カテゴリー「エルガー」の記事

2020年9月 6日 (日)

エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮

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吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。

前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。

教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。

今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。

 エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。

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  エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)

エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
 本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。

1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
 サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
 同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。

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エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)

実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
 可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。

1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88 
        アンソニー・ペイン補筆完成版


 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)

ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・

自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。

過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。

デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
 一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
 これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。

スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。

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ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。

エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。

やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。

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吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。

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2018年7月16日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 エルガー「ゲロンティアスの夢」 ジョナサン・ノット指揮

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暑い、暑い夏の夜、涼し気な水辺。

大いなる感銘に心開かれ、爽快なる気持ちに浸ることができました。

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  エルガー  オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 op.38

      T:マクシミリアン・シュミット
     Ms:サーシャ・クック
     Br:クリストファー・モルトマン

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                  東響コーラス
           合唱指揮:冨平恭平
           コンサートマスター:グレブ・ニキティン

                    (2018.7.14 @サントリーホール)

ともかく感動、曲中、わなわなしてきて嗚咽しそうになった。

2005年、同じく東響の大友さん指揮のゲロンティアスを聴き逃してから13年。
実演でついに、それも理想的かつ完璧な演奏に出会うことができました。

CDで普段聴くのとは格段にその印象も異なり、この音楽の全体感というか、全貌を確実に掴むことが出来た思いです。

この半月あまり、ネット視聴と、その録音でもって、バイエルン国立歌劇場のペトレンコの「パルジファル」と、サロネン&フィルハーモニアの「グレの歌」をことあるごとに聴いていた。6月末から7月にかけて、演奏・上演されたそれらの、わたくしの最も好む音楽たち。
 そしてほどなく、こちらの「ゲロンティアス」。

いずれもテノールが主役で、苦悩と、その苦悩のうちから光明をつかむ展開とその音楽づくり。
今回、ゲロンティアスをじっくりと、そしてノットの指揮で聴くことができて、それらの作品(もっともグレは、発想はほぼ同時期ながら、作曲はゲロ夢の少しあと)との親和性を強く感じた次第でもあります。
あと、いつも想起するのが、ミサ・ソレムニス。感極まる合唱のフーガ。

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いつでも機会があったのに、ノットの指揮を聴くのは実に2006年のバンベルク響との来日以来のこと。
武満徹に、濃密な未完成、爆発的なベト7の演奏会で、その時の柔和な横顔に似合わぬ強い指揮ぶりをよく覚えてます。
 ところが、久しぶりのノットの指揮姿は、流麗かつ柔らかなもので、そこから導きだされる音楽は、どんなに大きな音、強い音でも刺激的なものは一切なく、緻密に重なり合う音符たちが、しなやかに織り重なって聴こえるほどに美しいのでした。
ドイツのオペラハウスから叩き上げの英国指揮者。
根っからの歌へのこだわりが生んだ、緻密ながらも歌心ある演奏。
それに応える東響のアンサンブルの見事さ。
完全にノットの指揮と一体化していたように思います。

それから特筆すべきは、東響コーラスの見事さ。
暗譜で全員が均一な歌声で、涼やかで透明感あふれる女声に、リアルで力強い男声が心に残ります。
時に聖句を持って歌うか所があるが、それらは本場英国の合唱さながらに、まるでカテドラルの中にいて聴くような想いになりました!

 あと、ノットの選んだ3人のソロ歌手も、非の打ち所のないすばらしさ。

ドイツ人とは思えない、イギリス・テナーのような歌声のシュミット。
エヴァンゲリストやバッハのカンタータ、モーツァルトのオペラ、フロレスタンなどを持ち役にするリリックなテノールですが、無垢さと悩み多き存在という二律背反的な役まわりにはぴったりの歌声でした。

声量は抑え目に、でも心を込めた天使を素敵に歌ったのがアメリカ人のクックさん。
最後の業なしたあとの告別の場面は、涙ちょちょぎれるほどに感動しました。
バッハのカンタータから、大地の歌、カルメン、ワーグナーまでも歌う広大なレパートリーを持った彼女ですが、そのチャーミングな所作とともに、清潔な歌がとても気にいりました。

出番少な目でもったいないぐらいに思ったのが、極めて立派な声で決然とした歌にびっくりしたモルトマン。この方は英国人。
英国バリトンは、柔らかく明るめの基調の声の方が多いが、モルトマン氏は、明瞭ながらもかなり強い声。ドン・ジョヴァンニやヴェルディのバリトンの諸役を得意にしているそうだから、きっとそれらもバリッといいことでしょう!

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しかし、ほんとに、いい音楽。

わなわなした箇所いくつか。

①いきなり前奏曲で、荘重な中からの盛り上がりで。

②ゲロンティアスが、サンクトゥスと聖なる神を称えつつも許しを祈る場面。
 この何度も繰り返し出てくるモティーフが大好きで、ときおり歌ってしまうのだ。

③第一部最後に、決然と歌いだすバリトンの司祭。背筋が伸びました。

④わなわなはしなかったけれど、悪魔たちの喧騒、そしてHa!
 生で聴くと、スピーカーの歪みや周りを気にせずに、思い切り没頭できるのさ。

⑤悪魔去り、天使たちが後の感動的な褒めたたえの歌を、前触れとして、ささやくように歌うか所。

⑥そして、ついに来る感動の頂点は、ハープのアルペッジョでもってやってくる。
 合唱のユニゾンでPraise to the Holiest in the light
  キターーーーーー、もうここから泣き出す。

⑦いつもびっくりの一撃は、これも生だと安心さ。

⑧最後のトドメは、最後の天使の歌と、静かな平和なるエンディング。
 祈るような気持ちで聴いてました。

ノットの指揮棒は、しばらく止まったまま。

ホールも静まったまま、誰ひとり動かない。

そっと降ろされるノットの腕。

しばらくして、それはそれは大きな拍手で、ブラボーはあるが、野放図さはなし。
間違いなくホールの聴き手のずべてが、感動に満たされていたと思う。

本当に素晴らしかった、心に残るコンサートでした。

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終演後、澄み切った味わいの日本酒を。

遠来の音楽仲間と語り合いました。

 過去記事

「エルガー ゲロンティアスの夢 ギブソン指揮」

「ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団演奏会2006」

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2017年6月14日 (水)

ビエロフラーヴェクとJ・テイトを偲んで

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梅雨入りはしたけれど、なんだか、シトシトとはいかない風情のなくなってしまった、近年の日本の6月。

そんな梅雨入りまえ、現役で活躍していたいぶし銀的な指揮者が、相次いで亡くなった。

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チェコの指揮者、イルジー・ビェロフラーヴェク、享年71歳。

5月31日に亡くなりました。

例年、ロンドンのプロムスに出ていたのに、昨年と今年はなしということで、どうしたのかな、と思っていた。
でも、今年秋には、チェコフィルと来日が予定されていたので、さほど気にはしていなかったところへの、訃報。

すぐさま、海外のニュースや、チェコフィルのサイトを見てびっくりした。
別人と思うような、スキンヘッドの姿がそこにあって、闘病後の復活の指揮姿だったのだ。
それにしても若い。

チェコフィルの首席に若くしてなったあと、やむなく短期で、アルブレヒトに交代。
そのあと、20年ぶりにチェコフィルに復帰、ついに、両者一体化した、稀なるコンビが完成したのに・・・。

ビエロフラーヴェクが躍進したのは、1度目のチェコフィルのあと、BBC響との関係を築いてからだと思う。
広大なレパートリーと、豊富なオペラ経験が、マルチなロンドンでの活動に活かされた。
チェコ音楽の専門家と思われる向きもあるかもしれないが、プロムスではお祭り騒ぎのラストナイトを何度も指揮していたし、当然に、英国音楽も多く指揮したし、マーラーやショスタコーヴィチ、さらに、グラインドボーンでは、素晴らしいトリスタンの映像も残してくれた。

日フィルとN響とも関係が深く、何度も来日してます。
日フィルとの「わが祖国」のチケットを手にしながら、仕事で行けなくなってしまったことも、いまや痛恨の出来事です。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1989.9 @プラハ)


1度目の新世界。
最近出た新しいものはまだ未聴なので、なんとしても全曲が欲しいところ。
若々しい、そして、注目したいのが、この録音の年月。

同年秋に起こる、ビロード革命直前。
東ヨーロッパの共産主義崩壊の前夜ともいうべき頃合い。
いったい、どのような気持ちで「新世界」交響曲を演奏していたのでありましょうか。
 が、しかし、この演奏は、清新でさわやかでさえある。
純粋に音楽に打ち込む、指揮者の姿が目に浮かぶようだ。
若き日のビエロフラーヴェクを思いつつ、ラルゴを聴いてたら、ジーンとしてきた。

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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 4つの海の前奏曲

  イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

                        (2007.7 ロンドン)


BBC響とのプロムス・ライブより。
クールで、シャープだけれども、優しい目線を感じるブリテンの音楽を、違和感なく柔軟に仕上げています。
錯綜する音が、キレイに聴こえるのも、ビエロフラーヴェクの耳の良さで、BBCのオケの巧さも抜群。
このコンビの相性は、ほんとよかったと思う。

それにしても、チェコ楽壇にとっては、とてつもなく大きなビエロフラーヴェクの逝去。
チェコフィルは、どうなる・・・・

 

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イギリスの指揮者、サー・ジェフリー・テイト、享年74歳。

こちらは、6月2日に亡くなってしまいました。

医学専攻から、音楽家へ転身、オペラハウスから叩き上げの、オペラ指揮者であり、モーツァルト指揮者でもあった。
テイトの名前を知ったのは、シェロー&ブーレーズのバイロイト・リングで、副指揮者を務めていたことから。
メイキングビデオにも映っていた。
 そのテイトが、イギリス室内管の指揮者となり、交響曲を手始めに、内田光子との協奏曲など、モーツァルト指揮者として80年代以降活躍し始めたときは、ワーグナーやオペラ指揮者との認識があっただけに驚いたものだ。

その後、ロッテルダムフィルの指揮者もつとめ、亡くなるまでは、ハンブルク響。
あと、オペラの指揮者としては、コヴェントガーデンに、ナポリ・サンカルロにポストを持ち、メトやドレスデンなど、大活躍をしたテイト。
生まれながらの二分脊椎症というハンデを追いながら、そんなことはもろともせず、常に集中力と、音の透明さを引き出すことに心がけ、クリーンな音楽を作り出す名指揮者だったと思う。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調

    サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

                        (1984 @ロンドン)


最初に手にしたテイトのモーツァルト。
もう何度も聴きました。
モダン楽器の室内オケで聴くブリテッシュ・モーツァルト。
清潔で、明るく、さらりとしていながら、歌心はたっぷり。
ともかく美しく、無垢で、その嫌味のない音楽は、当時も今も変わらず、飽きのこない、私の理想のモーツァルト演奏のひとつ。


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  ワーグナー 「パルジファル」 前奏曲

    サー・ジェフリー・テイト指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1987 @ミュンヘン)


ハンブルク響との「黄昏」抜粋は、未聴。
いまのところ唯一の、テイトのワーグナー。
バイエルン放送響という名器を得て、おおらかかつ、悠然としたワーグナーとなった。
しかし、そこはテイト。
これも、オーケストラの明るさを生かしつつ、明晰で、濁りのない、美しいワーグナーなのだ。
おまけに、「コロンブス」と「ファウスト」という、珍しい序曲が、一級の演奏で聴けるという喜び。
この1枚を聴くと、なにゆえに、レコード会社は、テイトによるワーグナー全曲録音を残してくれなかったのか、と怒りたくなる。

その変わり、テイトには、シュトラウスやベルク、フンパーディンクのオペラ録音があります・・・・・。
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       エルガー  「ソスピリ」

    サー・ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

                   (1990 @ロンドン)


最後は、この曲で。

エルガーの哀しみのいっぱいつまった音楽で。

ふたりの名指揮者の追悼にかえさせていただきます。

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2015年6月 2日 (火)

エルガー ヴァイオリン協奏曲 N・ケネディ

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モッコウバラ(木香薔薇)、実家のお庭に、毎年5月の前半に咲きますが、今年は、どちらも、花の開花が早めですね。

もう、とっくに枯れて、萎んでしまってます。

このたわわに、賑やかに咲くバラは、中国原産で、こうして石垣などに、垂れるようにして育てると、とっても見栄えがよくって、華やかなな気持ちになるし、色が清潔なイエローなので、バラらしい、ノーブルな雰囲気もでますな。

お隣のお家の、藤の花のパープルとグリーンとの対比もきれいなものです。

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  エルガー  ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 0p.61

          Vn:ナイジェル・ケネディ

    ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                        (1984.3 @ロンドン)

    サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                        (1997.7 @バーミンガム)


今日(6月2日)は、エルガー(1857~1934)の誕生日です。

ウスター近郊にある、いかにも英国を思わせる前庭のあるエルガーの生家にも、モッコウバラが咲いていそうです。

チェロ協奏曲は、大いに有名で、音源も、演奏会の頻度も非常に高いものがありますが、もう一方の、残された協奏作品、こちらのヴァイオリン協奏曲は、そこそこCDは出てますが、演奏会でかかる頻度は、まだまだ少ない。
わたくしも、1度しかコンサートでは聴いたことがありません。
 演奏時間が50分以上かかるうえ、技巧的にも難易度が高く、なによりも、コンサートの前半として、この曲をまるまる取り上げると、聴衆の集中力の持続の点で、超有名曲でないだけに厳しいのかもしれません。
 それはまた、3つの交響曲にも通じる規模ともいえて、コンサートの後半に、思いきり、堂々と演奏されるに相応しい、大協奏曲であるともいえる。
 ですから、3つの交響曲を湯浅さんの指揮で演奏し終えた神奈川フィルの次のエルガーは、是非にも、コンマス石田氏のソロで、この協奏曲を取り上げて欲しい。
前半でも、後半でもかまいませんが、組み合わせは、「エニグマ」でお願い。

1910年、エルガー53歳の気力充実期の作品で、英国の待ち望んだ純正交響曲の第1番が、1908年。
ちなみに、チェロ協奏曲は、もう少しあと、1918年となります。
さらにちなみに、エルガーの協奏作品には、未完のピアノ協奏曲がありまして、草稿だけで終わったのが1913年、それを補筆完成させて1997年に初演されてます。
以前に、NHKで、その作品の特集があり、録画してありますので、いつか、このブログでも取り上げたいと思ってます。

さて、このヴァイオリン協奏曲、3つの楽章を持つ正統的な構成で、それぞれ、18分・14分・21分、というように、各章ともに、長いです。
 いかにもエルガー。ノーブルで、ちょっと哀愁を帯びたオーケストラの長い前奏で始まる第1楽章は、気合の入ったソロが登場することで、熱く、ときに熱狂的にもなり、そして、時に、静かに、立ち止って、懐かしい雰囲気に佇んだりと、聴き手を飽きさせることなく進みます。

 そして、この曲で、とりわけ素晴らしく、わたくしも、もっとも好きなのは、抒情的な第2楽章です。
しかも、心にしみ込むように、内面的な様相が、徐々に熱を増していって、大きな盛り上がりを見せるところも、やはりエルガーならではです。
聴いていて、胸が熱くなり、拳を握って聴いてしまい、思わず涙ぐんでもしまいます。

 一転、アレグロに転じ、すばやいパッセージの連続となる3楽章。
こちらも長大で、スリリングな展開から、ときに、テンポも落として、回顧調になったりと、多面的なエルガー・サウンドを満喫できます。
しかも、多彩なまでに、ヴァイオリンのさまざまな奏法がなみなみと投入され、息つく間もない。それで、いて、音調はときに渋く、内省的です。
そして、なんといっても素晴らしいのは、最後に至って、これまた、エルガーらしく、第1楽章の旋律が、回帰してきて、感動的にこの大作を締めくくる場面です。

聴後の、深い満足感は、交響曲に負けじ劣らじであります。

多くのヴァイオリニストが、とりわけ、英国系のヴァイオリニストは、この曲を必ず演奏し、音盤に、そのエルガーへの思いをしっかり刻んでおります。
複数回、録音する奏者も何人かいて、ナイジェル・ケネディも、そのひとりであります。

ジャズやロックなど、オールラウンドにクロスオーバー活動をする、やんちゃなムードが先行するナイジェルですが、28歳でこの曲を録音するという本格大物ぶりを80年代にすでに、発揮してます。
 ハンドレーという、このうえもない、英国音楽の導き手をバックに、1回目の録音では、年齢を感じさせない、大人びた、思わぬほど渋い演奏を繰り広げております。
正攻法ともいえる英国伝統に根差したかのようなこの1回目録音。
横への広がりのいい、どちらかといえば、のっぺりしたEMI録音の大人しさの影響と、練習の厳しかった指揮者の影響などもあるかもしれません。
 ですが、キッパリした終楽章と、瑞々しい2楽章は、この時期のナイジェルならではの魅力かもです。

一方、41歳になって、しかも活動休止期間を経て、脂の乗り切った名コンビ、ラトル&バーミンガムをバックに録音した、2度目の演奏は、音楽の構えが、俄然大きくなりました。
 演奏開始後、すぐにわかるオーケストラの密度の濃さと、なによりも、音の輪郭がよりくっきりと聴こえる録音のよさを実感。
全体に、ラトル指揮するバーミンガム市響は、雄弁で、指揮者の意思をそっくりそのまま感じる音作りとなってます。
対するナイジェルさんも、長い前奏のあとの弾き始めは、気合いも充分にこもっていて、それが全曲にわたって張り詰めていて、すべての音が意味合いを持っているように感じる。
それほどまでに、この曲を、自分のものとして演奏していて、ときおり、ハッとするような節回しを聴かせたりするんだ。
 抒情の雫の表出は、若い1回目録音に劣らず、オーケストラとともに、神々しいまでの演奏です。

新旧並べて聴くと、どうしても、新盤の方に歩があるように聴いてしまいますが、渋い旧盤も捨てがたく、それぞれに、わたくしの大好きなこの作品の、大切な音盤たちです。

 過去記事

  「ズッカーマン&スラトキン」

  「川久保賜紀&ロッホラン 日フィルライブ」

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2014年10月25日 (土)

神奈川フィルハーモニー第303回定期演奏会 湯浅卓雄 指揮

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イルミネーションが夜に映える、そんな季節になってまいりました。

横浜MM地区のコスモワールドから。

これから聴く、神奈川フィルのコンサートは、わたくしの大好きな作曲家の曲目ばかり。

ニタニタして写真撮ってたかもしれず。。。

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  エルガー     弦楽セレナーデ

  コルンゴルト   ヴァイオリン協奏曲

        Vn:石田 泰尚

   エルガー      交響曲第3番 (A・ペイン補筆完成版)

       湯浅 卓雄 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  フォスター     金髪のジェニー(アンコール:Vn石田)

             (2014.10.24@みなとみらいホール)


湯浅さんの客演によるエルガー交響曲チクルスの最終。

そして、神奈川フィルが誇るコンマス石田さんが、ついにコルンゴルトを。

以前に、藤沢で演奏したときは、聴き逃した。

わたくしのブログをご覧いただいてましたら、おわかりかもしれません。
コルンゴルト愛、ことにこのヴァイオリン協奏曲への偏愛ぶりは、狂おしいほどで、絶対に聴きたいと思っていた、石田&神奈川フィルの組み合わせに、プログラム発表時の昨年から、心待ちにしておりました。

そして、その夢が、満たされたいま、とても幸せな気分に、ずっと浸っております。

演奏は、終始、石田氏の思うペースによって貫かれていたと思います。

テンポは、1,2楽章はゆったりめ。
彼のヴァイオリンをお聴きになった方なら、誰でも想像がつくことでしょう。
繊細かつ華奢な音色は、コルンゴルトの持つ官能と憂愁を、完璧なまでに描き尽しておりました。
冒頭のソロから、わたくしは、心臓をぱくっと掴まれたようで、息苦しくもなるほどになってしまいました。
あぁ、このまま倒れたらどうしよう、でも、もう本望かも。
いや、最後まで聴かなくちゃ・・・・、なーんて思いながら(涙)

バリッと冴えたオーケストラも、それに応えて見事でした。
強音でも音割れすることなく、澄んでましたし。
そして、実演だと、とてもよくわかるコルンゴルトのマジックサウンド。
右に配した、ヴィブラフォンとシロフォン、左のチェレスタとハープ。
それぞれが呼応しあい、溶け合うさまは、まさにコルンゴルトの特徴で、その音楽が、当時、近未来的サウンドとして聴こえたことでしょう。
そんな夢みたいな音空間にも酔いしれました。

圧巻は、夢幻的な第2楽章。
ゆったりと連綿と、切々と奏でられる石田ヴァイオリンから、銀色の月の雫が舞い降りてきて、ホールにふりまかれるような思いにとらわれました。
耽美のあまり、音楽の在り方として、もしかしたら、すれすれの表現だったかもしれません。
ですが、いいんです、それで。
石田&神奈川フィルだから、いいんです。
これが、彼らの魅力なのですから。
いつまでも、永遠に浸っていたかった・・・・・。

一転、ばりばりの無窮動的な終楽章は、まさに、のりのり石田。
伸びたり縮んだり、縦横無尽のあの演奏スタイル。
おわかりいただけますね。
わたくしのドキドキも、こちらでは、大いに乗せられて、高まりました。
体動いてなかったかしら。
華麗なるテクニックは、ここにきて爆発。
流れるように、そして弾むようなオーケストラとともに、熱狂のうちにエンディングを迎えました
 もちろん、わたくし、ブラボー献上いたしましたよ。

いくつも聴いてきた、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲で、わたくしの中では、いまや一番の演奏となりました。

また聴きたい

2 3

さて、エルガー

ロビーコンサートも、エルガーで、弦楽四重奏曲の第2楽章。

歌にあふれた、とても美しい楽章を演奏したのは、崎谷さん、直江さん、山本さんに、高野さんの4人。
本日のコンサートの導入部に相応しく、かつ、弦楽セレナーデにつながる、巧みな選択だったかと存じます。

ステキな曲、弦楽セレナーデを、愛おしむように指揮された湯浅さんのもと、神奈川フィルの弦楽のしなやかで、スリムな響きは、極めて美しく、愛らしかった。
ここでも、第2楽章がとびきり素晴らしかった。

だがしかし、この曲の終わりに、嫌な予感。
静かに、楚々と終わる音楽なのに、間髪いれずの、ブラボー野郎がP席に。
ムッとしましたよ。
2階席の方でも、最近よく登場する、伸ばし屋さんが呼応。

休憩が終わり、会場アナウンスは、飴ちゃん注意(袋から出す音はやめて的な)と、指揮者のタクトが降りるまで、最後の余韻をじっくりお楽しみくださいと。

ということで、頼むから・・・という思いで、ペイン補筆完成版の3番にいどむ。

テヌートぎみに引きずるような印象的な主題から始まる部分で、そんな不安は、すぐに消し飛び、エルガーの世界に一挙に入り込むことができました。
この最初の場面で、もう決まったな、と確信。
湯浅さんにすべて委ねて大丈夫と思いました。
それほどまでに、英国音楽・エルガーの音楽の伸びやかな呼吸を、完全に体得されていて、オーケストラにもそれがしっかり伝わっているのがわかりました。
 指揮棒を持たずに、ときにゆらゆらと体を揺らしながら指揮する湯浅さんの指揮ぶりは、その後ろ姿を見てると、尾高さんに似てるな、と思ったりも。

緩やかな第2主題での歌いぶりも、実に神奈川フィルらしく、コンマス席に戻ってきた石田氏のもと、心地よく演奏されてました。
あぁ、いいなぁ、これこそエルガーだな、と頬緩みっぱなし。

可愛い第2楽章では、中間部との対比も鮮やかで、楽しい聴きものでした。

そして、憂愁に包まれた3楽章は、わたくしの一番好きな場面。
ホルストの土星もかくやと思わせる重々しさに支配されるなか、徐々に優しい旋律があらわれて、光明が差してくる・・・・。
そんな、あたたかな雰囲気が、実によく捉えられていた演奏で、明滅するような抒情の世界に、目もうるんでしまいました。。。

最終楽章は、指揮もオケも、思いきりの力演。
石田コンマスの腰も、何度も宙に浮きます。
フォルテとピアノの対比がやたらと大きく、波のようにそれらが訪れるが、このあたりの構成感というか、つながりが、少し霊感不足なところかも、です。
でも、実演で聴くと、オケの動きがとても面白くて、ホールの豊かな響きも加わって、感興もいやがうえにも、最後の場面に向かって高まっていきます。
大きな盛り上がりのあと、急速に力を落として、静かに、第1楽章を回顧、そして銅鑼ひと鳴り。。。。。

息を詰めて、その展開をじっくり見聴きしておりました。

演奏は、完璧に決まり、湯浅さんも、ほんとうに集中して、この最後の場面を迎え、ほんとうに静かに腕を降ろしていきます。

が、2階席左方面の男性が、ばたばたと席をたち、扉を開けて出ていくじゃありませんか!
そして、チロチロと何かが聞こえました。
あぁ、いかん、いかん。。なんだっちゅーの。

そして、ダメ押しのように、例のP席ブラボー野郎。
一応、銅鑼が鳴り終わって、指揮も終了してからのブラボーさんでしたが、やはり間髪ナシ。
演奏のみなさんも、われわれも、静かに、感動をかみしめたかったのに。
あとは、呼応する伸ばし屋さんも登場で、賑やかなコールになりました。
オーケストラをステージ袖で讃える湯浅さんが印象的でした。
また英国もので、登場して欲しいな。

まぁ、いろいろありましたが、演奏が素晴らしかったから、よしとしましょう。

それにしても、楽しかったし、どきどき感動の一夜です。

こんな風に、わたくしの大好きプログラムを、果敢に取り上げてくれた、楽団と事務局さまに、感謝いたします。
ありがとうございました。

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アフターコンサートは、おなじみのコレ

楽員さまにも、お疲れのところご参加いただきました。

先ほどの出来事や、なによりも、ふたりの作曲家の素晴らしい作品のこと、そして神奈川フィルのことなどなど、大いに語り、飲みました。

みなさま、お疲れさまでした。

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2014年10月24日 (金)

神奈川フィル定期演奏会前夜祭 エルガー、コルンゴルト

Osanbashi

大桟橋付近からの、MM21地区のながめ。

あそこで、神奈川フィルのコンサートです。

今回の定期は、わたくしの大好物ばかりで、正直いって、今シーズンで、一番楽しみにしていたプログラムです。

その音のひとつひとつが、体に、脳裏に、しみついておりますが、聴くたびに、いろんな発見や喜びが増します。
ほんとうに、愛してやまない曲たちを、神奈川フィルで聴ける喜びは、筆舌に尽くしがたいものがあります。

  エルガー     弦楽セレナーデ

  コルンゴルト   ヴァイオリン協奏曲

        Vn:石田 泰尚

  エルガー      交響曲第3番 (A・ペイン補筆完成版)

       湯浅 卓雄 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

        2014年10月24日 金曜日 19:00 みなとみらいホール


それぞれに、そこそこ音源を抱えてまして、そのどれが一番、ということは言うことができず、みんな好きです。
ですが、一番、よく聴くものを、チョイスしときます。

Sargent

弦楽セレナーデは、サージェントとボールトのノーブルな演奏。
あと、若いバレンボイムの意欲感じる演奏も好き。
ほんとに、愛らしくていい曲です。
2楽章が特にすてき。

Silver_violin_1

コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は、夢の中でも、よく鳴っている、最高に好きな音楽。
甘味さと、ほろ苦さ、ノスタルジックなこの曲、以前より何度も書いてますが、ベルクとバーバーとともに、わたくしの三大ヴァイオリン協奏曲です。
 健康的で爽やかなニコラ・ベネデッティが、最近、もっぱらのお気に入り。
あと女性の魅力満載のムターと、録音も含めて、郷愁さそうハイフェッツ、バリッと完璧なシャハムなどなど、いやはやキリがないです。

この作品を、石田&神奈川フィルで聴きたい、と何度も何度も、ここに書いてきましたし、だいぶ前に、神奈川フィルで聴きたい曲の自己ランキングをやったおりにも、上位ノミネートしてました。
 そのいわば夢がかなう。
うれしくて、たのしみで、吐きそうになっちゃう。

Symphony3_odaka

そして、自身、これで3度目の実演に接する、ペイン編のエルガー3番。
細部の把握は、まだまだですが、聴きほどに、味わいを増して、いまはエルガーの音楽として、なくてはならぬ作品になってまして、3つの交響曲を等しく愛するようになりました。

尾高&札響を一番よく聴きますが、先日入手した、ヒコックス盤も極めて素晴らしい。

Ep3

中古店で、激安で放置されていたBBC放送のペイン解説によるスケッチも手にいれました。

まだまだ、これから、いろいろ楽しめそうなこの作品です。
湯浅さんのエルガーですから、安心して、この身をゆだねることができます。
ライブ録音して欲しいものです。

 エルガー 交響曲第3番 過去記事

 「アンドリュー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団のCD」
 

 「尾高忠明指揮 札幌交響楽団のコンサート」

 「コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団のCD」

 尾高忠明指揮 札幌交響楽団のCD

 「
ワトキンス指揮 東京都交響楽団のコンサート」

 コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 過去記事


 「ムター&プレヴィン」

 「パールマン&プレヴィン」

 「ハイフェッツ」

 「シャハム&プレヴィン」

 「ハイフェッツ&ウォーレンシュタイン」

 「ベネデッティ&カラヴィッツ」

 「ズナイダー&ゲルギエフ」
  

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2014年6月 1日 (日)

「森園ゆり グリーン・ウェーブ・コンサート」

Grennwave2014_1

今年もまたやってまいりました、グリーンウェーブコンサートの日が。

神奈川フィルハーモニーの第1ヴァイオリン奏者の、森園ゆりさんと、ピアノの佐藤裕子さんによるリサイタルコンサートです。

保土ヶ谷区仏向町にある、ハンズゴルフクラブにある、吹き抜けのレストランを会場に行われる、ヴァイオリンとピアノによるお洒落なコンサートなんです。

その収益金は、「かながわトラストみどり財団」に、ゴルフ場からの同額も添えて寄付され、神奈川の緑の保全と育成の資金として役立てられております。
震災後は、被災地支援にも充当されました。

音楽を聴くという、聴き手にとっての喜びの享受という行為が、このようにして社会貢献へと循環するということは、まことに喜ばしく、こうした試みを毎年、果敢に行っていただける「ハンズゴルフクラブ」さんに、あらためまして御礼申し上げます。

いつもお馴染みの、森園さんのヴァイオリンを聴けて、おいしい軽食やスイーツもふんだんにいただき、緑もたっぷり浴びることができるなんて、そんな喜びはありませんからね!

Grennwave2014

    フォーレ           「ドリー」組曲~子守歌

    ヘンデル          ヴァイオリンソナタ第1番 イ長調

    モーツァルト         ロンド ハ長調  K373

    サラサーテ        「序奏とタランテラ」

    シューマン         「アラベスク」

    パガニーニ        「カンタービレ」 

    クライスラー        「踊る人形」

    シンディング     組曲より「プレリュード」

    エルガー        「夜の歌」、「朝の歌」

    ヴィニャフスキ    「ファウスト幻想曲」

    森園 康香       「緑のうた」

          ヴァイオリン:森園 ゆり

          ピアノ:    佐藤 裕子

               (2014.5.31 @ハンズゴルフクラブ


例年どおり、森園さんご自身の選曲と、曲目解説のプログラムには、作曲家の年譜つきで、時代の相関関係がよくわかる仕組みとなってます。

そして、毎回、掲げられるテーマは、今年は、「春の輝き」。

MCの方が、今年は妙に間が折り合わず(笑)、少し浮足立ったスタートのフォーレ。
ピアノ連弾が原曲の素敵な曲だけど、ヴァイオリンで聴くのもまたいいものでした。
 たおやかな様相を折り目正しく伝えてくれたヘンデルに、やっぱりモーツァルトって、いいわ、可愛いわ、と思わせるロンド。
このあたりで、会場は、いつものような、ほんわかした、いいムードに。

外は、真夏のような暑さだったけれど、会場内は、ほんの少し季節が戻って、うららかな春となりました。

サラサーテは、初聴きの曲だけれど、昔、AMラジオから流れていたような懐かしいメロディの序奏が素敵。
森園さん、情感たっぷりに弾いてらっしゃいましたよ。
そして、一転、超絶技巧のタランテラへの転身がすごい。
毎回、書いてるかもしれませんが、オーケストラの一員として拝見してる森園さんが、バリバリ系の違うお顔を見せる、そんな瞬間なのですが、この日の森園さんは、技巧は確かですが、ちょっとそんなお姿は抑え気味に見受けられました。
鮮やかに曲が終わると、会場内からは、ほぉ~ともとれるため息が。

思わず、緑の映える外を、仰ぎ見てしまいたくなったシューマンのアラベスクは、佐藤さんのピアノソロで。
いい曲、気持ちのいい呼吸豊かな演奏。
前夜の平井さんのヴァイオリンによるシューマンもよかった。
シューマンのピアノ曲、室内作品、歌曲、いま始終聴いてます。
昨今の不安のやどる自分自身の日々に、英国音楽やコルンゴルトとともに、ぴったりのシューマンなのです。

Grennwave2014_5

はじける技巧曲でなく、情感豊かなゆったり系のパガニーニが選択されました。
その名も「カンタービレ」、これ、いい曲ですね。
FM番組のテーマ曲にもなってました。
こんな曲を、感情こめて演奏するお二人、いいですね。しみじみ。

誰もが知るボルディーニの有名な原曲を編曲したクライスラー作品。
伴奏とのリズムの取り方が難しそうな、そしてピチカートの合いの手も妙に難しそうな、意外と難曲に感じましたが、面白い作品でしたね。

森園さんのお話のなかで、思えば毎年聴いてると知ったシンディングの組曲からのプレリュード。
プレストで一気に演奏される勢いと情熱の曲でありますが、サブリミナル効果なのでしょうか、完全に知った曲と、頭の中でしっかり認識されております(笑)。
シンディングは、北欧歌曲のCDなどに必ず入ってる名前ですが、この3曲からなる組曲も、ヴァイオリンがよく鳴り響く、素晴らしい音楽だと思います。

そして、わたくし的にお得意の曲たち、エルガーの「夜の歌」「朝の歌」。
紅茶でもいかがですか?と勧められてるような、エレガントで柔和な音楽に演奏にございました。

以前にも演奏されました、リストのコンソレーションのミルシュテイン編によるヴァイオリン版。
この日の、しっとり情感系の森園さんの演奏の流れの中では、まさにぴったりの曲目。
こんな風に、いろんな時代を横断しながら、多様な作曲家の作品を賞味してくると、それぞれの時代と作曲家の顔の違いに、あらためて新鮮な思いを抱くことになります。
こんな風な音楽の聴き方や、コンサートのあり方って、とてもいいことだと思います。

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最後のトリは、大曲、15分かかりますよ、と覚悟を促す森園さんのお話を受けて、MC嬢も、みなさん、頑張ってと激励(笑)
ヴィニャフスキのファウストラプソディは、グノーの同名のオペラの旋律・アリアをベースにした、初聴きの曲です。
ピアノの部分を、それでも少し割愛しましたとの、お話でしたが、なかなかの充実の大作。
ヴァランティンとマルガレーテのアリア、メフィストフェレスの「金の子牛」、そして華やかなワルツなど、オペラ原曲から素敵な旋律が次々と登場しつつ、そこに華麗な技巧とアリアさながらの歌が満載に散りばめられた音楽でした。
 もう一度、じっくりと聴いてみたい作品です。
この日、森園さん、一番の挑戦曲ではなかったでしょうか。
佐藤さんと、おふたりの熱演に、大きな拍手と掛け声が飛び交いましたよ。

アンコールは、このところのお約束。
ドイツ在の娘さん、森園康香さんの新作の世界初演(!)です。
さきの、康香さんのリサイタルでも、母が初演しますと語っておられました。
「緑のうた」、いかにも爽やかで、優しい音楽。
この日のテーマに相応しく、こぼれる緑と優しく揺れるその影を感じさせましたね。

暖かな気持ちで、We love神奈川フィルメンバーは、緑の会場をあとにして、保土ヶ谷のナイスな居酒屋さんで、喉を潤おして、気持ちよく帰りの途につきました。

 こんなことおこがましいですが、以前の演奏を存じあげませんで恐縮ですが、ちょっと新たな方向へと向かいだした想いを抱いた森園さんのヴァイオリン。
さらに楽しみです。

いつもながら、いいコンサートです。

来年もまた、という前向きな気持ちにもなりました。

Grennwave2014_2 Grennwave2014_4

こんな美味しいもの、木漏れ日のなかで、いただいちゃいました。

音楽も、お食事も、どちらも、ごちそうさまでした


これまで聴いたグリーンウェーブコンサート。

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」
  

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2013年8月13日 (火)

エルガー 「南国にて」 マリナー指揮

Sukashiyuri

房総の海辺に咲く、海洋植

スカシユリでした。

花の部分は、その毒々しさそのままに、丘のユリと同じくする姿ですが、こちらの葉は、ごらんのとおり、ワイルドなとげとげしさを持ってまして、浜近くの砂上にも耐えうるようなたくましさを感じました。

千葉のこのあたりでは、絶滅が危ぶまれている種ですが、わたしが見たここでは、廃墟があったり、道が変に封鎖されていたりで、この種のものに、あまり予算が配慮されていない様相でした。
でも、訪れる人が少ないので、またその自然の在り方がおのずと再現されつつあるようにも感じました。

なんともいえませんね。

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  エルガー  コンサート序曲「南国にて」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮 

 

        アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                  (1990.11@ヘンリー・ウッド・ホール、ロンドン)


1903年にエルガーが訪れた南フランスから、イタリアにかけての地、アラッシオ。
ここは、フランスとの国境も近い、サヴォーナ県に属する広域では地中海、リグリア海に面する美しい街。

かねての昔より、イタリアは、そこを訪れる芸術家たちを魅了し、北からやってきた作曲家にも、陽光あふれる、のびのびとした作品を書かせる地でありました。
英国紳士、エルガーもその例外でなく、解放的で、響きが豊かな明るい作品を書くことになりました。

20分の交響詩的な序曲ですが、全編大きく捉えると、急緩急の大枠に分けられますが、前後の華やかともとれる、ダイナミックで鮮やかなオーケストレーションの妙は、エルガーの有名曲からはあまり感じ取ることができませんが、その交響曲や大規模な声楽曲などを聴き進めていくと、オペラこそ書かなかったものの、エルガーの劇的な音楽の素晴らしさがわかると思います。

Alassio3

そして、この曲のなによりも素敵なところは、中間部で、全体が優しいピアノに落ち着いたところで、ヴィオラソロが、甘く美しく、奏でるセレナードのメロディ。
ホルン、そして弦が後を引き継ぎ、ハープの伴奏も夢のようです。

そのあと、再度、華麗で、眩しい日差しが戻ってきて、高貴なるエルガー・テイストもしっかり維持しながら、音楽は終ります。

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おそろく、こんな風光明媚な景色も眼にしたのでしょう、エルガーさん。

その音楽も、この景色も素敵にすぎます!

かつて2度聴いた大友さんのコンサートは、とても素晴らしいものでした。

そして、音源でも、いまは交響曲の余白に入ったりしているので、結構持ってます。

そんな中で、ノーブルで過剰な演出も少なめのマリナー盤が好き。

きっと、リゾートの典型のような街かもしれないけれど、行ってみたいなアラッシオ。

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2013年3月23日 (土)

エルガー 交響曲第3番 A・デイヴィス指揮

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麻布十番の隠れ家的なバーにて。

アイラ系が好きなワタクシ。

ボウモア系のデュワ・ラトレイ社のウィスキー。

ヨード系の味と香りは好き嫌いがあると思いますが、わたしは大好き。

スモーキーで、潮の香りまで感じます。

英国音楽には、やはりウィスキーでございます。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 (アンソニー・ペイン補筆完成版)

    アンドリュー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

                  (1997.10 ロンドン BBCスタジオ)


エルガーには完成された交響曲は2曲しかありません。

マーラーの10番と同様に、作者の死後残されたスケッチからその全曲を補筆して完成させたのが、エルガーの3番。

作者の死による未完作品を完成させ、音楽界とわたしたち聴き手に認知されているのは、「モーツァルトのレクイエム」、「マーラーの10番」、「プッチーニのトゥーランドット」、そしてこの「エルガーの3番」がそれらの代表格でしょうか。
「ブルックナーの9番」はこれからブレイク予感。

この曲の経緯は、何度も書いた過去記事からコピー。

「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガー(1857~1934)は、亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管されたが、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、うずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

最初は、オリジナルじゃないという思いから、眉つばだった。
それはマーラーの10番と同じ。
その思いが宿ると、なかなか払拭できないのが音楽ファンで、「所詮、スケッチしかないのだから、第三者の手が入ることで純粋性が失われる・・・」などと思いこんでいたのです。
しかし哀しいかな、いや喜ばしいかな、クラヲタ的には、なんとしても「次の番号」を聴きたくなるんです。
一部の楽章や断片じゃすまない、聴いたことにはならない。
そしていつしか、新たなその作曲家の作品の出現に、喜び、進んで聴くようになったのです。
マーラー10番より先に、エルガー3番の受容はありました。

ナクソスのP・ダニエルのCDを、日々何度も何度も聴き続けました。
その後に、LSOレーベルのサー・コリン、初演者のA・デイヴィスと聴き、チェリスト兼指揮者のワトキンス&都響でライブ、さらに尾高&札響のCDとライブも体験しました。
気がつけば、ヒコックス以外は、3番の録音はすべてコンプリートしました。

いまや「エルガー・テイスト」という概念を通り越して、自分の中では「エルガーの3番」としてしっかり認知しております。
好きな作曲家の新たな作品が、死後、忽然と登場する。
ファンとしてこんなに興味深く嬉しいことはありません。
そんな前向きな気持ちで聴くのがファンだと思います。
自作の部分が少なく、まして終楽章はほとんどないという状況においてもなお、この作品は、今後とも自主独歩を続け、マーラー10番と並ぶ存在意義を持つようになるのだと思います。
 その方棒をしっかり担いでいるのが、尾高忠明さん。
レコーディングでは、札響を指揮してまもなく出る1番、いずれ行われるであろう2番とともに、3曲のレコーディングを行う世界的な存在になります。
その全霊を傾けた演奏は、もしかしたら、今日のA・デイヴィスの初演まもない録音のこの音盤より上をゆくものかもしれません。

事実、まだこなれてないオケの雰囲気を比較すると、札響のあのキタラホールの重厚でかつクールな音色に尾高さんの熱さが加わったCDの方が上と判断できます。

本日は、初演者のパイオニア精神を大いに評価し、かつBBCの機能性と柔軟性を讃えたいと思います。
A・デイヴィスは、いまや亡きトムソン、ハンドレー、ヒコックスのあとを継ぐ英国音楽演奏の心強いアニキ。日本のオケにも客演して欲しいものです。

交響曲第3番 過去記事

  「尾高忠明指揮 札幌交響楽団のコンサート」
 「コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団のCD」
 尾高忠明指揮 札幌交響楽団のCD
 「
ワトキンス指揮 東京都交響楽団のコンサート」


Ueno

こちらは、昨日の上野、不忍池。

東京は早くも満開です。

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2012年8月 7日 (火)

エルガー 交響曲第1番 ボールト指揮

Thames

テムズを行く五輪。

英国人は、やることがナイスですな。

でも、ちょっと大まかなんですよね。

林望さんの本かなにかで読んだことがあるんだけど、「英国はおいしい」だったか、英国料理はマズい、という定番の風評を肯定はしつつも、英国の歴史がそうさせてしまったというもの。

それは、Villege=村を基本単位とした英国各地には、祭りや村人同士の交流から、その地独自の食べ物や文化が育ち、進化していったが、やがて地主が生まれ、村を支配する仕組みができ、地方のくくりも大きくなり、支配階級が生まれ、村から搾取するようになり、個々の文化は停滞していった・・・・、このことから食文化も味気なくなっていった・・・。

とかいうものだったように思います。
日本も同じような流れですが、日本の場合は内側に固まる意識も強くて、密かに守り育てられる文化が、のちの鎖国も手伝って独自化していったのですが、英国は列強として外へ外へとそのパワーは向かい、内なる国内は支配階級の思うがままになっていったんだと思います。
英国の貴族階級は、いまも半端なく凄いものがありそうですが、それはかつての支配階級の流れの中にあります。
日本の武士=軍人が消え去ってしまったことと、ここでは大きな違いがありますね。

そして英国貴族は、かつての武力も有した支配階級ではありますが、ノーブルで嗜み豊かで、毅然としております。

ちなみに、わたくしの英国訪問は一度だけ。
忙しい出張でしたが、ギドニー・パイとかステーキ(固い)、サンドイッチなど、悪くはなかったと思ってますが。。。。

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  エルガー   交響曲第1番 変イ長調

   サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
       
                      (1976.9,10 アビーロードスタジオ
                                &キングスウェイホール)


もうすっかり有名交響曲の一員となりました、エルガーの交響曲第1番。
日本のコンサートでも、いつもどこかで演奏されてます。

50分を越す大作だけど、各楽章が冒頭のモットーと何らかの関係で結ばれていて、最初のじわじわとした高揚感から、2楽章の行進曲風の勇壮さ、3楽章の陰りある儚い美しさ、苦しみの中から、最後は冒頭楽章が感動的に回帰する輝かしい終楽章と、一度ハマれば、聴きてを魅惑してやまない素晴らしい交響曲なのです。

もう何万回も聴き、何回も記事にしてきましたが、バルビローリと並んで、英国音楽・エルガーの音楽のご本尊さま的存在のボールト盤をこれまで一度も取り上げてきませんでした。

ボールトの1番で、もっとも一般的なのが、1976年のロンドン・フィル盤。
どういう塩梅か、終楽章だけ録音場所が異なり、微妙に雰囲気が異なりますが、この1枚は実に安心して身を委ねることができます。
おおらかで、小事には動じることのない真っ直ぐのブレのない解釈は、エルガーのノビルメンテの指示そのもを体現してます。
細部のきめ細やかさでは、昨今の精度高い演奏にひけをとりますが、一本筋の通った骨太な流れの中にエルガーの高貴なる眼差しと、自国への愛情を感じることができます。

惜しむらくはEMI録音の、一枚ヴェールのかかったような響き。
同時期、音楽監督だったハイティンクがロンドンフィルとはフィリップスに、重厚でウォームかつ克明な録音を残しているのと大違い。

Elgar_sym1_boult_2


  エルガー   交響曲第1番 変イ長調

   サー・エードリアン・ボールト指揮 BBC交響楽団
       
               (1976.7.18 ロイヤルアルバートホール) 


そして、ボールトのエルガー1番、もう1枚は、さきのEMI盤の2ヶ月前、プロムスにおけるライブ録音で、珍しくBBC交響楽団を指揮したもの。

こちらの放送録音の方が心地いいって、いったいEMIさんはどうなってるんだろ。
で、演奏はライブの感興そのもが反映された興奮と思い入れそそるもの。
思いの丈をしっかりと乗せて、じっくり聴かせてくれる3楽章もふくめて、テンポが実に早く、表情づけも早い分、若々しい。
でもさすがはボールトと、機敏なBBCだけあって、時にアクセルを緩めじっくり構える指揮にしっかり着いていって、硬軟取り混ぜた、実に鮮やかなエルガーに仕上がってます。
圧巻は、ライブだけあって、やはり最後の感動的な大エンディング。
いやはや、ものすごい歓声が巻き起こります。

参考タイム:

          Ⅰ      Ⅱ       Ⅲ       Ⅳ

BBC     17'22"           7'05"          9'04"     11'19"

LPO     18'39"           7'14"         10'53"           12'03"

エルガー 1番 過去記事

 「バルビローリ/ハルレ管弦楽団 新旧」

 「湯浅卓雄/神奈川フィルハーモニー」

 「マリナー/アカデミー管弦楽団」

 「尾高忠明/NHK交響楽団」

 バルビローリ/フィルハーモニア管」

 「
大友直人/京都市交響楽団 演奏会

 「
尾高忠明/BBCウェールズ響

 
ノリントン/シュトットガルト放送響

 
プリッチャード/BBC交響楽団

                        

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