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2025年10月27日 (月)

J・シュトラウス 「こうもり」 カラヤン&ベーム

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秋の出雲大社相模分祠の手水舎。

神無月の10月なので、神様は出雲にお出まし中ですが・・・

名水の里、秦野市ですから、境内には龍蛇神の社があって、清らかな湧き水が流れ汲むことができます。

いまいる町は秦野に近いので、水はすべて秦野市内にいくつもある名水スポットから汲んできてます。
ともかく美味しい水です。

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2025年は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年の年。
そして、10月25日がその誕生日。

1975年の生誕150年もよく覚えていて、まだウィリー・ボスコフスキーが健在で、数々のライブ放送がFMで放送されたし、なんといってもベームがウィーフィルとやってきて記念碑的な演奏をいくつもNHKホールでやってくれた年だ。
そのなかには、ジュピターとシュトラウス作品集のコンサートもありました。

今宵は、ともにデッカ録音のウィーンフィルとカラヤンとベームの「こうもり」を久方ぶりに聴いてみました。
ウィーンフィルには伝説級のクレメンス・クラウス、以前もブログで書きましたプレヴィンなどの録音もありますが、60~70年代、ウィーンで人気を二分したふたりの巨匠、しかもデッカ録音ということで。
クライバーやボスコフスキーは、またの機会に。

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   J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:ヴァルデマール・クメント
   ロザリンデ:ヒルデ・ギューデン
   アデーレ:エリカ・ケート
   ファルケ:ワルター・ベリー
   フランク:エベールハルト・ヴェヒター
   オルロフスキー公:レジーナ・レズニック
   アルフレート:ジュゼッペ・ザンピエッリ
   ブリント:ペーター・クライン
   フロッシュ:エーリヒ・クンツ
   イーダ:ヘドヴィヒ・シューベルト

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
                  ウィーン国立歌劇場合唱団

  ガラ・パフォーマンス
    レナータ・テバルディ、フェルナンド・コレーナ
    ビルギット・ニルソン、マリオ・デル・モナコ
    テレサ・ベルガンサ、ジョン・サザーランド
    ユッシ・ビョルリンク、レオンティン・プライス
    ジュリエッタ・シミオナート、エットレ・バスティアニーニ
    リューバ・ヴェリッチュ

  ピロデューサー:ジョン・カルショウ、クリストファー:レイバーン
  エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムス・ブラウン

      (1960.6 @ゾフィエンザール、ウィーン)

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 J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:エベールハルト・ヴェヒター
   ロザリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
   アデーレ:レナーテ・ホルム
   ファルケ:ハインツ・ホレチェク
   フランク:エーリヒ・クンツ
   オルロフスキー公:ヴォルフガング・ヴィントガッセン

   アルフレート:ヴァルデマール・クメント
   ブリント:エーリヒ・クッヒャー
   フロッシュ:オットー・シェンク(映像)

   イーダ:シルヴァン・ラカン

  カール・ベーム指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
            ウィーン国立歌劇場合唱団

  プロデューサー:ジョン・モードラー
  エンジニア:ジェイムス・ロック、ゴードン・パリー

      (1971.11 @ゾフィエンザール、ウィーン)

10年を隔てたふたつの録音ですが、カラヤン盤はカルショウ率いるデッカのソニックステージの全盛期のもので、ウィーンフィルでゾフィエンザールといえば、カラヤンの一連のイタリアオペラ、ショルティのリングやシュトラウスなどが思い浮かびますね。
まさにそれらと同じく、レコードで視覚的な効果も再現するという、まさにレコード芸術を極めたもので、いま聴いてもそのリアリティは面白く、レコード時代には味わえなかった鮮明さも嬉しいものだ。
しかし、何度も聴くと飽きが来てしまうのも事実だろう。
このカラヤン盤の最大の特徴は、2幕の後半におかれたガラ・パフォーマンス。
11人のいまや伝説級の名歌手たちがまったく予想外のレパートリーを披露してくれる。
テバルディはメリー・ウィドウ、ニルソンはマイフェアレディ、デルモナコがナポリタン、ビョルリンクがレハールなどなど。
これらの豪華メドレーに、その場のパーティー会場の参加者たちはそれぞれに拍手喝采を送っていて、それらも一連の流れでよくできていてまさにリアル。
でもこれらは、この録音のためにその場で歌われたものではなく、音質も均一でないのでやや場違い管は否めず、日ごろ聴くには冗長だろう。
 カラヤン盤のプロデューサーとエンジニアの名前を見るだけでも、当時のデッカ録音の企画力と鮮やかな音がわかるというもの。
半世紀以上経過したいまも昨今のライブ録音とは別な次元でのリアル感ある素晴らしいものだと思います。

レコードを芸術に特化したカラヤン盤から10年後のベーム盤。
こちらはストイックなスタジオ録音で、おあそびはゼロで、登場人物たちのセリフも大幅カット。ガラ・パフォーマンスもなく「雷鳴と電光」のみ。
そうこちらは映像作品あり、その上質なサウンドトラックでもあります。
でも録音はデッカサウンドをしっかり踏襲していて極上であります。
そして、ベーム盤はやはり映像を見ないといけない。
どちらも楽しめるのがベーム盤のいいところ。

「カラヤン盤」

60年代のキリリと引き締まったカラヤンならではの演奏。
しかもウィーンフィルの当時の美質が満載で、まだまだローカル感もほどよくあり、いわゆるウィーン訛りも聴かれるオーケストラだ。
EMIのフィルハーモニアとの旧盤の方が世評は高いようだが、私は未聴。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督として在籍した時代、59年アイーダ、60年こうもり、61年オテロ、62年トスカ、63年カルメンと毎年ウィーンフィルとオペラ録音を重ねたカラヤン。
その後はスカラ座、さらにはベルリンフィルとオペラ録音をするようになり、ウィーンフィルとのオペラ録音は74年の蝶々さんまで間が空くことになりました。
いろんな時代のカラヤンのオペラのなかで、60年代がいちばんカラヤンらしく、指揮者中心のオペラでなく、歌手もオーケストラも対等にある総合芸術としてバランスがいいと思う。
歌いまわしの巧さ、キレの良さ、なによりも若々しい表情が魅力で、そこにウィーフィルの音色もプラスされます。
録音の良さも前述のとおり。

歌手に関しては、やや古めかしいと感じる声も散見されるが、なんといっても懐かしい名前ばかりで、まさにウィーンで日頃歌っていた日常の名歌手たちによる歌唱で、チームワークもばっちり。
ギューデンの声の美しさはすばらしく、エリカ・ケートも可愛い、がしかし、いずれも今の歌手たちの歌唱に慣れた耳からするとやや時代を感じさせもする。
クメントとヴェヒターは、ベーム盤でも役柄を変えて登場していて、ともに「ウィーンのこうもり」にはなくてはならない存在だった。
手持ちのCDは、CD初期の西ドイツ原盤だが、最新のリマスターでも聴いてみたいと思う。
とくに賑やかで晴れやかなガラ・パフォーマンスのシーンは刷新された音質で聴いてみたい。

「ベーム盤」

セリフのないぶん、音楽のみに浸ることができ、その結果、シュトラウスのこのオペレッタがメロディーの宝庫とわかる。
汲めども尽きぬ、美しく楽しい音楽。
そして巧みに素敵なアリアが挿入され、それらが実に心ニクイほどによく書けてて、思わず口ずさみたくなるものばかりときた。
このあたりを生まれたばかりの音楽のように鮮やかに演奏してみせたのがクライバーということになるだろう。

ベームの音楽は、決して四角四面のものでなく、またこの時期は覇気にもあふれていたので活気あふれるものです。
さすがに跳ねるようなリズムや、カラヤンのような歌いまわしの巧さなどはありませんが、オペラ的な感興にあふれていて雰囲気豊かです。

歌手たちは、70年代ともなると、自分にはお馴染みの顔ぶれとなり、実際に聴いたこともある名歌手も混じってます。
このあたりが、いにしえ感を感じさせるカラヤンの60年代メンバーと違うところ。
そしてやはり、この時期にウィーンでこうもりを歌っていた常連ばかりで、クンツ、ホレチェク、ホルムはまさにウィーンでの、そしてお馴染みのシェンク演出の常連だった。
そしてこの3人の芸達者ぶりが実に見事なものでした。
あとなんといっても、ヘルデンテノールのヴィントガッセンのオルロフスキー公が愉快だし、まさにあのヴィントガッセンそのものの声で大真面目に歌っている。
その真面目さが逆に滑稽の域に達していて、どこかかったるそうにしているところが聴きもの。
トリスタンを歌うヴィントガッセンに、クルヴェナールを歌うウィーンのカヴァリエバリトンのヴェヒターという組み合わせも妙なる面白さ。
まだまだ若々しいヴェヒターのアイゼンシュタインは、テノールで歌われる同役を器用に、巧みな技巧であくまで自然に歌っていて素晴らしい。
素晴らしついでに、ヤノヴィッツの硬質だけれど美声のロザリンデもこの役の理想形でありました。

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音楽にみを納めたCDは、先に書いた通り、音楽の良さが素直に味わえるのですが、一方でセリフがなく、間がなさすぎることや、ドラマとして真剣に考えると唐突な展開にすぎると言えるかもしれない。
そのうえで、連続して何年振りかでDVDを視聴してみると、これがまた実に面白かったし、実によく出来てる。
舞台でなく、映画のセットでの映像であるだけに、細部にいたるまで完璧だし、豪華絢爛で、ヨーロッパのこの時代の贅沢三昧の人々の生活の上澄みを味わうこともできる。
具象的なシェンクの演出もこうした作品では文句ないし、そのシェンクが愉快なフロッシュ役でドタバタ演技をしているのも楽しい。
 序曲ではベームとウィーフィルの演奏もそのまま収録されていて、この時期のウィーフィルのお馴染みの面々が確認できたりする。
最後にヴィントガッセンはCDで聴くより、こちらの映像の方が数十倍も面白いデス!

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じつは「こうもり」は、劇場で観劇したことがありません。

始終やってるからまあいいや、と思っているうちにお爺さんになってしまった(笑)

神奈川フィルのコンサートオペラでやったらウケると思うんだけど。

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2025年5月 5日 (月)

ハイドン オラトリオ「四季」 ベーム指揮

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四季の珈琲☕

季節の変わり目ごとに販売される珈琲のパッケージが素敵なのでした。

小川珈琲が出している商品で、いまはどこのスーパーにも売ってます。

毎朝、コーヒーはかかさないものですから、毎日の楽しみです。

季節に応じて産地やブレンドで味わいも替えてます。

春:やわらかい香りとやさしい甘さを活かした軽やかな風味

夏:爽やかな香りとクリアな酸味を活かしたすっきりとした風味

秋:華やかな香りとやわらかな甘さを活かしたまろやかな風味

冬:芳醇な香りとなめらかな口当たりを活かしたしっかりとした風味

今週から、コーヒーコーナーには、早くも「夏」風味が登場してましたね。
次はもう「秋」かぁ・・・・
季節の切りかえ、進みは年々早くなる。

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  ハイドン オラトリオ「四季」 Hob.XXI-3

     ハンネ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

     ルーカス:ペーター・シュライヤー

     シモン:マルッティ・タルヴェラ

   カール・ベーム指揮 ウィーン交響楽団
             ウィーン楽友協会合唱団

        (1967.4 @ムジークフェライン、ウィーン)

             ※(ジャケットはネットからの借り物です)

四季を描いた音楽はヴィヴァルディがいちばん高名ですが、声楽作品としてはハイドンが随一。
「天地創造」の方に演奏機会の頻度において歩があるが、どちらもハイドンならではのおおらかさとユニークな描写性があり、音楽を心置きなく聴くという楽しみを与えてくれます。

ハイドンには多数のミサ曲があり、オラトリオは2大作品のほか、昨今取り上げられるようになった「トビアの帰還」、諸バージョンのある「十字架上の最後の7つの言葉」などもあります。
1809年、77歳で没するハイドンですが、67~69歳で作曲された「四季」は、ほぼ最後の活動時期の大作となりました。
エステルハージの学長に返り咲き、最後の15年をウィーンで過ごすのですが、そこでは体力と意欲の減退に悩まされ、作品数も限られ、この「四季」のあと、すっかり病弱になってしまったと伝えられている。
全霊をかけたハイドンの「四季」、音楽はそんな緊張感は感じさないところがすばらしく、かつプロフェッショナルなハイドンに感嘆すら覚えます。

J・トムソンというスコットランドの詩人の同名の詩集をスヴィーデン男爵が台本化したものに作曲。
このスヴィーデンさん、よく出てくる名前ですが、本職は役人で、ベートーヴェンが1番の交響曲を献呈していたり、また晩年もモーツァルトを支援したり編曲の依頼などもしているほか、自ら作曲もそこそこに行っている。
やはり、こうした人物が影にあってこそ、古典の時代の音楽がしっかり残されたというわけでしょう。
 一方の原詩の作者であるトムソンさんも、なかなかの人物で、当時のスコットランド~大英帝国にあって、奴隷制廃止をモットーにしていたようで、この「四季」における農民たちの尊き労働の姿、人間と自然の描写など、その目線におおきくうなずけるものがあります。

各季30分ぐらいの長さで、CDにも2枚でちょうど収まる長さ。
農夫親娘、その恋人の3人のソロ、村人、農夫たち、狩人、その他無人格の合唱、こうした編成で繰り広げられる2時間の自然や生活の賛歌。
ヨーロッパののどかな、よき時代を聴きながら思い起こすこともできます。

【春】
荘厳かつ厳粛な出だしを持つが、冬が去って春きたる、まさに喜びにあふれたウキウキ感まんさいの春。
シモンであるバスの独唱による94番の驚愕交響曲の旋律に乗った農作業の始まりの喜びの歌、ここばかりが始めて聴いた中学生の自分には楽しかったという思い出がある。
カラヤンのレコードが出た時にFMで聴いたのが初です。
各季節の終わりには神への賛美や感謝の場面がありますが、春での喜びの爆発は晴れやかです。

【夏】
農夫たちの夏の朝は早い。
ホルンによる夜明けと日の出の表現は、さわやかで気持ちがいい。
輝かしい太陽の輝き、眩しい暑さ、一方でソプラノのハンネは木陰や小川の素晴らしさも涼やかに歌う。
そして夏は天候も急変、嵐が近づくさまも合唱で劇的に描かれ、その嵐のあとの平和と回復のありがたさも歌われる。
小鳥の鳴き声やコオロギ、鐘の音なども巧みに描写され、微笑ましいのです。

【秋】
あまねく人間にとっての実りの秋、春に花をさかせ、夏には成長し、秋には実りをもたらす、とこれまでを回顧しつつ、3人と合唱は喜びを讃えつつ、これまでの努力も肯定的に歌う。
お互いの名前を呼び合う恋人たちふたりの二重唱も愛らしく、喜びに満ちてる。
収穫とともに、狩りの成果もあがる。シモンは狩りの様子を緊張感とともに歌い、銃声が太鼓で鳴る。
農民と狩人たちはラッパが高鳴り興奮する、高鳴るホルンは、「魔弾の射手」の先駆けか、実に見事な音楽だ。
さあ、宴の始まり、新しい葡萄酒ができた!愉快な掛け声も楽しく、歓喜の合唱はとどまることなく、陽気なダンスもあり底抜けに明るいのだ。

【冬】
秋のどんちゃん騒ぎから一転、どんよりとした曇り空が立ち込める雰囲気で、ハイドンの筆致も冴える。
独唱たちは、さんざん周辺の厳しい環境を列挙し、冬の旅よろしく、旅人になりきって街を行く様子を歌う。
そこで目にしたのは、暖かい部屋と人々の団らん。
村娘とハンナは、糸車を回して紬物を結い、求婚者への思いも歌う。
さらにハンナは貴族の求婚のたとえ話と、戒めを歌にして、その清らかな思いも語って村娘たちの喝采を得る。
父シモンは、これまでの3シーズンで贅沢にふけったことの戒めを娘と同じように歌い、徳を大切にと説き、最後の合唱へと導く。
春への希望と神への信頼と感謝を歌うのでした。

4つの季節を真面目に生きる人々の喜びと愛、また次の年もめぐりくることへの期待と感謝。
実に見事に作られた作品だと思います。

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先にあげたカラヤン盤は実はまともに聴いてなく、音盤も持ってません。
手持ちのベーム、マリナー、ガーディナーの3種から、やはり一番よく聴いたベーム盤を。

70歳を超えて最充実期にあったベームのハリのある音楽造りは、ときに厳しい表情も見せますが、ウィーンフィルほどに柔和にすぎないウィーン響のナチュラルな響きも手伝ってか、豊かなサウンドをともなって劇場的でもあり、歌謡性にも富んでます。
 録音年の67年といえば、その前年からバイロイトでリングを指揮していたし、トリスタンもロングランで上演中だった頃。
レコーディングでもモーツァルトの一連のオペラなどもこの頃。
凝縮した響きで古典音楽もワーグナーも明晰に演奏をしていたこの頃のベームならではのハイドンかとも思います。
この頃はDGはウィーンフィルを自由に使えなかったはずだし、ベルリンフィルはカラヤンがいて難しかった。
ウィーン響でよかったともいえるが、思えばウィーン響とは不思議なオーケストラです。
カラヤンのあとを受けて、この頃はサヴァリッシュが首席指揮者だったが、そのサヴァリッシュの元では清新な現代的なサウンドのなかに、ウィーンの響きを聴かせていた。
しかしベームが指揮すると、ウィーン訛りも出てきて、ちょっとひなびた音色が優るようになるのを他の映像作品などで感じていました。
60年代に、ベルリンフィルでは無理だったが、ベームには、このウィーン響とベートーヴェン全集を残して欲しかった。
学友協会合唱団も引き締まった充実ぶりでしたね。

ベームのトリスタンで、マルケ王と水夫を歌っていた二人、タルヴェラとシュライヤー。
あとこの年にカラヤンのワルキューレでジークリンデを歌うヤノヴィッツ。
ワーグナーやドイツオペラ、歌曲で大活躍だった3人の歌手がいずれも素晴らしいと思います。
無垢なる声のヤノヴィッツにはまいど癒されます。
まっすぐの声で正確な歌唱でありながら、味わいもあるシュライヤー。
小回りがきかず、お人よし感満載のタルヴェラにベリーやFDのような巧さはないけれど、各種ワーグナーの歌唱にはない豊穣なコクのような声を感じる。
いまやみんな亡くなってしまい、ヤノヴィッツ(1937~)のみがご健在。
懐かしい歌声に、いつまでもお元気で、と祈念する思いです。
最後にDGのこのウィーン録音、とても音がいいです。
すべてが自然で音楽に気持ちよくひたることができます。

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ハイドンの生まれたニーダーオイスタライヒ州にある「ローラウ」という街。
6歳まで過ごし、その後学校に通うため、もう少し北にある都市の寄宿舎に移住、さらにすぐにウィーンに。

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グーグル先生でいまは博物館となっているハイドンの生家を調べてみました。
湿地や小川が多く自然あふれるローラウ、近くに教会もあり、少し行けば広大な農地が広がってます。
ハイドンはずっとのちに、ロンドンから帰ってきて、郷里を訪問して懐かしんだといいますが、ちょうどこのオラトリオの作曲の頃。
マップで郊外も見てみましょう。

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なんということでしょう。
おびただしい本数の風力発電の風車が・・・
風の抜けもよいのでしょう。
ヨーロッパの多くの郊外にはこんな光景があると思われ、はたしてそれはecoなんだろうか?と思います。
この殺伐とした景色と、案外と騒音を出す風車の音にハイドンもびっくりでしょうよ・・・

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ふだんは、5月の連休あたりが盛りとなる「藤の花」。

年々、開花が早くなってますし、咲いたらあっというまにしおれてしまう刹那的な寂しさがあるのも桜と同じかも。

季節は夏に向けてまっしぐらな感じです。

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2023年10月 7日 (土)

ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏

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暑さは去り、秋が来た。

しかし、秋は駆け足です。

彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。

秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。

ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。

とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。

ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。

今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。

私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス

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  ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.5.5,6 @ムジークフェライン)

伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。

日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。

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     ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73

 ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.12.13,15 @ミュンヘン)

74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。

この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

        (1970.5 @コンセルトヘボウ)

若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。

このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。

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  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98

 クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

         (1972.3.8 @ルカ教会)

ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。

ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。

それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。

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ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。

ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。

4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。

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2023年9月16日 (土)

「ベームのリング」発売50周年

バイロイト音楽祭は終了し、暑さも残りつつも、季節は秋へと歩みを進めてます。

今年のバイロイトは、新味と味気のない「パルジファル」の新演出で幕を開け、昨年激しいブーイングに包まれたチャチでテレビ画面で見るに限る「リング」、チェルニアコフにしては焦点ががいまいちの「オランダ人」、安心感あふれる普通の「トリスタン」、オモシロさを通り越してみんなが味わいを楽しむようになった「タンホイザー」などが上演された。

でも、音楽面での充実は、暑さやコ〇ナの影響による配役の変更があったにせよ、極めて充実していたと思います。
指揮者で一番光ったのは、タンホイザーを指揮したナタリー・シュトッツマンでドラマに即した緩急自在、表現力あふれる生きのいい演奏でした。
次いで、カサドの明晰で張りのあるパルジファルというところか。
コ〇ナ順延と自身の感染で、2年もお預けとなり初年度にして最後となってしまったインキネンのリングは、正直イマイチと思った。
気の毒すぎて、本来3年目にして最良の結果を出すところだったのに。
来年はジョルダンに交代となってしまう。

悲しいニュースとしては、体調不良で音楽祭開始前に出演キャンセルをしたステファン・グールドが、音楽祭終了と同時に胆管癌であることを発表し、余命も刻まれていることを公表したこと。
世界中のワーグナー好きがショックを受けました。
タフなグールドさん、ご本復を願ってやみません。

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1973年の7月30日、世界同時に「ベームのリング」が発売されました。

今年は、それから50年。

思えば、このリングのレコードを入手したことから、ワーグナーにさらにのめり込み、好きな作曲家はまっさきに「ワーグナー」というようになった自分の原点ともいうべき出来事だったのです。

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72年頃から、NHKのバイロイト放送を聴きだし、その年に初めてのワーグナーのレコードとして、「ベームのトリスタン」を購入。
その秋には、レコ芸のホルスト・シュタインのインタビューで、66・67年の「ベームのリング」が発売されるという情報を得る。
翌73年夏、ヤマハからパンフレットと予約のハガキを送ってもらい、親と親戚を説得して購入の同意を獲得。
待ちにまった「ベームのリング」が父親が銀座のヤマハから運んできてくれたのが8月1日。

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分厚い真っ赤な布張りのカートンケースは、ずしりと重く、両手で抱えないと持てないくらいの重厚さ。

中蓋には手書きで愛蔵家のシリアルナンバーがふられてました。

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この番号、いまならパスワードにして生涯使いたいくらいです。

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ボックスの中には、4つの楽劇がカートンボックスに納められ入ってました。

4つのカートンには、それぞれ対訳と詳細なる解説が盛りだくさんの分厚いリブレットが挿入。

舞台写真や歌手たちの写真、ベーム、ヴィーラントの写真もたくさん。

これを日々読み返し、新バイロイト様式による舞台がどんな風だったか、想像を逞しくしていたものでした。

ときにわたくし、中学3年生の夏でした。

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解説書の表紙にもヴィーラント・ワーグナーの舞台の写真が。
なにもありませんね、いまの饒舌すぎる舞台からするとシンプル極まりない。
音楽と簡潔な演技に集中するしかない演出。

そうして育んできた私のワーグナー好きとしての音楽道、ワーグナーはおのずとベームが指標となり、耳から馴染んだ音響としてのバイロイト祝祭劇場の響き、そして見てもないのに写真から入った簡潔な舞台と演出、それぞれが自分のワーグナーの基準みたいなものになっていったと思います。

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ヴィーラント・ワーグナーとベーム博士。

戦後のバイロイトの復興においては、このふたりと、クナッパーツブッシュ、カイルベルトをおいては語れない。
いまのように映像作品も残せるような時代だったらどんなによかっただろうと思う。
映像でワーグナーの舞台が残されるようになったのは、バイロイトではシェロー以降だが、そもそもいまでは普通の感覚となった、あの当時では革命的であったシェロー演出も、ヴィーラントとウォルフガンク兄弟の興した新バイロイトがあってのもの。

そもそもヴィーラント・ワーグナー(1917~1966)が早逝していなければ、その後、外部演出家に頼るようになったバイロイトがどうなっていただろうか。
祖父の血を引く天才肌だっただけに50前にしての死は、ほんとうに残念でなりません。

「ベームのリング」は66年と67年のライブ録音ですが、このヴィーラント演出は1965年がプリミエで、全部をベームが指揮。
66年は1回目をベームが指揮し、残りの2回をスウィトナーが担当。
67年には、ベームはワルキューレと黄昏の1,2回目のみを指揮してあとは全部スウィトナー。
こんななかで、2年にわたるライブが録られたことになります。
68年には、マゼールに引き継がれ69年にはヴィーラント演出は終了してます。

ヴィーラントの死は、1966年10月ですが、その年の音楽祭が始まる頃には、ヴィーラントはすでに入院していて、だいぶよくないとの噂で、バイロイトの街も沈んでいたといいます。(愛読書:テュアリング著「新バイロイト」)
そんな雰囲気のなかで始まった66年のリング、「ラインの黄金」と「ジークフリート」はともに初日の録音。
みなぎる緊張感と張りのある演奏は、こんな空気感のなかで行われました。
同時に、「ベームのトリスタン」も同じ年です。

ついで67年は、ヴィーラント亡きあと、ウォルフガンク・ワーグナーに託されたバイロイトの緊張感がまたこれらの録音に詰まっていると思います。
演出補助は、レーマンとホッターが行っていて、ベームはワルキューレと黄昏のみに専念。
2年間に渡る録音で、ベストチョイスの歌手が統一して歌っているのも、このリングの強みでしょう。
ダブルキャストで、ウォータンを66年にはホッターが歌っているのが気になるところですが、通しで統一されたのは、ショルティやカラヤンよりも一気に演奏されたベーム盤の強みです。

指揮者の招聘にもこだわりをみせたヴィーラントは、その簡潔で象徴的な舞台に合うような、「地中海的な精神の明晰をもって明るく照らし出すことのできる指揮者」、曇りのない音楽を求めたものといわれる。
サヴァリッシュやクリュイタンスがその典型で、モーツァルトの眼鏡でワーグナーを演奏するとしたベームもそうだろう。
その意味でのスウィトナーがベームとリングを分担しあったのもよくわかることです。
さらに、ブーレーズに目を付け、ついに66年に登場したものの、ヴィーラントはすでに病床にあったのは悲しいことです。

モーツァルトとシュトラウスの専門家のように思われていた当時のベームは、20年ぶりに指揮をしたという65年のバイロイトのリングで、これまでのワーグナー演奏にあったロマン主義的な神秘感や情念といったものをそぎ落とし、古典的な簡潔さとピュアな音、そこにある人間ドラマとしての音楽劇にのみ集中したんだと思う。
そんななかでの、ライブならではの高揚感がみなぎっているのもベームならです。
ヴィーラント・ワーグナーの演出ともこの点で共感しあうものだったろうし、象徴的な舞台のなかで音楽そのものの持つ力を、きっと観劇した方はいやというほどに受けとめたに違いない。
いま、ほんとにそれを観てみたい。

過剰で、いろんなものを盛り込み、自己満足的な演出の多い昨今。
みながら、あれこれ詮索しつつ、その意味をさぐりつつ、いつのまにか音楽が二の次になってしまう。
映像で観ることを意識した演出ばかりの昨今。
ワーグナーの演出、しいてはオペラの演出に未来はあるのか?
突き詰めたベームのワーグナーを聴きながら、またもやそんなことを考えた。

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タイムマシンがあれば、あの時代のバイロイトにワープしてみたいもの。

不満をつのらせつつも、行くこともきっとない来年のバイロイトに期待し、ワーグナーの新譜や放送に目を光らせ、膨大な音源を日々眺めつつニヤける自分がいるのでした。

それにしても、スウィトナーのリングもちゃんと録音して欲しかった。

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2020年10月16日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 ベーム指揮

Yellow

黄色い彼岸花。

White

白い彼岸花。

今年の彼岸花は、赤ばかりでなく、白と黄色も各所で見ることができました。
1週間ぐらいで枯れちゃう、儚い花でもあります。
秋は短し。

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  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

            (1975.3.19 @NHKホール)

伝説のベーム&ウィーンフィルのNHKホールでの名演を、もしかしたら40年ぶりくらいに聴く。
少しまえに入手したCD。
高校生だったあの頃、NHKが生放送でFM中継をしてくれたので、そのずべてを必死にカセットテープに収めました。
驚くほどの生々しい高音質で、エアチェックの喜悦に浸る日々でした。
プログラムは4つ。

①ベートーヴェン 4番・7番 (両国国歌演奏あり)
②ベートーヴェン レオノーレ3番 火の鳥 ブラームス1番
③シューベルト 未完成・グレート
④モーツァルト ジュピター / ウィンナワルツ

大切にしてきたカセットを、自家用CD化にしようとしたが、驚くべきことに②と④が紛失。
でもどこかにあるはずなんだけど・・・・

この公演は、NHK招聘ということもあり、大人気で、チケットは往復はがきで申し込む抽選スタイル。
ワタクシは、全部はずれ、でも当然に(?)ムーテイ様だけ当選。
若獅子ムーティの新世界を聴くことができました(アンコールの運命の力が絶品だった)。

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ライブで燃えるベームは、バイロイトの録音で多くのファンが知っていたけど、このときの来日ほど、聴衆を熱狂させた公演は日本でもあまりないのでは。
体をちょっと上下して、ぴょんぴょんしつつ、目を引んむくようにしてオーケストラに迫るベーム。
お馴染みのベテランも、若い奏者も、みんな必死に指揮にくらいつくウィーンフィル。
ともに、手抜きなしの、火花散る真剣勝負。
テレビに大写しにされたベームの形相を今でも忘れられない。

ベームとウィーンフィルは、このあと77年と80年にも来日しているが、身体・気力ともに充実していたのは、やはり75年の来日公演。
ベームは、63年のベルリン・ドイツ・オペラとの来日以来。
そして、ウィーンフィルは、いまなら毎年来てて、当たり前になったけど、この75年の日本への来日はまだ5度目。
そんなことで、大人気を呼び、先に書いた通り抽選に当たるなんて、とんでもなくラッキーなことだった。
いまでも、悔しい!!(笑)

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ほんと久しぶりに聴いたNHKホールでの演奏。
さすがに手持ちのカセット音源とは大違いで、あの時の実況放送に近いし、もう少し柔らかくなっている気がするし、とうてい45年前の録音とは思えない生々しさもあのときのまま。

演奏はもちろん素晴らしい。
巨大な歩みの第1楽章。
以外にテンポよく、歌にのめりこむことなく進む第2楽章は、いかにもべーム博士だ。
推進力豊かに、意外なほどにリズム感あふれる3楽章と終楽章。
特にジワジワと高まる終楽章の流れは、やはり興奮誘うもの。

ウィーンフィルの柔らかな音色、木管やホルンの特徴豊かな響きもこの時代ならではで、いまでは少しばかり遠のいてしまったウィーンの音がここに聴かれるのも、あらためてうれしく感じます。

あのとき、自分も若かったなぁ・・・

少し前にオイルショックはあったけれど、レコード業界は大盛況で、歌手以外で俯瞰すると、DGからは、ベームとウィーンフィル、カラヤンとベルリンフィルがしのぎを削っていたし、小澤&ボストン、アバド、バレンボイム、クーベリック、ポリーニ、アルゲリッチ、リヒター、エッシェンバッハ、などなど。
そこに登場したクライバーがやたらと新鮮だった。
デッカはショルテイ&シカゴ、メータ&ロスフィル、マゼール&クリーヴランドア、シュケナージ。
EMIは、プレヴィン&LSOのフレッシュコンビに、ケンペ、ヨッフム、サヴァリッシュ、マルティノンのいぶし銀ラインナップ。
フィリップスでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ、デイヴィス&ロンドンのオケ+ボストン、コンセルトヘボウ、マリナー&アカデミー、シェリング、アラウ、ブレンデル。
CBSは、バーンスタン、ブーレーズ、スターンで、ビクターは、旧メロディア系のソ連の演奏者に強かった。

 ともかくレーベルはたくさんあって、みんなそれぞれに、特徴があって、競争も激しかった。
繰り返しますが、なんていい時代だったんだろ。
毎月、こうしたアーティストたちの新譜が、続々と発売される
 こんな時代へのノスタルジーが、もしかしたら、自分の音楽ライフの根源の一部かと思ったりしてます。

その最たるモニュメントが、75年のウィーンフィルだったのかもしれません。
ベームをFMとテレビで視聴しつくし、俊敏な若きムーティの実演にも接した経験が、いまでも自分の音楽ライフに大きな影響を与えたものだと確信してます。

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いつ、ぽっくり逝ってもいいように、こうした音源や記録は、秩序だって整理しておこうと思います。
でも誰がそれを受け継ぐんだろ。
なんの得にもならないけれど、この先の短い人生、悩みは尽きないのであります。

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最後に、赤いの。

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2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

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東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

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ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

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ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

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ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

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今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

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2018年2月24日 (土)

高崎保男先生を偲んで

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最後まで残っていた冬のイルミネーションですが、バレンタインの終わった週末を限りに、こちらも終了してしまいました。

このあたりは、旧薩摩藩の敷地で、幕末の出来事と所縁のある場所。
ビルの立ち並ぶエリアに、ぽつんと、勝海舟と西郷隆盛の会ったところ、などの表示があったりします。

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音楽評論家の高崎保男先生が、12月にお亡くなりなっていたそうです。

レコード芸術で、目立たぬように静かに記事になっていました。

故人のご遺志とのこと。

近年、ただでさえ、オペラの新譜が、ことに国内盤ではまったく発売されなくなり、レコ芸オペラ担当の、高崎さんの名評論がまったく読むことができなくなっていた。
しかし、ときおり出るソロCDなどで、今度は高崎先生の名前が見られなくなっていたので、ちょっと心配をしておりました。

そして、この訃報。

静かに去られた高崎先生。

わたくしが生まれて間もないころからずっとレコ芸のオペラ担当をされていらっしゃいました。
わたくしがオペラが好きになったのも、それから、クラウディオ・アバドが大好きになったのも、高崎先生の数々の文章があってのもの。

心に残るいくつかの記事を思いおこすと、今後活躍する指揮者の特集での「アバド」の記事。
オペラ評論での、「アバドのチェネレントラ」「カラヤンのトリスタン」「ベームのリング」「ヴェルデイ、オペラ合唱曲、アバド・スカラ座」「アバドのマクベス」「アバドのシモンボッカネグラ」・・・・数限りなくあります。

オールドファンの域に達しつつあるわたくし。
音楽を活字と共に味わう世代だったかもしれません。
今のように、あふれかえる音源を自由自在に受け止めることのできる時代とはまったく違う世の中だった。
高額だった1枚のレコードを擦り減るように聴き、そしてそれを買うにも、大切な指標となったのが評論家の先生の記事。
自分の想いと、波長のあう方のご意見なら間違いないと思う先生の存在がうれしかった。

そんな高崎先生でした。

同じレコ芸の、今度は巻末の訃報欄に、同じく音楽評論家の岩井宏之さんがお亡くなりなった記事が出てました。
岩井さんも、好きな音楽評論家でした。
やはり、アバドのことを高く評価し、さらには、神奈川フィルの役員もつとめられた方。

時の流れを大きく感じます。

高崎、岩井、両先生に感謝をいたしますとともに、その魂の安らかならんことをお祈りいたします。

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2017年7月 8日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 ベーム指揮

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1874年創建、1928年再建の神田教会。

ロマネスク様式の壮麗なる堂内は、東京の喧騒のなかにいることを忘れさせてしまうほどに、静謐な雰囲気。

そして、こうした教会の神聖なるイメージと、その舞台が結びついてるワーグナー作品はというと、「ローエングリン」と「パルジファル」、あと、市民が主役の市井の楽劇「マイスタージンガー」でしょうか。

タイトルロールが、親子で、聖杯守護の騎士であることでの「ローエングリン」と「パルジファル」。
パルジファルでは、聖体拝領の儀が堂内で行われ、まさに堂内が現場となるが、ローエングリンでは、2幕での教会の外側での出来事が描かれる。
教会に向かう幸せな二人に、ちょっかいをかける闇の側の住人。
オルトルートは異教徒だから、教会には入れません。

ということで、「ローエングリン」を。

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 ワーグナー 「ローエングリン」

   ハインリヒ:マルティ・タルヴェラ   ローエングリン:ジェス・トーマス
   エルザ   :クレア・ワトソン       テルラムント :ワルター・ベリー
   オルトルート:クリスタ・ルートヴィヒ 伝令士 :エーベルハルト・ヴェヒター 
   4人の貴族:クルト・エクヴィルツ、フリッツ・シュペルバウアー
           ヘルベルト・ラクナー、リュボミール・パントチェフ

     カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                           演出:ヴィーラント・ワーグナー

                         (1965.5.16 @ウィーン国立歌劇場)


オルフェオが正規復刻してくれた「ベームのローエングリン」をようやく視聴。

音のあまりよくなかった放送音源からの板起こし盤と比べて、音の揺れも少なくなり、音にも芯が出て、明瞭なサウンドがモノラルながら楽しめるようになった。

バイロイトのように、正規録音スタッフがライブ収録してくれていたらと考えると、欲が沸いてくるが、それでもこの活気あふれる演奏が、ちゃんと聴けることを喜ばなくてはなるまい。

ベームは生前、ローエングリンなんてずっと4拍子で降ってりゃいいんだ、とのたまっていたが、まさに、そうしたシンプルなとらえ方をしつつ、ここでのベームの指揮は、音楽に抜群の生気を注ぎこんでいるように思う。
 ライブで燃えるベーム、ここでも本領発揮。
65年といえば、この夏、ベームは、バイロイトでヴィーラントのリング新演出を指揮。
その前、62年から、バイロイトでトリスタンやマイスタージンガーを指揮して、ヴィーラントと組んできた。
その延長上にあった、ウィーンでのローエングリンでもあった。

この時期に残されたベームのワーグナーのライブ録音と同じく、音楽は緊迫感を保ち、凝縮されたドラマ表現に寄与するように、大いに劇性に富んでいる。
それと、要所要所で見せる、たたみかけるような迫真の推進力をもっていて、1幕の後半と3幕の後半のドラマティックなシーンは、ほんとに素晴らしい。
ほかの指揮者では味わえない、熱いベームのワーグナーの醍醐味がここにある。

歌手たちも豪華。

60年代最高のローエングリン上演の布陣ではなかろうか。

気品あふれるトーマスのローエングリンは、数年前のケンペとの録音より、力強さが増した。
ルートヴィヒとベリーの暗黒面夫婦は、悪かろうはずがない。
実夫婦でもあるこの二人の共演は、数多くあるが、ちょっと弱気な旦那を、きつく締めあげるおっかないカミさんって感じで、「このハ〇ーー!」とか、「違うだろーーー」って聞こえてくるようだ・・・・・・ガクガク、ブルブル。。。。

タルヴェラのハインリヒも、いまとなっては懐かしい歌声で、とてもマイルドでいいし、ヴェヒターの伝令士のカッコよさは、のちのヴァイクルを思わせる。

クレア・ワトソンは美声で、ちょっとお人形さんだけど、この役は、これでいい。

1970年の大阪万博で来日したベルリン・ドイツ・オペラが、7つのオペラを持ってきたけれど、そのなかのひとつが、ヴィーラント演出の「ローエングリン」で、マゼールとヨッフムが交代で指揮をした。
私は、NHKが放送したものをテレビで見た記憶が、かすかにあって、指揮はマゼールだった。
とても神秘的で、きれいな音楽だなぁ~程度の印象で、暗闇で指揮をするマゼールを見つめていて、オペラ本編をそのあと観たかとうかは記憶にない・・・。
 しかし、この時の上演の写真を、数年後にワーグナー狂いとなって、見直して、ローエングリンという作品の視覚的な刷り込みが生じることとなったわけだ。

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ウィーンでの、このライブ録音の舞台も、これと似た雰囲気のものではないかと推量し、このCDを聴くのも楽しいものだった。

そして、いまのウィーンでのローエングリンは、ホモキの演出で、指揮は、ネゼ=セガン、タイトルロールはフォークト。
劇場のサイトで、映像が少し見れるが、一瞬、魔弾の射手かと思ったし、建物内で行われる閉鎖空間が息苦しい・・・でも才人、ホモキのことだから、どんな仕掛けがあるのか!

あと、プラハの歌劇場で、カタリーナ・ワーグナーが、父ウォルフガンクが1967年にバイロイトで演出したローエングリンを、6月に、リヴァイバル上演したとの報を見つけた!!


Lohengrin
(プラハ放送局のサイトより)

詳しい情報は、こちらと こちら

ヴィーラントは、バイロイトでは、1度しかローエングリンを演出しておらず、マイスタージンガーとともに、バイロイトで好評だったのが、ウォルフガンクのローエングリン。

情報過多、読み込み過多の演出優位のオペラ上演界にあって、50年前の演出の復刻の試みは何を意味するのだろうか。
自身が、マイスタージンガーで風刺の効いた、当時少し過激な演出をしたカタリーナ。
次のトリスタンでは少し控えめとなり、そして、この復刻。
外部招聘の演出では、今年はポップなコスキーが登場して、大いに騒ぎとなりそう。

揺れ動く、バイロイトの当主だが、実験劇場たる存在で、古きも新しきも、おおいに玉石混合であって欲しい、というのが、いまのワタクシの思いだ。
本物の音楽さえ、保たれていればいい。
音楽の邪魔をしない演出ならいい。
こんな感じです。

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2016年12月 5日 (月)

モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」 ベーム指揮

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丸の内、仲通り、恒例のイルミネーション始まってます。

年々LEDも進化し、明るさを増し、一方で消費電力もますます低減されているとのことが、丸の内のイルミネーションのHPに書かれてます。

社会人になった頃は、このあたりはビルだけの殺伐としたオフィス街だったし、70年代に過激派が起こした大企業を狙ったテロ事件も記憶にあって、あのときはビルのガラス窓も散乱し、死傷者がかなり出た。

ブランド店や飲食店が立ち並ぶ整然としたこの一角を見ると、過去のことが嘘のようだ。

M_1

暖かなウォーム・トーンの装飾。

いまは、これでいい。

これがいい。

Mozart_posthorn

  モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」

   カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1970.5 @ベルリン、イエスキリスト教会)


12月5日は、モーツァルトの命日です。

いまから225年前の今日です。

そんな命日に、喜遊曲なんていうのもなんですが、ともかく最近、音楽に飢えてきたもので、かつての耳タコ的にお馴染みの、このベームの演奏を聴いてみたくて、取上げました。

このベーム盤は、もう10年も前に、このブログでも取上げてました。

大好きなこの曲、マリナーや、レヴァイン、アバドなども聴いてきましたが、あと、有名どころではセルとか、いまや廃盤のデ・ワールトとか、聴いてみたいものもたくさん。
 でも、やっぱり、このベーム盤が、自分には一番で、刷り込み盤なのです。

日本発売は、たしか、1971年の11月か12月。
あの頃は、レコード業界も、クリスマス系の音盤や、第9のアルバムばっかりを繰り出してきて、レコ芸の広告欄も、ヨーロピアンな雰囲気が満載となりました。

そんななかで、群を抜いていたのが、日本グラモフォンとロンドンレコード(キング)。
前者は、DGであり、いまのユニヴァーサルレーベルですよ。

ベームのポストホルンのジャケットは、前褐のとおり、ブルーとグリーンな夜の庭園のもので、ともかく、中学生の子供だった自分の想像力と夢想を大いに刺激するものでした。

そして、そのレコードを手にしたのは、ほどない時期で、茅ヶ崎のダイクマのレコード売り場でした。
カップリングの「セレナータ・ノットゥルナ」と併せて、何度も何度も聴きました。

この曲のイメージが、このベームとベルリンフィルの響きで出来上がってしまいました。

このシンフォニックともいえるセレナードは、喜遊的な側面とともに、どこかほの暗い部分も持ち合わせているけれど、モーツァルトを愛し抜いたベームの厳しくも優しい眼差しは、そのどちらのシーンも、はなはだ音楽的に誇張なく、自然体で表出しつくしてます。

そのある意味厳しさと優しさに、色を添えているのが、ベルリン・フィル。

豊かな広がりを感じさせる能動的なサウンドは、ともかく明るい。
ことに、この曲は、木管たちが大切。

当時のベルリンフィルの名手たちの、ギャラントとも呼べる華やかさと、同時に、お互いに聴きあいつつ繰りひろげる自在な音声空間がもたらす解放感。
聴き手のワタクシは、もう呆けてしまうしかない。
ゴールウェイ、ブラウ、コッホ、トゥーネマンたちでしょうか!

加えて、イエス・キリスト教会の豊かな残響をともなった美しい録音もステキにすぎる。

ウィーンフィルとではどうだったでしょうか・・・。

わたくしには考えにくいほどに、このベルリンフィルの音盤が、愛すべき存在なのです。

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2015年5月10日 (日)

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム指揮

Tomita_a

もう、ここ千葉では、とっくに見ごろを過ぎてしまいましたが、千葉市富田の都市農業交流センターです。

船橋から東金にかけて、徳川家康が造らせた鷹狩のための道筋。
御成街道(おなりかいどう)をずっと下った千葉市若葉区にある農業公園です。

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紫に、赤に白・・・・こうして細かな花がたくさん集積して、一色に。
マスとしての美しさと、ひと花、ひと花の可憐さ。

明るく、陽気もいい。

さぁ、モーツァルトでも。

Mozart_cosi

  モーツァルト  歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

      フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
      ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
      フェルナンド:ルイジ・アルバ
      グリエルモ:ヘルマン・プライ
      ドン・アルフォンソ:ヴァルター・ベリー
      デスピーナ:オリヴェラ・ミリャコヴィチ

   カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                ウィーン国立歌劇場合唱団
             演出:ヴァーツラフ・カシュリーク

                         (1969年製作)


モーツァルトの名作オペラ、「コジ・ファン・トウッテ」。

1790年作曲の、ダ・ポンテとのコンビの生み出したブッファで、同じ、ダ・ポンテ3大オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ)の中でも、際立つ個性は少なめながら、アンサンブル・オペラとして、形式上も、ドラマ仕立ても、そして歌手たちのあり方も、シンプルでシンメトリーな構成が美しく完結しております。
 そして、その音楽は、ギャラントで、ロココ調な美質と抒情を有しています。

そんな「コジ」のわたくしにとって理想ともいえる映像作品が、ベームの指揮により、映画版。

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 予算上も、演出上も、いまやなかなかありえない、オペラの映画化。
60~80年代前半ぐらいまでが数は少ないけれど、全盛だったように思います。
その代表が、今回のベーム盤。
カラヤンのカルメン、カヴァ・パリ、ラインゴールド、ベームのサロメ、アリアドネ、レヴァインのトラヴィアータ・・・、いくつも名作が残されました。

そして、自分にとって忘れられない憧れのツールが、かつて存在した、「クラシック・イン・ビデオ」という製品です。

Video_1 Video_2

ポニー・ビデオ(いまのポニー・キャニオン)が、ポニー・クラシックという法人を設立して、家庭向けビデオと、カラヤンを中心とするビデオ映像作品をパックにして販売しておりました。
71年頃だったと思いますが、当時の価格で、38万円!
いまでは、その何倍もの感覚の金員ですよ!
子供心に、欲しくてたまらなかったけれど、そんなもの、一般家庭では、高嶺の花。
毎日、憧れと、想像力ばかりが高まるばかりの少年でありました。

それが、いま、映像作品も簡単に手に入るし、はるかに鮮明で、かつ豊かなサウンドで、いとも簡単に、それらの作品が楽しめる世の中になりました。
ほんと、この分野も隔世の感ありありですね。

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 さて、モーツァルトのオペラでも、「コジ」をもっとも得意にし、愛したベームですから、その音源も、非正規もいれると、ほんと、たくさんあります。
ですが、代表作は、74年のザルツブルク・ライブと、62年のフィルハーモニアEMI盤、そして、この映像版ということになるでしょうか。

理想的な歌手の顔ぶれは、それぞれの全盛期で、ビジュアルも歌声も言うことナシ。
そして、オーケストラがウィーンフィルで、69年当時のこのウィーンならではの芳醇な音色といったらありません。

Wpo

序曲は、オペラ全体に共通する、白基調のロココ風邸宅が、スタジオ内にしつらえられ、そこに懐かしのウィーンフィルの面々が陣取って、高座にいつもの、ニコリともしないベーム。

コンサートマスターは、ウェラー。その横には、やたらと若いヒンク。
フルートには青年のようなトリップ。オーボエはトレチェクかな。
つくづく、この頃から、ベームやアバドとの来日の頃が、ウィーンフィルにとっても、自分にとっても、いい時代だったな、とつくづく思います。

 オペラ本編は、ゴージャスなリアル衣装に、シンプルだけど、写実的な舞台装置に、本物ばかりの小道具。
鮮明な映像で、それらが実に見ごたえあります。
まさに映画ならではのリアル・カットで、往年の歌手たちの若き日々も、アップに耐えうるものです。

場面の転換ごとに、インターバルがあって、字幕による簡単なト書きや、場面説明があって、オペラの流れが無味乾燥にならず、とてもいい効果をあげております。
 さらに、ときおり、シルエット影絵も挿入され、登場人物たちの心象や、よからぬ妄想(ちょっとエッチだったり・・・笑)をあらわしたりもしてますよ。

ユーモラスな仮面を装着した、背景人物たちも含め、主役の歌手たちの演技は、今風でないことは事実ですが、モーツァルトの音楽の懐の深さは、これこそが、ぴたりと符合するように、ことに、わたくしのような世代の人間には、そう思われます。
同時に、昨今の時代考証を自由に動かし、いろんな意味合いを込めた現代演出にも、モーツァルトの音楽は、しっかりと似合ってしまうところが、すごいところなのですね。

ベームの「コジ」に、必須の歌手。
ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、プライ、ベリーの4人は、もう完璧で、愉悦と軽やかさ、そして軽妙さに加えて、しっとりとしたモーツァルトの品位を歌いだしていて、文句なし。

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ことに、揺れ動く心を、そのクリスタルな美声でもって聴かせるヤノヴィッツは素晴らしいと思います。
 ルートヴィヒもそうですが、声の揺れが気になる、方もいらっしゃるでしょうが、後年のよりも、声はハリがあって若々しくていいですね。

もちろん甘い美声に、しっかりとしたフォルムを持ったルイジ・アルバのモーツァルトは、ロッシーニ以上にステキなものだし、セルビアの名花ミリャコヴィチの狂言回しも楽しいですよ。

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ほのぼのと、モーツァルトのよさ、ウィーンフィルの味わいのよさ、そして往年の耳にすっかり馴染んだ歌手たちのよさ。
そしてベームのオペラの素晴らしさを堪能した土日でした。

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