カテゴリー「ヤナーチェク」の記事

2019年6月26日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ アバド指揮

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毎度の場所です。

緑と海と空の青が美しいこの時期。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年ミラノ生まれですから、今年86回目の生誕日。

残念ながら、空のひととなってしまい、新譜もあまり出なくなってしまいましたが、レーベルにも恵まれ、若い頃から通算盤歴も長い指揮者でしたので、いまでも、たくさんの音源を繰り返し聴いて過ごすことができることに感謝です。

以外にもアバドの好んだ作曲家、ヤナーチェク。
そのもっとも有名な作品を今宵は聴きました。

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  ヤナーチェク シンフォニエッタ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1968.2 @ロンドン・キングスウェイホール)

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   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          (1987.11 @ベルリン・イエスキリスト教会)

1966年がレコードデビューだから、ロンドン響との68年の録音は、アバド初期のデッカ録音。
日本では、71年にロンドンレコードから発売されたと記憶しますが、クラシック聴き始めの小学生だったので、まだまだ、ヤナーチェクなんて、ましてや、カップリングのヒンデミットのウェーバーの変奏曲なんて、まったく眼中になく、難しそうな音楽だろうと思っていた。
 アルゲリッチとのショパンで、すでにアバドのレコードは所持していましたが、このロンドン響とのシンフォニエッタを聴いたのは、CD時代になって早々のこと。
そして、ヤネーチェクのシンフォニエッタが、私の耳に飛び込んできて魅了されたのは、72年にクーベリックのDG盤が出たときのこと。
FMで聴いて、録音して、夢中になった。
そのあと、N響でも、マタチッチや岩城さんの放送があり、この作品の骨太な演奏に惹かれていった。

でも、すこし後に聴いたアバドのシンフォニエッタは、そのスリムなスマートさで、ぜんぜんイメージが違うものだった。
ロンドン響の、見事なブラスセクションをえて、切れ味抜群、でも、豊かな歌にあふれたヤナーチェクの演奏に驚いた。
明るい歌いまわし、そして、ロンドンならではの、インターナショナルなシンフォニエッタ。

そのあとの、ベルリンでの再録音は、ベルリンフィルの高性能ぶりを感じさせる、超高機能の演奏。
鉄壁ななかに、やはり、歌があって、朗々としつつ、民族臭も感じさせるような表情への細かなこだわりがある。
アバドが取り上げたほかのヤナーチェクの作品には、「死」がまとわるテーマの作品が多くて、運命的な死と、避けることのできない宿命や民族的な問題への直視があります。

若き日々のブリリアントな演奏から、ヤナーチェクの音楽への切込みの深さ。
さらなるオペラ作品など、アバドに挑戦してもらいたかったです。

ちなみに、85年頃のFM放送ですが、ウィーンフィルとのライブも、ライブラリー化してます。
丸い感じの演奏が、ベルリンとの鋭さと、ちょっと味わいが違っていておもしろいです。

ことしの、アバド生誕祭は、ちょっと渋いですが、「アバドとヤナーチェク」。
後任のラトルにもしっかり受け継がれていること、この歓迎すべき師弟関係は、アバド→ラトル→ハーデイングへと引き継がれていることを感じますがいかに。

アバドの生誕記念日に。

アバドのヤナーチェク 過去記事

「死の家から」

「死んだ男の日記」

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青い景色は、相模湾と真鶴半島に、遠く伊豆。


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2015年7月29日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ クーベリック指揮

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夜のドライブ。

六本木トンネルを抜けたあと、ヒルズの真下へ。

都会の土曜日の夜は、空いていて快調。

こんな時は、ブラスが鳴り響く音楽を高らかに聴きたい。

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  ヤナーチェク  シンフォニエッタ

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1970.5.1 @ミュンヘン)


チェコのモラヴィア出身のレオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)。

かつての昔、わたくしが、このシンフォニエッタでもって、初めてその名前を聴いた頃は、「モラヴィアのムソルグスキー」とただし書きが付けられていました。

1971年に発売された、クーベリック指揮による、このレコードのFM放送でもって、初めて、ヤナーチェックを聴きました。
カセットテープに録音して、何度も何度も聴きましたし、ほどなく、マタチッチが、N響で指揮した演奏も放送で聴きました。

このレコードの発売は、暮れの時期で、クリスマスムード漂うなか、当時、ハマっていた「メサイア」や、キラキラ系のフィードラー&ボストン・ポップスのクリスマス音楽などとともに、聴きました。
 だから、自分のなかでは、まったく関係もないけれど、クリスマスっぽいイメージが、ちょっとだけつきまとう曲でもあるんですよ。

でも、この印象的かつ強烈なジャケットは、併録された、より民族的(ウクライナ、コサックの物語)な「タラス・ブーリバ」をイメージするもので、ともに忘れえぬ思いでとして、わたくしの中に刻まれているものなんです。

さて、70年代初めは、ヤナーチェクといえば、このこれらの作品と、ヴァイオリン曲、室内楽作品ぐらいしか馴染みがなかったはずです。

それが70年代後半から、マッケラスが、ウィーンフィルとデッカに、より、ヤナーチェクの本領があるオペラ作品を、次々に録音するようになって、ヤナーチェクの全貌が見えるようになってきたんだと思います。
チェコの音楽やオペラ劇場による録音は、少しはありましたが、メジャーレーベルによる、有名歌手を起用しての本格録音は、それまでローカルで、局所的な存在だったヤナーチェクのオペラが、まさに、「モラヴィアのムソルグスキー」と呼ばれるべき、社会問題や人間存在のあり方を、見つめ、突き詰めた作品たちであること、それが、完璧に理解できるターニングポイントとなるものでした。

従来の管弦楽作品の演奏史のなかでは、今宵のクーベリックの演奏が、ひとつの金字塔ではないかと思います。
セルの演奏は、恥ずかしながら未聴。
あとは、ここでもマッケラスとVPO、そして、大好きなのが、アバドのLSO盤。
ベルリンの渋い再録とともに、ロンドンのブラスの輝かしさが、アバドらしさを引き立ててます。(アバドには、あともう一品、ウィーンフィルとのライブ自家製CDRがありまして、そちらは、ムジークフェラインの丸くて、生々しい響きが魅力的ですよ)

クーベリック盤は、バイエルン放送響の金管セクションのマイルドであり、明るくもある、アルプスの山々さえも感じさせるビューティフルサウンドが魅力的。
バリッとした両端楽章のファンファーレでは、まさにそう。
 でも、この演奏の素晴らしいところは、ポルカ調であったり、ロンド調であったりと、舞曲風な節回しにあふれている、中間の3つの楽章。
オペラ指揮者、クーベリックらしく、両端楽章と中間3楽章との対比の鮮やかさと、母国語で難なく語り、それを巧みに受け止めることのできる高機能オーケストラが民族臭豊かな響きを紡ぎだしております。

もう、45年近く前に聴いた、この演奏に、この曲ですが、あらためて聴き直してみて、クーベリックという指揮者の器用さと、いまにつながるBRSOのウマさに感服しました。

村上春樹の小節に、出てくるというこの曲。
毎年、ノーベル賞候補にあがる、この人気作家の作品、実は、ひとつも読んだことがありませんこと、カミングアウトしときます。

ということで、今宵3度目のファンファーレを聴きつつ、おしまい。

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2012年9月23日 (日)

ヤナーチェク 「死んだ男の日記」 ラングリッジ&アバド

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復元が完成にほぼ近づいた東京駅丸の内北口。

この日の晩、映像やイルミネーションのCGショウのリハーサル。
そして、22と23日の夜には本番です。
あいにくと観ることができませんが、ちょっとやりすぎの感があり・・・・ですかねぇ。

神奈川県民だったから子供の頃から、首都東京への入口は湘南電車で、品川・新橋・東京駅が起点。
親類がみな池袋・板橋方面だったので、やはり東京駅でしたね。

前にも書きましたが、子供時代、東京の帰りは駅で売ってた「ミルクドーナツ」。
赤い箱に入ってた一口サイズのドーナッツで、グラニュー糖みたいなサラッとした砂糖が別に着いていたもの。
これは、ほんと美味しい東京の味でしたねぇ〜

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  ヤナーチェク   歌曲集「死んだ男の日記」

        T:フィリップ・ラングリッジ 

        A:ブリギッテ・パリーズ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1987.11@ベルリン・イエス・キリスト教会)


チェコのモラヴィア出身のヤナーチェク(1854~1928)は、かつては、シンフォニエッタとふたつの弦楽四重奏、ヴァイオリン作品、グラゴールミサぐらいでしか聴くことのない作曲家だったように思うが、本場での上演や録音はいくつかあったオペラに、サー・チャールズ・マッケラスがメジャーレーベルに次々と名録音を残すようになって、オペラ作曲家としてのイメージに激変した。

日本での上演は、残念ながらヤナーチェックのオペラは、かなり少なく、新国でも一度も上演機会はない状況だが、いずれは果敢に取り上げてくれるのではと思ってます。

そして、9作あるオペラ作品の番外編。
「消えた男の日記」を。

これはもともと、ピアノ伴奏によるテノール独唱の歌曲集、ないしは、女声版であったものを、ヤナーチェクの死後、専属写譜屋だったセドラーチェクがオーケストラに編曲し、オペラ上演可能としたもの。
数年前のパリ・オペラ座の来日公演で上演されてます。
音源では、こちらのオーケストラバージョンはともかく、オリジナルのピアノ版もいくつも出てます。

この原作の詩は、モラヴィアの農村で実際にあった事実の主人公であった青年が熱い思いとして残したもの。

その事実とは、その青年がジプシーの妖艶な娘に誘惑されて恋におち、さらに子供も孕ませてしまい、村の厳格なしきたりや人々の目に耐えられなくなって、泣く泣く村を捨て、ジプシーたちと行動し失踪する・・・・というもの。

これは、まるで、「カルメン」を思いおこします。

ジプシーは、差別的用語とされているようで、「ロマ」とも称されるようだ。
どうもピンとこないけれど、インド起源とされるこの移動非定住民族は、われわれ島国の民族が思う以上に、ヨーロッパでは古来忌み嫌われていて、いろんな紛争の元にもなっていたし、ナチスによる迫害もユダヤ人の比でなかった。
そんな彼らも、いまや各国に溶け込んでいるものの、まだまだ差別は残っているようです。
男性からすると、エキゾチックな風貌のかの女性たちは、ミステリアスで情熱的にうかがえ、ドン・ホセさんやこちらの「消えた男」さんの心情がよくわかりますな・・・・・

ヤナーチェクは、早くに結婚生活に失敗し、この曲を作曲していたころ(1917)、歳の差38歳の人妻と恋に落ちていた。63歳と25歳。
でも、ほんとうの純愛で、お互いに尊敬しあうものだったともいいます。
こんなことから、かつては、ヤナーチェクは女好きとのレッテルもありました・・・・・。

曲は22の部分からなっており、さらに場面で大きく分けると3つ。
ひとつめのくくりは、若者が胸元まで編んだ黒髪を垂らしたジプシー娘に会い、その想いが高ぶるさまを歌う。

 ふたつめの部分は、仕事でジプシーがいまいる森へ向かうこととなり、自分は大丈夫、と強がるが、実際に娘と会い、誘惑され、ついに床を共にしてしまう。
オーケストラの間奏が、その模様を甘く、情熱的に奏でる。

 三つめは、後悔する若者。恥ずかしくて牛の顔もまともに見れないと歌う。
愛する妹のブラウスもこっそり盗み貢ぐ、それも悔やむ揺れ動く心。
やがて、すべての定めとなった運命を受けとめ、父と母、妹、そして愛する村に別れを告げ、去ってゆく。
ジプシーの娘が息子を抱きしめて待つところへ帰ると・・・・・。

35分あまりのこの音楽は、編曲とはいえ、ヤナーチェックの語法がしっかりと刻まれていて、さらにハンガリー風な音型とかエキゾティックな音色も各種鍵盤楽器の効果もあって巧みに描かれております。
そして何より、テノールの没頭的な歌も加わって、劇的で緊張感あふれる作品になってます。
最後の告別の場面はとても感動的で、どこか明るい展望さえ感じるのでした。

問題意識に富んだアバドは、こんな渋すぎる曲をも選び出して、鋭くえぐり取ってみせた。
シンフォニエッタは若い頃から得意にしていたが、オペラなら「死者の家から」を選択するアバド。
ジプシーにまつわる音楽だけを集めたコンサートも開いたり、ロシア系でもムソルグスキーの社会性に着目したりと、しいたげられたマイノリティを描いた音楽を積極的に取り上げてきたアバドです。
少し明るめのベルリン・フィルの先鋭な響きを得て、実に説得力ある演奏。
故ラングリッジの性格的な歌唱も惹かれます。

ピアノ伴奏のオリジナル版のヘフリガーやシュライヤーをいずれまた取り上げてみたいと思います。

ヤナーチェクのオペラ記事

「マクロプロス家のこと」

「ブロウチェク氏の旅行」

「死者の家から」

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2010年7月16日 (金)

ヤナーチェク グラゴル・ミサ マッケラス指揮

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東京カテドラル
近くで打ち合わせがあったので、足を延ばしてみました。
さすが、司教座のある東京の教会。
大きいものです。
そして、音楽ファンにとって忘れられないバッハやブルックナーの演奏会場としての大伽藍を持つ教会。
カトリック教会だけど、教派などは関係なく、音楽がいまにも響いてくるような雰囲気。

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サー・チャールズ・マッケラスが7月14日にロンドンで癌のため、亡くなったそうです。
享年84歳。
アメリカ生まれのオーストラリア人で、イギリス籍を持ち、チェコの音楽、とくにヤナーチェクのスペシャリストでもあったマッケラス氏。
実にいろんな顔を持つ多彩な指揮者でありました。

オペラも得意だったマッケラスは劇場の人でもありました。
モーツァルトやワーグナー、ヴェルディもよく指揮したが、なんといってもヤナーチェク、ドヴォルザーク、スメタナのオペラ。
ことにヤナーチェクにおいては、マッケラスがいなかったら、今のような受容状況にはならなかったに違いない。
70年代後半から、ウィーンフィルと録音を続けた一連のオペラ。
デッカの鮮烈な録音に、ウィーンフィルの魅力的な音色が、難解だったヤナーチェク作品をどれだけ魅力的にしたことであろう。
 ターリヒ仕込みの、根っからのチェコ魂を身につけていたマッケラスの学究的・献身的なヤナーチェクへの愛情が、いま残された数々の音源に息づいている。

マッケラスの偉業は、ヤナーチェクを主体とするチェコ系の音楽、英国音楽、そしてモーツァルトでありましょうか。

 キリスト伝来時の当時のボヘミアで、スラヴ語による布教をたやすくするため考案された文字がグラゴル。
 ヤナーチェクは、当時のグラゴルによる通常ラテン語ミサ典礼文に作曲をした。
それが本日、マッケラス追悼に取り上げた「グラゴル・ミサ」であります。

言葉が違うだけでなく、その造りも風変わりで、曲の前後に、有名なシンフォニエッタ顔負けの勇壮なファンファーレが付いているのだ。
おまけに、最後のファンファーレのひとつ前、オルガンのソロ曲が入ってる。
それらに挟まれて通常ミサ典礼文が5つ。
キリエ・グロリア・クレド・サンクトゥス・アニュス・デイ。

宗教的な雰囲気は、むしろ薄く感じられ、明るく前向きな人間讃歌のようにも聴こえる。
ヤナーチェクのオペラが持つような深い洞察力や、皮肉や諧謔といった内向的な部分は少なめだけれど、彼独特の人間に向けた優しい眼差しを感じ取ることができる名曲。

 S:エリーザベト・セーデルシュテレム A:ドラホミラ・ドロブコヴァ
 T:フランティシェク・リヴォラ       B:リハルト・ノヴァーク

 サー・チャールズ・マッケラス指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
                      プラハ・フィルハーモニー合唱団
                      オルガン:ヤン・ホラ
                           (1984 プラハ)


当時ウィーンとしか録音がなかったマッケラスのヤナーチェク。
レーベルを横断して、ついに本場チェコフィルとも録音をしたことで話題になった1枚。
ヤナーチェクの独特な語法を難なく引き出すマッケラスの指揮。
熱いけれど、整然としていて知的なアプローチ。
 録音に積極的だったマッケラス。
これからもヤナーチェクに関しては、ずっとスタンダードとして語り継がれてゆくことでありましょう。

サー・チャールズ・マッケラスのご冥福をお祈りします。

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上から見ると十字架の形。
メタリックな輝き。
これ、一瞬、ベルリンのフィルハーモニー・ザールに似てる。
そう、今日、7月16日は、カラヤンの命日でもあるんですね。もう21年。
合掌。

追記~17日 0:40
 テレビで、新世界ナウ。
BBC響の唯一の来日公演の模様。
実に味わい深く、ブレのまったくない名演じゃぁないですか
ビエロフラーヴェクは、プロムスのCDやトリスタンの映像で、大物への変貌ぶりを感じていたのだけれど、この人は本物ですな。
マッケラスのあと、英国とチェコをつなぐ、ヤナーチェク指揮者になった。
                          
                   

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2010年7月 4日 (日)

ヤナーチェク 「死者の家から」 アバド指揮

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アバド特集ラスト。

オペラ指揮者としてのアバド。
そしてその取りあげる演目への眼力。

アバドのすごさが一番わかる分野。

アバドの得意とするオペラ。

①クリティカル・エディションや原典・初稿による有名作品
②埋もれてしまった作品の甦演
③人間心理に食い込んだ深いドラマ性を持つ作品
④強い愛着をもって新解釈を施す作品
⑤その他

いろいろ跨るかもしれないが、こんな分類が出来るかもしれない。

①ロッシーニの諸作、ドン・カルロ、カルメン
②ランスの旅、フィエラブラス、シモン・ボッカネグラ、3つのオレンジの恋
③シモン・ボッカネグラ、ファルスタッフ、フィガロの結婚、ボリス・ゴドゥノフ
 死者の家から、仮面舞踏会、マクベス、アイーダ、オテロ、ヴォツェック
④トリスタンとイゾルデ、パルシファル、ローエングリン、ヴォツェック
 ペレアスとメリザンド、ボリス・ゴドゥノフ、エレクトラ
⑥ドン・ジョヴァンニ、コシ・ファン・トゥッテ、魔笛、フィデリオ、ルチア、ナブッコ
   
 これらの類型から伺えるアバドの渋好み。。。
イタリア人指揮者なら期待されるヴェルディの有名作品や、プッチーニのすべてが欠落している。当然、ヴェリスモ系のすべても。
マーラーがあれだけ大好きなのに、豊穣な世紀末サウンドともいえるプッチーニを避けているところが面白く、シュトラウスもエレクトラのみ。
これらについては、わたくしもなんともわかりません。
アバドに聞いてみたいところ。
 あと、とりあげようとする意向を持っていた作品に、モンテヴェルディ、タンホイザー、マイスタージンガー、モーゼとアロン、ルルなどがあったはず。これは残念。。。

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アッバードなんて風にNHKさまは呼んでましたぞ。
リベラルな思想の持ち主でもあったアバドが偏愛したのがムソルグスキー。
良家に生まれながら没落し、自ら社会的弱者となってしまったムソルグスキーの音楽やドラマには、弱者への優しい眼差しと、矛盾への怒りがある。

そんなところに共感し続けるアバドが、素材的に類似したヤナーチェク「死者の家から」を取り上げたのも大いにうなずける。
シベリアの収容所を舞台にしたドストエフスキーの小説を原作にしたオペラ。

ヤナーチェク(1854~1928)の9作あるオペラの最後の作品で、文字通り死の年に書かれた。
ヤナーチェクらしい民族風な旋律や、短いパッセージがぎくしゃくと散りばめられたモザイクのような構成は、一度や二度、音源で聴いただけではよくわからない。
ただ、シンフォニエッタの旋律で構成された前奏曲は聴きやすい。
最晩年のものだけになおさらの感はあるが、こうして舞台上演を映像を伴って観てみると、ヤナーチェクの音楽の緻密さと、優しい眼差しが実によくわかるようになる。

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1992年のザルツブルク音楽祭での上演。
暗譜で共感のこもった指揮をするアバド。

 アレクサンドル・ゴリャンチコフ:ニコライ・ギャウロウ
 マリエイヤ:エルズビエタ・シュミトカ  シシュコフ:モンテ・ペテルソン
 ルカ(フィルカ):バリー・マッコーリー  スクラトフ:フィリップ・ラングリッジ
 シャプキン:ハインツ・ツェドニク  大男の囚人:ボイダル・ニコロフ
 小男の囚人:リヒャルト・ノヴァク

  クライディオ・アバド指揮  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   演出:クラウス・ミヒャエル・グリューバー
                      (1992.8.4@ザルツブルク)

出演者は全員男性。少年役のマリエイヤのみがズボン役で女声。
劇の内容も動きが少なく、渋く、陰惨。
ここに投獄されているのは、みんな殺人犯で、それぞれが劇中で、どうして自分が殺しに至ったかを語り、殺しのいわれを競い合うという犯罪者の黙示録みたいなもの。
新参者は、政治犯のゴリャンチコフで、ひとり毛色が違う。
それぞれが持ついわれなき過去。
それぞれがやむにやまれぬ事情があり、ドストエフスキーとヤナーチェクが深く切り込んでみせた人間の深層心理と、そこへの同情、そして最後は優しさの中に解放してゆく筋書き。
なかなかに深いのであります・・・・・。

ところは、シベリアのイルテシュ河畔にある獄中

第1幕
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 囚人たちのなか、大男と小男がいがみあっていっていて、囚人たちの傍らには、翼折れ傷ついた鷲がいる。(グリューバー演出では、着ぐるみの巨大なトリが座っている)
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そこに連行されてきたのが、立派ななりをしたアレクサンドルで、監獄署長はプライド高いその態度が気に食わず、衣服の没収と鞭打ち100回の刑を命じる。
囚人たちは、仕事(靴の縫製作業)に取り掛かるなか、舞台裏からはゴリャンチコフのうめき声が聞こえてくる。
 犯した罪の告白1人目は、ルカ。
軍隊生活を送っていたウクライナで、獄舎に入れられ、そこで所長の少佐に反感を抱いていた彼は、少佐が自分を神であり皇帝と威張るのに反抗して、ナイフで刺殺してしまう。
ウクライナ人よりナイフを得たのに、彼らに裏切られ、こうしてシベリア送りになったと。


第2幕
 1年後。
アレクサンドルは、少年囚のアリエイアを可愛がり読み書きを教えている。
今日は復活祭なので、囚人たちも休日。
司祭の祝福を受け、食事も楽しい。
そこで、告白2人目。

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1幕では頭の弱いスクラトフが、正気に立ち返ったかのように語りだす。
かつて身持ちの固いドイツ人女性と付き合っていたが、だんだんと疎遠になってしまい確かめると、家族の強い願いを聞いて金持ちと結婚することになったという。
どんな相手か、家まで確かめに行き、窓から覗くと、それは醜い老人だった。
激したスクラトフは彼を殺してしまう。


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ここで、イースターの楽しい演芸コーナーがはじまる。
①ケドリルとドンファン~ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面のような感じ
②美しき粉屋の女房~三角帽子とドンファンの物語みたいなもの
(囚人たちが演じる劇中劇は、ドタバタ喜劇だけど、皮肉に満ちていて、殺しではなく色恋沙汰の罪の告白といえるかも・・・・。)


劇がおわると、くつろいでいたアレクサンドルに小うるさい小男の囚人が因縁をつけ、大きな湯沸かしポットを倒し、そこにいたアリエイアに大怪我を負わせてしまう。
少年を抱くアレクサンドル。


第3幕
 所内の病院。
少年を看病するアレクサンドル。まわりには、ほかの囚人もたくさん。


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 告白3人目は、シャプキン。浮浪者だった彼は仲間と押し込み強盗を働き捕まったが、担当裁判官が、かつて耳の突き出た書記官に金を持ち逃げされ恨みがあった。
シャプキンの耳は大きく突き出ていたため、彼一人が恨みを晴らす対象とされ、ここまで送られるしまうこととなったという・・・・。


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告白4人目は、シシュコフ。
一番長い告白であるし、このオペラの一番の歌の聴かせどころ。
かつて地主の娘がいて、村一番の悪党フィルカと付き合っていた。
フィルカは地主に持参金を寄こせと迫り、断られると娘との情事を村に言いふらした。
彼女は蔑まれ、父親からもぶたれたりしたが、シシュコフの母の強い説得で、彼は娘と結婚することにした。宴会のあとの初夜の晩、生娘とわかったシシュコフは、頭にきてフィルカのもとに仕返しにゆくが、逆に酔っぱらって騙されていて、お前はバカだなぁ、と笑われる・・・。帰って娘を打ってしまうシシュコフ。
フィルカは兵隊に行くことになり、娘にずっと愛していたと告白。これに娘もほだされ、娘もフィルカを愛していたとこれまた告白。
シシュコフは、娘の首を森の中で掻き切ってしまう・・・・・。

ここまで話したところで、病いで苦しんで呻いていたルカが息を引き取る。
ところがこの男こそ、フィルカであったのだ。茫然とするシシュコフ。


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ここで舞台は急転直下。
アレクサンドルの名前が呼ばれ、彼が釈放されることとなったのだ。
署長はこれまでの非礼を詫び、囚人たちも喜び、舞台は明るい雰囲気につつまれる。
その時、翼の癒えた鷲が飛び立ち、アレクサンドルは死者が復活したぞと歌う。
囚人たちは「愛する自由」を歌い、憧れと希望を見出す。
アレクサンドルが、ぼくのお父さんと慕う少年を抱きしめ、囚人たちはまた日常に戻るところで幕となる。


最後がややあっけないが、陰惨な中にも明日の希望を感じさせるエンディングに、ヤナーチェクのオペラの素晴らしさを体感できる。

アバドは映画監督でもある演出のグリューバーとの共演が多い。
映像だと横広のザルツブルクの舞台のスケール感がわからないが、動きは少なめで淡々とした演出で、濃いめのブルーの背景に囚人服の黄色が妙に非現実的な雰囲気を高めているし、囚人たちの半分剃り上げた頭髪も不可思議。なんとも評価できません。
数年あとの、ブーレーズ&シェローの映像も観てみたいもの。

歌の内容でいくと、ギャウロウのアレクサンドルはさほどのものがあるわけではないが、そこはギャウロウ。彼がいるだけど、舞台が締まり存在感抜群。
長丁場を美しいバスで歌うペテルソンが素晴らしく、惜しくも亡くなってしまったラングリッや、ツェドニクらの芸達者で性格テノールぶりが実によろしい。
オケもウィーンフィルだけに、アバドの誠意ある指揮のもと、柔らくもリズミカルな音楽を万全にとらえている。

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ヤナーチェクはこの時が初めてだったが、こんな渋いオペラを、スカラ座時代から一貫して取りあげてきたアバド。
オペラの運営サイドからしたら不安になってしまう、そんなアバドのオペラ気質でありました。

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2009年12月 7日 (月)

ヤナーチェク 「ブロウチェク氏の旅行」 東京交響楽団定期演奏会

Suntry_hallサントリーホール前のカラヤン広場には、この冬、緑をモティーフにしたモニュメントが飾られております。

当日ではありませぬが、数日前の月を緑の背景に撮ってみました。

Img 二日酔いもなく爽快な日曜日。
ともかく天気がよかった。

雲ひとつない青空が眩しい。
二日酔いはないけれど、はなはだ眠い。
朝帰りをして、また出かける私に向ける家族の視線が厳しい。
おまけに、月曜からしばらく出張。

こうして父は、家庭の居場所を失ってゆくものなのですな。
ははっ、でもしょうがない。
好きなことやってんだものね。
ごめんなさい。

かかる状況に追いこまれながらも、絶対に行きたかったコンサートが、東京交響楽団定期なのだ。
同団が手掛けているヤナーチェクのオペラシリーズ。
実演にめったに接する機会がないヤナーチェクのオペラだけに逃せない。
これまで、「利口な女狐」「カーチャ・カバノヴァ」「死者の家から」「マクロプロス家のこと」の4作が取り上げられている。
私は、今回が初めてなのだけれど、9つあるオペラを順次聴いていて、舞台でも昨年、二期会「マクロプロス」を観劇し、大いに感銘を受けた。
そして、今回の「ブロウチェク氏の旅行」は、日本初演で、このシリーズを任されている森範親氏の熱意みなぎる指揮と、DGから出ているビエロフラーヴェク盤の主役級歌手たちの本場の歌唱が加わって、初聴きながら大いに堪能した次第。

 ブロウチェク: ヤン・ヴァツィーク
 マザル/青空の化身/ペツシーク:ヤロミール・ノヴォトニー
 マーリンカ/エーテル姫/ クンカ:マリア・ハーン
 堂守/月の化身/ ドムシーク: ロマン・ヴォツェル
 ヴュルフル/魔光大王/役人: ズデネェク・プレフ
 詩人/雲の化身/ スヴァトプルク・チェフ/ ヴァチェク: イジー・クビーク
 作曲家/竪琴弾き/ 金細工師ミロスラフ: 高橋 淳
 画家/虹の化身/ 孔雀のヴォイタ:羽山晃生
 ボーイ/神童/大学生: 鵜木絵里
 ケドルタ:押見朋子

    飯森範親 指揮 東京交響楽団
              東響コーラス 合唱指揮:大井剛史
    演出:マルティン・オクタヴァ
                      (12.06@サントリーホール
)

詳細なあらすじは、こちら、ヤナーチェク友の会をご覧ください。
この会は、ヤナーチェクのオペラ対訳本を発刊していて、国内盤が手に入りにくいので、大変重宝しております。
会場でも盛んに売っておりました。

ヤナーチェクの常として、このオペラの筋もとてもややこしくて一度や二度じゃ頭に入らない。でもCD2枚、約2時間のコンパクトなところがいい。
かつては、「ブロウチェク氏の月旅行」とか表記され、SFチックな作品ともされていた記憶があるが、こうして親しく接してみると全然違う。
ユーモア溢れる喜劇的要素と、チェコの熱い歴史背景と、月世界への当時の憧れなどが風刺も織り交ぜながら巧みに取り込まれた面白いオペラなのだ。

筋を超簡単に記すと。

第1部「ブロウチェク氏の月への旅」
 第1幕 プラハの居酒屋で飲む連中のなかにいる家主ブロウチェク氏。
     恋人たちを羨みつつ、月を見上げる。
     月には税金も破産も泥坊もいないと。
     そしたら、月世界に飛んでしまった。
 第2幕 月の住人は居酒屋や近所の連中と瓜二つ。
     歓待を受けるが、そこは花の匂いをかぐことが食事でおかしい。
     「もうじゅうぶん嗅いだ」と日本語で歌い爆笑。
     居酒屋から持ってきたソーセージを食べてる。
     しかし豚を食べてる、野蛮と非難轟々。
     月から帰り、居酒屋の前では恋人たちが美しいデュエット。

第2部「ブロウチェク氏15世紀への旅」
 第1幕 1420年にタイムスリップ。ドイツと交戦中のプラハ。
      街かどで、敵のスパイと間違えられてしまうが、言い逃れる。
 第2幕 鐘つきの親子の家。
      続々とドイツを迎え撃つ市民が武器を手に集まる。
      ブロウチェク氏は戦いになんて行きたくない。
      勝利の暁、ブロウチェク氏は、ウソの武勇伝を語るが、見破られる。
      それどころか、敵に命乞いをしたことがバレる。
      かくして、樽に詰められ火を投じられ処刑されてしまう。
       ビール樽に入って寝て唸っているところを、
      居酒屋の主人にみつけられる。

ばかばかしいけど、おもしろい。
このオペラの主役のブロウチェク氏は、テノール役だけど、そこらにいる普通のおっさん。
オッサンが主人公のオペラって、ファルスタッフ以外、ほかにあったかしら?
その役を歌ったヴァツィーク氏は、まったくのはまり役。
常にちょろちょろ動きまくっていて落ち着きがないし、外観は、芋洗坂係長そのもの。
おなかポッコリの楽しいキャラクターで、肝心の歌も、声の通りはいいし、明晰で安心して聴いていられる歌手だった。
 ヤナーチェクのスペシャリストとあるマリア・ハーンも素晴らしい、ホールの隅々に響き渡る完璧な歌だった。
実力派を揃えた日本人歌手も、本場の皆さんにひけをとりません。
ことに高橋さんの存在感は、日本のオペラの舞台にはなくてはならぬ人と思わせるに充分。それと。鵜木さん、かわいい。
ノボトニーがやや精彩を欠いたのが残念なところ。

範親さんは、オケを押さえて歌をよく響かせるように徹してしたけれど、ヤナーチェクのモザイクのような複雑な音楽をすっきりとわかりやすく表現していた。
東響の厚みある響きは巧みにコントロールされている。

限られた舞台空間で、イマジネーションを刺激するような演出はまずまず。

ヤナーチェクのオペラは、最後のフィナーがどれも感動的。
今回のブロウチェク氏は、破天荒な物語を終わらせるブロウチェク氏のとぼけたセリフで洒落たエンディングとなった。
夢から覚めて、プラハ解放に力を尽くしたことを語り、「これは誰にも言いっこなしね」と。

ヴァツァークさん、大喝采でした。
明るいキャラは、ブロウチェク氏そのもの。

ヤナーチェクのオペラの魅力にまた取りつかれてしまった日曜でありました。

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2008年11月24日 (月)

ヤナーチェク 歌劇「マクロプロス家の事」 二期会公演

Makropulos 二期会公演、日生劇場45周年記念上演、ヤナーチェクの歌劇「マクロプロス家の事」を観劇。
9つあるヤナーチェクのオペラの上演に接するのは初めて。音源でも「イエヌーファ」と「利口な女狐の物語」くらいしか聴いたことがなく、これから開拓すべき対象に定めていたヤナーチェク。
レコード時代から、その名前だけは知っていた「マクロプロス」。
「マクロプロス事件」とか呼ばれていて、その呼び方ばかりが脳裏にあって、今回の上演で「マクロプロス家の事」としたことじたいが、内容を知らないだけにさっぱりわからない「事件」だった。今回、チケットぴあで購入し、発券してもらうときに、係りの方が「マクロプロス家のこと」と呼んだのが、えっ?という気分にさせてくれた。
こんなことにこだわるのも、オペラの内容を知った今、タイトルを事件としてしまうと安っぽい三面記事的な痴話物語になってしまうし、まして最後の大団円で主役エレナ・マクロプロス(エミリア・マルティ)が、2時間ドラマよろしく、自ら謎解きを登場人物達の前でしてみせるが、それがなかなかに含蓄あるものだから、表面的には事件性を打ち消した方がいいと思った次第。
「こと」とすることで、エレナが永きに渡って係わり合った家々の歴史やエレナの過去も一緒くたに包括できる気がする。
唯一、若者が死ぬが恋に狂っての自殺があるけれど、事件性は薄いドラマなのであった。

原作は、カレル・チャベツという人でSFチックな作品を書いた人らしい。
その原作を作者の了解をえて、ヤナーチェクが自身台本を書いた。かなりの省略もあるし、登場人物個々の個性も弱まったといわれるが、こうして舞台にかかると、そんなことはまったく気にかからない。
1925年の作品、それとはぼ同時代の設定。  

第1幕
Makropulos1_002_2   弁護士コレナティーの事務所、図書館のようにうず高く法律書が配置されている。
秘書のヴィーテクが現在係争中の100年続くグレゴル家対プルス家の土地相続事件の関連資料を調べていて、当事者のアルベルト・グレゴルがやってきて係争の行方にやきもきする。
そこへ、娘のクリスタがやってきて、プリマドンナ「エミリア・マルティ」を讃美する。彼女も同じ舞台にたっているのである。
そこへ、入れ違いに当のマルティとコレナティー博士がやってくる。
マルティの求めに応じ、事件の経緯を博士は語る~ヨゼフ・プルスが遺書を残さずに死んだことから従弟が相続したが、グレゴルは異議を申し立てるが、プルス曰く、遺書はないし、口頭で、同じグレゴルでもマッハ・グレゴルなる人物にと言い残したと~。
 そこで、エミリアは、マッハ・グレゴルは、マックグレゴルを読み間違えていること、その母はオペラ歌手でエリアン・マックグレゴルであると語るものの、証拠を出せと言われたため、ヨゼフの遺言状のありかをリアルに語るので、皆は半信半疑となる。
それでも、博士はプルス家に走り、その間、二人になったエミリアとグレゴルのやりとりとなる。
エミリアは、あとギリシア語の手紙があるはずだから手に入れて欲しいと迫る。
 めでたく、遺言書がいった通りの場所にあったと、博士が帰ってくる。

第2幕
Makropulos1_008  劇場の舞台裏。クリスタとプルスの息子ヤネクが愛を交わしあっているところへ、父プルスとエミリアが登場。ヤネクはあがってボゥ~っとしてしまい言葉がでない。
アルベルトがプレゼントと花束をもってくるが、借金をしてまで何をする!と叱りつけるエミリア。さらによぼよぼのハウクがこれまた花束を持ってやってくる。
50年前、エミリアとそっくりだったジプシー女に入れあげていたことを、よたよたしながら歌いまくる。彼にはとても優しいエミリア。
プルス一人を残し、エミリアと二人。遺言状とともに、エリアン・マックグレゴルの手紙を見つけたが「E.M.」の署名しかない。それは、エミリア・マルティか、クレタ出身のエリナ・マクロプロスではないか?プロスは、遺贈を受けたフェルディ(グレゴル)はフェルディナント・マクロプロスであり、エリナ・マクロプロスの私生児であることを発見したのだ。
(異なる名前が同一人物であることを証明しなくてはならなくなったわけ)
やがて、エミリアの虜となったヤネクが現れ、父から手紙を盗むように指示されるが、そこにまた父があらわれ、ヤネクを追い出し、エミリアは色仕掛けでもって、手紙を持ってくることを約束させる。

第3幕
 エミリアの居室。一夜明けて、例の手紙を要求し、エミリアはついに手紙を手にする。
そこへ、プルス家より、息子ヤネク自殺の報があり、茫然自失のプルス。
さらに登場人物皆がやってきて、エミリアを責める。
博士は、昨晩クリスタがもらったサインの筆致と100年前のエリアン・マックグレゴルのものが一致するとして、偽造ではないかとする。
着替えてから話すと、奥に引き込むエミリア。
その間にも、全員で、E.M.と書かれたスーツケースや手荷物を調べまくると、一連の疑惑の名前が次々に出てくる出てくる。
 奥からウィスキーボトルを手に足元もおぼつかないままにエミリア登場。
ついに真相を語りだす。
Makropulos1_011_2 自分はエレナ・マクロプロス、クレタの生まれ、歳は337歳。父は16世紀神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世の待医。皇帝の命令で、不老不死・300年の若さを保てる薬を調合したが、これも皇帝の命令で娘の自分が実験台になった。
飲んだあと、1週間気を失ったため、早合点され父は処刑されてしまった。
その後ハンガリーに移り、欧州を名を変えて転々としたが、100年前、ヨゼフと出会い恋に落ち、フェルディを産み、薬の処方もすべてを話し、ヨゼフに託した。
ここで、力尽きて倒れるエミリア。皆の同情を得て
一旦は下がるが、やがて達観しきって再び現れる。
 ああ、こんなに長く生きるもんじゃない。それがあなたがたにわかったら、どんなに簡単に生きられるか!・・・信じて、人間性を、偉大な恋を、いつどんな時も多くを望んではならないの。・・・恐ろしい孤独、・・・・精神が死んでいるの。
 エミリアは、若いクリスタに手紙を欲しくないの? と渡そうとする。
皆が止めるのも聞かず、クリスタは手を伸ばし手紙を受け取る。
ところが、クリスタはそれを燃やしてしまう。
とたんに、エミリアは、白髪と化し浄化したようにこの世を去ってゆく・・・・。


かなり長く書いてしまったけれど、複雑すぎる筋の理解がまずこのオペラ理解につながる。ヤナーチェクが、不老不死の空しい人生に見たものは何か。
版権の問題を超えて、是が非でも惚れ込んだこの台本。
人間の持つ欲望、それはある程度、歳を経てから顕在化する。

ことに若さへの羨望と渇望は・・・・。
私の愛する「ばらの騎士」のマルシャリンの揺れ動く気持ちを考えてみるがよい。
ところが、永遠の若さを手にいれても、孤独と虚しさが残るというのだ。
死があることによる人生の充実感といずれ来る完結感。
ヤナーチェクは、なかなかに奥深く、心くすぐられる題材をオペラにしたものだ。

演出は不必要なものはなく簡潔で常套的なもの。
複雑な筋立てであり、聴きなれない音楽だからまずはそれでよかったものと思う。
それでも、登場人物たちの身のこなしや手の動きに、細やかな演技指導が行き渡っていることが感じられた。

  エミリア・マルティ:小山 由美 アルベルト・グレゴル:ロベルト・キュンツリー
  ヴィーテク:井ノ上 了吏      クリスタ:林 美智子
  プルス男爵:大島 幾雄      ヤネク :高野 二郎
 コレナティー:加賀 清孝     道具方 :志村 文彦
 掃除婦  :三橋 千鶴      ハウク  :近藤 政伸
 小間使い  :清水 華澄

  クリスティアン・アルミンク指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
                  演出:鈴木 敬介
                     (11.24 @日生劇場)

そして小山さんのエミリアが特質大に素晴らしい。
小山さんの舞台は、おもにワーグナーの諸役で数々観てきたが、その都度その存在感の大きさに感心してきた。タイトルロールの今日は、本当に光り輝いていた。
明晰かつ強い声は、日本人離れしていながら、細やかさや陰りある表現にも幅がある。
さらに、その声の通りのよさは、デッドな日生劇場でも隅々まで、潤いで満たしたものと感じる。冷たい、非人間的な歌も必要とされ、最後は悟りの境地となる難しい役柄。素晴らしかった。
 情熱的なキュンツリー、私のご贔屓、さんのクリスタの可憐さ、近藤さんの芸達者ぶり、ベテラン大島さんののびやかなバリトン。
外套での歌いぶりが印象に残っている井ノ上さん、横浜のばら騎士の見事なファーニナル、加賀さんは難解な歌唱をものの見事に歌い、高野さんのヤネクは素直な声。
脇役もみんなしっかりと舞台を固めるなか、掃除婦の三橋さんが味ありすぎ!
褒めすぎかしら!
 褒めついでに、なんといってもイケメン、アルミンクの潤いあるオペラテックな指揮ぶりと、新日フィルのクリアな音色がとてもよかった。
ヤナーチェクの断片的でモザイクのような音楽が、錯綜し、やがて音たちがそれぞれ結びついてゆくさまが、先に記したホールのややデッドな響きでもって、とても身近にわかりやすく耳に届いた。

私は、今日のために未知のマクロプロスに近づくため、マッケラスのCDを先週購入して筋をわからないままに、何度か聴いた。
聴いたことがある・・・程度にはなったが、こうして真剣に舞台に接してみて、複雑ながらも求心力のある舞台と、ヤナーチェク独特の音楽に、まったく心奪われてしまった。
東方的でメロディアスな旋律と独特のリズムの交錯する少し長めの前奏曲がとても印象的。
この前奏曲のモティーフをしっかりと頭に刻んでおくと、最後のエミリアの独白の場面にそれが登場するものだから、とても感動できる。

Makropulos1_012 暗くなった舞台に、登場人物だけ照明が上から当たる。
クリスタに親しげに話しかけるエミリア。気の毒がるクリスタ。
クリスタが、手紙に火を着けたとたん、エミリアから真赤なガウンが外れ、白い装束に頭髪も白(銀)くなってしまい、彼女は皆に見送られつつ舞台奥へと歩んで行き幕となった。
感動した

プロンクター女史の声が2階席まではでに届いていたが、全然気にならなかった。
そのプロンクターと思われる方が、山手線で私の斜め前に座って、一生懸命に分厚いスコアをさらっておられた。
あの仕事も大変なものだな。音楽と言語と歌唱、すべてを把握しなくてはならないのだから。
 それと、今日は3幕に、天皇皇后両陛下がご来席された(様子)。
私は2階席で見えなかったが、盛大な拍手が起こった。
劇場のユニフォームを着たSP風の方もたくさんいたし。

ヤナーチャクのオペラ、こりゃ次々に聴いてみたいです。
チェコやスロヴァキアのオペラ団も、来日時は魔笛やドンジョヴァンニばっかりやってないで、ヤナーチェクやドヴォルザークを持ってきて欲しいもの!
(画像はclassic NEWSから拝借しております)

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2006年4月25日 (火)

ヤナーチェク「シンフォニエッタ」 マッケラス 

Mackerras_lanacek ヤナーチェクはチェコの民族音楽の中でもかなり地味かもしれない。掴み所がない作風もさることながら、オペラが多いことにもよるかもしれない。
名作がオペラと室内楽・歌曲に偏り、シンフォニーや協奏曲などない。
数少ない管弦楽作品が、この「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」でこれしか聴かない人も多いのではなかろうか。かく言う私も、そのひとりでオペラはまだ本格的に聴いてない。(弦楽四重奏はすこぶるいい)

シンフォニエッタはブラスが活躍する聞きやすい曲だ。5楽章中、冒頭の金管だけのファンファーレは一度耳にすると忘れられない。最終で、またこのファンファーレが全オーケストラで奏でられる時、なかなかの高揚感が味わえる。これを聴いた若き高校生の頃は、こうした明るく派手な部分ばかりが気にいっていたが、すっかりオヤジになり、落ち着いた昨今は、中間の3つの楽章に聴く民族的な味わいや悲哀感、そして舞曲ふうのリズムといった部分に共鳴を呼ぶようになった。このあたりをどう演奏しているかが、ヤナーチェク演奏の分かれ目だろう。

今回は、デジタル初期の、マッケラスとウィーン・フィルの演奏。オーストラリア生まれながら、チャコ人以上にチェコ人らしいマッケラス。悪いはずがない。しかもウィーン・フィルの隈取り豊な響きも万全である。より民族色濃い「タラス・ブーリバ」もいい。

この曲の私の最高の演奏は、このマッケラスとアバド(LSO盤)、クーベリックである。

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