カテゴリー「シベリウス」の記事

2023年11月16日 (木)

アクセルロット&東京都交響楽団 小田原公演

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真っ暗な中に浮かび上がる小田原城。

夜間はイベントの時以外は、人がまったく行きませんので周辺は真っ暗です。

それでいいと思いますね、街が明るすぎるのです。

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都響が小田原まで来演してくれましたので、喜び勇んで聴いてまいりました。

出色の音響の良さを誇る三の丸ホールは、お城の堀に接していて立地も抜群。

高校時代、私もその舞台に立ったことのある旧市民会館とは、場所も変わり、そのデッドだった昭和の音響もまったく見違えることとなった新ホール。
同じ時期に開館した平塚のひらしんホールと、双方を楽しむ最近の私ですが、どちらもほどよい規模で大好きです。

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  シルヴェストロフ 「沈黙の音楽」(2002年)

  シベリウス    ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47

      イザイ      無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番~1楽章

      Vln:アレクサンドラ・コヌノヴァ

  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 op.47

    ジョン・アクセルロッド指揮 東京都交響楽団

        (2023.11.13 @三の丸ホール、小田原)

ウクライナの作曲家シルヴェストロフ(1937~)の小編成の弦楽による「沈黙の音楽」、初めて聴きました。
シルヴェストロフも初ですが、ワルツ、セレナード、セレナードの3曲からなる全編静かな雰囲気の10分あまりの作品。
ともかく美しく、懐かしさも漂う夢想と追憶の音楽で、わたしには武満徹を思い起こす印象でした。
解説を読むと、ソ連時代での作曲開始時は前衛的な作風で、その後70年代以降、調性を伴った穏やかな作品作りに転じたという。
繊細ながら、哀しみの影も感じるデリケートな音楽、時が時だけに、ウクライナを現在逃れている作曲家のいまの音楽も知ってみたいものだと思いましたね。

次のシベリウスも、強国にあらがった愛国者、さらにはショスタコーヴィチも二面性、いやそれ以上の顔を持ちながら体制に追従しつつも抵抗した・・・
そんな3人の作曲家の一夜、すぐれたプログラムかと思いました。

コヌノヴァの技巧と美音に加えてホールを満たす精妙な弱音に酔ったシベリウス。
そのスマートなお姿からは想像できないパワーとともに、どんなピアニシモでもオケに負けずに聴衆の耳にしっかり届けることのできるヴァイオリン。
とりわけ、2楽章は美しかった。
モルドヴァ生まれの彼女も、思えばソ連の支配下にあった国で、ウクライナのお隣。
熱く切々と訴えかけるこの2楽章は、オーケストラのしなやかなサポートを受けて秘めたる情熱の吐露と聴いた。
もちろん、技巧の冴えも抜群で、速いパッセージにおける音程の正確さと、その明快な音の出し方は、オケがフォルテでもしっかり聴こえる。
女性的な所作と、一方でガッツリとオケと対峙する逞しさ、そのあたりも見ていて楽しかった。
 その繊細な音色と超絶技巧、美しいピアニシモは、アンコールのイザイでも特筆ものでありました。

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ホワイエからの景色、この日は期間限定でお城のライトアップもありました。
もう少し遅くまで点灯して欲しかったな・・・

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休憩後のショスタコーヴィチ。
若い頃に聴きすぎて、長じて大人となってからは、どうも醒めてしまった名曲のひとつ。
ともかく大好きになって、中高時代に聴きすぎた。
演奏会では、ヤンソンス&BRSO、ゲルギエフ&キーロフ、マゼール&NYPO、プレヴィン&N響と聴いたものの、いずれもぼんやりと聴いてしまうのでした。
今回は、この曲14年ぶりの実演ということ、さらには地元で都響が聴けるというワクワク感もあってか、やたらと興奮しながら聴いた。
バーンスタインの弟子筋にあたるアクセルロッドの指揮は、ともかく明快。
後から見ていても的確かつ、動きがときおりバーンスタインのように舞うようで楽しい。
しかし、音の圧はなかなか強く、都響が全力を出した時のすごさも実感できたし、フォルテの段階がいくつもあったようにも感じた。

真偽不明の証言や、批判を恐れた超大作4番のあとの、あざとい「成功狙い」の真偽など、そんなややこしいことは抜きにして、演奏としての完成度が極めて高く、ほぼ完璧な出来栄えだった。
指揮台にあがると、すぐに振り始めるし、楽章間の合間も少なめで、全体をアタッカでつなげたような一気通貫の演奏スタイルは、聴き手に緊張を強いるし、それでこそオケも聴衆も集中力が増したというものだろう。

1楽章は意外なほどスラスラと進行し、そのカタストロフ的なクライマックスも難なくすいすいと進行。
しかし、先日、ミッチーの壮絶な4番を聴いた耳には、1楽章の後ろ髪引かれる終結部には、あらためて作品の関連性や、ショスタコーヴィチの常套性なども感じることができた。
絶品だったのは、2楽章で、そのリズム感の冴えはアクセルロッドならではだろう。
ほんとに生き生きしていたし、何度も言いますがちょっと飽きぎみだった5番、この2楽章でなぜか目が覚めた感じです。
痛切な3楽章も、この演奏では爽やかささえ漂う美しさで、分割して弾かれる弦の様子をまんじりとせずに見つめ曲がら聴くのも新鮮だった。
はったりもなにもなく、こけおどし的な大音響に溺れることもなく、純音楽的に自然なクライマックスを築き上げた終楽章。
いつもは醒めてしまう自分も普通に感動したエンディング。

5番は、あれこれ考えず、こうした素直でストレートな演奏がいい。
この指揮者で6番を聴いてみたいと思った。

そして三の丸ホール、素晴らしい音響と確信しました。
次は小田原フィルだけど、都合が・・・・

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景気が悪い、物価高、個人消費の減少でGDPも下降。

そんな日本には、いま、チェコフィル、コンセルトヘボウ、ウィーンフィル、ベルリンフィル、ゲヴァントハウス、NDRエルプフィルがいます、先月はチューリヒトーンハレ、オスロフィルも来てたし、オペラ団もローマとボローニャも。
プログラムによっては触手も動きましたが、過去、さんざん聴いてきたし、いまの自分にはもういいかな・・・という気分です。

都心からほどよく距離があり、でも遠くもなく、そこそこな田舎で過ごして、たまに音楽会に繰り出す。
外来オケの高額チケットに大枚をはたく余裕もございません。
でも、外来オペラがワーグナーとかシュトラウスを持ってきたら・・・・飛びついてしまうんだろうな(笑)

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小田原で一杯やろうとも思ったが、月曜だしあきらめて、またお家に帰って晩酌でプシュっと。

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2023年2月23日 (木)

平塚フィルハーモニー演奏会

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昨年開館した平塚市のひらしん平塚文化芸術ホール

地元のアマチュアオーケストラである平塚フィルの演奏会に行ってきました。

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  シベリウス  交響曲第5番 変ホ長調

  ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」

  シベリウス  アンダンテ・フェスティーボ(アンコール)

 田部井 剛 指揮 平塚フィルハーモニー管弦楽団

       (2023.02.19 @平塚文化芸術ホール)

ともに変ホ長調の交響曲で自然を賛美するような音楽。

この2曲をプログラムに据えるという果敢な演奏会で、新しいホールでの新鮮な響きにも大感激でした。

30年の歴史がある平塚フィルは、意欲的なプログラムで年2回の演奏会を開いていて、前から聴きたいと思っていました。

人口25.7万人の都市、平塚は私のいまいる町の行政管轄都市で、商業でも栄えた街なので、子供の頃からお買い物は平塚でした。
長く親しんだ街のオーケストラをようやく聴くことができたのも、昨年実家に帰ってきたからでした。

そんな思いを抱きながら聴く、2つの私の大好きな交響曲。
まったく個性の異なるふたつの作品を、しっかりと聴かせてくれた平塚フィルです。
ここまで見事な演奏になるとは思いませんでした。
オーケストラに敬意を表したいと思います。

爽やかなシベリウスは、3楽章に至ってだんだんと熱っぽくなって、見事なエンディングに至りました。
5番はやっぱり好きだな、とつくづく思います。

休憩後のブルックナーも誠意あふれる演奏で、奏者のみなさんが共感しながら演奏しているのがよくわかります。
平塚からは、丹沢連峰と大山が見渡せます。
山々と、湘南の海、自然にも恵まれた平塚でブルックナー。
新しいホールの鮮度高い響きは、過剰な響きがなく、木質感あふれる柔らかなもので、ブルックナーの音楽が響きに埋もれることなく、一音一音、和音のひとつひとつがよく聴き取れました。

田部井さんの熱意溢れる指揮もときおり小さなジャンプも交えつつ、とてもいいと思いました。
なによりも余計なことはせずに、ストレートに速めのテンポを維持しつつ聴かせてくれた。

見渡すと年配の方も多い聴き手のみなさん。
うつむく方はほとんどおらず、この2曲をしっかりと聴いておられました。
 
最後のシベリウスは暖かくも熱い小曲で、わたしも好きな作品。
ストリングスだけで進み、最後にティンパニが締めました。

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平塚といえば七夕。

シートの色にも仕掛けがありました。(気が付かなかったけど)

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コンサートが終了すると、左手奥の壁と窓がすべて解放され、目の前の広場が広がりました。

気持ちいいホールでした。

平塚には以前、平塚市民センターがあって、そちらが文化芸術の中心でしたが、老朽化から閉館し、この文化芸術ホール開館となりました。
中学生のとき、合唱団に入っていたので、地域の合唱コンクールの際は、かつての市民センターの舞台に立ちました。
上位入賞し、都内の虎ノ門ホールの関東大会まで進んだことも懐かしい思い出です。

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平塚駅。

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

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  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

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  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年2月14日 (木)

シベリウス 弦楽のためのロマンス ヤルヴィ指揮

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ちょっと前の梅の花。

赤坂の氷川神社。

いまはきっと満開。

このところ、仕事もふくめて、いろいろと気ぜわしくて、ブログ更新もままならず、さらに音楽をちゃんと聴く環境にもなかった・・・・

そんなとき、短くてもいい、癒される佳品をと思い、思いつくままに引っ張り出した1枚の、メイン曲のその余白。

涙が出てきた。

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  シベリウス 弦楽のためのロマンス op.42


      ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

           (1982.9.3 エーテボリ)


N・父・ヤルヴィが評価され、本格的に世に出た、BISレーベルからのシベリウス全集の2番の余白に入ってた曲。

テンポよく、スピーディーにすすむメインデッシュの2番よりは、なぜか、この楚々とした5分ぐらいの地味な作品が気に入ってました。

CD初期の、もう35年前の音盤。

週末に実家に帰り、週初めには都内の職場と、無味乾燥な安アパートに帰る日々。

そんな日曜の晩の、寝る前の刹那的なひと時。

これを聴いて、ウィスキーを一杯あおって、床に就く。

そんな若きいっときもありました。

 いまは、いろんな自由は得たけれど、他の縛りや逆行に囲まれた。

なにげなく、聴いた。

無意識に、かつての想いにとらわれ、チョイスした曲。

1番と2番のあいだあたりのこの作品。

切実な様相もありつつ、情熱にもあふれ、そして、悲しみのなかのやさしさを感じる。

さぁ、寝ましょう、という感覚も呼び覚ます、そんな効能あふれる曲でした。

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2017年11月11日 (土)

シベリウス 「クレルヴォ」交響曲 東京都交響楽団演奏会

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上野公園のイルミネーション。

コンサート後の、火照った心をクールに沈めてくれる。

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  東京都交響楽団第842回定期演奏会
  フィンランド独立100年記念

   シベリウス 「クレルヴォ交響曲」

          交響詩「フィンランディア」

     Ms:ニーナ・ケイテル

     Br:トゥオマス・プリシオ

  ハンヌ・リントゥ指揮 東京都交響楽団
               フィンランド・ポリテク男声合唱団
               合唱指揮:サーラ・アイッタクンプ

            (2017.11.8 東京文化会館)


シベリウス(1865~1957)の大作、クルルヴォ交響曲は、75分から80分もかかるうえ、フィンランド語による独唱と男声合唱を要することもあり、なかなか演奏機会に恵まれない。

フィンランド国、独立100年の記念行事の一環でもある、大いに意義に満ちたコンサートだったのであります。

簡単に、遠くても、親しみのある親日国フィンランドの歴史をざっくり紐解いてみる。
古代や先史時代はともかくとして、12世紀ごろにフィン人の国が形造られ、同時に隣国の強国スウェーデンとの葛藤も長く続き、やがて18世紀頃からは、ロシアの影響下におかれ、宗主国的な存在となる。
19世紀には、民族独立的な機運が芽生え、やがて1917年、ロシア革命に乗じて真の独立を果たす。

これが100年前。
そのあとも、ドイツ側について、ソ連との戦いになり、敗戦国ともなるが、東西からは巧みに一線を隔す存在になり、大らかな民主主義国家を貫いているが、近年は反ロシア的な動きで、NATO寄りに傾く政策を実施中・・・・とのこと。
前置き長いですが、愛国作曲家シベリウスの音楽を聴くうえで、そんなフィンランドの歴史を頭に置いておくことも肝要かと。

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「クレルヴォ交響曲」は、1891年、26歳のシベリウスがベルリンに留学中に、大叙事詩「カレワラ」のなかのクレルヴォにまつわる物語を素材に書き上げた劇的交響曲。

以前の自分のブログから、その物語の概略をここに引用します。

<戦いの英雄クレルヴォは、黄色い髪に青い眼のハンサムだった。あるとき森で出会った乙女に夢中になってしまい、思わず、こと、いたしてしまう。
ところが、自分の妹であったことがわかり、みずからの命を絶とうとする。
だが母親にいさめられ、思い直し、かつての父の敵を討つべく戦いに挑む。
はれて、戦に勝ち、クレルヴォはかつて妹と会った森の中で自決して果てる・・・。>

北欧の神話は、ともかくエグかったり、ぶっとんでたりしますが、ここでは、同じ北欧神話に素材を求めた「ニーベルングの指環」の結婚の女神フリッカ様が、プンプンとお怒りになる内容となっている。

Ⅰ「イントロダクション」、Ⅱ「クレルヴォの青春」、Ⅲ「クレルヴォと妹」、Ⅳ「クレルヴォ戦いに赴く」、Ⅴ「クレルヴォの死」の5楽章。

でも、物語の表層はそうであっても、そんなイケない色恋は、唯一第3楽章で、独唱によるクレルヴォと乙女の二重唱で表されるが、それもかなりシャープな音楽で、抗う乙女が序徐々にの夢心地に自分を語る部分だけがロマンティック。
妹と知ったクレルヴォが、痛恨の叫びをあげて悲嘆にくれる様は、ほんとに痛切。
スケルツォ的な4楽章が明るい基調なのを除けば、この作品は、全編、悲壮なムードに覆われている。
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こんなシベリウス若き日の渾身の作品を、リントゥの指揮のもと、都響は圧倒的なその力量でもって、弛緩することなく、緊張感にあふれた演奏でもって聴かせてくれた。

冒頭、沈鬱な雰囲気のなか、クレルヴォの主題ともとれる旋律があらわれ、その後の展開がかなり地味なところが、まだまだ若書きともとれ、聴き手もいきなりだれてしまうところ。
しかし、終盤、その主題が決然と出現して褐が入るわけだが、このあたりの起伏のつけ方は、指揮者の腕の見せ所で、あたたまりきらないオーケストラを奮い立たせたように思う。

緩徐楽章的な2楽章は、北欧を感じさせる、いかにもシベリウス的な音楽で、都響の弦の美しさを味わえましたし、展開部でのリズミカルな木管は、これまたシベリウスならではの様相で、曇り空にしばしの明るさが兆したように聞こえます。

曲の中心で、一番長い3楽章では、いよいよ男声合唱と独唱が入る。
フィンランド・ポリテク男声合唱団、サッと立ち上がり、歌い始めると、さらにホールの空気が北欧化。フィンランド語の語感も、意味はさっぱりながら、やっぱりネイティブは違うと思わせます。
クレルヴォと乙女との出会いを歌ったあと、メゾとバリトンの二重唱も交えて展開。
 バリトンのプリシオが、実に素晴らしくて、自分の系譜を語るところでの豊かな声の響きび魅せられたし、この楽章の最後の悲痛の歌声と厳しい感情の吐露では、こちらまで緊張してしまい苦しくなってしまった。
その後のリントゥの大きな指揮ぶりによる劇的なエンディングも痺れたし、聴き手の多くは、ここでほぼ、この演奏と音楽にのめり込むようになったと思う。
 ケイテルさんのメゾは、声質的に、もう少し軽い方がよかったし、若干届きにくいかとも思ったけれど、長いソロと、まるでR・シュトラウスを思い起こさせるような、素敵な木管の背景にも聴き入ることができましたよ。
しかし、合唱のときも、ソロのときも、オーケストラは全員、それを支えつつも、いろんな動きをしていて、大変なものだと思いつつ拝見し、さらに、そのすべてを俯瞰し、統括する指揮者って、ほんと凄いものだな、いまさらながらに思ったりもしました。。

続く戦いへの旅立ちは、これまでの緊張を、ちょっと紐解く明るさがあり、聴き手のわれわれも、牧歌風のなじみやすい旋律にちょっと一息といったところ。
長身のリントゥさんも、指揮台で弾むようにしてました。

終楽章では、ワタクシは痺れっぱなし。
死地を求めるクレルヴォの様子を歌う合唱に、オーケストラは静かに、そして徐々に力を増してゆく、クレルヴォの主題にまつわる旋律を奏でる。
この展開に、私はゾクゾクしてきて、感動に震えました。
 そしてオーケストラのユニゾンで、あの旋律が勇壮にして、忽然と奏されたとき、わたくしはもう、わなわなと震えるほどに。
あとの厳しい、壮絶なエンディングは、もう手に汗握りっぱなしで、合唱に、オーケストラに、そして渾身の指揮棒にと目が離せませんでした!

すべての音が鳴りやんだあと、拍手もおこらず、しばしの静寂。
しかし、そのあと盛大なブラボーと熱い拍手が巻き起こったのは言うまでもありません。

この曲ひとつでも十分なのに、せっかくの本場の男声合唱だから、そして、フィンランド独立を祝うにふさわしい曲、「フィンランディア」が高らかに演奏されました。
都響もタフです!
中間部のフィンランド賛歌を静かに、でも心の底から歌う合唱団のお顔は、どこか彼方を思いながら夢見るように見えて、とても素敵なものでした。

オケが去ったあと、合唱団が順番に舞台を後にしますが、われわれ聴衆は、立ち上がって、最後の一人まで拍手でお送りしました。
彼らも、われわれの思いが伝ったのでしょうか、手を振ってくれましたし、ホールを出るときに、再び出会った彼らも、本当にうれしそうにしてました。

素晴らしい演奏会でした

Bunka

 過去記事

 「デイヴィス&ロンドン響のクレルヴォ」


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2017年2月 4日 (土)

シベリウス 交響詩「タピオラ」 ハンニカイネン指揮

Hijiridai

最近行ってないので、過去の北海道ネタから。

本州では桜が咲いている頃、道内・美瑛あたり、雪が溶け始め、湖水の氷もなくなり始めた。

日本は南北に広い。

昨日あたり、南と北で、50℃も気温が違ったという。

 ここは、美瑛近郊の貯水湖で、車のなかからぱしゃりと撮影したもの。

寒くて、外には出られませんでしたよ。

今回も冬っぽい音楽を。

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      シベリウス 交響詩「タピオラ」 op112

     タウノ・ハンニカイネン指揮 ロンドン交響楽団

                       (1958 @ロンドン)

シベリウス、ほぼ最後の頃の作品。
1925年62歳で、「タピオラ」を仕上げたあと、1930年の最後の作品までは、楚々としたピアノ作品や、小品しか残さず、以来27年間、悠々たる隠遁生活を送った。

そんなシベリウスに、晩年の作品、とレッテルを貼るのはおかしなことだが、でも、そうとでもいいたくなるほどに、行き着いた到達境と、くみとり、尽しがたい味わいと内面の深さを感じることができる。
1年前に書かれた交響曲第7番の、究極の交響曲とも呼べそうな濃縮された音楽の在り方にも、相通じるかもしれない。

フィンランドの大叙事詩「カレワラ」は、シベリウスの音楽のひとつの源泉ともいえるが、この「タピオラ」もそう。

「カレワラ」に出てくる、森の神「タピオ」の領土が「タピオラ」。
ここに、タピオの物語が描かれるわけではなく、シベリウスが愛した、フィンランドの国土を代表とする風物、森をイメージしているわけです。

われわれが、フィンランドに対していだくのは、「森と湖の国」。

まさに、それを感じさせてくれる、神秘的で、かつクールな、ブルー系の音楽なのだ。
ちょっと晦渋な雰囲気も持ち合わせているけれど、何度も、噛みしめるように聴くと、す~っと、北欧の景色が脳裏に浮かんでくるようになる。

何度も繰り返される「森の主題」に、木管で繰り返される「タピオの主題」。
この、ともに寂しい感じの主題が絡み合いながら進行し、最後には、浄化されたような平和な和音にて曲を閉じる。

このあとに、大きな作品を残さなかったのも、このエンディングを聴くとわかるような気がする・・・・。

今日聴いたのは、前世紀末に生まれ、1968年に没したフィンランドの指揮者ハンニカイネンのもの。
少年時代に、日本コロンビアから続々と発売されたダイアモンド1000シリーズのなかの1枚で、そのいかにも北欧の孤独を感じさせる秀逸なジャケットが気になり、店頭で何度も手に取ったけれど、ついぞ買うことのなかった1枚。
 長じて、コンサートホールソサエティからCD化されたものを入手したのは、CD時代になって間もなくだった。

録音は決して、パッとしないけれど、カップリングのヴァイオリン協奏曲とともに、さりがねいなかにも、シベリウスの音楽の語法をしっかりと語りつくしているようなスルメのような演奏で、とても味わい深い。
ロンドン響を使いながらも、すこし褪せた録音が、また鄙びた雰囲気を醸し出していて、ローカル感もあるところもいい。

フィンランド政府の観光局のサイトを見ていたら、シベリウスの旅がしたくなりましたよ。

こちら→http://www.visitfinland.com/ja/kiji/sibelius-no-finland/

 

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2015年10月11日 (日)

神奈川フィルハーモニー第313回定期演奏会  川瀬賢太郎指揮

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暗く立ちこめる曇空の土曜日。

これから聴く、ショスタコーヴィチの音楽を先取りしたような気分で、みなとみらいホールに、この日は、横浜駅から歩いてみました。

またこの日は、横浜ジャズプロムナードという恒例催しが行われていて、街中で、ジャズが流れてましたよ。

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  ショスタコーヴィチ  交響詩「十月革命」 op131

               ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op77

        Vn:三浦 文彰

  シベリウス       交響曲第5番 変ホ長調 op82

     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                       (2015.10.10 みなとみらいホール)


ショスタコーヴィチ(1906~1975)没後40年、シベリウス(1865~1957)生誕150年。
ともにアニヴァーサリー作曲家ですが、同時に、ロシア→ソビエト連邦という巨大な国の元、または影響下にあったふたりなのです。
 ショスタコーヴィチは、巧みにその本音を隠しながらときにシニカルに、ときにあきれかえるほど露骨に、体制におもねり、そして批判を繰り返した。
そして、シベリウスは、圧政に対する、民族の誇りと祖国愛を歌い上げた。

そんな二人の音楽の対比を楽しめた素晴らしい演奏会でした。

①「十月革命」、交響曲でいえば、13番と14番の間にあるけれど、その時期のシリアスで内面的な作風とはうってかわって、あっけらかんとした、虚しささえ覚えるプロパガンダチックな音楽。
そんな15分間の音楽をCDではなく、ライブで聴くと、オーケストラの皆さんが、それこそ必死こいて演奏されているのを、そして川瀬さんの颯爽とした指揮ぶりを、拝見してるだけで、妙に興奮してしまいました。
神戸さんのティンパニの炸裂と、平尾さんのスネアの小見味よさを味わえました。
カッコいいし、ダイナミックなので、ちょっと爽快だけど、しかしまぁ、なんてヘンテコな曲でしょうか・・・・面白かったけど。
 思えば、10月革命にまつわる他の作品、2番と12番の交響曲とともに、曲作りは面白いけれど、内容的には、どうも虚無感がつきまとうように感じますね。

②チャイコフスキー、ベートーヴェンに次いで、3度目の三浦さんのヴァイオリン。
いつものとおり、ひがみじゃないけど、前髪が気になる(笑)
 それはそうと、こちらは、かなりシリアスな音楽で、交響曲でいえば、9番と10番の間。
まともに体制側から批判をされた時期、こっそり引っ込めてしまったこの因縁の作品を生で聴くのは初めて。
 夜想曲と題された夢想と沈滞を繰り返す第1楽章から、三浦さんの繊細で透明感あるヴァイオリンは、冴え渡ってます。
つぐ、スケルツォも鮮やかに決まり、オケとの掛け合いも楽しく、聴くわたくしもノリノリでしたよ。
 そして、古風で荘厳なたたずまいすら感じるパッサカリア楽章。
オケの背景も深刻極まりないものです。
 長大・超絶技巧のカデンツァでの、三浦さん。
この若者の集中力と気迫に圧倒されました。
ホールは静まり返り、一挺のヴァイオリンに聴衆の耳は釘付けとなりました。
 そして休むことなく突入するブルレスケには大興奮。
ショスタコの常套手段的な、無窮動ミュージックに完全に飲みこまれてしまいますが、それでも冷静かつ沈着な三浦さんの演奏姿には恐ろしいものがありました。
川瀬さんの指揮ぶりにも熱がこもってきて、怒涛のクライマックスを築き、さすがに前髪掻き乱れつつの三浦ヴァイオリンと息もつかせぬ壮絶エンディングとあいないりました
 ワタクシ、思わず、ブラボーしちゃいましたよ。

相変わらず、ショスタコを聴いたあとは、一体何だったんだろ、的な狐につままれた思いが去就するのですが、ともあれ、三浦さんのヴァイオリンは凄かった!

拍手に応えて、何度も登場するなか、三浦さんは手ぶら、川瀬さんはヴァイオリンを手に、ちゃっかり喝采を受ける茶目っ気のある指揮者に、会場は笑いに包まれました。

③休憩後は、シベリウス。
その田園的・牧歌的な雰囲気は、大好きです。
冒頭のホルン。前半のショスタコとうってかわったその音色と、音楽の雰囲気に、耳が浄化されるような思いです。
救いのないショスタコの聴後感が払拭されました。

あぁ、やっぱりシベリウスはいいわ~

透明感のある神奈川フィルならではの弦と、柔らかな木管、輝かしい金管、それが見事に溶け合ったシベリウス。
北欧の響き、ことに、かの地のオーケストラから感じる、突き抜けるような冷凛とした音とは対局にあるような柔らかなシベリウスに思いました。
日本人が演奏し、日本人が聴く、身近なシベリウス。
そして、神奈川フィルの聴き手にとってはハマのシベリウスでした。
 川瀬さんは、ことにオーケストラを抑え、各ソロが突出することも控えているように感じます。
最後に持ってくる曲としては、華やかな結末に欠けるこの5番を盛りあげるのは、なかなかに難しいこと。
もちろん音楽が創成され、自然豊かな野山を感じさせるようにクレッシェンドしていく第1楽章の鮮やかなエンディングには興奮しました。
そして、6つの途切れ途切れの和音で、最高のクライマックス築くのに、抑えに抑えた川瀬さんの音楽造りは、とても効果的です。
じわじわくるシベリウスの醍醐味を味わわせてくれたように思います。
 そして、間に挟まれた、それこそ田園風の第2楽章は、優しく可愛く、そして楽しい聴きものでした。

来シーズンは、1番と7番を、本場の大御所、親日家のオッコ・カムで聴ける神奈川フィル。
楽しみ極まりなし。

今回も、アフターコンサートは、個人的にお休みして、雨がポツポツし始めたMM21地区を抜けて横浜駅に向かいました。

Bayquater

ハマのシベリウスのあとのベイサイド。なんのこっちゃ。

さぁ、次回はコルンゴルトですよ

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2015年5月19日 (火)

茅ヶ崎交響楽団演奏会 永峰大輔指揮

Chigasaki

暑かった日曜日。

電話ボックスを撮ったワケじゃないけれど、なかなかいい角度でホールを俯瞰することができなかった。

ここは、茅ヶ崎市民文化会館。

都内を発して、茅ヶ崎へ下車し、茅ヶ崎交響楽団を聴いて、電車でちょっとの実家には寄らずに、千葉のお家へトンボ帰りして、用事をすませて、また都内へ戻るという、妙に慌ただしい相模湾・東京湾の旅でした。

でも、とても清々しい演奏会が聴けて、疲れなんて、少しも感じなかった日曜でしたね。

神奈川フィルの前副指揮者の永峰大輔さんが、茅ヶ崎のオケに客演すると聞きおよび、出かけたわけです。

子供時代、ハレの日の買物は、通常は平塚のデパートで、ときおり、藤沢か横浜。
そして、茅ヶ崎は、ディスカウントストアの走りのようなチェーン店、「ダイクマ」が駅近にあったので、釣り好きの父親とよく行ったもので、茅ヶ崎は、わたくしには、加山雄三や、のちのサザンではなく、ダイクマの印象が強いのです。

釣り具も豊富だったけれど、オーディオも妙に充実していて、ダイヤトーンのでっかいスピーカーで、メータ&ロスフィルの「ツァラトストラ」を鳴らしてもらって、堪能したのは中学生だった自分です。
そう、レコードもクラシックは、そこそこ置いてあったのですよ。

そんな音楽との出合いも、茅ヶ崎というと思い起こすこと。

前置きが長くなりましたが、茅ヶ崎で、アマオケとはいえ、本格的なプログラムによるコンサートを味わうとは、当時は思ってもみなかったことですね。

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  ヴェルディ     歌劇「ナブッコ」 序曲

  サン=サーンス  「アルジェリア」組曲

  シベリウス     交響曲第2番 ニ長調

             アンダンテ・フェスティーボ(アンコール)

       永峰 大輔 指揮  茅ヶ崎交響楽団

                    (2015.5.17 @茅ヶ崎市民文化会館)

どうです、なかなか意欲的な曲の並びでしょう。
生誕180年のサン=サーンス、同じく150年のシベリウス。

茅ヶ崎交響楽団は、1983年発足で、今回で63回目の定期演奏会を迎え、地元・茅ヶ崎に根差し積極的な活動をしている団体です。

そして、お馴染みの永峰さんの経歴をここでご案内しますと、洗足学園音大を経て、フランツ・リスト音楽院や、ドイツ北部のメクレンブルク学び、海外各地での経験も豊か。
首都圏・関西圏での活動のなかでは、2012年から務めた神奈川フィルの副指揮者として、多方面での活躍が、印象に新しいところです。
その間、ウクライナ、アトランタ、それぞれの指揮コンクールで、最優秀指揮者に選ばれていて、今後の活躍もますます期待される若手です。

ステージをよく見れば、神奈川フィルのおなじみのメンバーも発見♪

 冒頭にヴェルディの、イケイケ系の序曲を持ってきたのは正解ですね。
ただでさえ固くなりがちなコンサートのスタートに、オケも聴衆も、熱い歌で一気に、緊張もほぐれるというものです。

 次ぐサン=サーンスの曲は、実は初めて聴きました。
「アルジェを目指して」、「ムーア風狂詩曲」、「夕べの幻想 ブリダにて」、「フランス軍隊行進曲」の4曲からなる、まさに南国風かつ南欧風のエキゾチックなムードの曲です。
 この中では、砂漠のオアシスの熱い夜を思わせる、ムーディなヴィオラソロが入る3曲目が、曲も演奏も聴かせました。
最後の威勢のいい行進曲は、フランスの植民政策が背景にあったかの時代を思わせはしますが、ラ・マルセイエーズが寸どまり気味に顔を出して面白かったです。
演奏も、最後は、永峰さんのリズムさばきが見事で、軽快かつ盛り上がった演奏となりました。

後半は、シベリウスの大曲。
1と2楽章をアタッカでつなげて、3・4と連続する楽章との対比と、構成感を巧みに表出しました。
細かなところで、いろんなことは起こりますし、ありますが、ですが、演奏する皆さんの真剣さと、熱い思いが、ジワジワと滲み出てきて、感動を呼んだのが第2楽章。
 前日に聴いたヴァイオリン協奏曲でもそうですが、シベリウスの音楽は、緩徐楽章や静かな場面が、北欧ならではの我慢強さや、熱い信念、厳しい冬との対峙などを感じることが出来て、大好きです。
また、そこには、だれしもが思い描くことのできる、北欧フィンランドの森と湖の光景が、そのまま音になっていることを感じる。
 この楽章で、トランペットのソロが寂しさも感じられ、素敵でした。

そして、思いきり爽快だった終楽章。
みなさん、これまでの練習の成果と、これが最後だという思いからでしょう、気持ちよさそうに弾いてらっしゃるし、永峰さんも、楽員さんの思いをしっかり受けて、解放してゆくような指揮ぶりでした。
音楽には、力強さと、うねりも感じられ圧巻のエンディングです。

 アンコールは、渋いところで、弦楽だけの、これまたじっくりジワジワ感動が来る曲、「アンダンテ・フェスティーボ」。
桂曲・桂演、湘南の地に相応しい、爽やかな風、届きました。

終演後は、この日集まった、We Love神奈川フィルのメンバーとともに、楽屋口に、永峰さんを訪れ、ご挨拶いたしました。

神奈川と、千葉のアマオケも、これから要チェック。
そして、永峰さんとともに、その先代、伊藤翔さんも、神奈フィル・ファミリーとして、その活躍をお祈りするとともに、これからも、聴いて行きましょう。

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2015年5月18日 (月)

神奈川フィルハーモニー第309回定期演奏会  小泉和裕指揮

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16日、土曜のみなとみらいは、曇天でしたが、湿度が高くて、ちょっとむしました。

広場では、横浜出身の音楽ユニット、「コアラモード」が歌ってまして、握手会にたくさんの行列が。
前にも、彼女たちをここで見ましたが、人気も出てきて、人も集まるようになってきましたね。
彼らの曲は、「七色シンフォニー」という可愛い曲で、とても音楽的ですよ。

 さて、この日は、神奈川フィルの定期。

北欧の協奏曲とシンフォニーを聴きます。

Img

   シベリウス   ヴァイオリン協奏曲  ニ短調

             Vn:米元 響子

   ニールセン   交響曲第4番 「不滅」

      小泉 和裕 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.5.16 @みなとみらいホール)


ともに、今年生誕150年を迎える北欧のふたりの作曲家、フィンランドのシベリウスと、デンマークのニールセン。
その代表作を同時に味わえる、魅力的なコンサートでした。
ナイスプログラミングですね。

そして、両曲ともに、曲の真髄を堪能することのできた名演だった。

2007年のシュナイトさんとのブラームス以来の、米元さん。
彼女の、決してぶれることのない、強い意志に貫かれたヴァイオリンのひとつひとつの音色が、実に素晴らしい。
強い音から、繊細な弱音まで、音の幅の表出力が鮮やかで、どれひとつとして気持ちのこもっていない音はないように聴きました。

とりわけ、2楽章は、深々(しんしん)として、胸に迫ってくる感動を届けてくれました。
この協奏曲で、一番好きなのは、この楽章なのですが、オーケストラのクールな情熱のパレットを背景に、米元さんのヴァイオリンがしっとりと、そして、だんだんと熱くなってホールに響いてゆくのを、耳をそばだてて聴きました。
そして、不覚にも、涙ぐんでしまいました。
 この楽章で、応援メンバーの仲間Aさんも、ハンカチで涙をぬぐう姿を、わたくしは見逃しませんでしたよ!

この協奏曲では、小泉さんは、譜面を置かず、暗譜で指揮しました。
編成は、さほど大きくはありませんが、オーケストラは、いろんな仕掛けがあったり、リズムが難しかったり、そして大いに幻想的なものですから、以外と難しい曲なのです。
ソロもオーケストラも、小泉さんの指揮は、きっと安心できるものだったでしょうね。

いつも思うけれど、小泉さんは、指揮中、日本の足を絶対に動かさない。
しっかり地に足が着いてます。
そして、米元さんも、しっかり、動くことなく、きれいな立ち姿での演奏でした。

 後半は、ニールセン。
この曲を実演で聴くのは初めてかも。
CDでは、ラトルやベルグルンドが刷り込み。

オーケストラの編成は、ぐっと大きくなり、ティンパニが左右に別れて、二人の奏者が構える。
爆発的な出だしから、神奈川フィルのきらめくサウンドは全開で、次いで出てくる牧歌的な、いかにも北欧らしい場面も、このオーケストラならではの繊細さと優しい音色がぴたりときます。
 ニールセンの6つの交響曲は、それぞれに個性的で面白いけれど、どの曲にも通じるとっつきの悪さ。
晦渋さをも備えもった作品たちなのです。
4つの連続した楽章は、思えば至極古典的な構成で、最後の輝かしい集結に向かって、悲劇色や、緊張、そして柔和さも併せ持つ場面が続出します。

それらの流れを、小泉さんは、しっかりと把握したうえで、オーケストラを統率していた感があり、聴いていて、その流れがとてもよく理解できました。
 CDで聴くと、最後の最後ばかりに耳を奪われてしまい、それまでの経緯や過程が、どっかへいってしまうのですが、この日の演奏は、眼前で展開されるお馴染みのオーケストラの演奏ぶりと、安定の小泉さんの指揮により、曲全体を俯瞰するようにして、詳細な場面の積み上げを楽しむことができました。

深刻な3楽章には深いものを感じ、またバルトークのような響きとも思いました。
戦乱の不安も描かれたこの楽章。
さらに、のちのショスタコーヴィチをも思い起こしました。
その不安を一掃してしまう、ティンパニ協奏曲のような終楽章は、少し眠りに入りそうな観客の方々をも覚醒させる強烈なもの。
神戸さんの鮮やかさは、いつもの通り言うにおよばす、今回は、広響からの岡部さんの来演で、ふたりが張り合うかのような、すさまじいティンパニの殴打を聴かせてくれました。
これには、ホールは湧きましたね。
間髪いれずのブラボーは、フライングぎみでしたが、その思いも分からなくなありません。
 指揮者もオーケストラも、目いっぱいの熱演・秀演でした。

抜けるように美しい響きの神奈川フィルは、北欧音楽にも適性がばっちり。
ニールセンのほかの作品や、シベリウスの全作を、今後も取り上げて欲しいです。

6月は、フランスものと、オール・プッチーニ。
楽しみが止まりません。

Minatomirai20150516_a

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2015年4月19日 (日)

シベリウスの交響曲 お願いランキング

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だいぶ前になりますが、北海道の洞爺湖。

普通の日に通りかかったものですから、人っ子ひとりおりません。

静謐な動きのまったくない光景に、わたくしの頭のなかには、北欧、ことにシベリウス、それから英国の、こちらはディーリアスの音楽が静かに奏でられる思いでした。

今年、生誕150年(1865~1957)の、シベリウスの交響曲のランキング、ちゃちゃっとやっちゃいます。

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テレ朝の番組からお借りしたお願い戦士たちの画像に、恐れ多くも、シベリウスさまを。

7つの交響曲、いやその作品のほとんどを、60歳までに書き終えてのちは、沈黙と名声のうちに過ごしたシベリウス。

その残りの生涯に、作曲を継続していたら、いったいどんなに素晴らしい音楽が生まれていたことでしょう。
究極なまでに、凝縮された名作7番のあとの、8番を想像するだけで、震えがきます。

でもしかし、いまのわたくしたちは、7つの交響曲で、完結されたシベリウス像を享受しているわけで、その珠玉の作品たちに、感謝しなくてはなりませんね。

ランキングでは、交響曲を好きな順に、好きな演奏をあげてしまおうという企画です。

①交響曲第7番  短くてよろしい・・・
         じゃなくって、20分に凝縮された濃密さ
         人生、山あり谷あり
         ここにそのすべてが圧縮された感あり

    ・バルビローリ&ハレ管の気合いとエモーショナルな熱さ
     唸り声も音楽のうち
     最後のピーク時のホルンが実によろしい

②交響曲第4番  暗くたちこめた雲
         その中から光る輝きを垣間見るときの感動
         辛く厳しい毎日、人は所詮、孤独
         でもそんななかに、喜びや輝きを見いだす枯淡の境地
              
     ・ベルグルント&ヘルシンキの言葉少ないなかに音楽が語る演奏
      3楽章のラルゴで、音の断片がだんだんと形をなし、
      じわじわと熱くなっていくところでは、感涙必須

③交響曲第5番  明るく牧歌的
         随所に北欧の自然の息吹が
         エンディングの面白さもいつも楽しみ、気分爽快

      ・デイヴィス&ボストン響 ヨーロピアンな美しさ
       重厚さと軽やかさもあり
       小澤さん以外の指揮で聴いたボストンの魅力と底力
       端正ながら、これまた一本義の男の指揮、録音も極上
   
④交響曲第6番  渋くて、ミステリアス
         和音や調性の展開も異世界の感じ
         ほのかに浮かびあがる北欧の寂しい自然と人間
         ほんとは、もっと順位を上げたいところ
         突き抜けるような弦は、鼻孔を刺激するかのような冷涼感

      ・N・ヤルヴィ&エーテボリ響 同コンビが登場したCD初期
       本場のサウンドに狂喜した。
       さりげなくも、音の節々にシベリウスならでは語感が
       その音色はクールかつ、暖か。

⑤交響曲第1番  チャイコフスキーの流れのなかにある幻想味とロマン
         旋律は、情熱的で、儚く、美しく、そして悲しい。

      ・渡辺暁雄&ヘルシンキ 自分にとって懐かしの演奏
       FM東京の同団のシベリウスチクルスは、カム指揮とともに
       社会人生活初期の侘びしさまぎらす夜毎の糧となった
       この曲のよさをわからせてくれた忘れ難い演奏

⑥交響曲第3番  シンプル、古典的、楽想が可愛い。
         北欧のさわやかな春、1,2番の作風からの決裂
         4番への橋渡しを随所に感じ、孤独感も

      ・ザンデルリンク&ベルリン響 克明な刻みが旧東ドイツ
       木管のソロも美しい
       全体の様式美と、意外なまでのしなやかさもあり

⑦交響曲第2番
  一番有名な曲。
         通ぶってるわけじゃありませんが。
         子供の頃から、もう聴きすぎだ。
         かえって慣れてしまい過ぎて遠くに
         でも、聴けば聴いたで、やたらと感動する
         幻想的な1楽章と、じんわりの2楽章が好き。
            
      ・決められません。。強いてオーマンディか。
       でもやはり、セル&クリーヴランドかコンセルトヘボウか。
       いや、カム&ベルリンフィルも懐かしい、シュタインもいい。
       あとなんて言っても、バルビローリに、濃密バーンスタイン
       いやもう、どんな演奏でもいいし

ということで、いずれも普遍的な演奏ばかりになってしまいました。

歳を経て、シベリウスの交響曲への嗜好や想いも変わってきました。

この先は、もう変わらないかもしれません。

演奏も、ここにあげたのは大好きな演奏のほんの一例で、CD時代になって、全集が求めやすくなったものだから、全集をそろえて、それぞれの番号を、ときに応じて聴き分けることができてます。
バルビローリ、ザンデルリンク、ヤルヴィ、ベルグルンド、ブロムシュテット、セーゲルシュタム、ラトル、オーマンディ、新旧デイヴィスなどなど。
ヴァンスカと、サカリ・オラモ、カラヤンを今後聴かねばと思ってます。

Sibelius_barbi

心の琴線に触れるシベリウスの旅、のこりの人生もともに楽しみたいと思います。  

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