カテゴリー「アバド」の記事

2026年7月 4日 (土)

メンデルスゾーン、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ミルシテイン&アバド

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梅雨まっさかりの関東。

ちょっとした雨の休止時の散歩。

晴れ間が愛おしいけれど、あと1ヶ月もしたら曇りや雨がそのように思えるようになる暑い夏がやってくる。

チョー久しぶりに「メン・チャイ」を聴く。

中学の音楽の授業で聴いた(聴かされた)メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
あの哀愁感じるメロディにすぐさま惚れ込みレコード屋さんに走りました。
もちろん少ないお小遣いで買えるのはコロンビアレコードのダイヤモンド1000シリーズの1枚。
もう手もとからなくなってしまったが、ブロノスラウ・ギンペルという往年のヴァイオリニストのソロに、バンベルクのオーケストラの演奏。
カップリングはチャイコフスキーで、まさに私の初メン・チャイ。
ジャケットはまだ覚えていて、アルプスを背にした教会の屋根だったと記憶。
チャイコフスキーはよくわからなくて、メンデルスゾーンばっかり聴いていた。

Mendelssshon-tchaikovsky

 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

    ナタン・ミルシテイン

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

              (1972.9,12 @ムジークフェライン、ウィーン)

このレコードが発売されたのは1973年で、この年来日をしたアバドのファンにすでになっていたワタクシ。
聴いたのはもっと後年ですが、久方ぶりに録音に登場した超ベテランのミルシテインが、若手のアバド、しかもウィーンフィルでの演奏ということで大いに話題になった1枚。
68歳のヴァイオリニストと40歳の指揮者というDGの仕組んだ組み合わせの妙。

ミルシテインは中学生の自分ながら、その名はすでに知っていて、父が職場からもらって来た大量のEMIのレコードの中の1枚に、シャコンヌや熊蜂などの技巧的な小品を集めたものがあり、それをよく聴いていたのでした。
ちなみに、このレコードたちのなかにあったのがビーチャムのディーリアスで、ディーリアスとの出会いもこのときだったのです。

Rekogei

このレコード発売時のレコ芸の広告。
ついでながら、ジャケットには、ウィーンフィルのコンマスのヘッツェルとキュッヘルも写ってまして若い。
こんな風に大いに宣伝されたものですが、レコ芸の月評ではミルシテインのヴァイオリンは絶賛されましたが、アバドの指揮はけちょんけちょんにけなされましたね。
そう、協奏曲担当は当時U氏でしたから。
唯一、チャイコフスキーの2楽章だけ、ウィーンフィルの美さで絶賛するという捻りぶり。
当時、聴いてもないのに腹立ちましたねぇ。
U氏、同様のことは、アバドのほかのレコードでもずっと続きましたがロッシーニだけは手放しで絶賛。。。。

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ヴィルトゥーゾという印象の強かったミルシテインが、ベテランの域に達しDGに残した70年代の一連の録音。
このメンチャイも久しぶりに聴いてみて、その音色の鮮明さ、艶っぽさに驚いた。
達観していい年齢にも達していたのに、その瑞々しさと、名曲を演奏しながらも客観性を感じる知的な演奏。
ミルステインのバッハの無伴奏を聴いたのもここ10年ほどのことで、そこでのスケール感とともに感じた集中力のすごさ。
そのイメージともまた違う若々しさは、曲ゆえか、名曲への姿勢か、アバドという共演者のゆえか。
好々爺とせず、アバドとともに柔和でしなやかなメンチャイを作り上げた感じ。

今回、結構な大音量で聴いてみた。
ミルシテインの艶のあるヴァイオリンもよいが、それ以上に70年代のウィーンフィルの柔らかなな音色とうるさくならないチャイコフスキーでの響き。
ともかく録音がとてもよく感じたし、アバドの強弱を豊かにつけた明快な指揮ぶりもよくわかった。
弱音へのこだわりと、その歌いまわしの美さはアバドならではで、2曲ともに緩徐楽章が極めてステキなもので、躍動感あふれる3楽章との対比もこれも2曲とも鮮やか。
グルダとのモーツァルトにも通じる、アバド&ウィーンフィルの素晴らしさ、ムジークフェラインでの録音の良さです。

このあとミルシテインが録音したブラームスは、指揮がヨッフムに変わり、それはそれで滋味あふれるものでしたが、アバドでも聴きたかったし、ベートーヴェンやモーツァルトもDGに残して欲しかったものです。

それにしても、メン・チャイ、いい曲だわ。
とくに、メンデルスゾーンのあふれるメロディーと屈託のない明るさは、新緑と梅雨空の先に来る青空を感じさせましたよ。
気分いいです~

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ピントを遠くの厳島神社に合わせてみました。

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2026年6月26日 (金)

ブルックナー 交響曲第1番 アバド指揮

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紫陽花シーズンも最盛期、日本は北海道をのぞいて梅雨本番。

近くの町、開成町のあじさい、今年は行けなかったので以前の写真です。

6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年生れ、93回目の生誕祭。
私の世代では、若手三羽烏と呼ばれた同世代の、アバド、小澤、メータ。
メータのみが存命で、つい先だって90歳を迎え、現役で活躍中。

 ブルックナー 交響曲第1番 ハ短調

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーフィルハーモニー管弦楽団

              ルツェルン祝祭管弦楽団

今年のアバド生誕祭は、ブルックナーの1番。

若い頃からブルックナーは1番のみを好んで指揮していて、4つの録音を聴くことができます。
いつもお世話になっておりますアバド資料館のデータを拝借しますと、ウィーンフィルとは69年を皮切りに、70,72,73,96年。
ローマRAI放送と69年、ロンドン響と70年、ニューヨークフィル、クリーヴランドで70年、シカゴ、フィラデルフィアで71年。
ベルリンフィルで72年と70年代初頭に各地で指揮してます。
その後は96年のウィーンで録音も見据えて取り上げるまで空白あり。
ベルリンではほとんどやらず、晩年のルツェルンでのブルックナーチクルスの一環で2012年に指揮してます。

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この1番ほどには、録音を残した4,5,7,9番は演奏頻度が高くなかった。
もちろん30~40代の頃に1番は集中してますが、90年代とルツェルン時代は録音も見据えたブルックナーチクルスの一環であり、アバドのブルックナーへの取組で、円熟期にもっとも打込んでいたのは、5番と9番ではなかったのではないかと思います。

1番の作品ついては過去記事より引用しておきます。

1866年、ブルックナー42歳の作品。
オルガニストとしての活動の一方、その合間に作曲法を勉強し、ミサ曲や序曲、無印習作交響曲、第0交響曲などを書いていた。
リンツでオルガン奏者を務めつつ、1865年、「トリスタン」の初演に立会い、大いなる感銘を受け、ビューローとの接点もできた。
ワーグナーに触発されつつ完成したのが正式に番号をふった1番。
68年に自身の指揮で初演されたものの、その指揮のまずさとオケのショボさもあり評価は得られず。
その後に77年や84年に改訂をしており、これらの版を「リンツ版」といい、手直し職人の名のとおり、1890~91年、66歳になってから手を入れた版が「ウィーン版」といわれる。
このウィーン版の改訂時には8番がすでに完成し、9番にとりかかる時期。
ブルックナーの音楽のスタイルは30年経っても変わらないことが、1番の改訂を最後の交響曲のあたりでやったという事実でもってわかりますね。
ハ短調に始まり、最後にはハ長調に転じて、勝利宣言のようになるという交響曲の常套を踏んでいるところも妙に愛らしい。

原始霧と呼ばれるブルックナー開始は1番はなく、軽やかさもある刻みで始まり、推進力にあふれる1楽章は、優しく歌謡性にもあふれた第2主題が素敵だし、木管の鳥のさえずりのような動きが随所にあって好き。
 抒情的な2楽章は、ブルックナーの緩徐楽章のなかで、2,6番と並んで大好きでして、もう大昔に行ったスイスアルプスの景色をいつも思い起こしながら聴いてしまう、まさにヨーロッパの音楽と感じる。
 いかにもなブルックナーらしい弾みの良いスケルツォ楽章は、ほかの番号にも通じる変わることないブルックナーらしい音楽。
この楽章のよいところは、中間部のおおらかさ、呑気さ、牧歌感でしょう。
 火のようにと指定された4楽章は気合い充分にみなぎった激しさと苛烈さがありつつ、全体を見通してフィナーレを築き上げようとするシンプルさが後年の作品たちの威容からすると物足りなさがある。
しかしこの推進力と大胆さは、ブルックナーの青さ、若々しさがみなぎっていて捨てがたい。
大家による大人な演奏より、若い指揮者が大胆に指揮することで1番の良さが引立つものと言っていい。
リズムのよさ、軽やかさ、抒情性、歌謡性、大胆さ、このあたりが1番では求められると思いますね。

アバドは一貫して多くの指揮者と同じく「リンツ版」による演奏だったが、最後のルツェルンでは「ウィーン版」を取り上げた。
2012年のルツェルンでの演奏、そしてその翌年2013年は未完成とブルックナーの9番。
その年の秋には日本公演も予定され、私もチケットを確保してましたが体調悪化で中止・・・
そしてその半年後の2014年1月にアバドは亡くなってしまう。
9番の前に改訂したウィーン版をアバドが指揮したかったのは、ルツェルンでのブルックナーチクルスに第9で区切りを付けると言う流れがあったからではないかと思う。
2014年以降は、ブラームスを取り上げる計画だったとか。

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  1969年 ウィーンフィル

ともかく活きがよく、意欲にあふれた演奏。
老舗オーケストラを前に臆することなくやりたいことをやってしまった感じ。
ベートーヴェン7番のリズム感、ロッシーニのような軽快さ、そんな大胆なブルックナー。
動画で70年頃の演奏を観ることができるが、コンマスはボスコフスキーで、ウィーンの面々は何食わぬ顔で演奏。
若い頃のアバドはともかく指揮ぶりがダイナミックで、その姿を見てるととてもブルックナーを指揮しているとは思えないところが面白かった。
第2楽章の清涼感感じる若々しい抒情が素敵だし、スケルツォもノリノリでよろしい。
なんだかんだで、1番好きな演奏かも。
録音はデッカのゾフィエンザール録音のイメージそのものだが、やや古くも感じる。

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  1972年 ウィーフィル・ライブ

数年まえに忽然とあらわれた音源で、ウィーン芸術週間でのライブ。
前半がオイストラフとのブラームスの協奏曲で、この演奏会はNHKFMで放送された。
エアチェック小僧になりたての自分だけれど、これは録音してなかった。
この頃のアバドはウィーフィルと蜜月の度合いを深めていて、前年にパーマネントコンダクターとなり、73年には来日した。
生々しい録音で、デッカのスタジオ録音より、ムジークフェラインでの演奏ということもありウィーンフィル丸出しの印象。
柔らかな響きと丸っこい音色は、いまは失われし70年代のウィーンフィルの音だと感じる。
アバドはライブでは燃えちゃうので勢いがあり、演奏時間は変わらぬが煽るようなところもあり、速めに感じる。
熱さと懐かしさ感じるブルックナー。
終楽章が熱い。

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  1996年 ウィーフィル

1月のライブ録音で、11月には9番を録音して、それがウィーフィルとは最後のレコーディングとなりました。
若い時の録音となんら変わらぬ若々しい表情を持つ演奏で、それこそがアバドの個性ともいえると思う内容。
節まわしのゆとりや、より増した自然さ、間の美しさなど、やはり30年間の重みも感じ充実度が高い。
ウィーフィルはウマくなった感あり、ローカル感は減退。
でもよりインターナショナルになったいまのウィーフィルよりはずっとウィーンしてるし、DGのムジークフェライン録音は潤いも豊かで素晴らしいものだ。
この時期に、いっそのこと、2,3,6番にも挑戦して欲しかった。
8番はアバドが絶対にやりそうもない曲だったけれど。。。

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  2012年 ルツェルン祝祭管弦楽団

ウィーン稿を取り上げたルツェルンでのブルックナーチクルス。
先に触れたとおり、1番を書いたときは、トリスタンに接しワーグナーへの心酔を深めた頃。
このウィーン版では、そのワーグナーへの思いがより強く感じるようにオーケストラの厚みと響きがグレートアップしている。
私の持つ唯一のウィーン版は、ヴァントの録音だが、このアバド&ルツェルンの方が洗練の度合いが増し、壮麗さがあるのは録音の良さばかりでもあるまい。
なんといっても腕っこきのオーケストラの面々が肩の力を抜きつつも、真剣にブルックナーに向き合ったときの音のすごさは、特に4楽章に感じるし、最初から最後まで69年録音のときと同じ若々しさと推進力があるのが驚き。
その4楽章ですが、このウィーン版は大曲然となりすぎていて、屋上屋を重ねるように感じなくもなく、やはり若々しいちょっと青いリンツ版の方がいいと思う。
2楽章での透明感は、病後のアバドが到達した境地であり、翌年の第9もかくやと思わせる無為の域を感じます。
最初の録音と、この最後の録音とで2楽章を何度も聴いて、ここ数日の晩を過ごしました。

ブルックナーの1番を愛したアバドが、とても微笑ましく、アバドという指揮者が最後まで若々しさとしなやかさを保った演奏家であった。
今年の生誕祭には、そんな思いをあらためて強くしました。

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2026年1月20日 (火)

ロッシーニ 「チェネレントラ」 アバド指揮

Claudioabbadotributitalien1

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

2014年、あのショックを受けた日からもう12年。
干支が一巡しました。

こちらの画像は、亡くなってすぐのスカラ座での追悼コンサートでのものです。
これを見返しただけでも泣きそうになります。

でもイタリアからは有望な指揮者が続出してますし、世界的にも同じく、ビジネスとしての音楽は曲がり角にあると思いますが、音楽界は活況を呈してます。
混迷する世界情勢の影響は受けざるを得ず、音楽と政治は結びついても欲しくないですが、音楽の持つ力はこんなときこそ大切。
アバドが存命だったら、きっと音楽を通じて人類になにがしかを伝えてくれたことでしょう。

命日に明るい曲の選択となりますが、アバドが愛したオペラのひとつ、「チェネレントラ」を。

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この鮮やかな色彩と70年代当時のサイケデリックな風潮を感じさせるデザインは、いまでも新鮮。

中学生だったので72年発売の3枚組のレコードを購入すべく手立てもなかったが、ワーグナーは買ってた(笑)
音楽雑誌の表紙を大切に補完してあったものですが、CD化されて購入したときは、下のとおり色合いが違っていた。

Cenerentola-lso-2

  ロッシーニ 歌劇「ラ・チェネレントラ」

     チェネレントラ:テレサ・ベルガンサ   
     王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ

     ダンディーニ:レナート・カペッキ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :ウーゴ・トラーマ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                スコテッシュオペラ合唱団
          チェンバロ:テオドル・グシュルバウアー
              (1971.9 @エディンバラ)

アバド初のオペラ全曲の録音。
1968年にスカラ座の音楽監督となっていたアバドは、スカラより前、1971年8月のスコットランドでのエディンバラ音楽祭で「チェネレントラ」を上演。
フィレンツェ歌劇場との共同制作で、それに先立つ同年5月にフィレンツェにて指揮してます。
DGへの録音はこうした上演で万全の準備を経たもので完全な仕上がりぶりとなってます。
スカラ座でのチェネレントラは1972年から指揮するようになり、劇場の人気レパートリーとなり、その後ずっと上演され、海外引っ越し公演でも持っていくようになりました。

前々から書いてますが、アルベルト・ゼッダの校訂を経た版を採用したその演奏は、当時は斬新で今でこそ当たり前となってしまったスッキリ系のロッシーニの走狗だったのだ。
それまでは打楽器が派手に鳴ったり、オーケストラも無用に分厚く、全体に厚化粧をほどこされたロッシーニだった。
以前書いた記事~「アバドを聴いてから、遡って過去演を聴いたから、順序は逆だけれど、アバドの演奏は、その厚化粧を取り去り、まるで風呂上りのようなサッパリとした風情が漂っている。
でもスッピンの味気なさではなくて、音楽の持つ色気や風情がニュートラルに表わされていて、新鮮かつ活き活きとしている。
いやピチピチとしていると言えようか。
明晰で、どこまでも清潔。まさに水を得た魚のようなアバドに、アバドを無能呼ばわりした評論筋は誰一人不平を唱えられない。
当時、ざまみろ!という心境だった。へへっ。」
こんな風に書いてまして、久しぶりにこの演奏全曲を聴いて、この10年で多くのロッシーニを聴いてきた、いまの自分の耳にもかわらぬ新鮮さがありました。

歌唱に関しては、レベルも高度化してあがったイマの歌手からするとちょっと緩いと思われる人もいますが、でも私にはこのメンバーが最高なんです。
とくにベルガンサのすっきりとした清潔清廉を感じさせる歌唱は、いまもって一番のチェネレントラだと思う。
昨年98歳で亡くなったアルヴァもいまでも色あせしない生粋のベルカントテナーと感じさせて嬉しかった。
あと、フレキシブルなロンドン響であったことも、同時期の「セビリアの理髪師」よりも軽やかさと透明感においてより効果的だったと思う。

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     チェネレントラ:ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーリ   
     王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ

     ダンディーニ:エンツォ・ダーラ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :クラウディオ・デスデーリ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                ミラノ・スカラ座合唱団
          
             (1976.5 @コヴェントガーデン、ロンドン)

1976年のスカラ座のロンドンへの引越し公演ライブ。
ちゃんとしたステレオで音は悪くはないです。
ライブ、とくにピットに入ったときのアバドの若い頃の常で、テンポは速めでときに突っ走るようになることもあり、それがスポーティな快感を覚えることになります。
スカラ座の面々が、それに一糸乱れずについてゆくところもすごい。
最後の聴衆の興奮したロンドンっ子のブラボーもそのときの熱気を感じさせます。
ちなみに、このロンドンへの演目は、あとは「シモン」と「レクイエム」です。
歌手たちはずっとおんなじ、完成された家族のような仲間たちに、ベルガンサとともに、ずっと交代でアバドとやってきたテッラーニ。
あきれかえるような鮮やかなテクニックと、それを感じさせないナチュラルさに深みのあるメゾの声。
数年後に、日本人は東京で彼女のロジーナに驚嘆する。


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     チェネレントラ:フレデリカ・フォン・シュターデ   
     王子ドン・ラミロ:フランチェスコ・アライサ

     ダンディーニ:クラウディオ・デスデーリ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :ポール・プリシュカ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                ミラノ・スカラ座合唱団
          
              (1981.1 @ミラノ)

ありがたいことに、ずっと上演しつづけたアバドとジャン・ピエール・ポネル演出のチェネレントラが映像化されてます。
舞台上演でなく、スタジオでの映画的作品。
音声はミラノで録音、映画は同じ年の夏にウィーンで撮影と記録されてます。
アバドのチェネレントラの正規音源はこれが最後で、舞台でも82年のミラノを最後に指揮していないようです。
録音がやや平板であるのが残念ですが、ロンドン響との演奏に近い正確無比の演奏となっており、さらにはさすがはスカラと思わせる歌に付ける巧みな表情や歌いまわしが感じられるのもうれしい。
ミラノでのこの録音のとき、アバドは舞台では「ボリス・ゴドゥノフ」に取り組んでいた。
シモンとチェネレントラは、アバドとスカラ座が同じメンバーでもって何度も上演し、完全な舞台に仕上げていったオペラ作品だと思います。

そしてやはりこの演奏は、観て楽しむもの、ビジュアル重視の配役ともなってます。
シュターデの可憐な美しさとスタイルの良さはもうなにものにも代えがたいです。
琥珀の声とも称されたその声もここでは映像をともない、同情さそうその演技やシンデレラとしての凛々しさなど、もうほれぼれとします。
でもベルガンサやテッラーニに比べると弱く、かえってあざとくも感じてもしまうのは贅沢か。
 テッラーニと同じく、アライサも東京でのアルマヴィーヴァ伯爵で目覚ましい存在であることを明らかにしたが、この録音の年の秋だった。
若々しいそのアライサの歌声も嫌味なく甘くてすっきり柑橘系。
アリドーロ役からここでは狂言回しのダンディーニに昇格したデスデーリも実にうまく、存在感あり。
超ベテランとなったモンタルソロも呆れかえるくらいに愉快で間抜けな父親役です。
そして同じくずっとずっと、アバドのチェネレントラではいじわる姉妹を歌っているグリエルミとザンニーニが思わず共感したくなるような人間味あふれる存在に感じられるのも、ポネル演出と映像作品という楽しさです。

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ユーモアあふれるブッフォ作品としての神髄を突いたポネルの演出。
合唱の個の動き、集団としての動き、それぞれに意味あいもあり、面白みもあり、当然に登場人物のすべてがこの作品の面白さやシニカルさに寄与するように仕組まれた名演出。
時代がかった部分もイマの世の中では感じられるものの、映像作品としての出来栄えは完璧だと思います。
このポネル演出、2009年に新国劇場で観劇してまして、ほぼ同じもの。
これも思えばいい経験をしたものです。
カサロヴァにシラクーサという願ってもない名歌手の声も聴けました。
このDVD作品、繰り返しになりますがデジタル処理を施して、いまのソフトフォーカス気味の映像と音源を刷新して欲しい。

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チェネレントラ=アンジェリーナのあまりにステキにすぎる幕を閉めるアリア。
洒落たポネル演出もあいまって、ほんとに幸せな気分、ほんわかとした癒され気分になりました。
すべてを許し、飲み込む彼女。
女性が混迷の世界を救うとも思いました。
来日したイタリアのメローニ首相とわが日本の高市総理の熱いハグ。
メローニさんは、高市さんに向かって「思いは同じ、なすべきことのハードルは高いし、きっと難しいこともあるでしょう、そのときは何でも私に言って、親しい友」と別れるときに言いました。

Japan-italia

メローニさんのことが、イタリアのことが大好きになりました。
日本とイタリアが仲良く世界に立つ、こんなうれしいことはないです。
日本のメディアはこのようなことは一切報道しません。

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チェネレントラでのアバドとシュターデ。

先に書いたとおり70年代、日本でのアバドの評価が定まっていなかったころ、さらにはウィーンフィルのパーマネントコンダクターとして来日したとき、何もしてないと、こき下ろしていた評論家筋が多かった。
しかし、その評論家筋にも、アバドのロッシーニ、加えてストラヴィンスキーは有無を言わせぬ才能のほとばしりを認めさせるものでした。
そんな評価の変化ぶりをよく覚えてます。

現在のようにセリアも含め、ロッシーニ作品がたくさん演奏されるようになり、ロッシーニ音楽の受容も多様化しているが、その音楽表現のすべての根源は「アバドのロッシーニ」にあったと思ってます。
それは、アルベルト・ゼッダの研究が元にあり、その忠実で完全な表現者としてアバドがいたからなのであります。
ロッシーニ演奏、アバドのなした、大きな足跡のひとつです。

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秦野市から富士を望む🗻

クラウディオ・アバドの12回目の命日に♰

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2026年1月15日 (木)

メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」 アバド指揮

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今年の早咲きの菜の花は、まだ5分ぐらいなので、昨年の1月終わりぐらいの満開の菜の花と富士。

春の訪れがほんとに待ち遠しい、今年の骨身に染みる寒さ。

でも明るいイタリアが日本にやってくる。

低迷するイタリア経済を立て直し中、強くて明るいイタリアの首相メローニが来日。

イタリアの若手指揮者三羽烏のひとり、ダニエーレ・ルスティオーニが都響の首席客演指揮者となりやってきた。
2回のコンサートを聴きに行く予定。

そして、明るいイタリアとは言いたくはないが、クラウディオ・アバドの命日も近い。
アバドの命日には、また違う作品を取り上げる予定。

ということで1月後半は、まだ行ったことのない「イタリア」を日本で楽しみます。

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 メンデルスゾーン 交響曲第4番 イ長調 op.90「イタリア」

もう何度も記事にしてる。
アバドのメンデルスゾーンは、若い頃からの得意の演目で、デッカの専属だった67年に録音をしてます。
昭和の人、さまよえるクラヲタのワタクシは、1969年頃からクラシックに目覚め、1970年からレコ芸の購読を始めましたので、いまはほとんど処分してしまいましたが、主だった記事や広告はスクラップしてあったりします。
アバドのものはほとんで残してます。
1971年のレコ芸の裏表紙はデッカ=ロンドンレコードが独占してましたが、まだアバードと呼ばれていた時代。
レコ芸のお値段も、このときは300円で、少し前までは270円ぐらいだった。
レコードは新譜だと2000円、シングルジャケットだと1800円だったりも。

メンデルスゾーンのローマ見聞録のようなイタリア交響曲、アバドは3回録音しました。

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① ロンドン交響楽団(1967.2 @キングスウェイホール)

こちらは国内盤での再発のレコード。
スコットランドがメインのジャケットですが、ともかく嫌味なく健康的な音で満たされた幸せなメンデルスゾーン。
これが出たときの評価では、イタリア人という点ばかりが評価され、ともかく歌う明るい演奏と評され、交響曲的な構成力には欠けるちかいわれたものだ。
お国柄で何ごとも判断したり、ドイツに偏重するきらいが見られたのも事実で、そういう時代だった。
たしかに明るく開放的な演奏であることは間違いなく、デッカの分離のいい録音もそれに拍車をかけてる。
一方で、よりロマンティックで陰りのある3番とのカップリングであることから、それとの対比において明るさというよりは明晰さをこそ感じます。
3つの演奏を通して3楽章がいずれも美しいと思った。

② ロンドン交響楽団(1984.10 @聖ジョンズ・スミス・スクエア、ロンドン)

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ロンドン響の音楽監督として、ある意味自分のやりたいことをやっていた頃。
マーラーやベートーヴェンのチクルスに、ゼルキンとのモーツァルト録音と併行してメンデルスゾーンも演奏会で集中して取り上げ、一気に全集録音を遂げた。
そうした流れでの演奏なので、まとまりの良さ仕上がりの完璧さにおいては、17年を経て完璧であり落ち着いた演奏になってる。
アバドの身上でもある、音楽表現のしなやかさがここでは際立ち、音楽に漂う余裕と笑みすら感じる幸福なメンデルスゾーン。
アバドをずっと見聞きしてきた自分には、アバドがときににこやかに、柔和な表情で指揮している姿を思い起こすことができるし、このメンバーでの来日公演で接した指揮者とオーケストラの幸福なむずび付きも懐かしく思い出す。
 この時代、ロンドン交響楽団は名手ぞろいで、とくに管楽器のメンバーはすごい顔ぶれだった。
自分も若かったが、アバドもロンドン響の楽員さんもみんな若かった。
そんな昔を懐かしみつつ、2楽章と3楽章の絹織りの肌触り感じる柔らかさには陶然としてしまった。
アバドとロンドン響は、やはり幸福なコンビだったなぁ。
この全集、1番と2番が一番好き。

③ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1995.12.31 @ベルリン)

Abaado-bpo-mendelssohn

ジルヴェスターコンサートのライブで、真夏の夜の夢と演奏されたメンデルスゾーン・アーベント。
ライブでのアバドは熱い。
劇性と歌謡性のバランスのとれた真夏の夜の夢もロマンあふれる名演だと思いますが、よりホットなイタリア交響曲が自由闊達な感じでよい。
ロンドン響よりベルリンフィルの方が音色が明るい。
そして音も高密度でびっしり詰まった感じ。
ドイツからローマに行ったメンデルスゾーンの気分もかくや、と思わせるくらいに目覚ましい音がベルリンフィルから出ている。

3つの録音の演奏時間はほぼ同じ。
84年のロンドンが、2楽章がほんの少し速めですが、ほぼ同じ。
3つ共に好きなイタリア。
2000年代に、モーツァルト管とも3番とともに演奏履歴があり、そちらもいつかの音源化を希望したい。
生涯にわたって指揮しつづけたメンデルスゾーンは、アバドの持ち味がもっとよく発揮される作曲家だったと思います。
それはロッシーニとも通じます。

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スイセンは、いまが満開の盛りですよ

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2025年11月 7日 (金)

ブログ20周年 ベートーヴェン ピアノ協奏曲 ポリーニ&アバド

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ある日の平塚の虹ケ浜海岸。

かつて市営プールがあったところが開発されて、ひらつかシーテラスという施設ができました。

この先の茅ヶ崎の道の駅が予想されたとおり渋滞で週末はたいへんなことになっていて、さらにこちらも・・・

なんかもう、人を寄せるこうしたものはいらないね、と思う。

Seaside-04

空が焼けるまえ、富士の上に虹らしきもの、調べたら「彩雲」というらしい。

ちょっとレアな感じでうれしくなりました。

そんなわけで、このブログが2025年11月で開設20年になるのです。

自分で驚いてます。

最初の記事は、2005年11月7日で、二期会の「さまよえるオランダ人」を観劇したものです。
引退してしまったエド・デ・ワールトが指揮をした上演でした。
以来、ずいぶんと記事を起こしたもので、多い時は毎日のように音楽を聴いては書いてました。
2016年にいろんなことが重なり、ブログの継続が怪しくなり、書く気も失せてしまったことがあり、休止期間がありました。
しばしのちに立ち直り、更新のペースを緩やかにして今に至っております。

思えば、この20年でネット環境が著しく向上し、その頃は有線でつながらなければならなかったものが、いまやWifiもあり、スマホもあり、どこにいても情報発信ができ、あらゆる情報を得ることができるようになりました。
加えて、数々のツールがあり、媒体も多岐にわたり、われわれは情報の洪水のなかにあり、自己責任でもってそれらを選択して取りにいくようなったのです。
こうしてわれわれは情報に追われるようになり、知らないと不安に陥るようになったのかもしれない。
ときおり思う、携帯とかパソコンなんかない時代は何してたんだろ?
こんな便利なもの、なくても幸せだったな・・・とね。

動画も文章も、短いものが好まれ、ともがくショート化され、どんどん消化される時代。
かくいう時代に一般的でない音楽ジャンルのブログで長文を残すという、時代に逆行した行為。
どこまでやれるかわからないが、老いて指が動かなくなるまで続けようじゃないか、と思ってる。
自分がいちばんの読者で、かつての自分の記事に感心したり、驚いたりもしてる。

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   ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲

     ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

     (1992.12 1~4番、1993.1 5番 @ベルリン・フィルハーモニー)

2014年1月にアバドが亡くなり、その10年後の2024年3月にポリーニが亡くなった。
ともにミラノ生まれ、年齢こそ9歳の差はあったが、ともに切ってもきれない朋友でした。
多くの共演歴があり、録音も多数。
73年のノーノに始まり、ブラームス、バルトーク、シューマン、シェーンベルク、ベートーヴェン、そして最後がブラームスの2曲。
もっと多くの作品で共演して欲しかったし、晩年のベームよりは、ポリーニがより強靭で明晰なピアノを聴かせていた70年代にはアバドとやって欲しかった・・・と思う。
あとできれば、プロコフィエフをこのコンビで、シカゴで録音して欲しかった。

92年の年末から翌1月にかけて、ポリーニをソリストにしたベートーヴェンのピアノ協奏曲チクルスが演奏され、それがライブ録音された。
このときの演奏記録をいつもお世話になってるアバド資料館で調べてみたところ、協奏曲は1曲ずつ演奏され、そこでほかに組み合わされた演目は、ルトスワフスキ、リゲティ、ノーノ、リームなどの作品で、いかにもアバドらしい一筋縄ではいかない角度をつけた演奏会になっていた。
新年の5番のみ、田園とのプログラム。

各曲の終わりには、盛大な拍手もそのまま収録されていて、ライブの雰囲気は抜群だし、音質もベルリンのフィルハーモニーザールの響きそのままで、録音も申し分なし。
ポリーニのうなり声も盛大に聴きとれます。
ふたつのジャケット、双方を購入したのですが、あとになってトリプルコンチェルトと組み合わされて出たので、そちらも入手した。

5曲ともに、このふたりの演奏家らしく、一点の曇りもなく、明晰・明快に尽きる演奏。
表情はいずれも若々しく、重厚感など感じさせず、ベルリンフィルの音色も明るく軽やか。
バックハウスとイッセルシュテット、グルダとシュタインなどで馴染んできたベートーヴェンの協奏曲が別物に感じるくらいに鮮明で、音がクリアなのだ。
今回、ほぼ20年ぶりに聴いてみてそのように感じた。
この時期のアバドのベートーヴェンは、エアチェックでもいくつか残しているが、ブライトコプフ版による従来スタイルで、90年代末期からベーレンライター版による演奏に交響曲では切替えました。
同時に古楽的な奏法も取り入れるようになり、ポリーニとのベートーヴェンもあと数年あとだったらまた違った内容になっていたかもしれません。

今回の連続視聴でとても気に入ったのが、1~3番で、4番は聴き慣れすぎの感もあったかもしれないが、前半3曲が、いかにもベートーヴェンの若さを感じさせる瑞々しさにあふれていたのです。
ベルリンフィルから軽やかな響きを引き出すアバドの若々しい感性に、ポリーニのアドリア海の煌めきのようなブルー系の透明感あるピアノが、若い1~3番にはぴったりだった。
ことに、いずれの番号の緩徐楽章のたおやかで抒情的な美しさ、清々しい歌、とんでもなく感動してしまった。
そして、1~5番までの緩徐楽章だけを連続聴きしてみた。
歳とともに、ベートーヴェンは器楽も室内楽も静かな楽章の方が、心にふれる音楽となってきた。
そんな自分にポリーニとアバドの明るめの演奏はとてもぴったりと来るものだった。
皇帝という名前らしくない5番は清々しく端正きわまりない演奏、4番は透明感あふれる神妙極まりないものだった。

丹精で美しい造形の彫刻を思わせるようなふたりの演奏。
まとまりが良すぎて、不満を持つ向きもあろうかと思いますが、この若々しく明るい演奏はいまの初老の自分にはありがたく、豊かな気持ちにさせてくれるもので、まだがんばるぞーと思わせてくれました。

Seaside-03

ブログ20周年でした。

いつまで継続できるかな、目指せ30年。

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2025年6月26日 (木)

アバドのワーグナー

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もうシーズンは終わってしまいましたが、秦野市の公園のバラ園。

AIの助けを借りて、空を加工して丹沢の向こうに虹をかけてみました。

バラの品種は「マリア・カラス」

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もう1枚、虹を出現させてみました。

6月26日は、クラウディオ・アバド生誕92年の日です。

1933年にミラノで生まれ、2014年にボローニャで永眠。

今年の生誕祭は、ロッシーニでも行こうかと思っていたら、「ラインの黄金」の素晴らしい演奏を聴いたばかりで、頭が完全にワーグナーになってしまっている。
よく食べ物なんかでも、口が〇〇になっちゃってる、といって他のものを食べたくなくなることありますね。
まさにそれ、「アバドのワーグナー」です。

若いときから、ロッシーニとヴェルディは演目を選びながらも積極的に指揮してきたアバド。

ローエングリン

では、ワーグナーはどうだったかというと、極めて慎重だったと思いますが、そこはアバドらしく、ずっと若い時から本格取り込みの準備と機会を暖めていったと感じてます。
スカラ座の音楽監督だったとはいえ、ベルクやムソルグスキーばかりだと聴衆や運営サイドの不満を得るだろう。
だからアバドのピットでの初ワーグナーは、1981年のシーズンオープニングの「ローエングリン」で、スカラ座での活動時期の終盤にあたる頃でした。
この年に、アバドはスカラ座を率いて歴史的な来日公演を行いました。

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「スカラ座の黄金時代」というドキュメントDVDで、スカラ座のローエングリンのリハーサルやタイトルロールのルネ・コロの歌などを観ることができます。
1981年12月、翌年の4月、ストレーラーの演出、コロのほかは、トモワ・シントウ、コネル、ニムスゲルン、ハウクラントといった歌手。
コロは2回だけの出演で、イェルサレムとP・ホフマンに替わってます。
音はあまりよくないですが、ネット上で聴くことができますが、スカラ座のピットでは熱く燃えるアバドだったので、ローエングリンの登場シーンなどなかなかスリリングで手に汗握る雰囲気です。

Scala-1

当時、レコ芸のイタリア通信を毎月ワクワクしながら読んでいて、このあとアバドはワーグナーにガッツリ取り込んでいくかと思ったら、そんなことはなくこの年の上演で、スカラ座はおろかほかでも取り上げませんでしたね。
唯一、83年夏にエディンバラでロンドン響と2幕のみを演奏していて、こちらはNHKで放送されたので、いまでもエアチェック音源として大切にしてます。
アバドはローエングリンの2幕の持つ「光と陰」の性格に着目していたものと思います。
深い洞察を持って、登場人物たちの心理に切り込み、一方でエルザの教会入場のシーンなどは、思い切り輝かしく演奏してます。

スカラ座からウィーンに移ったアバドは、90年に国立歌劇場でローエングリンを上演しました。
このときの映像が出てはいますが、画質がよくなく、ブルーレイ化を望みたいものですが、私はドミンゴのワーグナーがあまり好きでないので、そこだけがどうも浮ついていて違和感を感じます。

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92年にムジークフェラインでスタジオ録音されたものは、アバドとしてはイェルサレムにローエングリンを変えたことで、落ち着きと安定した歌唱の雰囲気の均一化が図られたことで、透明感とともに柔らかで精緻なワーグナー演奏を打ち立てることができたものと思います。
もし、80年代にロンドンでローエングリン全曲が録音されていれば、それはまたアバドならではの鮮烈な演奏になっていたかと・・・・

トリスタンとイゾルデ

長い活動歴にあって、アバドはワーグナーをいつから指揮をしているか?
いつもお世話になっておりますclaidio abbado 資料館様のデータを参考にして調べてみました。

いちばん最初に指揮したのは「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死です。
1971年のレコ芸の注目の指揮者特集で、高崎保男氏がアバドに関して投稿していて、ヨーロッパでアバドの指揮をいくつか聴いてきて、有望な若手の筆頭として書かれていた。
そこにあったのは、ニュー・フィルハーモニア管でトリスタンを聴いたとあり、当時、もうアバド好きだったワタクシは、アバドがトリスタンを指揮していたということへの驚きと聴いてみたいという願望でありました。
その演奏データが1968年のエディンバラとルツェルンでの演奏会のものでした。
さらにさかのぼると、1962年にローマのチェチーリア管、63年にフェニーチェ座のオケで、前奏曲と愛の死を指揮してました。
あとは70年にフィラデルフィアで前奏曲と愛の死をとり上げたぐらいで、その後は長くあたためて、97年に全曲演奏を見据えてウィーンフィルと演奏。
98年の11月にベルリンでコンサート形式で全曲演奏、これが本来正式録音として残されるものだったかもしれない。
99年にザルツブルクイーズター祭で舞台上演、翌年の夏のザルツブルクではウィーンフィルと演奏予定だったが、キャンセル。
その後に病魔に冒され療養に入り、2000年11月と12月に東京での全曲上演となりました。

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ローエングリンよりも早くから手掛け、98~2000年に最高のトリスタンを作り上げたアバド。
ワーグナー諸作のなかにあって、やはりトリスタンを一番愛したのがアバドであったと思います。
日本における「アバドのトリスタン」の上演を体験できたことは、スカラ座との「シモン」、ベルリン・ドイツ・オペラの「リング」とともに、生涯忘れえぬ最高のオペラ体験だと思ってます。
最初から最後まで、張り詰めた緊張が途切れることなく、オーケストラも歌手も、すべてがアバドのために演奏し歌っているかのように献身的だった。
終わらないで欲しいと願いつつ、「愛の死」が静かに終結したとき、私は涙にくれてました。
そしてカーテンコールで登場した痩せ細ってしまったアバドにショックを受けた。
もう、ゆっくり休んで欲しいとまで思ったのですが、優しい笑顔と鋭い眼光はいつものアバドでした。
2004年にルツェルンで2幕のみを演奏。
ここで年をまたがってもよかったので、気の合う最強オケと全曲を残して欲しかったものです。

ニュルンベルクのマイスタージンガー

トリスタンと同様に、若い頃から前奏曲だけを指揮してきた。
73年のウィーンフィルとの来日ではアンコールとして演奏、それ以外に70年代はウィーンやロンドンで頻繁に演奏。
92年のウィーンでの演奏は、ベルリオーズのテ・デウムとともにDVD化されてるし、翌年のベルリンフィルでのジルヴェスターコンサートでは、ワーグナーガラとして、そのプログラムのなかで演奏されました。
明るいハ調の音楽はアバド向きの曲だし、ウィーンもベルリンも晴れやかな気分にしてくれる大好きな演奏です。
ゆくゆくは、マイスタージンガーの上演も頭にあったようですので、ベルリンでの活動を継続できなかったことは、その点では残念なことです。

パルジファル

アバドが最後に取り組んだ作品が「パルジファル」
ローエングリンに始まり、パルジファルに帰結。
音楽的にはトリスタンの先にあったパルジファル。
ほかの作品のように前奏曲などを演奏しながら全曲にいどむということなく、いきなりベルリンで演奏会形式で全幕を指揮。
東京トリスタンから1年後の2001年の11月。
この演奏はCDR化されていて、やや音の揺れはあるが録音はほぼ万全。
非正規であるので問題ありだが、ここに聴くアバドの無為な姿勢が病後にベルリンフィルとの関係と信頼が一段と深まったことにより、透明感と精緻さにあふれたラテン的な明晰な演奏となっている。
秋にベルリンでコンサートスタイルで演奏し、翌春のイースター音楽祭2002で舞台上演するといった、カラヤン時代から継承されたベルリンフィルのオペラの演奏スタイル。
願わくば、正規録音として残して欲しかったものですが、このザルツブルクでは別途タンホイザー序曲とパルジファルの3幕からの組曲編を録音してまして、これが唯一の貴重なパルジファル正規音源となりました。
同じ2002年には、オーケストラをマーラー・ユーゲントオケに変えて、ミュンヘン、エディンバラ、ルツェルンでもコンサート形式上演をしてます。
新ウィーン楽派の音楽をこよなく愛したアバドにとって、パルジファルは同じく愛したドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」にも通じる抑制の効いた繊細な音楽として、それをいかに精妙に明晰に聴かせるかということにおいて、おおいに共感を抱いていたのではと思います。

ジークフリート牧歌

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これもアバド向きの作品とも若い頃から思っていたけれど、案外とやってくれなかった。
ヨーロッパ室内管との演奏が忽然と登場したときは、アバドがやっていたのを知らなかったので驚いたものです。
88年のルツェルンでのライブ、清潔で幸せな、よく歌う演奏でした。
ベルリンフィルでは97年に取り上げていたようですが、ウィーンやロンドンでは演奏せず。

ファウスト序曲

案外とこの若書きのワーグナーのシリアスな作品も、アバドは得意にしてました。
1983年にロンドン響、ウィーンフィル、ECユースオケ、シカゴ響でそれぞれ演奏。
そのあとは93年と99年にベルリンフィルで。
手元にある99年の放送録音は、音もよく、ほどよい深刻さもあり、なかなかに良い曲だと思わせる演奏です

ヴェーゼンドンク歌曲集

ほぼ指揮せず、演奏会でのアバド最後のワーグナーとなったと思われる2006年のベルリンフィルへの客演で、ゾフィー・オッターの歌唱で取り上げてます。
この演奏は放送もされなかったと記憶しますが、同時に演奏されたシューマンのマンフレッド全曲とともに希少な演奏記録となったのでは、とまたも残念がるわたくしです。

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すり減るほどに聴いた1993年ジルヴェスターコンサート。
当時はNHKで生中継されたのでビデオ録画しながら、大晦日に正座しながら視聴し、興奮の年越しを過ごしましたよ。

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2000年11月の前奏曲と愛の死は、日本に来る直前の演奏で、あのときの凄演を偲ぶよすがとなります。
タンホイザーとパルジファルは2002年のザルツブルクライブ。

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ブリン・ターフェルのワーグナー集に贅沢にもアバドとベルリンフィルを配したDGの当時の意気込み。
こちらも日本に来る前の2000年11月と、パルジファルなどは2001年の5月の録音。
いまでは角が取れてより練れた声や表現で円熟期にあるターフェルだが、この頃は意欲満々、歌いすぎ、アクもやや濃すぎで、アバドの求めるワーグナーとはちょっと違うのでは、と思う1枚。
しかし、オランダ人序曲やガラに次いで2度目のマイスタージンガーのザックスのモノローグ、さらにはアバド唯一のワルキューレのウォータンの告別などが聴ける。
告別での壮麗な夕景を見るような演奏はわたくしには涙ものです。

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2008年12月の録音。
いまをときめくカウフマンのバックを務めた1枚で、文字通り最後のワーグナー。
ローエングリンの名乗り、ジークムントの冬の日は去り、パルジファルのアンフォルタスと役立つのはただひとつの武器。
マーラーチェンバーオケを指揮して室内楽的な精妙極まりない、無垢の域に達してしまったパルジファルが聴ける。

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ずっと聴いてきたクラウディオ・アバド。

放送音源など、そろそろ驚きの新譜など出てこないものかな。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022


「ヴェルディ ファルスタッフ」2023

「アバド&ロンドン響」2024

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2025年1月23日 (木)

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ アバド指揮

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家を出て南に歩くと10分ちょっとで相模湾です。

満月も近かったこの日、東の空にはきれいなお月様。

冬の海は寒いけれど、澄んだ空気と波の音で脳裏も冴えわたります。

ちょっと忙しくて、数日遅れとなってしまいましたが、1月20日は、クラウディオ・アバドの命日でした。

2014年1月20日、あの日から11年となりました。

「アバドの誕生日」の6月には、毎年いろんな聴き方でアバドを聴くのが常でしたが、そこにまさかの「アバドの命日」というまた特別な日ができてしまった。
それは悲しみの日ではありますが、たくさんの音楽を聴かせていただき、ありがとう=感謝の日でもあるんです。

今年は短めの曲で、しかもこれまで取り上げてなかった曲で。

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     ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

                (1970.2.2 @シンフォニーホール、ボストン)

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  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

              (1985.6.10 @ワトフォード・タウンホール、ロンドン)

ラヴェルの感傷的で瀟洒な作品、アバドは録音初期の70年と世界的な指揮者となった80年代のラヴェル全集の一環とで、2度の録音があります。
短い作品なので、演奏時間などに差異はないですが、強いて比較すると、ロンドンでの方がやや短め。

1958年にクーセヴィツキ指揮者コンクールで優勝したことで、同年にボストン響をタングルウッドで指揮。
7月公演の演目は、「未完成」で他の指揮者と振り分けたお披露目コンサートだった様子。
さらにその夏には、アバドの単独の指揮で、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲、チャイコフスキーのロメオというプログラムを指揮している。
ボストン響のアーカイブ情報は充実していて、詳細にタイプ文章が残され公開されているのです。

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ちなみに、ボストン響への定期への正規登場は1970年の1月で、このときに、ラヴェルとドビュッシーが演奏され、DG録音も行われている。
このときの他の曲目では、シューマンの4番という録音されなかった曲が目を引くし、プロコフィエフ3番や、ドホナーニ作品、バルトークのピアノ協奏曲など、いかにもアバドらしい作品ばかりで、それらの録音が残っていないか気になるところです。

ボストン響への客演は、その後もさほど多くはなかったですが、残された2枚分の録音を聴くに、いまもってシカゴと同様、オーケストラとの相性は非常によかったと思います。
ボストンで指揮をした曲目は、ほかではやはりマーラーです。
2番、3番と7番もあり、小澤さんの在籍時だったので、録音は望めなかったのですが、まじに聴いてみたかった。

ロンドン響との演奏は、リアルなラヴェルで、ボストンとのものは、オーケストラの伝統に則したヨーロピアンでエレガントなラヴェル。
そんな風に思いながら聴きました。
ホールトーンの美しさを活かした録音も、ボストンのものは特筆すべきで、アナログ時代のもっとも良き調べを感じる。
ほんとうに優しく、歌うように演奏する当時36歳の若さあふれる指揮。

より緻密に正確に響きを捉えた端正な演奏がロンドン盤で、アバドは52歳になる直前。
ロンドンを中心に、ウィーン、ミラノ、シカゴで活躍し、指揮界の頂点を極めつつあった時期。
ニュートラルなロンドン響の音色は、ボストンのものに比べると薄味ですが、精緻さにおいては比類ない。
ピアニッシモも美しさ、そこでの歌い口もアバドならではで、ロンドンのオケはアバドの思いに自在に付いて行ってる。

どちらのラヴェルも好きですが、自分的にノスタルジーを感じるのはボストンの方かな。

Abbado-boston-dg
1970年に発売されたレコードのレコ芸広告。

RCAからDGに専属を移したボストン響、その録音もRCA時代とはまったく一新されたものでした。

小学生だった自分、この広告を見て、おりからのクリスマス時期だったので、この2つのレコードが欲しくてたまらなかったのを覚えてます。
キャッチコピーもなかなか素晴らしいのです。

Megumi

海の近くの私が通った幼稚園がまだ健在です。
もちろん建て替えされてますが、場所も建物の配置も同じです。
むかしむかし、はるかに昔のことでしたが、不思議といろんなこと覚えているんです。

アバドの命日の記事

2024年「ヴェルディ  シモン・ボッカネグラ」

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2024年7月16日 (火)

ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ

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平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。

オオタニさんも登場。

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なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。

スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。

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こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。

ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。

去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。

いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。

3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。

2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ

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 ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

        (1970年 @UCLA ロイスホール LA)

メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。

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   小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)

日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。

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        クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        (1981.@ロンドン)

なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。

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2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。

世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・

Tanabata

平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。

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2024年6月26日 (水)

アバド&ロンドン交響楽団

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この周辺に20年ぐらい仕事をしつつ、なかば住んでました。

離れてみても、たまに行く都内は、日々変化していて、ずっと変わらない景色というものがない。

あふれかえる内外の人々も同じく、常に変わり、流動してます。

しかし、大都会の東京は、アメリカのNYとかLAのようにでなく、日本人主体のカッコいい都市であり続けて欲しいと思います。

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いま世界の大都市が、その国のオリジナルの姿でなく、多様性の言葉のもとに、広範な思想や他民族のもとに、似て非なる多様性のもとにさらされ、本来の姿を失いつつあります。
ロンドンもその典型で、いまやネイティブのロンドン市民は少数派となり、7割くらいが他民族と化し、ネイティブは国内の他の地に移り住んでいるともいいます。

敬愛するクラウディオ・アバドの生誕に、アバドの愛したロンドンの地のいまを思うにあたり、アバドのいたロンドン響をあらためてふりかえってみようと思いました。

アバド91回目の誕生日に、まだとりあげてないオペラの記事にしようかとも思いましたが、数日前に観劇のシュレーカーのオペラ記事もまだ未完だし、なにかと忙しく、そうだ相思相愛だったロンドン響で行こう!と思ったのでした。

アバドとロンドン響の録音は、いま手持ちのものを数えたら47種ありました。
全曲ものなどは枚数でカウントしました。
ロンドン響とのアンソロジーCDボックスは46枚組で、しかもニューフィルハーモニアやECオケなども含んでいて、逆にRCAへの3枚がないので、差し引き47種が正解かと。
1966年から1988年までの22年間での録音記録です。

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ロンドン交響楽団は、1979年にプレヴィンのあとの首席指揮者としてアバドを楽員の総意で首席指揮者に任命。
さらに楽団初の音楽監督として、1983年の日本に来日公演中に就任。
当時の楽員代表のオーボエのキャムデンは、モントゥー時代のフランス、ケルテス時代のスラヴ系、プレヴィンにおけるロシアと英国系。
これらの伝統をふまえつつ、ベームに総裁を依頼してドイツものを、同時期のアバドにはそのうえでのオールラウンドなレパートリーを見こし、望んだという当時の楽員の総意を述べておりました。

ロンドン交響楽団のポストは、1979から1988年の9年間でした。
任期の延長は楽団もロンドンっ子も熱望しましたが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督や若いヨーロッパ室内管の指揮で多忙だったアバドは、惜しまれつつロンドンを去ることになりました。

実演では、いつもお世話になっているアバド資料館によりますと、アバドは1966年10月の共演以来、1988年11月の最後の演奏会までとあります。
最初の演奏曲目は、「ヒンデミットのウェーバー交響的変容、ベートーヴェン協奏曲4番、展覧会の絵」
最後の演奏曲目は、「プロコフィエフのチェロ協奏交響曲(ロストロポーヴィチ)、ダフニス全曲」
最初と最後、いかにもアバドらしいプログラムです。
プロコフィエフが好きだったアバドは、チェロ協奏交響曲を録音しなかったのが残念ですが、ダフニスはこのとき録音されて、ラヴェル全集を完成させました。

こんな数あるアバド&ロンドン響の音盤を順位付けなどできません。
いずれも自分には懐かしく、そして輝かしい演奏ばかりなのですから。
ですが、あえて大好きな演奏を列挙します。
楽団がアバドに期待したもの、アバドはほかでは、こんなに自由にふるまえなかったもの、こんなレパートリーを選んでみました。

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①「ロッシーニ チェネレントラ」
セビリアもよいが、アバド初のオペラ録音で、かつ何度も上演して手の内に入った清新極まりない演奏。
ロッシーニ演奏の新たなルネサンスの一翼を担ったアバドならでは、またオーケストラのニュートラルな素質が最大限活かされている。
2種ある序曲集も、ほんとうはヨーロッパ室内管よりも好きだったりします。
あと強いて申さば、ベルリンでもロッシーニ序曲集をやって欲しかったものです。

②「ストラヴィンスキー」
三大バレエとプルチネッラ、小気味よく、軽々とした、スマートかつスポーティな演奏に思う。
ハルサイは、同曲で一番好きな演奏だし、高校時代から擦り切れるほどに聴いた。
ウィーンで録音しないでくれてよかった。

③「モーツァルト」
最後のふたつの交響曲は、極めつくした構成感とキリリとした完璧な造形とで、立派すぎる演奏。
のちに古楽的なアプローチをみせた晩年のスタイル、また流麗でオケの自在さを活かしたようなベルリンフィルでのモーツァルト、これらと明らかに違うモーツァルトは、さかのぼって聴いてみても特有のアバドならではの古典とロマンを感じさせる名演です。
ゼルキンとの7CDにおよぶピアノ協奏曲シリーズも、豊かすぎる音楽がそこにあり、枯淡のゼルキンがロンドンのブリテッシュモーツァルトスタイルにしっかり乗っていることを実感できる。

④「メンデルスゾーン」
清潔さと歌心にあふれた気持ちのいいメンデルスゾーンは、アバドとLSOの独壇場。
60年代のデッカへの録音の方が、わたしは、ともかく歌いまくる演奏で大好きなのですが、もっと大人な落ち着きと、LSOの美質を活かした、これぞイギリス的な演奏もいいです。
デッカとDGの録音のイメージの違いを聴きとるのも楽しい。

⑤「プロコフィエフ」
古典、第3交響曲、ロメジュリ、道化師、アレクサンダーネフスキー。
どれもこれも素晴らしく、同曲の最高の演奏といえる。
とくにネフスキーは、爆発力と原色のむき出しの音色が、アバドとLSOでさらに研ぎ澄まされ、それを明るい音色で解放してしまう、ユニークな名演。
いまや人気曲の第3交響曲のすごさにも、若いアバドは敏感に反応していた。

⑥「ビゼー」
アルルとカルメン、アバドが、そこにともにある「ジプシー」という概念を感じ共感して渋い演奏を打ち立てた。
華やかさはともになく、ドラマ性と共感力でもって仕上げたビゼーの世界はいまでもユニーク。
ジプシーにまつわる音楽をアバドはずっと演奏し続けたと思います。

⑦「ムソルグスキー」
アバドが愛したムソルグスキー。
アバドのムソルグスキーは渋く、内省的。
その音楽の背後にある社会性に着目して、さらには新ウィーン楽派にも通じる革新性と求心性をも感じて演奏していたものと思う。
RCAレーベルに録音した、「はげ山」のオリジナルや、ほかのオペラの断片など、クソ渋さを情熱でもって熱く演奏した。
1回目の「展覧会」など激シブです。

⑧「ブラームス 交響曲第4番」
ロンドンでは、4つのオケを振り分けた交響曲全集で4番の演奏に選択。
録音がイマイチながら、ゴシック調の渋さと、音色の明るさ、さらには熱のこもった没頭感なども引き出した意外なまでの名演に思う。

⑨「ヴェルディ」
スカラ座で指揮しつつ、ロンドンでの活動。
オペラ録音を残さなかったけれど、シンフォニックでありつつ、歌にあふれた鮮やかなロンドンでの序曲集は、のちのベルリンでの輝かしさとはまた違った名演。
東側のブルガリアの巨星、ギャウロウのヴェルディの素晴らしさを若いアバドが引き出したアリア集も、ロンドンのオケがオペラのオケであるかのような驚きを与えてくれる。

⑩「ドビュッシーとラヴェル」
このふたりのフランスの作曲家も、アバドとLSOでは、ほの暗い、薄明りのなかの感覚にあふれた、でもフランス的なホワットしたイメージでなく、明確で透明感あふれる音楽となる。
ラヴェルでは、そうした一面と、熱い歌心が爆発していてオケを熱狂させるボレロも生まれた

⑪「コンチェルト」
合わせものでは、常に奏者たちからの信頼の厚かったアバド、なかでもLSOとのコンビでの名演奏は数知れず。
アルゲリッチとの伝説級のショパンとリスト、ベルマンとのラフマニノフ、クレーメルとの四季、ブレンデルとシューマン、先にあげたゼルキンのモーツァルト、そして超名演・名録音のポゴレリチとのチャイコフスキー。

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結局、そのすべてを聴きこんで馴染んでる「アバド&LSO」、ぜ~んぶ大好き。

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再掲となりますが、アバドとロンドン交響楽団の1983年のワールドツアーの一環での日本訪問

東京公演すべてを最上の席で聴いた。
独身のサラリーマン生活も慣れたもので、そのわずかな給料は音楽と酒につぎ込む日々でした。
まさに、酒と音楽の東京での独身生活の日々。

 ①ストラヴィンスキー 「火の鳥」

   マーラー       交響曲第1番「巨人」 

          (1983.5.17 昭和女子大、人見記念講堂)

 ②ラヴェル       「ラ・ヴァルス」

  マーラー       交響曲第5番 
    
          (1983.5.19 @東京文化会館)

 ③バルトーク      「中国の不思議な役人」

   ベルリオーズ      「幻想交響曲」

   ブラームス      ハンガリー舞曲第1番 (アンコール)
             (1983.5.20 @東京文化会館)

いずれもS席という、いまや生活に疲れ果てた老境の域にある自分には眩しすぎる席での鑑賞。
最初から最後まで、アバドの指揮姿に釘付け。
スカラ座来日のシモンでのピットの中のアバドも近くで観劇しましたが、コンサートでの指揮姿はまた格別。

大好きなアバドの指揮ぶりが、まさに目と鼻の先、2mくらい? で展開されたのだ。
思ったより大きい身ぶり。スカラ座のときより派手じゃないかな。
しかし、的確な動き、そしてクライマックスを築く巧さ、やはりLSOだと安心して力が入るのかな・・・・」
当時の日記から。
ここは、あらためて日記を読み返し、追加で書き足す予定です。

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パンフレットには、LSOのパトロン、エリザベス女王のお言葉もありました。
女王陛下のオーケストラとも言われた当時のロンドン交響楽団です。
まちがいなく、ロンドン交響楽団はアバドの時代がひとつの黄金期でした。

アバドはやりたいことが心置きなくできるオーケストラだったし、オーケストラもアバドに全幅の信頼を最初から最後まで寄せ、アバドの思う音を素直に音にしたフレキシブルな存在でした。
ラトルがミュンヘンに転出したことは残念でしたが、そのあとのロンドンのお膝元にいた、パッパーノの就任は、LSOにとって最高のパートナーの選出だったと思う。
パッパーノは、アバドに近いものを感じる、ワタクシですから。

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クィーン・エリザベスとアバド。
奥はアバド大好きのオーボエ、キャムデン、手前はコンマスのマイケル・デイヴィス。
アバド時代に開設した、バービカンホールでのひとコマかと思われます。
みんな物故してしまった・・・・

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ロンドン時代、アバドは、ほんとに好きなこと、やりたかったことを次々に行いました。

マーラーを中心とする、ウィーン世紀末の音楽文化祭を行いました。

こうした試みは1985年当時、まったく革新的なことだったし、こうした試みを、次のウィーンとベルリンでもさらに充実させて成し遂げたアバドのすごさを、もっと知って欲しい。

同時にベートーヴェンのチクルスなどもロンドンでは行っていて、その音源はLSOの音源サイトで聴くことができます。

ウィーンとベルリンで残されたベートーヴェンやブラームスの一部、ロンドンでも正規に残して欲しかったです。

アバドはほんとうに、クレヴァーな指揮者だったし、ミラノ・ウィーン・ベルリンでは制約がありすぎて出来なかったことが、ロンドンでは次々にできた。

ミラノ・ロンドン・ウィーン・シカゴ・ベルリン・ルツェルン・ボローニャ(フェラーラ)。。。。
アバドの生涯を俯瞰するなか、それぞれの時代を、それぞれに大好きですが、私はロンドン時代が、自分の若き日々と重ねることもできて、忘れがたく捨てがたいものであると日々思ってます。

これからもアバド兄の音楽を新鮮な思いで聴き続けたいと思います。

6月26日 アバドの誕生日に

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2024年2月 4日 (日)

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番

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竹芝桟橋から見た浜松町の西側。

2年ほど前まで、このあたりをよく散歩していたものです。

久しぶりにやってきたら、まだ地盤整備をしていた場所に、すっかりビルが建築中。

東芝ビルの横にあった、ちょっとした広場が開発され、ホテルとオフィスの高層ビルが計画され、あっというまに出来つつあります。

仕事でもお世話になったこのビルのあたり、そして自分も侘しいながらも拠点としたエリア。
ちょっと見ぬ間に変貌するのが都会。
まったく変わらないのが、地方。
いまいる場所も住むには最適な地方です。

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対岸に目を転ずれば、「安全だが安心ではない」とバカな知事がほざいた、あれだけ世間を騒がせた豊洲の市場と、オリンピックの選手村でマンションとして入居を待ち受ける新しい街。
あの欺瞞にみちた言葉は完全なウソだった。

しかし都会だけが、お金が集まり循環していくから、さらなる開発を生み、関連の業者も利益が生まれるからここに集まる。
これは好循環ではなく、片寄った悪循環で、民間業者は利益を生まない地方には目が向かないし、資本も投下しない。
若い人々はテレビやSNSで垂れ流される都会にしか興味を示さず、地方を捨て、地方をあとにする。

二分化以上に複雑に多極化してしまった日本には明日はあるのか・・・
回復は困難だと思う。

同時に、地方の豊かな文化も年代の入れ替わりで、忘れられ衰退してしまうのではないか。

極論からむりくりに、越後獅子のプロコフィエフにもっていく(笑)

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

②と③の年代に移行します。

   プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op26

1916年の「賭博者」についで、「古典交響曲」を経てピアニストとしても絶頂にあったプロコフィエフは翌年17年、3番目の協奏曲を手掛けた。
その後のロシア革命で27歳のプロコフィエフはロシアを離れ、アメリカを目指すのが1918年。
5月に出発、夏までのアメリカ航路がないため、3か月間、日本に滞在。
こんな長旅と、いろんな新鮮な体験や、アメリカでのモテモテの演奏三昧で、第3協奏曲の作曲は時間がかかり、1921年にようやく完成し初演。

苦節を経たというよりは、いろんな刺激を受けすぎて、いろんな作品を書き連ねた結果にようやく出来上がった第3ピアノ協奏曲なのでありましょう。

モスクワからシベリアを経る長旅。
ウラジオストクから海を渡り、福井の敦賀港に着きます。
敦賀から東京までは1日で鉄路となりましたが、きっと北国線で長浜-彦根・米原で東海道線をたどったのでしょうね。
こういうことを想像するのがほんとに楽しい。
モスクワ経由で、ヨーロッパ諸国からシベリアを経て極東のウラジオストクまで、1枚の切符で行き来ができたのです。
ウラジオストクからは海路で、敦賀までつながり、その先1日で東京まで来れたそんな時代が戦前から確保されてた。
日本人選手がオリンピックに出場するときも、一時このルートだったかもしれない。
さらには、なにかで読んだこともあるが、戦中のユダヤ人を救った、杉原千畝のリトアニアからのユダヤ人救出ルートもこれだったはずだ。

めぐる歴史、そこに絡む音楽の歴史、そんな風に思いをはせるのも、クラシック音楽を愛好する楽しみのひとつだと思う。

苦節の末のプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。
短期滞在ながら、芸者遊びなども堪能し、日本舞踊と音楽に影響を受けたことで、「越後獅子」との関連性も明確なのがこの協奏曲です。


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       マルタ・アルゲリッチ

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     ユジャ・ワン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ルツェルン祝祭管弦楽団

   (1967.5 @イエス・キリスト教会、1993.9 @フィルハーモニー、
                     2009.8.12 @ルツェルン)


レコードデビュー間もない新人の頃から、最後期の時代まで、アバドが協奏曲指揮者として記録してくれたプロコフィエフの3番。
スタイリッシュさを信条としつつ、切れ味と抜群の歌心をそなえたアバドのプロコフィエフは、アルゲリッチとの録音からユジャ・ワンの映像まで、一貫して変わりない。
しいてどれが好きかと言ってしまえば、やはりアルゲリッチとの演奏。
カラヤンが独占していたベルリンフィルを大胆不敵に歌と熱気でドライブしてしまった感じなのだ。
指揮棒なしのルツェルンでは、ピアノを聴きながら自在にオケもピアノを導く大人のアバド。
キーシン盤では熱っぽさよりは、どこか醒めたクールを感じ、これもまたプロコフィエフの本質をオケのすごさとともに感じる。

アルゲリッチの大胆不敵さとお洒落さ感じる洒脱さは、のちのユジャ・ワンの敵ですらなく、片方はトリックスターにしか思えない。
映像があることのマイナスは、いつもユジャ・ワンに感じることでありますが、ここではまだ大人しめの衣装が理性を保っている。
キーシンは案外に優等生的で、もっと踏み外すくらいにしてもよかったかも・・・

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   アレクシス・ワイセンベルク

 小澤 征爾 指揮 パリ管弦楽団

     (1970.5 @パリ)

これも私には懐かしい1枚。
ジャケットもまた懐かしいし、ともに若い、クールでニヒルなふたりの写真。
こんなかっこいい写真そのものと思うような演奏。
カラヤン以外の指揮者とやったワイセンベルクのすごさ、すさまじさを感じます。
容赦ない打鍵の切れ味とすさまじさは、カラヤンなら許さないだろう。
70年代のパリ管の味わいのよさもあり、しなやかな小澤さんの指揮がミュンシュのパリ管を再現しているかのようで、華麗さもあり。
カップリングのラヴェルもすてきなもんだ。

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   マウリツィオ・ポリーニ

 マキシム・ショスタコーヴィチ指揮 NHK交響楽団

      (1974.4.17 @NHKホール)

わたしのエアチェック音源から、NHKホール開館1年後のポリーニ。
テレビでも見たけれど、ポリーニの技巧のすさまじさに刮目したものですが、音源でもそれは感じる。
音の強靭さはひとつもブレがなく、70年代の行くとこ敵なし的なポリーニだったのを痛感。
70年代のピアノは、わたしら若輩ものにとってはポリーニかアシュケナージかどちらかだったし、ふたりのショパンはどっちがいいと、いつも論争だったなぁ。

しかし、ポリーニは正規にこの曲の録音を残さなかった。
バルトークと同じように、アバドとシカゴで録音してくれていたら、どんなにすごかっただろうな・・・・・

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   ウラディミール・アシュケナージ

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

      (1974.1 @キングスウエイホール ロンドン)
 
演奏全体に厚みや音の圧を感じるのは、デッカの優秀録音とキングスウエイホールの響きのせいだろうか。
アシュケナージの技量の高さもさることながら、プロコフィエフの音楽の持つほの暗いロマン性と抒情を巧みに弾きあげているのがさすが。
プレヴィンも重心低めながら、リズム感よく、颯爽としていて爽快だ。

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ここはおおむかし、海水浴場だった芝浦の場所。

ここにもかすかに見えるビルにいたので、考えが行き詰ったときなど、よく気晴らしに水辺を見に来てました。

しかしね、近くにある、大昔からある居酒屋で酔って話をした長老から、あのあたりはな、よくどざえもんが浮かんだもんだよ、と聞き恐ろしくなりましたね。
江戸の歴史は案外に浅いから、そんなに大昔のことでない時代と、この大都会は共存しているわけなんです。

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