カテゴリー「コルンゴルト」の記事

2024年12月10日 (火)

3つのシンフォニエッタ(風の作品)

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隣町にある厳島湿生公園のイルミネーション🎄

厳島神社を島として取り囲むような泉があり、そこは清水が湧いていて古くから野鳥や生物の住む湿性池となってます。

奥に見えるのは大山で、丹沢からの清らかな水系がこの町にも流れてます。

シンフォニストとしてその時代の先端を走ったマーラー(1860~1911)、オーケストラ音楽を極め、オペラ作曲家としてワーグナー後の大家となったR・シュトラウス(1864~1949)。
このふたりの大物と同時代か次の世代の作曲家3人のシンフォニエッタないしは、シンフォニエッタ的な作品を聴きます。

 ・ツェムリンスキー (1871~1941)
 ・シュレーカー   (1873~1934)
 ・コルンゴルト   (1897~1957)

この3人、いずれもユダヤ系であることから戦渦においては大きすぎる影響を受けていることも共通するが、ともにオペラ作曲家でもあったことが共通。
コルンゴルトだけ、年代が少しあとだが、そのため師匠はツェムリンスキーだったりする。
3人ともに、生前は大きく評価され作曲家として、また演奏家として大人気だったし、コルンゴルト以外は教育者でもあったので、弟子筋も多岐にわたっている。

そしてシンフォニストとしてはどうだったかというと、3人ともに本格的な交響曲をいくつも書くタイプではなかった。
・ツェムリンスキー 交響曲第1番、第2番、「抒情交響曲」
・シュレーカー   交響曲op1
・コルンゴルト   交響曲 嬰ヘ長調
ツェムリンスキーには2曲の本格交響曲があるけれど、ちょっとイマイチで、後年の充実期の素晴らしい声楽交響曲の抒情交響曲にはおよばない。
シュレーカーの作品も習作的な雰囲気を出ないがシュレーカーの匂いはする。
そしてコルンゴルトの交響曲はウィーンを出てアメリカに渡ったあと、またウィーンでひと花・・という時期だけにJ・ウィリアムズにも影響を与えたゴージャスシンフォニーだ。

交響曲は3人に濃淡あれど、シンフォニエッタ的な作品は、いずれもそれぞれの特徴が満載で実にステキなものだ。
最近、この3つの作品の演奏頻度があがっていて、海外ネット配信でたくさん聴けてます。
やはりマーラー後の音楽、シンフォニー作品に聴き手の裾野が広がっている。
作曲年代順に。

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     コルンゴルト シンフォニエッタ op.5  (1912)

  ヨン・ストゥールゴールズ指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニック

                     (2011.8.10 @ヘルシンキ)

もう大好きすぎて、音源はほぼ持ってます。
演奏会でも2度経験、いつもつい聴いてしまうし、過去記事もたくさん。
同じことばかり書いてるので、コピペします。

1911年、マーラーの没したの年に14歳にして、初の管弦楽作品「劇的序曲」を作曲。
ニキシュとゲヴァントハウス管によって初演され、天才出現の驚きを持って聴衆に迎えられる。
14分あまりの大作で、のちのアメリカ時代の「交響曲」の片鱗をうかがうこともできる佳作。
そしてその次に、コルンゴルトが取り組んだのが、4つの楽章を持つ43分の大曲。
「シンフォニエッタ」と銘打ちつつ、この大きな規模。
完成は、1913年、16歳のときにワインガルトナーとウィーンフィルによって初演され、大成功を導きだします。


シュトラウスや、マーラーやツェムリンスキー、その時代の先輩たちからアドバイスや影響を受けつつもすでに、成熟し完成型にあったその音楽スタイルは、のちのハリウッドでの明快で、煌びやかなサウンドも予見できるところもおもしろい。
本格交響曲のようには構成感や深刻さがなく、「Motiv des frohlichen Herzens」=「Theme of the Happy Heart」とされたテーマ、すなわち、「陽気な心のモティーフ」が全編にわたって用いられ、曲のムードや統一感を作り上げております。
このモティーフ、曲の冒頭から鳴り、決め所の随所で響きます。
大胆な和声と甘味な旋律の織り成すこの音楽は、このあとのシュレーカーやツェムリンスキーの作品よりも、ある意味先を行っているともいえます。
ハープ、チェレスタ、鉄琴、ピアノなどの多用は、ほかのふたりと同じく、やはり当時、いかに珍しかったか興味深い。
のちにハリウッドで活躍するコルンゴルトのその下地がすでに出来がっているし、オペラ作曲家としてのドラマの構成力もここでは十分に発揮されている。
楽天的ではありますが、ともかく、ワタクシを幸せな気持ちにしてくれる、ほんとにありがたい音楽です。
いまの時期のクリスマスイルミネーションにぴったり。

フィンランドの指揮者ストゥールゴールズは、お国もののシベリウスを当然に得意にしているけれど、マーラー以降の後期ロマン派から世紀末系の音楽もさかんに指揮して録音も残してます。
最近ではBBCフィルの指揮者としてショスタコーヴィチを連続して取り上げて評価をあげてます。
ヘルシンキフィルのコルンゴルトとは珍しいと思い、カップリングの「空騒ぎ」との2枚組、興味津々で聴いたものですが、これがどうして、軽やかで、そしてコルンゴルトに必須の煌めきと、近未来風サウンド、イケイケ風の明るいドタバタ調など、さらにはウィーン風の軽やかなワルツなど、ともかく普通に素敵にコルンゴルトしてるイケてる演奏だったのでした。
10年以上を経過し、ストゥールゴールズには、いまの手兵BBCフィルともう一度やって欲しい。

この曲の海外ネット放送も、いくつも聴いてます。
注目の女性指揮者、マリー・ジャコーの指揮するウィーン響の今年の録音は、ウィーンのオケだけに、そしてフランスの指揮者だけに実に敏感かつしなやかな演奏。
ジャコーは、デンマーク国立菅の指揮者であり、ウィーン響の首席客演、次期ケルンWDR響の指揮者になることが決ってます。
 あと、次期といえば、東京交響楽団のノットのあとの指揮者、ロレンツォ・ヴィオッテイがやはりウィーンのオケ、ORF放送響との2018年ライブも愛聴していて、こちらもヴィオッテイ向きの作品なので、リズム感あふれる躍動感とキラキラ感がよろしいのです。
さらにはライブ録音としてはコンロンとケルンのものも、コンロンお得意の分野だけあって素晴らしい聴きものでしたね。
いやぁ、ほんとこの曲好き💛

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   シュレーカー 室内交響曲 (1916)

 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

       (2021.3,5 @コンツェルトハウス、ベルリン)


オペラばかりを追いかけて聴いてきた私にとって、シュレーカーの「室内交響曲」は、やや遅れて自分にやってきた存在。
「烙印された人々」の前ぐらいの時期で、そのオペラの濃密な世界に通じるような、かつ明滅するような煌めきの音楽。

文字通り1管編成の室内オーケストラサイズの編成で、最低人数は24人とありながら、打楽器各種、ピアノに、チェレスタに、ハルモニウムが加わっているので、余計に近未来的煌めきサウンドとなっていて、まさにシューレーカーの目指した音の色を感じることができる。
のちにオケの編成を広げてシンフォニエッタに改編する意向もあったこともうなずける音楽。

1916年ウィーン音楽院の創立100年を記念しての作品で、初演は翌年1917年3月にシュレーカーの指揮でウィーンのムジークフェラインにて。
あの黄金のホールで、この曲が初演され、どう響いたか、思うだけでうっとりしてしまう。
単一楽章ながら、連続する4つの章からなり、交響曲の形式を保っている。
1915年に着手され未完のままになったオペラ「Die tönenden Sphären」(単純に訳すと「音の出る球体」)からの引用がなされていて、さらには、このあとの「烙印を押された人々(1918)」を先取りする旋律も感じるほか、「はるかな響き」「音楽箱と王女」にも通じる旋律も私は聴いてとれた。
シェーンベルクが「室内交響曲」をマーラーが活躍中の時分、1906年に書き、それは交響曲の新たな姿やあり方のひとつを示してみせたわけだが、同じ室内交響曲としても、シュレーカーの方には革新性は少なめで、先に書いた通り、音色と色彩に光をあて、さらにはオペラ作曲家としての歌やドラマをも求めた交響曲となったと思う。

エッシェンバッハの演奏は、完璧なもので、指揮者の特性と音楽が合致したもの。
録音も最新のものだけあって素晴らしい。
CDではこの盤のみの保有ですが、シュレーカーの代表曲だけあり、色々出てます。
最近の海外演奏では、マーク・エルダーの指揮によるものが出色だった。

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  ツェムリンスキー シンフォニエッタ op.23   (1934)

 ジェイムス・ジャッド指揮 ニュージーランド交響楽団

       (2006.6 @ウェリントン)

友人であり義理の兄弟でもあったシェーンベルクが1934年にアメリカに逃れ、その年にツェムリンスキーはプラハやベルリンから活動拠点をウィーンに移し、そしてこのシンフォニエッタを完成。
1935年にプラハで初演後、作者の指揮でウィーンを始め各地で演奏。
しかし、1938年にツエムリンスキーはアメリカへの亡命を決意し、ニューヨークに移住。
シェーンベルクは西海岸のロサンゼルスで名声を博していたのに比し、ツエムリンスキーはまったく忘れ去られた作曲家として埋没してしまうが、1940年の暮れに、ミトロプーロスがニューヨークフィルでこのシンフォニエッタをアメリカ初演を行い、成功を収める。
友人をずっと気にかけていたシェーンベルクは、西海岸でのこの曲の演奏会を聴き、ツエムリンスキーを励まし、これでアメリカでの成功の始まりとなることを願いますと手紙を書いた。
しかし、悲しいことに、病気がちだったツエムリンスキーは、その数日後に亡くなってしまう。

「非常に重く」「一定の歩調でと記されたバラード」「ロンド・非常に元気よく」
この3つの楽章からなるが、2楽章では、作品13(1910年)のメーテルリンク歌曲集の最終章が引用されている。
この章は、「城に来た・・」というタイトルで、王が王妃に、どこへ行く?夕暮には気をつけてと問う内容で、とても寂しく暗に別れを歌う内容。
この音楽がそのまま2楽章では使われていて、ナチス台頭で身の置き所に不安を感じていたツエムリンスキーのこのときの心情そのものです。
淡々としつつも、哀しみと死の影を感じるこの音楽は深いです。
1楽章では、先だって取り上げたクルト・ヴァイルを思わせる辛辣な雰囲気もあり、終わりの方では次にくるメーテルリンク歌曲のさわりも出てくる。
3楽章は、明るいなかにも陰りあり、そしてツエムリンスキーが後半生で強く打ち出したエキゾシズム満載で忘れがたいリズム感もあり。
来年には取り上げたい、この頃に作曲されたオペラ「白墨の輪」の音楽の雰囲気も感じます。

「人魚姫」とカップリングされたジャッド指揮によるCDは、とても明快で録音もよく、この作品に馴染むにはまったく問題ないです。
手持ちの音源には、コンロン、ピンチャー、P・ハーンなどの演奏会録音もありますが、ネット録音したベルンハルト・クレーの演奏が一番いい。1980年録音のコッホ・シュヴァン盤で入手難です。

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3人の作品をこうして何度も聴いて思ったこと。

3人は無調(すれすれまで行った作品もあるけど)や、12音、過度の表現主義や新古典主義にも向かわず、後期ロマン派の流れを忠実に汲み、そこにとどまったのだということ。

そして、あの時代のユダヤの出自という宿命が、かれらの音楽の次の可能性を狂わせてしまった。

でも、いまを生きるわたしたちには、彼らの作品をこうしてちゃんと聴くことができる時代になったこと、このことが幸せなのです。

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 コルンゴルト シンフォニエッタ 過去記事

 「アルベルト指揮 北西ドイツフィル」

 「バーメルト指揮 BBCフィル」

 「ゲッツェル指揮 神奈川フィル」

 「アルブレヒト指揮 ベルリン放送響」

 「寺岡 清高 指揮 フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会」

 シュレーカー 室内交響曲 過去記事

 「はるかな響き 夜曲 エッシェンバッハ指揮」


 ツェムリンスキー シンフォニエッタ 過去記事

 「大野 和士 指揮 東京都交響楽団 演奏会」

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2023年12月15日 (金)

コルンゴルト 7つの童話絵 アレクサンダー・フレイ

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大磯の城山公園は紅葉の名所。

海も見えるし、丹沢も富士も見えます。

下に降りて、1号線の向かい側には吉田邸があり、数年前の火事から復旧し、落ち着いた雰囲気の庭園も臨める。

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ほどよい自然に恵まれ、こんななかに身を置くと、ほんとに帰ってきてよかったと思う。

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   コルンゴルト 7つの童話絵 op.3 (1910)

    ピアノ:アレクサンダー・フレイ

   (2000.1 @ポモナ・カレッジ、クレアモント・カリフォルニア州)

コルンゴルト(1897~1957)の13歳のときのピアノ作品。

8、9歳で作曲を始め、作品番号のないピアノ・ソナタ1番とか、パントマイム劇音楽「雪だるま」などは12歳で書いて、それをツェムリンスキーがオーケストレーションをして、シャルクとウィーンフィルが初演するという風にウィーンで神童の名を欲しいままに。
「雪だるま」は8年前に記事にしてました→雪だるま

このジャケットのコルンゴルトはもう少し年長かもしれないものだが、それでも残るあどけなさ。
若書きのピアノ作品を集めたこのCDの冒頭にあるのが7曲のピアノ組曲。
これを聴いて誰しもが13歳の作曲家の作品とは思わないだろう。
しゃれっ気とユーモア、メルヘンな雰囲気にもあふれていて、味わいも深いときた。

ちなみに、わたしの大好きな大作「シンフォニエッタ」は16歳、「死の都」が22歳、「ヘリアーネの奇蹟」が30歳。
1938年41歳でアメリカに渡ったあとの名作ヴァイオリン協奏曲が48歳、交響曲が55歳、それぞれの代表作の作曲年齢です。

ヒトラーのドイツ国首相就任が1933年。
コルンゴルトは33歳で、徐々にユダヤの出自であることや、帝国の芸術への介入という緊張感を感じていた。
ここからが、コルンゴルトの作風を含め、新たなジャンルの開拓などの模索が始まった。

そんな苦難を少年時代の順風満帆な神童時代には思いもしなかったコルンゴルト。
ともかく、ここできく音楽は幸せな音楽というにつきます。

「低地」で有名なオペラ作曲家ダルベールに捧げられたというのも当時としてはすごいこと。
コスモポリタンなダルベールは、オペラを22作も書いたし、リストを師とも仰いだ人で、スコットランド生まれながらウィーンで活躍し、ピアノも堪能で、その弟子の系譜はバックハウスまでたどり着く。
過去記事「低地」

7曲は合計30分の長さで、それぞれのスコアの冒頭には、のちに「ヴィオランタ」と「ヘリアーネの奇蹟」の2つのオペラの台本作家となるミュラーの詩が添えられている。
それらの詩がどんな内容か知りたくもあったがCD解説にもなかったのでここでは割愛。
7つそれぞれのタイトルを以下に。

 ①「魔法にかかった王女」

 ②「王女とエンドウ」

 ③「聖霊の王ルーラー」

 ④「妖精」

 ⑤「妖精の王の舞踏会」

 ⑥「勇敢な小さな仕立て屋さん」

 ⑦「おとぎ話のエピローグ」

たやもないタイトルではあるけれど、そのタイトルの雰囲気がちゃんとかもし出されているのが可愛いところ。
印象派風の響きもあり、マ・メール・ロワ的、むかしむかしあったとさ・・・的な物語感とその完結感もある。
ともかく微笑ましい。
初老の域に達した自分のようなオジサンのナイトキャップにも最適な、コルンゴルト少年の佳作でありました。

このCDには、ステキな「4つのワルツ」と写実的な「ドン・キホーテ」組曲といういずれもともに同時期のピアノ作品が収められてます。
指揮者でもあるフレーの丁寧な共感あふれるピアノは、これでとてもいいと思います。
ピアノ作品では3つのピアノソナタがあり、それらもいずれ取り上げます。

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都会はキラキラしてるけど、ちょっと田舎のわたしのまわりは、静かで渋く落ち着いてますよ。

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2023年11月11日 (土)

フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会

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11月も中盤に入り、街にはクリスマスのイルミネーションがちらほら散見されるようになりました。

今日のコンサート会場のお隣で見つけたツリーから。

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ミューザ川崎も、急に寒くなった今日の雰囲気に寄り添うような雰囲気。

音楽が大好きな若い方たちのオーケストラを聴いてきました。

学生オーケストラ出身者によって結成されたオーケストラです。

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 J・ウィリアムズ オリンピックファンファーレとテーマ

         「ジュラシック・パーク」よりテーマ

         「スター・ウォーズ」抜粋

 コルンゴルト   シンフォニエッタ op.5

 J・ウィリアムズ  「インディ・ジョーンズ」よりテーマ

   寺岡 清高 指揮 フィルハーモニック・ソサエティ・東京

     (2023.11.11 @ミューザ川崎 シンフォニーホール)

なんてすばらしい、おもしろいプログラムを組んでくれるんだろ!

コルンゴルト愛のわたくしの目当ては「シンフォニエッタ」。
9月のゲッツェル&都響での同曲のコンサートを早々にチケットを買って楽しみにしていたのに、おりからの台風直撃。
逸れたもののの、お近くの方をのぞくと、東海道線利用の自分には平日でリスクが大きく断念しました。

その悲しみのなか、見つけたのがこのコンサート。
小躍りしましたね。
しかし、悪魔は2度微笑む・・・
川崎に向かう電車内、危険を知らせる通知があり川崎駅で電車が止まっていると。
横浜に着いて、しばし停車、この電車は川崎には止まらず、横須賀線内を迂回とアナウンス。
え、えーー
カラスが置き石をして、駅員が撤去と安全確認をしているとのこと。
すぐさま降りて京急へ向かうも、運悪く急行が出たばかりで、次は空港直のノンストップ。
あちゃ~とばかり、東海道線ホームに舞い戻り、なんとか開始5分前に川崎駅。
ぎりぎりで間に合いましたが、同じように遅れた方も多かった。
カラスよ、もう堪忍してよ。

   ーーーーーーーーーーーーーーーー

こんな艱難を制して着席し、鼓舞するようなオリンピックテーマで勇壮に開始。
めっちゃ、気持ちいい~
84年のLAオリンピック、80年のソ連のアフガン侵攻を受けて、モスクワ五輪を西側がボイコット。
それを受けて、ソ連勢・東側がLAは不参加、中国はモスクワ不参加、LAちゃっかり参加という、極めて政治色の濃かったオリンピックだった。
そんな起源のあるオリンピックテーマだけど、いまやこのJウィリアムズ作品は、反省をもとに世界祭典となったオリンピックの普遍的な音楽になりました。
いまもまた、きな臭い世界の動きにあって、わすれちゃいけない音楽の力であります。
若いオーケストラの輝きあふれるサウンドが心地よい。

ジュラシックパークは、映画館で観なかったこともあり、やや世代ギャップがあり。
しっとりしたホルンの開始がいい
ちょっと音楽的に自分には遠かった。
スーパーマンかETをやって欲しかったなww

30分あまりのスターウォーズ組曲は、もうお馴染みのリズムとメロディが続出。
昭和のオジサンの思いは、77年のロードショーを観た学生時代に飛んで行く。
思えばその時の劇場、渋谷東急も今はない。
しかし、ルークの出て来ないエピソードの音楽となると、DVDで観て知った世界となるので、ここでもまた音楽がやや遠い。
オジサンがそんな思いに浸っているとはつゆ知らず、若者たちは、気持ち良さそうに、身体を音楽に合わせつ演奏にのめり込んでいる。
そんな皆さんが眩しかったし、思い切り共感しつつ演奏しているオーケストラの若者がうらやましかった。
エピソードⅣの大団円の音楽は、エンドロールにも似て、めっちゃくちゃ完結感もあってよかった。
寺岡さんの的確な指揮もあり、オーケストラは各奏者ふくめ、すごく巧い!!
ブルーのライトセーバー、もっと大胆に使えばよかったのにww

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

後半は、得意のコルンゴルト。
5つのオペラをのぞけば、コルンゴルトのなかでは、ヴァイオリン協奏曲と並んで一番好きな作品。
失意と一発逆転の時代の大規模な交響曲より、ずっと前向きで明るくファンタジーあふれる曲。

1912年15歳のコルンゴルトの、ハリウッドとは正直無縁の時代の音楽。
コルンゴルトはユダヤ系の出自もあり、ナチスから退廃音楽のレッテルを受け、欧州を逃れアメリカに逃れたのは戦中でずっと後年。
この作品は、シュトラウスやマーラー、ツェムリンスキー、シェーンベルク、シュレーカーの流れと同じくするドイツ・オーストリア音楽のワーグナー次の世代としてのもの。
15歳という早熟ぶりもさることながら、大胆な和声と甘味な旋律の織り成す当時の未来型サウンドであったと思います。
ハープ、チェレスタ、鉄琴、ピアノなどの多用がいかに当時珍しかったか。
のちにハリウッドで活躍する下地がすでに出来がっているし、オペラ作曲家としてのドラマの構成力もここでは十分に発揮されている。

Jウィリアムズの音楽のヒントや発見は、このシンフォニエッタにも限りなくあり、ライブで聴く喜びもそこにあり、さらには全曲を通じてあらわれるモットーの発見と確認の楽しみと美しい旋律の味わいもある。

この日の寺岡&PSTの演奏は、細かなことは度外視して、ほぼ完璧でした。
大好きな曲のあまり、1楽章が始まると、もう涙腺が緩み涙ぐんでしまった。
そのあとの素敵なワルツ、若い皆さんが体を揺らしながら気持ちよさそうにコルンゴルトを演奏している姿を見るだけで幸せだった。
 ダイナミックな第2楽章、実はのちのオペラでも、悪だくみ的な場面に出てくるムードだけど、それとの甘い中間部の対比も見事だった。
わたしの大好きな3楽章。
近未来サウンドを先取りした響きに、ロマンスのような甘味な美しい歌にもうメロメロでしたよ、ソロもみんな頑張った。
シュトラウスのように、どこ果てることもなく、次々に変転してゆくフィナーレ。
もう右に左にオーケストラの活躍を見ながら、寺岡さんの冷静確実な指揮ぶりも見つつ、もうワクワクのしどうし。
ずっと続いて欲しかった瞬間は、あっけないほどに結末を迎えてしまうのも、この作品のよさ。
輝かしいなかに、いさぎよいエンディングをむかえ、ワタクシ、「ブラボー」一発献上いたしました。

いやはや、ほんとに素敵な演奏のコルンゴルトでした。
この作品は、手練れのオーケストラでなく、若い感性にあふれたメンバーのオーケストラで、コルンゴルトの音楽を感じながら演奏するのがいい。
それを聴くのはオジサンのワタクシですが、自分のなかの、コルンゴルトやこの曲にまつわる思い出を、若者はさりげねく引き出してくれるような気がしますのでね。

アンコールは、ビオラ奏者たちの下に最初からあって気になっていた黒い布に包まれたものの正体が・・・
指揮者がテンガロンハットをかぶって登場し、ビオラメンバーがそろって取り出してかぶった!
そう「インディ・ジョーンズ」ときました!

元気よく、爽快にミューザのホールをあとにしました!

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クリスマス、イルミ好きの私は、ミューザの隣のビルのツリーも逃しません。

やたら混んでた東海道線で帰宅し、川崎駅周辺で買い求めた食材で乾杯🍺

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PSTの次のコンサートは、来年の2月。
秋山和慶さんの指揮で、モーツァルトの39番に「英雄の生涯」

またよき音楽を聴かせてください!

シンフォニエッタ 過去記事

 「アルベルト指揮 北西ドイツフィル」

 「バーメルト指揮 BBCフィル」

 「ゲッツェル指揮 神奈川フィル」

 「アルブレヒト指揮 ベルリン放送響」

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2023年2月11日 (土)

コルンゴルト 「ヘリアーネの奇蹟」

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夕焼け、日の入りが好きな自分ですから、毎日夕方になると外を眺めてます。

夕日モードで撮影すると三日月にカクテルのような夕焼を写すことができます。

すぐに暗くなってしまう瞬間のこんな刹那的な空が好き。

5つあるコルンゴルトのオペラ、4作はすべて取り上げましたが、ついにこの作品を。

10年以上、聴き暖めてきたオペラです、長文失礼します。

        コルンゴルト 歌劇「ヘリアーネの奇蹟」

「喜ぶことを禁じた国の支配者。そこへ、喜びや愛を説く異邦人がやってくるが、捕まってしまい、死刑判決を受ける。
さらに王妃のヘリアーネとの不義を疑われ自ら死を選ぶ。

その異邦人を自らの純血の証として、甦えさせろと無理難題の暴君。
愛していたことを告白し、異邦人の亡きがらに立ちあがることを念じるが、反応せず、怒れる民衆は彼女を襲おうとする・・・・
そのとき、奇蹟が起こり、異邦人が立ちあがり、暴君を追放し、民衆に喜びや希望を与え、愛する二人は昇天する。。。。」


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   ヘリアーネ:サラ・ヤクビアク
   異邦人:ブライアン・ジャッジ
   支配者:ヨーゼフ・ヴァーグナー
   支配者の女使者:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
   牢番:デレク・ウェルトン
   盲目の断罪官:ブルクハルト・ウルリヒ
   若い男:ギデオン・ポッペ

  マルク・アルブレヒト指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

               ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

    演出:クリストフ・ロイ

       (2018.3.30~4.1 @ベルリン・ドイツ・オペラ)

コルンゴルトの音楽を愛するものとしては、5つあるそのオペラをとりわけ愛し大切にしております。

しかしながら、そのなかでも一番の大作「ヘリアーネの奇蹟」は長いうえに、国内盤も買い逃したので、その作品理解に時間を要してました。
もう10年も若ければ、国内盤のない「カトリーン」のときのように辞書を引きつつ作品解明に努めたものですが、寄る年波と仕事の難儀、なによりもCDブックレットの細かい文字を読むのがもうしんどくて、なかなかにこのオペラに立ち向かうことができなかったのでした。
若い方には、視力と気力のあふれるうちに、未知作品を読み解いておくことをお勧めします。

そこで彗星のように現れた日本語字幕付きのベルリン・ドイツ・オペラの上演映像。
音楽はすっかりお馴染みになってましたので、舞台の様子を観ながら、ついに全体像が把握とあいないりました。
痺れるほどに美しく、官能的でもある2幕と3幕の間の間奏曲がとんでもなく好き。

1927年、コルンゴルト、30歳のときのオペラ

  ①「ポリクラテスの指環」(17歳) 

  ②「ヴィオランタ」(18歳)

  ③「死の都」(23歳)

  ④「ヘリアーネの奇蹟」(30歳)

  ⑤「カトリーン」(40歳)


「市の都」の大ヒットで、ウィーンとドイツの各劇場でひっぱりだこの存在となってしまった若きコルンゴルト。
息子を溺愛し、天才として売り出しバックアップしてきた音楽評論家の父ユリウス・コルンゴルトが良きにつけ悪しきにつけ、「ヘリアーネの奇蹟」を成功した前作のように華々しい決定打とならなかった点に大きなマイナス要素となった。
舌鋒するどい父の論評は、その厳しさを恐れる楽壇が、息子エーリヒ・ウォルフガンクの作品を取り上げるようになり、マーラー後の時代を担う存在として、大いに喧伝した。
そんな後ろ盾がなくともコルンゴルトの音楽は時代を超えて、いま完全に受入れられたことで、父の饒舌なバックアップがなくとも、いずれ来る存在であったことがその証でしょう。
不遇の不幸は、足を引っ張ったやりすぎの父の存在以上にナチスの台頭であり、ナチスとその勢力が嫌った革新的な新しい音楽ムーブメントと少しあとのユダヤ人出自という存在であった問題。
 当初はユダヤ排斥よりは、社会的に熱狂的なブームとなったジャズや、クラシック界における十二音や即物主義や、その先の新古典的な音楽という伝統を乗り越えた音楽への嫌悪がナチスのそのターゲットとなった。
コルンゴルトより前に、ユダヤであることの前に、そうした作風の音楽家は批判を浴びたし、作曲家たちはドイツを逃れた。
 こんな情勢下で作曲された「ヘレアーネ」。

原作はカール・カルトネカーという文学者の「聖人」という作品で、彼はコルンゴルトの若き日のオペラ「ヴィオランタ」を観劇して、大いに感銘を受けていて、その思いが熱いうちに「聖人」を書いたという。
カルトネカーは早逝してしまうが、コルンゴルトはこの作品を読んで、すぐにオペラ化を思い立ち、友人のハンス・ミュラーに台本作成を依頼して、生まれたのがこの「ヘリアーネの奇蹟」。

人気絶頂期での新作ヘリアーネの初演は、まずハンブルグで行われ成功。
次いで本丸ウィーン国立歌劇場での初演を数日後に控え、当のウィーンでは、人気のジャズの要素と世紀末的な雰囲気をとりまぜたクシェネクの「ジョニーは演奏する」の上演も先鋭的なグループを中心に企てられており、それにナチス勢力が反対する流れで、コルンゴルト対クシェネクみたいな対立要素が生まれていた。
そんななかで、シャルクの指揮、ロッテ・レーマンの主役で初演されるものの、Wキャストの歌手と指揮者との造反などの音楽面とは違う事情から続演が失敗に終わり、ウィーンでの上演では芳しい評価は得られなかった。
ドイツ各地でのその後の上演も、音楽への評価というより、クシェネクのジョニーの高まる評価に逆切れした父の評論活動が引き続きマイナスとなり、そんなことから、作品の長大さや筋立ての複雑さ、歌手にとっての難解さなどから「ヘリアーネの奇蹟」はここでどちらかというと、失敗作との判断を受けることとなってしまった。

愛する女性との結婚にまでもあれこれ口をはさみ、嫌がらせをした保守的な親父ユリウスの功罪は大きく、この傑作オペラがナチスの退廃烙印以外でも評価が遅れた原因となっていることのいまに至るまでの要因。
でもコルンゴルトが、当時の音楽シーンの移り変わりや最新の動向に鈍感でなかったわけでなく、このヘリアーネでも随所に斬新な手法が目立ちます。
それでもいま、コルンゴルトの音楽がマーラー後の後期ロマン派的な立ち位置にとどまったのは親父殿の存在があってのものと思わざるをえないのであります。


長大かつ、筋立てが複雑な歴史絵巻。
CDでもたっぷり3枚は、聴き応えもある。
大胆な和声と不安を誘う不況和音も随所に聴かれるし、甘いばかりでない表現主義的ともいえるリアルな音楽展開は、ドラマの流れとともにかなり生々しいです。
音楽は、ピアノ、オルガン、複数の鍵盤楽器・打楽器の多用で、より近未来風な響きを醸すようになりつつ、一方でとろけるような美しい旋律があふれだしている。
民衆たる合唱も、移ろいゆく世論に左右されるように、ときに感動的な共感を示すとともに、狂えるようなシャウトも聴かせる。
オケも合唱も、「死の都」とは段違いの成熟ぶりと実験的なチャレンジ意欲にあふれていて大胆きわまりないのだ。

歌手たちの扱いは、従来のオペラの路線を踏襲している。
清廉なソプラノの主人公に、甘いテノール、悪漢風のバリトンという構図は、コルンゴルトの常套で、ここでは意地悪メゾが加わった。

聖なる存在と救済のテノールとして、ローエングリンとパルジファルを思い起こすし、エルザやエリーザベトの存在のようなワーグナー作品との類似性を思い起こすことが可能だ。
同様に邪悪な存在としてのバリトンとメゾも、ローエングリンのそれと同じくする。
そんな風に紐解けば、筋立ての難解さも解けるものかと思う。

とある時代のとある国

第1幕

「愛するものに祝福あり。悪しきなきものは死を逃れる。愛に命を捧げるものは再び蘇る」

大胆な和音で開始したオペラは、こうした合唱で幕開けする。
まさにこのオペラのモットー。
 異国からやってきた男がとらわれ、牢番に連れられてくるが、牢番は彼に同情的で縄を解いてやり、なんで愛や喜びの話をしたんだい?と問いかける。
平和な日々の日常の大切さを説く異邦人、この国に愛はないのだよ、と実態を語る牢番。
そして、この国の支配者が荒々しくやってきて、この俺の国になんていうことをしてくれたんだと怒りまくる。
異邦人は支配者に対し自分の役割を話すが、支配者は逆切れして、愛に捨てられた俺に残されたのは権力だけだと、死刑宣告をする。
死への恐怖に絶望的になった異邦人のもとへ、支配者の妻ヘレアーネが慰めのためにお酒を持って偲んでくる。

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彼女は異邦人の最後の求めに応じ、美しい髪と美しい足を与え、異邦人はそれを愛おしく抱きしめる。
最後に彼女は、異邦人に自身の裸をさらして、彼の心を慰めようとし、いたく感激した異邦人は彼女を抱きしめ、ふたりは愛情を確かめあう。
最後の一線は越えず、ヘリアーネはこの場を外し彼のために祈りに外へ出る。今度は支配者がやってくる。
彼は、愛する妻がまったく心を開かない、俺の代わりに彼女の気持ちを自分に向けさせてくれ、俺が彼女を抱くところを見守って欲しい、そうしたら命は助けてやると強要するが、異邦人は頑として応じない。
そこへ折り悪く、ヘリアーネが裸のままにここへ戻ってきてしまう。
激怒する支配者、異邦人への死刑の確定と妻を不貞で逮捕することを命じる。

第2幕

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怒りの支配者、女使者に妻への不満をぶちまけるが、女使者は、なに言ってんだいあんた、あたしを捨てといてふざけんじゃないよと毒づく。
支配者は彼女にそんなこと言わねーで助けてくれよと助けを求めたりする。
盲目の断罪官と裁判官たちが到着し、ヘレアーネも引っ立てられてくる。
不貞を責められるヘリアーネ、裸を見せたことは真実だが、気持ちだけは捧げ、神に祈りました。
彼の苦悩を感じ、それを共有することで、彼の者になったの、私を殺して欲しいと切々と歌い上げる。
断罪官たちは、判決は神に委ねるべしとする。
理解の及ばない夫は妻に、判決はいらない、これで自決するがよいと短剣を手渡す。
そこへ異邦人が連れてこられ、証言を求められるがそれを拒絶し、最後にヘリアーネと二人にして欲しいと懇願し認められる。

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あなたを救いにきた、自分がいなくなれば支配者は許すでしょうと自分を殺して欲しいと懇願する異邦人。
神に与えられた使命のために逃げて生き抜いて欲しいとするヘリアーネ、最後に口づけを求める異邦人は、ヘレアーネの短剣に飛びこむようにして自決。

騒然となるなか支配者は、なかばヘレアーネを貶めるため、人々に向かい王妃はその純血ゆえに奇蹟を起こすだろう、彼女は奴を死から蘇えらせるだろうと言う。
人々や断罪者は、神への冒涜、天への挑戦だと言う一方、彼女の無実を認め、神を讃えようと意見は二分。
最後に、ヘレアーネは決意し、私のために死んだこの人を蘇えさせると誓う。

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第3幕

人々の意見は二分し分断された。
死はなくなり墓があばかれる。神のみ使いとして死の淵から彼を呼びだす。
いや、死の鍵を握るのは神だけなのだ、けしからん・・・・
 そこへ若い男が語る。
王妃は優しいお方だ、自分の子供が病で苦しんでいるときに救ってくれた、癒しの女王なんだと説き、人々も心動かされ、慈悲深いお方、愛する者には愛をと歌う。
しかし、支配者の女使者は、魔女の仕業に違いないと一蹴する。

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いよいよ神の試練を受けるヘリアーネ。
夫である支配者は、やめるんだ、蘇りができないとお前には死が待ってると説得する。
ついに「神の名のもとに、蘇りなさい」ヘレアーネは異邦人に命ずる。
しかし、彼女は、「できない、私は愛した、ふたりで破滅の道を選んだの、私は聖女なんかじゃない」と告白。
人々のなかでは、だまれ娼婦め、殺せ、嘘つきめ、と動揺と怒りが蔓延しはじめる。
さらにヘリアーネは、夫に向かい、いつも血の匂いがした、闇のなかではもう生きられない、そこからの救いを彼に求めた、幸せはみんなのものよ!と指摘し、ついに支配者も勝手にしろと匙をなげる。
人々はもう大半が離反し、「火刑台へ」と叫ぶ。
そのとき、横たわっていた異邦人がゆっくりと起き上がる!
人々の驚愕。
合唱は、「愛に命を捧げる者は再び蘇る」と歌い神々しい雰囲気につつまれる。
蘇った異邦人はヘレアーネに第7の門に天使が立っているが、その前に試練が待ち受けていると諭す。

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とち狂った支配者はヘレアーネをナイフで刺してしまい、人々も選ばれた女性を殺すとはけしからんと怒り、そして異邦人は出て行け人殺しめと、この場から追い出してしまう。
最後の試練を受けたヘレアーネを抱き起す異邦人、息を吹き返す彼女とともに甘味で長大な二重唱を歌う。
天に向かって昇りゆくふたり、神秘的な雰囲気のなか、「どんなに貧しくとも、失ってはいけないものがある、それは希望」と高らかなオルガンも鳴り響いてオペラは幕を閉じる。

         幕

やや荒唐無稽の感もある筋立てではあるが、神の力と愛の力を描いた清らかな秘蹟ドラマともいえる。
死の都から7年を経て、ひたすら美しく万華鏡的・耽美的音楽にあふれていた前作からすると、よりその趣きを進化させ、前述のとおり、革新的な技法も鮮やかに決まっている。
異邦人が蘇るときのときの、オーケストラの盛り上がりの眩くばかりの効果は、まるでJ・ウィリアムズの音楽と見まがうくらいで、未知との遭遇クラスの驚きの音楽だ。

謎の全裸だけど、これは生まれたままのピュアで清廉な姿ということで、自分を救ってくれるかもしれない人への信頼と愛情の表現とみたい。
見ようによっては色物とされかねない要素なので、ここにはスピリチュアルななにかだと認めたい。

初演時の舞台の様子などを写真で見ると古色蒼然とした王宮のメロドラマ風な感じに見える。
ところが、クリストフ・ロイの舞台はまるきり現代社会のもので、衣装も全員がスーツ姿。
装置も全3幕、大きな会議室のようなホール内で外からの明かりもなく、閉ざされた空間。
このなかでのみ行われる人間ドラマは、まるでサスペンス映画を観ているような人物の心理的な描き方である。
ゆえにこそ、コルンゴルトの素晴らしい音楽に集中でき、逆にその音楽がすべてドラマを語っていることがわかるという具合だ。
壁には時計があるが、その時刻は2時5分で最初から最後まで止まったまま。
まさに愛のないこの世界は、時間軸もないという証か。
最後のふたりの昇天はリアルに描かれず、部屋のドアが開き、外から眩しい光が差し、そこへ向かって二人は歩みを進め出て行く。
人々はすべてその場に倒れているが、ただひとり、ヘリアーネを称賛し信じた若い男のみが生き残りひとり見守る。
こんな風にわかりやすい演出でもありました。

ヘレアーネや「死の都」のマリエッタを持ち役とするヤクビアクは、文字通り一糸まとわぬ体当たり的な演技を見せる。
美しいには違いないが、なにもそこまで的な思いはあるも、その一途な歌唱は素晴らしいものがある一方で、やや言葉が不明瞭でムーディに傾くきらいもあるが、この作品の初DVDには彼女なくしてはならないものになったと思う。
音だけでも最近は何度も聴いていて、聴き慣れると悪くないなと思い始めました。

ふたりの男声もとてもよろしく、ほかのCDの同役に引けを取らない素晴らしさで、とくにヴァーグナーの苦悩に富んだ支配者役は実によろしい。
あとダメラウの憎々しい役柄もよくって、声の張り、言葉の乗せ具合もこうした役柄にはぴったり。

このDVDの最高の立役者は、M・アルブレヒトの共感に富んだ指揮ぶりだろう。
ときおり映るピットの中の指揮姿を見るだけでわかる、この作品へののめり込みぶりで、ピットから熱い歌と煌めきのコルンゴルトサウンドが舞い上がるような感じで、数年前、都響に来演したとき聴いたコルンゴルトの交響曲の熱演を思い起こすことができた。
アルブレヒトはシュトラウス、マーラー、ツェムリンスキーなどを得意としていて、先ごろオランダオペラで上演されたフンパーディンクの「王様の子供」なんかもとてもよかった。
これからの指揮者は、マーラー以降の音楽をいかにうまく聴かせるかということもキーになるだろう。

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   ヘリアーネ:アンナ・トモワ-シントウ
   異邦人:ジョン・デイヴィッド・デ・ハーン
   支配者:ハルトムート・ウェルカー
   支配者の女使者:ラインヒルト・ルンケル
   牢番:ルネ・パペ
   盲目の断罪官:ニコライ・ゲッダ
   若い男:マルティン・ペッツルト

  ジョン・モウチェリ指揮 ベルリン放送交響楽団

              ベルリン放送合唱団

       (1992.2.20~29 @イエス・キリスト教会) 

デッカの「退廃音楽シリーズ」は90年代初めの画期的な録音の一環だった。
そんななかのひとつが、この時代を不運のうちに生きた作曲家たちのオペラで、なかでもコルンゴルトのヘリアーネは、「死の都」がラインスドルフ盤で注目を浴びたあと、「ヴィオランタ」がCBSで録音され、次にきたのがこの録音。
コルンゴルトの作品受容史のなかで、今後もきっと歴史的な存在を占める録音になるでしょう。

外盤CDで購入以来、何度も何度も聴きまして音楽のすべてが耳にはいりました。

聴いてきて思うのは、モウチェリの指揮がシネマチックにすぎるけど、よくオケを歌わせ、シュトラウスばりのオケの分厚さの中に光る歌謡性をうまく表出しているし、いまのベルリン・ドイツオーケストラの機能性豊かな高性能ぶりが見事。
なんたって、録音が素晴らしい。

トモワ=シントウは歌手陣のなかではピカイチの存在。
声の磨きぬかれた美しさ、たくみな表現力、人工的な歌になりかねないこの役柄を、豊かな人間味ある歌で救っている。
ずっと聴いてきたけれど、やや声を揺らしすぎかな、とも思うようになりました。
ウェルカーの支配者役はまさに適役で文句なし。
カンサス出身のアメリカのテノール、デ・ハーン氏はリリックにすぎ、やや頼りなさも。
ピキーンと一筋あって欲しい声でもあります。
モウチェリ盤の不満はここにあります。

でも、パイオニアのようなこの果敢な録音。
これからもありがたく聴きたいと思います。

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   ヘリアーネ:アンネマリー・クレーマー
   異邦人:イアン・ストレイ
        支配者:アリス・アルギリス

   支配者の女使者:カテリーナ・ヘーベルコーヴァ
   牢番:フランク・ヴァン・ホーヴェ
   盲目の断罪官:ヌットハポーン・タンマティ
   若い男:ジェルジ・ハンツァール

 ファブリス・ボロン指揮 フライブルク・フィルハーモニー管弦楽団
             フライブルク歌劇場合唱団 
                                 フライブルク・バッハ合唱団のメンバー


      (2017.7.20~26 @ロルフ・ベーム・ザール、フライブルク) 

デッカの録音から24年、頼りになるナクソスから登場した録音は、舞台に合わせてスタジオでのレコーディング。
ドイツの地方オペラハウスの実力を感じさせる演奏となりました。

3人のメイン歌手がとてもいい。
きりりとしたヘリアーネ役のオランダの歌手クレーマーさん、とてもいいと思いました。
映像になっているトリノでの「ヴィオランタ」でも歌っていて、真っ直ぐな声はコルンゴルトにぴったり。
異国の異邦人役のストーレイも思いのほかよくて、没頭感はないものの、気品ある声は聖なる人の高潔な一面を歌いだしている一方、生硬さもある声は、この役柄の頑迷さも歌いこんでいて妙に納得。
アルギリスの支配者さんも嫌なヤツと認識させてくれる存在だ。

フライブルクのオペラのオーケストラは初聴きだ。
ドイツの地方オケはオペラのオーケストラも兼務することが多いが、なかなかに巧い。
しかし、緻密さや、音の切れ味、重層的な音色では、明らかにベルリンのふたつのオケには敵わない。
でも、ボロンさんの指揮ともども、オペラティックな舞台の雰囲気はとてもゆたかでありました。

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この数週間、ヘリアーネの悲劇を何度も、何度も聴きました。
寝ながら夢のなかででも鳴り響き、聴いてました。

ベルリン・ドイツ・オペラでは3月に、ヤクビアクとアルブレヒト、ヒロインと指揮者を変えずに再び上演されるようです。

お金と時間さえあれば飛んで行って観劇したいです。

でも許されぬいま、夕映えの美しさを眺めつつ、これら3つの音源や映像を楽しむことにします。

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2021年12月30日 (木)

わたしの5大ヴァイオリン協奏曲

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東京駅丸の内、仲通りのイルミネーション。

とある日曜日に行ったものだから、通りは人であふれてました。

冬のイルミネーションは、空気が澄んでいてとても美しく映えます。

勝手に5大ヴァイオリン協奏曲。

一般的には、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーが4大ヴァイオリン協奏曲。

ここでは、私が好きなヴァイオリン協奏曲ということでご了解ください。

順不同、過去記事の引用多数お許しください。

①コルンゴルト(1897~1957)

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   ニコラ・ベネデッティ

 キリル・カラヴィッツ指揮 ボーンマス交響楽団

        (2012.4.6 @サウザンプトン)

好きすぎて困ってるのがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
順不同とか言いながら、これは、一番好き、自分のナンバーワンコンチェルトです。
若き頃はモーツァルトの再来とまで言われながら、後半生は不遇を囲い、亡くなってのちは、まったく顧みられることのなかったコルンゴルト。
そして、いまや「死の都」は頻繁に上演される演目になり、なによりもこのヴァイオリン協奏曲も、ヴァイオリニストたちのなくてはならぬレパートリーとして、コンサートでもよく取り上げられ、録音も多く行われるようになりました。
1945年、ナチスがもう消え去ったあとに亡命先のアメリカで作曲。
アルマ・マーラーに献呈。
1947年、ハイフェッツによる初演。
しかし、その初演はあまり芳しい結果でなく、ヨーロッパ復帰を根差したコルンゴルトの思いにも水を差す結果に。
濃厚甘味な曲でありながら、健康的で明るい様相も持ち、かつノスタルジックな望郷の思いもそこにのせる。
 11種のCD、10種の録音音源持ってました。
若々しい表情でよく歌い上げたベネデッティの演奏。
銀幕を飾った音楽を集めた1枚で、トータルに素晴らしいのでこちらを選択。
ムター、D・ホープ、シャハムなどの演奏もステキだ!

②ベルク(1885~1935

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   イザベル・ファウスト

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

     (2010.12 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

ベルクのヴァイオリン協奏曲も、このところコンサートで人気の曲。
マーラーの交響曲との相性もよく、5番あたりと組み合わせてよく演奏されてる。
1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけもあって生まれた協奏曲。
ベルク自身の白鳥の歌となったレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲。
甘味さもありつつ、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。
 音楽の本質にずばり切り込むファウストの意欲あふれるヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へも誘ってくれる。
 10種のCD、12種の録音音源。


③バーバー(1910~1981

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   エルマー・オリヴェイラ

  レナート・スラトキン指揮 セントルイス交響楽団

     (1986.4 @セントルイス)

1940年の作品。
戦争前、バーバーはこんなにロマンテックな音楽を作っていた。
私的初演のヴァイオリンは学生、指揮はライナー。
本格初演は1941年、ヴァイオリンはスポールディング(なんとスポーツ用品のあの人)とオーマンディ。
3楽章の伝統的な急緩急の構成でありますが、バーバー独特の、アメリカン・ノスタルジーに全編満たされている。
 幸せな家族の夕べの団らんのような素敵な第1楽章。

第2楽章の、遠くを望み、目を細めてしまいそうな哀感は、歳を経て、庭に佇み、夕闇に染まってゆく空を眺めるにたるような切ないくらいの抒情的な音楽。
無窮動的な性急かつ短編的な3楽章がきて、あっけないほどに終わってしまう。
この3楽章の浮いた存在は、バーバーのこの協奏曲を聴く時の謎のひとつだが、保守的なばかりでない無調への窓口をもかいま見せる作者の心意気を感じる次第。
 ハンソンのロマンティック交響曲とのカップリングで発売された、アメリカ・ザ・ビューティフルというシリーズの1枚。
ポルトガル系アメリカ人のオリヴェイラのヴァイオリンは、その音色がともかく美しく、よく歌うし、技巧も申し分ない。
加えてスラトキンとセントルイスの絶頂期は、アメリカのいま思えば良き時代と重なり、まさにビューティフルな演奏。
 CDは5種、録音音源は8種。 

④シマノフスキ(1882~1937)

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  アラベラ・シュタインバッハー

 マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

     (2009.5 @ベルリン)

ポーランドの作曲家シマノフスキの音楽作風はそれぞれの時期に応じて変転し、大きくわけると、3つの作風変化がある。
後期ロマン派風→印象主義・神秘主義風→ポーランド民族主義風
この真ん中の時期の作品がヴァイオリン協奏曲第1番。
ポーランドの哲学者・詩人のタデウシュ・ミチンスキの詩集「5月の夜」という作品に霊感をえた作品で1916年に完成。
 単一楽章で、打楽器多数、ピアノ、チェレスタ、2台のハープを含むフル大編成のオーケストラ編成。
それに対峙するヴァイオリンも超高域からうなりをあげる低音域までを鮮やかに弾きあげ、かつ繊細に表現しなくてはならず、難易度が高い。

鳥のざわめきや鳴き声、透明感と精妙繊細な響きなどドビュッシーやラヴェルに通じるものがあり、ミステリアスで妖しく、かつ甘味な様相は、まさにスクリャービンを思わせるし、東洋的な音階などからは、ロシアのバラキレフやリャードフの雰囲気も感じとることができます。
これらが、混然一体となり、境目なく確たる旋律線もないままに進行する音楽には、もう耳と体をゆだねて浸るしかありません。
 この作品が好きになったのは、ニコラ・ベネデッティとハーディングのCDからだけど、彼女の演奏はコルンゴルトで選んじゃったから、同じ美人さんで、シュタインバッハーとヤノフスキのものを選択。
鮮やかで確かな技巧と美しい音色のヴァイオリンは、万華鏡のようなシマノフスキの音楽を多彩に聴かせてくれます。
 この作品もコンサート登場機会が急上昇中。
CDは3種のみ。録音音源は5種。

⑤ディーリアス(1862~1934)

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 メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

   (1976.6 @アビーロードスタジオ)

1916年、グレ・シュール・ロワンにて作者54歳の作品。
 戦火を逃れ、ドイツからロンドンに渡ったディーリアスは、メイ&ビアトリスのヴァイオリンとチェロの姉妹二重奏を聴き感銘を受け、姉妹を前提に、このコンチェルトや二重協奏曲、デュプレで有名なチェロ協奏曲が書かれた。だからイメージは3曲とも、似通っているが、このヴァイオリン協奏曲がいちばん形式的には自由でラプソディーのような雰囲気に満ちているように思う。
単一楽章で、明確な構成を持たず、最初から最後まで、緩やかに、のほほんと時が流れるように、たゆたうようにして過ぎてゆく。
デリック・クックはこの単一楽章を分析して、5つの区分を示し、ディーリアスの構成力を評価したが、わたしはそうした聴き方よりも、感覚的なディーリアスの音楽を自分のなかにある心象風景なども思い起こしながら、身を任せるように聴くのが好き。
フルートとホルン、ヴァイオリンソロでもって、静かに消え入るように終わるヴァイオリン協奏曲。
夢と思い出のなかに音楽が溶け込んでいくかのよう・・・・・
 メニューインとデイヴィスの、いまや伝説級の70年代のEMI録音は、録音も含めて、ジャケットのターナーの絵画のような紗幕のかかったノスタルジーあふれる演奏を聴かせてくれる。
この雰囲気の豊かさは、最新のデジタル録音では味わえないものかもしれないが、だからこそ、タスミン・リトルの新しい録音は是非にも聴かねばならぬと思っている。
CD音源3種、録音音源2種。

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週1か隔週ぐらいのペースでblogを更新しましたが、今年ほど思わぬ訃報が舞い込んでお別れの記事を書いた年はないかもしれません。

来年はどんな年になりますかどうか。
音楽を聴く環境も様変わりし、コンサートに出向く機会も激減。
いくつも仕掛り中のシリーズを順調に継続したいけど、時間があまりなく、風呂敷を広げすぎたかなと反省中。

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2020年8月 2日 (日)

麗しき組曲たち

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ようやく梅雨が明け、まぶしい日差しが戻ってきました。

さっそくに、窓外に劇的な夕暮れが展開しました。

長かった、ほんと長かった雨の日々で、首都圏では7月で雨の降らない日は1日しかなかったとか。

気持ちのいい、短めの組曲たちをテキトーにチョイスして聴きましたよ。

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  ドビュッシー 「小組曲」

   ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

        (1973 @パリ)

ブログ初期にも取り上げたこの作品に、この演奏。
アンセルメの音源にしようかと思ったけど、行方不明に。
初期のピアノ連弾作品を、アンリ・ビュッセルが編曲。
「小舟にて」「行列」「メヌエット」「踊り」の4曲は、後年のドビュッシーにはない、若々しさとシンプルながらに、いとおしいくらいの優しさがあります。
ことに「小舟にて」のフルートは、きわめてステキであります。
おフランスのエレガンスさ、そのものにございます。
 この録音の頃は、まだ放送局のオーケストラ名となっていたのちの国立菅。
ラヴェルもパリ管だけでなく、こちらのオーケストラとも録音して欲しかったマルティノンさんでした。

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 ビゼー 小組曲「子供の戯れ」

  ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

       (1972.10 @パリ)

もうひとつ、フランスから、今度はパリ管で。
ドビュッシーの「子供の領分」のカプレ編曲のオーケストラ組曲があるが、子供好きだったビゼーも、ピアノ連弾用に12曲からなる組曲があって、そこから5曲を選んで、自らオーケストレーションをしたのが、この小組曲。
「ラッパと太鼓」「子守歌」「コマ」「かわいい夫とかわいい妻」「子供の舞踏会(ギャロップ)」の5曲。
子供をモティーフした作品らしく、元気ではつらつ、そして夢見るような雰囲気にもあふれた各曲です。
「子守歌」の優しい美しさ、「かわいい夫婦」はとってもロマンティックであります。
「ギャロップ」はもう踊りだしたくなるリズムにあふれた曲で、あのハ調の交響曲の終楽章にも通じる爆発的な明るさもあり!
 若きバレンボイムとパリ管も弾んでます!

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     グリーグ 抒情組曲

  レイモンド・レッパード指揮 イギリス室内管弦楽団

       (1975年 @ロンドン)

画像は借り物ですが、やはりこの風景じゃないと、この曲は。
このグリーグの組曲も、元は同名のピアノ作品で66曲もあって、さすがに全部は聴いたことはないけれど、ギレリスやアドニのピアノでかつてよく聴いてた。
グリーグが選んだ4曲は、「羊飼いの少年」「ノルウェーの農民行進曲」「夜曲」「小人の行列」。
この作曲家ほど、北欧の、それもノルウェーの自然風土そのものを感じさせるものはありません。
哀愁と孤独感にあふれた「羊飼いの少年」、一転して、民族調の「農民行進曲」だけど、こちらもどこか寂し気で空気がとても澄んで感じる。
そして、この組曲で一番好きな「夜曲」。
まさに幻想と夢幻の合混じるえもいえない美しき音楽で、レコード時代、ジョージ・ウェルドン指揮のロイヤルフィルの演奏で、この曲を、お休み前の1曲で、聴いてから寝るということが多かった。
NHKの名曲アルバムでも、北欧の街とともにこの曲が紹介されていた。
 この夢から引き戻されるような、ユーモアあふれる「小人の行進」ですが、中間部がまたグリーグならではです。
昨年、92歳で亡くなったレッパードは、チェンバロ奏者でもあり、バロック系の指揮者とのイメージもありましたが、グリーグを得意としてました。
手兵のイギリス室内管とともに、いくつものグリーグ作品を残してくれましたが、いずれもクールさと明晰、繊細な演奏で好きです。
晩年は、アメリカのインディアナポリス響の指揮者も務めていて、廃盤も多いので、この際、見直しをはかりたい指揮者でもあります。

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  シベリウス 「カレリア」組曲

 サー・マルコム・サージェント指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1961年 @ウィーン)

フィンランドの大民族叙事詩「カレワラ」の伝承地が「カレリア」という地で、その地にある大学から英雄伝説を物語にした野外劇の付随音楽の作曲依頼を受けて書かれた作品。
ここから3曲を抜き出した簡潔な組曲がこちら。
「間奏曲」「バラード」「行進曲」の3つで、あまり有名ですな。
基調は、いずれも明るく、屈託なし。
自然の描写そのもだったグリーグに比し、強国ロシアにさいなまれ続けたフィンランドにエールを送るような音楽なのです。
でもフィンランドの厳しい自然も「バラード」では感じさせます。
 サージェントとウィーンフィルという思いもよら組合せが生んだシベリウス。
この録音のあと、ウィーンフィルはマゼールと交響曲を全部録音することになります。
マゼールよりウィーンフィルの魅力がより出ているし、「エン・サガ」などは、シベリウスの神髄が味わえる。

ちなみに、いま「カレリア」地方は、ロシアに編入されて、カレリア共和国として連邦のひとつになってしまってます。
フィンランドの一番東側です。
かつてのソ連も、いまのC国の姿と同じでありますな・・・・

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  コルンゴルト 「ロビンフッドの冒険」組曲

   アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (80年代 @ピッツバーグ)

このCDは、この演奏ではありません。
コージアン&ユタ響の全曲盤でして、イメージのために掲載。
いずれこの1枚も取り上げるかもしれません。

で、プレヴィンのピッツバーグ時代のこの演奏は、ピッツバーグ響の放送アーカイブから録音したもので、プレヴィンはこの作品の正式な録音は残さなかったはずです。
ご存じの通り、アメリカに逃れたコルンゴルトは、ハリウッドで数々の映画のために作曲をし、その数、18作にものぼります。
「ロビンフッド」は、1938年の作品で、この音楽でコルンゴルトは自身2度目のアカデミー作曲賞を受賞。
この映画音楽から4つの場面を抜き出したのがこちらの組曲で、「古きよきイングランド」「ロビンフッドと彼の楽しい仲間たち」「愛の場面」「闘い、勝利とエピローグ」の4曲。
血沸き、肉躍る、までとは言えないまでも、スクリーンを脳裏に浮かべることができるほどに写実的で、まさに活劇の音楽でもあります。
20年前にウィーンで書いた「スルスム・コルダ」というオーケストラ作品から転用されていて、登場人物たちはライトモティーフで描きわけられているので、非常にわかりやすい。
その「スルスム・コルダ」とは、「心を高く」というような意味合いで、キリスト教初期の典礼句のひとつ「主を見上げ、心を高く」というところから来ております。
まさに、ロビンフッドという勇敢な、ある意味ヒーローに相応しい意味あいをもたらす点で、ここに転用したのかもしれません。
あと、「愛の場面」では、濃厚ロマンティックなコルンゴルトサウンドが満喫できます~

Previn

 ピッツバーグ時代のプレヴィン。
当地の放送局には、プレヴィンやヤンソンス、マゼールらの放送音源がたくさんあるはずなので、なんとかなりませんかねぇ。

Teachers

夏来りて、気分よろしく、スコッチウイスキーをちょびっと。

でも盆明けには秋来ちゃうかも。
失われた7月の夏は大きい。

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2019年9月26日 (木)

コルンゴルト 「二つの世界の狭間で~審判の日」  マウチェリー指揮

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1914年開業の東京駅。
その丸の内口の南北ドームの天井にあるレリーフ。

1945年の東京大空襲でによる火災で、かなりの被害を受け、戦後修復。
そして完全修復をともなう建て替えが、2012年になされ、このような美しいレリーフが復活。

8匹の羽ばたく鷲も印象的。
東京駅へ降り立つと、必ず見上げます。

Korngold

 コルンゴルト 「二つの世界の狭間で」~審判の日

   Between Two Worlds:Judgement Day

     P:アレクサンダー・フレイ

 ジョン・マウチェリー指揮 ベルリン放送交響楽団

         (1995.04 @ベルリン)

コルンゴルトの甘味でかつ、切れ味も感じる素敵な音楽を。

ヨーロッパの地から、アメリカへ渡ることとなった要因である、ナチス政権も末期となり、第二次大戦の終結を翌年に控える1944年の作品。

1938年、ナチスがオーストリアとドイツを併合するか否かの国民投票を無視するかのように、傀儡政権を立て、ウィーンに進出。
ユダヤ人たちは、次々とウィーンを脱出し、コルンゴルトも家族や親族をそのようにまず脱出させ、そして自らもアメリカに渡ることとなる。
コルンゴルトの音楽は、ほかのユダヤの出自の作曲家や、先端を走った作曲家などとともに、退廃音楽のレッテルをはられ演奏禁止処分をうけてします。

何度も、書き思うことだが、あの戦争がなければ、音楽界はまた別な側面が残されていたであろうと。
ただし、戦争を肯定するつもりはさらさらないが、あの大戦で、世界はひとつの秩序を一時的には生み出したことも事実。
いま、その一時的な秩序も東側体制の崩壊で見せかけのものであったことが露見し、残った勢力の横暴で、あらたな混迷が生まれていることは、言わずもがなのことであります。

ヨーロッパとアメリカ、ふたつの間、そして、クラシカル作曲家と映画音楽の作曲家、ふたつの側面。
さらには、舞台と新興著しい映画産業とのふたつの側面。
これらに「挟まれた」のがコルンゴルトでもあります。
CDジャケットのコルンゴルト一家の旅装写真も、まさにそんな側面をよくあわらしていると思います。

「二つの世界の狭間で」は、1944年上映の同名の映画のために書かれた音楽です。
音楽自体は、1時間以上の大編となりますが、そこから、指揮者のマウチェリーが、14曲からなるシーンを選び出して編んだ演奏会用組曲が、この作品であります。
 マウチェリーが生まれたのも、1945年ということで、ハリウッドで活躍中だったコルンゴルトの音楽や、その周辺の時代の音楽に強いシンパシーを抱いていることも理解できます。
同じコルンゴルトのオペラ「ヘリアーネ奇蹟」の名盤をはじめ、デッカの「退廃音楽シリーズ」の中心的指揮者だった。
あと、ハリウッド・ボウル管弦楽団との演奏もいくつか録音があります。

さて、この映画における「二つの世界」とは?
それは、戦時の世界とそうでない世界、そして、天国と地獄。

1940~41年、ロンドンはドイツ軍による大空襲を受けた。それは「THe Blitz」と呼ばれる。
戦火を逃れるため、アメリカ行きの船に乗船しようとした、オーストラリア人のピアニストと、その彼を支える献身的な妻のふたり。
ところが、彼らは乗船拒否にあってしまい、このまま死と隣り合わせのロンドンにはもういたくないと、自決をしてしまう。
 そして、気が付くと、船に乗っていて、まわりには、爆撃で殺された人々。
そう、死後の世界へ。
そこへ、天の「審判者」がやってきて、亡くなった女優と、ジャーナリストの彼氏が審判へ、取引を持ち掛けたりして失敗したりもする。
そして、キリスト者にとって御法度の自殺をしてしまったピアニスト氏には、永遠に航海から逃れられないという罰を受ける。
しかし、夫とずっと一緒に居たいという妻の熱い懇願に、審判者も折れ、ふたりは、元のロンドンのアパートに戻ることとなり、めでたしメデタシ。

実際の映画に、このコルンゴルトの素敵な音楽がついたら、さぞかし、と思われますが、こんな要約だけを見ると荒唐無稽に過ぎて思うかもしれません。
14の各曲に、この要約のようなタイトルが、それぞれにつけられていて、それを頼りに聴くと、コルンゴルトのナイスな筆致もよくわかります。
ライトモティーフ的に、登場人物や愛情をあらわすテーマが使われ、それらの旋律を追うことでも、ドラマ理解の一助にもなります。
 オペラ作曲家であり、銀幕の作曲家でもあったコルンゴルトの面目躍如たる所以です。
また、「死の都」や「ヘリアーネ」「カトリーン」といったオペラの雰囲気もあり、わたくしにはそれらを思い起こすことでも、楽しい聴きものであります。

もう15年以上前に買ったCDですが、久しぶりに真剣に聴きました。
ジャケットの右側にある帯タイトルに、「Entartete Music」=退廃音楽、とあります。
このシリーズ、廃盤となり、いまではまったく入手困難のものも多数。
その半分も聴いておりません、復刻を望みたいところです。

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2018年3月21日 (水)

コルンゴルト シンフォニエッタ アルブレヒト指揮

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もう散ってしまった河津桜。

芝公園の一角から。

春分の日は、あいにくの雨と寒の戻り。

暑さ寒さも彼岸まで、となりますかな。。

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    コルンゴルト 大オーケストラのためのシンフォニエッタ

   ゲルト・アルブレヒト指揮 ベルリン放送交響楽団

              (1983.9 @イエス・キリスト教会)

雨音を聴きながら、大好きなコルンゴルトのシンフォニエッタを。

2年前の晩秋に、サッシャ・ゲッツェル指揮する神奈川フィルハーモニーの演奏会で聴いた記憶が脳裏から離れない。
みなとみらいホールの美しい空間が、コルンゴルトの煌めく音たちで埋まってゆき、それらが、わたくしにきらきらと降り注いでくる、そんな至福の時間、でももうそれは一期一会で会うことはできない。

あれ以来、久方ぶりに聴くシンフォニエッタ。

この甘くて、切なくて、そして愛すべき曲がほんと好き。

前に書いた記事から、そのまま引用して曲のご紹介。

<幼少期から音楽の才能の片鱗をあらわしたエーリヒ・コルンゴルトは、父に巧みにプロデュースされ、ウィーンの寵児としてもてはやされるようなる。

少年、エーリヒの最初の作品は、8歳のときに書いた歌曲で、その後、カンタータやワルツを書いたあと、ピアノのためのバレー音楽「雪だるま」を11歳で作曲し、これがセンセーションを引き起こすこととなります。

1911年、マーラーの没したの年に14歳にして、初の管弦楽作品「劇的序曲」を作曲。
この曲は、ニキシュとゲヴァントハウス管によって初演され、ここでも驚きを持って聴衆に迎えられます。
この曲は14分あまりの大作で、のちの「交響曲」の片鱗をうかがうこともできます。

そしてその次に、コルンゴルトが取り組んだのが、4つの楽章を持つ43分の大曲
「シンフォニエッタ」と銘打ちつつ、大きな規模を持つ作品を完成させたのが1913年、16歳で、同年、ワインガルトナーとウィーンフィルによって初演され、大成功を導きだします。

シュトラウスや、マーラーやツェムリンスキー、その時代の先輩たちからアドバイスや影響を受けつつもすでに、成熟し完成型にあったその音楽スタイルは、のちのハリウッドでの明快で、煌びやかなサウンドも予見できるところもおもしろい。

本格交響曲のようには構成感や深刻さがなく、「Motiv des frohlichen Herzens」=「Theme of the Happy Heart」とされたテーマ、すなわち、「陽気な心のモティーフ」が全編にわたって用いられ、曲のムードや統一感を作り上げております。
このモティーフ、曲の冒頭から鳴ります。

Korngold_sinfonietta_2(CDリブレットより)


このいかにもコルンゴルト的なシャープのたくさん付いたテーマは、キラキラ感と羽毛のような優しい繊細さが半端ありません♯

第1楽章は、爽やかなムードがあふれるソナタ形式ですが、思わず、心と体が動かしたくなるようなステキなワルツもあらわれ、奮いつきたくなってしまいます。

スケルツォ楽章の第2は、打楽器が大活躍する活気あふれるダイナミックな場面、ここは、後年のオペラ「カトリーン」の劇場の場面を思い起こします。
それと中間部は「夢見るように」と題された場面で、静けさと抒情の煌めきを聴くこととなります。

聴くと、いつも陶酔郷へと導いてくれる、ロマンティックなラブシーンのような音楽が第3楽章。
これがいったい、16歳の青年の作品と思えましょうか。
ここでは、コルンゴルトの特徴でもある、キラキラ系の楽器、ハープ、チェレスタ、鉄琴が、夢の世界へ誘う手助けをしてくれるし、近未来系サウンドとして、当時の聴衆には感嘆の気持ちを抱かせたことでしょう。
ずっとずっと聴いていたい、浸っていたい、そんな第3楽章が大好きです。

そのあと、一転して、ちょっとドタバタ調の、不安な面持ちと、陽気さと入り乱れ、シュトラウスを感嘆せしめるほどの見事なフィナーレを築きあげるのが4楽章。
エンディングは高らかに、「陽気な心のモティーフ」が鳴り渡り、爽快な終結を迎えます。>

深刻さがこれっぽちもない、明朗かつ清々しい音楽。
聴いたあとに、幸せな気持ちになれます。
雨空の向こうに、屈託なく、そして楽しかった青春時代さえ、甘酸っぱく思い起こして透けて見えるようです。
若いコルンゴルトも、このあと、歴史と世界の時の流れに流されつつも、どこか取り残されていってしまう、そんな運命へと足を踏み入れ、その甘い音楽にも、ビターなほろ苦さを漂わすようにとなるのです。

この曲の音源は4種あって、リットンとダラス響はまだ未聴。
世界初録音のゲルト・アルブレヒト盤を新品で手にいれました。
1983年の録音、父の作品の録音にプロデューサーとして数々立ち会っていた、ジョージ・コルンゴルト(ゲオルゲ?)の名前もCDのリブレットには見て取れます。
息子ジョージは、70~80年代のコルンゴルト録音のほとんどをプロデュースした人で、この方がいなかったら、いまのようなコルンゴルト・リバイバルはなかったかもしれない。
しかし、惜しくも87年に、58歳の若さで亡くなってしまった。
息子や孫たちもいる様子なので、少し気になるところです。
(でも、ひとり見つけた息子は、顔そっくり、でも薬剤関係の会社の社長さんみたい・・)

サラリとした演奏を一般的な有名曲ではすることの多かったアルブレヒトさんですが、知られていない作品を掘り起こしての、数々の録音は、とても丁寧に、そしてその作品に即した説得力ある演奏を残してくれた。
そんななかのひとつが、このコルンゴルト。
イエス・キリスト教会の美しい響きも相まって、眩くも、輪郭のはっきりとした明確な演奏となってます。
ベルリン放送響(現ベルリン・ドイツ響)は、当時、リッカルド・シャイーが指揮者を務めていた頃で、その機能的性と明るい音色が、ここにも聴かれるように思います。

過去記事

 「アルベルト指揮 北西ドイツフィル」

 「バーメルト指揮 BBCフィル」

 「ゲッツェル指揮 神奈川フィル」

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2017年6月 3日 (土)

コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ホープ、フラング、カヴァコス

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晴れの日の5月の空、そしてタワーに美しの花。

気持ちいいもの、大好きなものに囲まれて過ごすことの幸せは、誰しもそう願いたいもの。

でもなかなかに、そうはいかないもの。

とても忙しくなった4月以降。

ことに5月は。

それでも、懐かしさと切なさ、そしてほろ苦い思い出に包まれつつ過ごす日々に、マーラーとコルンゴルトの音楽はうってつけだ。
次はディーリアスかな。

愛するコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をいくつか入手したので、ずっと聴いております。
 
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       コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:ヴィルデ・フラング

    ジェイムス・ガフィガン指揮 フランクフルト放送交響楽団

                   (2015.7,8 @フランクフルト)


ノルウェー出身のフラングのヴァイオリンは、初めて聴いた。

もう日本には何度か来ているし、CDもそこそこに出ている。

若いのに、着実に実績を積みつつある実力派のようだ。

チャイコフスキーやメンデルスゾーンだったら買わないけれど、コルンゴルトと、おまけにカップリングがブリテンときたら、それはもう!
ちなみに、ムターとプレヴィンのコルンゴルトも愛聴しているが、カップリングのチャイコフスキーは、いまだに聴いたことがないのである・・・・・

さて、このヴィルデちゃんのコルンゴルト、実に自然体で伸びやかななのであります。
それでいて音楽へののめり込み具合も、ある意味、必死感があって、とてもスリリングにも感じる。
彼女によれば、この曲は、ブリテンとともに、2曲携えてレコーディングすることが、長年の夢だったそうな・・。
そんな想いを、ひしひしと感じ取れる夢中さ。
それでいて、冒頭に書いたとおり、自然なのであります。
ノルウェーの山と湖の自然のなかで、伸びのびと育ったと、本人が言っているように、天然素材のようなヴァイオリンの音色で聴くコルンゴルトは、ほんと美しい。
ことに2楽章のロマンスは美品。

ジャケットは、いかにも北欧美人でステキですが、映像などいくつか観たら、まだまだ健康的な女の子って感じ。
大好きなニコラ・ベネデッティが、このところ、大人の女性に変貌しつつある。
ヴィルデちゃも、いつか・・・・、むふふのお楽しみである。


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       コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:ダニエル・ホープ

 アレクサンダー・シェリー指揮 王立ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

                   (2013.1 @ストックホルム)


「ベン・ハー」の愛のテーマで、いきなり始まる秀逸な企画の1枚。

ESCAPE TO PARADISEと題された、ハリウッドにまつわる銀幕の音楽をぎっしり詰め込んでいるのだ。
そんななかに、主役のように配されているのが、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

ナチスのドイツから逃れた先がハリウッドの映画界。
コルンゴルトの映画音楽もたくさんあるし、このヴァイオリン協奏曲も、自身のそんな映画音楽から、旋律が編み取られている。

今回は、この協奏曲のみに絞りますが、楽園として亡命した何人かのハリウッドを飾った作曲家たちの素敵な作品も、またいつか取り上げたいと思います。

ヴィルデ・フラングのあと、ダニエル・ホープのヴァイオリンを聴くと、やはりスケール感と練り上げられた音色の深みが違うことに気づきます。
大人の音楽。

繊細さでは、ダニエルさんのほうが上回り、快活さや技巧の冴えではヴィルデちゃん。
1楽章からして、苦みの効いたサウンドが、わたしの気持ちをわしづかみにしてくる。
遠くを見通すかのような淡さもあるし、第2楽章では、過ぎ去った日々を懐かしむ、そんな儚い男の夢にぴたりと寄り添ってくれる、そんなホープの優しいヴァイオリンに涙したい。

ところが3楽章では、それじゃダメとばかりに、エッジの効いた鋭さで、背中を思い切り押してくれる前向きなヴァイオリンを聴かせるホープさん。
歌いまわしも自在で、いやぁ、これはいい。
 
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   コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:レオニダス・カヴァコス

    マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

                   (2016.1.14 @ミュンヘン)


バイエルン放送局のネット配信で視聴したのがこちら。

録音もしちゃいました。

画質も音質も、この局のものはほんとに素晴らしい。
いずれ、音盤になるのかな?
なんたって、ヤンソンスのコルンゴルトだから!!

ちなみに、この日の演奏会の演目は、コリリアーノに、この協奏曲に、ラフマニノフの「鐘」という渋いけれど、好きなひとには堪らないもの。
さらに、このあとの欧州ツアーでは、コルンゴルトに、ショスタコーヴィチの7番。

バイエルンに一筋の男ヤンソンス。
そんなヤンソンスの情熱に、バイエルン放送響の輝かしさと、明るい音色が加わって、絶品のオーケストラ伴奏となっている。
艶やかな弦に、木管のあたたかな囁き、そしてマイルドな金管、色気あるホルン。
ほんと、いいオーケストラだ。

おっと、カヴァコス氏を忘れちゃいけない。
今回の3人のヴァイオリニストのなかで、一番年長。
そのお姿のように、求道的ともいえる集中力を感じる、研ぎ澄まされたヴァイオリンの音色。
そして、驚きの2楽章の美演。
音色の美しさでは、もしかしたら、今回の3人のなかで、一番。
終楽章の盛り上がりも、ライブならではだし、みんな乗せちゃうヤンソンスの指揮の力もあるかも。
 DVDでの演奏も、カヴァコスにはあるけれど、もう一回確認してみなくては。
オーケストラの魅力もあるが、今回の3つの演奏の中では、一番バランスがよい。

で、どれが一番好きかって?

そりゃ、全部だよ。

さて、今宵も、コルンゴルトの音楽に咽び泣きつつ、盃を呷るのでありました・・・・・・。


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過去記事


「ムター&プレヴィン」

「パールマン&プレヴィン」

「ハイフェッツ」

「シャハム&プレヴィン」

「ハイフェッツ&ウォーレンシュタイン」

「ベネデッティ&カラヴィッツ」


「ズナイダー&ゲルギエフ」

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2017年5月21日 (日)

コルンゴルト 「死の都」 ヴァイグレ指揮

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神奈川の家から遠く富士の夕暮れ。

 

一日の終わりは、壮麗な夕焼けで幕引きになるのが好き。

 

そして、後ろ髪をひかれるようにして、昼は去り、夜がやってくるのだ。

 

こんな景色を大学生の時まで見て暮らした。

社会人になると東京と千葉へ。

 

でも自分に一番の街はここ。

去ったけど、一生去れない場所。

終わりがなければ始まらない。

そんなことをいくつか繰り返してきたけれど、この春にも大きな変化があったことは、これまでに書いた通り。

マーラーの10番をピークに別れを音楽で追い求めたものだ。

そして、ここしばらくは、コロンゴルトの音楽に足を止めようではないか。

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  コルンゴルト  「死の都」

   パウル:クラウス・フローリアン・フォークト
   マリエッタ、マリーの幻影:タチアナ・パヴロフスカヤ
   フランク、ピエロ:ミヒャエル・ナジ  
   ブリギッタ:ヘドヴィク・ファスベンダー
   ユリエッテ:アンナ・ライベルク    
   ルシエンヌ:ジェニー・カールシュテット
   ガストン:アラン・バルネス      
   ヴィクトリン:ユリアン・プレガルディエン
   
 セバスチャン・ヴァイグレ指揮 フランクフルト歌劇場管弦楽団
                フランクフルト歌劇場合唱団

           (2009.11@フランクフルト歌劇場)


またかとお思いでしょうが、コルンゴルトのオペラ「死の都」であります。

このヴァイグレ盤、このところ毎日のように流し続けていて、4年前に入手していらい、以前はさほどでもなく思っていた、フォークトのパウルが実に素晴らしいことに、いまさらながらに気が付いた。

誰もが、フォークトの美声と、そのユニークなヘルデンの常識を覆すような不思議なほどの力感に驚かれていることの思います。
しかし、よく考え抜かれた歌唱は、どんな役柄でも、フォークトなりの完璧さでもってなりきってしまうことの凄さ。
 パウルという役柄の難しさは、全幕ほとんど出ずっぱりで、没頭感をもって、ドラマティックな力感を伴った歌唱を駆使しまくらなくてはないらいし、甘美さや、ほろ苦い諦念も歌いこまなくてはならないので、パウル歌手は、これまで限定的な存在だった。

ルネ・コロ、J・キング、イェルザレム、T・ケルルなど、いずれもジークムントやトリスタンを歌うような歌手たちの持ち役だ。

そんななかにあってのフォークトの歌の存在。

パウルの心情に同化してしまったかのような、繊細極まりない知的かつ、情熱的な歌唱。
すべてが考え抜かれ、言葉をじっくりと歌いこんでいるのがわかる。
華奢ななかにも、スピントの効いた力強さと、圧倒的な声量も。
きらきらした退廃具合も申し分なし。

 

いままで、コロとケルルばかりだった私の理想のパウルに、遅ればせながらフォークトが加わった。

このフランクフルト・ライブは、歌手ではフォークトの独り舞台かもしれないが、マリンスキー育ちのパヴロフスカヤは、悪くないが、フレミングの声に似ていて、ちょっと隈取りが濃いかも。
ナジのフランク&ピエロはよい。
バイロイトでもウォルフラムなどで活躍のイケメンバリトンは、今後とも注目。

ライブながら、録音は実によく、オーケストラ・ピットの生々しい音が臨場感豊かに聴こえる。
ヴァイグレの整然としつつ、全体のバランスをよく見通したスタイリッシュな指揮はこれでよいと思う。
まだ音源は多くはないが、過去の正規音源のなかの指揮者では、一番いい。

添付のリブレットには、舞台写真が豊富に載せられていて、想像力を刺激してくれる。
フォークトはスキンヘッドで、詰襟を着ていて、ちょっと病的な感じだし、死神や老婆もたくさん・・・・、マリエッタは赤いドレスで、普通に美しいし。
映像で観てみたいものです。

映像といえば、新国で観たホルテン演出の舞台のDVDでは、フォークトなんだよな。
手に入れねばね。

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現実と夢想が、行き来して、リアルな現実も、夢も、どっちも明滅するように、それこそ、自分の夢に出てくるようになった。


 しかし、現実の人間たる自分は弱いけど、妙に強い。
いまの現実は、前では考えられなくなった違った忙しさに包まれるようになった。

過ぎ去った夢、だんだんと過去のものとして、置き換え、忘れようとしつつあるのが、これまた夢のなか・・・・・・・・。

こんな男の心情にぴたりとくるものを描きつくした、若きコルンゴルトに、啓稔をすら感じます。

 わが憧れ、わが惑いが、この夢に蘇る。

 踊りで得て、そして失ったわが幸せ
 ラインの川沿いで踊る
 月光のなかで、青い瞳が、この身に
 切なる眼差しをそそぎ
 辛い思いを訴える
 ここにいて どこにもいかないで
 故郷を見守って、静かに花開く幸せを
 わが憧れ、わが惑いが この夢に蘇る
 遥かなる魔力が この魂に 火をともす
 踊りの魔力に誘われ
 役者へと たどりつく
 優しすぎる あの女に従い
 涙ながらの口づけを知る

 酔いと苦しみ 惑いと幸せ
 これが曲芸師の定めか
 わが憧れ わが惑いが
 この夢に蘇る
 蘇る 蘇る・・・・


      (訳:広瀬大介)

 この身にとどまるしあわせよ

 永遠にさらば 愛しいひとよ
 死から生が別たれる
 憐れみなき避けられぬさだめ
 光溢れる高みでこの身を待て
 ここで死者がよみがえることはない


      (訳:広瀬大介)

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