カテゴリー「アバド」の記事

2025年1月23日 (木)

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ アバド指揮

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家を出て南に歩くと10分ちょっとで相模湾です。

満月も近かったこの日、東の空にはきれいなお月様。

冬の海は寒いけれど、澄んだ空気と波の音で脳裏も冴えわたります。

ちょっと忙しくて、数日遅れとなってしまいましたが、1月20日は、クラウディオ・アバドの命日でした。

2014年1月20日、あの日から11年となりました。

「アバドの誕生日」の6月には、毎年いろんな聴き方でアバドを聴くのが常でしたが、そこにまさかの「アバドの命日」というまた特別な日ができてしまった。
それは悲しみの日ではありますが、たくさんの音楽を聴かせていただき、ありがとう=感謝の日でもあるんです。

今年は短めの曲で、しかもこれまで取り上げてなかった曲で。

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     ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

                (1970.2.2 @シンフォニーホール、ボストン)

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  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

              (1985.6.10 @ワトフォード・タウンホール、ロンドン)

ラヴェルの感傷的で瀟洒な作品、アバドは録音初期の70年と世界的な指揮者となった80年代のラヴェル全集の一環とで、2度の録音があります。
短い作品なので、演奏時間などに差異はないですが、強いて比較すると、ロンドンでの方がやや短め。

1958年にクーセヴィツキ指揮者コンクールで優勝したことで、同年にボストン響をタングルウッドで指揮。
7月公演の演目は、「未完成」で他の指揮者と振り分けたお披露目コンサートだった様子。
さらにその夏には、アバドの単独の指揮で、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲、チャイコフスキーのロメオというプログラムを指揮している。
ボストン響のアーカイブ情報は充実していて、詳細にタイプ文章が残され公開されているのです。

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ちなみに、ボストン響への定期への正規登場は1970年の1月で、このときに、ラヴェルとドビュッシーが演奏され、DG録音も行われている。
このときの他の曲目では、シューマンの4番という録音されなかった曲が目を引くし、プロコフィエフ3番や、ドホナーニ作品、バルトークのピアノ協奏曲など、いかにもアバドらしい作品ばかりで、それらの録音が残っていないか気になるところです。

ボストン響への客演は、その後もさほど多くはなかったですが、残された2枚分の録音を聴くに、いまもってシカゴと同様、オーケストラとの相性は非常によかったと思います。
ボストンで指揮をした曲目は、ほかではやはりマーラーです。
2番、3番と7番もあり、小澤さんの在籍時だったので、録音は望めなかったのですが、まじに聴いてみたかった。

ロンドン響との演奏は、リアルなラヴェルで、ボストンとのものは、オーケストラの伝統に則したヨーロピアンでエレガントなラヴェル。
そんな風に思いながら聴きました。
ホールトーンの美しさを活かした録音も、ボストンのものは特筆すべきで、アナログ時代のもっとも良き調べを感じる。
ほんとうに優しく、歌うように演奏する当時36歳の若さあふれる指揮。

より緻密に正確に響きを捉えた端正な演奏がロンドン盤で、アバドは52歳になる直前。
ロンドンを中心に、ウィーン、ミラノ、シカゴで活躍し、指揮界の頂点を極めつつあった時期。
ニュートラルなロンドン響の音色は、ボストンのものに比べると薄味ですが、精緻さにおいては比類ない。
ピアニッシモも美しさ、そこでの歌い口もアバドならではで、ロンドンのオケはアバドの思いに自在に付いて行ってる。

どちらのラヴェルも好きですが、自分的にノスタルジーを感じるのはボストンの方かな。

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1970年に発売されたレコードのレコ芸広告。

RCAからDGに専属を移したボストン響、その録音もRCA時代とはまったく一新されたものでした。

小学生だった自分、この広告を見て、おりからのクリスマス時期だったので、この2つのレコードが欲しくてたまらなかったのを覚えてます。
キャッチコピーもなかなか素晴らしいのです。

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海の近くの私が通った幼稚園がまだ健在です。
もちろん建て替えされてますが、場所も建物の配置も同じです。
むかしむかし、はるかに昔のことでしたが、不思議といろんなこと覚えているんです。

アバドの命日の記事

2024年「ヴェルディ  シモン・ボッカネグラ」

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2024年7月16日 (火)

ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ

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平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。

オオタニさんも登場。

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なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。

スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。

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こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。

ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。

去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。

いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。

3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。

2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ

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 ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

        (1970年 @UCLA ロイスホール LA)

メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。

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   小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)

日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。

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        クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        (1981.@ロンドン)

なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。

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2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。

世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・

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平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。

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2024年6月26日 (水)

アバド&ロンドン交響楽団

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この周辺に20年ぐらい仕事をしつつ、なかば住んでました。

離れてみても、たまに行く都内は、日々変化していて、ずっと変わらない景色というものがない。

あふれかえる内外の人々も同じく、常に変わり、流動してます。

しかし、大都会の東京は、アメリカのNYとかLAのようにでなく、日本人主体のカッコいい都市であり続けて欲しいと思います。

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いま世界の大都市が、その国のオリジナルの姿でなく、多様性の言葉のもとに、広範な思想や他民族のもとに、似て非なる多様性のもとにさらされ、本来の姿を失いつつあります。
ロンドンもその典型で、いまやネイティブのロンドン市民は少数派となり、7割くらいが他民族と化し、ネイティブは国内の他の地に移り住んでいるともいいます。

敬愛するクラウディオ・アバドの生誕に、アバドの愛したロンドンの地のいまを思うにあたり、アバドのいたロンドン響をあらためてふりかえってみようと思いました。

アバド91回目の誕生日に、まだとりあげてないオペラの記事にしようかとも思いましたが、数日前に観劇のシュレーカーのオペラ記事もまだ未完だし、なにかと忙しく、そうだ相思相愛だったロンドン響で行こう!と思ったのでした。

アバドとロンドン響の録音は、いま手持ちのものを数えたら47種ありました。
全曲ものなどは枚数でカウントしました。
ロンドン響とのアンソロジーCDボックスは46枚組で、しかもニューフィルハーモニアやECオケなども含んでいて、逆にRCAへの3枚がないので、差し引き47種が正解かと。
1966年から1988年までの22年間での録音記録です。

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ロンドン交響楽団は、1979年にプレヴィンのあとの首席指揮者としてアバドを楽員の総意で首席指揮者に任命。
さらに楽団初の音楽監督として、1983年の日本に来日公演中に就任。
当時の楽員代表のオーボエのキャムデンは、モントゥー時代のフランス、ケルテス時代のスラヴ系、プレヴィンにおけるロシアと英国系。
これらの伝統をふまえつつ、ベームに総裁を依頼してドイツものを、同時期のアバドにはそのうえでのオールラウンドなレパートリーを見こし、望んだという当時の楽員の総意を述べておりました。

ロンドン交響楽団のポストは、1979から1988年の9年間でした。
任期の延長は楽団もロンドンっ子も熱望しましたが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督や若いヨーロッパ室内管の指揮で多忙だったアバドは、惜しまれつつロンドンを去ることになりました。

実演では、いつもお世話になっているアバド資料館によりますと、アバドは1966年10月の共演以来、1988年11月の最後の演奏会までとあります。
最初の演奏曲目は、「ヒンデミットのウェーバー交響的変容、ベートーヴェン協奏曲4番、展覧会の絵」
最後の演奏曲目は、「プロコフィエフのチェロ協奏交響曲(ロストロポーヴィチ)、ダフニス全曲」
最初と最後、いかにもアバドらしいプログラムです。
プロコフィエフが好きだったアバドは、チェロ協奏交響曲を録音しなかったのが残念ですが、ダフニスはこのとき録音されて、ラヴェル全集を完成させました。

こんな数あるアバド&ロンドン響の音盤を順位付けなどできません。
いずれも自分には懐かしく、そして輝かしい演奏ばかりなのですから。
ですが、あえて大好きな演奏を列挙します。
楽団がアバドに期待したもの、アバドはほかでは、こんなに自由にふるまえなかったもの、こんなレパートリーを選んでみました。

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①「ロッシーニ チェネレントラ」
セビリアもよいが、アバド初のオペラ録音で、かつ何度も上演して手の内に入った清新極まりない演奏。
ロッシーニ演奏の新たなルネサンスの一翼を担ったアバドならでは、またオーケストラのニュートラルな素質が最大限活かされている。
2種ある序曲集も、ほんとうはヨーロッパ室内管よりも好きだったりします。
あと強いて申さば、ベルリンでもロッシーニ序曲集をやって欲しかったものです。

②「ストラヴィンスキー」
三大バレエとプルチネッラ、小気味よく、軽々とした、スマートかつスポーティな演奏に思う。
ハルサイは、同曲で一番好きな演奏だし、高校時代から擦り切れるほどに聴いた。
ウィーンで録音しないでくれてよかった。

③「モーツァルト」
最後のふたつの交響曲は、極めつくした構成感とキリリとした完璧な造形とで、立派すぎる演奏。
のちに古楽的なアプローチをみせた晩年のスタイル、また流麗でオケの自在さを活かしたようなベルリンフィルでのモーツァルト、これらと明らかに違うモーツァルトは、さかのぼって聴いてみても特有のアバドならではの古典とロマンを感じさせる名演です。
ゼルキンとの7CDにおよぶピアノ協奏曲シリーズも、豊かすぎる音楽がそこにあり、枯淡のゼルキンがロンドンのブリテッシュモーツァルトスタイルにしっかり乗っていることを実感できる。

④「メンデルスゾーン」
清潔さと歌心にあふれた気持ちのいいメンデルスゾーンは、アバドとLSOの独壇場。
60年代のデッカへの録音の方が、わたしは、ともかく歌いまくる演奏で大好きなのですが、もっと大人な落ち着きと、LSOの美質を活かした、これぞイギリス的な演奏もいいです。
デッカとDGの録音のイメージの違いを聴きとるのも楽しい。

⑤「プロコフィエフ」
古典、第3交響曲、ロメジュリ、道化師、アレクサンダーネフスキー。
どれもこれも素晴らしく、同曲の最高の演奏といえる。
とくにネフスキーは、爆発力と原色のむき出しの音色が、アバドとLSOでさらに研ぎ澄まされ、それを明るい音色で解放してしまう、ユニークな名演。
いまや人気曲の第3交響曲のすごさにも、若いアバドは敏感に反応していた。

⑥「ビゼー」
アルルとカルメン、アバドが、そこにともにある「ジプシー」という概念を感じ共感して渋い演奏を打ち立てた。
華やかさはともになく、ドラマ性と共感力でもって仕上げたビゼーの世界はいまでもユニーク。
ジプシーにまつわる音楽をアバドはずっと演奏し続けたと思います。

⑦「ムソルグスキー」
アバドが愛したムソルグスキー。
アバドのムソルグスキーは渋く、内省的。
その音楽の背後にある社会性に着目して、さらには新ウィーン楽派にも通じる革新性と求心性をも感じて演奏していたものと思う。
RCAレーベルに録音した、「はげ山」のオリジナルや、ほかのオペラの断片など、クソ渋さを情熱でもって熱く演奏した。
1回目の「展覧会」など激シブです。

⑧「ブラームス 交響曲第4番」
ロンドンでは、4つのオケを振り分けた交響曲全集で4番の演奏に選択。
録音がイマイチながら、ゴシック調の渋さと、音色の明るさ、さらには熱のこもった没頭感なども引き出した意外なまでの名演に思う。

⑨「ヴェルディ」
スカラ座で指揮しつつ、ロンドンでの活動。
オペラ録音を残さなかったけれど、シンフォニックでありつつ、歌にあふれた鮮やかなロンドンでの序曲集は、のちのベルリンでの輝かしさとはまた違った名演。
東側のブルガリアの巨星、ギャウロウのヴェルディの素晴らしさを若いアバドが引き出したアリア集も、ロンドンのオケがオペラのオケであるかのような驚きを与えてくれる。

⑩「ドビュッシーとラヴェル」
このふたりのフランスの作曲家も、アバドとLSOでは、ほの暗い、薄明りのなかの感覚にあふれた、でもフランス的なホワットしたイメージでなく、明確で透明感あふれる音楽となる。
ラヴェルでは、そうした一面と、熱い歌心が爆発していてオケを熱狂させるボレロも生まれた

⑪「コンチェルト」
合わせものでは、常に奏者たちからの信頼の厚かったアバド、なかでもLSOとのコンビでの名演奏は数知れず。
アルゲリッチとの伝説級のショパンとリスト、ベルマンとのラフマニノフ、クレーメルとの四季、ブレンデルとシューマン、先にあげたゼルキンのモーツァルト、そして超名演・名録音のポゴレリチとのチャイコフスキー。

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結局、そのすべてを聴きこんで馴染んでる「アバド&LSO」、ぜ~んぶ大好き。

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再掲となりますが、アバドとロンドン交響楽団の1983年のワールドツアーの一環での日本訪問

東京公演すべてを最上の席で聴いた。
独身のサラリーマン生活も慣れたもので、そのわずかな給料は音楽と酒につぎ込む日々でした。
まさに、酒と音楽の東京での独身生活の日々。

 ①ストラヴィンスキー 「火の鳥」

   マーラー       交響曲第1番「巨人」 

          (1983.5.17 昭和女子大、人見記念講堂)

 ②ラヴェル       「ラ・ヴァルス」

  マーラー       交響曲第5番 
    
          (1983.5.19 @東京文化会館)

 ③バルトーク      「中国の不思議な役人」

   ベルリオーズ      「幻想交響曲」

   ブラームス      ハンガリー舞曲第1番 (アンコール)
             (1983.5.20 @東京文化会館)

いずれもS席という、いまや生活に疲れ果てた老境の域にある自分には眩しすぎる席での鑑賞。
最初から最後まで、アバドの指揮姿に釘付け。
スカラ座来日のシモンでのピットの中のアバドも近くで観劇しましたが、コンサートでの指揮姿はまた格別。

大好きなアバドの指揮ぶりが、まさに目と鼻の先、2mくらい? で展開されたのだ。
思ったより大きい身ぶり。スカラ座のときより派手じゃないかな。
しかし、的確な動き、そしてクライマックスを築く巧さ、やはりLSOだと安心して力が入るのかな・・・・」
当時の日記から。
ここは、あらためて日記を読み返し、追加で書き足す予定です。

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パンフレットには、LSOのパトロン、エリザベス女王のお言葉もありました。
女王陛下のオーケストラとも言われた当時のロンドン交響楽団です。
まちがいなく、ロンドン交響楽団はアバドの時代がひとつの黄金期でした。

アバドはやりたいことが心置きなくできるオーケストラだったし、オーケストラもアバドに全幅の信頼を最初から最後まで寄せ、アバドの思う音を素直に音にしたフレキシブルな存在でした。
ラトルがミュンヘンに転出したことは残念でしたが、そのあとのロンドンのお膝元にいた、パッパーノの就任は、LSOにとって最高のパートナーの選出だったと思う。
パッパーノは、アバドに近いものを感じる、ワタクシですから。

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クィーン・エリザベスとアバド。
奥はアバド大好きのオーボエ、キャムデン、手前はコンマスのマイケル・デイヴィス。
アバド時代に開設した、バービカンホールでのひとコマかと思われます。
みんな物故してしまった・・・・

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ロンドン時代、アバドは、ほんとに好きなこと、やりたかったことを次々に行いました。

マーラーを中心とする、ウィーン世紀末の音楽文化祭を行いました。

こうした試みは1985年当時、まったく革新的なことだったし、こうした試みを、次のウィーンとベルリンでもさらに充実させて成し遂げたアバドのすごさを、もっと知って欲しい。

同時にベートーヴェンのチクルスなどもロンドンでは行っていて、その音源はLSOの音源サイトで聴くことができます。

ウィーンとベルリンで残されたベートーヴェンやブラームスの一部、ロンドンでも正規に残して欲しかったです。

アバドはほんとうに、クレヴァーな指揮者だったし、ミラノ・ウィーン・ベルリンでは制約がありすぎて出来なかったことが、ロンドンでは次々にできた。

ミラノ・ロンドン・ウィーン・シカゴ・ベルリン・ルツェルン・ボローニャ(フェラーラ)。。。。
アバドの生涯を俯瞰するなか、それぞれの時代を、それぞれに大好きですが、私はロンドン時代が、自分の若き日々と重ねることもできて、忘れがたく捨てがたいものであると日々思ってます。

これからもアバド兄の音楽を新鮮な思いで聴き続けたいと思います。

6月26日 アバドの誕生日に

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2024年2月 4日 (日)

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番

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竹芝桟橋から見た浜松町の西側。

2年ほど前まで、このあたりをよく散歩していたものです。

久しぶりにやってきたら、まだ地盤整備をしていた場所に、すっかりビルが建築中。

東芝ビルの横にあった、ちょっとした広場が開発され、ホテルとオフィスの高層ビルが計画され、あっというまに出来つつあります。

仕事でもお世話になったこのビルのあたり、そして自分も侘しいながらも拠点としたエリア。
ちょっと見ぬ間に変貌するのが都会。
まったく変わらないのが、地方。
いまいる場所も住むには最適な地方です。

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対岸に目を転ずれば、「安全だが安心ではない」とバカな知事がほざいた、あれだけ世間を騒がせた豊洲の市場と、オリンピックの選手村でマンションとして入居を待ち受ける新しい街。
あの欺瞞にみちた言葉は完全なウソだった。

しかし都会だけが、お金が集まり循環していくから、さらなる開発を生み、関連の業者も利益が生まれるからここに集まる。
これは好循環ではなく、片寄った悪循環で、民間業者は利益を生まない地方には目が向かないし、資本も投下しない。
若い人々はテレビやSNSで垂れ流される都会にしか興味を示さず、地方を捨て、地方をあとにする。

二分化以上に複雑に多極化してしまった日本には明日はあるのか・・・
回復は困難だと思う。

同時に、地方の豊かな文化も年代の入れ替わりで、忘れられ衰退してしまうのではないか。

極論からむりくりに、越後獅子のプロコフィエフにもっていく(笑)

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

②と③の年代に移行します。

   プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op26

1916年の「賭博者」についで、「古典交響曲」を経てピアニストとしても絶頂にあったプロコフィエフは翌年17年、3番目の協奏曲を手掛けた。
その後のロシア革命で27歳のプロコフィエフはロシアを離れ、アメリカを目指すのが1918年。
5月に出発、夏までのアメリカ航路がないため、3か月間、日本に滞在。
こんな長旅と、いろんな新鮮な体験や、アメリカでのモテモテの演奏三昧で、第3協奏曲の作曲は時間がかかり、1921年にようやく完成し初演。

苦節を経たというよりは、いろんな刺激を受けすぎて、いろんな作品を書き連ねた結果にようやく出来上がった第3ピアノ協奏曲なのでありましょう。

モスクワからシベリアを経る長旅。
ウラジオストクから海を渡り、福井の敦賀港に着きます。
敦賀から東京までは1日で鉄路となりましたが、きっと北国線で長浜-彦根・米原で東海道線をたどったのでしょうね。
こういうことを想像するのがほんとに楽しい。
モスクワ経由で、ヨーロッパ諸国からシベリアを経て極東のウラジオストクまで、1枚の切符で行き来ができたのです。
ウラジオストクからは海路で、敦賀までつながり、その先1日で東京まで来れたそんな時代が戦前から確保されてた。
日本人選手がオリンピックに出場するときも、一時このルートだったかもしれない。
さらには、なにかで読んだこともあるが、戦中のユダヤ人を救った、杉原千畝のリトアニアからのユダヤ人救出ルートもこれだったはずだ。

めぐる歴史、そこに絡む音楽の歴史、そんな風に思いをはせるのも、クラシック音楽を愛好する楽しみのひとつだと思う。

苦節の末のプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。
短期滞在ながら、芸者遊びなども堪能し、日本舞踊と音楽に影響を受けたことで、「越後獅子」との関連性も明確なのがこの協奏曲です。


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       マルタ・アルゲリッチ

     エウゲニ・キーシン

     ユジャ・ワン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ルツェルン祝祭管弦楽団

   (1967.5 @イエス・キリスト教会、1993.9 @フィルハーモニー、
                     2009.8.12 @ルツェルン)


レコードデビュー間もない新人の頃から、最後期の時代まで、アバドが協奏曲指揮者として記録してくれたプロコフィエフの3番。
スタイリッシュさを信条としつつ、切れ味と抜群の歌心をそなえたアバドのプロコフィエフは、アルゲリッチとの録音からユジャ・ワンの映像まで、一貫して変わりない。
しいてどれが好きかと言ってしまえば、やはりアルゲリッチとの演奏。
カラヤンが独占していたベルリンフィルを大胆不敵に歌と熱気でドライブしてしまった感じなのだ。
指揮棒なしのルツェルンでは、ピアノを聴きながら自在にオケもピアノを導く大人のアバド。
キーシン盤では熱っぽさよりは、どこか醒めたクールを感じ、これもまたプロコフィエフの本質をオケのすごさとともに感じる。

アルゲリッチの大胆不敵さとお洒落さ感じる洒脱さは、のちのユジャ・ワンの敵ですらなく、片方はトリックスターにしか思えない。
映像があることのマイナスは、いつもユジャ・ワンに感じることでありますが、ここではまだ大人しめの衣装が理性を保っている。
キーシンは案外に優等生的で、もっと踏み外すくらいにしてもよかったかも・・・

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   アレクシス・ワイセンベルク

 小澤 征爾 指揮 パリ管弦楽団

     (1970.5 @パリ)

これも私には懐かしい1枚。
ジャケットもまた懐かしいし、ともに若い、クールでニヒルなふたりの写真。
こんなかっこいい写真そのものと思うような演奏。
カラヤン以外の指揮者とやったワイセンベルクのすごさ、すさまじさを感じます。
容赦ない打鍵の切れ味とすさまじさは、カラヤンなら許さないだろう。
70年代のパリ管の味わいのよさもあり、しなやかな小澤さんの指揮がミュンシュのパリ管を再現しているかのようで、華麗さもあり。
カップリングのラヴェルもすてきなもんだ。

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   マウリツィオ・ポリーニ

 マキシム・ショスタコーヴィチ指揮 NHK交響楽団

      (1974.4.17 @NHKホール)

わたしのエアチェック音源から、NHKホール開館1年後のポリーニ。
テレビでも見たけれど、ポリーニの技巧のすさまじさに刮目したものですが、音源でもそれは感じる。
音の強靭さはひとつもブレがなく、70年代の行くとこ敵なし的なポリーニだったのを痛感。
70年代のピアノは、わたしら若輩ものにとってはポリーニかアシュケナージかどちらかだったし、ふたりのショパンはどっちがいいと、いつも論争だったなぁ。

しかし、ポリーニは正規にこの曲の録音を残さなかった。
バルトークと同じように、アバドとシカゴで録音してくれていたら、どんなにすごかっただろうな・・・・・

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   ウラディミール・アシュケナージ

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

      (1974.1 @キングスウエイホール ロンドン)
 
演奏全体に厚みや音の圧を感じるのは、デッカの優秀録音とキングスウエイホールの響きのせいだろうか。
アシュケナージの技量の高さもさることながら、プロコフィエフの音楽の持つほの暗いロマン性と抒情を巧みに弾きあげているのがさすが。
プレヴィンも重心低めながら、リズム感よく、颯爽としていて爽快だ。

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ここはおおむかし、海水浴場だった芝浦の場所。

ここにもかすかに見えるビルにいたので、考えが行き詰ったときなど、よく気晴らしに水辺を見に来てました。

しかしね、近くにある、大昔からある居酒屋で酔って話をした長老から、あのあたりはな、よくどざえもんが浮かんだもんだよ、と聞き恐ろしくなりましたね。
江戸の歴史は案外に浅いから、そんなに大昔のことでない時代と、この大都会は共存しているわけなんです。

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2024年1月27日 (土)

アバドが指揮しなかった作品たち

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出雲大社相模分祠の手水舎

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アバド没後10年。

あの日の驚愕と悲しみといったら・・・・




La chiesa riformata di Fex-Crasta

スイス南部、イタリア国境よりのグラウビュンデン州、オーバーエンガディンのシルスという街。
ここにある15世紀にひも解かれる歴史ある教会、フェクス・クラスタ。

アバドはここに眠ってます。
その教会の鐘がyoutubeにありました。

Sils

どうでしょうか、シルス湖が近くにあり、冬は雪に覆われますが、夏は牧歌的なスイスアルプスの景観。

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まさに、マーラーの音楽の世界。
真ん中の雲の下あたりが教会。

アバドの永遠の住処にまさにふさわしい。
ミラノやフェラーラのイタリアにも近く、オーストリアにも近いドイツ語圏です。

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ベルリン・フィルハーモニーにあるアバドのブロンズ像。

髪の毛の具合、端正な横顔がまさにアバドです。

そのアバド、モンテヴェルディからノーノやクルタークまで、バロック初期から現代まで、広範にわたる時代の音楽を指揮して、わたしたちに届けてくれました。

バッハはマタイやロ短調も演奏していたし、モーツァルトは4大オペラもふくめ、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ムソルグスキー、チャイコフスキー、マーラー、ウェーベルンなどは、ほぼほとんどのレパートリーを指揮して録音も残しました。

しかし、まったく指揮することのなかった作曲家や作品もたくさんあり、アバド好きとしては気になるところなのです。

①プッチーニ

いちばん、アバドがやらないといわれた作曲家。
以前に読んだアバドのインタビューで、マノンレスコーをやる寸前までなったけれど、そのとき、ペレアスとメリザンドの話しがきて、そちらに躊躇なくしたんだ、と話していましたね。
革新性を好むアバド、並べられたらそちらを選択すますと発言。
トゥーランドットも高く評価はするが、同時期に作曲されたのはシェーンベルクの「期待」ですよと言い、どちらかといえば、シェーンベルクを選びますと言ってました。
まさにアバドらしい。
和声や響きとリズムの革新性があるプッチーニは、マーラーの音楽との類似性もあると思うが、アバドはそうではなく、シェーンベルクとの対比を自分のなかで思ったということ。
プッチーニ好きとしては、アバドもカラヤンのようにプッチーニを巧みに指揮して欲しかったと思いますが、アバドがトスカや蝶々さんを指揮する姿など想像もできないし、絶対にありえないと思うのがまたアバド好きとしての見方です。
極度のセンチメンタルを好まず、冷静な客観性を好み、マーラーの描き方も自然児的であるアバドですから。

音源的には、ネトレプコとの「私のお父さん」、ライブではパヴァロッティとトスカのアリアがありました。

②レスピー

プッチーニをやらないから当然に。
ほとんどのイタリア人指揮者が取り上げるローマ三部作。
アバドはまったくやらず。
同様にジュリーニもやらなかったし、ジュリーニはプッチーニを指揮しなかった
 ほんというと世紀末臭まんさいの、レスピーギのオペラには興味を示して欲しかったところ、でも革新的ではなかった。

③スラヴ系

おおきなくくりすぎるが、ロシアのR・コルサコフなど、ようはチャイコフスキーを除くムソルグスキー以外。
あっけらかんとした、屈託のない民族系は好きじゃなかったのかも。
東欧系では、ヤナーチェクを好んだのは和声とリズムの大胆さゆえかも。
ヤナーチェクのオペラは多く手掛けてほしかった。
同じ嗜好をラトルが引き継いでるとおもいますね。
スクリャービンは好きだった。
ラフマニノフの交響曲なんて、全く想像もつかない。
ドヴォルザークは7番とか、チェロ協奏曲も聴きたかった。

④北欧系

こちらは、シベリウス、グリーグ、ニールセンなどは全滅、まったく見もしなかったジャンル
曇り空と白夜は好きじゃなかったのかも。

⑤英国系

こちらもほぼ絶無。
演奏記録として、ロンドン時代にヨー・ヨー・マとエルガーのチェロ協奏曲の塩素歴あり。
それのみが英国系の音楽・・かも

⑥ショスタコーヴィチ

晩年に映画にまつわる音楽を、ヴァイオリン協奏曲も、いずれもベルリンで取り上げたけれど、交響曲には極めて慎重で、おそらく指揮することもないと思われた。
でもマーラーを極め、さらには政治的な背景のある音楽に同調しがちだったアバドだから、8番、10番、14番、15番あたりは興味を示したかも。

⑦ワーグナー

ローエングリン、トリスタン、パルジファルの3作を残したアバド。
3作にあるのは、やはり音楽の革新性。
ハ長に徹したマイスタージンガーも生真面目なアバド向きだし、あの明晰なワーグナー解釈をこそ、「ワーグナーのマイスタージンガー」は待っている演奏だったと思う。

⑧ヴェルディ

中期から後期の作品を好んで取り上げたアバド。
歌謡性豊かな作品や煽情的な初期作はあえてスルーして、劇的な筋立てや内包するドラマ性あるオペラをこのんだアバド。
トロヴァトーレ、リゴレット、トラヴィアータ、ナブッコなどはやらず、劇場泣かせ

⑨ブルックナー

1番を、指揮者デビュー時からずっと指揮し続けたアバド。
ウィーンフィルで6曲まで録音し、ルツェルン時代も再録音あり。
結局、2.3.6,8番の4曲は残さず。
8番はアバド向きじゃなけれど、2番と6番の抒情性はアバド向きだし、リズムもきっと牧歌的だろう。
3番はアダージョのみ記録があり、エアチェック音源あり。
8番は、ぜったいにアバド向きな交響曲じゃないから、やらなくてよかった。

⑩アメリカ音楽

これはもうムリな世界(笑)

⑪後期ロマン派以降

新ウィーン楽派の3人は、アバドのレパートリーの中枢ですが、3人の主要作品のうち取り上げてなかったのが「ルル」です。
組曲としては2度の録音もあり、アバドはベルクの音楽を「ヴォツェック」を中心に愛し続けました。
「ルル」を舞台で上演することがなかったのですが、タイミングの問題と主役を歌う歌手にアバドの思う人がいなかったのかもしれません。

新ウィーン楽派以降の作曲家たち、できればアバドに余力があれば、若い頃にやってほしかった。
ツェムリンスキーとシュレーカーあたりは聴いてみたかった。
コルンゴルトはちょっと違う。

以上、好き勝手書きましたが、もっとあるという方、コメントをお寄せくださいませ。

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2024年1月20日 (土)

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ アバド没後10年

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わたしの育った街の海の夕暮れ。

そして40年数年を経ていま、帰ってきました。

妻子は自分の家のある隣県におりますが、年老いた親と暮らすことにしたわけです。

もうじき2年が経ちますが、この海を見て、そして小さな山に登るにつけ、帰ってきてよかったと思います。

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はるかに見渡す箱根と伊豆の山々。

子供のときからずっと見てきた景色を、歳を重ねてみるという喜び。

海を愛し、日没を愛す自分。

そんな自分が高校時代、イタリアオペラ団の公演に接し、ほかのヴェルディのオペラに勝ると劣らないくらいに好きになったのが「シモン・ボッカネグラ」

海に生き、運命に翻弄されつつも、最後は愛する人々に囲まれた、そんな男のオペラ。

このオペラをこよなく愛し好んだアバド。

ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」ほど、アバドが愛したオペラはなかったといえるでしょう。

アバドが旅立って10年です。

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ジョルジョ・ストレーレルの演出、エツィオ・フリジェリオの舞台美術、衣装。
シモン・ボッカネグラの名演出をともなったアバドのスカラ座時代の金字塔。
ジャケットもオペラ部門、ジャケット大賞を自分では差し上げたいくらいの名品。

スカラ座:1971年以来、1982年まで、歌手はカプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とともにずっと上演されたプロダクション。

パリ・オペラ座1978年 お馴染みの演出と3人とでパリに客演、DVDありますね(ブルーレイ化希望!)

ウィーン国立歌劇場:1984年~1990年まで、ストレーレル演出をウィーンに持ってきて何回も上演
ブルソン、ライモンディ、リッチャレッリに歌手はかわり、のちにヌッチ、トコディ、デッシー、フルラネットなども参加

ベルリンフィル:1999年に演奏会形式、2000年にザルツブルク祝祭音楽祭でフィレンツェとの共同制作で上演
チェルノフ、コンスタンティノフ、プロキナ、グエルフィ、マッティラと歌手は顔ぶれ刷新、演出はペーター・シュタイン。

フェラーラほか、マーラー・チェンバー:2001年5月、驚きのマーラー・チェンバー起用、パルマ、ボルツァーノでも上演。
チェルノフ、コンスタンティノフ、ミシェリアコワ、スコーラ、ガロ
演出はシュタインのアシスタントだったマルデゲム。

フィレンツェ:2002年、ザルツブルクのプロダクションで、唯一のフィレンツェのピット。

このように、ベルリンフィルを勇退してルツェルンと若者との共演にシフトするまで、30年間、オペラを手掛けた間はずっとシモンを指揮し続けたことになります。
幸いなことに、いずれの「アバドのシモン」は何らかの形で聴くことができます。
つごう5種の音源・映像を保有してます。
しかしながら、痛恨なことに、日本公演のNHK放送は、放送日に観劇していたのでエアチェックが出来なかったで、わたしのライブラリにはその演奏がないのです。
でもね、いまでも脳裏にあのときの舞台とオーケストラと歌手の音は刻み込まれていて、思い起こすともできるからいいのです。

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暗い画像ですが、こちらは第1幕の後半、誘拐されたアメーリアの犯人に対し、シモンが腹心であったパオロに真犯人に呪いをかけよと命じるシーンで、恐怖に顔を歪ませ、周囲からひとり浮かび上がってしまう。
カプッチッルリのパオロに迫る迫真の歌と演技、そのあとの名パオロといっていいスキアーヴィが全身を硬直させ、その彼にスポットライトが当たり、振りおろしたアバドの指揮棒が停止、そして音楽も舞台も一瞬で止まった!!
舞台を見ていた私は、凍り付くほどのサスペンスとその完璧さに畏怖すら覚えた。

シモン・ボッカネグラは1857年に作曲されるが初演は失敗、時期的にはシチリアの晩鐘と仮面舞踏会の間ぐらい。
すでに朋友となっていたボイートによって台本の改訂を行い、改訂版が出来上がったのが1881年で、アイーダとドン・カルロの間にあたる最高期の時期。
大きな違いは、主人公のシモンに加えて、同じバリトンでも暗めの音色を要求される悪役パオロの重要性を高め、バスのフィエスコとともに、渋い低音男声3人による心理ドラマの様相を濃くしたことだ。
このあたりが、このシモンという作品が当初、大衆受けがしなかった要因で、加えて華やかなアリア的なものが少ないことも大きい。

アバドが当初よりこのオペラにこだわりをみせたのは、やはり人間ドラマを内包するヴェルディならでは渋い音楽造りに着目したからだろう。
スカラ座公演のパンフレットには、アバドが自ら解説を書いており、イヤーゴのような存在のパオロと、政治的な利害関係と個人の関係が生むドラマの対照などに言及している。
 さらに音楽のすごさとして、シモン役の最大の聴かせどころ、貴族派と市民派との衝突の危機に「市民よ、貴族よ・・・」と人々を静め、「わたしは叫びたい、平和を」と繰り返し熱く歌うシーンを細かに分析し、ヴェルディの描いたもっとも素晴らしく厳粛な場面と評価している。
あと先にあげた誘拐犯パオロに迫るシモンのレシタティーヴォ、そのオーケストレーションの巧みさにも言及。

アバドのシモンへのこだわりは、もっともっとある、そんな耳で感心しながら、これまで何度も繰り返し聴いてきました。
だから「シモン・ボッカネグラ」というオペラは、わたしにはアバド以外はダメなのです。
あとついでに、カプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とリッチャレッリ以外は同様なんです。
ほかの演奏は避けてきたし、舞台もきっと観ることはないでしょう。

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カプッチッルリとギャウロウ、このふたりがあってこそ、アバドのシモンがあり、シモンの復興もあった。
1976年のNHKイタリアオペラでもこのふたり。
アメーリアはリッチャレッリった。
高校生だった私は巨大なNHKホールで夢中になって観劇しました。
もうひとつ、カバリエ、コソット、カレーラスのアドリアーナ・ルクヴルールも。
どちらのオペラも録音して何度も聴きまくり、すみからすみまで覚えてしまい、へたすりゃ歌えるくらいになりました。
このふたり、かっこよかった。
プロローグでフィエスコが歌うモノローグで、ギャウロウの最低音が渋くも神々しく見事に決まり、すがりつくシモンを振り切るようにマントをひるがえしました。
そのマントの音がバサリと聴こえて、その音すらまざまざと覚えてます。

そうして暖めつくしたシモンへの思いが、スカラ座来日での「アバドのシモン」の名舞台につながりました。

①1972年 スカラ座

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ジャンニ・ライモンディ
  パオロ:ジャン・フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:ジャンフランコ・マンガノッティ            
  腰元:ミレナ・パウリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1972.1.8 @スカラ座)

前月の12月にプリミエのアバド初のシモンの貴重な記録。
放送音源が元のようで、当然にモノラルですが、音はよろしくはなくダンゴ状態だが、視聴には充分耐えうるもの。
この頃のアバドの劇場での指揮の常として、自ら興奮に飲み込まれるようにテンポも突っ走ってアゲアゲな場面があり、当然に聴衆の興奮ぶいもうかがえる。
プロローグのエンディングの盛り上げもすさまじい、
3人の歌手といつもパオロ役で貢献しているスキアーヴィもよいが、ここではライモンディの明るく、豊かなカンタービレを聴かせるガブリエーレが素敵なものだ。
この音源、放送局にちゃんとしたものがないだろうか。。。

②1977年 スカラ座DG録音

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス
  パオロ:ホセ・ファン・ダム    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ           
  腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1977.1  @CTCスタジオ  ミラノ )

もういうことなしの名盤。
先にマクベスがアカデミー賞を受賞してしまったので、こちらは無冠となりましたが、総合的な出来栄えでは、こちらのシモンの方が上。
正規録音で慎重なリハーサルを重ねた結果の完璧なできばえで、もちろん、毎年のように同じメンバーで作り上げてきた作品への同じ共感度がすべてにわたって貫かれている。
ここでレコーデイングゆえに登場した新参として、カレーラスとファン・ダムがいて、彼らはスカラ座でのシモンにはまったく登場していないメンバー。
このふたりが、こんかいアバドの一連のシモンを聴いて、ちょっと立派すぎて浮いているように感じたのは贅沢な思いだろうか。
ルケッティとスキアーヴィでよかったんじゃ・・・・
  ライブにあった突っ走り感は、ここではまったくなく、ヴェルディの音楽の核心を突く表現にすみずみまで貫かれている。
合唱の素晴らしさも、ガンドルフィ率いるスカラ座コーラスならでは。
あとさらに誉めれば、DGの録音も素晴らしく、アナログの最盛期のよさが出ていて、このあとの仮面舞踏会、アイーダでの録音よりずっといいと思う。


③1981年 スカラ座 日本公演


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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:アルフレード・ジャコモッティ
  隊長:エツィオ・ディ・チェーザレ            
  腰元:ネルラ・ヴェーリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1981.9.10 @東京文化会館)


ファンになって10年、やっとアバドに出会えるとワクワク感と緊張感で待ちわびた公演だった。
文化会館のピットに颯爽と登場し、目を見開いて聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
装飾を施した文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。
いまでも覚えているその残像。
憧れのアバドの姿を見ながら、スカラ座のオケが紡ぎだす前奏を聴いてその桁違いの音色に驚いた。
5年前のイタリアオペラ団のシモンが耳タコだったので、N響とスカラ座オケとの月とすっぽんの違いにです。
深くて、明るくて、すべての音に歌があふれている、それを最初の前奏でまざまざと見せつけられた。
シモンが愛した、アドリア海の青色をオケが表出していたのでした・・・・

この公公演は「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さに感じ入り、生涯忘れえぬ思い出となりました。
以下は過去記事の再掲~

「舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。」

当時に書いていた日記~

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

バリトンとソプラノの二重唱を愛したヴェルディの素晴らしい音楽は、父と娘とわかったときの感動シーンに凝縮されていて、そのピークをアバドは最高の情熱を降り注いで、このときの公演では、ワーグナーを聴くような陶酔感を味わいました。
そしてシモンとフィエスコの憎しみが友愛に変る邂逅のシーンも涙が出るほどに切なく感動的で、カプッチッルリとギャウロウの名唱・名演技に酔いしれた。

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娘夫妻に抱えられ、最後のときを迎えるシモン。
泣けました・・・・

こんなチラシが配布され、ピアニシモで終わる特異なオペラをしっかり味わってほしいという、アバドと主催者の思いを感じました。

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いまならアナウンスはしても、ここまではやりませんね。

これまでの音楽体験のベストワンが、私にはこのシモン・ボッカネグラです。

ちなみにベスト3は、あとは「ベルリン・ドイツ・オペラのリング」と「アバドとルツェルンのマーラー6番」であります。

④1984年 ウィーン国立歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:レナート・ブルソン 
  フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ

  アメリア:カティア・リッチャレッリ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:コンスタンチン・シフリス
  隊長:エヴァルト・アイヒベルガー            
  腰元:アンナ・ゴンダ


 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団

       (1984.3.22 @ウィーン国立歌劇場)

スカラ座からウィーンへ。
アバドはオペラの拠点を移し、当然にシモンも同じプロダクションを持っていきました。
演奏スタイルはほぼ同じく、そしてライブゆえに燃えるようなアバドの姿もあり、プロローグのラストのアッチェランドには興奮します。
同じオペラのオーケストラでありながらウィーンのヴェルディでは、ちょっと趣きが違うようにも感じます。
色香がちょっと異なるんです。少しはみ出るような味わいというか、甘味さというか、なんとも表現しにくい雰囲気です。
この音源がちゃんとした音で残されたのも幸いなことです。

歌手はいつもの3人がまったく刷新され、印象はまるで異なります。
唯一のお馴染みは、わたしにはリッチャレッリとルケッティ、スキアーヴィの3人。
ライモンディは美声ではあるが、ギャウロウのような光沢と渋さがなく、ブルソンは滑らかな優しい美声ではあるが、厳しさが不足。
贅沢なこと言っちゃうのも、あの3人がすばらし過ぎたから・・・・

⑤2000年 ザルツブルク復活祭音楽祭

      シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ
  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ロベルト・アラーニャ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:ファビオ・サルトリ            
  腰元:クレア・マッカルディン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ヨーロッパ祝祭合唱団

       (2000.4.15 @ザルツブルク)

ウィーンからベルリンへ、アバドのオペラの指揮は、カラヤンと同じくザルツブルクのイースター音楽祭に絞られ、やはり得意のシモンを取り上げることとなりました。
多忙を極めながら病におかされつつあった時期のものです。
さすがはベルリンフィル、完璧なオーケストラサウンドを聴かせますが、その基調は明るい音色で軽めです。
アバドも自在な指揮ぶりと感じさせますが、父娘の二重唱の高揚感では、あれっ?と、一瞬思うくらいに流れてしまう。
ザルツブルクの上演の前、1999年にベルリンで演奏会形式で演奏して挑んだこの公演、ウィーンでのシモン以来アバドは10年ぶり。
そんな新鮮さと、すみずみまで知り尽くした指揮者の力を感じますが、このコンビならもっとできたはずと思わせる場所も、書いた通りあります。
グエルフィ、コンスタンティノフ、マッティラの新しい3人に刷新。
いずれもかつての3人の比ではないですが、時代の流れなのか、スマートな知的な歌唱で、聴く分にはまったく問題ない。
スキアーヴィにかわる名パオロの誕生となった、ガッロがすばらしいと思う!
フィガロ役から、こうしたアクの強い役まで歌うガッロ。
新国で、イヤーゴ、ジャック・ランスなどを観劇してます。

⑥2002年 フィレンツェ歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ

  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:エンリーコ・コッスッタ            
  腰元:カーティア・ペッレグリーノ


 クラウディオ・アバド指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団/合唱団

       (2002.6.19 @フィレンツェ歌劇場)


映像でのアバドのシモンは、痩せてしまったがアバドの指揮姿がとても元気そうで貴重な記録となりました。
フィレンツェの聴衆からも絶大な人気と大きな喝采を浴びてまして、うれしくなります。
他流試合ではあるものの、さすがは作品を知り抜いたアバドで、アバド最後のシモンは、総決算的な出来栄えともいえます。
映像だと、どうしても舞台があり、演出があり、歌手がありで、そこに耳目が向いてしまう。
じっくり聴きたいから、一度、音源としてリニューアル化して欲しいと思いますね。
スカラ座時代にあったアバドの若さは、一同の尊厳を一気に集める高尚なる指揮ぶりとなっていて、適度に力も抜けていて、透明感すらただよいますので。。

ペーター・シュタインの演出は、いまウィーンなどでも上演されているものの原型。
スタイリッシュなもので、ストレーレルのような具象性も時代考証に応じた重厚感もなく、軽め。
古臭いことをいいますが、やはりあの舞台、またはイタリアオペラ団の古風な舞台を見てしまった自分にはなじめません。
でも群衆の動かし方や、ラストシーンの荘厳さは感動的で、最後にピット内の動きを止め、指揮棒をそっと置くアバドの姿が映されファンとしてはうれしいものです。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アバドのシモンは、スカラ座にはじまり、ウィーン、ベルリンを経て、最後はイタリアに戻りました。
2002年のフィレンツェは、ザルツブルクとの共同制作でもあり、アバドとしてはいろいろと制約もあったかもしれない。
その前の2001年のフェラーラでの上演は、演出もシュタインでなく、アシスタントだったマルデゲムの演出はよりシンプルなもののようだった。
小ぶりな劇場で、親密な仲間である若いオケとやりたかったでしょうか。

そのときの映像を発見したので貼っておきます。



                                                   (2001年 フェラーラ)

2000年の11月と12月、病から復活を遂げた日本公演のあと、ベートーヴェンの交響曲、ファルスタッフ、マーラー7番などを精力的に指揮しつづけ、ファラーラでシモン。
アバドのヴェルデイの総決算が、シモンとファルスタッフだったこともとても意味深く思います。

アバドのシモンの最初の仲間たちは、リッチャレッリを除けば、みんな旅立ってしまいました。
10年前に悲しみを持って追悼に聴いたシモン。
10年後のいまは、ひとつの作品を突き詰めるアバドの偉大さと凄さに、思いをあらためております。
そして、自分もいい時代を生きて、最高の舞台経験が出来たことに感謝をしております。

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スカラ座のシモンのラストシーン・・・・
泣けます。

アバドが愛し、突き詰めつくしたオペラが「シモン・ボッカネグラ」で、あとは「ヴォツェック」と「ボリス・ゴドゥノフ」だったと思います。

アバドの命日の記事

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2024年1月13日 (土)

ワーグナー ワルキューレ1幕後半 ベルリンフィルで聴く

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数日前、極寒の曇り空に1日に、夕方には雲が切れて壮絶な夕焼けとなりました。

次の日はきれいに晴れ渡る好天でした。

日本は広い、被災エリアにお日様の暖かさを届けたいものだ。

大晦日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートでは、久方ぶりにワーグナーが特集された。
指揮はもちろん、キリル・ペトレンコで前半に「タンホイザー」序曲とバッカナール、メインが「ワルキューレ」第1幕でした。

そこで歴代指揮者たちで、ワルキューレ1幕をベルリンフィルで聴いてみた、の巻です。
アバド盤が2重唱以降なので、コンパクトに後半のみを。

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    ジークムント:ジョン・ヴィッカース

    ジークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1966.12 @イエス・キリスト教会)

ザルツブルクでの4年間の上演に先立ち録音された1年おきのリング4部作。
最初の録音がワルキューレで、リリックな歌手を起用してカラヤンのリングに対する考え方を明らかにさせ、世界を驚かせた。
全編、抒情的で緻密な演奏で、その音楽は磨きぬかれて洗練の極み。
2重唱も美しく、とくに繊細でしなやかなヤノヴィッツの歌うか所では、オーケストラは耽美的ですらある。
しかし、そんななかでもさすがはカラヤンと思わせるのが、ふたりの愛の高まりとともに、オーケストラの高揚感も最高に高まり、最後は手に汗握るような情熱のかたまりとなる。
こういうところがオペラ指揮者としてのカラヤンのすごいところ。
ベルリンフィルも鉄壁であるが、録音会場が響きすぎるのがやや難点か。
しかし、60年代録音で聴き慣れた、自分には馴染みある響きでもあり。
ヴィッカースは異質である。

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    ジークムント:ジークフリート・イェルサレム

    ジークリンデ:ヴァルトラウト・マイヤー

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1993.12.31 @フィルハーモニー)

カラヤンのワルキューレから27年後。
ローエングリンのみをそのレパートリーにしていたアバドが、ジルヴェスターで抜粋とはいえ、オランダ人、タンホイザー、マイスタージンガー、そしてワルキューレを指揮した。
当時は、NHK様がジルヴェスターコンサートはテレビでライブ中継していたころで、わたしはもう画面に釘付け。
毎年、テーマを設けてひとりの作曲家や文学作品、民族などを特集していたアバド。
慎重なアバドだが、やはりライブでは燃える。
この夜のハイライトはやはりワルキューレだった。
音たちの磨きぬかれた美しさは、もしかしたらカラヤン以上で、混じり物のないクリアで明晰なワーグナーは、のちのトリスタンで突き詰めたアバドのワーグナー演奏の端緒ともいえる。
カラヤンとはまったく違った、よい意味での音の軽さは、ベルリンフィルの名技性があってのものだろう。
ここにアバドの大胆さを感じる。
ここに聴く抒情は、カラヤンのウマさのともなう美しさでなく、どこまでもしなやかでピュアで、新鮮だし、抑えに抑えたオーケストラはそれこそ室内楽のようで、歌手と対等の立場にある。
 わたしの世代では、コロやホフマンとならぶヘルデンだったイェルサレムが好きだ。
イェルサレムのジークムントは実演で2度聴けたが、ここでも知的でありつつ、熱くもあり、力感も十分だ。
同じく実演でのジークリンデを経験できたマイヤーもステキの一言につきる。
彼女のメゾがかった弱音が実に素晴らしいのだ。
ということで、アバド盤、ほめすぎですかね。
ラストの白熱感も、着実でたまらなく素晴らしいです。

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    ジークムント:ヨナス・カウフマン

    ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィシウテ

  キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2023.12.31 @フィルハーモニー)

アバドのジルヴェスターから30年。
私も歳をとったが、ベルリンフィルの超絶うまさは健在だ。
ラトルもワルキューレはザルツブルクで上演しているが、残念ながら聴いたことがないのでここでは省略。

ペトレンコ就任から4年を経て、そのレパートリーも音楽もだんだんわかってきた。
しかし、ベルリンフィルの指揮者になったからといって、ベートーヴェンやブラームスの全集を作ったり、メジャーレーベルを股にかけて活躍したりといったことはいっさいせずに、わが道をゆくといった求道的な姿を見せるペトレンコ。
豊富なオペラ指揮者としての経験がありながら、劇場レパートリーをこなすといった日常のルーティンワークでなく、思い定めた作品を徹底的に極めていくタイプ。
であるがゆえに、その演奏は徹底していて完璧さを求める緊張感にあふれている。
そして相方がベルリンフィルというだけあって、その完璧さが鉄壁にすぎて、ときに緊張疲れしてしまうのではないかとわたしは危ぶむ。
両社の緊張関係が途切れたときどうなる・・・わたしにはわからない。
だから完璧にうまくいっているこのコンビを今こそ聴くべきなのだろう。

以上つらつらと思ったままの演奏がこのワルキューレ。
ペトレンコにまいどのことで、そのテンポは速めで、そのうえに情報はぎっしり詰まっている。
カラヤンにあった甘味な抒情、アバドにあった優しさと微笑みの歌、それらはまったくなく、ワーグナーの厳しい造形音楽と感じる。
これをライブで、または劇場で舞台を伴って聴いたなら、CDやDVDよりも完璧に感じ、同時に音の熱量も高いので、体を焦がすような興奮も味わえるだろう。
カラヤン、アバド、ラトル、それぞれのベルリンフィルと、また違う次元のオーケストラサウンドをペトレンコは導き出すものと思う。

お叱りを覚悟でいいます、なんでもかんでもカウフマン、少し食傷気味です。
バリトンがかった悲劇臭あふれるジークムントは、たしかに役柄的に最適だが、カウフマンの声はもう重すぎると思った。
突き抜けるようなテノールの声がないので、曇り空なんです。
同時期のウィーンでのトゥーランドットも最近聴いたけれど、こちらはプッチーニだけに、不満はもっと大きかった。
 一方、売り出し中のリトアニア出身のミクネヴィシウテの若々しい、張りのある声がすばらしい。
ベルリン国立歌劇場ですでにジークリンデを歌っていて、この夏はバイロイトで、何度も共演してるシモーネ・ヤングの指揮でもジークリンデを歌う予定。

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我が家の庭にある紅梅も咲きはじめ、甘い香りが漂ってます。

ジークリンデの「君こそが春」、ジークムントの「冬の嵐は去り」を聴いて、まさに甘い思いに浸る。

ベルリンフィルというオーケストラは、まさにスーパーな存在であり、楽員たちが選ぶその指揮者たちとも歴代にわたり、見事な結実を示してきました。

ラトルも含めて、ベルリンフィルをこうしてさまざまに聴ける幸せをかみしめたいものです。
これはウィーンフィルでは絶対に感じない思いです。

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2023年6月26日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 アバド指揮

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毎年の梅雨の時期には、小田原城で紫陽花と菖蒲を楽しみます。


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そして、6月26日は、クラウディオ・アバドの90回目の誕生日。

90越えで現役のブロムシュテットとドホナーニが眩しい存在です。

2005年秋にblogを開設以来、2006年のアバドの誕生日を祝福しつつアバドの記事を書くこと、今年で17回目となりました。

さらに1972年にアバドの大ファンになって以来、今年はもう51年が経過。

つくづく永く、アバドを聴いてきたものです。

今年の生誕日には、アバドの演奏のなかでも、間違いなくトップ10に入るだろう大傑作録音、「ファルスタッフ」を取り上げました。

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  ヴェルディ 「ファルスタッフ」

   ファルスタッフ:ブリン・ターフェル   
   フォード:トマス・ハンプソン
   フェントン:ダニエル・シュトゥーダ  
   カイユス:エンリコ・ファチーニ
   バルドルフォ:アンソニー・ミー 
   ピストーラ:アナトゥーリ・コチュルガ
   フォード夫人アリーチェ:アドリアンネ・ピエチョンカ
   ナンネッタ:ドロテア・レシュマン 
   クイックリー夫人:・ラリッサ・ディアドコヴァ
   ページ夫人メグ:ステラ・ドゥフェクシス

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

        (2001.4 @フィルハーモニー、ベルリン)


2000年の春に胃癌のため活動を停止し、その年の10月から11月にかけて、日本にやってきてくれた。
そのときの瘦せ細った姿と裏腹に、鬼気迫る指揮ぶりは今でも脳裏に焼き付いています。
その翌年2001年からフル活動のアバドは、いまDVDに残るベートーヴェンのチクルスを敢行し、そのあとザルツブルクのイースター祭で「ファルスタッフ」を上演します。
それに合わせて録音されたのが、このCD。

病後のベルリンフィル退任前の2年間は、アバドとしても、ベルリンフィルとのコンビとしても、豊穣のとき、長いコンビが相思相愛、完全に結びついた時期だったかと思います。
ベルリンフィルにカラヤン後の新たな風を吹かせた、そんなアバドの理想のヴェルディがここに完結した感がある。

一聴してわかる、音の輝かしさと明るさ伴う若々しさ。
カラヤンとは違う意味で雄弁極まりないオーケストラは、アンサンブルオペラ的なこの作品において、歌手たちの歌と言葉に、完璧に寄り添い、緻密にヴェルディの書いた音符を完璧に再現。
オーケストラも歌手も、完全にアンサンブルとして機能し、その生気たるや、いま生まれたての瑞々しさにあふれてる。
ヴェルディの音楽におけるオーケストラの完成度という意味では、アバドのファルスタッフは私にはNo.1だと思う。
カラヤンのドン・カルロもすごいけれど、あそこまで嵩にかかったオーケストラにはひれ伏すのみだが、アバドのヴェルディにおけるベルリンフィルは、しなやかさと俊敏さがあり、何度も聴いても耳に優しい。
若い恋人たちの美しいシーンはほんとうに美しいし、2幕最後の洗濯籠のシーンもオーケストラは抜群のアンサンブルを聴かせ、ワクワク感がハンパない。
各幕のエンディングの切れ味と爽快感もこのうえなし。
さらには、3幕後半の月明りのシーンの清涼感とブルー系のオケの響きも無類に美しく、そのあとのドタバタとの対比感も鮮やか!

ファルスタッフのオーケストラでいえば、カラヤンのウィーンフィルは雄弁かつオペラティックで面白いし、うまいもんだ。
同じウィーンフィルでも、バーンスタインはヴェルディを自分の方に引き寄せすぎ、でも面白い。
トスカニーニのNBCは鉄壁かつ、でも歌心満載。案外アバドの目指した境地かも・・・
ジュリーニのロスフィルは、これがあのメータのロスフィルかと思えるくらいに、落ち着きと紳士的な雰囲気。
スカラ座時代にアバドがファルスタッフを取り上げていたらどうだったろうか。
と空想にふけるのもまたファンの楽しみです。

病気あがりで、ザルツブルクでの上演前にみっちり練習を兼ねたレコーディング。
ファルスタッフのターフェルがレコ芸のインタビューで、そのときの様子を語ってました。
「彼はかなり痩せてしまい、皆とても心配していた。すると彼は音楽をすることによってエネルギーを得て、本当に元気になってしまいました。録音中、彼の瞳はきらきらと輝き、指揮をしながら飛び上がっていたのです。彼はこのオペラの生気、朗らかさを心の底から愛しているのだと思います。それが彼の健康に素晴らしい効力を発揮したのでした」
その音楽に明確な意見を持ちながら、若い歌手や演奏家たちに、完璧主義者でありながらフレンドリーで暖かく指導することで、レコーディング自体がすばらしいレッスンだったとも語ってました。
アバドの人柄と、あの大病を克服した音楽への愛を強く感じるエピソードです。

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ターフェルが36歳のときの録音で、その頃、すでにファルスタッフを持ち役にしていただけあって、その歌唱には抜群の巧さと切れ味がある。
初演の練習にずっと立ち会ったヴェルディは、歌手たちに細かい指示を出し、それはリコルディ社は書き取り記録したそうだ。
その細かな指示を歌手は反映させなくてはならず、ファルスタッフの多彩な性格の登場人物たちは、そのあたりでも役柄の描き分けが必要なわけ。
ターフェルは若い威力あふれる声を抑制しつつ、緻密な歌いぶりで、きっとアバドとの連携もしっかり生きていることでしょう。

ハンプソンのフォードも若々しく、ターフェルとの巧みなやりとりも聴きがいがある。
若すぎな雰囲気から、娘に対する頑迷な雰囲気はあまり出ないが、この歌手ならではの知的なスタイルはアバドの指揮にもよく合っている。

女声陣の中では、ナンネッタのレシュマンが断然ステキで、軽やかな美声を堪能できる。
ピエチョンカを筆頭とする夫人たちの、声のバランスもいいし、なかでは、クイックリー夫人が楽しい。
2000年当時の実力派若手歌手の組み合わせは、いまでも新鮮につきます。

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シェイクスピアと台本のボイート、そしてヴェルディの三位一体で極められた最高のオペラがファルスタッフ。
昔の栄光をいまだに忘れられない没落の士、ファルスタッフは、経済的な打開策としても、夫人たちに声をかけた。
それがしっぺ返しを食らうわけだが、思えば可哀想なファルスタッフ。
喜劇と悲劇を混在させたかのような見事なドラマと音楽に乾杯。

「世の中すべて冗談だ。
 人間すべて道化師、誠実なんてひょうろく玉よ、知性なんてあてにはならぬ。
 人間全部いかさま師!みんな他人を笑うけど、最後に笑うものだけが、ほんとうに笑う者なのだ」
                (手持ちの対訳シリーズ、永竹由幸氏訳)

皮肉に見つつも、真実を見極めた言葉に、屈託のないヴェルディの輝きあふれる音楽。
でも真摯極まりないアバドの演奏は、もしかしたら遊びの部分が少なめかも。

シェイクスピアに素材を求めたヴェルデイのオペラは、「マクベス」「オテロ」そして「ファルスタッフ」。
いずれもアバドは指揮しましたが、残念ながら「オテロ」は95~97年に3年連続でベルリンフィルと演奏してますが、録音としては残されませんでした。
オテロ役が3年で全部ことなり、レーベルのライセンスの問題もあるかもしれないし、おそらくアバドは理想のオテロ歌手に出会えなかったのかもしれません。
台本に内在する人間ドラマにもこだわる、そんなアバドが好き。
そんなアバドの高貴なヴェルディ演奏が好きなんです。

「ファルスタッフ過去記事」

「新国立劇場公演 2007」

「ジュリーニ&LAPO」

小澤征爾と二期会のファルスタッフを観劇したのが1982年。
国内上演4度目のものを体験。
先ごろ亡くなった栗山昌良さんの演出、タイトルロールは栗林義信さんだった。
日本語による上演で、今思えば悠長なものでしたが、でもわかりやすく、舞台に普通に釘付けとなりましたね。
「わっかい頃は、この俺だって・・・」とファルスタッフが自慢げに歌う場面は、日本語で歌えるくらいに覚えちゃったし、クィクリー夫人登場の挨拶は、「よろし~~く」で、もう出てくるたびに会場は笑いに包まれたものだ。
きびきびと楽しそうに指揮していた小澤さんも若かったなぁ。



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6月のアバドの誕生祭は、毎年、紫陽花が多め。

忙しかったので、記事は遅れ、バックデートして投稿してます。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022

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2023年6月24日 (土)

モーツァルト オペラアリア ネトレプコ&アバド

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ひさかたぶりの東京タワー。

いつでも行ける場所が、近いけど遠い場所に。
なにごともそんなものでしょう。

日々、簡単に行ける場所は、誰でも同じでない。

そんなことはともかく、モーツァルトのオペラはいい。

しかし、モーツァルトはあの短い人生で、交響曲から協奏曲、器楽、室内楽、オペラと、なんであんなに書けたんだろ。

人類の奇跡でしょう。

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 モーツァルト 「イドメネオ」 エレクトラとイリアのアリア

        「フィガロの結婚」 スザンナのアリア

        「ドン・ジョヴァンニ」 
          ドンナ・アンナとドン・オッタービオの二重唱

     S:アンナ・ネトレプコ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ

         (2005.3 @ボローニャ)

この豪華メンバーによるモーツァルトアルバム、アバドが指揮して新規に録音したのはこの4つだけで、あとのアバドは「魔笛」からの音源。
ヴァイグレとドレスデン、マッケラスとスコットランド室内管によるものが大半です。
実はそちらもなかなか素晴らしいのですが、ここではネトレプコとアバドの4曲だけをじっくり聴きましょう。

2003年にCDでのデビューを飾ったネトレプコは、翌2004年にアバドとマーラー・チェンバーとイタリア・オペラアリア集を録音してます。
その翌年のこのモーツァルト。
イタリアオペラ集のジャケットと、今現在の20年後のネトレプコを比べると、その変化に驚きます。
それは、そっくりそのまま、その声にもいえていて、20年前のネトレプコはスーブレットからコロラトゥーラの役柄を清々しく歌う歌手だったが、いまはマクベス夫人やアイーダ、エルザだけだがワーグナーをも歌うようなドラマティコになりました。
ひととき、声も荒れがちだったが、いまはまたそれを乗り越え、神々しさも感じるゴージャスな声と美声を聴かせてます。

ただ、いまが全盛期であるネトレプコに、水を差したのがご存知のとおり、ロシアのウクライナ侵攻。
いまネトレプコは、あれだけ人気を誇り、重宝されたメットから締め出され、欧州の劇場ではイタリアかドイツの一部でしか登場していない。
前にも書いたけれど、音楽家と政治とは別の次元にあるべきと思うし、愛国心は誰にも譲れない気持ちだと思う。
非難されるべき独裁者の手先にあるのならともかく。
しかも、ロ・ウ戦争の真実なんて、西側に立脚する日本には片側の情報しか入らないから、軽々に非難もできないとも思ってる。

話しはまったく変わってしまうが、戦争のおかげで、シモノフとモスクワフィルが聴けなくなってしまったのが残念でならない。

しかし、ここで生気あふれる清潔かつ歌心あるバックを務めているアバドが、もし存命だったら、アバドはネトレプコと共演するだろうか。
わたしは、アバドだったら無為の立場で、純粋な思いでモーツァルトのコンサートアリアなどを指揮していたかもしれない。と思ったりもしてる。

アバド90回目の誕生日まであと数日。

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2023年1月28日 (土)

シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」 アバド指揮

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このところの寒波で、丹沢の山々も今朝は白く染まりました。

1年前は、窓の外はビルばっかりだったのに、いまは遠くに丹沢連峰を見渡せる場所にいます。

子供の頃は、左手に富士の頂きが見えたのですが、木々が茂ったのか、まったく見えなくなってしまった。

でも、家を出て数秒上の方に行くと富士はよく見えます。

こんな気持ちのいい景色とまったく関係ない曲を。

それというのも、1月27日は「ホロコーストを想起する国際デー」だった。

wikiによると、「憎悪、偏見、人種差別の危険性を警告することを目的とした国際デーである。1月27日が指定されている。国際ホロコースト記念日とも呼ばれる。」とあります。

ホロコーストというと、ナチスの戦時における行為がそのまま代名詞になっているし、人類史上あってはならない非道なことだったけれど、ソ連もウクライナで同じことをやっているし、いまも戦渦にある場所は世界にいくつかある。
しかし、形骸化した国連組織は、いま現在起きている事実上のホロコーストを止めることはできないし、非難決議すらできない。
国連の常任理事国が、侵略している国だし、民族弾圧をしている国の2か国であることはもう笑い話みたいなことだ。

音楽blogだからこれ以上は書かないが、世界と社会の分断を意図的に図っている組織や連中があり、その背後にはあの国、K産主義者があると思う。
自由と民主の国にK産主義はいらん。

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  シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」

    語り:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

                        (2001.9.9 @ベルリン)

この音源は、私の私的なもので、FMから録音したカセットテープからCDR化したものです。
正規にないもので申しわけありませんが、今日、この日に聴きなおして衝撃的だったので記事にしました。

この日のベルリンフィルとの演目は、オールシェーンベルクで、「ワルシャワ」に始まり、ピーター・ゼルキンとのピアノ協奏曲、「ペレアスとメリザンド」の3曲でして、CDRにきっちり収まる時間。
自分としては、極めて大切な音源となりました。

アバドは、「ワルシャワの生き残り」を2度録音してまして、ECユースオケとマクシミリアン・シェルの語りの79年ライブ、ウィーンフィルとゴットフリート・ホルニックの語りの89年録音盤。
若い頃にも各地で取り上げていたはずで、アバドの問題意識の一面とその意識を感じます。

1992年に歌手を引退したフィッシャー=ディースカウ。
その後は朗読家としての活動を行ったFD。
そんな一環としてのアバドとの共演だった。
アバドがFDの現役時代に、共演があったかどうかわかりませんが、ヘルマン・プライとは友人としてもよく共演していたので、個性の異なるFDとはあまり合わなかったのかもしれません。

ここで聴く、一期一会のような緊迫感あふれる迫真の演奏。
いかにもディースカウと言いたいくらいに、言葉に載せる心情の切迫感と、とんでもない緊張感。
ベルリンフィルの切れ味あふれる高度な演奏能力を目いっぱいに引き出すアバドのドラマテックな指揮ぶり。
わずか7分ほどの演奏時間に固唾をのんで聴き入るワタクシであった。

以下は、過去記事をコピペ。

1947年アメリカ亡命時のシェーンベルクの作品。
第二次大戦後、ナチスの行った蛮事が明らかになるにつれ、ユダヤ系の多かったリベラルなアメリカでは怒りと悲しみが大きく、ユダヤの出自のシェーンベルクゆえ、さらに姪がナチスに殺されたこともあり、強い憤りでもってこの作品を書くこととあいりました。
クーセヴィッキー音楽財団による委嘱作。
73歳のシェーンベルクは、その前年、心臓発作を起こし命はとりとめたものの、その生涯も病弱であと数年であったが、この音楽に聴く「怒りのエネルギー」は相当な力を持って、聴くわたしたちに迫ってくるものがある。
  12音技法による音楽でありますが、もうこの域に達すると、初期の技法による作品にみられるぎこちなさよりは、考え抜かれた洗練さを感じさせ、頭でっかちの音楽にならずに、音が完全にドラマを表出していて寒気さえ覚えます。

ワルシャワの収容所から地下水道に逃げ込んだ男の回想に基づくドラマで、ほぼ語り、しかし時には歌うような、これもまたシュプレヒシュティンメのひとつ。
英語による明確かつ客観的な語りだが、徐々にリアルを増してきて、ナチス軍人の言葉はドイツ語によって引用される。
これもまたリアル恐怖を呼び起こす効果に満ちている。


叱咤されガス室への行進を余儀なくするその時、オケの切迫感が極度に高まり、いままで無言であった人々、すなわち合唱がヘブライ語で突然歌い出す。
聖歌「イスラエルよ聞け」。
最後の数分のこの出来事は、最初聴いたときには背筋が寒くなるほどに衝撃的だった。
この劇的な効果は、効果をねらうものでなく、あくまでもリアル第一で、ユダヤの長い歴史と苦難を表したものでありましょう。
抗いがたい運命に従わざるを得ないが、古代より続く民族の苦難、それに耐え抜く強さと後世の世代に希望を問いかける叫びを感じるのであります。


フィッシャー=ディースカウとアバド、マーラーやシューマンで共演して欲しかったものです。

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寒さは続く。

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