ツェムリンスキー 抒情交響曲 クレー指揮
夕暮れ、お江戸日本橋。
今日から、来年4月の建造100年を前に、橋の大規模洗浄作業が始まったとのこと。
1ヶ月もかかるんだそうな。
橋の上をすっぽりふさぐ首都高速。
歴史的な場所の上を、こんな風にしてしまう国ってないでしょうな。
今の日本なら絶対にやらないことだけど、高度成長期にあっては、こんなのはありだったんだろう。
河も浄化されたし、暗くなると光が河に映って、こんな具合にキレイなんです。
きっと、洗浄水は河にそのまま流れてしまうから、洗浄技術や洗浄液はきっと自然由来の高度なものなのでしょう。
ドイツ企業が行うみたいですよ!
ベルンハルト・クレーのシリーズ。
クレーのドイツ音楽。
そして、わたしがもっとも好きなクレーの音盤のひとつが、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」。
S:エリザベス・ゼーデルシュトレム
Br:デイル・デュージング
ベルンハルト・クレー指揮 ベルリン放送交響楽団
この素晴らしい作品を清潔なる紳士クレーが録音を残してくれたことは感謝に堪えませぬ。
そして、大好きなこの作品、このブログでもこれで3度目の登場となります。
曲のことは、過去記事をご参照くださいませ。
「シャイー&コンセルトヘボウ」
「エッシェンバッハ&パリ管」
この表現主義的で、悩ましいくらいの官能と甘味な瞬きに満ちた連作歌曲シンフォニーがこんなに人気曲になるなんて思いもよらなかった。
この曲、しいてはツェムリンスキーがブレイクしたのは、いうまでもなく、DGへのマゼールとベルリンフィル、FD・ヴァラディ夫妻のレコーディングで、1981年のこと。
ベルリンでの定期演奏会に併せての録音。
あのカンディンスキーの絵のジャケットとともに、私には、この曲の刷り込みレコードとして、酒を飲みつつ、擦り切れるくらいに聴き、楽しんだ1枚として忘れえないものなのだ。
同じころに、マゼール・BPOのラフマニノフ3番も聴きまくったのだ。
ブルー系のクールでひんやりするようなマゼールのツェムリンスキーは、いまでも大好きな演奏です。
ただし、ヴァラディはふるいつきたくなるけれど、F・ディースカウがうまいけれども、テカテカしすぎで、独特の陰りが欲しいところでありました。
でも、同じ頃に、同じベルリンで、ベルンハルト・クレーがこの曲を録音しているんです。
今は亡き、独コッホ・シュヴァンのレーベルは、当時かなり珍しいレパートリーばかりを取り上げていて、これもその一環で当CDには記載はないものの、81年の録音と推測される。
あと、この後ぐらいに、G・フェッロも録音していて、このあたりが「抒情交響曲」のパイオニア的な録音でありましょう。
マゼールだけが注目されてしまった。メジャーの強みとしかいいようがない。
で、このクレー盤は、マゼール盤や、その後多々あらわれた演奏に決してひけをとらない、きちんとした折り目正しい名演奏なのです。
伝統に根ざしたそうした様相も持ちつつ、歌ものを得意とする指揮者ならではの歌手を中心に据え、ときには控えめに、時には音を抑えつつ繊細に。
しかし、全7曲を一本筋の通ったまとまりのよさで聴かせてしまうところが素晴らしいのだ。
ここがどうの、あそこはどうの、という微細なこだわりはなくて、劇性にあふれた連続する7つの歌による交響曲としての作品を強く感じさせる。
強い個性の歌手たちを起用していないことも成功の要因。
バリトンに比重ある曲だが、デュージングの素直で、クセのない歌声は私にはとても好ましく感じ、クレーの音楽性にもとても合っているように思われる。
デュージングは、ベームのドン・ジョヴァンニに出ているくらいしか記憶にないが、このツェムリンスキーの歌唱は、まったく素晴らしく、美声バリトンを堪能できるし、歌詞の内容への歌の乗せ方が濃厚すぎない気持ちの入れ込み方で、とても好ましい。
「Ich bin friedlos」とか、「Du bist」とか、決め台詞のような出だしからして、まさに見事に決まっていて、一緒に歌いたくなってしまうナイスな歌唱。
そして、世紀末歌手と勝手に思っているゼーデルシュテレムのヴィブラートのかからない直線的な歌唱も、ある意味濃密でありながらも、不感症的な醒めた眼差しを感じさせて、私には素晴らしいと思えるのだ。
この曲のバリトンは、ゲルネと、このデュージング。
ソプラノは、シェーファーとヴァラディ、そしてゼーデルシュテレムが最高であります。
マーラーの「大地の歌」と同じようで、まったく違う音楽。
あちらは「生への告別」をうたった厭世的な曲。
こちらは、リアルな死や告別でなく、終末観ただよう濃密な男女の結びつきと神秘主義。
どちらも、いかにも世紀末でございましょう。
「心の休まるときがない 遥かなるものを渇望し
我が魂は暗きかなたの縁に触れようとし
あこがれの中をさまよいまわる・・・・・」
辛い毎日。
わたしには、こうした音楽が一番の慰めであります。
ついでに申さば、ワーグナー、シュトラウス、プッチーニ、世紀末系、英国音楽などがわたしの本当に好きな音楽なんだな、とつくづく思うのでございます。
これらは、ファエヴァリット演奏家とはまた違う次元での音楽の嗜好に関すること・・・・。
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