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2026年1月25日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会 ルスティオーニ指揮 ②

Bunka

夜の東京文化会館。

昼間の人の多さが考えられないくらいに平日の上野公園口の駅前は静かです。

1961年の開館以来、何度かの改修工事は行われてきたが、今年の5月の連休以降に大規模修繕工事が予定され、3年間にわたり閉館となります。
もしかしたら、閉館まで文化会館のコンサートは行かないかもしれないので、数えきれないくらいにオペラとコンサートでお世話になった文化会館がとても名残惜しく感じたのでした。
もう若くないから、3年という期間は自分には長く感じられます。

この日は先週に続いてダニエーレ・ルスティオーニの指揮によるヴェルディとワーグナー。
どちらの作曲家のオペラも、ここ文化会館で忘れえぬ上演に接してます。
アバドのシモン、若杉のオテロ、小澤のファルスタッフ、ベルリン・ドイツ・オペラのリング、朝比奈、若杉のリング、サヴァリッシュのオランダ人、尾高のタンホイザー、飯守泰次郎のワルキューレ・・・・もうもう書ききれません。

若きイタリアのオペラの名手、ルスティオーニの作りだす鮮やかなオペラの瞬間を堪能しつつ、文化会館で観劇したオペラの数々を思い起こしてました。

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    東京都交響楽団定期演奏会 第1034回

     ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲

         歌劇「マクベス」第3幕 バレエ音楽

          歌劇「オテロ」 第3幕 バレエ音楽

        歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

  ワーグナー 歌劇「リエンツィ」序曲

        歌劇「タンホイザー」序曲

        歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲

        楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

    ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団

          コンサートマスター:矢部 達哉

             (2026.1.23 @東京文化会館)

ともに同じ年に生まれたヴェルディ(1813~1901)とワーグナー(1813~1883)を一夜で聴くという、ありそうでなかった私には極めてうれしかったプログラム。

南北で長いイタリアは、北と南で気質や文化が違うと思いますが、ミラノ生まれ、スカラ座児童合唱団で歌い、スカラ座音楽院で学びコレペティトゥールでオペラの神髄をたたきこみ、シエナの音楽大学を経た生粋のミラノっ子のルスティオーニは北イタリア出身となります。
イタリアから見たドイツは、アルプスの向こう側。
得意中の得意のヴェルディはともかくとして、ルスティオーニがどんなワーグナーを聴かせてくれるか、そこに注目していたし、さらには「マイスタージンガー」でコンサートのトリ、はたして大丈夫か?という懸念もありました。

聴いた結果からいうと、前半も後半もソノリティあふれる明るく明晰な演奏で、それぞれにオペラティックでありながらも単独で完結している独立した音楽という演奏でもあり、オペラの序曲であることと、完成されたコンサートピースであること、それを両立させた見事な演奏だった。
そう、序曲や前奏曲を聴くと、その先も聴きたくなり残尿感すら感じる自分なのですが、ここではそんなことはなく、それぞれに熱中し酔いしれたのであります。

①「運命の力」
壮麗なるこの序曲、スピード感あふれ、でもドラマテックに傾くことなく颯爽と演奏され白熱よりは、まるで今宵始まる物語の小手調べのようにも感じました。

②「マクベス」
パリ版に改訂の際、グランドオペラ風にグレートアップさせるために書かれたこのバレエは、私の手持ちのコヴェントガーデンでのルスティオーニ指揮による上演ではカットされてました。
10分ぐらいの切迫感とどこか哀愁感じる音楽を、ルスティオーニは抜群のリズム感と切れ味あふれる棒さばきでバリっと聴かせてくれました。

③「オテロ」
これもまたパリ版にあるお約束バレエ。
物語の背景ならではのエキゾチックなムード満載の音楽だけど、このあたりになるとヴェルディのオーケストレーションの筆致が高まっているのを感じる。
重奏的に絡むモティーフを巧みに浮きあがらせつつ、短いながら変遷する各バレエの特徴や雰囲気が鮮やかに描きわけられた。
こういうところも、先週のレスピーギやコルサコフで感じたルスティオーニの巧さだ。

④「シチリア島の夕べの祈り」
前半のハイライトはこれ、流したような運命の力と比べても気合の入り具合から違って、いつも録音で激しく聴かれるルスティオーニのうなり声がここではものすごくよく聴こえた。
ともかく歌心満載で、もう待ってましたよ、という気分でしたよワタクシは。
炸裂する打楽器に金管の咆哮も心地よく、チェロのまるでアリアのような歌、また歌、もうたまらなくステキだ。
そして盛り上がるクレッシェンドの高鳴り、高揚感もたまらんし、そのあとの弦の歌、ささえるピチカートもまた泣かせるじゃないか!
手持ちの音源にアルスター管との演奏のものがあり、聴きなおしたが、都響との方がはるかにいいと思った。
ヴェルディの音楽を完全に持ってるルスティオーニ、最高です。

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①「リエンツィ」
いまのところルスティオーニの気質に一番あってると思われるリエンツィ。
舞台もローマでイタリアしてるから、輝かしいイタリアの陽光がワーグナーのなかでは一番ある曲だし、演奏もそのあたりを全開してくれた。
もちろんここでも歌心は充分でリエンツィのアリアの朗々たる旋律の歌いまわしも見事で、その盛り上げも実によろしい。
その後のテンポをあげての展開も慌てることなく堂々としていて、これもまた劇中で繰り返し主人公によって訴えられる「神よ守りたまえ」のモティーフが意味あいを込めてしっかり浮きあがる演奏というのも珍しいと思った。
このように効果に走ることなく、音楽の意味合い、物語りとの関連性も把握して、こうした序曲でもしっかり聴かせてくれるルスティオーニは本物のオペラ指揮者だと思います。

②「タンホイザー」
2曲目にタンホイザー。
作曲の年代順にたどる仕組みで、タンホイザーがラストでもコンサートとしてはいいはずだったが、こうしたこだわりが嬉しい。
グランドオペラの残滓が残る大がかりな序曲を、大抑な雰囲気でなく、ここでも明るく明快に聴かせてくれた。
都響のヴィオラセクションがとても巧く、くっきりとどんなときでもよく聴こえているのは、こうした内声部への指揮者のこだわりもあるかもしれない。
ヴェヌスブルクの場面での妖しさよりは透明感を感じるのも好ましかった。
この場から、オペラの本編に突入して欲しいと思うのはワーグナー好きのわたくしのサガとも言えましょうが、いつかルスティオーニの指揮で聖邪あふれる壮麗なるタンホイザーの全曲を聴いてみたいと思った。
手持ちアルスター管とのライブでは、バッカナール付きの24分の演奏で静かに終わるパターンです。
この人、ほんと本格派です。

③「ローエングリン」
清らかさよりは、明快さ、文化会館が明るい地中海サウンドを思わせる響きに満たされた前奏曲。
木質の響きのこのホールが人間の声、歌によく合うということが、この短い曲でよくわかった。
高鳴るシンバルへの持って行き方も陶酔感というよりは、冷静に音を積み上げて高揚していったクレッシェンドの果てでの成り行きであるかのような冷静さ。
神々しく仕上げるのでなく、音の積み上げを楽しませるような、そんなユニークな演奏でした。

④「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
開放感あふれるバリっとしたハ長の始まりを聴いた瞬間、はぁなるほど、これならプログラムの最後ってありね、と確信。
まさに確信あふれるハ長の堂々たる歩み、分厚く響くオーケストラはワーグナーがリング前半とトリスタンを経て獲得した錯綜するけれど、すべてが有機的に結びついている高度な音楽技法。
全部がしっかり聴こえるし、ここでも内声部へのこだわりも極めて効果的に作動し、都響の各セクションもすべての力量を解放したかのように全開したので、ホールが音で満たされ、ワタクシもワーグナーの音に包まれ快感このうえない境地へ。
愛の動機もサラリと流すように演奏される前奏曲演奏が多いなか、ここでは速めながらも実に心のこもった歌いぶり。
アバドの演奏もここは美しかったが、今宵のルスティオーニの演奏もこのうえなく優しく歌心満載でした。
その後のいろんな動機が混ざり合いつつ、徐々にクライマックスを築いてゆくさまは、右へ左へと忙しく指示し、歌を促すルスティオーニを見ながらも、感嘆すべき素晴らしさで、都響のすべての楽器が鳴り切っている。
この前奏曲ひとつで、こんなに興奮し胸が高鳴るのは初めて。
その先にある教会での合唱へのなだれ込みを期待せず、こんな鮮やかな終結部をもたらしたキレのいい演奏に驚きも感じた次第。
指揮者もオケも会心の表情でしたね。

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定期だけど、アンコールにローエングリン3幕前奏曲かヴァルキューレあたりをやるかな?と最初は思っていたけれど、まったくいらない、そんな効果不要の完結したマイスタージンガー前奏曲だったし、今宵のすべての曲がオペラの一部であることも主張しつつ、それぞれがそれでコンサートピースとしても成り立っていた、そんな演奏でありました。

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ルスティオーニ氏、次の都響はマーラー「復活」とドヴォルザーク7番です。
いつしか若杉時代のように、コンサート形式のオペラ上演もやって欲しい。

マリオッティ(46 ペーザロ)、ルスティオーニ(42、ミラノ)、バッティストーニ(38、ヴェローナ)
3人のオペラ指揮者が日本で聴ける幸せ。

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ここ数年、ルスティオーニがリヨンオペラで指揮した作品を中心に、バイエルン、メットなども含めネットでの放送音源を多く聴いてきました。
フィガロ、トロイアの人々、ルチア、エルナーニ、マクベス、アイーダ、ファルスタッフ、金鶏、カヴァ・パリ、ボエーム、蝶々さん、西部の娘、アンドレア・シェニエ、アドリアーナ・ルクヴルールなど14作もアーカイブできてます。
こうしてみるとロッシーニやベルカント系、ワーグナー、シュトラウスなどはまだこれから、という感じです。
アルスター管やピッツバーグなどとのオーケストラ作品もバラエティ豊かで、そのレパートリーはとても広いです。
ともあれ、今後ともに楽しみな指揮者です。

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2026年1月18日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会 ルスティオーニ指揮 ①

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久しぶりの池袋芸術劇場。
かわらぬ人の多さが田舎暮らしに慣れた自分にはキツイものがありました。

イタリア週間 4276

東京都交響楽団の首席客演指揮者となるミラノ生まれのダニエーレ・ルスティオーニ。
その奥さんでミラノとベルガモの間ぐらいにあるレッコ出身のヴァイオリニスト、フランチェスカ・デコ。
この素晴らしい共演でした。
ルスティオーニは、ずっと注目していたオペラ指揮者なので、即座にチケット手配しました。

ちょっと加工してスクリーンに美男美女入れてみました。

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  東京都交響楽団定期演奏会 第1033回

 ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77

   バッハ   無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ~ジーグ

     Vn:フランチェスカ・デゴ

 R=コルサコフ スペイン奇想曲 op.34

 レスピーギ   交響詩「ローマの祭」

    ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団

         (2026.1.17 @東京芸術劇場)

独・露・伊の3人の作曲家がランダムに並んでいるように感じますが、ここに通じているのは南国・南欧への憧れとイタリアそのもの。
ブラームスは、調性も同じくする第2交響曲と同じくペルチャッハで発想・書かれた曲。
ソリストと指揮者の個性が申し分なく発揮できるプログラムだと思いました。

激することなく神妙な雰囲気で始まったブラームス。
デゴのソロの入りもさほどに情熱的でなく一音一音を確かめるような慎重な雰囲気。
ブラームスの協奏曲に抱くイメージが違うと思う方がいるかもしれない。
わたしは、こうした柔和なブラームスは好き。
ヴィブラートをあまり効かせないのも好ましく、華美に傾くことがない。
ともかくデゴさんのヴァイオリンは音色が美しく繊細。
だから第2楽章が絶品で、見事なオーボエソロにも増して、楚々たるアリアのようなヴァイオリンの歌には聞惚れましたよ。
戻って1楽章ですが、カデンツァにブゾーニ編のものが使用され、そこではティンパニがドロロロ~ンと鳴り、背後で終始そのティンパニも静かに鳴り響くと言うヴァイオリンがまるで浮き上がってくるような効果をもたらすもので、実に面白く新鮮だった。
彼女のヴァイオリン協奏曲のCDもそのカデンツァが使われているようで、カップリングは珍しいそのブゾーニの協奏曲だ。
こうした知的なこだわりも彼女ならではなのだろう。
終楽章は明るく爽快に、ルスティオーニの開放的なオーケストラに導かれるように快活なるヴァイオリン。
こんなに爽やかで微笑みに満ちたブラームスの協奏曲は自分では初めてかもしれない。
 ついでにオジサン目線だけれども、演奏中のデゴさん、弾いてないときに空を見つめるような目線、ともに美しかった。
アンコールはお得意のバッハ。
技巧をひけらかすことのない真摯な、でも美しい演奏でした。
別日ではアンコール2曲やった様子ですが、この日は1曲。
翌日の札幌でのソロコンサート、翌々日は東京に戻り武蔵野市でまたソロと、ちょっとハードなスケジュールに合わせてのことだったかもしれません。

ルスティオーニはロシア物も得意にしていて、R・コルサコフでは「金鶏」がDVD化されているほか、チャイコフスキー、ラフマニノフなどもさかんに指揮してます。
明るく歌心にあふれ、ダイナミックな緩急に富んだスペイン奇想曲、めちゃくちゃ面白かった。
シェエラザードにも通じる異国情緒たっぷりの要素を、さすがルスティオーニは歌いまくって巧みにムード満点だし、コルサコフのオーケストレーションの巧さも5つの場面の描きわけの見事さで実によくわかりました。
水谷コンマスのソロを指揮者もオーケストラも楽しそうに聴き入り、そこからもうノリノリの雰囲気で一気呵成に情熱の爆発と開放を成したルスティオーニの指揮のうまさ!

この日の目玉、楽しみにしてた「祭」じゃ!
人員増強して、オルガン席にも奏者が陣取り始まりました金管の咆哮をともなう古代ローマの熱気あふれる世界観。
都響めちゃくちゃうまいし、音に濁りなし、ルスティオーニの整然とした棒さばき。
大振りはしないけれど、動きは多いし、ぴょんぴょん跳ねるし、左右に忙しく、顔の表情も豊か。
こんどは正面席で聴いてみたい。
 ローマを見出した巡礼者の祈りと歓喜での音楽の盛り上げも見事だったし、こうした変化を鮮やかに描き分ける才はオペラ指揮者ならではかもで、十月祭の夕暮ムードも素敵でセレナーデもうっとりしてしまう。
そして急転するムード転身もあざやかで、はちゃむちゃカーニバル状態の第4部の整然とした持って行き方もあざやか。
熱狂するローマ市民ばりに、ワタクシもワクワクが止まらず、ドキドキしてきた。
ずっと終わらないでカーニバルやってくれい、と思わずにはいられない魅惑の時は、無情にも過ぎつつ熱狂うずまくレスピーギ=ルスティオーニワールドはジャンジャンと終結!
思わず、ブラボーしちまった!

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最高じゃん、ルスティオーニ。
都響もノリがよくって、みんな楽しそうだった。
われわれ観衆もみんなニコニコで帰りました。

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後半のこうした音楽を指揮したらルスティオーニは無類に上手い指揮者だ。
本格的なシンフォニーとピットでの指揮を聴いてみたい。

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こんなパフォーマンスとオーケストラとやってくれる。

ミラノ生まれといえば、アバドと同郷。
しかし、育った頃はムーティ時代のミラノ。
いつしか、スカラ座の指揮者になって欲しい。
次は、ヴェルディとワーグナーを聴きます。

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2025年12月31日 (水)

東京交響楽団 特別演奏会「第九」2025 ノット指揮

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クリスマスシーズン後のサントリーホールは、新年を迎える華やかな装いになっていました。

東京交響楽団の第9の演奏会に行ってきました。

音楽監督就任12年の今年で、その契約もついに満了するジョナサン・ノット。
息のあったこの名コンビもいよいよ終了、そして秋山さん死去のあとを受けたジルヴェスターコンサートをのぞけば、この第9が最後の本格演奏会だし、最後の満員御礼のサントリーホールでした。

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  ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 op..125 「合唱付き」

       S :森田 麻央
       Ms:杉山 由紀
       T :村上 公太
       Br:河野 鉄平
     
     ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
           合唱指揮:三澤 洋史
           コンサートマスター:景山 昌太朗

       (2025.12.29 @サントリーホール)

第9を年末に聴かない自分ですので、実は10年ぶりぐらいの第9です。
若い頃は、N響でスウィトナーやシュタイン、新日の小澤の第9を聴いてましたが、いつしか年末はどこもかしこも・・という風になるので辟易としてしまい聴かなくなったのです。

しかし、この日こそ悔やんだことはありません。
ノットと東響の第9を初めて聴いて、これが毎年演奏されていたとは、との思いだったからです。
そして常にチャレンジングなノット監督だから、毎年のようにその解釈が違ったというのです。
さらには、これもノットの常で、2回ある演奏会はそのどちらもが違う演奏になるのですから。
このコンビの第9を毎年聴いていたら、毎年聴かなくては気が済まなくなるだろうし、それこそ1年を締めくくれない、そんな風になるんだろうな、と満場のホールのお客さんを見渡しながら思いました。
 そして多くがノット監督のことが好きで、別れを惜しむ思いもホールの雰囲気でひしひしと感じました。

今年のノットの第9は、オーケストラの人数を大幅に刈り込み室内オーケストラサイズにしました。
指折り数えたらオーケストラは53名、ソロ4名、合唱約80名の総勢137名。
木管・ホルンの幾多のソロや絡み合い、当時とすれば技巧の限りに書かれていて、それらが浮かび上がるようによく聴こえた。
人数少なめの弦楽器は透明感にあふれ、各奏者の音が突出してしまわないように、むしろ普段にもましてお互いよく聴き合い、切れ味抜群の集中力あふれる類まれなアンサンブルを聴かせてくれたようにも思う。
 オーケストラと合唱がほぼ対等に響き合い、お互いの音や声がとてもよく聴こえたその様子は会場で実際に聴かないとわからないものだ。
だから勢いで一気に爆発的なフィナーレに混然となってしまうことなく、音楽はむしろスコアに書いてある通りに着実に音楽的に快速クライマックスが築かれた。
ノットの指揮はたしかに慣れないとわかりにくいかもすいれないが、左手の表情付けが実にたくみで、指が少し動くとオーケストラの音が微妙に変わります。
それが実感できた演奏でもありました。

1楽章から早めのテンポでヴィブラートもほぼなしで、すいすいと曲は進行するが、ときに思わず歌わせたり、思わぬ表情をみせたりと以降の楽章も通じていろんな発見もあったりしてひとときたりとして気が抜けない。
こうした連続こそがいつものノットの音楽で、ライブ感ある自在さに東響もすっかりなじんでいるので、完璧についてゆく。

2楽章も基調は速めだけれど、中間部は少しテンポを落としてよく歌わせてみせた。
またティンパニの活躍する場面では、ティンパニの表情付けが巧みで、それがほかの楽器に流れて移っていくところが、指揮と楽員さん双方をよく見える席だったので、とても面白かった。
若き小澤さんは、この場面にとてもこだわり、ともかく細かく指示して指揮をしていたのをよく覚えている。

ヴィブラート少なめがいちばん功を奏したと思われたのが3楽章。
なんとピュアで透明感あふれる演奏なんだろうと何度も思いました。
テンポは速いけど、そんな風に感じさせないほどに流れがよく、かつよく歌う演奏。
ホルンの難所も見事に決ましたし、まったく素晴らしいホルンでした。
第9のなかで、歳を経ていちばん好きになってる第3楽章のこの快速で美しい演奏はアバドと並んでもっとも好きな演奏となりそうです。
レコーディングもされていたようなので、CD化も楽しみだ。

間髪入れず終楽章になだれ込むのも、まいどのノットスタイル。
テキパキとことは運んで、低弦による歓喜の歌ももったいぶらず、淡々と奏されながらもひとりひとるいがよく歌っている。
まるで聴衆に語り掛けるように仕草をしながら歌うバリトンの河野さん。
そして入ってきた合唱がこの日は素晴らしかった。
前回のマタイではやや混濁や言葉に疑問符があったが、この日の第九はすべてが完璧だし、言葉がすべて聴きとれるくらいに明瞭。
バスの力強さと、ソプラノの清澄さがとくに光りましたね。
三澤さんの指導のもと、さらにはやはり、ノット監督との別れと、この一瞬にかける思いが詰まった合唱でした。
 ずっと待っていたピッコロ女子がいつにも増して輝いていた行進曲と、爽快な声のお馴染みの村上さんがよかった。
女声のおふたりもオケと合唱に負けずとすばらしくよく通るお声でした。
そこから先は、もうノットの作りだす音楽の流れに完全に飲み込まれてしまい、あれよあれよという間に先のフィナーレを迎えた。

熱い拍手と歓声がすぐさま巻き起こりましたが、わたしはしばらく拍手ができず、あ、ついに終わってしまった、という思いで動きが止まってしまいました。

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いつものように少し撮影もさせていただき、拍手に応えて恒例だという「蛍の光」が始まりました。左右から合唱の一部が1階席に降りていって、そこからも歌います。
各々がブルー系のLEDランプを持ち、ステージは徐々に暗くなりました。
合唱はハミングにもなり、指揮するノットを見ていて、もう涙腺決壊。
「さようなら」は、「始まり」なのだ。

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ありがとうノットさん。

これだけ長く日本のオーケストラのポストを維持した外国人指揮者はなかった。
日本を愛し、日本のわれわれもノットさんを愛しましたね。

来年は都響や大フィルにも客演するようですが、名誉称号を得てまた東響の指揮台に帰ってきてください。

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アフターコンサートは、気の置けない音楽仲間と楽しく語らいました。

やっぱりみんな、「蛍の光」ではやられちゃったみたい。

よいお年を。

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2025年12月15日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 コリンズ指揮

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クリスマスも近づき、ますます雰囲気豊かなサントリーホール前、カラヤン広場。

この日はともかく気温も下がり寒かった。

でも熱気と若さあふれる演奏で、帰り道は頬が火照りましたよ。

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    東京交響楽団第737回 定期演奏会

  マルサリス  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  アルベニス  アストゥリアス(伝説)~アンコール

       Vn: 大谷 康子

  コープランド  交響曲第3番 

       ロス・ジェイミー・コリンズ指揮 東京交響楽団

       コンサートマスター:景山 昌太郎

          (2025.12.13 @サントリーホール)

大谷康子デビュー50周年記念の定期演奏会。
そして本来なら秋山和慶さんが指揮する予定だったが、年明けの驚きの訃報・・

長く東響のコンサートマスターを務めた大谷さんが、今年各オケでいろんな協奏曲を弾いてきたなか、もっともチャンレンジングな作品がマルサリスでありましょう。
親愛を込めて大谷姐さんと呼びたくなるくらいに明るくチャーミングな彼女、コンマス席以外では、だいぶ以前にメンデルスゾーンを聴いて以来だし、新潟の遠征で地元のCDショップで偶然にお会いし、ちょっとだけ会話したことがあります。
あと大谷さんは柴犬が大好きとのことで、いつも見ていたyoutubeの「柴犬小春」というネット番組に突然登場して超絶驚いたものです!

そんな親しみあふれる大谷さんのマルサリス作品。
ジャズのイディオムと正当クラシック様式との融合。
大好きなニコラ・ベネデッティ(ニッキー)のために書かれ、そのCDは昨年に何度も繰り返し聴きブログ記事にも残しました。
本日のプログラムを演奏開始前直前にさらりと読んだら目が点に。
そのニッキーがマルサリスと結婚していて、子供まで授かったとのことが書かれていた。
ファンのワタクシとしては、そのことに驚き、真っ赤なドレスの大谷さんが登場して静かに曲を弾き始めても、ちょっと上の空だったのです・・・
でも、安心してください。
こんなナイスな音楽を作るミュージシャンと、さらなるコラボレーションが期待できるじゃないか、と思いを新たに眼前の演奏に聴き入るのでした。

1楽章の平安感じるおおらかなメロディを麗しく聴かせてくれた大谷さん、ほんといいメロディだなぁと思いましたね。
この楽章の終わりに、終楽章の前触れがあり、期待が高まる。
2楽章でオケがかもし出す多様な世界、東響の打楽器陣の切れ味のよさ、喧騒がヴァイオリンソロの音を打ち消すことなくコリンズ君も巧みにコントロール。
長い超絶的なカデンツァも聴きごたえあり、相伴したドラムも実に素晴らしかった。
前章から流れるように続く3楽章ではさらにブルーな雰囲気のジャズっぽくなるし、木管などの合いの手の巧みなもので感心することしきり。
静かに憂いを含んで3章が終わると一転して誰しもウキウキしちゃう4楽章。
楽員さんの多くが足を踏み鳴らし、手の空いた方は手拍子もしつつ、大谷姐さんは楽員さんたちとの競演を楽しそうに、しかも超絶パッセージをものともせず弾きまくる。
フィドル奏法もここでは極まれり、憂愁もそこにはさしはさんで多様な奏法、さまざまな音色に表情が続出。
あー、楽し~い、と思いつつヴァイオリンソロといろんなことやってるオーケストラの皆さん、ノリノリのコリンズ君などを見比べておりましたよ。
そしてラストのフェイドアウトシーンは、舞台袖に去っていくかと思っていたら、なんと弾きながら音も弱めつつステージを降りてこっちへ向かってくるじゃありませんか!
ワタクシのほぼ3列前ぐらいまでいらして、ヴァイオリンの音は再弱音となり静かに曲を閉じました。

面白かった!
いつまでもチャレンジ精神を失わない若さと、持ち前のあかるさが、マルサリスのナイスな作品にピッタリとはまりました。
オーケストラとも顔を見合わせながら旧知の仲良しぶりがわかり、ステージに戻るときにベテランの田尻さんが、さりげなく手を差し出していたのも微笑ましかった(コリンズ君も手をのばしたが、大谷さんは田尻さんに手を添えました)。
アンコールのアルベニス作品をヴァイオリンで聴くの始めてかもですが、スペイン臭満載の異国情緒味わえる、これまた超絶技巧の作品であり、すてきな演奏でした。

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イギリス生まれ、フィンランド育ちというコリンズは2001年生れの24歳の新鋭。
NDRフィルの副指揮者の任にありレパートリー拡充中で、すでにおおくの欧米オケを指揮しているし、ピアノにも長け、バリトンの声も持っているとういう多彩な才人だし、さりげないピアスもお洒落なイケメン君です。
 コープランドの大作第3交響曲は、シリアスであると同時に、やはり交響曲の常套を踏んだ勝利宣言を最後に持つ本格交響曲だと思う。
打楽器多数、ハープも2台に、ピアノも加わるフルスペックの大編成。
懐かしさ漂う曲の出だしから、前のマルサリス作品とはまったく違うアメリカの草原や広大な自然の景色が見えてきた。
コリンズ氏、なかなかスッキリと雑味なくオケを鳴らすし、耳のいい指揮者だなと曲が盛り上がりをみせつつ進行するなか思いました。
2楽章の無窮動的なスケルツォは、大編成のオケがいろんなことをやっていて楽しかった。
ピッコロ2本というのも初めて見たし、打楽器も大活躍だ。
コリンズ君もリズム感いいし、中間部の牧歌的な運びもうまく対比が出てたし。
一転、深刻なムードに包まれる3楽章、とりとめない曲の運びに、いつあのファンファーレの兆しが出てくるのかと心待ちにしていた自分。
しかしそこに至るまでが案外と長いし、コープランドらしい弾むような中間部も楽しめた自分。
この楽章がもう少しアパラチアの春的な抒情味にあふれていたら、作品としてもっとわかりやすく有名になっていたかも・・・なんて思った。
そしてあのファンファーレが始まり、ブラスが輝かしく鳴り響き、ティンパニがかっこよく決め、ドラが響き渡る。
この解放感は気持ちがいいし、キターって感じだったし、東響は冴えまくってた。
テンポを上げて弦楽器が駆け巡り、さらに目まぐるしい展開が続き、コリンズ君も右に左にと忙しくしてる。
ピッコロの爽快なる活躍を経て、徐々にあのファンファーレ主題を用いて盛り上がってゆくさまは壮観であり、興奮と快感を呼び覚ますものであった。
もう、コリンズ君も東響のみんなも、カッチョええーぞ、と思いつつ大エンディングとなりましたよ。

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大きなブラボーに包まれました。
もちろん、曲が終結して、しばしの間ののちに。
わたくしも、一声、参加いたしました。

またどこかで聴いてみたいと思わせるコリンズ氏。
世界のどこかのポストに就くかもしれず、楽しみです。

Collins

しかし、プログラムのせいなのか、代役が無名だったからなのか、年末の土曜のせいか、お客さんは少なめでした。
定期としては1度限りのものだったし、なんといっても大谷康子さんのマルサリスが聴けるという貴重なコンサートだったのに。
私は、超絶、楽しみましたよ!

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過去記事「マルサリス ヴァイオリン協奏曲」

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2025年12月 4日 (木)

群馬交響楽団創立80周年 マーラー 千人の交響曲

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前から訪問してみたかった高崎芸術劇場。
駅からベストリアンデッキでつながり5分の好立地。
木質の響きのする音の溶け合いの実によいホールだと思いました。

群馬交響楽団の創立80周年を記念する演奏会。

8つながりはあるにしても、祝祭的な演目としては、いまやダントツの人気曲「千人の交響曲」。
近年、演奏機会が増えてますが、私はこれが5度目です。
初回は1985年のコシュラーと都響の創立20周年記念演奏会で、いまだに鮮明に覚えてますが、まさに1000人が文化会館のステージにギッシリ立ち並びました。

あれから40年。
自分も歳をとったし、その間のマーラーの音楽の受容は完全浸透し、日本のどこかで日々演奏されるようになりました。
ノット&東響の第9の残影がまだ耳に残るなか、高崎に向かいました。

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        群馬交響楽団 80周年記念特別演奏会

 菅野 祐悟 「祝祭」 (群響委嘱 世界初演)

 マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 「千人の交響曲」

 S、罪深き女:小林 沙羅      S、贖罪の女:森谷 真理
 S、栄光の聖母:森野 美咲     Ms、サマリアの女:富岡 明子
 Ms、エジプトのマリア:十合 翔子   T、マリア崇拝の博士:宮里 直樹
 Br、法悦の神父:青山 貴       Bs、瞑想の神父:久保 和範

          飯森 範親 指揮 群馬交響楽団
             オーケストラ・アンサンブル金沢(共演)
              群馬交響楽団合唱団
              藤岡市立小野小学校 児童合唱団
        合唱指揮:阿部 純

        コンサートマスター:伊藤 文乃
            
            (2025.11.30 @高崎芸術劇場)

ガラス張りのロビーの遠景には赤城山(たぶん)などの山々が見渡せる、雰囲気豊かなホールに着いたときは、たくさんの花籠と多くの市民・県民の皆様で賑わってました。

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最初に演奏されたのは10分ほどの実に美しく、雰囲気豊かな作品。
作者の菅野氏は、アニメ、大河、シネマ、CM、さらには交響曲や協奏曲なども作曲しているマルチな方で、恥ずかしながら初めて聴くお名前とその作品ということになりました。
 プログラムにはご本人の思いと解説が綴られておりましたが、私の受けた印象はご本人の意図の通りに、祝祭という言葉の持つ晴れやかさはなく、何かが生まれさざめきにつながる様子や、森のささやき、遠くに響く祭りの様子など、どこかわれわれ日本人の心にある懐かしい心象風景のように感じました。
ステキな音楽、もう一度聴いてみたいな。

20分の休憩後、合唱の皆さんが続々と入場し、ホールの空気感も期待とワクワク感が高まります。
そして飯森さんの指揮棒が振り下ろされ、やや控えめなオルガンに続いて合唱が「Ve-ni」と第一声を上げる!
雑味のない大音響が見事に決まった。
定評ある7人のソロ歌手たちは、指揮者の前で歌い、合唱とオーケストラに埋もれることなく、見事な歌唱。
しかし、聴き進むうちに、合唱の声が団子状態に感じられ言葉も明瞭度不足。
でも、そのようなことはもういいや、と思い、この晴れやかな千人交響曲の1部を気持ちよく聴いた。
ひとつ言いえば、合唱は人数をもう少し刈り込んでしまってもよかったのかと。
賑々しさが近時やや苦手となってきた1部ですが、でも実演での大音響を心置きなく楽しめるのはよいこと。

この記念碑的な膨大な作品に果敢に挑み、加えて楽団の創立の周年記念を祝うと言うモニュメンタルな場に対し、このステージに立つすべての人、とくに合唱と少年少女たちは練習と努力を重ねてきたであろう。
こうした場に立てることへのうらやましさ、そして音楽行為への思いの清さ、私は最大限に評価したいと思います。
なんたって、ぐうたらな自分には絶対に出来ないんですから。

千人交響曲の核心はファウストに素材を求めた3つの部に細分される第2部にあり、いつも感動しっぱなしとなる。
緩徐楽章的なアダージョの精妙で神秘的な音楽は多くの人がステージに乗っているにもかかわらず、低弦にピチカート、荒涼とした雰囲気の木管など、実によく分離して耳に届いた。
このあたりがこのホールの音の良さ。
静けさの中でささやくように歌う合唱もここでは格段によかった。
そのあとホルンに導かれ、(そのホルンは、この日はすべてにわたって素晴らしくブリリアントだった)、感極まったバリトン独唱が入ってくるが、ここでも私は鳥肌。
この法悦の神父と深奥なる神父のふたりの歌が大好きなんです。
いつも聴いてる青山さんの気合の入った歌は素晴らしかったが、ベテランの久保さんはちょっと厳しかった。
これまでのライブ経験でも、この歌は激するオケに埋没してしまうケースが高かった。
飯森さんは、オケを抑える指揮ぶりをしたものの、難しいものである。
久保さんは、若杉弘の指揮した「ダナエの愛」でのユピテル役を聴いて以来、幾度となく接してきたバスバリトンですし、藤沢の千人では、法悦の神父の方を歌っていましたことも懐かしい思い出です。

第2の場面、天上から舞い降りるような無垢の児童合唱、女声合唱も素敵だった。
富岡さんの深みのあるメゾに次いで、
主役ともいうべきテノールの宮里さんがすくっと立ち上がり歌い始めると、恍惚としつつもハリのある声による高域も見事に決まり引き締まった。
さらに進んで、オルガンとハープにのったヴァイオリンの極めて美しい旋律が、とても繊細に優しく演奏され、ここで私は涙ぐんだ。
泣けた!
マーラーの8番のいいところはこうしたところにあり、巨大なサウンドばかりじゃないんだ。
飯森&群響は、こうした静かな場所やちょっとしたチェレスタやピアノを含んだ近未来的な音のシーンを丁寧に優しく演奏していて際立っていたと思う。

小林さん、富岡さん、十合さんと、S→MS→MSと続いてゆくそれぞれの歌唱、声の違いを聴き分け楽しめたのも目視できるライブならでは。
罪を重ねた聖書上の女性たち3人の重唱では、その抜群のハーモニー、声の溶け合いも堪能、木管も愉悦に満ちてました。
そこにヒロインともいえるグレートヒェンの森谷さんが歌い継ぎ、児童合唱を交え透明感を増しながら音楽は進んでゆくし、マンドリンも晴朗な雰囲気。
マンドリンはマーラーでは欠かせない青山さんのお姿をしっかり確認してます。
そして左手奥に聖母の清らかな歌、森野さん、最高にステキだった!

テノールのマリアを讃える学者が「Blicket auf」と入ってくるが、ほかにも記したが、ここはワーグナーのオペラのヘルデン役のソロにも匹敵するくらいに好きだし夢中になってしまう歌で、宮里さんヒロイックになりすぎずに抒情味も出しつつ素晴らしかった。
ジワジワと来るその後の展開。
今回、超集中して聴いていたが、のちのシュレーカーやツェムリンスキー、コルンゴルトにも通じる美的かつヒンヤリしたものを感じ取り、鳥肌物で感動し、そして「神秘の合唱」を迎えた。
もうワナワナしてきて、目頭が熱くなる。
ふたりのソプラノがお互いに聴き合いながら、高まりゆく雰囲気に花を添えるような歌声を聴かせ、ついに全ソロ、全合唱による渾身のフィナーレとなり、バンダも加わり輝かしく、眩しい、壮麗なるラストとなったのでした。

もちろんブラボー一声献上!

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わかっちゃいたけど、めちゃくちゃ感動したし、気分の高揚することいちじるしい。
マーラーのこの壮大な音楽は、7番までの作品と違った、ある意味客観性のある音楽なのではないかと思った。
没頭感でなく、曲と必死に格闘しながらも、存外に冷静にコントロールできていた演奏ではなかったかと。
その意味で、熱量と鋭い切り込み具合はやや弱めだったかもしれない。

しかし、なによりも群響の記念碑的な演奏会にこのオーケストラを愛する地元のみなさまとともに立ち会えたことが、なによりも嬉しくありがたかった。

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群響のプログラムは興味深いものばかりで、また聴きに行きたいものです。

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高崎は江戸っ子だった伯父が、仕事のために家族とともに移住し、長く住んだ町。
わたしも何度も訪問しましたが、無類の猫好きだったので、家にはたくさんの猫がいました。
仕事を手伝っていた従姉が急逝し、そのあとすぐに伯父も亡くなり、伯母も数年前に去ってしまいました。
いまでは観音様の麓にあるお墓にお詣りをすることでしか高崎には来なくなりました。

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劇場とは反対側の駅前ではステキなイルミネーション。

若い人たちがたくさん、活気ある町ですね。

ほんとは食事でもして帰りたかったけれど、そうもいかず、取り急ぎ登利平の鳥めし弁当を買って帰りました。

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2025年11月24日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マーラー 第9

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18時開演の演奏会、家を出るときはまだ明るいけれど、17時前にはもう暗い。

街はイルミネーションが灯り、クリスマスシーズンの到来を告げてます。

そんななか、ジョナサン・ノット音楽監督最後の東響定期演奏会でした。

万感迫る思いをいだきつつホールの前に立つわたくし。

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   東京交響楽団 第736回 定期演奏会

       武満 徹  セレモニアル~秋の頌歌

       笙:宮田 まゆみ

  マーラー  交響曲第9番 ニ長調

    ジョナサン・ノット指揮  東京交響楽団

      コンサートマスター:小林 壱成

        (2025.11.22 @サントリーホール)

2014年4月、ジョナサン・ノットが東京交響楽団の音楽監督となったときの就任記念演奏会のプログラムが、今宵の2曲。
音楽監督の任期最後のシーズンの自身の最終定期演奏会のプログラムにも選ばれ、終わりは始まりともいえる見事な円環の完結をなす生涯忘れえぬほどの感銘をもたらす一夜となったのです。

武満作品のセレモニアルは、案外と多く聴いていて、98年と07年にプレヴィンとN響、そして06年にノットとバンベルク響で聴いている。
もちろん、それらのときもすべて宮田まゆみさんの笙でした。
バンベルクのときのプログラムは、セレモニアルに次いで「未完成」で遅めに30分かけた演奏。
後半はベートーヴェン7番で爆発的な演奏、ということで静と動を際立たせたプログラムであり演奏でったと記憶する(ブログあり)
アンコールがリゲティのルーマニア協奏曲という、これまたノットらしい刺激的なコンサートだった。

典礼楽とも呼ぶべき静謐な空間の支配する音楽、セレモニアル。
笙はオーケストラと並ばずに、P席の最上段で演奏し、左右・後方と三方にフルートとオーボエを対にしたペアを配置。
まさに、こだまのように音がどこからともなく響き合う様は空間の音楽でもあり、それはまさに日本のいま去り行く秋を思わせるもの。
宮田さんを聴く4度目、日本人だからわかるわれわれ体内にある音、それが10分間だけれども精妙極まりないノットと東響の響きとともに、とても心地よく聴いたのです。

休憩を入れずに、楽員の補充の間を置いて、ほどなくマーラー。

この日のために、「大地の歌」を何度も聴き、そのあと手持ちの「第9」も連日聴いてきた。
いままさに血肉と化したこの大作、いよいよ始まると思うと緊張でがんじがらめとなり、どこもかしこも聴き知ったように聴きつつも、最初から最後まで一音も逃すまいと体もこわばりカチンコチンだった。

ノットが事前に曲目解説を動画にて行っていて、そこで語っていた「あらゆる感情が表出、共有されています」。
まさにその言葉通り、この第9には、自身のこれまでの作品やほかの偉大な作品などからの引用もあったりで、それらがそうとわからなように、緻密なモザイクのように組み込まれ編まれているが、ノットの演奏はそれらを意識して聴くことで、それらがとても意味を持って奏されているように感じる。
実際に聴いたあとに、ネット配信されたミューザの演奏も何度も聴くことでそのように思うようになった。
ただ指揮者の思いや狙いがオーケストラにさらに如実に反映されるまで、あと何度かやったらと、。。願わぬ思いも抱いたりもしている。

 穏やかに始まる1楽章から美しさの極みだった。
ゆったりめのテンポで終始した1楽章は、その後のふたつの楽章との対比のうえでも効果的。
事前に何度も聴きまくっていたので、序奏から即刻うるうる、第2ヴァイオリンの第1主題でもはや涙ぐむという始末。
しかし、その後はもうそんな緩徐移入はなく、冷静にこの壮麗ともとれる1楽章を聴くことができた。
武満の世界から続く虚空感はここにも感じ、ウェーベルンの音楽も夢想することができた。
終楽章とともに、沈着に聴くことが望ましいと感じた次第だ。

レントラーの2楽章、ノット監督のリズム感の良さの光る演奏で揺れ動くグロテスク感も巧みに表出されていて、この奇矯なる舞踏の音楽をかくも面白く、そして眼前で展開する奏者と指揮姿の視覚的な要素も加わりともかく楽しんだ楽章。

快速で飛ばしまくった3楽章ロンド・ブルレスケの疾走感は、まさにノットならではで、東響もピタリと一糸乱れずについて行く。
飛ばしながらもあらゆるものがポンポン出てくるこの楽章をここまで明確に捉えることが出来たのも目視できるライブゆえかもしれないが、指揮者とオケの緊密さゆえだろう。
中間部のニ長調の抒情と平安のか所は、それはもう美しくも神々しく感じられたが、それは終末でないというこの演奏の在り方の先駆けだったのだろうか。
そんなこんなで熱狂と挑戦ともいえる楽章の終わりはアクセル全開、オケも聴衆も夢中だった。

ほんの少しの間で、サクっと始めたアダージョ4楽章。
ここへきて、もうダメだ、ヴァイオリンの主題が万感の調べを奏するとき涙腺が決壊しそうだった。
ここでもともかく美しく、音楽は慟哭することなく沈着に演奏することで、その持つ意味合いが自然と浮かび上がってくるという、そんな感じだった。
弦楽器主体に何度も繰り返される変奏曲的な仕組みが、その繰り返しとともに知らないうちに、さりげない別れへと誘われてゆく、そんな儚い旅路をこの楽章を通じて、そしてひるがえって1楽章の冒頭に遡るかのように始まりをも期待させるような演奏。
122小節目の弦による強く引き伸ばされるシーン、ノット監督のうなり声もマックスに。
その後の「控えめ・・・」という書き込みの通りに、そこから始まる静寂の描き方、会場も緊張が張り詰め、だれしも身じろぎできず固唾をのむ。
自分の育った家から見える夕焼けシーンと沈みゆく太陽のわずかな光、それが消えてゆく残像をいつも思いながら聴く。
そんな思いがピタリとあてはまる幽玄なるラストシーンだった。

指揮者も奏者もみんな止まった、聴衆も動けない、時間も停止したように感じられ、もうこのままでいいやとも思った。

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いくつかの瑕疵もあったものの、そんなことはもうどうでもいい。
東響のこの演奏にかける感情が随所に見て取れ、指揮者を見る眼差しの真剣さと刹那感も感じ取れた。
首席奏者たちのあまりに素晴らしいソロの数々は、ここではいちいち触れません。
まだ完成形でない、この先ももしかしたらもっと違う世界があるとも思わせる指揮者とオーケストラの関係。
それが別れの美しい姿ではないかとも思った。

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マーラーの第9への畏怖の思いを抱いて半世紀。
1970年のバーンスタインとニューヨークフィルの来日公演でこの作品が取り上げられ、真夏での真っ白いタキシード姿での演奏シーンをレコ芸で見てから、そして吉田秀和さんの論評を読んだ時からずっと気になっていた小学生の自分。
中学生になり、音のカタログで一部、念願の全曲を聴いたのがFM放送。
ずっと特別な作品であり続けた「マーラーの第9」。
いくつもの演奏会も経験したが、忘れえぬバーンスタインとイスラエルフィルの演奏から今年は40年。
その年に、モニュメンタルな感情も加味しても素晴らしい演奏に接することができた。

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ノットと東京交響楽団のコンビに感謝です。

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終演後の盛大なコールには、ありがとう!ノット監督の手ぬぐいを掲げた楽員のみなさんも登場し、会場全員でノット監督を讃えました!

ワタクシもてぬぐい購入しましたよ。

来年は都響に客演しケフェレックとの共演やブルックナーなどが予定されてます。

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2025年10月21日 (火)

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 沼尻指揮 ブルックナー8番

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この日のみなとみらいは、秋はどこいったかと思わせるような陽気。

ブルックナーの8番、一曲のプログラム

昨年暮れから、8番は3度目で、うち2回は初稿版による演奏で、今回は一般的なノヴァーク版2稿。

満員のみなとみらいホール、開演前に沼尻マエストロから、プレトーク。

終わりの方しか聴けなかったが、マイクが林立していて、今夜の演奏はCD化されると発表。
ゆえに携帯とかチラシ落としなどにご注意を、また昨今話題のフライングブラーボーも、ご自身の証として残したいと思っても、そこはいまはちゃんと消せるし、最後の「ミレド」はちゃんとゲネプロで収録しているので安心してください、とユーモアたっぷりに語りました。
これを抑止力としてか、最後の音が消えても、しばらくホールは静寂につつまれ、ほんとうに至福の瞬間を味わうことができたのでした。

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 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 シリーズ第408回

  ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 (ノヴァーク版第2稿)

    沼尻 竜典 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団


      コンサートマスター:石田 泰尚

          (2025.10.18 @みなとみらいホール)

8番を聴くとなると、レコード時代から、いまでもCDでも、特にライブでは、ほんとに真剣に構えるようにして聴き入る自分。
それだけ聴き手に緊張と集中を強いるブルックナーの最高傑作であり、交響曲としても最高峰に位置する作品であります。

ですが、そんな肩ひじはって聴かなくても・・・と思わせてくれるくらいに自然でさりげなく始まり展開した1楽章。
自分でかける呪縛が馬鹿らしく思えるほどにカジュアルな演奏とも思った。
すんなり、すいすいと進行し、タメや思い入れはなし、自分がよく聴いてきたブル8と一線を画した演奏に、正直とまどいましたね。
その印象のまま2楽章になり、野人どころか、スマートな「ハマのブルックナー」じゃん、と思うようになった。
だから、トリオの部分はとても美しく夢見るような印象を与えた。
ここまで、オーケストラの精度は完璧で、金管やホルン・ワーグナーチューバのセクションも明るく、でもソフトですらあった。

後半の長大なふたつの楽章。
基本の印象は、前半のままに、しかし3楽章の弦楽器主体に重きを置いたかのような演奏に、神奈川フィルの石田組長率いる弦楽セクションの繊細かつ美音の連続に、それはもう恍惚とするような感動を味わったのです。
ここで歌わせる指揮者、沼尻の意図もあり、弦も木管も、素敵すぎたホルンも、みんな気持ちよくブルックナーの音楽に心を合わせて奏でている。
テンポは速めだが、まんべんなく歌うので、停滞感なくその速さを感じない。
なんてブルックナーの音楽は美しいんだろ、聴いてて何度も何度も思った。
徐々に高まりゆく感興も自然体で、ずっと譜面の奥に頭だけが見えていたふたりの打楽器奏者がすっと立ち上がり、そして来ましたよ、あの頂点。
痺れるような感動というよりも、自然のながれで達した頂きに、さわやかで清らかな感動を味わいました。
その後の美しいコーダに清涼感を感じるのもこの日の沼尻&かなフィルの演奏ならではだった。

終楽章の勇壮なファンファーレも明るく、そしてフレッシュだ。
ホルンとワーグナーチューバの若いメンバーたち、ともかくうまいし、その輝かしい音色が心地よい。
ワタシの大好きなフルートに始まる木管の爽やかなパッセージも素敵だったが、実はもっとじんわりとやって欲しかった思いもある。
ともかく、この演奏は、こちらがこの作品に思い込んでるものをスルーして違う方向から見せてしまうような印象が随所にあったのだ。
ヨーロッパの山々や教会の尖塔、これらを思わせるブルックナーのイメージはここではない。
スマートかつしなやかな都会的なブルックナーの演奏。
でも神奈川県には海と丹沢山麓がある、それらを遠くに見渡す都会、そんな演奏といったら笑われるかもしれない。
随所にパワーを解放するような強奏はあるけれど、オペラの手練れである指揮者は巧みに最終の巨大なコーダへと導く。
すべてを収斂するかのような明るく輝かしい結末に感じた。
そして最後のミ・レ・ドを思いを込めてじっくりと奏し、曲を閉じると、長い静寂にホールは包まれました。

プレトークの抑止力が効いたのか、われわれは素晴らしい聴衆となりました。
鳴りやまぬ拍手に応え、最後は沼尻さん、石田コンマスを引き連れてカーテンコールににこやかに応じておりました。

幸せな気分にさせてくれた演奏。
ヴァントやハイティンクなどの実演で聴いてきたこの8番、次元の異なる演奏を展開してみせたある意味大胆さ。
どこのオーケストラも同じように巧くなり、個性も均一化するなか、みなとみらいホールで育まれてきた神奈川フィルはユニークな音色と響きを持つ存在だと思います。
薄味ながら、わたくしは、こんな和風テイストの「ハマのワーグナー」もいいじゃんよ、と思ったのでした。
これもありだな。

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こちらは「ハマの番長」

横浜DeNAを5年間率いてきた三浦監督も今年で退任。
大洋ホエールズ時代からずっと横浜ファンなので、横浜ひとすじを貫いてくれた三浦大輔はとても親しくも得難い存在だった。
きしくも同じ奈良県出身の高市総理大臣が誕生した今日、橿原市にゆかりがあるのも共通しているふたり。
でも高市総理は熱烈な阪神ファンなんだよね。
三浦はFA宣言のとき、阪神から熱烈コールを受けたけれど、横浜一筋を選んだ。

音楽には関係ないけれど、横浜つながりで「ハマの番長ありがとう」で締めてみました。

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2025年10月13日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 マルッキ指揮

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急に涼しくなった土曜日のサントリーホール。

もう半袖ではとうてい無理で、ジャケットを羽織って向かいました。

2週間前にここでマタイを聴いたときは、まだ暑いと言っていたのに季節は急速に秋に向かいました。

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    東京交響楽団 第735回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

   スザンナ・マルッキ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

        (2025.10.11 @サントリーホール)

まったく性格のことなる二つの作品によるプログラムだが、案外と多いこの2曲によるコンサート。
古い自分には、かつて晩年のマルケヴィッチが日本フィルに来たときにやったように記憶している。

マタイ受難曲から田園までは81年、田園からハルサイまでは105年、バッハからストラヴィンスキーまで200年の年月の隔たりのある音楽を、2週間のうちに同じオケ同じ席で聴く妙味。
ハルサイは100年前の音楽なんだな、とも今更ながらに思った。
演奏するオーケストラのみなさんは、まさにプロだなと感心しつつ、いまも変化しつつある西洋音楽の流れを思ったものでして、未来にいまのゲンダイの音楽はどう聴かれるのか・・・などとも思いましたね。

さて、フィンランドの指揮者マルッキは、長く務めたヘルシンキフィルの名誉指揮者となっており、いっときは次のニューヨークフィルの指揮者とも言われた実力派。
自国ものと、近現代音楽に強みを持つ彼女の指揮は、おもに海外のネット配信で多く聴いてきたが、ヘルシンキとのシベリウスもさることながら「グレの歌」での濃密な大作を明快に聴かせる手腕に感心をしていました。

シベリウスの1番あたりを聴きたい気もなくはなかったが、「田園」の出だしを聴いた途端に、北欧の風を感じたのです。
一瞬、音と響きが薄く感じられ清冽な風が吹いたようにも思ったが、それが徐々に瑞々しくなり、弦楽のしなやかな美しさにステキな管楽器が唱和する、えもいわれぬ幸福感を1楽章、2楽章で味わうこととなりました。
ベーレンライター版を重視し、セカセカしてしまう田園でなく、昔から聞き馴染んできた僕らの田園がここにあった。
リズム感抜群の3楽章、ティンパニのハリのいい強打がアクセントとなった4楽章、そして誰しもを安堵させ、幸せにしてしまう感動的な終楽章。
東響のみなさんも、ほんと気持ちよさそうに演奏してた。
45分をかけた真摯で丁寧な田園、こんな田園を聴きたかった。
最後の音が鳴り終わったあとのしばしの間もありがたかった。

気分よくロビーにでると、ここは北欧か、欧米か・・・
フィンランド大使館が後援についてることもあり、背の高いいかにも北欧の方風の人が多くいらっしゃいました。

ノット監督のもと、築き上げられてきた東響の鉄壁のアンサンブルと技量に感じ入ることのできた「春の祭典」
存外に冷静沈着に始まり、その流れで淡々と進行した春の兆しは、スピード感よりは的確で確実な音楽の歩みのなかにあった。
マルッキさんの拍子は完璧で、うしろからも素人の自分がみていてもとても判然とわかりやすく、ノット監督の指揮に慣れた東響とすれば、まさにやすやすと着いていきやすい指揮だったろう。
第1部は総じて安全運転のように感じつつも要所要所で切れ味の良さと、立ち上がりの良さ、音楽の変わり身をずばりと決めてゆく心地よさがあった。
マルッキさんの躍動する指揮にあわせて、腰のあたりのお洒落なスカーフが舞い踊るのも実にステキだった

第2部での神秘感あふれる序奏とヴィオラの重奏、アルトフルートの妙技など、こんなに真剣に聴いた自分もありましたが、これらのか所に美しさを見出すことができたのも精度の高い今宵の演奏あってのもの。
そして来ました、11連打!
ここから猛然とアクセル全開、ものすごいスピード感と音圧、オケも夢中、われわれ聴き手も夢中になってしまうマルッキハルサイ。
ホルン陣のベルアップを見るだけでも興奮のワタクシ。
基本、マルッキさんの指揮棒を見つつも、オケの皆さんをそれぞれにみまわし、忙しいよ自分。
スピード感と緊張感を保ったまま生贄の踊りに突入。
巨大なうねりが何度も襲い来る、息つく間もないドラマテックな展開に熱狂の渦を巧みに作り上げる指揮者の実力とオケの力量。
最後の一音の前の一瞬の間も実に見事。
最終音のあとのホールの余韻も含めて完璧だった。

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カーテンコールでは、マルッキさんを盛大な拍手で呼び出し、にこやかにお応えでした。

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実力派指揮者マルッキ、来シーズンは都響に客演して、得意中の得意曲「青髭公の城」をやります。

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1週間後には、こんどはハマのブルックナー。

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2025年10月 1日 (水)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マタイ受難曲

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サントリーホールのお隣にある霊南坂教会のステンドグラス。

待ちに待った、ノットと東京交響楽団の「マタイ受難曲」

開演に先立ち、教会に立ち寄りました。

次の日、日曜の礼拝にそなえてオルガンを練習する音色も聴かれまして、おそらくバッハのコラールでしょうか

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  東京交響楽団 第734回 定期演奏会

       バッハ マタイ受難曲 BWV244

    エヴァンゲリスト:ヴェルナー・ギューラ
    イエス:ミヒャエル・ナジ
    ソプラノ:カタリナ・コンラディ
    メゾ・ソプラノ:アンナ・ルチア・リヒター
    テノール:櫻田 亮
    バリトン:萩原 潤
    バス  :加藤 宏隆

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
              東響コーラス
              東京少年少女合唱団

      合唱指揮:三浦 洋史
      ヴィオラ・ダ・ガンバ:福澤 宏
      児童合唱指揮:長谷川 久恵
      コンサートマスターⅠ:小林 壱成
      コンサートマスターⅡ:景山 昌太朗

        (2025.9.27 @サントリーホール)    

コンサートホールでのマタイ受難曲。
まさにコンサートスタイルでの現代楽器による演奏スタイルとしては最高峰に位する名演奏でした。
あらゆる演奏スタイルを受容するバッハの音楽、そのどれもがまさにバッハであり、バッハの音楽の懐の深さたる由縁であります。
クラシック聴き始めのころ、ジャック・ルーシェなどのジャズの領域におけるバッハ演奏に、ものすごく反発を覚えた自分です。
しかし、いまやそんなことは乗り越えて、正式にバッハを演奏するにしても、その奏法はあらゆる方法があり、そのどれもがバッハなのであります。

サイモン・ラトルばりに、古楽奏法を意識したスピーディかつ切り詰めた表現をするかと思った。
しかし、そんな予想はまりきり外れ、このサントリーホールでの指揮が自身初のマタイとのノットのすごさを今回も思い知るところろなった。

ふたつのオーケストラを左右に配し、総勢は50名ほど。
合唱は東響コーラスがフルスペックで100名以上に、少年少女合唱団。
ここからしてすでに予想は外れ、ソリストと、いつものにこやかなノットの登場するところとなった。

そして全霊を込めた指揮に導かれて鳴りだした音楽は、ヴィブラートをほぼ抑えながらも、じつに豊かで壮麗なもので、そのテンポ感もゆったりめだった。
この予想外の展開に、一瞬そうきたか、と思ったものの、数秒でもう涙腺を刺激されてしまうほどに真実の響きがあった。
いつもの暗譜での東響コーラスも切実なる歌を聴かせて、さらに加わる清澄な少年少女合唱団にも心動かされた。
 このあといくつもあるコラールは、客観性を持たせつつも、その前後の局面でのイエスの置かれた状況への感情移入を絶妙に変えてみせたように、多面的な表現もプラスされていたと思う。
ただ多くの方が感じたかもしれないが、人数がちょっと多すぎて、コラールでは音の輪郭や核心がぼやけてしまったかもしれない。
あと、子音のアクセントが効きすぎて聴こえたことも指摘しておきたい。
でも、この人数での合唱は、コラール以外の群衆の集団や心理などで、実に有効だったし、そのあたりがノットの狙いでもあったものと思う。

私は聴きながら、何度も涙ぐみ、感動のあまりに心が揺さぶられ、手も組み合わせつつ聴き進んだが、この演奏はリヒターのあの峻厳な演奏を現代によみがえらせ、もっと柔和に血の通った人間ドラマにしたものではないかとも思った。
第1部の最後の合唱における優しい響きはいかばかりだったろうか。
第2部に入ると、ノットの指揮の集中度はさらに高まりつつ、東響のソリストたちの素晴らしさも手伝い、音楽の美しさを掘り下げるようで、アリアの数々は本当に美しくてどこまでも続いて欲しいとその都度思うのだった。
さらに劇性も増してゆくかと思い、「バラバ!」「十字架に!」の群衆の叫びをさぞかし・・・と待ち受けていたら、そんなでもなかった。
そこが突出することを避けたのか、全体のなかのバランスとしての経過点に過ぎず、その後のコラールの静謐さとソプラノのアリアの虚無的なまでの無常観、メゾのアリアの淡々とした悲しみ、このあたりへの対比が実に素晴らしく、ここでもワタクシは涙ひとすじ・・・
「安らかに、おやすみください」の最後の合唱。
3時間以上の受難曲の終わりを飾る慰めと無常に満ちたこの音楽に、合唱もオーケストラもソロたちまでもが一体となってノットの神々しいまでの指揮のもとに応えておりました。
音楽が終わっても、会場は静寂のまま・・・・
最初は拍手することすらできなかった私、涙をぬぐって満場の喝采に参加しました。

Matthaus-02

実績ゆたかなウェルナー・ギューラの福音史家、初めて聴くとおもったらそんなことはない、手持ちの音源を調べたらいろんなところに名前が出ていた。
知的かつ繊細な歌いまわしは、客観性もあってイエスの受難の物語の語り部としてふさわしい風格と気品もあった。

イエスを歌ったミヒャエル・ナジ、夏にはバイロイトの新演出マイスタージンガーで、印象的なベックメッサーを歌い演じたばかり。
芳醇な声と明晰さ、そして力強いバスバリトンの声も、ここではホールに響き渡らせてくれた。
多くの聴き手が、ナジの声には驚いたはずで、2部では登場も少なかったので、アリアなども出来れば聴きたいと思ったことだろう。
この先、オランダ人やウォータンとしても活躍すると思う。

コンラディのリリカルだけれど、言葉のひとつひとつが明快で、その澄んだ声と明瞭な言葉がほんとに心地がよかった。
その無垢なる声で歌われるソプラノのアリアの数々、ほんとに素敵だった。
彼女もバイロイトで歌っていてリングの第一声を飾るウォークリンデ役だ。

マタイ受難曲の歌手たちの肝ともいえるメゾのルチア・リヒター。
彼女は、ほんとに素晴らしかった。
バッハの音楽への共感にあふれた没頭感が、その姿と歌声ににじみ出ていて、情感を真摯に言葉に載せるナチュラルさも特筆すべき歌唱だった。
そう、「Erbarme dich」では、小林コンマスの美音のソロも手伝い、あまりの正鵠を射る歌に、この日、最大の落涙をしたのでした。
最後の合唱で、折り番となったコンラディとリヒター、合唱と一緒に感動とともに歌っていたのが印象的だった。

実績ある日本人歌手3人も負けじと素晴らしかった。
テノールの櫻田さん、甘い声でもあり、その優しい歌声がよかった。
数々の舞台で接してきたバリトンの萩原さん、ドイツ語も明快でイエスの死後の晴朗なアリアなどは効きごたえ十分。
ピラトも歌ったバスの加藤さんの深みのある声も魅力的で、わたしのイエスを返せでは景山さんのヴァイオリンソロも素敵で、渋い光沢のある声が光りました。

最後に最大級に讃えたい東響の皆さんのソロ。
竹山愛さんのほれぼれするほどのフルート、篠崎さんとの二重奏も素敵だった
そしてオーボエ・ダカッチャの最上さん、オーボエの荒さんの抜群のコンビネーション。
通奏低音で大活躍のチェロの伊藤さん、こんなに大変なんだと見て聴いて感心。
福澤さんのヴィオラ・ダ・ガンバの古雅な響きに切なさまで感じてしまった。
ふたりのコンマスの美音も先にふれたとおり。

Matthaus-03

このようにバッハの音楽には、ひとりとして脇役はおらず、全員がバッハの音楽に奉仕するように作曲されていると思う。
その印象は、ノットの自主性を引きだす自在な指揮によるところも大きかった。

Matthaus-04

あまりの感動の大きさに、忙しさもありましたが、しばらくは音楽が聴けない状態にあります。

偉大なり、バッハ、マタイ受難曲

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2025年9月15日 (月)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 シュルト指揮

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桜木町駅周辺からのぞむ「みなとみらいエリア」

あいかわらず、夜景の映える場所です。

少し前まで、あちらの方で神奈川フィルを聴いてまして、一杯きこしめしたあとの、すっかり暗くなった街並みです。

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    神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第407回 定期演奏会

   アルチュニアン トランペット協奏曲 変イ長調

   サンドヴァル  「ミスター バラタン」

      トランペット:ステバン・バタラン

   リスト  ファウスト交響曲 S.108

      テノール:村上 公太

   クレメンス・シュルト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               神奈川フィルハーモニック・クワイア
               クワイアマスター:岸本 大

                  ゲストコンサートマスター:戸原 直

         (2025.9.13 @みなとみらいホール)

スペイン生まれのバタランさん、よくぞ神奈川フィルが呼んでくれたものです。
シカゴ響の首席に加え、フィラデルフィア管も兼ねるという超凄腕、これまでスカラ座、グラナダ市管、スペイン放送、香港フィルなどの奏者を歴任している。
ブラスをやっている方なら必ず知っているだろうアレクサンドル・アルチュニアンの協奏曲、私は恥ずかしながらその名も知らず、でした。
アルメニアの作曲家でピアノ作品や交響曲などの大きな作品もある様子。
オーケストラのトレモロにのっていきなり吹きだすバタラン氏のトランペットを一聴して即座に驚き。
なんという真っ直ぐに届く輝かしい音色か。
すぐに始まるヴィルトゥオーゾ風の曲調も軽々と鮮やかにこなしてゆく。
いかにもアルメリアらしい、中近東風なオリエンタルなムードを感じるオツな音楽。
エキゾティックな雰囲気に酔いつつも、それ以上にバタランの人間味さえ感じる暖かな音色がすばらしく、どこまでも柔らかま響きが耳に心地よい。
ほんと素晴らしい、素晴らしいとしかいいようがない。
シカゴ響のHPの楽員紹介ページで、バタラン氏のマーラー5番の冒頭が聴けるが、これはたまりませんね!

アンコールは引き続きオーケストラも交えての作品。
あとで調べたらキューバ出身のジャズトランペット奏者アルトゥーロ・サンドヴァルが2021年にバタランのために書いた作品で、ボブ・バレットという方がオーケストレーションをしたもの。
ちょっと検索するとネットでも配信されてます。
とても美しい音楽で、作者もそうですが、やはりバタランさんの心にあるラテン系の明快さ、透明感といったものが、その音色に出てくるんだろうと思いました。

休憩時のロビーには若い方、きっと音楽を学ぶ学生さんでしょうか、たくさん見受けられましたが、みなさん明るい笑顔で凄いもの聴いたという表情が見てとれましたね。

後半は長大な難敵、リストのファウスト。
指揮はドイツのブレーメン生まれの43歳の中堅指揮者クレメンス・シュルト。
リストゆかりのワイマールでの実績もあり、各地のオペラ劇場に客演しつつ、ミュンヘン室内管とカナダのケベック響の音楽監督も務めている。

ファウストをコンサートで聴くのは初めてでありました。
ベートーヴェンの第9が1824年、ベルリオーズ幻想が1930年、交響曲の名を持つ「ロメオ」が1939年、「ファウストの劫罰」は1846年でリストに献呈。
そしてリストのこの「ファウスト」は1854~57年、その間でシューマンの「ファウスト」が1844~54年にかけて作曲されている。
ベートーヴェンが交響曲に歌を加えた、ベルリオーズが巨大なオーケストラ作品を書き、交響曲の概念を拡張した。
そしてゲーテのファウスト(1833年)が、多くの芸術家の創作に影響を及ぼした。

いずれの作品も影響を受け合っているけれど、ベートーヴェンからのベルリオーズの革新性が目覚ましいと思う。
そんな風に思いつつ聴き始めたけれど、沈鬱な1楽章の冒頭主題を聴いたときに、私はワーグナーの「ワルキューレ」を思い起こした。
2幕の終わりの方、ジークムントが戦いにいどみ去り、ジークリンデが不安に取り残されたところで流れるモティーフにそっくり。
以降、一進一退を繰り返すように長々と続くいろんな主題の繰り返し、それが25分も続くので、こうした捉えどころのないリストの交響詩を倍にしたような規模の1楽章。
この晦渋な楽章は、ファウストの悩みや面倒な性格をそのまま表していると思うが、シュルト氏は奇をてらわず、ストレートな音楽運びで楽譜そのままを聴かせた感じだ。
もっと面白く、もっとダイナミックにもできたかもしれないが、リストのまわりくどい音楽には何もしない方がいいとも思ったものだ。
それでも神奈川フィルの優秀なアンサンブルは聴きごたえあり、弦のしなやかさも特筆。

グレートヒェンを描いた2楽章は、神奈川フィルの美質がよりよく出た演奏で、柔和な木管、スリムだけれど美しい弦のアンサンブルなど、聴き惚れてしまうシーンも続出。
めんどくさい男ファウストと、野望に満ちたメフィストフェレス、それぞれの楽章との対比で、かわいらしい無垢なるグレートヒェンの見事な表出であったかと。

同じモティーフが繰り返されたり、打楽器がジャンスカ鳴ったり、ともかく特徴的で、禍々しさもある3楽章は、シュルトの指揮も相当に力が入り、その熱血ぶりも後ろからみていてよくわかり、ときにジャンプも試みていた。
その意欲が空転しないところはよかったし、神奈川フィルの冷静さに徹したプロ根性もよろしい。
ソロと合唱が、いつどうやってステージに登場するかと、心待ちにしていたら、オルガンは少し前、合唱は文字通り3楽章のその直前にスルスルっとあたわれた。
ここで空気感が一挙に変わるのが、この作品の肝であり、いちばんの聴かせどころだろう。
その清涼感とここまで聴いてきたという達成感は、CDなどでは絶対に味わえないものだ。
20人の神奈フィルクワイアの精鋭による合唱も美しく、明晰であり、加えて清水さんに替わって歌った村上さんのリリックな歌声も心に響いた。
村上さんの歌は、かつてカプリッチョやばらの騎士のいずれもテノール歌手役を聴いているが、のびやかで気持ちのいい声です。
 ちゃんと最後の6~7分に、こんな美しい完結感のあるエンディングを持ってくるなんて、リストさん、ほんと憎いです。
上昇し、浄化するかのようなオーケストラ、ティンパニの一撃も見事に決まり、感動のラストでした。
わたくし、ほどよく一声ブラボーしました。

バラエティあふれる、実によきコンサートでした。
楽員さんがステージを去るなか、消えそうな拍手が徐々に持ち直し、最後にシュルトさんにこやかに登場しました。
また神奈川フィルに来てほしい。
今度はシュトラウスとか、シェーンベルクとかのキラキラ系を聴かせて欲しい。

Kanaphil-book

会場で先行販売された出来立てほやほやの、かなフィル読書部のみなさまのエッセイ集。

お馴染みの楽員さんたちの、演奏を思いうかべつつ拝読させていただきました。

神奈川に住んでるエルフ、というコミックの作者によるカバーも素敵であります。

Yokohama-beer

コンサートの仕上げは、久々のメンバーと横浜地ビールで一献。

こちらもまたよろしくです。

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