カテゴリー「アメリカオケ」の記事

2022年12月30日 (金)

交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Fujimi

散歩してたら見つけた富士が紅葉ごしに見えるスポット。

まだ散る前で、完全に染まっていなかったけれど、満足のいく1枚。

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今年は生活環境がまったく変化したのだけれど、便利さは犠牲にしても、こんな光景がすぐ近くにあるという幸せ。

2022年もおしまいです。

ジュリーニの第9シリーズを振り返ります。

一部は過去記事を編集して再掲します。

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 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調

  S:カラン・アームストロング Ms:アンナ・レイノルズ
  T:ロバート・ティアー     Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

          (1972.11 @キングスウェイホール)

70年代後半に、ジュリーニはさまざまな第9交響曲を取り上げ、録音しました。
ベートーヴェンも先駆けて録音しましたが、8番と同時に録音された2枚組のレコードは、EMIに継続していたベートーヴェンの交響曲の一環という意味あいの方が強かった。
EMIには、6~9番が録音されたわけですが、この第9はテンポをゆったりととる悠揚スタイルのコクのあるジュリーニと言う意味あいでは、次に来る第9シリーズと同様ですが、やや集中度も浅く、細部の克明さにも欠くように感じられる。
しかし3楽章の透明感と流動性は、ジュリーニならではで、1楽章の激遅と2楽章の超快速との対比が面白いし、終楽章の堂々たる歩みも数年後の超巨匠としての刻印を感じさせる。
オケはいいけど、合唱がいまいちかな。

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 ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.12 @メディナ・テンプル シカゴ)

EMIへのベートーヴェン第9から4年、しかし、その間ジュリーニはウィーン交響楽団の首席指揮者になり、ウィーンにゆかりのある作曲家の作品を格段と指揮するようになった。
74年には、ウィーン響とブルックナーの2番を録音。
NHKFMでも大曲をさかんにとりあげるジュリーニとウィーン響の演奏が放送され、エアチェックにも暇がなかった。
いつしか気になるコンビになっていたジュリーニとウィーン響が日本にやってきた1975年秋、春に来たベーム・ウィーンフィルのチケットが落選となっていた腹いせもあり、東京公演を見事聴くことができた。
演目は、ウェーベルンのパッサカリア、モーツァルトの40番と、ブラームスの1番、アンコールに青きドナウ。
このときから、アバドの兄貴分、ジュリーニが好きになった。

その次の年から始まったジュリーニの「第9シリーズ」
録音順ではマーラーが先んじているが、これはDGの専属となる契約の関係上か。
後年のウィーンとの再録音よりも5分ほど速く、63分でのキリリと引き締まった、そして緊張感にあふれる演奏。
それでいて柔和な微笑みもある歌心にも欠けていないので、おおらかな気持ちにもさせてくれる。
シカゴのブラスの圧倒的な輝かしさは録音のせいもあるかもしれないが眩しすぎと感じるのもご愛敬か。
ウィーン盤とともに、この作品の代表的な1枚かと思いますね。

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 マーラー 交響曲第9番 ニ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.4 @メディナ・テンプル シカゴ)

ジュリーニとシカゴ響のマーラー第9のLPは、アバドの復活とともに、発売時に入手してマーラーにのめり込んでいく当時の自分の指標のような存在だった。
シカゴということもあり、明るい音色が基調となっていて歌に満ちあふれているが、しっかりした構成感の元、堅固な造型の中にあるので、全体像が実に引き締まっている。
テンポはゆったりと、沈着で、品格が漂い、緻密であり清澄。
音の重なり合いの美しさはジュリーニならではで、優秀なオーケストラがあってこそ保たれる緊張感のある美的な演奏だと思う。
久々に聴きなおして、このようにともかく美しいと思った。
若い頃のレコードで聴いていた時期は、音楽にまず平伏してしまって「マーラーの第9」は凄い、が真っ先にきてしまって、ジュリーニの音楽がこんなに美しく歌に満ちていたなんて思わなかった。
歳を経て、この思いはますます増してきた。

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 シューベルト 交響曲第9番 ハ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

これもまた学生時代に買ったレコードで、渋谷の東邦生命ビルにあったショップで購入したもの。
このジャケットにあるように指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽。
遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よい。

2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしい。

レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものだが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになってしまった。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。
現在、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。

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 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界から」

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

シカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
全曲に渡って指揮者の強い意志を感じさせ、聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と驚かせてくれる。
第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなっている。

マルティノンの時代から、ジュリーニはシカゴへの客演が多く、EMIにも素敵な録音が60年代からなされていた。
ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となることだったらしい。
同時にアバドもシカゴとは相思相愛で、ショルティは後任にはアバドとの思いもあったくらい。

わたしはジュリーニは70年代が一番好きで、シカゴとロスフィル時代が併せて一番好きです。
へそまがりなので、CBSに移ってからの再録音の数々はほとんど聴いていない。

自身の指揮者としてのキャリアと歩みを確かめるようにして70年代に残した「第9シリーズ」。
シカゴという伴侶があってほんとうによかったと思うし、ジュリーニという指揮者の一番輝いていた時期を捉えてくれたことにも感謝したいです。

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季節外れの紅葉ですが、やはり日本の景色や風物には欠かせない美しさがあります。

2022年最後の記事となりますが、週1を目途としてきたblog更新。
blogはオワコンみたいに思われて久しいですが、一時休止はあったものの、こうして続けて、またあとで見返して、そのとき自分はどうだったか、どんな音楽を聴いていたのかなどという風に自分の記録を残すことが大切だから続けます。
オペラなどは念入りに調べてから文書を起こすので手間暇がかかりますが、自分の記事を読んで、またあとで聴くときの参考になったりもするし、よくこんなこと書けたな、と自分で驚いたりすることもあります(笑)。

来年もマイペースで、できれば更新頻度を上げたいな。

2023年もよろしくお願いいたします。

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2021年2月27日 (土)

アイヴズ 交響曲全曲 ドゥダメル指揮

Daiba

お台場の対岸、芝浦から見た様子。

フジテレビの横はヒルトンホテルで、よく見るとその前にオリンピックの五輪がありました。

Yoyogi

こちらは、代々木の国立競技場前。

どうなっちゃんでしょうね、オリンピック。

来年の北京なんてもってのほかと思うし、その意義とともに、揺れるオリンピック。
もうこうなったら、永久にアテネでやることでいいんじゃないか?

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 アイヴズ 交響曲第1番

                  交響曲第2番

      交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」

      交響曲第4番

  グスターボ・ドゥダメル指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック
                ロサンジェルス・マスターコラール(4番)

   (2020.2.20~29 @ウォルトディズニー・コンサートホール LA)

アイヴズ(1874~1954)の交響曲を全部聴く。
ありそうでなかったアイヴズの交響曲全集が、いきなり出ましたので即購入。
調べたら、全集としてまとまってるのが、ティルソン・トーマスで、バラで出てるのが、A・デイヴィス、リットンぐらいかな。
バーンスタインも全部録音してない。

そんななかで出てきたのがドゥダメル盤で、手兵のロスフィルとスタジオ録音で、しかもドイツグラモフォンから出るというナイスな企画。
この録音時、アメリカにコロナが上陸し蔓延中だった。

ドゥダメルの指揮は、これまでいつも懐疑的で、シモンボリバルと輝かしく登場したときは、まったく面白く聴くことができたけど、その後、音楽界の早すぎる使いまわしともいえる押し出しぶりが、どうも本人不在のように感じて、逆にドゥダメルの個性を感じさせるものがないものばかりに思えるようになった。
スカラ座と来日したときの演奏会など、ちょっとつまらなすぎて・・・
メータのように、ロサンジェルスでじっくりと腰を据えてオケとともに成長して欲しいものだ、と思っていたらこのアイヴズです。

4曲聴いた印象を先に書いちゃうと、ともかく明快で、音楽の隅々までに光があたっていて、アイヴズのさまざま錯綜する音たちが、どれもこれも気持ちよく聴こえるのだ。
パッチワークのように紡がれたいろんな風景が、ひとつにまとまっていくのを聴くアイヴズの音楽の醍醐味をまざまざと楽しみながら味わえます。
2CDという組物で、曲順に順番にすらすら聴けちゃうというメリットも大きい。
短期間で曲順に一気に録音することの強みもここにあり、集中力とともに、ドゥダメルとロスフィルがアイヴズを日にちを追って極めていくような感じを受けます。
4番の最後の讃美歌には、演奏者と同様に、コロナに負けないぞーみたいな神々しい感動を受けることとなります。
 デッカ時代のロスフィルの音、さらには、ジュリーニやプレヴィンのときのものと、響きがぜんぜん違うのは、やはり響きのいいディズニーホールトーンのもの。
サロネン時代も後半は、ディズニーだったけれど、それとも違って豊穣な響きに感じるのはドゥダメルの音作りにもよるのだろうか。

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ホリデー・コンポーザー、チャールズ・アイヴズ。(過去記事を少し引用)
休日作曲家なので、趣味っぽいとかはまったく言えず、実際は音楽家だった父親からみっちり教育を施されたほか、大学でも正規に作曲を学んでいる本物の作曲家。
軍楽隊長だった父の影響は、シリアスな音楽に突然割り込んでくる軍楽隊のマーチや賛美歌、街の喧騒音などの同時進行ぶりに現れている。
このあたり、同時期に活躍したマーラーの音楽にも通じるところがあるが、アイヴズがもっと独創的で大胆。
 そんな独創性が、アメリカでは絶対に受けないと考えたアイヴズは生計を立てるために保険会社のサラリーマンとなり、高業績を納め、さらに会社まで設立してしまったのは有名なおはなし。
 その合間に作曲をしたから日曜作曲家と呼ばれてしまうわけなのですが。

①1895~98年作曲の第1番。

20代初めの作は、これはまるでビゼーやプロコフィエフのような古典・ロマン派風で、かつヨーロピアン。
牧歌的なほのぼの緩徐楽章に、スケルツォ風楽章、最後はさまざまな要素が同時進行で絡む、にちのアイヴズ先取りの楽章で、打楽器も多用されにぎにぎしい。
以外に面白いぞ1番。

②1900~01年作曲の第2番。
さまざまな22曲ものアメリカの唱歌や民謡が引用されが錯綜する。
1楽章は、厚い弦でシリアスに始まり、ついでアイヴズの面目躍如たる2楽章は、元気で陽気なブラスバンド風なサウンドから、ノスタルジックで田園風かつ敬虔な賛歌とが交錯。マーラーの6番みたいなのも感じるし。
緩除楽章たる3楽章の、アメリカの方田舎を思わせる、夕暮れ時のしみじみ感は、ほのぼのと、まことにステキであります。
次ぐ4楽章は、短い橋渡しで最初の楽章の回帰で、弦ばかりでなく、フルオケ。
一転して、明るく楽しげな終楽章は、フォスターのおなじみに旋律に、懐かしい調べも交えつつウキウキと進むと思ったら、速度を落としてホルンがフンパーディンクみたいな望郷さそう、アルペンチックなソロを吹く。
また元気に走り出し快活に、でまたしみじみ調に戻り忙しいが、さきのホルンのメロディーを今度はフルートのオブリガートを伴いながら独奏チェロが奏でる。ここにはほとほと感動しますね。
で、あとは元気を吹き返し、ずんずんずんずん、お祭り騒ぎに突入し、突如の不協和音一発でオシマイ!
 楽しーーー、アメリカ・ザ・ビューティフル、なんでもありの、これぞアメリカだ。
最近は2番が一番好き。
川瀬&神奈川フィルでも新世界と組んだコンサートで聴いた。
ドゥダメルもこれは好きみたいで、なんとウィーンフィルの定期でも取り上げていて、わたしもネットで聴いたばかり。
ムジークフェラインに響くアイヴズの交響曲、観客はブラボーかましてましたよ。

③1904年作曲の第3番「キャンプ・ミーティング」
アメリカの地に入植した人々。
キリスト教を奉じながらも、聖職者や教会、集会所も場所によってはなくって、宗教への渇望が人々にはあった。
その望みを癒すために、移動集会のようなものが開催され、そこに人々は何日もかけて集まり、そこに滞在して、信じるキリスト教の集会に没頭したのだった。
それが、「キャンプミーティング」らしい。
アメリカの教会やテレビの伝道演説は、かなりアグレッシブで熱っぽいから、日常から離れた泊りがけの集会への参加は、かなり盛り上がったのではないでしょうか!
「古きよき仲間の集い」
「子供たちの日」
「コンムニオン(聖餐式)」これらのタイトルがついた3楽章形式の室内オケ向きでもあるシンフォニエッタ風の交響曲。
かなり穏健で、アイヴズが育ったニューイングランド地方の良き時代を思い起こさせる懐かしい響きに満ちている。
懐かしき1楽章、子供たちの笑顔もうかがわせるような2楽章に、敬虔な祈りの場面。
讃美歌の引用が多く、それがいろんな楽想と絡み合いながら、アイヴズならではの、一筋縄ではいかない複雑さも、実は醸し出している。

③1909~16年にかけて作曲の第4番。
4楽章形式で、第1と第4に合唱が入るがいずれも賛美歌。
寄せ集めの素材40曲以上ともいわれるが、それが最初は目まぐるしさを感じさせるが、聞き込むと徐々に旋律の出し入れが見えてくるし、いずれもアメリカ風の旋律ばかりなので、親しみやすいことに気付いてくる。
アイヴズの創作の腕が、こうして4番で確実にあがっていて、1番とは別人のようだ。
1楽章は短く、「夜を守る友よ」「はるかに仰ぎ見る」が荘重に歌われるが、どこかカオスな雰囲気で後ろ髪を引かれる美しさがある。
2楽章に至って、いよいよ複雑極まる雑多なごった煮音楽が始まる。これを紐解くのは至難の業だし、旋律を追うような聴き方の私のような人間にとって不可能に近い。
ピアノソロ、ピアノ4手連弾、調律の狂ったアップライトピアノ、オルガンといった指定のある鍵盤楽器がときに乱れ打つように弾き鳴らされ、ブラスはにぎにぎしくマーチングサウンドを垂れ流し、ジャズバンドもやってくる。
よく聴くとモーツァルトまで顔をだす。
このごった煮の状態は、副指揮者を要するが、いまの指揮者たちやオーケストラは単独でできちまうのか!
思えば、小沢さんは、70年代にこれを安々と一人でこなしていたところがスゴイ。
この2楽章を何度も何度も、そう何度も聴いたが覚えられないのが愉快すぎる(笑)
 3楽章は別人のような音楽が流れる。
フーガの手法で、讃美歌を引用し歌い紡ぎ、オルガンも加わり荘重で感動的な旋律が幾重にも重なってゆき、最後はなかなかに感動的な場面となる。
この楽章はまったくもって素晴らしく、いつまでも真摯に浸っていたい。
これぞ、これもまた、私たちが思うアメリカだ。
4楽章、冒頭は打楽器と低弦が怪しい雰囲気をかもし出す。
この楽章は、実存に対する宗教的な経験を象徴しているとされるが、最後の方で、その錯綜するオーケストラのリズムに乗せて、合唱がアカペラ風に入ってくるところは、聴いているとようやく光明が差したかのような気分が横溢し、おさまるとことに収まった感があって、安心とともに、大いなる感動を味わう。
でも、まだどこかしら不安の残る終わり方・・・・
こうしてアメリカよ、ついでに日本も難局を打破して欲しいと。

「芸術の作法」は学術的なものや決められた書式から生まれるものでなく、人生経験や日常の中から生まれてくる、というのがアイヴスの考えだったという。
まさに、この交響曲はその言葉どおりの音楽と受け止めていいのかもしれない。(以前のブログから引用)
シカゴを指揮したティルソン・トーマス盤には、この4番が引用した讃美歌が5曲収録されていて、それもともに聴くと分かりやすく理解の一助となります。

4曲のなかで、2番が一番聴きやすく好きだけど、4番の充実ぶりには叶わないし、何度聞いても味わいつくせない、いやよくわからない、スルメを噛むがごとき音楽に思うのだ。

ドゥダメル氏は、ロスフィルとともに、こうした路線を進めて欲しい。

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お台場のニューヨーク。
アメリカのオーケストラとともに、アメリカの都市探訪をシリーズ化してますが、今回はロサンジェルスながら、またの機会にといたしたく。
映画や音楽で憧れた西海岸は、いまや、わたくしのあこがれの地域ではなくなっってしまったようだ。
移民があふれ、SF市などは、どこぞの国に乗っ取られた様相を呈している。
でも、それもまたアメリカなどだと思うようにしないと、この国の在り方がどこかわからなくなる。
 他国の選挙ながら、先の大統領選には、やきもきしたくちです。
不正がとおってしまったが、政治はまた違うかたちで継続される。
自由と民主主義の国の姿を強く、いつまでも見せて欲しいと思う。
 アイヴズを聴きながら、アイヴズの愛したアメリカは、ほんとうはどんなだったんだろうと・・・・・

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2020年12月28日 (月)

アディンセル ワルソー・コンチェルト ペナリオ&ドラゴン

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クリスマス以来、東京タワーはこのライトアップ。

「2021年も前に!ススメ☆」ということで、すべての人が幸せに、という願いを込めたものらしいです。

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真下からみても、ともかくキレイ。

昔の東京タワーは、夜はライトアップなんてしてなかったはず。
タワーと同期だけど、年々進化して綺麗になるのに、人間のワタクシはどんどん劣化。

思い出に生きる。

Hollywood

  アディンセル 「ワルソー・コンチェルト」

     Pf:レナード・ペナリオ

   カーメン・ドラゴン指揮 ハリウッド・ボウル交響楽団

             (1950年代後半)

この10分以内のロマンティックな曲が大好きなんです。
リチャード・アディンセル(1904~1977)は、英国の作曲家で王立音楽院出身の本格作曲家だけど、その名前は映画音楽・ドラマ音楽の作曲家として知られている。
一番、有名なのがこの作品で、1941年公開のテレンス・ヤングの原作、デスモンド・ハースト監督の映画「危険な月光」(Dangerlous Moonlight)のなかで演奏される曲であります。
「ドイツ軍のポーランド侵攻の戦時下を舞台にした、連合国側女性ジャーナリストと、ポーランド軍に帰属する戦闘パイロットでピアニストとの悲恋の映画 。
恋に落ちたふたり、でも彼の任務はドイツ空軍機に特攻をかけることで、その任務を遂行するが命は取りとめ、しかし記憶を失う。
回復し、ドイツ軍がロンドンを爆撃するなか、自身が作曲した「ワルソー・コンチェルト」を思い出し、過去の記憶も併せて思い出し、愛する妻に最初に語りかけた言葉も思い出し、再び「月が明るく出ているときは危ないよ」と優しく語りかけるのあった・・・・・」

まさに戦時下の音楽であり、この切ないほどのロマンあふれる音楽。
まるでラフマニノフなのは、ハースト監督が最初はラフマニノフに音楽を依頼したからとか。

アディンセルは、この音楽のほかにも、「チップス先生さようなら」とか「二都物語」「クリスマスキャロル」など、多くの映画に音楽を提供してます。

 そして、ペナリオもドラゴンも、ともにアメリカが生んだ才人。
ペナリオは、若き小澤征爾ともレコーディングがあるし、RCAに多くのレコードがあるし、ハイフェッツとの共演も有名。
ここでは、慎ましくも優しいピアノを聴かせてくれます。

あと懐かしい、カーメン・ドラゴン。
以前にも記事にしてますが、子供の頃、AM810 「FEN」(現AFN)をよく聴いていた。
アメリカ軍の放送局で、有名なディスクジョッキーの番組もあったし、アメリカ色満載で、耳で楽しむアメリカそのものだった。
そんななかに、日曜の朝のクラシック番組があり、その案内役がカーメン・ドラゴンだった。
「Hellow, This is Carmen Dragon」 で始まる、とてもいい声のドラゴンさんは、イタリア系のアメリカ人音楽家で、やはり映画音楽にも多く携わっていたほか、ワルターのコロンビア交響楽団とメンバーの出自を同じくする、ロサンゼルス・フィルハーモニック・アソシエーションという団体から成り立った「ハリウッド・ボウル交響楽団」を率いて、キャピタルレーベルに多くの録音を行った。
ライトなクラシックというイメージが強い指揮者だったけど、クラシック入門としては最適だし、ときに、ムーディにBGM風に耳を傾けるときなど、ドラゴンの手の入った名曲などいいものだ。
 そんななかに、「ワルソー・コンチェルト」が入ってまして、うれしくなって購入したもの。
何度聴いても、いい曲だし、短いからちょうどいいし、年代を感じさせる録音の具合もよろしい。

どっかの国にすっかり侵食されてしまったハリウッド。
かつての華やかなりし銀幕の世界はいまいずこ・・・・・
頑張れアメリカ!
MAGA!

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お月さんと一緒に。

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「ワルソー・コンチェルト」と東京タワーでした。

過去記事

「フィードラー&ボストン・ポップス」

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2020年11月15日 (日)

コープランド 市民のためのファンファーレ メータ指揮

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 コープランド 「市民のためのファンファーレ」

   ズビン・メータ指揮 ロスアンゼルス・フィルハーモニック

                           (1977.8 @LA)

ジャケットはマゼールのガーシュインのものなので、ここでは載せません。

昨日、レインボーブリッジを徒歩で走破して、対岸のお台場の海岸を散策してきました。

幸せそうなカップルばかり、あときっと貴重なお休みを楽しむ東南アジア系の若いグループなど。

いずれもみんな笑顔。

 心を鼓舞するような決然としたファンファーレ。

公正と正義!

お台場の自由の女神が持つ銘板には、アメリカの独立とフランス革命の年がそれぞれ刻まれてます。

勝ち取った自由を堅持する誇り高い意志。

負けるなアメリカ。

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自由の女神を後ろから見ると、その先に大きなテレビ局のビルがあります。
アメリカも日本も、マスメディアはその存在意義の大きな過渡期を向かえていると思う。

しかし、メータの明快な指揮、デッカの鮮やかな録音が光る3分間だった♫

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MAGA

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2020年7月18日 (土)

バーンスタイン ウェストサイドストーリー シャーマーホーン指揮

Takeshiba

どんより空と止めどない雨が継続の関東。

日々、こもりっきりなので、ちょっとのやみ間を見つけては歩きまわります。

羽田空港への飛行経路が変更されて、都心上空から空港へ向かう飛行機が眺められるようになりました。

レインボーブリッジの下には、再開した東京湾クルーズ船も見えます。

まだ空いてるけれど、若いカップルさんが楽しそうに乗船待ちしているのを何組も見ましたね(byオジサン)

こちらは日の出桟橋からの運航で、一方、竹芝桟橋からのクルーズ船は、コロナ禍にあって、事業撤退してしまい、船は寂しく停泊したままになってます・・・・・

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 バーンスタイン ウェストサイド・ストーリー

  マリア:ベッツィ・モーリッソン  トニー:マイク・エルドレッド
  アニタ:マリアンネ・クーク    リフ :ロバート・ディーン
  その他多数

 ケネス・シャーマーホーン指揮 ナッシュビル交響楽団

          (2001.9.17~18 @ナッシュビル)

言わずと知れた作品で説明不要。
現代版、といってももう60年以上前の「ロメオとジュリエット」。
ポーランド系とプエルトリコ系のともにアメリカ人のグループ同士の抗争と、それに巻き込まれた恋人たち。

ジェローム・ロビンスの原作に、音楽担当がバーンスタインのミュージカルで、1957年ブロードウエイ初演。
舞台は見たことがないけれど、1961年の映画版は、テレビで何度か観た。
そう、淀川長春さんの解説の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の日曜洋画劇場です。
日曜夜の洋画は、けっこう楽しみだった。
大河ドラマが終わって、洋画を見て、23時で、もう月曜日の憂鬱が始まる、そんな毎週の繰り返しだった子供時代。
 余談ですが、亡父がホテル系の仕事だったので、若い頃勤務してた熱海の施設に、淀川さんがよく湯治に来ていて、ネクタイをもらったりして、ちょっと親しくしていたらしい。
水色の水玉のネクタイ、まだ実家のタンスにあります。

Westside

これも実家にあった映画のパンフレット。
ナタリ・ウッドとジョージ・チャキリスのマリアとトニー、憧れました、かっこよかった。
よき時代のアメリカ映画を見て、アメリカってすごいな、的にいつも思ってました。

それがいま、どうでしょう。
この映画は、アメリカの縮図のひとつ、ポーリッシュとプエルトリカンは、ごく一部で、多種多様の人種の他民族・自由と民主の国がアメリカ。
数回前のブログで少し書きましたから、もう触れませんが、大統領選を控えて再選阻止を図る国内はおろか国外勢力の暗躍が、アメリカを混沌に陥れようとしている・・・・

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この作品を、オペラ的に演奏してCD録音した84年のバーンスタインの自演盤は、記事にしたかと思ったらしてなかった。
初出以来、よく聴いたけれど、カレーラスとテ・カナワといった人気歌手たちの声が立派すぎて、バーンスタインも重厚すぎたりで、何度も聴くと疲れるかもしれない。

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もうひとつ、ワーズワースとロイヤルフィル、ボニーの歌った盤も持ってますが、こちらはスマートでかつ耳当たりのいい心地よいウエストサイド。
ボニーのマリーがステキな1枚ですが、英国風で上品な仕上がり。

そして、今回とりあげたのが、ナッシュビル録音。
ここに聴かれる、アメリカの日常感は、肩ひじ張らず、さらりと聴けるし、シンプルに音楽の良さ、歌の良さ、リズムの良さなどを楽しめる。
あまり知らない歌手たちも、普通でよろしく、オペラ的な歌唱はなく、これなら聴き疲れすることはないかもしれない。
オーケストラについて、どうこう聴きとれるものは、このような作品ではありませんが、テネシー州の州都、ナッシュビルのオーケストラは、ネット配信などで、最近の演奏をいくつか聴いてますが、なかなかの実力です。
 バーンスタインの弟子でもあったシャーマーホーンは劇場経験も豊富で、若い頃、バンドでトランペットを吹いたりしていたこともあり、実に雰囲気豊かな、軽やかな指揮ぶりに思います。

アメリカのオーケストラ巡りシリーズ。
ナッシュビル交響楽団は、1946年の創設で、初代ストリックランドという音楽監督のもとに発展。
ずっと年月を経て、1983年、本盤のケネス・シャーマーホーンが指揮者となってから大躍進して、実力を高めたが、長く続いたシャーマーホーン時代は、2005年の氏の逝去により終了。
そのあとを救ったのが、ビルダーのスラトキンで、ナクソスへの録音も引き継ぎ、2006年の新しいホール完成もスラトキンの指揮でこけら落とし。

Schermerhornsymphonycenter

そのホールが、美麗な、その名もシャーマーホーン・シンフォニー・センター。

2008年から、ニカラグア出身のエルシステマ系の指揮者、ジャンカルロ・ゲレーロで、この指揮者といま蜜月にあって、録音もアメリカ音楽を中心にたくさん出てますし、日本人コンマスとして二人目の岩崎さんが、現在もコンマスを務めてます。

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ナッシュビルは、多くの古い建物や景観条例などがあって、ユニークな建造物が多いようです。
西部のアテネとも呼ばれ、原寸大のパルテノン神殿もあるそうな。

Schermerhorn-2

で、シャーマーホーン・センターの外観もこんな感じで、重厚です。

Nashville-01

アメリカ中南部に位置するテネシー州とその州都ナッシュビル。
月並みながら、Wikiを参照に、街紹介。
周辺の都市圏を併せると、人口190万で、Music Cityと言われるくらいに音楽業界の中心地で、カントリー・ミュージックの聖地みたいな都市。
チェット・アトキンス、グレッグ・オルマン、ジョニー・キャッシュ、グレン・キャンベル、エイミー・ブラント、ドリー・パートン、パット・ブーン、エミルー・ハリス・・・etc
多くの著名なミュージシャンが、この街とゆかりがあります。

Nashville-02

このように、川に囲まれ、さらに位置的に鉄道路線の要でもあったことから、南北戦争当時、ナッシュビルを奪取することが戦争の行方を支配するとされたことから、ここは激戦地となったそうな。
美しい街並みからは、そんなことはいま想像もつかないが、古いものへのリスペクトや、カントリー・ミュージックが興隆したのは、こうした歴史もあることからかもしれません。

Nashville-04

 近年、ナッシュビルは経済的にも急成長して、工業・商業ともに2000年代以降は大進展。
日産の米国会社の本社も当地にあって、ニッサンスタジアムも建造され、フットボール場として街の中心、このオーケストラホールの近くにあります。
ちなみに、メジャーリーグはなくて、マイナーリーグの「ナッシュビル・サウンズ」という、いかにもなチーム名になってる(笑)

Nashville-05

名物料理は、ホットチキンと、この画像に代表される「ミート・アンド・スリー」というもの。
メインの肉料理に、3つのサイドディッシュメニューをそれぞれ選べるもの。
いかにもアメリカっぽいっ!
この歳になると、自分には日本の一汁三菜の方がはるかに良いです(笑)

ナッシュビルの最近の現地ニュースを見てみたら、コロナ感染は延べ16,000人で、死亡者数は151人。
ほかのアメリカの都市に比べたら、そんなに多くはない。
問題のデモも、ここでは大きなものは起きてないが、警戒した市行政は、一時、夜間外出禁止令を出したりしてました。
あと、市長がマスクの着用を執拗に呼びかけていて、マスク不着用者やディスタンスを守らない悪質な連中を見つけて発表するようなこともしてます。
日本のマスク着用や、非土足文化が見直されてますが、マスクはどうしても嫌いなようですな。

もう海外旅行なんて、ずっとずっとできないのではないかと思われます。
そして行けない以上に、来れないのが困る。
今年の外来演奏家は、ほぼ全部無理。
来年も危ぶまれます。

Bulue-01

晴れない話題に後半はなりましたが、ここでもう一度、気持ちいい画像を。

早く青空が見たいな。。。。。

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2020年5月19日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アメリカオケ

Tokyo-tower-01

5月の青空に鯉のぼり。

この連休中に、ひと気の少ない東京タワーの足元には、今年もたくさんの鯉のぼりが泳いでました。

東日本大震災の折には、岩手県大船渡市にエールを送るため、「さんまのぼり」も登場。
今年も元気に泳いでました。

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自粛による経済活動の低下で、空も空気も澄んでいて、皮肉なものです・・・・

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

世界のオペラハウスが発信してくれる豊富なオペラ映像に、日々うつつを抜かしてますが、そんな合間に聴き親しんだ名曲をしみじみと、いや、これでもか、とばかりに聴いてみた。
オペラばかり観てると、たまに聴くシンフォニー作品は、メチャクチャ新鮮だった。

全体に古めのものばかり、ステレオ録音前提で、いまは呼ばなくなったアメリカの5大オーケストラで。

Tcha5-ormandy

    ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

         (1959.1.25 @フィラデルフィア)

オーマンディの古い方、懐かしいCBS録音。
ジャケット写真は借り物ですが、子供の頃、レコード店でよく手にとって眺めていたのを覚えてる。
2枚組、3,300円のダブルシリーズ。
ずっとあとに、廉価盤になったものを聴いたが、ちょっとキンキンする音だったけど、でもそこに煌めくフィラデルフィアサウンドが、これか、と刷り込まれるような明るい音色があった。
CD化されたものは、もっと落ち着いていて、堂々とした歩みを感じさせる貫禄の演奏に感じた。
後述のセルもバーンスタインもそうだけど、CD化によって、イメージを変えてしまうことが多いのはCBS録音だったりします。
後年のRCA録音は未聴、いずれ聴きたいけど・・・

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  ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

          (1959年10.23 @クリーヴランド)

懐かしいジャケットで、セル&クリーヴランドの芸術だったかで、廉価盤になったときに聴いたもので大学生だった。
マスタリングされたCDを聴いたのは、最近のこと。
これもイメージ一新。
硬派なきっぱり型の演奏はかつて思い通りだけど、思ったより潤いがあり、とても豊かなチャイコフスキーだと見直した。
アゴーギクも効かせ、思わぬ効果も多々生んでるし、最終章の有名なシンバル追加も新鮮なもんだ。
こういうチャイコフスキー5番も実にいい!
セル&クリーヴランドが大阪万博で来日して、今年で50年。
帰国後亡くなってしまったセルの没後50年でもあります。
小学生だった自分、テレビ放送された、シベリウスの2番が大いに気に入って、亡くなった志村けんさんの、アイーンじゃないけど、胸のあたりで左手を水平にして、オーケストラをコントロールするセルの指揮ぶりを真似たりしたものです・・・
なんだか、いろんな思いが渦巻くセル&クリーヴランドのチャイコフスキー5番でした。

Tchaiko-5-bernstein

  レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

      (1960.5.16 @NY)

このジャケットが好き。
バーンスタインの旧盤は、CBSソニーが出したベストクラシックという自社レーベル音源総動員のシリーズものの1枚で、中学生だった自分は、ワンコインで送ってもらえた「音のカタログ」で、この演奏の4楽章冒頭を何度も聴いたものです。
ここだけ、ともかく、懐かしーーー
 CD化されたものを聴いたのはDGの新盤を聴いたあと。
悠揚たる新録音に比べ、まったく違うと感じてしまう、自由自在なフーダム演奏は、思わずずっこけたり、おいおい待って~とか、聴く側のワタクシが追いかけるようなイメージの演奏。
思いのたけを、思い切りその音楽にぶつけて、そのまま音にしてしまうバーンスタンの凄さをここでも感じる次第です。
でも、やりすぎ、疲れちゃう、のも歳を経た自分には感じさせるもので、後年のDG盤もいまの自分にはそんな風に感じます。

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   サー・ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

     (1975.5.15 メディナ・テンプル、シカゴ)

これぞ、ショルティ&シカゴと思わせる肉太な演奏。
アバドやジュリーニの指揮でシカゴが好きになり、それとは違う骨太シカゴの音を聴いて驚いた70年代。
このコンビのベートーヴェンの交響曲は、全部集められなかったけど、安い装置が実によく鳴る録音の生々しさもさることながら、音楽そのものを混じり気なく聴かせる真っ直ぐな演奏だった。
そのイメージどおりのストレートなチャイコフスキー。
カラヤン&ベルリンフィルの磨き抜かれた嗜好品のような演奏とはまた違う、高度なオーケストラの機能性の行き着いた到着点のような演奏に感じる。
77年発売当時のレコ芸の広告を載せたのは、ここに書かれたことが、このショルティ盤のイメージそのものだからです。
後年の再録音では、もっと柔和になってしまうが、70年代のこのコンビはすごかった。
シカゴの高性能で完璧なアンサンブルを縦横無尽に、猛獣使いのようにコントロールしつつ、その音楽は実に緻密で豊か。
スコアから外れたことはひとつも行っていない模範演奏。
そう、完璧なる模範演奏なんです。
久しぶりに聴いて、ほんと感動しました。

Tchaikovsky-5-ozawa-bso

  小沢 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1977.2.16 @ボストン)

われらが小澤さん、ざーさん、@70年代、in ボストン。
これらの簡略言葉で、その演奏の様子を書けてしまう自分ぐらいの世代。
 小澤さんはカッコよかった。
同朋日本人が、アメリカのメジャーオケの指揮者になり、メジャーレーベルの看板指揮者になり、ナイスな録音を次々に繰り出していた70~80年代。
高校時代、下手クソながら、クラブ活動のオーケストラに所属させていただいた。
メンバーたちと箱根に遠足(お膝元だったので)したとき、アメリカ人夫妻がいて、果敢な高校生たちは、どこからいらしたんですか?と声をかけた。
そしたら、ボストン!とお答えになった。
すかさず、ワタクシは、オー、セイジ・オザワ、ボストン・シンフォニーとへなちょこながら発し、ご夫妻は、オールライト!ベリーグッド!と満面の笑みでお答えになりました。
 この時ほど、小澤さんの存在が誇らしいという思いをしたことがありません。

3度の録音のある小澤さんのチャイ5の、真ん中の音源。
シカゴ、ボストン、ベルリンフィルとすごいオケとの録音歴を持つ小澤さん。
果敢な雰囲気だけど、以外に慎重なシカゴ盤、練れに練れた柔軟姿勢、オケが抜群にうまいベルリンフィル盤。
それらに挟まれたボストン盤は、細やかで、目の行き届いた欠点ゼロの美味なる演奏。
無駄なことなく、妙な味付けもなし、流麗ななかに、チャイコフスキーの音楽が爽やかで潤いに満ちたものであることを認識できます。
第2楽章は、後年、侘び寂びにやがて行き着く小澤さんの片りんを感じさせますが、ボストンの音の美しさは例えようもないです。

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こたびの5番聴きまくり、いまの心境や状況からの自分のランキング。

 セル → ショルティ → 小澤 → オーマンディ → バーンスタイン

でも、ところと状況がかわれば、もしかしたらまったく逆になるかも(笑)

アメリカのオーケストラ、5大オケなんてのはもう古くて、ロサンゼルスとサンフランシスコも同等の実力だし、デトロイト、ピッツバーグ、シンシナティ、セントルイス、ダラス、ヒューストン、シアトル、ミネソタ、ナショナル、アトランタ等々、みんな凄腕で、彼らのチャイコフスキーも追いかけたいな・・・・

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美しき5月、とはいかなかったけれど、なんとか切り抜けて来年の鯉の飛翔もみたいと思います。

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2019年7月21日 (日)

バーンスタイン ミサ曲 オールソップ指揮

Sodegaura-1

ずっと曇り空と雨続きなので、晴れの5月の空と海ですっきり。

この海辺の近くの中学校に通っている頃に、ダイジェストだけど聴いたのが、バーンスタインのミサ。

当時は、あまりに異端すぎて、ロックにすぎて、クラシカルなクラヲタ少年にはその内容には理解も及ばない音楽だった。

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  バーンスタイン  ミサ曲

   司祭:ジュビラント・サイクス

   ボーイソプラノ:アッシャー・エドワード・ウルフマン

  マリン・オールソップ指揮 ボルティモア交響楽団
               モーガン州立大学合唱団
               ピーボディ児童合唱団

         (2008.10.21 ボルティモア)

バーンスタインのミサを取り上げるのは、2011年9月についでこれで2回目。
そのときは、作曲者自身の演奏で。
この記事が、われながらよく書けたし、現在も同じ思いで、付け足すこともないので、一部修正しながら引用します。

「このミサ曲の時代背景。
アメリカは、ニクソン大統領治下、ベトナム戦争中。

少し前は、R・ケネディの暗殺、沖縄返還合意・・・・。

ソ連との両極関係にありながら、悩める大国は、戦争に疲れ病んでいった。

その時代のアメリカを念頭に置きながら聴く、バーンスタインのミサ曲。

もう死語にも匹敵するカテゴリーのミサ曲を、それも指揮者でもある近代の作曲家が真剣に取り組むなんて、しかも、カトリックの音楽をユダヤ人が手掛けるなんて。

交響曲第3番「カディッシュ」は、作曲中に起きてしまったJ・F・ケネディの暗殺を受けて、故ケネディに捧げた。
1968年のことである。

 そして、それと同時に構想を練りつつあったミサ曲は、ケネデイ未亡人ジャックリーヌ・オナシスの依頼により建てられたケネディ・センターのこけら落しとして作曲が進められることとなった。

そして、1971年に出来あがったその曲は、ミサ曲の概念を打ち破る劇場音楽としての上演形式であり、クラシック音楽のカテゴリーに収まりきらない、ロックやブルース、ダンスを取り入れた総合音楽的様相を呈した大作となったわけである。

バーンスタインは、この作品を「歌い手、演奏家(楽器)、ダンサーのための劇場用作品」と称している。

1971年9月8日の初演。


ミサ典礼文をこんな感じで歌い踊り演じちゃうことに、聴衆は冒瀆よりは、新鮮な感動と共感を覚えた。

教会内の厳めしい形式的な秘義を劇場に解放してしまった・・・とでもいえようか。
こんな発想をすることができたバーンスタインの天才性と大胆な進歩性。

曲は、ラテン語によるミサ典礼文を基本に置きながら、そこに英語によるバーンスタイン自身とS・シュワルツによって書かれた台本がからんでくる。

キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュスデイ、これら通常典礼文がしっかりあって、それらは時にロックのようにシャウトして歌われたり、ブルース風だったり、ゴスペルだったり、現代音楽風だったりのバラエティ豊富な展開。

その間に絡んでくるのが、追加された歌唱部分で民衆たる合唱やソロによるものと、ミサ全体を司るCerebrant(司祭)のバリトンによる歌唱。


前半部分は、典礼も挿入部分も主を賛美し、神の栄光を称える

司祭は冒頭、「Sing God a simle song・・・・・」~「神に、シンプルに歌を捧げよ!生のあらんかぎり、主を讃える歌を歌おう・・・・」と実に美しい讃歌を歌う。

この曲、わたしは気にいってまして、カラオケで歌いたいくらい。

中学生の頃に発売されたこのミサ曲の、特別サンプル17cmLPをCBSに応募してもらったが、その冒頭がこれ。
何度も何度も聴きました。変な中学生でした。


しかし、典礼の合間合間に、人々の神への不信や不満が芽生えてきて、「何いってんだ!」とか「早く出てこ~い」なんて好き勝手歌い始める。

不穏な空気が後半はみなぎってくる。

クレド=信仰告白に対しては、「告白すりゃぁ、それでいいってか!」「感じてることは表に出せない、見かけなんて嘘ばかり。ほんとうのもの、主よそれがわからねぇ・・・」と不満をぶつける。


しかし、司祭はそれに対し、「祈りましょう」・・・としか答えることができない

「選べるのだったら、一本の木だってよかったんだ。人間になんてなるんじゃなかった・・」と病んだ発言。

あんたは、またやってくると言ってた。いったいいつ来るのよ!いつまでわたしたちを苦しませているのよ、世の中はひどいことになっているよ・・・」


途中、ベートーヴェンへのオマージュのような章もあって、第九の旋律が流れる。
 

それでも司祭は、「祈りましょう」と、聖体拝領を行ってミサの儀を進める


 次ぐアニュスデイは、通常のミサやレクイエムでは神妙かつ優しい曲調なので、そう思って聴くと、まったく裏切られることになる。

民衆と個人ソロが入り乱れて、不平不満大会となって沈黙する神への怒りへと変貌してゆき、暴徒化してゆく。
音楽も、大音響となって収拾がつかなくなる・・・・・。

そこへ、司祭が「PA・・CEM、Pacem」と叫び、赤葡萄酒に満たされた聖杯を床に叩きつけ、聖杯は大きな音を立てて砕け散る。

「平和、平和を」と叫んだ司祭

これからが、司祭の最大の歌いどころ。15分以上をソロで歌い抜けなくてはならない。

法衣服を脱ぎ、「粉々に砕けてしまった、物事はなんて簡単に壊れてしまうんだ。」と悲しそうに、そして空しく歌う。

「まだ待っているのかい?・・・、 だが君たちは、君たちなんだ、何が君たち歌い手たちに出来たかを、それを歌い、それを祈るんだ・・・・」

司祭は、舞台の下に消えてゆく。

前半に出てきたオーボエの神秘的なソロの音楽を、こんどはフルートソロが静かに奏で、やがて最初はボーイ・ソプラノの少年合唱で、次いで民衆やソロ、そして再び一般人のなりで現れた司祭役も加わって感動的なSecret Songsが始まる。

Lauda」、すなわち、誉め讃えの言葉が繰り返される感動的なエンディングは、マーラーの千人交響曲の神秘の合唱にも似ている。

だが、それと違うところは、「汝に平安あれ」と囁かれ、「全能の父よ、耳を傾けてください、われわれを祝福し、ここに集まったすべての人を祝福してください、アーメン」と静かに歌を閉じ、ナレーターが最後にミサの終了をアナウンスする壮麗さとは無縁の渋い印象的な終わり方だ。

The Mass is ended; go in Peace


不穏な時代にも、いつも人の心にある祈りと平和への思い。

沈黙の神への問いかけは、自分の心への問いかけに等しい。

ある意味、宗教の概念を超えた素晴らしいミサ曲だと思います。」

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初演時のバーンスタイン自身の録音から、48年。

作曲者以外の演奏なんて、考えられないという年月は去り、いま、バーンスタインの作品は幅広く演奏され、録音されるようになった。
このミサ曲にも、いまや、K・ナガノ、K・ヤルヴィ、オールソップ、セガンと、多くの音盤が出ました。
今回聴くオールソップ盤は、手兵のボルティモア交響楽団との演奏会のあと、同じホールで録音されたもので、演奏会の熱気そのままの、意欲と共感に満ちた感動的な演奏になってます。
サイクスの司祭の、繊細でありながら没頭的な歌唱は、かつての初演時のアラン・タイトゥスに迫るもの。
オーケストラも巧いし、雰囲気が豊か。
ほかのメンバーも文句なし。

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オールソップは、数あるバーンスタインの弟子の一人でもあり、タングルウッドでクーセヴィツキー賞を受賞したことがその所以であります。
ここでは、バーンスタインとともに、小澤征爾の薫陶も受けてます。
女性指揮者としては、シモーネ・ヤングとともに、トップを走るオールソップ。
ニューヨーク生まれの彼女、コロラド響に始まって、これまで、ロングアイランドフィル、ボーンマス響、2007年よりのボルティモア響、サンパウロ響、そして、今年から、ウィーン放送交響楽団の指揮者となり、アメリカとヨーロッパで大活躍なのです。

Alsop-bso

ウエストサイドストーリーを指揮するオールソップさん。
ナクソスに録音したバーンスタイン音楽もたくさんあって、バーンスタイン愛にあふれてます。

さて、アメリカのオーケストラシリーズの一環でもある今回の記事。

ボルティモア響の歴史は、1916年の市立オケとしてのスタートにさかのぼり、100年ほど。
歴代の指揮者のなかで、有名な方は、アドラー、コミッショーナ、ジンマン、テミルカーノフ、そして、オールソップという流れです。
コミッショーナとジンマンとの演奏には、多くの音源が残されてます。
テミルカーノフの時代は、7年ほどのようですが、録音も見当たらず、どんなコンビだったのでしょう、気になります。
現在は、名誉指揮者となっております。

アメリカのオーケストラのランク付けが、かつてはよくされていて、5大オーケストラとして、シカゴ、クリーヴランド、ボストン、フィラデルフィア、ニューヨークであることは、今でも変わらないかと思います。
それ以外に、エリート・イレブンなんて言われかたの時期もあり、その5つに、ピッツバーグ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ヒューストン、ミネソタの6つ。
しかし、スラトキンが就任して、セントルイスが大ブレイクし、5大オケに迫る実力を見せた時期もありました。

いまは、どうでしょう。
歴史や、レコード時代からの録音の多さ、大物指揮者との関係などから、5大オーケストラは変わりはないかもしれないが、その他の都市のオーケストラも、5大オケにひけをとらない、人気と実力をつけて、それぞれに街に愛される特徴あるオーケストラとなっていて、ランキングなんて、ばかばかしく思えてきたりもします。
ワシントン、シンシナティ、ダラス、アトランタ、シアトル、バッファロー、そして、ボルティモア響。

手元にあった1986年のレコード芸術に、アメリカのオーケストラ徹底研究とかいう特集があるけれど、ここでは、5大オケだけの特集になっているんです。
いまとは隔世の時代、いまの時代、世界のあらゆるオーケストラが楽しめるのは、ネットの普及と、ナクソスとテラーク、シャンドスレーベルのおかげかもしれません。

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Baltimore-4

 メリーランド州にあるボルティモアは、人口65万人の都市。
歴史的には、南北戦争の舞台にもなり、国家や星条旗もこの街が発祥という。
そう、アメリカ人にとって、なくてはならぬ街なんです。
海岸線にも近い、パタプスコ川に面した、工業と貿易港で栄えた街でもあります。
だから、この街は、シーフードの街でもあり、とりわけ、カニ料理がおいしいらしい!

Baltimore-2

メジャーリーグは、強豪のオリオールズで、いまはちょっと低迷中みたで、日本人選手もいない様子。
ちなみに、姉妹都市は川崎市。
有名な出身者では、音楽家としてフィリップ・グラスとヒラリ・ハーン。
エドガー・アラン・ポーはボストン生まれながら、ボルティモアが気に入り永住。
さらに、政治家としてボルトンさんも、ボルティモア出身。

Alsop-2

アメリカのオーケストラの指揮者は、メジャーリーグとも交流が必須。
ナイスな、オールソップさん。

行くとこは、この先ないだろうけど、カニを食べて、オリオールズ観て、現地のホールでボルティモア響を聴いてみたい。
バーチャルアメリカ、オーケストラ紀行、次はどこへ。

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梅雨明けも、あともう少しだ。

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2018年11月23日 (金)

ショスタコーヴィチ、バーンスタイン  ワシントン

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お台場のアメリカ。

もちろんレプリカですが、ちょっとウィキったところ、アメリカの自由の女神は、独立100年の記念に、フランスが贈ったもの。
さらに、その返礼として、パリ在留のアメリカ人、まさに「パリのアメリカ人」が、パリに建てたものもあります。
 東京のものは、1988のフランス年に展示され、この時は、大の親日家シラク大統領のもとでした。これが好評で、2000年より正式に、お台場に設置されたとのこと。
ほかにも、いろんなところにあるそうな。

いずれにしても、自由と民主主義の象徴なのであります。

アメリカのオーケストラシリーズ。

メジャーの5大オケは、あとまわしにして、それに次ぐエリート・イレブンとか一時いわれたオーケストラを聴いていこうという作戦です。
 これまで、ミネソタ管、デトロイト響、ピッツバーグ響と聴いてきました。

今回はアメリカの中心都市、大統領のおひざ元、ワシントンのオーケストラ、ナショナル交響楽団を。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ハ短調 op.65

  ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮 ナショナル交響楽団

             (1991年 ワシントン、ケネディーセンター)


正式名称は、ナショナル交響楽団(The National Symphony Orchestra)で、日本では、ワシントン・ナショナル交響楽団という呼称になってます。
国家とか、お国のオーケストラという意味合いなので、ワシントンをわざわざつけなくてもよろしいかと。
もちろん、民間のオーケストラですが。
ちなみに、ワシントンにあるメジャーリーグのチーム名も、ナショナルズという名称です。

 もともと、国事や、公的な祝祭日用のオーケストラとして1931年に創設。
大統領のオーケストラと呼ばれる由縁です。
キンドラー、ミッチェルと地味な指揮者を経て、このオーケストラがレコードなどで世界的に名前が出てくるようになったのは、アンタル・ドラティが1970年に音楽監督に就任してから。
ここでもオーケストラビルダーとしてのドラティの名がアメリカ楽壇に残されることとなります。
デッカの鮮やかな録音で、チャイコフスキーやワーグナー、アメリカ作品、さらにダラピッコラなんてのもありました。懐かしい。

そして、1977年に、ロストロポーヴィチが音楽監督を引き継ぎます。
当時、大統領は、カーターさんで、共和党から民主党に政権が変わった年。
そんな年、74年にソ連から亡命したロストロポーヴィチが、こともあろうに、大統領のオーケストラと呼ばれるナショナル響の指揮者になる。
 反体制で、言論人を多く擁護してきたロストロポーヴィチを起用するという、アメリカという自由な国の典型的な実例がここにあるわけであります!
その後、78年には、ソ連邦は、ロストロポーヴィチの国籍をはく奪するという対抗処置に出ます・・・

チェリストであり、ピアニストであり、指揮者でもあったロストロポーヴィチ。
自国の作曲家の作品を積極的に指揮して、広めることにも責務を感じていたと思います。

ソ連邦崩壊後、ナショナル響とロンドン響を振り分けて録音したショスタコーヴィチの交響曲全集。
その全部を聴いてませんが、ロストロポーヴィチならではの、濃厚な解釈と、そこここに聴かれるユニークな節回しなど、普段、わたくしが好んで聴く、欧州勢による純音楽的なスコアの解釈による、シンフォニックなショスタコーヴィチと異なるものを感じます。
 この8番も、ナショナル響が、ロストロポーヴィチの解釈にピタリと合わせていて、長大な第1楽章や4楽章のラルゴなど、実に深刻で暗澹たる音色を聴かせます。
一方で、スケルツォや行進曲調の楽章では、オーケストラの個々の奏者の妙技を引き出してますし、はちゃむちゃ感もお見事。

独ソ戦下に書かれた8番。
1943年の作品。
世界は戦争という災禍に覆われてました。

Kenedy

ナショナル響の本拠地、ジョン・F・ケネディ・センター。
1971年、このホールのこけら落としのために作曲されたのが、バーンスタインのミサ曲。

バーンスタインとこのホールとの関係でいうと、もう1曲。
1976年のアメリカ建国200年を記念して作曲された「ソングフェスト」があります。
間に合わずに1年遅れとなりましたが、1977年の10月に、作者がナショナル響を指揮して初演、12月にレコーディングされました。
そう、まさにロストロポーヴィチの音楽監督就任の年でもあります。

Bermstein_song_fest

 バーンスタイン ソングフェスト

 ~6人の歌手とオーケストラのためのアメリカの詩による連作~

  S:クランマ・デイル       Ms:ロザリンド・エリアス
  Ms:ナンシー・ウィリアムズ T:ネイル・ロッセンシャイン
  Br:ジョン・リアードン     Bs:ドナルド・グラム

   レナード・バーンスタイン指揮 ナショナル交響楽団

           (1977.12 ワシントン、ケネディーセンター)

  Ⅰ.賛歌

①冒頭の賛歌 「 一篇の詩を」 フランク・オハラ
 
  Ⅱ.3つのソロ

②「高架線の向こうの駄菓子屋で」ローレンス・フェルリンゲッティ

③「もう一人の自分に」 ユリア・デ・ブルゴス

④「君の言葉に言おう」 ウォルト・ホイットマン

  Ⅲ.3つのアンサンブル

⑤「僕も、アメリカに歌う」 ラングストン・ヒューズ

 「ニグロでいいの」 ジューン・ジョルダン

⑥「大事な愛しい夫へ」 アンネ・ブラッドストリート

⑦「小さな物語」 ガートルード・スタイン

  Ⅳ.6重唱

⑧「もし君に食べるものがなかったら」 e.e. カミングス

  Ⅴ.3つのソロ

⑨「君と一緒に聴いた音楽」 コンラッド・アイケン

⑩「道化師の嘆き」 グレゴリー・コルソ

⑪ソネット「わたしがキッスしたのは?」エドナ・セント・ビンセント・マリー

 Ⅵ.賛歌

⑫締めの賛歌「イズラフェル」 エドガー・アラン・ポー

バーンスタインによって選ばれた、アメリカ建国前の17世紀半ばから、20世紀当時までの300年にわたる自国の詩につけた歌曲集で、それらをソロやアンサンブルでつないで行く巧みな構成。

光と闇もありますが、愛のこと、結婚のこと、日常の生活、個人・みんなの豊かな豊富、創造的な思いなどを歌い継ぎ、作曲時の建国200年という節目に、良きアメリカを包括的に振り返るという内容になってます。
 一方で、ピューリタンとしてやってきた彼らの社会に内包される、黒人、女性、同性愛者、移民などを含むマイノリティの問題も、ここで取り上げているところが、アメリカの良識であり、バーンスタインらしいところです。

曲はとても聴きやすくて、エレキギターや電子オルガンなども含み、多彩な響きがオーケストラから鳴り渡りますが、明るく屈託がない場面や、シリアスなシーンも多々。
バーンスタイン節がそこここにあふれてます。

 最後のポーによる「イズラフェル(天使のひとり)」賛歌の一節

  住みたいものだ イズラフェルのところに
  彼がいる天上に そう、彼もわたしの住む地上では
  あんなにうまく歌うのは無理だ
  地上のメロディを天上と同じようには
  それにひきかえ、私ならもっと大胆な調べがあふれ出てくるのだ
  天にのぼって、私が竪琴を奏でれば


         (かちかち山のたぬき囃子さまの記事より)

理想を高く掲げ、求め続けるアメリカです。

いや、でした、か。

ポリティカルコレクトネスのもと、すべてがフラットに、という観念に縛られすぎ。
過去にも遡って断罪される。

異なる信教の方のために「メリー・クリスマス」も言えない。

そんな堅苦しくなったアメリカに、Make America Great Again! と掲げる大統領が出てきた。

バーンスタインが100歳で存命だったら、いま、どんなアメリカを作曲するんだろう。

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Washington_1_2

ワシントンD.C.

District of Columbia、特別自治区としての称号、コロンビアは、コロンブスのこと。
大統領のお膝元、ワシントンは、ワシントン州の州都。
人口は、60万人ほどだが、周辺首都圏ゾーンとしては、600万人ぐらいの規模となります。

Washington_2

桜並木で有名なポトマック川を背に立つ、ケネディ・センター
その東に目を転じると、ホワイトハウスがあります。
ホワイトハウスを中心に、放射状の街づくり。
地図でも見ても合理的でかつ、美しい。

そして、アメリカの歴史に名を残した人物たちが、街のあちこちに、その名を刻まれている。
自己の建国以来の歴史に、誇りを持ち、それを高らかにしているアメリカという国。
世界の民主主義をリードする覇権国家。
日本の街には、こんなあけすけな名前の付け方の場所はない。

敗戦で尊い永き歴史を一時的に否定されそうになったが、いまや民主主義国家として、アメリカと同盟を組み、ともに自由な理念を世界にリードしていく国となった。

飛躍しすぎましたが、ワシントンの街と地図をつらつら眺めていて思ったことです。

Washington_3

ザ・アメリカのひとこま
観光HPより拝借してます。

クリスマスには、「ハッピー・ホリディ」じゃなくって、「メリー・クリスマス」と言いたいよ。
八百万(やおろず)の神のわがニッポンですからなおさら。

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ナショナル響の指揮者の変遷。

ロストロポーヴィチ(1977~1994)、スラトキン(1996~2008)、I・フィッシャー(2008~2009)、エッシェンバッハ(2010~2016)、J・ノセダ(2017~)

実務的な実力者ばかり。
しかし、みんな録音が少ない・・・・
ノセダは、好評で、2025年まで、その任期を延長してます。

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2018年10月 6日 (土)

「タンホイザー」と「巨人」 ピッツバーグ響

Umezawa_2

夜明けの相模湾。

左手は三浦半島。

このところ、雲に覆われる日々ばかりで、せっかく海のある街に帰っても、日の出を拝むことができなかった。

しかし、これはこれで絶景。

自然は怖い牙をむくけれど、静かなときは美しいものだ。

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 ワーグナー  交響組曲「タンホイザー」
            (パリ版に基づくマゼール編)

    ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (1990.12 ハインツホール)

マゼールが、84歳で亡くなってから、もう4年が経つ。
神出鬼没的な存在で、個性的で、ときに鼻につくこともあったけれど、なんだかんだで好きな指揮者でもあった。

その歴任ポストも世界をまたにかけたユニークな渡り方で、ベルリン放送響→ベルリン・ドイツ・オペラ→クリーヴランド管→フィルハーモニア菅(准指揮者)→フランス国立管→ウィーン国立歌劇場→ピッツバーグ響→バイエルン放送響→トスカニーニ・フィル→ミラノ・スカラ座(准指揮者)→ニューヨーク・フィル→ミュンヘン・フィルと、まあすごいことなんです。
日本にも、東響や読響、N響を振りに何度も来てました。

マゼールが一番面白かったのは、ベルリンからクリーヴランドぐらいまでと思ったりもしてます。
あとは、ウィーンで失敗して、ベルリンフィルの座も取れなくて、なんか迷走したりもした時期もあったりで。

そんななかから、ピッバーグ時代の1枚を。
マゼールのピッバーグ時代は、1984年~1996年と、割と長期に渡ってまして、なぜなら、マゼールは名門ピッバーグ大学で学んだほか、ピッバーグ響でもヴァイオリン奏者を務めた経験があるので、街にもオーケストラにも愛着があったわけだ。

ワーグナーのオペラ全曲録音を残すことがなかったのは、とても残念なことですが、抜粋や管弦楽作品は、いくつも残してくれました。
そんななかで、マゼールが手をいれた風変りな作品が「タンホイザー」組曲だ。

序曲から大規模なバッカナールになだれ込むパリ版に忠実な1幕前半。
なかなか堂々たる演奏で、バッカナールもマゼールならではの悩ましさ。
そして曲は、ヴェーヌスとタンホイザーの絡みがネットリと続き、そのままヴェヌスブルクは崩壊し、清廉な野辺へと転じ、騎士たちとの再会で高らかに終わる第1幕。
 2幕は、歌の殿堂の場面は、かなり華やか聴かせ、タンホイザーとエリーザベトの二重唱もしっかりあるが行進曲はおとなしめな印象。
エリーザベトの嘆願をへて、ヴェーヌスへ、としずしずと進むとこで終わり。
 3幕からは巡礼行から始まり、エリーザベトの祈り、しんみり夕星ときて、そのあと怪しいムードでヴェーヌスがやってきて、さらに駆け足で、ローマ語りをすっとばしながらやってからの巡礼たちの合唱、ここは合唱はなんとハミング、そして思わぬ軽やかさで曲を終結。
以外に尻すぼみな感じの構成で、マゼールとしては、みずから編んだのに、前半はマゼールらしいが、後半は、もっとガンガンやって欲しかった的な感じです。
 
 ドイツ的な響きを持つピッバーグ響は、腰の低い低音から、マゼールの紡ぎだす妖艶なサウンドまで、とても能動的に機能してます。うまいです。
 マゼールは、ウィーン国立歌劇場での音楽監督のデビュー演目に、この「タンホイザー」でもって、歌手の不調もあって、大ブーイングを浴びてしまい、さらに、カーテンコールで親指を下にするパフォーマンスをしてしまい、大炎上した、と読んだことがあります。
因縁のある「タンホイザー」を故郷のひとつ、ピッツバーグで、自らの編曲でリベンジしてみた1枚でした。
 ワタクシには、どうも歌がないと、気の抜けたビールのように思えてしまうのであります。
リングのオケ版もそうです。
 それより、マゼールのバイロイトでの「リング」を正規発売してほしいと思います。

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ピッツバーグは、ペンシルバニア州の大都市で、オハイオ川の起点にあることから水辺の街でもあります。

Pittsburgh

                           (Southern Airways HPより拝借)

鉄鋼の街として栄えたが、その後の鉄鋼産業の衰退で、次はハイテクや金融、まさにいまのアメリカの主要産業を基軸にした都市となっている。
大学も多く、むかしからの大企業も存続していて、そのひとつがケチャップの「ハインツ」。
ドイツやイギリスの資本の企業も多数。欧州との結びつきが大きい。

都市圏としての人口は240万人で、冬はとても寒そうだ。
野球は、そう、「パイレーツ」ですよ。桑田真澄がいっとき在籍してましたな。

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そして、オーケストラはピッツバーグ交響楽団。
ケチャップのハインツがスポンサーだし、本拠地もずばり、ハインツホール。

1895年の創立。一時、財政難で解散し、再スタートしたときは、クレンペラーも尽力し、そして、このオーケストラの基本を作り上げたのは、フリッツ・ライナー。
ライナーのあとは、スタインバーグが長く腰を据え、ドイツ的な響きを身につけた。
さらに、プレヴィン(76~84年)、マゼール(84~96年)、ヤンソンス(95~04年)、A・デイヴィス、ヤノフスキ、トゥルトリエの3人体制(05~07)、ホーネック(08~)という陣容。
 財政的に豊かなこともあり、そしてこのオーケストラや街や環境もいいのか、名指揮者たちが長く歴任してます。

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                  (ピッバーグ響のHPより拝借)

スタインバーグからマゼールまでは、レコーディングがたくさんあったのに、ヤンソンスとはとてもいい関係だったのに係わらず、ショスタコーヴィチぐらいしか録音がない。
自主製作盤に魅力的なものはあるが、残念なこと。
90年代終わり頃から、アメリカのメジャーオケの録音は、お金がかかりすぎて採算が合わないようになってしまったからか・・・

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Honeck

  マーラー 交響曲第1番 「巨人」

    マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (2017.9.4 @Proms)


現在の指揮者ホーネックは好評で、先ごろ2022年まで、その任期を延長しました。
このコンビのCDは、そこそこ出てますが、高いし(笑)、腐るほど他盤持っている曲目ばかりなので、手が伸びません。
しかし、昨年ロンドンのプロムスの放送で聴いたマーラーは、実に活力みなぎる演奏で、いま聴き返しても、たくさん新鮮なヵ所が続出し、飽きさせることのない名演でした。

これほどの名曲になってしまうと、曲がちゃんとしているので、楽譜通りに演奏すれば、それなりの成果をあげることができるのですが、ホーネックは一音一音を大切に、そしてフレーズにもごくわずかに聴きなれない味付けを施します。
緩急も、かなりつけるのですが、それが自然体なのは、オーケストラ出身の指揮者だからでしょうか、嫌味がありません。

このホーネックの自在な指揮に、ピッバークのオケはピタリとついていきます。
そして金管の巧いこと!弦がしなやかで美しいこと。

いいオーケストラだと思います。
アメリカの香りのするヨーロッパのオケって感じ。
ボストン響にも通じるかな。

マーラーの最後のクライマックスの築きあげ方、じわじわ来ます、そしてタメもうまく決めつつ、底知れぬ大爆発。

ロンドンっ子も大歓声と大絶叫!

アンコールのJ・シュトラウスのポルカもすごいことになっちゃってます。

アメリカ、オーケストラの旅、楽しい~

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薄日に、漕ぎ立つ船あり。

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2018年9月29日 (土)

ラフマニノフ 交響的舞曲 スラトキン指揮

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柿と彼岸花。

秋本番・・・、と言いたいところですが、ややこしい気象が続きますね。

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 ラフマニノフ   交響的舞曲 op45 

    レナート・スラトキン指揮 デトロイト交響楽団

        (2012.2.9~ @デトロイト・オーケストラホール)


3つの楽章を持ち、さながら第4交響曲のような存在の交響的舞曲。
日本では、さほどではないけれど、昨今、海外のオーケストラでさかんに演奏されてます。
ネットで最近聴いただけでも、ヤンソンス、ネルソンス、V・ペトレンコ、女流のカネラキスなど、いくつも。
 2番はもう普遍的な名曲になってしまったけれど、次に来るのが交響的舞曲と3番だと思ってます。

過去記事からの引用となりますが、リズムとメロディの宝庫です。

>作品45aが、このオーケストラ曲に先立って書かれた2台のピアノ版。
ついで、1940年にオーケストレーションされたのが、この作品で、ラフマニノフの文字通り最後の作品となっていて、初演はこの作品を献呈されたオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団によって行われている。
ラフマニノフはロシアを去ってのち、晩年はスイスとアメリカを行き来していたらしいが、その終焉の地は、ビヴァリーヒルズだそうな。
1943年に69歳で亡くなっているから、この作風は思えば保守的なものである。

バレエ音楽としても想定していたからから、その舞曲の名が示すとおり、全編弾むようなリズムが漲っていて、そのダイナミズムもふんだんに味わえる。
そして、当然にラフマニノフを聴く喜び、そう、甘味な旋律とうねり、むせぶような情念とメランコリー。
あぁ、ラフマニノフはこうあるべし、ともいえる作品であります。
当時埋もれていた第1交響曲の引用や、毎度、ほんとに毎度おなじみの、ディエス・イレの引用もしっかりある。

ピアノが活躍し、弾むようなリズムが印象的な冒頭から、中間部のサキソフォーンの泣き節が極めて印象的な第1楽章。
 ワルツ形式の第2楽章。最初は手探りで旋律を模索しつつ、徐々にワルツのリズムが姿をあらわし、ついに哀愁に満ちた旋律が全貌をあらわす。
これは一度聴いたら忘れられない。シベリウスの悲しいワルツにも似てるが、このラフマニノフの音楽は、憂愁に満ち満ちていて、もっと根っこが暗く感じる。
悲しい気分の時に、さらに落ちたいときにどうぞ。
 目まぐるしくも激しい音のぶつかり合いが聴かれる終楽章は、ちょっと掴みどころがないかもしれない。スピーディな展開の中に、終結のディエスイレの場面に音楽が収斂してゆき、ダイナミックに音楽を閉じる。<

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2008年からデトロイト響の指揮者をつとめているレナート・スラトキン。
音楽一家の出身のスラトキンは好きで、これまでいろいろ聴いてきたけれど、もう74歳。
セントルイス響をアメリカ五大オーケストラに肉薄するぐらいに引き上げた80年代が、スラトキンの一番輝いていた頃かもしれない。
 ニューオーリンズ響→セントルイス響→ワシントン・ナショナル響→BBC響→ナッシュビル響→リヨン管→デトロイト
こんな変遷だけれど、どこか地味で、一時は、ニューヨークあたりのメジャーに行くのかとも思っていたけれど、思えば実力派ならでは、またビルダー的な存在ならではのポストの歴任かもしれず、いかにもスラトキンらしい。

そして1914年創立のデトロイト交響楽団。
自動車産業の豊かな資本を背景にスタートしたけれど、当初はさえないオーケストラだったらしい。
そこへ着任したのが、フランスからのポール・パレーで、パレー時代にデトロイト響は黄金期を迎えることになり、そのあと、エールリンク、チェッカートと経て、アンタル・ドラティの時代に、第二の黄金期を迎えます。
ドラティのあとは、渋いヘルヴィッヒを経て、ネーメ・ヤルヴィとなって、録音も復活。
そしてスラトキンとなるわけです。
前回取り上げたミネソタ管でも、ドラティがいい仕事をしているわけですし、今後のアメリカオケ特集のなかで、どれだけ登場するか、楽しみです。
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Detroit_1

  デトロイトは、ミシガン州にあり、五大湖のエリー湖とヒューロン湖の間あたりに位置し、エリー湖につながるデトロイト川の対岸はカナダであります。
単独では70万人ぐらいの人口ですが、広域都市圏で見ると450万人という大都市。
いうまでもなく、フォードから端を発し、ゼネラル、クライスラーとアメリカの自動車産業の拠点であった都市ですが、アメリカの自動車産業の衰退もあり、人口は減少の傾向にあり、重ねて、治安もあんまりよくないらしい。
野球はデトロイト・タイガース、日本の姉妹都市は豊田市。
タイガースには、一時、野茂や木田が在籍していたし、日本のタイガースとの関係も深い。
こんな風に、工業・自動車で日本につながるデトロイト。

Detroit_4

                                                 (デトロイト響のHPより拝借)

オーケストラホールもなかなかにいい雰囲気の建造物で、こんな画像を眺めながら、デトロイト響の音を聴くのも楽しいものです。
昨年、来日したが聴き逃しました。

リズム感のある音楽を振らせたら、スラトキンは随一の存在だと思う。
デトロイト響の持つ機能性と、音楽を生き生きと、わかりやすく聴かせる指揮者スラトキンとのラフマニノフ。
切れ味もいいし、濃厚になりすぎずに、甘味な歌いまわしも爽やかですらある。
 第二楽章のワルツでは、デトロイトの都会的な夜景を思い、聴くと、なかなかに憂愁を感じさせる切なさがあります。
録音がややデッドで、音が生々しい感じで、少し潤い不足なのが残念だが、オーケストラの抜群の巧さは十分に感じます。

Detroit_3
                                   (Discover Detroit より、ウォーターフロント)
ほかの交響曲3曲、40年前のセントルイス響との演奏に比べ、構えの大きさと深みは増してます。
でも、あちらで聴かれた、熱気と気迫は捨てがたい魅力がありました。

スラトキンとデトロイト、マーラーでも全曲やってくんないかな。。。

Radian_1

実家の近所の果樹園の柿。

秋の味覚、楽しみ。
台風来ないで!

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