エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮
吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。
前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。
教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。
今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。
エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。
エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
(2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)
エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。
1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。
エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
(2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)
実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。
1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。
エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88
アンソニー・ペイン補筆完成版
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
(2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)
ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・
自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。
過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」
未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。
デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。
スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。
ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。
エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。
やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。
吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。
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