ドビュッシー 前奏曲集 ベロフ
静謐な庭園と絶妙の日本の間。
人がいなくなるのを待ちましたが、こうしてじっと眺めてしまうのもわかります。
時が止まった感を抱きます。
昨年晩秋に訪れた京都、圓徳院。
秀吉の菩提寺である高台寺のなかにある院で、北政所ねねが後半生を過ごした場所です。
ドビュッシー 前奏曲集第1巻・第2巻
Pf:ミシェル・ベロフ
(1970.6~7 @サル・ワグラム@パリ)
ショパンの音楽を愛し、敬愛したドビュッシーもまた、ショパンにならって24の前奏曲を作曲しました。
絶対音楽ではなく、標題音楽でもない、まさに印象主義的な音楽、ドビュッシーの神髄のような作品です。
全24曲それぞれに題名は与えられているが、曲頭にあるのでなく、曲の終わりに、さりげなく書かれているそれらの標題。
まさに聴いてみて、弾いてみて、そのように感じて欲しい、味わって欲しいという思いからだとか。
標題から入ると、その印象にまず左右されてしまうものですから。
だから、わたしは、いつもドビュッシーの音楽は感じる、受ける、そんな気持ちで聴きます。
同じようにディーリアスの音楽も聴きます。
24曲を12曲づつ2巻に分けて、第1巻は1909~1910年の短期間に、第2巻は1910~1913年にゆっくりと作曲。
前者の方がとっつきやすく、抒情性が濃く、後者の方は円熟の度合いが増し、技巧的に厳しい考え抜かれた様式の作品集となってます。
各曲の題名は邦題でしか知ることはできませんが、いずれもうまく訳したものだと思いますし、いかにもドビュッシーな感じです。
第1巻
①デルフィの舞姫 ②帆 ③野を渡る風
④音と香りは夕暮れの大気に漂う⑤アナカプリの丘 ⑥雪の上の足跡
⑦西風の見たもの ⑧亜麻色の髪の乙女 ⑨とだえたセレナード
⑩沈める寺 ⑪パックの踊り ⑫ミンストレル
第2巻
①霧 ②枯葉 ③ヴィーノの門
④妖精たちはおでやかな踊り子 ⑤ヒースの茂る荒野 ⑥奇人ラヴィーヌ将軍
⑦月の光がふりそそぐテラス ⑧水の精 ⑨ピックウィック卿讃頌
⑩カノープ ⑪交代する3度 ⑫花火
それぞれを聴いた後、このタイトルを確認するようにして聴きます。
24曲のタイトルを全部覚えて、聴いた瞬間に、これは〇〇とかわかるリスナーがいたらもう大尊敬であります。
私は、第1巻の最初のほうと、亜麻色と沈める寺ぐらいかな、第2巻なんてさっぱり結びつきませぬ。
だからもう、タイトルなんてかなぐりすてて、ドビュッシーの紡ぐ音楽に身を任せるのも、この作品集の聴き方のひとつかもしれません。
そう考えてきたら、ドビュッシーの音楽はみんな模糊としたものに感じられてきた。
これまで多く聴いてきたドビュッシーがなんか遠くへ行ってしまった。
唯一近くに感じられ、その音楽の輪郭線も身近に感じられるのは「ペレアスとメリザンド」で、オペラで物語があり、言葉があることがリアルだからなのか・・・
なにを書いてるんだかわからなくなってきた、いやこの感覚がドビュッシーなのかも。
明確なものは少なく、印象でもって人の感覚に訴えてくる音楽。
空に浮かぶ雲や、夕暮れの凪の海、遠くの野山などをぼんやりと眺めて聴くのがオツというものだ。
変なことばかり書いてますが、全24曲、全部が特徴があり、その受け止めも人それぞれだろうが、「沈める寺」に着眼し、オーケストラ版を作ったストコフスキーはすごいと思います。
キラキラしすぎかもしれないが、静かに始まり、だんだんと重層的に厚みを増して行く響きが、まるでオルガンのようでもあり、寺院の荘重な鐘のようでもあるこの作品の在り方を、オーケストラで完全に再現してみせます。
わたしには、シュレーカーの音楽を思わせました。。
全24曲が、思えば、そんな豊かな響きと、想像力を刺激するイマジネーションを持っているんだと思います。
今日は、懐かしいミシェル・ベロフの若い日々の演奏で聴きました。
10代初期に、メシアンを驚かせた早熟のベロフは、ドビュッシーと、そのメシアンの専門家みたいにしてEMIに多くのレコーディングを残しました。
20歳のときの録音とは思えない落ち着きとともに、青春の輝きのような、1曲1曲に感じながらの新鮮な響きを聴かせてくれます。
曖昧さのない明晰なピアノは、これが出た70年代の当時、驚きをもって迎えられました。
懐かしいです。
同じころに登場した若いピアニストで、ジャン=ルドルフ・カーロスがいて、彼はユダヤ系でインド生まれ、フランスに育って、同じくドビュッシーとメシアンを得意にしました。
カーロスの前奏曲集もデッカから発売されて、ベロフかカーロスかで話題になったのもよく覚えてます。
ちなみに、幣ブログでは、カーロスのディーリアスのピアノ協奏曲を取り上げてます。
そのカーロスは、早くにピアニストを辞めてしまい、86年に聖職者になったようです。
ドビュッシーとメシアンを好み、極めて宗教の道へ・・・なんかわかるような。
ベロフの方は、同じ80年代にヨットレースで右手首を負傷し、両手でピアノが弾けなくなってしまう。
87年にアバドの指揮でラヴェルの左手協奏曲を録音して驚かせましたが、その後苦行のリハビリを経て完全復活したのが1995年。
ロンドン交響楽団のブーレーズ・フェスティバルでの、バルトークの2番の協奏曲で予定されていたポリーニが病欠。
代わりに登場したのがベロフだったとのこと!
なんかすごいです、しかも難曲で打鍵の激しいのバルトーク!
以来、復活したベロフはドビュッシーの再録音も行いましたし、日本にも何度もやってきてますね。
円熟のベロフのドビュッシーは実は未聴で、聴いてみたい気はしますが、わたしには20歳のベロフのドビュッシーのままでいいかと思ったりしてます。
ミケランジェリとかポリーニも聴いてますが、これが一番好き。
ドビュッシーな雰囲気を感じ取れる(かな?)
ともかく美しかった。
ことし、初夏の頃にはまた訪れます。
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