カテゴリー「スーク」の記事

2014年6月29日 (日)

東京都交響楽団 作曲家の肖像シリーズ フルシャ指揮

Geigeki_1

暑い日曜日、お日様も輝き、日差しも夏。

でも、ところどころに厚い雲も。

池袋の、東京芸術劇場です。

金曜の神奈フィルの、素晴らしすぎたマーラーが、いまだに脳裏に渦巻いているなか、その余韻にまだまだ浸っていたかったのに、どうしても外せない音楽会がここに控えておりました。

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   スーク   組曲「おとぎ話」 op.16

          交響詩「夏の物語」 op.29
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          ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団

                    (2014.6.29 @東京芸術劇場)


チェコの作曲家、ヨセフ・スーク(1874~1935)。

同名の著名な名ヴァイオリニストの祖父であるとともに、ドヴォルザークの弟子であり、その娘婿でもあります。

この生没年を見ての通り、世紀末をまたがって活躍した作曲家で、マーラーやR・シュトラウス、同じ年に生まれたシェーンベルク、さらに独墺以外では、プッチーニ、ディーリアス、RVW,バックス、バントック・・・・多土済々。

それら同時代作曲家たちとの、音における共通項も多数あり、さらに、その生涯で、大きく変化させいて、同時代の響きは、その後半のもの。
 義父ドヴォルザークの死が、一番の要因となって、音楽のありようが変貌した。

祖国の大家であり、民族系音楽の教祖のような存在の娘婿としては、その伝統の継承者としての重荷もあったに違いありません。
 事実、初期の作品は、まんま、娘と結婚前の師の音楽そのもので、結婚の重圧すら、そこに慮ることもできます。
メロディアスなそれらの曲もまた、スークの音楽の一面で、とても素敵なものです。

しかし、作風変転後のスークの音楽は、まさに後期ロマン派・世紀末ばりばりです。

わたくしの大好きな領域。

さきにあげた作曲家たちと、相通じる音楽世界を、ボヘミアの民族臭をそこに漂わせながら、全開にしてくれるんです。

数年前より、後半のスークの音楽を中心に聴き続けてきまして、そして、フルシャ&都響のスーク・コンサートとあいなった次第です。

作曲家の肖像シリーズとしてのスークは、これで2回目。
ドヴォルザークの死についで、妻でありその娘のオティリエの死を受けての作品「アスラエル」交響曲は聴き逃してしまいました。

「夏の物語」は、K・ペトレンコの指揮で、何度も聴いて、すっかりお気に入りの曲になっていましたし、「おとぎ話」は、ぺシェクの指揮によるCDを記事にしかけていたところでありました。

わたしには、こんな前段をかけて語るくらいに美味しい演目でも、おそらくみなさま、初聴きのスークの無名曲ふたつのコンサートですから、ホールは閑散、眠り落ち続出かと思ってました。

ところが違いました。

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7割以上席は埋まり、ごく一部をのぞいては、みなさん、一生懸命に、そして楽しそうに聴いてらっしゃる。
この日、都内では多くのコンサートが同時進行するなか、東京という巨大な音楽マーケットの真の層の厚さと、都響の人気、スークの音楽の持つ魅力への認知などを、まざまざと認識することとなりました。

 「おとぎ話」は、30分の4つの場面からなる、劇音楽から選ばれた組曲です。
ロメオとジュリエットのような、敵対勢力の家に生まれた若い二人の悲恋と、最後に結ばれる奇跡を描いた、ロマンティックな音楽。
 独奏ヴァイオリンも活躍し、とても聴きやすい曲です。
フル編成のオーケスオトラは、ここからもう全開で、勢ぞろいの打楽器もごんごん鳴ります。
 愛らしいヴァイオリンソロは、ときに語り部のようで、曲の要所で素敵な効果をあげてます。
 四方さんの、艶やかなソロはまったく素晴らしくて、フルシャの実に的確な、曲を完全掌握した指揮ぶりも、オーケストラから、まだ残るボヘミア民族臭と、世紀末ムードを見事にひきだしていたと思います。

 休憩時に、一昨日、神奈川フィルでマーラーを聴いた方と遭遇し、かなフィル話に花が咲きました!
これだから、コンサートは楽しいですねぇ。

大曲「夏の物語」は5つの場面からなる、シンフォニックな作品で、「おとぎ話」との関連性もあり、また、さらに、世紀末ムードに拍車がかかり、わたくしには、英国作曲家バックスやバントックの荒涼としつつも、ケルト臭満載のシャープな音楽に相通じるものを感じさせる作品です。

マーラーは、この同郷の作曲家のことをずっと気にかけていたようで、「夏の物語」を指揮したかったという手紙も残されていて、その思いも果たせずに亡くなってしまうんです。

5つの楽章からなる50分近い大作。
 
 Ⅰ.「生への呼び声」
 Ⅱ.「真昼」
 Ⅲ.「インテルメッツォ~盲目の音楽家たち」
 Ⅳ.「幻想の力」
 Ⅴ.「夜」


いずれも、幻想味抜群で、目を閉じれば、荒涼たる夏の野原や、涼しげな水辺、緑の牧草地、寂しい湖、荒れた草地・・・・などなど、ヨーロッパ中部の景色を思い描くことができます。

わたくしの好きなのは、第4部の「幻想の力」でして、ここで吹き荒れる嵐のような酩酊感は、まさに混とんとしつつ、甘味な世紀末を思わせます。

そして、今回、ほんとにじっくり、しみじみと聴くことができたのは、3部です。

ハープの調べにのって、2本のイングリッシュホルンが、楚々と、諦念と哀感に満ちた調べを奏でます。
そのあとも、独奏ヴァイオリンとヴィオラのソロが、素敵な合いの手をいれます。
この第3部が、もしかしたら、この日の白眉ではなかったでしょうか。
ほんとに、素晴らしい音楽であり、無垢なる演奏でありました。

この大作を、弛緩なく、的確な指揮ぶりで、見事にまとめ上げたフルシャの指揮ぶりには、自国ものと言う以上に、端倪すべからざる力を感じました。
指揮棒の先から、音符が、音が振りまかれるような、そんな感覚。

大きな拍手に、応えて、最後は、スークのスコアを大切そうに抱えて、われわれ聴衆に、高く掲げてみせました。
そして、自分の胸にも手をあててみせました。
 愛するお国ものの音楽への最大の敬意。
なんか、うらやましくもあり、純真な指揮者に感動も覚えたりもした、そんな日曜の芸劇でした。

神奈フィルでも、いつか、こんな演目でもって、ホールを満杯にしていただきたいな。

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演奏会が終了してみると、外は、ものすごい雷雨でした。

夏の天気は、極端です、全然、ロマンティックじゃないです。
とりわけ、昨今は。

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2011年7月 1日 (金)

スーク 「アスラエル交響曲」 ノイマン指揮

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スーパーで、その素が売っているので、買ってきて制作してみました。

「トムヤンクン」スープです。
パクチーが苦手なので、青物がなく、見栄え悪いです。

暑苦しい日にこそ、汗みどろになりながら、食す、アジアの一品。

クセになる、トムとヤムとクム。

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残ったトムヤンクンに、具材をあらたに投入して、ナンプラーもさらに増し、生クリームも増やして、「トムヤンクンラーメン」の出来上がり。

これ、マジ、うまいヨ。

アジアの食も熱いヨ。

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アジアめしには、まったく関係なけれど、一度味わうと、探求したくなり、はまってしまう音楽。
わたしにとって、そんな類の存在となりつつある、チェコの作曲家ヨゼフ・スーク(1874~1935)。

世紀末作曲家と数えていいスーク。
ドヴォルザークの娘婿にして、名前をついだおなじみのヴァイオリニストの祖父。

敬愛する偉大な義父のもとに、国民楽派てきな音楽を書き続けたスークだが、今回の「アスラエル交響曲」あたりを境に、グッとその時代に密着した先端音楽に舵を切り替えた。
以前より書いてますが、マーラー、シュトラウス、シェーンベルク、ドビュッシー、ディーリアス、ツェムリンスキーなどに類する曲調。
そして、わたしに耳には、アーノルド・バックスの大自然をシャープに捉えた音楽にも通じて聴こえる。
 ともかく、そちらのたぐいの音楽には、むちゃくちゃ嬉しくなってしまうワタクシです。

これまで、弊ブログでは、来年のバイロイトリングと、K・ナガノ後のバイエルンを任された、キリル・ペトレンコの指揮による2枚を取り上げてきました。

そして、今回、チェコの大家、ヴァーツラフ・ノイマンチェコフィルハーモニーによるスークを取り上げることとなりました。
まさに本場の演奏。
でも、音楽はドヴォルザークの延長ではなくって、マーラーの延長として捉えられたスーク演奏。

「アスラエル交響曲」は、1906年の作品で、スーク32歳。5楽章からなる大きな曲。

この交響曲は、スークにとって先に記したとおり音楽的なターニングポイントになったが、それ以上に、そしてそれと不可分に、自身の境遇に巨大な出来事がふりかかった。

義父ドヴォルザークの死が1904年。
そこで一念発起して、大交響曲を書くべくとりかかったのが、この作品。
そして、1905年、愛妻、すなわちドヴォルザークの娘オティリエが急逝してしまう。
1898年に結婚したばかりで、若い妻を亡くしてしまったスークの相次ぐ悲しみへの落胆ぶりは大きく、3楽章までを完成していた、この交響曲に「アスラエル」という題名をつけることとなった。
その意味は、「死者の霊にともにある天使」のこといをいうそうであります。

だから、4楽章の深い抒情に彩られた美しさと悲しみを感じさせる音楽は絶品で、濡れたようなヴァイオリンソロが素晴らしい。単独でも、ときおり聴いている楽章です。
 義父の死を悼んでの前半は、宿命的な運命が厳しく描かれ、第1楽章では、そんな中にも懐かしいフレーズや自然賛歌も歌われる。
幻想風な葬送の音楽、第2楽章は月の明かりを感じさせる義父の「ルサルカ」のように感じたし、葬送の淡々としたところは、ショスタコみたいに無感情だったりする。
 「死の舞踏と甘味な追憶」とされた3楽章はスケルツォ。
そして、愛妻の死の悲しみを思いつつ書いた4楽章に続く、終楽章は、ティンパニの意を決したかのような連打で始まり、現実を受け止め、前に向かわんとする意思力と、不思議な明るさをもたらせつつ静かに大曲を閉じる。

充実の50分あまりの大交響曲。
何度聴いても、まだ全貌は測りがたいものがあるが、私には尽きせぬ魅力をもって迫ってくる音楽。
マーラーの死の前の作品。

ノイマンとチェコフィル
渋さとオーケストラのふくよかな美音が、スークの世紀末ムードにぴったりで、ウィーンやベルリンとも違った一流のマーラーオケであることに納得できる。
ノイマンの柔軟な指揮ぶりと、時に鋭さを持ち合わせるところは、すすがのもの。
鋭利さと、大人の味わい深さのノイマンです。



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2010年9月15日 (水)

スーク 「夏の物語」 K・ペトレンコ指揮

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浅草の吾妻橋のほとりから。
海上遊覧船が橋の下をくぐってます。
そして、左手にはスカイツリー、中央はアサヒビール本社。
ビルの上に、泡のようなイメージがのった、いかにもバブリーな建物。
その横には、お馴染みのモニュメント。
う○こ、じゃありませんぞ。

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今日は、すっかり涼しかったけれど、逝く夏を惜しむ今週の企画。
要するに、盛夏に取り上げる暇がなかったものを、あわてて出してるシリーズともいえよう。
本日は、知ってしまった以上は、根こそぎ聴かずはおれない作曲家のひとり、チェコのヨゼフ・スーク(1874~1935)の、大オーケストラのための交響詩「夏の物語」を。
今年の春に取り上げた「人生の実り」は、自身の生涯を描いた点でも、その最充実期の作品で1917年。
「夏の物語」は、その前1909年の作品で、祖父のドヴォルザークの影響下にあった作風から離脱して、後期ロマン派・印象派風の濃密サウンドにすっかり様変わりした魅力的な作品。

スークの作品数は、どうもそんなに多くはないけれど、その作風の変遷にはとても幅がある。
何の要因がそうさせたか、非常に興味はあるけれども、世紀末の風潮があらゆる芸術家にもたらした幻想的かつ象徴的な要素は、「後がない、先が見えない」といった刹那的な緊迫感からもたらされたもので、古典プラス民族楽派の正統な血統の家系にあったスークですらも飲みこまずにはおかない大きな流れだったのだろう。

この印象派風でもあり、かつ退廃感もただよう音楽は、マーラーやR・シュトラウスをすっかり聴きなれた、現在の私たちにも全く違和感なく共感できる音楽であります。

マーラーは、この同郷の作曲家のことをずっと気にかけていたようで、「夏の物語」を指揮したかったという手紙も残されていて、その思いも果たせずに亡くなってしまう。
5つの楽章からなる50分近い大作。
 
 Ⅰ.「生への呼び声」
 Ⅱ.「真昼」
 Ⅲ.「インテルメッツォ~盲目の音楽家たち」
 Ⅳ.「幻想のなかで」
 Ⅴ.「夜」


対訳がないので、各章はこんな感じか・・・。
海の一日を描いたドビュッシーの「海」のように、「夏」の一日、しいては「夏」という季節の盛衰、さらには、それを人生に置き換えたような作品といっていいかもしれない。

 曲は曖昧な中から始まり、それがやがてウェーベルンかベルクのような盛り上げ方を示してくれて、すっかりその素晴らしいサウンドに魅了されてしまう自分を発見する。
親しみやすい旋律のⅡは、日本の盛夏ほどには眩しくない真昼の音楽で、物憂げである。
素敵なのは、Ⅲの哀歌のようなインテルメッツォで、やや古風な歌いまわしがいにしえの楽師たちを偲ぶようでもある。ヴィオラのソロも渋いし。
ダイナミックなスケルツォ楽章でもあるⅣは、幻想に取りつかれてしまったかのような没頭感と酩酊感あふれる音楽。
そして、最終のⅤ「夜」は、まるでディーリアスを思い起こすような感覚的、かつすこぶる陶酔的な音楽。わたしゃ、こんな音楽がたまらなく好きなんです。
夜鳥のさえずりや、森のささやきなどが、甘い旋律に乗って歌われます。

   キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・コーミュシュオーパー管弦楽団
                 (2004.1@ベルリン・コーミシュオーパー)


ふたりいるペトレンコのうちの、キリルの方。
(もうひとりは、ワシリー・ペトレンコで、CDが最近たくさん出てるし、日本のオケにも客演してますが、こちらも逸材)
キリル・ペトレンコは、まだ38歳ながら、ドイツ移住後は、オペラハウス中心に地道に活躍をして昇りつめた実力派で、あのホモキのベルリンのコーミシュオーパーの音楽監督をつとめている。
先に書いたとおり、ティーレマンのあとの、バイロイトの「リング」の次期新演出上演の指揮者として最有力視されております。
 さらに、運営サイドとの軋轢から潔く辞表を叩きつけたK・ナガノのあとのバイエルン・シュターツオーパーの後釜としてもその名があがっております。
知的なアプローチながらも、熱い音楽を引き出すエモーション豊かな指揮者に思います。
 オケが実にうまく、素晴らしいスークの音楽を聴かせてくれる1枚でした。

Sumida_river5 
角度を変えてみると、左奥には、東武鉄道が走ってます。
日光から、浅草まで。
沿線の通勤・通学の足に加えて、国際観光列車となりうるだろうか・・・・。

河の上の長い夏は、こうして終りを告げつつあるのでありました


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2010年3月26日 (金)

スーク 「人生の実り」 K・ペトレンコ指揮

Tokyo_tower_201003

東京タワーの麓、増上寺から。
菜の花と東京タワー。
いいショットです。
今年ほど、一進一退の春は珍しいのでは。
冬が懐かしく、春にはもっとゆるゆると来て欲しい感じもする今日このごろ。
でも、寒けりゃ、寒いと文句ばっかり言うのにね。

Suk_the_ripening

対して、真冬のジャケット。
こりゃ寒そうですな。
こちらは、冬の夕べの物語」という交響詩が入ってるから、そのイメージでもって作られたジャケット。
その曲も素敵なのだけど、今日はメインの大曲「人生の実り」という6部からなる作品。
これらを作曲したのは、チェコのヨセフ・スーク
ドヴォルザークの娘婿にして、ヴァイオリンの同名のスークのお爺さん。
1874~1935年。その活躍時代からして、もろに世紀末。
 そう、わたくしの大好きな年代ゾーニングでして、その音楽はチェコの民族楽派の味わいを残しつつも、完全なる世紀末濃厚ロマンティシズム超満載なのであります。

初期作は、完全にドヴォルザークなところが微笑ましく、ここのCDに収められた作品9の交響詩は100%祖父の音楽といってもいいくらい。
人懐こい表情と豊富なメロディライン。
ホント、まじドヴォルザークなんです。分厚いオーケストラが、祖父と違う領域かも。

しかし、作品34「人生の実り」こそは、先に記したとおりの後期ロマン派どっぷり。
作品9が1895年。作品34が1912から17年にかけて。
この間の変貌ぶりたるや、まるで別人の感あり。
交響曲「アスラエル」あたりを境に、そうなったようで、これからいろいろ聴いて確認してみたいと思っていて、いままであまり気にしてなかったスークという作曲家がいきなり視野に入ってきたのだ。
愛する妻オチルカ(ドヴォルザークの娘)との幸福感や、一方で、義父の死(1905年)による義務感からの解放なども多分に影響しつつ、音楽的には、マーラー、R・シュトラウス、ツェムリンスキー、シェーンベルク、ドビュッシーなどの存在もその視野にはあったスーク。
 偉大な義父を持つ悩みも感じさせる複雑なその音楽。
変貌後の、この私の大好き系音楽は、実は英国のバックスのシャープでフェアリーな音楽を思い起こしてしまった。
前期のものと比較して、正直メロディラインがなく、豊穣な響きの中に旋律が埋没してしまった感があり、あまりに大オーケストラによる印象派的な複雑系の音楽になっていて、一度や二度では、特徴を捉え難いものがある。
10回以上聴いたいまもその印象はぬぐいきれない。

でも、好きだなぁ、甘味さはないけど、この雰囲気。

「人生の実り」は、スーク版「英雄の生涯」で、6部からなりたち、「この世への認識~青年期~愛をこめて~運命~決意による解決~辞世」こんなサブタイトルがついてます。

おぼろげな出だしから、春のような活発な雰囲気、濃厚な恋愛模様、決然としたリズムにのったかっこいい人生闘争、その果ての諦念を感じさせる枯淡の音楽と静かな安らかなエンディング。
第2「ヘルデン・レーベン」であります!

最近活躍の指揮者ペトレンコは、ふたりおりまして、ひとりはワシリー・ペトレンコでリヴァプールの指揮者。
そして、もうひとりが、今日聴いたキリル・ペトレンコであります。
キリルは、今年38歳のシベリア生まれ。早くからオーストリアに移住した音楽一家で、同地にて指揮者となり、以来、劇場たたき上げ的なカペルマイスターとして地道な活動を経て、フォルクスオーパーの指揮者、そして今はベルリン・コーミッシュオーパーの監督の地位にまでなった才人でもあり、努力の人なのだ。
 なんったって、バイロイトの次期「リング」の指揮者と目されている有望株であります!!

オペラの手兵を指揮したこのCDは、ともかくイキがよろしい。
聴きなれぬこの曲に対し、多大なる熱意をもって指揮して、オーケストラがライブとはいえ、本格レコーディングに燃えまくっているのがよくわかる。
一音たりとも気の抜けた音がなく、集中力もやたらと高く感じる。
 ベルリンフィルのライブ映像で、少しだけその指揮姿も観れますので確認してみてください。聴くものを惹きつける魅力溢れる、なかなかのツワモノ指揮者でございますよ。
注目の指揮者キリル・ペトレンコです。
彼のスーク・シリーズ、私も継続します。

追)
ウォルフガング亡きあとのバイロイト。
父の了解済みであろうが、娘二人の指揮者選び。
ちょっと若手有望株にかたよりすぎではなかろうか?
今年は、バーミンガムの主席で、ヤンソンスの愛弟子ネルソンス(30歳)がデビューして「ローエングリン」を指揮する。
いじくりの天才ノイエンフェルスの演出、カウフマン!のタイトルロール、ダッシュ(かわゆい)のエルザ、そして新国ファンにはおなじみのガッロのテルラムントに、ヘルリツィウスのオルトルート。
ワーグナーの音楽そっちのけで、話題性を求め過ぎではなかろうか。
 ヘンゲルブロック(現51歳)が2011年、ペトレンコ(現38歳)が2012年。
おもしろいけど、不安。

いまはティーレマンという重しがあって、ベテラン・シュナイダーが目を光らせているけれど、音楽面での軽量化は今後否めない。

ま、これも時代の流れ。
今後変貌し、先端を走るバイロイトとなるのでありましょうか!

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