カテゴリー「プレヴィン」の記事

2023年5月29日 (月)

モーツァルト 五重奏曲 K452 プレヴィン

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もう散ってしまったが、モッコウバラ。

細かい花びらがびっしり、枝垂れるように咲く春~初夏のお花です。

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モーツァルト ピアノと木管のための五重奏曲 変ホ長調 K.452

    ピアノ:アンドレ・プレヴィン

    オーボエ:ゲルハルト・トゥレチェク

    クラリネット:ペーター・シュミードル

    ホルン:フォルカー・アルトマン

    バスーン:フリードリヒ・ファルトル

                        (1985.4 @ウィーン)

シュトラウスに独占された耳を洗い流してリセットさせてくれる音楽。

やはりモーツァルトはいい。

あれこれ、頭を使うことも、詮索・研究することもいらない。

心のままに聴くことができる音楽、それがモーツァルト。

音楽の神様は偉大だ、ワーグナーやシュトラウスのような音楽も、バッハやモーツァルトのような音楽も、多様な作曲家たちも世につかわせて下さった。
いつになく、そんな風にも思いながら、このよどみない、清潔な音楽を聴いた。

1784年の作品で、ピアノ協奏曲の16番と17番に挟まれた曲。
サロンでもてはやされたモーツァルト、協奏曲的な要素を持ち込み、ピアノと管楽器との絡み合いの妙を楽しませてくれる音楽。
変ホ長調というくったくのない、深刻さもない、まったくもって明るく、のびやかな作品でありました。

3つの楽章で、冒頭は、ラルゴのまるで緩徐楽章のような前奏があって、これはピアノソナタに木管の伴奏がついたかのような印象。
あとの主部の穢れない無垢なる音楽はステキだ。
2楽章では、ピアノをともなった、木管楽器のそれぞれの魅力と持ち味が堪能できる。
朝ごはんを食べながら聴くと、実に幸せな気持ちになれる。
ピアノ協奏曲の3楽章のようなロンド形式の清潔な終楽章。

プレヴィンのマイルドなピアノに、ウィーンのまろやかな木管。
聴いていて目に浮かんでくる、ウィーンフィルの奏者たちのあの音色がここに。
それと混然一体となった、同質の音楽性を持ったプレヴィン。

音楽家プレヴィンの優しい本質がうかがえる演奏でありました。
ありがとうプレヴィン、ありがとうモーツァルト、そしてありがとうウィーン。

なんかね、これ聴いてて、ウィーンに行きたくなりました。
もうこの歳になったら無理だろうけど。

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2022年11月 9日 (水)

ベルリオーズ レクイエム プレヴィン指揮

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9月の彼岸にはピークを迎える彼岸花。

毎年、同じ場所に、同じ時期にちゃんと朱にそまって開花する。

立冬を過ぎたいま、いまさらの写真ですが赤が怖いほどに美しいので。

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  ベルリオーズ  レクイエム op.5

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン・フィルハーモニック
              ロンドン・フィルハーモニック合唱団

      T:ロバート・ティア

            (1980.4 @ウォルサムストウ)

ベルリオーズ(1803~1869)の34歳、1837年の作品。

フランス革命後40年を経て、復古を繰り返した帝政・王制のなかで最後の王制を敷いた王様、ルイ=フィリップ1世。
その治世1830~48年の間、暗殺未遂事件が起きてしまい犠牲者が出てしまった。
その犠牲者追悼のためフランス政府は慰霊祭を計画し、その音楽を若きベルリオーズに委嘱した。
このレクイエムはそのときに作曲されたもの。
しかしながら、この追悼式は政治色が強く、王制が復興してしまったことへの市民感情を紛らわす意図もあった。
結局、慰霊祭の規模が縮小されたり、若い作曲家がなんぞや的なこともあり、演奏は流れてしまう。
しかし、同年アフリカ戦線アルジェリアでダンレモンという将軍が戦士し、その追悼でという名目をとりつけ初演にこぎつけることができた。
そんな経緯を経て生まれたレクイエム。

シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、という途方もなくバカらしい巨大な編成がオリジナルのこのレクイエム。

①レクイエム・キリエ → ② 1 怒りの日 → 2 ミゼレーレ 
 → 3 レクス・トリメンダ →
 4 怒りの日 → 5 ラクリモーサ 
③奉献唱 1ドミネ・イエズス  2 ホステイアス

④サンクトゥス  ⑤アニュス・デイ 

ベルリオーズのことだから、そしてその巨大な編成から、さぞかしすさまじい大音響なんだろう、とやたらと期待しつつFM放送を録音したのが小澤&ベルリン・フィルのライブで、いまをさること高校生の頃。
小澤さんは、70年代、ダイナミックな指揮ぶりでもって、こうした巨大な編成や長丁場の作品を暗譜でもってわかりやすく指揮することで、欧米諸国でも引っ張りだこだった。
いま思えば、そんな巧みなスキルを持ったスマートな指揮者ってあまりなくて、とくにアメリカでバーンスタインに次ぐ存在として重宝されたのも理解できること。

巨大で大音響のとんでもない作品だと思い込んでいた。
(過去記事の引用)ティンパニとラッパが鳴り渡るトゥーバ・ミルムのド迫力はすさまじいもので、カセットテープでは音がびり付いてしまい、どうしようもなかった。
そんな大音響の場面は、全曲の中のごく一部だともわかった。
 このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽なのだと、何度もそのカセットテープを聴いて思うようになった。

CD時代になって、スピーカーの破綻を気にせずに、ボリュームを上げ下げしながら気にして聴くことがなくなった。
その組み合わせとレーベルの珍しさからずっと聴きたかった「ミュンシュ&バイエルン放送、シュライヤー」のDG盤をまず購入。
剛毅さと歌心を併せ持ったこの名盤は、いまもってこの曲の最高の演奏だ!
その後、バーンスタインの巨大な演奏も聴いた。
コンサートでは、ゲルギエフが日本のオケを振った演奏も聴き、大音響よりは抒情に傾いたスタイリッシュな演奏に驚いた。

CD時代初期に、ロンドン響を巣立ったプレヴィンが驚きのロンドン・フィルとの録音を行った。
ロンドン・フィルが各レーベルで引っ張りだこだったハイティンク時代末期。
ロイヤルフィルに行く前のプレヴィンとの一期一会的な録音がこのベルリオーズだった。

教会での演奏を想定してかかれたレクイエムであることを、しっかりと感じさせる響きの豊かさ。
でも決してムーディじゃありません。
祈りの音楽としてある、このベルリオーズのレクイエムの立ち位置を意識させる真摯な演奏。
ベルリオーズの本質、巨大サウンドではなく、それは全体の一部で、本来は歌に溢れた抒情味。
そんなベルリオーズの姿を見せてくれるプレヴィンは、この巨大な曲でも優しい微笑みを感じさせてくれる。
ロンドン・フィルの金管のマイルドな響きが、刺激的でなく優しく聴こえ、ロンドンのオケ付合唱団でも当時ぴか一の存在だったフィルハーモニー合唱団も暖かくふくよかな歌声だ。
 ティアーのテノールはやや知的に過ぎるかな。
でもこの声を聴いて、あのティアーの顔を思い出してしまうくらいに、ロバート・ティアはイギリスのテノールの顔だった。

ラストのアニュス・デイにおける平和、平安に満ちる安らぎと終末感は数あるレクイエムのなかでもベルリオーズは随一かもしれない。
カンプラに遡り、フォーレ、デュリュフレにいたるフランス系のレクイエムの流れのなかに、しっかりベルリオーズもあることをいまさら認識しました。

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ベルリオーズのレクイエム、ほんとに美しく抒情的な音楽だと思った。

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2022年4月 3日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番&5番

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春まっさかり。

桜も関東は終盤で、この週末が最後の見ごろ。

移動してきた実家の庭の春紅葉と桜。

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寒暖の差が大きく、今年の桜はことさらに美しく感じられました。

不穏な世界も、この桜を愛でて一呼吸して欲しいものです。

今年2022年は、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムス(1872~1958)の生誕150年。

あらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残したRVW。
あらがいきれなかった9番までの交響曲に、民謡をもとにしたお馴染みのグリーンスリーブスなどの瀟洒な作品や、タリスなどの管弦楽作品、さまざまな楽器の協奏曲作品、室内楽、器楽に、オペラ7作、そして歌曲や声楽曲も多数。
多作家であり、晩年まで意欲は衰えず作曲を続けた。

その生涯にふたつの世界大戦を体験し、その作品にはその影が大きく落としている。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽もあるし、シネマ的な優れた描写音楽もある。
9曲の交響曲には、そんな多面的なRVWの音楽の姿がしっかり反映されていて、それぞれに分類もできる。

今年、数回に分けてRVWの交響曲をその特徴をおおまかに分類しつつ聴いてみたい。

1回目は、不穏ななかに求めたい自然の優しさを。
しかし、いずれもふたつの大戦にはざまれた作品。

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     ヴォーン・スイリアムズ 田園交響曲(交響曲第3番)

       S:ヘザー・ハーパー

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

         (1971.1.8 @キングス・ウェイホール、ロンドン)

    ※ジャケットはあまりにステキなものなので借り物で、私のプレヴィン盤は全曲盤
     以下ふたつ記載も以前書いたものに少し手をいれたもの

1922年に
ボールトの指揮により初演。
全曲がゆったりしたモデラートで書かれた、田園を思い描いた心象風景そのもので、平安を求めるより内面的な音楽でもある。


北フランスにいた1916年頃から構想され、そのカミーユ・コローの風景画のような景色に大いにインスパイアされた。
第1次大戦が、しかしこの平和な交響曲に陰りを帯びさせることとなる。
構想から6年、完成した「田園交響曲」は、確かに平和でなだらかな牧歌的なムードにあふれているが、RVW独特のペンタトニックな旋律は、物悲しい北イングランド風で、戦争の悲しみをも歌いこんだ戦火で命を失った人々へのレクイエムのようでもある。

木管の上下する音形で印象的に始まる茫洋とした出だしの第1楽章。
徐々に霧が晴れてくるかと思うと、また風景はぼんやりと霞んでしまう・・・。

やはり静やかな第2楽章、長いトランペットのソロは、夜明けを切り裂くような悲しいラッパに聴こえるし戦渦のなかの慄きか、はたまたあまりに儚い夢の中に留まりたい思いもあるかのようだ。
唯一元気のある3楽章は、フルートやヴァイオリンソロ、ハープの涼やかな合いの手が美しいが、ダイナミックな舞踏曲の様相となるユニークな楽章。
そして、この曲最大の聴き所の第4楽章。ティンパニのトレモロのなか、ソプラノ・ソロが歌詞を伴なわずに入ってくる。
このミステリアスな雰囲気で始まる繊細で美しい終楽章は、心の襞に染み入る癒しと安らぎの音楽だ。
優しく、おやすみなさい、お眠りなさいと語りかけるような音楽。
最後に再度、ソプラノが歌い、消え入るように「田園交響曲」は終わる静寂が訪れる。

次項の5番とともに、心優しい音楽づくりのプレヴィンにもっとも相応しい3番。
LSOと残した交響曲全集のなかでも、もっとも最後の方の録音で、オケとも関係性でももっとも緊密だったころ。
若いプレヴィンならではの、柔軟かつ歌にこだわる歌いまわしが心地よい、まさにフィーリングに満ちた演奏。

  ヴォーン・スイリアムズ 交響曲第5番

    サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

          (1962 @ロンドン)

   ※CDが引越し荷物に埋もれジャケット画像はありません。
    PCに取り込んだCDを再生しました
    このCDはサージェントのRWVも聴けるすぐれもの

次の戦争1943年という世界大戦まっただ中に、何故にこのような平和で柔和な作品が残されたのだろうか。
この前の不協和音乱れ飛ぶ不穏な4番(1943)と戦後作品とはいえ、闘争心と暗さみ満ちた6番(1947)というシャープでキツイ交響曲にはさまれた第5番が戦中だったことを思うと作曲者の心中を推し量りがたくなるがいかがだろう。

ヴォーン・ウィリアムズは熱心なクリスチャンだった。
オペラに声楽曲に、宗教を背景とした作品も多い。
第5交響曲をじっくり聴いてみると、RVWが戦火の悲惨さを思いつつ、そんななかで、祖国への愛、とりわけ英国の豊かで緩やかな自然、そして自らの宗教観を重ねてみたのではないかと思う。

「アレルヤ」という、キャロルの旋律が随所に何度もなんども出てくる。
イギリスのキャロルのなかで、もっとも知られたフレーズ

荘重で、まさに教会旋法を思わせる第1楽章。
スケルツォの2楽章。民謡調のパッセージが明滅しつつ、とりとめのない雰囲気。
この交響曲の白眉といえる第3楽章の素晴らしさ。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
ここに、純真な祈りの心も読み取れる。
例のアレルヤも何度もくりかえされる。
この楽章だけでも、ときおり聴くことがある。
わたしが死んだら、この楽章をいくつものリクエストの中のひとつとしてかけてほしい。
宗教感・自然観・人間模様がRVWの中で昇華されたかのような素晴らしいシーンなのだから。
いま、世界に一番聴いてもらいたい音楽。
 最後にパッサカリアとして、快活に始まる終楽章も、後半は全曲を振り返りつつ、3楽章をとりわけ思いおこしつつ、浄化されたかのようにして澄み切った雰囲気で曲を閉じるが、この曲の素晴らしさを集大成したような名残惜しい、そして忘れないで欲しいと語りかけてくるような、身にしみいるようなエンディング。
泣けます。

RWVの交響曲の中では一番好きな作品。
近年、一番演奏されているRWVの交響曲だと思う。
バルビローリはRWVの交響曲をボールトのように、すべて演奏しなかった。
残された録音は、2番(ロンドン)、5番、8番だと思う。
もっともバルビローリ向きの5番をEMI にステレオ録音されてよかった。
録音は古びて聴こえるが、バルビローリの一音一音、慈しむような、かつ熱い指揮は、この音楽の持つ祈りの熱さを伝えてやまない。
3楽章には熱き感動が、ラストシーンには切ないまでの祈りがここに聴かれます。

この5番は演奏会でも、プレヴィンとノリントン、いずれもN響の演奏で聴いてます。
いまこそ、RWVの田園と5番を聴くべし時節です。

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おうちから見える桜。

デスクから首を伸ばすと見えるぜいたく桜。

でも散った花びらを掃除するのはたいへんだし、葉が茂ったあとは、虫ちゃんがやってきます。


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桜は刹那的に楽しむもので、日本特有の味わいかたも華やかで儚いものです。

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この週末は冷たい雨で、次週晴れたら桜吹雪です。

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2019年12月21日 (土)

プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」 プレヴィン指揮

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恵比寿ガーデンプレイス。

毎冬見に行ってます。

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バカラシャンデリア、豪奢なものです。

大きなツリーと、このシャンデリアをつなぐ坂道にはイルミネーション。

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そして、いちばん先には、ロブションのシャトーレストラン。

これらは見るだけは無料です(笑)

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  プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

       (1983.4 @アビーロードスタジオ、ロンドン)
       ※ジャケット画像はネットからの借り物です

先ごろのヤンソンスの急逝も驚き、悲しみましたが、今年は、アンドレ・プレヴィンも亡くなってしまいました。
2月28日がその命日となりました。
クラシック音楽界では、あと、J・ノーマン、ギーレン、ツェンダーなどの逝去も伝えられ、時代の流れをいやでも感じさせる年でもありました。
そこそこ長く、クラシック音楽を聴いてきているけど、思えば自分も古めの聴き手になったものだと感じます。

そんな自分でも、ようやく全曲聴いて、大いに気にいった作品が今宵のバレエ音楽。

プレヴィンはロシア系のバレエ音楽を得意にして、録音も多く残しましたが、不思議とストラヴィンスキーは手掛けなかった。
プレヴィンの火の鳥とか、ペトルーシュカはあってもおかしくないのに・・・・

マゼール盤と並んで、その全曲盤が最高峰と思っているプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。
もうひとつのプロコフィエフのバレエ音楽は、気にはなってたけど、曲じたい聴いたことがないし、シンデレラってのもいまさらなぁ~と思ってました。
 そんなとき、ニューヨークフィルに客演したユロフスキの演奏をネットで聴いたのです。
抜粋版によるものでしたが、あたりまえのことですが、プロコフィエフらしいサウンドが満載で、聴き親しんだ交響曲のようでもあり、かっこいいワルツなんて眩暈がしそうなほどいい感じだし、曲の途中で、シンデレラに時間を継げる時計の音がパコパコなるところなんて、あ~、おもしれ~って感じで大いに気に入ったのでした。
そして、プレヴィンの2CD組の盤を購入しました。

全50曲で1時間52分、ともかく何度も聴きまして、耳にすっかり馴染ませました。
そして仕上げに、実際のバレエの舞台をネット鑑賞しました。
ほんとに便利な時代です。
バレエ音痴のわたくしですが、そうしてみてほんとに思ったのは、バレエダンサーの皆さんがほんとスゴイってこと。
とくにプリマとなるとずっと出ずっぱりで、あの運動量。
オペラ歌手は歌い演じるけれども、踊り演じるということの大変さと、活動期間も限られることなどにも想いを馳せたりもしましたね。
 そして、オーケストラピットの指揮者のこと。
オペラの舞台とはまた違う、舞台の進行を考えながら、ダンサーたちの動きも見ながらの指揮は、やはりオペラに通じつつも違うものがあるように思った次第。

 あとはなによりも、プロコフィエフの音楽がとてもよく書けていること。
誰もが知る、ペローの「シンデレラ」物語を、そのままい音楽にしたともいえる。
プロコフィエフの言葉。
「わたしは、音楽を通して、異なる人物、すなわち、可愛らしい物思いにふけったシンデレラと、気の弱い父親、意地悪な継母、利己的な姉たち、情熱的な若い王子を、観客が彼らの喜びや悲しみをともにせざるをえないような方法で伝えようと試みた。」

 まさに、作曲者の言う通り、バレエの舞台には、その素晴らしい音楽にぴったりの誰もが知るわかりやすい物語が展開されるのでした。
あとバレエには、オペラの演出のように、読み解きが必要となるような演出はあるのでしょうか・・
映像で観たのは、まずチューリヒバレエのもので指揮はフェドセーエフ。
亡くなったのは、父でなく母。姉たちは男性でオネエ、家もダンススタジオのようだったし、仙女さんはシンデレラ贔屓の先生。
あと面白いところ多数。
最後のエンディングでは、幸せそうに歩む王子とシンデレラの後ろから、ちゃっかり・こっそり姉ふたりが着いていっちゃうというもの。
洒落たエンディングで、思わず微笑んでしまった。
 そのあと、伝統的な舞台もいくつか観たけれど、物語に忠実で美しいけれど、先のチューリヒほどの面白さはないように感じた自分。
でも、ちょっとバレエにはまりそうな予感が・・・・・

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「ロミオとジュリエット」から9年後の完成で、1944年の作品。
まさに独ソ戦の真っただ中で、その翌年には、憎っくきソ連は日本に侵攻してくるのでしたが・・
安定した音楽活動期にあったプロコフィエフは、もっと大衆に愛される音楽をと思い、キーロフ劇場からの依頼もあって、1941年に「シンデレラ」に取り組む。
完成までのブランク期間は、文字通り、戦争によるもの。

 第1幕 シンデレラと姉たち、そして舞踏会へ
 第2幕 城内の舞踏会
 第3幕 舞踏会の翌朝、シンデレラを探す王子とハッピーエンド

1幕 序奏からしてプロコフィエフ節満載。
全編にわたって顔を出す旋律はシンデレラのモティーフらしい。
プロコフィエフの音楽の特徴を端的にあらわしていて、今回、シンデレラを何度も聴いて痛感したこと。
それは、シャープで澄みわたる高域に、響きわたる歌う低域。
そんなプロコフィエフサウンドを求めて、オペラにもチャレンジしてみたいし、交響曲やピアノソナタで、その作風の変遷を追ってみたいと思う。
 ユーモラスな継母・姉たちの音楽、仙女さんの主導する四季に応じたダンス、そしてシンデレラの憂愁と舞踏会への出発。
時限爆弾ともいうえべき、時計の警告の描き方その1.

2幕 リズムと各種ダンスの祭典
舞踏会の前座、そして到着した、意地悪姉さんたちの踊りと彼女たちのなにかと面白い所作が、ちゃんと音楽化されてるおかしみ。
野放図でありながら、憂愁とシニカルさもたたえたワルツが素晴らしく好きで、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を思わせるステキさ!

お決まりの各国のダンスに、いまでは言葉にしちゃいけないような人々のダンスに、民族臭ただようムード、そして姉さんたちの滑稽さも忘れてはいない。
プロコフィエフの旧作から、「オレンジの恋」のあのモティーフが出てくるのもおもしろい。
 そんななかで、静まりかえって、雰囲気が神妙になってしまう、シンデレラの登場。
ここでも、ワルツが始まり、全体を独特なムードにしてしまい、各種ダンスのあと、王子とシンデレラのパドゥ・ドゥーでは、とてもロマンテックな音楽が・・・チェロの甘い音色に、木管の合いの手が美しい。
 うごめく低音が、ここでもしっかりプロコフィエフサウンドを紡いでる。
2人が引いたあとの、またあのワルツ、でも今度は時間切れの切迫したウッドブロックと金管の警告。
ここが面白いところで、オケのおどろおどろしい響きも聴きもので、さぁ、無事にシンデレラは城から逃げ出し、王子は彼女の片方の靴を見つけだすところで、2幕終了。

3幕 翌朝の恋にトチ狂った王子さん
三回ある王子率いる、シンデレラ捜索隊の切羽つまったギャロップは、舞台せましと飛び回る。
音楽も、思わず、指揮してしまいたくなるような躍動感にあふれてる。
3度の候補者巡りには、スパニッシュ、アジアンと異国ムード満載で、これまたバレエのお約束か。
三度目はシンデレラの目覚めで、昨夜の思い出と諦念を思わせる音楽。
しかして王子は、シンデレラの家を探しあてるが、姉たち、継母も靴があわず、ついにシンデレラに・・・
見事なまでに美しいサプライスをえがいたプロコフィエフの音楽。
あとは、妖精さんの音楽のように、フォルテはなく、優しい、優しい、夢のゆうな音楽となる。
でも、先に書いたように、高域と低域の歌のやり取りはここでもしっかりあって、とっても感動的な音楽シーンを作り上げている。
 センチメンタルな終末的なエンディングでは、チェレスタが伴うことで、このステキな童話の、めでたしめでたしの終結を盛り上げます。

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ロンドン響、退任後、ロイヤルフィルの指揮者として帰ってくるまえの頃の録音。
LSOでよかった、と思います。
お互いの結びつきがまだ強かった頃、まだまだ一挙手一投足が同じころで、アバド時代ともかぶるころです。
そのニュートラルな響きが万能で、どんな曲でも、しっかり演奏できてしまうコンビにあって、このプロコフィエフは文句のつけようのない演奏。
あのエレガントなプレヴィンの指揮ぶりが、このバレエに込められたプロコフィエフの想いを、見事に表出していると思います。

今回、この曲の音盤で調べたら、ロジェストヴェンスキーのものと、アシュケナージの指揮のものがあるようです。
ソ連時代の演奏と、亡命者としてピアニストがアメリカのオケを降ったもの、このふたつに興味深々でありますっ!!

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2019年6月22日 (土)

ラフマニノフ 「鐘」 プレヴィン指揮

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吾妻山にある、もうひとつの神社が、「浅間神社」。

吾妻神社は、日本武尊と弟橘媛命にまつわる由緒ある神社ですが、こちらは、父の仇討で高名な曽我兄弟の姉、木花咲耶媛(このはなさくやひめ)が、仇討の大願成就の感謝を込めて、富士浅間神社を本社に、こちらに祀ったものとされます。

日本には、多くの神社があり、そこには古来、多くの日本人が、いろんな願いと感謝を込めて手を合わせてまいりました。

神社とお寺、その違いや、言葉はよろしくないですが、使い分けは、多く日本人はそう意識もせずに、日常行っていると思います。
初詣には、寺や神社に等しく出向きますし、供養はお墓やお寺に詣り、願掛けや感謝は、神社にお詣りします。
宗教と、民族的な信仰、このふたつを心のなかにうまく融合しているのではと思いますし、わたくしなんぞ、洗礼をうけているわけでもないのに、教会で手をあわせたり、キリスト教を背景とした音楽を聴き、涙することもあります。
柔軟かつ複雑な、日本人の思考は、こんなところからもうかがえるのかもしれません。
 お天道様が見ている・・、こうした自然や身の回りのものへの想いや感謝こそが、日本人の心にあるものだと思いますが、最近はどうも。。

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小さなお社ですが、新緑が実に映える清涼感あふれる美しさです。

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  ラフマニノフ  「鐘」op35

   S:シーラ・アームストロング T:ロバート・ティア
   Br:ジョン・シャーリー=クワーク

    サー・アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
                  ロンドン交響合唱団
           合唱指揮:アーサー・オールダム

        (1975.10 キングス・ウェイホール ロンドン)

ラフマニノフの交響曲は3曲あるけれど、それ以外に、交響曲的な要素ををもった作品がふたつ。
三浦淳史先生の名づけで、合唱交響曲とも後世呼ばれる、この「鐘」。
そして、晩年のアメリカでの作品、「交響的舞曲」。

作品の総数としては、そんなに多くはないラフマニノフは、自身が名ピアニストであったゆえの、協奏曲を含むピアノ作品を中心に、交響的な作品、そして、歌曲を中心にした声楽作品、それに作品数は少ないながら、室内楽作品に、オペラということになります。
まんべんなく、あらゆるジャンルに作曲をしましたが、ひとフレーズ聴けば、もうラフマニノフとわかる作品たちばかり。

むせかえるような甘味なメロディーに、暗たんたる、ともに落ち込んでしまいそうな旋律、それらの繰り返しのくどさ。
弾むリズムに、跳ねるような3拍子、ジャンジャカジャン的な派手だけど、あえないエンディング。
そう、こんなラフマニノフ・ワールドがいつしか、病みつきになるんです。

終焉の地がアメリカであったこともあるが、その音楽が大衆的な人気をはくすようになったのもアメリカからだと思うし、ストコフスキーやオーマンディの功績も大きい。
そして、ラフマニノフの人気は、スクリーンにも使われ、英国、本国ロシア、ヨーロッパ、日本へと広がっていったものと思う。

そのアメリカで早くから聴かれ、親しまれていたのが、「鐘」。
英語圏では、「Bells」。
 エドガー・アラン・ポーの詩による作品だが、ポーの原作そのものでなく、英語の原語を、ロシアの象徴派詩人のコンスタンティン・バリモントのロシア語訳によったものに作曲された。
そしてアメリカでは、このロシア語訳のものを、さらにファニー・コープランドという女性が英語訳にしたものが、ペテルブルクでの初演7年後、1920年に、ストコフスキーとフィラデルフィアにより米国初演され、これが好評でアメリカで親しまれるようになったとか。
この曲の初レコードも、オーマンディとフィラデルフィアによるものです。
信心深く、宗教に熱心なアメリカ人の心に、この美しく、哀しく、そして明るい旋律が満載の「鐘」が、日常の教会で聞く鐘の音と、その人生が共にあるという、この作品の根底にある信条とが響いたのでしょう。

 この作品の作曲のきっかけも、よく書かれているようにユニークなものです。
「ある日、見知らぬファンから手紙をもらった。そこには、バリモントの露訳によるポーの詩「鐘」が書き写されていて、この詩とともに、是非作曲をしてほしいとあった。この詩に感動したラフマニノフだが、すぎには作曲にとりかからなかったものの、のちに完成したこの音楽を聴いた、手紙の主は、自分が思い描いたとおりに完成していたので、喜びのあまりに失神するばかりであった、と。
それは、ラフマニノフの熱烈なファンで、モスクワ音楽院に在学していた女性チェリストだと後に判明したとのこと、内気すぎて、憧れの作曲家に直接会いにいけなかった」
ラフマニノフのファンは、シャイだけど、熱い、そんなある意味これもラフマニノフらしいエピソードであります。

人生の4つのシーン、そこに象徴される「鐘」。
ポーの原詩にはないタイトルが、バリモントの露訳では付けられていて、それが4つの楽章になっている。

①「誕生」      銀の鐘  澄んだそりの鈴
           若い命の輝きを讃える祝福の鈴の音

②「結婚」      金の鐘  甘く響く結婚式の鐘
           聖なる婚礼に響き渡る愛の鐘の音

③「人生のたたかい」 真鍮の鐘 けたたましい警鐘
           災いと恐怖の到来を告げる警鐘の音

④「死」       鉄の鐘  悲しみに沈んだ鉄の鐘
           永遠の別れを悲しむ弔いの鐘の音

この4つの章にある言葉どおりの音楽といえば、もうそれで足りる。
外盤なので、英訳歌詞をながめてもなんだかもどかしいので、もう流れる旋律と、いかにものロシア語に身をゆだねるだけでいい。

春の訪れともとれる、歓喜にあふれた①、まさに転がるような楽しい木管に、打楽器たち、そしてテノールも明るい。
いかにもラフマニノフらしい、甘味でロマンティックな②は、幸せな、夢見るようなソプラノ独唱を伴っていて、聴いてるこちらも、あんないい時代もあったなぁ~、と回顧したくなる気分。
スケルツォ的な③は、争乱を感じさせ、不穏は雰囲気だ。シャウトする合唱に金管がただ事でなく、聴いてて疲れるかも。
そして、イングリッシュホルンが、寂しくも無情にあふれた旋律を歌いだす④.
バリトンソロも、なかなかに沈痛だし、合唱の合いの手も重々しい、痛切な哀しみの連続で、思い切り落ち込むロシア人そのもの。
不条理さへの怒りも発しつつ、やがて死を受け入れ、曲は平安な慰めのムードに変わって行き、美しい夕映えのような最後となる。

多岐のキリスト教社会に住まう国々の方にとって、教会の「鐘」の音は、人生にとってきってもきれない、日々、そこにある存在なのです。
それを誰にでも共感を得やすく、わかりやすく、ポーのロシア語訳の力をえて音楽化したこの作品。
きっと欧米人にとっては、われわれ日本人以上に共感しやすい素材と、その音楽かと思います。

プレヴィンの西側ではオーマンディに次ぐ録音。
交響曲を親しみやすく、ビューティフルに演奏するように、この「鐘」も美味なるほどのに、鮮やかな指揮ぶりに思います。
イギリス人歌手たちもふくめ、ロンドン響も、その合唱団も、ロシア的な憂愁からは、ちょっと遠いのですが、でもこれもブリテッシュ・ラフマニノフ。
わかりやすく、明快、くったくのないラフマニノフであります。
録音が、やや古さを感じたりもしますが、プレヴィンのあの3つの交響曲のEMI録音の延長線上にある、そんな演奏であります。

日本人には、「鐘」は、除夜の鐘や、時を知らせるお寺の鐘、そんな風なイメージだけですが、でも身近なものにほかなりません。
そう、寺も神社も、日本人の心のよりどころであって、身近な存在です。

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2019年3月10日 (日)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ②

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サー・アンドレ・プレヴィン(1929~2019)を偲んで。

ベルリンで、ユダヤ系の両親の元に生まれたが、音楽の素養は、弁護士で会った父親譲りのもので、5歳からピアノを学びはじめたことによる。
ナチス台頭で、パリに逃れ、そこから家族でアメリカへ。
そして作曲家の伯父のいるカリフォルニアのビヴァリーヒルズに住み、そこでピアノと作曲をさらに学び、学業がてらMGM映画の音楽の仕事も始め、19歳で映画音楽も担当するなど、めきめきと才能を開花させていった。。。

1948年頃、ハリウッドで活躍を始めたプレヴィンだが、ちょうどその頃は、コルンゴルトが映画音楽から、再度、本格クラシックの作曲に戻り、ウィーンで再起しようとしたものの、すでに時代に取り残されたことを悟り、ふたたび、ハリウッドに戻らんとしていたころ。

プレヴィンとコルンゴルト、このふたりの接点をこうして思うのもまた楽しいものです。

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   コルンゴルト  交響曲 嬰ヘ長調 
    
 J・ウィリアムズにも通じるコルンゴルトの本格シンフォニー。
プレヴィンは、ゴージャスでありながら、重厚かつしなやかな響きをLSOから引き出してます。

    -----------------

さて、プレヴィンの初期のころの話、ジャズピアニストとして、一気にブレイク。
さらにモントゥーに師事して、1962年セントルイス響で指揮デビュー。
指揮者としてのレコーディングも同時に開始、指揮者、ピアニスト、ジャズピアニスト、作曲家としてのマルチな音楽家、アンドレ・プレヴィンの本格的なキャリアがスタートします。

アメリカばかりでなく、英国を中心にヨーロッパでの活動も盛んになり、ロイヤルフィルとロンドン交響楽団との録音もRCAレーベルに始まります。
1967年には、ヒューストン交響楽団の音楽監督に就任。
さらに、ケルテスの後任として、1968年、ロンドン響から、首席指揮者としての就任を乞われるます。
アメリカとイギリス、ふたつのオーケストラでの活動が始まったものの、妻がありながら、女優のミア・ファーローと同居していたことが保守的なヒューストンでゴシップとなり、プレヴィンはヒューストン響を3年で辞任することになり、この先、長年の蜜月となるロンドン響に専念することとなるわけです。

1968~79年に首席指揮者を務め、その後、85年にロイヤルフィルの音楽監督になったこともあり、ロンドン響とは、ちょっと疎遠になるものの、後に桂冠指揮者、そして最後には、名誉指揮者となりました。

ロンドン交響楽団とは、ほんとに多くの録音が残されてます。
首席指揮者時代は、EMIに、名誉指揮者時代はDGに。

ロンドン響との録音で、このコンビの多様な魅力が味わえる2つ音源。

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プレヴィンは、バーンスタインのように、語りも巧みで、BBCで、一般向けのクラシック番組解説付きで放映し、それが大ブレイクして、そのカジュアルな雰囲気も相まって、大人気となりました。

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その番組「ミュージック・ナイト」で取り上げた曲を集めた2枚。

自作の番組テーマ曲、ウォルトンの「戴冠式行進曲」、「魔法使いの弟子」、アルビノーニのアダージョ、「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ラ・ヴァルス、スラヴ舞曲、「ルスランとリュドミラ」序曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、バターワース「青柳の堤」、J・シュトラウス「皇帝円舞曲」

このあと、何度かの再録音もある、プレヴィンのレパートリーの根幹がここにあります。
いずれも爽やかに、親しみやすく、音楽を聴かせてくれます。
今回は、ことさらに、バーバーのアダージョと、バターワースの作品が、とても心に沁みました・・・・

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ロンドン響との、大きな功績のひとつは、ラフマニノフと並んで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を手掛けたこと。

レコード時代に、ことさらにパノラマティックな作品の「海」と「南極」を入手し、ボールとのレコードとともに擦り切れるくらいに聴いた。

こういう大きな作品をわかりやすく聴かせることにかけても。プレヴィンは名人だった。
CD化され、ほかの番号も、さらに、ロイヤルフィルとの再録もすべて聴いたが、さまざまな作風のV・ウィリアムズの多彩さと抒情性を、これまたよく描いていて、RVW作品の自分にとっての、ひとつの道標ともなりました。

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プレヴィンは、ロシア系の音楽も広範に取り上げ、大いに得意にしてました。

ロンドン響とは、チャイコフスキーの3大バレエを録音し、そのビューティフルな演奏に虜となりました。
またプロコフィエフは、交響曲とバレエ音楽を幾度も録音。
切れ味のよさと、憂愁とを巧みに表出。
そして、ショスタコーヴィチも多く取り上げ、残した番号は、4、5、6、8、10、13番。
プレヴィンの持つ音楽性は、案外、低域を重たく表現することが多く、ショスタコの暗い響きをよくつかんでいました。

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プレヴィンとロンドン響との英国音楽もたくさん。
もちろん、ロイヤルフィルともありますが。
そのRPOとともに、エルガーの主要な管弦楽作品を残してくれました。
1番よりも、ノーブルさと憂愁さのまさる2番の方が、プレヴィンには合ってました。
N響では、取り上げてくれませんでしたが、コンセルトヘボウとのライブもFMで聴きました。
ホルストの「惑星」も、「エグドン・ヒース」も忘れ難いですが、親交のあったブリテンの「春の交響曲」が曲の内容とともに、そして爆発的な春の訪れを描くプレヴィンの指揮が素晴らしい1枚です。

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ロンドン響とは、オケのフレキシビリティも加わって、協奏曲の録音も数多いです。
合わせものが、とてもうまかったプレヴィン。
協調性と優しさ、ソリストを立てる巧さにおいて、みんなが共演を望んだ指揮者がプレヴィンです。
オーマンディ、マリナー、ハイティンク、アバドなども、みんな協奏曲の達人だと思います。
ルプとの、シューマン・グリーグ、アシュケナージとのラフマニノフにプロコフィエフなどが、その代表格でしょう。

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Previn_pso

1976~84年には、ロンドン響と一次兼任で、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督となります。

ピッツバーグは、ケチャップのハインツがオーケストラを支える資本のメインで、そのメインホールもハインツホールと言うくらい。
プレヴィンは企業の資本家筋とも実にうまくやって、さらに、レコーディングの檜舞台から遠ざかっていたオーケストラを、メジャーレーベルに復活させました。
ピッツバーグ時代のわたくしの思う代表作ふたつ。

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ロンドン響とのガーシュインが、実にナイスなんですが、あえてピッツバーグで。
ちょっと重心が低い感もありますが、フィリップスの見事な録音もあいまって、歌い心地満点のジャジーなガーシュイン
発売当時、ニッサンのブルーバードのCMに使われてました。
やりそうでやらなかったチャイコフスキーの後期交響曲を、ようやくピッツバーグで録音。
あせらず騒がず、堂々たるチャイコフスキーでした。

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ピッツバーグのあとは、ロンドンに戻り、ロイヤル・フィルハーモニー(RPO)の音楽監督に迎えいれられます。

ロンドンの5大オケのなかでは、やや低迷していたRPOを、これまたメジャーレーベルに再び登場させたのです。
EMI,フィリップス、テラークという幅広いレーベルに、かつてLSOと入れたレパートリーを再録音。
でも、LSOの旧録音の方が、よかったりもした部分もありました。
しかし、本格的なドイツ音楽を録音し始めたのもRPO時代であります。

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ブラームスの交響曲は、3番と4番しか指揮しなかった(はず)。
N響でも素晴らしかったけれど、このRPO盤は、意外なほどに渋く、かっちりとまとまっており、しなやかなロマンティシズムを感じさせます。
好きな4番のひとつです。
 そして、全曲は完成しなかったが、ベートーヴェンの交響曲をRPOで残しました。
こちらも至極オーソドックスで、クリアーな、もやもや感ゼロのベートーヴェン。
RPOの無色透明なサウンドがお似合いで、深みはないが、曲の良さし感じさせない演奏。
アックスとピアノ協奏曲全集を入れているので、交響曲の再発とともに、望んでおきたい。

     ---------------------

ロイヤルフィルと兼ねるように、再びアメリカへ。

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ロサンゼルス・フィルハーモニックには、1986~89年に音楽監督として、ジュリーニがヨーロッパへ帰ったあとの空席を救います。
ロス時代の録音は、フィリップスとテラークへ。

Dvorak_sym8_previn Prokofiev_sym6_previn

テラークへのドヴォルザークの後期3大交響曲。
一番得意にしていた、8番。
ジャケットとともに、懐かしさと人なっこさを感じさせるハートウォームな佳演。
ちょっと乾き気味の録音のせいもあるけれど、カラッとしたロスフィルのカリフォルニアサウンドが実によろしい。
 同様に、明るめなプロコフィエフも機能性高いロスフィルあってのもので、ばっちり決まってる。5番よりも、6番の方がいい。
あと、アレクサンドルネフスキーもLSO以来、LAPOで再録しました。

アメリカのオーケストラとは、シカゴとフィラデルフィアでも録音を行いました。
終焉の地もアメリカでした。
ロスフィルを卒業しましたが、プレヴィンは、アメリカではバーンスタインに次ぐ、自国の巨星となったのでした。

プレヴィン最後の指揮者としてのポストは、オスロ・フィルハーモニーで、2002~06年。
ヤンソンスの後を継いだ訳ですが、さしたる録音は残しませんでした。
FMで放送された、ラフマニノフの2番を録音しましたが、相変わらずのプレヴィンらしい、聴かでどころのツボを押さえた見事な演奏でした。
ほかの録音も、今後、どこからか出てこないものでしょうか。

   -------------------

プレヴィンは、ウィーンフィルとも相思相愛の仲でした。
ウィーンフィルとは、ザルツブルク音楽祭の来演のかたちで、一度来日し、モーツァルトだけの演奏会を行いましたが、これは聴きもらしました。
でも、この時行われた、キュッヘルを中心とするウィーンフィル四重奏団と、2曲のピアノ四重奏曲を演奏しました。
これを聴くことができましたが、それこそ至福のひととき。
ホール中が、まろやかなウィーンのモーツァルトの響きに包まれてしまいました。
CDでも、彼らの演奏は、とても大好きで、大切に聴いてます。

グローバル化しつつあったウィーンフィルの本来の響きや音色を、無理なく自然に引き出すことができたのが、プレヴィンだったのです。

Previn_pfcon24_2 Previn_rstrauss_opera

プレヴィンの軽やかなピアノも、ウィーンフィルのまろやかな響きも、ともに楽しめるのが、モーツァルトのピアノ協奏曲の17番と24番。
EMIにボールトの指揮でも、録音しておりましたが、ここでは、フィリップスの素晴らしい録音もあいまって、ほんとに素敵な、ステキすぎるモーツァルトが、一杯つまってます。
 そして、R・シュトラウス!
オーケストラ作品と協奏曲を、ほぼこのコンビで録音してくれました。
主だった作品はテラークレーベルに入れましたが、とりわけ、「アルプス交響曲」と「ドン・キホーテ」や「死と変容」、さらにフィリップスへの「メタモルフォーゼン」、DGへの「家庭交響曲」は素晴らしいと思います。
 でも、ここでは、オペラからの管弦楽作品を集めた珠玉の1枚を。
芳醇な「ばらの騎士」にうっとりとしてしまいますが、「インテルメッツォ」の軽やかさと、舞曲の心躍る楽しさ、そして、枯淡のような「カプリッチョ」、月光の音楽のしたたるような美音。
プレヴィンの音盤のなかで、シュトラウスのオペラ好きとしても、一番好きな1枚かもしれません。

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オペラといえば、プレヴィンの指揮したオペラ作品は、ラヴェルの2作と、「こうもり」ぐらいしかないかもしれません。
イタリアオペラやワーグナーとも無縁。
R・シュトラウスのオペラを録音するような話もたしかありましたが、実現はしませんでした。
 むしろ、オペラは自ら作曲をする方でありました。
「欲望という名の電車」は、映像で一度観たのみで、詳細はあまり覚えておらず、語れません。
いつか音源も入手したいところです。
自作では、「ハニー・アンド・ルー」がCDも実演も、両方聴いてますので、好きな作品です。

ジャズの分野は、またいずれ、日を改めたいと思いますが、あんまり聴いてません。

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さて、われわれ日本人にとってうれしかったのは。NHK交響楽団の首席客演指揮者となっていただいたこと。
もしかしたら、後期のことゆえ、賞味期限切れとも思われたりもしました。
元来、首が悪く、猫背の症状もさらに悪化していた2007年以降、常に来日して、プレヴィンの元来のレパートリーを数々、披露していただきました。

ここぞとばかり、その、ほぼすべての演目を貪るように聴きました。
お得意の、弾き語りのモーツァルト、ラフマニノフの2番や、ショスタコ、プロコフィエフのいずれも5番、ブラームスに、R・シュトラウス・・・、ともかく、プレヴィンの、これまでの集大成ともいえる音楽を、N響にて聴くことができたのです。

Previn_nhkso

老いて、背中も曲がり、かつての、スマートで、しゃきーーんとしたプレヴィンとは大違いの、好々爺的な指揮姿でしたが、N響から引き出す、その音楽は、まさにプレヴィンの音楽そのものでした。

プレヴィンの音楽を、ずっと聴いてきて、最終的に、老いたりとはいえ、日本のN響で、最後の輝きを残してくれたことに感謝したいと思います。


Shiba_park_01a

  3月10日の、芝公園の梅

あとね、この3CD。
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

この作品に、3つの録音を残したのも、プレヴィンならではで、ほかにはいません。

ソロに合わせつつ、コルンゴルトのほろ苦い、甘味な世界を描きつくしている、プレヴィンの指揮でした。

Korngold_perlman Mutter_tchaiko_korngoldShaham_barber_korngold

オケごとに、プレヴィンの音楽を振り返りたいとも思いましたが、更新も遅れがち、書けるときに一気に書きました。
長文失礼しました。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が永遠でありますことを♰

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2019年3月 1日 (金)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ①

Previn_lso

愛すべき音楽家、そして、日本にもおなじみの音楽家、アンドレ・プレヴィンが、2月28日、亡くなりました。

享年89歳、あと少しで90歳を前にして。(1929~2019)

ロンドン交響楽団の黄金時代を築いたプレヴィン、その死を悼むページがどこのオーケストラのサイトよりも先に出てました。

このブログで、何度も書いてるかもしれませんが、わたくしの敬愛する指揮者は4名、音源も多数聴いてきたし、実演も、記事数も多いマエストロたち。
アバド、ハイティンク、プレヴィン、マリナー。

次々に物故してしまう。
自分もどんどん歳を重ねるとともに。

彼らの演奏を、常に新しいものを聴きつつ楽しんできたけれど、それが止まってしまうことの悲しさよ。

アメリカにとどまって、ローカルなオケを楽しみながら指揮したり、作曲活動も、ゆったりと行っていた、ここ数年。
でも、その活動の報が、まったくキャッチできなくなっていた、この2年ぐらい。

来るべきものが来た、そんな感じです・・・

Rachmaninov_sym2_previn

今宵は、まず、プレヴィンがあってこそ、世に広まり、いまやコンサートの人気曲のひとつとなったラフマニノフの交響曲を聴いて、プレヴィンを偲んでみました。
ほんとに美しい演奏です。

時間が許せば、ここしばらく、プレヴィンの音楽をたどってみたいと思います。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が、常しえに安らかにありますことを♰

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2018年12月24日 (月)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」    プレヴィン指揮

R1

六本木ヒルズのけやき坂のイルミネーション。

この冬はシルバーブルーの1色で、これが強弱をつけてゆっくりと点滅。

ヴィトンのお店の鮮やかさと、その間に東京タワー。

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      チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

      アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

             (1972.5 @キングスウェイホール)


クリスマスの音楽のひとつといえばこれ。
そして、みんな大好きチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。

おそらく、多くの方が、小学校の音楽の授業で聴いたことでしょう。
わたくしも、小学5年か6年に組曲版で聴きました。
もちろん、その時はバレエ音楽から抜き出した組曲とかいう認識や知識はありません。
 大いに気に入った小学生のワタクシは、町のレコード屋さんに飛んで行って、毎度お世話になったコロンビアのダイアモンド1000シリーズのなかの1枚、「白鳥の湖&くるみ割り人形」を買い求めたのでした。
ハンス・ユイゲン・ワルター指揮のプロ・ムジカ交響楽団の演奏。
いまや聴けなくなってしまい、どんな演奏だったか覚えてもませんが、この隠れた名指揮者の演奏は、ほかの盤もいくつか聴きましたが、平凡だけど外れがなく、優しいものであったとの思いがあります。
 その後、カラヤンとウィーンフィルのレコードを手に入れて、J・ワルターの廉価盤は、まったく聴かなくなってしまったけれど、同時に、全曲版が視野に入るようになり、その一番手がプレヴィンとロンドン響によるものでした。

これまで、いくつもの「くるみ割り人形」を聴いてきましたが、ジャケットも含めて、これが一番というのが自分の結論です。
 最近出たデゥダメル&LAPOは、ジャケット含めよさそうですが、でも何となくその演奏はだいたい予想がつき、自分には合いそうもなさそう。
これから録音されそうなものとしては、ネルソンスとボストン響、セガンとフィラデルフィアあたりに期待です。
しかしまぁ、今後の人生もそんなに長くないから、自分の「くるみ割り」は、プレヴィンの旧盤ということでとどめ置きましょう。

プレヴィンは、このあと86年にも、ロイヤルフィルと再録音をしてます。
その演奏も聴いてますが、ステレオからデジタルになったように、演奏もデジタル化したみたいな気がして、14年前のロンドン響のほうが、懐かしく、暖かいもののように感じました。

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53歳で没してしまったチャイコフスキーの晩年の傑作群のひとつ。
有名どころでは、「眠れる森」とともに、5番や「スペードの女王」と、「イオランタ」「悲愴」に挟まれた時期である1891年の作曲。

舞台音楽としてバレエ上演した場合、初演当時は、ファンタジー感が再現されにくかったり、さらには、主役の持っていきかたが難しかったりで、なかなか苦心したらしいが、舞台美術や装置、テクノロジーの発達した現代では、誠に美しい舞台が再現でき、大人から子供まで、みんなが楽しめるバレエ上演が世界中でなされている。

そして一方、コンサートでも全曲版が、一夜のプログラムとして乗ることが近年多くなりました。
また、コンサート後半の演目に、第2幕だけを演奏するのもあり。
いずれも、シンフォニックな演奏でも、十分に楽しめ、聴きごたえがあるからです。

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私の好きなシーンをいくつか。

       第1幕

①おなじみの序曲とそれに続くワクワク感満載の「クリスマスツリー」の情景。

②祖父ドロッセルマイヤの踊り。こんな楽しいお爺ちゃんになりたい。

③お客さんが帰り、夜。そしていよいよの高揚感。

④冬の松林~チャイコフスキーならではの情景描写

⑤雪片の踊り~こ洒落たワルツ、女声(児童)合唱を入れたところ、天才的

       第2幕

⑥お菓子の国と魔法の城~城を見渡せる高台にいるかのような気分でわくわく

⑦クララと王子~さあさあ、主人公たちの登場ですよって感じ

⑧ディヴェルティスマン~各国のダンスが勢ぞろい、いずれの筆致も神がかり

⑨花のワルツこそ、チャイコフスキーの代名詞か。
  ステキすぎるだろ、このワルツ。

⑩パ・ド・ドゥ~ロマンティックなアダージョで夢見る少女な気分になれるよ、
         こんなオジサンでも。
         そしてタランテラときて、金平糖さんは可愛いチェレスタ
         でもって、急転直下のコーダ
         この展開好き♡

⑪終幕のワルツにアポテオーズ~ドラマチックになりすぎない可愛い終幕
         夢から覚めた夢を見た感じ

こんな感じで、オヤジでも、何度でも夢をみることができます、そんな愛らしいバレエ音楽が「くるみ割り人形」。
この作品の2年後に、53歳で亡くなってしまうチャイコフスキー。
もう少し、長命だったらば・・・・
交響曲を9曲まで、オペラをあと3つ、バレエをあといくつか・・・・

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プレヴィンとロンドン響の名コンビは、この作品一のビューティフルな演奏だと思う。
心憎いほどのメロディの歌いまわしのよさで、テンポも順当なので、穏やかな安心感に包まれます。
冬の一夜、部屋を暖かくして、そしてちょっと暗くして、ツリーでも眺めながら聴くと、ほっこりすること間違いない演奏です。

このところ、プレヴィンの名前を聴かなくなった。
去年の秋の海外ニュースで、オレゴン響への客演が体調不良でキャンセルとの報を見たのと、同時期の作曲活動にこと、離婚したオッターとの良好な友達関係などを語ったインタビューのニュースを見て、その後1年。
89歳という年齢もあって、事実上の引退状態にあって、ちょっと心配。
いろんな思いでを残してくれた音楽家だけに、お元気で安泰であってほしいです。

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よきクリスマスを🎄

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2014年12月10日 (水)

R・シュトラウス ニ重小協奏曲 プレヴィン指揮

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まるで、ヨーロッパの王宮かなにかを思わせる雰囲気ざましょう?

恵比寿ガーデンプレイスの奥にあるレストラン。

ジョエル・ロブションにございます。

いくつかのレストランの形態が入ってますが、そのうちガストロノミーは、ミュシュランガイドの三つ星を取っておりますそうな。

まったく無縁の世界ですが、こうして、うっとりさせてくれる写真でも眺めながら、緑茶ハイをすするのもオツなもんです。

ちなみに、カジュアルな方のレストランのメニューはこんな感じ。

Robuchon

モダン・フレンチだそうです。

食べたくもあり、いや、歳取ってくると、和食で、最後はお茶漬けかなにかでさらっとしたいねぇ・・・・

Strauss_previn

 R・シュトラウス  クラリネットとファゴットのためのニ重小協奏曲

     Cl:ペーター・シュミードル Fg:ミヒャエル・ウェルバ

   アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                       (1996.11 @ウィーン)


R・シュトラウス(1864~1949)の生誕150年は、思ったほどに盛り上がらずに、静かに終わりそうです。

かといって、演奏されなかった訳じゃなくて、むしろ、コンサートやオペラのプログラムとして、シュトラウスの音楽は、世界的に完全に定着してしまっていて、日常に聴ける作曲家のひとりとなっているわけですね。

オーケストラの技能の向上や、録音技術の目覚ましい進化なども、マーラーなどとともに、人気作曲家へと押し上げる要因のひとつです。

そんなシュトラウスでも、まだオペラはその一部しか親しまれておりませんし、室内作品も、まだまだ素敵な作品がたくさん。
そして、今日は、最晩年のユニークな協奏作品を。

20分程度の、可愛いくもステキな作品で、これは、まさにオペラの世界です。

弦楽とハープは、文字通り伴奏する存在にとどまり、クラリネットとファゴットという、きらびやかさとは無縁の中音の楽器ふたつが、まるで、言葉の多い多弁なシュトラウスのオペラの登場人物のようにして、語りまくり、歌いまくるのです。

3つの楽章を成してはいますが、連続して演奏され、最初の楽章では、クラリネットが主役で、朗々と清々しいソロをたくさん聴かせます。
2楽章は逆に、ファゴットが楚々と緩やかなソロでなごませてくれます。
 そして、3楽章にいたって、ふたつの楽器の明るくも、語り口の滑らかかつ多弁な競演となります♪

1947年、イタリアのルガーノの、スイス・イタリア語放送局からの委嘱を受けて、12月クリスマス明けに完成させました。

 こうした曲は、オーケストラの首席たちをソロにしてこそ、ファミリーな感じで、その妙意が味わえるものです。
そうした意味で、ウィーンフィルであります。
ウィーンの管楽器の、まろやかな丸みを帯びた響きが、シュトラウスの清朗な世界にぴったりときます。
先日、60~70年代のウィーンフィルの木管の代名詞のような存在だった、アルフレート・プリンツ氏が亡くなってしまいましたが、そのあとがシュミードル。
ウェルバのファゴットとともに、代々、永々と続く、ウィーンフィルの伝統をその血脈とともに語り継ぐ名手たちです。
 その伝統も、時代の変遷とともに、楽器の変化も伴いながら変わりゆくのも、それは宿命で致し方がないことですね。
わたくしが名前を思いだせるのも、その音色が脳裏に浮かぶのも、彼らの世代までかもです。

ホルン、オーボエ、そして、このニ重協奏曲を録音しているのは、あとは、ドレスデン。
ベルリンには、この曲がありませんでしたね。

シュトラウス晩年の澄み切った心境を感じさせる桂曲にございます。

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2014年8月 2日 (土)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 プレヴィン指揮

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芝浦から浜松町方面を望む。

休日ですので、オフィスビルの明かりは、ほとんどなく、マンションの明かりはちらほらあります。

江戸時代までは、ここは海。
運河がその名残であります。

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    ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   アンドレ・プレヴィン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1990.4.30 @ロイスホール、UCLA)


いわゆる「新世界」であります。

Fromが付いているから、「新世界より」とか、「から」とかになります。

そして、俗に言う、第9と呼ぶ方はまずはおりません。

とかなんとか書いてますが、これほどの有名曲になると、もうなにも書くことはありません。

 この曲は、自分には、年末から正月にかけてのイメージがあって、何故かというと、小学生のときの、初レコードがこの曲でありまして、それは、親からのありがたいクリスマスプレゼントだったのです。

ケルテスとウィーンフィルの「新世界」と、カラヤンの「田園」、この2枚。

毎日毎日、その2枚のレコードしかありませんから、飽くことなく聴き続けた少年のワタクシ。
各種溢れかえる、音源は、いまやネットからのものも加わり、一度流しておしまい。
レコードをあれほど、大切に聴いた自分が、遠い存在のように感じます。

そんな思いもふまえて、ブログをやることの効能は、1枚のCDをじっくりと聴くという行為、そのものにも直結するということです。

さてさて、真夏の新世界、今宵は、アンドレ・プレヴィンのロスフィル時代の演奏で。

ジュリーニという大物がヨーロッパに去ったあとのロスフィルには、プレヴィンがやってきました。
1985年から89年の4年間ですが、ロスフィルの明るいサウンドには、プレヴィンはまさにお似合いで、ジュリーニ退任のあと、士気の落ちたこのオーケストラを、プレヴィンは見事立ち直らせて、フィリップスやテラークに多くの録音を残し、日本にもやってきました。

1楽章の繰り返しはなしで、演奏タイムは約41分。
そのわりに、テンポがゆったりめに感じるのは、プレヴィンらしく、丁寧にやさしく、音楽の隅々にいたるまで目を光らせているからでして、どこにも急いたところはなく、おっとりとした温和な演奏なのです。

懐かしさや、かっこいい旋律満載の超名曲ですが、こんな風な普通の温厚新世界があってもいいと思います。
 旋律の歌わせ方も、いかにも優しいプレヴィンですよ。
聴き慣れた旋律の数々も、どこか新鮮に聴こえます。
埋もれてしまう各声部も、浮かび上がってきて、そちらも新鮮。
 そして、第2楽章ラルゴのしみじみ演奏には泣かされました。
ことに、中間部の哀切あふれる歌い回しは、そうくるかって感じでたまりません。

聴き古した名曲も、いろんな発見を与えてくれる演奏で聴くのもまたいいことであります。

最近、プレヴィンの活動が聞かれないけど、もう85歳。
いつまでも元気にいて欲しいと思いますね。

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