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2025年10月27日 (月)

J・シュトラウス 「こうもり」 カラヤン&ベーム

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秋の出雲大社相模分祠の手水舎。

神無月の10月なので、神様は出雲にお出まし中ですが・・・

名水の里、秦野市ですから、境内には龍蛇神の社があって、清らかな湧き水が流れ汲むことができます。

いまいる町は秦野に近いので、水はすべて秦野市内にいくつもある名水スポットから汲んできてます。
ともかく美味しい水です。

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2025年は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年の年。
そして、10月25日がその誕生日。

1975年の生誕150年もよく覚えていて、まだウィリー・ボスコフスキーが健在で、数々のライブ放送がFMで放送されたし、なんといってもベームがウィーフィルとやってきて記念碑的な演奏をいくつもNHKホールでやってくれた年だ。
そのなかには、ジュピターとシュトラウス作品集のコンサートもありました。

今宵は、ともにデッカ録音のウィーンフィルとカラヤンとベームの「こうもり」を久方ぶりに聴いてみました。
ウィーンフィルには伝説級のクレメンス・クラウス、以前もブログで書きましたプレヴィンなどの録音もありますが、60~70年代、ウィーンで人気を二分したふたりの巨匠、しかもデッカ録音ということで。
クライバーやボスコフスキーは、またの機会に。

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   J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:ヴァルデマール・クメント
   ロザリンデ:ヒルデ・ギューデン
   アデーレ:エリカ・ケート
   ファルケ:ワルター・ベリー
   フランク:エベールハルト・ヴェヒター
   オルロフスキー公:レジーナ・レズニック
   アルフレート:ジュゼッペ・ザンピエッリ
   ブリント:ペーター・クライン
   フロッシュ:エーリヒ・クンツ
   イーダ:ヘドヴィヒ・シューベルト

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
                  ウィーン国立歌劇場合唱団

  ガラ・パフォーマンス
    レナータ・テバルディ、フェルナンド・コレーナ
    ビルギット・ニルソン、マリオ・デル・モナコ
    テレサ・ベルガンサ、ジョン・サザーランド
    ユッシ・ビョルリンク、レオンティン・プライス
    ジュリエッタ・シミオナート、エットレ・バスティアニーニ
    リューバ・ヴェリッチュ

  ピロデューサー:ジョン・カルショウ、クリストファー:レイバーン
  エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムス・ブラウン

      (1960.6 @ゾフィエンザール、ウィーン)

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 J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:エベールハルト・ヴェヒター
   ロザリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
   アデーレ:レナーテ・ホルム
   ファルケ:ハインツ・ホレチェク
   フランク:エーリヒ・クンツ
   オルロフスキー公:ヴォルフガング・ヴィントガッセン

   アルフレート:ヴァルデマール・クメント
   ブリント:エーリヒ・クッヒャー
   フロッシュ:オットー・シェンク(映像)

   イーダ:シルヴァン・ラカン

  カール・ベーム指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
            ウィーン国立歌劇場合唱団

  プロデューサー:ジョン・モードラー
  エンジニア:ジェイムス・ロック、ゴードン・パリー

      (1971.11 @ゾフィエンザール、ウィーン)

10年を隔てたふたつの録音ですが、カラヤン盤はカルショウ率いるデッカのソニックステージの全盛期のもので、ウィーンフィルでゾフィエンザールといえば、カラヤンの一連のイタリアオペラ、ショルティのリングやシュトラウスなどが思い浮かびますね。
まさにそれらと同じく、レコードで視覚的な効果も再現するという、まさにレコード芸術を極めたもので、いま聴いてもそのリアリティは面白く、レコード時代には味わえなかった鮮明さも嬉しいものだ。
しかし、何度も聴くと飽きが来てしまうのも事実だろう。
このカラヤン盤の最大の特徴は、2幕の後半におかれたガラ・パフォーマンス。
11人のいまや伝説級の名歌手たちがまったく予想外のレパートリーを披露してくれる。
テバルディはメリー・ウィドウ、ニルソンはマイフェアレディ、デルモナコがナポリタン、ビョルリンクがレハールなどなど。
これらの豪華メドレーに、その場のパーティー会場の参加者たちはそれぞれに拍手喝采を送っていて、それらも一連の流れでよくできていてまさにリアル。
でもこれらは、この録音のためにその場で歌われたものではなく、音質も均一でないのでやや場違い管は否めず、日ごろ聴くには冗長だろう。
 カラヤン盤のプロデューサーとエンジニアの名前を見るだけでも、当時のデッカ録音の企画力と鮮やかな音がわかるというもの。
半世紀以上経過したいまも昨今のライブ録音とは別な次元でのリアル感ある素晴らしいものだと思います。

レコードを芸術に特化したカラヤン盤から10年後のベーム盤。
こちらはストイックなスタジオ録音で、おあそびはゼロで、登場人物たちのセリフも大幅カット。ガラ・パフォーマンスもなく「雷鳴と電光」のみ。
そうこちらは映像作品あり、その上質なサウンドトラックでもあります。
でも録音はデッカサウンドをしっかり踏襲していて極上であります。
そして、ベーム盤はやはり映像を見ないといけない。
どちらも楽しめるのがベーム盤のいいところ。

「カラヤン盤」

60年代のキリリと引き締まったカラヤンならではの演奏。
しかもウィーンフィルの当時の美質が満載で、まだまだローカル感もほどよくあり、いわゆるウィーン訛りも聴かれるオーケストラだ。
EMIのフィルハーモニアとの旧盤の方が世評は高いようだが、私は未聴。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督として在籍した時代、59年アイーダ、60年こうもり、61年オテロ、62年トスカ、63年カルメンと毎年ウィーンフィルとオペラ録音を重ねたカラヤン。
その後はスカラ座、さらにはベルリンフィルとオペラ録音をするようになり、ウィーンフィルとのオペラ録音は74年の蝶々さんまで間が空くことになりました。
いろんな時代のカラヤンのオペラのなかで、60年代がいちばんカラヤンらしく、指揮者中心のオペラでなく、歌手もオーケストラも対等にある総合芸術としてバランスがいいと思う。
歌いまわしの巧さ、キレの良さ、なによりも若々しい表情が魅力で、そこにウィーフィルの音色もプラスされます。
録音の良さも前述のとおり。

歌手に関しては、やや古めかしいと感じる声も散見されるが、なんといっても懐かしい名前ばかりで、まさにウィーンで日頃歌っていた日常の名歌手たちによる歌唱で、チームワークもばっちり。
ギューデンの声の美しさはすばらしく、エリカ・ケートも可愛い、がしかし、いずれも今の歌手たちの歌唱に慣れた耳からするとやや時代を感じさせもする。
クメントとヴェヒターは、ベーム盤でも役柄を変えて登場していて、ともに「ウィーンのこうもり」にはなくてはならない存在だった。
手持ちのCDは、CD初期の西ドイツ原盤だが、最新のリマスターでも聴いてみたいと思う。
とくに賑やかで晴れやかなガラ・パフォーマンスのシーンは刷新された音質で聴いてみたい。

「ベーム盤」

セリフのないぶん、音楽のみに浸ることができ、その結果、シュトラウスのこのオペレッタがメロディーの宝庫とわかる。
汲めども尽きぬ、美しく楽しい音楽。
そして巧みに素敵なアリアが挿入され、それらが実に心ニクイほどによく書けてて、思わず口ずさみたくなるものばかりときた。
このあたりを生まれたばかりの音楽のように鮮やかに演奏してみせたのがクライバーということになるだろう。

ベームの音楽は、決して四角四面のものでなく、またこの時期は覇気にもあふれていたので活気あふれるものです。
さすがに跳ねるようなリズムや、カラヤンのような歌いまわしの巧さなどはありませんが、オペラ的な感興にあふれていて雰囲気豊かです。

歌手たちは、70年代ともなると、自分にはお馴染みの顔ぶれとなり、実際に聴いたこともある名歌手も混じってます。
このあたりが、いにしえ感を感じさせるカラヤンの60年代メンバーと違うところ。
そしてやはり、この時期にウィーンでこうもりを歌っていた常連ばかりで、クンツ、ホレチェク、ホルムはまさにウィーンでの、そしてお馴染みのシェンク演出の常連だった。
そしてこの3人の芸達者ぶりが実に見事なものでした。
あとなんといっても、ヘルデンテノールのヴィントガッセンのオルロフスキー公が愉快だし、まさにあのヴィントガッセンそのものの声で大真面目に歌っている。
その真面目さが逆に滑稽の域に達していて、どこかかったるそうにしているところが聴きもの。
トリスタンを歌うヴィントガッセンに、クルヴェナールを歌うウィーンのカヴァリエバリトンのヴェヒターという組み合わせも妙なる面白さ。
まだまだ若々しいヴェヒターのアイゼンシュタインは、テノールで歌われる同役を器用に、巧みな技巧であくまで自然に歌っていて素晴らしい。
素晴らしついでに、ヤノヴィッツの硬質だけれど美声のロザリンデもこの役の理想形でありました。

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音楽にみを納めたCDは、先に書いた通り、音楽の良さが素直に味わえるのですが、一方でセリフがなく、間がなさすぎることや、ドラマとして真剣に考えると唐突な展開にすぎると言えるかもしれない。
そのうえで、連続して何年振りかでDVDを視聴してみると、これがまた実に面白かったし、実によく出来てる。
舞台でなく、映画のセットでの映像であるだけに、細部にいたるまで完璧だし、豪華絢爛で、ヨーロッパのこの時代の贅沢三昧の人々の生活の上澄みを味わうこともできる。
具象的なシェンクの演出もこうした作品では文句ないし、そのシェンクが愉快なフロッシュ役でドタバタ演技をしているのも楽しい。
 序曲ではベームとウィーフィルの演奏もそのまま収録されていて、この時期のウィーフィルのお馴染みの面々が確認できたりする。
最後にヴィントガッセンはCDで聴くより、こちらの映像の方が数十倍も面白いデス!

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じつは「こうもり」は、劇場で観劇したことがありません。

始終やってるからまあいいや、と思っているうちにお爺さんになってしまった(笑)

神奈川フィルのコンサートオペラでやったらウケると思うんだけど。

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2025年9月10日 (水)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ネゼ=セガン指揮

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台風が来る前の壮絶な夕焼けシーン。

中学生・高校時代は、ここに富士の頭が見えて、こんな夕焼けを見ながら「ワルキューレ」のウォータンの告別を聴いて痺れていたものです。

わが血肉にもなっているワーグナーの音楽。

また新たな音源を発見し悦に浸っておりますところです。

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   ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン:ステュワート・スケルトン
   イゾルデ:ニーナ・シュティンメ
   マルケ王:タレク・ナズミ
   ブランゲーネ:カレン・カーギル
   クルヴェナール:ブライアン・マリガン
   メロート:フレデリック・バレンティン
    水夫、牧童:パク・ジョンヒョン
    舵取り:ネイサン・シュルデッカー

 ヤニク・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団
              フィラデルフィアシンフォニック合唱団

    (2025.6.1 @マリアン・アンダーソン・ホール、フィラデルフィア)
   
セガンが手兵のフィラ管でトリスタンを全曲やるという情報は前からつかんでいて、それがついに全3幕をネットストリーミングで聴くことができました。
50歳のモントリオール生まれのセガンは、相変わらず積極的な活動をしていて、フィラデルフィアは2012年から、メトロポリタンオペラは2018年から、それぞれ音楽監督をつとめていて、ヨーロッパでも各地のオーケストラに客演していて、レコーディングの数も極めて多い指揮者となっている。
メットでの指揮をべースにオペラも急速にそのレパートリーを拡張しつつあり、モーツァルトの主要オペラはすべて録音したし、ヴェルディ、プッチーニ、主要フランスオペラ、R・シュトラウスなど多く指揮していて、その多くをネットで聴くことができている。
ワーグナーへの取組みもついに開始し、バーデンバーデンでラインの黄金を指揮したが、ついにトリスタンを手掛けたわけだ。
メットでは、新演出のリングが2028年にスタート予定である。

コンサートでの定評ある指揮にくわえ、オペラでの実績と経験をすごい勢いで積み重ねている才人セガン。
ここで書くべきことでもないが、セガンは堂々とそっち系であることをカミングアウトした小柄だけどマッチョな指揮者だ。
多様性とかいう言葉は全く好きではないいが、かつてのバーンスタインのようなあらゆるものを飲み込み包括できてしまう、そんな心の豊かな音楽家なのではないかと思っている。

そんな彼の「トリスタン」は、フィラデルフィアの「トリスタン」としても大いに注目して聴きました。

・セガンの持ち味である生き生きとして、つねにビビッドな音が全編にあふれている。
・ライトモティーフのもつ説得力がいやでも増す音楽造り。
・ふたりの主役たちの、ワクワク感や焦燥、そうした気持ちがいろんなモティーフや、ちょっとした音の刻みにも表現されていて、聴いていて驚いた場面が多々あり。
・劇的なか所では、もさに興奮さそう盛り上げの巧さがある
・音が新鮮で、鮮度高い
・シンフォニックなアプローチでありつつ、オペラティックな感興にあふれている。
・しかし、陰りや絶望感は薄めで、ワーグナーのねっとり感やネクラ感はなし

豪華な歌手たちを揃えることができるのもアメリカの超メジャーのフィラ管、そしてメットの指揮者であることのゆえん
・ベテランとなったシュティンメは、この公演がイゾルデを歌う最後だという
 イゾルデの卒業となったシュティンメのさすがの貫禄と存在感
 しかし、高域がちょっとキツく感じ、低域が重すぎるようになった
・いまが絶頂期のスケルトン、重量級の声に拍車がかかり3幕のやぶれかぶれぶりは見事
 逆に2幕は抑え気味
・カーギルのブランゲーネは実にいいが、マリガンのアメリカ~ンすぎるクルヴェナールは軽薄だった
・若々しいナズミのマルケは新鮮だった。
・ほかの歌手たちもみ~んなアメリカン

そして、フィラデルフィア管弦楽団はうまかった!
音が明るい、輝かしい、そして重量級だった。

この音源がDGから出るかどうかわかりないが、劇場でもう少し振って、解釈を一貫させ深めてからでもいいかも。
セガンとネルソンスはなんでも録音が早すぎるし多すぎると思うものですからね。

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2025年8月31日 (日)

バイロイト2025 勝手に総括

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夏のワーグナーの祭典、バイロイト音楽祭も終わり、夏も終わりか・・・と思う時分になりました。

現地に行ったわけじゃない、行ったこともない、きっとこの先も行くことはないだろうバイロイト。

でも71年頃から年末の放送をずっと聴いてきたし、ちょっとしたワーグナー好きであります。

夏のバイロイトでの出来事は、一喜一憂してしまうのですから、今年もやります、勝手に総括、お許しください。

祝祭劇場の写真をちょいと編集してしまいました。

2025年の演目は、新演出の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ニーベルングの指環」(2022年)、「パルジファル」(2023年) 、「ローエングリン」(2018年)、「トリスタンとイゾルデ」(2024年)の5つ。

トリスタンは今年は放送されず、それ以外の作品をBR放送で全部聴きました。

画像はそれぞれ、バイエルン放送協会、バイロイト祝祭劇場のサイトなどからお借りしてます、ありがとうございます。

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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ダニエーレ・ガッティ指揮

すでにレビュー済み。
ザックスを特別扱いせず、むしろ軽い存在とすることで、ドイツ最上、神聖ローマ帝国万歳を薄めてしまい、前任のB・コスキーがえぐりだしたようなユダヤ問題をオブラートに包んでしまった。
踏込みが甘いという見方もあろうが、あれこれ考えずに楽しめたし、巻切れも愉快だったし、色彩の豊かさもよかった。

芸達者なツェッペンフェルトのザックスが期待通りに素晴らしく、深い美声で歌うバスでのザックスはかつてのリッダーブッシュ以来かもしれない。
この1か月で他の役でも多く舞台に立ったわけだが、体調を壊し、終盤ではミヒャエル・フォレとドンナーを歌っていたニコラス・ブラウンリーが代役で歌った。
さらに、好評のダ―ヴィット役のスタイアーも体調不良で降板し、ミーメを歌っていたチュン・ファンが代役に。
おまけに、指揮のガッテイもおかしくなり、1日だけ、お馴染みのアクセル・コバーが急遽指揮台にたった。
猛暑でありながらも、寒くなったりと、天候不順だったバイロイトだったようです。

 「マイスタージンガー2025 記事リンク」

Siegfried

 「ニーベルングの指環」  シモーネ・ヤング指揮

なんだかんだで、最終年度となったシュヴァルツ演出の「リング」。
コロナでお休みがあり、都合4年間、上演されたが毎回激しいブーイングが起きて、ある意味それも楽しみになっていた。
でもしかし、今年は、聴けた放送に限っていえば「ブー」はなし。
もしかしたら、カーテンコールに演出グループが出てきたときに、浴びたのかもしれないが・・・

観客はなにが起こるか認識して観劇していたので耐性がついていたのだろうし、いろいろと手を加えて調整もされていたとも言われている。
マイスター、インキネンから引き継いだヤングの指揮が、昨年以上に素晴らしかった。
あんなヘンテコな演出舞台なのに、音楽だけはやたらと素晴らしい。
それもこれもすべてに堂に入った的確かつ文句なく雰囲気豊かなワーグナーを聴かせるシモーネ・ヤングの指揮によるところだ。
聴いていて思わず膝を打つような場面も続出し、「神々の黄昏」の終盤、葬送行進曲から自己犠牲までの素晴らしい音楽が、こんなに感動的に演奏されるのを久々に聴いた。
ラストは思わず涙が出てきた。

歌手たちも比類ない出来栄えの素晴らしさ。
ジークフリートがすっかり板についてきたフォークトは、声に力と輝きも増してきて、スタミナ配分も充分で、最初から最後まで変わらぬ輝かしさだった。
ブリュンヒルデのフォスター、もしかしたらブリュンヒルデとしてバイロイトはこれが最後かもしれないが、以前のカストルフのプロダクションのときと比べるとはるかに練れてきて、声のハリと言葉の明瞭さ、そして歌に乗せる音楽の意味合いなど、ほんと素晴らしいと思った。
 コニチュニーのウォータンにベテランの味わい、悲劇臭強いスパイアーズのジークムントはヴァルターを歌った同じ人とは思えないほどのなりきりぶり。
ジェニファー・ホロウェイのデビューがあり、素敵なジークリンデだった。
チュン・ファンのミーメの害達者ぶり、ラデッキーのグンターの存外なかっこよさ、見た目グラマーにされたグートルーネのシェラーは、来年のリエンツィにも登場で楽しみ。
ほかの歌手たちも高水準で、長く続いたプロダクションの最後らしい、充実ぶりだった。

初年度だけを映像や音源にするのでなく、2025年度を製品化して欲しいものであります。

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  「パルジファル」 パブロ・ヘラス=カサド指揮

こちらは3年目のプロダクションで、昨年は放送がなかったので、一昨年にも増してカサドのテンポが速くなり、凝縮もされて感じられた。
かつてのブーレーズもかくやと思わせるような、透明感と明るい輝きにあふれたラテン的な演奏で、一方で中身の濃さも。
自分的には、あっけなさも感じたのも事実で、こんな私が「パルジファル」という舞台神聖祭典劇の既成概念にとらわれていることの証なんだろう。
「神聖」という文言を排除してしまったジェイ・シャイブの演出は、初年度の映像を見る限り、私は好きではない。
レアアースの採掘と枯渇、グルネマンツの恋など、環境問題とともに盛り込み、さらには映像の多用と、一部の人しか享受できないARグラス鑑賞など、まことに面白くなく感じてる。
 だが歌手たちは、ここでも素晴らしく、ツェッペンフェルトの美声のグルネマンツは安心して身を委ねることができる。
体調不良の代役は、グロイスベルクで、こちらも好評だったようだ。
シャガーのタフなパルジファルは相変わらずで、いい意味で一本調子なところがこの役にぴったり。
クンドリーはグバノヴァで、美しい低音から叫びまで、彼女ならではの輝く美声を聴かせてくれた。
Wキャストでガランチャも半分受け持って、こちらも絶賛されていた様子。
あとはフォレのアンフォルタスの神々しさも特筆もの。
 合唱団が再編成され、指揮者も変わったが、かつての地鳴りするような腹に響く力強い合唱と比べると弱く感じたがいかに。
まあ、こんな演出なら多少薄い方がいいか・・・・
そして、1幕終了時にはすかさず拍手が、3幕も音が終わってすぐさま拍手が・・・

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  「ローエングリン」 クリスティアン・ティーレマン指揮

3年ぶりのローエングリンというよりも、3年ぶりにティーレマンは帰ってきた、ということで話題になった。
やっぱり、すごい、ティーレマンがいなくては、と多くの方が思い、私も放送で聴いててその段違いのすごさに感嘆したのです。
音の厚み、自然さを増したタメの絶妙さ、全体にみなぎる緊張感など、ガッティやカサドとはけた違い、というか目指す音楽が違う次元で凄いという認識を持った。
これも久々登場のベチャワのローエングリンは、予想外によくて、自分的に気になっていたクセのある甘い歌い口が影をひそめて高貴さと力感のある歌唱となっていたように思う。
しかし、その彼も体調を壊し降板し、フォークトが急場を救う。
シュトラウスやドニゼッティなど、広範なレパートリーを持つファン・デン・フィーファがついにエルザでバイロイトデビュー。
彼女ならではの真摯でひたむきな歌いぶりが聴いてとれた。
来年はジークリンデで再登場予定。
驚きは、これもデビューのフィンランド出身のリサ・ヴァレラのオルトルートの憎々しいほどの巧みな歌い口と力強さ。
この歌手は今後ますます活躍しそうで、来年はクンドリーが予定されている。
合唱に関してのドイツのリスナーレビューは手厳しいが、そんなに悪くないと思ったけど。

シャロンのこのブルーに染まった演出は、最初から好きじゃなかった。
ディズニーの世界かよ、電気技師のローエングリンかよ、電源喪失のあとはお決まりのグリーンで持続可能のエネルギーにしましょう・・
めんどくせーな、よけいなこと盛り込むんじゃねぇよ。
社会問題を持ち込むと、すぐにオワコンになるよ。
このシャロン氏は、2028年には、メットでリングを演出するらしい。

「トリスタンとイゾルデ」が聴けなかったのは残念だけど、ニールントのイゾルデが彼女ならではの細やかな歌で絶賛されている。
あの演出も、小道具が多すぎて、あと暗くてあまり好きじゃないけど。。。

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最後の思い出に、あのヘンテコ演出の極みのワンシーン。

往年のワーグナー好きが観たら、まさかこれがワルキューレ3幕と言われたら卒倒しますぜ。

顔整形中のキャバクラ衣装のワルキューレたち、ちゃんと8人いるけど、わけわからないスーツ姿の男はまさか戦士たち?
監視カメラもあるし、セレブ風のウォータン。
ネトフリでやっているようなアメリカンホームドラマを意識したものだろう。

ともかく、この「リング」で明らかだったのは、リングに必須のモティーフが、肝心の「指環」でさえも、剣、槍、黄金、兜…等々は一切出て来ないし、必須の炎は蝋燭のちょろ火だったりで、ともかくすべてを消し去ることで、演出家が思い込んだドラマに作り変えたことだろう。
彼の意図などもうどうでもいい。
前にも書いたが、ワーグナーが微に入り細に入りモザイクのように造り上げたライトモティーフが完全に無視されたことに怒りを感じる。

毎年の新演出で、こうした傾向は拍車がかかっていて、原作の本質までも捻じ曲げることが多くなっているし、役柄の存在の概念も書き換えることも増えた。
さらにそこに社会問題までも盛り込む。

もうこうしなくてはならないという強迫概念すら感じますよ。

そんななかで、来年2026年の新演出(?)に予定されている「ニーベルングの指環」は人工知能=AIを活用したパフォーマンスになるという。
演出家の名前はクレジットされていらず、かわりに、クリエーターというカテゴリーでの名前になっている。
150年間のワーグナー「受容史に焦点を当てたプロダクション」という風に紹介されている。
想像するにオラトリオ風なのか、AIの造り上げた映像や画像を前にそれと競演するかのようにして歌うのか?
そんなようなことはバイロイト劇場の紹介ページから想像できる。
150年間のバイロイトでの上演履歴をすべて読み込んだうえで、AIが考えるパフォーマンスとなるのか?

このリングを指揮するのはティーレマンで、フォークトがローゲ、ジークムント、ジークフリートの3役をすべて歌う。
フォレのウォータン。ニールントのブリュンヒルデという歌手たち。
記念の年に相応しく、ティーレマンの「第9」で開幕し、バイロイト初めての初期オペラで「リエンツィ」が画期的な上演となる。
指揮はシュトッツマンで、タイトルロールはシャガー。
リエンツィの次作「オランダ人」の再演は、リニフの指揮、グリコリアンが帰ってくる。
あとは、「パルジファル」というラインナップです。

なんだかんだ、観劇に行きもしないで文句ばっかり言いつつ、毎年心待ちにしているバイロイト。
ワーグナー好きのサガといえましょう。

人事的に変化もあり、1月からはベルリン・ドイツ・オペラからマティアス・レーデルというゼネラルマネージャーが就任し、カタリーナ・ワーグナーは芸術監督として2030年まで留任する。
こうして、ワーグナー家の血脈も人材不足ということはあるが、徐々に薄まっていくのも寂しいものではあります。

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2025年8月 6日 (水)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ガッティ指揮 バイロイト2026

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今年もバイロイト音楽祭が始まりました。

7月24日~8月26日まで、新演出の「マイスタージンガー」、「指環」、「パルジファル」、「トリスタンとイゾルデ」、「ローエングリン」の演目。

日本と同様に猛暑のヨーロッパですが、音楽祭が始まると気温が低下、冷夏のバイエルン地方になっているようで、野外コンサートが楽器への影響などから中止になったりしてます。

バイエルン放送から例年通りライブ配信され、その演奏はさっそくに聴くことができたし、映像作品もすぐさまにDGから公開。

ネット社会の進化は、こういう場面では大いに結構、大いに享受させていただいてます。

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 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:ゲオルク・ツェッペンフェルト         
    ポーグナー:パク・ジョンミン

    フォゲルゲザンク:マルティン・コッホ 
    ナハティガル:ヴェルナー・ファン・メッフェレン

    ベックメッサー:ミヒャエル・ナジ
    コートナー:ヨルダン・シャハナン
 
    ツォルン:ダニエル・イェンツ  
    アイスリンガー:マシュー・ニューリン

    モーザー:ギデオン・ポッペ
    オルテル:アレクサンダー・グラッサウアー

    シュヴァルツ:ティル・ファヴェイツ
    フォルツ:パトリック・ツィールケ
    ヴァルター:マイケル・スパイアーズ  
    ダーヴィット:マティアス・スタイアー

    エヴァ:クリスティーナ・ニルソン   
     マグダレーネ:クリスタ・マイヤー

     夜警:トビアス・ケーラー

   ダニエレ・ガッティ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
                   
                     合唱指揮:
トーマス・アイトラー・デ・リント

        演出:マティアス・ダーヴィッツ

        (2025.7.25 @バイロイト祝祭劇場)

まずもって面白かった演出、それは舞台装置、衣装、照明など一貫して言えたことだ。
ドイツの一劇場と同じ存在と化してしまった昨今のバイロイトという存在。
場合によっては陳腐と評したくなる舞台のいくつか。
安全運転かもしれないけれど、行きすぎた解釈や原作を踏みにじるような読み替えなどがほとんどなかった点で、ここ数年では保守的な聴衆にも安心できる上演ではなかったろうか。

ドイツ人の演出家ダーヴィッツは、音楽の造形も深く、自身も俳優を演じたほか、ミュージカルシーンなどでの活動が多かった。
フォルクスオーパーやリンツでの活動から、いまはリンツのミュージカル部門の監督を務め、オペラ演出の分野にも進出しつつある今、とのこと。
カタリーナ・ワーグナーからは、「作品(マイスタージンガー)の軽妙さを際立たせて欲しい」という依頼のもとに受諾。

時代設定は中世でもなく、ワーグナーの時代でもなく、まさに少しまえの現代。
同じ現代の設定でも、アメリカナイズしてしまったシュヴァルツの悪夢のリングと比べると、ずっと穏健で、そのリングでも際立ち、さらに昨今のオペラ演出で多用される登場人物たちの「スマホ」操作はいっさいなく、スマホ登場前の年代かもしれないが、そうしたナンセンスなところがないのがよかった。

カラフルで、中世の落ち着いた色合いからしたらキッチュすれすれ。
そんな明るく楽しい舞台のマイスタージンガーだった。

以下、ネタバレありますので、まだご覧になっていない方、きっとやるNHK放送を楽しみにされる方はスルー推奨。

1幕
・昨今の前奏曲や序曲から演技がはじまるのと異なり、今回は幕が閉じたままであのハ長の前奏曲が鳴り渡った。
開幕初日だったので、セレブたちの入場の見学や、場内誘導のゴタゴタから、生配信のため時間通りに始まった前奏曲に間に合わない人がいたらしく、暗闇で席を探す至難さに不平をこぼす聴衆もいたとか・・・

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・あまりにも急な階段が据えられていて、その上に教会。
・急階段注意!と書いた看板が立っていて、東京五輪で流行ったようなピクトグラムが描かれている。
・礼拝を終えたエヴァとマグダレーネは階段を降りてくる。ヴァルター紙ヒコーキをハートにしてる。
・階段が右に移動し開いていくとちょっとしたホールになる。
・よく観察するとバイロイト祝祭劇場かもしらん。
・ここでダーヴィッドは歌のルール説明をし、ヴァルターはお試し試験を受けることになる
・マイスターたちは、ヘンテコな帽子をかぶった結社のような存在(後述)
・試験に落ち、ふてくされたヴァルター、憮然とするザックスとほくそ笑むベックメッサー
 幕切れには階段の上にあった教会が火花とともに、ぶっ壊れる

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 今回の親方たち~海外メディアを参照してwikで調べた「シュララフィア」という男性のみの組織
1859年プラハで結成された芸術愛好家団体で、友愛とユーモアがモットー。
メンバーになるには、シュララフェ(名付け親)によって紹介され、一般投票が行われる前に試用期間を終え、従者からそして騎士(ナイト)へとキャリアを進めなくてはならない。
いまでもドイツを中心に世界のあちこちにある様子
協会のマスコットは、「ふくろう」
なるほど、そんなような騎士とフクロウのあいの子のような帽子だったわけだ。
メンバーには作曲家のレハールとか、ヘルデンテノール兼作曲家のブルーノ・ハイドリヒなどのほか、高名な芸術家多数
ハイドリヒの息子はラインハルト・トリスタン・ハイドリヒで、ナチスの高官、ゲシュタポ長官などを務めた人物
演出のダーヴィッツが、「シュララフィア」をよく調べてマイスターたちとリンクさせたのだろう。

2幕

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・ザックスの家、ポーグナー家がある街角で、黄色い電話ボックスの中は本などのアーカイブたっぷり
・街のつくりは洒落ていて雰囲気抜群
・標識もすてきだし、カラフルな樹木もよろしいのだ

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・ベックメッサーはロック歌手のいでたちで、グラサンかけてエレクトリック・リュートをかき鳴らす
・恋人たちの所作も楽しそうで笑いをこらえきれない
・ザックスは靴ばかりか、あらゆるものを叩いて論評
・家々に徐々に明かりがともり、パジャマ姿のおばさんや親方たち、市民たちがぞろぞろ。
・恋人マグダレーネにちょっかい出したと勘違いしたダーヴィッドはベックメッサーと取っ組み合いのけんか
・ダーヴィッド、ベックメッサー、ともにスタントが出てくるがやがて、本物とあわせ4人で特設リングで拳闘騒ぎ

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・夜警の登場で蜘蛛の子を散らすように人々が消え、負傷したベックメッサーは電話ボックスからよたよた出てくる
・家の間の路地を失念のうちに去るベックメッサーの姿が寂しい

3幕
・ザックスの仕事場、楕円の形状で靴型の山など数々の小道具がリアルで細かい
・母親と少女のセピアカラーの写真があり、ザックスはしばし眺めて嘆息

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・ザックスの神妙なるモノローグ、自分のなすべきことを悟り、はたと顔色がかわり仕草もアクティブに、やや軽い
・傷だらけのベックメッサーとザックスの会話も楽しい
・飽きさせやすい寝起きスッキリのヴァルターとの新曲の組成のシーン、ここでもザックスは軽快すぎる
・エヴァとザックスの仲良しシーンは和む
・ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつ、5重唱は、楕円の仕事場でのシンメトリーが美しく、浮かび上がる効果がすばらしい

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・さあ始まったみんな大好き、まるでカーニヴァルのシーン
・チープな放射状のネオン、これ、某国の人がみたら発狂するんじゃね?

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・牛さんの巨大バルーン
・入場のセレブたちは、みんなニコイチで同じ人間の二人組
 バイロイトの常連メルケル、名前知らないけどスター歌手、われらがヤパンのカワイイ・コギャル、ぬいぐるみに愛を注ぐクイアー、わからんがレズっぽいカップル、各地から選ばれたミスコン美女

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・文句なしに楽しかったのが徒弟ダンスで、全員が等しくセレブもいろんな組み合わせで対を組んだりして、さながらtiktokの流行りのようにして踊る。このセンスのよさは抜群だった
・親方たちの入場は喝采だが、ベックメッサーだけはブーイングされちゃう
・エヴァちゃんは、花束のように花に埋もれて運ばれてくる
・いよいよの人気者ザックスの登場は・・・・まるで遅刻してきた落ちこぼれみたいに、小走りにおろおろと駆け込んでくる。
・ザックスを讃える人々もどこか他人行儀

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・干し草のステージに立つベックメッサー、エレキリュートをハート型のネオンで光らせ、聴衆からも笑いが起こる
・そんなにみすぼらしい結果にはならないベックメッサー
・ヴァルターの歌に、全員が聴き惚れるし、ザックスもめちゃ感心してる。感心しすぎで感情出し過ぎ、朝から夕べ、背景も夜になる

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・花から出てきたエヴァちゃんはカジュアルそのもののいでたち
・マイスターの印である首飾りを拒絶するヴァルターに、ザックスの最高の聴かせどころが続く
・歌に熱が入るザックス、人々はあまり聴いてない雰囲気で、ベックメッサーがちょろちょろと舞台前面に出てきて不自然に置いてあったコンセントプラグを引っこ抜いてしまう。
・すると頭上にあった巨大なウシさんがしぼんできて垂れ下がってきて、照明も暗くなっていく

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・熱唱するザックスをよそに、人々はこれが気になってしょうがない。
・最後のドイツの芸術!と揚々と歌いあげたザックスは、ようやく消失しつつある電源に気が付き、慌ててプラグをつなぎ合わせる
・そんななかで人々はドイツ芸術と、そしてザックスを讃え上げ、ザックスはヴァルターに首飾りを渡すものの、それをエヴァは奪い取る
・エヴァはザックスに掛けることなく、父親につき返す
・呆然とする父とザックスをよそ眼に若いふたりは、ひとびとの暖かい目線のなか手をふりながら去ってしまう
・合唱の間から寝起きの夜警が出てきて、うるさい歌声に耳をふさぐ
・舞台奥ではザックスとベックメッサーが何してくれんだよ、という感じでもめてる
・人々は聴衆に向かい、「さあこんな感じ」、はたまた「なんでやねん」と両手を広げて終了

           幕

長々と書いてしまいましたが、この新プロダクションは聴衆からは一定の評価を得て、評論家先生からは批判を受けてるそうな。
聴衆の反応も幕が降りてもブラボーが優ってましたが、演出家ご一行が出てきたときは、いまやお決まりのようなブーイングが浴びせられた。
でも、ここ数年の、とくにあのシュヴァルツ君の「リング」のような凄まじいブーとは比較にならないくらいにおとなしい。

マイスタージンガーで避けては通れない「ドイツ至上」「ユダヤ問題」このふたつはあえて避けたかのような内容は、前回のバリー・コスキーが果敢に問題提起したのと大違い。
そのあたりの切り込みを期待した向きもあるかもしれないが、ユーモアや笑い、理想などにこだわったところが逆にまた新鮮だったと思う。
 でもここでは「ドイツ的」なるものを避け、みんな等しく芸術を堪能しようという意向も見て取れた。
親方たちを、実在の芸術愛好家組織のメンバーにしたこと、ザックスはそこではちょっと浮いた存在にしたこと。
さらにそのザックスがやたらと感情優先で動くところもまた、人格者というよりは、みんなとおんなじ、そんなザックスにしたかったんだろう。

ザックスを普通の人に仕立て、ベックメッサーも同格の立場に。
ベックメッサーは滑稽な存在が先立つのでなく、どこにでもいる、ちょっとズルい人間として、そしてみんなに仕返しをしちゃうような抜け目ない存在だった。
若いカップルのふたりは、こんな社会から飛び出したかったし、それを見送った市井の人々も多彩な立場の背景のある方々で、まさに多様性と共存をちゃっかりと入れ込んでいる演出。
ここはね、やっぱりそこかい、という思いだが、このあたりがEUのドイツという国なんだろう。

この色彩豊かな舞台は、わたしはほんとうに楽しめた。
サイケデリックな雰囲気は、外電にも書いてあったがモンティパイソンを思わせるものだったし、日本でいえば昭和臭ただようものだ。
マイスタージンガーを演出するさい、つきまとうナチスの影やドイツ至上主義とワーグナーという問題から、うまく距離をとり、巧みにみんな等しく平等という思惑を入れ込んだ、そんなマイスタージンガーだったと思います。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

バス歌手として、バイロイトでバスのすべての役柄を歌ってきたツェッペンフェルト。
バスバリトンの役柄であるザックスは、荷が重いと慎重だったそうだが、持ち前の美声と豊かな低音を背景にしたゆとりある歌唱は、思った以上に素晴らしく、オールマイティなバス歌手としての存在のありがたみを強く感じましたね。
演技の巧さと、持ち前の眼力の強さをともなう表情による演技も見事に決まっていて、普通の人ザックスを描いてやみませんでした。

あと素晴らしいのがヴァルターのスパイアーズで、バリトンからリリックテノールまでの広い音域をもち、ヘンデルやロッシーニも歌う、まさにバリテノールによるワーグナー歌唱は、ジークムントではほの暗さの悲劇臭を出し、ヴァルターでは軽やかなイタリアカラーの歌声でもって驚きの歌唱だった。

見た目も可愛いスゥエーデンのニルソンは、アイーダのようなドラマティコロールも歌うソプラノで、エヴァではよく声を抑制して、透明感ある声で素敵なものだった。
この先、エルザやジークリンデなども期待。

ユニークなベックメッサーを歌ったナジは、生真面目な雰囲気が気の毒なムードをかもし出すが、そのバリトンの声は立派でよく通り、この先、ウォータンでも行けちゃうと思わせるものだった。

それと絶賛に値するのがダーヴィッドのスタイアーで、歌に演技に水際立った軽やかさを表現。
ちょっと腹が出てるけど見た目と裏腹の軽快なテノール。
相方のお馴染みのクリスタ・マイヤーのマグダレーネは、安心の存在だが、見た目がやや・・・、ブーも浴びてた
ブーといえば、ポーグナーの韓国人バスのジョンミンも浴びていて、わたしも最初から最後まで美声は認めるものの言語不明瞭、スムースな耳あたりのいい歌唱に終始し、父親としての存在感は感じず深みも欲しい。

シャハナンのコートナーを始めとする親方たちご一行の充実ぶり、際立つキャラクターづくりでもって、安定感あるのもバイロイト。

予算削減で見直しのなされた合唱団は、新しい指導者にかわったものの、かわりなく揺るがぬ存在であり安心した。

さて最後はガッティの指揮だが、ヴィヴィットで弾むような音楽づくりの前任のジョルダンに比べ、イタリア人ながら重厚な音楽造りに根差したマイスタージンガーにしようとしたかのように感じた。
でも音は美しく磨かれ細部へのこだわりも感じられ、今後もっと演出に則した開放的なハ長の楽劇へと進化させてゆくことでしょう。

ともあれ、面白かった、楽しいマイスタージンガーでありました。

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ほかの演目は音で全部聴き始めました。
夏の終わりにまた勝手なる総括をしようとも思いますよ。

来年はバイロイト音楽祭始まって150年の記念の年。
「リエンツィ」が初めて上演されます。

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2025年5月14日 (水)

R・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」静岡音楽館AOI

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久しぶりの静岡。
ホールロビーからの富士。
シュトラウスのオペラを演るとあっては行かなくてはなるまい。
都心を離れ、神奈川にいるので、思えば静岡は近い。
新幹線を使わずとも手軽に行けてしまうので、行きは在来線でのんびり、帰りは心地よき疲れに浸りながら新幹線。

駅前にある音楽ホール、静岡音楽館AOIの30周年記念公演、「ナクソスのアリアドネ」演奏会形式上演。
この公演に気が付いたのはそんな前でなく、ホールに電話をしたときは残りわずかで、早々にチケットは完売。

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R・シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」op.60

  アリアドネ:田崎 尚美     バッカス:宮里 直樹
  ツェルビネッタ:森野 美咲   執事長:小森 輝彦 
      作曲家:山下 裕賀       音楽教師:池内 響   
  舞踏教師:澤武 紀行      従僕:岸本 大
  ナイヤーデ:守谷 由香     ドリヤーデ:山際 きみ佳
  エコー:隠岐 彩夏       ハルレキン:黒田 祐貴
  ブリゲッラ:小堀 勇介     士官、スカラムッチョ:伊藤 達人
  かつら師、トゥルファルディン:志村 文彦   

       沼尻 竜典 指揮 静岡祝祭管弦楽団

        演出:彌六

        (2025.5.11 @静岡音楽館AOI)

通算4度目のアリアドネの実演観劇。
初めて訪れた静岡音楽館、シューボックス型の館内装飾もそれはステキなホールで、客素618人というところもほどよい規模。
そしてその音響の良さも定評あるところで、今回のこのホールにしては最大規模の作品を上演するにあたり、聴き手からするとすべてがちょうどよろしく、シュトラウスの精妙に張り巡らされた緻密な音楽が、まさに手に取るように見え、聴こえたのです。

序幕のドタバタ風喜劇、劇中劇たるオペラと性格の異なる2部を簡単な演技でコンサート形式で行うことは、ややこしさを回避しシンプルさが増すことで、これまたシュトラウスの音楽の良さが引立つというもの。
都合2時間30分、満員御礼の客席は集中力高く、歌と演技、オーケストラの妙技に聴き入った。
ユーモアを交えた簡潔な演出は、誰にでもわかりやすく、左右の袖から出入りする動きばかりでなく、ときに2階からの動きもあり、空間利用も巧みであり、限られた制約のなかで最適なものでした。

初めて買ったアリアドネの音盤は、ケンペとドレスデンのレコードアカデミー賞受賞の名盤で、当時のそれは豪華極まりない歌手を集めた贅沢なものだった。
今回の静岡キャストは、いま日本でアリアドネをやるならこの歌手たち、という最適かつ隅から隅まで豪華なメンバーを選りすぐったもの。

その歌手たちが予想以上に素晴らしかった。
声の威力と幅広い表現力で圧倒的な存在感を示したのが田崎さんのタイトルロール。
沼尻さんとのサロメ、ヴェルレク、そのほか多く聴いてきたけれど、コンパクトなホールとうこともあり、その強さと繊細さを兼ね備えた声が耳にストレートに響きました。
古くは12年前に同じ沼尻指揮では、ワルキューレたちのひとりだった。

相方のバッカスの宮里さんも驚きの力強さとよく通る声。
この方も昨秋のヴェルレクで輝かしいテノールで聴いたばかり、エリックも田崎さんとオランダ人で予定されていて、明るめの声でのワーグナーも次は聴いてみたい。

元気いっぱいのツェルビネッタを歌った森野さん。
小柄で才気煥発といった、この役柄にぴったりのルックスと軽やかで透明感あふれるお声はチャーミングそのもの。
意欲が空転してしまうスレスレのところも、実にライブ感あってよろしく、見事な声の技巧に感心しながらも、微笑ましかった。
ウィーン在住中とのこと、これからの日本のモーツァルトやシュトラウスの舞台になくてはならない存在となるでしょう。

序幕でキリリとした作曲家を歌った山下さん、この方が実に素晴らしく、生真面目なこの役を強い声で歌いあげたほか、ツェルビネッタの登場で惑わされるシュトラウスならではズボン役としても最高の歌い手かと思いましたね。
会場で大喝采を受けてましたから、みなさん同じ思いで聴いていたことでしょう。
すでに実績をあげてる方ですが、きっとステキなオクタヴィアンに!
昨年はバーミンガムでヤマカズの蝶々さんに出演、チェネレントラ、今年は群響でカルメンなど、楽しみな歌手をまた発見。

語り役の執事長に小森さんという贅沢な布陣。
氏の舞台は数々観てきましたが、ウォータンを歌うバスバリトンが執事長とはまた妙なる配役の妙。
完璧で美しいドイツ語の語感、かたくなさを尊厳な雰囲気でかもし出すベテランの味。さすがでした

このシュトラウスの作品は、とてもよく書かれていて、古典帰りをした明朗な音楽造りは、その構成にもよく出てます。
喝采を受けるアリアが配されているほか、愉快な重唱や、美しいハーモニーにあふれた重唱など、ともかくどこもかしこも歌の聴きどころあふれている。
3人の精たちの透明感あふれる歌声は、それぞれも素敵な声でしたが3人の得も言われぬ声の重なり合いは、さながら夢心地になる気分でした。
守谷、山際、隠岐といった3人の実力派、それぞれにまた聴いてみたいお声でしたね。

あと男声の方もチームワーク抜群の愉快な仲間を楽しく歌い、演じてました。
いちばん聴きどころの多いハルレキンを歌った黒田さんのマイルドで柔らかなバリトンが心地よく、シュトラウスが付けたステキなメロディを堪能しましたし、お隣の女性のお客さんも体を揺らすようにして気持ちよさそうに聴いてましたよ。
ベルカントに秀でた小堀さんの発声の明るいブリゲッラ、影のない女で嫌なヤツに成り下がってしまっていた皇帝役で記憶に新しい伊藤さんのもったいないくらいのスカラムッチョ、そしてもう10年以上前からいろんな役柄でいつも聴いてきた志村さん、失礼ながら役柄にぴったりフィットのかつら師とトゥルファルディンでした。

池内さんの音楽教師、序幕での執事長のむちゃぶりを最初に受けとめ悩む役柄ではありますが、役回りとしては案外に難しい存在を存外の美声バリトンで聴かせてくれました。
キンキラの衣装をまとった舞踏教師の澤武さん、音楽教師と作曲家と相対する役柄ですが、まさに軽やかに、町人貴族による短い歌も楽しく軽やかに歌いました。
思えば昨年のばらの騎士で、軽妙なヴァルツァツキを聴いたんだ。
作曲家と絡む役の従僕の岸本さん、どこかで聞いた名前と思ったら、神奈川フィルの合唱のまとめ役の方でした。

ともかく、みんながすばらしく完璧だった歌手のみなさん、もっと何回もやって、実際の舞台上演も期待したくなるチームです。
その歌手たちを束ねる沼尻さんの指揮。
このマエストロの元で、今回の歌手のみなさんは何度も歌っていて気心も知れているはずで、まさにオペラ職人のような巧みな指揮できっと歌いやすかったことでしょう。
序幕とオペラ部分との性格と音楽の違いも明確にさせていたし、オペラでのシュトラウスが描きだした地中海的な明快・晴朗な世界を引き出すことに成功していたと思う。
ともかく、すべてが的確なオーケストラ。
なんといっても水谷&小林という新旧の東響のコンマスを据えた38名の名人級の室内オーケストラは、各オーケストラからはせ参じたつわものばかりのメンバーで、見たことあるお姿ばかり。
ピットに入った上演しか経験がなかったので、もちろんスコアなんか見たことないので、弦楽セクションがおのおのに、ソロがちょこちょこあったり、ハープが2台もあってやたらと存在感があったり、ピアノやチェレスタがシュトラウスならではの透明感をそのサウンドに特長を与えているところだったり、ともかくオーケストラを見物するというコンサート形式ならではの楽しみも味わい尽くしましたよ。

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こうした果敢な上演を企画してくれた静岡音楽館さんに感謝。
素晴らしいホールを見出した喜びも。
こうした室内規模のオペラの公演を今後も期待したいです。
バロックオペラや、ブリテンなどの近代もの、ほかにはない上演を是非。

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開演のまえに、食事を兼ねて市内散策。

静岡市は大道芸の街、ちょうど「あおばフェス」をやってまして、あちこちで出店やパフォーマンスが繰り広げられてましたよ。
静岡市に降り立ったのは実は15年ぶりぐらいで、その前まではともかく毎月のように仕事で行って、飲んで、食べて、泊まってました。

美味しいものだらけ、夜も賑やかだし、みんな明るい人々ばかり、そんな「しぞーか」が好きです。

なんといっても、ワタクシも父の仕事の関係ではあったけれど、静岡県生まれなんですし。

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こちらもホールからの遠景。

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2025年3月 6日 (木)

プロコフィエフ 「炎の天使」 ②

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真っ赤に染まる西の空。

夕焼け大好き人間です。

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                     (バイエルン州立歌劇場)

     プロコフィエフ 「炎の天使」

プロコフィエフのオペラの最高傑作と聴くたび、上演鑑賞するたびに思い、またいったい何なんだろうという不可思議感にもつつまれる。
交響曲第3番も同じように、すぐれた作品としての評価がうなぎのぼり。

あくまで、自分的にこのオペラの聴きどころを羅列しときます。

1幕
・印象的なその出だしは、プロコフィエフのほかのオペラにもいえるが、それはそのオペラの複雑な展開の萌芽のごくさりげない出だしにすぎない。
・隣室でのレナータがうなされる様子も呪文のようで面白いが、なんといってもレナータが「やめて、助けて」と悪霊に言いつのり、ルプレヒトは「リベラメ・ドミネ・・」と祈りを捧げ開放する。
この部分が、第3交響曲の冒頭なのである。
・レナータが身の上話しを語るモノローグの素晴らしさ、オーケストラは美しくもミステリアスな背景。
・ルプレヒトが襲い掛かるも、すぐに萎えてしまうところの音楽の変転ぶり
・禍々しい占い師の場面はオカルト音楽だ

2幕
・呼び出しに応える3つのノック音、最初はかなりビックリするが、こうした効果音を巧みに使うのがプロコフィエフである。
・だんだんと混迷を深めるレナータ、オーケストラのキューキューするグリッサンド効果抜群のシーンは、第3交響曲のスケルツォ。
 ノック音とあいまって、最高の怪しげ効果を出す
・魔術師の部屋での呪術シーンの間奏もオーケストラは最高の荒々しさと禍々しさで、めっちゃカッコいいのだ。
 これもまた交響曲に使用されたシーン。
・そのあとの魔術師の宣告における男声ふたりの声の応酬も、ロシアオペラならではの野太さで痛烈で聴きごたえあり、オケも最高!

3幕
・レナータのマディエルへの愛のモティーフと思われる前奏から始まる、ルプレヒトとのやり取りでは、ここも交響曲に採用
・続くレナータのモノローグが、このオペラにおける歌手の一番の聴かせどころ。
 正気と狂気を揺れ動くさまを歌い演じなくてはならないレナータ役の、唯一の女性らしく、かわいらしいところ。
 幕の終わりの決闘で怪我を負ったルプレヒトを心配する彼女の歌も同様によろしい。
 抒情とクールさ、プロコフィエフならではの音楽
・決闘シーンでの切迫感は、オケの間奏曲でよく出ていて、ナイスなカッコよさもありで、ずっと聴いていられる。
 映像で見たトレリンスキ演出では、この音楽は実に踊りやすいんだと思った。

4幕
・この幕はメフィストフェレスとファウストが出てきてしまうので、ドラマの必然性や緊張感が途絶えてしまうように感じる。
 給仕少年を食ってしまうという意味不明の残虐シーンもあるが、全体の雰囲気としては皮肉とユーモラスな感じ。

5幕
・修道院の場面なので、神妙な雰囲気で静かに始まるのだが、誰がわずか20分後の地獄のようなシーンを想像できるだろうか。
 第3交響曲の2楽章の開始部分そのもの。
・神妙さに急激に影を差すところの急変ぶりもよろしい。
・宗教裁判長に必要とされる圧倒的・威圧的なバスの声は、これもまたロシアオペラならでは。
・聖なるもの、悪魔的な俗の極み、この対立と乱れきった交錯を変転万化するプロコフィエフの音楽は完璧に描いてやまない。
 聴くだけでなく、ここは映像作品で各種観ると、それぞれの無茶苦茶ぶりが感嘆に値する。
 これはもうタンホイザーのバッカナール世界であり、背徳の極みが、最後は一条の光のような眩しい音楽で終結するのだ。
 合唱が聖と悪を歌いつつ、その合唱は6つに分割され複雑さに拍車をかける。
 オーケストラのエキセントリックな強烈ぶりも一度聴いたら忘れられず、こちらの身体も動かしたくなるくらいなのだ。
 最後のシーンばかりでなく、オスティナート効果も随所にあり、プロコフィエフの音楽の中毒性も味わえますぞ。
   第3交響曲の終楽章のデラックスバージョン。

CD音源

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    レナータ:ナディーヌ・セクンデ  
    ルプレヒト:ジークフリート・ローレンツ
    宿屋の女将:ローズマリー・ラング
    占い師、修道院長:ルートヒルト・エンゲルト・エリィ
    アグリッパ、メフィストフェレス:ハインツ・ツェドニク
    ファウスト:ペテッリ・ザロマー
    宗教裁判長:クルト・モル
    グロック:イェスタ・ザヒリソン
    ワイズマン:ブリン・ターフェル  ほか

  ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団
             イェスタ・オーリン・ヴォーカルアンサンブル
             プロムジカ室内合唱団

        (1989.5 @エーテボリ)

このオペラの本格初録音は驚きのDGからの発売。
ヤルヴィとエーテボリの当時の蜜月コンビがDGに移って北欧・ロシアものを次々に録音していたころ合い。
いろいろと聴いたうえで、この演奏を聴くとやはりヨーロッパの演奏であり、その響きも洗練されすぎて聴こえる。
歌手も含めてスッキリしすぎて感じるが、何度も聴いて耳に馴染ませるにはこれでいいのかもしれないし、オヤジ・ヤルヴィのまとめ上手からうかびあがってくるプロコフィエフの音楽の斬新さもよくわかる。
ワーグナーを歌うような歌手ばかりのキャストは充実はしているが、特にモルの宗教裁判長はザラストロみたいで違和感ありか。
セクンデがリリカルで案外によろしい。

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    レナータ:ガリーナ・ゴルチャコヴァ  
    ルプレヒト:セルゲイ・レイフェルクス
    宿屋の女将:エフゲニア・オエルラソヴァ=ヴェルコヴィチ
    占い師:ラリッサ・ディアドコヴァ
    グロック:エフゲニ・ボイツォフ

    アグリッパ:ウラディミール・ガルーシン
    メフィストフェレス:コンスタンチン・プルジニコフ

    ファウスト:セルゲイ・アレクサーシン
    修道院長:オリガ・マルコヴァ=ミハイレンコ

    宗教裁判長:ウラディミール・オグノヴィエンコ
    ワイズマン:ユーリ・ラプテフ  ほか

  ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ劇場管弦楽団/合唱団

        (1993.9 @マリンスキー劇場、サンクトペテルブルク)

ロシアオペラをほぼコンプリート録音してくれたゲルギエフとマリンスキー劇場に、いまや感謝すべきでしょう。
あまりにも不条理なゲルギエフをはじめとする西側のロシア音楽家の締め出しの継続中のいま、90年代のこのフィリップス録音の数々は快挙であり、いまや音楽愛好家の至宝ともいえると思う。
ヤルヴィも絶倫級に録音を残したが、この頃のゲルギエフの活動も負けてはいない。
西側のプロコフィエフだったヤルヴィ盤に比べ、ここでのプロコフィエフの音楽は強靭さと野太さもあり、一方で音が過剰に広がってしまうのをあえて抑制しているかのようなスピード感がある。
そこでもっとギトギトして欲しいと思う場面があり、そこがまた職人ゲルギエフなのだとも思う。
レイフェルクスにややアクの濃さを感じるものの、歌手全体のレベルが高く、劇場でのいつものメンバーとしてのまとまりがいい。
ゴルチャコヴァが声の力感が申し分ないし、ヴェルデイも得意とする彼女、モノローグでの情感あふれる歌唱も実によろしい。

このライブ演奏が映像化もされていて、youtubeで全編見ましたが、日本の暗黒舞踏(Butoh)に明らかに影響を受けたと思われる白塗りのほぼ裸ダンサーたちが、最初から最後までうごめいていて、正直ウザイと思われた。
最後には憑依された修道女の一部はスッポンポンになり、まさに怪しげな地獄シーンとなるもので、デイヴィッド・フリーマンの演出。
東京でも上演され、コヴェントガーデン、メット、サンフランシスコなんかでも履歴がある。
マリンスキー劇場のサイトで確認したら、この演出はまだ継続していて、2021年のトレーラーを見たがおんなじで、歌手はスキティナとニキティンに刷新されている。
この際、ゲルギエフの指揮での再録音を望みたい。

エアチェック音源

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    レナータ:スヴェトラーナ・ソズダテレヴァ  
    ルプレヒト:エウゲニー・ニキティン
    宿屋の女将:ハイケ・グレーツィンガー
    占い師:エレナ・マニスティーナ
    グロック:クリストフ・ズペース

    アグリッパ:ウラディミール・ガルーシン
    メフィストフェレス:ケヴィン・コナーズ

    ファウスト:イゴール・ツァルコフ
    修道院長:オッカ・フォン・デア・ダームラウ

    宗教裁判長:イェンス・ラールセン
    ワイズマン:ティム・クィパース  ほか

  ウラディミール・ユロフスキ指揮 バイエルン州立歌劇劇場管弦楽団/合唱団

     演出:バリー・コスキー


        (2015.12.12 @バイエルン州立歌劇場、ミュンヘン)

演奏と映像では、これがいちばんだと思う。
忘れもしないコロナ禍での世界の劇場からのオペラ配信で観たバイエルン劇場でのもの。
初めて観た「炎の天使」に衝撃と、こんな面白いオペラや音楽があるのかという驚き。
ユロフスキの鋭い音楽造りと統率力の豊かさを実感し、その魔人のような指揮姿にもびっくりしたもんだ。
主役のふたりも、録音した音源で何度聴いてもすばらしく、ニキティンの従来のロシア歌手にない明晰なる声は実によい。
またソズダテレヴァの迫真の歌も、映像での体当たり的、かつユーモアある演技も残像に残っているので、それも伴い素敵なものだ。

コスキーの演出がとんでもなく面白かった。
ダンスを有効に取り入れるコスキー演出の真骨頂は、このプロコフィエフ作品あってこそ生きてくる。
女装の男性バレエや、酒場での乱痴気シーンなどでの異様ぶり、ラストの魔界シーンも棘の冠をかぶったイエスだらけになり聖と悪との対比も見事。
豪華な内装の高級ホテルからスタートした物語りは、ずっとこのホテルが舞台となり、そのホテルの一室が徐々に廃れて姿を変えて行き、最後にはどす黒い漆黒の部屋にまでなった。
飾りものだが、男性器丸出しのメフィストフェレスなどユーモラスでありキモくありで、全編にコスキーならではの容赦ないユーモアもあり。
これもまた映像作品化を望みたい。

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    レナータ:アウシュリネ・ストゥンディーテ  
    ルプレヒト:ボー・スコウフス
    宿屋の女将、修道院長::ナタースチャ・ペトリンスキー
    占い師:エレナ・ザレンバ
    グロック:アンドリュー・オーウェンス

    アグリッパ、メフィストフェレス::ニコライ・シューコフ
    ファウスト、ワイズマン:マルクス・ブルッタ
    宗教裁判長:アレクセイ・ティコミロフ   ほか

  コンスタンティン・トリンクス指揮 ORFウィーン放送交響楽団
              アーノルド・シェーンベルク合唱団

     演出:アンドレア・ブレス


        (2021.3.27 @テアター・アン・デア・ウィーン)

ウィーンでは演劇もオペラもアヴァンギャルドな上演の多いテアター・アン・デア・劇場。
この作品こそふさわしい。
ORFでの放送を録音しました。
こちらはすでにDVDにもなっているが、まだ未視聴ですが、トレーラーだけ見てこれはいいかな、と判断。
精神病棟に舞台を移した様子で、みんな病んでる。
歌手たちも含めて、「ヴォツェック」を思わせる。
 その歌手たる、いま最高のレナータ役と思われるストゥンデーテが完全に逝っちゃってるくらいの入魂の歌唱。
スコウフスも性格バリトンそのもののこの役を完璧に歌ってる。
新国でドン・ジョヴァンニを聴いたことのあるトリンクスの指揮、なかなかダイナミズムを意識した造りで、リズム感もよろしく、変転しまくるプロコフィエフの音楽の流れもうまくつかんでいる。

映像

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    レナータ:アウシュリネ・ストゥンディーテ  
    ルプレヒト:スコット・ヘンドリクス
    ホテルの女将:ベルナデッタ・グラビアス

    占い師、修道院長::アグニェシカ・レリス
    グロック、医者:パヴォロ・トロストイ
    アグリッパ、メフィストフェレス::アンドレイ・ポポフ
    ファウスト、宗教裁判長、ハインリヒ:クリストフ・バチィク
    ワイズマン、給仕長:ルーカス・ゴリンスキ
       ほか


      大野 和士 指揮  パリ管弦楽団
              ワルシャワ大劇場合唱団

     演出:マリウス・トレリンスキ


        (2018.7.13 @エクサン・プロヴァンス)

これはフランス放送のストリーミングからエアチェック。
大野和士とパリ管という願ってもない組み合わせに狂気して聴き、録音もした。
録音だけで聴いたとき、オーケストラが抑制されすぎ、ややおとなしいように感じた。
しかし、しばらくのちに映像も全編観ることができて、そんなことはまったくなく、オケと歌手、舞台、すべてが一体となった集中力・緊張感の高い上演だったのだと確信した。
エクサン・プロヴァンス音楽祭は半野外上演なので、オーケストラの響きと歌手のバランスなどを考慮した結果なのかと思った。

ここでもストゥンディーテが目を見張るほどにすごくて、とくに映像を伴うと見ながらその歌唱と演技に引き込まれてしまうこと必須。
この役のスペシャリストになった感もありますが、こうして鮮明な映像で見ちゃうと他の歌手が生ぬるく感じてしまう。
声は鋭いけれど、繊細さも併せ持ちつつ、ほの暗いトーンの持ち主。
そうエレクトラも得意役にしているのもわかります。
指の先から、足の指先まで、演技していて、憑依したときの目の白剥く様子も凄まじい。
この上演の年の秋に、ストゥンディーテは大野&都響に来演してツェムリンスキーの抒情交響曲を歌いまして、私もそれを聴いてました。
おっさんに過ぎるルプレヒトのヘンドリクスは、演出に沿った存在そのものに感じ、サラリーマン風の人の良さがその声にも出てました。

ポーランドの演出家トレリンスキは、なかなかに魅せる舞台でありました。
ネオンの光るラブホテルが舞台で、そこにはいろんな宿泊客がいて、随所に登場して味わい深い存在となってまして、思わず笑える連中もいました。
二役を演じる歌手もいるが、あえて同じ衣装であえてわかりにくく同質化をねらったものか。
黙役のかつての恋人ハインリヒ伯爵は、目の不自由な方の設定で、最後のシーンではそのまま宗教裁判長としてレナータを断罪する役ともなる。
オペラの冒頭で音楽の始まる前に寸劇があり、そこでは少年が日本のかつての特撮映画のガメラをブラウン管テレビで見ている。
またレナータと同じクローンのような女性が、ハインリヒ伯爵が出てくるときに何人も出てくる。
伯爵とルプレヒトの決闘のときにたくさんいて、踊り狂うが決闘で敗れたルプレヒトはそのとき子供化してしまう。
メフィストフェレスに食われるのはレナータの子供の姿。
ともかく、レナータもルプレヒトも子供時代のトラウマを背負っているのか、そしてレナータは薬物依存となっているのか・・
修道院シーンにも多数のレナータもどきであふれ大暴れ、自傷行為をする本物のレナータ、ハインリヒかのように抱きしめる宗教裁判長。
レナータは最後、倒れ伏すが、これは彼女の想いがかなったという救いなのか、絶望なのか、地獄行きなのか。。。。
前者をイメージさせる演出だとしたら、それはこのオペラにプロコフィエフが思ったラストシーンなのかもしれない。

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           レナータ:エヴァ・ヴェシン  
    ルプレヒト:リー・メルローズ
    ホテルの女将:アンナ・ヴィクトローヴァ

    占い師、修道院長::マイラム・ソコローヴァ
    グロック:ドミンゴ・ペリコーラ
    アグリッパ::セルゲイ・ラドチェンコ
    ファウスト:アンドリー・ガンチュク
    メフィストフェレス:マキシム・パスター

    宗教裁判長:ゴラン・ユリッチ
    ワイズマン:ピョートル・ソコロフ
       ほか


   アレホ・ペレス 指揮  ローマ歌劇場管弦楽団
             ローマ劇場場合唱団

     演出:エマ・ダンテ


        (2019.5.23 @ローマ歌劇場)

ローマでの上演だし、カトリック総本山の地元ともいうことあり、きっとお堅いんでしょうね、ということの一方で、原作への忠実ぶりも求めてこちらを購入してました。
時代設定も原作どおり、妙な読み込みも少なめで、さらには日本語字幕もあることからフムフムなるほど、という思いで鑑賞しました。
安全運転すぎる演出ではありますが、たくさん出てくる個性豊かな登場人物たち、重要な存在である黙役、思わず踊りたくなるプロコフィエフの音楽に合わせたバレエチーム・・etc、わかりやすく納得感のあるものでした。
ラストシーンの不条理も、ラストピースが最後にひとつハマるような感じでのエンディングでよかった。
ただ、自分的には炎の天使と思しき赤っぽいダンサーがちょっと鬱陶しかった。
また全体に、ほかの演出を観てきてしまうと、刺激の少なさやギリギリの切迫感のようなものの欠如を感じました次第でありました。
あと好きでなかったのが、3つのノックの音が小太鼓で鳴らされたところで、ここはやはり、どんどんドンでしょう、と思いましたね。

聞き知った名前のいない歌手のレヴェルは総じて高く、見た目はこの人もオッサン系のメルローズが暖かい声のバリトンでよかった。
レナータのヴェシンさんは、ほかの盤の鋭い歌唱や演技を知ってしまうとちょっと弱く、演出上もさほどの厳しさを表出していない感じ。
ちなみに5幕の地獄シーンは安心安全のものです。
ほかの場面で1か所だけ、ポ〇リありで頑張りました!
あとこのDVDの一番いいところは、お馴染みペレスの指揮で、機敏でかつ情感にあふれ、オペラの緩急と呼吸感が豊かなところ。

「炎の天使」の映像作品を楽しむなら、まずこのローマ劇場盤で、次はもし製品化されたらバイエルンでしょう。
あと観てみたいのは、リセウ劇場(G・ヒメノ指揮)、チューリヒ劇場(ノセダ指揮)で、ともにストゥンディーテなところもすごい。

前にも書いたが、原作は最後にはレナータには救いの手がのばされてこと切れるが、プロコフィエフのオペラでは、そのあたりの具体的な最後がない。
そのあたりをどのように結論付けた解釈をするかで、いろんな伏線を全編に設けることができるので、このオペラは演出家には腕の振るいがいのある作品であり、傑作なのだと思う。
なんども言いますが、なによりもプロコフィエフの音楽がすばらしい。

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新国立劇場の次のシーズン・ラインナップが発表されましたが・・・
うーーん、という内容ですな。
ヴォツェックとエレクトラの新演出はいいにしても。。。
大野監督、これやって欲しいよう

次は交響曲いきます。

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プロコフィエフ 「炎の天使」 ①

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ある日の壮絶な夕焼け。

こんな日の翌日は雨だったりしますが、この晩遅くに暖かい当地には珍しく雪が舞った。

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  プロコフィエフ 歌劇「炎の天使」op.37

時計回りに、ゲルギエフ&キーロフ(CD)、N・ヤルヴィ&エーテボリ(CD)、ユロフスキ&バイエルン州立歌劇場(エアチェック)、大野和士&パリ管(エアチェック)、トリンクス&ORFウィーン放送響(エアチェック)、ペレス&ローマ歌劇場(DVD)

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

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「3つのオレンジへの恋」(1921)に続く、プロコフィエフの4作目のオペラ。
日本を経てアメリカに逃れたプロコフィエフ。
アメリカを拠点に、ピアニストとして人気と多忙を極め、本人の想いとはうらはらに「ボリシェヴィキのピアニスト」と呼ばれ人気を博した。
ヴァーレリィ・ブリューソフというロシア象徴主義運動の代表格である作家の1908年発表の同名の小説をもとにした5幕のオペラ。

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原作の表紙、舞台は16世紀のドイツでライプチヒからケルンあたり。
プロコフィエフもこの設定は変えず同じくしており、小説の内容もイメージ的にはほぼ同じ。
原作者のブリューソフ自身の経験に基づく三角関係的な耽溺小説ではあるが、プロコフィエフのオペラの「炎の天使」の筋立てのややこしさや、複雑さは、まさにこの原作にこそある。
さらにそこには、悪魔主義と非現実という象徴的な背景があり、宗教的な愛による救いも原作にはあるが、しかしプロコフィエフのオペラにはそれがない。
まさに救いのないオペラをプロコフィエフは作曲したのであります。

原作の中の挿絵にはこんなおっかない絵もあり

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1919年から作曲を開始したが、完成は1927年と8年の歳月がかかった。
その間、ニューヨークで知り合ったスペイン生まれの歌手リーナ・リュベラと愛し合うようになり、1922年にミュンヘンの南のエタールという街に移り住み、1923年にふたりは結婚した。
リーナはプロコフィエフの最初の妻で、その後もフランスやアメリカでともに暮らすが、プロコフィエフの祖国への帰還を熱い思いに対し、ソ連の体制などを心配して反対したものの、ソ連に移住することになる。
その後のリーナは気の毒で、プロコフィエフはほかの女性と関係を持ち別居となり、離婚届も出されてしまう。
さらには政治的な問題にも巻き込まれ、反体制派として逮捕までされ、プロコフィエフの死後雪解けの時期に名誉回復を得る。
リーナが亡くなったのは1989年と長命なのでした。

リーナとのドイツでの結婚生活のなかで、「炎の天使」の作曲に没頭するプロコフィエフ。
ノイシュバンシュタイン城のあるフュッセンと山ひとつ隔てた場所にある風光明媚な場所で、この斬新きわまりないオペラが書かれたというところが面白い。
1927年に完成し、翌28年に初演を目論んだもののスコアの改訂が間に合わず流れてしまい、パリのオペラ座でクーセヴィツキによって演奏会形式で2幕分のみが初演。
3幕11場の全体構成を5幕7場にするなど、その後も手を入れつつも初演の機会は訪れず、ソビエトに帰還してしまってからは、その内容から同国での上演などおぼつかず、まさにお蔵入りとなりました。
プロコフィエフの死後2年目の1955年にイタリア語翻訳によりヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演となる。
このオペラの主題を用いて交響曲第3番を作り上げたのが1928年。
こちらは1929年にモントゥーの指揮で初演され、いまやコンサートでも人気曲のひとつとなっている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       登場人物

    16世紀 ドイツ ライン地方

 レナータ:悪魔に魅入られた娘(ソプラノ)
 ルプレヒト:騎士で旅人 レナータに一目ぼれで愛し抜く(バリトン)
 宿屋の女将:(アルト)
 召使:(バス)    
 占い師:(メゾ)
 ヤコフ・グロック:本屋(テノール)
 アグリッパ・フォン・ネッテスハイム:魔術師、哲学者(テノール)
 マティアス・ヴィスマン:ルプレヒトの学生時代の友人(テノール)
 医師:(テノール)
 メフィストフェレス:悪魔(テノール)
 ファウスト:いわゆるファウスト・哲学者(バリトン)
 居酒屋の主人:(バス)
 尼僧院長:(アルト)
 宗教裁判長:(バス)
 ハインリヒ伯爵:黙役
 その他の連中:3体の骸骨、隣人、尼僧、随行員etc. 合唱、バレエ

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第1幕 宿屋にて
宿屋の女将に案内され、粗末な屋根裏部屋に、アメリカ帰りの騎士ルプレヒトが登場。
この宿で一番良い部屋だと自慢されるが、隣室から叫び声が聞こえて来る。
ルプレヒトが駆け付けると、若い女性が「悪霊に取り憑かれている」と言って悶え苦しんでいる。
この美しいレナータに一発で心ひかれたルプレヒトが事情を聞くと、レナータはその身の上を話し始める。
 子供のころ、マディエリという「炎の天使」といつも一緒に楽しく過ごしていた。
やがてレナータは年頃の乙女になり、その友情は愛情に変わっていった。
レナータがマディエリに恋心を打ち明けると、マディエリは「いずれ時がきたら人間の姿になって再びレナータの前に現れる」と約束して去って行った。
さらに月日は流れ、レナータはハインリッヒと名乗る伯爵に出会う。
このハインリヒ伯爵こそがマディエリの生まれ変わりだと確信し恋に落ちてしまう。
二人は短くも幸せな時を過ごしたが、伯爵はレナータを捨てて突然に姿をくらましてしまった。
それ以来、夜ごと悪夢にうなされながら伯爵を来る日も捜し続けているのであった。
彼女の話を聞くうちに、ルプレヒトはレナータの不思議な魅力に憑かれ、彼女を自分のものにしたいと言う欲望にかられ、普段の冷静さを忘れ襲いかかるが、激しく拒絶される。
しかしルプレヒトは危なげなレナータを愛し、守りたいと強く心に決める。
様子を見に来た女将は、このレナータを売春婦と罵り、ルプレヒトに忠告し、さらに占い師を呼んで来て占うことにする。
占い師はレナータとルプレヒトの血塗られた運命を予言する。怯えるレナータを連れてルプレヒトは宿を逃げ出して行く。

第2幕
第1場 ケルン
ルプレヒトとレナータはケルンにやって来る。
レナータはハインリッヒ伯爵を探し出すために、魔術について文献をあたり調べている。
本屋のグロクが登場し、魔術についての文献を持参するが、黒魔術などは、異端としての裁判の恐れあり勘弁して欲しいという。
 ルプレヒトは再び愛を告白するが、ハインリッヒ伯爵の足元にも及ばないとまったく相手にせず、文献に没頭する。
レナータが伯爵の魂に呼びかけると、ドアをノックする音が3回聞こえて来るので「魔術が成功した」と喜ぶ。
しかしそれは、熱に浮かされたレナータの幻聴であった。
絶望するレナータ、ルプレヒトはまたやって来た本屋グロクの忠告に従って、学者で魔術師のアグリッパ・フォン・ネッテスハイムに助言を求めにいく。

第2場 アグリッパの書斎
学術書や科学的計測器などが散乱するアグリッパの書斎、そこで鳥の剥製や骸骨の並ぶまがまがしい雰囲気のなか研究中。
そこにルプレヒトが訪ねて来て経緯を説明し、助言を求めるが断られる。
ただアグリッパは、魔界に関わってはならないと警告を与え、自分は人間の深淵を探求するのみなのだ、と宣言する。
横に並ぶ3体の骸骨が「アグリッパは嘘をついている」と教えるが、それはルプレヒトには聞こえない。
アグリッパは、真の魔術とは科学そのものであると忠告をする。

第3幕
第1場 ハインリヒ伯爵家の前
レナータはケルンに滞在していた伯爵に巡り合うことが出来たが、伯爵はレナータを魔女と呼んで遠ざける。
レナータは深く傷つき、そんな伯爵なんて火の天使マディエリの約束した化身ではないと考えるようになる。
ルプレヒトはすべては幻だったのだと、アグリッパに会っての結論を言うが、レナータは「自分を辱めた伯爵に決闘を申し込み、殺して欲しい」とルプレヒトに訴える。
ルプレヒトはさっそく伯爵家に決闘を申し込みに向かい、レナータは屋敷の外でマディエリが姿を現わしてくれるように神に祈っていた。
ここでのモノローグはなかなかに切実で、この作品の一番オペラらしい歌唱シーンとなる。
レナータは祈りの陶酔の中、窓に映る伯爵を見上げると、そこにはハインリヒ伯爵が、、やはり伯爵がマディエリの生まれ変わりであるとまたも確信してしまう。
ルプレヒトが決闘の段取りを終えて戻ると、身勝手にもレナータは伯爵を傷つけることを禁じるのである。
なんでやねんと、めちゃめちゃ怒るルプレヒトであった。

第2場 ライン川
レナータから伯爵を傷つけるな!と命令されたルプレヒトは、それでも勇敢に決闘に挑み闘いの末、深手を負う。
突然出てきた友人のヴィスマンに助けられる。
一方の伯爵はまた姿を消してしまう。
レナータはこの顛末に愕然とし絶望に暮れ、ルプレヒトへの愛をいまさらに誓い、命乞いをし、死んでいまったらもう自分は修道院に入るとしおらしくもこの厳しい試練を嘆く。
しかしその誓いを嘲るような声もまた聞こえ、レナータは不安に陥る
ルプレヒトは私を死に追いやりやがってこのやろう!・・・と悪魔の幻影を見る
医師を伴いヴィスマンが戻ってきて、ルプレヒトは一命をとりとめる。

第4幕 ケルンの街角、居酒屋
レナータが介護し、ルプレヒトは回復し、ふたたびレナータとの結婚を望んでいた。
しかしレナータはルプレヒトに感謝はしていたが、愛することはできないという。
レナータはルプレヒトを遠ざけ、未だに伯爵に性的な欲望を感じる自分の体を呪い修道院に入ると言い張る。
混乱するレナータはルプレヒトを悪魔の使いだと責め、ナイフで何度も自傷行為をする。
そして結婚を哀願するルプレヒトの制止を振り切り、ナイフを投げつけて逃亡してしまう。
 その時ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスがレナータとルプレヒトの言い争いを居酒屋のテーブルに座って見物していた。
ファウストは天使も悪魔も人間のことが理解できないと意味深に言う。
メフィストフェレスはワインを飲み、肉を持ってこいと給仕の少年に命ずるが、男の子は肉を落としたりして粗相をしてしまうと、その子をメフィストフェレスは食べてしまう。
ファウストはメフィストフェレスの悪ふざけにうんざりしているが、驚いた店主は「男の子を返せ!」と大騒ぎをして、メフィストフェレスは満足げに男の子をゴミ箱から出してみせる。
そんなメフィストフェレスは落胆するルプレヒトに興味を持ち、女に振られ気落ちをしてやがると揶揄し、無理強いでは愛は手に入らない、一緒に飲もうぜと誘っって来る。
ケルンを案内しろ、一緒にくれば、いろいろとわかるぜとメフィストフェレスは誘う。

第5幕 修道院
逃げ出したレナータは修道院に入っていた。
悪霊を信じるのか?見たのか?と僧院長は問い、レナータが来て以来、不思議なことばかりが起きるという。
しかし悪霊に苦悶するレナータによって修道院はだんだんと不穏な空気に包まれる。
尼僧達も不安におののき始める。
尼僧院長はレナータを呼び出し宗教裁判にかけることし、宗教裁判長は十字架をかざし悪魔払いを始める。
この悪魔払いの儀式は修道女達をさらに混乱させ、悪霊を呼び醒ましてしまう。
炎の天使の幻影がついにレナータを制圧し、修道女たちはサタンをも讃美し始めみなトランス状態となりレナータを讃える。
メフィストフェレスとルプレヒトはこの様子を見ていて、ほら、あの女だぜとルプレヒトに見せつける。
ついに宗教裁判所長がレナータに悪魔と通じた堕天使と烙印を押し、拷問と張り付け火炙りの刑を言い渡し、混乱の極みに達する。
最後は近衛兵も乱入し、ついに処刑へとなる・・・・・

                    

とんでもなくややこしく、ヒロインの目まぐるしいまでの心変わりは、悪魔に魅せられた由縁か。
そうした女性を愛し抜くことができるのか。
いるかもしれない悪魔と対峙する男性、ルプレヒトは騎士道精神を発揮して、自らの破滅も顧みずに渦中に飛び込んでいく。
そこまでして愛し、救助するに足る女性なのかを問うのもこのオペラだし、そのあたりが上演にあたっての演出家の腕の見せ所だろう。
ラストシーンは、音楽としてはいろんな解釈を施すことができるような残尿感も漂うが、まばゆい音のエンディングとなる。
ルプレヒトは、メフィストフェレスにとどめられたのか、レナータを救うことが出来ずに傍観者となる。

一方、ブリュソフの原作の方だが、修道院入りしたレナータは、悪魔か聖人に取りつかれた状態になっていて、そうした罪を告白して牢ににつながれてしまう。
それをルプレヒトが救出に向かうが拒否されたあげくに、「炎の天使」と同一視したのかどうか、彼の腕に抱かれつつ死んでしまう。

この結末の描かれ方の違いは大きい。
救いがなく、より悪魔的、暴力的な結末にしたプロコフィエフは、ここに付けられた音楽がまさにそのような出来栄えになっており、予定調和的でないところが、この時期のプロコフィエフの先鋭的な作風にピタリと来るわけです。

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2024年12月21日 (土)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ノット&東響

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サントリーホール、カラヤン広場のクリスマスツリー。

この日は、ジョナサン・ノットと東京交響楽団のR・シュトラウスのオペラシリーズ第3弾にして最終回、「ばらの騎士」を観劇。

17時に開演して、20分休憩を2回はさんで、再びこのツリーの横を通ってホールを出たのは21時30分になってました。
カットなしの完全版で、コンサート形式での簡易なオペラ上演は、これまでの2作と同じくして、サー・トーマス・サレンの演出監修によるもの。

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これまでの2作もタイトルロールに世界ナンバーワンの歌手を据え、他役も超一流で固めた、まさにノット監督の人脈をフルに活かした配役による上演でした。
サロメにグリゴリアン、エレクトラにガーキーと、いずれもいまでもその歌声は耳にこびりついている。
今回の配役も実に素晴らしい布陣です。

結論から申しますと、多く観劇してきた「ばらの騎士」の上演・演奏のなかで、いちばん鮮烈な感銘を受けることとなりました。

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 R・シュトラウス 「ばらの騎士」

  マルシャリン:ミア・パーション 
  オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン
  ゾフィー:エルザ・ブノワ         
  オックス男爵 :アルベルト・ペーゼンドルファー
  ファーニナル:マルクス・アイヒェ 
  マリアンネ、帽子屋:渡邊 仁美
  ヴァルツァッキ:澤武 紀行
  アンニーナ:中島 郁子

  ヴァルツァッキ:デイヴィツト・ソー    
  歌手:村上 公太

    警部、公証人:河野 鉄平
  執事(元帥家)、料理屋の主人:高梨 英次郎
  動物売り、執事(ファーニナル家):下村 将太
  3人の孤児:田崎 美香、松本 真代、田村 由貴絵
  モハメッド役:越津 克充

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
             二期会合唱団

   演出監修:サー・トーマス・アレン

     (2024.12.13 @サントリーホール)
  

満席のホール、いつものように颯爽とあらわれ、さっと指揮を始めると、高揚感たっぷりのホルンで素晴らしい音楽ドラマの幕が開く。
左手に二人掛けソファ、右手はテーブルに2脚の椅子、ステージ右奥には衝立。
これだけが舞台装置で、歌手たちはこれらの椅子に腰かけつつも、基本はほとんど立ちながらの演技で歌う。

「ばらの騎士」は、あらゆるオペラの中で、5指に入るくらいに好きで、その舞台もたくさん見ておりますが久々の実演。
かつて「ばら戦争」といわれ、短期間に「ばらの騎士」がいくつも上演されたときがあり、まだ若かった自分、いろんな意味でのゆとりもあり、そのほとんどを観劇し、来る日も来る日も「ばらの騎士」の音楽が頭のなかを渦巻いていたものでした。
2007年のこと、あれからもう17年が経過し、脳裏を「ばらの騎士」がよぎり続ける日々がまた再び来ようとは・・・・

素晴らしいオーケストラ、素晴らしい歌手たち、集中力の高い聴衆、これらすべてが完璧に決まりました。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サロメとエレクトラで、巨大編成のオーケストラを存分に鳴らしまくり、ワーグナーの延長とその先にあるシュトラウス・サウンドを堪能させてくれたノットと東響。
エレクトラからわずか2年後の1910年の「ばらの騎士」は、歴史絵巻の素材から、18世紀に時代を移し、音楽は、軽やかで透明感あふれるモーツァルトを意識した世界へと変貌。
ホフマンスタールとの膨大な往復書簡のなかで述べているように、「フィガロの結婚」を前提としても書いている。
そのホフマンスタールも、メロディによる台本の拘束は、モーツァルト的なものとして好ましく、我慢しがたいワーグナー流の際限のない、愛の咆哮からの離脱を見る思い、だと書いてました。
ワーグナー好きの自分からすると、なにもそこまで言わなくても、とホフマンスタールに言いたくはなりますがね・・・
しかしシュトラウスは台本に熱中し、台本が完成するより先に作曲を進めてしまったくらいに打込んだ。

モーツァルトの時代には存在しなかったワルツが随所に散りばめられ、それはこのオペラの大衆性をも呼び起こすことにもなりますが、その数々のワルツをふるいつきたくなるくらいに、まるで羽毛のように軽やかに演奏したのがクライバー、ゴージャスに演奏したのがカラヤン。
しかし、ノットはワルツでもそのように、ワルツばかりが突出してしまうことを避けるかのように、シュトラウスが緻密に張り巡らせた音楽の流れのなかのひとコマとして指揮していたように思う。
うつろいゆくシュトラウスの音楽の流れをあくまで自然体で、流れるように聴かせてくれ、近くで歌う歌手たちとのコンタクトもとりつつ、歌い手にとっても呼吸感ゆたかな安心できるオーケストラ。
シュトラウスの千変万化する音楽の表情を、ノットは巧まずして押さえ、東響から導きだしていたと思う。
その東京交響楽団が、先日の影のない女でも痛感したように、シュトラウスの煌めくサウンドと名技性とを完璧に演奏しきっていて、我が国最高のシュトラウスオケと確信。
是非にもCD化して世界に広めて欲しい。
 多くの聴き手と同じように、3幕での3重唱の高揚感と美しさには、美音が降りそそぐようで、あまりの素晴らしさに涙が頬を伝うのを止められず・・・
音源で聴いていると、女声3人の歌声でスピーカーがビリついてしまう録音もあるくらいだが、ライブでの演奏ではそんな不安はこれっぽちもなく、まさに心の底から堪能しました。

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5人の主要歌手たち、脇を固めた日本人歌手たち、いずれの皆様、賛辞の言葉を尽くしてもやむことができないほどに素晴らしかった。

驚きの素敵な歌唱とその立ち居振る舞いをみせてくれたミア・パーションのマルシャリン。
モーツァルト歌手としての実績のみが頭にあり、こんなに大人のそして優しさと哀しみを表出できる歌手だったとは!
声量も充分で、ホールに響き渡るその澄み切った声は、北欧の歌手ならではで、クセのない揺れのほとんどないクリアボイスで歌われる1幕のモノローグには、もう涙を禁じえなかった。
これでドイツ語のディクションにさらなる厳しさも加わったらより完璧。
いまこれを書きつつ、外をみると風に散る枯葉が舞ってました。
彼女の歌とノットの作りだしたあの儚い場面を思い出し、そしてこれまで観てきたマルシャリンたちの1幕の幕切れのシーンをも回顧して、なんとも言えない気持ちになってきたのでした。。。
ゾフィーが持ち役だった彼女が、こうしてマルシャリンに成長してきたその姿は、まるでかつてのルチア・ポップを思い起こす。
もしかしたら、きっとマドレーヌも素晴らしく歌ってくれるのでは・・・

会場を驚かせた歌手、オクタヴィアンのモリソンは、この日がオクタヴィアンの初ロールだということ。
豊かな声量と安定感あるメゾの領域は、これまた驚きの連続でした。
これで軽やかさが加わったたら最強のオクタヴィアンになるかもです。
気になって手持ちの録音音源を調べたら、ピッツバーグでモツレク、BBCでスマイスのミサ曲などを歌ってました。
フリッカも歌い始めたようなので、マーラーの諸曲も含めて、今後期待大の歌手です。

対するゾフィーのフランスのソプラノ、ブノワも実にステキでして、そのリリカルな声は、薔薇の献呈の場では陶酔境に誘われるほど。
まさにこれが決り、最終シーンでもうっとりさせていただきました。
一方で、現代っ娘的な意思の強さも歌いだす強い声もあり、幅広いレパートリーをもつこともうなづけます。
オクタヴィアンとゾフィーの2幕におけるヴァルツァッキ達の踏込み前までの2重唱、このオペラでもっとも好きな音楽のひとつですが、これもまた天国級の美しさなのでした。

大柄なオーストリアのバス、存在感たっぷりのペーゼンドルファー。
ハーゲン役として音源や映像でいくつか聴いていたが、初の実演は、深いバスでありながら小回りの利く小気味よさもありつつ、上から下までよく伸びるその声、実に美声で破綻なく安心の2幕のエンディングでしたね。

多くの録音やバイロイトのライブでもおなじみのアイフェのファーニナル。
暖かく人のよさのにじみ出たアイフェのバリトンは、現在、最高のウォルフラムやグンターだと思いますが、貪欲な市民階級の役柄を歌わせても、どこか憎めず、いい人オジサンにしてしまう。
性急なまでに貴族へのステップアップを狙い、一目を気にする小人物であるが、憎めない、最後は娘の幸せを願う父親に。
そんなファーニナルを見事に歌い演じるアイフェでした。

せんだって、ヴェルデイのレクイエムで見事なソロを聴いた中島さんのアンニーナ、ここでも充分に存在感を示してまして、小回り効く澤武さんのヴァルツァッキとともに、狂言回しとして、このオペラになくてはならない役柄であることを認識できました。
テノール歌手の村上さんも、驚きの渾身の美声で、ステージ上の登場人物たちもまさに聞惚れるほど。
刑事コロンボのようなコートをまとった警部の河野さんも、役柄にはまった歌唱と演技で、オクタヴィアンの投げる衣装を受け取る姿もまた楽しい場面でした。
そしてもったいないくらいの渡邊仁美さんのマリアンネも、舞台を引き締める役割をそのお姿でも担いました。

モーツァルトシリーズからシュトラウスまで、演技指導の名歌手トーマス・アレン卿の手際のいい仕事は、制約の多いコンサートスタイルにおいても、簡潔で納得感あるものです。
これだけ有名なオペラになると、大方の場面は、こちらの想像力で補うことができるからこれでいいのです。
3幕の悪戯の仕掛けなど、客席も使ってみた方がおもしろいかも、とは思ったりもしましたが、登場人物たちが、指揮者やオケの奏者たちに絡んだりする場面などユーモアたっぷり。
モハメド君のハンカチ拾いも、定番通りでよかったです。

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歳を経た自分が、元帥夫人に共感し、思い入れも以前にもまして深めてしいます。
日々揺れ動く気持ち。
自分を見つめることで、いまさらに時間の経過に気付く。
自戒と諦念、そして、まだまだだと、あらたな道へと踏み出す勇気を持つべしとも思う自分。


こんな儚い気持ちを感じさせてくれるドラマに、シュトラウスはなんてすばらしい音楽をつけてくれたものだろうか。
シュトラウス晩年の「カプリッチョ」にも人生の岐路に差し掛かった自分は、格段に思い入れを感じる今日この頃。。。

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過去記事 舞台観劇

 「新国立劇場 シュナイダー指揮」

 「チューリヒ歌劇場 W・メスト指揮」

 「ドレスデン国立劇場 ルイージ指揮」

 「県民ホール 神奈川フィル 沼尻 竜典指揮」

 「新日フィル コンサート形式 アルミンク指揮」

 「二期会 ヴァイグレ指揮」

過去記事 音源・映像

 「バーンスタイン&ウィーンフィル」
 
 「ドホナーニ&ウィーンフィル」

 「クライバー&バイエルン国立歌劇場」

 「ギブソン&スコティッシュ、デルネッシュ」

 「ビシュコフ&ウィーンフィル」

 「クライバー ミュンヘンDVD」

 「ラトル&メトロポリタンオペラ」

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手持ちの映像から、ガーシントン・オペラでのパーションの元帥夫人。
この演出がお洒落でセンスあふれるものでした。
数回目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ、次は「ばらの騎士」を予定してまして、そこで音源や映像の数々をレビューしたいと思います。

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2024年12月 1日 (日)

プッチーニ 「トスカ」 レッシーニョ指揮

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 昨年にオープンの港区の麻布台ヒルズ。

近くの役所まで行く用事があり寄ってみましたが、クリスマスイルミネーションはこの日の翌日からで、スタッフが慌ただしく準備中のところを拝見しました。
都会から離れてしまったので、早々に行けないけれど、夜はさぞかし奇麗だろうなぁ。

さて、2024年11月29日は、プッチーニの没後100年の命日にあたりました。

1858年12月22日生まれ、1924年11月29日没。

いうまでもなく、最後のオペラ「トゥーランドット」を完成することなく、咽頭がんの手術も功を奏さず亡くなったのが100年前。
ちなみに、ワタクシは、プッチーニの100年後に生まれてます。

中学生のとき、NHKがプッチーニのテレビドラマを放送して、わたしは毎回楽しみにして観たものです。
かなりリアルにそっくりで、吹き替えの声は高島忠夫だった。
中学生ながらに思ったのは、プッチーニがずいぶんと恋多き人物で、ハラハラしたし、またあらゆるものへのこだわりが強く、妥協を許さず、ちょっとワガママに過ぎる人だな、、、なんてことでした。
トゥーランドットのトスカニーニによる初演もリアルに再現され、リューの死の後、悲しみにつつまれるなか、トスカニーニが聴衆に向かって、「先生が書かれたのはここまででした・・」と語る場面で泣きそうになってしまった。

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  プッチーニ 「トスカ」

   トスカ:ミレッラ・フレーニ
   カヴァラドッシ:ルチアーノ・パヴァロッティ
   スカルピア:シェリル・ミルンズ
   アンジェロッティ:リチャード・ヴァン・アラン
   堂守:イタロ・ターヨ
   スポレッタ:ミシェル・シェネシャル
   シャローネ:ポール・ハドソン
   看守:ジョン・トムリンソン
   羊飼い:ワルター・バラッティ

  ニコラ・レッシーニョ指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
              ロンドン・オペラ・コーラス
              ワンズワース少年合唱団

      (1978.6  @キングスウェイホール、アルバートホール)

これまで「トスカ」を記事にしたことが限りなく多く、最後にリスト化してますが、没後100年にも、やはりこのオペラを選びました。
プッチーニのオペラ、基本、ぜんぶが好きなのですが、いまは「ラ・ロンディーヌ」が一番好き。
でも、初めてのプッチーニは、「ボエーム」や「蝶々さん」よりは「トスカ」だった。

何度も書いてて恐縮ですが、1973年のNHKホールのこけら落としに招聘された第7次イタリアオペラ団の演目のひとつが「トスカ」。
「アイーダ」「トラヴィアータ」「ファウスト」と併せて4演目、中学生だった自分、すべてはテレビ観劇でした。
ライナ・カヴァイヴァンスカ、フラビアーノ・ラボー、ジャン・ピエロ・マストロヤンニの3人で、指揮は老練のファヴリティース。
演出は伝統的なブルーノ・ノフリで、その具象的な装置や当たり前にト書き通りの演技、初めて見るトスカとしては理想的でしたし、なんといっても赤いドレスの美人のカヴァイヴァンスカの素晴らしい演技に、子供ながらに感激しましたね。

以来、トスカは大好きなオペラとして数多くの音源や映像を鑑賞してきましたが、そんななかでも、いちばん耳に優しく、殺人事件っぽくない演奏がレッシーニョ盤。
久しぶりに聴いても、その印象です。

デッカにボエーム、蝶々夫人とカラヤンの指揮で録音してきたフレーニとパヴァロッティのコンビ。
数年遅れて、デッカが録音したが、指揮はカラヤンでなく、生粋のイタリアオペラのベテラン指揮者レッシーニョとなった。
当時、わたくしはちょっとがっかりしたものです。
この録音は78年で、カラヤンは翌79年に、DGにベルリン・フィルと録音。
ザルツブルクがらみでなく、フィルハーモニーでのスタジオ録音で、こちらはリッチャレッリとカレーラスを前提とした商業録音だったので、レーベルの関係なのか、カラヤンの歌手の人選にこだわったのか、よくわかりません。

しかし、じっくりと聴いてみて、この歌手たちであれば、カラヤンでなくてよかったと、いまも思います。
カラヤンならリリックなふたりの主役を巧みにコントロールして、見事なトスカを作り上げるとは思いますが、カラヤンのイタリアオペラに感じる嵩がかかったようなゴージャスなサウンドは、ときにやりすぎ感を感じることもある。
マリア・カラスが好んだレッシーニョ。
イタリア系のアメリカ人ではありますが、アメリカオペラ界の立役者で、全米各地にオペラ上演の根をはったことでもアメリカでは偉大なオペラ指揮者と評されてます。
もちろんカラスとの共演や録音が多かったのが、その名を残すきっかけではありますが、それのみが偉大な功績となってしまった感があります。

歌を大事にした、オーケストラが突出しない流麗な「トスカ」。
このようなオペラ演奏は、最近あまりないものだから、ある意味新鮮だった。
3人の主役たちのソロに聴くオーケストラが、いかに歌を引き立て、歌詞に反応しているか、とても興味深く聴いた。
一方で、プッチーニの斬新なサウンドや、ドラマテックな劇性がやや後退して聴こえるのも確かで、ここではもっと、がーーっと鳴らして欲しいという場面もありました。
当時、各レーベルで引っ張りだこだったロンドンの腕っこきオーケストラ、ナショナルフィルは実にうまいものです。

フレーニとパヴァロッティ、ふたりの幼馴染のトスカとカヴァラドッシにやはりまったく同質の歌と表現を感じます。
嫉妬と怒り、深い愛情と信仰心で、トスカのイメージは出来上がっていますが、フレーニのトスカはそんなある意味、烈女的な熱烈な存在でなく、もっと身近で、優しく、ひたむきな愛を貫く女性を歌いこんでいる。
1幕で、マリオと呼びながらの登場も可愛いし、教会の中で嫉妬に狂う場面もおっかなくない。
「恋に生き歌に生き」は、心に響く清らかな名唱です。
ラストの自死の場も無理せず、フレーニらしい儚い最後を感じさせてくれた。

ヒロイックでないパヴァロッティのカヴァラドッシも、丁寧な歌い口で、あの豊穣極まりない声を楽しむことができる。
この頃はまだ声の若々しさを保っていて、テノールを楽しむ気分の爽快さも味わえました。

わたしには、スカルピアといえば、ゴッピだけれど、それ以外はミルンズであります。
役柄にあったミルンズの声は、ここではときに壮麗にすぎて、厳しさや悪玉感が不足しますが、やはりテ・デウムにおけるその歌唱には痺れますな!

当時、超大ベテランだった、イタロ・ターヨの妙に生真面目な堂守や、脇役の定番シエネシャルも味わい深く、のちに大成するトムリンソンがちょい役で出てるのも楽しいものだ。

アナログ最盛期のデッカ録音、プロデューサーは、ジェイムス・マリンソン。
エンジニアリングにケンス・ウィルキンソンとコリン・ムアフットの名前があり、この頃のデッカならではの優秀録音が楽しめました。
キングスウェイホールとヘンリ・ウッドホール、響きのパーシペクティブや音の芯の強さではキングスウェイホールが、ほかのレーベルの録音でも好きなんですが、おそらく1幕はキングスウェイホール。

この時期のレコード業界はまさに黄金期でした。

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 「トスカ」過去記事

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」

「シュタイン指揮 ベルリン国立歌劇場」

「シャスラン指揮 新国立劇場」

「カリニャーニ指揮 チューリヒ歌劇場」映像

「T・トーマス指揮 ハンガリー国立響」

「コリン・デイヴィス指揮 コヴェントガーデン」

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」独語ハイライト

「テ・デウム特集」

「メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「没後100年」

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カヴァイヴァンスカのトスカ(1973年 NHKホール)

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2024年10月28日 (月)

R・シュトラウス 「影のない女」 二期会公演

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2022年に予定されながら、流行り病の影響で流れた二期会の「影のない女」
クラウドファンディングや関係者の尽力の積み重ねで、ついに上演のはこびに。

その全オペラを楽しみ、愛するわたくし、シュトラウスの初オペラ体験がこの「影のない女」でした。
忘れもしない、ハンブルク国立歌劇場の来日公演。
1984年の5月7日、日本初演の初日から3日後で、このオペラはその2回のみの上演でした。
場所は同じく東京文化会館で、大切にしているチケットを確認したら、1階10列24番。
今回の二期会上演の席は、よく見たらその席のほぼすぐ近く。

40年を経過し、ワタクシも歳を経ましたが、あのときの感動はいまでも鮮やかに覚えてます。
ドホナーニの指揮、皇后:リザネック、皇帝:R・シェンク、乳母:デルネッシュ、バラクの妻:G・ジョーンズ、バラク:ネンドヴィヒ、、こんなキラ星のようなキャストで、その素晴らしい声の饗宴に痺れまくり。
なかでも3幕で、きらめく泉が皇后の顔にあたり、その頬が光るなか、「Ich will nicht・・・」と苦しみつつも発するリザネックに背筋がゾクゾクするような感動を覚えました。

このオペラのひとつの聴きどころ・見どころであるそのシーンは、今回どうなるのか・・・

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  R・シュトラウス 「影のない女」

     皇帝 :伊達 達人         
     皇后 :冨平 安希子

         乳母 :藤井 麻美     
              伝令使:友清 崇
      〃 :高田 智士
      〃 :宮城島 康
     若い男:高柳 圭
         鷹の声:宮地 江奈
     バラク:大沼 徹
     バラクの妻:板波 利加 
             バラクの兄弟:児玉 和弘
                      〃        岩田 健示
         〃     水島 正樹


    アレホ・ペレス指揮 東京交響楽団
             二期会合唱団
  
   演出:ペーター・コンヴィチュニー
   舞台美術:ヨハネス・ライアカー
   照明:グゥイド・ペツォルト
   ドラマトゥルク:ベッティーナ・バルツ

     (2024.10.26 @東京文化会館)

コンヴィチュニーだから、普通の演出じゃなくて、いろんな仕掛けをかましてくるだろうなと思っていたし、これまで観劇してきたコンヴィチュニー演出は4作あり、正直いずれも楽しんだし、面白かった。
また20年前ぐらい、まだ読み替え演出に嫌悪感のあった自分に、その楽しみを植え付けてくれたのもコンヴィチュニー演出なのだ。

しかし、今回はどうしたものだろう。

できるだけ情報をシャットアウトして、公演に挑むのが常であるが、二期会のSNSや出演者たちの「X」が目に入るようになり、気になって公式HPにアクセスして確認してみた。
カットと筋立ての読み替え、場の入替えなどがあらかじめ、あらすじ概要とともに書かれていた。
それを読んだとき、カットがあることに正直がっかりしたし、筋の内容も読んで暗澹たる気分になった。
でも実際の舞台に接すれば、コンヴィチュニー演出のことだ、面白いし納得感もあるに違いないという思いで上野に向かった。

今回のコンヴィチュニーの「影のない女」は、これまで好意的だった私としては、「No」と言っておきたい。
読み替え自体はそれは問題ではなく、でも今回のは好きじゃなかったけれど、やはりシュトラウス&ホフマンスタールの「原作」と「音楽」にあまりに手を入れすぎで、それはもう私には冒涜クラスのものに思われた。
「原作」の最終場面は正直言って取ってつけたようなエンディングで、アリアドネにもそんな風に感じることもあるが、長いオペラをずっと聴いてきて訪れる予定調和の平和は、なによりも安心感や安らぎを与えるのだ。
さらに、私がいつもこのオペラでこの皇后はどう歌うんだろうと注目する「否定」の場面。
あそこを冨平さんの皇后で聴きたかったし、観たかった。
そんな風な楽しみを奪われたと思う観客は多かったのではないだろうか。

忘れないうちに、どこをカットされたか、どうつながれたかを自分でまとめて、こんなの作りました。
クリックすると別画面で拡大表示します。
間違っていたらすいません。
背景は、上野駅で見かけたパンダの絵です。
たぶん夫婦のパンダですwww

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こうなったらユーモアで封じるしかないか。

「影」は北欧伝説によると「多産」の象徴、すなわち「子」を意味し、霊魂の影じたいが肉体とも結びつくとされ、影を売る行為は、魂を売り渡してしまうという意味にも通じる。(ハンブルクオペラのときのパンフから)。
しかし、そんな高尚なところはみじんもなく、二組の夫婦の子をめぐる思いと抗争のみがここにあり。
夫婦は相手を入れ替えたらめでたく子ができてしまった。

子ができなかったのは、夫婦どっちが悪い?
「種のない男」「豊かな畑のない女」どっちだ・・・いやどっちでもなく、なんのことはない、相手を変えたらできちゃった。
こんなインモラルなのありか、会場には中学生ぐらいの女子もいたぞ。

この書き換え構想を担ったドラマトゥルクのベッティーナ・バルツの書いた前置き、二期会HPでも読めます。

このオペラは現実の物語ではなく、象徴的な出来事を描いている。筋の通った物語ではなく、架空の二層の世界で演じられる悪夢のようなエピソードであり、そのルールはどこにも制定されておらず、理解不能である。人物、場所、ルールは、夢の中のように流動的で変化する。
このプロダクションでは、妻が夫に隷属することを賛美し、美化するような筋書きのない終幕のフィナーレを排除し、代わりに元の第2幕のシーンを最後に置く皮肉な場面で終わる。」

まさにこの前置き通りの想定でオペラは進行した。
常套的なカットをいれても3時間の作品が、今回は2時間40分に短縮。

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前の一覧にある通り、最終場面などはまったく演奏されず、幕という枠も排除し、場をばらばらにして交互にしたりして入れ替えてしまった。
夫婦を入れ違えてめでたく子ができたのもつかの間、暴力的な死の横溢するシーンで幕となった。

ちなみに、この演出でのエンディングシーンとなった2幕のラストは、わたくしは最初に影のない女を聴き馴染んだころ、めちゃくちゃ気にいって、初めて聴きエアチェックした75年のベームのザルツブルク上演を何度も聴いて、この激しくもダイナミックなシーンを指揮真似しながら興奮して楽しんだものだ。

しかし、今回の上演では、わたくしは意識することなく、このエンディングで幕が降りた瞬間「ブー」と叫んでいた。

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前段のバルツさんの書いたこの書き換えの意図を読んでみた。
正直、なにいってやがんだ・・という思いです。

「影のない女」の内容を家父長思考賛美、女性蔑視と断じ、「読み替えなしという選択肢はありえなかった。今日のわれわれが、道徳的に納得できる上演は読み替えによってよってのみ可能となる」としている。
「演出する私たちは、当時の男女の関係や問題を反映している芸術的な内容の部分を明らかにするために、このように手を加えることが必要だと考えている。この作品がなぜ、そんな手入れを必要とするほど、救いがたい出来損ないになってしまったかを検討してみたい」と書いている。
なぜに出来損ないなのか?
ホフマンスタールの台本が1911~19年にわたって何度も書き換えられ、「意味不明な童話的要素に満ちた悪趣味な混ぜ物になった。」
この作品は「子を産めない、あるいは産みたくないすべての女を。役立たずで下等な人間のくずと貶めるのが狙いだ」とホフマンスタールを断じている。
被害者はここに登場する作者さえ同情を寄せない女性の3人、加害者(男×2)は文字通り賛美される。
さらにバラクの弟たち、いまでは禁句となった障碍ある3人でさえ、男性であることからバラクの妻を蔑視していると。
こんな風に長々と書かれていて、しまいに、シュトラウスは「音楽と俳優のバランス」と言ったとおり、「歌手でなく俳優」と意識していた。
音楽ばかりでなく「演劇」もみたかったのだとシュトラウスの音楽をいじくったことの弁明をしているように感じた。

好意的にこの解釈を理解した人々からは、子供を産んでも断ざれてしまう女性ふたり、そのエンディングは、いまだに変わらない女性の立ち位置に対する猛烈な皮肉だったと評するだろう。

まあこういった議論がでて、賛否両論を呼ぶこと自体がコンヴィチュニー演出の意図でもあろう。
しかし、今回は、コンヴィチュニーがこのバルツ氏の書き換えた台本に乗ってしまったことは失敗だったと思う。
ここは日本だよ、ドイツじゃないし、男女は大昔から平等だし、ジェンダー指数なんて表面的なウソっぱちだい!
もう一回、この素晴らしいキャストとオケで、ちゃんとした演出で、演奏会形式でもいいからやり直して欲しい。
バラクの日本語のアドリブセリフ「ちゃんと台本通りやろうよ」だよう。

こんなところに不平等を見つけ出し、問題の顕在化をしてみせて、結果としてシュトラウスの素晴らしい音楽の一部を失くしてしまい、それを楽しみにしていた聴き手の心も消沈させてしまった。
始終、日本で上演されていて何度も接するオペラならまだしも、10年に1度クラスの上演機会のオペラで、これをやっちゃオシマイだよという気分です。
繰り返しますが読み替え演出は、わたしはぜんぜんOKだし、今回のピストルドンパチ、立ちんぼ、性描写などもがっかりはしても否定はしません。

舞台の詳しい様子は、今後書く気になったら記憶のある限り補足します。

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出演者の皆様を讃える大きな拍手とブラボー。
幕が降りた瞬間のブーのみで、わたくしは盛大な拍手をいたしました。
演出陣が出てきたらかましてやろうと待ってましたが出て来ず残念でした・・・・

こちらの歌手たちの皆さんについては、賛美しても尽くせない素晴らしさでした。

まず、皇后と乳母のふたり。
冨平さんはエンヒェンもルルもよかったが、今回は、あの演出でありながら、完全に役柄に没頭しての歌と演技。
その歌は涼やかな高音域が安定して美しかったし、音域の広い役柄なので、低い方の声にも哀しみが宿るような神々しさもありました。
二ールントの歌にもにたその歌唱、ドイツ語の発声も素敵でありました。
皇后との声の対比で万全だったのが乳母の藤井さん、明瞭ではっきりしたよく通る声で、一語一語がよく聴こえたし、ユーモラスな演技もその歌とともに印象的。
 バラクの妻役の板波さんの力ある声も際立っていて、バラクの大沼さんとの夫婦漫才のようなやり取りも楽しかったです。
その大沼さんのバラクの人の好さそうな声質の暖かなバリトンも実によかった。
かなフィルのサロメでのヨカナーンは歌う位置で損をしたイメージがあったけれど、背中でも演技するステキな、(うらやましい)役柄でしたねぇ。
 皇帝の伊達さんは、このヒロイックな役柄には軽すぎ・きれいごとすぎるように感じた。
確かに美声でクセのない声は素晴らしいが、今回の演出でのダーティに過ぎる存在もマイナスになってしまったのかもですが、ちょっと残念。
それにしても、なんであんな悪いヤツに仕立ててしまったんだろ・・・・
 伝令を歌った、前のコンヴィチュニー・サロメでヨカナーン役の友清さんを見出したのもうれしかった。
あと登場場面の多かった、まるきり鷹じゃない、可愛い夜鷹(?)となった宮地さんもリリカルなお声がよかったです。

ペレスの指揮する東京交響楽団は、この日ピットでシュトラウスの音楽の神髄を、クソみたいな演出にもかかわらずしっかり聴かせてくれた感謝すべき存在だと思うし、大々絶賛されていい。
ノット監督のもと、シュトラウスオペラを順次演奏してきている経験値や近世の音楽の演奏履歴などを経て、どんな大音響でも混濁せずに聴かせてしまうオケ。
さらに各奏者たちの能動的な演奏姿勢が有機的なサウンドを産み出すというシュトラウスにとってなくてはならない能力も兼ね備える。
ヴァイオリンとチェロ、ふたりのソロも最高でした。
 アルゼンチン出身のオペラ指揮者ペレス氏は、魔弾の射手に次いで2度目ですが、だれることのないスピード感あるテンポ設定と、抒情的な場面では美しく各パートを際立たせるような繊細な音楽造りもありました。
良い指揮者です。

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もやもやする。

ジェイムズ・キングの皇帝を聴き、あの嫌なヤツとなった姿の皇帝をリセットし、聴けなかった皇后の3幕をリザネックとニールントで補完する日曜でした。

最後にもう一言、入りはよくなかったけれど、怒りつつも楽しんだのも事実ですし、二期会さんには、今後も攻めのプロダクションをぜひともお願いします。

追記)
公演前に何種類も聴いた「影のない女」のオーケストラ編幻想曲をあらためて聴いた。
20数分の管弦楽曲ですが、ここでの最後は、オペラと同じく3幕の二組夫婦によるシーンで静かに終わっています。
この曲は、シュトラウス晩年の1846年に、作者自らが選んで編曲した作品です。
シュトラウス晩年の思いも宿っているのではないでしょうか。。。

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