カテゴリー「ワーグナー」の記事

2025年9月10日 (水)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ネゼ=セガン指揮

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台風が来る前の壮絶な夕焼けシーン。

中学生・高校時代は、ここに富士の頭が見えて、こんな夕焼けを見ながら「ワルキューレ」のウォータンの告別を聴いて痺れていたものです。

わが血肉にもなっているワーグナーの音楽。

また新たな音源を発見し悦に浸っておりますところです。

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   ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン:ステュワート・スケルトン
   イゾルデ:ニーナ・シュティンメ
   マルケ王:タレク・ナズミ
   ブランゲーネ:カレン・カーギル
   クルヴェナール:ブライアン・マリガン
   メロート:フレデリック・バレンティン
    水夫、牧童:パク・ジョンヒョン
    舵取り:ネイサン・シュルデッカー

 ヤニク・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団
              フィラデルフィアシンフォニック合唱団

    (2025.6.1 @マリアン・アンダーソン・ホール、フィラデルフィア)
   
セガンが手兵のフィラ管でトリスタンを全曲やるという情報は前からつかんでいて、それがついに全3幕をネットストリーミングで聴くことができました。
50歳のモントリオール生まれのセガンは、相変わらず積極的な活動をしていて、フィラデルフィアは2012年から、メトロポリタンオペラは2018年から、それぞれ音楽監督をつとめていて、ヨーロッパでも各地のオーケストラに客演していて、レコーディングの数も極めて多い指揮者となっている。
メットでの指揮をべースにオペラも急速にそのレパートリーを拡張しつつあり、モーツァルトの主要オペラはすべて録音したし、ヴェルディ、プッチーニ、主要フランスオペラ、R・シュトラウスなど多く指揮していて、その多くをネットで聴くことができている。
ワーグナーへの取組みもついに開始し、バーデンバーデンでラインの黄金を指揮したが、ついにトリスタンを手掛けたわけだ。
メットでは、新演出のリングが2028年にスタート予定である。

コンサートでの定評ある指揮にくわえ、オペラでの実績と経験をすごい勢いで積み重ねている才人セガン。
ここで書くべきことでもないが、セガンは堂々とそっち系であることをカミングアウトした小柄だけどマッチョな指揮者だ。
多様性とかいう言葉は全く好きではないいが、かつてのバーンスタインのようなあらゆるものを飲み込み包括できてしまう、そんな心の豊かな音楽家なのではないかと思っている。

そんな彼の「トリスタン」は、フィラデルフィアの「トリスタン」としても大いに注目して聴きました。

・セガンの持ち味である生き生きとして、つねにビビッドな音が全編にあふれている。
・ライトモティーフのもつ説得力がいやでも増す音楽造り。
・ふたりの主役たちの、ワクワク感や焦燥、そうした気持ちがいろんなモティーフや、ちょっとした音の刻みにも表現されていて、聴いていて驚いた場面が多々あり。
・劇的なか所では、もさに興奮さそう盛り上げの巧さがある
・音が新鮮で、鮮度高い
・シンフォニックなアプローチでありつつ、オペラティックな感興にあふれている。
・しかし、陰りや絶望感は薄めで、ワーグナーのねっとり感やネクラ感はなし

豪華な歌手たちを揃えることができるのもアメリカの超メジャーのフィラ管、そしてメットの指揮者であることのゆえん
・ベテランとなったシュティンメは、この公演がイゾルデを歌う最後だという
 イゾルデの卒業となったシュティンメのさすがの貫禄と存在感
 しかし、高域がちょっとキツく感じ、低域が重すぎるようになった
・いまが絶頂期のスケルトン、重量級の声に拍車がかかり3幕のやぶれかぶれぶりは見事
 逆に2幕は抑え気味
・カーギルのブランゲーネは実にいいが、マリガンのアメリカ~ンすぎるクルヴェナールは軽薄だった
・若々しいナズミのマルケは新鮮だった。
・ほかの歌手たちもみ~んなアメリカン

そして、フィラデルフィア管弦楽団はうまかった!
音が明るい、輝かしい、そして重量級だった。

この音源がDGから出るかどうかわかりないが、劇場でもう少し振って、解釈を一貫させ深めてからでもいいかも。
セガンとネルソンスはなんでも録音が早すぎるし多すぎると思うものですからね。

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2025年8月31日 (日)

バイロイト2025 勝手に総括

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夏のワーグナーの祭典、バイロイト音楽祭も終わり、夏も終わりか・・・と思う時分になりました。

現地に行ったわけじゃない、行ったこともない、きっとこの先も行くことはないだろうバイロイト。

でも71年頃から年末の放送をずっと聴いてきたし、ちょっとしたワーグナー好きであります。

夏のバイロイトでの出来事は、一喜一憂してしまうのですから、今年もやります、勝手に総括、お許しください。

祝祭劇場の写真をちょいと編集してしまいました。

2025年の演目は、新演出の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ニーベルングの指環」(2022年)、「パルジファル」(2023年) 、「ローエングリン」(2018年)、「トリスタンとイゾルデ」(2024年)の5つ。

トリスタンは今年は放送されず、それ以外の作品をBR放送で全部聴きました。

画像はそれぞれ、バイエルン放送協会、バイロイト祝祭劇場のサイトなどからお借りしてます、ありがとうございます。

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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ダニエーレ・ガッティ指揮

すでにレビュー済み。
ザックスを特別扱いせず、むしろ軽い存在とすることで、ドイツ最上、神聖ローマ帝国万歳を薄めてしまい、前任のB・コスキーがえぐりだしたようなユダヤ問題をオブラートに包んでしまった。
踏込みが甘いという見方もあろうが、あれこれ考えずに楽しめたし、巻切れも愉快だったし、色彩の豊かさもよかった。

芸達者なツェッペンフェルトのザックスが期待通りに素晴らしく、深い美声で歌うバスでのザックスはかつてのリッダーブッシュ以来かもしれない。
この1か月で他の役でも多く舞台に立ったわけだが、体調を壊し、終盤ではミヒャエル・フォレとドンナーを歌っていたニコラス・ブラウンリーが代役で歌った。
さらに、好評のダ―ヴィット役のスタイアーも体調不良で降板し、ミーメを歌っていたチュン・ファンが代役に。
おまけに、指揮のガッテイもおかしくなり、1日だけ、お馴染みのアクセル・コバーが急遽指揮台にたった。
猛暑でありながらも、寒くなったりと、天候不順だったバイロイトだったようです。

 「マイスタージンガー2025 記事リンク」

Siegfried

 「ニーベルングの指環」  シモーネ・ヤング指揮

なんだかんだで、最終年度となったシュヴァルツ演出の「リング」。
コロナでお休みがあり、都合4年間、上演されたが毎回激しいブーイングが起きて、ある意味それも楽しみになっていた。
でもしかし、今年は、聴けた放送に限っていえば「ブー」はなし。
もしかしたら、カーテンコールに演出グループが出てきたときに、浴びたのかもしれないが・・・

観客はなにが起こるか認識して観劇していたので耐性がついていたのだろうし、いろいろと手を加えて調整もされていたとも言われている。
マイスター、インキネンから引き継いだヤングの指揮が、昨年以上に素晴らしかった。
あんなヘンテコな演出舞台なのに、音楽だけはやたらと素晴らしい。
それもこれもすべてに堂に入った的確かつ文句なく雰囲気豊かなワーグナーを聴かせるシモーネ・ヤングの指揮によるところだ。
聴いていて思わず膝を打つような場面も続出し、「神々の黄昏」の終盤、葬送行進曲から自己犠牲までの素晴らしい音楽が、こんなに感動的に演奏されるのを久々に聴いた。
ラストは思わず涙が出てきた。

歌手たちも比類ない出来栄えの素晴らしさ。
ジークフリートがすっかり板についてきたフォークトは、声に力と輝きも増してきて、スタミナ配分も充分で、最初から最後まで変わらぬ輝かしさだった。
ブリュンヒルデのフォスター、もしかしたらブリュンヒルデとしてバイロイトはこれが最後かもしれないが、以前のカストルフのプロダクションのときと比べるとはるかに練れてきて、声のハリと言葉の明瞭さ、そして歌に乗せる音楽の意味合いなど、ほんと素晴らしいと思った。
 コニチュニーのウォータンにベテランの味わい、悲劇臭強いスパイアーズのジークムントはヴァルターを歌った同じ人とは思えないほどのなりきりぶり。
ジェニファー・ホロウェイのデビューがあり、素敵なジークリンデだった。
チュン・ファンのミーメの害達者ぶり、ラデッキーのグンターの存外なかっこよさ、見た目グラマーにされたグートルーネのシェラーは、来年のリエンツィにも登場で楽しみ。
ほかの歌手たちも高水準で、長く続いたプロダクションの最後らしい、充実ぶりだった。

初年度だけを映像や音源にするのでなく、2025年度を製品化して欲しいものであります。

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  「パルジファル」 パブロ・ヘラス=カサド指揮

こちらは3年目のプロダクションで、昨年は放送がなかったので、一昨年にも増してカサドのテンポが速くなり、凝縮もされて感じられた。
かつてのブーレーズもかくやと思わせるような、透明感と明るい輝きにあふれたラテン的な演奏で、一方で中身の濃さも。
自分的には、あっけなさも感じたのも事実で、こんな私が「パルジファル」という舞台神聖祭典劇の既成概念にとらわれていることの証なんだろう。
「神聖」という文言を排除してしまったジェイ・シャイブの演出は、初年度の映像を見る限り、私は好きではない。
レアアースの採掘と枯渇、グルネマンツの恋など、環境問題とともに盛り込み、さらには映像の多用と、一部の人しか享受できないARグラス鑑賞など、まことに面白くなく感じてる。
 だが歌手たちは、ここでも素晴らしく、ツェッペンフェルトの美声のグルネマンツは安心して身を委ねることができる。
体調不良の代役は、グロイスベルクで、こちらも好評だったようだ。
シャガーのタフなパルジファルは相変わらずで、いい意味で一本調子なところがこの役にぴったり。
クンドリーはグバノヴァで、美しい低音から叫びまで、彼女ならではの輝く美声を聴かせてくれた。
Wキャストでガランチャも半分受け持って、こちらも絶賛されていた様子。
あとはフォレのアンフォルタスの神々しさも特筆もの。
 合唱団が再編成され、指揮者も変わったが、かつての地鳴りするような腹に響く力強い合唱と比べると弱く感じたがいかに。
まあ、こんな演出なら多少薄い方がいいか・・・・
そして、1幕終了時にはすかさず拍手が、3幕も音が終わってすぐさま拍手が・・・

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  「ローエングリン」 クリスティアン・ティーレマン指揮

3年ぶりのローエングリンというよりも、3年ぶりにティーレマンは帰ってきた、ということで話題になった。
やっぱり、すごい、ティーレマンがいなくては、と多くの方が思い、私も放送で聴いててその段違いのすごさに感嘆したのです。
音の厚み、自然さを増したタメの絶妙さ、全体にみなぎる緊張感など、ガッティやカサドとはけた違い、というか目指す音楽が違う次元で凄いという認識を持った。
これも久々登場のベチャワのローエングリンは、予想外によくて、自分的に気になっていたクセのある甘い歌い口が影をひそめて高貴さと力感のある歌唱となっていたように思う。
しかし、その彼も体調を壊し降板し、フォークトが急場を救う。
シュトラウスやドニゼッティなど、広範なレパートリーを持つファン・デン・フィーファがついにエルザでバイロイトデビュー。
彼女ならではの真摯でひたむきな歌いぶりが聴いてとれた。
来年はジークリンデで再登場予定。
驚きは、これもデビューのフィンランド出身のリサ・ヴァレラのオルトルートの憎々しいほどの巧みな歌い口と力強さ。
この歌手は今後ますます活躍しそうで、来年はクンドリーが予定されている。
合唱に関してのドイツのリスナーレビューは手厳しいが、そんなに悪くないと思ったけど。

シャロンのこのブルーに染まった演出は、最初から好きじゃなかった。
ディズニーの世界かよ、電気技師のローエングリンかよ、電源喪失のあとはお決まりのグリーンで持続可能のエネルギーにしましょう・・
めんどくせーな、よけいなこと盛り込むんじゃねぇよ。
社会問題を持ち込むと、すぐにオワコンになるよ。
このシャロン氏は、2028年には、メットでリングを演出するらしい。

「トリスタンとイゾルデ」が聴けなかったのは残念だけど、ニールントのイゾルデが彼女ならではの細やかな歌で絶賛されている。
あの演出も、小道具が多すぎて、あと暗くてあまり好きじゃないけど。。。

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最後の思い出に、あのヘンテコ演出の極みのワンシーン。

往年のワーグナー好きが観たら、まさかこれがワルキューレ3幕と言われたら卒倒しますぜ。

顔整形中のキャバクラ衣装のワルキューレたち、ちゃんと8人いるけど、わけわからないスーツ姿の男はまさか戦士たち?
監視カメラもあるし、セレブ風のウォータン。
ネトフリでやっているようなアメリカンホームドラマを意識したものだろう。

ともかく、この「リング」で明らかだったのは、リングに必須のモティーフが、肝心の「指環」でさえも、剣、槍、黄金、兜…等々は一切出て来ないし、必須の炎は蝋燭のちょろ火だったりで、ともかくすべてを消し去ることで、演出家が思い込んだドラマに作り変えたことだろう。
彼の意図などもうどうでもいい。
前にも書いたが、ワーグナーが微に入り細に入りモザイクのように造り上げたライトモティーフが完全に無視されたことに怒りを感じる。

毎年の新演出で、こうした傾向は拍車がかかっていて、原作の本質までも捻じ曲げることが多くなっているし、役柄の存在の概念も書き換えることも増えた。
さらにそこに社会問題までも盛り込む。

もうこうしなくてはならないという強迫概念すら感じますよ。

そんななかで、来年2026年の新演出(?)に予定されている「ニーベルングの指環」は人工知能=AIを活用したパフォーマンスになるという。
演出家の名前はクレジットされていらず、かわりに、クリエーターというカテゴリーでの名前になっている。
150年間のワーグナー「受容史に焦点を当てたプロダクション」という風に紹介されている。
想像するにオラトリオ風なのか、AIの造り上げた映像や画像を前にそれと競演するかのようにして歌うのか?
そんなようなことはバイロイト劇場の紹介ページから想像できる。
150年間のバイロイトでの上演履歴をすべて読み込んだうえで、AIが考えるパフォーマンスとなるのか?

このリングを指揮するのはティーレマンで、フォークトがローゲ、ジークムント、ジークフリートの3役をすべて歌う。
フォレのウォータン。ニールントのブリュンヒルデという歌手たち。
記念の年に相応しく、ティーレマンの「第9」で開幕し、バイロイト初めての初期オペラで「リエンツィ」が画期的な上演となる。
指揮はシュトッツマンで、タイトルロールはシャガー。
リエンツィの次作「オランダ人」の再演は、リニフの指揮、グリコリアンが帰ってくる。
あとは、「パルジファル」というラインナップです。

なんだかんだ、観劇に行きもしないで文句ばっかり言いつつ、毎年心待ちにしているバイロイト。
ワーグナー好きのサガといえましょう。

人事的に変化もあり、1月からはベルリン・ドイツ・オペラからマティアス・レーデルというゼネラルマネージャーが就任し、カタリーナ・ワーグナーは芸術監督として2030年まで留任する。
こうして、ワーグナー家の血脈も人材不足ということはあるが、徐々に薄まっていくのも寂しいものではあります。

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2025年8月 6日 (水)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ガッティ指揮 バイロイト2026

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今年もバイロイト音楽祭が始まりました。

7月24日~8月26日まで、新演出の「マイスタージンガー」、「指環」、「パルジファル」、「トリスタンとイゾルデ」、「ローエングリン」の演目。

日本と同様に猛暑のヨーロッパですが、音楽祭が始まると気温が低下、冷夏のバイエルン地方になっているようで、野外コンサートが楽器への影響などから中止になったりしてます。

バイエルン放送から例年通りライブ配信され、その演奏はさっそくに聴くことができたし、映像作品もすぐさまにDGから公開。

ネット社会の進化は、こういう場面では大いに結構、大いに享受させていただいてます。

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 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:ゲオルク・ツェッペンフェルト         
    ポーグナー:パク・ジョンミン

    フォゲルゲザンク:マルティン・コッホ 
    ナハティガル:ヴェルナー・ファン・メッフェレン

    ベックメッサー:ミヒャエル・ナジ
    コートナー:ヨルダン・シャハナン
 
    ツォルン:ダニエル・イェンツ  
    アイスリンガー:マシュー・ニューリン

    モーザー:ギデオン・ポッペ
    オルテル:アレクサンダー・グラッサウアー

    シュヴァルツ:ティル・ファヴェイツ
    フォルツ:パトリック・ツィールケ
    ヴァルター:マイケル・スパイアーズ  
    ダーヴィット:マティアス・スタイアー

    エヴァ:クリスティーナ・ニルソン   
     マグダレーネ:クリスタ・マイヤー

     夜警:トビアス・ケーラー

   ダニエレ・ガッティ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
                   
                     合唱指揮:
トーマス・アイトラー・デ・リント

        演出:マティアス・ダーヴィッツ

        (2025.7.25 @バイロイト祝祭劇場)

まずもって面白かった演出、それは舞台装置、衣装、照明など一貫して言えたことだ。
ドイツの一劇場と同じ存在と化してしまった昨今のバイロイトという存在。
場合によっては陳腐と評したくなる舞台のいくつか。
安全運転かもしれないけれど、行きすぎた解釈や原作を踏みにじるような読み替えなどがほとんどなかった点で、ここ数年では保守的な聴衆にも安心できる上演ではなかったろうか。

ドイツ人の演出家ダーヴィッツは、音楽の造形も深く、自身も俳優を演じたほか、ミュージカルシーンなどでの活動が多かった。
フォルクスオーパーやリンツでの活動から、いまはリンツのミュージカル部門の監督を務め、オペラ演出の分野にも進出しつつある今、とのこと。
カタリーナ・ワーグナーからは、「作品(マイスタージンガー)の軽妙さを際立たせて欲しい」という依頼のもとに受諾。

時代設定は中世でもなく、ワーグナーの時代でもなく、まさに少しまえの現代。
同じ現代の設定でも、アメリカナイズしてしまったシュヴァルツの悪夢のリングと比べると、ずっと穏健で、そのリングでも際立ち、さらに昨今のオペラ演出で多用される登場人物たちの「スマホ」操作はいっさいなく、スマホ登場前の年代かもしれないが、そうしたナンセンスなところがないのがよかった。

カラフルで、中世の落ち着いた色合いからしたらキッチュすれすれ。
そんな明るく楽しい舞台のマイスタージンガーだった。

以下、ネタバレありますので、まだご覧になっていない方、きっとやるNHK放送を楽しみにされる方はスルー推奨。

1幕
・昨今の前奏曲や序曲から演技がはじまるのと異なり、今回は幕が閉じたままであのハ長の前奏曲が鳴り渡った。
開幕初日だったので、セレブたちの入場の見学や、場内誘導のゴタゴタから、生配信のため時間通りに始まった前奏曲に間に合わない人がいたらしく、暗闇で席を探す至難さに不平をこぼす聴衆もいたとか・・・

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・あまりにも急な階段が据えられていて、その上に教会。
・急階段注意!と書いた看板が立っていて、東京五輪で流行ったようなピクトグラムが描かれている。
・礼拝を終えたエヴァとマグダレーネは階段を降りてくる。ヴァルター紙ヒコーキをハートにしてる。
・階段が右に移動し開いていくとちょっとしたホールになる。
・よく観察するとバイロイト祝祭劇場かもしらん。
・ここでダーヴィッドは歌のルール説明をし、ヴァルターはお試し試験を受けることになる
・マイスターたちは、ヘンテコな帽子をかぶった結社のような存在(後述)
・試験に落ち、ふてくされたヴァルター、憮然とするザックスとほくそ笑むベックメッサー
 幕切れには階段の上にあった教会が火花とともに、ぶっ壊れる

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 今回の親方たち~海外メディアを参照してwikで調べた「シュララフィア」という男性のみの組織
1859年プラハで結成された芸術愛好家団体で、友愛とユーモアがモットー。
メンバーになるには、シュララフェ(名付け親)によって紹介され、一般投票が行われる前に試用期間を終え、従者からそして騎士(ナイト)へとキャリアを進めなくてはならない。
いまでもドイツを中心に世界のあちこちにある様子
協会のマスコットは、「ふくろう」
なるほど、そんなような騎士とフクロウのあいの子のような帽子だったわけだ。
メンバーには作曲家のレハールとか、ヘルデンテノール兼作曲家のブルーノ・ハイドリヒなどのほか、高名な芸術家多数
ハイドリヒの息子はラインハルト・トリスタン・ハイドリヒで、ナチスの高官、ゲシュタポ長官などを務めた人物
演出のダーヴィッツが、「シュララフィア」をよく調べてマイスターたちとリンクさせたのだろう。

2幕

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・ザックスの家、ポーグナー家がある街角で、黄色い電話ボックスの中は本などのアーカイブたっぷり
・街のつくりは洒落ていて雰囲気抜群
・標識もすてきだし、カラフルな樹木もよろしいのだ

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・ベックメッサーはロック歌手のいでたちで、グラサンかけてエレクトリック・リュートをかき鳴らす
・恋人たちの所作も楽しそうで笑いをこらえきれない
・ザックスは靴ばかりか、あらゆるものを叩いて論評
・家々に徐々に明かりがともり、パジャマ姿のおばさんや親方たち、市民たちがぞろぞろ。
・恋人マグダレーネにちょっかい出したと勘違いしたダーヴィッドはベックメッサーと取っ組み合いのけんか
・ダーヴィッド、ベックメッサー、ともにスタントが出てくるがやがて、本物とあわせ4人で特設リングで拳闘騒ぎ

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・夜警の登場で蜘蛛の子を散らすように人々が消え、負傷したベックメッサーは電話ボックスからよたよた出てくる
・家の間の路地を失念のうちに去るベックメッサーの姿が寂しい

3幕
・ザックスの仕事場、楕円の形状で靴型の山など数々の小道具がリアルで細かい
・母親と少女のセピアカラーの写真があり、ザックスはしばし眺めて嘆息

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・ザックスの神妙なるモノローグ、自分のなすべきことを悟り、はたと顔色がかわり仕草もアクティブに、やや軽い
・傷だらけのベックメッサーとザックスの会話も楽しい
・飽きさせやすい寝起きスッキリのヴァルターとの新曲の組成のシーン、ここでもザックスは軽快すぎる
・エヴァとザックスの仲良しシーンは和む
・ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつ、5重唱は、楕円の仕事場でのシンメトリーが美しく、浮かび上がる効果がすばらしい

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・さあ始まったみんな大好き、まるでカーニヴァルのシーン
・チープな放射状のネオン、これ、某国の人がみたら発狂するんじゃね?

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・牛さんの巨大バルーン
・入場のセレブたちは、みんなニコイチで同じ人間の二人組
 バイロイトの常連メルケル、名前知らないけどスター歌手、われらがヤパンのカワイイ・コギャル、ぬいぐるみに愛を注ぐクイアー、わからんがレズっぽいカップル、各地から選ばれたミスコン美女

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・文句なしに楽しかったのが徒弟ダンスで、全員が等しくセレブもいろんな組み合わせで対を組んだりして、さながらtiktokの流行りのようにして踊る。このセンスのよさは抜群だった
・親方たちの入場は喝采だが、ベックメッサーだけはブーイングされちゃう
・エヴァちゃんは、花束のように花に埋もれて運ばれてくる
・いよいよの人気者ザックスの登場は・・・・まるで遅刻してきた落ちこぼれみたいに、小走りにおろおろと駆け込んでくる。
・ザックスを讃える人々もどこか他人行儀

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・干し草のステージに立つベックメッサー、エレキリュートをハート型のネオンで光らせ、聴衆からも笑いが起こる
・そんなにみすぼらしい結果にはならないベックメッサー
・ヴァルターの歌に、全員が聴き惚れるし、ザックスもめちゃ感心してる。感心しすぎで感情出し過ぎ、朝から夕べ、背景も夜になる

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・花から出てきたエヴァちゃんはカジュアルそのもののいでたち
・マイスターの印である首飾りを拒絶するヴァルターに、ザックスの最高の聴かせどころが続く
・歌に熱が入るザックス、人々はあまり聴いてない雰囲気で、ベックメッサーがちょろちょろと舞台前面に出てきて不自然に置いてあったコンセントプラグを引っこ抜いてしまう。
・すると頭上にあった巨大なウシさんがしぼんできて垂れ下がってきて、照明も暗くなっていく

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・熱唱するザックスをよそに、人々はこれが気になってしょうがない。
・最後のドイツの芸術!と揚々と歌いあげたザックスは、ようやく消失しつつある電源に気が付き、慌ててプラグをつなぎ合わせる
・そんななかで人々はドイツ芸術と、そしてザックスを讃え上げ、ザックスはヴァルターに首飾りを渡すものの、それをエヴァは奪い取る
・エヴァはザックスに掛けることなく、父親につき返す
・呆然とする父とザックスをよそ眼に若いふたりは、ひとびとの暖かい目線のなか手をふりながら去ってしまう
・合唱の間から寝起きの夜警が出てきて、うるさい歌声に耳をふさぐ
・舞台奥ではザックスとベックメッサーが何してくれんだよ、という感じでもめてる
・人々は聴衆に向かい、「さあこんな感じ」、はたまた「なんでやねん」と両手を広げて終了

           幕

長々と書いてしまいましたが、この新プロダクションは聴衆からは一定の評価を得て、評論家先生からは批判を受けてるそうな。
聴衆の反応も幕が降りてもブラボーが優ってましたが、演出家ご一行が出てきたときは、いまやお決まりのようなブーイングが浴びせられた。
でも、ここ数年の、とくにあのシュヴァルツ君の「リング」のような凄まじいブーとは比較にならないくらいにおとなしい。

マイスタージンガーで避けては通れない「ドイツ至上」「ユダヤ問題」このふたつはあえて避けたかのような内容は、前回のバリー・コスキーが果敢に問題提起したのと大違い。
そのあたりの切り込みを期待した向きもあるかもしれないが、ユーモアや笑い、理想などにこだわったところが逆にまた新鮮だったと思う。
 でもここでは「ドイツ的」なるものを避け、みんな等しく芸術を堪能しようという意向も見て取れた。
親方たちを、実在の芸術愛好家組織のメンバーにしたこと、ザックスはそこではちょっと浮いた存在にしたこと。
さらにそのザックスがやたらと感情優先で動くところもまた、人格者というよりは、みんなとおんなじ、そんなザックスにしたかったんだろう。

ザックスを普通の人に仕立て、ベックメッサーも同格の立場に。
ベックメッサーは滑稽な存在が先立つのでなく、どこにでもいる、ちょっとズルい人間として、そしてみんなに仕返しをしちゃうような抜け目ない存在だった。
若いカップルのふたりは、こんな社会から飛び出したかったし、それを見送った市井の人々も多彩な立場の背景のある方々で、まさに多様性と共存をちゃっかりと入れ込んでいる演出。
ここはね、やっぱりそこかい、という思いだが、このあたりがEUのドイツという国なんだろう。

この色彩豊かな舞台は、わたしはほんとうに楽しめた。
サイケデリックな雰囲気は、外電にも書いてあったがモンティパイソンを思わせるものだったし、日本でいえば昭和臭ただようものだ。
マイスタージンガーを演出するさい、つきまとうナチスの影やドイツ至上主義とワーグナーという問題から、うまく距離をとり、巧みにみんな等しく平等という思惑を入れ込んだ、そんなマイスタージンガーだったと思います。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

バス歌手として、バイロイトでバスのすべての役柄を歌ってきたツェッペンフェルト。
バスバリトンの役柄であるザックスは、荷が重いと慎重だったそうだが、持ち前の美声と豊かな低音を背景にしたゆとりある歌唱は、思った以上に素晴らしく、オールマイティなバス歌手としての存在のありがたみを強く感じましたね。
演技の巧さと、持ち前の眼力の強さをともなう表情による演技も見事に決まっていて、普通の人ザックスを描いてやみませんでした。

あと素晴らしいのがヴァルターのスパイアーズで、バリトンからリリックテノールまでの広い音域をもち、ヘンデルやロッシーニも歌う、まさにバリテノールによるワーグナー歌唱は、ジークムントではほの暗さの悲劇臭を出し、ヴァルターでは軽やかなイタリアカラーの歌声でもって驚きの歌唱だった。

見た目も可愛いスゥエーデンのニルソンは、アイーダのようなドラマティコロールも歌うソプラノで、エヴァではよく声を抑制して、透明感ある声で素敵なものだった。
この先、エルザやジークリンデなども期待。

ユニークなベックメッサーを歌ったナジは、生真面目な雰囲気が気の毒なムードをかもし出すが、そのバリトンの声は立派でよく通り、この先、ウォータンでも行けちゃうと思わせるものだった。

それと絶賛に値するのがダーヴィッドのスタイアーで、歌に演技に水際立った軽やかさを表現。
ちょっと腹が出てるけど見た目と裏腹の軽快なテノール。
相方のお馴染みのクリスタ・マイヤーのマグダレーネは、安心の存在だが、見た目がやや・・・、ブーも浴びてた
ブーといえば、ポーグナーの韓国人バスのジョンミンも浴びていて、わたしも最初から最後まで美声は認めるものの言語不明瞭、スムースな耳あたりのいい歌唱に終始し、父親としての存在感は感じず深みも欲しい。

シャハナンのコートナーを始めとする親方たちご一行の充実ぶり、際立つキャラクターづくりでもって、安定感あるのもバイロイト。

予算削減で見直しのなされた合唱団は、新しい指導者にかわったものの、かわりなく揺るがぬ存在であり安心した。

さて最後はガッティの指揮だが、ヴィヴィットで弾むような音楽づくりの前任のジョルダンに比べ、イタリア人ながら重厚な音楽造りに根差したマイスタージンガーにしようとしたかのように感じた。
でも音は美しく磨かれ細部へのこだわりも感じられ、今後もっと演出に則した開放的なハ長の楽劇へと進化させてゆくことでしょう。

ともあれ、面白かった、楽しいマイスタージンガーでありました。

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ほかの演目は音で全部聴き始めました。
夏の終わりにまた勝手なる総括をしようとも思いますよ。

来年はバイロイト音楽祭始まって150年の記念の年。
「リエンツィ」が初めて上演されます。

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2025年7月27日 (日)

サマーミューザ 東京交響楽団 ノット指揮

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暑い夏、始まりました、日本の首都圏オーケストラの祭典、サマーミューザ。

今年は九州交響楽団が登場しましたが、毎年もっと全国のオーケストラをここで聴けるようになるとさらによいな。

任期最後の年度なので、ノット音楽監督のオープニングはこれが最後かと思うと、今回のプログラミングの意図なども考え、ちょっと感傷的になってしまうのでありました。

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東響の本拠地のミューザ川崎。

サントリーホールの定期会員になっているので、ミューザは久しぶり。

プレトークでノット監督も世界有数の素晴らしいホールだと話してました。

どこで聴いても音がそれぞれによく、直接音と降り注いでくるような音とがどの席でもミックスされて聴こえて、とても気持ちがよいのです。

ワーグナーなどはことに相応しく、ワタクシには快感以外のなにものでもない感情が巻き起こります。

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フェスタ・サマーミューザ川崎2025 オープニングコンサート

 ワーグナー 「ローエングリン」第1幕への前奏曲

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ワーグナー(マゼール編) 言葉のない『指環』
          「ニーベルングの指環」

    ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 

        コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.7.26 @ミューザ川崎 コンサートホール)

ワーグナーでベートーヴェンを挟むプログラム。
プレトークでノットは、ローエングリンは出会いと別れの音楽と語った。
まさにいまのノット、オーケストラ、聴衆の思いです。
そんな風に思いつつ、この澄んだ音楽と、それにふさわしい清澄なる透明感あふれる演奏を聴いた。
高鳴るシンバルも慎ましく、どこか切なく感じた。
前奏曲のあと、わくわくするような伝令の登場シーンを続いて聴きたくなるのがワーグナー好きの心情。

ついでのベートーヴェン8番は、このコンビのベートーヴェン全集のトリを飾るものでライブレコーディングもされていた。
またインタビュー記事や、今回のトークでも語っていたように、この8番の驚くべき存在に着目していたとのことで、以前に日本のホテルで飛び起きてスコアを呼んで感嘆したとこと。
ウィットに富むけれど、正直極まりないベートーヴェンの作品だと。
 そして間髪いれず、即始まる勢いあふれるサウンドはいつものノット。
基調は速めのテンポで一気呵成に聴かせてしまうノット節だけれども、細部は実に緻密に練られていてすっとばして聴かせてしまうという乱雑さは皆無。
ベーレンライター版なので過剰なところはなく、切り詰められぎっしりと音の意味合いが詰まっているようにも感じた。
プチ交響曲のような存在ではなく、舞踏的な、この時期のベートーヴェンらしい朗らかさと大胆さも示すような、そんな考え抜かれた演奏だと思った。
3楽章から終楽章へは、もしかしたらアタッカで入りたかったかもしれないノットさん。
おきまりの客席の咳で終楽章へ即なだれ込むのを諦めたのが見て取れた。
こればかりはしょうがないが、この終楽章が手に汗握る迫真の演奏で、ベト8でこんな興奮するのは初めてだ。
客席の反応も同じくで、いきなりブラボーの嵐だったもの。            

2年前の2023年に、ヴァイグレと読響が同じ8番とフリーヘル編のオーケストラルアドベンチャー「リング」をサマーミューザでやっており、まったく同じ演目が期を待たずのるのは珍しいこと。
しかし、8番はおおらかで肩の力の抜けたヴァイグレの演奏だったのに対し、ノットの方はもっと刺激的でやたらとポジティブな演奏だった。
果たして、「リング」の方も同じく、オペラのベテランの安定感あるヴァイグレに対し、果敢に攻めまくったノット、さらにゴージャスなマゼール編との違いも大きく、どちらも最高の演奏であったと思うのだ。
また「ローエングリン」の次に書かれたのが「ラインの黄金」であり、「ジークフリート」の3幕以降は作曲に間が開き、作曲技法も高まっているこなどを聴くのも楽しみである。

これもまたノットの事前インタビューで読んだのですが、ノットがニュー・ヨークフィルにアルプス交響曲でデビューしたとき、時の音楽監督のマゼールが訪ねてきてリハーサルに立ち会いたい、さらにはマゼール指揮の演奏会でも、指揮中に振り返っておどけてみせた、次いでマゼールから評価を受けたことなども語ってました。
マゼールへの尊敬の思い、それから指揮することとはなんぞや、といったことなどを学んだなど謙虚に語るノット。
「東京交響楽団のプレイヤーたちが、私とともに年を重ねて変わっていくのをみてきました。こうした関係や経験、この出会い、融合、分かち合い、この喜び、このジャーニーが、願わくはみなさんの人生の一部になることを切に願っています」(ミューザブログより転載)

ノットのこの話を事前に読んでからいどんだこの演奏会、とくに「リング」は、そうした思いが詰まった、そして指揮者とオーケストラという組み合わせの実り豊かなの結実をここに観て聴いたのでした。

14時間かかる4部作を65分に凝縮した「リング組曲」。
オーケストラルアドベンチャーの方もだいたい65分の演奏時間ですが、そちらは主に抜き出しても聴かれるオーケストラ有名曲のシーンをつなぎ合わせ、歌唱の部分はそぎ落としオーケストラ作品としてとらえたもの。
マゼール版は、ワーグナーの書いた音符を忠実にそのままに、歌唱が乗る部分も活かし、楽劇の流れを65分に凝縮させたもの。
だから「言葉のない指環」となるわけでした。

この5、6月でスイスのバーゼル劇場(バーゼル交響楽団)で「リング」の通し上演を指揮してきたノット。
まさにその機運そのままに日本にやってきてくれた。

神奈川フィルでの名演から1か月。
「ラインの黄金」原初の響きの序奏からミューザで聴くワーグナーの喜びを感じる。
鳴り続ける低弦、そこに徐々に広がりゆくさざ波、透明感あるサウンドが、やはり重厚長大な一時代前のワーグナーとは一線を画したノットの新時代ワーグナーサウンドだと確信。
P席の真ん中と左右に置かれたニーベルハイムの金床は、先月の神奈川フィルの京急レールのきらびやかな音とは違い、渋いキンコンカンコンだったが、地下行きの片道だけの登場という贅沢ぶり。

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ドンナーの雷の一撃から、いきなり「ワルキューレ」の1幕の嵐に突入で、華麗な神々の入城がないのが肩透かしでよろしい。
でも喉の渇きを癒すジークムントの美しいシーンは、チェロのソロがしっかりあり、ここでも艶のあるソロがすばらしく響きました。
一気にここで1幕の歓喜あふれるエンディングがやってきて興奮するが、ここでこらえきれず拍手がおきた、ワタクシも危ないところだった。
その後の2幕前奏曲の情熱的な演奏といったらなかったし、そこから2幕ラストにつながり、ワルキューレの騎行に間髪いれずなだれこみ興奮をさらに誘う。
ワーグナーチューバを交えた8本のホルンが壮観で、ノットの指揮もむちゃくちゃ気合が入っていて、時おり力む声も聴こえましたね。
そして、この日、最高に美しく、悲しくも神々しかったウォータンの告別シーン。
リングのなかでも、もっとも好きな場面、泣いてしまう場面、父と娘の愛情をノットも「リング」の中にある様々な愛の形のひとつとして語ってましたが、ともかく素晴らしかった。

「ジークフリート」は、ウォータンがローゲを呼び出すところから「炎」つながりでミーメが幻影に恐れてワナワナするところに巧みにつながり、実にスムーズに流れるので気が付かないうちにジークフリートに入っていた。
いちばん地味なジークフリートを面白く聴かせるのは、牧歌的なシーンをナチュラルに柔和に聴かせることで、案外血なまぐさいシーンも中和されるが、東響の管の名手たちの鮮やかさを堪能できた。
オモシロかったのが、瀕死のファフナーのシーンがあったところから、やがて「黄昏」の夜明けシーンに変わってゆくところ。
「神々の黄昏」、精緻なスコアだけに、オーケストラの精度もここでは聴きものだし、黄昏で活躍するホルンセクションンやブリュンヒルデの動機を何度も奏でる管と弦の橋渡しなど、完璧な演奏でありました。
ホルンが席を立ち、舞台袖でジークフリートの角笛を吹くが、その遠近法も鮮やかで、ラインの旅の快速ぶりもまた豪華なオーケストラサウンドとともに多いに聴きものだった。
やがてトロンボーンが席を立ったと思ったら金床のあったP席左右に登場し、ハーゲンが一族郎党に呼びかけるシーンとなった。
思い切りホールが鳴りまして、実に気持ちがいいんだ、これが。
あと爽やかな3幕の頭のラインの乙女たちのシーンが来て懐かしい思いに浸っていると、ジークフリートの告別の歌につながる。
いやもう、ここ大好きなんだから、もう涙腺が危ない。
新国の上演で、このシーンでジークフリートが記憶を覚醒し、絶え絶えに歌う場面では嗚咽を漏らしてしまった自分です。
葬送行進曲も当たり前のように超素晴らしい演奏で、スタイリッシュでありつつ鋼のような強靭さを感じさせるもの。
そして演奏はブリュンヒルデの自己犠牲になるが、もうこうなると感動の嵐、感動のスプラッシュでどうにもならなかった。
脳内でブリュンヒルデの歌を再生しつつ、眼前に繰り広げらるノットと東響の気持ちの入り込んだ演奏姿に息も切らさず見入り、ドキドキがとまらない。
救済の動機の扱いも見事だったが、でもそこだけに入れ込んでしまわず、ラインの川のたゆまぬ流れと強さも意識させるようなそんな演奏。
落涙はかろうじてしなかったものの、涙が滲んできた。
炎上するヴァルハラ、そこで呼吸があって一筋の光明のように救済の動機が入ってくる・・・・のを期待したが、思いと裏腹にサクっときて終結してしまった。。。。
これがノットの自分の旧来の思い込みから脱するような思いにさせてくれる一気呵成の鮮度の高い生きた音楽なんだ。

しばしの静寂があり、盛大なブラボーと拍手の嵐。

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オーケストラをセクションごとに讃えるノット監督の信頼の眼差し。
「戦争レクイエム」に続いて、数日の間にこんなすごい演奏をやってのけたノット&東響。

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次は「マタイ受難曲」、いまから泣きそうだ。

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2025年6月26日 (木)

アバドのワーグナー

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もうシーズンは終わってしまいましたが、秦野市の公園のバラ園。

AIの助けを借りて、空を加工して丹沢の向こうに虹をかけてみました。

バラの品種は「マリア・カラス」

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もう1枚、虹を出現させてみました。

6月26日は、クラウディオ・アバド生誕92年の日です。

1933年にミラノで生まれ、2014年にボローニャで永眠。

今年の生誕祭は、ロッシーニでも行こうかと思っていたら、「ラインの黄金」の素晴らしい演奏を聴いたばかりで、頭が完全にワーグナーになってしまっている。
よく食べ物なんかでも、口が〇〇になっちゃってる、といって他のものを食べたくなくなることありますね。
まさにそれ、「アバドのワーグナー」です。

若いときから、ロッシーニとヴェルディは演目を選びながらも積極的に指揮してきたアバド。

ローエングリン

では、ワーグナーはどうだったかというと、極めて慎重だったと思いますが、そこはアバドらしく、ずっと若い時から本格取り込みの準備と機会を暖めていったと感じてます。
スカラ座の音楽監督だったとはいえ、ベルクやムソルグスキーばかりだと聴衆や運営サイドの不満を得るだろう。
だからアバドのピットでの初ワーグナーは、1981年のシーズンオープニングの「ローエングリン」で、スカラ座での活動時期の終盤にあたる頃でした。
この年に、アバドはスカラ座を率いて歴史的な来日公演を行いました。

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「スカラ座の黄金時代」というドキュメントDVDで、スカラ座のローエングリンのリハーサルやタイトルロールのルネ・コロの歌などを観ることができます。
1981年12月、翌年の4月、ストレーラーの演出、コロのほかは、トモワ・シントウ、コネル、ニムスゲルン、ハウクラントといった歌手。
コロは2回だけの出演で、イェルサレムとP・ホフマンに替わってます。
音はあまりよくないですが、ネット上で聴くことができますが、スカラ座のピットでは熱く燃えるアバドだったので、ローエングリンの登場シーンなどなかなかスリリングで手に汗握る雰囲気です。

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当時、レコ芸のイタリア通信を毎月ワクワクしながら読んでいて、このあとアバドはワーグナーにガッツリ取り込んでいくかと思ったら、そんなことはなくこの年の上演で、スカラ座はおろかほかでも取り上げませんでしたね。
唯一、83年夏にエディンバラでロンドン響と2幕のみを演奏していて、こちらはNHKで放送されたので、いまでもエアチェック音源として大切にしてます。
アバドはローエングリンの2幕の持つ「光と陰」の性格に着目していたものと思います。
深い洞察を持って、登場人物たちの心理に切り込み、一方でエルザの教会入場のシーンなどは、思い切り輝かしく演奏してます。

スカラ座からウィーンに移ったアバドは、90年に国立歌劇場でローエングリンを上演しました。
このときの映像が出てはいますが、画質がよくなく、ブルーレイ化を望みたいものですが、私はドミンゴのワーグナーがあまり好きでないので、そこだけがどうも浮ついていて違和感を感じます。

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92年にムジークフェラインでスタジオ録音されたものは、アバドとしてはイェルサレムにローエングリンを変えたことで、落ち着きと安定した歌唱の雰囲気の均一化が図られたことで、透明感とともに柔らかで精緻なワーグナー演奏を打ち立てることができたものと思います。
もし、80年代にロンドンでローエングリン全曲が録音されていれば、それはまたアバドならではの鮮烈な演奏になっていたかと・・・・

トリスタンとイゾルデ

長い活動歴にあって、アバドはワーグナーをいつから指揮をしているか?
いつもお世話になっておりますclaidio abbado 資料館様のデータを参考にして調べてみました。

いちばん最初に指揮したのは「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死です。
1971年のレコ芸の注目の指揮者特集で、高崎保男氏がアバドに関して投稿していて、ヨーロッパでアバドの指揮をいくつか聴いてきて、有望な若手の筆頭として書かれていた。
そこにあったのは、ニュー・フィルハーモニア管でトリスタンを聴いたとあり、当時、もうアバド好きだったワタクシは、アバドがトリスタンを指揮していたということへの驚きと聴いてみたいという願望でありました。
その演奏データが1968年のエディンバラとルツェルンでの演奏会のものでした。
さらにさかのぼると、1962年にローマのチェチーリア管、63年にフェニーチェ座のオケで、前奏曲と愛の死を指揮してました。
あとは70年にフィラデルフィアで前奏曲と愛の死をとり上げたぐらいで、その後は長くあたためて、97年に全曲演奏を見据えてウィーンフィルと演奏。
98年の11月にベルリンでコンサート形式で全曲演奏、これが本来正式録音として残されるものだったかもしれない。
99年にザルツブルクイーズター祭で舞台上演、翌年の夏のザルツブルクではウィーンフィルと演奏予定だったが、キャンセル。
その後に病魔に冒され療養に入り、2000年11月と12月に東京での全曲上演となりました。

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ローエングリンよりも早くから手掛け、98~2000年に最高のトリスタンを作り上げたアバド。
ワーグナー諸作のなかにあって、やはりトリスタンを一番愛したのがアバドであったと思います。
日本における「アバドのトリスタン」の上演を体験できたことは、スカラ座との「シモン」、ベルリン・ドイツ・オペラの「リング」とともに、生涯忘れえぬ最高のオペラ体験だと思ってます。
最初から最後まで、張り詰めた緊張が途切れることなく、オーケストラも歌手も、すべてがアバドのために演奏し歌っているかのように献身的だった。
終わらないで欲しいと願いつつ、「愛の死」が静かに終結したとき、私は涙にくれてました。
そしてカーテンコールで登場した痩せ細ってしまったアバドにショックを受けた。
もう、ゆっくり休んで欲しいとまで思ったのですが、優しい笑顔と鋭い眼光はいつものアバドでした。
2004年にルツェルンで2幕のみを演奏。
ここで年をまたがってもよかったので、気の合う最強オケと全曲を残して欲しかったものです。

ニュルンベルクのマイスタージンガー

トリスタンと同様に、若い頃から前奏曲だけを指揮してきた。
73年のウィーンフィルとの来日ではアンコールとして演奏、それ以外に70年代はウィーンやロンドンで頻繁に演奏。
92年のウィーンでの演奏は、ベルリオーズのテ・デウムとともにDVD化されてるし、翌年のベルリンフィルでのジルヴェスターコンサートでは、ワーグナーガラとして、そのプログラムのなかで演奏されました。
明るいハ調の音楽はアバド向きの曲だし、ウィーンもベルリンも晴れやかな気分にしてくれる大好きな演奏です。
ゆくゆくは、マイスタージンガーの上演も頭にあったようですので、ベルリンでの活動を継続できなかったことは、その点では残念なことです。

パルジファル

アバドが最後に取り組んだ作品が「パルジファル」
ローエングリンに始まり、パルジファルに帰結。
音楽的にはトリスタンの先にあったパルジファル。
ほかの作品のように前奏曲などを演奏しながら全曲にいどむということなく、いきなりベルリンで演奏会形式で全幕を指揮。
東京トリスタンから1年後の2001年の11月。
この演奏はCDR化されていて、やや音の揺れはあるが録音はほぼ万全。
非正規であるので問題ありだが、ここに聴くアバドの無為な姿勢が病後にベルリンフィルとの関係と信頼が一段と深まったことにより、透明感と精緻さにあふれたラテン的な明晰な演奏となっている。
秋にベルリンでコンサートスタイルで演奏し、翌春のイースター音楽祭2002で舞台上演するといった、カラヤン時代から継承されたベルリンフィルのオペラの演奏スタイル。
願わくば、正規録音として残して欲しかったものですが、このザルツブルクでは別途タンホイザー序曲とパルジファルの3幕からの組曲編を録音してまして、これが唯一の貴重なパルジファル正規音源となりました。
同じ2002年には、オーケストラをマーラー・ユーゲントオケに変えて、ミュンヘン、エディンバラ、ルツェルンでもコンサート形式上演をしてます。
新ウィーン楽派の音楽をこよなく愛したアバドにとって、パルジファルは同じく愛したドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」にも通じる抑制の効いた繊細な音楽として、それをいかに精妙に明晰に聴かせるかということにおいて、おおいに共感を抱いていたのではと思います。

ジークフリート牧歌

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これもアバド向きの作品とも若い頃から思っていたけれど、案外とやってくれなかった。
ヨーロッパ室内管との演奏が忽然と登場したときは、アバドがやっていたのを知らなかったので驚いたものです。
88年のルツェルンでのライブ、清潔で幸せな、よく歌う演奏でした。
ベルリンフィルでは97年に取り上げていたようですが、ウィーンやロンドンでは演奏せず。

ファウスト序曲

案外とこの若書きのワーグナーのシリアスな作品も、アバドは得意にしてました。
1983年にロンドン響、ウィーンフィル、ECユースオケ、シカゴ響でそれぞれ演奏。
そのあとは93年と99年にベルリンフィルで。
手元にある99年の放送録音は、音もよく、ほどよい深刻さもあり、なかなかに良い曲だと思わせる演奏です

ヴェーゼンドンク歌曲集

ほぼ指揮せず、演奏会でのアバド最後のワーグナーとなったと思われる2006年のベルリンフィルへの客演で、ゾフィー・オッターの歌唱で取り上げてます。
この演奏は放送もされなかったと記憶しますが、同時に演奏されたシューマンのマンフレッド全曲とともに希少な演奏記録となったのでは、とまたも残念がるわたくしです。

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すり減るほどに聴いた1993年ジルヴェスターコンサート。
当時はNHKで生中継されたのでビデオ録画しながら、大晦日に正座しながら視聴し、興奮の年越しを過ごしましたよ。

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2000年11月の前奏曲と愛の死は、日本に来る直前の演奏で、あのときの凄演を偲ぶよすがとなります。
タンホイザーとパルジファルは2002年のザルツブルクライブ。

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ブリン・ターフェルのワーグナー集に贅沢にもアバドとベルリンフィルを配したDGの当時の意気込み。
こちらも日本に来る前の2000年11月と、パルジファルなどは2001年の5月の録音。
いまでは角が取れてより練れた声や表現で円熟期にあるターフェルだが、この頃は意欲満々、歌いすぎ、アクもやや濃すぎで、アバドの求めるワーグナーとはちょっと違うのでは、と思う1枚。
しかし、オランダ人序曲やガラに次いで2度目のマイスタージンガーのザックスのモノローグ、さらにはアバド唯一のワルキューレのウォータンの告別などが聴ける。
告別での壮麗な夕景を見るような演奏はわたくしには涙ものです。

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2008年12月の録音。
いまをときめくカウフマンのバックを務めた1枚で、文字通り最後のワーグナー。
ローエングリンの名乗り、ジークムントの冬の日は去り、パルジファルのアンフォルタスと役立つのはただひとつの武器。
マーラーチェンバーオケを指揮して室内楽的な精妙極まりない、無垢の域に達してしまったパルジファルが聴ける。

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ずっと聴いてきたクラウディオ・アバド。

放送音源など、そろそろ驚きの新譜など出てこないものかな。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022


「ヴェルディ ファルスタッフ」2023

「アバド&ロンドン響」2024

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2025年6月23日 (月)

ワーグナー 「ラインの黄金」 神奈川フィルハーモニー

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みなとみらいエリアの20時2分。

17時に低弦5度の音から開始し、19時30分には輝かしい虹の橋への歩みで終結。

呪縛にかかったように聴きとおした2時間半とその後のブラボーの嵐。

終演後の散策、海を渡る風が心地よかったのでした。

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 神奈川フィルハーモニー ドラマテックシリーズⅢ

       ワーグナー 楽劇「ラインの黄金」

 ウォータン   :青山 貴           ドンナー:黒田  祐貴
 フロー       :チャールズ・キム  ローゲ:澤武 紀行
 ファゾルト   :妻屋 秀和           ファフナー:斉木 建詞
 アルベリヒ   :志村 文彦           ミーメ:高橋 淳
 フライア    :谷口 睦美           フライア:船越 亜弥
 エルダ     :八木 寿子           ウォークリンデ:九嶋 香奈枝
 ウェルグンデ:秋本 悠希             フロースヒルデ:藤井 麻美

  沼尻 竜典 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     ゲストコンサートマスター:荻谷 泰朋

         (2025.6.21 @みなとみらいホール)

二期会でワーグナーやシュトラウスを上演する際に目にする皆様方や琵琶湖オペラで活動する方々で構成された最強メンバーによる「ラインゴールド」
「サロメ」「夕鶴」と続いた沼尻&神奈川フィルのオペラコンサート上演のドラマテックシリーズの3作目。
こうなると、リング4部作を続行して、「ハマのワーグナー」の金字塔を打ち立てて欲しいけれども、なかなかそうはいかないでしょう。
でも、多くの聴衆がそう思ったことと思います。
それだけ素晴らしくも完成度の高い演奏だった。

ワーグナーの諸作のなかで、もっとも大編成のオーケストラを要する作品で、4管編成、ホルン8、ハープ6台、ティンパニ2対、打楽器複数、ハンマー、金床×9人・・・ほぼワーグナーの指定通りの楽員さんが、びっしりとステージに並び、壮観なことこのうえない。
ギッシリ観では、マーラーの7番あたりを思い起こします。
ハープ1台は、ステージ後方の席に、金床は同じくで、パイプオルガンの前に9人しっかり陣取りました。
楽団の巧みな広報で、この金床は、地元企業「京浜急行」の提供による実際の鉄道レールを使用したとのことが前々から告知されていたので、多くの聴き手がニーベルハイムへの移動シーンでこれが鳴らされたときに度肝を抜かれたことでしょう。

歌手たちは演技をともないつつ、オーケストラの前で歌い、女声は役柄をイメージしたドレス、男声はいずれもタキシードだったが、ローゲの澤武さんのみ、赤いネクタイとチーフ、さらには髪も一部赤くして「火の神」を表現していた。

今回上演の主役のひとつはオーケストラ。
演奏会形式の「ラインの黄金」の日本上演は、4回目か5回目になると思うが、私が聴いたのは40年前の朝比奈隆のもので、歌手はオーケストラの後方にひな壇を儲けて歌った。
私が行かなかったティーレマンとドレスデンはサントリーホールでP席にて、ヤノフスキの東京の春はオーケストラの手前で、といった歌手配置。
今回の神奈川フィルは、歌手はオーケストラの前、最後のラインの乙女たちだけP席から名残惜しそうに歌った。

オペラの手練れの沼尻マエストロの全体を見通し、的確な指示を与えつつ、巧みに山場を築き上げる手腕は、ここでも安心安全そのもの。
自慢じゃないけれど、ワタクシのように、ワーグナー漬けですべてのシーンと音が脳裏に刻まれている聴き手にとっても、すべてが納得できる普遍的なワーグナー演奏であったこと。
どこにも首を傾げたくなるかしょはなく、すべてOK、ここでがーーっときて、ここで引いて、そこでこういう感じで響かせて、あそこはこうだよね、こう来るよね、ってとこがちゃんと来る。
 原初の開始でもある冒頭は極めてクリアにはじまり、曖昧さはなし、さざ波のように弦楽器が加わって徐々に音が広がってゆく。
このシーンだけでもずっと聴いてきた神奈川フィルの音色のスリムな美しさを感じ、オペラを聴く喜びやワクワク感を味わえるのだった。
そして、そこにラインの乙女たちの登場でホールの雰囲気は最高に高まった。
以降、2時間30分にわたって、緊張の糸のとぎれることのない、でもしなやかで重くないスマートなワーグナー演奏が展開されるのでした。
CDではスピーカーのビリ付きなど、ヒヤヒヤしながら聴くダイナミックなか所も、ホールで聴くので心配無用。
そうした一撃音や件の金床などに、注目しがちだが、ワーグナーがローエングリンの完成から5年を経て到達したライトモティーフを網の目のように張り巡らせた緻密な作曲技法により表現された登場人物たちの内面の音楽表現。
このあたりを完全に知悉しつくした指揮者が、歌手とオーケストラを統率しつつピュアな音楽造りを目指したものと感じた。
 巨人たちの登場もものものしさは皆無で、雷鳴から虹、城への入場と続く壮麗な幕切れのシーンも極めて音楽的でもっともっと盛り上げることは可能だったかと思うが、爽やかさすら感じる爽快明快な終結部に沼尻&神奈川フィルのらしさを感じた。
 大音量よりも、ちょっとした音の変化や、事象に関しても極めて鋭敏に反応し対応していたと思う。
ローゲが語る神々の不死の秘訣や永遠の青春の場面での室内楽的な表現やただようロマンティシズム、ファゾルトの優しい心根をうかがわせるようなモノローグは、わたしも発見が多かったし、アルベリヒの呪いの場面なども指環4部作に通底する本質を確信的に表現。
 自分にとって聴き慣れた「リング」の序夜、こうして聴いていていろんな発見がいまだにあったことが新鮮だったのだ。
このまま4部作にあらたな目線で切りこんで欲しい。

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2階席にあがってパシャリ。こんな風なオーケストラの配置とポツンとハープ。

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邪知にたけた抜け目ないローゲを歌った澤武さんの素晴らしさには驚きでした。
立派なヘルデンで歌われるローゲもあるが、知的で軽やかなこのローゲは狂言回し以上の存在感があり、ウォータンを操り、神々の終焉を予見するようなニヒルな存在であることをしかと示してくれた。
柔らかな声とよく響く高域、明確なドイツ語など感心しまくり。
昨冬のばらの騎士のヴァルツァッキ、この前のアリアドネでもいい味だしてたし、また聴いてみたい歌手となりました。

ファンであります谷口さんのフリッカ。
期待通りの存在感あるお声に立ち居振る舞いは、居丈高でありながら、ラインの黄金ではまだ妻としての夫を思うしおらしさなども巧みに表現。
そのよく通る強い声はいつも魅力的です。

お馴染みの妻屋さんのファフナー。
新国のトーキョー・リングではファフナー、この日のミーメの高橋さんも出ていたが、あれからもう16年。
含蓄のあるファゾルトとなっていて、愛に生きようとしたファゾルトをオーケストラの巧みな背景とともに歌い演じた。
その安定感は舞台が引き締まります。
フライアに秋波を送る仕草はユーモアもたっぷりで、それを露骨に嫌がるフライアのシーンも愉快でしたな。

巨人兄弟のもう一方は朗々とした深いバスの斉木さん。
神奈フィルのワルキューレではフンディング、あとずっと前にオネーギンのグレーミン公を聴いてます。
声の充実ぶりが半端なかったです。

同じ沼尻&神奈川フィルのワルキューレでのウォータンは、青山さんだった。
そのときの若々しいウォータンは、今回は狡猾さもあり、陰影も感じさせる神々の長となっており、矛盾とあふれる行動力という背反する役柄を持ち前の美声で巧みに歌い演じてました。

ベテランの志村さんのアルベリヒ。
いろんな諸役でずいぶんと長く聴いてきたバリトンのひとりですが、今回はおひとりだけ譜面台を用意しての歌唱。
そのせいかどうかわかりませんが、アルベリヒに必要な声の威力が不足していてこもりがち、歌い口の巧さなどはさすがと思わせるところはあったけれども、黄金を奪う場面、聴かせどころの呪いのモノローグなどはややオーケストラやラインの元気な乙女たちに押され気味。

同じくベテランの域に達した高橋さんのミーメは、先に触れた通り新国でもおなじみだし、性格テノールとして数々の舞台に接してきました。
ひぃーひぃー声も、伸びのある特徴的な高域も健在ぶりを確認できて嬉しかったです。

つい先だって、静岡アリアドネでステキなハルレキンを聴いたばかりの黒田さんのドンナー、かっこよかった。
すらりとした姿も神々のひとりとしてふさわしいし、その若々しい伸びのある声はドンナーにしては優しすぎる感もありましたが、ハンマードッカンに負けず渾身の歌唱でした。
カヴァリエバリトンとしての黒田さん、琵琶湖でのコルンゴルトも聴きたかったものです。

代役として登場のチャールズ・キムさん、バイロイトで1年だけパルジファルの小姓を歌っているそうで、ワーグナーを得意にする韓国人テノール。
威勢のいいところを表出しなくてはならないちょい役の神様だけれど、やや精彩に欠いた気がする。
声の力や美声はありと感じましたので、また違う役柄でしっかり登場して欲しいものです。

フライア役は、ジークリンデやエルザなどの登竜門みたいな役柄ですが、船越さんのそれを予見させるような立派だけれど可愛いフライア。
調べたら彼女も琵琶湖でやった最愛のオペラ「死の都」にも出てたんですね。
あの上演、ほんと行きたかった・・・・

そして同じく琵琶湖の死の都はおろか、おおくのオペラで歌っている八木さんのエルダ。
初めて聴いた彼女のメゾの明晰な声に驚きでした。
船越さんもそうですが、関西圏で活躍する歌手は、首都圏ではあまり接する機会がないものですから、沼尻さんの力でしょうが、こうして初めて耳にできる声に新鮮さを覚えることもまた実にいいものです。

ラインの乙女たち、3者三様でワーグナーが与えた3役の特徴をそれぞれがよく表現できてました。
なによりも可愛い、というオジサン目線ですいません。
軽やかで涼やかな九嶋さんのウォークリンデ、リングの最初の発声を飾るにふさわしい晴れやかさもありました。
透明感ある魅力的なメゾの声は秋本さんのヴェルグンデ、歌曲も多く歌われているご様子で素敵なyoutubeチャンネル見つけちゃいましたよ。
そして、昨秋の「影のない女」でとても人間味ある乳母を歌っていた藤井さんのフロースヒルデは、お茶目で明るい末っ子みたいな感じ。
この3人のハーモニーが美しく、息もばっちり整ってましたし、エンディングのP席での「指環を返してよ~」という恨み節もばっちりで、その後に続く壮麗なエンディングを導く素敵な一節となりました。

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40年前の朝比奈リングをすべて聴いた自分は若かった。
その後、二期会の個別日本人初演、ベルリン・ドイツ・オペラの全作、2度の新国での上演などを観劇してきました。
自分もすっかり歳を経ることとなりましたが、日本人だけで、しかも身近な横浜の地、応援する神奈川フィルでかくも素晴らしい「ラインの黄金」が演奏されたという喜び。
このまま4部作の続編にいどんで欲しいと願うものですが、そうはなかなか行かないでしょう。
でも至難のマーラーチクルスもやれちゃった神奈川フィル。
「ハマのワーグナー」を東京春が終わったいま、沼尻&神奈川フィルにより確立して欲しいな。

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画家の真田将太朗氏による今回の公演にむけたオリジナル作品。
錯綜する色彩は愛と葛藤、憎しみや権力欲など多彩な意味合いや人物たちの関係性も交えてここに表現したとのこと。
神奈川フィルのドラマテックシリーズは、こうした「メインビジュアル」が作成され、オペラのイメージアップの一助ともなっていることもよき試みと思います。
しつこいようだけれど、4部作をこうしたビジュアルでも揃えて欲しいなぁ

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2024年9月22日 (日)

ワーグナー 序曲・前奏曲集 ネルソンス指揮

Autum

秋の日の空は高く、澄んだ空気が気持ちいい。

しかし、いつまでも気温は高く実感できない秋はこのまま終わってしまうのか?

そんなこと思いながら、またまたワーグナー。

Wagner-nelsons

  ワーグナー 序曲・前奏曲集

 アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

    (2016~20  @ゲヴァントハウス)

ブルックナーの交響曲全曲録音の一環に、その余白にカップリングされていたワーグナー。

全集を購入したついでに、自分でひとつのファイルにまとめて作曲年代順に聴いてみました。

  「リエンツィ」序曲 (2020)
  「さまよえるオランダ人」序曲 (2020)
  「タンホイザー」序曲 (2016)
  「ローエングリン」第1幕 前奏曲  (2017)
  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 (2021)
  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲  (2019)
  「ジークフリート牧歌」  (2018)
  「神々の黄昏」 葬送行進曲  (2018)
  「パルジファル」 前奏曲 (2018)

2016年から5年間に渡る録音期間。
ネルソンスがゲヴァントハウスのカペルマイスターに就任したのが2018年なので、こうして聴いてみると、最初の頃の演奏の方が大胆でユニーク、最近のものになるほど、音楽の恰幅が豊かになり緻密にもなっているのがわかりました。

また母国ラトビアのリガの歌劇場の指揮者も務めていたこともあるように、オペラでの経験も豊富で、バイロイトではお騒がせノイエンフェルスの「ローエングリン」で2010年に登場し、その後は「パルジファル」も予定されたかがキャンセル。
コヴェントガーデンでも、ワーグナーをいくつか指揮しているので、45歳という年齢を考えれば、ワーグナー指揮者として今後も期待できる大きな存在といってもいい。
ゆくゆくは、バイロイトでのリングも期待したいところだが、復帰するティーレマンとの兼合いも・・・・

バーミンガム時代(2008~15)のネルソンスのスマートな姿は、そのままシャープな音楽造りに表れていたが、ここ数年の大きくなった、しかも髭面の恰幅いいネルソンスの音楽は、豊かになり、かつ掴みも大きくなり、よりドラマテックになったと思う。

ここに聴くワーグナーも、タンホイザーはまるで一幅の交響詩のようで、堂々たる構えを持ちつつ切れ味も抜群。
しかし、バイエルンでペトレンコが指揮した同曲は、快速でありながら中身がギッシリと詰ったオペラティックな演奏だった。
このように、これらのネルソンスのワーグナーは、ブルックナーの余白を意識したようなオーケストラピース的なあり方としての演奏に思った。
一番新しいトリスタンの演奏は、極めて美しく、ゲヴァントハウスの優秀さ、対抗配置の弦の素晴らしさを実感できるし、ここには情念的なもの、こってりした高カロリーのワーグナーはなく、洗練された高度なオーケストラ演奏の鏡のようなものを感じる。
リエンツィでも勇壮さは遠く、ノーブルさもあり、パルジファルもすんなり美しい。

批判するともなく、褒めることもない内容になってしまったが、これがいまの世界トップクラスのオーケストラ演奏なのだ。
より高性能のもうひとつの手兵、ボストン響とやってもこのように美しいワーグナーが出来上がるだろう。

言いたかったのは、ゲヴァントハウスのオーケストラ、かつてのコンヴィチュニーの指揮で聴き親しんだあの音はどこへ行ってしまったんだろう、ということ。
そりゃもちろん、半世紀以上も経ったいま、生き物でもあるオーケストラが同じ響きや音色を出すこと自体がありえないことだろう。
しかし、コンヴィチュニーで聴くベートーヴェンやシューマン、ブラームスは自分にドイツのオーケストラそのもののイメージを与えてくれていた。
豊かな低音域に、渋めの中音域に彩られたその音色は、ちょうどいま聴きなおしてもみたが変わらずに素晴らしい。
 このゲヴァントハウスの音が変ったのは、マズアあたりからだろうか。
80年代以降は、ヴィンヤード型の現代的な新しいホールも出来て、録音で聴く音色の変化も明らかになったと思う。
ブロムシュテット、シャイーと指揮者が代わっていくなか、ゲヴァントハウスも変わっていった。
トマス教会でのバッハも、歌劇場のピットのなかでも、シャイーの指揮で聴くそれぞれは、あのゲヴァントハウスとは違ってしまった。
コンセルトヘボウがシャイーで変化したのと同じ印象だ。

Leipzig

地図をみるとわかるように、同じザクセン州にある近くのドレスデンは、イタリア人指揮者をこれまでも迎えつつも変わることなくドレスデンだった。
重心の低い演奏をすることもあるネルソンスが、今後、ゲヴァントハウスとボストンで、どんな演奏を残し、オーケストラをどのように導いていくか、ともに名門オケだけに責任重大だとおもうのだ。
ドレスデンはチェコとポーランドにも近く、南ドイツのミュンヘンはもっと下の方で、同じくオーストリアもドイツからしたら南の国。
こうして飽くことなく地図を眺めるのが好きです。

Leipzig-2

こちらがライプツィヒの文化の中心地で、ゲヴァントハウスとオペラハウスは至近で、近くにはメンデルスゾーンの家もある。
そしてトマス教会も見えていて、この3か所でゲヴァントハウスのオーケストラは忙しく活動しているわけです。

今後のこのコンビに期待するとして、これらのワーグナーのなかで、いちばん気に入ったのが「ジークフリート牧歌」でありました。
愛らしく幸せな音楽が、キリリと引き締まった演奏で、まぎれもないリング作成中のワーグナーの音楽であることがよくわかる本格演奏。
オーケストラとの親密な雰囲気も感じさせるのも桂演、よきコンビの証。

肝心のブルックナーの方は、まだ全部聴ききれてませんが、いつかまとめたいと思います。
それにしても、アニバーサリーとはいえ、コンサートもCDもブルックナーばかりで大杉。

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冬の煌めきとは違う、秋の宵の明星🌟

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2024年9月 8日 (日)

バイロイト2024 勝手に総括

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夏のワーグナーの祭典、バイロイト音楽祭は8月27日に終わり、ちょうどそのころは日本は居座る台風の影響で各地に被害が出ておりました。

ワーグナーの夏も終わり、台風の去ったあとは、朝に晩が過ごしやすくなり虫の音も優しく響きます。

ヨーロッパの音楽祭では、あとはプロムスが数日残すのみで、秋の本格シーズンを迎えることとなります。

行く夏を偲んで、恒例のバイロイト音楽祭を勝手に総括してしまうという試みをやります。

今年は祝祭劇場の写真を絵画風に編集し、タイトルもつけてしまった。

2024年の演目は、すでに取り上げた新演出の「トリスタンとイゾルデ」、「タンホイザー」(2019年)、「パルジファル」(2023年)  「ニーベルングの指環」(2022年)、「さまよえるオランダ人」(2021年)の5つ。
このうち3作品が女性指揮者によるもので、音楽面では画期的となったのが今年だ。
パルジファルはなぜか放送されなかったので、それ以外の作品を全部聴きました。
併せて、ずっと観たくもなかった「リング」の2022年プリミエ映像を全部視聴。

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  「トリスタンとイゾルデ」

    トリスタン:アンドレアス・シャガー
    イゾルデ :カミラ・ニールント
    マルケ王 :ギュンター・クロイスベック
    クルヴェナール:オルフール・シグルダルソン
    ブランゲーネ :クリスタ・マイヤー
    メロート :ビルガー・ラデ

  セミョン・ビシュコフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
      合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ

      演出:トルレイファー・オルン・アルナルソン
      
               (2024.7.25)

カーテンコールに応えるニールントとシャガー。
ドラマテックな声でないニールントにはイゾルデは重いかもしれないが、その細やかな歌唱と柔和な声がとても新鮮だったし、愛の死は感動的だった。
チューリヒなどで、ブリュンヒルデにもチャレンジしているが、じっくりとニールントならではの役柄を極めて欲しいものです。
そして、グールド亡きあと、フォークトとともにバイロイトを支えるヘルデンはシャガー。
厳しさも備えつつ、そのタフな声は3幕では劇唱だった!
ごちゃごちゃした装置や道具満載の舞台に圧された感のあるビシュコフの指揮は、来年さらによくなるものと期待。
解釈を施さなくては、という呪縛が、変な演出と原作の本筋を外してしまうという昨今の演出。
アルナルセンも同じくで、最初から好き合っていた二人、妙薬は飲まずに抱擁し、ふたりは別々に本来の毒薬を飲んで死んでいく。

Th-2024

  「タンホイザー」

    タンホイザー:クラウス・フローリアン・フォークト
    エリーザベト:エリザベス・タイゲ
    ヘルマン:ギュンター・グロイスベック
    ウォルフラム:マルクス・アイフェ
    ヴェーヌス:アイリーン・ロバーツ

   ナタリー・シュトッツマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     演出:トビアス・クラッツァー

5年目のクラッツァーのタンホイザーは、完全成功を勝ち取り、聴衆の評価も安定したものとなり多くが好意的なブラボーを飛ばしていた。
驚きの解釈に初年度はブーが飛びかったが、年とともにこの楽しめるタンホイザーが受入れられていった。
その点、後述するリングとは大違い。
グールドを継いだ2年目のフォークトのタイトルロールがよい。
明るい声の自由を夢みるロマンティストたるタンホイザーそのものだった。
タイゲの強い声のエリーザベトもステキで、彼女は将来のブリュンヒルデ候補だろう。
チームワークが出来上がってるこのプロダクション。
シュトッツマンの指揮も絶賛されていて、緩急自在の雄弁なオーケストラは聴きごたえがあったが、ややあざとさも見受けられたところも自分には感じた。
この指揮者は、オールソップのあと、アトランタ交響楽団の指揮者となっており、今後、オペラにオーケストラに活躍しそうだ。
小澤さんの弟子筋にもあたる彼女、次のパリ管の指揮者になるだろうと勝手に予想中。

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  「ニーベルングの指環」

    ウォータン:トマシュ・コニェチュニー
    ブリュンヒルデ:クリスティーネ・フォスター
    ジークフリート:クラウス・フローリアン・フォークト
    アルベリヒ:オルフール・シグルダルソン
    ハーゲン:ミカ・カレス
    ジークムント:マイケル・スパイアーズ
    ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィシウテ
    ミーメ:ヤ-チュン・ファン
    グンター:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
    グートルーネ:ガブリエッラ・シェラー
    フリッカ:クリスタ・マイアー
    ローゲ:ジョン・ダザック
    ファフナー:トビアス・ケーラー
       ほか

  シモーネ・ヤング指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

      演出:ヴァレンティン・シュヴァルツ

     (2024.7.28,29,31,8.2 )

コロナ禍に悩まされた本来は2020年にプリミエとなるはずだったリングも、はや3年目。
こちらもコロナ罹患などもあり、毎年指揮者が変ったが、今年はオペラの手練れ、シモーネ・ヤングが登場し、ついにピット内のオーケストラは安定を迎えることとなった。
ともかく安心、安定の肝を完全に掌握した指揮ぶりで、どこをとっても自然で、いつも言うことだが、ここはこう鳴って、こう響かせて、こういう感じで高鳴らして欲しいというところが、すべてずばりと決まっていて、聴いていてほんとに気分がよかった。
あのとんでもない演出、ことにクソみたいな「黄昏」のエンディングの舞台なのに、そこで鳴り響いたたワーグナーの音楽は、極めて素晴らしく、ほんとに感動した。
シャガーに代わって今年からジークフリートを歌ったフォークトが注目された。
チューリヒで歌ってはいたが、ついにフォークトのジークフリートがバイロイトに登場。
とんでもない演出で、無茶な演技をしいられながら、ジークフリートの成長をうまく歌で表現したし、ここでも明るい声がプラスに。
さらに声に厳しさを求められる黄昏では、思わぬほどに強い声で、え?フォークトなの?と思ったりもした。
こんな風に、聴き慣れたジークフリートの歌に一喜一憂したのも久しぶりで、結果を申せばフォークトならではのジークフリートだったのがすばらしかった。
 同様に素晴らしく、安定した歌唱を聴かせてくれたフォスターのブリュンヒルデは完璧で、その声に輝かしさも加わってきた。
10年前のペトレンコ指揮のリングからずっと聴いてきたけれど、今年が一番かも。
絶頂期に、日本の舞台でフォスターの声は聴いてみたいもの。
 コニェチュニーのウォータン、フリッカほかの諸役で活躍のマイヤー、クルヴェナールよりずっといいシグリダルソンのアルベリヒ、カレスのハーゲン、こちらもいずれも万全。
ベルリン・ドイツ・オペラで歌っている台湾出身のチュン・ファンのミーメも驚きの巧さと狡猾ぶり。
そして、今年絶賛されたのが、神々しいジークムントを歌ったスパイアーズ。
久しぶりに悲劇色あふれ、そして哀感も伴ったテノールを聴いた感じで、来年のマイスタージンガーでも登場予定。
ミクネヴィシュウテのジークリンデもやや声の揺れが気になったが、なかなかによかった。

という感じで、音楽面ではまずもって素晴らしいリングで、聴いてる分にはまったく満足。

Young

        バイロイトピットのヤングさん

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気が向かないまでも、ようやく2022年の上演の模様を全幕全曲視聴。
自分においての結論からいうと、面白いアイデア満載の4部作ではあるが、それらがてんでバラバラに感じ、「よけいなことをするんじゃない!」という怒りを覚えた。
1976年のシェロー演出が、喧嘩沙汰の大騒ぎを引き起こし、神々の黄昏でジークフリートを刺したハーゲンに対し、「ハーゲンなにをしたのだ」と責める言葉をもじって、「シェローよ、なにをしたのだ」と揶揄されたものだ。
しかし、このシェロー演出は年を重ねるごとに評価を改め、高く評価されるようになり、バイロイトの聴衆にもしっかり受け止められるようになったのだ。
2022年のプリミエ、ことに最後の黄昏のカーテンコールでは、出てきた演出陣に対して容赦ない激しいブーイングがなされた。
翌年の2023年も同じく非難のブーは大きく、そして今年2024年もまったくブーは収まることなく激しかった。

多くの聴衆、そして映像で見たワタクシにも受け入れがたいのは、神話がベースのリングの物語から、その神話性や必須のモノが一切登場せず、ことごとくそれらを否定してみせたことだ。
なんたって、ストーリーと音楽の核心、争奪戦となる「指環」がこれっぽちも出て来ない。
ワーグナーが微に入り細に入り造り上げたライトモティーフが鳴っているのに、それを意味するモノや行為がまったくない。
4つの楽劇の連続性があるのは認めるが、下らん解釈を施すので、それらが矛盾だらけで一貫性がない。
わざと逆張りをしているかのような腹の立つ解釈を無理無理にしてる。
ワーグナーの素晴らしい音楽が、アホらしい舞台で台無しになっているのだ!
指揮者と歌手には最大限の賛辞を捧げたいが、映像で見ると、歌手たちはほんとにプロだと思う。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ネタバレを承知のうえで、アホな内容を羅列しておこうではないか。
画像は2022年のもの

「ラインの黄金」

Rhein

・ラインの黄金の始まりは、胎児ふたりの映像、これでもってきっと黄昏の最後も、胎児来るかなと思ったらちゃんと来た。
・幼稚園の先生のようなラインの乙女たちはプールサイドで子供たちの世話
・アルベリヒは子供をさらってしまう
・ウォータン一家は、みんな原色のカラーの服で、アメリカのエスタブリッシュな家族のように見える
・ニーベルハイムは幼稚園のクラスのようなキラキラルームでで、女の子たちはお絵描き中
 黄色いポロシャツの男の子が浮いていて悪さばかりする
・ミーメは優しいヲタク、男の子はピストルを持っていて狂暴
・子供を連れ去るウォータンはピストルも手に入れる
・巨人たちが報酬を求めてくるが、指環じゃなく男の子を持ち去る
・巨人兄弟の争いは、メリケンサック(ナックルダスター)でひとたまりもなくぶっ殺し
・フライアは目の前のピストルを茫然と見つめる自殺をほのめかす
・ローゲはスワロフスキー指揮のリングのレコードをかけ、虹の架け橋の準備、踊るウォータン

War21

「ワルキューレ」

・ジークリンデはすでに身重に・・誰の子やねん
・冬の厳しさも去り・・と歌うジークムント、四角い明りの蓋を取るとそこにはピストルが
・グラーネは馬でなく、馬のたてがみのようなロンゲのおじさんで、やたらとスマホで写メ撮り
・フライアの遺影がある
・ウォータンのジークムントを守るなの命令にブリュンヒルデはやたらと切れるし、叫んだりと異常
・逃避行の兄妹、臨月寸前、苦しむ妹にウォータンが近づき、下着を脱がせてなにやらしようとしてる
・戦いのシーン、ジークムントは父の姿を認め、喜びの顔するが、ウォータンは無慈悲にもピストルで射殺
・gehとフんディングに命令するウォータン、普通に行ってしまうフンディングで死なない
・整形外科の待合室のワルキューレたちは、超ワガママで、スマホで自撮り、ファッション誌を楽しみ、
 ブランド品に身を包み、豊胸手術成功を自慢
・逃げてきたジークリンデはもう出産していて、ブリュンヒルデが赤ちゃん抱いていて、そのあとはグラーネ男が抱く
・さすがのわがままワルキューレたちも、ジークリンデの感謝の場には感動して泣いてる
・ウォータンから放出の命令を受けるブリュンヒルデに、ほくそえみ嬉しそうなワルキューレたち
・ブリュンヒルデは眠らされず、どこかにいなくなり、ウォータンはひとりで告別を歌う
・フリッカがワインを持って出てきて乾杯を促すが、ウォータンをグラスからワインを捨て拒否る
・ワインを運んできたカートに乗る1本のろうそくの炎をクローズアップしながら幕

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「ジークフリート」

・ヲタク風のミーメは、いろんな人形を作成、ジークリンデもいる
・鍛冶場はなく電子レンジに、水槽
・ジークフリートは熊追いはなく、ボトル片手にヘロヘロで登場
・ミーメの体を拭いてあげたり、なにかと介護をしてるジークフリート
・高齢化のミーメ、訪問したさすらい人もよろけたりする。
・ミーメがジークフリートに女性のヌード写真を見せると、メチャ欲しがる
・壁の向こうで炎、剣はなんやら細くて頼りないフェンシングの剣みたいなもの
・寝たきり、点滴中のファフナーに看護師が付き添いお世話。
・傍らには黄色いポロシャツとジーンズの青年、これはラインの黄金の子供か!
・アルベリヒがちっちゃい花束を持って面会に、そのあとはお供をつれたさすらい人がゴージャス花束を持って登場
 ちっちゃい方の花束、看護の女性に捨てられてしまう
・二人は、その後も残ってソファでウィスキーを飲んでる
・ミーメに連れられたジークフリート、森はひとつもなく、ソファでくつろぐ。
・若い看護師がファフナーにセクハラを受け、ジークフリートが優しく接する
・起きだしたファフナーをベッドから叩き落してしまうジークフリート
・敵意と憎しみの顔の黄色いポロシャツ男に、戦利品のメリケンザックを渡すジークフリート
・若い看護師は森の小鳥だった。
・看護師、ジークフリート、ミーメ、黄色いポロと4人のソファー
・ミーメがだんだんとおかしくなってきて、酒をちゃんぽんで配合、
 ジークフリートは剣でぶっ刺し、このシーンをまんじりとせず観察するポロシャツ男
・2幕と同じ部屋、ホームレスのようになったエルだは、ボロボロの若い娘を連れているが誰?
・さすらい人がジークフリートを阻止するのは槍でなくピストルで、あの華奢な剣で叩き落されてしまう
・寝てないブリュンヒルデは、立ったままで、包帯とマントにサングラス、傍らにはグラーネ男
・黄色いポロシャツも着いてきてるが、彼はジークフリートがブリュンヒルデに近づき起こそうとしている姿に怒りを禁じえず、姿を消す
・二重唱では、ブリュンヒルデの拒絶に合い、ジークフリートはヌード写真を取り出して思いを焦がす(会場は笑い)
・ふたりを迎えにきた車のヘッドライトが窓外に、家を走り去る 即座にブーイング

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「神々の黄昏」

・お化けのようなノルン3姉妹、浮き輪のような輪っか、びびる少年
・幸せな雰囲気のリビングルーム、子供時代のジークムントとジークリンデの絵と、いまのジークフリートとブリュンヒルデ写真
・優しい母親のようなブリュンヒルデ、旅立ちたいジークフリート
・白髪となった老いたグラーネ男は、2つのスーツケース、リュックを持ってジークフリートに従って行く。
・ギービヒ家は新築間もない様子でお手伝いさんが、かいがいしく働く。
・ハーゲンは黄色いポロシャツとジーンズで、ここで正体がわかった。
・ロン毛、グラサンのちゃらいギュンターにけばけばしいグートルーネは、いかにも金持ち風

Goette3

・あらわれたジークフリートは忘れ薬が即効きで、グートルーネを抱きしめ、ひっぱだかれる。
・急にグラーネ男に冷淡となり、ねっとしした液体をかけて虐める
・ジークフリートが去ったあと、ハーゲンの独白のときに、血だらけになり拷問を受けたグラーネ男が運ばれてくる
・ワルトラウテも歳をとり、ブリュンヒルデがいれたコーヒーに砂糖をカップ1杯いれてしまう
・変身したグンターはそのまま登場し、やたらと暴力的で無謀でブリュンヒルデを襲う
・ボクシングをするハーゲン、スパークリングの相手をするアルベリヒ
・呼びかけに応じ出てくる人々は、みな神々のお面
・ビビるブリュンヒルデとともに連れてこられた子供
・裏切りを怒りまくるブリュンヒルデ、おどおどしまくりのグンターに、傍観者のような人々
・復讐を誓う場では、3人は神々の仮面、舞台には仮面が散乱し、それはエイリアンのようにも見えた
・ライン川のほとりは、朽ちた船の船底で、上部は鉄柵で仕切られている。
・落ちぶれたラインの乙女たちの服やバックは綻びだらけ
・ジークフリートは少年に釣りを教えている。
・ハーゲンは下に降りてくるが、酔ったグンターと男たちは上部にいて出来事をのぞき込んでる
・グンターは白いレジ袋を持っている
・思い出しの酒を次々と飲むジークフリート、子供は横で寝てる
・ハーゲンは、メリケンサックをポケットから出して眺めながらも、
 ナイフでジークフリートを刺す
・上から何するんだと人ごとのように言うグンターたち。
・グンターはレジ袋を下に投げ落として逃げてしまう。
・葬送行進曲が響くなか、ハーゲンは傍らでなぜか寂しそう、子供はジークフリートが動かなくなって泣いている
・ブリュンヒルデはラインの乙女たちを伴って上部に登場。
・グンターもグートルーネも後ずさりしていなくなる
・モノローグの合間に、ブリュンヒルデはジークフリートの眠る船底に降りてくる
・グンターの捨てたポリ袋から、驚くことに、グラーネ男の生首を取り出して、それを抱きしめ、愛おしそうに歌う
・首を抱きつつ、ジークフリートの傍らに横たわり、上空を指さして夢見心地になりつつ、救済の動機が鳴る
・むき出しの無数の蛍光管が降りてきて、壁には胎児の映像・・・

        幕 激しいブー

なんじゃこりゃ・・・・

徹底的に私たちの「指環」の概念を壊す。
そこに持ち込んだのは、神々、人間界、地上と地下に住まう登場人物をすべて人間化。
しかもその人間たちの価値観、家族観の崩壊をテレビドラマ(いわゆるNetflix風なアメリカンな陳腐なドラマ)に落とし込んでみせた。
ドラマは常にリビングルームや寝室など室内で展開し、森や川、山といった大自然はひとつも出て来ない。
愛馬グラーネさえも擬人化されオッサンになってた。
肝心の指環はまったくないし、隠れ兜、剣、槍、黄金、炎・・・いずれもなし。
 では、争奪戦が繰り広げらる「指環」はどこへいった、代わりはなんだったのか・・・
それが「子供」だった(たぶん)。
だとすると、アルベリヒが連れ去った攻撃的な男の子が指環に?、女の子たちは黄金?
この男の子は、成長し病床のファフナーの傍らにいたし、次はジークフリートに着いていくが、頼りのジークフリートがブリュンヒルデと結ばれるのを見るや姿を消す。
かわりに黄昏ではハーゲンであったことが判明。
ハーゲンはジークフリートに敵意を示しつつも、殺したあとに寂しそうに悔恨の様子を示すし、残された子供をいたわったりもしてた。
で、ブリュンヒルデとジークフリートに子供がいたという無理筋の設定が噴飯で、この可愛い、男の子とも、女の子ともつかない子供は、ブリュンヒルデの自己犠牲のモノローグが始まると倒れて死んでしまう。
何なの??
この理解できない歌わない登場人物たち、そしてト書きには出て来ない人物たちが、平然と出てきて、その場で重要な役回りをしてしまう、これを冒涜と言わずしてなんだろうか!

若いシュヴァルツは、子供のときからショルテイのリングのレコードに親しんできたというが、妄想もほどほどにして欲しい。
登場人物たちが、スマホを使いこなし、さかんに写メを撮りまくり、ワルキューレたちは整形で見栄えにこだわる。
ネットの世界に溺れる若者、35歳のシュヴァルツ君なのでした。

※以上は、あくまで、わたくしの私見にすぎません


Hr-2024

  「さまよえるオランダ人」

    ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
    ゼンタ:エリザベス・タイゲ
    エリック:トミスラフ・ムジェク
    マリー:ナディーヌ・ワイズマン
    舵手:アッティリオ・グレイザー
    オランダ人:ミヒャエル・フォレ

   オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

      演出:ドミトリー・チェルニアコフ

       (2024.8.1)

4年目のこちらも聴衆から受け入れられ、同時に安定したオーケストラと歌唱がますます充実してきた感じだ。
思わぬ悲劇的な結末の伏線がいくつもあり、それを見出したり、あとで気が付いたりするのが刺激的な楽しみでもあるチェルニアコフ演出。
リニフ女史の的確かつ、舞台の呼吸も心得た指揮ぶりは、聴いていてどこにも破綻なく安心なもの。
できればオランダ人だけでなく、シュトッツマンとオランダ人、タンホイザーを交互に指揮してもらいたく、聴いてみたいものだ。
ルントグレンが降りたあとのフォレの滑らかな美声のオランダ人、これまたグリゴリアンのあとを受けたタイゲのゼンタ、これまた安心安全の奥深いツェペンフェルトのダーラント、実によい布陣だった。

2年目のパルジファルが聴けなかったが残念だが、今年もバイロイトのワーグナーは音楽としては自分には大成功だったと思います。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バイロイトのワーグナー家の当主カタリーナ・ワーグナーは、2030年までその地位にとどまることが決定。
その後のこと、ワーグナー家の血筋を引く人物はほかに?などと今後も興味はつきないです。

音楽祭開始前に、以前も書いた通り、文化大臣が、音楽祭をもっと若々しく、多用的にしなくてはならない、たとえば「ヘンゼルとグレーテル」などの上演にも門戸を開くべきと発言し、大々物議をかもした。
ドイツ政府は正直狂ってると思ってるので、ワタクシなどの東洋から本場を崇める主義の保守的な人間には許しがたいものと受け止めた。
一般の方からも大反対を受け、件の大臣はトーンダウンしたようだが、カタリーナ・ワーグナーは実績として、子供のためのワーグナーオペラをやっているので、若返りとかいう指摘はお門違いだし、子供たちのなかからさらなるワグネリアンは間違いなく生まれるのがドイツだと思ってます。

Gould

音楽祭の最初や合間に野外コンサートも行われてますが、今年は昨年亡くなったステファン・グールドの追悼も行われたようだ。
これらのコンサートが放映や放送されないのは残念。

合唱指揮のエバーハルト・フリードリヒが今年で退任となり、後任はエイトラー・デ・リントという若いオーストリア人指揮者となる。
コスト削減で人員が大幅削減となってしまう合唱団に新風を吹き込めるか。
思えば、バイロイトの合唱指揮者も歴代長く、それぞれに名匠でありました。
  1951~1971  ウィルヘルム・ピッツ
  1972~1999 ノルベルト・バラッチュ
  2000~2023   エバーハルト・フリードリヒ

来年の演目は新演出の「マイスタージンガー」が、ドイツのマティアス・デイヴィッズで、ミュージカル系の演出からオペラ演出へと幅を広げた人らしく、どんな歌合戦になりますか?
無難な指揮者の選択、パルジファル以来のガッティの指揮ですが、私は好きなヨアナ・マルヴィッツさんに登場して欲しかった。
再演の「リング」「パルジファル」「トリスタン」に加え、ティーレマンが久々に登場して「ローエングリン」再演を指揮する。

その先のことも発表されていて、2026年には「リエンツィ」が初めて上演。
2028年にはリングが刷新され、指揮は早くもカサドとアナウンスされている。
そして2027年からは、新制作が2作目途となり、これまではだいたい4~5年ぐらいのサイクルだったものが、人気の出たロングラン演出以外は、ほかの劇場でも上演できるようにするという。
それがコストを意識した共同制作なのか、あくまでバイロイトからの貸与となるのか、興味は尽きないが、もしかしたら日本の新国立劇場でもバイロイトと同じものを観劇することができるようになるかもしれない。
これは画期的ではありますが、一面でバイロイトに行かなくてはならない独自性と希少性も失われることになるわけだ。

ますますほかの劇場と同じようになりつつあるバイロイト。
若き頃に、バイロイトに行くことを夢見て焦がれた自分は、いまや歳も重ね、思いは遠くになりにけり、だ。
  

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2024年8月 7日 (水)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ビシュコフ指揮 バイロイト2024

Wagner-bayreuth-24

画像はドイツのニュース記事から拝借してます。

バイロイトの夏、今年も7月25日に開幕。

新演出は「トリスタンとイゾルデ」

一昨年、昨年と「トリスタンとイゾルデ」は上演されたが、それはロラント・シュワヴによる新演出で、今回のものは、アイスランド出身のトルレイフル・オルン・アルナルソンという演出家による、これまた新演出。

2020年がコロナ禍により音楽祭中止で、そこで予定されていたリング新演出(シュヴァルツ演出・インキネン指揮予定)が2年延期となり、翌2022年の上演となった。
コロナでリング中心の新演出上演のサイクルが乱れ、荒れるだろうと予測された破天荒のリングの不満のハケ口のようになったのが、2年前の穏健なトリスタンだったと思う。
2年で交替となったからには、今回の新演出への期待はいやでも大きかったが・・・・

2026年には、これまでバイロイトで上演されたことのない初期3作のひとつ「リエンツィ」が上演されるが、ことしの音楽祭前には、文化・メディア担当大臣のクラウディア・ロートが、バイロイトをより多様で若々しいものにしなくてはならない、「ヘンデルとグレーテル」のような作品も上演されるべし、と発言して炎上。
たしかに、フンパーディンクはワーグナーの後継でもあったが、より多くの層の観客に愛されるべしとの思いからなのだろう。
遠く、東洋の果てから、バイロイトに憧れを抱いてきた私たちからすれば、そんなのやめてくれ!ってことです。
ちなみに件の大臣さんは、緑の党の系統といいますので、押してしるべし・・・

※以下、画像はバイエルン放送局のものを拝借してます。

Ich borgte das Bild von der Stelle vom BR, die Station ausstrahlt.

Ich lasse dich sofort einen Staat von Bayreuth vermitteln und danke dir jedes Jahr sehr.

Tristan-kino

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

    トリスタン:アンドレアス・シャガー
    イゾルデ :カミラ・ニールント
    マルケ王 :ギュンター・クロイスベック
    クルヴェナール:オルフール・シグルダルソン
    ブランゲーネ :クリスタ・マイヤー
    メロート :ビルガー・ラデ
    牧童   :ダニエル・ジェンツ
    舵手   :ロウソン・アンダーソン
    若い水夫 :マシュー・ニューリン

  セミョン・ビシュコフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
      合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ

      演出:トルレイファー・オルン・アルナルソン
      装置:ヴィータウタス・ナルブタス
      衣装:シビル・ウォーラム

          (2024.7.25 @バイロイト)

バイエルン放送の生放送を録音し、すぐさまに視聴。
今年もあの素晴らしいバイロイトの木質のサウンドが聴ける喜び。
美しい弦が、左右に分かれて展開し、やがそれがうねりを呼び、熱気へと向かい、ピークに達したあとに静まってゆく、この前奏曲を堪能し、若い水夫のテノールソロが始まる。
トリスタンを聴くとき、まず最初にワクワクするところだ。

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イライラと動揺を隠せないイゾルデの第1声は、バイロイトでのイゾルデデビューとなる、ニールントだ。
年々、ドラマテックな役柄にレパートリーを広げてきたニールント。
今年はチューリヒで先行したイゾルデに、ブリュンヒルデ、そしてバイロイトでイゾルデで、私は大丈夫かなと危ぶんだが、彼女は決して無理はせず、ニールントならではの細やかな歌唱で決して絶叫することのない、優美ともいえるイゾルデを歌ったと思う。
確かに声量という点では不満が残るが、いつものシュトラウスを歌うニールントらしい、やや硬質の声は魅力的だと思いました。
思えば2007年にニールントのマルシャリンを観劇して17年、年月とともに大歌手となったものです。

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相方のトリスタンは、もうこの役柄では定評あり、ジークフリートと並んでトリスタンは、シャガーがいないと成り立たないくらいのものになりました。
演技も声も、やや楽天的になる傾向のあったシャガーは、ここではそんな雰囲気は影をひそめて、極めて厳しいストイックな歌唱に感じられ、映像でもそんな姿を認めることができたのは大きな収穫。
3幕の長大なモノローグでは、それこそ声が枯れんばかりの劇唱で、ある意味聴いてて手に汗握るくらいでした。
終演後、いちばん大きな拍手とブラボーを受けていたのもわかります。

2幕でなぜかブーイングを浴びてしまったグロイスベック。
素晴らしいツェッペンフェルトに聴き慣れてしまったのか、少しクセのあるグロイスベックがお気に召さなかったのか。
はたまた、ウォータンを降りてしまったことへの反発か、バイロイトの聴衆は厳しいが、わたしは好意的に聴いた。

ブランゲーネのクリスタ・マイヤーがとても素晴らしく、主役ふたりに次ぐ喝采をあびていた。
昨年までメロートだったシグルダルソンのクルヴェナールは、声の質が軽すぎるように感じ、サンタクロースみたいなもっさりした風貌もトリスタンの機敏な朋友には見えにくかった。

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総じて歌手は見事で、その歌手たちがきっと歌いやすかったであろう、そして情報少なめの舞台を補完するような雄弁かつ説得あるオーケストラを率いたのがビシュコフ。
概してテンポは遅めだったが、その遅さはまったく感じず、豊かなダイナミズムは、繊細なピアノから強いフォルテまで、行く段階ものレベルを備えていて、ときには歌手に寄り添い、歌手たちを燃え立たせ、もしかしたら退屈な舞台を鼓舞するよな指揮ぶりだった。
ロシア人だったビシュコフは、カラヤンに注目され楽壇にデビューしたが、華やかなキャリアを歩まず、案外と地味な存在であり続けた。
そのビシュコフがチェコフィルで成功し、オペラもウィーンやドレスデン、パリで着実な歩みをみせていて、巨匠の第一候補かと思います。
 私は2008年のパリ・オペラ座の来日公演で、ビシュコフ指揮でおなじトリスタンを観劇しました。
パリのオーケストラの音色もあり、肌ざわりのいい粘らない、それでいてニュアンスが極めて豊かな音を引き出していることも素晴らしかった。
それと木管や特にホルンに日頃聞きなれないフレーズが強調されたりと、とてもユニークかつ新鮮。
ビシュコフのトリスタンの音源としては、2006年ウィーン国立歌劇場(マイヤー、ウィンヴェルイ)、2013年プロムス(ウルマーナ、スミス)の2種を聴いているが、タイムは今回のものとほぼ同じであったことも興味深い。
以上、総じて歌手たちと指揮に関してはほぼ万全だし、新鮮なイゾルデが聴けたことも大きい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アイスランド出身のアルナルソンは、もともとは俳優として劇場とのかかわりをスタートし、演出家としてはウィスバーデンの劇場で活躍をしているようだが、私は初めて耳にする名前。
北欧的なものを意識して演出をしてきたようで、劇としての「ペールギュント」で大成功を納めたりしていて、「パルジファル」も手掛けているようだ。

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今回のトリスタン演出、工夫して映像で見た私の印象は、よけいなことはしてないかわりに、可も不可もない無難なものでありつつ、装置や衣装へのこだわりをみせたものの、それらがトータルとして雑多でごちゃごちゃした印象を与え、美的には好ましくないものに終始した。
演出をしたという解釈としては、目新しいところはあったが、それはトリスタンのあるべき本質をあえて外してしまったものに思われた。

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トリスタンとイゾルデが、禁断の関係を結んでしまうきっかけが、ブランゲーネが忖度した媚薬。
しかし、この演出では、イゾルデが手にした薬の瓶は、媚薬でなく毒薬。
1幕でトリスタンはイゾルデから瓶を奪い取るが、それを飲むことなく、二人は初めて見つめ合い、なんだ、もとから好きだったんだようという楽天的な抱擁を交わす。

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2幕で、メロートに率いられたマルケ王が乱入するが、トリスタンはイゾルデに着いてくるかい?と故郷のことを歌いつつ、毒瓶を飲んでしまう。
メロートの剣に飛び込むのでなく、自らが独薬を飲む。
さらに、その瓶を奪い飲もうとしたイゾルデからは、メロートが瓶を取り上げて放り投げる。
メロートは嫌なヤツでもなく、トリスタンを愛するおホモだちのように見えたがいかに・・・
3幕では、死に際に飛び込んできたイゾルデは、生きてください、どうして?何で?と歌うモノローグのところで、毒瓶を飲み干してしまう。
トリスタンの死ぬ、その横で、イゾルデは死に際の歌のように、「愛の死」を歌ってこと切れる・・・

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このように媚薬はなく、死を覚悟した毒薬が、主役の二人を死に導くというストーリー解釈だった。

これには怒る聴衆がいてもおかしくない。

ブラボー飛び交うカーテンコールの最後に出てきた演出チームには、今年も容赦なくブーイングが浴びせられた。
シュヴァルツの2年前のリングほどではないが。
しかし、ブーに恐れをなしたアルナルソンは、チームのほかの4人を残し、カーテンの裏に駆け込み、歌手たちを招きだそうとした。
歌手たちは、そんな準備も出来てないので、しばしの間、演出の張本人の欠けた、装置や衣装、照明の担当たちがカーテンの前で立ち尽くすこととなった。
ブーで自信消失となったアルナルソンのこの奇態はまずかったな・・・
堂々としたより若かったシュヴァルツ君の方が立派だったと思うよ。

そもそも、そんなにビクビクすることはない、独自の解釈だったと思う。

この楽劇で死んでしまうのは、この演出では「トリスタンとイゾルデ」だけだった。
メロートもクルヴェナールも、兵士たちも、みんな戦わず、死ぬこともなく、ふたりの恋人の死を、ブランゲーネやマルケとともに見つめ立ち会うのだった。
歌っている内容との矛盾にあふれてはいるが、ふたりの死のみをクローズアップした演出だろう。
こうすることで、登場人物たちは、静的で動きが少なく、背景で見つめ立ち会う存在のようにもなり、マルケも悩みつつも立ち尽くし、また座りつくす存在となっていて、全体の印象を単調にしてしまう結果ともなったと思う。

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その単調さに比して、舞台装置の雄弁さと雑多さには苦言を呈したい。
1幕で結ばれた二人が船に空いた穴から下をのぞき込んで終了したが、2幕のふたりの逢瀬は、きっとその船の船底。
そこには古今東西の美術品やらイゾルデの幼少時代の写真やら、あきれるほどによくできたリアル品々がびっしり並んでいる。
マルケはトレジャーハンターなのか、世界からお宝を収集するオタクなのか、イゾルデもそんな収集品のひとつだったのだろうか。
3幕は、トリスタンの故郷のコーンウォールとは思えず、2幕のままにその場が朽ちただけに見えた。
あまりに小道具が多すぎて、気分がそがれることこのうえない。
死に体のトリスタンの元に駆けつけるイゾルデは、ものが多すぎる、こうしたごちゃごちゃした道具を乗り越えて、そろりそろりとやってくるので、切迫感ゼロだ。

こんな風に変なとこもあげればキリがないが、この演出家の意図は、今後よく見て考えてみたいし、海外評なんかも読んでみたいと思う。

演奏は全然OKで素晴らしく、演出は消化不良でイマイチ、でも余計なことしてないので頑張りました!
ということに今年はさせていただきました。

毎年毎年、勝手に偉そうなこと書いててすいません。
これもまたバイロイト、ワーグナーの楽しみなのですから。

今年は、あと「オランダ人」「タンホイザー」「リング」「パルジファル」が上演されている。
残念ながら「パルジファル」の放送がないが、ほかの作品は順次聴いております。
また書くかもしてません。

来年は、ガッティが新演出「マイスタージンガー」、ティーレマンが再演の「ローエングリン」が追加されるので、タンホイザーとオランダ人はお休みか。
そして早くも次の28年の「リング」の指揮に、カサドの名前があがっている。

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手水舎にあった涼しげな、「ほおずき」。

夏本番🌻

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2024年7月21日 (日)

ワーグナー 「タンホイザー」

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数度目かのワーグナー全作シリーズ。
初期3作、オランダ人についで、ようやく「タンホイザー」
全作シリーズは、もういい歳になってしまった自分、きっと最後です。
2回にわけて、音源、舞台経験、映像とジャンルをわけて総括。

その前に、以前の記事から少し編集をして、作品の概要を。

オランダ人、タンホイザー、ローエングリンのロマンテックオペラ3作は、後期に花開くドラマムジークへの序奏でもあり、初期3作で試みた当時のオペラスタイル(ベルカント、国民オペラ+ブッファ、グランドオペラ)をさらに発展させ、ライトモティーフのさらなる活用や番号オペラの廃止で、ドラマと音楽がより緊密に結びつき、緊張感とロマン性が流れるように、しかもおのずとあふれる作品群となっている。

タンホイザー」は、「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦のロマン的オペラ」という長いタイトルが当初のもの。
パリからドレスデンに移ったワーグナーは、「リエンツィ」と「オランダ人」の成功でその地で宮廷指揮者の職を得て、順風満帆のなか、「タンホイザー」を仕上げた。
1945年のことで、初演は大成功。
その後、聴衆の理解をさらに深めるように改訂をして、これが「ドレスデン版」となる。
管弦楽作品として聴かれる序曲が15分間演奏され、その後ヴェヌスブルクの音楽が少し入る版である。
1861年にパリでの上演を依頼された際に、序曲の途中からヴェヌスブルクの音楽になだれ込み怪しいバレエを挿入したり、歌合戦の一部を割愛したのが「パリ版」である。
さらに、ドレスデンとパリの両版の折衷版が「ウィーン版」とも呼ばれ、これがまた「パリ版」などと称されているからややこしやぁ。
指揮者や演出家によって、いろんなミックスバージョンがあるから、さらにややこしい。
でも昨今はドレスデン版を基調に、バレエ軍団の活躍の場を広げるためにも、折衷版が主流になった感あり。

舞台でもCDでも、最後の場面は涙なくしては聴けない。
エリザベートの自己犠牲から、法王からは杖にした枯れ枝から芽が生えないように、お前の罪は消えることはない!と宣言されながらも、奇跡の発芽。
ここに流れる奇跡のような音楽は、あらゆる音楽のなかでも極めて感動的なものと思う。

ワーグナーの劇音楽作者としての天才性は、このあたりにも如実に表れている。
こうした人間にとっても普遍的な感動は、演出家にとって、極めてやりがいのあるもので、逆に昨今のなにかを付け加えなくては存在意義を失った演出家には、これまた絶好の素材となるのでした。

中世13世紀頃、神聖ローマ帝国にあったドイツ中部のテューリンゲンが舞台。
ミンネジンガー=吟遊詩人たちは、高尚な恋愛や騎士道を歌にして、城内や貴族館などで歌い演じていて、それは職業ではなく、従者や城仕えのサラリーマン、騎士、貴族などだった。
2幕のヴァルトブルク城での歌合戦では、美辞麗句、高尚なる古風な純愛、建て前ばかりにの歌を披露する騎士たち。
それを聴いて生ぬるい、俺はもっと愛を極め、酒池肉林の世界に行っていたことをカミングアウトしてしまうタンホイザー。
  ローマ神話の愛と美をつかさどる女神であるヴェーヌスは、原始キリスト教においては、キリスト教を迫害する側のローマの神々であったし、それはカトリックにおけるマリア信仰と対をなす官能の女神として邪なる存在であった。
 その世界におぼれてしまっていたタンホイザー。
キリスト教社会から足を踏み外してしまったアウトロー。
身バレしてしまったタンホイザーは即座に、異端のとんでもないヤツとされ凶弾。
しかし、そこへ身を挺して、必死に彼の命乞いをするのがエリーザベト。
この場面は、重なる年齢とともにその味わいが増ように思え、若い頃は大げさに感じたこのシーンが、人の痛みや苦しみを共感しようという高潔なヒロインの真摯な歌に心から感銘を受けるようになったと思う。
しかし、こうした献身的な女性の麗しい姿も、いまや女性差別の批判の的ともなります。
「自己犠牲」という言葉がいまやフラット社会やポリコレの対象となりかねない時代。

ほんとに、ばかやろうといいたい。
こんな風潮のもとにおもねって演出にそんな要素を入れてしまった連中、歴史の揺り戻しで、そんな思想は消されるときがくる。
だから言いますよ、ひねくりまわさずに、ト書きを中心とした演出に解釈をくわえればいいじゃんよ。

と、また怒りだしてしまうのですが、ここからは手持ちの音源を振り返ります。

ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー (1970)
  
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トリスタンとリングに続いてショルテイが録音したワーグナー。
デッカの鮮やかなゾフィエンザールでの録音芸術はここでも鮮やか。
レイ・ミンシャル、ゴードン・パリー、ジェイムズ・ロック、コリン・ムアフットなど、この当時のカルショウ後のお馴染みのデッカチーム。
シカゴでの指揮活動も本格化し、同時期にはマーラーの5番や6番も録音。
オペラ中心から、コンサート活動へとシフトしていった時期でもあります。
ゴリゴリの剛直な指揮から、柔和さも加わり、多彩な表現力を示すようになったショルティさん。
ウィーンフィルを締め上げずに、柔らかなホルンや管の持ち味も生きていて、このジャケットにあるようなヴァルトブルク城の幽玄な雰囲気すら感じさせます。
若いコロの貴重な時期の録音は、甘味すぎる声で、後年に舞台で観劇したときの頭髪も後退し、人生に疲れた味のある歌い口とは別人のようなのです。
さらに2014年に、ルネ・コロのさよならコンサートでも、ローマ語りは聴いたが、そこでの苦渋に満ちた歌いぶりに、この不世出のテノールの行きついた境地に感嘆したものです。
清廉なデルネッシュもいいし、ルートヴィヒの贅沢すぎるヴェーヌスもよい。
若いゾーテインの美声のヘルマンもいいが、ブラウンのウォルフラムはちょいと弱い。
ピッツとバラッチュの指導する合唱も強力。

②ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 バイロイト (1962)

Tammhauser-sawallisch

61年から始まったヴィーラント・ワーグナーの演出2年目のライブ。(過去記事をコピペして編集)
ドレスデンとパリの折衷版ともいえるウィーン版。
バレエの振り付けにモーリス・ベジャール、ヴェーヌスに「黒いヴェーヌス」として評判をとった
グレース・バンブリーが歌ってセンセーションとなったが、いまではあたりまえのことで、隔世の感あり。
でもサヴァリッシュの指揮は、いまでも鮮度が高く活気に満ちている。
音楽がどこまでも息づいていて、それがドラマにしっかり奉仕していて気の抜けたところが一瞬たりともない。
この素晴らしい緊張あふれる指揮ぶりは、同時期に担当したオランダ人とローエングリンにも共通して言えることで、時にその意欲が空転してしまいオケが走りすぎてしまうところもある。
サヴァリッシュのこの清新な指揮ぶりは、後年若さによる踏み外しがなくなり、さらに磨かれつくし知的でスタイリッシュな音楽造りになっていく。
この頃のヴィントガッセンは歌手としてピークで、その後のベームとのトリスタンやジークフリートは絶頂期からややピークを過ぎたあたり。
ここで聴くタンホイザーの声は威勢もよく、ドラマティックな威力も抜群で、意気揚揚とヴェーヌスに三行半を叩きつけ、歌合戦でも夢中だし、ローマ物語もヤケのやんぱちになってしまうところが凄まじい迫真の歌唱となっている。
ライブゆえの傷もややあるが、最後までスタミナ十分なところも当時の大歌手の実力をまざまざと見せつけてくれるもの。
若きシリアの夢中の歌唱、友愛のヴェヒター、安定のグラインドルに加え、バンブリーのコクのある以外にも深みのある声が素敵なものだ。

③ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイロイト(1954)

戦後51年に再開したバイロイト音楽祭、タンホイザーは54年がプリミエでヴィーラント演出、そのライブ。
録音はかなりいい方です。
この年やカイルベルトとともに、ヨッフムも指揮を担当。
カイルベルトの逞しく気力あふれる指揮は、リングやオランダ人の音盤と同じで、古めかしさは一切なし。
音の決まり方が気持ちよくって、こちらの耳にタンホイザーの音楽のあるべきものがバシバシ飛び込んでくる。
1幕でのタンホイザーと旧友たちとの邂逅の熱さ、その後の盛上りは、猛然とアッチェランドをかけかなりのスピード感でもって興奮させる。
2幕は華やかさなどは微塵もなく、後半の感動的な場面では、ともに泣くかのような思い入れを込めた演奏。
一転3幕の、澄んだ空気に悲劇を予見させる前半は、じっくりと歌い上げていて、ニュアンス豊かなF・ディースカウの名唱とともに味わいが深い。
そして、「ローマ物語」からは、ヴィナイの重戦車のような大迫力タンホイザーもあいまって、大いなる感動をもたらし、最後の巡礼の合唱では感涙にむせぶこととあいなったが、やや尻切れトンボのように豪快すぎる終わり方。
前述したヴィナイの悲劇の固まりのようなタンホイザーがよろしい。

④アンドレ・クリュイタンス指揮 バイロイト(1955)

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54年がプリミエのヴィーラント演出の翌年のライブはクリュイタンスが担当。
このヴィーラントのプロダクションは、2年間で取下げとなり、次のタンホイザーは61年のサヴァリッシュ指揮のものまで間が開くことになる。
バイエルン放送局の正規音源なだけあり、カイルベルト54年盤より音は数段よろしい。
クリュイタンスのタンホイザーは個性的である。
かなりゆったりと美しく旋律を歌いながら始まる。
しかし、バッカナールの場面では、かなり強烈な響きとなるし熱い。
全般にテンポを微妙に揺らしながら、強弱も付けながら、単調に陥らない素晴らしい表現力でもって攻めまくる。
2幕の後半のタンホイザーの罪を請うエリーザベトの歌に始まる重唱などは、古い演奏にあるようにごちゃごちゃ混濁せず、見通しがよく、盛り上がりも清潔な。

3幕、エリーザベトを送る静かななシーンでは、そのしなやかさが印象的で、最終の場面では、テンポを絶妙に落とし、ジワジワと感動を盛り上げてくれる。
実にいいタンホイザーなのだ。
 全盛期のヴィントガッセンは、同年リングでもフル活躍しているから、そら恐ろしいタフネスぶりである。
そして、その気迫に満ちた野太い声は実に説得力に満ち引き込まれる。

FDのウォルフラムが素晴らしく声に華があり、一語一語に心がこもり、同情を歌で表現できている。
 クリュイタンスは次のヴィーラントのタンホイザーでも65年に指揮をしているが、そのときの音源は発売されていない。
クリュイタンスのバイロイトでの指揮は、このタンホイザーと、ローエングリン、マイスタージンガー、パルジファルで、いずれも聴くことができる。

⑤オットー・ゲルデス指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ (1969)

Tannhauser_gerdes

過去記事より~このレコードが出た時、新世界でぞっこんだったので「おっ、ケルテスじゃん」と思ったら「ケ」じゃなくて「ゲ」だった。

「ゲ」の方のゲルデスは、DGのプロデューサーとして、おもにカラヤンの録音に多く携わっていた人で、「リング」など多くのレコードにその名前がクレジットされている。
もともとは指揮者でもあったので、同時期に、ベルリンフィルを指揮して「新世界」やバンベルク響とヴォルフ、ベルリン・ドイツ・オペラとオテロ抜粋などを録音している。
余計なことはしていないし、音楽の良さも正直に伝わってくるからよしとしよう。
ただし面白みは少なめ、聴いていて、そこでこう、あーもっとこうして、という思いが捨てきれないのも事実。
最初から疲れたヴィントガッセンのタンホイザー。
ギンギンに威力漲る二役のニルソンに押されいて、「頼むから許して下され」的な、哀れさそう1幕。

このお疲れモードのヴィントガッセンのタンホイザー、3幕のローマ語りでは、多大な効果を発揮する。
さんざん辛酸を舐め、人生に疲れ切った男の苦しげな独白はあまりに堂に入りすぎていて同情すら誘う。

すっかり大人となったFDのいい人だけど、ウマすぎるウォルフラム、気品あふれるアダムのヘルマンをはじめ、端役にもウベンタール、ヒルテ、ソーティン、レンツなどの実力派をそろえた豪華なもので、歌の魅力ではタンホイザー諸盤に引けを取らない。

⑥オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場 (1982)

Wagner-thannhauser-suitner

当時は完全東側だったベルリンのシュターツカペレを長らく率いたお馴染みのスウィトナーは、N響への客演に合わせ、オペラの引っ越し公演にオケとの来演に、もう何度日本にきてくれたでしょうか。
85年には、日本でもタンホイザーを上演してくれて、NHKの放送も入って、そのときのエアチェック音源も大切にしてます。
こちらは本拠地でのライブ放送の音源で、音質も問題なくきれいなステレオ録音です。
自在さと、以外なまでの燃焼度の高さをみせるスウィトナーは、やはり劇場の人なのだと思わせます。
いつも言いますが1幕の最後が短縮版なので、期待が萎えてしまう恨みはありますが、全編にわたり、オペラを知り尽くした指揮者が全体を統率していて、すべてに一体感を感じる。
スウィトナーは快速テンポで、あの飄々とした指揮ぶりで、よどもなく音楽を進めますが、ぎっしりと音が凝縮していて密度は濃く、ここぞというときの迫力はなみなみでなはない。
 この音盤のありがたみは、あとなんたって、スパス・ヴェンコフで、その声の太さと力強さ、ノーブルな輝きとほの暗さ。
タンホイザーとトリスタンのためにあるような声です。
歌手のまとまりの良さも劇場でのライブである強み。
この時の映像がyotubeにもありますので、そちらも確認済みです。

⑦ベルナルト・ハイティンク指揮 バイエルン放送交響楽団 (1985)

Tannhauser-haitink

ハイテインク初のワーグナーは「タンホイザー」
ずっと連れ添ったコンセルトヘボウでなく、音楽監督の任にあったコヴェントガーデンでなく、ミュンヘンのオーケストラだった。
以前より常連だったが、この頃を境に、バイエルン放送響とはさらなる蜜月となり、定期的にコンサートに招かれ、レコーディングでも起用されるようになったオーケストラ。
魔笛とリング、ダフネと、あまりに素晴らしいレコーディングもなされた名コンビ。
そのイメージがある方ならば、聴かずともわかる理想のミュンヘンのワーグナーサウンドが、ここにある。
この中世のドイツの物語をベースにいた手堅いオペラ、ハイティンクとバイエルン放送は理想的なオーケストラサウンドでもって完璧に再現してる。
オーケストラとして完全無比の演奏であるけれど、そこに歌がありドラマがあるとなるとちょっと浅い。
ハイティンクの人の好さとか温厚さが、この頃ではまだ音楽に厳しさや、オペラに必須のドラマ性を再現しきれていない。
数年後のリングの充実とはまた違った「ハイティンクのワーグナー」は、ともかく美しく完璧です。
 大好きなルチア・ポップの清々しいエリーザベトに、ドイツの深い森を感じさせるマイヤーのヴェーヌスも素晴らしい。
しかし、ケーニヒのタンホイザーがオッサンにすぎる、これが一番の難点なハイティンク盤なのでした。

⑧ ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場 (2001年)

Tannhauser-barenboim

80年代以降、ワーグナーの手練れとなったバレンボイムは、その頃からトリスタンとパルジファル、リングといった後半の作品ばかりを指揮していて、前半のロマンティークオペラはあまり指揮してなかったはずだ。
ベルリン国立歌劇場を引き継いだ1992年から2023年までの長期にわたる活動のなかで、ワーグナーの全作品を取り上げたマエストロ。
私たちになじみのあったスウィトナーのタンホイザーから18年。
東から西へ、タンホイザーも自由の名のもとに、その音楽も刷新された感が、スウィトナーとバレンボイム、ふたつの演奏を聴いて感じることができる。
政治的な時代背景の変化と国の在り方の変化、東と西、その違いを音源で聴き分けるのは至難の技ですが、陰りの失せた、曇り空のないワアーグナーの音はここに感じます。
しかしですよ、一方でスウィトナーが巧ますして聴かせていたドイツの森や篤い宗教心のようなものはなく、完璧な音楽表現のなかに失われてしまった部分かと思う。
 ザイフェルトの覚醒的なタンホイザーがすばらしく、あのころに売り出し中だったイーグレンは脂肪分過多で歌がぼやけ気味。
でも他の歌手はめっぽうすばらしく、マイヤーさんに、ハンプソンの贅沢ウォルフラムなど。
録音がすばらしく、歌手とともに、めっぽう素晴らしい。

手持ちの音源は以上で、バイロイトでの記録はエアチェック済だから購入してない。
カラヤンの演奏記録、シノーポリのDG録音は見入手であります。
なんでドミンゴだよ・・という不満で聴く気になれないのであります。

さて次は、映像部門、エアチェック音源部門にまいります。

Izumo-2

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