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2025年12月31日 (水)

東京交響楽団 特別演奏会「第九」2025 ノット指揮

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クリスマスシーズン後のサントリーホールは、新年を迎える華やかな装いになっていました。

東京交響楽団の第9の演奏会に行ってきました。

音楽監督就任12年の今年で、その契約もついに満了するジョナサン・ノット。
息のあったこの名コンビもいよいよ終了、そして秋山さん死去のあとを受けたジルヴェスターコンサートをのぞけば、この第9が最後の本格演奏会だし、最後の満員御礼のサントリーホールでした。

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  ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 op..125 「合唱付き」

       S :森田 麻央
       Ms:杉山 由紀
       T :村上 公太
       Br:河野 鉄平
     
     ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
           合唱指揮:三澤 洋史
           コンサートマスター:景山 昌太朗

       (2025.12.29 @サントリーホール)

第9を年末に聴かない自分ですので、実は10年ぶりぐらいの第9です。
若い頃は、N響でスウィトナーやシュタイン、新日の小澤の第9を聴いてましたが、いつしか年末はどこもかしこも・・という風になるので辟易としてしまい聴かなくなったのです。

しかし、この日こそ悔やんだことはありません。
ノットと東響の第9を初めて聴いて、これが毎年演奏されていたとは、との思いだったからです。
そして常にチャレンジングなノット監督だから、毎年のようにその解釈が違ったというのです。
さらには、これもノットの常で、2回ある演奏会はそのどちらもが違う演奏になるのですから。
このコンビの第9を毎年聴いていたら、毎年聴かなくては気が済まなくなるだろうし、それこそ1年を締めくくれない、そんな風になるんだろうな、と満場のホールのお客さんを見渡しながら思いました。
 そして多くがノット監督のことが好きで、別れを惜しむ思いもホールの雰囲気でひしひしと感じました。

今年のノットの第9は、オーケストラの人数を大幅に刈り込み室内オーケストラサイズにしました。
指折り数えたらオーケストラは53名、ソロ4名、合唱約80名の総勢137名。
木管・ホルンの幾多のソロや絡み合い、当時とすれば技巧の限りに書かれていて、それらが浮かび上がるようによく聴こえた。
人数少なめの弦楽器は透明感にあふれ、各奏者の音が突出してしまわないように、むしろ普段にもましてお互いよく聴き合い、切れ味抜群の集中力あふれる類まれなアンサンブルを聴かせてくれたようにも思う。
 オーケストラと合唱がほぼ対等に響き合い、お互いの音や声がとてもよく聴こえたその様子は会場で実際に聴かないとわからないものだ。
だから勢いで一気に爆発的なフィナーレに混然となってしまうことなく、音楽はむしろスコアに書いてある通りに着実に音楽的に快速クライマックスが築かれた。
ノットの指揮はたしかに慣れないとわかりにくいかもすいれないが、左手の表情付けが実にたくみで、指が少し動くとオーケストラの音が微妙に変わります。
それが実感できた演奏でもありました。

1楽章から早めのテンポでヴィブラートもほぼなしで、すいすいと曲は進行するが、ときに思わず歌わせたり、思わぬ表情をみせたりと以降の楽章も通じていろんな発見もあったりしてひとときたりとして気が抜けない。
こうした連続こそがいつものノットの音楽で、ライブ感ある自在さに東響もすっかりなじんでいるので、完璧についてゆく。

2楽章も基調は速めだけれど、中間部は少しテンポを落としてよく歌わせてみせた。
またティンパニの活躍する場面では、ティンパニの表情付けが巧みで、それがほかの楽器に流れて移っていくところが、指揮と楽員さん双方をよく見える席だったので、とても面白かった。
若き小澤さんは、この場面にとてもこだわり、ともかく細かく指示して指揮をしていたのをよく覚えている。

ヴィブラート少なめがいちばん功を奏したと思われたのが3楽章。
なんとピュアで透明感あふれる演奏なんだろうと何度も思いました。
テンポは速いけど、そんな風に感じさせないほどに流れがよく、かつよく歌う演奏。
ホルンの難所も見事に決ましたし、まったく素晴らしいホルンでした。
第9のなかで、歳を経ていちばん好きになってる第3楽章のこの快速で美しい演奏はアバドと並んでもっとも好きな演奏となりそうです。
レコーディングもされていたようなので、CD化も楽しみだ。

間髪入れず終楽章になだれ込むのも、まいどのノットスタイル。
テキパキとことは運んで、低弦による歓喜の歌ももったいぶらず、淡々と奏されながらもひとりひとるいがよく歌っている。
まるで聴衆に語り掛けるように仕草をしながら歌うバリトンの河野さん。
そして入ってきた合唱がこの日は素晴らしかった。
前回のマタイではやや混濁や言葉に疑問符があったが、この日の第九はすべてが完璧だし、言葉がすべて聴きとれるくらいに明瞭。
バスの力強さと、ソプラノの清澄さがとくに光りましたね。
三澤さんの指導のもと、さらにはやはり、ノット監督との別れと、この一瞬にかける思いが詰まった合唱でした。
 ずっと待っていたピッコロ女子がいつにも増して輝いていた行進曲と、爽快な声のお馴染みの村上さんがよかった。
女声のおふたりもオケと合唱に負けずとすばらしくよく通るお声でした。
そこから先は、もうノットの作りだす音楽の流れに完全に飲み込まれてしまい、あれよあれよという間に先のフィナーレを迎えた。

熱い拍手と歓声がすぐさま巻き起こりましたが、わたしはしばらく拍手ができず、あ、ついに終わってしまった、という思いで動きが止まってしまいました。

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いつものように少し撮影もさせていただき、拍手に応えて恒例だという「蛍の光」が始まりました。左右から合唱の一部が1階席に降りていって、そこからも歌います。
各々がブルー系のLEDランプを持ち、ステージは徐々に暗くなりました。
合唱はハミングにもなり、指揮するノットを見ていて、もう涙腺決壊。
「さようなら」は、「始まり」なのだ。

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ありがとうノットさん。

これだけ長く日本のオーケストラのポストを維持した外国人指揮者はなかった。
日本を愛し、日本のわれわれもノットさんを愛しましたね。

来年は都響や大フィルにも客演するようですが、名誉称号を得てまた東響の指揮台に帰ってきてください。

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アフターコンサートは、気の置けない音楽仲間と楽しく語らいました。

やっぱりみんな、「蛍の光」ではやられちゃったみたい。

よいお年を。

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2025年12月15日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 コリンズ指揮

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クリスマスも近づき、ますます雰囲気豊かなサントリーホール前、カラヤン広場。

この日はともかく気温も下がり寒かった。

でも熱気と若さあふれる演奏で、帰り道は頬が火照りましたよ。

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    東京交響楽団第737回 定期演奏会

  マルサリス  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  アルベニス  アストゥリアス(伝説)~アンコール

       Vn: 大谷 康子

  コープランド  交響曲第3番 

       ロス・ジェイミー・コリンズ指揮 東京交響楽団

       コンサートマスター:景山 昌太郎

          (2025.12.13 @サントリーホール)

大谷康子デビュー50周年記念の定期演奏会。
そして本来なら秋山和慶さんが指揮する予定だったが、年明けの驚きの訃報・・

長く東響のコンサートマスターを務めた大谷さんが、今年各オケでいろんな協奏曲を弾いてきたなか、もっともチャンレンジングな作品がマルサリスでありましょう。
親愛を込めて大谷姐さんと呼びたくなるくらいに明るくチャーミングな彼女、コンマス席以外では、だいぶ以前にメンデルスゾーンを聴いて以来だし、新潟の遠征で地元のCDショップで偶然にお会いし、ちょっとだけ会話したことがあります。
あと大谷さんは柴犬が大好きとのことで、いつも見ていたyoutubeの「柴犬小春」というネット番組に突然登場して超絶驚いたものです!

そんな親しみあふれる大谷さんのマルサリス作品。
ジャズのイディオムと正当クラシック様式との融合。
大好きなニコラ・ベネデッティ(ニッキー)のために書かれ、そのCDは昨年に何度も繰り返し聴きブログ記事にも残しました。
本日のプログラムを演奏開始前直前にさらりと読んだら目が点に。
そのニッキーがマルサリスと結婚していて、子供まで授かったとのことが書かれていた。
ファンのワタクシとしては、そのことに驚き、真っ赤なドレスの大谷さんが登場して静かに曲を弾き始めても、ちょっと上の空だったのです・・・
でも、安心してください。
こんなナイスな音楽を作るミュージシャンと、さらなるコラボレーションが期待できるじゃないか、と思いを新たに眼前の演奏に聴き入るのでした。

1楽章の平安感じるおおらかなメロディを麗しく聴かせてくれた大谷さん、ほんといいメロディだなぁと思いましたね。
この楽章の終わりに、終楽章の前触れがあり、期待が高まる。
2楽章でオケがかもし出す多様な世界、東響の打楽器陣の切れ味のよさ、喧騒がヴァイオリンソロの音を打ち消すことなくコリンズ君も巧みにコントロール。
長い超絶的なカデンツァも聴きごたえあり、相伴したドラムも実に素晴らしかった。
前章から流れるように続く3楽章ではさらにブルーな雰囲気のジャズっぽくなるし、木管などの合いの手の巧みなもので感心することしきり。
静かに憂いを含んで3章が終わると一転して誰しもウキウキしちゃう4楽章。
楽員さんの多くが足を踏み鳴らし、手の空いた方は手拍子もしつつ、大谷姐さんは楽員さんたちとの競演を楽しそうに、しかも超絶パッセージをものともせず弾きまくる。
フィドル奏法もここでは極まれり、憂愁もそこにはさしはさんで多様な奏法、さまざまな音色に表情が続出。
あー、楽し~い、と思いつつヴァイオリンソロといろんなことやってるオーケストラの皆さん、ノリノリのコリンズ君などを見比べておりましたよ。
そしてラストのフェイドアウトシーンは、舞台袖に去っていくかと思っていたら、なんと弾きながら音も弱めつつステージを降りてこっちへ向かってくるじゃありませんか!
ワタクシのほぼ3列前ぐらいまでいらして、ヴァイオリンの音は再弱音となり静かに曲を閉じました。

面白かった!
いつまでもチャレンジ精神を失わない若さと、持ち前のあかるさが、マルサリスのナイスな作品にピッタリとはまりました。
オーケストラとも顔を見合わせながら旧知の仲良しぶりがわかり、ステージに戻るときにベテランの田尻さんが、さりげなく手を差し出していたのも微笑ましかった(コリンズ君も手をのばしたが、大谷さんは田尻さんに手を添えました)。
アンコールのアルベニス作品をヴァイオリンで聴くの始めてかもですが、スペイン臭満載の異国情緒味わえる、これまた超絶技巧の作品であり、すてきな演奏でした。

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イギリス生まれ、フィンランド育ちというコリンズは2001年生れの24歳の新鋭。
NDRフィルの副指揮者の任にありレパートリー拡充中で、すでにおおくの欧米オケを指揮しているし、ピアノにも長け、バリトンの声も持っているとういう多彩な才人だし、さりげないピアスもお洒落なイケメン君です。
 コープランドの大作第3交響曲は、シリアスであると同時に、やはり交響曲の常套を踏んだ勝利宣言を最後に持つ本格交響曲だと思う。
打楽器多数、ハープも2台に、ピアノも加わるフルスペックの大編成。
懐かしさ漂う曲の出だしから、前のマルサリス作品とはまったく違うアメリカの草原や広大な自然の景色が見えてきた。
コリンズ氏、なかなかスッキリと雑味なくオケを鳴らすし、耳のいい指揮者だなと曲が盛り上がりをみせつつ進行するなか思いました。
2楽章の無窮動的なスケルツォは、大編成のオケがいろんなことをやっていて楽しかった。
ピッコロ2本というのも初めて見たし、打楽器も大活躍だ。
コリンズ君もリズム感いいし、中間部の牧歌的な運びもうまく対比が出てたし。
一転、深刻なムードに包まれる3楽章、とりとめない曲の運びに、いつあのファンファーレの兆しが出てくるのかと心待ちにしていた自分。
しかしそこに至るまでが案外と長いし、コープランドらしい弾むような中間部も楽しめた自分。
この楽章がもう少しアパラチアの春的な抒情味にあふれていたら、作品としてもっとわかりやすく有名になっていたかも・・・なんて思った。
そしてあのファンファーレが始まり、ブラスが輝かしく鳴り響き、ティンパニがかっこよく決め、ドラが響き渡る。
この解放感は気持ちがいいし、キターって感じだったし、東響は冴えまくってた。
テンポを上げて弦楽器が駆け巡り、さらに目まぐるしい展開が続き、コリンズ君も右に左にと忙しくしてる。
ピッコロの爽快なる活躍を経て、徐々にあのファンファーレ主題を用いて盛り上がってゆくさまは壮観であり、興奮と快感を呼び覚ますものであった。
もう、コリンズ君も東響のみんなも、カッチョええーぞ、と思いつつ大エンディングとなりましたよ。

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大きなブラボーに包まれました。
もちろん、曲が終結して、しばしの間ののちに。
わたくしも、一声、参加いたしました。

またどこかで聴いてみたいと思わせるコリンズ氏。
世界のどこかのポストに就くかもしれず、楽しみです。

Collins

しかし、プログラムのせいなのか、代役が無名だったからなのか、年末の土曜のせいか、お客さんは少なめでした。
定期としては1度限りのものだったし、なんといっても大谷康子さんのマルサリスが聴けるという貴重なコンサートだったのに。
私は、超絶、楽しみましたよ!

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過去記事「マルサリス ヴァイオリン協奏曲」

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2025年11月24日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マーラー 第9

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18時開演の演奏会、家を出るときはまだ明るいけれど、17時前にはもう暗い。

街はイルミネーションが灯り、クリスマスシーズンの到来を告げてます。

そんななか、ジョナサン・ノット音楽監督最後の東響定期演奏会でした。

万感迫る思いをいだきつつホールの前に立つわたくし。

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   東京交響楽団 第736回 定期演奏会

       武満 徹  セレモニアル~秋の頌歌

       笙:宮田 まゆみ

  マーラー  交響曲第9番 ニ長調

    ジョナサン・ノット指揮  東京交響楽団

      コンサートマスター:小林 壱成

        (2025.11.22 @サントリーホール)

2014年4月、ジョナサン・ノットが東京交響楽団の音楽監督となったときの就任記念演奏会のプログラムが、今宵の2曲。
音楽監督の任期最後のシーズンの自身の最終定期演奏会のプログラムにも選ばれ、終わりは始まりともいえる見事な円環の完結をなす生涯忘れえぬほどの感銘をもたらす一夜となったのです。

武満作品のセレモニアルは、案外と多く聴いていて、98年と07年にプレヴィンとN響、そして06年にノットとバンベルク響で聴いている。
もちろん、それらのときもすべて宮田まゆみさんの笙でした。
バンベルクのときのプログラムは、セレモニアルに次いで「未完成」で遅めに30分かけた演奏。
後半はベートーヴェン7番で爆発的な演奏、ということで静と動を際立たせたプログラムであり演奏でったと記憶する(ブログあり)
アンコールがリゲティのルーマニア協奏曲という、これまたノットらしい刺激的なコンサートだった。

典礼楽とも呼ぶべき静謐な空間の支配する音楽、セレモニアル。
笙はオーケストラと並ばずに、P席の最上段で演奏し、左右・後方と三方にフルートとオーボエを対にしたペアを配置。
まさに、こだまのように音がどこからともなく響き合う様は空間の音楽でもあり、それはまさに日本のいま去り行く秋を思わせるもの。
宮田さんを聴く4度目、日本人だからわかるわれわれ体内にある音、それが10分間だけれども精妙極まりないノットと東響の響きとともに、とても心地よく聴いたのです。

休憩を入れずに、楽員の補充の間を置いて、ほどなくマーラー。

この日のために、「大地の歌」を何度も聴き、そのあと手持ちの「第9」も連日聴いてきた。
いままさに血肉と化したこの大作、いよいよ始まると思うと緊張でがんじがらめとなり、どこもかしこも聴き知ったように聴きつつも、最初から最後まで一音も逃すまいと体もこわばりカチンコチンだった。

ノットが事前に曲目解説を動画にて行っていて、そこで語っていた「あらゆる感情が表出、共有されています」。
まさにその言葉通り、この第9には、自身のこれまでの作品やほかの偉大な作品などからの引用もあったりで、それらがそうとわからなように、緻密なモザイクのように組み込まれ編まれているが、ノットの演奏はそれらを意識して聴くことで、それらがとても意味を持って奏されているように感じる。
実際に聴いたあとに、ネット配信されたミューザの演奏も何度も聴くことでそのように思うようになった。
ただ指揮者の思いや狙いがオーケストラにさらに如実に反映されるまで、あと何度かやったらと、。。願わぬ思いも抱いたりもしている。

 穏やかに始まる1楽章から美しさの極みだった。
ゆったりめのテンポで終始した1楽章は、その後のふたつの楽章との対比のうえでも効果的。
事前に何度も聴きまくっていたので、序奏から即刻うるうる、第2ヴァイオリンの第1主題でもはや涙ぐむという始末。
しかし、その後はもうそんな緩徐移入はなく、冷静にこの壮麗ともとれる1楽章を聴くことができた。
武満の世界から続く虚空感はここにも感じ、ウェーベルンの音楽も夢想することができた。
終楽章とともに、沈着に聴くことが望ましいと感じた次第だ。

レントラーの2楽章、ノット監督のリズム感の良さの光る演奏で揺れ動くグロテスク感も巧みに表出されていて、この奇矯なる舞踏の音楽をかくも面白く、そして眼前で展開する奏者と指揮姿の視覚的な要素も加わりともかく楽しんだ楽章。

快速で飛ばしまくった3楽章ロンド・ブルレスケの疾走感は、まさにノットならではで、東響もピタリと一糸乱れずについて行く。
飛ばしながらもあらゆるものがポンポン出てくるこの楽章をここまで明確に捉えることが出来たのも目視できるライブゆえかもしれないが、指揮者とオケの緊密さゆえだろう。
中間部のニ長調の抒情と平安のか所は、それはもう美しくも神々しく感じられたが、それは終末でないというこの演奏の在り方の先駆けだったのだろうか。
そんなこんなで熱狂と挑戦ともいえる楽章の終わりはアクセル全開、オケも聴衆も夢中だった。

ほんの少しの間で、サクっと始めたアダージョ4楽章。
ここへきて、もうダメだ、ヴァイオリンの主題が万感の調べを奏するとき涙腺が決壊しそうだった。
ここでもともかく美しく、音楽は慟哭することなく沈着に演奏することで、その持つ意味合いが自然と浮かび上がってくるという、そんな感じだった。
弦楽器主体に何度も繰り返される変奏曲的な仕組みが、その繰り返しとともに知らないうちに、さりげない別れへと誘われてゆく、そんな儚い旅路をこの楽章を通じて、そしてひるがえって1楽章の冒頭に遡るかのように始まりをも期待させるような演奏。
122小節目の弦による強く引き伸ばされるシーン、ノット監督のうなり声もマックスに。
その後の「控えめ・・・」という書き込みの通りに、そこから始まる静寂の描き方、会場も緊張が張り詰め、だれしも身じろぎできず固唾をのむ。
自分の育った家から見える夕焼けシーンと沈みゆく太陽のわずかな光、それが消えてゆく残像をいつも思いながら聴く。
そんな思いがピタリとあてはまる幽玄なるラストシーンだった。

指揮者も奏者もみんな止まった、聴衆も動けない、時間も停止したように感じられ、もうこのままでいいやとも思った。

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いくつかの瑕疵もあったものの、そんなことはもうどうでもいい。
東響のこの演奏にかける感情が随所に見て取れ、指揮者を見る眼差しの真剣さと刹那感も感じ取れた。
首席奏者たちのあまりに素晴らしいソロの数々は、ここではいちいち触れません。
まだ完成形でない、この先ももしかしたらもっと違う世界があるとも思わせる指揮者とオーケストラの関係。
それが別れの美しい姿ではないかとも思った。

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マーラーの第9への畏怖の思いを抱いて半世紀。
1970年のバーンスタインとニューヨークフィルの来日公演でこの作品が取り上げられ、真夏での真っ白いタキシード姿での演奏シーンをレコ芸で見てから、そして吉田秀和さんの論評を読んだ時からずっと気になっていた小学生の自分。
中学生になり、音のカタログで一部、念願の全曲を聴いたのがFM放送。
ずっと特別な作品であり続けた「マーラーの第9」。
いくつもの演奏会も経験したが、忘れえぬバーンスタインとイスラエルフィルの演奏から今年は40年。
その年に、モニュメンタルな感情も加味しても素晴らしい演奏に接することができた。

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ノットと東京交響楽団のコンビに感謝です。

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終演後の盛大なコールには、ありがとう!ノット監督の手ぬぐいを掲げた楽員のみなさんも登場し、会場全員でノット監督を讃えました!

ワタクシもてぬぐい購入しましたよ。

来年は都響に客演しケフェレックとの共演やブルックナーなどが予定されてます。

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2025年10月13日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 マルッキ指揮

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急に涼しくなった土曜日のサントリーホール。

もう半袖ではとうてい無理で、ジャケットを羽織って向かいました。

2週間前にここでマタイを聴いたときは、まだ暑いと言っていたのに季節は急速に秋に向かいました。

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    東京交響楽団 第735回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

   スザンナ・マルッキ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

        (2025.10.11 @サントリーホール)

まったく性格のことなる二つの作品によるプログラムだが、案外と多いこの2曲によるコンサート。
古い自分には、かつて晩年のマルケヴィッチが日本フィルに来たときにやったように記憶している。

マタイ受難曲から田園までは81年、田園からハルサイまでは105年、バッハからストラヴィンスキーまで200年の年月の隔たりのある音楽を、2週間のうちに同じオケ同じ席で聴く妙味。
ハルサイは100年前の音楽なんだな、とも今更ながらに思った。
演奏するオーケストラのみなさんは、まさにプロだなと感心しつつ、いまも変化しつつある西洋音楽の流れを思ったものでして、未来にいまのゲンダイの音楽はどう聴かれるのか・・・などとも思いましたね。

さて、フィンランドの指揮者マルッキは、長く務めたヘルシンキフィルの名誉指揮者となっており、いっときは次のニューヨークフィルの指揮者とも言われた実力派。
自国ものと、近現代音楽に強みを持つ彼女の指揮は、おもに海外のネット配信で多く聴いてきたが、ヘルシンキとのシベリウスもさることながら「グレの歌」での濃密な大作を明快に聴かせる手腕に感心をしていました。

シベリウスの1番あたりを聴きたい気もなくはなかったが、「田園」の出だしを聴いた途端に、北欧の風を感じたのです。
一瞬、音と響きが薄く感じられ清冽な風が吹いたようにも思ったが、それが徐々に瑞々しくなり、弦楽のしなやかな美しさにステキな管楽器が唱和する、えもいわれぬ幸福感を1楽章、2楽章で味わうこととなりました。
ベーレンライター版を重視し、セカセカしてしまう田園でなく、昔から聞き馴染んできた僕らの田園がここにあった。
リズム感抜群の3楽章、ティンパニのハリのいい強打がアクセントとなった4楽章、そして誰しもを安堵させ、幸せにしてしまう感動的な終楽章。
東響のみなさんも、ほんと気持ちよさそうに演奏してた。
45分をかけた真摯で丁寧な田園、こんな田園を聴きたかった。
最後の音が鳴り終わったあとのしばしの間もありがたかった。

気分よくロビーにでると、ここは北欧か、欧米か・・・
フィンランド大使館が後援についてることもあり、背の高いいかにも北欧の方風の人が多くいらっしゃいました。

ノット監督のもと、築き上げられてきた東響の鉄壁のアンサンブルと技量に感じ入ることのできた「春の祭典」
存外に冷静沈着に始まり、その流れで淡々と進行した春の兆しは、スピード感よりは的確で確実な音楽の歩みのなかにあった。
マルッキさんの拍子は完璧で、うしろからも素人の自分がみていてもとても判然とわかりやすく、ノット監督の指揮に慣れた東響とすれば、まさにやすやすと着いていきやすい指揮だったろう。
第1部は総じて安全運転のように感じつつも要所要所で切れ味の良さと、立ち上がりの良さ、音楽の変わり身をずばりと決めてゆく心地よさがあった。
マルッキさんの躍動する指揮にあわせて、腰のあたりのお洒落なスカーフが舞い踊るのも実にステキだった

第2部での神秘感あふれる序奏とヴィオラの重奏、アルトフルートの妙技など、こんなに真剣に聴いた自分もありましたが、これらのか所に美しさを見出すことができたのも精度の高い今宵の演奏あってのもの。
そして来ました、11連打!
ここから猛然とアクセル全開、ものすごいスピード感と音圧、オケも夢中、われわれ聴き手も夢中になってしまうマルッキハルサイ。
ホルン陣のベルアップを見るだけでも興奮のワタクシ。
基本、マルッキさんの指揮棒を見つつも、オケの皆さんをそれぞれにみまわし、忙しいよ自分。
スピード感と緊張感を保ったまま生贄の踊りに突入。
巨大なうねりが何度も襲い来る、息つく間もないドラマテックな展開に熱狂の渦を巧みに作り上げる指揮者の実力とオケの力量。
最後の一音の前の一瞬の間も実に見事。
最終音のあとのホールの余韻も含めて完璧だった。

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カーテンコールでは、マルッキさんを盛大な拍手で呼び出し、にこやかにお応えでした。

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実力派指揮者マルッキ、来シーズンは都響に客演して、得意中の得意曲「青髭公の城」をやります。

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1週間後には、こんどはハマのブルックナー。

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2025年10月 1日 (水)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マタイ受難曲

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サントリーホールのお隣にある霊南坂教会のステンドグラス。

待ちに待った、ノットと東京交響楽団の「マタイ受難曲」

開演に先立ち、教会に立ち寄りました。

次の日、日曜の礼拝にそなえてオルガンを練習する音色も聴かれまして、おそらくバッハのコラールでしょうか

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  東京交響楽団 第734回 定期演奏会

       バッハ マタイ受難曲 BWV244

    エヴァンゲリスト:ヴェルナー・ギューラ
    イエス:ミヒャエル・ナジ
    ソプラノ:カタリナ・コンラディ
    メゾ・ソプラノ:アンナ・ルチア・リヒター
    テノール:櫻田 亮
    バリトン:萩原 潤
    バス  :加藤 宏隆

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
              東響コーラス
              東京少年少女合唱団

      合唱指揮:三浦 洋史
      ヴィオラ・ダ・ガンバ:福澤 宏
      児童合唱指揮:長谷川 久恵
      コンサートマスターⅠ:小林 壱成
      コンサートマスターⅡ:景山 昌太朗

        (2025.9.27 @サントリーホール)    

コンサートホールでのマタイ受難曲。
まさにコンサートスタイルでの現代楽器による演奏スタイルとしては最高峰に位する名演奏でした。
あらゆる演奏スタイルを受容するバッハの音楽、そのどれもがまさにバッハであり、バッハの音楽の懐の深さたる由縁であります。
クラシック聴き始めのころ、ジャック・ルーシェなどのジャズの領域におけるバッハ演奏に、ものすごく反発を覚えた自分です。
しかし、いまやそんなことは乗り越えて、正式にバッハを演奏するにしても、その奏法はあらゆる方法があり、そのどれもがバッハなのであります。

サイモン・ラトルばりに、古楽奏法を意識したスピーディかつ切り詰めた表現をするかと思った。
しかし、そんな予想はまりきり外れ、このサントリーホールでの指揮が自身初のマタイとのノットのすごさを今回も思い知るところろなった。

ふたつのオーケストラを左右に配し、総勢は50名ほど。
合唱は東響コーラスがフルスペックで100名以上に、少年少女合唱団。
ここからしてすでに予想は外れ、ソリストと、いつものにこやかなノットの登場するところとなった。

そして全霊を込めた指揮に導かれて鳴りだした音楽は、ヴィブラートをほぼ抑えながらも、じつに豊かで壮麗なもので、そのテンポ感もゆったりめだった。
この予想外の展開に、一瞬そうきたか、と思ったものの、数秒でもう涙腺を刺激されてしまうほどに真実の響きがあった。
いつもの暗譜での東響コーラスも切実なる歌を聴かせて、さらに加わる清澄な少年少女合唱団にも心動かされた。
 このあといくつもあるコラールは、客観性を持たせつつも、その前後の局面でのイエスの置かれた状況への感情移入を絶妙に変えてみせたように、多面的な表現もプラスされていたと思う。
ただ多くの方が感じたかもしれないが、人数がちょっと多すぎて、コラールでは音の輪郭や核心がぼやけてしまったかもしれない。
あと、子音のアクセントが効きすぎて聴こえたことも指摘しておきたい。
でも、この人数での合唱は、コラール以外の群衆の集団や心理などで、実に有効だったし、そのあたりがノットの狙いでもあったものと思う。

私は聴きながら、何度も涙ぐみ、感動のあまりに心が揺さぶられ、手も組み合わせつつ聴き進んだが、この演奏はリヒターのあの峻厳な演奏を現代によみがえらせ、もっと柔和に血の通った人間ドラマにしたものではないかとも思った。
第1部の最後の合唱における優しい響きはいかばかりだったろうか。
第2部に入ると、ノットの指揮の集中度はさらに高まりつつ、東響のソリストたちの素晴らしさも手伝い、音楽の美しさを掘り下げるようで、アリアの数々は本当に美しくてどこまでも続いて欲しいとその都度思うのだった。
さらに劇性も増してゆくかと思い、「バラバ!」「十字架に!」の群衆の叫びをさぞかし・・・と待ち受けていたら、そんなでもなかった。
そこが突出することを避けたのか、全体のなかのバランスとしての経過点に過ぎず、その後のコラールの静謐さとソプラノのアリアの虚無的なまでの無常観、メゾのアリアの淡々とした悲しみ、このあたりへの対比が実に素晴らしく、ここでもワタクシは涙ひとすじ・・・
「安らかに、おやすみください」の最後の合唱。
3時間以上の受難曲の終わりを飾る慰めと無常に満ちたこの音楽に、合唱もオーケストラもソロたちまでもが一体となってノットの神々しいまでの指揮のもとに応えておりました。
音楽が終わっても、会場は静寂のまま・・・・
最初は拍手することすらできなかった私、涙をぬぐって満場の喝采に参加しました。

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実績ゆたかなウェルナー・ギューラの福音史家、初めて聴くとおもったらそんなことはない、手持ちの音源を調べたらいろんなところに名前が出ていた。
知的かつ繊細な歌いまわしは、客観性もあってイエスの受難の物語の語り部としてふさわしい風格と気品もあった。

イエスを歌ったミヒャエル・ナジ、夏にはバイロイトの新演出マイスタージンガーで、印象的なベックメッサーを歌い演じたばかり。
芳醇な声と明晰さ、そして力強いバスバリトンの声も、ここではホールに響き渡らせてくれた。
多くの聴き手が、ナジの声には驚いたはずで、2部では登場も少なかったので、アリアなども出来れば聴きたいと思ったことだろう。
この先、オランダ人やウォータンとしても活躍すると思う。

コンラディのリリカルだけれど、言葉のひとつひとつが明快で、その澄んだ声と明瞭な言葉がほんとに心地がよかった。
その無垢なる声で歌われるソプラノのアリアの数々、ほんとに素敵だった。
彼女もバイロイトで歌っていてリングの第一声を飾るウォークリンデ役だ。

マタイ受難曲の歌手たちの肝ともいえるメゾのルチア・リヒター。
彼女は、ほんとに素晴らしかった。
バッハの音楽への共感にあふれた没頭感が、その姿と歌声ににじみ出ていて、情感を真摯に言葉に載せるナチュラルさも特筆すべき歌唱だった。
そう、「Erbarme dich」では、小林コンマスの美音のソロも手伝い、あまりの正鵠を射る歌に、この日、最大の落涙をしたのでした。
最後の合唱で、折り番となったコンラディとリヒター、合唱と一緒に感動とともに歌っていたのが印象的だった。

実績ある日本人歌手3人も負けじと素晴らしかった。
テノールの櫻田さん、甘い声でもあり、その優しい歌声がよかった。
数々の舞台で接してきたバリトンの萩原さん、ドイツ語も明快でイエスの死後の晴朗なアリアなどは効きごたえ十分。
ピラトも歌ったバスの加藤さんの深みのある声も魅力的で、わたしのイエスを返せでは景山さんのヴァイオリンソロも素敵で、渋い光沢のある声が光りました。

最後に最大級に讃えたい東響の皆さんのソロ。
竹山愛さんのほれぼれするほどのフルート、篠崎さんとの二重奏も素敵だった
そしてオーボエ・ダカッチャの最上さん、オーボエの荒さんの抜群のコンビネーション。
通奏低音で大活躍のチェロの伊藤さん、こんなに大変なんだと見て聴いて感心。
福澤さんのヴィオラ・ダ・ガンバの古雅な響きに切なさまで感じてしまった。
ふたりのコンマスの美音も先にふれたとおり。

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このようにバッハの音楽には、ひとりとして脇役はおらず、全員がバッハの音楽に奉仕するように作曲されていると思う。
その印象は、ノットの自主性を引きだす自在な指揮によるところも大きかった。

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あまりの感動の大きさに、忙しさもありましたが、しばらくは音楽が聴けない状態にあります。

偉大なり、バッハ、マタイ受難曲

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2025年8月25日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ヒコックス指揮

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盛夏も終盤、サントリーホールのお花も秋めいた色合いになりました。

でもしかし、連日の猛暑はこの日も容赦なく、木陰を選びながらゆっくりとホールにアプローチしました。

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         東京交響楽団 第733回 定期演奏会

 リャードフ 交響詩「魔法にかけられた湖」op.62

 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18

 チャイコフスキー 「四季」~10月『秋の歌』

      Pf:谷 昴登

 ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ホ短調 op.93

           アダム・ヒコックス指揮 東京交響楽団

                      コンサートマスター:小林 壱成

       (2025.8.23 @サントリーホール)

真夏のロシアプログラム。
指揮するは、イギリス生まれの新鋭。
1996年生れ、2019年指揮デビューのアダム・ヒコックス。
幣ブログには、「ヒコックス」のタグがすでにありまして、そう、イギリス音楽と合唱音楽の伝道師の故リチャード・ヒコックスの息子がアダムです。
英国音楽好きのワタクシですから、父ヒコックスはかなり多く聴いてきましたし、未知のイギリス作品もヒコックスのおかげで開拓できたり、好きになったりしたものです。
父は1948年生れで2008年に60歳という早すぎる痛恨の死を迎えてしまったわけですが、アダムは父が48歳のときに生まれ、12歳のときにその父を亡くしてしまってます。
だから、父親の音楽に接したのはあまり長い期間ではないはずですが、逆に父からするとその年齢での息子は、ほんとうに可愛かったでしょう。

息子アダムがいて指揮者になったのを知ったのはほんの3年前。
日本からでもまだ自由に聴けたBBC Radioにて、彼の名前を見つけたのです。
アルスター管を指揮してのシベリウス5番でしたね。

そしてまさかこんなに早く、彼の指揮姿に接することができるなんて。
ノット監督の人脈や東響さんの目利きのよさに感謝です。
1999年に父リチャードと新日フィルの演奏を聴いてまして、これは何度か記事にしてますが、同時にプレヴィンもN響にやってきて。まったく同じ曲目をやりました。
私は、ヒコックスはブリテン「春の交響曲」を、プレヴィンはRVWの5番を選択しましたが、いま思えばすべてを聴くんだった。

けっこうダイナミックな指揮をするな、と思った父親の方の指揮姿。
そして、颯爽と登場したスラっとスリムな息子アダム。
ときおり見せる横顔は、26年前の父リチャードにそっくりでした。
風貌は、これもまた2世指揮者のマリス・ヤンソンスの若い頃にも似てます。
指揮は、同世代の若い指揮者がダイナミックに動きまわるのに比し、かなり抑制的で動きは少なめ、しっかり拍子をとり、長い左手の表現力も豊かで、表情も印象的で、総じて根っからの指揮者だな、と思わせるナイスなものでした。

1曲目に珍しいリャードフの作品を持ってくるあたり、なかなかの選曲です。
かつてコンドラシンがN響に来た時に指揮した曲で、いまでもそのエアチェック音源は聴いてまして、ロシアの後期ロマン派風の幻想味ゆたかな静かな音楽。
ディーリアスやアイアランドを思わせるような詩的な素敵な作品を丁寧に美しく演奏したアダム&東響、暑くてほてった身体がクールダウンした心境でした。

その名も初の谷 昴登クンの鉄壁のラフマニノフには驚きました。
これもまたヒコックスの指揮と同じく、若さにまかせた演奏ではなく、音楽に共感しつつ、一音一音丁寧に弾くスタイルと思いました。
それが抜群の技巧の裏打ちされたうえで弾かれるラフマニノフの歌と抒情。
だからとりわけ第2楽章の静かな中に秘めた感情が徐々に高まっていくのが奏者・指揮者ともに素晴らしく、耳にタコ状態のラフ2だけれども、心から感動した。
3楽章でのスリムな若いふたりのスマートな演奏が、これも見事な高まりをみせて圧巻のピアノとオケの大トウッティ、とくにオーケストラの皆さんは身体を揺らしつつ感じ入りつつの演奏で、聴くこちらも大感動。
久しぶりに若くてフレッシュなラフマニノフを聴かせていただきました。
アンコールのチャイコフスキーが、ラフマニノフの先取りのような抒情的な作品で、とても洗練されたアンコールを選んだものだと感心。
ホールを静寂につつみこんで、ピアノの一音一音が愛おしくも感じる、そんな素敵な演奏でした。

1953年のショスタコーヴィチ10番は、ソ連当時大いなるイデオロギー論争となったという作品ではあるが、いまはそんなことはまったく関係なく、ショスタコーヴィチの人気曲のひとつとして世界中で演奏されている。
1954年に、この曲を日本初演した東京交響楽団を29歳の若いイギリス人が指揮をする。
これぞまさに、時代の流れと、この曲およびショスタコーヴィチの受容の歴史を感じさせます。

腕の長いヒコックスの指揮は明快で、素人目で見ていても拍子もわかりやすく、動作の若さと説得力があり、気持ちのいい指揮ぶりです。
曲の半分近くを占める長大な1楽章は最初から最後まで、ヒリヒリした緊張感が途切れず、何度か訪れるクライマックスへの持って行き方も落ち着いていて堂々たるものだ。
またDSCHの様々な萌芽も、よく聴きとれる明快さもあり。
精緻なアンサンブルを誇る東響の実力も、この楽章では存分に発揮され、また木管群のそれぞれのソロも最高でした。
 煽ることなく、せかされることもなく、着々と進行させた2楽章は、とても音楽的でオーケストラの動きがこんなによく聴こえたのも驚き。
かつて聴いたことのあるゲルギエフとマリンスキーの演奏は、快速特急でなにも引っ掛かりのない演奏だった。
 この曲で一番不可思議さただよう3楽章だが、ホルンソロのつややかな素晴らしさに感銘。
この楽章に様々な意味合いを見出し、解釈するなどということはせず、若いヒコックスは、楽譜の面白さをそのままに素直に音にしてしまった感があり、優秀なオーケストラあってのものだろう。
ここでも猛然とクライマックスに突き進むヶ所があるが、ヒコックスは落ち着き払ったもので、何度も登場するエルミーラのモティーフの強弱、遠近の付け方、聴こえ方も秀逸でありました。
 物悲しい4楽章の出だし、きっかけを求めて、まるで何かを模索しつつ進むところ、いろんな楽器のつぶやきがそれぞれに面白い。
素っ頓狂なクラリネットから急速展開するところは、オケもうまいし、アダム君のノリの良さも抜群でリズム感も素晴らしい。
ショスタコーヴィチのピッコロの使い方は、どの曲でもほんとうまいね、とか思いつつ、もうこちらも興奮収まり切れず、どきどきワクワクがとまらん。
こうしてDSCH高鳴る圧巻のエンディングへと突き進むのですが、ほんとにちょっと欲をいえば、もっとはじけてもよかったかも。
でもインテンポぎみに着実なラストを築き上げたヒコックスの実力は並々ならないと感じましたね。
楽譜に忠実に、ある程度の客観性も備えた演奏だったかと思います。

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ホールは大喝采でブラボーも多数飛んでましたし、気が付いたら、わたくしも参加してましたよ。

ちなみにジョナサン・ノットと東響の同じ10番を改めて聴いてみましたが、やはりノットは凄かった。
スピード感、音楽の流れの自在さと迫力、緊迫感など・・・

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父リチャードの数々の音盤を愛する私に、またひとつ楽しみができました。
手持ちの放送音源には、ウォルトンのペルシャザールがあり、合唱の扱いや自国物へのリスペクトなど、父親譲りのものがあります。
オペラにも積極的で、ドニゼッティやヴェルディ、プッチーニをとり上げているほか、ヴァインベルクの作品まで指揮するなど、本格派です。
まだまだ若いアダム・ヒコックス、無理せず着実に伸びていって欲しいと思いますね。

ポストとしては、グラインドボーン・シンフォニアの首席のほか、ノルウェーのトロンハイム響の指揮者にこの9月から就任します。
グラインドボーンは夏の音楽祭はティチアーティが音楽監督でロンドンフィルがレジデンツオケになりますが、秋のシーズンでもオペラ上演があり、そこでのオーケストラの指揮者ということになります。
さらにオペラのオケでもあるトロンハイムは、腕を磨くのに申し分のないオケでしょう。

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鳴りやまぬ拍手に応えてひとり登場のヒコックス。
こうしてみると、ほんとに若くてあどけなさも感じます。
同じ2世指揮者、ヴィオッティが音楽監督となる東響の常連指揮者になって欲しい。
そして父譲りの英国音楽などをじっくり聴かせて欲しい。

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2025年7月27日 (日)

サマーミューザ 東京交響楽団 ノット指揮

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暑い夏、始まりました、日本の首都圏オーケストラの祭典、サマーミューザ。

今年は九州交響楽団が登場しましたが、毎年もっと全国のオーケストラをここで聴けるようになるとさらによいな。

任期最後の年度なので、ノット音楽監督のオープニングはこれが最後かと思うと、今回のプログラミングの意図なども考え、ちょっと感傷的になってしまうのでありました。

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東響の本拠地のミューザ川崎。

サントリーホールの定期会員になっているので、ミューザは久しぶり。

プレトークでノット監督も世界有数の素晴らしいホールだと話してました。

どこで聴いても音がそれぞれによく、直接音と降り注いでくるような音とがどの席でもミックスされて聴こえて、とても気持ちがよいのです。

ワーグナーなどはことに相応しく、ワタクシには快感以外のなにものでもない感情が巻き起こります。

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フェスタ・サマーミューザ川崎2025 オープニングコンサート

 ワーグナー 「ローエングリン」第1幕への前奏曲

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ワーグナー(マゼール編) 言葉のない『指環』
          「ニーベルングの指環」

    ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 

        コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.7.26 @ミューザ川崎 コンサートホール)

ワーグナーでベートーヴェンを挟むプログラム。
プレトークでノットは、ローエングリンは出会いと別れの音楽と語った。
まさにいまのノット、オーケストラ、聴衆の思いです。
そんな風に思いつつ、この澄んだ音楽と、それにふさわしい清澄なる透明感あふれる演奏を聴いた。
高鳴るシンバルも慎ましく、どこか切なく感じた。
前奏曲のあと、わくわくするような伝令の登場シーンを続いて聴きたくなるのがワーグナー好きの心情。

ついでのベートーヴェン8番は、このコンビのベートーヴェン全集のトリを飾るものでライブレコーディングもされていた。
またインタビュー記事や、今回のトークでも語っていたように、この8番の驚くべき存在に着目していたとのことで、以前に日本のホテルで飛び起きてスコアを呼んで感嘆したとこと。
ウィットに富むけれど、正直極まりないベートーヴェンの作品だと。
 そして間髪いれず、即始まる勢いあふれるサウンドはいつものノット。
基調は速めのテンポで一気呵成に聴かせてしまうノット節だけれども、細部は実に緻密に練られていてすっとばして聴かせてしまうという乱雑さは皆無。
ベーレンライター版なので過剰なところはなく、切り詰められぎっしりと音の意味合いが詰まっているようにも感じた。
プチ交響曲のような存在ではなく、舞踏的な、この時期のベートーヴェンらしい朗らかさと大胆さも示すような、そんな考え抜かれた演奏だと思った。
3楽章から終楽章へは、もしかしたらアタッカで入りたかったかもしれないノットさん。
おきまりの客席の咳で終楽章へ即なだれ込むのを諦めたのが見て取れた。
こればかりはしょうがないが、この終楽章が手に汗握る迫真の演奏で、ベト8でこんな興奮するのは初めてだ。
客席の反応も同じくで、いきなりブラボーの嵐だったもの。            

2年前の2023年に、ヴァイグレと読響が同じ8番とフリーヘル編のオーケストラルアドベンチャー「リング」をサマーミューザでやっており、まったく同じ演目が期を待たずのるのは珍しいこと。
しかし、8番はおおらかで肩の力の抜けたヴァイグレの演奏だったのに対し、ノットの方はもっと刺激的でやたらとポジティブな演奏だった。
果たして、「リング」の方も同じく、オペラのベテランの安定感あるヴァイグレに対し、果敢に攻めまくったノット、さらにゴージャスなマゼール編との違いも大きく、どちらも最高の演奏であったと思うのだ。
また「ローエングリン」の次に書かれたのが「ラインの黄金」であり、「ジークフリート」の3幕以降は作曲に間が開き、作曲技法も高まっているこなどを聴くのも楽しみである。

これもまたノットの事前インタビューで読んだのですが、ノットがニュー・ヨークフィルにアルプス交響曲でデビューしたとき、時の音楽監督のマゼールが訪ねてきてリハーサルに立ち会いたい、さらにはマゼール指揮の演奏会でも、指揮中に振り返っておどけてみせた、次いでマゼールから評価を受けたことなども語ってました。
マゼールへの尊敬の思い、それから指揮することとはなんぞや、といったことなどを学んだなど謙虚に語るノット。
「東京交響楽団のプレイヤーたちが、私とともに年を重ねて変わっていくのをみてきました。こうした関係や経験、この出会い、融合、分かち合い、この喜び、このジャーニーが、願わくはみなさんの人生の一部になることを切に願っています」(ミューザブログより転載)

ノットのこの話を事前に読んでからいどんだこの演奏会、とくに「リング」は、そうした思いが詰まった、そして指揮者とオーケストラという組み合わせの実り豊かなの結実をここに観て聴いたのでした。

14時間かかる4部作を65分に凝縮した「リング組曲」。
オーケストラルアドベンチャーの方もだいたい65分の演奏時間ですが、そちらは主に抜き出しても聴かれるオーケストラ有名曲のシーンをつなぎ合わせ、歌唱の部分はそぎ落としオーケストラ作品としてとらえたもの。
マゼール版は、ワーグナーの書いた音符を忠実にそのままに、歌唱が乗る部分も活かし、楽劇の流れを65分に凝縮させたもの。
だから「言葉のない指環」となるわけでした。

この5、6月でスイスのバーゼル劇場(バーゼル交響楽団)で「リング」の通し上演を指揮してきたノット。
まさにその機運そのままに日本にやってきてくれた。

神奈川フィルでの名演から1か月。
「ラインの黄金」原初の響きの序奏からミューザで聴くワーグナーの喜びを感じる。
鳴り続ける低弦、そこに徐々に広がりゆくさざ波、透明感あるサウンドが、やはり重厚長大な一時代前のワーグナーとは一線を画したノットの新時代ワーグナーサウンドだと確信。
P席の真ん中と左右に置かれたニーベルハイムの金床は、先月の神奈川フィルの京急レールのきらびやかな音とは違い、渋いキンコンカンコンだったが、地下行きの片道だけの登場という贅沢ぶり。

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ドンナーの雷の一撃から、いきなり「ワルキューレ」の1幕の嵐に突入で、華麗な神々の入城がないのが肩透かしでよろしい。
でも喉の渇きを癒すジークムントの美しいシーンは、チェロのソロがしっかりあり、ここでも艶のあるソロがすばらしく響きました。
一気にここで1幕の歓喜あふれるエンディングがやってきて興奮するが、ここでこらえきれず拍手がおきた、ワタクシも危ないところだった。
その後の2幕前奏曲の情熱的な演奏といったらなかったし、そこから2幕ラストにつながり、ワルキューレの騎行に間髪いれずなだれこみ興奮をさらに誘う。
ワーグナーチューバを交えた8本のホルンが壮観で、ノットの指揮もむちゃくちゃ気合が入っていて、時おり力む声も聴こえましたね。
そして、この日、最高に美しく、悲しくも神々しかったウォータンの告別シーン。
リングのなかでも、もっとも好きな場面、泣いてしまう場面、父と娘の愛情をノットも「リング」の中にある様々な愛の形のひとつとして語ってましたが、ともかく素晴らしかった。

「ジークフリート」は、ウォータンがローゲを呼び出すところから「炎」つながりでミーメが幻影に恐れてワナワナするところに巧みにつながり、実にスムーズに流れるので気が付かないうちにジークフリートに入っていた。
いちばん地味なジークフリートを面白く聴かせるのは、牧歌的なシーンをナチュラルに柔和に聴かせることで、案外血なまぐさいシーンも中和されるが、東響の管の名手たちの鮮やかさを堪能できた。
オモシロかったのが、瀕死のファフナーのシーンがあったところから、やがて「黄昏」の夜明けシーンに変わってゆくところ。
「神々の黄昏」、精緻なスコアだけに、オーケストラの精度もここでは聴きものだし、黄昏で活躍するホルンセクションンやブリュンヒルデの動機を何度も奏でる管と弦の橋渡しなど、完璧な演奏でありました。
ホルンが席を立ち、舞台袖でジークフリートの角笛を吹くが、その遠近法も鮮やかで、ラインの旅の快速ぶりもまた豪華なオーケストラサウンドとともに多いに聴きものだった。
やがてトロンボーンが席を立ったと思ったら金床のあったP席左右に登場し、ハーゲンが一族郎党に呼びかけるシーンとなった。
思い切りホールが鳴りまして、実に気持ちがいいんだ、これが。
あと爽やかな3幕の頭のラインの乙女たちのシーンが来て懐かしい思いに浸っていると、ジークフリートの告別の歌につながる。
いやもう、ここ大好きなんだから、もう涙腺が危ない。
新国の上演で、このシーンでジークフリートが記憶を覚醒し、絶え絶えに歌う場面では嗚咽を漏らしてしまった自分です。
葬送行進曲も当たり前のように超素晴らしい演奏で、スタイリッシュでありつつ鋼のような強靭さを感じさせるもの。
そして演奏はブリュンヒルデの自己犠牲になるが、もうこうなると感動の嵐、感動のスプラッシュでどうにもならなかった。
脳内でブリュンヒルデの歌を再生しつつ、眼前に繰り広げらるノットと東響の気持ちの入り込んだ演奏姿に息も切らさず見入り、ドキドキがとまらない。
救済の動機の扱いも見事だったが、でもそこだけに入れ込んでしまわず、ラインの川のたゆまぬ流れと強さも意識させるようなそんな演奏。
落涙はかろうじてしなかったものの、涙が滲んできた。
炎上するヴァルハラ、そこで呼吸があって一筋の光明のように救済の動機が入ってくる・・・・のを期待したが、思いと裏腹にサクっときて終結してしまった。。。。
これがノットの自分の旧来の思い込みから脱するような思いにさせてくれる一気呵成の鮮度の高い生きた音楽なんだ。

しばしの静寂があり、盛大なブラボーと拍手の嵐。

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オーケストラをセクションごとに讃えるノット監督の信頼の眼差し。
「戦争レクイエム」に続いて、数日の間にこんなすごい演奏をやってのけたノット&東響。

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次は「マタイ受難曲」、いまから泣きそうだ。

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2025年7月24日 (木)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 戦争レクイエム

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梅雨が明け、真夏の日差しの照り付ける霊南坂教会の十字架。

容赦ない暑さ、80年前の夏はいまのような厳しさはなかったかもしれないが、日本に与えられた過酷な終戦末期の日々に比べたら・・・・

このとき、この夏に64年前、1961年に書かれた平和を希求したブリテンの「戦争レクイエム」を演奏することの意義は極めて大きい。

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    東京交響楽団 第732回 定期演奏会

    ブリテン 戦争レクイエム op.66

            S:ガリーナ・チェプラコワ
       T:ロバート・ルイス
       Br:マティアス・ウィンクラー

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
               東京コーラス
               東京少年少女合唱隊

    コンサート・マスター:グレブ・ニキティン
          合唱指揮:富平 恭平
        児童合唱指揮:長谷川 久恵

       (2022.7.21 @サントリーホール)

今季のプログラムのなかでも最も楽しみにしていた演奏会。
戦争レクイエムの実演はこれで2度目。
オペラ全作をすべて聴いてきた自分にとって、やはり戦争レクイエムという不朽の名作は最愛の作品となってまして、ブログ記事も15本も書いてしまいました。
これまでの戦争レクイエムの鑑賞歴の、それこそまさに総決算とのいえる演奏が、今回のノットと東響のものであったといっても過言ではないです。

過去にも日本では何度も戦争レクイエムは演奏されてます。
しかし、今回のノットの演奏者の顔ぶれほど、作曲者ブリテンの意図を汲んだメンバーによる演奏はないと思う。
記憶をたどったり、調べたりしたら、過去の多くが日本人歌手によるものだったり、外国人歌手でも初演時の国の出身者でなかったりでした。
ロシアのソプラノ、イギリスのテノール、ドイツのバリトンが、それぞれ選ばれ、それはブリテンの初演時にはソ連体制の壁で叶わなかったが、レコーディングではその組み合わせとなった国柄のメンバーとなりました。

加えて、ノットはイギリス人、そして我らが日本のオーケストラに日本の合唱団・少年少女合唱団と、アメリカこそないけれども、先の大戦で敗戦国であり、一番の被害国である日本での演奏。
ノット監督は任期の最終年度に、おそらくずっと日本で指揮したかったであろう戦争レクイエムをもってきた。

そんなことを思いつつコンサートにいどみ、最初から最後まで、私は金縛りにあったかのように、ときには緊張と感動のあまりむせりそうになりつつ「ノットの戦争レクイエム」を聴きました。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

合唱団はP席に、その後ろのオルガンの席にソプラノ、児童合唱団は場外から、指揮者右手にテノールとバリトン、そして室内オーケストラ。
このような普段の配置では考えられないブリテンの独創的な作品の演奏方式。
ラテン典礼に基づく部分はオーケストラ、合唱、ソプラノ。
オーウェンの詩に基づく部分は、テノールとバリトンに室内オケ。
これらが交互に絡み合うようにして進行し、最後には典礼と詩がまさに融合して、平和を祈って昇華する。
このブリテンの天才的な音楽造りが、こうしてライブで観て聴くと、そのすごさがよくわかるし、感動もひとしおなのでありました。

ノットの気の入れようは尋常ではなく、各章の間に休止は一切取らず、その集中力あふれる指揮でもってすべての演奏者の思いを集約し一身にひきつけた。
まいど素晴らしい精度の高い合唱は、いつものように暗譜。
祈りが主体の場面では座ったまま、強く歌うか所では立ち上がって力唱。
また児童合唱団は多くの演奏が合唱とともに並べることが多いが、ホールの外側で歌うことにより、教会的な響きと遠近感、そして天から響くような清らかさが出ていた。
いずれもノット監督の強い意志と思いの元にあったものと思う。
教会とコンサートホール、そのどちらの雰囲気も巧みに演出できた。

①冒頭、おもったより重々しさや不安感は強調せず、鐘とともに淡々とした出だし。
そして一転、テノールによる戦場の禍々しさを歌う場面、ここへの一挙に変わる変転ぶりが見事。
エキセントリックな歌いぶりも、これもまたイギリス系のテノールの独自の持ち味でルイス氏の第一声は見事に決まった。
腰を下ろしたまま歌う静謐な祈りの合唱、この曲の決め手はこの祈りが何度も交わされるところで、最初から涙腺が・・・・

②不穏なラッパの音とともに始まるディエスイレ。
ここも思ったより激しくやらずに、合唱もオケも抑制の効かせていたように思ったし、怒りでなく、なんでやねん的な疑念の表出としてはふさわしいと。
次いで登場のバリトン、ウィンクラー氏も抑えた表現で、ややこもって聴こえたが、語りかけるような歌い口は、オペラ歌手のそれでなく、リート歌手なのである。
歌いまくるのでなく、詩を歌い読み込む、そんな歌唱がこの作品にはよいと思う。
3人目のソロ、ソプラノは遠くから歌うが、チェプラコワ女史の切実さは絶叫でなく、悲痛さを感じる歌声。
2度目のディエスイレのあとにくるラクリモーサ。
私の大好きな場面であるが、楚々たる歌ととぎれとぎれの哀しみの表出が実に感動的で、またも涙腺が・・・

③同時進行の字幕がありがたかったアブラハムの旧約の場面。
典礼文との絡みもわかりやすかったし、これまたブリテンってすげぇなとおもったオッフェルトリウム。

④ピアノやキンキラ打楽器に乗ったソプラノ、呪文のように典礼文をとなえる合唱、もう雰囲気抜群だ。
そして輝かしいホザンナが眩しかった、ホールが高鳴った。
ベネディクトゥスでのソプラノも美しい

⑤ルイスのテノールの虚無的だけれど切実な歌唱の光ったアニュス・デイ

⑥きっと多くの方が、いちばん感動されたであろう「リベラ・メ」
カタストロフにむかって緊張を高めてゆく場面の息つく間のない迫真性。
ついに怒りの日の再現、ここにピークをもってきたであろう、リミッターを解除したかのように②のときよりも金管も打楽器も凄まじく咆哮。
握りしめる手にも力が入っていまい、目を見開くようにしてこのシーンを視覚的にも焼き付けようとしたワタクシ。
この緊迫感の表現こそノットの真骨頂。
ついで来る敵味方、男声ふたりの邂逅の場。
室内オケの弦のグリッサンド的な緊張感あふれる奏法と精魂尽きたかのようなテノールの必死の歌。
そこにかぶってくるバリトンの長いソロ。
ここが一番のこのレクイエムの肝であろうと思っているか所だが、ふたりの男声が徐々に目覚めてゆくようなこの音楽、ホール全体が静まり返り、聴き入り感じ入ったのだ。
このあとの、ともに眠ろう、と、ソプラノの天国への誘い、もうわたくしは両手を祈るようにして組みながら聴きました。
天から聴こえてくるかのような児童合唱も加わり、ホールに一条の光が差してきたかのように感じた。
「かれらを平和のなかに憩わせたまえ、、アーメン」
美しい調和のとれた響きに、わたしの頬はいつしか涙が伝ってました・・・・

    ーーーーーーーーーーーーーーー

もうこんなに感動させないで欲しい・・・
指揮棒をとめたノット監督。
永遠に続くかと思われた静寂もまた美しかった。

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硬質だけれども清冽な声で魅了したチェプラコワ、リリックなイギリステノールの典型として印象に残ったルイス、FDまでとはいかないが、言葉をかみしめるような知的かつノーブルな歌のウィンクラー。
素晴らしい3人のソロ。
そして圧倒的な合唱団と清らかな児童合唱。
東響のソロの皆さんの冴え、完璧なアンサンブルと濁りのない済んだ響き。
精鋭の室内オケメンバーの緻密さ。
すべてを司ったノット監督に最大限の賛辞と敬意をささげたい。

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熱烈な拍手に再度登場の3人の歌手と指揮者
ほんと、多くのブラボーが飛んでました

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最後はノット監督がひとり。

いつもにこやかなノットさん。
連日、会心の出来栄えの戦争レクイエム、日本でのこの演奏はラストシーズンを迎えたノットさんの記憶にもこの先も刻まれ続けることでしょう。

歩みを続けるノット。
東響とスイス・ロマンドの次は、スペインのテアトロ・レアルの音楽監督となることが決定。
高レヴェルの上演で定評あるハウスだけに、オペラでのさらなる躍進に期待したいところです。

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2025年6月10日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 マリオッティ指揮

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梅雨入り間近の日曜日。

関東は好天に恵まれるのは、もしかしたら最後の週末だったかも。

新橋からサントリーホールまで、行きはいつも歩きます。

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    東京交響楽団 第731回 定期演奏会

   モーツァルト 交響曲第25番 ト短調 K.183

    ロッシーニ   スターバト・マーテル

    S  :ハスミック・トロシャン
    Ms:ダニエラ・バルチェローナ
    T  :マキシム・ミロノフ
    Bs :マルコ・ミミカ

  ミケーレ・マリオッティ指揮 東京交響楽団
                東響コーラス
    合唱指揮:辻 裕久
    コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.6.8 @サントリーホール)

悲しみの短調でつらぬかれたプログラム。
でも、そこには優しい微笑みと強い意志がありました。

ボローニャ、ローマとイタリアのオペラの殿堂の指揮者を歴任しているミケーレ・マリオッティ(45)、念願の初聴きとなりました。
ダニエーレ・ルスティオーニ(42)とアンドレア・バティストーニ(37)とならぶイタリアの若手実力指揮者トリオのひとり。
 またマリオッティは、その指揮ぶりがクラウディオ・アバドにそっくりなところも前から注目していて、ともかくこの目で耳で確かめてみたい指揮者でした。

疾風怒濤の小ト短調は、強くて意欲みなぎる出だしにすぐさま感嘆。
しかし若さで押すようなところは一切なく、落ち着きはらった的確な指揮姿、その姿にやはりアバドの動きと似たものを見た思い。
拍子をとる指揮棒は軽く握り、左手のしなやかな動きによるオーケストラのコントロールは抜群で、まさにアバドを見るようだった。
1楽章から指揮に見入るばかりだったが、小編成の東響のクリアな響きも特筆でこの曲の肝でもあるオーボエやホルンも素晴らしい。
ヴィブラートは少なめながら、ガチガチの古楽的な奏法ではなく、マイルドな響きが実に心地よかった。
柔和な2楽章、喜悦感あふれるトリオがずっと聴きたくなるほどだった3楽章、終楽章は急がずにじっくりとした仕上がりで端正そのもの。
奇をてらわず、クリアーで誠実な演奏であったことがなによりでした。

スターバト・マーテル、合唱はP席でなくステージ奥に陣取りますが、休憩後まず最初に左右袖から登場の東響コーラス。
出てくる出て来る、たくさん登場で、お隣の方々も「ずいぶんねー」と驚かれてまして、目の子で数えて男声40/女声60って感じでまさに壮観。
ステージにオーケストラと乗ることで、音の一体感と合唱だけが突出してしまうことがなくなった。
また100名規模の合唱を驚くほど精緻にコントロールを効かせつつ歌わせ、オーケストラと巧みに合わせる、そのマリオッティの手腕の見事さに感心したと同時に、合唱指揮をした辻さんの卓越した指導力も讃えたい思いだ。
英国音楽好きとしては辻さんはお馴染みの存在ですからとてもうれしい。

世界的な4人のソロ歌手たちは、指揮者の左右に。

①沈鬱な導入部、しかしオーケストラも合唱も見通しがよく明晰なので明るさすら感じる。
独唱の登場に、4人がどんな声なのかワクワクする気持ちが抑えきれず。
②そして、あの行進曲調で始まるテノールの名アリア、最高に好きな場面で軽やかなオーケストラにのって、いかにリリックな声を聴かせてくれるか。
ミロノフの優しい声は、ロシア系であるとい先入観を吹き飛ばすほどに繊細な歌だった。
パヴァロッティの朗々たる歌に耳が慣れてしまった自分には渋すぎるこの歌唱は、ややこもり気味の内省的な歌い口に感じた。
でも、あれは商業録音のなかの声であって輝かしすぎて、スターバト・マーテル本来の聖母への同情心を歌いこむこのシーンではミロノフのこの切ない歌はよいのではないかとも思った次第。
③女声ふたりの二重唱では、えも言えぬ美しいハーモニーが。
アバドのヴェルレクでも歌っていたバルチェローナほどの大物が今回の代役抜擢で聴けるとは!
4人のなかでは唯一の生粋イタリア系で、その光沢と深みある声の味わいは素晴らしかったし、そこにいまが旬のトロシャンの抜けのいい美声が加わり、桃源郷を味わうのだった。
オーケストラの後奏も実にステキ。
④バスのミミカの深いけれども軽やかさも併せ持つバスも初聴きの私には驚きでした。
この曲には欠かせない存在となりつつあるようで、ネットでたたくとマリオッティを始め多くの指揮者と共演がある。
⑤バスのミミカはスタンバイしたまま、アカペラでの静謐な合唱とのレシタティーヴォは、強弱を繰り返しこだまするような効果を持つ合唱、教会で聴くかのようなそのロッシーニの音楽も演奏も見事。

⑥一転軽やかでウキウキしてしまうようなステキな4重唱は、思わず身体が動いてスイングしてしまった自分。
羽毛のような響きと心躍るリズム感がマリオッティの指揮で見事にオーケストラから出てくる。
⑦メゾの聴かせどころ、Fac ut portem、われにキリストの死を負わしは、メゾにロッシーニが書いた素晴らしい歌のなかのひとつだろう。
ホルンの牧歌的なソロに導かれ、楚々としながらも情感あふれるカヴァティーナをバルチェローナの豊かな声で眼前に聴く喜び。
オペラだったら、長大なアリアとして発展していくのだろうが、もっと続いて欲しいと思ったものだ。
マリオッティのオーケストラも美しさの極み。
⑧金管の咆哮と緊迫感ある弦というドラマテックな開始による合唱をともなったソプラノのアリア。
絶叫にならないトロシャンのどこまでも清らかな声が実に心地よかった。
それでいて張り詰めた真っ直ぐの声にはドラマテックな強さもあり、表現の幅の広い歌手と聴いた。
そして何よりもエキゾチックな風貌で華のある雰囲気がよろしい。
愛妻を見つめサポートしたマリオッティの指揮も目が離せず・・・
⑨ソリストにて行われるアカペラ四重唱は、今回は合唱によって歌われた。
ジュリーニ、シッパース、ケルテスなどの音源もみな合唱で演奏していた。
グロリアとクレッシェンドして終わるこの章、続いてなだれ込む終曲の合唱への流れは、こうして合唱アカペラから入ることでとても自然だったし、より劇性が強まる効果があったと思った。
⑩手に汗握る演奏となった終章は、前章とともに暗譜で毎回いどむ東響コーラスの精度の高さが光る。
右に左にと、対抗配置のオーケストラへの着実な指示にもオーケストラはすぐさまに反応して、過度に走ることのないマリオッティのもとじわじわと高まるクライマックスを見事に築き上げた。
最後に冒頭の旋律が回帰し、沈滞ムードがおとずれ、そこからあらためて短いながらも劇的な展開となりドラマテックに曲を閉じるが、このあたりの持って行き方が実に素晴らしく、私を初めてする満員の聴衆は壮絶な展開に息つく間もなく聴き入り、ブラボー飛び交う歓声で曲の終わりを迎え讃えたのでありました。

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宗教音楽としてのロッシーニのスターバト・マーテルの本質をしっかりと見据え、歌に傾きすぎることもなく、すべてのフレーズを明晰にしたうえで、過度な歌への傾きも排した練度の極めて高いすぐれたマリオッティのつくり上げた演奏でした。
その流麗かつしなやかな指揮姿は、わたしにはどうしてもアバドを思わせるものでした。
チャイコフスキーとプロコフィエフのロメオのもうひとつの演奏会には、どうしても行くことができないのですが、来シーズンからヴィオッテイを指揮者に迎える東響には、マリオッティも今後とも継続して呼んで欲しい。
そして次はピットのなかでのマリオッティの指揮を聴きたいものです。

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終演後のコールも盛大なものでした。

最前列の方々は握手までできちゃって、ほぉーっという歓声も。

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また来てね、マリオッティさん。

今度はヴェルディやブラームスなんかも是非。

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サントリーホールの裏にある庭園から。

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2025年5月26日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 沼尻竜典指揮

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サントリーホールのカラヤン広場の一角からパシャリ。

高層ビルや首都高に囲まれたオアシスのような音楽ホール。

東京交響楽団の定期演奏会、この日もほぼ満席でチケットは完売だとか。

へぇ~、と思いつもわかりましたよ

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ショパンコンクール入賞、日本を愛するスペイン生まれの若きピアニストがこの日のソリストだったのです。

東響の定期会員になったものだから、予定表にあった日にホールに向かうだけ。

演目は頭にあっても奏者などの情報はその日に知るという感じなものですから。

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        東京交響楽団 第730回 定期演奏会  

     バルトーク 組曲「中国の不思議な役人」

  リスト   ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S.124

  シューベルト 「楽興の時」第2曲 変イ長調

      マルティン・ガルシア・ガルシア

  チャイコフスキー 交響曲第4番 へ短調 op.36

        沼尻 竜典 指揮  東京交響楽団

       (2025.05.24 @サントリーホール)

昨シーズンに沼尻さんは。ポーランドの作曲家で固めたプログラムを指揮、今年は前半がハンガリー、後半はロシアで、民族色をうかがえるという意味では筋の通ったプロであります。

先々週に静岡でアリアドネ、先週はいかなかったけれど、川崎で神奈川フィルとベートーヴェン、そして今回の東響、さらに6月には都響、神奈川フィルでラインゴールド。
なかなかに精力的な活動のマエストロです。

中国の不思議な役人=マンダリンは、組曲になると20分ぐらいだし、ラストも盛り上がるので演奏会では全曲版はほぼやらないだろう。
予想通りに出だしから乱痴気感は少なめで、実にスマートかつ整然とした様相で開始、さすがに東響の鉄壁のアンサンブルで聴きごたえがある。
3人の男たちのそれぞれのミステリアスなシーンの対比がなかなか見事で、木管の活躍も味わいあり。
それにしても、マンダリンの登場にいたるこれらの怜悧でありつつ、熱っぽい音楽を書いたバルトークは凄い曲を残したものです。
誰もを興奮の坩堝へと誘うマンダリンの闘争シーンは、熱いうねりというよりも、音楽の面白さをドラマテックに聴かせるという大人の演奏でありました。
ピアノも活躍、そして正面のパイプオルガンもペダルのみで登場というユニークな編成も確認できましたよ。

赤オレンジのハンカチを握りしめながらガルシア君の登場。
バルトークとリスト、その生年を見ると1811年のリスト、1881年のバルトークで、70歳の違いがあるが、ふたつ並べて聴いてみるとそれ以上の年代の開きを感じてしまった。
より民族臭が強く、大胆かつ過激なサウンドのバルトークに、ロマン派どっぷり、絢爛豪華なリスト。
そんな違いがよくわかる沼尻指揮の東響でありました。
もっと鳴らすことはできたかもしれないが、存外に抒情的なピアノを得意とするガルシア君を引きたてるステキなオーケストラで、トライアングルも抑え気味に感じた。
そのガルシア氏ですが、このピアノには感心しましたね。
人気のピアニストということで、斜に構える思いで聴き始めましたが、鮮やかな技巧は予想通りでリストの音楽の豪華な側面もうまく出しつつ、そこにある詩情にあふれた思索する人リストの一面もその対比としてよく弾きだしてました。
彼のピアノで聴く2楽章の美しさは特筆ものでした。
鮮やかで燦然たるフィナーレでは大胆豪快な弾きぶりもみせ、オーケストラとともに瞬間芸出来な壮大な盛り上がりとなりました。
終わるやいなや、ガルシア君はピアノの椅子から飛び上がり、指揮者の沼尻さんに抱き着きました。
この微笑ましい天然仕草に会場はほんわかとしたものです。

鳴りやまぬ拍手に応えたシューベルトが、これまたすばらしく美しい演奏でありました。
こうした優しく抒情的な作品にこのピアニストの特性があるのかも。
突然と変わるシューベルトならではの死の影のような不穏な雰囲気との対比もなかなかの表現力でございました。

チャイコフスキーの4番。
サマーミューザでノット監督の指揮で聴いたのが2年前。
対抗配置でユニークな演奏を聴かせてくれた前回と違い、今回の東響は通常配置で沼尻テンポはより快速でスマートかつ宿命観も少なめ。
すいすい進む1楽章は快感誘うドライブ感で威圧的な雰囲気もなく、チャイコフスキーの音楽そのものをいい音楽だなと感じつつ楽しませるものでした。
1楽章のコーダで、あんだけむちゃくちゃ強奏してた弦楽器、ピッチとか大丈夫かなと思いつつ、すんなり始まる2楽章では木管奏者のみなさんの橋渡しがそれぞれに見事で適度なメランコリー感もいい感じ。
ピチカートの3楽章、これを作曲したチャイコフスキーの天才性にはまいど驚きますが、今宵の演奏の驚きはこの楽章から。
奔放な演奏をここに感じ、木管が加わってからアクセルが踏まれたようで、いままで抑えていた感情表現がむき出しになってきたようにも。
ノットのときもそんな風に聴いたから、この曲に対する自分の思いや聴き方なのかも、とか思いつつ怒涛の終楽章に。
快速でバシバシ進む指揮者とオーケストラ。
来るぞ来るぞと期待しつつ、その期待以上にアッチェランドをかけ、音圧も高めて熱狂の渦を導き出した最終場面。
いやはや、安全運転で締めくくるかと思っていたら、そうはならなかった大爆発エンディングにブラボー飛びまくり。

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いやぁ、満足満足のチャイコフスキー。
バルトーク、リスト、シューベルトと聴いてきて、やはりチャイコフスキーは千両役者だのう。
そうだ、神奈川フィルでのオペラシリーズ、リング継続とオネーギンかスペードの女王も希望しておこう。

※前半には埋まっていた席が空席に・・・
なんでやねん、ちゃんと最後まで聴いてコンサートは完結するんですよ!

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いつもお馴染みの神奈川フィルでは見られない、マエストロ呼び出しコール。

県民オケの神奈川フィルでも、われわれ聴き手が頑張ってやればいいと思うし、あと許可して欲しいのがカーテンコール撮影。
ほとんどのオーケストラが、あのN響さまでも、一定のルールのもと、スマホによる撮影が可能になってます。
コンサートの余韻をあとでも楽しめるよすがともなりますし、恒例のお見送りに加えて、聴衆との一体感向上のためにも是非、と思うんですが。
ただ人気者がいらっしゃるので異なる効果が出てしまうということもあるかもしれないが・・

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