カテゴリー「ラヴェル」の記事

2026年5月25日 (月)

東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ指揮

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先週に引き続き、東京交響楽団の新任音楽監督のロレンツォ・ヴィオッテイの指揮による演奏会。

サントリーホールからミューザ川崎に場所を移して双方のホールの響きの違いや、東響の音がどう響くなどを確認できた。

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創立80周年の東京交響楽団。

秋山和慶、スダーン、ノットと続いた歴代音楽監督の歴史に、新たな顔ヴィオッテイを迎え、踏み出したまた次の一頁。
その最初に立ち会うことができて、ほんとうによかったし、満足感で一杯のふたつのコンサートでした。

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 東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ音楽監督就任披露

    R・シュトラス 4つの最後の歌

      S:マリーナ・レベカ

    ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
         
         合唱指揮:河原 哲也
         コンサートマスター:小林 壱成

     (2026.5.24 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

シュトラスとラヴェル、ともにオーケストラの作曲技法の限りを尽くした作曲家ふたり。
しかし、晴れやかな作品でなく、ともに内省的な局面もある音楽が選ばれたところが面白い。

世界のオペラハウスで活躍中の第1級のソプラノ、マリーナ・レベカは、この2日間のコンサートのために来日。
いくつかの音源で彼女の声は聴いてきたけれど、そのレパートリーはロッシーニやベッリーニ、ヴェルデイにプッチーニとイタリアもの、あと、私が気に入っていた役はオネーギンのタチャーナ。
琥珀色の声とも言いたくなるような魅惑の歌声なんです。
 シュトラスの絶美とも呼ぶべき彼岸の極にある歌曲集、透明感ある軽めなソプラノで聴くのが好きだけれど、レベカの声は軽やかさよりは、歌の深みを感じさせる豊かな中音域が実に説得力あるもので、その声域でのこの歌手の魅力を堪能できた。
L席という場所のせいなのか、高域がやや響かなかったが、正面で聴いた方はどうだったろう。
タブレット端末で楽譜を確認しながらの歌唱だが、横から拝見していて、ササっと入力操作して開くさまが実にカッコよかった。
 そして何よりもヴィオッテイ指揮する東響が絶対的に美しい。
シュトラウスオケであるこことを再認識したし、レベカを支えるシュトラウスの音楽の晴朗さ、軽やかさは、むしろオーケストラの側にこそあった。
ホルンも素晴らしかったが、小林コンマスの「眠りにつくとき」における絶美のソロには、涙が出てきた。
レベカもこのソロに耳を傾け、その美しさに浸っていたし、指揮者も同じくだった。
かつての昔に聴いた、横浜でのシュナイトと神奈川フィルのときの石田コンマスのソロの繊細さにも増して素晴らしかった小林ソロでした。
息がとまるほど、さらには遠くに思いや目線が行くほどに、感動したのが「夕映えのなか」。
レベカが美しく歌いきったあとの、去り行く夕焼けを思わせる最後、東響の木管の軽やかさはいかばかりか。
長い沈黙が支配した素敵なエンディングでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1時間を要するダフニスとクロエ全曲。
合唱入りの完全全曲盤でいどむヴィオッテイの強い意欲。
合唱なしでの全曲演奏は、もう20年近く前にプレヴィンとN響で聴いたことがあるが、やはりアカペラとはいえ合唱が入ることで、音の広がりと迫真性が格段にあがるというものだ。
 第2組曲だけでは味わえない、物語性のあるよどみなく進むラヴェルの佳曲を、ストーリテラー的に舞台に即したわかりやすい音楽づくりに終わることなく、すべての音を磨き上げ東響の実力を極限に引き出した、精緻で美しい演奏だった。

冒頭から混沌ではなく、明快なサウンドで原初的な新鮮な響きをかもし出す。
そこから合唱も声を強めて盛り上がりゆくさま、もうここからして私は鳥肌物だったし、そのあとすぐの弦による旋律の優美さともなう優しさ。
もうウットリでしたね。
そこから高まるフォルテの築き上げ方や、若者たちの踊りでのリズミカルな反応のよさ。
でもまだまだ抑え気味っだったし、曲は始まったばかりなのだ。
 ダフニスの恋敵のファゴットや金管によるユーモアあふれる場面も案外に淡々と進むが切れは実によろしい。
一方のダフニスの踊りのまったり感と優美さも、その対比として面白かったが、決して誇張なく、音楽的。
ダフニスも油断してしまうほどのお姉さんの登場も、外敵襲来の予見とともになかなか緊張の高まりを味わうこととなりました。

 このあと、戦いの踊りまではちょっとダレてしまう場面だけれど、神秘感の表出やウィンドマシンの効果的な使用などを眺めつつダイナミックな爆発を待ち受けました。
オーケストラがしばし休息し、アカペラ合唱によるミステリアスなシーン。
始めて聴いた高校時代は、夜に聴くと、ここ怖かった。
ヴィオッテイはそこそこの数の東響コーラスを充分に抑え込み、金管が不穏な雰囲気を出しつつ、海賊軍団の踊りへの備えを築く。
そしてきましたよ、金管の咆哮と打楽器軍団の炸裂。
その後ピッコロやクラリネットの狂乱ぶりも重なり、饗宴の度合いを高め、男声合唱も加わりスリリングな展開に息を飲みました、
でもまだ力は8分目ぐらいかな、と。
捉えられたクロエの許しを乞う踊りのシーンでの、管や弦のしなやかさと歌わせ上手、ラヴェルの筆致の見事さも味わえる。

 このあたりから、第2組曲へと向かって音楽が聴き知った夜明けへと準備を進めていくシーンの演奏の精妙さといったらなかった。
あのフルートによる流麗かつ清々しいモティーフがついに出てくると、私は鳥肌が立つほどの感動を味わうのでした。
そのあとの弦楽器による日の出の煌めくような美しさ、そこに合唱も加わり築かれる高まり、ほんと感動的だったし、ヴィオッテイ氏も大きく腕を広げて音楽を浴びるようにして指揮してました。
 そして、今宵のハイライトと言ってもよかった竹山さんのフルートによる無言劇。
ただただ美しく、透明でデリケートでもあり、素晴らしすぎた。
4人のフルートとピッコロによる息の合った掛け合いも素敵すぎた。
さあ、こうなるともう、全員の踊りの興奮の坩堝を待ち受けるばかりだ。
高まりゆく音楽の盛り上がりに、指揮もオケも合唱もすべてを全開、まさに歓喜爆発を見せてくれました。
この喜ばしい音楽が最後に待ち受けるようにして書いたラヴェルも素晴らしいが、そこに焦点を持ってゆき、物語の大団円よろしく華々しいフィナーレを作り上げたヴィオッテイの手腕もすごかった。
一瞬誰も拍手ができず、間ができたことも余韻としてすごくよかった。

音が響きとして包まれるように聴こえるサントリーホール。
音がリアルにそのまま届き、さらには上からも降り注ぐようにして降ってくるように聴こえるミューザ。
どちらも優秀なホールです。
そんなことも、この2週間で確認ができた。
また、声楽作品、歌へのこだわりなども感じることのできたヴィオッテイの才能。
ヴィオッテイと東響の2ウィークが終わってしまい、とても寂しくもありました。

ヴィオッテイはこのあとは、オランダでこの前までの手兵のネーデルランドフィルに客演。
ラフマニノフの交響的舞曲を指揮する予定。

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ノット監督との深い絆で結ばれたコンビとはまた違った、まるで仲間のような親密な関係をきっと築きそうなヴィオッテイと東響です。

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会心の演奏を祝う東響のみなさん。
完璧でした、ありがとう。

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このあと、ヴィオッテイを拍手で呼び出し、ふたたび大喝采。

次は7月にまた帰ってきてね。

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2026年3月20日 (金)

東京都交響楽団定期演奏会 インキネン指揮

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朝に雨、ちょっとのお湿りがありがたい夕刻のコンサートホール。

風はまだ冷たいけれど、気温は上昇中でいい感じで、早めの桜の季節を迎えようとしてます。


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   東京都交響楽団 第1039回 定期演奏会 Bシリーズ

  ラヴェル  ラ・ヴァルス

  サン=サーンス ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 op.44

          左手のための6つの練習曲~第2番「フーガのように」

     Pf:キット・アームストロング

  プロコフィエフ 交響曲第3番 ハ短調 op.44

   ピエタリ・インキネン指揮 東京都交響楽団

        (2026.3.19 @サントリーホール)

一見、風変りなプログラムですが、いずれもパリにおいて初演されたパリ・フランスにゆかりのある作品。
前半はまさにわかりますが、プロコフィエフはロシアから亡命し、アメリカからドイツやフランスで過ごした期間が10年間あり、その間で独創的な作品を多く作曲していて、オペラ「炎の天使」とその素材を元にした交響曲第3番がまさにこの時期のものです。

ハ短調と作品44が共通しているのは、都響の発表だと偶然だそうな。

そのプロコフィエフの3番狙いのワタクシ。
全部プロコフィエフで決めて欲しかった気持ちもありましたが、どうしてどうして、前半も抜群に面白かった。

インキネンとラヴェル、まったくイメージはなかったですが、きらびやかさとは遠い、淡々としたなかに入念できめ細かな味付けもあるユニークなラ・ヴァルスだった。
インキネンを実演で聴くのは初めてですが、シベリウスやドヴォルザーク、ワーグナー、プロコ3番の専門家みたいに思ってたけど、丁寧な仕上げの渋めのラヴェルは悪くないと思った。
演奏会の終わりに晴れやかにやるのでなく、冒頭にホールの空気感をあげるようなこうした選曲は悪くないし、次のサン=サーンスの音楽の舞踏性との対比でも面白かった。

そのサン=サーンス、奏者のアームストロング氏もわたしは初だし、恥ずかしながらお名前も知らなかった。
作曲もなし、オルガン奏者でもある天才肌の音楽家。
小柄な少年のようにサクッと登場し、ササっと弾き始めたそのピアノは、転がるような軽やかなタッチで実に心地よい音色をかもし出す。
これまたコンサート初聴きのサン=サーンスの4番という渋い作品で、変奏形式の第1部の前半とやや難渋な後半ではちょっとワタクシ退屈しかけたけれど、それでもピアノは明快で曇りなし。
楽しい雰囲気になる第2部は、いかにもサンサーンスらしい屈託のない音楽となり、ピアノもオーケストラもウキウキ感が満載だ。
飛翔するがごとく高い技巧に裏うちされたアームストロング君のピアノは、もはや耳に心地よさをもたらす快感ですらあり。
インキネンのオーケストラもここでは煌めきを尽くし、この作品のベースにある循環形式などといった小難しいことは抜きに明るく楽しくアームストロング君を支えてる。
あっという間に盛り上がって、あっという間に終わってしまう協奏曲だったけれど楽しい30分間だった。
 アンコールは驚きの左手作品。
左手だけで演奏してるとはまったく思えない鮮やかなタッチの演奏に舌を巻きましたよ!

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お楽しみのプロコフィエフ
自慢じゃなけど、「炎の天使」を完全マスターしてから交響曲第3番の楽しみ方も増した。
まして今回は、実演初のプロコ3番。
奏者のみなさんが、あんなことしてる、こんな風に弾いてるんだみたいにキョロキョロしながらワクワク忙しくも聴いたものです。

いうまでもなく、8作ある完成されたプロコフィエフのオペラ(ほかに少年時代に4作あり)のなかで、いちばん刺激的でかつ傑作といわれる「炎の天使」だが、三角関係の恋愛、悪魔主義、騎士道精神、キリスト教、これらがないまぜになった筋立ての複雑なオペラです。
堕天使となるヒロインに振り回される騎士、このヒロインの性格がややこしく心変わりも激しく目まぐるしい。
だから、このオペラのモティーフを随所に折り込んだ交響曲第3番も、まさに目まぐるしいほどに、いろんな旋律や動機が交錯し、とつぜんの心がわりのように音楽はつねに変転する。

そのあたりの差配が、インキネンの指揮ぶりを見ていても、曲を完全掌握している感じで頼もしいものがありました。
指揮台にあがるや否やすぐに指揮棒を振り下ろしすぐさまに、ベルを伴うあの強烈なサウンドが開始された。
オーケストラの準備も万端だった。
ヒロインが悪霊にとりつかれたようにして歌うシーンの音楽、そこに低弦はそれをなだめる相方のリベラメの祈り。
もう冒頭からその描き方が着実で一挙に音楽に気持ちが入っていった。
そのあとのヒロインの愛の旋律がいやでも美しく抒情的に奏でられ、オーボエも見事でした。
ミステリアスな緩徐楽章は、修道院入りしたヒロインのシーンで、こうして聴くとオペラでの禍々しさは後退し、抒情的でクールな演奏も手伝い、シンフォニーとして実によく書けてるものだなと感心。
ときおり怪しいムードになるのは、悪魔文献を読み漁るヒロインの姿なのだな、これが。
はい、みなさんお待ちかねの目まぐるしくも弦の分奏による変転グリッサンドの激しい3楽章。
これこそ見て聴いてみたかった。
なるほどなるほどと思いながら聴き、中間部の束の間の正気に戻った抒情味の対比もうまい描き方だ。
オペラでは霊魂の召喚で鳴らされるドアのノックがわりの3つの太鼓、このあたりの腹にずしりとくるところ、打楽器各種の活躍もライブならではの興奮のしどころ。
オペラの眩しい最終シーンで終わる3楽章だが、ラストとそう感じさせることなく、アタッカで終楽章になだれ込むことでよけいに終楽章の奇怪な姿を浮き彫りにできたものと思う。
いうまでもなく、最終幕の悪霊と惑わされた修道女たちのトランス状態の酩酊的な強烈な音楽が入乱れるのであるが、都響の整然としたアンサンブルがあって、またインキネンのアクセルぶかしが生きてくるというものだ。
強烈なエンディングにあっけにとられるホールは、音楽が消えても、インキネンが指揮棒を下ろして構えを解いても、しばしの間がありました。
ブラボー一声かましました。

爆発的な演奏というよりは、冷静さも保ちつつ整然とした抒情味も大切にしたクールで熱い演奏だったように思う。

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都響は次はヴァンスカが来てシベリウス。
インキネンは、次はシベリウスを聴きたいものだ。

さらに都響の4月はカラビッツがやってきてプロコフィエフの4番の初稿版をやります。
これ行きます。

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ホールのうしろの公園には終わりかけのモクレンが。

次は満開の桜坂です。

過去記事

「プロコフィエフ 交響曲第3番」

「プロコフィエフ 炎の天使」音源

「プロコフィエフ 炎の天使」映像

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2025年7月 6日 (日)

東京都交響楽団演奏会 カネラキス指揮

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梅雨明け間近の東京サントリーホール

涼しげなエントランスのグリーン、奥の水辺も夏は気持ちよい

不快指数高めの日々に、爽快な気分にさせてくれたコンサート

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人気のピアニスト、沙良=オットがソリストとあって、こんな素敵なスタンド花が。

華美にならない飾らない彼女のピアノにマッチした色合いかと。

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     「都響スペシャル」

  ラヴェル  ピアノ協奏曲 ト長調

  サティ   グノシエンヌ 第1番

    アリス・沙良=オット

  マーラー  交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   カリーナ・カネラキス指揮 東京都交響楽団

       コンサートマスター:水谷 晃

                        (2025.7.5 @サントリーホール)

前日の定期とともに、ソールドアウトのコンサート。
ふたりの女性、さらにはメインがマーラーということで人気を呼びました。
わたくしは、カネラキスを前々から海外オケの放送で聴き及んでいて、こんかいの初来日に即座にチケットゲット。
おまけに、ソロが沙良=オットというオマケつきで狂気したものです。
はいそうです、ワタクシはオジサンです。

カネラキスとほぼ同じ背格好、華奢で小柄な沙良=オットがステージに現れるだけで会場の空気が華やいだような気がした。
シルバーに近いドレスはシックで、この日のラヴェルの2楽章の落ち着いた美しさを早くも予見させる。
トレードマークともいえる素足で軽々と登場し、深々と一礼。
カネラキスと目を合わせすぐさまに軽やかに弾き始める、この流れるような一連の所作から、すべてが彼女の音楽だ。
彼女のピアノの音、その弾き姿、聴いて観て、すべてが音楽そのものに奉仕するように没頭感があり、それが嫌味にならず、聴き手の共感を呼ぶ客観性も帯びているところがよい。
 完璧な技巧を感じさせるが、それが強調されることなく、音楽を掘り下げて切りこんでゆく必死の姿をそこに感じ、聴き手も同感の思いで彼女の音楽に没頭することになる。
その点で、某YWさんとは大違い。
オーケストラをよく見ながら一緒になって楽しんでる様子も可愛く、正面から見える席だったので、足の指先まで音楽してる感じでよく動いてましたね。
 ともかくステキすぎたのが2楽章。
楚々たるオーケストラ、そしてコールアングレのソロとともに、透明感あふれるピアノは、天にも昇るばかり、シルクのようなしなやかさと、清流のような澄み切った透明感を感じさせるもので、ずっとずっと聴いていたい、続いて欲しいと思いつつ聴いた。
急転直下の3楽章では、オーケストラとの活発なやり取りが面白く、息つく間もない。
ふだん聴こえないような音がオーケストラに見出したのもカネラキスの目線か、次のマーラーでもそんなシーンはあった。

ステージから去る沙良=オットは、少し小走りに、ぴょんぴょんと跳ねるように楽屋へ向かいます。
そんな姿もオジサンは見逃しません。
何度かのコールで弾いてくれたのは、得意曲のサティ。
まさにアンニュイ感ただよう、儚さと切なさも味わうことができた一瞬でした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マーラーの1番は、カネラキスの得意曲のひとつ。
BBC響との2022年promsライブ録音も所持してまして、promsならではの活気あふれる演奏ですが、また彼女ならではの落ち着きも感じられるものでした。
欧米のメジャーオケをたくさん指揮し、オランダ放送フィルの首席、LPOの首席客演といった有力ポストにもあるカネラキス。
オランダ放送というレパートリーを磨くには好適の立場にあり、コンサートにオペラに、かなり通好みのプログラムを手掛けております。
海外の放送音源から、2018年あたりからカネラキスの名前を注目していて、相当数の音源を保有するに至りました。
そんななかで、いちばん気に入ってるのがラフマニノフのシンフォニック・ダンスと、トリスタンとイゾルデ、法悦の詩、ルトスワフスキ・オケコンなどです。
いまの指揮者にありがちな、後期ロマン派以降の作品に強く、古典系はまだまだ、というところではありますが、オペラでの活動も含めて、こんごともにカネラキスは目が離せない指揮者だと思います。

小柄な彼女ですが、指揮台のうえでは伸び上がったり、左右によく動いて、かなり綿密に指示を出します。
横顔を見ながらの位置でしたが、その眼力や表情の変化などもなかなかのもの。
左手での表情付け、タクトの明快さ、身体能力の高さがうかがえる柔軟性ある動きなど、拝見していてとても気持ちのいい指揮者でありました。
小柄でオット嬢にも負けないスリムなお姿とブロンドを束ねた可愛さ、でもどこからそんなパワーが出るのかと思うくらいに統率力があり、人を引き付ける後ろ姿でありました。

慎重すぎるきらいはあったが、盛り上げも充分なよく歌う1楽章、面白いフレーズが聴こえてくるのも発見だった。
緩急豊かでメリハリのよく効いた2楽章が面白かった。
リズム感のいい指揮に都響がよく反応し、こんなに楽しいスケルツォってないなと思いながら聴き、対するレントラーもよく歌いあげ気持ちが極めてよろしい。
ともかく明朗快活なカネラキスの指揮は2楽章で明確になった。
 都響の各奏者の巧さにも助けられ、重さや物憂ささよりは、明るい前向きな歩みを感じさせた3楽章。
このあたりに陰りや若さゆえのほろ苦さを今後、彼女は表現できるようになることだろう。
ちゃんとアタッカで緊張を止めることなく突入してくれた終楽章。
弦への指示も熱く、都響の分厚い弦楽器セクションも大いに荒れて興奮を呼び覚ます。
ヴァイオリン出身のカネラキスの指揮のこの日のハイライトは、このあと静まってからの第2主題。
静やかに、でも細心の丁寧さを持って歌われる弦によるこの美しい旋律、それが徐々に高まる情熱が加わり、気持ちを込めて指揮をするカネラキス、とても感動的なシーンがここで繰り広げられた。
 次いで出現する1回目のクライマックスとの対比も鮮やかに決まり、また静まってから第2主題が奏でられるが、ここでの静寂シーンでの緊張感はさらなる精度を求めたくもあり。
でも繰り返される波動のように徐々に迎えるクライマックスの前兆、このあたりはオケの見事さもあり聴きごたえあり。
テンポも少し早めつつ、やってきたコーダは若々しい情熱の発露のようであり、堂々たるフィナーレというよりは、明朗で爽快、一気に駆け抜ける早春譜のようでもあった。
こんな若々しいマーラー、久しぶりに聴いた。
聴き手によっては、もっと爆発的なフィナーレを期待したかもしれないが、わたしには、こんな健康的ヘルシー・マーラーは新鮮だったのです。

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女性指揮者と、いまや「女性」でくくることはナンセンスではありますが、しいていえば、若手女性指揮者のトップスリーは、グラジニーテ・ティーラとマルヴィッツ、そしてカネラキスと思ってます。
ミルガたん、カネラキスたん、なんて女の子みたいに呼んでた自分を恥じたい。

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また日本に来て欲しいし、オランダ放送、またはロンドンフィルとはガードナーと一緒にやってきて欲しいな。
アメリカのメジャーオケの指揮者になることもありうるな。

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鳴りやまぬ拍手に応えてひとり登場したカネラキス。

飾り気ないなかに、女性らしい優しい所作で感謝を表明。

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サントリーホールの裏にある庭園には桔梗が咲いてました。

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2025年1月23日 (木)

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ アバド指揮

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家を出て南に歩くと10分ちょっとで相模湾です。

満月も近かったこの日、東の空にはきれいなお月様。

冬の海は寒いけれど、澄んだ空気と波の音で脳裏も冴えわたります。

ちょっと忙しくて、数日遅れとなってしまいましたが、1月20日は、クラウディオ・アバドの命日でした。

2014年1月20日、あの日から11年となりました。

「アバドの誕生日」の6月には、毎年いろんな聴き方でアバドを聴くのが常でしたが、そこにまさかの「アバドの命日」というまた特別な日ができてしまった。
それは悲しみの日ではありますが、たくさんの音楽を聴かせていただき、ありがとう=感謝の日でもあるんです。

今年は短めの曲で、しかもこれまで取り上げてなかった曲で。

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     ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

                (1970.2.2 @シンフォニーホール、ボストン)

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  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

              (1985.6.10 @ワトフォード・タウンホール、ロンドン)

ラヴェルの感傷的で瀟洒な作品、アバドは録音初期の70年と世界的な指揮者となった80年代のラヴェル全集の一環とで、2度の録音があります。
短い作品なので、演奏時間などに差異はないですが、強いて比較すると、ロンドンでの方がやや短め。

1958年にクーセヴィツキ指揮者コンクールで優勝したことで、同年にボストン響をタングルウッドで指揮。
7月公演の演目は、「未完成」で他の指揮者と振り分けたお披露目コンサートだった様子。
さらにその夏には、アバドの単独の指揮で、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲、チャイコフスキーのロメオというプログラムを指揮している。
ボストン響のアーカイブ情報は充実していて、詳細にタイプ文章が残され公開されているのです。

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ちなみに、ボストン響への定期への正規登場は1970年の1月で、このときに、ラヴェルとドビュッシーが演奏され、DG録音も行われている。
このときの他の曲目では、シューマンの4番という録音されなかった曲が目を引くし、プロコフィエフ3番や、ドホナーニ作品、バルトークのピアノ協奏曲など、いかにもアバドらしい作品ばかりで、それらの録音が残っていないか気になるところです。

ボストン響への客演は、その後もさほど多くはなかったですが、残された2枚分の録音を聴くに、いまもってシカゴと同様、オーケストラとの相性は非常によかったと思います。
ボストンで指揮をした曲目は、ほかではやはりマーラーです。
2番、3番と7番もあり、小澤さんの在籍時だったので、録音は望めなかったのですが、まじに聴いてみたかった。

ロンドン響との演奏は、リアルなラヴェルで、ボストンとのものは、オーケストラの伝統に則したヨーロピアンでエレガントなラヴェル。
そんな風に思いながら聴きました。
ホールトーンの美しさを活かした録音も、ボストンのものは特筆すべきで、アナログ時代のもっとも良き調べを感じる。
ほんとうに優しく、歌うように演奏する当時36歳の若さあふれる指揮。

より緻密に正確に響きを捉えた端正な演奏がロンドン盤で、アバドは52歳になる直前。
ロンドンを中心に、ウィーン、ミラノ、シカゴで活躍し、指揮界の頂点を極めつつあった時期。
ニュートラルなロンドン響の音色は、ボストンのものに比べると薄味ですが、精緻さにおいては比類ない。
ピアニッシモも美しさ、そこでの歌い口もアバドならではで、ロンドンのオケはアバドの思いに自在に付いて行ってる。

どちらのラヴェルも好きですが、自分的にノスタルジーを感じるのはボストンの方かな。

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1970年に発売されたレコードのレコ芸広告。

RCAからDGに専属を移したボストン響、その録音もRCA時代とはまったく一新されたものでした。

小学生だった自分、この広告を見て、おりからのクリスマス時期だったので、この2つのレコードが欲しくてたまらなかったのを覚えてます。
キャッチコピーもなかなか素晴らしいのです。

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海の近くの私が通った幼稚園がまだ健在です。
もちろん建て替えされてますが、場所も建物の配置も同じです。
むかしむかし、はるかに昔のことでしたが、不思議といろんなこと覚えているんです。

アバドの命日の記事

2024年「ヴェルディ  シモン・ボッカネグラ」

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2024年7月16日 (火)

ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ

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平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。

オオタニさんも登場。

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なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。

スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。

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こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。

ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。

去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。

いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。

3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。

2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ

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 ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

        (1970年 @UCLA ロイスホール LA)

メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。

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   小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)

日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。

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        クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        (1981.@ロンドン)

なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。

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2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。

世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・

Tanabata

平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。

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2023年7月13日 (木)

ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ミュンシュ指揮

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久方ぶりに七夕まつりに行ってきた。

ここ周辺の地に育ち、子供時代は欠かさず行っていた七夕。

昔は、竹製がメイン、いまは樹脂やクレーンなどを駆使した大がかりなものに。

かつては、親に連れて行ってもらった。
その後、自分が子供を連れて行った。
いまは、孫と行くようになった。
歳とったもんだ。

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   ラヴェル 「高雅で感傷的なワルツ」

    シャルル・ミュンシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

       (1963.3.14 @フィラデルフィア)

ミュンシュがフィラデルフィアを指揮した貴重な1枚。
しかも、レーベルがCBSで、当時のオーマンデイのもとでCBSにお抱え状態だったフィラデルフィアという、時代背景も偲ばせる1枚。
あと数年たてば、RCAへの録音となったかもです。

ラヴェルのほか、フォーレのペレアス組曲、ベルリオーズのファウストからオーケストラ作品などが収録されてます。

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レコード時代、廉価盤化されたものを購入して初聴き。
そのときは、CBS時代のいわゆるフィラデルフィアサウンドが聴かれ、ミュンシュの剛毅さが、とくにベルリオーズでは活きている印象だったが、録音がちょっといまひとつに感じていた。

CD化されたものを聴いたら、印象がかなり異なり、3曲ともに、かなり落ち着きある、むしろ渋い演奏にも感じたのです。
キンキン感じた録音が改善されたことも大きく、横への広がりと程よい響きが実に美しく、フィラデルフィアのオケの巧さ、とくに弦のしなやかさと艶もとても心地よい。

ミュンシュの指揮は、豪快さよりは、抑制の効いた精緻なもので、酸いも辛いも経験してきた大人の音楽を聞かせる。
ことに、フォーレの美しさは、いまの自分には例えようもないです。
こうもむかしの印象とは変わってしまうなんて・・・

高雅で感傷的なワルツ、わたくしラヴェルの作品のなかでも結構好きなんです。
ミュンシュはもしかしたら、この曲、この録音のみなんですかね。
華やかで熱狂的な「ラ・ヴァルス」と違い、幻想味がまさる瀟洒な、でも寂しさも感じるシックな作品。
ミュンシュの力を抜いたかのような優しいタッチによる演奏は、フィラ管の名手たちのソロも際立ち、じっくりと聴くにたる桂演であります。
シューベルト風のスタイルで作曲したというラヴェル。
ピアノ原曲と併せて聴くと、ラヴェルのオーケストレーションの天才性もわかります。

以前にも書きましたが、ラヴェルのアニバーサリー年に、小澤&新日フィルでこの曲が演奏されましたが、静かにこの作品が閉じたあと、ラ・ヴァルスがとめることなく演奏されて、雲の間から見えてくる舞踏会をつぶさに体感することができました。

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いくつになっても、七夕飾りは美しいものです。

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高雅で感傷的なワルツ、初のレコードはアンセルメでした。
リズム感豊かな、スイス・ロマンドとの名コンビが生んだ名演。

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いまは昔、むかしむかし、おフランスにパリという名前のお洒落な街がありました。
そんな感じのクリュイタンス盤。

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クールで研ぎ澄まされたラヴェル。
70年代のブーレーズはすごかった、クリーヴランドもすごかった。

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軽やかで歌心にあふれたアバドとLSO。
精緻なピアニシモは美しく、そんななかでも歌うアバドの指揮は好きです。

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高雅で感傷的なワルツ、おしまい。
  

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2022年12月 4日 (日)

ラヴェル ダフニスとクロエ ハイティンク指揮

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初冬の夕暮れの海岸。

西の空は淡く暮れ、遠景は箱根の山々。

海の夕焼けは、子供のときから大好きでした。

夜明けの音楽だけれど、今日はダフニス。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

        (2007.11.8~10 @オーケストラホール)

ダフニスとクロエは演奏会では第2組曲が主流で、ネット放送の海外演奏会でも第2組曲ばかり。

でも自分では、ダフニスは全曲版と決めております。

ラヴェルの管弦楽曲集をやるとなると、第2組曲をラストに持ってくるのが一番盛り上がる。 

しかし全曲版をコンサートのメイン、後半に持ってくるなら、前半の選曲に多彩な選択ができるし、50分あまりの光彩陸離たるラヴェルならではの音楽絵巻は充実のコンサートを約束すること間違いなし。

かつて経験した小澤征爾と新日フィルのライブでは、前半がヴェルディの「聖歌四篇」というユニークなプログラム。
小澤さんといえば、サンフランシスコ響と凱旋したとき、Pゼルキンとブラームスの1番の協奏曲にダフニス全曲。

こんな具合に意味深いプログラミングができるダフニス全曲。

今回のハイティンクとシカゴの前半は、このCDにも納められたプーランクのグロリアでした。

ハイティンクはラヴェルを得意としましたが、なかでもダフニスとクロエは大好きだったようで、30代の若き頃にコンセルトヘボウと第2組曲を、40代に今度は第1と第2の組曲。
さらに50代にロンドンフィルとの全曲版ライブ録音、60歳でボストン響と全曲、78歳でシカゴ響と全曲。
このように、ずっとダフニスを指揮し、録音も残してきました。

最後の録音であるシカゴ盤は、ともかく録音がよすぎて、ダイナミックレンジがむちゃくちゃ広い。
静寂の美しさを楽しもうとボリュームをあげて聴いてると、突然にリアル巨大な音塊が襲ってきて、とんでもなくびっくりしてしまう。
最高の装置なら難なくピアニッシモからフォルティシモまで均一に味わうことができるだろうが、我が家ではそうはいかない。
この録音の良さが、シカゴ響のべらぼうに巧い技量のほどを見事にとらえていて、ハイティンクの目指すシンフォニックなダフニスの魅力をあますことなく味わうことができます。
ハイティンクのダフニスは、ラヴェルの精緻な音楽をスコアを信じて、そのままに音にしたかのようで、舞台が目に浮かぶようなストーリーテラー的な表現はありません。
ともかく、いつものハイティンクらしく、真摯にラヴェルに取り組み、さりげなくも堂々たる演奏を完遂してしまう。
オーケストラの全幅の信頼と尊敬をもとになりたつ、指揮者として最高のレヴェルに立った存在としてなしうる芸術行為であろう。

前奏からして水際経つオーケストラの美しさと透明感、場面の変転は大らかながら、安心感があり、音楽の流れに身をまかせるだけでいい。
このあたりの安定した音楽づくりがハイティンクのよさだろう。
ベートーヴェンもブルックナーもマーラーもみんなそう。
ボリュームの操作さえ間違えなければ、最高と安定のオーケストラサウンドを堪能できるハイティンクのダフニスです。

続いてボストン響との演奏を聴くと、シカゴとはまったくちがったオーケストラの味わいがある。
ながらく培ったラヴェルの演奏の伝統が染みついたオーケストラの馥郁とした音色は、中間色に強みのあるハイティンクの指揮にばっちり。
シカゴにない味わいが醸し出されているのがボストン盤。

ロンドン・フィル盤は未聴。
70年代のコンセルトヘボウ盤は、まさにフランドル調の渋いけれど、耳に優しく柔らかくも柔和なラヴェルサウンド。
華やかさとは無縁の絹折れの世界。
できれば、コンセルトヘボウと79年頃の、このコンビの最盛期にも全曲録音を残してほしかった。

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ハイティンクのラヴェルはいい、好きです。

クープランの墓、高雅で感傷的なワルツ、古風なメヌエット、マ・メール・ロワなど、コンセルトヘボウ盤が最高に好きなんです。

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2020年1月12日 (日)

ムソルグスキー/ラヴェル 「展覧会の絵」 マゼール指揮

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2020年に入って、はやくも月の1/3が終了。

毎日がほんと早い。

外人さんだらけの銀座4丁目のショーウインドーは、富士と豪勢なバッグに、銀座の街も写し出していて、なんだか幻想的だった。

いつも長文書いちゃってますが、今日は短く。

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  ムソルグスキー ラヴェル編 組曲「展覧会の絵」

 ロリン・マゼール指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1972.10 @ロンドン)

名曲すぎて、過去聴きすぎて、ミミタコすぎて、もうあんまり聴かなくなってしまった曲。

その代表が、「展覧会の絵」。

チェリビダッケとロンドン響の壮絶な来日演奏の録音、アバドの2種のムソルグスキー臭の強い暗めの演奏。
これらのぞき、どうも、聴いていて、あの大仰な最後がとくにダメなんだ。

でも、レコード時代に気になっていた1枚を入手したので聴いてみた。

デッカのPhase4(フェイズ4)録音によるものもあって、マゼールの指揮だし、ニューの時代のフィルハーモニアだし。

マルチマイク録音で、各楽器が間近に迫るように強調され、かつそれをベースに2チャンネルのステレオサウンドにミックスダウンするという方式。
ストコフスキーのデッカ録音で多く聴いてきました。

で、聴いてみた。
面白いように、各楽器が、右や左からポンポン浮き上がるように出てくるし、聴こえてくる。
ほぼ半世紀前の録音とは思えない鮮明さと、生々しいリアルサウンド。
楽しい、楽しいよ~
ことに、展覧会の絵のような曲では、ソロ楽器が活躍するので、それらが強調されるように楽しめるし、あ~、ほかの楽器もこんな風にしてるんだ、との再発見もあったりして。
いまの現代では、こんな録音は邪道かもしれないが、古風な耳をもった私のような聴き手には、懐かしさと新鮮さがないまぜになったような感情にとらわれました。
フェイズ4とは別次元だが、中学時代は、4チャンネル録音も盛んになされ、アンプは買えなかったけれど、スピーカーの配線を工夫することで疑似4チャンネルが楽しめたものだ。
右や左、前や後ろから、音が万華鏡のように聴こえてきて、ハルサイなんて、最高だったんだ。

なにかしでかす指揮者マゼールは、ここでは意外とおとなしめ、っていうかごく普通。
でも、よく各曲を丹念に描きわけていて、とても丁寧な印象。
展覧会の絵の入門には絶好の演奏とおもしろ録音だと思う。

まだクレンペラーが君臨していた時代のニュー・フィルハーモニアもうまいもんだし、音色に華がある。

おもしろかった。

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2019年6月30日 (日)

ラヴェル 「シェエラザード」 アバド指揮

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もう盛りは過ぎましたが、街のあちこちでみかける紫陽花。

初夏の訪れとともに、開花し始め、梅雨に最盛期を迎える彩りあざやかな、日本由来の花。

G20で来日の各国首脳も、目にしたことでありましょう。

蒸し暑いが、梅雨のしっとりした風情は、紫陽花あってのものです。

かつてのむかし、西欧人が憧れた、神秘のヴェールにくるまれたアジアを想った音楽を。

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    ラヴェル 「シェエラザード」

      S:マーガレット・プライス

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1987.11 @オールセインツ教会、ロンドン)

ラヴェルの歌曲集「シェラザード」は、アジアをテーマにした3編の詩に寄せたもの。
ラヴェルの芸術仲間の、トリスタン・クリングゾールの同名の詩によるもので、そう、おわかりでしょうが、ワグネリアン風の色濃いお名前。
本名はアルテュール・ジュスタン・ロン・ルクレールという、これまた長~い名前。

世紀末ヨーロッパの知識人たちの、ジャポニスムに代表されるような、東洋へのあこがれと、エキゾチシズムは、たくさんの芸術作品を生み出しました。
1903年に作曲されたラヴェルの「シェエラザード」も、まさにそのひとつといっていい。

①「アジア」 ②「魅惑の笛」 ③「つれない人」

千夜一夜物語が、その根底にあるテーマだから、①「アジア」では、行ってみたい、船出してみたい、観てみたいを、連発するが、港のものうい風景や、回教寺院の尖塔などを見たいといいつつ、曲がって大きな刀で罪もない人の首をチョンするのを見たいなどと、恐ろしい想いも吐露する。
しかし、これらは、ときおり、大きな禍々しいフォルテがやってくるものの、おおむね、物憂げで、沈滞したムードに覆われている。

美しいのは②「魅惑の笛」で、まさに独奏フルートがとびきり美しい。
ほんとに美しい、ここでも、その物憂く、はかないムードは、ドビュッシーの牧神の午後にも通じる、白昼の幻想のようなものだ。
昼寝する主人の横で、恋人の笛の音色に耳を傾ける少女。
その様子が眼にうかぶ、静かな音楽です。

そして、その静けさは、弱音器を付けた弦楽器と夢幻な管のかなでる秘め事のような音楽、③「つれない人」にもつながる。
その詩がまた、刹那的でセクシャルな退廃感にあふれている。
女性に、つれなく別れを告げる異国の青年。しかし、その後ろ姿は女性的に腰をひねって・・・っていう意味シンぶり。
音楽も、後ろ髪ひかれるような甘味な余韻を残しつつ静かに終わる。

80年代後半に、ロンドン響とともに録音された、アバドのラヴェルシリーズに、この素敵な歌曲が含まれたことは幸いです。
精緻で、かつ明るく、情熱にもあふれた明快なラヴェルを残したアバド。
コンビの最終次期にもあたり、阿吽の呼吸で、ロンドン響の自発的なサウンドを引き出した。
 クリアで、歌いすぎることのない、冷静なM・プライスの歌声も、アバドのこの美しい「シェエラザード」には相応しいものだと思います。

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ロス・アンヘルスや、S・グラハム、そして、いまお気に入りの歌手、クレヴァッサの蠱惑の声で歌う「シェラザード」も好きです。

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      マリアンヌ・クレヴァッサ

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2018年2月11日 (日)

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 小澤征爾指揮

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海と月。

いまさら1月のスーパームーンの写真ですいません。

こういう光景に、ドビュッシーとかラヴェルの音楽を思い起こしてしまう、音楽好きのサガ。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

     小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団
           タングルウッド音楽祭合唱団

                (1973.10 ボストン)


アバド、メータときて、70年代の若手三羽がらす、小澤さんのラヴェル。

当時の3人の写真、いや、実際に自分の目で見た3人は、とても若くて、とてもアクティブで、指揮姿もダイナミックだった。
でも、3人のうちの二人が病に倒れた。
復帰後の活動は縮小したものの、より深淵な音楽を聴かせてくれるようになった。
でも、亡きアバドも、小澤さんも、痩せて、すっかり変わってしまった。

そんななかで、メータはひとり、大病もせず、ふくよかさは増したものの、風貌からするとあまり変わらない。
カレーのパワーは大きいのだろうか・・・

雑談が過ぎましたが、「小澤のラヴェル」。
1975年、高校生のときに単発で「ボレロ」の1枚が出て、そのあと一気に4枚組の全集が発売されました。
ラヴェル生誕100年の記念の年。
高値のレコードは眺めるだけでしたが、その年、もうひとつの手兵だったサンフランシスコ響を率いて凱旋し、ダフニスとクロエ全曲をメインとする演奏会が文化会館で行われた。
前半がP・ゼルキンとブラームスの2番で、アンコールはピチカートポルカ。
テレビ放送され、食い入るように見たものでした。

あと思い出話しとして、当時、小澤さんのコンサートを聴くために、新日フィルの定期会員になっていて、ラヴェルが多く演奏され、ダフニスも聴いております。
小澤さんの指揮する後ろ姿を見ているだけで、そこに音楽がたっぷり語られているようで、ほれぼれとしていた高校・大学生でした。

小澤さんのラヴェルは、こちらの70年代のものだけで、再録音はなく、その後はオペラしか録音していないので、貴重な存在。

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抜群のオーケストラコントロールで、名門ボストン響から、しなやかで、美しい響きを引き出すとともに、ダイナミックな迫力をも感じさせる若さあふれる演奏。
ボストンの時代が、自分には親しみもあるし、後年の落ち着き過ぎたスマートすぎる演奏よりは、熱さを感じる点で、より本来の小澤らしくで好き。
だって、「燃える小澤の」というのが、当時のレコード会社のキャッチコピーだったんだから。
まだまだミュンシュの残影が残っていたボストン響。
精緻さと豪胆さを兼ね備えていたミュンシュの魂が乗り移ったと言ったら大げさか。
それに加えて、俊敏なカモシカのような、見事な走りっぷり。
「海賊たちの戦い」の場面のド迫力を追い込みは見事だし、なんたって、最後の「全員の踊り」のアップテンポ感は興奮させてくれる。
 こうした熱き場面ばかりでなく、冒頭から宗教的な踊りにかけての盛り上げの美しさ、そして当然のごとく、そして、ボストン響の名技が堪能できる夜明けとパントマイムも端麗。

30~40代の颯爽とした「小澤のラヴェル」、ほかの曲も含めて堪能しました。

小澤さんのボストン就任の前、DGはアバドとボストンと「ダフニス」第2組曲を録音しましたが、そちらの方が落ち着いた演奏に聴こえるところが面白い。
もちろん、アバドも歌にあふれた美しい演奏です。
アバドが亡くなったとき、ボストン響はのメンバーがアバドの思い出を語っている様子が、youtubeで見れます。
アバドのボストン響客演は、そんなに多くはありませんが、80年代まで続き、シューマンの4番や、マーラーの2、3番など、魅力的な演目がありました。
どこかに録音が残っていないものでしょうか。

アバド、没後4年にあわせて、70年代のメータと小澤も聴いてみました。

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