カテゴリー「バス・バリトン」の記事

2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

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 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

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テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2014年12月25日 (木)

ヘルマン・プライ クリスマス

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みなさま、クリスマス、おめでとうございます。

日本は、イブに爆発しすぎて、本番の25日は、五十日(ごとうび)だし、企業の多くの給料日だから、クリスマスなんてことを、すっかり忘れて、残ったクリスマス商品やケーキを売りさばくに徹するのみにナリマス。

これもまた、特定のお祭り日を商業的に定めて、みんなで渡れば怖くない的な雰囲気を造り上げてしまう風潮の、日本的な典型なのでしょうね。

それでも全然、いいと思います。

でも、すくなくとも、キリスト教の真夜中の「イエスの誕生日」ということを、少しでも頭において、その上で楽しんで欲しいと思いますね。

クラシック音楽を聴いてると、避けて通れない、キリスト教社会が背景にあるがゆえの音楽の世界。
それらを理解するうえでも、聖書を読んだり、イエスのことを理解したりと、興味を超えた「学び」が必要になります。
わたくしも、当然に歩みましたし、幼稚園の頃から馴染んできて、当たり前になってきた思考でもあります。

そんな一方で、墓や仏壇に手を合わせ、神社にも清々しい思いをいだく、そんな日本人です。
とりわけ、肉親の死に接して、係わらざるを得ない場面も多々あるのが、この日本。

いまは、それでいいと思います。

大切なのは、自分がすべてでない、人との交わり、そしてそれでもって生きているという、謙虚な思いです。

あら、なんて、立派なことを語ってしまうんでしょう。
酒飲みながら語るセリフじゃないですよね・・・・・

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恵比寿のガーデンプレイスは、今年、訪れたイルミナイトのなかでも、最高の逸品でした。

暮れかけたときと、完全に暮れてしまった一瞬との境目も味わいました。

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  ヘルマン・プライとテルツ少年合唱団 クリスマスの歌

       バリトン:ヘルマン・プライ

         テルツ少年合唱団

   ゲルハルト・シュミット-ガーデン指揮 グランケ交響楽団

                      (1965?年 ミュンヘン)


ドイツのクリスマス。

それは、南北に広いドイツで、同じキリスト教社会でも、宗派に違いにより、様相が異なるはずですが、渾然一体で、「ドイツのクリスマス」的なイメージとして受け止められてます。

一概には言えませんが、北はプロテスタント、南はカトリック・・・。

でも、イエスの生誕を祝う祝日は、お互いが、それぞれに、いいところを意識しつつ、どちらも同じような、普遍的なお祝いを造り上げたのではないでしょうか。

音楽も、それこそ、一律にはできませんが、ドイツのクリスマス音楽は、素朴でありながら、聖夜の暖かな雰囲気をイメージさせる、ほのぼの暖色系のものが永く歌い継がれてきたものだと思います。

ヘルマン・プライと、テルツ少年合唱団という、それこそ、ドイツの真ん中をイメージさせる、ほのぼのカップルは、まさに、ドイツ・クリスマス音楽にうってつけ。

プライの柔らかくも清潔で、真っ正直な歌声は、まさに、もって生まれたパパゲーノのイメージそのままに、どこの家庭にもいる、お兄さんの雰囲気です。
頼りになるけど、ちょっとおっちょこちょいで、でも、ほんと、憎めない、いいヤツ。
そんな彼氏が歌う、ドイツのクリスマスは、暖かいカーペットのうえで、暖炉を見つめながら、親しい人と迎える親密なクリスマス。そんな画像が思い浮かぶ、そのままの絵です。

プライとの共演も、合唱単体もある、この音盤でのテルツ少年合唱団。

こちらも、まさに、モーツァルトの「魔笛」的な世界で、無垢なる清純な天使たちの歌声。
ドイツ語の美しさを感じさせるうえでも、まさに、耳に優しく、しかも、そこが、ドイツ音楽好きには、耳のご馳走なんですね。

そのうえ、そこらの市井にあるオルガンの響きや、南ドイツっぽい、ツィターの伴奏も加わってますから、これまた雰囲気抜群ですよ。

曲目は、あれこれ書きませんが、誰もが聴いたことある懐かしい曲ばかりで、毎年、この季節に、頭をよぎる、素敵な曲たちばかりの選曲です。

69歳で亡くなってしまった、ヘルマン・プライは、その姿も、そのお声も、いずれも若々しく、永遠のパパゲーノのような存在だったから、その、まさかの死には、ショックを禁じ得ませんでした。
それは、まさに、ルチア・ポップの死の驚きと同じくするものでした。

後年は、そのイメージを脱するような、カッコ悪いイメージばかりの、マイスタージンガーのベックメッサーを歌い演じて、新しいベックメッサー像を打ち建てたし、朋友のアバドと組んで、ロッシーニのフィガロ、第九に始まり、ついには、ヴォツェックにもチャレンジしようとしながら、ベルクが流れてしまったことが、その死でもって、希少な機会が完全に失われてしまった・・・・。

 でも、そんなヘルマン・プライの一番最良の顔が見えるのは、こんなささやかな、ドイツのクリスマス・ソングの1枚かもしれません。

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Frohe Weihnachten!

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2014年1月11日 (土)

マーラー 「さすらう若人の歌」 F=ディースカウ

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もう松は取れてしまいましたが、東京駅の丸の内側にあった賀正リース。

かなり大きくて見栄えのするものでした。

いつも思うのですが、街を飾ったこうしたシーズン用品は、終わったら捨ててしまうのでしょうかね?
お飾りなら、納めるということもあるでしょうが、クリスマス系はとくに。

え?何故って、捨てるなら、もったいないから、欲しいから。

新年の名曲シリーズ。
今年は、各ジャンルごとに聴いてきましたが、最後は、歌曲部門。
さすがに、音楽史、現代部門には、万人の名曲というのは難しいもので、今回で終了となります。

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    マーラー  歌曲集「さすらう若人の歌」

        ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

      ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

                     (1968.12 @ミュンヘン)


マーラーは、ブームではなく、もう完全に音楽界に定着したわけですが、歌曲の方は、その数も限定されているに限らず、交響曲に比して、必ずしも多く聴かれているわけではありません。
いずれの歌曲も、交響曲と密接なつながりを持ち、歌詞があることで、マーラー独特の厭世感と楽天的な明るさ、そしてドイツの風物に根差した自然観といったものが、より色濃く出ております。

一番聴きやすいのが、「さすらう若人の歌」で、わたくしも、これを一番先によく聴くようになりました。
交響曲第1番と、ほぼ併行するように書かれ、その旋律も共通していることからです。

いまでは、むしろ、この歌曲集は、あまり聴かなくなって、「リュッケルトの詩による歌曲集」を好むようになりました。
「亡き子を偲ぶ歌」は、あまりに宿命的で暗いけど、トリスタン的な世界が好き。
「子供の不思議な角笛」は、楽しくてバラエティ豊か。

で、「さすらう若人」は、若書きにもよるが、ちょっと稚拙。
しかも、この曲は、角笛民謡にも影響を受けつつの自作の詩。
それがよく読むとまた極端に情けない若人なのだから。

 1.君が嫁ぐ日

 僕の恋人が嫁ぐ日は、悲しい日。僕は自分の部屋に引きこもってしまうんですよ。
鳥さんに、もう歌わないでくれと言ってしまう。

 2.露しげき朝の野辺に

 鳥さんも、野の花も、世の中素晴らしいよ、と歌いかけて、元気になる僕ちゃん。
でも、僕はもう知っちゃてる。
僕の花は咲かないんだ、と、いきなりマイナス・オーラに・・・。

 3.僕の胸には燃える剣が

 僕の胸の中には、喜びと苦しみを、ずたずたにする剣があるんだ。
ブロンドの彼女を見ることすら苦しいよ。
だから棺桶に身を横たえてしまえば、もう見なくてすむね。

 4.君の青い瞳

 青い瞳が、僕を遠い地へと愛と悩みを手に旅立たせてしまった。
誰も別れを言ってくれなかった。
あっ、菩提樹が立っている。
そのもとで、身を横たえよう、はらはらと雪と花が舞い落ちてくる。
こうして、すべて忘れてしまおう。気分が楽になったわ。

ちょっと、茶化してしまいましたが、こんな哀しい若人。
しっかりせい、と言いたいところだが、若き日の、マーラーの一面である、その心の一端なのでありましょう。
ヨハンナ・リヒターというソプラノ歌手に恋して、ふられたマーラーの心情も映しこまれているともされます。

1と2の曲に、交響曲第1番の旋律が共通しております。
4の、最後、菩提樹のくだりでの、安住の地を得たかのような、安堵と諦念の入り混じったような場面は、とても素晴らしいと思います。

そのような千変万化の心情を、言葉ひとつひとつに託して、巧みに歌いこむことに関しては、フィッシャー・ディースカウは、名人芸級の歌手でした。
プライの青年的な微笑ましいくらいの歌唱とともに、F=ディースカウの知的で考え抜かれた歌唱も大好きであります。
明るく、ハリのある声と明晰な発声によるドイツ語は、安心感と寛ぎをわたくしに与えてくれます。

多くの録音と共演者のある同曲ですが、オーケストラは、クーベリックとバイエルンの明るい音色と、どことなくボヘミアの自然を感じさせる演奏は、これが一番かもです。
 

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2013年3月 9日 (土)

R・シュトラウス 歌曲集 サヴァリッシュ

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横浜元町でみつけた花のツリー。

もうセールも終わり、この花のイルミはなくなってしまったかもしれません。

ウォルフガンク・サヴァリッシュの追悼と、あの震災から2年という節目への思いを込めて。

ピアノの名手でもあったサヴァリッシュは、室内楽にリートに、演奏会でも録音でも、精力的に活動しておりました。
オペラハウスの総監督をしていて、勉強も含めて、どうしてそんな時間が作れたか。
これはもう、われわれ凡人の及ぶところではありませんね。

いずれも、サヴァリッシュがピアノ伴奏をしたR・シュトラウスを聴きます。

ずっと以前からの愛聴盤。気がついたらみんなサヴァリッシュがピアノを弾いていた。

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  R・シュトラウス    歌曲集

      ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

              (1981.10 @ミュンヘン、83.9@ベルリン)


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  R・シュトラウス    歌曲集

       ヘルマン・プライ

              (1972.11 @ミュンヘン)


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   R・シュトラウス    歌曲集

       ルチア・ポップ

              (1984.9 @kloster seeon)


3枚のCDに共通する曲は、作品番号10の、「なにも」と「夜」。

シュトラウス18歳の若い作品の「なにも」は、女性賛美の朗らかな歌。
同じ時期の「夜」では、夜と森。ドイツならではのしじまを感じるロマンティッシュな作品。

明るい明晰な声と、言葉の意味合いの歌いだしの素晴らしさがフィッシャー=ディースカウ。

同じ明るい声でも、言葉への思い入れがもっと伸びやかで、近くにいつもいるお兄さん的な安心感のあるプライ。

蠱惑的なまでに、魅惑の声のポップは、微細な揺れ具合が抜群に愛おしい。
この方の声も、隣に住む気の置けないお姉さん声だった。

これら、わたしたちにとって、お馴染みで、いまや懐かしい歌声たちのピアノ伴奏を、名手サヴァリッシュは、その声を100パーセント理解したうえで、つかず離れず、巧みな在り方でもって、歌を引き立て、そしてシュトラウスならではの地中海的なクリアーさでもってもりたてています。

ほかの曲では、二人に共通して収録される曲で、あとこっちがあれば・・というような思いを抱く名唱・名曲があります。

FDとポップによる「帰郷」は、恋と故郷という懐かしい思いを感じさせてくれます。

シュトラウスの歌曲の中でも、もっとも好きな「明日には」~「Morgen」。
ここでは、プライとFDのふたりの素敵なバリトンで聴くことができます。

  そして、明日には太陽は再び輝き出るだろう

  そして僕の歩んでいく道すがら

  太陽は再びあの人に会わせ、幸せにしてくれるだろう

  日の光りを一杯に浴びている、この大地で

  そして、広々とした青い波の打ち寄せる岸辺に

  ぼくたちは静かに、ゆっくりと近づいてゆくだろう

  そして僕たちは黙って、目を見交わし合うだろう

  そのとき沈黙の密やかな幸せがぼくたちを包んでくれる・・・・。

               (ジョン・ヘンリー・マッケイ)


ここでも、耽美的なまでのピアノには、ほとほと参ってしまいます。
シュトラウスが描く世界は、ピアノ1台でも、極めて甘味でして、オペラの世界に通じるものです。
プライとFD、どちらも青春の切ないひとこまの、その一瞬を見事にとらえております。
切ないまでの美しさです。
願わくは、ポップの歌声でも聴きたかった。

同じく、ピアノのアルペッジョが魅惑的な「セレナーデ」は、これもFDとプライ。

有名な「献呈」は、わたしも歌いたいくらいの素敵な歌曲。
シューマンと並んで、大好きな歌曲を、ここでは真摯なプライと可愛いポップの歌で聴けます。サヴァリッシュのピアノは、ドラマティックかつ、オペラの一節のようです。

ほかにも、「万霊節」、「君を愛す」、「子守唄」、「ひどい嵐」などなど、伸びやかで屈託のない明るいR・シュトラウスの歌曲の魅力が味わえる名唱がそれぞれに味わえる3枚のCDなのでした。

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2012年5月20日 (日)

バッハ カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」 F=ディースカウ

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最後の晩餐、席を立つユダ、そして十字架を背負い丘を登るイエス。

教会には、聖書の物語がこうしてステンドグラスで描かれております。

かつて、文字が必ずしも読むことができなかった庶民にもわかりやすくするためといわれてます。

霊南坂教会にて。

Reinanzaka_church_5

全体はこのようになっておりました。

前にも書きましたが、オルガンの練習もされておりまして、ひとり、心澄んだ時を過ごすことができました。

この教会はプロテスタント系。
質実な雰囲気が、バッハの音楽にとても相応しく感じられる。

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 バッハ カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」BWV56

      Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団
               Ob:マンフレート・クレメント
                      (1969.7@ミュンヘン)


三位一体節後第19日曜日用、1726年10月27日に演奏。

苦難に満ちた人生の道行は、死という安らかな港にたどりつくことによって初めて救済に導かれる。(CD解説書より記載)という思想が貫かれたカンタータ。

バリトンのソロカンタータとして、もうひとつ、82番「われは足れり」とともに充実した作品として録音も多いです。

バッハのカンタータによく見られるパターンで、当初迷う人間が、イエスや神を得て、明るく、それは甘味なまでに飛翔し、最後には神を賛美して締める。

十字架を担う深刻さと苦痛を深く感じさせる冒頭のアリア、イエスとともに歩む舟路を人生に例え、チェロにはさざ波をあらわす音型が繰り返されるレシタティーヴォ。
そして、オーボエの喜ばしいソロを伴った歓喜のアリア。
このアリアは、本当に素晴らしくて、暗中の森を抜けだしたかのような光明を与えてくれる。
そして、次のレシターティーヴォでは安らぎが支配し、死への不安もさり、静かで感動的な最終コラールを迎える。

簡潔ながらバッハの音楽の持つ深みと、コンパクトな設計の中に、世の人々の人生がしっかり描かれていることを感じます。

先日亡くなった偉大な大歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの名唱で。
明るくハリのある明快な歌声に、繰り返しの言葉にもそれぞれの思いを変えながら、意味合いを付加してゆく巧みさ。
声のテクニックが鼻につくことなく、バッハの禁欲的・献身的な音楽の中に、しっかり納まっている。
バッハに関しての盟友ともいえるリヒターとともに、明晰なバッハがこうして聴けることに感謝したいです。

リヒターが54歳で亡くなったのは1981年。もう30年。
そして、フィッシャー=ディースカウが今年、享年86歳。
ほぼ同じ世代でありました。

リヒターの音楽は、若い日々のものほど厳しく厳格。
晩年は、バッハ以外の音楽も多数手掛け、芸風も変わっていった。
ライフワークだったカンタータ録音が、リヒターが長命して全部行われていたら、古楽奏法への対応など、いったいどのように変化していったことでしょう。

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2012年5月19日 (土)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを偲んで

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不世出と呼ぶに相応しい大歌手、ディートリヒ・フィシャー=ディースカウが亡くなりました。

1925.5.28~2012.5.18。 

87歳の誕生日を前に逝去。

92年に歌手生活に終止符を打ち、この20年は後進の指導や朗読など静かな余生を送ったフィッシャー=ディースカウ(FD)。

音楽を聴きだしたころからずっとずっと現役で、引退後も変わらず聴いてきて、ずっとそばにいた万能歌手がFDでした。
歌曲もオペラも宗教曲も、困ったとき、FDを選択すればハズレがなく、いつも満点の歌唱。
うま過ぎる歌唱、その計算されつくした知的な歌いまわしは、言葉への入念な感情移入も伴い、好みの分かれるところではありました。
 ですが、わたくしは、そんなFDが好きでした。

全集魔として古今東西網羅された歌曲の数々は、そのほとんどがFDが刷り込み。
宗教曲は、リヒターのバッハには必ず登場していたから、こちらもFDばかり。
オペラでは、FDはどちらかというと二番手に選択される役柄が多かったかも。
聴き慣れたモーツァルトやイタリアオペラやワーグナーも、FDで聴くととても新鮮で斬新だった。
FDの、スカルピアやイャーゴ、ファルスタッフ、オランダ人、ウォータン、ザックス、ヴォツェックは私には最高の歌唱だと思ってます。

 ワーグナー 「ワルキューレ」~「ウォータンの告別」

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


クーベリックのワルキューレも貴重だけれど、FDのウォータンは、ラインの黄金以外はこれが唯一。
オーケストラともども、明るく南ドイツ風で、滑らかなワーグナーはとてもユニーク。
一語一語かみしめるように、愛娘との別離を歌うFDのウォータンには泣けます。

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 マーラー 交響曲「大地の歌」~「告別」

     レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


そして、本当の告別です。
Ewig Ewig が、リアルに切なく、FDとの永久の別れがつらいです。
いずれも、指揮者も歌手も、みなこの世になくなってしまっているんですね。

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 シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」~「鳩の便り」

       ピアノ:ジェラルド・ムーア


FD60歳に発売された、自身の絵画をジャケットにあしらったシリーズの1枚。
何度も録音し続けたシューベルトの3大歌曲集。
「冬の旅」だけでも、いくつ録音があるだろう。
それぞれが独特の完成度を誇り、常に新しくチャレンジし続けたFD。

今夜は、「白鳥の歌」から、ザイドル詩によるシューベルト最後の歌曲「鳩の便り」を。
シューベルト晩年の死の影をたたえた音楽の中にあって、「鳩の便り」は明るく抒情的で、その旅立ちは暗くなく、愛らしい便りを運んでくれそうだ。
FDのさりげない歌い口の巧さが、シューベルトの歌心の本質をしっかりとらえてます。

歌手が亡くなるといつも思い、書くこと。
それは、現役から退き、過去の音源でしか聴けなくなってしまった歌手たちが、亡くなるときにだけ再びクローズアップされる。
わたしたちは、その現役時代にあった時代の自分のことを思い、その時間の経過に空白感を想う。

FDの死は、やはりとても寂しいものでした。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウさんの安らかな眠りをお祈りいたします。

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2012年4月25日 (水)

レオ・ヌッチ リサイタル

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マルちゃん 正麺である。

正しい麺と書くインスタントラーメン。

みなさん、一度はお試しになられたことでありましょう。

これの醤油味を、これももしかしたら誰かやったかもしれない、パッケージの写真のように作ってみたのであります。

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角度がちょっとアレですが、具材は全部手製、もちろんネギやほうれんそう、豚も鶏も飼ってませんがね。

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この正麺は、マジにうまいですよ。

ばら売りで100円ですし、こんなCPの高いラーメンはない。

まるでラーメン屋さんのような仕上がりになりましたよ。

実に正しい。

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  レオ・ヌッチ リサイタル

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 私は街のなんでも屋

プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」 スキッキの演説

ヴェルディ 「リコレット」 二人はおなじ

     〃         リゴレットとジルダの二重唱

         (ジルダ:エレノーラ・ブラート)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 あの不思議にして万能の

         (伯爵:エンリコ・イヴィーリャ)

     〃               立派だよ、ご両人

         (ロジーナ:フェレデリカ・カルネヴェーレ)

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」 国を裏切るもの


       Br: レオ・ヌッチ

       Pf:ミルコ・ロヴェレッリ

               (2007.9.11@スポレート)


イタリアの名バリトン、レオ・ヌッチのアリア・リサイタルを聴きます。

ヌッチは、今年70歳。まだ現役でしょうか。

純正イタリアバリトン、しかもバスティニーニ、カプッチルリ、ザナーシ、ブルゾンと並ぶヴェルディ・バリトン。
この人がもしいなかったらカプッチルリ後の空白が生まれてしまったことでしょう。
実は、カプッチルリは何度も聴いているけれど、ヌッチは何故か、その舞台に接することなく今に至ってしまった。

1981年のアバドとクライバーによるスカラ座引っ越し公演にて、鮮やかな日本デビュー。
当時、新入社員だったので、大好きなアバドの定番「シモン」のS席を入手するのが精いっぱい。
いま思えば、アバドの「セビリア」もカルロスの「オテロ」「ボエーム」も死ぬ気で確保すべきだった。生涯に悔いの残る出来事のひとつだ。

Nucciaraiza

その「セビリア」は、FM生放送で家で聴いていた。
フィガロの登場の場面、「わたしは街のなんでも屋」で、聴衆からヒューというか溜息みたいな歓声が上がるのを聴いた記憶がある。
その時の実況アナウンサー 後藤美代子さんが上品に、そして実は興奮しながらヌッチの颯爽とした登場場面を語っていたのを昨日のように覚えてる。
イキイキとしたポネルの演出では、フィガロは舞台を縦横無尽・八面六臂に駆け回るスポーティな人物で、先の登場の場では、消防団のように、二階から滑り棒でスィーと滑り出てきたのだった。
そして、その小又の切れあがった鮮やかな歌声に、日本中が痺れたのでした。
この時は、アバドの快速オーケストラにのって、絶好調舞台だった。
同時に、ほぼ日本デビューのアライサとヴァレンティーニ・テッラーニ、エンツォ・ダーラという超強弓のキャストで、そのいずれもが日本にその名を刻んだ歴史的な舞台だったのです。

アリア集の録音がほとんどないヌッチの貴重なリサイタルライブ。
オペラデビューしたゆかりあるスポレートでのライブで、ヌッチが中心となって、若い歌手たちも新鮮な歌声を聴かせております。

上にあげたのはヌッチの登場曲のみで、ほかには、私には初聴きの名前の若手歌手によるアリアや重唱も演奏されている。
そんななかで、日本の佐藤康子さんが、トロヴァトーレのアリアを堂々と歌って喝采を呼んでおります。
佐藤さんは、カヴァイヴァンスカに師事し、スポレートに学びデビュー、その研修後の頃の披露公演に思われる。
あれれ?と思うほかの歌手の中にあって、ピカイチですよ佐藤さん。
日本人としてブラボーを浴びる様子が頼もしいのでした。

そして、ヌッチの衰えを知らないピッチピチの歌声は聴く人を必ずや元気にしてしまう。
フィガロの早口言葉のような機関銃歌唱には、いまも舌を巻きます。
悲劇のかたまりのようなリゴレットでは、ヴェルディ魂がこもってまして、心が熱くなる。
達者なジャンニ・スキッキは、まるで千両役者のようで、これなら誰しも騙されちゃうね。
最後の、わたしの大好きなジェラールのアリアは、バスティアニーニ、カプッチルリと並ぶ、最高の名唱。
祖国を思う熱さと、恋敵への憎しみの二律背反をクールな情熱でもって歌いこんでます。
わたしもカラオケで歌ってみたいぞ、このジェラール、そしてシェニエのアリアも

ピアノ伴奏によるコンサートながら、曲を追うごとに熱いです、すごい歓声に包まれます。

しかし、ホールの残響が不自然なのが難点。

レオ・ヌッチには、いつまでも元気で活躍して欲しいと熱望いたします。

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2011年8月 4日 (木)

シェリル・ミルンズ オペラアリア集

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男は黙って缶ビール。

缶ビールから、冷えたグラスに注いで、もやしキムチをあてに、ぐいっと一杯。

くぅーーーっ、たまらんばい

某麻布ラーメン店にて。

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男の役は、バリトンがかっこいい。

そして歌うにも、歳を経るにしたがって、テノール音域はまず厳しく、バスも同様。
バリトン音域が、普通に話す音域なのでオジサンにはちょうどいい。

バス・バリトン音域のアリアについては、かつてこんな記事を書きました。

男の世界、バリトン。
嫌な役柄も多いけれど、男は顔で笑って、背中で泣く。
悲しみを背負って、見た目は労ともしない。
そうありたいです・・・・。

わたくしの場合、涙もろいもんで、顔も背中も泣いちまいます。。。。

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シェリル・ミルンズ
はアメリカ生れのバリトン。
もう76歳になりました。
アメリカ系のバリトンに共通の、マッチョでブリリアント、大音量(大は小を兼ねる的)の気持ちのいい典型的存在。
でも、ミルンズはそんな系統にあっても知的でスタイリッシュな歌と演技に秀でた存在で、過去のアメリカン・バリトンと異なる存在だった。
ドイツものだって、巧みに歌ってましたし。

6歳若いドミンゴとの共演も多くて、ともにRCAレーベルの看板スターだったりもした。
70年代は、大量にオペラ録音がなされたから、レーベルと指揮者間で、人気・実力歌手の奪い合いが多々起きました。
イタリアオペラのバリトン部門では、ミルンズとカプッチルリのふたり。
それ以外の各声部でも、好敵手同士のレーベルごとのぶつかりあい。
ほんと、いま思えば贅沢な時代でした。
そのかわり、レコードはともかく高かった。
オペラは、3枚組。6000円から7500円でしたからね。

今日のミルンズのCDは、1981年、ミルンズの全盛期の録音。
メキシコでの珍しい録音です。

 レオンカヴァッロ 「道化師」~ご覧ください皆様方

 ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」~プロヴァンスの海と陸

        「オテロ」~クレド

        「ドン・カルロ」~ロドリーゴの死

       シェリル・ミルンズ

   フェレーラ・デ・ラ・フュエンテ指揮 ハラパ交響楽団
                       (1981@ハラパ XALAPA)


ミルンズお得意の定番。
曲数少ないのが難点ですが、いずれもある全曲録音よりずっと後年のものなので、その歌い口のウマさと、巧みな描写に感心。
それが鼻につくようなことなく、おらかな歌心あふれる心地よさを伴い、心から同化できる名唱なのでした。
声の威力あるふれる歌手が、それを抑えながらに、心をこめて丁寧に歌うさまは、豊富な人生経験とステージ体験に裏付けられたゆとりと味わいを感じさせるものだ。
 曲が好きなこともあり、パリアッチのカニオが、シニカルさも歌い込んだ素晴らしい名唱。
カニオは、ミルンズ。
わたしの刷り込みみたいだから、一緒に歌ってしまいます。
カラオケで、これ歌いたいです。

父親ジェルモン、極めつけ・憎っくきイアーゴ、友愛の象徴ロドリーゴ、とヴェルディの代表的なバリトンロールが、ミルンズの朗々とした豊かな美声で楽しめました。

メキシコ・ベラクルス州にあるパラパ響なるオーケストラは、かなりまっとうでした。
調べたらなかなかに歴史あるオケでして、発足時はソンブレロ姿のようですよ!
こちらを見てくださいよ
世界は広いですな。

このCDの初めと最後は、ライブでの序曲。
「どろぼうかささぎ」と何故か「タンホイザー」。
メキシコシティのミネリア交響楽団(orquestra sinfonica de mineria)のライブ。
このオケもなかなかうまい。
けれど、弦薄め、管明るすぎ、鳴りもの派手。
おもしろいワーグナーでございました。

大好きなミルンズの歌声が楽しめ、おまけにメキシカンなところが面白いCDでした。

Orondora_2
そうそう、かの女子指揮者「アロンドラ・デ・ラ・パラーラ」が、9月に来日しますね。
オケはジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ。
メキシコものに、エロイカ。
NTT系の招待コンサート。
応募しましたが当たりますかどうか。

今日は、シェリル・ミルンズだけど、メキシカンでもありました。

ミルンズの過去記事

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2011年5月11日 (水)

ワーグナー 「にわとこの花のかぐわしさ」~マイスタージンガー

Elderflower1

震災から2か月目の今日。
台風と前線の影響で、関東も午後からしっかりとした雨。
夏日の昨日と10度以上違うこの気象。
いったい、どうなってるんだ、と、手のほどこしようのない気象や自然現象に憤りを感じてみたところで、どうしようもない。

わたしを神奈川フィルに導いてくださり、ブログでもひとつの指標として日々更新されていらっしゃったyurikamomeさん、昨晩、そのブログを停止します、との報を受けて、すっかり動揺してしまいました。
ブログを通じて、お知り合いとなり、いまでは、定期的に盃を交わす間柄です。
残念ですが、yurikamomeさんが、熟慮のすえ、決断されたこと。
決断を尊重したいと存じます。

事情は、まったく異なるかもしれませんが、わたしも、実は偶然にも、ここ数日考えていたことが、ブログの継続。
わたしを取り巻く環境、日々変わっております・・・・。
辞める下準備も実はしました。

厳しいですが、でも、気持ちが続く限りやってみようと思いました。

Elderflower2

晴れてた連休に、都内で見つけたこの花。
やたらと芳しい香りで、思わず立ち止り、しばし佇み、そして通り過ぎて、さらに香りの記憶を呼び覚まされ、再び舞い戻り、写真を撮りました。

帰ってからネットで調べましたところ、やはり、想像どおり、「にわとこ」でございました。
エルダーフラワーは、ヨーロッパでの初夏ではおなじみの草木で、薬草や飲料水のテイストとして定番。
甘い香りが、周囲にただよってました。

そして、ワーグナー・ファンとしては、中世ドイツの街の市民の物語「ニュルンベルクのマイスタージンガーで、ハンス・ザックスの庭先に咲いて、芳香を漂わせているのもこの花。

ハンス・ザックスが、この木の下で、夜、靴職人としての職務に励みながら、昼間に出会った、若者の斬新かつ心を打つ進取の歌に心乱されつつも、「でも、おれは、あれはあれで気にいったぞ!」と同調し、応援してゆく気持ちを歌う。

ワーグナーのすごいところは、劇そのものの持つ深さと訴求力。
そして、そこにある人物たちの強い個性に、われわれ普通の一般人でも共感や反発心を持ちうる描き方だということ。
そこに、強烈な音楽が付随する。
歴史上の人物ザックスに、ワーグナーがつけた人格者としての個性は、その音楽にしっかり反映されていて、オペラの役柄で、わたしたちが、なりたいと憧れる人物のひとつとなっている。



こちらは、ベルント・ヴァイクルのザックス。

バイロイト音楽祭のウォルフガンク・ワーグナーの具象的な演出で、マイスタージンガーの舞台に相応しい美しい舞台。
背景には、ちゃんと「にわとこ」がありますよ。


ブリリアントな声もよろしく、見栄えもいいヴァイクルのザックス。
バイエルン国立歌劇場の来演で実演に接し、その後かぶりつきで、飯守先生の指揮でリサイタルを聴き、新国では自身の演出を観劇し、で、ともかく「マイスタージンガー」においては、ヴァイクルは私にとって、一番親しい存在なんです。

あと、最高のザックスと思っているリッダーブッシュと、実演もカラヤンCDも素晴らしいテオ・アダム、この3人がザックスのわたしのベストでしょうか。

この2幕のモノローグでは、新しい芸術の勃興を感じ取り、それを積極的に受け入れようとする心意気を歌う。

そして、第3幕にもある長いモノローグ。
そこでは、新しいものを受け入れるには、自身の密かな愛情も押し殺し、影にまわって、新しい世界を導く手助けを、自らがなす決心を歌う。

新しいもの、革新を行うには、これまでの定番や成功者が不利益を被るもの。
当然に彼らの抵抗がつきもの。
それを打破せんとする若者の後押しをする旧世代の人物も影ながら存在する。

いつの時代にも、このような図式はあてはまります。

いまの危機状態の日本にも、そうあって欲しいと思います。
いくつもの革新的な考えや、メソッドが確実にあるのに、それらは必ず潰され消されてしまう。

ワーグナーの作品には、こんなふうに、その作品に深いメッセージ力が必ず込められているのです

「ベルント・ヴァイクル オペラアリア集」

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2010年2月27日 (土)

ジークフリート・ワーグナー アリア集 R・トレケル

Toyota
豊田社長の涙は、日本人には印象的。
企業人としての想いを真っ直ぐに感じることができる。
でも米国内では、どうであったか?

不振の米車業界。
議員が情報開示に、イエスかノーか? 異常なまでに迫る姿。
欲しい技術、出る杭は打たれる・・・・。

写真は、豊田市の巨大な本社ビル。
地名もトヨタ町なのであります。

Siegfried_wagner_trekel
ワーグナー祭りの余勢をかって、今日はワーグナー・ジュニア。

ジークフリート・ワーグナー(1869~1930)は、大リヒャルト・ワーグナーとリストの娘、コジマとの間に生まれたサラブレッドで、音楽家になるべくしてなったはずだが、そうでもないし、父の才能には及ばず、いまや気の毒なくらいに地味な存在となっている。
大ワーグナーは、コジマとの間に娘二人がいたが、56歳にしてようやく生まれた息子に大いに喜び、おりから作曲中の「ジークフリート」の主人公の名前を付けた。
 ちなみに、彼の姉ふたりは、イゾルデとエヴァだからおそれいりますな。

親父は、息子に音楽の道を進ませなかった。
イタリアには家族で始終行っていたし、ギリシア語も学んでいたから、おのずと建築家を志すようになったという。
でも、さすがに音楽家の素養は隠しきれず、イタリアにいたことからヴェルディの旋律を口ずさんだり、爺さんのリストの前で歌ったりとしたらしいし、フンパーディンクに学んだりもしている。

本格的に音楽家になろうと決意したのは、父が亡くなってから9年あまりたってから。
23歳のことだから、これまた凡人ではなしえないこと。
オペラ通いに熱を注ぎ、一方で裕福だったものだから、友人の商船で東南アジアなどにも長旅をしていた。そのとき、シンガポールの街中で、何故かバッハの「ヨハネ受難曲」を耳にして、電撃的な感銘を受けて、音楽家転向の決心をしたという。
なんだか、まるで作り話みたいだけど、ほんとの話。

やがて指揮者としてデビューし、父の作品の解釈者として一流の存在となり、同時に、自身で台本を書き、オペラの作曲も始める。
その数、19作品
父親のオペラ作品数は、リングを4として、13作品。
数では、父に勝った。そのほかにも交響曲や器楽作品なんてのもある。
でも、それらの出来栄えは、父親の足元にも及ばなかったのは、いままったくその作品が顧みられることがないことで立証されているわけだ。
 むしろ、ジークフリートの功績は、劇場の近代的運営といまにつながるワーグナー演出を打ち立てたことにある。
母コジマを補佐しつつ、バイロイト音楽祭を盛り立て、母が引退後は、総監督として指揮も行いつつ、民間の劇場としてのバイロイトを軌道に乗せた。
演出面でも、具象的だが平面的・絵画的であった装置を、三次元の様式(アッピアの理論)に高め、光の効果的な使用なども実践し、これは戦後の新バイロイトにいずれつながる流れとなっている。

作曲家・指揮者・演出家・劇場運営者と、マルチな才能を発揮したジークフリートは、まさにオペラの人になるべくして生まれたわけであります。

親父ばかりか、息子にもスポットをあてなくっちゃ、「さまよえるクラヲタ人」の名がすたる。
毒食わば皿までだ。

手始めに、オペラのアリア集を取り上げてみよう。
実は、もう2年前から、このCDは聴いているんだけど、旋律は耳に馴染み覚えたけれど、全然こちらに入ってこないし、手応えが全然ないんだ。
いいメロディラインはあるし、親父ばりのかっこいい場面もそこそこあるけれど、それらが感銘を与えるまでにいまのところ至らない。
バスバリトンのアリア集だからか、歌唱部分も地味の感は否めない。
ヒロイックな歌も、高貴さ、甘味さもない(ように感じる)。
でも、大ワーグナーそっくりの旋律や歌が出てくると、一瞬感違いをしてしまうのも事実で、親父の作品の試作品的に聴く分には、未知の世界が開けたようで、極めてうれしい。
 いまのところは、こんな印象しか書けませず、申し訳なく。

ローマン・トレケルの真摯な歌と、その馴染み深い声、独語のなめらかな美しさなどについては特質もの。
この手の知られざる音楽の大家、アルベルトの指揮もうまいものだ。

「木を見て、森を見ず」的な現在。
やはり、オペラ全曲を味わってみないことには話にならない。
オペラ1作品を入手済みなので、年内にはなんとかモノにして記事にしてみたいと思っております。

 1.「太陽の炎」、    2.「熊の皮を着た男」 3.「いたずら好きの公爵」
 4.「コボルト(小鬼)」 5.「陽気な仲間」     6.「バナディートリヒ」
 7.「黒鳥の王国」   8.「異教徒の王」   
 9.「マリーエンブルクの鍛冶屋」 10.「ラインウルフとアデラシア」


以上10作品からのモノローグやアリア。

       Br:ローマン・トレケル

  ウェルナー・アルベルト指揮 ケルンWDR放送交響楽団


最後に、ワーグナー家の人々のお顔を

Richard_wagner Siegfrid_wagner Wieland_wagner リヒャルト・ワーグナー、息子ジークフリートに若い妻ヴィニフレット、孫ヴィーラント
Wolfgang_wagner Katharinaeva_wagner_2
孫ウォルフガンク、曾孫カテリーナとエヴァ。
彼女たちの二頭体制でバイロイトはこれからも生き続ける。
みなさん、意思の強そうな(手ごわそうな)お顔をしてらっしゃる。
ジークフリートは、ものすごく「いい人」だったらしい。
大ワーグナーの強烈さは、曾孫さんにしっかり伝わっているみたい。。。

ワーグナー大会、ひとまずオシマイ。

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