カテゴリー「ドヴォルザーク」の記事

2026年1月 7日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 ダウスゴー指揮

2026-samacla

新年を迎えました。

そしてあっという間に1週間が経とうとしてます。

今年も好きな音楽を聴き、マイペースでブログ記事を起こしていこうと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

2026年最初の音楽は「新世界」です。
あまりもベタな選曲であり、年中いいけど、新年の演奏会の比率も高い名曲中の名曲。

Dvorak-sym-dausgaard-11

 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 op.95 「新世界から」

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

        (2006.4,5 @エレブルー・コンサートホール)

もう聴き古した感のある新世界。
私の初レコードは小学生のときの「ケルテスの新世界」だった。
またレコードでも新世界と未完成などを組み合わせたりしたベストレコードがいろんな形で出ていた70年代。
クラシック入門用のレコードの一品としてご家庭で珍重されたものだ。
 さらには、コンサートでは3大交響曲とかいって、「未完成」「運命」「新世界」の3つをプログラミングしたものも人気だ。
クラシック初心の方からベテランリスナーまでを惹き付けてやまない旋律の宝庫と、郷愁誘う懐かしさ、かっこよさも持ち合わせた「新世界」であります。

爾来たくさんの新世界を聴いてきたが、室内オーケストラによる新世界は初めてだった。

デンマークの指揮者ダウスゴーは。スウェーデン室内管を1997~2019年まで20年以上に渡って率いて、その間かなり多くの録音も残しました。
ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、ワーグナー、チャイコフスキーなどの多彩なレコーディングがあり、ドヴォルザークも1枚だけですが2曲の交響曲を残してます。
こちらのブログにはそこそこにこのコンビの記事がありますが、私はダウスゴーが好きでCDもほとんど揃えつつあります。

常に速めのテンポ設定をとり、キビキビとしたその演奏は心地よくもあり、でも核心をついた考え抜かれた音楽考察もありつつ、それが乾燥してしまった味気なさを感じさせない深みと大胆さがあります。
このコンビの比較的最初の頃のものだが、徹底したその独自のスタイルがすでに完成している。

聴き古した「新世界」がかくも新鮮に、出来立ての音楽として響く。
1楽章から、いつものお馴染みのメロディがなんの気もなく、ポンポンと飛び出して来て、思い入れや過度の表情付けもなく、ピュアそのもの。
ラルゴなど、透明感にあふれ透けてみえるくらいの純粋な美しさがあった。
快速調のスケルツォなど痛快だし、その対比としての中間部は表情少なめに淡々と流れるのが面白いが、ちょっとした楽器の橋渡しなどが引立ち、いつもと違う瞬間を見出せる。
ずばずばと決まりまくる終楽章。
ヒロイックなところはなく、快速ながら素直に音楽的で、すべての楽器がすべてのモティーフが聴こえ透けてみえる。
最終の和音もずいぶんと長く鳴らして終結するところがユニークだし、これがまた美しい。
ボヘミアやアメリカ、そうした要素は感じられず、ただただドヴォルザークの楽譜を思い入れなく演奏したという感じで、新鮮極まりない。

併録の6番の方が、実はもっと面白くいていい演奏だ。
魅力ある作品である6番が、こんなに楽しい音楽だったとは。
できれば5番も録音して欲しかった。

ダウスゴーさん、昨年来日して新日、大フィル、名フィル、札響などに客演したが、聴く機会をえられなかった。
5年まえのBBCスコテッシュとのマーラーのみが唯一の実演。
シアトル響を辞めてしまったのは、実に残念で、その高音質の自社レーベル録音はユニークな演目とともに楽しみだった。
いまはデンマークやスウェーデンでの桂冠指揮者としての称号しかないが、次なるポストはないものだろうか・・・
レコーディングも最近ないのも寂しい。

Img_2088a1

| | コメント (0)

2025年11月 3日 (月)

ドヴォルザーク 交響曲第7番

Togawa-01

赤に染まりつつあるコキア。

秦野市内を流れる水無川をたどって丹沢方面にあがったところにある戸川公園です。

近くに新東名高速道路が通り、開通のおりにはサービスエリアができそうです。

深まる秋の日々、連日にわたり、ドヴォルザークの交響曲第7番をばかみたいに聴いた。

  ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op.70

Szell

秋から冬、しみじみドヴォルザークもいい。
数多い室内楽やヴァイオリンやピアノ作品、オペラもたくさんあるが、ルサルカ以外はあまり上演されない。
あとなんといっても交響曲作家でもあったが、それなのに後半の作品ばかりで1~4番はあまり演奏されない。
そんななかで、最近もっとも演奏頻度があがっている気がするのが「7番」なのであります。
新世界はいまだに新鮮だけど、8番は正直食傷気味なのであります。
あといえば、5,6番はいい曲だと思うのだけど演奏会でほぼなし。

7番は、当時の音楽楽壇の繫栄地ロンドン、そのフィルハーモニー協会から委嘱され、はりきって作曲された作品。
ブラームスの3番を聴いて、おおいに触発され、自信も付けながら完成。
ロンドンでの初演は1885年で大成功。
次の5年後の8番が、かつては「イギリス」と呼ばれたものの、そちらはイギリスで作曲されたわけでもなく、単に出版社がロンドンの社だったのでそのように呼ばれたから、音楽の内容と関係なく「イギリス」と名をつけてしまうなら「7番」のほうがそれに相応しいともいえるかも。
しかし、この7番はイギリスはおろか、ブラームスの亜流といったものを感じさせない音楽なところがよい。
ボヘミアの風土、音楽語法、民族臭などが強めだったこれまでの交響曲に比し、ドイツ的なかっちりした構成と豊かな表現力、オペラをいくつも手掛けてきて養われた劇的な音楽の進め方などが際立つ交響曲なのですね。
しっかりした交響曲でありながら、ドヴォルザークらしいボヘミアの風も感じさせるところが魅力的であります。


最初と最後の楽章が短調だが、それぞれの楽章の第2主題は、田園情緒感じる和みの旋律。
第2楽章が大好きです。
ブラームスの3番の2楽章とも似通っていて、抒情的で歌にあふれていてずっと聴いていたい音楽。

3楽章も、8番のスケルツォ楽章を思わせるメランコリックな雰囲気で、こちらは舞曲的な民族色が濃厚。
新世界→8番→7番の順に好きになっていったけれど、最初は3楽章が気にいったものだ。
いまはダントツで2楽章が好き。

①ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団
           (1960.3.18 @セヴァランスホール、クリーヴランド)
 初めて買ったレコードがセル盤で、この1枚がこの曲の刷り込み。
やや硬質な音で、きっちりした演奏でありながら詩情も忘れず、ゆたかな情感にあふれた名演だった。
CDで買い直したら音もよくなり、さらにいい演奏だと確信したし、終楽章も存外にダイナミックだった。

②ズビン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニック
           (1968 @テルアビブ)

Mheta-dvo7
 
 7番の交響曲を初めて聴いたのが、メータとイスラエルフィルのベルリンでのライブ放送で73年のものだったかと記憶。
FMで放送され録音したもので、これを繰り返し聴いてこの曲に馴染んだのちにセルのレコードを買った。
レコードの方は、71か72年にロンドンレコードから発売されたはずだが、CD化はずつとされず外盤で2000年頃に発売されたが、いまや廃盤の様子で、一昨年こちらはうまく入手ができた。
この時期のメータらしいメリハリの効いた、じつにウマい演奏で、旋律の歌わせ方や歯切れのいい金管の心地よい響かせ方、気持ちよく決まるティンパニなど、まさにやるじゃん、と思うナイスな演奏。
面白い演奏だが、憂愁や陰りなないし、ヨーロッパがない。

③ジョン・バルビローリ指揮 ハルレ管弦楽団
           (1957 @マンチェスター)

Dvorak-sym-barbirolli-11

 バルビローリのドヴォルザークは3曲の交響曲があるけれど、いずれも大好きですね
慈しむように曲を大事に愛するように指揮するサー・ジョン。
2楽章の滋味あふれる演奏はもう最高です。
まるでディーリアスみたいな音のするオーケストラとちょっとひなびた録音も懐かしい響きにあふれてる。
長く続いたマーク・エルダーに変わったいまのマーラーやショスタコを得意とする指揮者で、ハルレ管が遠くに行ってしまうようで寂しい・・・

④カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
           (1976   @アビーロードスタジオ、ロンドン)

Gullini-dvo7

 ジュリーニがいちばんよかったのは、70~80年代前半ぐらいまでと思っているが、その一番の時期の録音がこちら。
DGに移籍する頃で、シカゴと当時ハイテインクのもとで絶好調期にあったロンドンフィル、ウィーン響と録音していたジュリーニ。
ウィーン響との来日でジュリーニファンになったのもこの時期で、誠実で集中力みなぎる指揮者と渋めのカラーのオーケストラで、セピア色のヨーロッパの景色を見るような演奏になっている。
ゆったりした2楽章は、まるでブルックナーの緩徐楽章かと思うくらい。
よく歌う演奏は存外にしなやかで、きっと聴くことのないであろうコンセルトヘボウとの後年の未聴の再録音より若々しいと思ってる。
シカゴとの8番と9番とでセットで素晴らしいジュリーニのドヴォルザークであります。

⑤コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
           (1975.11 @コンセルトヘボウ)

Davis-dvo7

 コンセルトヘボウとフィリップスということで思い起こすことのできる、そのイメージ通りの演奏に録音。
この時期のハイティンク、デイヴィスとのハイドンやストラヴィンスキーなど、ともかくコクのある豊かなオーケストラの音色がいずれもすばらしく、ブラームスの3番というイメージに一番近く感じる演奏だと思う。
それにしても、この頃のコンセルトヘボウというオーケストラと、その音を見事にとらえたフィリップスは何を聴いても素晴らしく、私のような思いはノスタルジーにすぎないと思われるかもしれないが、この音がもう失われてしまったと思うと悲しい。

⑥オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
           (1981.2 @ベルリン)

Dovrak-7-suitner1

 スウィトナーがあれよあれよという間にドヴォルザークを全曲録音したのには、当時は驚きましたね。
奇をてらわない、ナチュラルな姿勢を貫いたいつものスウィトナーらしい柔和な音楽がここにあります。
ベルリンのオーケストラながら明るい色調があり、響きは軽めで自然児のようなドヴォルザークは魅力があります。
ドイツ統一後のバレンボイムやいまのティーレマンの方が、よっぽど重厚な音がするベルリンシュターツカペレは、オーストリアの指揮者スウィトナーでユニークなコンビだったといまは思います。

⑦ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
           (1983.2 @ウィーン)

Dvok-symphony-7-8-maazel1
 ウィーンと蜜月だった頃にマゼールはDGとソニーに多くの録音を残したが、そのなかの1枚が後期3曲の交響曲の録音。
案外とまとも、なんていったらおかしいが、変なことしてないストレートな演奏で、素直にウィーフィルの音、ムジークフェラインの音が楽しめる。
それ以上でも以下でもないと思うし、マゼールならもっと掘り下げてやらかして欲しかった。

⑧ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団
           (1983.3 @ミネアポリス)

Dvorak_marinner1
 以前書いたものを再掲「早めのテンポで、こだわりなく、すいすい進む。
ときに、ティンパニの強打を見せたり、終楽章でたたみ込むような迫力を見せたりと、思わぬメリハリを展開してみせる。
2楽章のブラームスがボヘミアにやってきたかのような、内声部のほのぼのとした豊かな歌が、マリナー特有のすっきり感でもって、とても爽やかに聴くことができます。」

⑨アンドレ・プレヴィン指揮  ロサンゼルス・フィルハーモニック
           (1988.5 @ロイスホール、UCLA)

Dovrak-sym7-previn1

 ジャケットも美しく、ノスタルジックなプレヴィンのドヴォルザークシリーズ。
メータのロスフィルとは別物のように感じる柔和でウォームトーンのオーケストラ。
プレヴィンの優しい目線も感じるこの演奏、やはり2楽章と3楽章が美しく、曲全体に内声部の描き方が新鮮でオヤっと思う瞬間があったりした。
久しぶりに聴いてみて、こんなにいい演奏だったか、と思った次第。
亡くなって6年が経ち、プレヴィンの名も埋もれがちかと思うが、新しいライブなど発掘されないものだろうか。

※ドヴォルザークを語るうえで欠かせないノイマンとチェコフィルの2つの全集、ケルテス、クーベリックといずれも所持してないのです。
これはいけませんね、いつかはと思いつつ・・・という音盤はまだたくさんありますよ。

⑩イルジ・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
           (2012、13 @プラハ)

Dvorak-belohlavek

 亡くなる5年前に、ビエロフラーヴェクは手兵のチェコフィルでドヴォルザークのいろんな作品を一気に残してくれた。
しかもデッカの録音がとてもよろしくて、すべての交響曲やスタバト・マーテルなど、すべてがスタンダートとなるべき理想的な演奏かと。
冴えたオーケストラの響きには、往年のくすんだ美音とかのイメージのチェコフィルとは異なり、ヨーロッパのオーケストラのひとつという認識を与えるもの。
この傾向は、ビシュコフ盤を聴くとより感じるが、政治的にも安定し、スロヴァキアと分離したいまのチェコは多難な時代のオーケストラの強い個性が失われて感じるものの、ビエロフラーヴェクの元でのドヴォルザークやほかの自国作品においては、完全に自分たちの音楽という自信やプライドがにじみ出ているように思う。
指揮者とオーケストラが一体化した、幸福な結びつきを、9曲の交響曲を順番に全部聴くことでまざまざと感じる。

⑪セミョーン・ビシュコフ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
                              (2023.9 @プラハ)

Semyon-bychkov-czech-philharmonic-orches

 大柄なドヴォルザークというイメージで構えは大きい一方で、細部にも目線が行き届いた緻密な演奏と感じる。
チェコフィルは実にうまいと思うが、もっとスッキリしたビエロフラーヴェクの方が歌が豊かだし、気持ちがいい。
マーラーを得意とし、ブルックナーをやらないビシュコフならではのドヴォルザークと言ったらいいか。
3つの交響曲以上に、「自然と人生と愛」という序曲3部作がとてもいい。
次の首席のフルシャも交響曲を全部録音してくれるだろう。

最後にネット録音した海外ライブから、これから日本でも活躍する注目の若手の演奏

⑫ダニエレ・ルスティオーニ指揮 アルスター管弦楽団
            (2024.8.18 ロイヤル・アルバートホール)

Rustioni-proms

 新イタリアの若手三羽烏のひとり、42歳にしてもうオペラの手練れ。
リヨン歌劇場でレパートリーを広げ、アルスター管、メットオペラの首席客演指揮者、来年からは都響の首席客演となるルスティオーニ。
イケメンイタリア男で、奥さんのヴァイオリニスト、デコーも美人さん。
ともかく欧米の劇場から引く手もあまたの存在。
プロムスで聴衆を熱狂させたこのドヴォルザークは、指揮ぶりは熱烈だけれども、その音楽は本格派で起承転結が見事で構成感も見事。
来年1月の都響では、ヴェルディ、ワーグナー、レズピーギ、夫妻共演ブラームスなどが予定されていて、いずれもチケット入手済み

⑬ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
                              (2024,6.16 @ムジークフェライン)

Viotti

 2世指揮者のなかでもピカイチの実力派、そしてこちらもイケメン極まりない35歳のロレンツォ君は、東京交響楽団の次期音楽監督。
ローザンヌ出身であることから、独・仏・伊、いずれの音楽にも通じ、すでに幅広いレパートリーを身につけている。
こちらもオランダオペラとネーデルランドフィルという、比較的好きなことができるポストで腕を磨いた。
いまや世界のオーケストラとオペラから引っ張りだこだ。
ウィーフィルを指揮してしなやかで、流麗なるドヴォルザークを聴かせてる。
すでに東響でこの曲を指揮しているようだが、実は来期にも取り上げる。
そのときの組み合わせが、ブラームスの3番というから、ロレンッツォ氏のプログラムはなかなかにおもしろい。
ツェムリンスキーやコルンゴルトもよく指揮しているから、今後ともに楽しみな存在であります。

Togawa-02

ドヴォルザークは、メロディーメーカー。
室内楽など、まだまだその宝庫は尽きず、オペラもいくつか揃えているが、この先ちゃんと聴けるかな。         

| | コメント (0)

2023年3月23日 (木)

神奈川フィル @小田原三の丸ホール 

Odawara-1_20230322083801

毎度おなじみ小田原城。

自分の育った神奈川西部エリアに帰ってきてから1年。

小田原と平塚には始終行くようになりましたが、鶴首していたのがこのふたつの街に出来た新しいホールでのコンサート。

平塚のホールは先月に行きました。

Sannomaru-01

昨年オープンした小田原三の丸ホールでは、待望の神奈川フィルの演奏会♪

お堀のすぐそばの、まさに三の丸が位置した場所にできたホール。

長年、小田原の文化の中心だった市民会館が閉館し、その跡を継いだのがこちらのホール。

市民会館は何度かその舞台にも立ったこともあり、寂しいものですが、この美しい新ホールには今回まったく心奪われました。

Sannomaru-04

2階のホワイエから望めるお城と背景は丹沢連峰、この左手奥には箱根の山々も見えます。

Sannomaru-03

落ち着いた雰囲気のホール、先日聴いた平塚ひらしんホールよりも天井高で、音の広がりのよさを予見できる造り。

そして実際に聴いてみて、素晴らしい音響に感嘆。

フォルテからピアニシモまですべてがよく聴こえ、どんな強音でも楽器ひとつひとつが聴こえる分離の良さと、併せて音のブレンド感も豊か。
ずっと浸っていたい安心で気持ちのいい響きと聴こえの良さでしたね。
サントリーホールはいいけど、響き過ぎる。
実にちょうどいい三の丸ホールで、県立音楽堂を新しくしたような音だと思いました。
次は声やピアノも聴いてみないものです。

Kanaphil-odawara

  ブラームス    ハンガリー舞曲第1番、第5番

  ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

  マーク・サマー  Jukie-O~ジュリー・オー
                     (アンコール)
     チェロ:宮田 大

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

    飯森 範親 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

        (2023.3.19 @小田原三の丸ホール)

ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーという同時期に活躍した民族色の強い作曲家たち。
しかも昨年のホールオープニングに来演した都響のオールブラームス・プログラムからの流れを意識して飯森さんが選んだものとありました。

それで付け足しとも思われたハンガリー舞曲の意味がわかった。
オーケストラを乗らせ、整える意味、観客も乗せるという意味では短い舞曲はよかったかも。
5番のラストではパウゼに溜めをつくって、飯森さん、観客を振りむいて、どう?っていう仕草をしましてリラックスムードも作り上げましたね。

前半の目玉、宮田大さんのドヴォコン。
ほんとは、エルガーが聴きたかったと思いつつ、実に久方ぶりのドヴォルザーク。
まさにメロディーメーカーだなと楽しみつつ聴きました。
1楽章はソロとオケがしっくりくるまで見守りましたが、楽譜なしの暗譜の飯森さんの指揮がなかなか的確でありつつも、ソロとの齟齬もややあったかな、と思いました。
でもですね、2楽章の牧歌的かつ詩的な演奏はもう絶品。
神奈川フィルの木管のソロの素晴らしさにみちびかれ、チェロソロが入ってくるところなんざ感涙ものでした。
この楽章でのソロとオケとの幸せな交歓の様子、聴いて、見て、本当に幸せな気分になりましたね。
終楽章も好調のまま、なんやら自然に囲まれた小田原の街の緩やかさと、温厚な機微をその音楽と演奏にと感じることができたのでした。
宮田さんの豊かで繊細なチェロの音色は神奈川フィルにぴったり。

アンコールがすごくて、ドヴォルザークを食ってしまったかも。
ジャズチェロというジャンルがあるかどうか知らないが、まさにそんな感じで、ファンキーさリズム、そして歌にあふれた佳曲で、ピチカート、胴たたきも駆使した技巧的な作品。
めちゃくちゃよかった、大拍手でしたよ。

後半は、神奈川フィルも出演のドラマ「リバーサルオーケストラ」でみなさんにすっかりお馴染みのチャイコフスキー5番。
ドラマではこの作品がちょこっとアレンジされて、運命的なあの動機と2楽章のロマンテックな旋律が随所で流れてました。
最終回、オーケストラの存続を決めるコンサートでは、まさにこの交響曲が勝負曲となり、晴れやかなラストシーンとなっておりました。
わたしの席のお隣には小学校高学年ぐらいの少女を伴ったお母さまがいらして、後半が始まるときに少女はお母さんに、「いよいよチャイ5だね」とささやいてました。
こうして、クラシック音楽も広がりを見せていくことに、音楽を聴く前から感動しちゃいました。

この曲が自分も小学生以来大好きで、もう半世紀以上はいろんな演奏で聴いてきましたが、神奈川フィルでの実演はこれが3度目で一番多い。
その神奈川フィルの演奏会も仕事のこともあり、生活環境の変化もありで、実に7年ぶりとなりました。
舞台に並ぶ神奈川フィルのメンバーのみなさん、半分以上は懐かしく、知悉の方々。
そんな神奈フィルメンバーが奏でるチャイ5は、ドラマでも田中圭演じる指揮者、常葉朝陽の言葉によれば、チャイ5はみんなに聴かせどころがある交響曲。
ほんとその通りで、スコアを見ると、どの楽器も、第1も第2もみんなまんべんなく活躍するし、めちゃくちゃ難しいし音符の数もはんぱなく多い作品。
それぞれのソロや聴かせどころでは、〇〇さん、〇〇ちゃん、頑張れとドキドキしながら聴く始末。
プロのオケだからそんな思いは不要だけれども、自分にとって神奈川フィルは、そんな思いでずっと聴いていたオーケストラだった。
聖響さんの時代のときの公益社団法人への法人格見直し時における存続危機に一喜一憂しながら応援したオーケストラ。

7年もご無沙汰してしまった反省と後悔も、このチャイ5の素晴らしい演奏で気持ちの高ぶりをとどめようがない状況になりました。
冒頭のあの動機を奏でる管楽の演奏から、こりゃまずい、涙腺が・・となりました。
オーソドックスな飯森さんの指揮にみちびかれ、観客もすぐにチャイ5に入り込みました。
アタッカで続いた2楽章、若いホルン首席の方、マイルドでブリリアント、完璧でした、心配した自分がバカでした。
めくるめくような甘味さと、感傷の交錯、ロシア系の濃厚さとは真反対にある神奈川フィルの煌めきのサウンドは、かつてずっと聴いていた音とまったく同じ。
石田組長はいなくても、小田原で聴いてるこの音は神奈川フィルサウンドそのものだった。
もうここで泣いちゃうと思いつつ聴いてた。
休止を置いて、まろやかな3楽章。
終楽章もアタッカで続けて、さて来ましたと会場の雰囲気、おっという感じになったのもドラマの効果でしょうか。
堂々と、でも軽やかに、しなやかにすすむ。
指揮の飯森さんも、ときにオケに任せつつ、ときにドライブをかけつつ、すっかりのりのり。
お馴染みの楽員さんたちが、隣同士で聴き合い、確認しあいつつ、体を動かしつつ、そしてなによりも楽しそうに演奏してる。
もうめちゃ嬉しい、テンションめちゃあがり。
そして、ラスト、コーダで金管の堂々たる高らかな咆哮、指揮者は指揮を止めてオケに任せ、その開放的なサウンドが三の丸ホールの隅々に響き渡る。
それを五感のずべてで感じるかのような喜びたるや!
込みあがるような感動と興奮を味わいつつ終演。

声掛けはお控えくださいとの開演前のアナウンスに、ブラボーは飛ばせませんでした。
もう、いいんじゃね、と思いますがね。



飯森さんの合図で、撮影タイム30秒。
しかし、みなさんあわてて起動しても、なかなか間に合いませんねぇ(笑)
こんどは起動タイム1分、撮影タイム30秒でお願いね。

Odawara-5_20230323135901

こちらは1年前の城址公園の桜。

2022年4月8日の撮影ですが、今年はその頃にはもう散ってしまうでしょう。

桜の花は儚いですが、音楽はずっと変わらず、わたしたちの傍らにいてくれます。

Kanaphil-odawara-1

神奈川フィル、また聴きに行こう。

| | コメント (0)

2022年12月30日 (金)

交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Fujimi

散歩してたら見つけた富士が紅葉ごしに見えるスポット。

まだ散る前で、完全に染まっていなかったけれど、満足のいく1枚。

Fujimi-1

今年は生活環境がまったく変化したのだけれど、便利さは犠牲にしても、こんな光景がすぐ近くにあるという幸せ。

2022年もおしまいです。

ジュリーニの第9シリーズを振り返ります。

一部は過去記事を編集して再掲します。

Beethoven-sym9-giulini-1

 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調

  S:カラン・アームストロング Ms:アンナ・レイノルズ
  T:ロバート・ティアー     Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

          (1972.11 @キングスウェイホール)

70年代後半に、ジュリーニはさまざまな第9交響曲を取り上げ、録音しました。
ベートーヴェンも先駆けて録音しましたが、8番と同時に録音された2枚組のレコードは、EMIに継続していたベートーヴェンの交響曲の一環という意味あいの方が強かった。
EMIには、6~9番が録音されたわけですが、この第9はテンポをゆったりととる悠揚スタイルのコクのあるジュリーニと言う意味あいでは、次に来る第9シリーズと同様ですが、やや集中度も浅く、細部の克明さにも欠くように感じられる。
しかし3楽章の透明感と流動性は、ジュリーニならではで、1楽章の激遅と2楽章の超快速との対比が面白いし、終楽章の堂々たる歩みも数年後の超巨匠としての刻印を感じさせる。
オケはいいけど、合唱がいまいちかな。

Bruckner-sym9-giullini-cso

 ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.12 @メディナ・テンプル シカゴ)

EMIへのベートーヴェン第9から4年、しかし、その間ジュリーニはウィーン交響楽団の首席指揮者になり、ウィーンにゆかりのある作曲家の作品を格段と指揮するようになった。
74年には、ウィーン響とブルックナーの2番を録音。
NHKFMでも大曲をさかんにとりあげるジュリーニとウィーン響の演奏が放送され、エアチェックにも暇がなかった。
いつしか気になるコンビになっていたジュリーニとウィーン響が日本にやってきた1975年秋、春に来たベーム・ウィーンフィルのチケットが落選となっていた腹いせもあり、東京公演を見事聴くことができた。
演目は、ウェーベルンのパッサカリア、モーツァルトの40番と、ブラームスの1番、アンコールに青きドナウ。
このときから、アバドの兄貴分、ジュリーニが好きになった。

その次の年から始まったジュリーニの「第9シリーズ」
録音順ではマーラーが先んじているが、これはDGの専属となる契約の関係上か。
後年のウィーンとの再録音よりも5分ほど速く、63分でのキリリと引き締まった、そして緊張感にあふれる演奏。
それでいて柔和な微笑みもある歌心にも欠けていないので、おおらかな気持ちにもさせてくれる。
シカゴのブラスの圧倒的な輝かしさは録音のせいもあるかもしれないが眩しすぎと感じるのもご愛敬か。
ウィーン盤とともに、この作品の代表的な1枚かと思いますね。

Mahler-9-giullini_20221228093701

 マーラー 交響曲第9番 ニ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.4 @メディナ・テンプル シカゴ)

ジュリーニとシカゴ響のマーラー第9のLPは、アバドの復活とともに、発売時に入手してマーラーにのめり込んでいく当時の自分の指標のような存在だった。
シカゴということもあり、明るい音色が基調となっていて歌に満ちあふれているが、しっかりした構成感の元、堅固な造型の中にあるので、全体像が実に引き締まっている。
テンポはゆったりと、沈着で、品格が漂い、緻密であり清澄。
音の重なり合いの美しさはジュリーニならではで、優秀なオーケストラがあってこそ保たれる緊張感のある美的な演奏だと思う。
久々に聴きなおして、このようにともかく美しいと思った。
若い頃のレコードで聴いていた時期は、音楽にまず平伏してしまって「マーラーの第9」は凄い、が真っ先にきてしまって、ジュリーニの音楽がこんなに美しく歌に満ちていたなんて思わなかった。
歳を経て、この思いはますます増してきた。

Schubert-sym9-giulini

 シューベルト 交響曲第9番 ハ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

これもまた学生時代に買ったレコードで、渋谷の東邦生命ビルにあったショップで購入したもの。
このジャケットにあるように指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽。
遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よい。

2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしい。

レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものだが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになってしまった。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。
現在、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。

Dvorak-giulini_20221226214401

 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界から」

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

シカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
全曲に渡って指揮者の強い意志を感じさせ、聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と驚かせてくれる。
第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなっている。

マルティノンの時代から、ジュリーニはシカゴへの客演が多く、EMIにも素敵な録音が60年代からなされていた。
ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となることだったらしい。
同時にアバドもシカゴとは相思相愛で、ショルティは後任にはアバドとの思いもあったくらい。

わたしはジュリーニは70年代が一番好きで、シカゴとロスフィル時代が併せて一番好きです。
へそまがりなので、CBSに移ってからの再録音の数々はほとんど聴いていない。

自身の指揮者としてのキャリアと歩みを確かめるようにして70年代に残した「第9シリーズ」。
シカゴという伴侶があってほんとうによかったと思うし、ジュリーニという指揮者の一番輝いていた時期を捉えてくれたことにも感謝したいです。

Fujimi-2

季節外れの紅葉ですが、やはり日本の景色や風物には欠かせない美しさがあります。

2022年最後の記事となりますが、週1を目途としてきたblog更新。
blogはオワコンみたいに思われて久しいですが、一時休止はあったものの、こうして続けて、またあとで見返して、そのとき自分はどうだったか、どんな音楽を聴いていたのかなどという風に自分の記録を残すことが大切だから続けます。
オペラなどは念入りに調べてから文書を起こすので手間暇がかかりますが、自分の記事を読んで、またあとで聴くときの参考になったりもするし、よくこんなこと書けたな、と自分で驚いたりすることもあります(笑)。

来年もマイペースで、できれば更新頻度を上げたいな。

2023年もよろしくお願いいたします。

| | コメント (2)

2021年5月30日 (日)

ケルテス指揮 ウィーンフィル

Shinagawa 

とてもすがすがしい1枚が撮れました。

休日の公園のひとこま、奥に東京タワー、品川です。

Shinagawa-2

この公園の奥には、すてきなバラ園がありました。

黄色いバラ、好きです。

Mozart-2529-kertez

  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K550

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1972.11 @ウィーン)

イシュトヴァン・ケルテスとウィーンフィルの懐かしき名演を取り上げます。

ケルテスのモーツァルトは定評あり、オペラやアリア集の録音もありますが、交響曲は6曲で、そのいずれもが爽やかで柔軟かつ、ゆったりとした気分にさせてくれる佳演であります。
25番もともに、短調の厳しさや寂しさは少なめで、音楽的に純なところがいいのです。

ケルテスは、1929年生まれで、1973年に43歳で亡くなってます。
よくよくご存じのとおり、イスラエルフィルに客演中、テルアヴィブの海岸で遊泳中に溺死してしまった。
いまもし、もしも存命だったら91歳。

ケルテスと同年生まれの現存の指揮者を調べてみますと。
ドホナーニと引退したハイティンクがいます。
そして1927生まれのブロムシュテットの元気な姿には、ほんとに感謝したいです。

亡くなってしまった、同年もしくは同世代指揮者は、プレヴィン、レーグナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、コシュラー、マゼール、クライバー、マズア、デイヴィス、ロジェストヴェンスキーと枚挙にいとまがありません。
アバドは1933年、小澤は1935年、メータは1936年。
こんな風に見てみてみると、ケルテスの世代の指揮者たちが、いかに充実していたかよくわかりますし、もしも、あの死がなければ、とほんとうに惜しい気持ちになります。

ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの大巨匠世代の次の世代の指揮者たち。
当然のことに、70年代が始まる直前からクラシック音楽に目覚めて聴いてきた自分のような世代にとって、彼らの世代は、当時は次世代を担う若者指揮者とされ、自分が歳を経るとともに活躍の度合いを増して、世界の重要ポストにその名を占めるようになっていった様子をつぶさに見てました。
つくづく、自分も歳をとったものだと感慨深く思いますが・・・

Schubert-kertsz-1

  シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1970.4 @ウィーン)

これぞ、理想的なシューベルトのひとつ、とも思われる歌心とやさしさにあふれた演奏。
CD初期のデッカから出た変なジャケットだけど、よく見ると悪くないww
 ウィーンフィルと交響曲全集を録音してますが、なんとまだ未入手。
これを機会に揃えましょう。
やや劇的に傾いた7年前の録音の未完成と、愉悦感のある5番の対比が面白いが、モーツァルトの40番を愛したとされるシューベルト。
ト短調の3楽章がウィーンフィルの魅力的な音色もあいまって、軽やかかつ透明感も感じるのが素敵なところ。
60年代初めの、やや力こぶの入った指揮から、70年代、40歳になったケルテスが長足の進歩をしているのを感じた次第。

ハンガリーのブタペストに生まれ、まずはヴァイオリンから。
24歳で指揮者のキャリアをスタートさせ、ハンガリー国内で活躍、オペラも多く手掛けるが、国民が政府に立ち上がったことを契機に起きたソ連軍の侵攻~ハンガリー動乱で、西側に亡命。
 アウグスブルク歌劇場の指揮者となり、すぐさま総監督に指名され、徐々に脚光を浴びるケルテス。
現代の指揮者たちと違い、劇場からたたき上げていくスタイルでした。
そして生まれるウィーンフィルとの出会いは、かの「新世界」の録音で、1960年。

ここから怒涛のキャリアアップが開始です。
ザルツブルク音楽祭、イッセルシュテットのいたハンブルク、アンセルメの健在だったスイス・ロマンド、カルベルトのバンベルクなどでも絶賛。
さらに、ロンドン響への客演も好評でドヴォルザークの録音が開始され、65年には首席指揮者に就任。
そのまえ、64年には、ケルン歌劇場の総監督にもなってます。
さらにバンベルク響の首席に。

活躍の場は、ケルンとバンベルクを中心にウィーンとロンドン。
そして、68年にロンドンを辞すると、アメリカでも活動開始し、シカゴではラヴィニア音楽祭を任されます。
こうしてみると、ハンガリーを出て、40歳まで怒涛の活躍と、ポスト就任の嵐、それからデッカがいかに推していたかがわかります。

Brahms-3-kertesz

  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.2 @ウィーン)

1972年から、モーツァルトとともに、ブラームスの交響曲の録音が始まりました。
ケルテスのみずみずしい音楽作りが一番味わえるのが3番の演奏ではないかと思います。
2楽章なんて、ずっと聴いていたい爽やかでありつつ、ロマンあふれる演奏で、ジャケットの背景にあるような新緑のなかで聴くようなすてきなブラームスに思いますね。
2番はこのときは録音されず、64年の演奏を再発するかたちで全集が完成しました。
73年3月の録音の直後、ケルテスの死が待っていたからです・・・・・
ハイドンの主題による変奏曲は、指揮者なしでウィーンフィルの団員のみで録音されたのも有名なおはなしです。

ケルテスの死の顛末は、今年1月に亡くなった岡村喬夫さんの著作「ヒゲのおたまじゃくし世界を泳ぐ」に詳細が書かれてますが未読です。
イスラエルフィルに客演中のケルテス、その演目のメインはハイドンの「ネルソンミサ」で、都合12回の演奏会が予定された。(CD化あり)
4回が終了したある日、泳ぐことが大好きだったケルテスは、歌手たちを誘って、ホテル前の海岸に海水浴に出ます。
歌手たちは、岡村さん、ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキの3人。
階段を降りて砂浜に、しかし、あとで気が付いた看板には、この海岸はホテルの責任範囲外と書かれていて、とても見つかりにくいところにあったと。
女性陣は、浜辺で帽子をかぶって見学、いきなり飛びこんだケルテスは、岡村さんに早く来いよと誘い、岡村さんは躊躇しながらも海に入りますが、ケルテスの姿はどんどん遠くに。
波は高く荒れていて、岡村さんは必死の思いでたどり着いて助けを求め、レスキューたちが瀕死のケルテスを救いだしましたが・・・・

演奏会は指揮者を変えて継続したそうですが、ポップは泣き崩れて歌えそうにない状態。
しかし、演奏会が始まるとシャキッとして見事に歌い終えた、さすがはプロと岡村さんの本にはあるそうです。
涙ながらにケルテス婦人のもとに報告に行った話とか、ケルテスの最後を知ることができる貴重な著作のようです。

  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

    イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1961 @ウィーン)

Dvorak-kertesz-1Dvorak-kertesz-2

言わずと知れた「新世界」の名盤のひとつ。
32歳の若きケルテスの力みなぎる指揮に、名門ウィーンフィルが全力で応えた気合の入った演奏。
5年後のロンドン響との再録は、繰り返しも行い、ちょっと落ち着いた雰囲気を感じますが、ここに聴かれる演奏は、いい意味で若くてきりっとした潔さがあります。
思い切り演奏してるウィーンフィルもこの時代のウィーンフィルの音色満載で、デッカの生々しい録音も手伝って、あのショルティのリングにも通じるウィーンフィルを楽しめます。

Dvorak-kertesz-3

わたしが小学生だったとき、クリスマスプレゼントで初めて買ってもらったレコードが、この1枚です。
あと同時に、カラヤンの田園。
この2枚が、わたくしの初レコードで、記念すべき1枚でもありました。
平塚のレコード屋さんで、クラシックはそんなに多くはなかったのに、よくぞこのケルテス盤がそこにあって、よくぞ自分は選んだものです。
こちらは初出のオリジナルジャケットでなく、68年あたりにシリーズ化された、ウィーンフィルハーモニー・フェスティバルというシリーズの再発ものです。
半世紀以上も前の新世界体験、いまでも自分の耳のすりこみ演奏ですし、何度聴いても、爽快な思いにさせてくれる1枚であります。

歴史のタラればですが、もしもケルテスが存命だったら。
・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を託された~ハンガリー系だから相性抜群で、さらなるドヴォルザークの名演を残したかも。
・ウィーンとの蜜月は継続し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になり、モーツァルトやドイツオペラ、ベルカント系までも極めたかも。
 
Dvorak-kertesz-4  

 あとウィーンフィルとはベートーヴェン全集も録音されたかも。
 1972年秋のウィーンフィルの定期オープニングは、ケルテス指揮で、ブレンデルを迎えて、ベートーヴェンの4番の交響曲と「皇帝」が演奏された。ブレンデルとの全集なんかもほんと聴いてみたかった。

・カラヤンの跡目として、ベルリンの候補者のひとりになっていたかも。
・西側の一員として、自由国家となったハンガリーにも復帰して、自国の作曲家の名演をたくさんのこしたかも
・ワーグナーを果たして指揮したかどうか、バイロイトに登場したかどうか
・ブルックナーは4番を残したが、マーラーの交響曲は指揮しただろうか

こんな風に妄想し、想像することも音楽を聴く楽しみのひとつではあります。

Shinagawa-3

品川の公園には、こんなイングリッシュな光景も展開してました。

| | コメント (17)

2020年10月22日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロストロポーヴィチ

Radian-01

秋の空に、もう咲き終わって、ばらばらの秋桜。

手を入れてない、こんな自然なまんまが好きだったりしますね。

なにもしなくても、災害が来ようが、疫病が来ようが、ちゃんと鮮やかな色で咲いてくれる。

今日は、エヴァーグリーン的な曲に演奏を。

Dovorak-rostro-karajan

  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 op.104

             ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1968.9 @イエス・キリスト教会、ベルリン)

通称ドヴォコンのド定番。
ロストロポーヴィチのドヴォコンは、いったいいくつあるんだろう?
調べたら7つの録音があるそうで、わたしは、このカラヤンとジュリーニしか聴いたことがありませぬ。
曲も大物だし、ロストロポーヴィチの音色も濃いものだから、ちょっとお腹がいっぱい的なものがあって、それ以上は聴けてません。
でもボールトとの共演は聴いてみたいもの。

1969年のレコードアカデミー賞を受賞していて、その数年後に買ったレコードなので、金のシールが貼ってありました。
ちなみに、この年、F=ディースカウのドイツ歌曲全集や、ベームのフィデリオ、メータのツァラトゥストラ、ホッターの冬の旅など、いまに至るまで名盤とされるレコードが受賞してます。
このレコードのジャケットの装丁も豪華なもので、重量もあり、匂いも好きだった(笑)

ということで、これまた「ほんとに久しぶりに聴くシリーズ」

いわゆる名盤すぎて、もう書くことありません。
ただただ、立派、うまい、完璧、知情意全部そろってる。
以上。

これを擦り減るほど聴いた中学生時代は、第1楽章ばっかりがお気に入りで、静かな2楽章は退屈だった。
でも、年配者となったいま、第2楽章の抒情が一番好き。
そういう耳で聴くと、このロストロポーヴィチ&カラヤンの演奏は、贅沢すぎて、もう少し鄙びたところ、優しさ、のどかさが欲しいところだ。
だから、シフ&プレヴィンの優しさや、ジャンドロン&ハイティンクのノーブルさ、このあたりの方が、肩ひじはらずに聴けるので、自分は好きだったりします。
 それでもやはり、思春期に聴いた本演奏は、イエスキリスト教会の壮麗な録音の響きも含めて、実家の思い出みたいな、そんなノスタルジーがあるのです。

もう一回、第2楽章を聴いて、寝るとしましょう。

Dvocon-rostro-karajan-02

 ロココとのカップリングもよかったな。

数年前、日々、時間があったとき、ドヴォルザークの全作品を毎日毎日聴いてみようと思い、チャレンジしてみた。
作品目録をもとに、作曲順に、多くは手持ちでないので、ネット検索をかけて、だいたいのものは聴けました。
オーケストラ、協奏作品はともかく、あらゆるジャンルにわたるその作品にあふれる歌心と自然愛、そして親しみやすさ。
まさにメロディメーカーであるドヴォルザークを再認識しました。
オペラ、声楽作品、室内楽、ピアノ作品などなど、ほんとに気に入りました。

最近、いろんな連続聴きブログをプロジェクト化してしまってまして、先々の残された時間をどうしようかと思ってますが、ドヴォルザークも、全部は絶対無理だけど、いろいろ取り上げたいと思ってる。
 同様の全曲聴きをチャイコフスキーに対してもやったので、チャイコフスキーも・・・(笑)

Radian-02

音楽聴くためにも元気でいなくちゃならん。

| | コメント (0)

2019年12月14日 (土)

ヤンソンスを偲んで ⑤アムステルダム

Rco-2  

いつもながらセンスあふれるコンセルトヘボウのネット上のページ。

そんななかに、ヤンソンスを悼む枠ができるなんて、もっとずっと先のことだと思っていた。
追悼のページを拝見して、センスあふれるなんて、無粋すぎますね....

でもコンセルトヘボウは、ガッティが退任に追い込まれたり、名誉指揮者のハイティンクが勇退、そしてまさかのヤンソンスの死、昨年からこのオーケストラにとって激変が続きます。

ヤンソンス追悼シリーズも終盤。

バイエルン放送響が2003年、ほぼ同じくして、コンセルトヘボウが2004年、ヤンソンスをそれぞれに首席指揮者として任命しました。
ピッツバーグから、ヨーロッパの名門に。
どちらのオーケストラも、これまでに日本に何度もやってきていて、とても馴染みのある存在で、そこに、日本大好きなヤンソンスですから、交互に毎年来日するという夢のような年が続きました。

コンセルトヘボウとの来演で聴いた曲は、「ベートーヴェン2番」「英雄の生涯」「ペトルーシュカ」「悲愴」「エグモント序曲」「ベートーヴェン8番」「新世界」「モーツァルト ピアノ協奏曲25番(内田光子)」「巨人」「ドヴォルザーク8番」「ティル」「ラ・ヴァルス」「マーラー3番」などです。
そして、マーラーをのぞいて、毎回、お馴染みのアンコール曲たち。

Dovrak-sym9-jansons-1

  ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

          (2003.6.6 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとは、EMIに91年に幻想を録音してますが、そのとき以来(たぶん)。
コンセルトヘボウの自主レーベルでもありました。
このレーベルのジャケットは、いずれも楽しく、色彩的で、曲のイメージも大づかみにしていて、収集する喜びもありました。
就任まえの「新世界」で、このコンビのスタート直前第1弾。
ヤンソンスらしい、リズム感と歌心にあふれてますが、「ラルゴ」の美しさと痛切さは、なかなかのものです。
そして相変わらず、聴かせ上手で、思わず夢中にさせてしまう音楽づくりで、「新世界」にのめり込んだ少年時代の気分もかくやと、思わせるものです。

ただ、自分の耳に、脳裏に刻み込まれている、フィリップス録音のアムステルダム・コンセルトヘボウの音とは、もはや別物と感じたことも事実。
シャイーになってデッカに録音主体が移ってから、コンセルトヘボウは、もう往年のサウンドとは違うものとなってしまっていたのですが、あの単刀直入すぎるシャーの音楽よりは、ヤンソンスの血も涙もある人間的な音楽造りは、コンセルトヘボウにはお似合いのものかと思ったりもしました。

このあと、2004年には、就任記念演奏会としてのライブ「英雄の生涯」が録音されましたが、その年には私は、その「英雄の生涯」や「悲愴」を東京で聴くことができて、一挙にヤンソンスとコンセルトヘボウの虜となりました。

Franck

   フランク 交響曲 ニ短調

 マリス・ヤンソンス指 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

創立120周年のアニヴァーサリーで、ネット上でジャケットとともにダウンロードできた貴重な1枚。
ハイティンク、ジュリーニ、アーノンクール、バーンスタイン、コンドラシン、ミュンフンなどの指揮者の音源も同時に配信されました。

そう、コンセルトヘボウで聴くフランク。
デ・ワールトの録音しかなく、いまはそれも廃盤。
フランクと同じフランドル系のオーケストラで聴くというのは、この渋い交響曲には理想的なことだと思ってます。
 それをかなえてくれたヤンソンスの指揮。
でも渋いというよりは、全体の色調は明るめで、ヤンソンスらしい爽快さが先にたちます。
しかし、繰り返される循環主題が、いろいろと色調を変えて登場する際の描き分け方は、耳をそばだてることも多く、単調に、そして晦渋になりがちなフランクの音楽がとても聴きやすく、あっという間の40分間となります。
バイエルンでもこの曲は残さなかったのではないかしら・・・

Mahler-sym1-jansons-1

  マーラー 交響曲第1番「巨人」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

         (2006.11 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウの指揮者になったからには、そう、マーラー。
映像もふくめて、全部残したのかどうか、もうわからなくなってしまいましたし、その半分ぐらいしか聴いてません。
そんななかで、録音と同じころに日本でも聴いた1番が、ヤンソンスにはお似合いの曲だとも思うので、とりあげます。

洗練の度合いを増したこのコンビ、マーラーの陰りを描き出すというよりは、マーラーの音楽にいっぱい詰まったいろんな要素を、完璧に引き出して開陳してみせる感じで、その後のコンセルトヘボウとのマーラーには、そんな、ちょっと綺麗ごとてきなものも感じてしまうこともあった。
美しすぎる録音のせいもあるかもしれない。

Rco-1

でも、マーラーの実演で、2010年にミューザで聴いた「3番」には、ことのほか圧倒された。→過去記事

最後の楽章に頂点を築いたかのような、そこに向かってひたひたと昇りつめるような演奏に、ホール中の聴き手を金縛りにかけてしまう感がありました。
そして、その終楽章、「愛がわたしに語るもの」は、生涯忘れえぬような感動につつまれ、涙がとまりませんでした・・・・・

このときの来日以降、わたしはヤンソンスを実演で聴くことがありませんでした。
翌年の震災もあり、仕事の方も大不芳に陥り、神奈フィル以外の音楽会に行く余裕すらなくなりました・・・・
 あのときのヤンソンスのマーラーが聴けて。ほんとうによかったと、つくづく思いました。

しかし、しかしですよ、その後のバイエルンとのマーラー第9を聴いた方から、そのときの様子を聞くにつれ、痛恨の極みに包まれるのでありました。。。。。

Poulenc-honegger-jansons-1

  プーランク グローリア

    S:リューバ・オルゴナソヴァ

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
            オランダ放送合唱団

        (2005,12 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとバイエルンに着任して以来、ヤンソンスは声楽作品を積極的に取り上げ続けました。
ドヴォルザークのレクイエムという名演も残しましたが、今回は、ヤンソンスならではの抜群のリズム感と緻密さとが、プーランクの軽妙さと信仰深い神妙さとを見事に描き出した「グローリア」をじっくり聴きました。

ジャケットも美しいものだし、コンセルトヘボウもまた美しい。
カップリングのオネゲルの「典礼風」も、ムラヴィンスキーの得意とした曲で、オスロ時代もいい演奏を残してました。
感動的な3楽章がステキすぎます。

Stravinsky-jansons-1

  ラフマニノフ 交響的舞曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

ヤンソンスの残したラフマニノフでは、ロンドン編で取り上げたフィルハーモニアとの2番と並んで、この「交響的舞曲」がいい。
全編、まさに舞曲ともいえるくらいに弾んで、泣いて、むせんで、笑って、爆発する、そんなマーラーも顔負けの喜怒哀楽の激しいラフマニノフの音楽。
コンセルトヘボウの音色がラフマニノフにぴったりとくる。
録音だけのはなしでいえば、マーラーよりもラフマニノフの方が、コンセルトヘボウにはあってる、と思うくらい。
最近、この曲が2番よりもブームじゃないかと世界を見ていて思う。

憂愁で2番ほどベタつかず、長さもほどほどだし、オーケストラの名技性も発揮できるし、なによりも聴いていて面白い。
いま言ったいいところを全部そなえているのがヤンソンスのこの演奏じゃないか、と。

Onegin-jansons

    チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

  オネーギン:ボー・スコウフス 
  タチャーナ:クラッシミーラ・ストヤノヴァ
  レンスキー:アンドレイ・ドゥナエフ
  オリガ:エレーナ・マクシモーヴァ
  グレーミン公:ミハイル・ペトレンコ

   演出:シュテファン・ヘアハイム

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
             ネーデルランド・オペラ合唱団

       (2011.6~7 @ネーデルランド・オペラ劇場)

アムステルダムでは、ヤンソンスは、手兵がピットに入るネーデルランド・オペラの指揮台に何度か立ちました。
ウィーンでは何度かあったはずだけど、これまでなかなかできなかった、オペラピットでの指揮。

得意のチャイコフスキーのオペラ、このオネーギンに続いて、2016年には同じヘアハイムの演出で「スペードの女王」も上演してますし、昨年2018年にはザルツブルクで、ノイエンフェレスのオモシロ演出でも「スペードの女王」を指揮してます。
この「スペードの女王」、ヤンソンスはバイエルンでも演奏会形式で取り上げ、そのまま録音もなされました。
作品的には、「オネーギン」より、「スペードの女王」の方が優れているとは思いますが、豊富なメロディがあふれんばかりに詰まっているオネーギンの方が、一般には聴きやすいオペラでしょう。

残念ながら、アムステルダムでの「スペードの女王」はまだ未入手ですので、今回の追悼特集では、「オネーギン」をつまみ聴きしました。
ヘアハイムの演出には「いにしえのロシア」臭はありませんが、ユニークさでは語り尽くせぬものがあります。
舞台には目をつぶって、オケピットのなかの音に耳を集中すると、やはりコンセルトヘボウの優秀さと、音の深みを強く感じる。
ヤンソンスも生来のオペラ指揮者のように、てきぱきと、手際のいい仕事ぶりで、演出で行われていることとは、ちょっと乖離した純正チャイコフスキー・サウンドをピットの中から起ち上げてます。
手紙のアリアや、レンスキーのアリアなど、泣けてきます・・・・・

ヤンソンスのオペラの記録が、あとショスタコーヴィチの「ムツェンスク」を除いてあまり残されず残念でした。
チャイコフスキーは当然として、ムソルグスキー、R.シュトラウスやプッチーニ、ワーグナーの前半の3作などは、ヤンソンス向きだったと思うのです。

Rco-5

コンセルトヘボウのツイッター。

最後はミュンヘン。

| | コメント (2)

2019年5月18日 (土)

ドヴォルザーク 「伝説曲」 アルブレヒト指揮

Shiraito-2

静岡県の富士宮にある「白糸の滝」

連休中に、ほんとに久しぶりに行きました。
小学校のときの遠足で行きましたが、そのとき以来かも。

富士山の雪解け水が沸きだしたもので、画像のずっと右側にも、まさに白糸のごとく清流があふれてます。

Dvorak-legends-3

   ドヴォルザーク 伝説曲 op.59

 ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

      (1995.4.27 @芸術の家、ドヴォルザークホール、プラハ)

愛すべきドヴォルザークの桂曲。

この作品をブログに取り上げるのは、これで2度目。
前回は2011年の4月で、震災直後の不安な日々に、慰めを求めるようにして聴いて書きました。

そのときにも書きましたが、元来、この曲が好きで、その出会いは、もう40年も前のこと。
大学生のころ、FMで放送されたクーベリック指揮するイギリス室内管のライブ演奏で、エアチェックして何度も聴いた。
クーベリックとイギリス室内管という組み合わせが新鮮でしたし、ドヴォルザークの管弦楽作品に室内オケ、しかも本場でなくイギリスのオケ、という以外な組み合わせに、とても引かれるものがありましたので、曲に加えて、その演奏も大いに気に入って、何度も何度も聴いたものです。
室内オーケストラ、それもそのはず、この10曲からなる組曲のような作品は、もともと40歳のドヴォルザークが2台のピアノのために書いたもので、それを自身で小編成のオーケストラ向けに編曲したものだからです。

全曲にわたって、フォルテ以上大きな音はなく、ゆったりとなだらかに進む、小曲の集まり。
全部聴いても40分ぐらい。
ドヴォルザークならではの、優しいメロディがたっぷりで、次々にあらわれる旋律の数々は、どこかで聴いたことあるような、懐かしさや郷愁を誘うものばかりです。
観たことはありませんが、ボヘミアの森や自然って、この音楽のイメージでもって聴いていのでしょうか。
スラヴ舞曲は、ボヘミアの市井をも反映した人々の音楽って感じですが、伝説曲はそれこそ、ボヘミアの自然と懐かしい昔語りのような雰囲気の音楽に感じます。
このすてきな音楽に、これ以上の言葉はいりませんし、わたくしも、これらの10曲に、それぞれのコメントを残すことなんかできません。
作品の性格上、演奏会で全曲を取り上げられることはありません。
多くの方に、リラックスした気分でもって、ぜひこの音楽を味わって欲しいです。
雨よりは、よく晴れた日に聴いてほしい。

今日のCDは、チェコフィルの主席を93年から96年まで務めたゲルト・アルブレヒトの指揮で。
チェコの人以外の初の主席指揮者ということで、話題になり、その短い任期は何かとうわさされましたが、ここに聴くドヴォルザークは、わりと実務的な演奏に徹するアルブレヒトながら、心をこめて優しさあふれる音色をチェコフィルから引き出していまして、安心してその演奏に身をゆだねることができるものです。
それにしても、チェコフィルの弦は美しい。

アルブレヒトは、読響の指揮者としても長く活躍しましたが、わたくしは、「パルジファル」の上演と、ハンブルクオペラとの「タンホイザー」を観劇したことがあります。
そう、アルブレヒトはオペラ指揮者として、私には親しい存在で、ツェムリンスキーやシュレーカーなどの初録音や開拓で、とても恩義がある方なのです。
同時に、アルブレヒトはドヴィルザークのオペラと声楽作品の掘り起こしと初録音にも取り組んでました。
その途上で亡くなってしまいましたし、しかもその音源もなかなか手に入りにくいものばかり。
ドヴォルザークのオペラも、「ルサルカ」以外にもいい作品がたくさんあるので、じょじょに集めてますので、いつかブログに残したいとも思ってはいますが、時間が・・・・。

過去記事

「ドヴォルザーク 伝説曲 クーベリック指揮」

Shiraito-3

白糸といいながら、太いものはかなりの大瀑ですが、その水質は透明で清涼感たっぷりです。

ただ残念なのは、人が多すぎたこと。
しかも、入らないように柵がはってあるのに滝のちかくまで入り込んでいるんだ。
外国の方もたくさんいたのに、それは日本人ですよ。。

Shiraito-1

上からみると、こんな感じ。
新緑とともに美しいものです。

この日は、帰りがとてつもない渋滞に巻き込まれてしまい往生しました。
連休も疲れるもんだ。


| | コメント (2)

2019年5月12日 (日)

ドヴォルザーク ジプシー歌曲集より「母が教えてくれた歌」 フレミング

Carnation

柄にもなく、美しいカーネーションのお花を。

そう、母の日に。

そして、音楽も母の日の定番、ドヴォルザークの歌を。

Fleming-1

 ドヴォルザーク 「ジプシー歌曲集」op.55 から
     
    「母が教えてくれた歌」

   ソプラノ:ルネ・フレミング

  サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

           (1997.@ロンドン)

ブラームスと同じくして、ドヴォルザークもジプシーにまつわる音楽を残しました。
7曲の歌曲集のなかの4曲目が、このあまりに有名な作品。

チェコ語とドイツ語、それぞれの歌詞に作曲され、この名旋律は、クライスラーがヴァイオリン作品に編んだことから、世界中で愛される音楽のひとつとなりました。
親しみやすい旋律をやすやすと生み出した、まさにメロディメーカーとしてのドヴォルザークらしい、美しくも、ちょっとセンチメンタルな歌であります。

その歌詞は、ちょっと調べればたくさん出てきますので探してみてください。

家を持たず放浪の生活をするジプシーたち。
歌も、親から子へ語り継がれていった。
母から教えてもらった歌、それをいまは、自分の子らに聴かすこととなった。

親になりわかる、親の気持ち。
まして、母親の気持ちとなれば、あぁ、そうだったのかと、涙が出るほどの感情につつまれることもある。

この長い連休の大半を、私は、育った実家で姉弟ととで母とともに過ごしました。
こんなに長く一緒にいたのは、正月休みや、盆休み以上の長さでありました。
それこそ御代替わりの恩恵でありましょうか、お仕事をされていた方々には、まことに申し訳なく存じますが、連休のありがたみを満喫いたしました。

年々、老いてゆく母。
おりしも、亡父の23回忌も併せて行うことができました。
耳も遠くなり、こちらの声も届かないこともたびたび、さらに、足腰もすっかり弱まり、長く歩くことはままならない。
 よくあることですが、昔語りをさせたら、年寄りにはかないません。
戦時中のこと、親戚の関係筋の話や家系のこと、さらに亡父との出会いのことなどなど、いつも多く、大好きなビールをすすりながら語ってもらいます。
 自分の子らも、いずれも社会人として巣立ちましたが、まだまだ子供たちのことが心配。
この歳になって、母の気持ちがつくづくわかります。
そして、母よ、あなたは強かった!

そんな思いを込めて、ドヴォルザークの名旋律を聴きました。
フレミングの声は、わたくしには濃厚すぎて、ちょっと辛いことがいつもなのですが、オーケストラ伴奏付きなので、これぐらいでちょうどよいかもです。

Carnation2

母への感謝と、いつまでも元気で、という思いをこめて。

| | コメント (4)

2019年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮

B_2

令和元年の初記事。

東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。


A_3

333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。

1枚目の写真に「さんま」、います。

秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。

 平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。

この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。

Dvorak-giulini

  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

            (1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)


「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。

マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。

そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
 この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。

ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。

60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
 ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。

そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。

ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。

新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。

でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。

C_2

平成から令和にかけての連休。

天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ お悔やみ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハイドン ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東京交響楽団 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス