カテゴリー「ベーム」の記事

2023年10月 7日 (土)

ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏

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暑さは去り、秋が来た。

しかし、秋は駆け足です。

彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。

秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。

ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。

とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。

ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。

今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。

私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス

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  ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.5.5,6 @ムジークフェライン)

伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。

日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。

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     ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73

 ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.12.13,15 @ミュンヘン)

74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。

この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

        (1970.5 @コンセルトヘボウ)

若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。

このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。

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  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98

 クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

         (1972.3.8 @ルカ教会)

ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。

ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。

それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。

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ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。

ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。

4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。

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2023年9月16日 (土)

「ベームのリング」発売50周年

バイロイト音楽祭は終了し、暑さも残りつつも、季節は秋へと歩みを進めてます。

今年のバイロイトは、新味と味気のない「パルジファル」の新演出で幕を開け、昨年激しいブーイングに包まれたチャチでテレビ画面で見るに限る「リング」、チェルニアコフにしては焦点ががいまいちの「オランダ人」、安心感あふれる普通の「トリスタン」、オモシロさを通り越してみんなが味わいを楽しむようになった「タンホイザー」などが上演された。

でも、音楽面での充実は、暑さやコ〇ナの影響による配役の変更があったにせよ、極めて充実していたと思います。
指揮者で一番光ったのは、タンホイザーを指揮したナタリー・シュトッツマンでドラマに即した緩急自在、表現力あふれる生きのいい演奏でした。
次いで、カサドの明晰で張りのあるパルジファルというところか。
コ〇ナ順延と自身の感染で、2年もお預けとなり初年度にして最後となってしまったインキネンのリングは、正直イマイチと思った。
気の毒すぎて、本来3年目にして最良の結果を出すところだったのに。
来年はジョルダンに交代となってしまう。

悲しいニュースとしては、体調不良で音楽祭開始前に出演キャンセルをしたステファン・グールドが、音楽祭終了と同時に胆管癌であることを発表し、余命も刻まれていることを公表したこと。
世界中のワーグナー好きがショックを受けました。
タフなグールドさん、ご本復を願ってやみません。

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1973年の7月30日、世界同時に「ベームのリング」が発売されました。

今年は、それから50年。

思えば、このリングのレコードを入手したことから、ワーグナーにさらにのめり込み、好きな作曲家はまっさきに「ワーグナー」というようになった自分の原点ともいうべき出来事だったのです。

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72年頃から、NHKのバイロイト放送を聴きだし、その年に初めてのワーグナーのレコードとして、「ベームのトリスタン」を購入。
その秋には、レコ芸のホルスト・シュタインのインタビューで、66・67年の「ベームのリング」が発売されるという情報を得る。
翌73年夏、ヤマハからパンフレットと予約のハガキを送ってもらい、親と親戚を説得して購入の同意を獲得。
待ちにまった「ベームのリング」が父親が銀座のヤマハから運んできてくれたのが8月1日。

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分厚い真っ赤な布張りのカートンケースは、ずしりと重く、両手で抱えないと持てないくらいの重厚さ。

中蓋には手書きで愛蔵家のシリアルナンバーがふられてました。

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この番号、いまならパスワードにして生涯使いたいくらいです。

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ボックスの中には、4つの楽劇がカートンボックスに納められ入ってました。

4つのカートンには、それぞれ対訳と詳細なる解説が盛りだくさんの分厚いリブレットが挿入。

舞台写真や歌手たちの写真、ベーム、ヴィーラントの写真もたくさん。

これを日々読み返し、新バイロイト様式による舞台がどんな風だったか、想像を逞しくしていたものでした。

ときにわたくし、中学3年生の夏でした。

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解説書の表紙にもヴィーラント・ワーグナーの舞台の写真が。
なにもありませんね、いまの饒舌すぎる舞台からするとシンプル極まりない。
音楽と簡潔な演技に集中するしかない演出。

そうして育んできた私のワーグナー好きとしての音楽道、ワーグナーはおのずとベームが指標となり、耳から馴染んだ音響としてのバイロイト祝祭劇場の響き、そして見てもないのに写真から入った簡潔な舞台と演出、それぞれが自分のワーグナーの基準みたいなものになっていったと思います。

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ヴィーラント・ワーグナーとベーム博士。

戦後のバイロイトの復興においては、このふたりと、クナッパーツブッシュ、カイルベルトをおいては語れない。
いまのように映像作品も残せるような時代だったらどんなによかっただろうと思う。
映像でワーグナーの舞台が残されるようになったのは、バイロイトではシェロー以降だが、そもそもいまでは普通の感覚となった、あの当時では革命的であったシェロー演出も、ヴィーラントとウォルフガンク兄弟の興した新バイロイトがあってのもの。

そもそもヴィーラント・ワーグナー(1917~1966)が早逝していなければ、その後、外部演出家に頼るようになったバイロイトがどうなっていただろうか。
祖父の血を引く天才肌だっただけに50前にしての死は、ほんとうに残念でなりません。

「ベームのリング」は66年と67年のライブ録音ですが、このヴィーラント演出は1965年がプリミエで、全部をベームが指揮。
66年は1回目をベームが指揮し、残りの2回をスウィトナーが担当。
67年には、ベームはワルキューレと黄昏の1,2回目のみを指揮してあとは全部スウィトナー。
こんななかで、2年にわたるライブが録られたことになります。
68年には、マゼールに引き継がれ69年にはヴィーラント演出は終了してます。

ヴィーラントの死は、1966年10月ですが、その年の音楽祭が始まる頃には、ヴィーラントはすでに入院していて、だいぶよくないとの噂で、バイロイトの街も沈んでいたといいます。(愛読書:テュアリング著「新バイロイト」)
そんな雰囲気のなかで始まった66年のリング、「ラインの黄金」と「ジークフリート」はともに初日の録音。
みなぎる緊張感と張りのある演奏は、こんな空気感のなかで行われました。
同時に、「ベームのトリスタン」も同じ年です。

ついで67年は、ヴィーラント亡きあと、ウォルフガンク・ワーグナーに託されたバイロイトの緊張感がまたこれらの録音に詰まっていると思います。
演出補助は、レーマンとホッターが行っていて、ベームはワルキューレと黄昏のみに専念。
2年間に渡る録音で、ベストチョイスの歌手が統一して歌っているのも、このリングの強みでしょう。
ダブルキャストで、ウォータンを66年にはホッターが歌っているのが気になるところですが、通しで統一されたのは、ショルティやカラヤンよりも一気に演奏されたベーム盤の強みです。

指揮者の招聘にもこだわりをみせたヴィーラントは、その簡潔で象徴的な舞台に合うような、「地中海的な精神の明晰をもって明るく照らし出すことのできる指揮者」、曇りのない音楽を求めたものといわれる。
サヴァリッシュやクリュイタンスがその典型で、モーツァルトの眼鏡でワーグナーを演奏するとしたベームもそうだろう。
その意味でのスウィトナーがベームとリングを分担しあったのもよくわかることです。
さらに、ブーレーズに目を付け、ついに66年に登場したものの、ヴィーラントはすでに病床にあったのは悲しいことです。

モーツァルトとシュトラウスの専門家のように思われていた当時のベームは、20年ぶりに指揮をしたという65年のバイロイトのリングで、これまでのワーグナー演奏にあったロマン主義的な神秘感や情念といったものをそぎ落とし、古典的な簡潔さとピュアな音、そこにある人間ドラマとしての音楽劇にのみ集中したんだと思う。
そんななかでの、ライブならではの高揚感がみなぎっているのもベームならです。
ヴィーラント・ワーグナーの演出ともこの点で共感しあうものだったろうし、象徴的な舞台のなかで音楽そのものの持つ力を、きっと観劇した方はいやというほどに受けとめたに違いない。
いま、ほんとにそれを観てみたい。

過剰で、いろんなものを盛り込み、自己満足的な演出の多い昨今。
みながら、あれこれ詮索しつつ、その意味をさぐりつつ、いつのまにか音楽が二の次になってしまう。
映像で観ることを意識した演出ばかりの昨今。
ワーグナーの演出、しいてはオペラの演出に未来はあるのか?
突き詰めたベームのワーグナーを聴きながら、またもやそんなことを考えた。

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タイムマシンがあれば、あの時代のバイロイトにワープしてみたいもの。

不満をつのらせつつも、行くこともきっとない来年のバイロイトに期待し、ワーグナーの新譜や放送に目を光らせ、膨大な音源を日々眺めつつニヤける自分がいるのでした。

それにしても、スウィトナーのリングもちゃんと録音して欲しかった。

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2020年10月16日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 ベーム指揮

Yellow

黄色い彼岸花。

White

白い彼岸花。

今年の彼岸花は、赤ばかりでなく、白と黄色も各所で見ることができました。
1週間ぐらいで枯れちゃう、儚い花でもあります。
秋は短し。

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  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

            (1975.3.19 @NHKホール)

伝説のベーム&ウィーンフィルのNHKホールでの名演を、もしかしたら40年ぶりくらいに聴く。
少しまえに入手したCD。
高校生だったあの頃、NHKが生放送でFM中継をしてくれたので、そのずべてを必死にカセットテープに収めました。
驚くほどの生々しい高音質で、エアチェックの喜悦に浸る日々でした。
プログラムは4つ。

①ベートーヴェン 4番・7番 (両国国歌演奏あり)
②ベートーヴェン レオノーレ3番 火の鳥 ブラームス1番
③シューベルト 未完成・グレート
④モーツァルト ジュピター / ウィンナワルツ

大切にしてきたカセットを、自家用CD化にしようとしたが、驚くべきことに②と④が紛失。
でもどこかにあるはずなんだけど・・・・

この公演は、NHK招聘ということもあり、大人気で、チケットは往復はがきで申し込む抽選スタイル。
ワタクシは、全部はずれ、でも当然に(?)ムーテイ様だけ当選。
若獅子ムーティの新世界を聴くことができました(アンコールの運命の力が絶品だった)。

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ライブで燃えるベームは、バイロイトの録音で多くのファンが知っていたけど、このときの来日ほど、聴衆を熱狂させた公演は日本でもあまりないのでは。
体をちょっと上下して、ぴょんぴょんしつつ、目を引んむくようにしてオーケストラに迫るベーム。
お馴染みのベテランも、若い奏者も、みんな必死に指揮にくらいつくウィーンフィル。
ともに、手抜きなしの、火花散る真剣勝負。
テレビに大写しにされたベームの形相を今でも忘れられない。

ベームとウィーンフィルは、このあと77年と80年にも来日しているが、身体・気力ともに充実していたのは、やはり75年の来日公演。
ベームは、63年のベルリン・ドイツ・オペラとの来日以来。
そして、ウィーンフィルは、いまなら毎年来てて、当たり前になったけど、この75年の日本への来日はまだ5度目。
そんなことで、大人気を呼び、先に書いた通り抽選に当たるなんて、とんでもなくラッキーなことだった。
いまでも、悔しい!!(笑)

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ほんと久しぶりに聴いたNHKホールでの演奏。
さすがに手持ちのカセット音源とは大違いで、あの時の実況放送に近いし、もう少し柔らかくなっている気がするし、とうてい45年前の録音とは思えない生々しさもあのときのまま。

演奏はもちろん素晴らしい。
巨大な歩みの第1楽章。
以外にテンポよく、歌にのめりこむことなく進む第2楽章は、いかにもべーム博士だ。
推進力豊かに、意外なほどにリズム感あふれる3楽章と終楽章。
特にジワジワと高まる終楽章の流れは、やはり興奮誘うもの。

ウィーンフィルの柔らかな音色、木管やホルンの特徴豊かな響きもこの時代ならではで、いまでは少しばかり遠のいてしまったウィーンの音がここに聴かれるのも、あらためてうれしく感じます。

あのとき、自分も若かったなぁ・・・

少し前にオイルショックはあったけれど、レコード業界は大盛況で、歌手以外で俯瞰すると、DGからは、ベームとウィーンフィル、カラヤンとベルリンフィルがしのぎを削っていたし、小澤&ボストン、アバド、バレンボイム、クーベリック、ポリーニ、アルゲリッチ、リヒター、エッシェンバッハ、などなど。
そこに登場したクライバーがやたらと新鮮だった。
デッカはショルテイ&シカゴ、メータ&ロスフィル、マゼール&クリーヴランドア、シュケナージ。
EMIは、プレヴィン&LSOのフレッシュコンビに、ケンペ、ヨッフム、サヴァリッシュ、マルティノンのいぶし銀ラインナップ。
フィリップスでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ、デイヴィス&ロンドンのオケ+ボストン、コンセルトヘボウ、マリナー&アカデミー、シェリング、アラウ、ブレンデル。
CBSは、バーンスタン、ブーレーズ、スターンで、ビクターは、旧メロディア系のソ連の演奏者に強かった。

 ともかくレーベルはたくさんあって、みんなそれぞれに、特徴があって、競争も激しかった。
繰り返しますが、なんていい時代だったんだろ。
毎月、こうしたアーティストたちの新譜が、続々と発売される
 こんな時代へのノスタルジーが、もしかしたら、自分の音楽ライフの根源の一部かと思ったりしてます。

その最たるモニュメントが、75年のウィーンフィルだったのかもしれません。
ベームをFMとテレビで視聴しつくし、俊敏な若きムーティの実演にも接した経験が、いまでも自分の音楽ライフに大きな影響を与えたものだと確信してます。

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いつ、ぽっくり逝ってもいいように、こうした音源や記録は、秩序だって整理しておこうと思います。
でも誰がそれを受け継ぐんだろ。
なんの得にもならないけれど、この先の短い人生、悩みは尽きないのであります。

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最後に、赤いの。

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2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

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東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

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ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

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ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

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ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

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今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

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2018年2月24日 (土)

高崎保男先生を偲んで

Tamachi_2

最後まで残っていた冬のイルミネーションですが、バレンタインの終わった週末を限りに、こちらも終了してしまいました。

このあたりは、旧薩摩藩の敷地で、幕末の出来事と所縁のある場所。
ビルの立ち並ぶエリアに、ぽつんと、勝海舟と西郷隆盛の会ったところ、などの表示があったりします。

Abbado_requiem

音楽評論家の高崎保男先生が、12月にお亡くなりなっていたそうです。

レコード芸術で、目立たぬように静かに記事になっていました。

故人のご遺志とのこと。

近年、ただでさえ、オペラの新譜が、ことに国内盤ではまったく発売されなくなり、レコ芸オペラ担当の、高崎さんの名評論がまったく読むことができなくなっていた。
しかし、ときおり出るソロCDなどで、今度は高崎先生の名前が見られなくなっていたので、ちょっと心配をしておりました。

そして、この訃報。

静かに去られた高崎先生。

わたくしが生まれて間もないころからずっとレコ芸のオペラ担当をされていらっしゃいました。
わたくしがオペラが好きになったのも、それから、クラウディオ・アバドが大好きになったのも、高崎先生の数々の文章があってのもの。

心に残るいくつかの記事を思いおこすと、今後活躍する指揮者の特集での「アバド」の記事。
オペラ評論での、「アバドのチェネレントラ」「カラヤンのトリスタン」「ベームのリング」「ヴェルデイ、オペラ合唱曲、アバド・スカラ座」「アバドのマクベス」「アバドのシモンボッカネグラ」・・・・数限りなくあります。

オールドファンの域に達しつつあるわたくし。
音楽を活字と共に味わう世代だったかもしれません。
今のように、あふれかえる音源を自由自在に受け止めることのできる時代とはまったく違う世の中だった。
高額だった1枚のレコードを擦り減るように聴き、そしてそれを買うにも、大切な指標となったのが評論家の先生の記事。
自分の想いと、波長のあう方のご意見なら間違いないと思う先生の存在がうれしかった。

そんな高崎先生でした。

同じレコ芸の、今度は巻末の訃報欄に、同じく音楽評論家の岩井宏之さんがお亡くなりなった記事が出てました。
岩井さんも、好きな音楽評論家でした。
やはり、アバドのことを高く評価し、さらには、神奈川フィルの役員もつとめられた方。

時の流れを大きく感じます。

高崎、岩井、両先生に感謝をいたしますとともに、その魂の安らかならんことをお祈りいたします。

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2017年7月 8日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 ベーム指揮

Kanda

1874年創建、1928年再建の神田教会。

ロマネスク様式の壮麗なる堂内は、東京の喧騒のなかにいることを忘れさせてしまうほどに、静謐な雰囲気。

そして、こうした教会の神聖なるイメージと、その舞台が結びついてるワーグナー作品はというと、「ローエングリン」と「パルジファル」、あと、市民が主役の市井の楽劇「マイスタージンガー」でしょうか。

タイトルロールが、親子で、聖杯守護の騎士であることでの「ローエングリン」と「パルジファル」。
パルジファルでは、聖体拝領の儀が堂内で行われ、まさに堂内が現場となるが、ローエングリンでは、2幕での教会の外側での出来事が描かれる。
教会に向かう幸せな二人に、ちょっかいをかける闇の側の住人。
オルトルートは異教徒だから、教会には入れません。

ということで、「ローエングリン」を。

Wagner_lohengrin

 ワーグナー 「ローエングリン」

   ハインリヒ:マルティ・タルヴェラ   ローエングリン:ジェス・トーマス
   エルザ   :クレア・ワトソン       テルラムント :ワルター・ベリー
   オルトルート:クリスタ・ルートヴィヒ 伝令士 :エーベルハルト・ヴェヒター 
   4人の貴族:クルト・エクヴィルツ、フリッツ・シュペルバウアー
           ヘルベルト・ラクナー、リュボミール・パントチェフ

     カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                           演出:ヴィーラント・ワーグナー

                         (1965.5.16 @ウィーン国立歌劇場)


オルフェオが正規復刻してくれた「ベームのローエングリン」をようやく視聴。

音のあまりよくなかった放送音源からの板起こし盤と比べて、音の揺れも少なくなり、音にも芯が出て、明瞭なサウンドがモノラルながら楽しめるようになった。

バイロイトのように、正規録音スタッフがライブ収録してくれていたらと考えると、欲が沸いてくるが、それでもこの活気あふれる演奏が、ちゃんと聴けることを喜ばなくてはなるまい。

ベームは生前、ローエングリンなんてずっと4拍子で降ってりゃいいんだ、とのたまっていたが、まさに、そうしたシンプルなとらえ方をしつつ、ここでのベームの指揮は、音楽に抜群の生気を注ぎこんでいるように思う。
 ライブで燃えるベーム、ここでも本領発揮。
65年といえば、この夏、ベームは、バイロイトでヴィーラントのリング新演出を指揮。
その前、62年から、バイロイトでトリスタンやマイスタージンガーを指揮して、ヴィーラントと組んできた。
その延長上にあった、ウィーンでのローエングリンでもあった。

この時期に残されたベームのワーグナーのライブ録音と同じく、音楽は緊迫感を保ち、凝縮されたドラマ表現に寄与するように、大いに劇性に富んでいる。
それと、要所要所で見せる、たたみかけるような迫真の推進力をもっていて、1幕の後半と3幕の後半のドラマティックなシーンは、ほんとに素晴らしい。
ほかの指揮者では味わえない、熱いベームのワーグナーの醍醐味がここにある。

歌手たちも豪華。

60年代最高のローエングリン上演の布陣ではなかろうか。

気品あふれるトーマスのローエングリンは、数年前のケンペとの録音より、力強さが増した。
ルートヴィヒとベリーの暗黒面夫婦は、悪かろうはずがない。
実夫婦でもあるこの二人の共演は、数多くあるが、ちょっと弱気な旦那を、きつく締めあげるおっかないカミさんって感じで、「このハ〇ーー!」とか、「違うだろーーー」って聞こえてくるようだ・・・・・・ガクガク、ブルブル。。。。

タルヴェラのハインリヒも、いまとなっては懐かしい歌声で、とてもマイルドでいいし、ヴェヒターの伝令士のカッコよさは、のちのヴァイクルを思わせる。

クレア・ワトソンは美声で、ちょっとお人形さんだけど、この役は、これでいい。

1970年の大阪万博で来日したベルリン・ドイツ・オペラが、7つのオペラを持ってきたけれど、そのなかのひとつが、ヴィーラント演出の「ローエングリン」で、マゼールとヨッフムが交代で指揮をした。
私は、NHKが放送したものをテレビで見た記憶が、かすかにあって、指揮はマゼールだった。
とても神秘的で、きれいな音楽だなぁ~程度の印象で、暗闇で指揮をするマゼールを見つめていて、オペラ本編をそのあと観たかとうかは記憶にない・・・。
 しかし、この時の上演の写真を、数年後にワーグナー狂いとなって、見直して、ローエングリンという作品の視覚的な刷り込みが生じることとなったわけだ。

Lohemgrin_berlin

ウィーンでの、このライブ録音の舞台も、これと似た雰囲気のものではないかと推量し、このCDを聴くのも楽しいものだった。

そして、いまのウィーンでのローエングリンは、ホモキの演出で、指揮は、ネゼ=セガン、タイトルロールはフォークト。
劇場のサイトで、映像が少し見れるが、一瞬、魔弾の射手かと思ったし、建物内で行われる閉鎖空間が息苦しい・・・でも才人、ホモキのことだから、どんな仕掛けがあるのか!

あと、プラハの歌劇場で、カタリーナ・ワーグナーが、父ウォルフガンクが1967年にバイロイトで演出したローエングリンを、6月に、リヴァイバル上演したとの報を見つけた!!


Lohengrin
(プラハ放送局のサイトより)

詳しい情報は、こちらと こちら

ヴィーラントは、バイロイトでは、1度しかローエングリンを演出しておらず、マイスタージンガーとともに、バイロイトで好評だったのが、ウォルフガンクのローエングリン。

情報過多、読み込み過多の演出優位のオペラ上演界にあって、50年前の演出の復刻の試みは何を意味するのだろうか。
自身が、マイスタージンガーで風刺の効いた、当時少し過激な演出をしたカタリーナ。
次のトリスタンでは少し控えめとなり、そして、この復刻。
外部招聘の演出では、今年はポップなコスキーが登場して、大いに騒ぎとなりそう。

揺れ動く、バイロイトの当主だが、実験劇場たる存在で、古きも新しきも、おおいに玉石混合であって欲しい、というのが、いまのワタクシの思いだ。
本物の音楽さえ、保たれていればいい。
音楽の邪魔をしない演出ならいい。
こんな感じです。

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2016年12月 5日 (月)

モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」 ベーム指揮

M_2_2

丸の内、仲通り、恒例のイルミネーション始まってます。

年々LEDも進化し、明るさを増し、一方で消費電力もますます低減されているとのことが、丸の内のイルミネーションのHPに書かれてます。

社会人になった頃は、このあたりはビルだけの殺伐としたオフィス街だったし、70年代に過激派が起こした大企業を狙ったテロ事件も記憶にあって、あのときはビルのガラス窓も散乱し、死傷者がかなり出た。

ブランド店や飲食店が立ち並ぶ整然としたこの一角を見ると、過去のことが嘘のようだ。

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暖かなウォーム・トーンの装飾。

いまは、これでいい。

これがいい。

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  モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」

   カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1970.5 @ベルリン、イエスキリスト教会)


12月5日は、モーツァルトの命日です。

いまから225年前の今日です。

そんな命日に、喜遊曲なんていうのもなんですが、ともかく最近、音楽に飢えてきたもので、かつての耳タコ的にお馴染みの、このベームの演奏を聴いてみたくて、取上げました。

このベーム盤は、もう10年も前に、このブログでも取上げてました。

大好きなこの曲、マリナーや、レヴァイン、アバドなども聴いてきましたが、あと、有名どころではセルとか、いまや廃盤のデ・ワールトとか、聴いてみたいものもたくさん。
 でも、やっぱり、このベーム盤が、自分には一番で、刷り込み盤なのです。

日本発売は、たしか、1971年の11月か12月。
あの頃は、レコード業界も、クリスマス系の音盤や、第9のアルバムばっかりを繰り出してきて、レコ芸の広告欄も、ヨーロピアンな雰囲気が満載となりました。

そんななかで、群を抜いていたのが、日本グラモフォンとロンドンレコード(キング)。
前者は、DGであり、いまのユニヴァーサルレーベルですよ。

ベームのポストホルンのジャケットは、前褐のとおり、ブルーとグリーンな夜の庭園のもので、ともかく、中学生の子供だった自分の想像力と夢想を大いに刺激するものでした。

そして、そのレコードを手にしたのは、ほどない時期で、茅ヶ崎のダイクマのレコード売り場でした。
カップリングの「セレナータ・ノットゥルナ」と併せて、何度も何度も聴きました。

この曲のイメージが、このベームとベルリンフィルの響きで出来上がってしまいました。

このシンフォニックともいえるセレナードは、喜遊的な側面とともに、どこかほの暗い部分も持ち合わせているけれど、モーツァルトを愛し抜いたベームの厳しくも優しい眼差しは、そのどちらのシーンも、はなはだ音楽的に誇張なく、自然体で表出しつくしてます。

そのある意味厳しさと優しさに、色を添えているのが、ベルリン・フィル。

豊かな広がりを感じさせる能動的なサウンドは、ともかく明るい。
ことに、この曲は、木管たちが大切。

当時のベルリンフィルの名手たちの、ギャラントとも呼べる華やかさと、同時に、お互いに聴きあいつつ繰りひろげる自在な音声空間がもたらす解放感。
聴き手のワタクシは、もう呆けてしまうしかない。
ゴールウェイ、ブラウ、コッホ、トゥーネマンたちでしょうか!

加えて、イエス・キリスト教会の豊かな残響をともなった美しい録音もステキにすぎる。

ウィーンフィルとではどうだったでしょうか・・・。

わたくしには考えにくいほどに、このベルリンフィルの音盤が、愛すべき存在なのです。

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2015年5月10日 (日)

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム指揮

Tomita_a

もう、ここ千葉では、とっくに見ごろを過ぎてしまいましたが、千葉市富田の都市農業交流センターです。

船橋から東金にかけて、徳川家康が造らせた鷹狩のための道筋。
御成街道(おなりかいどう)をずっと下った千葉市若葉区にある農業公園です。

Tomita_b

紫に、赤に白・・・・こうして細かな花がたくさん集積して、一色に。
マスとしての美しさと、ひと花、ひと花の可憐さ。

明るく、陽気もいい。

さぁ、モーツァルトでも。

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  モーツァルト  歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

      フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
      ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
      フェルナンド:ルイジ・アルバ
      グリエルモ:ヘルマン・プライ
      ドン・アルフォンソ:ヴァルター・ベリー
      デスピーナ:オリヴェラ・ミリャコヴィチ

   カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                ウィーン国立歌劇場合唱団
             演出:ヴァーツラフ・カシュリーク

                         (1969年製作)


モーツァルトの名作オペラ、「コジ・ファン・トウッテ」。

1790年作曲の、ダ・ポンテとのコンビの生み出したブッファで、同じ、ダ・ポンテ3大オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ)の中でも、際立つ個性は少なめながら、アンサンブル・オペラとして、形式上も、ドラマ仕立ても、そして歌手たちのあり方も、シンプルでシンメトリーな構成が美しく完結しております。
 そして、その音楽は、ギャラントで、ロココ調な美質と抒情を有しています。

そんな「コジ」のわたくしにとって理想ともいえる映像作品が、ベームの指揮により、映画版。

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 予算上も、演出上も、いまやなかなかありえない、オペラの映画化。
60~80年代前半ぐらいまでが数は少ないけれど、全盛だったように思います。
その代表が、今回のベーム盤。
カラヤンのカルメン、カヴァ・パリ、ラインゴールド、ベームのサロメ、アリアドネ、レヴァインのトラヴィアータ・・・、いくつも名作が残されました。

そして、自分にとって忘れられない憧れのツールが、かつて存在した、「クラシック・イン・ビデオ」という製品です。

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ポニー・ビデオ(いまのポニー・キャニオン)が、ポニー・クラシックという法人を設立して、家庭向けビデオと、カラヤンを中心とするビデオ映像作品をパックにして販売しておりました。
71年頃だったと思いますが、当時の価格で、38万円!
いまでは、その何倍もの感覚の金員ですよ!
子供心に、欲しくてたまらなかったけれど、そんなもの、一般家庭では、高嶺の花。
毎日、憧れと、想像力ばかりが高まるばかりの少年でありました。

それが、いま、映像作品も簡単に手に入るし、はるかに鮮明で、かつ豊かなサウンドで、いとも簡単に、それらの作品が楽しめる世の中になりました。
ほんと、この分野も隔世の感ありありですね。

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 さて、モーツァルトのオペラでも、「コジ」をもっとも得意にし、愛したベームですから、その音源も、非正規もいれると、ほんと、たくさんあります。
ですが、代表作は、74年のザルツブルク・ライブと、62年のフィルハーモニアEMI盤、そして、この映像版ということになるでしょうか。

理想的な歌手の顔ぶれは、それぞれの全盛期で、ビジュアルも歌声も言うことナシ。
そして、オーケストラがウィーンフィルで、69年当時のこのウィーンならではの芳醇な音色といったらありません。

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序曲は、オペラ全体に共通する、白基調のロココ風邸宅が、スタジオ内にしつらえられ、そこに懐かしのウィーンフィルの面々が陣取って、高座にいつもの、ニコリともしないベーム。

コンサートマスターは、ウェラー。その横には、やたらと若いヒンク。
フルートには青年のようなトリップ。オーボエはトレチェクかな。
つくづく、この頃から、ベームやアバドとの来日の頃が、ウィーンフィルにとっても、自分にとっても、いい時代だったな、とつくづく思います。

 オペラ本編は、ゴージャスなリアル衣装に、シンプルだけど、写実的な舞台装置に、本物ばかりの小道具。
鮮明な映像で、それらが実に見ごたえあります。
まさに映画ならではのリアル・カットで、往年の歌手たちの若き日々も、アップに耐えうるものです。

場面の転換ごとに、インターバルがあって、字幕による簡単なト書きや、場面説明があって、オペラの流れが無味乾燥にならず、とてもいい効果をあげております。
 さらに、ときおり、シルエット影絵も挿入され、登場人物たちの心象や、よからぬ妄想(ちょっとエッチだったり・・・笑)をあらわしたりもしてますよ。

ユーモラスな仮面を装着した、背景人物たちも含め、主役の歌手たちの演技は、今風でないことは事実ですが、モーツァルトの音楽の懐の深さは、これこそが、ぴたりと符合するように、ことに、わたくしのような世代の人間には、そう思われます。
同時に、昨今の時代考証を自由に動かし、いろんな意味合いを込めた現代演出にも、モーツァルトの音楽は、しっかりと似合ってしまうところが、すごいところなのですね。

ベームの「コジ」に、必須の歌手。
ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、プライ、ベリーの4人は、もう完璧で、愉悦と軽やかさ、そして軽妙さに加えて、しっとりとしたモーツァルトの品位を歌いだしていて、文句なし。

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ことに、揺れ動く心を、そのクリスタルな美声でもって聴かせるヤノヴィッツは素晴らしいと思います。
 ルートヴィヒもそうですが、声の揺れが気になる、方もいらっしゃるでしょうが、後年のよりも、声はハリがあって若々しくていいですね。

もちろん甘い美声に、しっかりとしたフォルムを持ったルイジ・アルバのモーツァルトは、ロッシーニ以上にステキなものだし、セルビアの名花ミリャコヴィチの狂言回しも楽しいですよ。

Cosi_2

ほのぼのと、モーツァルトのよさ、ウィーンフィルの味わいのよさ、そして往年の耳にすっかり馴染んだ歌手たちのよさ。
そしてベームのオペラの素晴らしさを堪能した土日でした。

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2012年12月23日 (日)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 ベーム指揮

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樅の木の匂いも好きです。

大好きクリスマスツリーです。

1年の一時しか楽しめないのが残念でなりませんよ。

でも今日は、クリスマスとは関係ない音楽を。

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  ベートーヴェン  歌劇「フィデリオ」

   レオノーレ:グィネス・ジョーンズ フロレスタン:ジェイムズ・キング
   ドン・フェルナンド:マッティ・タルヴェラ ドン・ピツァロ:グスタフ・ナイトリンガー
   ロッコ:ヨーゼフ・グラインドル   マルツェリーネ:オリヴィア・ミランコヴィッチ
   ヤキーノ:ドナルド・グローベ    第一の囚人:バリー・マクダニエル
   第2の囚人:マンフレッド・レェール

    カール・ベーム指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/合唱団

         演出:グスタフ・ルドルフ・ゼルナー

                  (1969、70 ベルリン)


ベートーヴェン唯一のオペラ「フィデリオ」は、わたくしはどうにも苦手でして、驚くべきことに、その音源をレコード時代からいまに至るまで所有しておりませんでした。
その音源をたどると、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティ、ハイティンク、デイヴィス、アバド、ラトル・・・・・綺羅星のごとくの指揮者たちがその録音を、そのときの名歌手たちを起用して残しております。

それらをひとつも持ってません。
これまでは、FM放送のエアチェック音源で聴いてきましたから、曲の隅々まで把握はしております。ベームのバイエルン国立劇場の上演ライブです。

何故?といわれてもなかなか答えられませんが、モーツァルトのオペラにある人間の心の機微を照らし出したような万華鏡のような先天性、ワーグナーの劇的かつ有無をも言わせぬ壮大な総合劇音楽。でもベートーヴェンのオペラには、そうした力が欠けているように常に思ってました。

新国立劇場での上演も体験しましたが、妙に浮ついてしまった演出が歯切れ悪くて、上記の印象をやはり払拭できません。
そこで投入したのが映像によるオペラ映画としてのベーム盤。
購入3年目にして、ようやく視聴いたしました。

1

懐かしいベームの指揮姿、名歌手たち、それもワーグナー・メンバーの見事な歌唱、リアルで余計な解釈のない演出。
これらがわたくしの「フィデリオ」苦手を変えてくれるか?

そう、結果は上々でした。

これならいいかもです。

2

美しいソロや重唱、劇的なアリアなどが引き立つ無難な映像は、40年前のものとは思えないクオリティで、まるで夫婦愛を唱和するかのようなオラトリオのような「フィデリオ」を楽しむ最良の在り方のように思いました。
CDだと台詞が苦痛だし、当時の因習としての番号オペラの繋ぎと場面の居座りの悪さ、そのあたりがテレビドラマを見るようなこの映像作品では緩和して感じたのです。

初版から最終版まで、9年をかけて、3度も造り直した苦心のオペラだけれど、ベートーヴェンはオペラの世界では、革新性も幕開けも切り開くことができなかった。
でも、いまではそれもベートーヴェンと、納得して微笑ましく、このオペラが持つ素敵なアリアや重唱を楽しむとします。
それと、レオノーレ序曲第3番の挿入は、そのあとがあっけない幕切れだけに、かえって劇性を弱めるものとして不要に思えます。

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でも、この物語はかなり無理とありえない理想とがありますな。
女性が男装して、娘の許嫁にまでされちゃうという無理。
ちょっと触ればバレますがな。
夫を埋める穴掘り作業についてきて、早く手伝えといわれても、なかなかやらないレオノーレ。しかも女性にゃ、そんな重労働はムリだよな。
極めつけは、悪漢ドン・ピツァロが刃を向け、そこに躍り出たレオノーレ。ピストルを手にしていながら、相手は手ごわい悪代官。そこに偶然、というかあまりのタイミングのよさでもって来訪する正義の味方の大臣さま。でも、ここでの緊迫感と鳴り渡るトランペットの劇的な効果。これは実にすばらしいです。
とってつけたような賛美の合唱によるフィナーレ。。。。
でもこれらを受け入れて真摯にベートーヴェンを聴いていこう。

厳しい眼差しのベームが繰り広げる劇的かつ緊張感の高い指揮によって、この映像はピシリと一本筋が通ってます。

4

若いデイム・ジョーンズの声の張りとその清々しさ。
キングのフロレスタンは、数あるヘルデンによるフロレスタンのなかで最高。

3

わたしにとっての「ザ・アルベリヒ」、ナイトリンガーの貴重な映像ははまり役。
グラインドルもタルヴェラも、いずれも懐かしい60年代バイロイトの充実期を担った人たち。

なんだかんで楽みました「フィデリオ」。
晴れて、アバドのCDを購入してみようか!

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 過去記事

  「新国立劇場 上演 2006年」

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2012年4月 1日 (日)

バッハ マタイ受難曲 ベーム指揮

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まだ梅の咲く頃、某教会にて、外壁にある十字架に日の光があたって輝いておりました。

今年の教会暦では、イエスが十字架に架けられた聖金曜日が4月6日。

復活祭は、4月8日(日)。

キリスト教国、ことにヨーロッパでは復活祭(イースター)は、クリスマスとともに大きな催しでにぎわい、連休も続きます。
キリストの生誕以上に、イエスの受難とその復活は、キリスト教の根源なので当然でありましょう。
海外の宗教的な意味での祭事が、日本では商業的な意味の催事になってしまうことのおかしさ。
それは、いまや中国でも同じみたい。

そして欧米では、各地で、バッハのふたつの受難曲がさかんに演奏されるのもいまこの時期。
われわれ西洋音楽を愛好するものにとって、イエスの十字架上の死を、見つめて考えてみるのに、バッハの受難曲ほど最上の作品はありますまい。

ウィーンでも毎年、受難曲が演奏されております。

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 バッハ  マタイ受難曲

   エヴァンゲリスト、T:フリッツ・ヴンダーリヒ
   イエス:オットー・ヴィーナー   S:ヴィルマ・リップ
   Ms:クリスタ・ルートヴィヒ    ペテロ、Bs:ヴァルター・ベリー
   ピラト:ペーター・ウィンベルガー ユダ:ロベルト・シュプリンガー
   ほか

   カール・ベーム 指揮 ウィーン交響楽団
                 ウィーン学友協会合唱団
                 ウィーン少年合唱団
                   (1962.4.18 ウィーン)


「ベームのマタイ」です。

これを見つけたときはビックリした。

そして、前段で書いた、これはウィーンのマタイ。
フルトヴェングラー、カラヤンもマタイを指揮していたウィーン。
マーラーもきっと演奏していたはず!

あとなんといってもヴンダーリヒが福音史家を歌っているのがベームの指揮と並んで魅力的。
ほかの歌手も当時のドイツ系歌手の最高の布陣で、このメンバーで「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が上演できます。

そして息をこらして聴くこと2時間30分。

少し短めなのは、カットがそこここになされているから。
リブレットを対比しながら確認した省略曲は、ソプラノのアリア「Ich will der mein Herz schenken」、バスのアリア「Gerne will ich mich bequemen」、コラール3つ。
そして、福音書に基づく人々のやりとりの一部。
ベームの考えによるものか、ウィーンの譜面か、通例かは不詳なれど、非常に残念ではあります。

重い足取りを感じさせる冒頭合唱から重厚かつ分厚い響きを感じこそすれ、最初は、普通に演奏しているバッハに思われ、なんのことはないな・・・、と聴いておりました。
そして、いまの編成少なめ、ヴィブラート少なめのバッハ演奏に耳も心も慣れている自分には、圧倒的な質量の響きにも感じます。

しかし、聴くほどに音楽に引き込まれてゆき、その音の物量にもすっかり慣れてしまう。
そしてベームの指揮にだんだんと熱が帯びてくるのがわかる。
正規のライブ音源でもなかなかお目にかかる(お耳に)ことのない、うなり声が目立つようになってくる。
いくつも繰り返されるコラールが、受難の進行によってイエスへの同情と人間への反省を強めてゆくと同時に、そのコラールが徐々に感情移入も強くなってドラマティックになってゆく。
通奏低音をかなり重厚に響かせ、ときに思わぬ強調をすることでも、福音の聖句や、レシタティーヴォを際立たせることになっている。
それとリタルダンドも曲の終結にかなり多用されるように感じます。
ベームの音楽造りには、あまり似合わないと思われるが、これも時代でしょうか、ウィーンの譜面でしょうか。
これもまた、曲の進行とともに、そして劇性を高めるとともに、効果を上げて聴こえるところが面白いところ。
ウィーンの管楽器の音色も、いまでは聴けないまろやかなものです。
こんな風に、ベームのマタイは、ストイックなものかと思ったら、歌手の選択もあわせオペラ的な様相のマタイに思いました。

歌手は、ヴンダーリヒの独り舞台といってもいい。
福音史家とテノール独唱をかね、歌いどころももっとも多い。
当時32歳、でもこのあと4年後に事故で亡くなってしまうこの美声の歌手で、マタイが聴ける喜びはとても大きい。
端正でクリーンな歌声は、福音史家にぴたりとはまるし、ときに思わぬ劇性を漂わせて聴き手を聖書の世界の一員のように巻き込む手腕は天性の嫌みのない清潔な歌唱ゆえ。
ペテロの否認を語るヴンダーリヒには思わず息を飲んでしまう・・・・。

そのあとのルートヴィヒも泣かせてくれます。
「Erbarme dich, mein Gott,」
~憐れみたまえ、わが神よ わたしの苦い涙をお認めください~
これほどに、誰しもの人間の心に宿る弱さを悲しみを持って歌った音楽を知りません。

若々しい、ヤノヴィッツやリップの鈴音のような歌声も魅力的です。

放送録音音源で、当然にモノラルですが、音はしっかりしていて聴きやすいもの。
いずれ、オルフェオあたりが正規に復刻してくれるものと思われます。 

最後の合唱 「Wir setzen uns mit Tranen nieder」
 ~わたしたちは、涙を流してひざまずき、
    お墓のなかのあなたに呼びかけます
   お休みください 安らかにと ~

この素晴らしい合唱が終わると、拍手はなく、おそらく聴衆はそのまま静かに感動を暖めながら帰宅したことでありましょう。
このような音楽には、そうありたいものです。

 マタイ受難曲 過去記事

 「グスタフ・レオンハルト盤」

 「ウィレム・メンゲルベルク盤」

 「ハンス・スワロフスキー盤」

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