カテゴリー「プティボン」の記事

2020年12月12日 (土)

アーン 「クロリスに」 スーザン・グラハム、ヒル、プティボン

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晩秋から初冬。

関東の南は、いまどきが秋が急速に終わりを告げ、冬の足音が聞こえたと思った瞬間に人々は寒さを実感し、秋は彼方へ追いやられる。

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  レイナルド・アーン 「クロリスに」

      Ms:スーザン・グラハム

    ピアノ:ロジャー・ヴィニョールズ

      (1998.1.16~19 @NY)

あまりに有名な、そしてあまりに美しいこの歌。

落葉の季節に、その写真とともに、ずっと記事に残そうと思ってもう何年も経ってしまった。

2008年のパトリシア・プティボンのリサイタルで聴いてから、私の脳裏に刻まれた歌、そしてアーンという名前。

アーンの歌曲集はいくつかあるけれど、選曲もよく、たくさん聴けるのがスーザン・グラハム盤。
アメリカ生まれのメゾ、スーザンは、フランスものが得意で、そのニュートラルでくせのない声は、清潔でストレート、とてもクリアーです。
力強さも持ち合わせていて、ベルリオーズの「トロイ人」では圧倒的なディドーを歌っておりました。

レイナルド・アーン(1875~1947)は、ドイツ系ユダヤ人の父と、バスク人の母を両親にベネズエラのカラカスに生まれました。
父親が外交官だったためですが、3歳のときにパリに移住してますので、ベネズエラは生を受けた地という以上のものはなく、ユダヤとバスクの血を引くフランス人といってよいでしょう。
交響曲を除く、広範なジャンルに作品を残し、歌曲は一番多く、オペラもいくつかあるようで、これから聴いてみたいと思ってます。
管弦楽作品を集めた1枚も持ってますので、いつか取り上げたいとも思います。
まさに、フランスのベル・エポック(よき時代)を体現したような世代であり、その素敵な音楽なのであります。

16~17世紀に活躍した詩人・劇作家、テオフィル・ド・ヴィヨーの詩による作品で、20のメロディーのなかからの1曲。
愛する恋人に語りかける優しい、夢見るような曲。
詩の内容は、ネットにたくさん出てますのでご覧ください。

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     T:マーティン・ヒル

  ピアノ:グラハム・ジョンソン

     (1981.11.27  @ロンドン)

テノールで、しかも繊細な英国テノールが歌うアーン歌曲集。
こちらの「クロリスに」も誠実で、折り目正しいフランス語の発声も美しい。

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    S:パトリシア・プティボン

  ピアノ:スーザン・マノフ

     (2013.9 @ベルリン)

英米の歌手たちによるアーンのあと、フランス語を母国語とする歌手プティボンの歌で聴くと、その美しい語感と、言葉への感情移入の違いを感じ取れます。
前2者から聴いてくると、濃厚な歌ともとれますが、そこは蠱惑のプティボン。
頭脳的な歌唱も感じられ、やはりワタクシには魅力的なのでありました。

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12年前のリサイタルでは、この曲をコンサートの冒頭に歌いまして、一挙にホールをフランスの香りで満たしてしまったものでした。

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早朝の外苑前を散策。

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このあと、神宮球場、新国立競技場を横切って、明治神宮まで歩きました。

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2014年12月23日 (火)

La Belle Excentrique~パトリシア・プティボン~フランス歌曲集

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この冬も始まってます。

六本木けやき坂のイルミネーション。

シルバーにブルーが少し入って、とてもクールできれいです。

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そして、今年は、レッドにも切り替え。

知らずにいたものですから、急に消えて暗くなったと思ったら、すぐさま赤の世界に。

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反対側の坂の向こう。

こちらも美しいですな。

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そして反対側の赤。

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 La Belle Excentrique ~ 風変わりな美女

   フランス歌曲集

      ソプラノ:パトリシア・プティボン

      ピアノ :スーザン・マノフ

       〃  :デイヴィット・レヴィ(3,14)   ヴォーカル:オリヴィエ・ピィ

      チェロ :クリスチャン=ピエール・ラ・マルカ

      ヴァイオリン:ネマーニャ・ラドゥロヴィチ 

     アコーディオン:デヴィッド・ヴェニトゥチ

      パーカッション:フランソワ・ヴァレリー

                 (2013.9 @ベルリン テルデックススタジオ)


 1.サティ 「競馬」         2.フェレ:ジョリ・モーム

 2.サティ 「風変わりな女」より「大リトルネッロ」 ピアノ連弾のための

 3.プーランク 「祭りに出かける若者たちは」 「パリへの旅」 「昨日」

 4.ロザンタール 「夢」 「月を釣る者」

 5.サティ   「ブロンズの銅像」    6.プーランク 「ルネ少年の悲しい物語」

 7.サティ   「スポーツと気晴らし」より「ピクニック」 

          「そうしようショショット(Allons-y Chochotte)」

          「ジェ・トゥ・ヴ(Je te veux)」 「風変わりな女」より「カンカン踊り」

 8.フェレ   「愛するとき」       9.サティ 「快い絶望」

10.フォーレ  「憂鬱」          11.アーン 「フォロエ」 「クロリスに」

12.フォーレ  「ひそやかに」      13.プーランク 「バ、ベ、ビ、ボ、ビュ」

14.ロザンタール 「パリ植物園のゾウ」「フィドフィド」「動物園の年寄りサラダ」

15.プーランク 「オルクニーズの歌」 「白衣の天使様」 「ホテル」

16.フランシーヌ・コッケンポット 「原野のクロッカス」

17.フォーレ  「ゆりかご」


     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「風変わりな美女」って・・・・、この邦題なんとかならないかな、って思って、「La Belle Excentrique」をフランス語翻訳マシンにのせてみた。

そうしたら、「素敵な変人」とか、「美しいエキセントリック」とか出てきちゃって、さらに奇妙なことになってしまいました。

もともとは、サティのピアノ連弾ないしは、オーケストラ作品の組曲のタイトルだそうで、そちらを調べたら、邦題は、「風変わりな女」となっておりました。
このCDの中に、2曲そちらからピアノ連弾曲として演奏されておりまして、そちらをイメージしたのでありましょう。

ですから、この際、わたくしの大好きなパトリシア・プティボンさまということで、「美女」ということにしておきましょう。

長い序文でしたね。

プティボン2年ぶりのソロアルバムなんです。

その間、パリ管とのプーランクは出てますが、毎年コンスタントに、ユニークで考え抜かれたプログラムで、その都度テーマを定めて凝ったCDを出してきたプティボンでしたから、結構渇望していたんですよ。

プティボンのタグをクリックして、過去記事をご参照いただきたいのですが、大ブレイクしたのに、来日はずっとないし、国内盤もずっと出てなくて、ユニバーサルは、アイドル路線が引けない本格派歌手なので、国内発売にビビってるんじゃないかと推察してるんですよ。

でも、昨年の録音ではありますが、ここに鮮度バツグンのイキイキとしたパトリーの声が相変わらず健在なのを確認できて、とても嬉しいです。

今回のテーマは、自国もの、近代フレンチ・ソング集です。
ちなみに、これまでのアルバム・テーマは、「恋人たち」「イタリア・バロック」「メランコリー」「新世界」、、こんな風になってました。

全部で29曲。

そのうち5曲は、サティのピアノ作品で、伴奏とともに、プティボンの長くの相棒、スーザン・マノフ女史が極めて雰囲気豊かに、そして明るく楽しく弾いておりますよ。
先にあげたサティの「風変わりな女」から2曲と、「ピクニック」、冒頭の短い序のような「競馬」。それぞれ、元気で楽しい曲に、「快い絶望」は、ちょっとムードが変わって、アンニュイムードたっぷりで、これはステキな曲。

 さて、プティボンです。
千変万化、多彩な歌への適応力と、その表情の豊かさは、まいど聴いてきて舌を巻いてしまう彼女の本領でありましょう。
大きく分けて、元気で快活、はっちゃけてるのが前半で、後半は、しっとりとした女らしさと、憂愁の横顔を垣間見せてくれる。

 前半・後半のターニングポイント的な曲が、有名なサティの「ジュ・デ・ヴ」です。
チェロとピアノに伴われて、ゆったりと、そして色気も含みながら、しなやかに歌われる「ジュ・デ・ヴ」に、わたくしはとろけてしまいそうになりました。
チェロとピアノの伴奏もお洒落すぎていけませんよ、まったく。
この曲、1曲で、お酒が何倍も飲めちゃうじゃないの。

個々の曲について書こうと思えば書けちゃうくらいになってますが、そこは、みなさま、実際にお聴きになって、パトリーちゃんの歌声に感じちゃってくさだい。
あれこれ、言葉は不要、彼女の個性と、はじける才能を、とくと拝聴してくださいませ。

途中何回か、歌なしで、間奏曲のように、さらりと挿入されるインターバルの一瞬のフレーズは、「風変わりな女」や「競馬」の曲をもじってまして、この音盤の大きな流れに寄与してます。

そう、これ一枚が、一夜のコンサートのように仕立てあげられているように思います。

このあたりが、プティボンのクレバーなところで、彼女ばかりか、きっと、マノフ女史も、ほかのスタッフも含めて、いいチームが出来上がっているんだと実感します。

彼女のライブコンサートは、ほんとに楽しくて、エンターテイメント満載です。
その雰囲気が、このCDからも伝わってくるところが、毎度素晴らしいです。
 これまで、3回、その来日公演を聴きましたが、そこで歌われた曲もいくつか。
コンサートでは、自ら、小道具みたいに、楽器をさらっと奏でて歌いましたが、そんな曲も、あの時の歌声そのままにおさめられてます。

ときに、効果音的な声を出して、ニンマリさせたり、ふくろうの声だしたり、おきゃんな娘声になったり、シャウトしてみたりで、ともかくいろんなお顔を見せてくれます。

でも、クリスティーと共演してた頃の、古楽の軽やかなイメージから、いまは、声も重くなり、色合いも濃厚さも出すことが出来るようになりました。
 ですから、全体のイメージでは、ちょっと味わいが深くなり、その分、声が重たくなったような気もしなくもないです。
もともと声量もたっぷりで、技巧派でもある彼女ですから、「ルル」を歌うことで、声質が少し変化したのかもしれません。

ともかく、ステキな1枚。

パトリシア・プティボン、最高ざます、最高に好き

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2012年10月21日 (日)

「NOUVEAU MONDE」 パトリシア・プティボン

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浅草の吾妻橋のたもとから。

アサヒビールのあれと、スカイツリーとお月さんを。

ゴージャスな墨田区役所も。

だいたいに、どうして行政区の建物は、このように超立派なのでしょうか。

都内の区はほとんどそうで、高層ビル化もしてるし、地方は地方で空虚なほどの庁舎が忽然とそびえております。

公僕っていってはいけないのかしら、いまは、やたらと腰がひくく丁寧になったお役所の皆さん。
仕事がら制服を来たや○ざみたいな方々と接するもとも多々ありましたが、いずれにしても、明日をも知れぬ中小・民間の人間との立ち位置の違いは巨大であります。
こうしたゴージャス庁舎に行くと、売店もあるし、なによりも食堂があって、一般人も、ばかみたいに安く食事ができるんですよね。それこそ、ばからしくなっちまいます。

あ、もうこのへんでやめときましょう。

スカイツリーを核としたこのナイトビューをついに撮ることができました。

甘味なる光景におもいましたね。

社会人になりたて、ここには、由緒正しいアサヒビアホールがありました。

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  「NOUVEAU MONDE」~ヌーヴェル・モンド 新しい世界

         S:パトリシア・プティボン

    アンドレーア・マルコン 指揮 ラ・チェトラ

                  (2012.2 @バーゼル)


わたくしのアイドル歌手、パトリシア・プティボンの新作が出ました。

年一回、だいたいこの時期に発表されるプティボンのCDは、毎回、異なる知的なテーマを掲げ、彼女の魅力を全開したユニークな歌唱とあまり聴くことのできない選曲でもってサプライズを与えてくれるんだ。
 それはもう、ビジュアル系のアーティストが繰り広げる、通常名曲のありふれ演奏とはまったく次元を異にする本格ぶり。
オペラアリア集から卒業してしまったプティボンは、もう自身がアクターであり、オペラの登場人物の域を超えてしまった存在なのかもしれません。
 ですから彼女の歌は音盤にはなかなか入りきれません。
プティボンが年一作、考え抜いて作り上げたCDは、それこそ彼女の魅力が凝縮された、彼女の舞台やオペラ映像にも匹敵するような濃密な出来栄えとなっているんです。

DGの専属となってから安定的に録音されるようになったこうした音盤ですが、理解しがたいことに、日本のユニバーサルミュージックは、昨年の「メランコリア」の国内発売を今にいたるまでしておりません。
来年、もしかしたら実現するプティボンの来日まで温存する気なのでしょうか。
リセウの「ルル」も同様。
完全に、プティボンをビジュアル系アイドル路線で売りこもうという目論見が、実は、驚ろくほどの本格路線に販売路線を見出せぬままになってしまったのが真相なのでしょうかね。
まったく、ばかやろうで、腹のたつ話ですよ。

もちろん、ファンとしては輸入盤をすぐさま手にして、彼女の進化ぶりを堪能しておりますゆえ、国内盤の有無は関係ありませぬが・・・・・・。

 1.ホセ・デ・ネブラ サルスエラ 「Vendado es amor, no es ciego」
 2.アンリ・ル・バイイ  「私は狂気」
 3.古謡     「マルティネス写本」より
   「Cachua a voz y bajo Al Nacimiento de Christo Niestro Senor」
 4.ホセ・デ・ネブラ サルスエラ 「Vendado es amor, no es ciego」
 5.パーセル  「ダイドーとエーネアス」~
                  「わたしが地中に横たえられたとき」
 6.ラモー    「優雅なインドの国々」~未開の人々のダンス
 7.ヘンデル カンタータ「決して心変わりしない」
                (スペイン・カンタータ)HWV.140より
 8.古謡     「マルティネス写本」より
         「Tonada la lata a voz y bajo para bailar cantando」
 9.作者不詳  「わが愛は遠くなりけり」
10.古謡     「マルティネス写本」より トナーダ「コンゴ」
11.シャルパンティエ   「何も恐れずこの森に」  
12.シャルパンティエ   「メデア」~3つの場面
13.古謡     「グリーンスリーヴス」
14.古謡     「I saw the wolf」
15.ラモー    「優雅なインドの国々」 寛大なトルコ人~エミリーの歌
16.パーセル  「アーサー王」~「もっとも美しい島」


以上、15の作品、全部で18トラックの多彩なるプティボンのめくるめく歌の世界。

「新世界」とタイトルされたこの内容は、ラテン・アメリカのバロック期の音楽と、それらにまつわる欧バロック作品を集めたもの。
古くは、ヨーロッパ中心から見た場合、ほかの国々はみんな新世界だったというのも乱暴な言い方だけれども、よくまぁ、こうした曲を集めてきたのもだと思います。
今回の2度目の共演マルコンの手腕にもよるところも大きいとも思われる。

それにしてもなんというバラエティの豊かさであろうか。

曲の配列のバラバラなようでいて、サルスエラ、伝承古謡、英仏のバロックオペラと巧みに配置していて、単に異国情緒を追いもとめただけの単純な選曲ではなく、かの地へよせる憧れや、隷属者の悲しみなどがプティボンの抜群の表現力でもって歌い込まれているから次々に飽きがこず、サプライズの連続でありました。
 概して欧州作者による異国への想いは、悲哀も美しいが、現地伝承やサルスエラなどのリアルで皮相的な悲しみの方が妙に明るかったりしてプティボンの明るい歌声が映える。

はまるでハイドンかモーツァルトみたいな古典のオペラみたいで、弾むリズムが楽しい。
②パーカションと南米ハープやギターが雰囲気ありありのサッドソングは、プティボンの超高音域が耳にビンビン響きます。
こちらも涼やかなハープとケーナを思わせる笛がこれまた情緒たっぷり。だんだんとアッチェランドしてって熱くなりますが最後は静かに終了。酒が飲める歌。
カスタネットも高鳴るムンムンする雰囲気に、プティボンのスペイン語の色気を感じます。
南米ムード満点のところに、高名なるパーセルのオペラから高貴なる悲しみに満ちたアリアが始まるともう、聴き手は次ぎの次元に。
こんな風にガラリと雰囲気が変わってしまう変幻ぶりはプティボンならでは。
涙の雫さえ感じるしっとりとした歌唱に聴き惚れます。
すると今度は、これもまたクリスティ&プティボンで有名になったラモーの軽快で特徴的なダンス。あの映像を思いだしつつ体が動いてしまう。
初めて聴いたヘンデルのこの曲。ここではカスタネットにテオルボが伴奏して、本当にヘンデル?と思ってしまう。歌唱もスペイン語。
ギターにドラム、ベース、ケーナとまたもや異次元に。
ルネサンス音楽をも思わせる不可思議サウンドに、プティボンの面白歌唱。
コンゴから連れてこられた奴隷の悲しくもユーモアある歌、プティボンのコンゴー!の威勢のいい掛け声がアクセント。
シャルパンティエの歌は、明るくユーモア一杯。そして溜息が色っぽいです、はい。
オペラの3つの場面では、共演者も登場して本格的。
抒情的なシャルパンティエの音楽が楽しめます。
まさかのグリーンスリーヴス。イングランド民謡なのに、何故に。
この女性の悲しみは、ここでは娼婦ともいわれますゆえ、プティボンはここで取りあげたかったのでしょうか。古雅な雰囲気でしんみりします。
わりと有名な「狼を見たよ」、⑨と似た雰囲気の楽しい曲でノリノリですよ。
もう一度ラモー。ここでは船に乗り異国から出国する主人公。囚われの身の悲しみです。嵐吹き荒れる情熱歌唱に感激です。
パーセルの有名なアリア。島(ブリテン島)を讃えるヴィーナスの歌。
高貴で麗しいパトリシアの歌唱は、清楚でとても感動的。
旅の最後を締めくくるに相応しい曲に歌いぶりです。

聡明な彼女、レパートリーを重たいものへと徐々に広げつつあって、ちょっと心配なところで、従来の羽毛のような軽やかさが少し後退したかな・・・と思うところもあります。
しかし、歌のうまさと心くすぐる甘味さとキュートな声はまだまだ健在。
思えば、いつもいろんな彼女の局面を見せつけられ、その都度驚嘆し、魅惑されているわけで、次はまた何をやってくれるかと楽しみになります。
 そして、そろそろオペラアリア集を所望したいところです。

DGサイトより、プロモーションビデオ

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プティボンのソロCD

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その2

下から順に新しくなります。
こうして、ますます個性的に、幅広い個性が際立つパトリシア・プティボンでありました。

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2012年2月19日 (日)

ベルク 「ルル」 プティボン

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みなとみらい地区にあったハートのイルミネーション。

バレンタインやホワイトデーを睨んでのハートでございましょう。

渇ききったワタクシには縁のないイベントにございます。

今日は、怖い女のオペラを。

ファム・ファタール

「魔性の女」

「場末の女」じゃありませんよ。

男中心に見た限りにおいての自身を破滅に追いやるような運命的な存在としての女。

「魔性の男」ってあんまり言わないけれど、どんなんでしょうね。

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18禁の表示がDVDにあります(独語)。

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ベルク「ルル」

オペラにおけるファム・ファタールの最強が「ルル」かもしれない。

その「ルル」に果敢に挑戦したのが、わが愛しのパトリシア・プティボン

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ジュネーヴ、ザルツブルク、リセウ(ザルツブルクは別演出)と連続で舞台に立ち、キュートなプティボンを知るわたしたちに衝撃を与えるほどの体当たり的なルルを演じ歌った。

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プティボンのレパートリーは広大で、古楽から現代曲まで、フランス・イタリア・ドイツ・アメリカ、あらゆる国の歌をカヴァーする多彩なもの。
オペラでは、役柄は限定的で、なんでもかんでもということはなく、彼女が気に入り、絞りこんだものだけを徹底的に突き詰めるスタンスだ。

パトリシアがルルという役柄のどこに魅力を見出しのか?

このDVDを観るとおおよそ理解できる。

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(うさぎちゃんと、くたびれたピエロ姿のシゴルヒ)

大胆な、ほぼヌードを披露しながらも、それは本来のピュアなひとりの女性の姿。
その上に、相手方の男性によって替える様々な衣装に頭髪、化粧、そして何よりも彼女の細やかかつ大胆なる表情。

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彼女の2度の来日公演のほとんどに接し、どこに彼女の本質があるかわからないくらいになって、そしてそこにこそ、彼女の魅力を感じたわけで、思えば、女性の持つ様々な姿を歌い見せつけることこそが、彼女の個性そのものだと思うに至った次第。

   ベルク 「ルル」

  ルル:パトリシア・プティボン   
  ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:ジュリア・ジュオン
  シェーン博士:アシュレイ・ホラント   
  アルヴァ:ポール・グロウブス
  シゴルヒ:フランツ・グルントハーパー 
  猛獣使い:アンドレアス・ヘール
  画家:ウィル・ハルトマン         
  銀行家:クルト・ギーセン
  医事諮問官:ロベルト・ヴェーレ  ほか

     演出:オリヴィエ・ピィ

 ミヒャエル・ボーダー指揮 リセウ歌劇場管弦楽団
        (2010.11@バルセロナ リセウ大歌劇場)


演出のピィは、わたくし、あんまり好きじゃない。
ファンタジー不足で、説明的すぎて、かぶりもの、露出大、リアルすぎ・・・・いずれも嫌い。
これまで、トリスタン、ホフマン物語をDVDで観たけれど、そんな印象ばかり。
赤、グリーン、イエロー、ブルーと原色のけばけばしさが充満する舞台。
舞台奥には、これまたお得意の鉄骨の回廊やステージがあって、ネオンで飾り付けられて、それらが常に右に左に動いている。
それらは、ときに大人のおもちゃのお店だったり、売春宿だったり、18禁映画館だったり、ホテルだったりするから、その猥雑ぶりたるや・・・。
そしてそこにうごめく怪しい人々は、モロにそれらの人たちで、まともにリアルな性描写がなされている。
ルルもそこにいって・・・・、あらもうダメ。
エロい雰囲気の娼婦さんたちが右に左にうろついていて気になっちゃうし。
映画館では、微妙な映像が垂れ流されてるし。
そしてそこはまた、警察の取り調べ室や病室にもなるから、リアル追及のアイデアとしては効果的なのだが、なにもそんなにまでして、モロにくどいくらいに表現することはないだろう。
観客の想像力をバカにしているとしか思えない。

ベルクの書いたト書きは、かなり詳細で台本のセリフと合わせると、確かに、そんなリアルなことになっちゃうかもしれないが、そこは、ベルクの雄弁な音楽が補ってあまりあるものだから、リアルな舞台は、ベルクの音楽への集中力を弱めることになって感じた。

ピィの意図は、裸のルルが偽りの姿に身をやつして、やがてサンタクロース姿の切り裂きジャックに刺され、裸に戻って昇天する・・・という魔性の女に救いを与えたものに思われた。
そのピィの狙いは、多面的な顔を見せるプティボンあってのものに思われるが、その彼女が実に素敵なもの。

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まさに、プティボンの独り舞台。
弾けるように踊り歌うかと思ったら、濃厚かつエロティックな妖艶な眼差しで男どもを射すくめ惑わしてしまう。
目力の凄さ。お馴染みのクリクリまなこの感情表現力の多彩さ。
こうして映像を観るワタクシをもメロメロにしてしまう、プティボンの描き出すルル。
でも、そこに漂うのはどこか孤独な姿。
寂しそうなのです。

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(Meine Seele~わたしの魂)

歌の多彩な魅力と積極さは、プティボンならでは。
コンサートでいつも感じる彼女の声量の豊かさと声の威力。
可愛いコケットリーな歌唱ばかりじゃありません。
フォルムが崩れる寸前くらいに地声でシャウトしたり、コロラトゥーラばりの涼やかな高音を巧みに入れ込んだりする技巧の確かさ。
そしてシェーン博士相手に歌う「ルルの歌」の入魂の歌唱に、わたしは鳥肌が立つと同時にベルクの甘味かつ宿命的な音楽に今更ながら魅せられてしまった。

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グルントハーパーを除くと、有名歌手の名前はないが、いずれも個性豊かで、しっかりした歌唱と演技のひとばかり。
ゲュヴィッツ令嬢は、この役のスペシャリストのジュオン
特異さをも漂わす完璧な令嬢の描写です。
ひと際存在感あるグルントハーパーのシゴルヒ、巨漢だが美声を聴かせるシェーン博士の英国出身のホラント(この人ブリテンのスペシャリスト)、アメリカのリリックテノール、グローヴスのアルヴァもよい。

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リセウ歌劇場から発信される映像はこのところ大量で、意欲的な上演も多い。
いつからこうなったのかわかりません。
この劇場のいまの音楽監督が、ミヒャエル・ボーダーで、ボーダーは日本でもお馴染み。
新国の指揮台にも何度か立っております。
安定感と明晰さで安心して聴けるベルク。
オケの明るさも感じました。
欲をいえばその先がもっと欲しい。

ルルを聴いちゃうと、しばらくその音が耳にこびりついて離れない。
チェルハの補筆完成3幕版によるものでした。
これで、ルルのDVDは3つめ。
シェーファーのグライドボーン盤と、パッパーノのコヴェントガーデン盤。

過去記事

 「びわ湖オペラ 沼尻竜典指揮」

 「アバド ルル組曲」

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2011年10月16日 (日)

「Melancoria」 パトリアシア・プティボン

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札幌百合が原公園のダリアの品種、色とりどり。

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おおぶりのピンク。

花を冒頭に。

そう、今日は、女声歌手。
それも最愛の、パトリシア・プティボンの新しいCDなのです。

2度の来日を、それぞれ聴き、間近に彼女のお姿を拝見したけれど、おしゃれな彼女、そのドレスは白や渋めのシルバー、ブラックやパープル、モスグリーンといたってシック。
さすがは、フランス女性です。
来日した彼女は、街ゆく日本の女性の姿をみて、黒の使いかたや、思わぬ色の着こなしにとても感心してました。

 

だから、ここにある2枚のダリアの色は、プティボンご本人のイメージとは異なりますこと、申し添えておきます。

この色の洪水の中にあったパープル系は、惜しくもろくな写真しかありません。

こんなんです。Yurigaharabotan7

いまいちすぎますが、中央の渋いところが彼女好みの色かもです。

ベルクの「ルル」では、どぎつい演出もあって、キツイ赤をまとってますが・・・・。

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今回のパトリシア・プティボンの1枚は、スパニッシュです。

「Merancolia」~メランコリアSpanish Arias & Songs。

幅広いレパートリーと柔軟性を持つチャーミングな彼女、仏・独・伊・西・米・英と広範に各国の歌を歌います。
来日の際には、「さくらさくら」も歌ってくれましたから、もしかしたら日本の歌もいけちゃうかもです。
前にも書いたけれど、山口百恵(アリス)の「秋桜」を是非とも歌って欲しいと思ってます。
知的で、努力家、チャレンジ精神と、プロとしてのサービス精神の横溢したプティボンさまなのです。

メランコリア(メランコリー)は、憂鬱な、ちょっとアンニュイで落ち込んだ気分。
そんな気分の歌や、逆に、そのメランコリーな気分を晴らそうと陽気に、明るくふるまうような歌の数々。
そんなスペイン、ポルトガルやブラジル、フランスのラテン系の歌を集めた洒落た1枚。
CDブックレットの中で、ゆかりある方々のお名前をあげて感謝の彼女の言葉が書かれてます。

 

  1.グラナドス      「ある女の眼差し」  
  2.モンサルバーチェ 「黒人の子守歌」
  3.  〃        「黒人の歌」
  4.ホアキン・ニン   「エル・ヴィート」
  5.ヴィラ=ロボス   「ブラジル風バッハ第5番」
  6.トゥリーナ      「カンタレス」
  7.ヒメネス       「タランチュラは悪い虫だ」
  8.ゴメス&サアベドラ 「アディオス・グラナダ」
   9.ファリャ             「いながら楽しくこの世を過ごし」
 10.トローバ       「ぺテルナ」
 11.グラナドス       「ああ、私の命のマホ」

 12.シメオン       「マリネッラの歌」
 13.ブラガ民謡     「Odunge - uaerere」
 14.バクリ        「ア・ラ・マル」
 15. 〃         「シレンシオ・ミ・ニノ」
 16. 〃         「ハイ・クワイエン・ダイス」
 17. 〃         「ソロ」


       パトリシア・プティボン

    ギター:ダニエル・マンツァナス パーカッション:ジョエル・グレア
    
    ピアノ:スーザン・マノフ  

  ジョセプ・ポンス指揮 スペイン国立管弦楽団
                   (2010.9.25@マドリード)


ある女の眼差し、とはゴヤの書いたマハのこと。
グラナードゥスの「トナディーリァス」から「嘆きにくれるマハ」を歌っておりまして、冒頭からかなりアンニュイな感じで、ギターも物憂いです。

②と③は、スペインの作曲家モンサルバーチュの曲で、カリブのヒスパニックの音楽をスペインに紹介することに熱意を燃やした。「5つの黒人の歌」から。
しっとりとした②に、機関車のギコギコ走る擬音が面白い③は、飛ぶように歌うパトリシアのお姿が目に浮かびます。

は、有名な「EL vito」。ギターとパーカッションをバックに語りかけるように歌うパトリシア。やがて、リズムが動きだし、いやでも雰囲気が増してきて、彼女の魅惑的な歌声に早くもノックダウンすることとなります。
この曲は、ベルガンサやカバリエもよく歌ってました。
プティボンが選んだバージョンは、キューバのホアキン・ニンのものです、凝ってます。

 そして、有名なるはヴィラ=ローボスのアリア。
まるで耳元で、歌ってくれているかのようなパトリシアのハミングボイス。
軽やかなコロラトゥーラも味わえる、蠱惑的な歌声。

はトゥーリナの「カンシオーネス(カンツォーネ)形式による詩曲」から。
アンダルシアの雰囲気ムンムンの曲に歌唱にございます。

ヒメネスのこの曲は、やたらと有名。
おきゃんなプティボンのあのおどけた顔が浮かびます。
アイアイアイ・・・、のプティボンはやたらとカワユイのでした。

「Adios Granada」は、ギターにパーカッション。フラメンコ調のカンタオーラのようなプティボンの歌いぶり。その多彩な才能に舌を巻きます。まさに、スパニッシュ!
参りました。。。。。

ファリャのオペラ「はかなき人生」からのサルーのアリア。
気の毒な貧乏暮らしのヒロインが、悲しげに歌うアリアだが、さすがにプティボン。
オペラのひと場面ながら、没入ぶりが違う。

トローバのサルスエラ「La Marchenera」からの曲。哀感ただよう曲調は、最後は急速にテンポと力を増して、劇的に締めくくりますが、このあたりの急転直下の様変わりぶりもパトリーの面目躍如たるところ。

 ①と同じ曲集から、ここでも、マハの熱くて物憂い眼差しを感じますな。
炎のような瞳で見ないでよ、と歌ってます。

シメオンのサルスエラ「La canción del olvido」からの歌。
民謡調の単純な歌ながら、ギターとカスタネットがいい雰囲気を醸し出します。

乾いたドラムと鈴がエキソティックな出だし。ポルトガルの歌です。
妙に郷愁そそる音楽は、サウダージの世界でしょうか。
プティボンの朋友マノフ女史のピアノがここで活躍。

⑭~⑰
 フランスの現代作曲家バクリが、プティボンのために書き下ろした作品。
「Melodias de la Melancolia」と題された4つの歌曲。
パクリの曲は、ほかの曲が前回の来日でもプログラムに組まれていたが、プティボンの声質を知りぬいたその作風は、抒情的かつ繊細で、とても聴きやすい曲です。
フランスの作曲家だけれど、作詞家はコロンビア出身のモリーナという人で、これでもってフレンチとスパニッシュのブレンドが味わえるとバクリさんは語ってます。
切なくなってしまう⑭、あまりに美しい⑮、劇的で、ルルをも歌うようになったシャウトするドラマテック・プティボンが味わえる⑯。
このアルバムを総括するかのような⑰。
涙でも笑いでもない、歌や詩でもない、叫びや祈りでもなく、響きや口づけなんかでもない。ただ、わたしの甘味で知られたくないメランコリックなメロディなの・・・・・と歌います。

1曲1曲が、全体のなかで意味合いを持ちあっていて、それらが大きくスパニッシュというくくりに包括されている。
こうした企画力は彼女だけのものでないにせよ、歌でもってこれらを明快に描き分ける天性の才能には、ただただ脱帽です。
いったいいくつの顔を持っているんでしょうね、パトリシアさまは

 

 

 

 

DGのサイトより拝借の録音風景。
このCDについても、語ってます。

 

 

大人の雰囲気たっぷりの「EL Vito」をお楽しみください。

毎回1枚1枚、嗜好の異なる素敵なCDをリリースしてくれるパトリシア。
早くも、次作が楽しみです。
きっともう録音準備に入っていることでしょう。
 そして、なにより、まだ先だけど、再来年は日本にやってきますしね

パトリシア・プティボンの過去記事こちら

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2011年2月 8日 (火)

オルフ 「カルミナ・ブラーナ」 ハーディング指揮

Keyakizaka4

夕刻の六本木ヒルズ。
最近、通いだした客先の帰り道。
散歩しながら、麻布十番を抜け、三田、田町と、いい運動なのです。

Orff_carmina_burana_harding

なんだか、ジェームス・ディーンみたいなジャケット。
すっかりお馴染みとなったダニエル・ハーディング
御歳35歳。若い、若い。
ベルリン・フィルを初指揮したのが21歳。
ラトルとアバドに認められ、その影響も大きく受けているハーディングを、聴いたのは1度だけ。
2006年にマーラー・チェンバーと来日した時のもの。その記事はこちら
その時は、アバドがルツェルンとやってきて、生涯忘れ得ぬマーラーを聴かせてくれたときで、ルツェルンに参加していたメンバーがそのまま日本に残り、ハーディングを迎えての演奏会だったのだ。
だから、あのルツェルンの神が舞い降りたかのような、アバドの執念が乗り移ったかのような興奮をオケの主力が引きずりながらであったはず。
モーツァルトの後期3曲を、痛いほどの緊張感と、その真反対のリラックスムード、そして爽快さ、疾走感・・・、ありとあらゆる感情がびっしりと詰まった表現力豊かな演奏だった。
演奏後は、さすがのハーディングもへとへとだった。

まだ30歳だったこのスゴイ男は、ますます活動の場を広げている。

そして、昨年2010年にバイエルン放送響に客演し、オルフの「カルミナ・ブラーナ」を指揮したライブが、もう年内にはスピード発売された。
わたしは、即買いでしたよ。
なんたって、パトリシア・プティボンが歌ってるんですからね。

       S:パトリシア・プティボン
       T:ハンス-ウェルナー・ブンツ
       Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

     ダニエル・ハーディング指揮 バイエルン放送交響楽団
                       バイエルン放送合唱団
                       テルツ少年合唱団
                     (2010.4@ミュンヘン・ガスタイク)


でも、封を切ったのは今宵。
なんだか、カルミナを聴く気がずっとしなくて・・・・。
去年6月に聴いた現田&神奈川フィルのビューテフル&ゴージャス演奏が忘れられなかったのもひとつの要因だし、この原始的かつ単純、オスティナート効果丸出しの音楽を1時間聴くことは、そう何度もしたくないことなのだ。
プティボンのところだけ聴こうかとも思ったけれど・・・・。

ようやく聴いた全曲。
私のもっとも気にいった場所、そしてもっとも心動かされたのは、やはり、プティボンの歌う第3部の「In trutina」と、そのあとひとつおいて(ここでもヤマモリ云々と歌うプティボン、バリトン・合唱のユニゾンだけど、ユニークな彼女は目立ちます)の「Dilcissime~愛しいお方」のコロラトゥオーラの名技と無垢なるお声。
短い出番だけど、どこを取っても、聴いてもパトリシアさま。
彼女の声、だんだん強くなってきたと思う。
しかし、かつての羽毛のようなしなやかさが若干後退したかもしれない。
それを彼女の進化と捉えたい・・・・・・。
そろそろ、新盤も期待したいし、今の彼女を、もっと別な形で聴いたみたい。

プティボンばっか、書いちゃったけれど、ゲルハーヘルは、こうした歌はまったく上手いし、青年風でよろしい。でも真面目すぎかも。
ブンツというテノールの酔っ払い具合は、正しい居酒屋の様子(?)

それで、ハーディングなのであるが、どこか遊びというか、泥臭さがないのよね。
キレイごとすぎるんだ。
ライブなのに完璧な仕上がりで、どこにも難点がない。
でも難点がないところが、ちょっと不満。
もっと切羽つまっていたっていいし、はちきれる若さの爆発があってもいい。
バイエルンのオケの高い機能と、精緻さも、ここでは良すぎるように感じる。
なんだか、誉めてるんだか、けなしてるんだかわかんないけど、要は立派すぎる演奏なんだ。
だから、音は素晴らしく、現代的なパーフェクトな演奏という意味では文句なし。

でも、好漢ハーディング君、もっと踏み外してもよかったかも。
そんな風に、悩んだ風にジャケットに収まってないで、もっと暴れてみてよ。
今日は、多忙のせいか気が乗りきれずに聴いたせいもあるかもしれず、再度、気分のいい時に晴れやかに聴いてみたいですな。
また印象が変わるかもしれませぬ。

新日フィルとの共演も多く、定期的に聴けるようになったハーディングだから、この耳で確かめてみなくちゃいけませんね。

Keyakizaka3

ちょっと位置を変えて、けやき坂の望む。

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2011年2月 6日 (日)

メユール 「ストラトニス」 クリスティ指揮

Akasaka_sakasu1

クリスマスが終わると、げんきんな日本はツリーはともかく、イルミネーションも引っ込めてしまうから正月ムードが終わると街はまったく寂しい。
でもこちらは嬉しい輝きが。
赤坂サカスです。
この先はTBS。
六本木もそうだけど、放送局のおひざ元はキラキラしてます。

Akasaka_sakasu2

日曜はオペラを聴きます。
短めだけど、私のアイドル、パトリシア・プティボンがちょろっと出演してます。
タイトルロールなんだけど、出番は少なめ。

Mehul_straronice

エティエンヌ・ニコラ・メユール(1763~1817)は、モーツァルトと同時代のフランスの作曲家。
解説書を参考に、少しご紹介。

古典派のくくりになるのだろうけれど、グルックの指導を受け、オペラやバレエ作品を得意として24作ものオペラを残している。
器楽・管弦楽作品もそこそこあって、最近ではその交響曲が、ミンコフスキが録音して話題となったりしていて、ハイドンやモーツァルトとも異なる斬新な響きの作品となっているようだ。
1792年、パリのコミューク座で初演された「ストラトニス」は、いま聴けるメユールの唯一のオペラかもしれない。
仲のよかった作曲家ケルビーニも、この作品を大いに評価し、先に亡くなったメユールの才能に対しても絶賛の評を数々残しているようだ。
フランス革命さなかのメユールのコメディ・イタリェンヌ(オペラ・コミーク)は、のちのベルリオーズや、ウェーバー、ワーグナーなどにも影響を与えているという。
1幕もので約1時間。

  ストラトニス:パトリシア・プティボン  アンティオコス:ヤン・ブロン
  セレウコス:エティエンヌ・レスクゥワ  エラシストラトス:カール・デイモント

    ウィリアム・クリスティ指揮 カペラ・コロニエンシス
                     コロナ・コロニエンシス
                         (95.4@ケルン)


紀元前300年頃のセレウコス統治下のシリア。
ここで言う、セレウコス王は、セレウコス1世ニカトル。
その息子である王子アンテオコスは、アンティオコス2世テオス。
王の妻がストラトニスで、王子からしたら継母。
エラシストラシスは、後世に名を残した名医。
こんな4人が登場人物。

病に伏せるアンティオコスの寝室。
友人たちが、お見舞いにやってきて、アンティオコスを元気づけている。
方や、アンティオコスは、「もう、だめ、死にそう、いっそ死んだ方が楽」と嘆きにくれ、シリアスかつ美しいアリアを歌う。
そこに父セレウコスがやってきて、息子を励まし、名医がやっくることを告げ、さらに、自分は今日、ストラトニスと教会に行き幸せになるのだ。おまえもきっとよくなる。
愛する息子よ、早く元気になってと歌う。
しかし、息子は相変わらず、死ぬ死ぬ言ってる。

そこへ、親父のフィアンセ、ストラトニスがやってくる。
親父は、母として、息子を慰めて欲しいと言うと、彼女もわたしもそのつもりなのですと。
名医の到着の知らせに、親父セレウコスは出て行く、若い息子と義母のふたり。
「どうしたのか話して」という彼女。そして、「わたしのことを言わないで・・・」という意味深な言葉を残して去る。
「彼女のことは、私を苦痛のうえ、敏感にする」と息子はいい、今後一切黙っていようと思うようになる。
 やがて、到着した名医エラシストラシス。
「なんにもない、話すことない、うそなんかないよ」と息子はすげない。
医師は、息子の手をとり、その熱さに驚く。
いつからそうなの?とかいろいろと問診を受けるアンティオコス。
「あなたは、情熱の苦しみに囚われている・・・」と断じる医師。
ここで、あーでもない、こーでもないの医師と患者の二重唱。
 そこへ、ストラトニスがやって来て、部屋の前で、希望と怖れへの思いと、部屋に入ることへの気後れを歌う。
彼女を認めると、医師はアンティオコスの手を取り、その鼓動が早まるのを診て確信する。
医者は席を外し、二人になると、愛を語りだす。
医者はすべてを理解し、このオペラの中でも以外にも素晴らしいバリトンのアリアを歌う。
二人を別室に移動させた医師。そこに、これより教会に向かわんとする喜びの父がやってくるが、医師は一計を案じ、セレウコスに、アンティオコスが医師の妻を自分が結婚する前に見染めていたらしい・・・と話す。それが病の元と。
最初はけしからん、許さんなどとしていたセレウコス。
若い二人を呼んで寄こし、最初は不機嫌に、二人に自分に従うか!
と厳しく言い、二人も観念し、父を、夫を慕い従いますと語る。
しかし、セレウコスは、息子に、さぁ、愛するストラトニスの手を取りなさい、父以上の愛情を注いでくださいとして、自分は退き、彼女と一緒になることを命じる。
喜びのうちに、幕・・・・。

歴史上の史実で、セレウコスは実際の妻を息子に譲り、自分は引退して王位も渡す。
アンティオコスはその後、名君として善政をひくことになる。
いまの世では考えられない不実なことだけれど、大昔はありの世界だったようです。

実はこのオペラ、1時間のうち3分の1が語りなんです。
そして、頭にくるのが、わたしのパトリシアさまは、ソロがひとつもなく重唱のみ。
タイトルロールなのに。ほかの3人には、ちゃんと立派なソロがあるのに・・・・。
アンティオコス役のブロンのリリカルな歌は素晴らしいです。
でも、欲求不満がつのるのですよ。
おしゃべりだけすから。
でもちゃんと、プティボンの声、しかも麗しいフランス語を味わえますから。
急速なシンフォニアから、静やかな合唱、抒情的なアリアや、劇的な重唱。
音楽は、なかなかに素晴らしいのでした。

クリスティ門下生の歌の素晴らしさはさることながら、先生のクリスティのイキの良い弾んだ音楽は、音だけで聴くこのアンバランスなオペラに、しっかりとしたメリハリを与えてくれて、語りのあとの音楽が待ち遠しく、そして鮮度が高く感じられる。
室内オペラみたいなもんだから、実際に上演しても動きが少なく、効果が上がりにくいかもしれない。
映像のみで、メノッティみたいなオペラとともに、心理劇風に制作してみたら面白いかもしれないメユールでした。

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2010年8月10日 (火)

バーンスタイン 「キャンディード」序曲とアリア 

Tokyo_tower20107
三田方面から、赤羽橋・東京タワー方面へ走るクラヲタ人。
運転しながら、やみくものシャッターを切ったら、こんな感じに撮れました。
タワーは、夏バージョンの白いイルミネーション。

1週間前に観劇したバーンスタイン「キャンディード」がどうしても忘れられない。
佐渡裕さんの熱意あふれる指揮と、完璧に出来あがったチームの出演者もよかったが、何といっても素晴らしかったのは、ロバート・カーセンのセンスあふれる演出。

情報満載の舞台は、1度ではとうてい把握できず、何度も観て確認したい想いが捨てきれず、週末のオーチャードホールにどれだけ行きたいと思ったことか。
ウォーナーのトーキョー・リングにも匹敵するくらいの、豊富なアイデアとその垂れ流し状態。
受け取り手は、それぞれにその意味を受け止め、自分の中で消化・解釈するという楽しみがある。

「キャンディード」の全曲盤は、まだ持ってないので、今日は序曲と私の大好きなクネゴンデのアリア「着飾って浮かれて・・・」を手持ちの音源で聴いてみる。

Previn_lso
序曲で、一番好きな演奏は、プレヴィンロンドン交響楽団
歌いまわしが実にセンスがよくって、おしゃれ。
軽快さと沸き立つような喜ばしさにあふれ、羽毛布団のように豪華な肌触りもある。
70年代のプレヴィンとロンドン響の演奏は、いずれも素晴らしいものばかり。
Fiedler_bpo
これぞ、アメリカン!
とか思いつつ聴くと、意外と渋い感じで、かなりシンフォニックにまとまってるのが、フィードラー指揮のボストン・ポップス
ヨーロピアンな雰囲気あります。
しかし、このオケはうまいもんだ。DGがこのコンビの録音をたくさん残したのに、日本では、あんまり発売されなかった。
Copland_bernstein
そして、ご本人バーンスタインの演奏。
ニューヨークフィルとの演奏は未所有、晩年のロンドン響との全曲ライブは遅すぎ。
ロサンゼルス・フィルとの演奏は、まさに自在そのもので、ご本人が一番楽しんじゃってるナイスな雰囲気。
ロスフィルの音色は明るい

Upshaw
このたびのオペラ観劇がなければ、クネゴンデはこんなに我がままで、お金大好きな女子だとは思わなかった。
 華やかな生活に、金銀ネックレスに囲まれて贅沢に生きるのと歌うクネゴンデ・・・・。
生真面目なお人よしのキャンディードは、子供をたくさん育てて小じんまり幸せに畑を耕しながら暮らしたい・・・。
この鮮やかな対比が面白いし、人間のサガを感じさせますな。

で、私が好きなのが、ドーン・アップショウの素敵な歌。
この人のきめ細やかで、明るい人柄がにじみ出たような歌声に、わたしはどこにでもいる等身大の女性を感じ取ることができる。
アメリカンな彼女、バーンスタインと同じDNAもありやと思わせる朗らかな歌いぶり
Emi_gala
ところが、このアリアを歌わせては、この人の右に出るものはいない。
ナタリー・デセイ様であります。
まさに王女さまの風格。
天衣無為、変幻自在、完璧無比・・・、どんな賛辞をも辞さないとてつもないすんばらしさ
それでいて、メカニックな王女さまだけど、全然冷たくなくて、あったかい歌声。
クールで暖かい、という妙な誉め方であります。
グライドボーンのガラコンサートのライブだけど、ライブとは全然思えない完璧さに驚嘆

この映像をご覧ください。
目が覚めます



それから、忘れてならない私のアイドル、パトリシア・プティボンもこの曲が得意。
昨秋の来日時には、このアリアばかりか、キャンディードの最後の歌までも披露してくれた。
完璧な技巧を伴いながらも、デセイとはまた違う次元で、小悪魔的なカワユイ女子を歌い込んでました。
彼女の音源はなくって、ここでそのサワリが見れます。



佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ①

佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ②

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2010年6月 5日 (土)

プッチーニ 「ラ・ロンディーヌ」~つばめ~ ジェルメッティ指揮

Cooktal
お客様、今宵はカクテルなどはいかが
口当たりよく、デンジャラスなカクテル。
たいていは、2~3軒飲んでからこうしたバーに行くので、記憶を失いかけている場合が多い(私の場合)。
ですから、これが何というカクテルだか、記憶の片隅にもこれっぽちもないのだ。
そもそも、カクテルなんてめんどくさい酒はあんまり飲まないのに、なんでこんな写真があったんだろ

Puccini_la_ronfine
プッチーニ「ラ・ロンディーヌ」~(つばめ)を聴きます。
R・シュトラウス漬けだった今週、その傾向を受け継ぎつつの週末オペラは、プッチーニ。

プッチーニの方がちょっと先輩、でもふたりとも、世紀をまたいで同時期に活躍した独・伊のオペラ作曲家。
豊穣でドラマテック、甘味な旋律にも欠けておらず、そのずば抜けたオーケストレーションは、同時代のオペラ作曲家から抜きんでていて、大オーケストラを使いつつ、精緻で室内楽的な響きをも作りだす名人ふたりは、マーラーにも通じる。

そして、ともに優れたパートナーを得て、素材選びは、人間の感情の機微に深く根ざしたものが多く、ドラマと音楽が密接に絡み合って、深い感動とオペラを観劇する楽しみをわたしたちにずっと与え続けてくれるわけだ。
 モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディに、この二人、そしてブリテンを加えた6人が、わたしの最強の鉄板オペラ作曲家。(それに最近は、コルンゴルトとシュレーカー、RVW)

さらに、ふたりの作曲家の共通項は、女声大好き。
ヒロインに対する思い入れの強さ。
女性の方には、異論がおありかもしれませぬが、「女の気持ち」を男の側から、こうまで完璧に表現しつくすなんて。憎らしいほどでございます。
プッチーニは、おっかない女から、つつましい女、意志の強靭な女、いろんなタイプの女性を描いたけれど、「ミミ」に理想を求め続けたという。
 対するシュトラウスも、いろんなタイプの女性を描いてますな。
でもシュトラウスの女性は、いずれもオペラの中で、成長してゆく女性か。
先日の「影のない女」しかり、「ばらの騎士」「ダフネ」「ダナエの愛」などなど。。

そんなお二人ですが、ともに、おっかない奥さんの独裁下にあったのがまたなんとも・・・。
だから、オペラの中に理想の女性像を求めてしまったのでありましょうか・・・・・
 いいなぁ、わたしにもそんな逃げ道が欲しいぞよ。

「つばめ」は、あまり日があたらないオペラだけれども、素晴らしい旋律がたっぷり詰まっていて、ドラマもセンチメンタルで思わずホロリとしてしまう、プッチーニらしい愛らしい名作なのだ。
わたしは、この作品が大好きで、今回で3度目の記事。

「椿姫」と「ばらの騎士」を混ぜ合わせたようなドラマ。

~銀行家の愛人の女性が、田舎から出てきた青年と真剣な恋に落ちて、リゾート地で暮らすようになった。青年は晴れて母親の許しを得て、結婚に燃えるが、女性は、自分の身の上を恥じ、涙ながらに自ら身を引く~

もといたところに、再び戻ってくるのが「つばめ」。

永年の出版元であったリコルディ社と一時的に決裂し、ウィーンからオペレッタ風の作品を書いて欲しいという要請のもとに手をつけたものの、台本にやたらうるさいプッチーニが散々に書き直させて今の形になり、1917年に初演。
この年にシュトラウスは、「影のない女」を完成している。

有名なアリアは、1幕の「ドレッタの夢」だけで、ドラマに生死もなく起伏が少ない全体に、なだらかな雰囲気。
でも、プッチーニ好きなら必ず好きになってしまう素敵な旋律の宝庫であります。
初演は成功したものの、埋もれてしまった桂作オペラをいまこそ広めていただきたい。


 マグダ:チェチーリア・ガスディア   ルッジェーロ:アルベルト・クピード
 リゼッテ:アデリーナ・スカラベッリ  プルニエ:マックス・ルネ・コソッティ
 ランバルド:アルベルト・リナルディ   ほか

   ジャンルイージ・ジェルメッティ指揮 ミラノ・イタリア放送交響楽団
                               〃       合唱団
              (1981.11.13@ミラノ・ヴェルディ音楽院ホール)

聴きどころや、大筋は、過去記事をご覧ください。

このCDは、某ショップで発見して即買い。珍しいイタリアのフォントチェトラ原盤で、いまはワーナー参加だからアメリカ盤なら手に入りそう。
洒落たジャケットで、メトやほかのDVDの舞台でも、アールヌーヴォ風の装飾の舞台装置が雰囲気豊かだった。

そして、歌手も指揮者もオーケストラもすべて生粋のイタリア産のこちらの演奏は、フレッシュで耳洗われる爽快さ、搾りたてのレモンサワーみたい。

ガスディアの若々しいマグダは大人の魅力は薄いけれど、コケティシュな感じで魅力的。
3幕で、ルッジェーロの母からの結婚の許しの手紙を読むところなんて、もう、切なくなっちゃう。
最近、名前を耳にしないけどどうしてるのだろう。
 日本を愛する、お馴染みクピードのルッジェーロにも鮮やかな感銘を受けた。
イタリアの太陽のような輝かしさと、どこまでも伸びやかな歌声は、ドイツものばかり聴いてると最初は違和感を覚えるが、耳のなかの、そして心の中の澱をすべて洗い流してくれるような思いになる。

これもまた最近名前を聞かないジェルメッティの指揮は、ミラノのオーケストラとともに、オペラティックな雰囲気抜群で、プッチーニのちょっとした節回しや、合いの手にも心がこもっていて聴かせてくれるんだ。

「ラ・ロンディーヌ=つばめ」、まずは、パッパーノあたりのCDでもってお聴きになってみてはいかがでしょうか!
素敵なオペラにございます。

そうそう、昨年、パトリシア・プティボンがコンサートのトリに歌ってくれたのも、このオペラのアリア。
アラーニャさま臨席のもと、彼女の歌とインタヴューの映像がありましたよ。
こちらでご覧ください。
役に同化する彼女の好みそうな役柄だけれど、プッチーニはまだ少し違和感あるかも。
でも彼女のことだから、すぐに彼女なりのマグダを歌い込むようになるのだろうな。

 ラ・ロンディーヌ過去記事

「アンナ・モッフォ&モリナーリ・プラデッリ」
「ゲオルギュー&アラーニャ@メト」

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2010年5月 4日 (火)

オッフェンバック ホフマン物語 ジュネーヴ大劇場

Ninomoya
この連休中、5月初頭の青い空と新緑ですよ。
この時期は、紫外線が強いから思わぬ日焼けに注意だ。
わたしは地肌をやられちまうから、よけいに注意。

でも、なんだか連休も、天気がやたらといいだけに、かえって虚しくて、疲れちまいますね。
何も楽しみがないオッサンだからよけいでしょうか。

音楽聴くしか能がないオッサン1号でございます。

そんなオヤジ心をくすぐるオペラ映像を今日はどうぞ。

Img_0001
最愛のソプラノ歌手、パトリシア・プティボンが得意のオランピアを歌うDVDを観劇しましたぞ。
3
だいぶ前から購入していたけど、どうも触手が伸びなかった映像。
HMVサイトから買ったのだけど、そちらの宣伝文句からして、妙な先入観を植え付けられてしまい、半年間放置
 そして観ましたがね、予想通りの嫌な展開に目をつぶりたくなる。

注目のパトリアシアのオランピア。
目をつぶってきくと、これはまさに、いつもの慣れ親しんだ完璧なまでに歌い込まれたオランピアで、これは完成された芸術品なのであって、思わぬほどの意思を持った力強い歌は、技巧だけ・キレイなだけ・お人形さんらしさ、などなどの表現の歌が浅薄に感じてしまう。

4
でも目を開けると、このジャケット写真のようなあられもないお姿に身をやつしたパトリシアが・・・(笑)。
ギリギリの肉襦袢であるのだけれど、これはまさに、南極2号状態(知ってますかね・・)
知らない方は、ググってみてくださいまし。
本物のプロとしてのプティボンは、こんなことにも果敢に挑むわけであります。

こんな格好をさせたクソ演出家は、フランスの映画監督・俳優・演出家のオリヴィエ・ピィだ。
同じような経歴を持つ人として、パトリス・シェローを思いおこすことができるけれど、シェローは音楽をよく理解し、何よりもその演出には品があり、説得力があった。
同じジュネーヴのトリスタンは、あふれかえる水をうまく使った美しい舞台に思ったけれど、自身が携わったものと思われる映像のカメラワークが最低で、欲求不満の残ったDVDだった。
 今回は、そんなこと以前の問題で、モノクロームの舞台に、人工的な照明や鏡面。
2階・3階に別れた足場のような多層的な舞台装置。
それらが、目まぐるしく変転し、動き回る。
訳もなく裸が満載で、あっちでブラブラ、こっちでもぞもぞ。
実はこれがまったく困ったもので、先のプティボンのオランピアはいい方で、3幕に登場の情夫シュレミルなどは、全裸を余議なくされているし、冒頭近くに出てきて酔えるホフマンを別世界へいざなう牧神のような連中も全裸で、男子たるワタクシとしては、そのブラブラ加減が鬱陶しいことこのうえなし。
女性も同じく、ウニャウニャでてきますぜ・・・。
S○●もどきの動きも満載だし、歌手ってたいへん。

こんな映像を、家族を持つワタクシがどのようにして自宅で視聴したらよいのだろうか。
観てたら、娘に踏み込まれてしまったし・・・。
夜中に、こっそり観るしかねぇえんだわ。

そのブラブラ・うにゃうにゃが、音楽を邪魔せず、演劇の必然として機能してれば、どんなに過激でもよしとしよう。
でも、私にはまったく音楽とは別物に感じざるを得ないのだ。

何百ものオペレッタを書いたオッフェンバックが最後に書いた3つの恋物語。
酔っ払いの居酒屋のホフマンを前後に挟んで、夢想の中に登場する、オランピア・アントニア・ジュリエッタ。
それぞれ、人形・歌手・娼婦。
男の側からのみ見た、女性の3態。そこにいとも簡単に溺れるホフマン。
ある意味、男からしたら、この女性遍歴は深淵なる世界ともとれ、これをオペラ化したオペレッタの王様のオッフェンバッハの心に宿ったのもユーモアの精神だったりして・・・。

この3つの恋物語に統一感を持たせようとしたのは、まず3人のお顔と髪型。
それぞれ、おかっぱで、パンダ顔の化粧。キョンシーみたい。
でも、他の人物たちはホフマンも含めて、ごく普通の人物。
ただし、リンドルフ・コッペリウス・ミラクル・ダッペルトットの4役はよくあるように同一歌手が演じ、まさに悪魔的な隈どりの濃い人物。というか、悪魔か。
3人の女性の特異性と同一性を浮かびあがらせんとする演出はどれも一緒だけど、少々気持ち悪し。
 舞台には、仮面を付けた無表情の第3者(=合唱)と、骸骨やおかっぱの女性多数。

だいたい、こんな舞台をご想像ください。
オペラの内容は検索してください。
なぜだか、投げやりなオペラ記事でありました。

でも、ここに演じる歌手たちが素晴らしいんです。
まさに彼らはプロ中のプロ。
映像なしで、音源のみ聴いて素晴らしい。

  ホフマン :マルク・ラオ  ミューズ、ニクラウス:ステラ・デュフェクシス
  リンドルフ、コッペリウス、ミラクル、ダペルトゥット:ニコラス・カヴァリエ
  アンドレス、コシュニーユ、フランツ、ピティキナッチョ:エリック・ヒュエ
  オランピア:パトリシア・プティボン 
  アントニア:ラヘル・ハルニッシュ
  ジュリエッタ:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング   他

    パトリック・タヴァン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
                   ジュネーヴ大劇場合唱団
                   演出:オリヴィエ・ピィ
                   装置、衣装:ピエール=アンドレ・ウェイツ
                      (2008.10@ジュネーヴ)

2
ホフマン役のベルギーのテノール、マルク・ラオの伸びやかな声がいい。
この役はドミンゴの訳知り顔の歌が刷り込みの方も多いかもしれないけれで、ベルカントを得意とするラオの歌は、適度にアホっぽくて純でよろしい。
1_2    
 そのホフマンにいつも付きまとう、ミューズ=ニクラウスのドゥフォー。フランクフルト生まれらしく、真面目な歌いぶりだけど、ちょっぴりセクシーで、可愛い狂言回しになってる。
アバドのファルスタッフにも出てたっけ。
 Img_0004
N・カヴァリエの悪魔三役は、かなりの説得力。
同じ4役のヒュエのキャラクター・テノールぶりもよろしく、実際、ベルクなども歌う人みたい。
Img_0002
そう、あと素晴らしいのが、ハルニッシュのアントニアの清純無垢ぶり。
映像見てると変なお嬢さんだけど、音源のみで聴く彼女の澄み切った歌いぶりは、プティボンとラホと並んで、このプロダクションの白眉。
 
7
ヴェセリングのジュリエッタは、ワーグナーメゾのそれ。
強くて、おっかないのです。そのお姿のエロさよりは、滑稽さが。。。、でも歌は素晴らしい。

11
指揮は若いパトリック・ダヴァン
この人結構いいです。
スイスロマンドから、鮮度高い生き生きとした音楽を引き出してます。
このひと、世紀末系の音楽も得意にしていて、私の感度とばっちり合いそう。

この映像、一度見たら、あとは音だけで楽しんでます。

自分も含めて、お口直しのプティボン映像をどうぞ。



この頃は、おきゃんなムードで、かわゆかったけど、母となり、その歌もスケールを増して、女を歌う歌手になってきたパトリシア。
でもジュネーヴの「ルル」もそうだけど、ピィはやめて欲しいなぁ。

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