ワーグナー 「リエンツィ」 シュトッツマン指揮 バイロイト2026

バイロイト祝祭劇場開設から150年の今年。
政治家・ゆかりの人などがスピーチを行う記念式典が行われ、メインの「第9」の模様はさっそくBR放送局のネットで聴きました。
ティーレマンの指揮で、「マイスタージンガー」前奏曲、「タンホイザー」歌の殿堂の合唱もその前に演奏。
最近では珍しくなった重厚な「第9」を聴き、妙に新鮮な気分になったと同時に、いつまでもティーレマンでいいのかな?とも贅沢にも思った自分。
バイロイトの第9といえば、劇場の基礎が施工された記念に1872年にワーグナーの指揮で、バイロイト市内にある辺境伯劇場で演奏されたのが最初。
そのあとの主な記録としては、ワーグナー没後50年の1933年にR・シュトラウスの指揮、あとは1951年の戦後の新バイロイトスタートにフルトヴェングラー、さらには超有名となった1954年のフルトヴェングラー。
ワーグナー生誕150年の1963年にベーム、バイロイト125年・戦後再開50年の2001年にティーレマン。
ちなみに、バイロイト市内でのユダヤ系の作家・元政治家のミハエル・フリードマンの講演も再開され、カタリナ・ワーグナーは今回の式典のなかでもコメントをしている。
ワーグナーの反ユダヤ主義を批判するフリードマンのこの講演は、安全が確保できないとの理由で中止とされたが、そのこと自体も批判され、すったもんだしたようだ。
式典ではうだつのあがらないメルツ首相のスピーチや、カタリナ・ワーグナーのライバルでもあった従姉のニケ・ワーグナーの示唆に富む話などもあったようだ。
ちなみに、画像の背景にある壁画は、この日のために用意されたアートで、劇場の恩人ともいえるルートヴィヒ2世が、ワーグナーに金貨を与える様子がメインとなり、ワーグナーの横にはコジマも見える。
カタリナ・ワーグナー、リニフ、シュトッツマンなどの女性陣、トスカニーニ、フルトヴェングラーなども描かれていて、かつてバイロイトを差さえた巨匠、そしていまは女性もその重席で活躍中とのイメージなのだろう。
ついでにいうとヒトラーも左手奥にいますな・・・・・
式典+第9の次は、今年のプリミエ、「リエンツィ」
「オランダ人」以降の作品に限り上演されてきたバイロイト音楽祭において、初期三作の「妖精」「恋愛禁制」「リエンツィ」は150年間舞台にのることはなかった。
記念の年に、「リエンツィ」を今回限りということで上演され、ネットにてその音源と映像とをさっそく視聴することができた。
ワーグナー 歌劇「リエンツィ」
リエンツィ:アンドレアス・シャガー
イレーネ(妹):ガブリエッラ・シェラー
アドリアーノ(妹の恋人、コロンナの息子):ジェニファー・ホロウェイ
コロンナ(貴族):アンドレアス・バウアー・カナバス
オルシーニ(貴族):ミヒャエル・ナジ
枢機卿ライモンド:ヴィタリー・コワリョフ
バロンェッリ(リエンツィの同士):マティアス・スタイアー
チェッコ(リエンツィの同士):ミヒャエル・クプファー・ラデッキー
平和の使者:ヴィクトリア・ランデム
ナタリー・シュトッツマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:トーマス・エイトラー=デ・リント
演出:アレクサンドラ・セメレディ
マグドルナ・バルディトカ
(2026.7.26 @バイロイト祝祭劇場)
パリで一旗揚げよう、あわせて借金の返済にもあてようと目論んで作曲されたグランドオペラ風の大作「リエンツィ」。
しかしパリでは上演のお呼びがかからず、第2の故郷ドレスデンに帰り、そこでついに初演され異例の大成功を勝ち得る。
同時に作曲されていた「オランダ人」はその翌年に初演。
ワーグナー存命中、そして19世紀には、リエンツィはワーグナーの諸作のなかでいちばん上演されたオペラだという。
それが、バイロイトで上演されない作品となり、さらには一般の劇場でもほぼ上演機会のないオペラとなっているのがイマ。
オペラとして長大にすぎること、作品の完成度としてもオランダ人と比しても劣ること、登場人物が多いうえ実力派歌手が必要なこと、などが作品としての魅力に欠ける点。
それと大きな要素が、ヒトラーの存在。
ヒトラーはリエンツィの音楽(とくに序曲)にほれ込み、そしてなによりも若き頃のその上演に接し、リエンツィという登場人物に自分の理想とする指導者の姿を見ていた。
リエンツィの総譜は、ナチス政権時代には、ドイツ帝国音楽会議所の所蔵となっていて、ヒトラー50歳の誕生日のプレゼントにされてしまった。
若きヴィーラントは、ヒトラーにワーグナー家に総譜を渡して欲しいと依頼したことがあるが、ヒトラーは拒絶。
よほど好きだったのか。
リエンツィばかりか、妖精も恋愛禁制も、いずれもナチスの所蔵となってしまい終戦時にはそれらは行方不明となったらしい。
現在のリエンツィは、ドイツの楽譜出版会社のショット社による推敲を経た1970年代の全集版によるもの。
こんな経緯があるものだから、リエンツィの演出では、ヒトラーの影をそのまま投影させるものが多く、映像作品もそうしたものだ。
作品としての出来栄え、政治的に負わされてしまった背景、このふたつの重荷が「リエンツィ」にはあるわけです。
以下、以前のブログから引用~
実際に存在した「コーラ・ディ・リエンツォ(1313~1354)」は、公証人から政治家になった人物で、貴族批判をつらぬき、最後はやりすぎの施策から諸方から嫌悪され殺されてしまう劇的な人生を送った人物のようだ。
思えば、ワーグナーの好みそうな存在だったわけだ。
「平民の出であるリエンツィは貴族たちの横暴に対して平民の自由のため立ち上がり、熱狂した市民たちは国王になってもらいたいと乞われる。しかし、リエンツィは護民官と呼ばれたいという。
貴族たちはリエンツィを殺そうとし、ローマの新皇帝と教皇も貴族たちの奸計によりリエンツィを弾圧する。
扇動された無知な市民たちはリエンツィに反抗的な態度を見せるようになり、リエンツィは教会側から破門。
市民はリエンツィに投石し、彼の話など聞かなくなり、宮殿に火をつけてしまい、リエンツィはその火焔のなかに姿を消す・・・」
~引用終わり
各幕のあらすじは →過去記事
そうして1年とはいえ、今回のリエンツィ演出に選ばれたのは、ハンガリーの女性チーム。
彼女たちが総合演出、舞台装置・デザイン、衣装とすべてを担当。
クラッツァーを思わせるカジュアルなビジュアルぶりですが、このふたり侮るなかれ、調べたらオペラ演出では結構な実績があります。
セメレディ(右)はザルツブルクモーツァルテウムに学び、多くの演出家の元で実践を積み、バルディトカはバルトーク音楽院で音楽を本格的に学んでいる。
ふたりが組んで、ブタペストのワーグナー祭で演出を担当したり、最近ではリングもザールランド州立劇場で演出してる。
試しにザールの舞台を調べたら・・・そっとPC画面を閉じたくなるものでしたわ。
さまよえるバイロイトと言いたくなるくらいに、お寒い演出ばかりの昨今に相応しいものとなるか。それとも、「リエンツィ」というバイロイトとワーグナー家にとっての重荷を打破するような画期的なものになるのか・・・・
映像作品として見た限りでは、私はNOでしたね。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、あれもこれもぶち込みすぎて、無理筋が多いし、そこまで「イマの世界」と思える結びつけをするもんじゃないだろ。
長い上演を幕ごとにコメントするととんでもなく長くなるので、舞台の様子と思いは羅列します。
時代設定はあたりまえのように動かしていて、ローマ時代から、現代ないしは近い未来。
「序曲」
・この勇壮なる序曲が流れるなか、それとは関係なくドラマは開始。
3つの行き来が出来る部屋があり、リエンツィは書きものに夢中、別の部屋には病気の子供がいてぬいぐるみを抱えて苦しそうにしつつ、リエンツィの部屋に行って熱烈な愛情を注がれる。
真ん中の部屋では妹のイレーネがいて、子供を気遣ったり、リエンツィの書き物にアドバイスをしたりしつつ、リエンツィから兄妹とは思えぬ抱擁を受けたりして尋常でない関係を示す。
でも気の毒にも子供は死んでしまう。
悲しむ間もなく、下から別舞台がせりあがってきて、なぜか劇中ひんぱんに登場する「鳩」の映像がそこここに映り、各部屋には市民と思しき人々が手に手にスマホを持って操作中。
こんななかで、かの行進曲調の序曲が流れるのであります。
「第1幕」
・序曲の終盤から連続するシーンは、いちばん下の階がリエンツィの選対本部みたいで、彼のウィスキーボトルと亡き子の写真。
忙しく動き回るスタッフ~
そこへ支持者とともに出てくるのが貴族であるはずのオルシーニで、ここではスーツで決めたイケメン、イレーネをかどわかすことなく、ネットでリエンツィとの怪しげな関係をさらすという雰囲気で、そのイレーネは事務所でえらいことになったわ、と慌てるだけ。
リエンツィとイレーネのゴシップネタは、ネットで瞬く間に広がり階上の市民たちも大騒ぎ、そこへあらわれた貴族の本来設定のビジネスマンみたいなコロンナも加わり、オルシーニに加勢する。
そこに割って入るのがコロンナの息子、イレーネを愛するアドリアーノで、ドラマテックソプラノのズボン役ではあるが、ここではダボダボのパンツとゆったりめのジャケットを着た「男装女子」というイメージ。
これはジェンダーレス女子というのだろうか・・・
やがて貴族・市民(この舞台では設定がみんなメチャくちゃだから誰でもいい)が争いとなり、そこに突然リエンツィが演説台とともに出てきて、序曲で妹とともに造り上げた原稿を読み上げ演説をし、そこにかけよるマスコミの取材陣。
見ている全員は、スマホで撮影し、テレビ放送は首都から、というタイトルで実況中継されている。
リエンツィの演説は市民たちの心をつかみ、みんなニコニコになり、イイネボタンのプラカードをかかげる。
兄に政敵の息子を紹介するイレーネ、そこでの3者会談では、リエンツィはウィスキーをあおっていて、なにかを引きづって入る様子。
こうして、オルシーニ・リエンツィ・コロンナの3者で選挙が行われることとなり、3者の選挙公約もちゃんと書いてるし、候補者の様子、その家族など、やたらとリアルに演じられ、それがまたテレビ放送されるという手の込んだ入念さ。
市民たちは肌身離さずスマホ。
結果はリエンツィ41、コロンナ33、オルシーニ26という結果。
「第2幕」
リエンツィを讃えるにこやかな市民たちだが、本来は平和の使者、その動きがスローモーションになり、絶頂を迎えるリエンツィが階段を登るとその先は「出口」と書かれたドアの映像。
そのドアが左右に割かれると、そこに現れたのはクマさんのぬいぐるみを抱いて横たわる子供で、リエンツィは驚きで倒れ、子供は起き上がり血に染まった胸、傷口のあらわな両手の平で降りてくる。
(この作られた設定が混迷を感じる・・・)
コロンナとオルシーニの悪だくみは、仕切りができて、建物外で行われる。
ついで舞台にしつらえられた劇場で、使者たち歓迎のパントマイムバレーが行われる。
短縮版ではカットされる冗長な場面だ。
やたらとリアルな招待客の入場シーンについで、バイロイト祝祭劇場の前に飾ってある金色のワーグナーそのものの、お子様リヒャルト・ワーグナーが出てきて、舞台を仕切る。
驚くべきことに、ワーグナーのオランダ人以降のすべての作品のパロディが面白おかしく演じられる。
ご丁寧にこの劇中劇には、休憩もあり、観客はトイレに並んだり、酒を飲んだり、プレッツェルをかじったりしてる。
どこの世界も女性トイレの行列の方が長いのだ。
劇の終わりとともに、リエンツィがなにものかに襲われるが、本来のト書きではオルシーニが刺すはずなのだが犯人は仮面の知らない男だった。
民衆裁判の場となり、皆は親指を下に向け極刑を望む姿勢。
妹とアドリアーノは慈悲の嘆願をし、民衆は仮面を装着し極刑を歌う、このあたりがイマイチよくわからない設定で、音楽的には心理描写も含んだ重唱として聴かせどころと思うが、演出が不明すぎ。
恩赦を決意したリエンツィを讃える妹と恋人、民衆、不満そうな側近たち、主犯格の貴族と心離れを起こしている枢機卿。
みんなグラスを交わしながら宴もたけなわとなるが、ひとりリエンツィはウィスキーをあおりつつ、心ここにあらず、うつろで不安にかられた動きを示す。
1幕と2幕は連続して上演され、ここで幕が降りるがあ、はやくも「ブー」。
「第3幕」
イレーネの部屋で一夜をすごすアドリアーノのシーンが前奏曲。
ついで逃亡した貴族たちが攻めてくるぞと男達が全員スマホを見ながら終結し、リエンツィの側近たちも、あのとき情けをかけたリエンツィが悪いんだと批判。
出てきたリエンツィは戦闘を鼓舞し自分たちの正当性を演説するとスクリーンには勇ましい軍隊行進の映像と男達の足踏み。
リエンツィが独裁・独善へと走り出したターニングポイントを強調する演出。
でもいきなり掃射をくらってほぼ全員ぶっ倒れると言う極端なシーンには笑ってしまった。
ここでアドリアーナの劇的なアリアがはいるが、屍を前に、無表情で立ち尽くすリエンツィとイレーネ。
ホロウェイの劇唱が素晴らしいところだ。
このアリア、オランダ人のエリックのカヴァティーナを思わせる。
この後が戦闘の準備シーンとなり倒れていた男達=ローマ市民は白Tシャツから今風の軍服に着替える。
イレーネがリエンツィに演説の台本を渡し、鼓舞するように命じるようなシーンもあった。
「santo spirito cavaliere(聖霊の騎士よ!)」と何度も繰り返される序曲に出てくる忘れられないフレーズもここでは無味乾燥の軍隊鼓舞にしか見えない。
軍靴の映像、燃える市街(イスラエルに攻撃されたどこかみたいに見えた)の映像が次々と映し出され、戦闘を辞めさせに走りたいアドリアーノと制止するイレーネ、残された女たちの祈りなどが絡み合い舞台は複雑だし、あげくには子供もつれてこられ、彼らにまで軍服を着せ連れてゆくという無謀ぶりまで描かれる(これウクライナじゃね?)。
あっという間の戦闘終結は、原作もあっけないが、ここではオルシーニとコロンナが引っ立てられてきて、このふたりをリエンツィが銃殺するシーンが描かれていて、ここまでのリアルは原作にはない。
リエンツィはふてぶてしく横暴になりヘラヘラしてる。
映像に映し出される墓。枢機卿、女性たち、負傷した男達もドン引きになり、ふさぎ込み、アドリアーノは激昂して復讐を誓う。 
「第4幕」
この上演では、これまで音源などでは5幕の頭にあったリエンツィの高名なあアリアが4幕の冒頭に来てる。
短銃で自決を図ろうとしつつ、酒を浴びるように飲んでるリエンツィ。
音楽はあの美しい旋律が流れるというこの虚しさ。
なんでここまでやらなきゃ気が済まんかね?見る側の想像力を信頼しろ、といいたい。
素晴らしい音楽が台無しなのだよ。
アリアのあとに、通常の4幕が始まり、全員がスマホを手にリエンツィの悪い噂がある、ドイツ王子の選出にかかわり不興をかっていると騒ぎになる。
アドリアーノも出てきて、そんな証拠はいくらでもあるよ、とスマホを繰りながら歌う。
ともかく、ネコも杓子もスマホで情報を得て、交換し合い、怒ったり泣いたりするのだよ(笑)
アドリアーノはライフルをしょって、高台に登って見張る。
教会に向かうリエンツィとイレーネ、テデウムが厳かに流れ、それを見まもる市民たちは無表情かつスローモーション。
枢機卿や背景の僧侶たちがリエンツィを断罪するとリエンツィは倒れ込んでもがき苦しみ、イレーネは無表情で見つめる。
この静かなシーンはサスペンスタッチでよく出来てると思った。
恋人かあらの逃亡の誘いを断り、リエンツィに駆け寄るイレーネ・・・・
「第5幕」
テデウムが流れる中、建物の壁が降りてきて、本来の知ってた5幕の2場につながる。
兄と妹の、まるでワルキューレのようなシーンとなる。
激したリエンツィは、刃物で自傷行為を行い、その手でイレーネを抱きしめるものだから二人の白い衣装は血だらけに・・・
昨今のオペラは平気で血が出る・・・好きじゃないよ。
しまいには妹に刃物を持たせ、彼女は兄をぶっさしてしまうんだ。
絶望する兄とそれを見捨てない、ローマを忘れないとする妹。
舞台の前にぶっ倒れるリエンツィ。
アドリアーノが出てきて早く逃げようと言うが、ナイフを振りかざして拒絶するイレーネ。
制止する彼をよそ眼に。イレーネはナイフでこれまた自傷。
ワタシは自由と歌う。ここでの決意のイレーネのフレーズはゼンタの自己犠牲の場面にそっくりなことに気づいた。
リエンツィの館に押し掛ける民衆、この舞台では観客のように席に座ってスローモーションで嘲笑の表情を作りながら非難。
立ち上がったリエンツィは再び鼓舞をして、その背景ではビルの摩天楼が崩壊してゆくシーンが映しだされる。
レッドカーペットが敷かれた階段が出現し、その先には茫洋とした人物があらわれこちらに向かってくる。
そこに向かって手を差し伸べ倒れるリエンツィ。
画面の奥ではかの少年らしき顔も・・・
最後はイレーネが立ち上がり、こちらを見つめ、暗闇となり幕。
幕
メチャ長くなりましたがね、こんなんじゃ書ききれないことが舞台で起きていて、よくもまあ4時間あまりのこの複雑なオペラをこうも細かくも分析し解釈し、演出を施せたものだと感心します。
そうした点では大いに評価してよい。
でも先に述べたように、いろんなものを盛り込みすぎで、ただでさえドラマと音楽の求心力がイマイチな作品なだけにかえってやりすぎだと思わざるを得ないのです。
主張したかったであろう点を勝手に想像してみる
・時代設定を近未来にすることで、いま世界でおきているナショナリズム的・自国優先的な動きが独裁を生むという危険性
・スマホひとつでよくも悪くも情報拡散、政治も動かし、気づかぬうちに体制が変わってしまう
・某大統領への揶揄?
・近親相姦、フェミニズム、ジェンダーボーダーレスなど、ワーグナーが先を行っていたとする説の盛り込み
・あたりまえに多様性。目立つアジア系の合唱団員
・自己犠牲の連関、オランダ人と神々の黄昏の先触れの終末論
・意味不明な子供の登場は、もしや救い主?
・海外評では映像で、マタイ伝24章1~33節が映像で流されているという。
イエスが弟子に語る終末の訓話で、世の終わりの前兆として神殿の崩壊、偽預言者の出現、戦争、迫害などが起きる。
人の子の到来のしるしがあらわれる。
これらの苦難に最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
最後の聖書の内容は、この演出に符合すると思う。
バイロイトとワーグナーが背負ってしまったリエンツィの重荷、それを解消するには独裁者を否定し、あらたな世界の到来を予見させる・・・そんな意図が張り巡らされていたのではないだろうか。
そう思うと実によく考えられた演出であったといえる。
そのうえで、私はやりすぎと思う次第です。
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歌手たちは、どんなに賛辞を捧げても足りません。
絶賛されたのがホロウェイで、凛々しくもあり、張り詰めたその声はワーグナーやシュトラウスにぴったり。
重たすぎない声でもあり、サロメ歌いから、今後、ゼンタやジークリンデ、ワーグナー歌手として活躍して欲しい。
もうひとりのヒロイン、シェラーは美人さんで、リングではイケてるグートルーネを演じてたが、このリエンツィでは聴かせどころは少ないもののクールな演技とその暖かな歌唱が印象的。
彼女も今後、おおいに活躍が見込まれますな。
タイトルロールのシャガーは、まさに相変わらずのタフガイ。
さすがに声にやや衰えも感じなくもないが、この長丁場を歌いきれるヘルデンテノールはほかにないだろうし、カウフマンの悲劇臭あふれる声にはお似合いの役だが、忙しすぎるからムリだろう。
見た目もふくめ、もう少し若い歌手で観てみたい演出だ。
お馴染みのナジのオルシーニの美声、ラデツキーの豹変するチェッコ役も印象的だった。
ほかの諸役の水準が高い。
合唱団は相変わらず強靭でありつつ、ひとりひとりの演技力も問われる演出に見事にこたえてましたね。
最後に絶賛したいのはシュトッツマンの指揮。
完全に作品を手の内に収めた音楽造りで、動きの多い舞台に連動して、巧みにオーケストラをコントロールしていて、CDで聴くリエンツィの音楽よりも、よりニュアンスが豊かに感じたし、強弱の振幅も極めて大きく、それが自然に感じた次第。
シュトッツマン、ますますオペラの手練れになってきた。
映像やバイエルン放送の音源に収められた聴衆の反応では、歌手と合唱、指揮には大ブラボー。
演出陣ご一行には容赦ないブーイングが捧げられるかと思ったら、最後のブーは少なめ。
1年限りとされるが、これだけのプロダクションだから、どこかほかの劇場が引き継ぐかもしれないですね。
美人さんなガブリエッラ・シェラーさま
リンツィ 過去記事
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