ショスタコーヴィチ 交響曲第4番、5番、6番 マケラ指揮
浅草の浅草寺の山門。
都会を離れて、浅草もしばらく行ってないので、過去の写真ホルダーを眺めて選択しました。
東京オリンピックの年に撮影したもので、まだコロナ禍にあり、外国人観光客はほとんどおらず、制限解除されたばかりのときで、日本人ばかりのいまやレアな浅草の町でございましたねぇ・・・・
六区どおりもご覧のとおり、平和な雰囲気でしたね。
田谷力三さんの写真も、もはやその人の名も知ることのない若者や外人さんたちばかりになりました。
いまやwikipediaの力を借りないと、こうした偉人のなんたるかがわからない世の中にもなってしまった。
中途半端な初老の自分が、つい数年前の静かだった日本を思いつつ、台頭著しい若手指揮者の演奏を聴きつつ思う秋の日。
ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 op.43
交響曲第5番 op.47
交響曲第6番 op.54
クラウス・マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
(2022.9、2023.5、2022.1 @オスロ)
飛ぶ鳥を落とす勢いのマケラ君はまだ28歳。
多くの有力指揮者を輩出しているヨルマ・パルマ門下でフィンランド出身。
オスロ・フィルの首席指揮者(2020~)、パリ管の音楽監督(2021~)にあり、さらには、2027年からは、コンセルトヘボウの首席とシカゴ響の音楽監督に就任することが決っている。
有望指揮者をいち早く抑える、いまや大物不在の指揮者界をあらわすような、そんな世界のオーケストラ界。
この目覚ましい躍進ぶりを、どこか醒めた目で眺めていた自分。
高身長のイケメンさんだけど、その前の黒縁メガネをかけていた、どこかガリ勉君のような風貌の頃に、ドイツの放送オケやオスロを指揮したシベリウスをネット視聴した程度で、お国ものをしっかり振れる若者だ、程度の認識でした。
それがあれよあれよと、いまの目を見張るご出世ぶり。
日本にも都響、オスロ、パリ管で早くも来日しているというが、まだ様子を見ようと警戒してたワタクシ。
しかし、数か月前、オランダの放送で、彼がチェロを担当した室内楽コンサートを聴き、これがコルンゴルトの五重奏曲だったものだから、自分にピタリと来るその感性に注目をしたものだった。
そう、指揮者に加え、マケラの本職のひとつはチェリストなんです。
自己を主張せずに、豊かな歌を聴かせてくれ、コルンゴルトの甘味な音楽をさわやかに表現してましたよ。
そして出てきたショスタコーヴィチの新盤。
先に出ているシベリウス全集も気になりますが、まずはこちらを聴いてみました。
いまの指揮者のトレンドは、マーラーもしかりですが、ショスタコーヴィチをレパートリーとしてしっかり演奏できることでしょう。
しかも、4・5・6番という3年以内に書かれた特色の異なる3曲、でも純粋交響曲でもあり、名誉失墜と回復の時期、さらにはその裏に隠された二重三重のホンネ、そんな交響曲を一挙に録音したマケラ。
① 交響曲第4番
ショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番好きな作品になった4番。
この情報満載の奇矯なる音楽を、極めてスマートに、その面白さをストレートに聴かせている。
われわれがこの曲に求める、いくつかの聴かせどころも外すことなく、こちらの思いの通りにスカッとやってくれる。
そして流れるように、すんなりと聴けてしまう66分間。
いや待てよ、これでいいのか?と思ったことも事実で、曲の持つダイナミズムは完璧だけれども、反面にあるニヒルな虚無感や不条理感は弱めで、音に熱さや、作者の描きたかった暗さと熱狂感も低めだと思った。
昨秋に聴いた井上道義の壮絶なライブに、当然ながら遠く及ばす、手持ちの数あるこの曲の音源のそれぞれのなかでは、やや薄味にすぎる演奏か。
録音時、まだ26歳のマケラが、この先、きっと何度も手掛けるであろうこの4番、どのように成長の証を刻んで聴かせてくれるであろうか、そうした楽しみに期待したい。
② 交響曲第5番
この作品をレパートリーとして、何度も指揮しているであろうことが、よくわかる自信に満ちた演奏。
聴きすぎて、かえって飽きてしまった5番だけれども、ここには4番の演奏で聴かれなかった切迫感や切り詰められた緊張感が指揮にもオケにも感じられる。
3楽章の切実さにはさらなる厳しさも求めたいが、5番の演奏の最大公約数的なものは押さえているし、すべての音が過不足なく聴こえる優秀録音もあり、細部までよく聴こえる表現力もよいと思う。
もっと賑々しくやってもいいとは思ったが、表面的な効果に終わることなく冷静な音楽の運びが好ましく、ここは逆に手慣れた作品を若さでぶっちぎるような演奏にしていないところがよいかと。
この作品にある意味求められる客観さを、逆に適格に表現しつくしたようにも思った次第。
その客観さとは、自分のなかに言えることでもあり、この作品に飽いた自分は、いつも醒めて白々しく聴いてしまうものですから・・・
③ 交響曲第6番
高校時代にムラヴィンスキーのレコードで衝撃を受けた6番。
そのときのカップリングはオネゲルの3番だった。
「序・破・急」の「序」の部分がメインになっている、その深淵なクールさを持ったアダージョ楽章から、とりとめのないスケルツォ、人を興奮状態に持って行ってしまうプレストな3楽章。
思えば、4番以上にナゾ多き6番かもしれず、かつてのムラヴィンスキーは、その謎を鋼のような厳しさとスピード感でもって煙に巻いてしまった(と思う)。
マケラとオスロのオケに、そのような芸当は期待できるものでないが、1楽章の思わぬ抒情性は美しかったし、スケルツォにおける軽妙さもなかなかのもの。
むちゃくちゃな終楽章も大真面目、しかし案外と面白みなくあっけなく終わってしまった。
この作品に完結感など求めにくいものだが、終わってみて、あれ、それで?って感じではありました。
マケラ君が数年後に任されるコンセルトヘボウを指揮したハイティンクが、この6番を堂々たるシンフォニック作品に仕上げていたのが懐かしい。
総じて辛めの評価となりましたが、それもマケラ氏への期待を込めてのもの。
この若さで、この見事なオーケストラドライブは大したものです。
オペラへの経験も深めて欲しいし、そうして更なる統率力や緻密さも得ることでしょう。
ちなみに、先月のプロムスでパリ管とやった「幻想交響曲」は実に瑞々しく、晴れやかな演奏でしたよ。
浅草行ったらお土産はこれ。
舟和の芋羊羹とあんこ玉。
明治35年創業の老舗、こうした日本の美味しい伝統あるモノは永遠に残していって欲しいものです。
腐りきった政治に腹を立てつつ、もどかしい思いで聴いたショスタコーヴィチ。
最近のコメント