アイヴズ 交響曲全曲 ドゥダメル指揮
お台場の対岸、芝浦から見た様子。
フジテレビの横はヒルトンホテルで、よく見るとその前にオリンピックの五輪がありました。
こちらは、代々木の国立競技場前。
どうなっちゃんでしょうね、オリンピック。
来年の北京なんてもってのほかと思うし、その意義とともに、揺れるオリンピック。
もうこうなったら、永久にアテネでやることでいいんじゃないか?
アイヴズ 交響曲第1番
交響曲第2番
交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」
交響曲第4番
グスターボ・ドゥダメル指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック
ロサンジェルス・マスターコラール(4番)
(2020.2.20~29 @ウォルトディズニー・コンサートホール LA)
アイヴズ(1874~1954)の交響曲を全部聴く。
ありそうでなかったアイヴズの交響曲全集が、いきなり出ましたので即購入。
調べたら、全集としてまとまってるのが、ティルソン・トーマスで、バラで出てるのが、A・デイヴィス、リットンぐらいかな。
バーンスタインも全部録音してない。
そんななかで出てきたのがドゥダメル盤で、手兵のロスフィルとスタジオ録音で、しかもドイツグラモフォンから出るというナイスな企画。
この録音時、アメリカにコロナが上陸し蔓延中だった。
ドゥダメルの指揮は、これまでいつも懐疑的で、シモンボリバルと輝かしく登場したときは、まったく面白く聴くことができたけど、その後、音楽界の早すぎる使いまわしともいえる押し出しぶりが、どうも本人不在のように感じて、逆にドゥダメルの個性を感じさせるものがないものばかりに思えるようになった。
スカラ座と来日したときの演奏会など、ちょっとつまらなすぎて・・・
メータのように、ロサンジェルスでじっくりと腰を据えてオケとともに成長して欲しいものだ、と思っていたらこのアイヴズです。
4曲聴いた印象を先に書いちゃうと、ともかく明快で、音楽の隅々までに光があたっていて、アイヴズのさまざま錯綜する音たちが、どれもこれも気持ちよく聴こえるのだ。
パッチワークのように紡がれたいろんな風景が、ひとつにまとまっていくのを聴くアイヴズの音楽の醍醐味をまざまざと楽しみながら味わえます。
2CDという組物で、曲順に順番にすらすら聴けちゃうというメリットも大きい。
短期間で曲順に一気に録音することの強みもここにあり、集中力とともに、ドゥダメルとロスフィルがアイヴズを日にちを追って極めていくような感じを受けます。
4番の最後の讃美歌には、演奏者と同様に、コロナに負けないぞーみたいな神々しい感動を受けることとなります。
デッカ時代のロスフィルの音、さらには、ジュリーニやプレヴィンのときのものと、響きがぜんぜん違うのは、やはり響きのいいディズニーホールトーンのもの。
サロネン時代も後半は、ディズニーだったけれど、それとも違って豊穣な響きに感じるのはドゥダメルの音作りにもよるのだろうか。
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ホリデー・コンポーザー、チャールズ・アイヴズ。(過去記事を少し引用)
休日作曲家なので、趣味っぽいとかはまったく言えず、実際は音楽家だった父親からみっちり教育を施されたほか、大学でも正規に作曲を学んでいる本物の作曲家。
軍楽隊長だった父の影響は、シリアスな音楽に突然割り込んでくる軍楽隊のマーチや賛美歌、街の喧騒音などの同時進行ぶりに現れている。
このあたり、同時期に活躍したマーラーの音楽にも通じるところがあるが、アイヴズがもっと独創的で大胆。
そんな独創性が、アメリカでは絶対に受けないと考えたアイヴズは生計を立てるために保険会社のサラリーマンとなり、高業績を納め、さらに会社まで設立してしまったのは有名なおはなし。
その合間に作曲をしたから日曜作曲家と呼ばれてしまうわけなのですが。
①1895~98年作曲の第1番。
20代初めの作は、これはまるでビゼーやプロコフィエフのような古典・ロマン派風で、かつヨーロピアン。
牧歌的なほのぼの緩徐楽章に、スケルツォ風楽章、最後はさまざまな要素が同時進行で絡む、にちのアイヴズ先取りの楽章で、打楽器も多用されにぎにぎしい。
以外に面白いぞ1番。
②1900~01年作曲の第2番。
さまざまな22曲ものアメリカの唱歌や民謡が引用されが錯綜する。
1楽章は、厚い弦でシリアスに始まり、ついでアイヴズの面目躍如たる2楽章は、元気で陽気なブラスバンド風なサウンドから、ノスタルジックで田園風かつ敬虔な賛歌とが交錯。マーラーの6番みたいなのも感じるし。
緩除楽章たる3楽章の、アメリカの方田舎を思わせる、夕暮れ時のしみじみ感は、ほのぼのと、まことにステキであります。
次ぐ4楽章は、短い橋渡しで最初の楽章の回帰で、弦ばかりでなく、フルオケ。
一転して、明るく楽しげな終楽章は、フォスターのおなじみに旋律に、懐かしい調べも交えつつウキウキと進むと思ったら、速度を落としてホルンがフンパーディンクみたいな望郷さそう、アルペンチックなソロを吹く。
また元気に走り出し快活に、でまたしみじみ調に戻り忙しいが、さきのホルンのメロディーを今度はフルートのオブリガートを伴いながら独奏チェロが奏でる。ここにはほとほと感動しますね。
で、あとは元気を吹き返し、ずんずんずんずん、お祭り騒ぎに突入し、突如の不協和音一発でオシマイ!
楽しーーー、アメリカ・ザ・ビューティフル、なんでもありの、これぞアメリカだ。
最近は2番が一番好き。
川瀬&神奈川フィルでも新世界と組んだコンサートで聴いた。
ドゥダメルもこれは好きみたいで、なんとウィーンフィルの定期でも取り上げていて、わたしもネットで聴いたばかり。
ムジークフェラインに響くアイヴズの交響曲、観客はブラボーかましてましたよ。
③1904年作曲の第3番「キャンプ・ミーティング」
アメリカの地に入植した人々。
キリスト教を奉じながらも、聖職者や教会、集会所も場所によってはなくって、宗教への渇望が人々にはあった。
その望みを癒すために、移動集会のようなものが開催され、そこに人々は何日もかけて集まり、そこに滞在して、信じるキリスト教の集会に没頭したのだった。
それが、「キャンプミーティング」らしい。
アメリカの教会やテレビの伝道演説は、かなりアグレッシブで熱っぽいから、日常から離れた泊りがけの集会への参加は、かなり盛り上がったのではないでしょうか!
「古きよき仲間の集い」
「子供たちの日」
「コンムニオン(聖餐式)」これらのタイトルがついた3楽章形式の室内オケ向きでもあるシンフォニエッタ風の交響曲。
かなり穏健で、アイヴズが育ったニューイングランド地方の良き時代を思い起こさせる懐かしい響きに満ちている。
懐かしき1楽章、子供たちの笑顔もうかがわせるような2楽章に、敬虔な祈りの場面。
讃美歌の引用が多く、それがいろんな楽想と絡み合いながら、アイヴズならではの、一筋縄ではいかない複雑さも、実は醸し出している。
③1909~16年にかけて作曲の第4番。
4楽章形式で、第1と第4に合唱が入るがいずれも賛美歌。
寄せ集めの素材40曲以上ともいわれるが、それが最初は目まぐるしさを感じさせるが、聞き込むと徐々に旋律の出し入れが見えてくるし、いずれもアメリカ風の旋律ばかりなので、親しみやすいことに気付いてくる。
アイヴズの創作の腕が、こうして4番で確実にあがっていて、1番とは別人のようだ。
1楽章は短く、「夜を守る友よ」「はるかに仰ぎ見る」が荘重に歌われるが、どこかカオスな雰囲気で後ろ髪を引かれる美しさがある。
2楽章に至って、いよいよ複雑極まる雑多なごった煮音楽が始まる。これを紐解くのは至難の業だし、旋律を追うような聴き方の私のような人間にとって不可能に近い。
ピアノソロ、ピアノ4手連弾、調律の狂ったアップライトピアノ、オルガンといった指定のある鍵盤楽器がときに乱れ打つように弾き鳴らされ、ブラスはにぎにぎしくマーチングサウンドを垂れ流し、ジャズバンドもやってくる。
よく聴くとモーツァルトまで顔をだす。
このごった煮の状態は、副指揮者を要するが、いまの指揮者たちやオーケストラは単独でできちまうのか!
思えば、小沢さんは、70年代にこれを安々と一人でこなしていたところがスゴイ。
この2楽章を何度も何度も、そう何度も聴いたが覚えられないのが愉快すぎる(笑)
3楽章は別人のような音楽が流れる。
フーガの手法で、讃美歌を引用し歌い紡ぎ、オルガンも加わり荘重で感動的な旋律が幾重にも重なってゆき、最後はなかなかに感動的な場面となる。
この楽章はまったくもって素晴らしく、いつまでも真摯に浸っていたい。
これぞ、これもまた、私たちが思うアメリカだ。
4楽章、冒頭は打楽器と低弦が怪しい雰囲気をかもし出す。
この楽章は、実存に対する宗教的な経験を象徴しているとされるが、最後の方で、その錯綜するオーケストラのリズムに乗せて、合唱がアカペラ風に入ってくるところは、聴いているとようやく光明が差したかのような気分が横溢し、おさまるとことに収まった感があって、安心とともに、大いなる感動を味わう。
でも、まだどこかしら不安の残る終わり方・・・・
こうしてアメリカよ、ついでに日本も難局を打破して欲しいと。
「芸術の作法」は学術的なものや決められた書式から生まれるものでなく、人生経験や日常の中から生まれてくる、というのがアイヴスの考えだったという。
まさに、この交響曲はその言葉どおりの音楽と受け止めていいのかもしれない。(以前のブログから引用)
シカゴを指揮したティルソン・トーマス盤には、この4番が引用した讃美歌が5曲収録されていて、それもともに聴くと分かりやすく理解の一助となります。
4曲のなかで、2番が一番聴きやすく好きだけど、4番の充実ぶりには叶わないし、何度聞いても味わいつくせない、いやよくわからない、スルメを噛むがごとき音楽に思うのだ。
ドゥダメル氏は、ロスフィルとともに、こうした路線を進めて欲しい。
お台場のニューヨーク。
アメリカのオーケストラとともに、アメリカの都市探訪をシリーズ化してますが、今回はロサンジェルスながら、またの機会にといたしたく。
映画や音楽で憧れた西海岸は、いまや、わたくしのあこがれの地域ではなくなっってしまったようだ。
移民があふれ、SF市などは、どこぞの国に乗っ取られた様相を呈している。
でも、それもまたアメリカなどだと思うようにしないと、この国の在り方がどこかわからなくなる。
他国の選挙ながら、先の大統領選には、やきもきしたくちです。
不正がとおってしまったが、政治はまた違うかたちで継続される。
自由と民主主義の国の姿を強く、いつまでも見せて欲しいと思う。
アイヴズを聴きながら、アイヴズの愛したアメリカは、ほんとうはどんなだったんだろうと・・・・・
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