」に素材を求めたオペラ「Sita」を1906年に完成し、リコルディ社から発刊。
その初演も行われないうちに、今度は「ラーマーヤナ」の中からの一編を抜き出して、次ぎなるオペラを作曲したのが1908年。

それが、「サーヴィトリ」であります。

大きな前作に比べ、こちらはミニオペラで、登場人物も3人。
オーケストラは12人の奏者だけ、合唱は女声によるアカペラのみ。
約32分くらいのコンパクト・オペラです。
ですから、筋立ても大仰なものでなく、寸劇みたいな動きの少ない、かつ内面的なものでもあるんです。

劇の概要

ある森のなか、晩。

前段として、貞淑な王女サーヴィトリが結婚した相手は、スティアワン。
ところが彼の余命は結婚当初すでに1年。
あともう時間のないある晩のこと・・・・・

「死神(マヤ)がサーヴィトリの名を呼び、自分は誰もが必ず通らなくてはならない道であり門であると呼びかける。
サーヴィトリは、ただならない雰囲気に緊張する。
サティアワンは、サーヴィトリの名を口にして讃えるが、不調を訴え、やがて手にした斧も落としてしまい力が抜けてしまい倒れる。
 サーヴィトリは神様に、夫なしには生きていけない、活き返らせて欲しい、さもなくば、自分の命をと懇願する。
神への訴えは、死神マヤをも屈服させ、サティアワンはよみがえる。
死は、人間の活きる夢を統治するのだ、と核心的なことをつぶやき、消え行き、サーヴィトリは汝とともに・・・と最後に歌う。」

というような内容かと。

英語の歌詞はついてますが、これがまたどうにもわからない。
普通のオペラのように、惚れた腫れたの会話じゃなくって、観念的な言葉が並んでて、約しようがない。
なんのことはない内容だけど、ラーマーヤナによれば、サーヴィトリは、「40人の子供を産みます」と宣言。死神も、それはいいね、頑張りなさい、みたいなことを言って奨励するんだけど、サーヴィトリは機転を利かせて、「わたしゃ、サティアワンじゃなくちゃ駄目なのさ」と開き直って、見事活き返させるということになるらしい。
そして、ふたりは、ほんとうに子宝にめぐまれ、サーヴィトリは良妻賢母の代名詞みたいに祀られてるってわけなそうな。

音楽は、かなりに神秘的かつ東洋風で、あっちの世界にも足を踏み入れたみたいな彼岸な雰囲気もまんまんです。
冒頭の死神さんの、無伴奏での歌の怪しげな様子、甘々のサティアワンは、いかにも英国テナーの声にぴたりの役。
無伴奏女声コーラスは、後半になると、サーヴィトリの神との対話や、よみがえりの場面での伴奏となっていて、これがまた清らかかつ、神がかった雰囲気。
惑星の「土星」みたいな老成化したムードも死神の歌には出てくる。

万人向けでは決してありませんが、ホルストの一面を端的に味わえることには違いありません。
カレーは食べたくなりませんが、不思議の国インドを思い描くこともできる作品です。

ホルストは、じつにおもしろい。

3人の英国歌手は完璧にクール。
ときおり唸り声も入る、ヒコックス入魂の指揮です。

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