プッチーニ 没後100年 ①
とっくに盛りは過ぎましたが、藤の花。
藤の種類にもいろいろあって、南足柄の農家さんが自宅の藤の咲くお庭を解放しておられましたので見てきました。
色とりどりのルピナスも咲いてました。
春から夏は、草花がほんとに美しく活気にあふれます。
華やかだけれども、常に陰りのあるオペラを作ったプッチーニ(1858~1924)の今年は没後100年となります。
プッチーニ大好き、ワタシより100歳先輩、そのほとんどの作品を観て聴いてきました。
海外では、さまざまな上演が行われ、ネットを通じて最新のプッチーニ演奏を聴くことができてます。
今回は、2024年以降聴いたプッチーニの上演をまとめてみます。
正規の音盤ではありませんで、上演即座に聴けるネット配信からです。
100年の命日は11月29日ですので、それまでまたいろんな上演を視聴する可能性がありますので、①とさせていただきます。
作品の作曲年代順に並べました。
①「トスカ」 バイエルン国立歌劇場
アンドレア・バッティスティオーニ 指揮
コルネル・ムンドルツォ 演出
トスカ:エレオノーラ・ブラート
カヴァラドッシ:チャールズ・カストロノヴォ
スカルピア:ルトヴィック・デジエ
(2024.5.20 @バイエルン・シュターツオパー)
上演されたばかりの演奏を聴きました。
お馴染みのバッティスティオーニは、バイエルンでは2度目のトスカのようですが、今回の新演出の指揮では、演出のあおりを受けたのか、ブーイング浴びてました。
聴いていて、煽るよな大げさな節まわしがあり、もしやすると演出に則したのかな?などと推測。
ハンガリーの演出家ムンドルツォの舞台が批判を浴びてる。
トスカの時代背景は、イタリア北部のマレンゴで、ナポレオンがオーストリア軍を破って勝利したその日の出来事だ。
カヴァラドッシは勝利を叫び、スカルピアの怒りに火をくべてしまう。
ところがムンドルツォの演出は、時を1975年に設定し、高名なパウロ・バゾリーニの亡くなった年として、カヴァラドッシを絵描きでなく、映画監督として書き換えた。
むごたらしい銃殺や、イタリアのテロ組織「赤い旅団」なども登場させているようだ。
ドイツのオペラ演出は、どこの劇場もぶっ飛んでるけれど、この強引な設定には観客も戸惑ったり、怒りを感じたようだ。
いずれ全編を見てみたいものだ。
ブラートの優しい声は、トスカの役にはちょっと酷だったかもしれないが、聴いていて美しいシーンはいくつもあった。
カストロノヴォも強い声の持ち主ではないが、明るい声は嫌いじゃない。
しかし、いちばん素晴らしいのが、デジエの知的かつ冷徹なスカルピアだった。
②「蝶々夫人」 メトロポリタンオペラ
シャン・ジャン 指揮
アンソニー・ミンゲラ 演出
蝶々夫人:アスミク・グリゴリアン
ピンカートン:ジョナサン・テテルマン
シャープレス:ルーカス・ミーチャム
スズキ:エリザベス・テスホン
(2024.4.11 @メット)
メットとウィーンの蝶々さんは、ここ数年このミンゲラの演出。
コロナ禍にメト上演をストリーミングで観ている。
「日本」的なイメージを盛り込んだつもりだろうが、われわれ日本人には違和感ばかり。
スズキはちゃんと着物を着てるが、蝶々さんは、東南アジア風の衣装で違和感あり。
また子供は黒子が捜査するマペットでかわいくない。
しかし、音源なので余計なものを観なくてすむので安心。
グリゴリアンの抒情と繊細さ、くわえて余裕ある声をときに開放するときの素晴らしさ、まさにいま最高のバタフライと思う。
プッチーニテノールとして、ひっぱりだこのテテルマンののびやかな声も魅力的。
中華系アメリカ人のシャン・ジャンの指揮は悪くはないが、同じ女性指揮者なら、日本人女性指揮者で蝶々さんのエキスパートが生まれないものか。
あと演出家も日本人に任せて欲しいものだ。
③「ラ・ロンディーヌ」 メトロポリタンオペラ
スペランツァ・スカプッチ 指揮
ニコラ・ジョエル 演出
マグダ:エンジェル・ブルー
ルッジェーロ:ジョナサン・テテルマン
リゼッテ:エミリー・ポゴレルチ
(2024.3.26 @メット)
2008年の大晦日のプリミエの演出は、わたしもスクリーンで観てかつて記事にしてます。
ゲオルギュー、アラーニャ、オロペサの出演は、舞台も歌も100点満点だった。
以来3度目の上演チクルスのようだが、現在のアメリカを代表するプリマ、エンジェル・ブルーのタイトルロール。
ともかく、その立派な声に驚き。
しかし喉が強靭すぎるのか、この声は、マグダの役柄にしては強すぎると思った。
ゲオルギューや、かつてのアンナ・モッフォの声が相応しく、そこには儚さがあったから。
ここでもテテルマンのクセのない明るい色調の声がバツグンによい。
イタリアの女性指揮者スカプッチは、ピアニストとしてジュリアードで学び、そこで歌に合わせる勉強を積み上げ、やがて指揮者として活躍するようになり、スカラ座で女性で初めてピットに入った指揮者となったそうだ。
メットの明るい音色のオケを巧みにリードして、プッチーニのこの愛らしい、ステキな旋律にあふれたオペラを見事に作り上げていると思う。
④「ラ・ロンディーヌ」 ミラノ・スカラ座
リッカルド・シャイー 指揮
イリーナ・ブロック 演出
マグダ:マリエンジェラ・シシリア
ルッジェーロ:マッテオ・リッピ
リゼッテ:ロザリア・シド
(2024.4.20 @ミラノ・スカラ座)
こちらもプリミエ上演されたばかりのスカラ座プロダクション。
大御所のシャイーの指揮が注目されるが、いかんせん、まいどのことに、スカラ座を始めとするイタリアの放送局の録音は音がいつも悪い。
潤いと分離の不足で殺伐とした音なんです。
他国の放送局を見習ってほしいと、偉そうに思う自分。
せっかくのシャイーの巨匠風の恰幅豊かな指揮も、そのせいでやや印象が薄い。
youtubeの音質は悪くはない。
マグダのシシリアさんは、初聴きのリリックソプラノだけれども、イタリア語の語感の美しさを感じるステキな歌声でした。
身を引く美しさ、儚さも十分に歌いこんでいて、新人とはいえない歌手だけれど、これから聴いてみたいひとりだ。
リッピ氏も初聴きだけれど、新国でロドルフォを歌ったことがあるみたいだ。
youtubeで見ると、オッサンのみてくれだけれど、歌声は明るく、無邪気な若者の一途さがよく出てる。
ピーター・ブルックの娘、イリーナの演出は、写真やトレーラーで観る限り色彩的に華やかで、かつリアルな男女物語的なものに感じた。
音楽に少し手を入れたようで、聴き慣れないくり返しや、違う声域で歌わせたりと、その意図がわからないところがある。
ラストシーンと思わせる画面での「EXIT」から出ていく主人公が気になる。
ロンディーヌ=つばめ、また戻っていくということで、このタイトルになっているのだが、だとすると、この描き方はなんだか夢がないような気が・・・・
ともかく、いい音で全体を観劇したい。
⑤「三部作」 オランダ・オペラ
ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮
バリー・コスキー 演出
「外套」
ミケーレ:ダニエル・ルイ・デ・ヴィンセント
ルイージ:ジョシュア・ゲレーロ
ジョルジェッタ:レー・ホーキンス
「修道女アンジェリカ」
アンジェリカ:エレナ・スキティナ
公爵夫人:レイハン・ブライス=デイヴィス
修道院長:ヘレナ・ラスカー
ジェノヴィエッファ:インナ・デメンコワ
「ジャンニ・スキッキ」
ジャンニ・スキッキ:ダニエル・ルイス・デ・ヴィンセント
ラウレッタ:インナ・デメンコワ
リヌッチオ:ジョシュア・ゲレーロ
(2024.5.11 @オランダ劇場、アムステルダム)
ここ数年、「三部作」の上演は欧米でかなり頻度があがってます。
常習的でない演目と、ユニークで革新的な演出とで目が離せないオランダ・オペラ。
マレク・アルブレヒトから引き継いだ、ロレンツォ・ヴィオッテイ下にあっても、その流れは変わらず、ヒットを飛ばしてます。
オランダ放送のネット配信でいち早く聴きましたし、きっとDVDにもなるでしょう。
まずは、ヴィオッテイの俊敏でありながら、歌にあふれた豊かな音楽造りがすばらしい。
マーラーの音楽にも近いと思わせる「外套」におけるオーケストレーションの見事さがわかる巧みな指揮と耳の良さ。
冷静さを保ち静謐な音楽を作りながらも、泣かせどころを外さない「アンジェリカ」。
開放的な気分に浸らせてくれる「ジャンニ」、フィレンツェと青空を感じる演奏。
劇の特質を端的に、巧みに、緻密に指揮して描き分けることのできるヴィオッテイの才能です。
歌手も、いずれも的確ですが、スキティナの声は強すぎだし、公爵夫人はおっかなすぎ。
デメンコワは可愛い、ゲレーロは声が抜けていて実に爽快。
コスキーの演出は、数分のトレーラーじゃまったくわけのわからない、仕掛け満載のオモシロ演出なんだろう。
悲惨な「外套」のエンディングはどうなんだろう。
「アンジェリカ」は泣かせてくれるんだろうか、はたまた肩すかしをくらわしてくれるのか?
子どもの写真を使うのは反則だよ(涙)
「ジャンニ」はコスキーのことだからきっと、予想外のオチがあるんだろうな・・・・
このプロダクションもDVD期待!
⑥「トゥーランドット」 ウィーン国立歌劇場
マルコ・アルミリアート指揮
クラウス・グート演出
トゥーランドット:アスミク・グリゴリアン
カラフ:ヨナス・カウフマン
リュウ:クリスティナ・ムヒタリアン
ティムール:ダン・パウル・ディミトレスク
皇帝:イェルク・シュナイダー
(2023.12.13 @ウィーン)
グリゴリアンの歌と演技力があってのもの、と評されたウィーンの新演出。
白が基調で、シンプルななかに、深い心理描写を行うグートの演出。
シナでの物語の時空をあっさりと越え、異次元の世界で、トラウマに悩むトゥーランドット姫を描いてみせたようだ。
こうした狙いのある舞台は、音楽だけではまったく想像も及ばないし、そした意図での歌唱であることを意識して聴かねばなるまい。
トゥーランドットというと、禍々しい、西洋人の思う中華演出で辟易とさせられる演出ばかり。
そうでないこちらも、やはりDVDで味わいたい。
トゥーランドットを歌うにはグリゴリアンの声はさほどにドラマチックではない。
この演出に則した、細やかなで考え抜かれた歌唱に感じた。
強さや強引さはまったくなく、揺れ動く心情を持つ女性と感じる。
彼女の歌うサロメに同じくである。
一方のカウフマンは、わたしにはきつかった。
前にも書いたが、このバリトンテノールともいえる歌手の声に、曇天のような救いのない重・暗さを私は感じるのだ。
ワーグナーはいいが、イタリアものはどうも・・・・
ムヒタリアンのリューの可愛さはみっけもん。
アルミリアートの振れば振るほど熱くなるオケ。
ウィーンとの相性も長い共演歴で鉄壁のものになってると思った。
へたなコンサート指揮者をもってくるより、いちばん、もっとも安全で、熱くやってくれる指揮者だと思うぞ。
驚くほどに日の経つのが早い。
色とりどりの、春と初夏の花々はあっと言う間に盛りを終えて、もうつぎは紫陽花の季節だ。
いなやことばかりの毎日だけど、自然の移り変わりはしっかり感じて暮らしたいもの。
最近のコメント