カテゴリー「コンサート」の記事

2026年5月25日 (月)

東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ指揮

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先週に引き続き、東京交響楽団の新任音楽監督のロレンツォ・ヴィオッテイの指揮による演奏会。

サントリーホールからミューザ川崎に場所を移して双方のホールの響きの違いや、東響の音がどう響くなどを確認できた。

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創立80周年の東京交響楽団。

秋山和慶、スダーン、ノットと続いた歴代音楽監督の歴史に、新たな顔ヴィオッテイを迎え、踏み出したまた次の一頁。
その最初に立ち会うことができて、ほんとうによかったし、満足感で一杯のふたつのコンサートでした。

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 東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ音楽監督就任披露

    R・シュトラス 4つの最後の歌

      S:マリーナ・レベカ

    ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
         
         合唱指揮:河原 哲也
         コンサートマスター:小林 壱成

     (2026.5.24 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

シュトラスとラヴェル、ともにオーケストラの作曲技法の限りを尽くした作曲家ふたり。
しかし、晴れやかな作品でなく、ともに内省的な局面もある音楽が選ばれたところが面白い。

世界のオペラハウスで活躍中の第1級のソプラノ、マリーナ・レベカは、この2日間のコンサートのために来日。
いくつかの音源で彼女の声は聴いてきたけれど、そのレパートリーはロッシーニやベッリーニ、ヴェルデイにプッチーニとイタリアもの、あと、私が気に入っていた役はオネーギンのタチャーナ。
琥珀色の声とも言いたくなるような魅惑の歌声なんです。
 シュトラスの絶美とも呼ぶべき彼岸の極にある歌曲集、透明感ある軽めなソプラノで聴くのが好きだけれど、レベカの声は軽やかさよりは、歌の深みを感じさせる豊かな中音域が実に説得力あるもので、その声域でのこの歌手の魅力を堪能できた。
L席という場所のせいなのか、高域がやや響かなかったが、正面で聴いた方はどうだったろう。
タブレット端末で楽譜を確認しながらの歌唱だが、横から拝見していて、ササっと入力操作して開くさまが実にカッコよかった。
 そして何よりもヴィオッテイ指揮する東響が絶対的に美しい。
シュトラウスオケであるこことを再認識したし、レベカを支えるシュトラウスの音楽の晴朗さ、軽やかさは、むしろオーケストラの側にこそあった。
ホルンも素晴らしかったが、小林コンマスの「眠りにつくとき」における絶美のソロには、涙が出てきた。
レベカもこのソロに耳を傾け、その美しさに浸っていたし、指揮者も同じくだった。
かつての昔に聴いた、横浜でのシュナイトと神奈川フィルのときの石田コンマスのソロの繊細さにも増して素晴らしかった小林ソロでした。
息がとまるほど、さらには遠くに思いや目線が行くほどに、感動したのが「夕映えのなか」。
レベカが美しく歌いきったあとの、去り行く夕焼けを思わせる最後、東響の木管の軽やかさはいかばかりか。
長い沈黙が支配した素敵なエンディングでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1時間を要するダフニスとクロエ全曲。
合唱入りの完全全曲盤でいどむヴィオッテイの強い意欲。
合唱なしでの全曲演奏は、もう20年近く前にプレヴィンとN響で聴いたことがあるが、やはりアカペラとはいえ合唱が入ることで、音の広がりと迫真性が格段にあがるというものだ。
 第2組曲だけでは味わえない、物語性のあるよどみなく進むラヴェルの佳曲を、ストーリテラー的に舞台に即したわかりやすい音楽づくりに終わることなく、すべての音を磨き上げ東響の実力を極限に引き出した、精緻で美しい演奏だった。

冒頭から混沌ではなく、明快なサウンドで原初的な新鮮な響きをかもし出す。
そこから合唱も声を強めて盛り上がりゆくさま、もうここからして私は鳥肌物だったし、そのあとすぐの弦による旋律の優美さともなう優しさ。
もうウットリでしたね。
そこから高まるフォルテの築き上げ方や、若者たちの踊りでのリズミカルな反応のよさ。
でもまだまだ抑え気味っだったし、曲は始まったばかりなのだ。
 ダフニスの恋敵のファゴットや金管によるユーモアあふれる場面も案外に淡々と進むが切れは実によろしい。
一方のダフニスの踊りのまったり感と優美さも、その対比として面白かったが、決して誇張なく、音楽的。
ダフニスも油断してしまうほどのお姉さんの登場も、外敵襲来の予見とともになかなか緊張の高まりを味わうこととなりました。

 このあと、戦いの踊りまではちょっとダレてしまう場面だけれど、神秘感の表出やウィンドマシンの効果的な使用などを眺めつつダイナミックな爆発を待ち受けました。
オーケストラがしばし休息し、アカペラ合唱によるミステリアスなシーン。
始めて聴いた高校時代は、夜に聴くと、ここ怖かった。
ヴィオッテイはそこそこの数の東響コーラスを充分に抑え込み、金管が不穏な雰囲気を出しつつ、海賊軍団の踊りへの備えを築く。
そしてきましたよ、金管の咆哮と打楽器軍団の炸裂。
その後ピッコロやクラリネットの狂乱ぶりも重なり、饗宴の度合いを高め、男声合唱も加わりスリリングな展開に息を飲みました、
でもまだ力は8分目ぐらいかな、と。
捉えられたクロエの許しを乞う踊りのシーンでの、管や弦のしなやかさと歌わせ上手、ラヴェルの筆致の見事さも味わえる。

 このあたりから、第2組曲へと向かって音楽が聴き知った夜明けへと準備を進めていくシーンの演奏の精妙さといったらなかった。
あのフルートによる流麗かつ清々しいモティーフがついに出てくると、私は鳥肌が立つほどの感動を味わうのでした。
そのあとの弦楽器による日の出の煌めくような美しさ、そこに合唱も加わり築かれる高まり、ほんと感動的だったし、ヴィオッテイ氏も大きく腕を広げて音楽を浴びるようにして指揮してました。
 そして、今宵のハイライトと言ってもよかった竹山さんのフルートによる無言劇。
ただただ美しく、透明でデリケートでもあり、素晴らしすぎた。
4人のフルートとピッコロによる息の合った掛け合いも素敵すぎた。
さあ、こうなるともう、全員の踊りの興奮の坩堝を待ち受けるばかりだ。
高まりゆく音楽の盛り上がりに、指揮もオケも合唱もすべてを全開、まさに歓喜爆発を見せてくれました。
この喜ばしい音楽が最後に待ち受けるようにして書いたラヴェルも素晴らしいが、そこに焦点を持ってゆき、物語の大団円よろしく華々しいフィナーレを作り上げたヴィオッテイの手腕もすごかった。
一瞬誰も拍手ができず、間ができたことも余韻としてすごくよかった。

音が響きとして包まれるように聴こえるサントリーホール。
音がリアルにそのまま届き、さらには上からも降り注ぐようにして降ってくるように聴こえるミューザ。
どちらも優秀なホールです。
そんなことも、この2週間で確認ができた。
また、声楽作品、歌へのこだわりなども感じることのできたヴィオッテイの才能。
ヴィオッテイと東響の2ウィークが終わってしまい、とても寂しくもありました。

ヴィオッテイはこのあとは、オランダでこの前までの手兵のネーデルランドフィルに客演。
ラフマニノフの交響的舞曲を指揮する予定。

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ノット監督との深い絆で結ばれたコンビとはまた違った、まるで仲間のような親密な関係をきっと築きそうなヴィオッテイと東響です。

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会心の演奏を祝う東響のみなさん。
完璧でした、ありがとう。

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このあと、ヴィオッテイを拍手で呼び出し、ふたたび大喝采。

次は7月にまた帰ってきてね。

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2026年5月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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気温も上がった5月の中盤。
サントリーホールのカラヤン広場も初夏の様相。

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創立80周年の東京交響楽団。
そして、新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイを迎えての初定期演奏会
たくさんの花がロビーを飾ってました。

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      東京交響楽団 第740回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調 op.21 

 マーラー    交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

    (2026.5.16 @サントリーホール)

ファンと楽員さんとに大いに愛されたジョナサン・ノットに次ぐ第4代の東京交響楽団音楽監督に就任したヴィオッテイの就任披露。

90年の隔たりのあるふたつの1番という演目で、スタートに相応しいコンサートとなりましたが、そんな初々しい新コンビの幕開けは、めったに出会えないほどの熱気と興奮とに包まれる結果となりました。

スイス出身のロレンツォ・ヴィオッテイは、今年36歳。
2023年にこのコンビの「ダブル英雄」を聴いたおりの紹介文章を再度転記編集します。
 2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
指揮者として初のプロオーケストラ指揮が日本での2014年の東京交響楽団への代役出演、新国でもトスカを振っており、ともかく日本、なによりも東響と結びつきの深いロレンツォなのでした。
グシュルバウアーやコルボでお馴染みだったリスボンのグルベンキアン管弦楽団の指揮者、そしてネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者としてすでに活動してきて、ウィーンのすべてのオケ、ベルリンフィルなど、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
2028年からはノセダのあとのチューリヒ・オペラの音楽総監督に就任予定。

ノット監督のときは対向配置がほぼ常であったが、今回はチェロがいちばん右翼で、いわゆるかつてのストコフスキー型。
妙な話ですが、これからして新鮮だった。

これからも輝かしいキャリアを築き上げ続けるであろうヴィオッテイ。
長身、ともかく長い手と足、すっきりやせ型のスリムなスポーツマンタイプで、颯爽とそしてにこやかに登場。
爽やかにも思われる第1音は澄み切った美しい東響のハーモニーによる序奏、そのあとテンポをあげて主部に突入するが、リズムの刻みが鮮やかで弾むような躍動感あふれる楽章となりました。
極端にヴィブラートを抑えたりしていないのでゆとりあふれる愉悦感も漂い心地よいのだ。
2楽章では弱音への心配りが大きく、とても大切に響かせていて、強弱の対比、リズムと緩やかな旋律との対比も面白く、ベートーヴェンの緩徐楽章がいつも美しいということを認識させてくれるような演奏だった。面白かった。
一転、きっぱりとした3楽章はまさにスケルツォの先取りと感じる鮮やかさ。
そして最後の音が終わると同時にアタッカで終楽章へ突入。
これには驚かされた、そう来たか!と思いましたよ、目が覚めるほどの効果あり、まさにベートーヴェンの意欲がそんな一瞬にも吹き出して見えた。
その終楽章がスピード感と躍動感あふれる俊敏な演奏で、これまた最高ときた。
古典の域を脱することなく感じてるベートーヴェンの1番が、こんなに作曲者のやる気の詰まった意欲作に聴こえたのが驚きの演奏。
かつて神奈川フィルで大家シュナイトさんのこの1番を聴いたことがあるが、そのときは、びっくりするくらいの大交響曲に聴こえた大人(たいじん)の演奏だった。
今宵のヴィオッテイの1番は、駆け抜ける若さと青竹のようなきっぱり感、そして音楽表現への強い気持ちを感じる、そんな前向きな演奏なのでありました。
早くもブラボー飛んでましたよ。

ベートーヴェンが1800年30歳、マーラーが1888年28歳、ともに壮年期に差し掛かったこの先やったるぜ、と意欲満々の時期の1番。
年月の経過は、通常版による4管編成でずらりと勢ぞろいしたオーケストラを眺めるだけで実感できる。
1楽章の冒頭、同じ序奏を持つ曲ながら、ヴィオッテイはこの序奏を極めて抑えて細心の注意をもって聴きとるべきような弱音で開始したので、聴き慣れてルーティン化した思いでいどんだワタクシは、緊張しつつもものすごく集中して聴くという術中にはまることになった。
ステージ外のトランペットの遠近感も見事。
そして徐々に雲間から明るさが兆すようにして、おもむろに登場するさすらう若人の歌のメロディと晴れやかさ。
冒頭からワクワクさせてくれるじゃないか。
しっかりくり返しも励行し、その後の不安の様相の中からまた起こるファンファーレは抑えめで、終楽章でのさらなる爆発を予見、楽しみにさせるもの。
かなりの猛ダッシュでラストを駆け抜けた1楽章。
 ともかくノリのよかった2楽章。
メリハリを思い切りつけるような指揮者の指示っぷりもあって、歯切れよい主部。
そして美しく愛らしくもあった中間部、優美な展開が主部の切れ味との対比で面白い。
このように、ヴィオッテイの指揮は各部のメリハリの付け方がうまく、それが嫌味やあざとさにつながらない自然さがあるというところがよい。
 コントラバスはトゥッティで一音も乱れることなく整然としていた3楽章。
ここでも強弱の対比、またシニカルさとシリアスさとの共存のマーラーの音楽の面白さもまた創出。
東響の各セクションの精度の高さも光りました。
 そしてシンバルの乾坤一擲とも呼びたくなるような一撃で始まった終楽章。
吹き荒れ具合も上々で、ヴィオッテイの大きな指揮ぶりに一糸乱れず東響もついてゆく。
それにしても、燕尾服の裏地のエンジ色が大きな動きをするたびに翻って見える。
お洒落だ。
カウスボタンのところもエンジ色で、これまたおしゃれ。
そして、これだけ指揮をしているのに、汗もあまりかかず、背中にも汗はまったく浮いてこない。
身体能力もほんとに高い人で、日々鍛えているんだろう。
 とつらつらと思っていたら、第2主題が弦によって連綿と、そしてそれが徐々に思いの丈をどんどんと込めていって情熱的になってゆく場面となっていった。
ここ、ほんとうに美しく、思い切り感動して、涙ぐんでしまった。
今宵いちばんのシーンだったと思う。
ずっと続いて欲しかった。
そして来たる第1の爆発のクライマックスはまだまだ余力を残しつつ冷静さを保つもの。
1楽章の序奏の再現ではまたあの静寂にも似たピアニシモが。
何度も書きますが、こうした場面の鮮やかな対比がマーラーの音楽の面白さを際立たせるととともに、ベートーヴェンから90年後のマーラーという作曲家の奇矯なところなのだろうし、時代の先駆けでもあったと痛感できる。
再びの美しいシーンもまたよかった。
ヴィオラ部による不穏な雰囲気の組成では、これから始まる大フィナーレを予見させ、嫌でも期待と興奮の高まりを味わう。
そして始まりましたよ、期待を裏切らないどころか、輝かしき勝利宣言のような鮮やかなクライマックスが。
オーケストラも指揮者も、新しき船出を自ら歓声を持って歌い上げるかのような眩しさ。
横一列に並んだ7つのホルンが一斉に起立し、われわれ聴衆の興奮もマックスに!
炸裂する打楽器陣、力を込め満身で弾き、奏する弦楽器に管。
眩しいエンディングにブラボーが飛び交う。
ワタシも一声参加!

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ノット前監督とはまた違ったある意味即興性にも富んだヴィオッテイの指揮。
しかし存外に緻密であることも確認できた。
マーラーの1番を実演で聴いて、こんなに心躍るような気持ちの高まりを味わったのは、ライブで初聴きの82年のドラティと読響、そして83年のアバドとロンドン響の演奏以来かもしれない。
それは東響とヴィオッテイに対する私の今現在の思いも加わってのことでもありますが。

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親譲りのオペラ指揮者としての才能を、全体の構成力と豊かな歌いまわし、聴かせ上手でもある音の鳴らし方や届け方などに大いに感じた。

ノット監督と同じように、コンサートオペラを毎年やって欲しい。
きっとやってくれるだろう。
古楽から現代まで広大なレパートリーを持つ姉とカルメンなんか話題になりそうだし、CDにしても世界展開できそう。
得意のコルンゴルトやツェムリンスキーのオペラもやって欲しい。

次のシュトラウスとラヴェルもめちゃくちゃ楽しみ

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ワタシ、お腹が空きました、このあとメシなww

おちゃめなロレンツォさんなのでした。

【過去記事】

「ヴィオッテイ&東響 英雄と英雄の生涯」

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2026年4月28日 (火)

東京交響楽団 定期演奏会 エラス-カサド指揮

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いつもの東響サントリー定期は土曜の晩で、ミューザ川崎が日曜。

今回は、その逆となりました。
土曜に一瞬忘れたとビックリしてチケットを見返して安心したりもしてました。

この日のホールまでのお散歩は、新橋から日比谷公園を経ての虎ノ門。
都会の真ん中でネモフィラ。

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  東京交響楽団 第739回 定期演奏会

 シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」

 ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 (ノヴァーク版)

   パブロ・エラス-カサド指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小林 壱成

    (2026.4.26 @サントリーホール)

楽しみにしていたエラス-カサド。
N響には何度か登場していたけれど、私は初カサド。
広範なレパートリーを持つカサドは、私にとっては優れた最先端オペラ指揮者との認識。
モンテヴェルディからモーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、ドニゼッティ、ビゼー、リゲティと、なにが得意なのか、まったく焦点を定めることのできない現状でのオペラへの取組ぶりで、なんといってもウィーンでのモンテヴェルディ3部作とリゲティのグラン・マカーブル、バイロイトでのパルジファルが驚異的な演奏ぶりだと思っていた。
リングへの取組も始めていて、パリで来年、バイロイトで2028年に指揮する予定。

そんなカサドがよく演奏している2曲。
シューベルトとブルックナーという相性のいい2曲。
シューベルトはフライブルクの手兵と、ブルックナーはSWR響とでのエアチェック音源を持ってましたが、今回の東京交響楽団との演奏は、それらよりはるかに上をゆく素晴らしさだった。

タクトを持っての指揮は予想外。
音を極限に絞ったかのようなピアニシモからスタートした「未完成」。
繊細なタッチでよく歌いつつ、一方でフォルテはとても強く、まるで深淵を覗き込むようなドラマチックなその対比に、聴く側もいや、おそらくはオーケストラにも強い緊張を強いるような、そんなカサドの音楽造りだった。
当然にヴィブラートは少なめだけれど、フライブルクのバロックオケに比べると古楽的な奏法はずっと控えめ。
柔和さよりは、清澄な透明感を感じた2楽章は歌にあふれ、でも同じく突然のフォルテは強烈で、そこでも対比は鮮やかでハッとさせられる瞬間があった。
 奏でられる音たちは、すべてピュアで清冽だし、音の絡み合いも美しく、すべての音がよく聴こえ混じり気なく耳に届いた。
このあたりの指揮者の耳の良さや、音を混じり気なく聴かせる才能は、カサドならではで、さらにはオペラなどで強く感じられる独自の即興性は、このシューベルトよりも次のブルックナーにおいてよく感じられたのです。
東響も演奏しなれたこの名曲を緊張感を持って高い集中力をともなって演奏。
その演奏が終わったあとの静かな間も、この演奏の流れのひとつで、とても美しき静寂の間でした。

一転、後半のブルックナーは攻めに徹した積極的かつ陽光あふれる眩しい演奏。
ブルックナーでは後期の3作品は別格として、私は、1番、2番、6番の3曲がとても好きで、地味ながらも可憐さや美しさを常に感じてるのです。
3曲のなかで6番だけが長調で、隅々までブルックナーらしくない朗らかさがあると思ってます。
 そんな6番を指揮するカサドをタクトを見ていて、拍子は極めて明快でしっかり振り分けているし、強弱の付け方、強調したいヶ所への明確な指示など、ともかく開放的な指揮ぶりで、その姿だけを音無しで見ていたらブルックナーを指揮してるとは思えないのが面白いところ。
明るく駆け巡るような1楽章、でも木管のさりげないフレーズなどすべてに面白さや意味があるように鳴るので、ほんとに耳が離せないし、リラックスさせてくれない。
 大好きな自然美あふれる第2楽章。
葬送のような哀しみあふれる第3主題での旋律を支えるピチカート、こんなに楚々とした雰囲気を醸し出すなんて驚きだった。
総じてこの楽章では、旋律の歌わせ方も非常に見事だったが、それを下支えする各セクションが極めて克明で、聴いていてこんなに面白かったっけ、という場面がいくつもあった。
そしてこの楽章の儚くも極めて美しい終結部は東響の精緻さもあり、わたしは息もできないほどに感動し、アルプスならぬ、ピレネーの山のなかの緑の草原で風に吹かれている、そんな気分になってしまったのでした。
 ホルンの素晴らしさが際立った3楽章。
カサドのリズムの良さは抜群で、だからノリのいい楽章となったが、メリハリありすぎで疑問符をいだく方もいたかもしれない。
でもこの軽快さは好き。
 やや速めのテンポで突き進みつつも、おおらかさと、細部へのこだわりも随所に見せる終楽章。
この楽章は短いし、終楽章として座りのよろしくないものであるが、わりと千変万化する楽想を丹念に追って仕上げていくと、実に壮大な音楽になると思っていた。
カサド&東響は、まさにそのあたりが実にうまくて、ブルックナーを聴いていてこんなにワクワクさせてくれるのって初めてかもしれない。
最終コーダでは金管群がリミッター解除したみたいに咆哮を見せ、輝かしいばかりの終結を迎えたのだ。
 この輝かしいブルックナーに、唖然として拍手できなかったし、ホールの一瞬の静寂もそんな思いの聴き手が多かったからかもしらん。

金管も増強していたし、鳴らすときはバンバンいく、こんなブルックナーに好悪はわかれるかもしれない。
私は好きでした。
こんなに1音一音に耳が、そして指揮姿から目を離せないブルックナーがとても刺激的でした。

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そしてジョナサン・ノットと長年連れ添った東響のフレキシビリティの高さや、即興性ある指揮者への高度な適応力などを、こうした感度高い指揮者との共演でよくわかりました。
コンマス小林氏のSNSでは、カサドが東響を気に入ってくれたとの書き込みあり、今後再びの客演も期待できますね。

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ノット前監督とのブルックナーチクルスは、6番を残したままで、こうしてカサドの指揮で補完。
しかし、ノットさんは、この秋に都響に客演してその6番を・・・
秋山さんの急逝もあったが、ノットさんには、早く名誉称号授与を、と願います。

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カサドさん、N響でなく次も東響に来てね。

そして東響は、5月はいよいよヴィオッテイです。

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2026年4月25日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会 カラビッツ指揮

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都響の演奏会へ、混雑満員の地下鉄を避けて外歩きでサントリーホールへ。

途中、虎ノ門ヒルズを抜けて向かいました。

車がないと不便なそこそこ田舎にいるものですから、都会人より足腰が弱くなります。

都会に出た時ぐらいは、ともかく歩きます。

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   東京都交響楽団 第1043回 定期演奏会 Bシリーズ

    ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15

       Pf:久末 航

    サーリアホ 「地球の影」

       org:オリヴィエ・ラトリー

    プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.47

         キリル・カラビッツ指揮 東京都交響楽団

      コンサートマスター:矢部 達哉

          (2026.
4.24 @サントリーホール) 

前半に長い協奏曲、後半に現代・近代の音楽と、実に渋いプログラム。
プロコフィエフの音楽をここ数年大系的に聴き進めている自分にとって、そのスペシャリスト的存在であるキリル・カラビッツの来日は絶対に聴き逃すことができないものだった。
そのためには、たぶん実演で初聴きとなる苦手なブラームスの1番の協奏曲を苦難をもって耐えるしかないとの覚悟でいどんだのだ。

ティンパニと思わぬほど強く響いた低弦で開始された長い序奏でまず驚きのカラビッツ指揮の都響の分厚い響き。
しかし、久末氏の爽快なピアノが入ってきてからも、やはりこの曲は自分との相性がよくないのか、どうにも身が入らずに聞き流してしまう。
高校生のときから2番ばっかり聴いていたことからこうなったのか・・・
でもこの日の2楽章の演奏の美しさに目を見張るほどの驚きだった。
リリシストという言葉がピタリとくる、そんな久末氏の繊細かつ、丁寧で心のこもったピアノ。
対する都響の木管と弦セクションの美しさ。
終楽章も1楽章以上に苦手意識があるけれど、オーケストラはなかなかに情熱的だったし、久末氏のピアノの粒立ちのよさ、あざとさの一切ない誠実な演奏がとても好ましく感じました。
この大曲に、アンコールはなしで、ピアノの蓋をそっと閉じた久末氏の爽やかな演奏を讃えたいです。
ほんというと、ブラームスでなく、プロコフィエフの協奏曲をやったらよかったのに・・・と思いました。

日本初演となるサーリアホの「地球の影」という3章からなるオルガンと大オーケストラの作品。
2014年に今宵のラトリーのオルガンとケント・ナガノの指揮でモントリオールで初演されている。
サーリアホは2023年に70歳という若さで亡くなってしまったが、そのときの欧米の楽壇での追悼演奏などの頻度を見て自分としては驚きだった。
そのときに放送された作品をいくつか録音もしたりして聴いていたが、なかでもオペラ「イノセンス」のサスペンス仕立てのドラマとそのクールな音楽に驚き、感心を持ったものです。
そして同郷のフィンランドの演奏家たちがこぞって取り上げていて、サロネン、サラステ、リントゥ、マルッキ、マケラなどがそうで、その点でも興味ある作曲家でもあります。

  ①影は飛び去る
  ②ドーム
  ③花、遺跡、彫像

作者はオルガン協奏曲的なものでなく、まったく性格の異なるオーケストラとオルガンの共存関係と語る。
モノトーンで銀色に輝くようなそんなイメージを抱いたし、独特のヒンヤリとした感触はサーリアホならではとも思った。
多くを語る言葉もないが、腹にも響く重低音から清らかな高音まで、自然に抱かれるような安心感と包容力とを身体のなかから感じとるオルガンの音。
そこにオーケストラが多様な打楽器の奏法をともなって相対してゆくさまを、ホールの右手上の席から眺め、全身で感じ取った18分間は、ある意味、快感ですらあった。
演奏の良し悪しを言えるものでないが、初演者のラトリー、カラビッツと都響に賛辞を。

ほんの少しのインターバルですぐにプロコフィエフ。

数日前のブログで、「放蕩息子」と4番の初稿版について書きつくしたばかり。

カラビッツの本領発揮、その指揮ぶりにも水を得た魚のような軽快な動きと音楽への共感の度合いの深さを感じるものだった。
おおらかにでも、深みも感じさせつつ始まった1楽章。
やがて疾走感あふれる主題は、その変わり身の鮮やかさとオケの反応のよさに感嘆。
ずっと聴いてきたボーンマス響の演奏よりも切れ味よく俊敏に感じたし、終結部も痛快このうえない!

優しい2楽章での柔和な演奏は、放蕩息子の帰還を許す寛大な父親のシーンなのであるが、その場面が思い起こせるような優しい演奏。
そしてチューバや打楽器がそこを支えるが、実演だとその空気感がホールを満たして気持ちよかったのだ。
同様に、放蕩息子をたぶらかす乙女の踊りの場面かなる可愛い3楽章では、踊るような仕草の指揮ぶりで、マッチョなカラビッツがかわゆく見えた(笑)
多くの方が、この楽章ではバレエ音楽のように感じたでしょうが、プロコフィエフの音楽の神髄のひとつは、こうしたバレエの舞台を感じさせるリアリティと親しみやすさだろう。

切迫感あふれる開始の4楽章では、ワタクシはもうワクワクしっぱなしだった。
都響はきっれキレだったし、カラビッツの指揮も縦横無尽に指示を出し、小さくジャンプもしながらの軽快ぶり。
あまり知られてない4番、25分ぐらいのシンフォニエッタサイズの初稿版で、トリを飾って盛り上げるのは至難の業かと思ったが。スピード感を常に保ち、ユーモアと緊張感も持たせたカラビッツの指揮はたいしたものだった。
終楽章コーダでテンポをあげてゆき、独特なリズムを刻みながら徐々にクレッシェンドしていって、わたしはドキドキだ。
そのあとの鮮やかな終結に、カラビッツはどうだと言わんばかりに、身体を観客の方へ向かせつつ指揮を切り上げた。
わーお、ナイスじゃん、と思ったワタクシ。
小声でブラボー!

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昨年に聴いたヤルヴィとN響の演奏は厚塗りの改訂版だったせいもあるが、あちらは重戦車のような逞しさがあったが、カラビッツ&都響は、小気味よく爽快で、しかも中身も濃い鮮やかな演奏だった。

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もっといろんな曲でまた聴きたいカラビッツ。
ベネデッテイのコルンゴルトでバックを務めてたカラビッツ&ボーンマス。
エルガーやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチなんかもレパートリーですからして。

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2026年3月30日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 原田慶太楼指揮

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サントリーホールまで新橋から歩きました。

途中ホテルオークラとアメリカ大使館の間の霊南坂を抜けて歩きます。

そこで見つけた桜と大使館で1枚。
風がなく、星条旗はなびいてませんでした。

コンサートの前半がアメリカ音楽なので、このルートを偶然あるいてニンマリした自分です。

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    東京交響楽団 第738回 定期演奏会

 コープランド  「アメリカの古い歌」第1週

 バーンスタイン 「チチェスター詩篇」

     カウンターテナー:彌勒 忠史

 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 op.47

    原田 慶太楼 指揮 東京交響楽団

            東響コーラス

       合唱指揮:根本 卓也
       コンサートマスター:小川ニキティングレブ

     (2026.3.28 @サントリーホール)

なかなかにユニークなプログラムで、こういうの好き。
しかもいつも機会を逃していた私にとっての初・原田慶太楼だったんです。
いやぁ、面白いコンサートだった。
アメリカで多彩に活躍してる原田さん、オペラ、声楽系にも強いことがまさによくわかった演奏会。

前半はアメリカ、後半はソ連。
この対比が曲目も演奏も鮮やかだった。
そして3つの作品に通じるのは自作であることはもちろんだが、バーンスタインという音楽家であること。

バーンスタインの朋友でもあり、作曲家の先輩でもあったコープランド
「アメリカの古い歌」という作品は初聴きの合唱曲でした。
19世紀のアメリカの民謡や讃美歌、古謡・ミンストなどを歌曲として編曲、独唱曲集だったものをのちにオーケストラ版にしたもの。
アパラチアの春に出てくるメロディも出てきて懐かしいムードも満載。
5つの曲がそれぞれに特色あり短いながら楽しい作品だった。
メリハリつけてわかりやすい音楽造りをした原田氏、いつものように暗譜で熱心に歌う東響コーラス。
曲によっては、パフォーマンスも伴いながら楽しく歌うさまに、われわれもほっこりしましたよ。

そしてシリアスな宗教曲のジャンルにあるチチェスター詩篇
コンサートでは初めて聴くし、今宵のコンサートではいちばん楽しみだったし、いちばん心動かされた演奏であり音楽だった。
また昔話しで恐縮ですが、1975年8月9日にショスタコーヴィチは亡くなりました。
8月13日、バーンスタインはロンドン響とザルツブルク音楽祭に登場するのでしたが、ショスタコーヴィチ追悼のため、急遽、交響曲第5番の3楽章を演奏したのでした。
前半がその追悼演奏、本来のプログラムのチチェスター詩篇、弾き語りでモーツァルトのK453。
後半にシベリウスの第5番。
このように前半がやたらと長い演奏会となり、この模様はその年の年末にNHKFMでも放送され、私も興奮隠せずエアチェックに成功したのでした。
いまでも自家製CDRとして大切にしてます。
16分もかけたショスタコーヴィチの3楽章の深遠極まりない演奏には驚嘆します。
そして、初めて聴いたチチェスター詩篇で、バーンスタインの音楽のメロディのわかりやすさと、ダイナミックさ、静謐さなど、高校生ながらに何度も聴いて感銘を受けていたものです。
 そして実演で聴くと指揮者の姿があの踊るようにして指揮するバーンスタインとかぶって見えてくる。
冒頭からバーンスタイン色全開の音楽で、爆発的な喜びを発散するかのような合唱に、打楽器を伴った輝かしい金管に心躍った。
2章で立ち上がった彌勒さん、真摯かつ神々しい声で、氏の声を聴くのはもう17年ぶり。
手持ちで聴ける音源では、ほとんどがボーイソプラノなので、無垢なる天上の声のように思って聴いているが、カウンターテナーで聴くとまずうまい!その第一印象となりました。
そして同時に思ったのが、ブリテンの音楽のように聴こえてしまったこと。
どこか怪しく、そして一方で厳しく痛恨でもあるように。
 その後のシリアスな3章へと続く流れもこの歌唱であれば実に自然だと思った。
このあたりの対比は原田さんの指揮も実によくって、このシリアス感の中から見出される平安の調べへの移行も実にスムースで、感動のあまり涙ぐんでしまった。
同時にバーンスタインの音楽のうまさ、天才性も実感。
ヘブライ語による東響コーラスの共感あふれる合唱もほんと素晴らしかった。
詩篇・ダヴイデ、旧約、ユダヤ教ということになるが、ここでバーンスタインが祈りとともに込めた平和への思い。
それがいま、世界を混沌に陥れているのがユダヤの国であるという事実に、天上のバーンスタインはどう思うだろうか・・・・
 曲が静かに閉じると、ホールは静寂のまま。
この「間」がほんとうに美しいと思いました。

後半は、みんな大好きショスタコ5番
前に書いたこと「若い若い頃に聴きすぎて、長じて大人となってからは、どうも醒めてしまった名曲のひとつ。ともかく大好きになって、中・高時代に聴きすぎた。演奏会では、大物指揮者でいくつも聴いたものの、いずれもぼんやりと聴いてしまうのでした。」
こんな自分ですから、うまいこと印象が書けません。
まず、とてもスタイリッシュであり、客観性もあり、オーケストラの奏者たちの技量の高さもあってとてもいい演奏でした。
マゼールに学んだ原田さん、だからその影響もあるかと思い、遠い昔のニューヨークフィルとの来演でのその演奏をblogを読み返したりして思い出したり、クリーヴランドとの音盤なんかも確認してみた。
だがいい意味で原色にそまった、いつものナイスなマゼールらしい変幻自在の演奏とはまったく違う正統派の演奏だった。
またバーンスタインが愛したこの5番、ふたつの音盤にあるこれもまたバーンスタインらしい思い入れたっぷり、熱血演奏ともまったく違う素直でありつつ自然な盛り上げとスピード感や立ち上がりのいい演奏だった。
 私がいちばん気にいったのは、やはり3楽章。
弦がいろいろに分奏するのも拝見していて発見があったし、なによりも抒情的で音楽が隅々まで美しく、磨きあげられた音が清冽にも感じた。
2楽章の終結でテンポを思い切り落としたのはユニークだったし、終楽章のフィナーレでは快速にならず、堂々たる歩みでホールを圧する響きを聴かせてくれた。

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合唱団が抜けたP席はすっきり寂しめ。
音響もより響いて感じました。

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熱い拍手に応え登場したマエストロ慶太楼氏。

東響の正指揮者の任期最後ともあり、感極まって思わず・・・
わたしもグッときてしまいました。
愛される指揮者、また東響で聴いてみたいと思います。
神奈フィルでのコープランドが聴きものだ。

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帰りは桜通りを散策して余韻にひたりました。

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2026年3月20日 (金)

東京都交響楽団定期演奏会 インキネン指揮

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朝に雨、ちょっとのお湿りがありがたい夕刻のコンサートホール。

風はまだ冷たいけれど、気温は上昇中でいい感じで、早めの桜の季節を迎えようとしてます。


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   東京都交響楽団 第1039回 定期演奏会 Bシリーズ

  ラヴェル  ラ・ヴァルス

  サン=サーンス ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 op.44

          左手のための6つの練習曲~第2番「フーガのように」

     Pf:キット・アームストロング

  プロコフィエフ 交響曲第3番 ハ短調 op.44

   ピエタリ・インキネン指揮 東京都交響楽団

        (2026.3.19 @サントリーホール)

一見、風変りなプログラムですが、いずれもパリにおいて初演されたパリ・フランスにゆかりのある作品。
前半はまさにわかりますが、プロコフィエフはロシアから亡命し、アメリカからドイツやフランスで過ごした期間が10年間あり、その間で独創的な作品を多く作曲していて、オペラ「炎の天使」とその素材を元にした交響曲第3番がまさにこの時期のものです。

ハ短調と作品44が共通しているのは、都響の発表だと偶然だそうな。

そのプロコフィエフの3番狙いのワタクシ。
全部プロコフィエフで決めて欲しかった気持ちもありましたが、どうしてどうして、前半も抜群に面白かった。

インキネンとラヴェル、まったくイメージはなかったですが、きらびやかさとは遠い、淡々としたなかに入念できめ細かな味付けもあるユニークなラ・ヴァルスだった。
インキネンを実演で聴くのは初めてですが、シベリウスやドヴォルザーク、ワーグナー、プロコ3番の専門家みたいに思ってたけど、丁寧な仕上げの渋めのラヴェルは悪くないと思った。
演奏会の終わりに晴れやかにやるのでなく、冒頭にホールの空気感をあげるようなこうした選曲は悪くないし、次のサン=サーンスの音楽の舞踏性との対比でも面白かった。

そのサン=サーンス、奏者のアームストロング氏もわたしは初だし、恥ずかしながらお名前も知らなかった。
作曲もなし、オルガン奏者でもある天才肌の音楽家。
小柄な少年のようにサクッと登場し、ササっと弾き始めたそのピアノは、転がるような軽やかなタッチで実に心地よい音色をかもし出す。
これまたコンサート初聴きのサン=サーンスの4番という渋い作品で、変奏形式の第1部の前半とやや難渋な後半ではちょっとワタクシ退屈しかけたけれど、それでもピアノは明快で曇りなし。
楽しい雰囲気になる第2部は、いかにもサンサーンスらしい屈託のない音楽となり、ピアノもオーケストラもウキウキ感が満載だ。
飛翔するがごとく高い技巧に裏うちされたアームストロング君のピアノは、もはや耳に心地よさをもたらす快感ですらあり。
インキネンのオーケストラもここでは煌めきを尽くし、この作品のベースにある循環形式などといった小難しいことは抜きに明るく楽しくアームストロング君を支えてる。
あっという間に盛り上がって、あっという間に終わってしまう協奏曲だったけれど楽しい30分間だった。
 アンコールは驚きの左手作品。
左手だけで演奏してるとはまったく思えない鮮やかなタッチの演奏に舌を巻きましたよ!

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お楽しみのプロコフィエフ
自慢じゃなけど、「炎の天使」を完全マスターしてから交響曲第3番の楽しみ方も増した。
まして今回は、実演初のプロコ3番。
奏者のみなさんが、あんなことしてる、こんな風に弾いてるんだみたいにキョロキョロしながらワクワク忙しくも聴いたものです。

いうまでもなく、8作ある完成されたプロコフィエフのオペラ(ほかに少年時代に4作あり)のなかで、いちばん刺激的でかつ傑作といわれる「炎の天使」だが、三角関係の恋愛、悪魔主義、騎士道精神、キリスト教、これらがないまぜになった筋立ての複雑なオペラです。
堕天使となるヒロインに振り回される騎士、このヒロインの性格がややこしく心変わりも激しく目まぐるしい。
だから、このオペラのモティーフを随所に折り込んだ交響曲第3番も、まさに目まぐるしいほどに、いろんな旋律や動機が交錯し、とつぜんの心がわりのように音楽はつねに変転する。

そのあたりの差配が、インキネンの指揮ぶりを見ていても、曲を完全掌握している感じで頼もしいものがありました。
指揮台にあがるや否やすぐに指揮棒を振り下ろしすぐさまに、ベルを伴うあの強烈なサウンドが開始された。
オーケストラの準備も万端だった。
ヒロインが悪霊にとりつかれたようにして歌うシーンの音楽、そこに低弦はそれをなだめる相方のリベラメの祈り。
もう冒頭からその描き方が着実で一挙に音楽に気持ちが入っていった。
そのあとのヒロインの愛の旋律がいやでも美しく抒情的に奏でられ、オーボエも見事でした。
ミステリアスな緩徐楽章は、修道院入りしたヒロインのシーンで、こうして聴くとオペラでの禍々しさは後退し、抒情的でクールな演奏も手伝い、シンフォニーとして実によく書けてるものだなと感心。
ときおり怪しいムードになるのは、悪魔文献を読み漁るヒロインの姿なのだな、これが。
はい、みなさんお待ちかねの目まぐるしくも弦の分奏による変転グリッサンドの激しい3楽章。
これこそ見て聴いてみたかった。
なるほどなるほどと思いながら聴き、中間部の束の間の正気に戻った抒情味の対比もうまい描き方だ。
オペラでは霊魂の召喚で鳴らされるドアのノックがわりの3つの太鼓、このあたりの腹にずしりとくるところ、打楽器各種の活躍もライブならではの興奮のしどころ。
オペラの眩しい最終シーンで終わる3楽章だが、ラストとそう感じさせることなく、アタッカで終楽章になだれ込むことでよけいに終楽章の奇怪な姿を浮き彫りにできたものと思う。
いうまでもなく、最終幕の悪霊と惑わされた修道女たちのトランス状態の酩酊的な強烈な音楽が入乱れるのであるが、都響の整然としたアンサンブルがあって、またインキネンのアクセルぶかしが生きてくるというものだ。
強烈なエンディングにあっけにとられるホールは、音楽が消えても、インキネンが指揮棒を下ろして構えを解いても、しばしの間がありました。
ブラボー一声かましました。

爆発的な演奏というよりは、冷静さも保ちつつ整然とした抒情味も大切にしたクールで熱い演奏だったように思う。

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都響は次はヴァンスカが来てシベリウス。
インキネンは、次はシベリウスを聴きたいものだ。

さらに都響の4月はカラビッツがやってきてプロコフィエフの4番の初稿版をやります。
これ行きます。

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ホールのうしろの公園には終わりかけのモクレンが。

次は満開の桜坂です。

過去記事

「プロコフィエフ 交響曲第3番」

「プロコフィエフ 炎の天使」音源

「プロコフィエフ 炎の天使」映像

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2026年2月23日 (月)

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 沼尻竜典 指揮

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世間の連休初日の横浜は、陽気にもめぐまれ、多くの人で賑わってました。

神奈川フィルの定期演奏会へ、ローマ体験に行ってきた4276

1か月間続けた当ブログでの「イタリア」シリーズ。
アバドのメンデルスゾーン→ルスティオーニのローマの祭り→アバドのチェネレントラ→ルスティオーニのヴェルディ→レスピーギのオペラ。
そして仕上げは「ローマ」新説4部作。

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 神奈川フィルハーモニー みなとみらいシリーズ定期第411回

  ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」op.9

  レスピーギ  交響詩「ローマの松」

         交響詩「ローマの噴水」

         交響詩「ローマの祭り」

   沼尻竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

      コンサートマスター:石田 泰尚

        (2026.2.21 @みなとみらいホール)

ローマにまつわる4部作。
レスピーギの三部作を一度にやるのはよくあることですが、ベルリオーズを加えたところが、今回のプログラムの肝です。
ベルリオーズを一緒にやるのは、ploms2014で、デュトワがロイヤルフィルを指揮したものを録音済みですが、そのときはさらにウォルトンのイタリアにまつわる協奏交響曲も加えたという強烈さ。
打楽器、鍵盤楽器多数のフルスペックのオーケストラを要するので、やるならすべてやってしまうのがよろしいようで。

陽気なオペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を使った「ローマの謝肉祭」はともかく楽しい演奏。
なにも考えずに受け入れるのがいちばんで、ダブルのタンバリンの妙技も実演では引立ちます。
鈴木さんのコールアングレもほのぼのしててよかった。
この曲は、短いながらベルリオーズならではの歌謡性とハチャムチャ具合をいかに両立させるかが聴きものですが、そこは沼尻マエストロ、神奈フィルの明るいサウンドを得て万全でした。

ベルリオーズから80年の時を隔てた「ローマの松」、その第1音から感じる年月の経過。
音の煌びやかさや、手に取るようにわかるリアルな音楽描写、このあたりは多様な楽器やオーケストラ能力の進化などによるものでしょう。
まばゆさでいけば、神奈川フィルの持ち味だし、みなとみらいホールの明るい響きもおおいにプラスされるので、最高の「松」の演奏が展開されました。
舞台外から聴こえるグレゴリオ聖歌を奏でるトランペットも神々しく見事に決まり、その後の分厚いサウンドも決して威圧的でないまでも目覚ましいものがありました。
そして静まるなか奏でられる斉藤さんのクラリネット、この幻想的なシーンの展開が極めて美しく、いつまでもどこまでも浸っていたいと思いました。
レスピーギの抒情性に着目すると他の作品への視野も広がり、併せて古代の旋法なども絡めて、私の興味はその歌曲やオペラへの興味へと向かったのでした。
そんなきっかけは「ジャニコロの松」なんです。
ナイチンゲールのさえずりも、ホール内のどこからともない方向から聴こえてきて至福のひと時でございました。
そしてひたひたと迫る行進と高まりゆくクレッシェンド、もうあとは眼前の素晴らしき展開に身も心も任すのみ。
決して濁ることのないクリア―な神奈フィルサウンドのシャワーを浴びつくしたのでございました。
あーー、気持ちええーー
コールで出てきた、鳥さんの担当、お魚にみえたけど可愛い鳥のイラストと鳥笛を掲げて4人。
録音だとばっか思ってた、リアル鳥さんでしたよ。

「ローマの噴水」は3部作のなかではいちばん渋いところ。
しかし、幻想味と抒情感では、この曲が随一なので、これもまたかなフィル向き。
朝のまったりとした雰囲気が室内楽的に表現され、各ソロの瞬きも素敵です。
それを打ち破るホルンも見事に決まり、ピアノの活躍も心地よく聴こえるトリトン噴水。
ここから始まるレスピーギの音楽の巧みさを沼尻さんは着実な盛り上げで表現。
音がだんだんと眩しくなってゆくのが丸わかりなのがライブのいいところで、まさに音のシャワーで水しぶきを感じることができるという贅沢。
真昼のトレヴィの高揚感は半端なかった!
オルガンの低音、弦楽器のものすごいパッセージの連続を各奏者さん、とくに石田コンマスの激しい動きを見てるだけで興奮してしまう自分。
その後の急速な静まりと、そこに伴うどこか寂しい雰囲気と安らぎ、この落差の表現も見事。
暗くなってきたので、このままお家に静かに帰りましょう・・ということにはならないよお客さん、祭りだよ!

ということでいちばん大好きな「ローマの祭り」が、楽員さんが補充され準備万端。
指揮台にあがるや、すぐさま開始されるローマ時代への異次元パラレルワールド。
この切迫感ある「いきなりローマ祭り」の始め方は気にいったぞ。
暴力的なチルチェンセスはうるさくならず、弦主体の祈りの歌にかぶる金管や打楽器の咆哮、音が重なってもぜんぶクリアーなところが実によく、沼尻さんの耳の良さと分厚くならいオーケストラの持ち味ゆえか。
寂し気な五十年祭は、ここでも各ソロの巧みさ、独特のレスピーギのエキゾシズムなどなど、見て聴いて楽しむのでした。
徐々に増し行く喜びと祭りへの予感、このあたりのいろんな要素が同時進行しつつ歓喜への方向に持ってゆくレスピーギの筆の冴え。
実演だとほんと楽しく、音楽のすぐれた出来栄えが丸わかりなのです。
夕暮だけど、音楽は酒気を帯びてウキウキしてきたぜ、十月祭。
そして始まりましたよ神奈フィルのウィンドアンサンブルによるセレナーデの蕩けるような美しさと豊かな歌心。
マンドリンの第一人者、父・青山忠さん、先だっての都響の祭りでも登場。
マーラーの7、8、大地の歌でも必ず青山さん。
この方、この親子なくして「祭り」と「千人」「夜の歌」は日本では成り立ちません。
ありがたくイタリアのそよ風をマンドリンで味わい、そのあとは石田コンマスと上森チェロの素敵すぎるソロ。
徐々に漂うカーニヴァル臭、主顕祭。
素っとん狂な音楽に転じるこの鮮やかさも素晴らしく、いやもうワクワクしてきた。
やべえ、手回しオルガン風なところで、身体が泳いじまった。
ユニゾンによる大アリアに酔い、狂乱の一途をたどるどんちゃん騒ぎに色を添える、日本人の心くすぐる多彩な打楽器の大活躍のお囃子に目をみはりつつ、私はもう興奮の坩堝でして、案外冷静に指揮するマエストロよりも、久しぶりに眼前にした石田コンマスの立ち弾きや、オーケストラの皆さんを見回しつつ祭りに参加、堪能したのでござる。
思わず「ブラボー」!
先月のルスティオーニの「祭り」もすさまじかったが、今回は、ローマの旅の終結という完結感もあり、極めて満足感も高く、ホールが一体となった高揚感に満たされたのでした。

あー、おもしろかった!

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アフターコンサートは、久々の神奈フィル応援メンバーに、遠来の音楽仲間も交え、横浜地ビールで乾杯🍺

あんな興奮のあとは、ウマすぎるだろ。

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街はもう夜となってました。

楽しかった「ローマ物語」

過去記事

「ルスティオーニ&都響 ローマの祭り」

「ローマの祭り 聴きまくる」

「川瀬健太郎 ローマ三部作」

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2026年2月20日 (金)

大阪フィルハーモニー東京定期演奏会 尾高忠明 指揮

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ホール前の花壇も春を先取りする色どりになってきました。

大阪フィルの東響定期オール・エルガー・プログラムを聴いてきました。

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  大阪フィルハーモニー 第58回 東京定期演奏会

    エルガー 弦楽のためのセレナード ホ短調 op.20

      「海の絵」 op.37

     Ms:林 眞瑛

       交響曲第3番 ハ短調 op.88
                          (A・ペイン補筆完成版)

  尾高 忠明 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

        コンサートマスター:崔 文洙

                             (2026.2.17 @サントリーホール)

エルガーの世界的権威、尾高さんらしいプログラム。
札響時代の東京演奏会でもエルガーは何度か取り上げてましたが、2008年の演奏会では、RVWとディーリアス、そして3番という組み合わせでした。
この日は、3回にわたって満場の聴衆を集めたインバルの千人と被ることになりましたが、平日という同じ日にともにクオリティーの高い演奏会が行われている東京という都市に驚きも禁じえません。

エルガー35歳の愛すべき佳曲、弦楽セレナード愛する妻アリスに捧げられた。
エルガーらしい気品と優しさがたっぷり詰まった名作、そのメロディアスで抒情的な曲想を尾高さんは、まさに優しい目線でもって指揮をしてました。
大フィルストリングスの柔らかな響きもとても素敵でして、どこか間もない春を予見させる、そんな演奏でした。

コンサートでは初めて聴く「海の絵」
ふだん音源で聴いてるとあまり意識しない打楽器を目にすると案外と大きなオーケストラ編成であることに驚き。
予定された昨年にマタイで素晴らしい歌唱を聴いたアンナ・ルチア・リヒターが健康上の理由で来日不可となり、林眞瑛さんが引き継いだ。
初めてのお名前だったのですが、初「海の絵」だったという彼女の歌に大いに惹かれ、とても感心をしました。
「海」をめぐる5つの連作歌曲ですが、歌詞の内容自体は小難しいものではないが、そこに付けたエルガーの瀟洒ともとれる音楽がすばらしい。
短いけれど、これもまた愛らしいアリスの詩につけた2曲が可愛くて、そして素直な林さんの歌が微笑ましくほっこり、オーケストラも泣きたくなるほどに優しい。
戻っての1曲目、精妙なるオーケストラ、尾高さんは抑制された響きを低弦のうごめきでも巧みに引き出し、林さんのスタートを支えた。
3曲目は神々しいオーケストラにのって、林さんの明瞭な発声で聴く英語の語感の素晴らしさも堪能。
いろんなモティーフがさまざまに出てくるエルガーの慎ましいなかに、豊かなオーケストラの展開に感動。
4曲目も2曲目に通じる可愛さがあって、短いかれど、そのいいリズム感に体が反応しそうになってしまう。
一転、エルガーの書く終章の素晴らしさをここでも味わえる5曲目。
決然とした歌唱、ストレートな声がよく響く林さん、いちばんの高域をいくつか通過しなければいけないけれど、いずれもよく決まり、それを支えるキリリとしたオーケストラ。
高揚感も味わえ、わたしは、この歌曲集がこんなにいい曲だったんだと改めて思い、併せて林さんの大健闘にブラボー一声。
多くのブラボーもかかりましたよ!

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世界一の「3番」の指揮者といってもいい尾高さん。
大阪フィルとのエルガーシリーズの一環でもあり、ライブレコーディングも本拠地での演奏ととも行われた様子。
この演奏を聴いて確信した。
この交響曲は、エルガーテイストの作品ではなく、完全に「エルガーの3番の交響曲」なのだと。
尾高さんの自信にみなぎる的確な指揮、大フィルの全霊をかけた熱意あふれる演奏、これを目の当たりにして。

1楽章冒頭のあのひきづるような特徴的な旋律からして尾高&大フィルにはノーブルな慎ましさと抑制された美しさとがある。
いくつもの海外ライブやCDを聴いているが、この冒頭部を結構激しくやる演奏があり、その結果において次の柔和な第2主題との対比が鮮やかになるというものだが、札響との演奏に比してもなお、尾高さんの第1主題と第2主題の扱い、その対比はなだらかで劇的になることを拒絶しているみたいだった。
このふたつの主題が交錯する長い1楽章、曲を完全に理解し愛情を持って指揮している尾高さんの動きは少なく、まるで音楽のなかのエルガーと見つめ合っているのかと思うくらいで、その思いを大フィルも受けとめて夢中になって演奏しているのが奏者の皆さんをみていてよくわかった。
上昇する音型で終わるこの楽章の最後の飛翔感は見事に決まり素敵だった。

可愛らしい2楽章、打楽器の活躍も目視できて楽しいし、中間部との対比もさわやか。
そして、私がこの作品の白眉と思っている3楽章。
曇り空の沈鬱ななか、見え隠れする抒情、それが瞬きするように現れては消えてゆくその明滅感。
そしてクラリネットに導かれでてくる愛おしくなる旋律、その後に橋渡しされてゆく美しいシーン。
ともかくどこも美しい瞬間が連続し、また沈滞ムードに陥り、シリアス度を増してゆくし、はたまた幻想味・ファンタジー度合いも深める。
こうした流れを尾高さんの指揮は、淡々と振りつつも指揮棒、指先、すべてのタッチに優しさと共感がにじみ出ている。
聴いていて、これは枯淡の域にある、そう枯山水のような渋い水墨画の世界だと思った。
欧米人には描けない日本人ならではのエルガーなのだ。

深淵な3楽章とのギャップがでかい終楽章。
金管のファンファーレで曇り空が晴れてしまうような鮮やかさを感じる。
大フィル歯切れのよさ、スカッとした切れ味をここでは堪能。
一方でエルガーらしいユニゾンの豪放な心地よさと、慈しむような旋律の歌いまわしなど、次々に堪能。
エルガーのスケッチが少なく、諸作を参考にしたやや張り合わせ的なイメージを受けることの多い4楽章ですが、この日の演奏にはそんな雰囲気はまったく感じさせないほどに、スムースであり毅然とした演奏からは隅々までエルガーを演奏しているという自信と気概が感じられた。
なによりも奏者のみなさんの表情がとてもよくて、音楽を楽しんでいるのがわかるし、尾高さんに全幅の信頼を寄せて、「尾高のエルガー」をともに打ち立てようという姿勢が眩しかったのです。
1楽章の冒頭主題と、ドラの一音。
長い静寂がありがたく、感動もひとしおだった。

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エルガー・ナイト、実にいい演奏会でした。

以前のように大阪・関西に行かなくなってしまったので、早くも来年の東京定期が楽しみだ。

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2026年1月25日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会 ルスティオーニ指揮 ②

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夜の東京文化会館。

昼間の人の多さが考えられないくらいに平日の上野公園口の駅前は静かです。

1961年の開館以来、何度かの改修工事は行われてきたが、今年の5月の連休以降に大規模修繕工事が予定され、3年間にわたり閉館となります。
もしかしたら、閉館まで文化会館のコンサートは行かないかもしれないので、数えきれないくらいにオペラとコンサートでお世話になった文化会館がとても名残惜しく感じたのでした。
もう若くないから、3年という期間は自分には長く感じられます。

この日は先週に続いてダニエーレ・ルスティオーニの指揮によるヴェルディとワーグナー。
どちらの作曲家のオペラも、ここ文化会館で忘れえぬ上演に接してます。
アバドのシモン、若杉のオテロ、小澤のファルスタッフ、ベルリン・ドイツ・オペラのリング、朝比奈、若杉のリング、サヴァリッシュのオランダ人、尾高のタンホイザー、飯守泰次郎のワルキューレ・・・・もうもう書ききれません。

若きイタリアのオペラの名手、ルスティオーニの作りだす鮮やかなオペラの瞬間を堪能しつつ、文化会館で観劇したオペラの数々を思い起こしてました。

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    東京都交響楽団定期演奏会 第1034回

     ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲

         歌劇「マクベス」第3幕 バレエ音楽

          歌劇「オテロ」 第3幕 バレエ音楽

        歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

  ワーグナー 歌劇「リエンツィ」序曲

        歌劇「タンホイザー」序曲

        歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲

        楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

    ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団

          コンサートマスター:矢部 達哉

             (2026.1.23 @東京文化会館)

ともに同じ年に生まれたヴェルディ(1813~1901)とワーグナー(1813~1883)を一夜で聴くという、ありそうでなかった私には極めてうれしかったプログラム。

南北で長いイタリアは、北と南で気質や文化が違うと思いますが、ミラノ生まれ、スカラ座児童合唱団で歌い、スカラ座音楽院で学びコレペティトゥールでオペラの神髄をたたきこみ、シエナの音楽大学を経た生粋のミラノっ子のルスティオーニは北イタリア出身となります。
イタリアから見たドイツは、アルプスの向こう側。
得意中の得意のヴェルディはともかくとして、ルスティオーニがどんなワーグナーを聴かせてくれるか、そこに注目していたし、さらには「マイスタージンガー」でコンサートのトリ、はたして大丈夫か?という懸念もありました。

聴いた結果からいうと、前半も後半もソノリティあふれる明るく明晰な演奏で、それぞれにオペラティックでありながらも単独で完結している独立した音楽という演奏でもあり、オペラの序曲であることと、完成されたコンサートピースであること、それを両立させた見事な演奏だった。
そう、序曲や前奏曲を聴くと、その先も聴きたくなり残尿感すら感じる自分なのですが、ここではそんなことはなく、それぞれに熱中し酔いしれたのであります。

①「運命の力」
壮麗なるこの序曲、スピード感あふれ、でもドラマテックに傾くことなく颯爽と演奏され白熱よりは、まるで今宵始まる物語の小手調べのようにも感じました。

②「マクベス」
パリ版に改訂の際、グランドオペラ風にグレートアップさせるために書かれたこのバレエは、私の手持ちのコヴェントガーデンでのルスティオーニ指揮による上演ではカットされてました。
10分ぐらいの切迫感とどこか哀愁感じる音楽を、ルスティオーニは抜群のリズム感と切れ味あふれる棒さばきでバリっと聴かせてくれました。

③「オテロ」
これもまたパリ版にあるお約束バレエ。
物語の背景ならではのエキゾチックなムード満載の音楽だけど、このあたりになるとヴェルディのオーケストレーションの筆致が高まっているのを感じる。
重奏的に絡むモティーフを巧みに浮きあがらせつつ、短いながら変遷する各バレエの特徴や雰囲気が鮮やかに描きわけられた。
こういうところも、先週のレスピーギやコルサコフで感じたルスティオーニの巧さだ。

④「シチリア島の夕べの祈り」
前半のハイライトはこれ、流したような運命の力と比べても気合の入り具合から違って、いつも録音で激しく聴かれるルスティオーニのうなり声がここではものすごくよく聴こえた。
ともかく歌心満載で、もう待ってましたよ、という気分でしたよワタクシは。
炸裂する打楽器に金管の咆哮も心地よく、チェロのまるでアリアのような歌、また歌、もうたまらなくステキだ。
そして盛り上がるクレッシェンドの高鳴り、高揚感もたまらんし、そのあとの弦の歌、ささえるピチカートもまた泣かせるじゃないか!
手持ちの音源にアルスター管との演奏のものがあり、聴きなおしたが、都響との方がはるかにいいと思った。
ヴェルディの音楽を完全に持ってるルスティオーニ、最高です。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①「リエンツィ」
いまのところルスティオーニの気質に一番あってると思われるリエンツィ。
舞台もローマでイタリアしてるから、輝かしいイタリアの陽光がワーグナーのなかでは一番ある曲だし、演奏もそのあたりを全開してくれた。
もちろんここでも歌心は充分でリエンツィのアリアの朗々たる旋律の歌いまわしも見事で、その盛り上げも実によろしい。
その後のテンポをあげての展開も慌てることなく堂々としていて、これもまた劇中で繰り返し主人公によって訴えられる「神よ守りたまえ」のモティーフが意味あいを込めてしっかり浮きあがる演奏というのも珍しいと思った。
このように効果に走ることなく、音楽の意味合い、物語りとの関連性も把握して、こうした序曲でもしっかり聴かせてくれるルスティオーニは本物のオペラ指揮者だと思います。

②「タンホイザー」
2曲目にタンホイザー。
作曲の年代順にたどる仕組みで、タンホイザーがラストでもコンサートとしてはいいはずだったが、こうしたこだわりが嬉しい。
グランドオペラの残滓が残る大がかりな序曲を、大抑な雰囲気でなく、ここでも明るく明快に聴かせてくれた。
都響のヴィオラセクションがとても巧く、くっきりとどんなときでもよく聴こえているのは、こうした内声部への指揮者のこだわりもあるかもしれない。
ヴェヌスブルクの場面での妖しさよりは透明感を感じるのも好ましかった。
この場から、オペラの本編に突入して欲しいと思うのはワーグナー好きのわたくしのサガとも言えましょうが、いつかルスティオーニの指揮で聖邪あふれる壮麗なるタンホイザーの全曲を聴いてみたいと思った。
手持ちアルスター管とのライブでは、バッカナール付きの24分の演奏で静かに終わるパターンです。
この人、ほんと本格派です。

③「ローエングリン」
清らかさよりは、明快さ、文化会館が明るい地中海サウンドを思わせる響きに満たされた前奏曲。
木質の響きのこのホールが人間の声、歌によく合うということが、この短い曲でよくわかった。
高鳴るシンバルへの持って行き方も陶酔感というよりは、冷静に音を積み上げて高揚していったクレッシェンドの果てでの成り行きであるかのような冷静さ。
神々しく仕上げるのでなく、音の積み上げを楽しませるような、そんなユニークな演奏でした。

④「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
開放感あふれるバリっとしたハ長の始まりを聴いた瞬間、はぁなるほど、これならプログラムの最後ってありね、と確信。
まさに確信あふれるハ長の堂々たる歩み、分厚く響くオーケストラはワーグナーがリング前半とトリスタンを経て獲得した錯綜するけれど、すべてが有機的に結びついている高度な音楽技法。
全部がしっかり聴こえるし、ここでも内声部へのこだわりも極めて効果的に作動し、都響の各セクションもすべての力量を解放したかのように全開したので、ホールが音で満たされ、ワタクシもワーグナーの音に包まれ快感このうえない境地へ。
愛の動機もサラリと流すように演奏される前奏曲演奏が多いなか、ここでは速めながらも実に心のこもった歌いぶり。
アバドの演奏もここは美しかったが、今宵のルスティオーニの演奏もこのうえなく優しく歌心満載でした。
その後のいろんな動機が混ざり合いつつ、徐々にクライマックスを築いてゆくさまは、右へ左へと忙しく指示し、歌を促すルスティオーニを見ながらも、感嘆すべき素晴らしさで、都響のすべての楽器が鳴り切っている。
この前奏曲ひとつで、こんなに興奮し胸が高鳴るのは初めて。
その先にある教会での合唱へのなだれ込みを期待せず、こんな鮮やかな終結部をもたらしたキレのいい演奏に驚きも感じた次第。
指揮者もオケも会心の表情でしたね。

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定期だけど、アンコールにローエングリン3幕前奏曲かヴァルキューレあたりをやるかな?と最初は思っていたけれど、まったくいらない、そんな効果不要の完結したマイスタージンガー前奏曲だったし、今宵のすべての曲がオペラの一部であることも主張しつつ、それぞれがそれでコンサートピースとしても成り立っていた、そんな演奏でありました。

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ルスティオーニ氏、次の都響はマーラー「復活」とドヴォルザーク7番です。
いつしか若杉時代のように、コンサート形式のオペラ上演もやって欲しい。

マリオッティ(46 ペーザロ)、ルスティオーニ(42、ミラノ)、バッティストーニ(38、ヴェローナ)
3人のオペラ指揮者が日本で聴ける幸せ。

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ここ数年、ルスティオーニがリヨンオペラで指揮した作品を中心に、バイエルン、メットなども含めネットでの放送音源を多く聴いてきました。
フィガロ、トロイアの人々、ルチア、エルナーニ、マクベス、アイーダ、ファルスタッフ、金鶏、カヴァ・パリ、ボエーム、蝶々さん、西部の娘、アンドレア・シェニエ、アドリアーナ・ルクヴルールなど14作もアーカイブできてます。
こうしてみるとロッシーニやベルカント系、ワーグナー、シュトラウスなどはまだこれから、という感じです。
アルスター管やピッツバーグなどとのオーケストラ作品もバラエティ豊かで、そのレパートリーはとても広いです。
ともあれ、今後ともに楽しみな指揮者です。

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2026年1月18日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会 ルスティオーニ指揮 ①

Geigeki

久しぶりの池袋芸術劇場。
かわらぬ人の多さが田舎暮らしに慣れた自分にはキツイものがありました。

イタリア週間 4276

東京都交響楽団の首席客演指揮者となるミラノ生まれのダニエーレ・ルスティオーニ。
その奥さんでミラノとベルガモの間ぐらいにあるレッコ出身のヴァイオリニスト、フランチェスカ・デコ。
この素晴らしい共演でした。
ルスティオーニは、ずっと注目していたオペラ指揮者なので、即座にチケット手配しました。

ちょっと加工してスクリーンに美男美女入れてみました。

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  東京都交響楽団定期演奏会 第1033回

 ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77

   バッハ   無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ~ジーグ

     Vn:フランチェスカ・デゴ

 R=コルサコフ スペイン奇想曲 op.34

 レスピーギ   交響詩「ローマの祭」

    ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団

         (2026.1.17 @東京芸術劇場)

独・露・伊の3人の作曲家がランダムに並んでいるように感じますが、ここに通じているのは南国・南欧への憧れとイタリアそのもの。
ブラームスは、調性も同じくする第2交響曲と同じくペルチャッハで発想・書かれた曲。
ソリストと指揮者の個性が申し分なく発揮できるプログラムだと思いました。

激することなく神妙な雰囲気で始まったブラームス。
デゴのソロの入りもさほどに情熱的でなく一音一音を確かめるような慎重な雰囲気。
ブラームスの協奏曲に抱くイメージが違うと思う方がいるかもしれない。
わたしは、こうした柔和なブラームスは好き。
ヴィブラートをあまり効かせないのも好ましく、華美に傾くことがない。
ともかくデゴさんのヴァイオリンは音色が美しく繊細。
だから第2楽章が絶品で、見事なオーボエソロにも増して、楚々たるアリアのようなヴァイオリンの歌には聞惚れましたよ。
戻って1楽章ですが、カデンツァにブゾーニ編のものが使用され、そこではティンパニがドロロロ~ンと鳴り、背後で終始そのティンパニも静かに鳴り響くと言うヴァイオリンがまるで浮き上がってくるような効果をもたらすもので、実に面白く新鮮だった。
彼女のヴァイオリン協奏曲のCDもそのカデンツァが使われているようで、カップリングは珍しいそのブゾーニの協奏曲だ。
こうした知的なこだわりも彼女ならではなのだろう。
終楽章は明るく爽快に、ルスティオーニの開放的なオーケストラに導かれるように快活なるヴァイオリン。
こんなに爽やかで微笑みに満ちたブラームスの協奏曲は自分では初めてかもしれない。
 ついでにオジサン目線だけれども、演奏中のデゴさん、弾いてないときに空を見つめるような目線、ともに美しかった。
アンコールはお得意のバッハ。
技巧をひけらかすことのない真摯な、でも美しい演奏でした。
別日ではアンコール2曲やった様子ですが、この日は1曲。
翌日の札幌でのソロコンサート、翌々日は東京に戻り武蔵野市でまたソロと、ちょっとハードなスケジュールに合わせてのことだったかもしれません。

ルスティオーニはロシア物も得意にしていて、R・コルサコフでは「金鶏」がDVD化されているほか、チャイコフスキー、ラフマニノフなどもさかんに指揮してます。
明るく歌心にあふれ、ダイナミックな緩急に富んだスペイン奇想曲、めちゃくちゃ面白かった。
シェエラザードにも通じる異国情緒たっぷりの要素を、さすがルスティオーニは歌いまくって巧みにムード満点だし、コルサコフのオーケストレーションの巧さも5つの場面の描きわけの見事さで実によくわかりました。
水谷コンマスのソロを指揮者もオーケストラも楽しそうに聴き入り、そこからもうノリノリの雰囲気で一気呵成に情熱の爆発と開放を成したルスティオーニの指揮のうまさ!

この日の目玉、楽しみにしてた「祭」じゃ!
人員増強して、オルガン席にも奏者が陣取り始まりました金管の咆哮をともなう古代ローマの熱気あふれる世界観。
都響めちゃくちゃうまいし、音に濁りなし、ルスティオーニの整然とした棒さばき。
大振りはしないけれど、動きは多いし、ぴょんぴょん跳ねるし、左右に忙しく、顔の表情も豊か。
こんどは正面席で聴いてみたい。
 ローマを見出した巡礼者の祈りと歓喜での音楽の盛り上げも見事だったし、こうした変化を鮮やかに描き分ける才はオペラ指揮者ならではかもで、十月祭の夕暮ムードも素敵でセレナーデもうっとりしてしまう。
そして急転するムード転身もあざやかで、はちゃむちゃカーニバル状態の第4部の整然とした持って行き方もあざやか。
熱狂するローマ市民ばりに、ワタクシもワクワクが止まらず、ドキドキしてきた。
ずっと終わらないでカーニバルやってくれい、と思わずにはいられない魅惑の時は、無情にも過ぎつつ熱狂うずまくレスピーギ=ルスティオーニワールドはジャンジャンと終結!
思わず、ブラボーしちまった!

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最高じゃん、ルスティオーニ。
都響もノリがよくって、みんな楽しそうだった。
われわれ観衆もみんなニコニコで帰りました。

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後半のこうした音楽を指揮したらルスティオーニは無類に上手い指揮者だ。
本格的なシンフォニーとピットでの指揮を聴いてみたい。

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こんなパフォーマンスとオーケストラとやってくれる。

ミラノ生まれといえば、アバドと同郷。
しかし、育った頃はムーティ時代のミラノ。
いつしか、スカラ座の指揮者になって欲しい。
次は、ヴェルディとワーグナーを聴きます。

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