カテゴリー「東欧系音楽」の記事

2019年1月18日 (金)

スメタナ 交響詩「わが祖国」 ビエロフラーヴェク指揮

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菜の花がもう満開の吾妻山。

1月4日に撮りましたが、現在、「菜の花ウォッチング」開催中。

再三、書いてますが、この町で、のほほんと育ったわたくしは、この山の麓にある小学校と、海沿いにある中学校に通ってました。

二宮金次郎像があって、木造の由緒正しき校舎はいまやありませんが、校庭には大きな楠の木がいまだに立ってます。

折に触れ帰っては、海と山を見て、郷里への想いを強くしてます。

ということで、「わが祖国」を。

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   スメタナ  交響詩「わが祖国」

     イルジー・ビエロフラーヴェク指揮

        チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.5.12 @スメタナホール、プラハ)

これまた何度も書いてるかもしれませんが、けっこう集めちゃう「わが祖国」。
最近でこそ、あまり訪問しなくなったCDショップで、必ずチェックしてみる棚が、「わが祖国」。
同じく、チェック先は、「幻想」に「チャイ5」に、「ディーリアス」を中心に英国もの全般。

「モルダウ」も素晴らしい名品だけれども、やはり連作交響詩としての「わが祖国」を通して聴くことの、音楽体験としての充実ぶりには及ばない。
しかも、レコード時代は2LPだったけど、CDでは、ちょうど1枚に収まる。
「第九」と同じく、CDになってからのメリットを、とても感じるのが「わが祖国」。

それから、自国のアイデンティティを鼓舞し、自国愛を歌うことで、それが等しく世界の共感をえるのが「わが祖国」。

そう、なんだかんだで、「わが祖国」なのであります。

6つの連作交響詩は、5年に渡って作曲され、ボヘミアへの溢れんばかりの思いがつづられ、モティーフも関連付けがなされ、結果として、ひとつの大きな流れをもつ大交響詩となりました。

1.「ヴィシェフラド」 モルダウ川沿いの古城、その城の栄枯盛衰を描く

2.「モルダウ」    スメタナが残した幻想的な注釈を読みながら聴くと
             新たな感動も

3.「シャールカ」   伝説の女傑シャールカが恋人に裏切られ、
           仲間の女戦士とともに、敵の男衆を皆殺ししてしまう
           ・・・怖いよ

4.「ボヘミアの森と草原から」 
           ボヘミアの自然賛歌と、市井の田舎の祝宴の様子
        
5.「ターボル」  キリスト教宗教改革の一派、フス教徒の拠点の街ターボル
        旧弊な教会サイドとの闘いは、チェコ民族の団結を強くした。

6.「ブラニーク」 フス教徒の戦士が眠る山、ブラニーク。
           国家存亡のとき、
           その亡国を思い戦士は蘇えり聖戦へ導くとされる
           ここに至り、戦士の動機と祖国への愛の旋律が合体し、
           高らかな勝利へ♪

過去の伝説と溢れる自然を交響詩に描きだしたスメタナ。
国のあふれる希望と期待を、その音楽に折り込んだ。
しかし、チェコがその後、大国に翻弄され苦難の道を歩んだのは、ドイツ・オーストリアに近いことや、その後すぐに東側に組み込まれたことで、歴史が示すとおりであります。

でも、苦難のときも、ビロード革命の末、民主化されたのちにも、常にチェコにあったのは、このスメタナの「わが祖国」であり、チェコ・フィルハーモニーであり、さらにチェコ出身の指揮者たちであったのです。

ちなみに、歴代のチェコフィルの指揮者たちは、チェコスロヴァキアの政治体制とまったく呼応するように、その進退を繰り返してます。
クーベリックは、戦後、共産体制になったことを受け、西側に亡命。
アンチェルは、68年のプラハの春のチェコ事件で楽旅中にカナダに亡命。
ノイマンは、東ドイツで活躍しつつも、アンチェルの後を受け、プラハの春に故国へ召還。
しかし、東側体制崩壊の1989年のビロード革命では、音楽面で大きな役割を担い、一貫してチェコのために生き抜いた。

以降は、チェコは、開かれた民主主義の国として、中欧の勤勉な国民のもと、穏やかな国として存在してます。
自国出身の指揮者として、1990年に就任したビエロフラーヴェクは、3年で退任し、その後、アルブレヒト、アシュケナージ、マカール、インバルを経て、2012年に、再びチェコフィルに復帰しました。
 その間、ビエロフラーヴェクは、国内ではオペラ、海外では世界中のオーケストラに客演し、なかでもBBCsoの首席指揮者になったことが、そのキャリアの上でも、最高のステップアップになりました。
フレキシビリティの高い優秀なBBC響は、ロンドンのなかでもLSOに次ぐ実力オケだと思ってます。プロムスでも多彩な演目をこなし、ビエロフラーヴェクは、イギリス国民のお祭り的なラストナイトを何年も指揮してました。

今回、取り上げた「わが祖国」は、ビエロフラーヴェクとチェコフィルが2014年のプラハの春音楽祭の恒例オープニングを飾った際の模様で、ゲネプロかなにかからの録音です。
最初の音楽監督就任時の1990年にも「わが祖国」は録音されていて、そちらも端正かつ、正しき演奏なのですが、時を経て、経験も経ての2014年盤は、それ以上に練れて、充実した内容となっておりました。

演奏タイムは、90年も14年も、ともに77分ほどで、ほぼ同じ。
あれこれ細かいことはせずに、王道のストレートな解釈なのですが、後年のものは、ともかく恰幅がよくなった感じで、堂々としているのです。
 この連作は、チェコの自然や生活、遺跡をそのままに歌い上げた1,2,4と、歴史の史実を掘り返してみせたような生々しい3,5,6とで、2種類の性格があるように思います。
それらをともに、きっちりと描きわけている点でも完璧だし、チェコフィルに沁みついた心の歌ともいうような旋律やモティーフが、それぞれに、あるがままに歌われること、同じアイデンティティを持った者同士でないとできない自然さであります。
 ふたつのこの連作作品の性格要素が、最後の「ブラニーク」で感動的に結実し、高らかに歌い上げられるとき、いつも以上に心よりの高揚感に満たされました。
優等生的解釈ながら、その正統ぶりには、誰しも真似できない近づき難いものに思われました。

かえすがえすも、病気とはいえ、ビエロフラーヴェクの早かった死が悔やまれます。
思えば、チェコフィルのチェコ出身指揮者たちは、みんな早世でありました。

ビエロフラーヴェクの後を継いだのは、セミョン・ビシュコフ。
チャイコフスキーの交響曲を順次録音中のようです。

フルシャとネトピル、若い次の世代も着実にきてます。

しかし、中欧・北欧・東欧、ロシアの作曲家たちって、祖国への熱い思いを、思い切りその作品に反映させているし、国民たちもそれを愛し、誇っています。
国民たちは、その思いを、同じく愛国心として吐露しています。
 なんだかうらやましい。
日本では。。。。

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今回、スコアを見ながら聴きましたが、ほんと、よく書けてる。
波乱万丈のスメタナ、失聴していたとは驚きです。

そして、チェコフィルの音は美しい♪

わが故郷から。

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2015年7月29日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ クーベリック指揮

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夜のドライブ。

六本木トンネルを抜けたあと、ヒルズの真下へ。

都会の土曜日の夜は、空いていて快調。

こんな時は、ブラスが鳴り響く音楽を高らかに聴きたい。

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  ヤナーチェク  シンフォニエッタ

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1970.5.1 @ミュンヘン)


チェコのモラヴィア出身のレオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)。

かつての昔、わたくしが、このシンフォニエッタでもって、初めてその名前を聴いた頃は、「モラヴィアのムソルグスキー」とただし書きが付けられていました。

1971年に発売された、クーベリック指揮による、このレコードのFM放送でもって、初めて、ヤナーチェックを聴きました。
カセットテープに録音して、何度も何度も聴きましたし、ほどなく、マタチッチが、N響で指揮した演奏も放送で聴きました。

このレコードの発売は、暮れの時期で、クリスマスムード漂うなか、当時、ハマっていた「メサイア」や、キラキラ系のフィードラー&ボストン・ポップスのクリスマス音楽などとともに、聴きました。
 だから、自分のなかでは、まったく関係もないけれど、クリスマスっぽいイメージが、ちょっとだけつきまとう曲でもあるんですよ。

でも、この印象的かつ強烈なジャケットは、併録された、より民族的(ウクライナ、コサックの物語)な「タラス・ブーリバ」をイメージするもので、ともに忘れえぬ思いでとして、わたくしの中に刻まれているものなんです。

さて、70年代初めは、ヤナーチェクといえば、このこれらの作品と、ヴァイオリン曲、室内楽作品ぐらいしか馴染みがなかったはずです。

それが70年代後半から、マッケラスが、ウィーンフィルとデッカに、より、ヤナーチェクの本領があるオペラ作品を、次々に録音するようになって、ヤナーチェクの全貌が見えるようになってきたんだと思います。
チェコの音楽やオペラ劇場による録音は、少しはありましたが、メジャーレーベルによる、有名歌手を起用しての本格録音は、それまでローカルで、局所的な存在だったヤナーチェクのオペラが、まさに、「モラヴィアのムソルグスキー」と呼ばれるべき、社会問題や人間存在のあり方を、見つめ、突き詰めた作品たちであること、それが、完璧に理解できるターニングポイントとなるものでした。

従来の管弦楽作品の演奏史のなかでは、今宵のクーベリックの演奏が、ひとつの金字塔ではないかと思います。
セルの演奏は、恥ずかしながら未聴。
あとは、ここでもマッケラスとVPO、そして、大好きなのが、アバドのLSO盤。
ベルリンの渋い再録とともに、ロンドンのブラスの輝かしさが、アバドらしさを引き立ててます。(アバドには、あともう一品、ウィーンフィルとのライブ自家製CDRがありまして、そちらは、ムジークフェラインの丸くて、生々しい響きが魅力的ですよ)

クーベリック盤は、バイエルン放送響の金管セクションのマイルドであり、明るくもある、アルプスの山々さえも感じさせるビューティフルサウンドが魅力的。
バリッとした両端楽章のファンファーレでは、まさにそう。
 でも、この演奏の素晴らしいところは、ポルカ調であったり、ロンド調であったりと、舞曲風な節回しにあふれている、中間の3つの楽章。
オペラ指揮者、クーベリックらしく、両端楽章と中間3楽章との対比の鮮やかさと、母国語で難なく語り、それを巧みに受け止めることのできる高機能オーケストラが民族臭豊かな響きを紡ぎだしております。

もう、45年近く前に聴いた、この演奏に、この曲ですが、あらためて聴き直してみて、クーベリックという指揮者の器用さと、いまにつながるBRSOのウマさに感服しました。

村上春樹の小節に、出てくるというこの曲。
毎年、ノーベル賞候補にあがる、この人気作家の作品、実は、ひとつも読んだことがありませんこと、カミングアウトしときます。

ということで、今宵3度目のファンファーレを聴きつつ、おしまい。

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2015年3月11日 (水)

スメタナ 「モルダウ」 ミュンシュ指揮

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   スメタナ  交響詩「我が祖国より」~「モルダウ」

     シャルル・ミュンシュ指揮 フランス国立放送管弦楽団


わたくしの「モルダウ」は、これが刷り込み。

もう2回目の記事になりますが、今夜は、これが聴きたくなりました。

もう4年、いや、まだ4年。

今日は、あの悲しい出来事の起きた日でした。

 日本中の心が、一体になった。

決して、その心や気持ちを、風化させてはいけません。

 4年前の、自分のブログを振り返って、読んだりもしてみました。

なにも、情報が入らないままに、震災翌日に、神奈川フィルの定期に足を運び、ガラガラの会場で、壮絶なマーラーの6番の演奏を聴き、心震えました。

昨日のことのように、覚えてます。

そのあと、知りあった、いまや、作者不詳とも言っていい某交響曲とか・・・。

 いずれにしても、音楽が共にあって、その音楽の力を痛感しつつ、それに包まれるようにして、自分は生きていたし、これからも、そうあるのだということを、いやというほど実感したのでした。

 誰しも、懐かしい音楽ともいえる「モルダウ」を聴きつつ、それこそ、自分にとって懐かしいミュンシュの演奏には、大昔の自分や、育った町にまで、その思いを馳せることになるのでした。

コンサート・ホール・レーベルの60年代の録音は、もこもこ系で、決していい音はしませんし、演奏も、少し乱暴なところもある一本義な指揮ぶりですが、このジャケットを見ながら聴くと、ほんとうに郷愁を覚えます。

音楽って、シンプルに、こうゆうことでもあるんですよね。

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2013年11月30日 (土)

スキタイ、シュールホフ、中国役人、馬鹿な男、ラ・ヴァルス ゲッツェル指揮

Shimbashi

サラリーマンの聖地、新橋駅前のSL広場。

そのSLも、冬の装いを纏うようになりました。

毎年違います。

酔ったお父さんたちは、これを見てウキウキして、そして元気に電車に乗って、お家に着いたら小さくなっちゃうのでしたぁ。(By 自分)

でも、この機関車のように、元気に力強く、いつまでも突っ走りたいものです。

今日は、そんな気分まんまんにしてくれる、威勢のいい、そして派手な1枚を!

もう、もう、最高なんだ、これ!

指揮は、サッシャ・ゲッツェル。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者です。

Goetzel

 プロコフィエフ  「スキタイ組曲」

 シュールホフ   バレエ音楽「オジェラーラ」より

 バルトーク    組曲「中国の不思議な役人」

 ホルスト      歌劇「パーフェクト・フール」からバレエ音楽

 ラヴェル     「ラ・ヴァルス」

  サッシャ・ゲッツェル指揮 ボルサン・イスタンブールフィルハーモニー管弦楽団

                   (2011.6 @イスティンエ、イスタンブール)


激しかったり、おもろかったり、血の気が多かったり、そして優美でお熱かったり。

このCDのコンセプトは、20世紀初頭の各国の舞踊音楽にあります。

彼らの1枚目のCDも、同じようでして、レスピーギに、F・シュミット、ヒンデミットです。
そちらは、また1月に入りましたら取り上げます。

まずは、このコンビのご紹介。

サッシャ・ゲッツェルは、1970年、ウィーンフィルの第1ヴァイオリン奏者を父として、ウィーンに生まれる。
そして、ウィーンならではの、自身も優れたヴァイオリン奏者としてのウィーンフィル入り。
われらが小澤さん、ムーティ、メータらのもとで、オペラやオーケストラコンサートで奏者としてしっかり活動。
そして、フィンランドの指揮者輩出の名指導者パヌラの教示も受け、指揮者としても活躍を始める。
ヨーロッパ・北米・日本とその指揮活動は、またたく間に広まり、現在、フィンランドのクオピオ交響楽団、トルコのボルサン・イスタンブールフィルの指揮者を務めるほか、フランスのブルターニュ・フィルハーモニクと神奈川フィルハーモニーにもポストを得ております。
 オーケストラばかりでなく、オペラの力量も秀逸で、ゲルギエフのキーロフで「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したり、ウィーンのフォルクスオーパーではウィーンフィル創設者の「ウィンザーの陽気な女房たち」を指揮し、さらに日本公演も行いました。

親の七光りを越えて、ゲッツェルさんは、指揮者として完全独立。
世界の楽壇が今後求める、有力な指揮者の仲間入りをしております。

神奈川フィルは、ほんとうにいい指揮者を見つけ、つかまえたものです。

初共演を聴くことは逃しましたが、そのあとのマーラーを振った定期を聴きました。
その時の、面白さは、のちのちでも自分の書いたブログを読んで、悦に入ったりしてしまうくらいのナイスなもので、あんな爽快かつ気分のいいコンサートはなかったな。
オケメンバーも大絶賛、このときがこのコンビを決定づけるきっかけとなりました。

ボルサン・イスタンブールフィルは、1999年スタートのまだ若いトルコの首都のオーケストラですが、最初は室内オーケストラから始まったようです。
東西の接点、アジア・ヨーロッパの融合するトルコのイスタンブールのオーケストラですよ。
オケ好きとしては、とても気になる存在だった。

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欧米のオケは、メジャーは当然として、いまやいろんなマイナーレーベルから、各国のオケが、日本のオケもふくめて聴ける時代で、ほんとうに珍しいのは、東南アジアや南アジア、中近東、南米、アフリカのオーケストラ。
トルコは、それに比したらずっと先進的だし、ヨーロッパ。
イスラムの国でありながらのヨーロッパ国としてのオーケストラです。

それをウィーンの指揮者が指揮をする。
こんな面白いことはありません。

こんな激しさと特徴あふれるダンス音楽ばかり、気をてらったわけではないでしょう。
だけど、民族臭は少なめで、思ったよりスタイリッシュで、そのアンサンブルも緻密で完璧。
でもさすがに、フォルテの場面や、アレグロでは、元気がとてもよろしい。

ゲッツェルさんの、ジャンピングホップが目に見えるようだ。

でも、演奏に聴く、切れば血が吹き出るような鮮烈さはどうだろう。

プロコフィエフのまがまがしさと、モダーンなダンディズムにも妙にあってるし、シュールホフの世紀末退廃系のごちゃまぜ感も、なぜか納得の混在ぶりですよ。

ゲッツェルの指揮の鮮やかさは、この前半ふたつで持ってよくわかります。
キレがいいし、思いきりがいい。

マンダリン(中国役人)では、摩訶不思議な、怪しさが、思いのほかすっきり明快すぎるのだけれど、この軽快なまでの快走ぶりが実によろしい。
と思っていたら。
最後の追いつめ方は、だんだんと切羽つまってきて、もー、どーにでもしてくれ的に荒れてしまうのがイイ。

ホルストの「パーフェクト・フール」は、「どこまでも馬鹿な男」と訳されるけれど、皮肉たっぷりの含蓄に富んだオペラ。
ファルスタッフやパルシファルといった、最高のオペラ作曲家が行きついた先をもじったりしてる。その音楽もユーモアと哀調いりまじる、なかなかに含蓄ある曲。
 これをゲッツェルさんは、構えることなく、英国音楽ならではの、しみじみ感を醸し出しつつで、聴きごたえある演奏を行ってる。
①序奏と地の精の踊り、②水の精の踊り、③火の精の踊り

最後は、歌い口も鮮やかな「ラ・ヴァルス」。
タメも充分、細かなところまで微細に心くだきながら、最後のフィナーレまで、生き生きと、ラヴェルの鮮烈な音楽を盛り上げていきます。
 

これを聴いたら、誰しも、イェーイ、ブラボォーーってなりますよ!

Goetzel

ともかく、ゲッツェルさん、生きがよくって、粋もいい。
しゃれじゃないけど。
その音楽は、いま生まれたばかりのような、鮮度の高さがあって、きっとその音楽性と指揮ぶり、人間性に、オーケストラという有機体が惚れ込んで、一体化して輝かしいものとなって生まれてくるんだと思う。

知られてないけど、こんな面白くていい指揮者は久しぶりだよ。

このCDでは、ゲッツェルの魅力は完全にわからない。
実演で、こんどは、思わず笑えるくらいの激しい指揮ぶりを体感していただきたい。

まだ、あの4点ジャンプは健在なのだろうか・・・・!

神奈川フィルへの1月の登場は、あと1ヶ月後。

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  ブラームス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲

      石田泰尚&山本裕康

  ワーグナー タンホイザー序曲

  R・シュトラウス ばらの騎士組曲

   サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー

         2014年1月26日 14:00 ミューザ川崎


ウィーン人が指揮する、素晴らしいプログラムでしょ。

ゲッツェル主席客演指揮者就任披露。

R・シュトラウス生誕150周年。

これから完全ブレイクする指揮者ゲッツェルさんの本格コンサート、是非立ちあってみませんか。
わたくしもまいりますよ!


過去記事

 「ゲッツェル&神奈川フィル マーラー」

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2013年10月 7日 (月)

ドヴォルザーク スラヴ舞曲第7番 ノイマン指揮

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芝公園の、文字通り芝とタワーの足元。

緑とタワーの赤のコントラストが美しく、緑多めで写してみました。

鳥たちも寛いでます。

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 ドヴォルザーク  スラヴ舞曲第7番ハ短調 op46

  ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1985.3 @プラハ)


ブラームスの勧めもあって、ドヴォルザークは、ピアノ連弾用のボヘミアの舞曲集を作曲することとなるが、それは同時に、ブラームスのハンガリー舞曲でひと儲けした楽譜商ジムロック社にとって、二匹目柳の下のドジョウなのでした。
 8曲の作品46のこちらのスラヴ舞曲集は大成功をえて、文字通りドヴォルザークの本格出世作となり、即座にオーケストレーションもされました。

8年後には、作品72の二番目の曲集も作曲され、全16曲のスラヴ舞曲は、ボヘミアの息吹きを感じさせるばかりでなく、スロヴァキア、ウクライナ、ポーランドなどのスラヴ諸国の民族音楽の集大成のような舞曲集となっております。

コンサートのアンコール曲でも、この曲集のなかの多くが定番となってます。

今日は、そのなかから、そこそこ取り上げられる7番を。
スコチナーという急速系のスロヴァキア(ボヘミア)由来の舞曲です。

オーボエの可愛らしい旋律にはじまり、そこにファゴットがからみ、やがてフルートへと。
木管が活躍する舞曲で、後半は金管や打楽器も音を増して盛り上がります。
こうした民族的な舞曲は、明るめな色調でありながら短調なところが、どこか哀愁を感じさせるところ。
これもいい曲です。

鉄板のノイマン&チェコフィルで!

動画は、サヴァリッシュとイスラエルフィルの2001年の映像がありました。
昨日の演芸系のシモノフの指揮ぶりと、まるきり違う余計なことはしないタイプの指揮ぶり。
この指揮姿を見て、われわれ日本人愛好家は育ちました。

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2013年7月 2日 (火)

バルトーク 管弦楽のための協奏曲 ハイティンク指揮

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土曜日の、神奈川フィル定期の前に、大急ぎで視察した新商業施設「マークイズみなとみらい」。

同じ「マークイズ」が、静岡にも4月にオープンしてまして、ともに三菱地所がディベロッパーであります。

横浜の方が、他店や類似テナントの競合があるため、かえって新鮮な店づくりに感じるのは、首都圏にいるからに過ぎないけれど、静岡の方も手堅い雰囲気のようです。
静岡のかの地は、ちょっと縁がございまして、数年前に関わりがありました。
某外資系I社が当時は政令指定都市ということで、出店をもくろんでいましたものですから。

でも、前にも書きましたが、商業施設は、もうお腹いっぱいですな。

大事なのは、日常の買いまわりのお店。
老人や弱者でも、毎日通えるお店。
そしてハレの日の施設は、そんなにたくさんいりません。
混まない、ゆったりとした緑のスペースがあればいい。

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      バルトーク  管弦楽のための協奏曲

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                 (1960.9 @アムステルダム)


土曜日に神奈川フィルの定期演奏会で聴いた、バルトークの「オケコン」!

なんども言いますが、苦手なこの曲。

CD棚をよく調べたら、プレヴィンとロスフィルに並んで、協奏曲の項目に、このハイティンク盤があった。
2CDのこの徳用盤は、S・ビショップのピアノ協奏曲全集とシェリングのヴァイオリン協奏曲にハイティンクのオケコンが収納されているという豪華なものだった。

ピアノ協奏曲狙いで買ったら、オケコンがついていた。
しかもハイティンクとコンセルトヘボウだった。

かつては、ブーレーズ、デュトワ、ヤンソンスなども持っていたけれど、みんな手放してしまった。そんな感じのわたしのオケコン。

神奈川フィルのナイスな演奏を聴いて俄然、ハイティンク盤を聴いてみようと思った。

まず、1960年、いまから50年以上前の録音とは思えない、音の素晴らしさ。
あのコンセルトヘボウのホール・トーンはしっかり捉えられており、音の厚みと繊細さも申し分なく、弦のもこもこ感は多少あるにしても、このオーケストラならではの柔らかい音色と、各楽器の響きがとても美しい。
このコンビのブルックナーとマーラーの一連のフィリップス録音と同じ延長上のものです。

アメリカやドイツのオケのような優秀な機能美で聴かせる演奏でもなく、バルトーク的な鋭利さやマジャール的な粘りもない。
中欧的、汎ヨーロッパともいうべき、中庸を得たスタンダートな音色といっていいでしょうか、ここにはそんな美しい佇まいの、ある意味濃厚なトーンが聴かれるのです。

どうしても散漫に聴き終えてしまう私のこの曲への接し方。
真ん中の3楽章にピークを据えて、前後対照に聴いてみました。
深刻さとシャープさが際立つ、1楽章と終楽章。
ユーモアあふれるリズミカルな2楽章と4楽章。
静的かつミステリアス、絶望的な今際の美を感じる3楽章。

こんな風な構成感をしっかりと、じっくりとジワジワ感じさせるハイティンクの指揮。
ずっと後年の「青髭公の城」では、さらのその構成感が緻密に、ピーク設定も鮮やかに決まる名演となっているのですが、そこではベルリン・フィルという名器が輝かしすぎるという超贅沢な難点も抱えるのでした。
やはり、ハイティンクにはコンセルトヘボウ。

今週は、このコンビをいろいろ聴いてみようか。

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2013年6月24日 (月)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 マイスキー&メータ

Narita_ajisai

とりどりの色彩。

だんだんと変わってゆく紫陽花の色合いをおさめてみましたよ。

もっと赤いのは、濃いピンクから濃紫の色で、とても珍しかったのですがね、写真にとるとうまく色が捉えられない。

やっぱり、人間の目が一番。

今週末は、神奈川フィルの定期演奏会なので、今日はそのなかの1曲を聴いときます。

 リゲティ        「アトモスフィール」

 ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

 バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年6月29日 土曜日 横浜みなとみらいホール

「リゲティ、ドヴォコン、オケコン」


なんだか語呂ももよろしく、ナイスな選曲は、チェコとハンガリーの東欧作曲家というキーワードで結ばれております。味がありますね。
カニュカ氏は、プラハ生まれの中堅で、数々のコンクール上位入選歴を持ち、録音もたくさんある名手ですから、本場云々はともかくとして、そんな方のチェロを間近に聴けることが大いに楽しみです。

Maiskymehta

  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調

       チェロ:ミッシャ・マイスキー

    ズビン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                         (2002.12 @ベルリン)


濃厚な顔のお二人のジャケット。

マイスキーのチェロは、「濃い」というイメージがかつてよりあって、聴く前からもう引いてしまうところがあります。
また協奏曲をやるときは、何故かいつも濃厚系の方との共演。
1回聴いただけでもうお腹いっぱいでそれきりになったバーンスタインとのドヴォルザーク旧盤、エルガーとは遠いところにあったシノーポリとの共演。
前回聴いた、MTTとのショスタコーヴィチは曲が曲だからまったく気にならない名演。

2004年にドヴォルザーク没後100年に発売された、こちらメータとの共演盤は、即時購入して聴いてみたものの、その時聴いたかぎりで、印象はどうも薄目。
今回再び聴いても、どうもしっくりとこなくて、マイスキーであり、メータである印象が正直ないと思われた。

何故だろう?

むしろ、CD長時間収録の賜物である、カップリングのR・シュトラウス「ドン・キホーテ」の方がリアルで克明、オケも乗っていて面白い。

唯一2楽章のほのぼの感と、のびやかな歌いぶりが、チェロもオケも美しくドヴォルザーク本来の魅力を余裕を持って奏でているように感じられました。
ことにベルリンフィルの木管の艶やかさと、べらぼうなうまさが実感できるのもこの楽章でして、彼らとマイスキーの絡み合いは、さりげなく速めのテンポで進められるだけに、今風のこだわりのなさがあって、わたくしは気にいりました。

この演奏が、しっくりこない云われは、自分的には、だれもが持ってるかもしれません、ロストロポーヴィチとカラヤンの共演盤が、刷り込みにすぎて、一音一音、録音の様子や、豪華見開きジャケットの匂いや、カップリングのチャイコのロココも含めて、トータルに五感に沁み込みすぎているためなのかもしれません。
ロストロポーヴィチがしつこく、何度も、これが最後ですというくらいに演奏・録音しつくしたものだから、よけいにこのカラヤン共演盤に対する愛着と執念があるのでしょう。

Dovorak_rostro_karajan

いろいろと異論もございましょうが、やっぱこれだな

ある意味味が濃すぎるバターたっぷりの肉料理なのですが、憎らしいほどに美味く(上手く)隙がなく完璧。
これで少年時代に聴き過ぎちゃったのが不幸なのか。
フルニエ&セルとか、ジャンドロン&ハイティンクあたりで知りあっておけば、いまの苦手意識はなかったかも・・・・。
罪な1枚、憎らしい1枚です。

これまで、ドヴォコンで、あの1枚を忘れさせてくれたのは、シフとプレヴィンのウィーンフィル盤です。醤油系でほどよくバタ臭い・・・・。

オーケストラもチェロと対等に活躍し、メロディアスでかつ、シンフォニックな側面も併せ持つドヴォコンですから、神奈川フィルで聴く喜びもあります。

このように、正直言って苦手なドヴォコンと、ついでに苦手なオケコンではありますが、神奈川フィルで聴けますことが楽しみなのであります。

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2013年4月 6日 (土)

シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲第1番 ニコラ・ベネデッティ

Hirayama_5

先週末、千葉の平山大師。

この紅枝垂れだけが咲き残っておりました。

鮮やかな色合いです。

昨日は、寝不足に加え、いろんなことがおきて、ドラマティックな一日でした。

そのことは、いずれまた、その思いを書いておきたいと思います。

Benedetti_symanovsky

  シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲第1番

        Vn:ニコラ・ベネディッティ

    ダニエル・ハーディング指揮 ロンドン交響楽団

                  (2004 @ロンドン)


カロル・シマノフスキ(1882~1937)は、分裂時のポーランド生まれ、その生没年からわかるとおり、世紀末系の作曲家。
55歳での死去は、いまからすれば早すぎるもので、なかなかに劇的なその人生は、その早世を肯かせるものでもあります。

裕福な家庭に育ち、ふんだんな音楽教育を受け、ポーランド音楽界の新たな流れの会にも影響を受け(カルウォヴィチの後輩)、その後ヨーロッパ各地を楽旅。
帰還後、ロシア革命の一派による襲撃を受けるなどして、裕福だった家も没落してしまい、困窮と病の中に亡くなってしまう。

その人生を裏付けるように、シマノフスキの音楽作風はそれぞれの時期に応じて変転し、大きくわけると、3つの作風変化があるといいます。

後期ロマン派風→印象主義・神秘主義風→ポーランド民族主義風

その人生にあてはめると、裕福時代→楽旅時代→帰国後の苦難時代、という風になるかと思います。

まだシマノフスキ初心者のわたくしで、多くは聴いてませんが、4曲ある交響曲のうち以前取り上げた第3番「夜の歌は、真ん中の印象主義・神秘主義風時代のもので、ペルシャの詩につけたミステリアスな交響曲でした。

そして、今回のヴァイオリン協奏曲第1番も、まさにその時期に位置する実にナイスな存在なのです。
1915~16年に作曲。
ポーランドの哲学者・詩人のタデウシュ・ミチンスキの詩集「5月の夜」という作品に霊感をえた作品。
ミチンスキの詩集「星の薄明かりのなかで」という作品に、先に6つの歌曲をつけていることから、この詩人を知ることになったとされます。
その詩を是非読んでみたいと思います。
音楽を先に知り、その元となった文学作品を確認するというのも、なかなかに好奇心をあおるものでして、ことにこのシマノフスキ作品のようにいろんな要素が多面的に織り込まれているところを聴くとなると、ますます知りたくなります。

曲は単一楽章で、約27分の標準協奏曲サイズ。
打楽器多数、ピアノ、チェレスタ、2台のハープを含むフル大編成のオーケストラ編成で、それに対峙するヴァイオリンも超高域からうなりをあげる低音域までを鮮やかに弾きあげ、かつ繊細に表現しなくてはならない、難易度の高いソロです。

鳥のざわめきや鳴き声、透明感と精妙繊細な響きなどドビュッシーやラヴェルに通じるものがあり、ミステリアスで妖しく、かつ甘味な様相は、まさにスクリャービン。
そして、東洋的な音階などからは、ロシアのバラキレフやリャードフの雰囲気も感じとることができます。
これらが、混然一体となり、境目なく確たる旋律線もないままに進行する音楽には、もう耳と体をゆだねて浸るしかありません。
こんな聴き方をすること、瞬くような流れの音楽、こうした類の音楽に、わたしはいつも快感を覚え、脳内細胞が時には活発になり、そして時には緩やかにほぐれていくのを感じとることができます。

ともかく、わたくしの音楽嗜好にストレート・マッチしたシマノフスキのヴァイオリン協奏曲なのです。

そして、わたしの大好きなニコラ・ベネデッティが弾いているんだもの。好きになりますわな。
DGデビューのこの音源は、実は録音してすませていたところ、最近ちゃんと購入したら、レーベルがデッカになって、その刻印がジャケットにしっかり押されてました。
ビュジュアル派のヤワな存在とは違う本格派の彼女。
先生のひとりがポーランド人だったこともあり、この方のサジェストでシマノフスキを知ることになり、レコーディングに結びつきました。
時に奔放に、時にロマンテッィクに、でもニコラらしい健康的なヴァイオリンがとても清々しく、曲の魅力とともに、何度聴いても飽くことがありません。

Nicola_1

カワユク美しいニコラたん

少し前、日本に来てたんですねぇ。

過去記事

「コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲」

「プロムス2012 ブルッフ スコットランド幻想曲」

「プロムス2012 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲」

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2013年4月 4日 (木)

カルウォヴィチ ヴァイオリン協奏曲 バリノワ&コンドラシン

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東京駅丸の内口にオープンした商業施設「KITTE」

旧東京中央郵便局の建物を、その意匠のままに活かし、さらに郵便事業窓口は従来の場所に残しつつ、6階以上の上階を高層オフィスビルとして再スタート。

とのこと。

オープン数日後に、ちら見してきましたが、人の多さに辟易とし、そしてもうしばらくして人が減ってゆっくり味わえたとしても、わたくしには、あんまり魅力ある場所には思えませなんだ。

こんな一等地で、ご覧のような贅沢空間。
建築上の制限や容積の授受などがあったのか。

この空間に不安を感じる。

みんな多くの人が、せせこましい自分空間に息苦しく生きているのに、日本でも超トップクラスの贅沢立地をこんな風に使うなんて。
各回廊は、人だらけで、回遊性を犠牲にして、年寄りにあまりに優しくない。
おまけに、なんだかよくわからんアート展示もやたらとあって。
高額な賃料を払えるテナントは、どこにもあるようなものばかり。
賃料レヴェルを格安にして、全国の物産館を終結するとか、中小の面白いテナントにチャンスを与えるような開発をして欲しかった。

まあ、素人が遠吠えしてもしょうがないですけどね。つまらん。

Karlowicz

  カルウォヴィチ  ヴァイオリン協奏曲 イ長調

     Vn:ガリナ・バリノワ

  キリル・コンドラシン指揮 ソビエト国立フィルハモニー

                   (1955 モスクワ)

こちらは、実に面白い、というか、実に素敵な作曲家。

ミチェスラフ・カルウォヴィチ(1876~1909)は、ポーランド、ヴィリニュスに生まれたポーランド後期ロマン派・世紀末の作曲家。

少し後輩のシマノフスキとともに、ポーランドの新たな音楽の流れをつくる会派に属し、世紀末ムードを愛する故国ポーランドに導きいれ、いくつかの交響詩や管弦楽作品を残した。
しかし、無情にも登山愛好家でもあったカルウォヴィチは、雪山登山中に雪崩にあって33歳の若い命を散らしてしまう。

残された音楽は、いままた、マーラーが普遍的になったように、同時代の優れた音楽がクローズアップされ、私淑したR・シュトラウスやワーグナーの流れの中にも捉えられるようになり、密かなブームになっているのです。

作品数はさほど多くはありませぬが、例によってナクソスやシャンドスで聴けるようになってます。

今宵のヴァイオリン協奏曲は、1902年の作曲で、ポーランド的な民族臭よりも、ロマン派末期、まるでブルッフのような馥郁たるロマンと熱っぽい情熱を感じる音楽に聴こえました。
そう、このヴァイリン協奏曲においては濃厚後期ロマン派というよるは、少し若め、実際20代の青年の作であるからして、初々しくて素直、あざとさもないブルー系の爽やか系協奏曲なのですよ。
最大の魅力は、いましがた述べたような爽やかなロマンティシズムあふれる第2楽章。
ほぼ、ブルッフのヴァイオリン協奏曲ですよ。
わたしには、ブルッフと初期R・シュトラウス、そしてコルンゴルトの間に位置するようなヴァイオリン協奏曲に聴こえました。
ほんと、素敵な音楽なのですから!

決然とした第1楽章と、ヴァイオリンの名技性も活かした、これまたブルッフ級の素敵な3楽章。

ともかく大らかな歌が大事なカルウォヴィチの協奏曲。

G_barinova_2

1852~1961年(たぶん)の生年没歴のガリーナ・バリソワはサンクトペテルブルク生まれで、のちにパリで、ロン・ティボーに学ぶなどして、ヨーロッパ系としても名を残しましたが、いまはほとんど知られぬ存在となっております。
共産圏音楽家として、レーニン賞を受賞したりしてますし、リヒテルとの共演もあったりして、未知の国ソ連では、なかなかの存在だったようです。

コンドラシンとの50年代の共演によるこのカルウォヴィチ。
当時は政治的にも共産圏として、ソ連配下のポーランドとしての作曲家。
そんなことは、この演奏を聴く限りわかりませんが、美しい2楽章を東西の隔てなく活動した二人の音楽は、そんなことは関係なく純なる眼差しで演奏していることがよくわかります。

カルウォヴィチの交響作品は、いずれまた取り上げたいと思います。

この作曲、そしてポーランド作曲家への愛情あふれる数々の記事は、ブログ仲間のnaopingさんのサイトを是非ともご覧ください。

Barinova_melcd1000997


 そして、美人なバリノワさん。

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2012年9月23日 (日)

ヤナーチェク 「死んだ男の日記」 ラングリッジ&アバド

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復元が完成にほぼ近づいた東京駅丸の内北口。

この日の晩、映像やイルミネーションのCGショウのリハーサル。
そして、22と23日の夜には本番です。
あいにくと観ることができませんが、ちょっとやりすぎの感があり・・・・ですかねぇ。

神奈川県民だったから子供の頃から、首都東京への入口は湘南電車で、品川・新橋・東京駅が起点。
親類がみな池袋・板橋方面だったので、やはり東京駅でしたね。

前にも書きましたが、子供時代、東京の帰りは駅で売ってた「ミルクドーナツ」。
赤い箱に入ってた一口サイズのドーナッツで、グラニュー糖みたいなサラッとした砂糖が別に着いていたもの。
これは、ほんと美味しい東京の味でしたねぇ〜

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  ヤナーチェク   歌曲集「死んだ男の日記」

        T:フィリップ・ラングリッジ 

        A:ブリギッテ・パリーズ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1987.11@ベルリン・イエス・キリスト教会)


チェコのモラヴィア出身のヤナーチェク(1854~1928)は、かつては、シンフォニエッタとふたつの弦楽四重奏、ヴァイオリン作品、グラゴールミサぐらいでしか聴くことのない作曲家だったように思うが、本場での上演や録音はいくつかあったオペラに、サー・チャールズ・マッケラスがメジャーレーベルに次々と名録音を残すようになって、オペラ作曲家としてのイメージに激変した。

日本での上演は、残念ながらヤナーチェックのオペラは、かなり少なく、新国でも一度も上演機会はない状況だが、いずれは果敢に取り上げてくれるのではと思ってます。

そして、9作あるオペラ作品の番外編。
「消えた男の日記」を。

これはもともと、ピアノ伴奏によるテノール独唱の歌曲集、ないしは、女声版であったものを、ヤナーチェクの死後、専属写譜屋だったセドラーチェクがオーケストラに編曲し、オペラ上演可能としたもの。
数年前のパリ・オペラ座の来日公演で上演されてます。
音源では、こちらのオーケストラバージョンはともかく、オリジナルのピアノ版もいくつも出てます。

この原作の詩は、モラヴィアの農村で実際にあった事実の主人公であった青年が熱い思いとして残したもの。

その事実とは、その青年がジプシーの妖艶な娘に誘惑されて恋におち、さらに子供も孕ませてしまい、村の厳格なしきたりや人々の目に耐えられなくなって、泣く泣く村を捨て、ジプシーたちと行動し失踪する・・・・というもの。

これは、まるで、「カルメン」を思いおこします。

ジプシーは、差別的用語とされているようで、「ロマ」とも称されるようだ。
どうもピンとこないけれど、インド起源とされるこの移動非定住民族は、われわれ島国の民族が思う以上に、ヨーロッパでは古来忌み嫌われていて、いろんな紛争の元にもなっていたし、ナチスによる迫害もユダヤ人の比でなかった。
そんな彼らも、いまや各国に溶け込んでいるものの、まだまだ差別は残っているようです。
男性からすると、エキゾチックな風貌のかの女性たちは、ミステリアスで情熱的にうかがえ、ドン・ホセさんやこちらの「消えた男」さんの心情がよくわかりますな・・・・・

ヤナーチェクは、早くに結婚生活に失敗し、この曲を作曲していたころ(1917)、歳の差38歳の人妻と恋に落ちていた。63歳と25歳。
でも、ほんとうの純愛で、お互いに尊敬しあうものだったともいいます。
こんなことから、かつては、ヤナーチェクは女好きとのレッテルもありました・・・・・。

曲は22の部分からなっており、さらに場面で大きく分けると3つ。
ひとつめのくくりは、若者が胸元まで編んだ黒髪を垂らしたジプシー娘に会い、その想いが高ぶるさまを歌う。

 ふたつめの部分は、仕事でジプシーがいまいる森へ向かうこととなり、自分は大丈夫、と強がるが、実際に娘と会い、誘惑され、ついに床を共にしてしまう。
オーケストラの間奏が、その模様を甘く、情熱的に奏でる。

 三つめは、後悔する若者。恥ずかしくて牛の顔もまともに見れないと歌う。
愛する妹のブラウスもこっそり盗み貢ぐ、それも悔やむ揺れ動く心。
やがて、すべての定めとなった運命を受けとめ、父と母、妹、そして愛する村に別れを告げ、去ってゆく。
ジプシーの娘が息子を抱きしめて待つところへ帰ると・・・・・。

35分あまりのこの音楽は、編曲とはいえ、ヤナーチェックの語法がしっかりと刻まれていて、さらにハンガリー風な音型とかエキゾティックな音色も各種鍵盤楽器の効果もあって巧みに描かれております。
そして何より、テノールの没頭的な歌も加わって、劇的で緊張感あふれる作品になってます。
最後の告別の場面はとても感動的で、どこか明るい展望さえ感じるのでした。

問題意識に富んだアバドは、こんな渋すぎる曲をも選び出して、鋭くえぐり取ってみせた。
シンフォニエッタは若い頃から得意にしていたが、オペラなら「死者の家から」を選択するアバド。
ジプシーにまつわる音楽だけを集めたコンサートも開いたり、ロシア系でもムソルグスキーの社会性に着目したりと、しいたげられたマイノリティを描いた音楽を積極的に取り上げてきたアバドです。
少し明るめのベルリン・フィルの先鋭な響きを得て、実に説得力ある演奏。
故ラングリッジの性格的な歌唱も惹かれます。

ピアノ伴奏のオリジナル版のヘフリガーやシュライヤーをいずれまた取り上げてみたいと思います。

ヤナーチェクのオペラ記事

「マクロプロス家のこと」

「ブロウチェク氏の旅行」

「死者の家から」

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