飯守 泰次郎さんを偲んで
ヒラサ・オフィスの発表より
8月15日、飯守 泰次郎さんが逝去されました。
訃報を翌日知り、ほんとうに驚き、わたくしのワーグナー視聴歴にも、なにかひと時代が終わったという感慨につつまれました。
いうまでもなく、飯守さんは日本の産んだ世界最高クラスのワーグナー指揮者。
60年代半ばから、バイロイトでの練習ピアニストなどの下積み経験を経て、ドイツの各劇場でさらに研鑽を積むという、カペルマイスター的な叩き上げのオペラ指揮者で、71年からはバイロイトの音楽助手を務めるようになり、まさにバイロイトに仕えたマエストロであります。
全盛期のベーム、シュタイン、ヨッフム、ヴァルビーゾ、ブーレーズなどの元でオーケストラを整え、ワーグナーの神髄を吸収していった。
そんな飯守さんの日本への凱旋は、1972年の二期会の「ワルキューレ」。
二期会のリングチクルスの一環だったが、ワーグナーに目覚めた中学生のワタクシは、音楽雑誌を眺めてはどんな音楽なんだろ?とため息をつくばかりでした。
ホルスト・シュタインのN響客演の翌年、1974年にはN響に登場され、わたしがN響アワーで食い入るようにして観たのが「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死。
過去記事で何度か書いてますが、律儀に6拍子をきっちり振り分ける明快かつ冷静な指揮ぶりが印象に残ってます。
飯守さんのライブでの経験は、わたくしはワーグナーばかり。
でも少ないのです・・・
「トリスタンとイゾルデ」 コンサート形式 名古屋フィル 1995年1月
「ツェムリンスキー 抒情交響曲」 名古屋フィル 1995年7月
「ベルント・ヴァイクル ワーグナー」名古屋フィル 1995年10月
「ワルキューレ」オーケストラルオペラ 東京シティフィル 2001年
「ローエングリン」オーケストラルオペラ 東京シティフィル 2004年
「パルジファル」オーケストラルオペラ 東京シティフィル 2005年11月
「ナクソスのアリアドネ」関西二期会 関西フィル 2008年1月
「ワルキューレ」二期会 東京フィル 2008年2月A
「ワルキューレ」二期会 東京フィル 2008年2月B
「トリスタンとイゾルデ」オーケストラルオペラ シティフィル 2008年9月
「小山由美 リサイタル、ツェムリンスキー、ワーグナー 2010年4月
「トリスタン、ブルックナー7番」神奈川フィル 2014年4月
いずれも思い出深い演奏ばかり。
なかでもシティフィルとの一連のオーケストラルオペラは、飯守さんの指揮ぶりが間近でみれた上演なので、氏の熱い、ワーグナーのすみずみまで知り尽くした棒さばきから目が離せませんでした。
同時期に若杉さんと飯守さんという、ふたりの偉大なオペラ指揮者を聴くことができたことは、この先もしかしたらそんなに長くない、わが音楽人生のなかでも一番輝いていた頃かもしれません。
若杉さんが新国の芸術監督だった頃、指揮をしないときでも、ほとんどの演目で若杉さんの姿をお見掛けすることがありました。
そして何度も若杉さんと飯守さんがホワイエで談笑されている姿も・・・
飲み物を買おうと並んだら、なんとそんなお二人の真後ろだったことがあった。
おふたりが何をお飲みになったか、もう覚えていませんが、どちらかがジンジャーエールだったかと思う。
静かな若杉さん、熱く語る飯守さん、ふたりの言葉はよく聴こえませんでしたがこれもまた良き思い出。
新国立劇場の芸術監督時代、わたくしは仕事の不芳もたたり、新国での飯守さんのワーグナー上演にひとつも行けず、オペラからも遠ざかりました。
返す返すも残念なことでした。
人生には波や流れがあり、わたしの音楽ライフもおおいに左右され、この先も見えつつあるところ。
新国立劇場の追悼ツィート。
泣けちゃいます。
飯守さんの音源はそこそこあるが、残念なのはオペラがひとつもないこと。
2度にわたる「リング」の音源化など出来ないものだろうか。
慈しみあるれる「ジークフリート牧歌」を聴いて、飯守さんを偲びます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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