カテゴリー「オペラ」の記事

2026年8月 9日 (日)

ワーグナー 「リエンツィ」 シュトッツマン指揮 バイロイト2026

Beethoven-baayreuth-2026

バイロイト祝祭劇場開設から150年の今年。

政治家・ゆかりの人などがスピーチを行う記念式典が行われ、メインの「第9」の模様はさっそくBR放送局のネットで聴きました。
ティーレマンの指揮で、「マイスタージンガー」前奏曲、「タンホイザー」歌の殿堂の合唱もその前に演奏。
最近では珍しくなった重厚な「第9」を聴き、妙に新鮮な気分になったと同時に、いつまでもティーレマンでいいのかな?とも贅沢にも思った自分。

バイロイトの第9といえば、劇場の基礎が施工された記念に1872年にワーグナーの指揮で、バイロイト市内にある辺境伯劇場で演奏されたのが最初。
そのあとの主な記録としては、ワーグナー没後50年の1933年にR・シュトラウスの指揮、あとは1951年の戦後の新バイロイトスタートにフルトヴェングラー、さらには超有名となった1954年のフルトヴェングラー。
ワーグナー生誕150年の1963年にベーム、バイロイト125年・戦後再開50年の2001年にティーレマン。

ちなみに、バイロイト市内でのユダヤ系の作家・元政治家のミハエル・フリードマンの講演も再開され、カタリナ・ワーグナーは今回の式典のなかでもコメントをしている。
ワーグナーの反ユダヤ主義を批判するフリードマンのこの講演は、安全が確保できないとの理由で中止とされたが、そのこと自体も批判され、すったもんだしたようだ。
式典ではうだつのあがらないメルツ首相のスピーチや、カタリナ・ワーグナーのライバルでもあった従姉のニケ・ワーグナーの示唆に富む話などもあったようだ。

ちなみに、画像の背景にある壁画は、この日のために用意されたアートで、劇場の恩人ともいえるルートヴィヒ2世が、ワーグナーに金貨を与える様子がメインとなり、ワーグナーの横にはコジマも見える。
カタリナ・ワーグナー、リニフ、シュトッツマンなどの女性陣、トスカニーニ、フルトヴェングラーなども描かれていて、かつてバイロイトを差さえた巨匠、そしていまは女性もその重席で活躍中とのイメージなのだろう。
ついでにいうとヒトラーも左手奥にいますな・・・・・

式典+第9の次は、今年のプリミエ、「リエンツィ」
「オランダ人」以降の作品に限り上演されてきたバイロイト音楽祭において、初期三作の「妖精」「恋愛禁制」「リエンツィ」は150年間舞台にのることはなかった。
記念の年に、「リエンツィ」を今回限りということで上演され、ネットにてその音源と映像とをさっそく視聴することができた。

Rienzi-01

   ワーグナー 歌劇「リエンツィ」

 リエンツィ:アンドレアス・シャガー
 イレーネ(妹):ガブリエッラ・シェラー
 アドリアーノ(妹の恋人、コロンナの息子):ジェニファー・ホロウェイ
 コロンナ(貴族):アンドレアス・バウアー・カナバス
 オルシーニ(貴族):ミヒャエル・ナジ
 枢機卿ライモンド:ヴィタリー・コワリョフ
 バロンェッリ(リエンツィの同士):マティアス・スタイアー
 チェッコ(リエンツィの同士):ミヒャエル・クプファー・ラデッキー
 平和の使者:ヴィクトリア・ランデム

 ナタリー・シュトッツマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

                バイロイト祝祭合唱団

      合唱指揮:トーマス・エイトラー=デ・リント

      演出:アレクサンドラ・セメレディ
         マグドルナ・バルディトカ
 
                           (2026.7.26  @バイロイト祝祭劇場)

パリで一旗揚げよう、あわせて借金の返済にもあてようと目論んで作曲されたグランドオペラ風の大作「リエンツィ」。
しかしパリでは上演のお呼びがかからず、第2の故郷ドレスデンに帰り、そこでついに初演され異例の大成功を勝ち得る。
同時に作曲されていた「オランダ人」はその翌年に初演。
ワーグナー存命中、そして19世紀には、リエンツィはワーグナーの諸作のなかでいちばん上演されたオペラだという。

それが、バイロイトで上演されない作品となり、さらには一般の劇場でもほぼ上演機会のないオペラとなっているのがイマ。
オペラとして長大にすぎること、作品の完成度としてもオランダ人と比しても劣ること、登場人物が多いうえ実力派歌手が必要なこと、などが作品としての魅力に欠ける点。
 それと大きな要素が、ヒトラーの存在。
ヒトラーはリエンツィの音楽(とくに序曲)にほれ込み、そしてなによりも若き頃のその上演に接し、リエンツィという登場人物に自分の理想とする指導者の姿を見ていた。
リエンツィの総譜は、ナチス政権時代には、ドイツ帝国音楽会議所の所蔵となっていて、ヒトラー50歳の誕生日のプレゼントにされてしまった。
若きヴィーラントは、ヒトラーにワーグナー家に総譜を渡して欲しいと依頼したことがあるが、ヒトラーは拒絶。
よほど好きだったのか。
リエンツィばかりか、妖精も恋愛禁制も、いずれもナチスの所蔵となってしまい終戦時にはそれらは行方不明となったらしい。
現在のリエンツィは、ドイツの楽譜出版会社のショット社による推敲を経た1970年代の全集版によるもの。
 こんな経緯があるものだから、リエンツィの演出では、ヒトラーの影をそのまま投影させるものが多く、映像作品もそうしたものだ。
作品としての出来栄え、政治的に負わされてしまった背景、このふたつの重荷が「リエンツィ」にはあるわけです。

以下、以前のブログから引用~

実際に存在した「コーラ・ディ・リエンツォ(1313~1354)」は、公証人から政治家になった人物で、貴族批判をつらぬき、最後はやりすぎの施策から諸方から嫌悪され殺されてしまう劇的な人生を送った人物のようだ。
思えば、ワーグナーの好みそうな存在だったわけだ。

「平民の出であるリエンツィは貴族たちの横暴に対して平民の自由のため立ち上がり、熱狂した市民たちは国王になってもらいたいと乞われる。しかし、リエンツィは護民官と呼ばれたいという。
貴族たちはリエンツィを殺そうとし、ローマの新皇帝と教皇も貴族たちの奸計によりリエンツィを弾圧する。
扇動された無知な市民たちはリエンツィに反抗的な態度を見せるようになり、リエンツィは教会側から破門。
市民はリエンツィに投石し、彼の話など聞かなくなり、宮殿に火をつけてしまい、リエンツィはその火焔のなかに姿を消す・・・」

~引用終わり
 各幕のあらすじは →過去記事

そうして1年とはいえ、今回のリエンツィ演出に選ばれたのは、ハンガリーの女性チーム。
彼女たちが総合演出、舞台装置・デザイン、衣装とすべてを担当。

Szemeredyundparditka

クラッツァーを思わせるカジュアルなビジュアルぶりですが、このふたり侮るなかれ、調べたらオペラ演出では結構な実績があります。
セメレディ(右)はザルツブルクモーツァルテウムに学び、多くの演出家の元で実践を積み、バルディトカはバルトーク音楽院で音楽を本格的に学んでいる。
ふたりが組んで、ブタペストのワーグナー祭で演出を担当したり、最近ではリングもザールランド州立劇場で演出してる。
試しにザールの舞台を調べたら・・・そっとPC画面を閉じたくなるものでしたわ。
さまよえるバイロイトと言いたくなるくらいに、お寒い演出ばかりの昨今に相応しいものとなるか。それとも、「リエンツィ」というバイロイトとワーグナー家にとっての重荷を打破するような画期的なものになるのか・・・・

映像作品として見た限りでは、私はNOでしたね。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、あれもこれもぶち込みすぎて、無理筋が多いし、そこまで「イマの世界」と思える結びつけをするもんじゃないだろ。

長い上演を幕ごとにコメントするととんでもなく長くなるので、舞台の様子と思いは羅列します。

時代設定はあたりまえのように動かしていて、ローマ時代から、現代ないしは近い未来。

「序曲」

・この勇壮なる序曲が流れるなか、それとは関係なくドラマは開始。
3つの行き来が出来る部屋があり、リエンツィは書きものに夢中、別の部屋には病気の子供がいてぬいぐるみを抱えて苦しそうにしつつ、リエンツィの部屋に行って熱烈な愛情を注がれる。
真ん中の部屋では妹のイレーネがいて、子供を気遣ったり、リエンツィの書き物にアドバイスをしたりしつつ、リエンツィから兄妹とは思えぬ抱擁を受けたりして尋常でない関係を示す。
でも気の毒にも子供は死んでしまう。
悲しむ間もなく、下から別舞台がせりあがってきて、なぜか劇中ひんぱんに登場する「鳩」の映像がそこここに映り、各部屋には市民と思しき人々が手に手にスマホを持って操作中。
こんななかで、かの行進曲調の序曲が流れるのであります。

「第1幕」

・序曲の終盤から連続するシーンは、いちばん下の階がリエンツィの選対本部みたいで、彼のウィスキーボトルと亡き子の写真。
忙しく動き回るスタッフ~
そこへ支持者とともに出てくるのが貴族であるはずのオルシーニで、ここではスーツで決めたイケメン、イレーネをかどわかすことなく、ネットでリエンツィとの怪しげな関係をさらすという雰囲気で、そのイレーネは事務所でえらいことになったわ、と慌てるだけ。
リエンツィとイレーネのゴシップネタは、ネットで瞬く間に広がり階上の市民たちも大騒ぎ、そこへあらわれた貴族の本来設定のビジネスマンみたいなコロンナも加わり、オルシーニに加勢する。
 そこに割って入るのがコロンナの息子、イレーネを愛するアドリアーノで、ドラマテックソプラノのズボン役ではあるが、ここではダボダボのパンツとゆったりめのジャケットを着た「男装女子」というイメージ。
これはジェンダーレス女子というのだろうか・・・
 やがて貴族・市民(この舞台では設定がみんなメチャくちゃだから誰でもいい)が争いとなり、そこに突然リエンツィが演説台とともに出てきて、序曲で妹とともに造り上げた原稿を読み上げ演説をし、そこにかけよるマスコミの取材陣。
見ている全員は、スマホで撮影し、テレビ放送は首都から、というタイトルで実況中継されている。
リエンツィの演説は市民たちの心をつかみ、みんなニコニコになり、イイネボタンのプラカードをかかげる。
兄に政敵の息子を紹介するイレーネ、そこでの3者会談では、リエンツィはウィスキーをあおっていて、なにかを引きづって入る様子。

Rienzi-021

こうして、オルシーニ・リエンツィ・コロンナの3者で選挙が行われることとなり、3者の選挙公約もちゃんと書いてるし、候補者の様子、その家族など、やたらとリアルに演じられ、それがまたテレビ放送されるという手の込んだ入念さ。
市民たちは肌身離さずスマホ。
結果はリエンツィ41、コロンナ33、オルシーニ26という結果。

「第2幕」

リエンツィを讃えるにこやかな市民たちだが、本来は平和の使者、その動きがスローモーションになり、絶頂を迎えるリエンツィが階段を登るとその先は「出口」と書かれたドアの映像。

Rienzi-031

そのドアが左右に割かれると、そこに現れたのはクマさんのぬいぐるみを抱いて横たわる子供で、リエンツィは驚きで倒れ、子供は起き上がり血に染まった胸、傷口のあらわな両手の平で降りてくる。
(この作られた設定が混迷を感じる・・・)
コロンナとオルシーニの悪だくみは、仕切りができて、建物外で行われる。
 ついで舞台にしつらえられた劇場で、使者たち歓迎のパントマイムバレーが行われる。
短縮版ではカットされる冗長な場面だ。
やたらとリアルな招待客の入場シーンについで、バイロイト祝祭劇場の前に飾ってある金色のワーグナーそのものの、お子様リヒャルト・ワーグナーが出てきて、舞台を仕切る。
驚くべきことに、ワーグナーのオランダ人以降のすべての作品のパロディが面白おかしく演じられる。
ご丁寧にこの劇中劇には、休憩もあり、観客はトイレに並んだり、酒を飲んだり、プレッツェルをかじったりしてる。
どこの世界も女性トイレの行列の方が長いのだ。
 劇の終わりとともに、リエンツィがなにものかに襲われるが、本来のト書きではオルシーニが刺すはずなのだが犯人は仮面の知らない男だった。
民衆裁判の場となり、皆は親指を下に向け極刑を望む姿勢。
妹とアドリアーノは慈悲の嘆願をし、民衆は仮面を装着し極刑を歌う、このあたりがイマイチよくわからない設定で、音楽的には心理描写も含んだ重唱として聴かせどころと思うが、演出が不明すぎ。
恩赦を決意したリエンツィを讃える妹と恋人、民衆、不満そうな側近たち、主犯格の貴族と心離れを起こしている枢機卿。
みんなグラスを交わしながら宴もたけなわとなるが、ひとりリエンツィはウィスキーをあおりつつ、心ここにあらず、うつろで不安にかられた動きを示す。
 1幕と2幕は連続して上演され、ここで幕が降りるがあ、はやくも「ブー」。

「第3幕」

イレーネの部屋で一夜をすごすアドリアーノのシーンが前奏曲。
ついで逃亡した貴族たちが攻めてくるぞと男達が全員スマホを見ながら終結し、リエンツィの側近たちも、あのとき情けをかけたリエンツィが悪いんだと批判。
出てきたリエンツィは戦闘を鼓舞し自分たちの正当性を演説するとスクリーンには勇ましい軍隊行進の映像と男達の足踏み。
リエンツィが独裁・独善へと走り出したターニングポイントを強調する演出。
でもいきなり掃射をくらってほぼ全員ぶっ倒れると言う極端なシーンには笑ってしまった。
 ここでアドリアーナの劇的なアリアがはいるが、屍を前に、無表情で立ち尽くすリエンツィとイレーネ。
ホロウェイの劇唱が素晴らしいところだ。
このアリア、オランダ人のエリックのカヴァティーナを思わせる。
 この後が戦闘の準備シーンとなり倒れていた男達=ローマ市民は白Tシャツから今風の軍服に着替える。
イレーネがリエンツィに演説の台本を渡し、鼓舞するように命じるようなシーンもあった。
「santo spirito cavaliere(聖霊の騎士よ!)」と何度も繰り返される序曲に出てくる忘れられないフレーズもここでは無味乾燥の軍隊鼓舞にしか見えない。
軍靴の映像、燃える市街(イスラエルに攻撃されたどこかみたいに見えた)の映像が次々と映し出され、戦闘を辞めさせに走りたいアドリアーノと制止するイレーネ、残された女たちの祈りなどが絡み合い舞台は複雑だし、あげくには子供もつれてこられ、彼らにまで軍服を着せ連れてゆくという無謀ぶりまで描かれる(これウクライナじゃね?)。
 あっという間の戦闘終結は、原作もあっけないが、ここではオルシーニとコロンナが引っ立てられてきて、このふたりをリエンツィが銃殺するシーンが描かれていて、ここまでのリアルは原作にはない。
リエンツィはふてぶてしく横暴になりヘラヘラしてる。
映像に映し出される墓。枢機卿、女性たち、負傷した男達もドン引きになり、ふさぎ込み、アドリアーノは激昂して復讐を誓う。
 

Rienzi-081

「第4幕」

この上演では、これまで音源などでは5幕の頭にあったリエンツィの高名なあアリアが4幕の冒頭に来てる。
短銃で自決を図ろうとしつつ、酒を浴びるように飲んでるリエンツィ。
音楽はあの美しい旋律が流れるというこの虚しさ。
なんでここまでやらなきゃ気が済まんかね?見る側の想像力を信頼しろ、といいたい。
素晴らしい音楽が台無しなのだよ。
 アリアのあとに、通常の4幕が始まり、全員がスマホを手にリエンツィの悪い噂がある、ドイツ王子の選出にかかわり不興をかっていると騒ぎになる。
アドリアーノも出てきて、そんな証拠はいくらでもあるよ、とスマホを繰りながら歌う。
ともかく、ネコも杓子もスマホで情報を得て、交換し合い、怒ったり泣いたりするのだよ(笑)
アドリアーノはライフルをしょって、高台に登って見張る。
教会に向かうリエンツィとイレーネ、テデウムが厳かに流れ、それを見まもる市民たちは無表情かつスローモーション。
枢機卿や背景の僧侶たちがリエンツィを断罪するとリエンツィは倒れ込んでもがき苦しみ、イレーネは無表情で見つめる。
この静かなシーンはサスペンスタッチでよく出来てると思った。
恋人かあらの逃亡の誘いを断り、リエンツィに駆け寄るイレーネ・・・・

 「第5幕」

テデウムが流れる中、建物の壁が降りてきて、本来の知ってた5幕の2場につながる。

Rienzi-051

兄と妹の、まるでワルキューレのようなシーンとなる。
激したリエンツィは、刃物で自傷行為を行い、その手でイレーネを抱きしめるものだから二人の白い衣装は血だらけに・・・
昨今のオペラは平気で血が出る・・・好きじゃないよ。
しまいには妹に刃物を持たせ、彼女は兄をぶっさしてしまうんだ。
絶望する兄とそれを見捨てない、ローマを忘れないとする妹。
舞台の前にぶっ倒れるリエンツィ。
 アドリアーノが出てきて早く逃げようと言うが、ナイフを振りかざして拒絶するイレーネ。
制止する彼をよそ眼に。イレーネはナイフでこれまた自傷。
ワタシは自由と歌う。ここでの決意のイレーネのフレーズはゼンタの自己犠牲の場面にそっくりなことに気づいた。
 リエンツィの館に押し掛ける民衆、この舞台では観客のように席に座ってスローモーションで嘲笑の表情を作りながら非難。
立ち上がったリエンツィは再び鼓舞をして、その背景ではビルの摩天楼が崩壊してゆくシーンが映しだされる。

Rienzi-041

レッドカーペットが敷かれた階段が出現し、その先には茫洋とした人物があらわれこちらに向かってくる。
そこに向かって手を差し伸べ倒れるリエンツィ。
画面の奥ではかの少年らしき顔も・・・
最後はイレーネが立ち上がり、こちらを見つめ、暗闇となり幕。

Rienzi-071

         

メチャ長くなりましたがね、こんなんじゃ書ききれないことが舞台で起きていて、よくもまあ4時間あまりのこの複雑なオペラをこうも細かくも分析し解釈し、演出を施せたものだと感心します。
そうした点では大いに評価してよい。

でも先に述べたように、いろんなものを盛り込みすぎで、ただでさえドラマと音楽の求心力がイマイチな作品なだけにかえってやりすぎだと思わざるを得ないのです。

主張したかったであろう点を勝手に想像してみる

・時代設定を近未来にすることで、いま世界でおきているナショナリズム的・自国優先的な動きが独裁を生むという危険性
・スマホひとつでよくも悪くも情報拡散、政治も動かし、気づかぬうちに体制が変わってしまう
・某大統領への揶揄?
・近親相姦、フェミニズム、ジェンダーボーダーレスなど、ワーグナーが先を行っていたとする説の盛り込み
・あたりまえに多様性。目立つアジア系の合唱団員
・自己犠牲の連関、オランダ人と神々の黄昏の先触れの終末論
・意味不明な子供の登場は、もしや救い主?
・海外評では映像で、マタイ伝24章1~33節が映像で流されているという。
 イエスが弟子に語る終末の訓話で、世の終わりの前兆として神殿の崩壊、偽預言者の出現、戦争、迫害などが起きる。
 人の子の到来のしるしがあらわれる。
  これらの苦難に最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

最後の聖書の内容は、この演出に符合すると思う。
バイロイトとワーグナーが背負ってしまったリエンツィの重荷、それを解消するには独裁者を否定し、あらたな世界の到来を予見させる・・・そんな意図が張り巡らされていたのではないだろうか。

そう思うと実によく考えられた演出であったといえる。
そのうえで、私はやりすぎと思う次第です。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歌手たちは、どんなに賛辞を捧げても足りません。
絶賛されたのがホロウェイで、凛々しくもあり、張り詰めたその声はワーグナーやシュトラウスにぴったり。
重たすぎない声でもあり、サロメ歌いから、今後、ゼンタやジークリンデ、ワーグナー歌手として活躍して欲しい。
 もうひとりのヒロイン、シェラーは美人さんで、リングではイケてるグートルーネを演じてたが、このリエンツィでは聴かせどころは少ないもののクールな演技とその暖かな歌唱が印象的。
彼女も今後、おおいに活躍が見込まれますな。
 タイトルロールのシャガーは、まさに相変わらずのタフガイ。
さすがに声にやや衰えも感じなくもないが、この長丁場を歌いきれるヘルデンテノールはほかにないだろうし、カウフマンの悲劇臭あふれる声にはお似合いの役だが、忙しすぎるからムリだろう。
見た目もふくめ、もう少し若い歌手で観てみたい演出だ。
 お馴染みのナジのオルシーニの美声、ラデツキーの豹変するチェッコ役も印象的だった。
ほかの諸役の水準が高い。
 合唱団は相変わらず強靭でありつつ、ひとりひとりの演技力も問われる演出に見事にこたえてましたね。

最後に絶賛したいのはシュトッツマンの指揮。
完全に作品を手の内に収めた音楽造りで、動きの多い舞台に連動して、巧みにオーケストラをコントロールしていて、CDで聴くリエンツィの音楽よりも、よりニュアンスが豊かに感じたし、強弱の振幅も極めて大きく、それが自然に感じた次第。
シュトッツマン、ますますオペラの手練れになってきた。

映像やバイエルン放送の音源に収められた聴衆の反応では、歌手と合唱、指揮には大ブラボー。
演出陣ご一行には容赦ないブーイングが捧げられるかと思ったら、最後の
ブーは少なめ。
1年限りとされるが、これだけのプロダクションだから、どこかほかの劇場が引き継ぐかもしれないですね。

Gabriela-scherer

美人さんなガブリエッラ・シェラーさま

 リンツィ 過去記事

「スタインバーグの映像、ヴァイグレの音源」(2023)

「ホルライザー指揮 ドレスデン」(2009)

「サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア 初期作序曲集」(2008)

| | コメント (0)

2026年3月 5日 (木)

マリア・キアーラ アリア集

Oi-1

満開の河津桜🌸

隣の隣の町、大井町の山頂は毎年こうして桜が満開となり、本来なら富士もきれいに見えるのですが、この日はあいにく薄曇り。

Oi-2

ソメイヨシノよりもピンクが濃く、よけいに春の訪れを感じさせますな。

近くのひな祭り会場で甘酒もいただきましたよ。

Maria-chiara

 マリア・キアーラ アリア集

  ドニゼッティ 「アンナ・ボレーナ」
  ベッリーニ  「清教徒」
  ボイート   「メフィストフェーレ」
  プッチーニ  「ラ・ボエーム」「マノン・レスコー」「トゥーランドット」
  
      チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」
  ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」
  マスカーニ  「友人フリッツ」
  レオンカヴァッロ 「パリアッチ」
  カタラーニ  「ラ・ワリー」
  マスカーニ  「イリス」

      S:マリア・キアーラ

  ネロ・サンティ指揮 ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団

  クルト・ヘルベルト・アドラー指揮 ナショナル・フィルハーモニー

        (1971.6,9 @ゾフィエンザール、ウィーン
         1977.7 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

録音にあまりに恵まれなかった不遇の大ソプラノ、マリア・キアーラを久しぶりに聴く。
1939年ヴェネチアの北あたりのオデルツォという美しい町の生まれ。
まだご存命でして、ともかくデビュー時から美人の誉れ高く、数年前のお姿も確認できましたが、じつに美しくお歳を重ねておいでのご様子でした。
リリコからスタートして、80年代にはアイーダを歌うまでになりドラマティコとなった、その経歴は、先輩のミレッラ・フレーニと同じ。
スコットが1934年、フレーニが1935年、それぞれの生まれなのでキアーラはその少し下。
キアーラと同時期に鮮烈なデビューをし、レパートリーもかぶったリッチャレッリは1946年の生まれです。
ちなみに、リッチャレッリの生まれ故郷はヴェネチアの南西部にあるロヴィーゴという町で、ふたりは案外と近くの生まれなのでした。

少し後輩のリッチャレッリが、カラヤンやアバドに重用され、たくさんのレコーディングに恵まれたのに、キアーラには正規録音がほんとに少なく、あまりに不当で無念すぎる。

71年にデッカに2枚のアリア集、72年にオイロディスクに「蝶々夫人」、76年にデッカにW.フェラーリの「スザンナの秘密」、77年にデッカにヴェリスモアリア集、そして86年の「アイーダ」。
これがすべてで、これしかないのである。
レパートリーはかなりひろく、純正ベルカント系からヴェルディ、プッチーニ、ザンドナイ、ワーグナー(エルザ)、ヘンツェまでを歌った履歴があるという。
1989年にはアレーナ・ディ・ヴェローナ引っ越し公演がバブリーにもありアイーダで来日しているが、当時の自分は、代々木の体育館での見世物みいな上演を小ばかにして観ようとも思わなかったので、残念なことをしたものだ。

Chiara2

アリア集はレコードとして国内発売されず、キアーラの日本でのレコードデビューは、73年発売の「蝶々夫人」です。
デッカがあまり積極的にならないなか、ドイツのレーベルから、ドイツのオケ、ドイツオペラ系の歌手たちと録音された蝶々さん。
3枚組で当時中学生だったので、なかなか手が伸びなかった。
一方のリッチャレッリはRCAレーベルが推す看板歌手として次々に新録音がでてました。

デッカがもう少し積極的に動いていれば、とも思いますが、キアーラのマネジメントサイドの力量などもあったのかもしれない。

うらんでもしょうがないから、残されている音源を大切に聴くとします。
今回は、アリア集ですが、「蝶々さん」と「アイーダ」は近くまた取り上げるつもりです。

今回のCDは3枚残されたアリア集のうち2枚分を収めたもので、あと1枚はヴェルディですが、未入手であります。

キアーラの声は、ともかく清潔で清純そのもの。
ドニゼッティやベッリーニに聴かれる、若き日のフレーニをも思い起こすようなリリシズムにあふれたベルカント唱法はまさに耳も洗われるほどにフレッシュな魅力にあふれてます。
「清教徒」のエルヴィーラのアリアなど、まことに素晴らしく、デッカはサザーランドでなく、キアーラで録音すべきだったと叱責したくなる。

得意のプッチーニでは、ドラマテックな歌い方よりは、抑制された静的な感情表現がとても慎ましく、愛すべきプッチーニの各タイトルのロールをあまりにも素敵に歌ってます。
ミミなんて、もう理想的な感じでして、ほんの数分のアリアのデリケートな表現に耳をそばだて涙してしまうのでした。
ほんと美しい声だし、ガラスのような儚さもにじませる声なんです。

一転、アドリアーナやマッダレーナあたりになると、ドラマテックな切れ味や恰幅のいい表現力にこの時期のキアーラはまだ不足。
でも無理せず、優しく彼女ならではの声で自分のできる表現に徹しているのが好ましく、ピュアな情感にあふれてます。

リッチャレッリの声は、ややほの暗さ感じる低音が魅力でドラマテックな役柄では常に無理がつきまとった感じがしていたが、キアーラは蝶々さんとアイーダに聴かれるとおり、自分のリリカルな声を活かした優しさと瑞々しい感情表現につくしていて、クレヴァーな歌手だったと思います。

なんどもなんども言いますが、録音が少ないのが悔しすぎます。
キアーラさんには、美しく、いつまでもお元気でいて欲しいです。

Oi-3

少ししたら富士が顔をだしてくれました。

アンジェリカを歌うキアーラさん。

| | コメント (2)

2025年10月27日 (月)

J・シュトラウス 「こうもり」 カラヤン&ベーム

Izumo-021

秋の出雲大社相模分祠の手水舎。

神無月の10月なので、神様は出雲にお出まし中ですが・・・

名水の里、秦野市ですから、境内には龍蛇神の社があって、清らかな湧き水が流れ汲むことができます。

いまいる町は秦野に近いので、水はすべて秦野市内にいくつもある名水スポットから汲んできてます。
ともかく美味しい水です。

Izumo-041

2025年は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年の年。
そして、10月25日がその誕生日。

1975年の生誕150年もよく覚えていて、まだウィリー・ボスコフスキーが健在で、数々のライブ放送がFMで放送されたし、なんといってもベームがウィーフィルとやってきて記念碑的な演奏をいくつもNHKホールでやってくれた年だ。
そのなかには、ジュピターとシュトラウス作品集のコンサートもありました。

今宵は、ともにデッカ録音のウィーンフィルとカラヤンとベームの「こうもり」を久方ぶりに聴いてみました。
ウィーンフィルには伝説級のクレメンス・クラウス、以前もブログで書きましたプレヴィンなどの録音もありますが、60~70年代、ウィーンで人気を二分したふたりの巨匠、しかもデッカ録音ということで。
クライバーやボスコフスキーは、またの機会に。

Fledermaus-karajan

   J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:ヴァルデマール・クメント
   ロザリンデ:ヒルデ・ギューデン
   アデーレ:エリカ・ケート
   ファルケ:ワルター・ベリー
   フランク:エベールハルト・ヴェヒター
   オルロフスキー公:レジーナ・レズニック
   アルフレート:ジュゼッペ・ザンピエッリ
   ブリント:ペーター・クライン
   フロッシュ:エーリヒ・クンツ
   イーダ:ヘドヴィヒ・シューベルト

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
                  ウィーン国立歌劇場合唱団

  ガラ・パフォーマンス
    レナータ・テバルディ、フェルナンド・コレーナ
    ビルギット・ニルソン、マリオ・デル・モナコ
    テレサ・ベルガンサ、ジョン・サザーランド
    ユッシ・ビョルリンク、レオンティン・プライス
    ジュリエッタ・シミオナート、エットレ・バスティアニーニ
    リューバ・ヴェリッチュ

  ピロデューサー:ジョン・カルショウ、クリストファー:レイバーン
  エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムス・ブラウン

      (1960.6 @ゾフィエンザール、ウィーン)

Fledermaus-bohm

 J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:エベールハルト・ヴェヒター
   ロザリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
   アデーレ:レナーテ・ホルム
   ファルケ:ハインツ・ホレチェク
   フランク:エーリヒ・クンツ
   オルロフスキー公:ヴォルフガング・ヴィントガッセン

   アルフレート:ヴァルデマール・クメント
   ブリント:エーリヒ・クッヒャー
   フロッシュ:オットー・シェンク(映像)

   イーダ:シルヴァン・ラカン

  カール・ベーム指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
            ウィーン国立歌劇場合唱団

  プロデューサー:ジョン・モードラー
  エンジニア:ジェイムス・ロック、ゴードン・パリー

      (1971.11 @ゾフィエンザール、ウィーン)

10年を隔てたふたつの録音ですが、カラヤン盤はカルショウ率いるデッカのソニックステージの全盛期のもので、ウィーンフィルでゾフィエンザールといえば、カラヤンの一連のイタリアオペラ、ショルティのリングやシュトラウスなどが思い浮かびますね。
まさにそれらと同じく、レコードで視覚的な効果も再現するという、まさにレコード芸術を極めたもので、いま聴いてもそのリアリティは面白く、レコード時代には味わえなかった鮮明さも嬉しいものだ。
しかし、何度も聴くと飽きが来てしまうのも事実だろう。
このカラヤン盤の最大の特徴は、2幕の後半におかれたガラ・パフォーマンス。
11人のいまや伝説級の名歌手たちがまったく予想外のレパートリーを披露してくれる。
テバルディはメリー・ウィドウ、ニルソンはマイフェアレディ、デルモナコがナポリタン、ビョルリンクがレハールなどなど。
これらの豪華メドレーに、その場のパーティー会場の参加者たちはそれぞれに拍手喝采を送っていて、それらも一連の流れでよくできていてまさにリアル。
でもこれらは、この録音のためにその場で歌われたものではなく、音質も均一でないのでやや場違い管は否めず、日ごろ聴くには冗長だろう。
 カラヤン盤のプロデューサーとエンジニアの名前を見るだけでも、当時のデッカ録音の企画力と鮮やかな音がわかるというもの。
半世紀以上経過したいまも昨今のライブ録音とは別な次元でのリアル感ある素晴らしいものだと思います。

レコードを芸術に特化したカラヤン盤から10年後のベーム盤。
こちらはストイックなスタジオ録音で、おあそびはゼロで、登場人物たちのセリフも大幅カット。ガラ・パフォーマンスもなく「雷鳴と電光」のみ。
そうこちらは映像作品あり、その上質なサウンドトラックでもあります。
でも録音はデッカサウンドをしっかり踏襲していて極上であります。
そして、ベーム盤はやはり映像を見ないといけない。
どちらも楽しめるのがベーム盤のいいところ。

「カラヤン盤」

60年代のキリリと引き締まったカラヤンならではの演奏。
しかもウィーンフィルの当時の美質が満載で、まだまだローカル感もほどよくあり、いわゆるウィーン訛りも聴かれるオーケストラだ。
EMIのフィルハーモニアとの旧盤の方が世評は高いようだが、私は未聴。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督として在籍した時代、59年アイーダ、60年こうもり、61年オテロ、62年トスカ、63年カルメンと毎年ウィーンフィルとオペラ録音を重ねたカラヤン。
その後はスカラ座、さらにはベルリンフィルとオペラ録音をするようになり、ウィーンフィルとのオペラ録音は74年の蝶々さんまで間が空くことになりました。
いろんな時代のカラヤンのオペラのなかで、60年代がいちばんカラヤンらしく、指揮者中心のオペラでなく、歌手もオーケストラも対等にある総合芸術としてバランスがいいと思う。
歌いまわしの巧さ、キレの良さ、なによりも若々しい表情が魅力で、そこにウィーフィルの音色もプラスされます。
録音の良さも前述のとおり。

歌手に関しては、やや古めかしいと感じる声も散見されるが、なんといっても懐かしい名前ばかりで、まさにウィーンで日頃歌っていた日常の名歌手たちによる歌唱で、チームワークもばっちり。
ギューデンの声の美しさはすばらしく、エリカ・ケートも可愛い、がしかし、いずれも今の歌手たちの歌唱に慣れた耳からするとやや時代を感じさせもする。
クメントとヴェヒターは、ベーム盤でも役柄を変えて登場していて、ともに「ウィーンのこうもり」にはなくてはならない存在だった。
手持ちのCDは、CD初期の西ドイツ原盤だが、最新のリマスターでも聴いてみたいと思う。
とくに賑やかで晴れやかなガラ・パフォーマンスのシーンは刷新された音質で聴いてみたい。

「ベーム盤」

セリフのないぶん、音楽のみに浸ることができ、その結果、シュトラウスのこのオペレッタがメロディーの宝庫とわかる。
汲めども尽きぬ、美しく楽しい音楽。
そして巧みに素敵なアリアが挿入され、それらが実に心ニクイほどによく書けてて、思わず口ずさみたくなるものばかりときた。
このあたりを生まれたばかりの音楽のように鮮やかに演奏してみせたのがクライバーということになるだろう。

ベームの音楽は、決して四角四面のものでなく、またこの時期は覇気にもあふれていたので活気あふれるものです。
さすがに跳ねるようなリズムや、カラヤンのような歌いまわしの巧さなどはありませんが、オペラ的な感興にあふれていて雰囲気豊かです。

歌手たちは、70年代ともなると、自分にはお馴染みの顔ぶれとなり、実際に聴いたこともある名歌手も混じってます。
このあたりが、いにしえ感を感じさせるカラヤンの60年代メンバーと違うところ。
そしてやはり、この時期にウィーンでこうもりを歌っていた常連ばかりで、クンツ、ホレチェク、ホルムはまさにウィーンでの、そしてお馴染みのシェンク演出の常連だった。
そしてこの3人の芸達者ぶりが実に見事なものでした。
あとなんといっても、ヘルデンテノールのヴィントガッセンのオルロフスキー公が愉快だし、まさにあのヴィントガッセンそのものの声で大真面目に歌っている。
その真面目さが逆に滑稽の域に達していて、どこかかったるそうにしているところが聴きもの。
トリスタンを歌うヴィントガッセンに、クルヴェナールを歌うウィーンのカヴァリエバリトンのヴェヒターという組み合わせも妙なる面白さ。
まだまだ若々しいヴェヒターのアイゼンシュタインは、テノールで歌われる同役を器用に、巧みな技巧であくまで自然に歌っていて素晴らしい。
素晴らしついでに、ヤノヴィッツの硬質だけれど美声のロザリンデもこの役の理想形でありました。

Fledermaus-bohm-dvd1

音楽にみを納めたCDは、先に書いた通り、音楽の良さが素直に味わえるのですが、一方でセリフがなく、間がなさすぎることや、ドラマとして真剣に考えると唐突な展開にすぎると言えるかもしれない。
そのうえで、連続して何年振りかでDVDを視聴してみると、これがまた実に面白かったし、実によく出来てる。
舞台でなく、映画のセットでの映像であるだけに、細部にいたるまで完璧だし、豪華絢爛で、ヨーロッパのこの時代の贅沢三昧の人々の生活の上澄みを味わうこともできる。
具象的なシェンクの演出もこうした作品では文句ないし、そのシェンクが愉快なフロッシュ役でドタバタ演技をしているのも楽しい。
 序曲ではベームとウィーフィルの演奏もそのまま収録されていて、この時期のウィーフィルのお馴染みの面々が確認できたりする。
最後にヴィントガッセンはCDで聴くより、こちらの映像の方が数十倍も面白いデス!

Izumo-031

じつは「こうもり」は、劇場で観劇したことがありません。

始終やってるからまあいいや、と思っているうちにお爺さんになってしまった(笑)

神奈川フィルのコンサートオペラでやったらウケると思うんだけど。

| | コメント (0)

2025年9月10日 (水)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ネゼ=セガン指揮

Sunset-0903

台風が来る前の壮絶な夕焼けシーン。

中学生・高校時代は、ここに富士の頭が見えて、こんな夕焼けを見ながら「ワルキューレ」のウォータンの告別を聴いて痺れていたものです。

わが血肉にもなっているワーグナーの音楽。

また新たな音源を発見し悦に浸っておりますところです。

Wagner_tristanisolde_art_vert

   ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン:ステュワート・スケルトン
   イゾルデ:ニーナ・シュティンメ
   マルケ王:タレク・ナズミ
   ブランゲーネ:カレン・カーギル
   クルヴェナール:ブライアン・マリガン
   メロート:フレデリック・バレンティン
    水夫、牧童:パク・ジョンヒョン
    舵取り:ネイサン・シュルデッカー

 ヤニク・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団
              フィラデルフィアシンフォニック合唱団

    (2025.6.1 @マリアン・アンダーソン・ホール、フィラデルフィア)
   
セガンが手兵のフィラ管でトリスタンを全曲やるという情報は前からつかんでいて、それがついに全3幕をネットストリーミングで聴くことができました。
50歳のモントリオール生まれのセガンは、相変わらず積極的な活動をしていて、フィラデルフィアは2012年から、メトロポリタンオペラは2018年から、それぞれ音楽監督をつとめていて、ヨーロッパでも各地のオーケストラに客演していて、レコーディングの数も極めて多い指揮者となっている。
メットでの指揮をべースにオペラも急速にそのレパートリーを拡張しつつあり、モーツァルトの主要オペラはすべて録音したし、ヴェルディ、プッチーニ、主要フランスオペラ、R・シュトラウスなど多く指揮していて、その多くをネットで聴くことができている。
ワーグナーへの取組みもついに開始し、バーデンバーデンでラインの黄金を指揮したが、ついにトリスタンを手掛けたわけだ。
メットでは、新演出のリングが2028年にスタート予定である。

コンサートでの定評ある指揮にくわえ、オペラでの実績と経験をすごい勢いで積み重ねている才人セガン。
ここで書くべきことでもないが、セガンは堂々とそっち系であることをカミングアウトした小柄だけどマッチョな指揮者だ。
多様性とかいう言葉は全く好きではないいが、かつてのバーンスタインのようなあらゆるものを飲み込み包括できてしまう、そんな心の豊かな音楽家なのではないかと思っている。

そんな彼の「トリスタン」は、フィラデルフィアの「トリスタン」としても大いに注目して聴きました。

・セガンの持ち味である生き生きとして、つねにビビッドな音が全編にあふれている。
・ライトモティーフのもつ説得力がいやでも増す音楽造り。
・ふたりの主役たちの、ワクワク感や焦燥、そうした気持ちがいろんなモティーフや、ちょっとした音の刻みにも表現されていて、聴いていて驚いた場面が多々あり。
・劇的なか所では、もさに興奮さそう盛り上げの巧さがある
・音が新鮮で、鮮度高い
・シンフォニックなアプローチでありつつ、オペラティックな感興にあふれている。
・しかし、陰りや絶望感は薄めで、ワーグナーのねっとり感やネクラ感はなし

豪華な歌手たちを揃えることができるのもアメリカの超メジャーのフィラ管、そしてメットの指揮者であることのゆえん
・ベテランとなったシュティンメは、この公演がイゾルデを歌う最後だという
 イゾルデの卒業となったシュティンメのさすがの貫禄と存在感
 しかし、高域がちょっとキツく感じ、低域が重すぎるようになった
・いまが絶頂期のスケルトン、重量級の声に拍車がかかり3幕のやぶれかぶれぶりは見事
 逆に2幕は抑え気味
・カーギルのブランゲーネは実にいいが、マリガンのアメリカ~ンすぎるクルヴェナールは軽薄だった
・若々しいナズミのマルケは新鮮だった。
・ほかの歌手たちもみ~んなアメリカン

そして、フィラデルフィア管弦楽団はうまかった!
音が明るい、輝かしい、そして重量級だった。

この音源がDGから出るかどうかわかりないが、劇場でもう少し振って、解釈を一貫させ深めてからでもいいかも。
セガンとネルソンスはなんでも録音が早すぎるし多すぎると思うものですからね。

Tristan-phiradelphia

| | コメント (0)

2025年8月31日 (日)

バイロイト2025 勝手に総括

Bayreuth-2025_20250831101201

夏のワーグナーの祭典、バイロイト音楽祭も終わり、夏も終わりか・・・と思う時分になりました。

現地に行ったわけじゃない、行ったこともない、きっとこの先も行くことはないだろうバイロイト。

でも71年頃から年末の放送をずっと聴いてきたし、ちょっとしたワーグナー好きであります。

夏のバイロイトでの出来事は、一喜一憂してしまうのですから、今年もやります、勝手に総括、お許しください。

祝祭劇場の写真をちょいと編集してしまいました。

2025年の演目は、新演出の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ニーベルングの指環」(2022年)、「パルジファル」(2023年) 、「ローエングリン」(2018年)、「トリスタンとイゾルデ」(2024年)の5つ。

トリスタンは今年は放送されず、それ以外の作品をBR放送で全部聴きました。

画像はそれぞれ、バイエルン放送協会、バイロイト祝祭劇場のサイトなどからお借りしてます、ありがとうございます。

Meister-1

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ダニエーレ・ガッティ指揮

すでにレビュー済み。
ザックスを特別扱いせず、むしろ軽い存在とすることで、ドイツ最上、神聖ローマ帝国万歳を薄めてしまい、前任のB・コスキーがえぐりだしたようなユダヤ問題をオブラートに包んでしまった。
踏込みが甘いという見方もあろうが、あれこれ考えずに楽しめたし、巻切れも愉快だったし、色彩の豊かさもよかった。

芸達者なツェッペンフェルトのザックスが期待通りに素晴らしく、深い美声で歌うバスでのザックスはかつてのリッダーブッシュ以来かもしれない。
この1か月で他の役でも多く舞台に立ったわけだが、体調を壊し、終盤ではミヒャエル・フォレとドンナーを歌っていたニコラス・ブラウンリーが代役で歌った。
さらに、好評のダ―ヴィット役のスタイアーも体調不良で降板し、ミーメを歌っていたチュン・ファンが代役に。
おまけに、指揮のガッテイもおかしくなり、1日だけ、お馴染みのアクセル・コバーが急遽指揮台にたった。
猛暑でありながらも、寒くなったりと、天候不順だったバイロイトだったようです。

 「マイスタージンガー2025 記事リンク」

Siegfried

 「ニーベルングの指環」  シモーネ・ヤング指揮

なんだかんだで、最終年度となったシュヴァルツ演出の「リング」。
コロナでお休みがあり、都合4年間、上演されたが毎回激しいブーイングが起きて、ある意味それも楽しみになっていた。
でもしかし、今年は、聴けた放送に限っていえば「ブー」はなし。
もしかしたら、カーテンコールに演出グループが出てきたときに、浴びたのかもしれないが・・・

観客はなにが起こるか認識して観劇していたので耐性がついていたのだろうし、いろいろと手を加えて調整もされていたとも言われている。
マイスター、インキネンから引き継いだヤングの指揮が、昨年以上に素晴らしかった。
あんなヘンテコな演出舞台なのに、音楽だけはやたらと素晴らしい。
それもこれもすべてに堂に入った的確かつ文句なく雰囲気豊かなワーグナーを聴かせるシモーネ・ヤングの指揮によるところだ。
聴いていて思わず膝を打つような場面も続出し、「神々の黄昏」の終盤、葬送行進曲から自己犠牲までの素晴らしい音楽が、こんなに感動的に演奏されるのを久々に聴いた。
ラストは思わず涙が出てきた。

歌手たちも比類ない出来栄えの素晴らしさ。
ジークフリートがすっかり板についてきたフォークトは、声に力と輝きも増してきて、スタミナ配分も充分で、最初から最後まで変わらぬ輝かしさだった。
ブリュンヒルデのフォスター、もしかしたらブリュンヒルデとしてバイロイトはこれが最後かもしれないが、以前のカストルフのプロダクションのときと比べるとはるかに練れてきて、声のハリと言葉の明瞭さ、そして歌に乗せる音楽の意味合いなど、ほんと素晴らしいと思った。
 コニチュニーのウォータンにベテランの味わい、悲劇臭強いスパイアーズのジークムントはヴァルターを歌った同じ人とは思えないほどのなりきりぶり。
ジェニファー・ホロウェイのデビューがあり、素敵なジークリンデだった。
チュン・ファンのミーメの害達者ぶり、ラデッキーのグンターの存外なかっこよさ、見た目グラマーにされたグートルーネのシェラーは、来年のリエンツィにも登場で楽しみ。
ほかの歌手たちも高水準で、長く続いたプロダクションの最後らしい、充実ぶりだった。

初年度だけを映像や音源にするのでなく、2025年度を製品化して欲しいものであります。

Parsifal_20250830225001

  「パルジファル」 パブロ・ヘラス=カサド指揮

こちらは3年目のプロダクションで、昨年は放送がなかったので、一昨年にも増してカサドのテンポが速くなり、凝縮もされて感じられた。
かつてのブーレーズもかくやと思わせるような、透明感と明るい輝きにあふれたラテン的な演奏で、一方で中身の濃さも。
自分的には、あっけなさも感じたのも事実で、こんな私が「パルジファル」という舞台神聖祭典劇の既成概念にとらわれていることの証なんだろう。
「神聖」という文言を排除してしまったジェイ・シャイブの演出は、初年度の映像を見る限り、私は好きではない。
レアアースの採掘と枯渇、グルネマンツの恋など、環境問題とともに盛り込み、さらには映像の多用と、一部の人しか享受できないARグラス鑑賞など、まことに面白くなく感じてる。
 だが歌手たちは、ここでも素晴らしく、ツェッペンフェルトの美声のグルネマンツは安心して身を委ねることができる。
体調不良の代役は、グロイスベルクで、こちらも好評だったようだ。
シャガーのタフなパルジファルは相変わらずで、いい意味で一本調子なところがこの役にぴったり。
クンドリーはグバノヴァで、美しい低音から叫びまで、彼女ならではの輝く美声を聴かせてくれた。
Wキャストでガランチャも半分受け持って、こちらも絶賛されていた様子。
あとはフォレのアンフォルタスの神々しさも特筆もの。
 合唱団が再編成され、指揮者も変わったが、かつての地鳴りするような腹に響く力強い合唱と比べると弱く感じたがいかに。
まあ、こんな演出なら多少薄い方がいいか・・・・
そして、1幕終了時にはすかさず拍手が、3幕も音が終わってすぐさま拍手が・・・

Lohengrin_20250830231701

  「ローエングリン」 クリスティアン・ティーレマン指揮

3年ぶりのローエングリンというよりも、3年ぶりにティーレマンは帰ってきた、ということで話題になった。
やっぱり、すごい、ティーレマンがいなくては、と多くの方が思い、私も放送で聴いててその段違いのすごさに感嘆したのです。
音の厚み、自然さを増したタメの絶妙さ、全体にみなぎる緊張感など、ガッティやカサドとはけた違い、というか目指す音楽が違う次元で凄いという認識を持った。
これも久々登場のベチャワのローエングリンは、予想外によくて、自分的に気になっていたクセのある甘い歌い口が影をひそめて高貴さと力感のある歌唱となっていたように思う。
しかし、その彼も体調を壊し降板し、フォークトが急場を救う。
シュトラウスやドニゼッティなど、広範なレパートリーを持つファン・デン・フィーファがついにエルザでバイロイトデビュー。
彼女ならではの真摯でひたむきな歌いぶりが聴いてとれた。
来年はジークリンデで再登場予定。
驚きは、これもデビューのフィンランド出身のリサ・ヴァレラのオルトルートの憎々しいほどの巧みな歌い口と力強さ。
この歌手は今後ますます活躍しそうで、来年はクンドリーが予定されている。
合唱に関してのドイツのリスナーレビューは手厳しいが、そんなに悪くないと思ったけど。

シャロンのこのブルーに染まった演出は、最初から好きじゃなかった。
ディズニーの世界かよ、電気技師のローエングリンかよ、電源喪失のあとはお決まりのグリーンで持続可能のエネルギーにしましょう・・
めんどくせーな、よけいなこと盛り込むんじゃねぇよ。
社会問題を持ち込むと、すぐにオワコンになるよ。
このシャロン氏は、2028年には、メットでリングを演出するらしい。

「トリスタンとイゾルデ」が聴けなかったのは残念だけど、ニールントのイゾルデが彼女ならではの細やかな歌で絶賛されている。
あの演出も、小道具が多すぎて、あと暗くてあまり好きじゃないけど。。。

Walkure_20250831000901

最後の思い出に、あのヘンテコ演出の極みのワンシーン。

往年のワーグナー好きが観たら、まさかこれがワルキューレ3幕と言われたら卒倒しますぜ。

顔整形中のキャバクラ衣装のワルキューレたち、ちゃんと8人いるけど、わけわからないスーツ姿の男はまさか戦士たち?
監視カメラもあるし、セレブ風のウォータン。
ネトフリでやっているようなアメリカンホームドラマを意識したものだろう。

ともかく、この「リング」で明らかだったのは、リングに必須のモティーフが、肝心の「指環」でさえも、剣、槍、黄金、兜…等々は一切出て来ないし、必須の炎は蝋燭のちょろ火だったりで、ともかくすべてを消し去ることで、演出家が思い込んだドラマに作り変えたことだろう。
彼の意図などもうどうでもいい。
前にも書いたが、ワーグナーが微に入り細に入りモザイクのように造り上げたライトモティーフが完全に無視されたことに怒りを感じる。

毎年の新演出で、こうした傾向は拍車がかかっていて、原作の本質までも捻じ曲げることが多くなっているし、役柄の存在の概念も書き換えることも増えた。
さらにそこに社会問題までも盛り込む。

もうこうしなくてはならないという強迫概念すら感じますよ。

そんななかで、来年2026年の新演出(?)に予定されている「ニーベルングの指環」は人工知能=AIを活用したパフォーマンスになるという。
演出家の名前はクレジットされていらず、かわりに、クリエーターというカテゴリーでの名前になっている。
150年間のワーグナー「受容史に焦点を当てたプロダクション」という風に紹介されている。
想像するにオラトリオ風なのか、AIの造り上げた映像や画像を前にそれと競演するかのようにして歌うのか?
そんなようなことはバイロイト劇場の紹介ページから想像できる。
150年間のバイロイトでの上演履歴をすべて読み込んだうえで、AIが考えるパフォーマンスとなるのか?

このリングを指揮するのはティーレマンで、フォークトがローゲ、ジークムント、ジークフリートの3役をすべて歌う。
フォレのウォータン。ニールントのブリュンヒルデという歌手たち。
記念の年に相応しく、ティーレマンの「第9」で開幕し、バイロイト初めての初期オペラで「リエンツィ」が画期的な上演となる。
指揮はシュトッツマンで、タイトルロールはシャガー。
リエンツィの次作「オランダ人」の再演は、リニフの指揮、グリコリアンが帰ってくる。
あとは、「パルジファル」というラインナップです。

なんだかんだ、観劇に行きもしないで文句ばっかり言いつつ、毎年心待ちにしているバイロイト。
ワーグナー好きのサガといえましょう。

人事的に変化もあり、1月からはベルリン・ドイツ・オペラからマティアス・レーデルというゼネラルマネージャーが就任し、カタリーナ・ワーグナーは芸術監督として2030年まで留任する。
こうして、ワーグナー家の血脈も人材不足ということはあるが、徐々に薄まっていくのも寂しいものではあります。

| | コメント (0)

2025年8月 6日 (水)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ガッティ指揮 バイロイト2026

Bayreuth-2025

今年もバイロイト音楽祭が始まりました。

7月24日~8月26日まで、新演出の「マイスタージンガー」、「指環」、「パルジファル」、「トリスタンとイゾルデ」、「ローエングリン」の演目。

日本と同様に猛暑のヨーロッパですが、音楽祭が始まると気温が低下、冷夏のバイエルン地方になっているようで、野外コンサートが楽器への影響などから中止になったりしてます。

バイエルン放送から例年通りライブ配信され、その演奏はさっそくに聴くことができたし、映像作品もすぐさまにDGから公開。

ネット社会の進化は、こういう場面では大いに結構、大いに享受させていただいてます。

Meistersinger-02


 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:ゲオルク・ツェッペンフェルト         
    ポーグナー:パク・ジョンミン

    フォゲルゲザンク:マルティン・コッホ 
    ナハティガル:ヴェルナー・ファン・メッフェレン

    ベックメッサー:ミヒャエル・ナジ
    コートナー:ヨルダン・シャハナン
 
    ツォルン:ダニエル・イェンツ  
    アイスリンガー:マシュー・ニューリン

    モーザー:ギデオン・ポッペ
    オルテル:アレクサンダー・グラッサウアー

    シュヴァルツ:ティル・ファヴェイツ
    フォルツ:パトリック・ツィールケ
    ヴァルター:マイケル・スパイアーズ  
    ダーヴィット:マティアス・スタイアー

    エヴァ:クリスティーナ・ニルソン   
     マグダレーネ:クリスタ・マイヤー

     夜警:トビアス・ケーラー

   ダニエレ・ガッティ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
                   
                     合唱指揮:
トーマス・アイトラー・デ・リント

        演出:マティアス・ダーヴィッツ

        (2025.7.25 @バイロイト祝祭劇場)

まずもって面白かった演出、それは舞台装置、衣装、照明など一貫して言えたことだ。
ドイツの一劇場と同じ存在と化してしまった昨今のバイロイトという存在。
場合によっては陳腐と評したくなる舞台のいくつか。
安全運転かもしれないけれど、行きすぎた解釈や原作を踏みにじるような読み替えなどがほとんどなかった点で、ここ数年では保守的な聴衆にも安心できる上演ではなかったろうか。

ドイツ人の演出家ダーヴィッツは、音楽の造形も深く、自身も俳優を演じたほか、ミュージカルシーンなどでの活動が多かった。
フォルクスオーパーやリンツでの活動から、いまはリンツのミュージカル部門の監督を務め、オペラ演出の分野にも進出しつつある今、とのこと。
カタリーナ・ワーグナーからは、「作品(マイスタージンガー)の軽妙さを際立たせて欲しい」という依頼のもとに受諾。

時代設定は中世でもなく、ワーグナーの時代でもなく、まさに少しまえの現代。
同じ現代の設定でも、アメリカナイズしてしまったシュヴァルツの悪夢のリングと比べると、ずっと穏健で、そのリングでも際立ち、さらに昨今のオペラ演出で多用される登場人物たちの「スマホ」操作はいっさいなく、スマホ登場前の年代かもしれないが、そうしたナンセンスなところがないのがよかった。

カラフルで、中世の落ち着いた色合いからしたらキッチュすれすれ。
そんな明るく楽しい舞台のマイスタージンガーだった。

以下、ネタバレありますので、まだご覧になっていない方、きっとやるNHK放送を楽しみにされる方はスルー推奨。

1幕
・昨今の前奏曲や序曲から演技がはじまるのと異なり、今回は幕が閉じたままであのハ長の前奏曲が鳴り渡った。
開幕初日だったので、セレブたちの入場の見学や、場内誘導のゴタゴタから、生配信のため時間通りに始まった前奏曲に間に合わない人がいたらしく、暗闇で席を探す至難さに不平をこぼす聴衆もいたとか・・・

11_20250806230201

・あまりにも急な階段が据えられていて、その上に教会。
・急階段注意!と書いた看板が立っていて、東京五輪で流行ったようなピクトグラムが描かれている。
・礼拝を終えたエヴァとマグダレーネは階段を降りてくる。ヴァルター紙ヒコーキをハートにしてる。
・階段が右に移動し開いていくとちょっとしたホールになる。
・よく観察するとバイロイト祝祭劇場かもしらん。
・ここでダーヴィッドは歌のルール説明をし、ヴァルターはお試し試験を受けることになる
・マイスターたちは、ヘンテコな帽子をかぶった結社のような存在(後述)
・試験に落ち、ふてくされたヴァルター、憮然とするザックスとほくそ笑むベックメッサー
 幕切れには階段の上にあった教会が火花とともに、ぶっ壊れる

12

 今回の親方たち~海外メディアを参照してwikで調べた「シュララフィア」という男性のみの組織
1859年プラハで結成された芸術愛好家団体で、友愛とユーモアがモットー。
メンバーになるには、シュララフェ(名付け親)によって紹介され、一般投票が行われる前に試用期間を終え、従者からそして騎士(ナイト)へとキャリアを進めなくてはならない。
いまでもドイツを中心に世界のあちこちにある様子
協会のマスコットは、「ふくろう」
なるほど、そんなような騎士とフクロウのあいの子のような帽子だったわけだ。
メンバーには作曲家のレハールとか、ヘルデンテノール兼作曲家のブルーノ・ハイドリヒなどのほか、高名な芸術家多数
ハイドリヒの息子はラインハルト・トリスタン・ハイドリヒで、ナチスの高官、ゲシュタポ長官などを務めた人物
演出のダーヴィッツが、「シュララフィア」をよく調べてマイスターたちとリンクさせたのだろう。

2幕

23

・ザックスの家、ポーグナー家がある街角で、黄色い電話ボックスの中は本などのアーカイブたっぷり
・街のつくりは洒落ていて雰囲気抜群
・標識もすてきだし、カラフルな樹木もよろしいのだ

22_20250806230401
・ベックメッサーはロック歌手のいでたちで、グラサンかけてエレクトリック・リュートをかき鳴らす
・恋人たちの所作も楽しそうで笑いをこらえきれない
・ザックスは靴ばかりか、あらゆるものを叩いて論評
・家々に徐々に明かりがともり、パジャマ姿のおばさんや親方たち、市民たちがぞろぞろ。
・恋人マグダレーネにちょっかい出したと勘違いしたダーヴィッドはベックメッサーと取っ組み合いのけんか
・ダーヴィッド、ベックメッサー、ともにスタントが出てくるがやがて、本物とあわせ4人で特設リングで拳闘騒ぎ

24

・夜警の登場で蜘蛛の子を散らすように人々が消え、負傷したベックメッサーは電話ボックスからよたよた出てくる
・家の間の路地を失念のうちに去るベックメッサーの姿が寂しい

3幕
・ザックスの仕事場、楕円の形状で靴型の山など数々の小道具がリアルで細かい
・母親と少女のセピアカラーの写真があり、ザックスはしばし眺めて嘆息

41
・ザックスの神妙なるモノローグ、自分のなすべきことを悟り、はたと顔色がかわり仕草もアクティブに、やや軽い
・傷だらけのベックメッサーとザックスの会話も楽しい
・飽きさせやすい寝起きスッキリのヴァルターとの新曲の組成のシーン、ここでもザックスは軽快すぎる
・エヴァとザックスの仲良しシーンは和む
・ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつ、5重唱は、楕円の仕事場でのシンメトリーが美しく、浮かび上がる効果がすばらしい

42

・さあ始まったみんな大好き、まるでカーニヴァルのシーン
・チープな放射状のネオン、これ、某国の人がみたら発狂するんじゃね?

47

・牛さんの巨大バルーン
・入場のセレブたちは、みんなニコイチで同じ人間の二人組
 バイロイトの常連メルケル、名前知らないけどスター歌手、われらがヤパンのカワイイ・コギャル、ぬいぐるみに愛を注ぐクイアー、わからんがレズっぽいカップル、各地から選ばれたミスコン美女

43

・文句なしに楽しかったのが徒弟ダンスで、全員が等しくセレブもいろんな組み合わせで対を組んだりして、さながらtiktokの流行りのようにして踊る。このセンスのよさは抜群だった
・親方たちの入場は喝采だが、ベックメッサーだけはブーイングされちゃう
・エヴァちゃんは、花束のように花に埋もれて運ばれてくる
・いよいよの人気者ザックスの登場は・・・・まるで遅刻してきた落ちこぼれみたいに、小走りにおろおろと駆け込んでくる。
・ザックスを讃える人々もどこか他人行儀

45

・干し草のステージに立つベックメッサー、エレキリュートをハート型のネオンで光らせ、聴衆からも笑いが起こる
・そんなにみすぼらしい結果にはならないベックメッサー
・ヴァルターの歌に、全員が聴き惚れるし、ザックスもめちゃ感心してる。感心しすぎで感情出し過ぎ、朝から夕べ、背景も夜になる

46

・花から出てきたエヴァちゃんはカジュアルそのもののいでたち
・マイスターの印である首飾りを拒絶するヴァルターに、ザックスの最高の聴かせどころが続く
・歌に熱が入るザックス、人々はあまり聴いてない雰囲気で、ベックメッサーがちょろちょろと舞台前面に出てきて不自然に置いてあったコンセントプラグを引っこ抜いてしまう。
・すると頭上にあった巨大なウシさんがしぼんできて垂れ下がってきて、照明も暗くなっていく

48

・熱唱するザックスをよそに、人々はこれが気になってしょうがない。
・最後のドイツの芸術!と揚々と歌いあげたザックスは、ようやく消失しつつある電源に気が付き、慌ててプラグをつなぎ合わせる
・そんななかで人々はドイツ芸術と、そしてザックスを讃え上げ、ザックスはヴァルターに首飾りを渡すものの、それをエヴァは奪い取る
・エヴァはザックスに掛けることなく、父親につき返す
・呆然とする父とザックスをよそ眼に若いふたりは、ひとびとの暖かい目線のなか手をふりながら去ってしまう
・合唱の間から寝起きの夜警が出てきて、うるさい歌声に耳をふさぐ
・舞台奥ではザックスとベックメッサーが何してくれんだよ、という感じでもめてる
・人々は聴衆に向かい、「さあこんな感じ」、はたまた「なんでやねん」と両手を広げて終了

           幕

長々と書いてしまいましたが、この新プロダクションは聴衆からは一定の評価を得て、評論家先生からは批判を受けてるそうな。
聴衆の反応も幕が降りてもブラボーが優ってましたが、演出家ご一行が出てきたときは、いまやお決まりのようなブーイングが浴びせられた。
でも、ここ数年の、とくにあのシュヴァルツ君の「リング」のような凄まじいブーとは比較にならないくらいにおとなしい。

マイスタージンガーで避けては通れない「ドイツ至上」「ユダヤ問題」このふたつはあえて避けたかのような内容は、前回のバリー・コスキーが果敢に問題提起したのと大違い。
そのあたりの切り込みを期待した向きもあるかもしれないが、ユーモアや笑い、理想などにこだわったところが逆にまた新鮮だったと思う。
 でもここでは「ドイツ的」なるものを避け、みんな等しく芸術を堪能しようという意向も見て取れた。
親方たちを、実在の芸術愛好家組織のメンバーにしたこと、ザックスはそこではちょっと浮いた存在にしたこと。
さらにそのザックスがやたらと感情優先で動くところもまた、人格者というよりは、みんなとおんなじ、そんなザックスにしたかったんだろう。

ザックスを普通の人に仕立て、ベックメッサーも同格の立場に。
ベックメッサーは滑稽な存在が先立つのでなく、どこにでもいる、ちょっとズルい人間として、そしてみんなに仕返しをしちゃうような抜け目ない存在だった。
若いカップルのふたりは、こんな社会から飛び出したかったし、それを見送った市井の人々も多彩な立場の背景のある方々で、まさに多様性と共存をちゃっかりと入れ込んでいる演出。
ここはね、やっぱりそこかい、という思いだが、このあたりがEUのドイツという国なんだろう。

この色彩豊かな舞台は、わたしはほんとうに楽しめた。
サイケデリックな雰囲気は、外電にも書いてあったがモンティパイソンを思わせるものだったし、日本でいえば昭和臭ただようものだ。
マイスタージンガーを演出するさい、つきまとうナチスの影やドイツ至上主義とワーグナーという問題から、うまく距離をとり、巧みにみんな等しく平等という思惑を入れ込んだ、そんなマイスタージンガーだったと思います。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

バス歌手として、バイロイトでバスのすべての役柄を歌ってきたツェッペンフェルト。
バスバリトンの役柄であるザックスは、荷が重いと慎重だったそうだが、持ち前の美声と豊かな低音を背景にしたゆとりある歌唱は、思った以上に素晴らしく、オールマイティなバス歌手としての存在のありがたみを強く感じましたね。
演技の巧さと、持ち前の眼力の強さをともなう表情による演技も見事に決まっていて、普通の人ザックスを描いてやみませんでした。

あと素晴らしいのがヴァルターのスパイアーズで、バリトンからリリックテノールまでの広い音域をもち、ヘンデルやロッシーニも歌う、まさにバリテノールによるワーグナー歌唱は、ジークムントではほの暗さの悲劇臭を出し、ヴァルターでは軽やかなイタリアカラーの歌声でもって驚きの歌唱だった。

見た目も可愛いスゥエーデンのニルソンは、アイーダのようなドラマティコロールも歌うソプラノで、エヴァではよく声を抑制して、透明感ある声で素敵なものだった。
この先、エルザやジークリンデなども期待。

ユニークなベックメッサーを歌ったナジは、生真面目な雰囲気が気の毒なムードをかもし出すが、そのバリトンの声は立派でよく通り、この先、ウォータンでも行けちゃうと思わせるものだった。

それと絶賛に値するのがダーヴィッドのスタイアーで、歌に演技に水際立った軽やかさを表現。
ちょっと腹が出てるけど見た目と裏腹の軽快なテノール。
相方のお馴染みのクリスタ・マイヤーのマグダレーネは、安心の存在だが、見た目がやや・・・、ブーも浴びてた
ブーといえば、ポーグナーの韓国人バスのジョンミンも浴びていて、わたしも最初から最後まで美声は認めるものの言語不明瞭、スムースな耳あたりのいい歌唱に終始し、父親としての存在感は感じず深みも欲しい。

シャハナンのコートナーを始めとする親方たちご一行の充実ぶり、際立つキャラクターづくりでもって、安定感あるのもバイロイト。

予算削減で見直しのなされた合唱団は、新しい指導者にかわったものの、かわりなく揺るがぬ存在であり安心した。

さて最後はガッティの指揮だが、ヴィヴィットで弾むような音楽づくりの前任のジョルダンに比べ、イタリア人ながら重厚な音楽造りに根差したマイスタージンガーにしようとしたかのように感じた。
でも音は美しく磨かれ細部へのこだわりも感じられ、今後もっと演出に則した開放的なハ長の楽劇へと進化させてゆくことでしょう。

ともあれ、面白かった、楽しいマイスタージンガーでありました。

Bayreuth-20252

ほかの演目は音で全部聴き始めました。
夏の終わりにまた勝手なる総括をしようとも思いますよ。

来年はバイロイト音楽祭始まって150年の記念の年。
「リエンツィ」が初めて上演されます。

| | コメント (0)

2025年5月14日 (水)

R・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」静岡音楽館AOI

Shizuoka-00

久しぶりの静岡。
ホールロビーからの富士。
シュトラウスのオペラを演るとあっては行かなくてはなるまい。
都心を離れ、神奈川にいるので、思えば静岡は近い。
新幹線を使わずとも手軽に行けてしまうので、行きは在来線でのんびり、帰りは心地よき疲れに浸りながら新幹線。

駅前にある音楽ホール、静岡音楽館AOIの30周年記念公演、「ナクソスのアリアドネ」演奏会形式上演。
この公演に気が付いたのはそんな前でなく、ホールに電話をしたときは残りわずかで、早々にチケットは完売。

Ariadone_20250512155401

R・シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」op.60

  アリアドネ:田崎 尚美     バッカス:宮里 直樹
  ツェルビネッタ:森野 美咲   執事長:小森 輝彦 
      作曲家:山下 裕賀       音楽教師:池内 響   
  舞踏教師:澤武 紀行      従僕:岸本 大
  ナイヤーデ:守谷 由香     ドリヤーデ:山際 きみ佳
  エコー:隠岐 彩夏       ハルレキン:黒田 祐貴
  ブリゲッラ:小堀 勇介     士官、スカラムッチョ:伊藤 達人
  かつら師、トゥルファルディン:志村 文彦   

       沼尻 竜典 指揮 静岡祝祭管弦楽団

        演出:彌六

        (2025.5.11 @静岡音楽館AOI)

通算4度目のアリアドネの実演観劇。
初めて訪れた静岡音楽館、シューボックス型の館内装飾もそれはステキなホールで、客素618人というところもほどよい規模。
そしてその音響の良さも定評あるところで、今回のこのホールにしては最大規模の作品を上演するにあたり、聴き手からするとすべてがちょうどよろしく、シュトラウスの精妙に張り巡らされた緻密な音楽が、まさに手に取るように見え、聴こえたのです。

序幕のドタバタ風喜劇、劇中劇たるオペラと性格の異なる2部を簡単な演技でコンサート形式で行うことは、ややこしさを回避しシンプルさが増すことで、これまたシュトラウスの音楽の良さが引立つというもの。
都合2時間30分、満員御礼の客席は集中力高く、歌と演技、オーケストラの妙技に聴き入った。
ユーモアを交えた簡潔な演出は、誰にでもわかりやすく、左右の袖から出入りする動きばかりでなく、ときに2階からの動きもあり、空間利用も巧みであり、限られた制約のなかで最適なものでした。

初めて買ったアリアドネの音盤は、ケンペとドレスデンのレコードアカデミー賞受賞の名盤で、当時のそれは豪華極まりない歌手を集めた贅沢なものだった。
今回の静岡キャストは、いま日本でアリアドネをやるならこの歌手たち、という最適かつ隅から隅まで豪華なメンバーを選りすぐったもの。

その歌手たちが予想以上に素晴らしかった。
声の威力と幅広い表現力で圧倒的な存在感を示したのが田崎さんのタイトルロール。
沼尻さんとのサロメ、ヴェルレク、そのほか多く聴いてきたけれど、コンパクトなホールとうこともあり、その強さと繊細さを兼ね備えた声が耳にストレートに響きました。
古くは12年前に同じ沼尻指揮では、ワルキューレたちのひとりだった。

相方のバッカスの宮里さんも驚きの力強さとよく通る声。
この方も昨秋のヴェルレクで輝かしいテノールで聴いたばかり、エリックも田崎さんとオランダ人で予定されていて、明るめの声でのワーグナーも次は聴いてみたい。

元気いっぱいのツェルビネッタを歌った森野さん。
小柄で才気煥発といった、この役柄にぴったりのルックスと軽やかで透明感あふれるお声はチャーミングそのもの。
意欲が空転してしまうスレスレのところも、実にライブ感あってよろしく、見事な声の技巧に感心しながらも、微笑ましかった。
ウィーン在住中とのこと、これからの日本のモーツァルトやシュトラウスの舞台になくてはならない存在となるでしょう。

序幕でキリリとした作曲家を歌った山下さん、この方が実に素晴らしく、生真面目なこの役を強い声で歌いあげたほか、ツェルビネッタの登場で惑わされるシュトラウスならではズボン役としても最高の歌い手かと思いましたね。
会場で大喝采を受けてましたから、みなさん同じ思いで聴いていたことでしょう。
すでに実績をあげてる方ですが、きっとステキなオクタヴィアンに!
昨年はバーミンガムでヤマカズの蝶々さんに出演、チェネレントラ、今年は群響でカルメンなど、楽しみな歌手をまた発見。

語り役の執事長に小森さんという贅沢な布陣。
氏の舞台は数々観てきましたが、ウォータンを歌うバスバリトンが執事長とはまた妙なる配役の妙。
完璧で美しいドイツ語の語感、かたくなさを尊厳な雰囲気でかもし出すベテランの味。さすがでした

このシュトラウスの作品は、とてもよく書かれていて、古典帰りをした明朗な音楽造りは、その構成にもよく出てます。
喝采を受けるアリアが配されているほか、愉快な重唱や、美しいハーモニーにあふれた重唱など、ともかくどこもかしこも歌の聴きどころあふれている。
3人の精たちの透明感あふれる歌声は、それぞれも素敵な声でしたが3人の得も言われぬ声の重なり合いは、さながら夢心地になる気分でした。
守谷、山際、隠岐といった3人の実力派、それぞれにまた聴いてみたいお声でしたね。

あと男声の方もチームワーク抜群の愉快な仲間を楽しく歌い、演じてました。
いちばん聴きどころの多いハルレキンを歌った黒田さんのマイルドで柔らかなバリトンが心地よく、シュトラウスが付けたステキなメロディを堪能しましたし、お隣の女性のお客さんも体を揺らすようにして気持ちよさそうに聴いてましたよ。
ベルカントに秀でた小堀さんの発声の明るいブリゲッラ、影のない女で嫌なヤツに成り下がってしまっていた皇帝役で記憶に新しい伊藤さんのもったいないくらいのスカラムッチョ、そしてもう10年以上前からいろんな役柄でいつも聴いてきた志村さん、失礼ながら役柄にぴったりフィットのかつら師とトゥルファルディンでした。

池内さんの音楽教師、序幕での執事長のむちゃぶりを最初に受けとめ悩む役柄ではありますが、役回りとしては案外に難しい存在を存外の美声バリトンで聴かせてくれました。
キンキラの衣装をまとった舞踏教師の澤武さん、音楽教師と作曲家と相対する役柄ですが、まさに軽やかに、町人貴族による短い歌も楽しく軽やかに歌いました。
思えば昨年のばらの騎士で、軽妙なヴァルツァツキを聴いたんだ。
作曲家と絡む役の従僕の岸本さん、どこかで聞いた名前と思ったら、神奈川フィルの合唱のまとめ役の方でした。

ともかく、みんながすばらしく完璧だった歌手のみなさん、もっと何回もやって、実際の舞台上演も期待したくなるチームです。
その歌手たちを束ねる沼尻さんの指揮。
このマエストロの元で、今回の歌手のみなさんは何度も歌っていて気心も知れているはずで、まさにオペラ職人のような巧みな指揮できっと歌いやすかったことでしょう。
序幕とオペラ部分との性格と音楽の違いも明確にさせていたし、オペラでのシュトラウスが描きだした地中海的な明快・晴朗な世界を引き出すことに成功していたと思う。
ともかく、すべてが的確なオーケストラ。
なんといっても水谷&小林という新旧の東響のコンマスを据えた38名の名人級の室内オーケストラは、各オーケストラからはせ参じたつわものばかりのメンバーで、見たことあるお姿ばかり。
ピットに入った上演しか経験がなかったので、もちろんスコアなんか見たことないので、弦楽セクションがおのおのに、ソロがちょこちょこあったり、ハープが2台もあってやたらと存在感があったり、ピアノやチェレスタがシュトラウスならではの透明感をそのサウンドに特長を与えているところだったり、ともかくオーケストラを見物するというコンサート形式ならではの楽しみも味わい尽くしましたよ。

Aoi-01

こうした果敢な上演を企画してくれた静岡音楽館さんに感謝。
素晴らしいホールを見出した喜びも。
こうした室内規模のオペラの公演を今後も期待したいです。
バロックオペラや、ブリテンなどの近代もの、ほかにはない上演を是非。

Shizuoka-01

開演のまえに、食事を兼ねて市内散策。

静岡市は大道芸の街、ちょうど「あおばフェス」をやってまして、あちこちで出店やパフォーマンスが繰り広げられてましたよ。
静岡市に降り立ったのは実は15年ぶりぐらいで、その前まではともかく毎月のように仕事で行って、飲んで、食べて、泊まってました。

美味しいものだらけ、夜も賑やかだし、みんな明るい人々ばかり、そんな「しぞーか」が好きです。

なんといっても、ワタクシも父の仕事の関係ではあったけれど、静岡県生まれなんですし。

Shizuoka-08

こちらもホールからの遠景。

| | コメント (8)

2025年3月 6日 (木)

プロコフィエフ 「炎の天使」 ②

Azuma-02_20250222141701

真っ赤に染まる西の空。

夕焼け大好き人間です。

Firey-angel-bayerishen1
                     (バイエルン州立歌劇場)

     プロコフィエフ 「炎の天使」

プロコフィエフのオペラの最高傑作と聴くたび、上演鑑賞するたびに思い、またいったい何なんだろうという不可思議感にもつつまれる。
交響曲第3番も同じように、すぐれた作品としての評価がうなぎのぼり。

あくまで、自分的にこのオペラの聴きどころを羅列しときます。

1幕
・印象的なその出だしは、プロコフィエフのほかのオペラにもいえるが、それはそのオペラの複雑な展開の萌芽のごくさりげない出だしにすぎない。
・隣室でのレナータがうなされる様子も呪文のようで面白いが、なんといってもレナータが「やめて、助けて」と悪霊に言いつのり、ルプレヒトは「リベラメ・ドミネ・・」と祈りを捧げ開放する。
この部分が、第3交響曲の冒頭なのである。
・レナータが身の上話しを語るモノローグの素晴らしさ、オーケストラは美しくもミステリアスな背景。
・ルプレヒトが襲い掛かるも、すぐに萎えてしまうところの音楽の変転ぶり
・禍々しい占い師の場面はオカルト音楽だ

2幕
・呼び出しに応える3つのノック音、最初はかなりビックリするが、こうした効果音を巧みに使うのがプロコフィエフである。
・だんだんと混迷を深めるレナータ、オーケストラのキューキューするグリッサンド効果抜群のシーンは、第3交響曲のスケルツォ。
 ノック音とあいまって、最高の怪しげ効果を出す
・魔術師の部屋での呪術シーンの間奏もオーケストラは最高の荒々しさと禍々しさで、めっちゃカッコいいのだ。
 これもまた交響曲に使用されたシーン。
・そのあとの魔術師の宣告における男声ふたりの声の応酬も、ロシアオペラならではの野太さで痛烈で聴きごたえあり、オケも最高!

3幕
・レナータのマディエルへの愛のモティーフと思われる前奏から始まる、ルプレヒトとのやり取りでは、ここも交響曲に採用
・続くレナータのモノローグが、このオペラにおける歌手の一番の聴かせどころ。
 正気と狂気を揺れ動くさまを歌い演じなくてはならないレナータ役の、唯一の女性らしく、かわいらしいところ。
 幕の終わりの決闘で怪我を負ったルプレヒトを心配する彼女の歌も同様によろしい。
 抒情とクールさ、プロコフィエフならではの音楽
・決闘シーンでの切迫感は、オケの間奏曲でよく出ていて、ナイスなカッコよさもありで、ずっと聴いていられる。
 映像で見たトレリンスキ演出では、この音楽は実に踊りやすいんだと思った。

4幕
・この幕はメフィストフェレスとファウストが出てきてしまうので、ドラマの必然性や緊張感が途絶えてしまうように感じる。
 給仕少年を食ってしまうという意味不明の残虐シーンもあるが、全体の雰囲気としては皮肉とユーモラスな感じ。

5幕
・修道院の場面なので、神妙な雰囲気で静かに始まるのだが、誰がわずか20分後の地獄のようなシーンを想像できるだろうか。
 第3交響曲の2楽章の開始部分そのもの。
・神妙さに急激に影を差すところの急変ぶりもよろしい。
・宗教裁判長に必要とされる圧倒的・威圧的なバスの声は、これもまたロシアオペラならでは。
・聖なるもの、悪魔的な俗の極み、この対立と乱れきった交錯を変転万化するプロコフィエフの音楽は完璧に描いてやまない。
 聴くだけでなく、ここは映像作品で各種観ると、それぞれの無茶苦茶ぶりが感嘆に値する。
 これはもうタンホイザーのバッカナール世界であり、背徳の極みが、最後は一条の光のような眩しい音楽で終結するのだ。
 合唱が聖と悪を歌いつつ、その合唱は6つに分割され複雑さに拍車をかける。
 オーケストラのエキセントリックな強烈ぶりも一度聴いたら忘れられず、こちらの身体も動かしたくなるくらいなのだ。
 最後のシーンばかりでなく、オスティナート効果も随所にあり、プロコフィエフの音楽の中毒性も味わえますぞ。
   第3交響曲の終楽章のデラックスバージョン。

CD音源

Firrey-angel-jarvi

    レナータ:ナディーヌ・セクンデ  
    ルプレヒト:ジークフリート・ローレンツ
    宿屋の女将:ローズマリー・ラング
    占い師、修道院長:ルートヒルト・エンゲルト・エリィ
    アグリッパ、メフィストフェレス:ハインツ・ツェドニク
    ファウスト:ペテッリ・ザロマー
    宗教裁判長:クルト・モル
    グロック:イェスタ・ザヒリソン
    ワイズマン:ブリン・ターフェル  ほか

  ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団
             イェスタ・オーリン・ヴォーカルアンサンブル
             プロムジカ室内合唱団

        (1989.5 @エーテボリ)

このオペラの本格初録音は驚きのDGからの発売。
ヤルヴィとエーテボリの当時の蜜月コンビがDGに移って北欧・ロシアものを次々に録音していたころ合い。
いろいろと聴いたうえで、この演奏を聴くとやはりヨーロッパの演奏であり、その響きも洗練されすぎて聴こえる。
歌手も含めてスッキリしすぎて感じるが、何度も聴いて耳に馴染ませるにはこれでいいのかもしれないし、オヤジ・ヤルヴィのまとめ上手からうかびあがってくるプロコフィエフの音楽の斬新さもよくわかる。
ワーグナーを歌うような歌手ばかりのキャストは充実はしているが、特にモルの宗教裁判長はザラストロみたいで違和感ありか。
セクンデがリリカルで案外によろしい。

Prokofiev-firey-angel-01

    レナータ:ガリーナ・ゴルチャコヴァ  
    ルプレヒト:セルゲイ・レイフェルクス
    宿屋の女将:エフゲニア・オエルラソヴァ=ヴェルコヴィチ
    占い師:ラリッサ・ディアドコヴァ
    グロック:エフゲニ・ボイツォフ

    アグリッパ:ウラディミール・ガルーシン
    メフィストフェレス:コンスタンチン・プルジニコフ

    ファウスト:セルゲイ・アレクサーシン
    修道院長:オリガ・マルコヴァ=ミハイレンコ

    宗教裁判長:ウラディミール・オグノヴィエンコ
    ワイズマン:ユーリ・ラプテフ  ほか

  ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ劇場管弦楽団/合唱団

        (1993.9 @マリンスキー劇場、サンクトペテルブルク)

ロシアオペラをほぼコンプリート録音してくれたゲルギエフとマリンスキー劇場に、いまや感謝すべきでしょう。
あまりにも不条理なゲルギエフをはじめとする西側のロシア音楽家の締め出しの継続中のいま、90年代のこのフィリップス録音の数々は快挙であり、いまや音楽愛好家の至宝ともいえると思う。
ヤルヴィも絶倫級に録音を残したが、この頃のゲルギエフの活動も負けてはいない。
西側のプロコフィエフだったヤルヴィ盤に比べ、ここでのプロコフィエフの音楽は強靭さと野太さもあり、一方で音が過剰に広がってしまうのをあえて抑制しているかのようなスピード感がある。
そこでもっとギトギトして欲しいと思う場面があり、そこがまた職人ゲルギエフなのだとも思う。
レイフェルクスにややアクの濃さを感じるものの、歌手全体のレベルが高く、劇場でのいつものメンバーとしてのまとまりがいい。
ゴルチャコヴァが声の力感が申し分ないし、ヴェルデイも得意とする彼女、モノローグでの情感あふれる歌唱も実によろしい。

このライブ演奏が映像化もされていて、youtubeで全編見ましたが、日本の暗黒舞踏(Butoh)に明らかに影響を受けたと思われる白塗りのほぼ裸ダンサーたちが、最初から最後までうごめいていて、正直ウザイと思われた。
最後には憑依された修道女の一部はスッポンポンになり、まさに怪しげな地獄シーンとなるもので、デイヴィッド・フリーマンの演出。
東京でも上演され、コヴェントガーデン、メット、サンフランシスコなんかでも履歴がある。
マリンスキー劇場のサイトで確認したら、この演出はまだ継続していて、2021年のトレーラーを見たがおんなじで、歌手はスキティナとニキティンに刷新されている。
この際、ゲルギエフの指揮での再録音を望みたい。

エアチェック音源

Firey-angel-bayerishen-2

    レナータ:スヴェトラーナ・ソズダテレヴァ  
    ルプレヒト:エウゲニー・ニキティン
    宿屋の女将:ハイケ・グレーツィンガー
    占い師:エレナ・マニスティーナ
    グロック:クリストフ・ズペース

    アグリッパ:ウラディミール・ガルーシン
    メフィストフェレス:ケヴィン・コナーズ

    ファウスト:イゴール・ツァルコフ
    修道院長:オッカ・フォン・デア・ダームラウ

    宗教裁判長:イェンス・ラールセン
    ワイズマン:ティム・クィパース  ほか

  ウラディミール・ユロフスキ指揮 バイエルン州立歌劇劇場管弦楽団/合唱団

     演出:バリー・コスキー


        (2015.12.12 @バイエルン州立歌劇場、ミュンヘン)

演奏と映像では、これがいちばんだと思う。
忘れもしないコロナ禍での世界の劇場からのオペラ配信で観たバイエルン劇場でのもの。
初めて観た「炎の天使」に衝撃と、こんな面白いオペラや音楽があるのかという驚き。
ユロフスキの鋭い音楽造りと統率力の豊かさを実感し、その魔人のような指揮姿にもびっくりしたもんだ。
主役のふたりも、録音した音源で何度聴いてもすばらしく、ニキティンの従来のロシア歌手にない明晰なる声は実によい。
またソズダテレヴァの迫真の歌も、映像での体当たり的、かつユーモアある演技も残像に残っているので、それも伴い素敵なものだ。

コスキーの演出がとんでもなく面白かった。
ダンスを有効に取り入れるコスキー演出の真骨頂は、このプロコフィエフ作品あってこそ生きてくる。
女装の男性バレエや、酒場での乱痴気シーンなどでの異様ぶり、ラストの魔界シーンも棘の冠をかぶったイエスだらけになり聖と悪との対比も見事。
豪華な内装の高級ホテルからスタートした物語りは、ずっとこのホテルが舞台となり、そのホテルの一室が徐々に廃れて姿を変えて行き、最後にはどす黒い漆黒の部屋にまでなった。
飾りものだが、男性器丸出しのメフィストフェレスなどユーモラスでありキモくありで、全編にコスキーならではの容赦ないユーモアもあり。
これもまた映像作品化を望みたい。

Feuriger-angel01

    レナータ:アウシュリネ・ストゥンディーテ  
    ルプレヒト:ボー・スコウフス
    宿屋の女将、修道院長::ナタースチャ・ペトリンスキー
    占い師:エレナ・ザレンバ
    グロック:アンドリュー・オーウェンス

    アグリッパ、メフィストフェレス::ニコライ・シューコフ
    ファウスト、ワイズマン:マルクス・ブルッタ
    宗教裁判長:アレクセイ・ティコミロフ   ほか

  コンスタンティン・トリンクス指揮 ORFウィーン放送交響楽団
              アーノルド・シェーンベルク合唱団

     演出:アンドレア・ブレス


        (2021.3.27 @テアター・アン・デア・ウィーン)

ウィーンでは演劇もオペラもアヴァンギャルドな上演の多いテアター・アン・デア・劇場。
この作品こそふさわしい。
ORFでの放送を録音しました。
こちらはすでにDVDにもなっているが、まだ未視聴ですが、トレーラーだけ見てこれはいいかな、と判断。
精神病棟に舞台を移した様子で、みんな病んでる。
歌手たちも含めて、「ヴォツェック」を思わせる。
 その歌手たる、いま最高のレナータ役と思われるストゥンデーテが完全に逝っちゃってるくらいの入魂の歌唱。
スコウフスも性格バリトンそのもののこの役を完璧に歌ってる。
新国でドン・ジョヴァンニを聴いたことのあるトリンクスの指揮、なかなかダイナミズムを意識した造りで、リズム感もよろしく、変転しまくるプロコフィエフの音楽の流れもうまくつかんでいる。

映像

Lange-de-feu-aix-01

    レナータ:アウシュリネ・ストゥンディーテ  
    ルプレヒト:スコット・ヘンドリクス
    ホテルの女将:ベルナデッタ・グラビアス

    占い師、修道院長::アグニェシカ・レリス
    グロック、医者:パヴォロ・トロストイ
    アグリッパ、メフィストフェレス::アンドレイ・ポポフ
    ファウスト、宗教裁判長、ハインリヒ:クリストフ・バチィク
    ワイズマン、給仕長:ルーカス・ゴリンスキ
       ほか


      大野 和士 指揮  パリ管弦楽団
              ワルシャワ大劇場合唱団

     演出:マリウス・トレリンスキ


        (2018.7.13 @エクサン・プロヴァンス)

これはフランス放送のストリーミングからエアチェック。
大野和士とパリ管という願ってもない組み合わせに狂気して聴き、録音もした。
録音だけで聴いたとき、オーケストラが抑制されすぎ、ややおとなしいように感じた。
しかし、しばらくのちに映像も全編観ることができて、そんなことはまったくなく、オケと歌手、舞台、すべてが一体となった集中力・緊張感の高い上演だったのだと確信した。
エクサン・プロヴァンス音楽祭は半野外上演なので、オーケストラの響きと歌手のバランスなどを考慮した結果なのかと思った。

ここでもストゥンディーテが目を見張るほどにすごくて、とくに映像を伴うと見ながらその歌唱と演技に引き込まれてしまうこと必須。
この役のスペシャリストになった感もありますが、こうして鮮明な映像で見ちゃうと他の歌手が生ぬるく感じてしまう。
声は鋭いけれど、繊細さも併せ持ちつつ、ほの暗いトーンの持ち主。
そうエレクトラも得意役にしているのもわかります。
指の先から、足の指先まで、演技していて、憑依したときの目の白剥く様子も凄まじい。
この上演の年の秋に、ストゥンディーテは大野&都響に来演してツェムリンスキーの抒情交響曲を歌いまして、私もそれを聴いてました。
おっさんに過ぎるルプレヒトのヘンドリクスは、演出に沿った存在そのものに感じ、サラリーマン風の人の良さがその声にも出てました。

ポーランドの演出家トレリンスキは、なかなかに魅せる舞台でありました。
ネオンの光るラブホテルが舞台で、そこにはいろんな宿泊客がいて、随所に登場して味わい深い存在となってまして、思わず笑える連中もいました。
二役を演じる歌手もいるが、あえて同じ衣装であえてわかりにくく同質化をねらったものか。
黙役のかつての恋人ハインリヒ伯爵は、目の不自由な方の設定で、最後のシーンではそのまま宗教裁判長としてレナータを断罪する役ともなる。
オペラの冒頭で音楽の始まる前に寸劇があり、そこでは少年が日本のかつての特撮映画のガメラをブラウン管テレビで見ている。
またレナータと同じクローンのような女性が、ハインリヒ伯爵が出てくるときに何人も出てくる。
伯爵とルプレヒトの決闘のときにたくさんいて、踊り狂うが決闘で敗れたルプレヒトはそのとき子供化してしまう。
メフィストフェレスに食われるのはレナータの子供の姿。
ともかく、レナータもルプレヒトも子供時代のトラウマを背負っているのか、そしてレナータは薬物依存となっているのか・・
修道院シーンにも多数のレナータもどきであふれ大暴れ、自傷行為をする本物のレナータ、ハインリヒかのように抱きしめる宗教裁判長。
レナータは最後、倒れ伏すが、これは彼女の想いがかなったという救いなのか、絶望なのか、地獄行きなのか。。。。
前者をイメージさせる演出だとしたら、それはこのオペラにプロコフィエフが思ったラストシーンなのかもしれない。

Firery-angel-rome

           レナータ:エヴァ・ヴェシン  
    ルプレヒト:リー・メルローズ
    ホテルの女将:アンナ・ヴィクトローヴァ

    占い師、修道院長::マイラム・ソコローヴァ
    グロック:ドミンゴ・ペリコーラ
    アグリッパ::セルゲイ・ラドチェンコ
    ファウスト:アンドリー・ガンチュク
    メフィストフェレス:マキシム・パスター

    宗教裁判長:ゴラン・ユリッチ
    ワイズマン:ピョートル・ソコロフ
       ほか


   アレホ・ペレス 指揮  ローマ歌劇場管弦楽団
             ローマ劇場場合唱団

     演出:エマ・ダンテ


        (2019.5.23 @ローマ歌劇場)

ローマでの上演だし、カトリック総本山の地元ともいうことあり、きっとお堅いんでしょうね、ということの一方で、原作への忠実ぶりも求めてこちらを購入してました。
時代設定も原作どおり、妙な読み込みも少なめで、さらには日本語字幕もあることからフムフムなるほど、という思いで鑑賞しました。
安全運転すぎる演出ではありますが、たくさん出てくる個性豊かな登場人物たち、重要な存在である黙役、思わず踊りたくなるプロコフィエフの音楽に合わせたバレエチーム・・etc、わかりやすく納得感のあるものでした。
ラストシーンの不条理も、ラストピースが最後にひとつハマるような感じでのエンディングでよかった。
ただ、自分的には炎の天使と思しき赤っぽいダンサーがちょっと鬱陶しかった。
また全体に、ほかの演出を観てきてしまうと、刺激の少なさやギリギリの切迫感のようなものの欠如を感じました次第でありました。
あと好きでなかったのが、3つのノックの音が小太鼓で鳴らされたところで、ここはやはり、どんどんドンでしょう、と思いましたね。

聞き知った名前のいない歌手のレヴェルは総じて高く、見た目はこの人もオッサン系のメルローズが暖かい声のバリトンでよかった。
レナータのヴェシンさんは、ほかの盤の鋭い歌唱や演技を知ってしまうとちょっと弱く、演出上もさほどの厳しさを表出していない感じ。
ちなみに5幕の地獄シーンは安心安全のものです。
ほかの場面で1か所だけ、ポ〇リありで頑張りました!
あとこのDVDの一番いいところは、お馴染みペレスの指揮で、機敏でかつ情感にあふれ、オペラの緩急と呼吸感が豊かなところ。

「炎の天使」の映像作品を楽しむなら、まずこのローマ劇場盤で、次はもし製品化されたらバイエルンでしょう。
あと観てみたいのは、リセウ劇場(G・ヒメノ指揮)、チューリヒ劇場(ノセダ指揮)で、ともにストゥンディーテなところもすごい。

前にも書いたが、原作は最後にはレナータには救いの手がのばされてこと切れるが、プロコフィエフのオペラでは、そのあたりの具体的な最後がない。
そのあたりをどのように結論付けた解釈をするかで、いろんな伏線を全編に設けることができるので、このオペラは演出家には腕の振るいがいのある作品であり、傑作なのだと思う。
なんども言いますが、なによりもプロコフィエフの音楽がすばらしい。

Makai

新国立劇場の次のシーズン・ラインナップが発表されましたが・・・
うーーん、という内容ですな。
ヴォツェックとエレクトラの新演出はいいにしても。。。
大野監督、これやって欲しいよう

次は交響曲いきます。

| | コメント (2)

プロコフィエフ 「炎の天使」 ①

Azuma-01_20250222141701

ある日の壮絶な夕焼け。

こんな日の翌日は雨だったりしますが、この晩遅くに暖かい当地には珍しく雪が舞った。

Firey-angel-jaclet

  プロコフィエフ 歌劇「炎の天使」op.37

時計回りに、ゲルギエフ&キーロフ(CD)、N・ヤルヴィ&エーテボリ(CD)、ユロフスキ&バイエルン州立歌劇場(エアチェック)、大野和士&パリ管(エアチェック)、トリンクス&ORFウィーン放送響(エアチェック)、ペレス&ローマ歌劇場(DVD)

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「3つのオレンジへの恋」(1921)に続く、プロコフィエフの4作目のオペラ。
日本を経てアメリカに逃れたプロコフィエフ。
アメリカを拠点に、ピアニストとして人気と多忙を極め、本人の想いとはうらはらに「ボリシェヴィキのピアニスト」と呼ばれ人気を博した。
ヴァーレリィ・ブリューソフというロシア象徴主義運動の代表格である作家の1908年発表の同名の小説をもとにした5幕のオペラ。

1_20250222175601

原作の表紙、舞台は16世紀のドイツでライプチヒからケルンあたり。
プロコフィエフもこの設定は変えず同じくしており、小説の内容もイメージ的にはほぼ同じ。
原作者のブリューソフ自身の経験に基づく三角関係的な耽溺小説ではあるが、プロコフィエフのオペラの「炎の天使」の筋立てのややこしさや、複雑さは、まさにこの原作にこそある。
さらにそこには、悪魔主義と非現実という象徴的な背景があり、宗教的な愛による救いも原作にはあるが、しかしプロコフィエフのオペラにはそれがない。
まさに救いのないオペラをプロコフィエフは作曲したのであります。

原作の中の挿絵にはこんなおっかない絵もあり

2_20250222223101

1919年から作曲を開始したが、完成は1927年と8年の歳月がかかった。
その間、ニューヨークで知り合ったスペイン生まれの歌手リーナ・リュベラと愛し合うようになり、1922年にミュンヘンの南のエタールという街に移り住み、1923年にふたりは結婚した。
リーナはプロコフィエフの最初の妻で、その後もフランスやアメリカでともに暮らすが、プロコフィエフの祖国への帰還を熱い思いに対し、ソ連の体制などを心配して反対したものの、ソ連に移住することになる。
その後のリーナは気の毒で、プロコフィエフはほかの女性と関係を持ち別居となり、離婚届も出されてしまう。
さらには政治的な問題にも巻き込まれ、反体制派として逮捕までされ、プロコフィエフの死後雪解けの時期に名誉回復を得る。
リーナが亡くなったのは1989年と長命なのでした。

リーナとのドイツでの結婚生活のなかで、「炎の天使」の作曲に没頭するプロコフィエフ。
ノイシュバンシュタイン城のあるフュッセンと山ひとつ隔てた場所にある風光明媚な場所で、この斬新きわまりないオペラが書かれたというところが面白い。
1927年に完成し、翌28年に初演を目論んだもののスコアの改訂が間に合わず流れてしまい、パリのオペラ座でクーセヴィツキによって演奏会形式で2幕分のみが初演。
3幕11場の全体構成を5幕7場にするなど、その後も手を入れつつも初演の機会は訪れず、ソビエトに帰還してしまってからは、その内容から同国での上演などおぼつかず、まさにお蔵入りとなりました。
プロコフィエフの死後2年目の1955年にイタリア語翻訳によりヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演となる。
このオペラの主題を用いて交響曲第3番を作り上げたのが1928年。
こちらは1929年にモントゥーの指揮で初演され、いまやコンサートでも人気曲のひとつとなっている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       登場人物

    16世紀 ドイツ ライン地方

 レナータ:悪魔に魅入られた娘(ソプラノ)
 ルプレヒト:騎士で旅人 レナータに一目ぼれで愛し抜く(バリトン)
 宿屋の女将:(アルト)
 召使:(バス)    
 占い師:(メゾ)
 ヤコフ・グロック:本屋(テノール)
 アグリッパ・フォン・ネッテスハイム:魔術師、哲学者(テノール)
 マティアス・ヴィスマン:ルプレヒトの学生時代の友人(テノール)
 医師:(テノール)
 メフィストフェレス:悪魔(テノール)
 ファウスト:いわゆるファウスト・哲学者(バリトン)
 居酒屋の主人:(バス)
 尼僧院長:(アルト)
 宗教裁判長:(バス)
 ハインリヒ伯爵:黙役
 その他の連中:3体の骸骨、隣人、尼僧、随行員etc. 合唱、バレエ

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第1幕 宿屋にて
宿屋の女将に案内され、粗末な屋根裏部屋に、アメリカ帰りの騎士ルプレヒトが登場。
この宿で一番良い部屋だと自慢されるが、隣室から叫び声が聞こえて来る。
ルプレヒトが駆け付けると、若い女性が「悪霊に取り憑かれている」と言って悶え苦しんでいる。
この美しいレナータに一発で心ひかれたルプレヒトが事情を聞くと、レナータはその身の上を話し始める。
 子供のころ、マディエリという「炎の天使」といつも一緒に楽しく過ごしていた。
やがてレナータは年頃の乙女になり、その友情は愛情に変わっていった。
レナータがマディエリに恋心を打ち明けると、マディエリは「いずれ時がきたら人間の姿になって再びレナータの前に現れる」と約束して去って行った。
さらに月日は流れ、レナータはハインリッヒと名乗る伯爵に出会う。
このハインリヒ伯爵こそがマディエリの生まれ変わりだと確信し恋に落ちてしまう。
二人は短くも幸せな時を過ごしたが、伯爵はレナータを捨てて突然に姿をくらましてしまった。
それ以来、夜ごと悪夢にうなされながら伯爵を来る日も捜し続けているのであった。
彼女の話を聞くうちに、ルプレヒトはレナータの不思議な魅力に憑かれ、彼女を自分のものにしたいと言う欲望にかられ、普段の冷静さを忘れ襲いかかるが、激しく拒絶される。
しかしルプレヒトは危なげなレナータを愛し、守りたいと強く心に決める。
様子を見に来た女将は、このレナータを売春婦と罵り、ルプレヒトに忠告し、さらに占い師を呼んで来て占うことにする。
占い師はレナータとルプレヒトの血塗られた運命を予言する。怯えるレナータを連れてルプレヒトは宿を逃げ出して行く。

第2幕
第1場 ケルン
ルプレヒトとレナータはケルンにやって来る。
レナータはハインリッヒ伯爵を探し出すために、魔術について文献をあたり調べている。
本屋のグロクが登場し、魔術についての文献を持参するが、黒魔術などは、異端としての裁判の恐れあり勘弁して欲しいという。
 ルプレヒトは再び愛を告白するが、ハインリッヒ伯爵の足元にも及ばないとまったく相手にせず、文献に没頭する。
レナータが伯爵の魂に呼びかけると、ドアをノックする音が3回聞こえて来るので「魔術が成功した」と喜ぶ。
しかしそれは、熱に浮かされたレナータの幻聴であった。
絶望するレナータ、ルプレヒトはまたやって来た本屋グロクの忠告に従って、学者で魔術師のアグリッパ・フォン・ネッテスハイムに助言を求めにいく。

第2場 アグリッパの書斎
学術書や科学的計測器などが散乱するアグリッパの書斎、そこで鳥の剥製や骸骨の並ぶまがまがしい雰囲気のなか研究中。
そこにルプレヒトが訪ねて来て経緯を説明し、助言を求めるが断られる。
ただアグリッパは、魔界に関わってはならないと警告を与え、自分は人間の深淵を探求するのみなのだ、と宣言する。
横に並ぶ3体の骸骨が「アグリッパは嘘をついている」と教えるが、それはルプレヒトには聞こえない。
アグリッパは、真の魔術とは科学そのものであると忠告をする。

第3幕
第1場 ハインリヒ伯爵家の前
レナータはケルンに滞在していた伯爵に巡り合うことが出来たが、伯爵はレナータを魔女と呼んで遠ざける。
レナータは深く傷つき、そんな伯爵なんて火の天使マディエリの約束した化身ではないと考えるようになる。
ルプレヒトはすべては幻だったのだと、アグリッパに会っての結論を言うが、レナータは「自分を辱めた伯爵に決闘を申し込み、殺して欲しい」とルプレヒトに訴える。
ルプレヒトはさっそく伯爵家に決闘を申し込みに向かい、レナータは屋敷の外でマディエリが姿を現わしてくれるように神に祈っていた。
ここでのモノローグはなかなかに切実で、この作品の一番オペラらしい歌唱シーンとなる。
レナータは祈りの陶酔の中、窓に映る伯爵を見上げると、そこにはハインリヒ伯爵が、、やはり伯爵がマディエリの生まれ変わりであるとまたも確信してしまう。
ルプレヒトが決闘の段取りを終えて戻ると、身勝手にもレナータは伯爵を傷つけることを禁じるのである。
なんでやねんと、めちゃめちゃ怒るルプレヒトであった。

第2場 ライン川
レナータから伯爵を傷つけるな!と命令されたルプレヒトは、それでも勇敢に決闘に挑み闘いの末、深手を負う。
突然出てきた友人のヴィスマンに助けられる。
一方の伯爵はまた姿を消してしまう。
レナータはこの顛末に愕然とし絶望に暮れ、ルプレヒトへの愛をいまさらに誓い、命乞いをし、死んでいまったらもう自分は修道院に入るとしおらしくもこの厳しい試練を嘆く。
しかしその誓いを嘲るような声もまた聞こえ、レナータは不安に陥る
ルプレヒトは私を死に追いやりやがってこのやろう!・・・と悪魔の幻影を見る
医師を伴いヴィスマンが戻ってきて、ルプレヒトは一命をとりとめる。

第4幕 ケルンの街角、居酒屋
レナータが介護し、ルプレヒトは回復し、ふたたびレナータとの結婚を望んでいた。
しかしレナータはルプレヒトに感謝はしていたが、愛することはできないという。
レナータはルプレヒトを遠ざけ、未だに伯爵に性的な欲望を感じる自分の体を呪い修道院に入ると言い張る。
混乱するレナータはルプレヒトを悪魔の使いだと責め、ナイフで何度も自傷行為をする。
そして結婚を哀願するルプレヒトの制止を振り切り、ナイフを投げつけて逃亡してしまう。
 その時ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスがレナータとルプレヒトの言い争いを居酒屋のテーブルに座って見物していた。
ファウストは天使も悪魔も人間のことが理解できないと意味深に言う。
メフィストフェレスはワインを飲み、肉を持ってこいと給仕の少年に命ずるが、男の子は肉を落としたりして粗相をしてしまうと、その子をメフィストフェレスは食べてしまう。
ファウストはメフィストフェレスの悪ふざけにうんざりしているが、驚いた店主は「男の子を返せ!」と大騒ぎをして、メフィストフェレスは満足げに男の子をゴミ箱から出してみせる。
そんなメフィストフェレスは落胆するルプレヒトに興味を持ち、女に振られ気落ちをしてやがると揶揄し、無理強いでは愛は手に入らない、一緒に飲もうぜと誘っって来る。
ケルンを案内しろ、一緒にくれば、いろいろとわかるぜとメフィストフェレスは誘う。

第5幕 修道院
逃げ出したレナータは修道院に入っていた。
悪霊を信じるのか?見たのか?と僧院長は問い、レナータが来て以来、不思議なことばかりが起きるという。
しかし悪霊に苦悶するレナータによって修道院はだんだんと不穏な空気に包まれる。
尼僧達も不安におののき始める。
尼僧院長はレナータを呼び出し宗教裁判にかけることし、宗教裁判長は十字架をかざし悪魔払いを始める。
この悪魔払いの儀式は修道女達をさらに混乱させ、悪霊を呼び醒ましてしまう。
炎の天使の幻影がついにレナータを制圧し、修道女たちはサタンをも讃美し始めみなトランス状態となりレナータを讃える。
メフィストフェレスとルプレヒトはこの様子を見ていて、ほら、あの女だぜとルプレヒトに見せつける。
ついに宗教裁判所長がレナータに悪魔と通じた堕天使と烙印を押し、拷問と張り付け火炙りの刑を言い渡し、混乱の極みに達する。
最後は近衛兵も乱入し、ついに処刑へとなる・・・・・

                    

とんでもなくややこしく、ヒロインの目まぐるしいまでの心変わりは、悪魔に魅せられた由縁か。
そうした女性を愛し抜くことができるのか。
いるかもしれない悪魔と対峙する男性、ルプレヒトは騎士道精神を発揮して、自らの破滅も顧みずに渦中に飛び込んでいく。
そこまでして愛し、救助するに足る女性なのかを問うのもこのオペラだし、そのあたりが上演にあたっての演出家の腕の見せ所だろう。
ラストシーンは、音楽としてはいろんな解釈を施すことができるような残尿感も漂うが、まばゆい音のエンディングとなる。
ルプレヒトは、メフィストフェレスにとどめられたのか、レナータを救うことが出来ずに傍観者となる。

一方、ブリュソフの原作の方だが、修道院入りしたレナータは、悪魔か聖人に取りつかれた状態になっていて、そうした罪を告白して牢ににつながれてしまう。
それをルプレヒトが救出に向かうが拒否されたあげくに、「炎の天使」と同一視したのかどうか、彼の腕に抱かれつつ死んでしまう。

この結末の描かれ方の違いは大きい。
救いがなく、より悪魔的、暴力的な結末にしたプロコフィエフは、ここに付けられた音楽がまさにそのような出来栄えになっており、予定調和的でないところが、この時期のプロコフィエフの先鋭的な作風にピタリと来るわけです。

| | コメント (0)

2024年12月21日 (土)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ノット&東響

Rosen-02

サントリーホール、カラヤン広場のクリスマスツリー。

この日は、ジョナサン・ノットと東京交響楽団のR・シュトラウスのオペラシリーズ第3弾にして最終回、「ばらの騎士」を観劇。

17時に開演して、20分休憩を2回はさんで、再びこのツリーの横を通ってホールを出たのは21時30分になってました。
カットなしの完全版で、コンサート形式での簡易なオペラ上演は、これまでの2作と同じくして、サー・トーマス・サレンの演出監修によるもの。

Rosen-05

これまでの2作もタイトルロールに世界ナンバーワンの歌手を据え、他役も超一流で固めた、まさにノット監督の人脈をフルに活かした配役による上演でした。
サロメにグリゴリアン、エレクトラにガーキーと、いずれもいまでもその歌声は耳にこびりついている。
今回の配役も実に素晴らしい布陣です。

結論から申しますと、多く観劇してきた「ばらの騎士」の上演・演奏のなかで、いちばん鮮烈な感銘を受けることとなりました。

Rosen-04

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」

  マルシャリン:ミア・パーション 
  オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン
  ゾフィー:エルザ・ブノワ         
  オックス男爵 :アルベルト・ペーゼンドルファー
  ファーニナル:マルクス・アイヒェ 
  マリアンネ、帽子屋:渡邊 仁美
  ヴァルツァッキ:澤武 紀行
  アンニーナ:中島 郁子

  ヴァルツァッキ:デイヴィツト・ソー    
  歌手:村上 公太

    警部、公証人:河野 鉄平
  執事(元帥家)、料理屋の主人:高梨 英次郎
  動物売り、執事(ファーニナル家):下村 将太
  3人の孤児:田崎 美香、松本 真代、田村 由貴絵
  モハメッド役:越津 克充

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
             二期会合唱団

   演出監修:サー・トーマス・アレン

     (2024.12.13 @サントリーホール)
  

満席のホール、いつものように颯爽とあらわれ、さっと指揮を始めると、高揚感たっぷりのホルンで素晴らしい音楽ドラマの幕が開く。
左手に二人掛けソファ、右手はテーブルに2脚の椅子、ステージ右奥には衝立。
これだけが舞台装置で、歌手たちはこれらの椅子に腰かけつつも、基本はほとんど立ちながらの演技で歌う。

「ばらの騎士」は、あらゆるオペラの中で、5指に入るくらいに好きで、その舞台もたくさん見ておりますが久々の実演。
かつて「ばら戦争」といわれ、短期間に「ばらの騎士」がいくつも上演されたときがあり、まだ若かった自分、いろんな意味でのゆとりもあり、そのほとんどを観劇し、来る日も来る日も「ばらの騎士」の音楽が頭のなかを渦巻いていたものでした。
2007年のこと、あれからもう17年が経過し、脳裏を「ばらの騎士」がよぎり続ける日々がまた再び来ようとは・・・・

素晴らしいオーケストラ、素晴らしい歌手たち、集中力の高い聴衆、これらすべてが完璧に決まりました。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サロメとエレクトラで、巨大編成のオーケストラを存分に鳴らしまくり、ワーグナーの延長とその先にあるシュトラウス・サウンドを堪能させてくれたノットと東響。
エレクトラからわずか2年後の1910年の「ばらの騎士」は、歴史絵巻の素材から、18世紀に時代を移し、音楽は、軽やかで透明感あふれるモーツァルトを意識した世界へと変貌。
ホフマンスタールとの膨大な往復書簡のなかで述べているように、「フィガロの結婚」を前提としても書いている。
そのホフマンスタールも、メロディによる台本の拘束は、モーツァルト的なものとして好ましく、我慢しがたいワーグナー流の際限のない、愛の咆哮からの離脱を見る思い、だと書いてました。
ワーグナー好きの自分からすると、なにもそこまで言わなくても、とホフマンスタールに言いたくはなりますがね・・・
しかしシュトラウスは台本に熱中し、台本が完成するより先に作曲を進めてしまったくらいに打込んだ。

モーツァルトの時代には存在しなかったワルツが随所に散りばめられ、それはこのオペラの大衆性をも呼び起こすことにもなりますが、その数々のワルツをふるいつきたくなるくらいに、まるで羽毛のように軽やかに演奏したのがクライバー、ゴージャスに演奏したのがカラヤン。
しかし、ノットはワルツでもそのように、ワルツばかりが突出してしまうことを避けるかのように、シュトラウスが緻密に張り巡らせた音楽の流れのなかのひとコマとして指揮していたように思う。
うつろいゆくシュトラウスの音楽の流れをあくまで自然体で、流れるように聴かせてくれ、近くで歌う歌手たちとのコンタクトもとりつつ、歌い手にとっても呼吸感ゆたかな安心できるオーケストラ。
シュトラウスの千変万化する音楽の表情を、ノットは巧まずして押さえ、東響から導きだしていたと思う。
その東京交響楽団が、先日の影のない女でも痛感したように、シュトラウスの煌めくサウンドと名技性とを完璧に演奏しきっていて、我が国最高のシュトラウスオケと確信。
是非にもCD化して世界に広めて欲しい。
 多くの聴き手と同じように、3幕での3重唱の高揚感と美しさには、美音が降りそそぐようで、あまりの素晴らしさに涙が頬を伝うのを止められず・・・
音源で聴いていると、女声3人の歌声でスピーカーがビリついてしまう録音もあるくらいだが、ライブでの演奏ではそんな不安はこれっぽちもなく、まさに心の底から堪能しました。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
Rosen-06

5人の主要歌手たち、脇を固めた日本人歌手たち、いずれの皆様、賛辞の言葉を尽くしてもやむことができないほどに素晴らしかった。

驚きの素敵な歌唱とその立ち居振る舞いをみせてくれたミア・パーションのマルシャリン。
モーツァルト歌手としての実績のみが頭にあり、こんなに大人のそして優しさと哀しみを表出できる歌手だったとは!
声量も充分で、ホールに響き渡るその澄み切った声は、北欧の歌手ならではで、クセのない揺れのほとんどないクリアボイスで歌われる1幕のモノローグには、もう涙を禁じえなかった。
これでドイツ語のディクションにさらなる厳しさも加わったらより完璧。
いまこれを書きつつ、外をみると風に散る枯葉が舞ってました。
彼女の歌とノットの作りだしたあの儚い場面を思い出し、そしてこれまで観てきたマルシャリンたちの1幕の幕切れのシーンをも回顧して、なんとも言えない気持ちになってきたのでした。。。
ゾフィーが持ち役だった彼女が、こうしてマルシャリンに成長してきたその姿は、まるでかつてのルチア・ポップを思い起こす。
もしかしたら、きっとマドレーヌも素晴らしく歌ってくれるのでは・・・

会場を驚かせた歌手、オクタヴィアンのモリソンは、この日がオクタヴィアンの初ロールだということ。
豊かな声量と安定感あるメゾの領域は、これまた驚きの連続でした。
これで軽やかさが加わったたら最強のオクタヴィアンになるかもです。
気になって手持ちの録音音源を調べたら、ピッツバーグでモツレク、BBCでスマイスのミサ曲などを歌ってました。
フリッカも歌い始めたようなので、マーラーの諸曲も含めて、今後期待大の歌手です。

対するゾフィーのフランスのソプラノ、ブノワも実にステキでして、そのリリカルな声は、薔薇の献呈の場では陶酔境に誘われるほど。
まさにこれが決り、最終シーンでもうっとりさせていただきました。
一方で、現代っ娘的な意思の強さも歌いだす強い声もあり、幅広いレパートリーをもつこともうなづけます。
オクタヴィアンとゾフィーの2幕におけるヴァルツァッキ達の踏込み前までの2重唱、このオペラでもっとも好きな音楽のひとつですが、これもまた天国級の美しさなのでした。

大柄なオーストリアのバス、存在感たっぷりのペーゼンドルファー。
ハーゲン役として音源や映像でいくつか聴いていたが、初の実演は、深いバスでありながら小回りの利く小気味よさもありつつ、上から下までよく伸びるその声、実に美声で破綻なく安心の2幕のエンディングでしたね。

多くの録音やバイロイトのライブでもおなじみのアイフェのファーニナル。
暖かく人のよさのにじみ出たアイフェのバリトンは、現在、最高のウォルフラムやグンターだと思いますが、貪欲な市民階級の役柄を歌わせても、どこか憎めず、いい人オジサンにしてしまう。
性急なまでに貴族へのステップアップを狙い、一目を気にする小人物であるが、憎めない、最後は娘の幸せを願う父親に。
そんなファーニナルを見事に歌い演じるアイフェでした。

せんだって、ヴェルデイのレクイエムで見事なソロを聴いた中島さんのアンニーナ、ここでも充分に存在感を示してまして、小回り効く澤武さんのヴァルツァッキとともに、狂言回しとして、このオペラになくてはならない役柄であることを認識できました。
テノール歌手の村上さんも、驚きの渾身の美声で、ステージ上の登場人物たちもまさに聞惚れるほど。
刑事コロンボのようなコートをまとった警部の河野さんも、役柄にはまった歌唱と演技で、オクタヴィアンの投げる衣装を受け取る姿もまた楽しい場面でした。
そしてもったいないくらいの渡邊仁美さんのマリアンネも、舞台を引き締める役割をそのお姿でも担いました。

モーツァルトシリーズからシュトラウスまで、演技指導の名歌手トーマス・アレン卿の手際のいい仕事は、制約の多いコンサートスタイルにおいても、簡潔で納得感あるものです。
これだけ有名なオペラになると、大方の場面は、こちらの想像力で補うことができるからこれでいいのです。
3幕の悪戯の仕掛けなど、客席も使ってみた方がおもしろいかも、とは思ったりもしましたが、登場人物たちが、指揮者やオケの奏者たちに絡んだりする場面などユーモアたっぷり。
モハメド君のハンカチ拾いも、定番通りでよかったです。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歳を経た自分が、元帥夫人に共感し、思い入れも以前にもまして深めてしいます。
日々揺れ動く気持ち。
自分を見つめることで、いまさらに時間の経過に気付く。
自戒と諦念、そして、まだまだだと、あらたな道へと踏み出す勇気を持つべしとも思う自分。


こんな儚い気持ちを感じさせてくれるドラマに、シュトラウスはなんてすばらしい音楽をつけてくれたものだろうか。
シュトラウス晩年の「カプリッチョ」にも人生の岐路に差し掛かった自分は、格段に思い入れを感じる今日この頃。。。

Rosen-031

過去記事 舞台観劇

 「新国立劇場 シュナイダー指揮」

 「チューリヒ歌劇場 W・メスト指揮」

 「ドレスデン国立劇場 ルイージ指揮」

 「県民ホール 神奈川フィル 沼尻 竜典指揮」

 「新日フィル コンサート形式 アルミンク指揮」

 「二期会 ヴァイグレ指揮」

過去記事 音源・映像

 「バーンスタイン&ウィーンフィル」
 
 「ドホナーニ&ウィーンフィル」

 「クライバー&バイエルン国立歌劇場」

 「ギブソン&スコティッシュ、デルネッシュ」

 「ビシュコフ&ウィーンフィル」

 「クライバー ミュンヘンDVD」

 「ラトル&メトロポリタンオペラ」

Rosen-persson

手持ちの映像から、ガーシントン・オペラでのパーションの元帥夫人。
この演出がお洒落でセンスあふれるものでした。
数回目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ、次は「ばらの騎士」を予定してまして、そこで音源や映像の数々をレビューしたいと思います。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ お悔やみ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハイドン ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴィオッテイ ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東京交響楽団 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス