カテゴリー「プッチーニ」の記事

2024年12月 1日 (日)

プッチーニ 「トスカ」 レッシーニョ指揮

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 昨年にオープンの港区の麻布台ヒルズ。

近くの役所まで行く用事があり寄ってみましたが、クリスマスイルミネーションはこの日の翌日からで、スタッフが慌ただしく準備中のところを拝見しました。
都会から離れてしまったので、早々に行けないけれど、夜はさぞかし奇麗だろうなぁ。

さて、2024年11月29日は、プッチーニの没後100年の命日にあたりました。

1858年12月22日生まれ、1924年11月29日没。

いうまでもなく、最後のオペラ「トゥーランドット」を完成することなく、咽頭がんの手術も功を奏さず亡くなったのが100年前。
ちなみに、ワタクシは、プッチーニの100年後に生まれてます。

中学生のとき、NHKがプッチーニのテレビドラマを放送して、わたしは毎回楽しみにして観たものです。
かなりリアルにそっくりで、吹き替えの声は高島忠夫だった。
中学生ながらに思ったのは、プッチーニがずいぶんと恋多き人物で、ハラハラしたし、またあらゆるものへのこだわりが強く、妥協を許さず、ちょっとワガママに過ぎる人だな、、、なんてことでした。
トゥーランドットのトスカニーニによる初演もリアルに再現され、リューの死の後、悲しみにつつまれるなか、トスカニーニが聴衆に向かって、「先生が書かれたのはここまででした・・」と語る場面で泣きそうになってしまった。

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  プッチーニ 「トスカ」

   トスカ:ミレッラ・フレーニ
   カヴァラドッシ:ルチアーノ・パヴァロッティ
   スカルピア:シェリル・ミルンズ
   アンジェロッティ:リチャード・ヴァン・アラン
   堂守:イタロ・ターヨ
   スポレッタ:ミシェル・シェネシャル
   シャローネ:ポール・ハドソン
   看守:ジョン・トムリンソン
   羊飼い:ワルター・バラッティ

  ニコラ・レッシーニョ指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
              ロンドン・オペラ・コーラス
              ワンズワース少年合唱団

      (1978.6  @キングスウェイホール、アルバートホール)

これまで「トスカ」を記事にしたことが限りなく多く、最後にリスト化してますが、没後100年にも、やはりこのオペラを選びました。
プッチーニのオペラ、基本、ぜんぶが好きなのですが、いまは「ラ・ロンディーヌ」が一番好き。
でも、初めてのプッチーニは、「ボエーム」や「蝶々さん」よりは「トスカ」だった。

何度も書いてて恐縮ですが、1973年のNHKホールのこけら落としに招聘された第7次イタリアオペラ団の演目のひとつが「トスカ」。
「アイーダ」「トラヴィアータ」「ファウスト」と併せて4演目、中学生だった自分、すべてはテレビ観劇でした。
ライナ・カヴァイヴァンスカ、フラビアーノ・ラボー、ジャン・ピエロ・マストロヤンニの3人で、指揮は老練のファヴリティース。
演出は伝統的なブルーノ・ノフリで、その具象的な装置や当たり前にト書き通りの演技、初めて見るトスカとしては理想的でしたし、なんといっても赤いドレスの美人のカヴァイヴァンスカの素晴らしい演技に、子供ながらに感激しましたね。

以来、トスカは大好きなオペラとして数多くの音源や映像を鑑賞してきましたが、そんななかでも、いちばん耳に優しく、殺人事件っぽくない演奏がレッシーニョ盤。
久しぶりに聴いても、その印象です。

デッカにボエーム、蝶々夫人とカラヤンの指揮で録音してきたフレーニとパヴァロッティのコンビ。
数年遅れて、デッカが録音したが、指揮はカラヤンでなく、生粋のイタリアオペラのベテラン指揮者レッシーニョとなった。
当時、わたくしはちょっとがっかりしたものです。
この録音は78年で、カラヤンは翌79年に、DGにベルリン・フィルと録音。
ザルツブルクがらみでなく、フィルハーモニーでのスタジオ録音で、こちらはリッチャレッリとカレーラスを前提とした商業録音だったので、レーベルの関係なのか、カラヤンの歌手の人選にこだわったのか、よくわかりません。

しかし、じっくりと聴いてみて、この歌手たちであれば、カラヤンでなくてよかったと、いまも思います。
カラヤンならリリックなふたりの主役を巧みにコントロールして、見事なトスカを作り上げるとは思いますが、カラヤンのイタリアオペラに感じる嵩がかかったようなゴージャスなサウンドは、ときにやりすぎ感を感じることもある。
マリア・カラスが好んだレッシーニョ。
イタリア系のアメリカ人ではありますが、アメリカオペラ界の立役者で、全米各地にオペラ上演の根をはったことでもアメリカでは偉大なオペラ指揮者と評されてます。
もちろんカラスとの共演や録音が多かったのが、その名を残すきっかけではありますが、それのみが偉大な功績となってしまった感があります。

歌を大事にした、オーケストラが突出しない流麗な「トスカ」。
このようなオペラ演奏は、最近あまりないものだから、ある意味新鮮だった。
3人の主役たちのソロに聴くオーケストラが、いかに歌を引き立て、歌詞に反応しているか、とても興味深く聴いた。
一方で、プッチーニの斬新なサウンドや、ドラマテックな劇性がやや後退して聴こえるのも確かで、ここではもっと、がーーっと鳴らして欲しいという場面もありました。
当時、各レーベルで引っ張りだこだったロンドンの腕っこきオーケストラ、ナショナルフィルは実にうまいものです。

フレーニとパヴァロッティ、ふたりの幼馴染のトスカとカヴァラドッシにやはりまったく同質の歌と表現を感じます。
嫉妬と怒り、深い愛情と信仰心で、トスカのイメージは出来上がっていますが、フレーニのトスカはそんなある意味、烈女的な熱烈な存在でなく、もっと身近で、優しく、ひたむきな愛を貫く女性を歌いこんでいる。
1幕で、マリオと呼びながらの登場も可愛いし、教会の中で嫉妬に狂う場面もおっかなくない。
「恋に生き歌に生き」は、心に響く清らかな名唱です。
ラストの自死の場も無理せず、フレーニらしい儚い最後を感じさせてくれた。

ヒロイックでないパヴァロッティのカヴァラドッシも、丁寧な歌い口で、あの豊穣極まりない声を楽しむことができる。
この頃はまだ声の若々しさを保っていて、テノールを楽しむ気分の爽快さも味わえました。

わたしには、スカルピアといえば、ゴッピだけれど、それ以外はミルンズであります。
役柄にあったミルンズの声は、ここではときに壮麗にすぎて、厳しさや悪玉感が不足しますが、やはりテ・デウムにおけるその歌唱には痺れますな!

当時、超大ベテランだった、イタロ・ターヨの妙に生真面目な堂守や、脇役の定番シエネシャルも味わい深く、のちに大成するトムリンソンがちょい役で出てるのも楽しいものだ。

アナログ最盛期のデッカ録音、プロデューサーは、ジェイムス・マリンソン。
エンジニアリングにケンス・ウィルキンソンとコリン・ムアフットの名前があり、この頃のデッカならではの優秀録音が楽しめました。
キングスウェイホールとヘンリ・ウッドホール、響きのパーシペクティブや音の芯の強さではキングスウェイホールが、ほかのレーベルの録音でも好きなんですが、おそらく1幕はキングスウェイホール。

この時期のレコード業界はまさに黄金期でした。

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 「トスカ」過去記事

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」

「シュタイン指揮 ベルリン国立歌劇場」

「シャスラン指揮 新国立劇場」

「カリニャーニ指揮 チューリヒ歌劇場」映像

「T・トーマス指揮 ハンガリー国立響」

「コリン・デイヴィス指揮 コヴェントガーデン」

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」独語ハイライト

「テ・デウム特集」

「メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「没後100年」

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カヴァイヴァンスカのトスカ(1973年 NHKホール)

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2024年6月 1日 (土)

プッチーニ 没後100年 ①

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とっくに盛りは過ぎましたが、藤の花。

藤の種類にもいろいろあって、南足柄の農家さんが自宅の藤の咲くお庭を解放しておられましたので見てきました。

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色とりどりのルピナスも咲いてました。

春から夏は、草花がほんとに美しく活気にあふれます。

華やかだけれども、常に陰りのあるオペラを作ったプッチーニ(1858~1924)の今年は没後100年となります。

プッチーニ大好き、ワタシより100歳先輩、そのほとんどの作品を観て聴いてきました。

海外では、さまざまな上演が行われ、ネットを通じて最新のプッチーニ演奏を聴くことができてます。

今回は、2024年以降聴いたプッチーニの上演をまとめてみます。
正規の音盤ではありませんで、上演即座に聴けるネット配信からです。

100年の命日は11月29日ですので、それまでまたいろんな上演を視聴する可能性がありますので、①とさせていただきます。
作品の作曲年代順に並べました。

①「トスカ」 バイエルン国立歌劇場

  アンドレア・バッティスティオーニ 指揮

  コルネル・ムンドルツォ 演出

      トスカ:エレオノーラ・ブラート
  カヴァラドッシ:チャールズ・カストロノヴォ
  スカルピア:ルトヴィック・デジエ

       (2024.5.20 @バイエルン・シュターツオパー)

上演されたばかりの演奏を聴きました。
お馴染みのバッティスティオーニは、バイエルンでは2度目のトスカのようですが、今回の新演出の指揮では、演出のあおりを受けたのか、ブーイング浴びてました。
聴いていて、煽るよな大げさな節まわしがあり、もしやすると演出に則したのかな?などと推測。
ハンガリーの演出家ムンドルツォの舞台が批判を浴びてる。
トスカの時代背景は、イタリア北部のマレンゴで、ナポレオンがオーストリア軍を破って勝利したその日の出来事だ。
カヴァラドッシは勝利を叫び、スカルピアの怒りに火をくべてしまう。
 ところがムンドルツォの演出は、時を1975年に設定し、高名なパウロ・バゾリーニの亡くなった年として、カヴァラドッシを絵描きでなく、映画監督として書き換えた。
むごたらしい銃殺や、イタリアのテロ組織「赤い旅団」なども登場させているようだ。
ドイツのオペラ演出は、どこの劇場もぶっ飛んでるけれど、この強引な設定には観客も戸惑ったり、怒りを感じたようだ。
いずれ全編を見てみたいものだ。
ブラートの優しい声は、トスカの役にはちょっと酷だったかもしれないが、聴いていて美しいシーンはいくつもあった。
カストロノヴォも強い声の持ち主ではないが、明るい声は嫌いじゃない。
しかし、いちばん素晴らしいのが、デジエの知的かつ冷徹なスカルピアだった。

②「蝶々夫人」 メトロポリタンオペラ



   シャン・ジャン 指揮

  アンソニー・ミンゲラ 演出

  蝶々夫人:アスミク・グリゴリアン
  ピンカートン:ジョナサン・テテルマン
  シャープレス:ルーカス・ミーチャム
  スズキ:エリザベス・テスホン

      (2024.4.11 @メット)

メットとウィーンの蝶々さんは、ここ数年このミンゲラの演出。
コロナ禍にメト上演をストリーミングで観ている。
「日本」的なイメージを盛り込んだつもりだろうが、われわれ日本人には違和感ばかり。
スズキはちゃんと着物を着てるが、蝶々さんは、東南アジア風の衣装で違和感あり。
また子供は黒子が捜査するマペットでかわいくない。
しかし、音源なので余計なものを観なくてすむので安心。
グリゴリアンの抒情と繊細さ、くわえて余裕ある声をときに開放するときの素晴らしさ、まさにいま最高のバタフライと思う。
プッチーニテノールとして、ひっぱりだこのテテルマンののびやかな声も魅力的。
中華系アメリカ人のシャン・ジャンの指揮は悪くはないが、同じ女性指揮者なら、日本人女性指揮者で蝶々さんのエキスパートが生まれないものか。
あと演出家も日本人に任せて欲しいものだ。

③「ラ・ロンディーヌ」 メトロポリタンオペラ



    スペランツァ・スカプッチ 指揮

   ニコラ・ジョエル 演出

   マグダ:エンジェル・ブルー
   ルッジェーロ:ジョナサン・テテルマン
   リゼッテ:エミリー・ポゴレルチ

        (2024.3.26 @メット)

2008年の大晦日のプリミエの演出は、わたしもスクリーンで観てかつて記事にしてます。
ゲオルギュー、アラーニャ、オロペサの出演は、舞台も歌も100点満点だった。
以来3度目の上演チクルスのようだが、現在のアメリカを代表するプリマ、エンジェル・ブルーのタイトルロール。
ともかく、その立派な声に驚き。
しかし喉が強靭すぎるのか、この声は、マグダの役柄にしては強すぎると思った。
ゲオルギューや、かつてのアンナ・モッフォの声が相応しく、そこには儚さがあったから。
ここでもテテルマンのクセのない明るい色調の声がバツグンによい。
イタリアの女性指揮者スカプッチは、ピアニストとしてジュリアードで学び、そこで歌に合わせる勉強を積み上げ、やがて指揮者として活躍するようになり、スカラ座で女性で初めてピットに入った指揮者となったそうだ。
メットの明るい音色のオケを巧みにリードして、プッチーニのこの愛らしい、ステキな旋律にあふれたオペラを見事に作り上げていると思う。

④「ラ・ロンディーヌ」 ミラノ・スカラ座



  リッカルド・シャイー 指揮

   イリーナ・ブロック 演出

   マグダ:マリエンジェラ・シシリア
   ルッジェーロ:マッテオ・リッピ
   リゼッテ:ロザリア・シド

        (2024.4.20 @ミラノ・スカラ座)

こちらもプリミエ上演されたばかりのスカラ座プロダクション。
大御所のシャイーの指揮が注目されるが、いかんせん、まいどのことに、スカラ座を始めとするイタリアの放送局の録音は音がいつも悪い。
潤いと分離の不足で殺伐とした音なんです。
他国の放送局を見習ってほしいと、偉そうに思う自分。
せっかくのシャイーの巨匠風の恰幅豊かな指揮も、そのせいでやや印象が薄い。
youtubeの音質は悪くはない。
マグダのシシリアさんは、初聴きのリリックソプラノだけれども、イタリア語の語感の美しさを感じるステキな歌声でした。
身を引く美しさ、儚さも十分に歌いこんでいて、新人とはいえない歌手だけれど、これから聴いてみたいひとりだ。
リッピ氏も初聴きだけれど、新国でロドルフォを歌ったことがあるみたいだ。
youtubeで見ると、オッサンのみてくれだけれど、歌声は明るく、無邪気な若者の一途さがよく出てる。
ピーター・ブルックの娘、イリーナの演出は、写真やトレーラーで観る限り色彩的に華やかで、かつリアルな男女物語的なものに感じた。
音楽に少し手を入れたようで、聴き慣れないくり返しや、違う声域で歌わせたりと、その意図がわからないところがある。
ラストシーンと思わせる画面での「EXIT」から出ていく主人公が気になる。
ロンディーヌ=つばめ、また戻っていくということで、このタイトルになっているのだが、だとすると、この描き方はなんだか夢がないような気が・・・・
ともかく、いい音で全体を観劇したい。

⑤「三部作」 オランダ・オペラ



  ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮

   バリー・コスキー 演出

 「外套」

      ミケーレ:ダニエル・ルイ・デ・ヴィンセント
  ルイージ:ジョシュア・ゲレーロ
  ジョルジェッタ:レー・ホーキンス

 「修道女アンジェリカ」

  アンジェリカ:エレナ・スキティナ
  公爵夫人:レイハン・ブライス=デイヴィス
  修道院長:ヘレナ・ラスカー
  ジェノヴィエッファ:インナ・デメンコワ

 「ジャンニ・スキッキ」

  ジャンニ・スキッキ:ダニエル・ルイス・デ・ヴィンセント
  ラウレッタ:インナ・デメンコワ
  リヌッチオ:ジョシュア・ゲレーロ 

    (2024.5.11 @オランダ劇場、アムステルダム)

ここ数年、「三部作」の上演は欧米でかなり頻度があがってます。
常習的でない演目と、ユニークで革新的な演出とで目が離せないオランダ・オペラ。
マレク・アルブレヒトから引き継いだ、ロレンツォ・ヴィオッテイ下にあっても、その流れは変わらず、ヒットを飛ばしてます。
オランダ放送のネット配信でいち早く聴きましたし、きっとDVDにもなるでしょう。
 まずは、ヴィオッテイの俊敏でありながら、歌にあふれた豊かな音楽造りがすばらしい。
マーラーの音楽にも近いと思わせる「外套」におけるオーケストレーションの見事さがわかる巧みな指揮と耳の良さ。
冷静さを保ち静謐な音楽を作りながらも、泣かせどころを外さない「アンジェリカ」。
開放的な気分に浸らせてくれる「ジャンニ」、フィレンツェと青空を感じる演奏。
劇の特質を端的に、巧みに、緻密に指揮して描き分けることのできるヴィオッテイの才能です。
 歌手も、いずれも的確ですが、スキティナの声は強すぎだし、公爵夫人はおっかなすぎ。
デメンコワは可愛い、ゲレーロは声が抜けていて実に爽快。
 コスキーの演出は、数分のトレーラーじゃまったくわけのわからない、仕掛け満載のオモシロ演出なんだろう。
悲惨な「外套」のエンディングはどうなんだろう。
「アンジェリカ」は泣かせてくれるんだろうか、はたまた肩すかしをくらわしてくれるのか?
子どもの写真を使うのは反則だよ(涙)
「ジャンニ」はコスキーのことだからきっと、予想外のオチがあるんだろうな・・・・
このプロダクションもDVD期待!

⑥「トゥーランドット」 ウィーン国立歌劇場



   マルコ・アルミリアート指揮

   クラウス・グート演出

        トゥーランドット:アスミク・グリゴリアン
   カラフ:ヨナス・カウフマン
     リュウ:クリスティナ・ムヒタリアン
   ティムール:ダン・パウル・ディミトレスク
   皇帝:イェルク・シュナイダー

                  (2023.12.13 @ウィーン)

グリゴリアンの歌と演技力があってのもの、と評されたウィーンの新演出。
白が基調で、シンプルななかに、深い心理描写を行うグートの演出。
シナでの物語の時空をあっさりと越え、異次元の世界で、トラウマに悩むトゥーランドット姫を描いてみせたようだ。
こうした狙いのある舞台は、音楽だけではまったく想像も及ばないし、そした意図での歌唱であることを意識して聴かねばなるまい。
トゥーランドットというと、禍々しい、西洋人の思う中華演出で辟易とさせられる演出ばかり。
そうでないこちらも、やはりDVDで味わいたい。
 トゥーランドットを歌うにはグリゴリアンの声はさほどにドラマチックではない。
この演出に則した、細やかなで考え抜かれた歌唱に感じた。
強さや強引さはまったくなく、揺れ動く心情を持つ女性と感じる。
彼女の歌うサロメに同じくである。
 一方のカウフマンは、わたしにはきつかった。
前にも書いたが、このバリトンテノールともいえる歌手の声に、曇天のような救いのない重・暗さを私は感じるのだ。
ワーグナーはいいが、イタリアものはどうも・・・・
 ムヒタリアンのリューの可愛さはみっけもん。
アルミリアートの振れば振るほど熱くなるオケ。
ウィーンとの相性も長い共演歴で鉄壁のものになってると思った。
へたなコンサート指揮者をもってくるより、いちばん、もっとも安全で、熱くやってくれる指揮者だと思うぞ。

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驚くほどに日の経つのが早い。

色とりどりの、春と初夏の花々はあっと言う間に盛りを終えて、もうつぎは紫陽花の季節だ。

いなやことばかりの毎日だけど、自然の移り変わりはしっかり感じて暮らしたいもの。

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2021年2月 7日 (日)

プッチーニ 三部作 フレーニ

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暦は春、2月4日が立春でした。

しかし気候は一進一退、極寒になり、また穏やかな陽気になり、繰り返しつつ春になります。

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わたしの郷里では、もう菜の花はおしまい。

次は桜を待つばかりです。

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 プッチーニ 三部作

   ミレッラ・フレーニ

 ブルーノ・バルトレッティ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団
                フィレンツェ五月音楽祭合唱団

       (1991.7~8 @ヴェルディ劇場、フィレンツェ)

昨年2月8日に、ミレッラ・フレーニが亡くなり1年が経ちました。

プッチーニの3部作のヒロインをフレーニがすべて歌った一組を。

ヴェリスモに典型の痴情による悲劇、静謐な宗教劇、皮肉とユーモアのきいた喜劇。
この性格の異なる3つの1幕もののオペラを三部作としたプッチーニの天才性は、その素晴らしい音楽の描き分け方にも十分にうかがえる。
 しかし、この3作がなかなか同時上演されにくいのは、よく言われるように、その登場人物の多さで、しかも劇の性格が違うゆえに、歌手に求められるものも3作ともに違う。
3作のソプラノ歌手は、リリコ・スピントとリリコの声が求められる。
円熟期のフレーニは、それをこなせる希少な存在だった。
デッカにはかつて、大ソプラノ、テバルディが3役を歌ったガルデッリ盤があり、そのあと同じフィレンツェのオーケストラを使ったこちらのバルトレッティ盤が残されたのは、フレーニ・ファンとしてもほんとうにありがたいことです。
レナータ・スコットのマゼール盤では、ラウレッタ役はより軽いコトルバスに変わっていて、3役を歌った音盤は、テバルディとフレーニだけ。
私の舞台体験は2008年のプッチーニの生誕150年に上演された日本人だけの上演のみで、数年前の二期会公演は逃してしまいました。
あらすじなどは、パッパーノ盤の過去記事に手をいれたものを再褐してます。

  プッチーニ 「外套」

   ミケーレ:ホアン・ポンス  
   ジョルジェッタ:ミレッラ・フレーニ
   ルイージ:ジュゼッペ・ジャコミーニ  
   ティンカ:ピエロ・デ・パルマ
   タルパ :フランコ・デ・グランディス
   フルーゴラ:グロリア・スカルキ
   小唄売り:リカルド・カッシネッリ
   二人の恋人:バルバラ・フリットリ
         ロマーノ・エミリ

<パリのセーヌのほとり。海運を細々と営むミケーレ親方と妻ジョルジェッタ、働き手のルイージと仲間たち。

 仕事を終え煙草をふかすミケーレ、ジョルジェッタのつれないそぶりに心は浮かない。
ジョルジェッタは、仕事を終えたルイージや仲間たちに酒を振舞い、楽しい雰囲気。
仲間の妻は、田舎で旦那とつましい余生を送りたいと歌い、ジョルジェッタは、自分やルイージはパリの郊外の生まれで、こんな水辺での浮き草のような生活は早く終わりにしたいと歌う。そして、愛を交わしあい、密会を約束しあう二人。ルイージは熱い思いを歌う。
 寝ずに火照りを覚ますジョルジェッタにミケーレは、ふたりの間の亡くなった子供のことを話し、ふたたび「自分の外套に包まれればよい」と、やり直しを迫るが、またしてもそっけない妻。もう老いぼれた俺じゃだめなのか?と説得を試みるも・・・・
 一人になり、「売女奴め!」と怒り震わせ、男をひっとらえてやると、豹変するミケーレ。
煙草に火を着けるが、それを同じ合図と勘違いしたルイージが船にやってくる。
「ははぁん、お前か」「違う、あっしじゃありやせん」「いやテメエだ!」と押し問答の末、絞殺してしまう。物音に出てきたジョルジェッタ、夫の怪しい雰囲気に怖くなって、以前のように「喜びも悲しみも包んでしまうといった、外套に私を包んでよ」とおねだり。
「そうさ、時には罪もな!俺のとこへ来やがれ・・・」と外套から転がりでたルイージの死体にジョルジェッタの顔を無理やり押し付ける。
凄まじい悲鳴とともに幕。>

まだ駆け出しだった、フリットリの名前が3作いずれもあるのがうれしい。
ジャコミーニも新鮮な歌声。
なによりもフレーニの不安と安泰とに揺れ動く心情表現が細やかでいい。
ポンスの美声もいいが、このオペラ、妻が25歳、夫が50歳、間男が20歳の設定なので、ポンスさん若すぎに感じます。
 それにしてもよく書けてる音楽。
霧に煙るセーヌ川のパリな雰囲気、場末感や強殺の残忍さなど、不協和音や印象派風な手法を用いて見事に表出したプッチーニ。

  プッチーニ 「修道女アンジェリカ」

   修道女アンジェリカ:ミレッラ・フレーニ
   侯爵夫人 :エレナ・スリオティス
   修道院長 :グロリア・スカルキ
   修女長  :エヴァ・ポドレス
   修錬長  :ニコレッタ・クリエル
   ジェノヴィエファ:バルバラ・フリットリ
   オスミーナ:ヴァレリア・エスポジト
   ドルチーナ:アルガ・ロマンコ
   看護系修女:デボラ・ベロネシ ほか

<時は17世紀、トスカーナ地方のとある修道院。

 修道女アンジェリカは、フィレンツェの公爵家の娘ながら許されぬ子を宿し産んだため修道院に入れられ懺悔の日々を送っている。
修道女たちの祈りの合唱。修道女ジェノヴィエッファが中庭の泉に太陽の光が差し金色に輝くのを見つけ、マリア様の奇蹟が訪れるのよ、と沸く。
しかし、1年前にある修道女が亡くなったことも思い出す・・・・。
アンジェリカは生あるうちに花開き、死には何もないと語り、願いはないと語るが、皆はその言葉を信じず彼女の身の上話をささやく。
そこへ、修道女のひとりが蜂にさされ怪我をしたと騒ぎになるが、薬草に詳しいアンジェリカが秘伝の治療法を託す。
そこへ、アンジェリカの伯母の公爵夫人が立派な馬車でやってくる。修道院長から呼ばれ、接見するが、意地悪な伯母から、アンジェリカの妹が結婚することになりその遺産分与の同意を得にきたと伝えられる。家名を汚した姉の償いを妹がするのだとなじる。
7年前に生んだ坊やの消息を必死に尋ねるアンジェリカに、公爵夫人は2年前に伝染病で死んだと冷たく答える。その場に一人泣き伏せるアンジェリカ。
「いつ坊やに会えるの?天であえるの?」と、あまりにも美しいアリア「母もなく」を楚々と歌う。
彼女は、死を決意し、毒草を準備する。
毒薬を服し、聖母に自決の罪の許しを必死に乞うアンジェリカ。
そこへ天使たちの歌声とともに、眩い光が差し、聖母マリアが坊やを伴なってあらわれ、死にあえぐアンジェリカの方にそっと差し出す。にじり寄りつつ、彼女は救われ息を静かに引き取る・・・・・。>

もう、そもそもが涙なしには聴けない音楽。
「外套」の残忍性は影を潜めて、ここでは宗教秘蹟にふさわしく、抒情的で繊細かつ神秘的な音楽と、蝶々さんを思わせる哀しみと悲劇性もある音楽です。
修道院の無垢な雰囲気を醸し出す鳥のさえずりや、パルジファルを思わせるような浄化感もこのオペラの特徴です。
ともかく「母もなく」のアンジェリカのアリアはとてつもなく美しく、そして悲しみにあふれていて、これを歌うフレーニの声と感情の込め方はもう絶品であります。
3作のなかでは、一番フレーニに合った役柄だから余計に素晴らしい。
 そしてデッカらしい、味わい深い隠し味が、エレナ・スリオティスが意地悪な侯爵夫人役で登場していること。
喉の障害で一線から退いていたスリオティス、その声はお世辞にもいいとは言えない状態ですが、実に真実味があって迫真そのもの。
   
   プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」

    ジャンニ・スキッキ:レオ・ヌッチ
    ラウレッタ  :ミレッラ・フレーニ
    ツィータ   :エヴァ・ポドレス
    リヌッチオ  :ロベルト・アライサ
    ゲラルド   :リカルド・カッシネッリ
    ネルラ    :バルバラ・フリットリ
    ケラルディーノ:バルバラ・グエッリーニ
    ベット    :ジョルジョ・ジョルジェッティ
    シモーネ   :エンリコ・フィッソーレ
    マルコ    :オラツィオ・モーリ
    チエスカ   :ニコレッタ・クリエル  ほか
    
<1229年のフィレンツェ。ブオーゾ・ドナーティの家にて。

朝のドナーティ家、当主ブオーゾはすでに亡く、一族が取り囲んで神妙に泣いたふりをしている。膨大な遺産を期待する面々が、巷の噂の寄付ということを聞きつけて集結している。
きっと遺言状があるだろうということで探しだしてみると、噂どおりの全額教会寄付。
坊主だけが潤うと、一同は大騒ぎに。
そこで、リヌッチオは、許婚の父ジャンニ・スキッキに知恵を借りようと提案するが、策士だとして賛同を得られない。
リヌッチオは、いまのフィレンツェには、スキッキのような大胆で斬新な人物として街とともに称賛するアリアを高らかに歌う。
そこへスキッキと娘のラウレッタ登場。貪欲な一同に呆れ、こんな奴らに協力したくないと、ソッポを向いてしまうスキッキ。
しかし、愛娘が「私のお父さん」のアリアを歌い、その父の心をメロメロにしてしまう。

「私は、この人が好きなの・・・・、愛の指輪を買いに行きたいの・・・、もし愛することがだめなのならば、ポンテヴェッキオに行きます。そこで身を投げます。恋が私の心を燃やし苦しめるの、どうぞ神様死なせて下さい、お父さま、どうぞお哀れみを・・・」こんな掟破りの歌を娘に歌われ、お父さんはさっと心変わり。

「さあ、遺言状を貸してごらん」と、スキッキ。
この一族以外に誰も当主の死は知らない。では、自分がブオーゾになるまでと、そこへ、医師が回診にやってくるが、声音を使って見事にやり過ごすスキッキ。
自分がなり代わって遺言状を書き換えるまでよ!と巧みなアリアを歌う。
一同は感嘆し、それぞれの相続の思惑をスキッキに語りまくる。スキッキは、もしこの語りがバレたら法的には一同は手首をちょん切られると警告。ははっ!
 やがて公証人がやってくる。
すべての遺言のたぐいは今破棄し、これより語ることが唯一の遺言と、偽ブオーゾのスキッキは声音で語りだす。
遺産のそれぞれを一族の思いのままに語り、一同から小さくブラボーを得る。
そして、一族の関心のハイライト、「フィレンツェの勇壮な自宅と製材所、ロバなどの資産価値の高そうなアイテムは、なんと親友の「ジャンニ・スキッキ」に、とのたまう。
 苦虫をかみ締める一族たち。
公証人には、頭のなかで今考えたことを言ってるだけですよと言い、公証人は大いに賛同納得して去る。
 さあ大騒ぎの一族、とんでもない泥棒、ごろつき、うそつきと悪態の限り、スキッキは私の地所から出てゆけと命令!
一族は「あぁーーー!」、スキッキは「出てゆけーーー」の応酬。
 こんな騒ぎをよそに、恋の成就に熱くなる二人の恋人がフィレンツェの街を称える。
スキッキは語りでこんな洒落た口上を述べ幕となる。

「皆さん、ブオーゾの資産がうまく処理できましたかどうか。こんなやり口で、私は地獄行きの憂き目に会うでしょうが、偉大なるダンテのお許しを得て今宵お楽しみいただけましたらお許しください。どうぞ、情々酌量のうえ」>

そう、ほんと落としどころがドラマの筋も音楽もオシャレなんです。
ルネサンス期の新しい風や人物をうまく喜劇という枠で生かしている。
プッチーニの唯一の喜劇は、よく言われるように、晩年でヴェルディが「ファルスタッフ」を生んだように、そこから刺激を受けたとされる。
1時間のドラマのなかに、人間の腹黒さとそれを巧みに利用する狡猾さ、それと若い純粋な恋人たち、それらの人物たちを抱擁する街フィレンツェ、これらを描いてます。
悲劇・秘蹟と続いて、音楽はまるで一転、軽やかで明るい、イタリアの空を感じさせます。
 このおもしろオペラのなかに、きらりと光る暖かな涙と微笑みさそうラウレッタのアリア「わたしのお父さん」。
愛くるしくフレーニによって歌われると、思わず涙ぐんでしまいます。
30代の頃の彼女のプッチーニのアリア集も好んで聴きますが、あの頃の清純そのものの歌とはまた違って、表現の幅が広がり、その豊かな声に包まれるような思いがします。
 出始めのころのアラーニャも輝いてますね、テノールを聴く喜びが味わえます。
そして、レオ・ヌッチの巧みなジャンニ・スキッキには、ときに笑えるし、皮肉も脅しもたっぷりで、その技量のたくましさは、ヌッチのような歌手がいることを日本が知ったスカラ座の来日公演のフィガロ、あのときのイメージそのものでした。
 さてここにもデッカの隠し味が。
解説書に書いてありましたが、亡くなったブオーゾの甥の息子役に、スリオティスの娘(当時少女)が登場してます。
さらに、ベテラン指揮者バルトレッティのアシスタント指揮者として、これまたスリオティスの旦那さん、マルチェロ・グエッリーニがこの録音に参加してます。
 録音プロデューサーのひとりは、クリストファー・レイバーンの名前があり、カルショウなどとともに、デッカのオペラ録音の歴史と流れを感じることができます。

まさにフィレンツェのオーケストラを起用したデッカ。
プッチーニを得意にしたフィレンツェ生まれのバルトレッティの起用も正解だったと思います。
当時、フィレンツェのポストにあったバルトレッティですが、指揮者が中心のオペラ録音でなく歌手主体に組まれた録音でよく起用されて、その職人技と現代的な感覚が、とくにヴェリスモ系で強みを見せていたと思う。
ヴェルディでも、オーケストレーションが独特な「仮面舞踏会」なんかもよかったです。
この3部作の、それぞれの特徴を巧みに描きわけて表出しているし、さりげない歌手の引き立て方も、オペラティックな雰囲気豊かなオーケストラとともに味わい深いものがありました。

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わたしの郷里の自慢は、海と菜の花、そしてその温暖な風土です。

ミレッラ・フレーニが亡くなって1年。

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2020年5月 2日 (土)

プッチーニ オーケストラ作品集 ヴェネツィ指揮

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人の少ない街を散策。

普段は見逃していた小さな公園にもこんな綺麗なチューリップが咲いてました。

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普段から、こうしたお庭の作業をしてくださる方がおられることに感謝です。

今回の、不自由な日々にあたって、いろいろ気づかされる、何気ない毎日で当たり前にあったことの大切さと、それを支えていた方が常にいらっしゃった、という現実。

ともかく、文句を言わず、自分にも確実に降りかかってくる災をいかに最小化するか、お国が数々用意しつつある対策もにらみながら対応していきたいと思う。

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 プッチーニ オーケストラ作品集

  1.「スケルツォとトリオ」
  2.「修道女アンジェリカ」間奏曲
  3.「交響的奇想曲」
  4.「マノン・レスコー」間奏曲
  5.「蝶々夫人」間奏曲
  6.「エドガー」前奏曲
  7.「交響的前奏曲」
  8.「菊の花」
  9.「ラ・ヴィッリ」より夜の宴

 ベアトリーチェ・ヴェネツィ指揮 トスカーナ管弦楽団

       (2018.12.7 @ジリオ劇場、ルッカ)

どんなときでも、プッチーニの甘く切ない旋律は美しい。

そして美しい女性指揮者のプッチーニ作品集が出ましたのでさっそく聴いてみた。

ヴェネツィさんは、プッチーニの故郷、ルッカの生まれで、まさにプッチーニを聴いて育った、根っからのプッチーニっ子。
自らもそう述べてます。
人口85,000人のルッカがあるのは、イタリア中西部のトスカーナ地方で、この州には州都フィレンツェがあります。
山脈に囲まれ、西はアドリア海、丘陵や盆地も多く、よってワインの一大産地であります。
きっとルッカも、美味しい食べ物がたくさんあることでしょう。
 グーグルマップで、ルッカの街をちょっとバーチャル探検してみました。

Puccini

旧市街、街の中心部にはプッチーニの生家があり、そこはプッチーニ・ミュージアムになっていて、足を組んだおしゃれだったプッチーニ像がありました。
近くには、piccolo Hotel Pucciniなんて素敵なホテルもあるし、オペラにちなんだ名前のレストランもたくさん!
あ~、行ってみたい、でももう一生無理なんだろうな世界は。

Teatro

そして、ルッカのオペラハウスが、Teatiro del Gilio~ジリオ劇場。
とても雰囲気のあるハウスで、やはりここでプッチーニを聴いて、観てみたいものです。

この劇場で録音されたのが今回のCD。

ヴェネツィさん、日本にも何度か客演しているようですが、現在のところ、トスカーナ管弦楽団の首席客演と若者オケとか、いくつかのポストも持っているようです。
ちなみに、昨夏、新日に来演したときは、ニノ・ロータや三角帽子などを指揮していた様子。
まだ若い彼女ですから、レパートリーも無理せず、当面は身体に染み付いた、プッチーニの専門指揮者になっちゃえばいいと思ったりもします。
そう、美人が災いするかもしれませんので。

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そんな風に思えるほどに、このCDは素敵なものです。
プッチーニを愛し、そしてイタリアのために、自らその文化を広めたいと、解説書のなかで書いてある彼女の言葉のとおり、各曲の隅々に、感情がこもっており、ときに泣かせ、ときにクスッと微笑ませたりと、聴き手の気持ちにも優しく訴えます。
指揮もオーケストラも、プッチーニの音楽を体のなかに持っている、そんな感じです。
 機能的に書かれたプッチーニの見事なオーケストレーションを併せて堪能できるのは、長らくの愛聴盤である、シャイーとベルリン放送響とのものですが、彼女の指揮には、そうした和声の巧みな筆致などはあまり感じません。
でも、旋律線を滔々と美しく、横へ横へと流していく、そんな天性ともいえる才を感じさせ、繰り返しますが、プッチーニの美しい旋律を浴びるように聴けるという喜びがあります。

収められたオペラの間奏曲などは、まさに、オペラの幕間に相応しい雰囲気で、そのあとの幕が開くのが瞼に浮かぶようです。
シンフォニックな作品ふたつも、数々聴いてきたけれど、生き生きとした音楽作りにおいて、シャイーやシモーネ、ムーティなどの手持ち盤とは違った、フレッシュなレモンのような爽やかさです。

スケルツォは初聴きで、最近の研究でトリオと合わせてオーケストレーションされたそうで、短いながらも粋な曲でありました。

トスカーナ管弦楽団は、フィレンツェのヴェルディ劇場に拠点を置く、1980年創設の若いオケで、以前は、注目の指揮者ダニエーレ・ルスティオーニもその指揮者を務めてました。
ちなみにルスティオーニは現在、リヨンオペラとアルスター管の音楽監督です。
若いけど味のあるオケ、きっといま、大変なことになってるかもしれませんが、自分的は注目して行きたいオケがまたひとつ増えました。

次のヴェネツィさんの音盤がこのままではいつになるかわかりませんが、鶴首して待ちます。
それにしても、欧米ともに、女性指揮者の活躍が目立ってきました!

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緊急事態宣言も延長。
辛い日々に、音楽はともかく癒しになります。

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2018年2月 4日 (日)

プッチーニ 「トスカ」 メータ指揮

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きれいな夕暮れが撮れました。

三田の丘のうえにある綱町三井倶楽部。

庶民には関係ない、一流の会社に所属している方が利用できるシステムとのこと。

わたくしは、外からみるだけ。

でも、100年の歴史のある洋館は、自分には、オペラのいろんなシーンを思い起こさせてくれる。

Tosca_mehta

     プッチーニ  歌劇「トスカ」

トスカ:レオンタイン・プライス  カヴァラドッシ:プラシド・ドミンゴ
スカルピア:シェリル・ミルンズ アンジェロッティ:クリフォード・グラント
堂守:ポール・プリシュカ     スポレッタ:フランシス・エガートン
シャルローネ:ジョン・ギブス   看守:ミカエル・リッポン
羊飼い:デイヴィット・パール

  ズビン・メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
               ジョン・オールディス合唱団

         (1972.8 ワルサムストウ・アセンブリー・ホール)


久しぶりに「トスカ」。

こんな名曲になると、逆に、めったやたらと聴かないもの。
すべての音と歌が完全に脳裏に刻み込まれてます。
大好きなプッチーニだけど、その作品のなかでも、一番聴きこんでるオペラかも。

話は変わりますが、かつて、ある地方都市で、飲んだあと、飲み屋街をふらふら歩いていたら、目に飛び込んできた「トスカ」の看板。
スナックですよ。
ほうほう、飲みながら音楽談義とか、オペラが流れてるとか、どんな歌姫に会えるんだろうか、と期待をふくらませながら入店。
いらっしゃいませ~、あ、チーン・・・でした。
しょうがないから、腰をおろしてウィスキーを飲んだけど、音楽はクラシックじゃないし、店名の由来聞いたら、オペラのことなんか知らないし・・で、さらにちーんでした。
 まあ、よくある話ではありますが。。。

さて、本日の「トスカ」は、メータの最初の録音のもの。
1973年のNHKホールこけら落としの一環のイタリアオペラ公演のテレビ放送が、わたくしの初トスカ。
もう、すぐに夢中になりましたよ。
で、レコードを購入しようという段になって、その候補のひとつにあがったのが、こちらのメータ盤。
日本盤ジャケットは、NHKホール公演のラストシーン。
撃たれたカヴァラドッシが動かないのに気付いて駆け寄るトスカの、サンタンジェロ城のシーン。鮮やかなブルーの朝の空が印象的だった。

でも、結局、レコード店で手にしたのは、カラスのプレートル盤でした。
レコ芸に、メータ盤の視聴記が出ていて、詳細は覚えていないけれど、ライターは、クレージーキャッツの桜井センリさん。
ローマで迎えた朝露が落ちる美しい光景を書かれていて、とても素敵な文章でした。
そのイメージをずっと抱えつつ、メータ盤を聴いたのはCD時代になってから。

シュトラウスやハルサイなどで、大ヒットを飛ばしていた当時のメータ。
ここでもプッチーニの見事なオーケストレーションの妙を、オーケストラから鮮やかに引き出し、ダイナミックかつ壮麗なサウンドを聴かせてくれる。
オペラティックというよりも、シンフォニックですらあるが、ずっと後年の手際のよさだけが目立つようになったメータの演奏よりも、ずっとずっとイキがよく、鮮度が高いと思う。
 オーケストラがロスフィルで、録音もデッカだったら、と思わなくもないが、まだクレンペラーのいたニュー・フィルハーモニアのクリーンな音色はとても美しく感じる。
桜井センリさんの書かれた、3幕の冒頭の夜明けのシーンと、実際にボーイソプラノを起用した場面はとても爽やかで、その後の劇的な場面との対比がとてもよろしい。

歌手では、分別くさい後年のものより、ずっとずっと熱い男、ドミンゴのカヴァラドッシが素晴らしいし、なによりも、役柄に完璧に同化してしまっているミルンズのスカルピアが素敵すぎる。
バッドガイの概念そのもののスカルピアを、美声でいやらしく歌う。
テ・デウムの壮麗さ、2幕にあるふたつのアリア、ともにわたくしを魅惑してやまないミルンズの歌声です。死に際のうめきもいけてます!

でも、この盤の少々残念なところは、ピーク時を過ぎてしまったプライスの声。
トウがたって、かえってドスが聴き過ぎた歌声は、おっかないトスカとはなっているけれど。

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70年代前半は、巨匠の時代を継ぐ次世代指揮者として、メータ、アバド、小澤が、若手三羽ガラスと呼ばれ、大いに注目を浴びたものです。
当時は、メータが頭ひとつ抜きんでていたと評価されていたように記憶します。
その後の3人の活躍ぶりは、もういうまでもないことですが、いま現在にいたるまで、エネルギッシュに活躍しているのもメータひとり。
 メータとアバドは、ウィーン修行時代のスワロフスキー教授のもとの同門で、仲良しでした。
ふたりは、ワルターやベーム、カラヤンなどの大指揮者の非公開リハーサルに、例えば合唱団として参加して忍び込んで、よくよく観察していたといいいます。
小澤さんもそうですが、若い頃の大胆な行動は、音楽をすることへの熱い思いが衝動となって現れているようで、いまの恵まれた環境にある若手指揮者の時代背景とは大違いで、いずれも伝説級のお話しになってしまいました。

若きメータの「トスカ」でした。

Mita_2

 

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2016年12月23日 (金)

プッチーニ 「トスカ」 テ・デウム

Shinagawa_1

品川の新スポット、品川シーズンテラス。

規模はそんなに大きくないですが、東京タワーを遠くにまっすぐ望む位置に、イルミネーショイン。

ベルを鳴らすと、色が変化します。

Shinagawa_6

色違い。

駅から少し遠いので、人も少なめ。
Tosca_1    

 今日、12月22日は、プッチーニの誕生日。

いまから、158年前です。

プッチーニ大好き。

イタリアオペラでは、ヴェルディも好きだけど、数が多すぎるし、作品にムラがありすぎる。
しかし、偉大なヴェルディ。
 そして、プッチーニは、作品数がそんなに多くないから、そのすべてを把握できたし、そのすべてが好き。

蝶々さんのアリアから、当然のようにして入門し、テレビのディズニーかなにかの放送で、映画版の蝶々さんをみたのが初プッチーニのオペラかも。
しかし、本格的に親しんだのは、1973年のNHKイタリアオペラの公演の放送。

NHKホールのこけら落としの一環で、名歌手たちが大挙して来日して、豪華な舞台を繰りひろげた。
ベルゴンツィ、コソットの「アイーダ」、スコット、クラウス、ギャウロウの「ファウスト」、スコット、カレーラス、ブルスカンティーニの「トラヴィアータ」、そして、カヴァイバンスカ、ラボーの「トスカ」の4演目だ。

そのすべてをテレビとFMで堪能し、その前よりワーグナーに毒されていたワタクシに、イタリアのオペラの素晴らしさを植え付けてくれた。

この「トスカ」と、その年に発売されたカラヤンの「ボエーム」によって、プッチーニ熱に浮かされることとなったわけだ。

さて、名アリアと、緊迫のドラマの宝庫、そして、主要登場人物のすべてが死んでしまうという悲劇に、甘味なるプッチーニの音楽。
すべての音符が、脳裏に沁み込んでいるけれど、とりわけ好きなのが、スカルピアの「テ・デウム」だ。

1幕の最後、悪漢スカルピアは、かねてより思いを寄せていた、歌姫トスカを、計略をもって嫉妬のかたまりへと陥れる。
 まんまと術中にはまったトスカを、紳士然と送りだしたスカルピアは、自身の想いを赤裸々に歌う。
 この教会の大聖堂で演じ、歌われるこの場面は、壮大・壮麗極まりない。

この神聖な場で、邪悪で邪まな思いをぶつけつつ、周りの民衆は、主は偉大なり、神を讃えんと、テ・デウムを高らかに歌う。
やがて、スカルピアも、その祈りに唱和して、十字を切る。

この二面的な思いと、歌を見事に結びつけたプッチーニの天才的な筆の冴え!

「ヤツには死を、そして彼女は俺の腕のなかに。トスカは、俺に神を忘れさせるぞ!」

悪いやっちゃぁ~

とかいいながら、男も女もみんな一緒かも・・・、二面性を仮面をかぶって演じてる。

そんな、悪いヤツ、もしかしたら、嘘つきだけど、正直なナイスガイ、スカルピアは誰の歌が一番好き?

Tosca_calas

カラスのステレオ録音の方のゴッピ
サバータ盤は、モノだし、壮大感がちょっとなので、こちら。
実に、巧みで、トスカの心の隙に入り込む、嫌らしいスカルピアなんだ。
声だけで、千両役者。

あと、好きなのは、ミルンズのスカルピア。
プライス、ドミンゴと共演のメータ盤。
若々しく、スマートな憎々しさ。
西部劇の悪役か、ダーディ・ハリーに出てくるような70年代風のギャングみたいな・・・
そんな声量と美声のたっぷりなミルンズが好き。

そして、いがいにも、F=ディースカウの知的かつ、知能犯的な悪の結社の親玉スカルピア。
理詰めで、トスカとカヴァラドッシを追い詰める。
が、しかし、ブリュンヒルデのようなニルソンのトスカに殺されちゃう。
うまいよFD。

映像系で見ると、目の動きが歌以上にスカルピアしてるライモンディ
威力のある声は圧倒的。
ちょっとクセのあるバスの声だけど、よく練られていて、歌が実に巧み。
これもまた、悪いやっちゃ、とつくづく思う。

それから、最近では映像で見たハンプソン・スカルピア。
マフィアの親玉みたいな、表面、エリートな紳士だけど、実は真黒なダーティ野郎。
そんなスカルピアもすてきだった。

あと、希少なバスティアニーニの超かっちょええ強面スカルピアもある。
海賊盤だけど、テバルディとディ・ステファーノという強力トリオ。
実は、いい人なんじゃないか、悩みさえ抱えて感じるバスティアニーニのスカルピアは面白い。

あとあと、まだまだ、たくさんすきです、スカルピアの存在。

クリスマスにらしからぬ話題となりましたが、主を讃えん、「テ・デウム」ということで、併せて、プッチーニ讃

Shinagawa_8

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2014年11月 3日 (月)

プッチーニ トスカ マゼール指揮

Yokohama_kaikou

横浜の開港記念館。

10月末から、11月の連休にかけて行われた、横浜スマートイルミネーションでのひとこま。

ふだんのライトアップは、暖色系のオレンジのみ。

今回は、パープル系。

横浜三塔のほかのニ塔も、美しく染められてました。

いつもは、再褐ですが、これ。

Kaikoukinenkan

今夜は、横浜の街に似合うと、勝手に思ってる、プッチーニを、変わり種で。

Tosca_maazel


    プッチーニ  「トスカ」 ハイライト ドイツ語版

  トスカ:アニア・シリア      カヴァラドッシ:ジェイムズ・キング
  スカルピア:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
  スポレッタ:ピエロ・デ・パロマ 

   ロリン・マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
                  ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団

                     (1966 @ローマ)


ドイツのオペラハウスでは、かつては、イタリアオペラも、フランスオペラも、ドイツ語で歌い演じることがあり、同様に、イタリアでは、ワーグナーもイタリア語上演したりしていた時代がありました。

いまでは、考えられないことですがね。

日本も同様、70年代までは、日本の劇団によるオペラ上演は、日本語訳で歌っておりました。
わたくしのオペラ体験初期の頃は、みんなそんな感じでした。
オテロも、ファルスタッフも、ヴォツェックも、みんな日本語。
でも、ワーグナーは、独語上演だった。

いまは昔のおはなしです。

そして、60年代を中心に、DGやデッカ、EMIは、独語によるオペラハイライト盤を、多数録音しておりまして、その歌手たちも、ドイツ系が中心で、ふだん、ワーグナーやモーツァルトを歌っているような強力な歌手たちが、ヴェルディやロッシーニ、ドニゼッティなどを軽やかに歌っていて、思わぬ貴重な音源となっているのでした。

マゼールのユニークな「トスカ」は、すでに取り上げました→トスカ

全曲盤は、ニルソン、コレッリ、フィッシャー=ディースカウという、個性の異なる超絶歌手を主役に据えての、ド迫力と、不思議なまでに繊細な演奏でした。

そして、まったく同じときに、FDさまと、名脇役デ・パルマだけが残って、ドイツ語抜粋盤が録音されました。

シリア、キング、FD。

まるで、ワルキューレか、ローエングリン、はたまた、フィデリオでも上演できそうな顔ぶれに、おののいてはいけません。
ドイツ語のゴツゴツ感は、随所に感じ、思わず吹き出しそうな場面(スカルピアの、行けトスカよ・・・は、Geh~になってるし)もありますが、全然OKなドイツ語。

そうそう、わたくし、このブログで、ホルスト・シュタイン盤をとりあげてました→トスカ

武骨な感じで、真っすぐの迫力がありつつ、以外に細やかな歌いぶりのキング。
プッチーニはお得意なはず。
蝶々さん以外にも、アリア集とか録音はあったはずなので、復活して欲しい。

FDさまは、独語になると、その狡猾さと、ずるさが際立ちます。
言葉の一つ一つを、これほどまでに全霊を込めて歌う歌手は、もうなかなかいませんね。

そして、アニア・シリアの以外なまでの少女のようなトスカ。
これ、聴いて、わたくしは、妙なことに、「ルル」を思い起こしてしまった。
可愛い感じでありつつ、シャウトすると、人を殺めてまで、歌と恋に生きる女性の強さを感じさせるのでした。
ニルソンの、怜悧さと、少しの大味ぶりとは、かなり違うトスカ。

そして、安定のマゼールの指揮。
全曲盤と同じく、ちょこちょこと、面白いこと仕掛けてきます。
その劇的なお運びのうまさは、さすがであります。

おもろいトスカ、おわります。

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2014年7月20日 (日)

プッチーニ 「ラ・ロンディーヌ」~つばめ~ マゼール指揮

Maazel_met

オールマイティのマゼールは、オーケストラ・ピットの中でも活躍しました。

ベルリン・ドイツ・オペラとの2度の来日で、トリスタンの日本初演を指揮、さらに70年には、ローエングリンやファルスタッフを指揮してます。
その後の来日は、スカラ座とのものが複数とフェニーチャ座ですね。
ウィーン国立歌劇場は短い在任期間でした。

そして、わたくしの注目するのは、バイロイト音楽祭への少ない登場。
60年に、30歳で「ローエングリン」を指揮して最年少デビュー。
その後は、ベームとスウィトナーのあとの、ヴィーラント演出の「リング」。
68年と69年の2年間。
結局、この3回しかバイロイトには登場してません。

この「マゼールのリング」が聴きたくてしょうがないのです。
「ベームのリング」が、フィリップスの名録音で、あれだけ鮮明な音で残されているのに、マゼールのリングも、バイエルン放送局に眠っていると思われてしょうがないです。
 新潮社のオペラシリーズで、発売されたことがありますが、音がかなりイマイチとのことでしたが、それでもいいから聴きたい。
 ついでに言うと、スウィトナーとシュタインのリングも、音源発掘して欲しい。

Maazel_bayreuth

バイロイトのサイトでも、マゼールの欄に生没年が載るようになりました。

そして、マゼールのオペラを語るうえで、ワーグナーとともに、忘れてならないのは、プッチーニです。
ヴェルディにも、多くの録音を残してますが、マーラーやシュトラウスに適正の高いマゼールの気質からしたら、やはりプッチーニ。

デッカへの60年代「トスカ」に始まり、CBSへの全作品録音計画を推し進めましたが、残念ながら、「エドガー」と「ボエーム」を残して中断してしまいました。
いまもって、プッチーニのオペラ全作を録音で残した指揮者はひとりもいません。
パッパーノが、いまそれに一番近いところにいるでしょうか。

プッチーニの音楽の魅力は、甘味で、耳に心地よい一方、大胆な和声と、さまざなな楽器を駆使した大編成オーケストラサウンドとにあります。
もちろん、そこに乗る、聴き手の心を揺らす、感情豊かな歌があってこそなのですが、何といっても、指揮者の力量が大切。
プッチーニは、マーラーやシュトラウス、新ウィーン楽派たちと同時代人なのですから。

ですから、カラヤン・マゼール・メータが、わたくしの思う三大プッチーニ指揮者なのです。
パッパーノは、かれら3人に比べたら、まだまだ大人しめ。
というか、3人の多少のアクの濃さや、オーケストラを上手く鳴らすことにかけての名人芸には、まだ敵わないと言ったほうがよいのか。

Puccini_la_rodine_maazel

  プッチーニ 「つばめ」~ラ・ロンディーヌ

 マグダ:キリ・テ・カマワ      ルッジェーロ:プラシド・ドミンゴ
 リゼット:マリアナ・ニクレスク  プルニエ:デイヴィット・レンドール
 ランバルド:レオ・ヌッチ      イヴェット:リリアン・ワトソン
 ビアンカ:ジリアン・ナイト     スージー:リンダ・フィニー
 ソプラノ:エリザベス・ゲイル   執事:オリヴァー・ブルーム

     ロリン・マゼール指揮 ロンドン交響楽団
                   アンブロジアン・オペラ・シンガース
                          
           (1981.11.21~6 ヘンリーウッドホール、ロンドン)


1917年、59歳の円熟期のプッチーニの「つばめ」は、前作「西部の娘」、次の「三部作」と最後の「トゥーランドット」の間にあって、とても地味な存在で、上演も稀だし、音源も決して多くはありません。

でも、わたくしは、この愛らしい作品が大好きなのです。

いつもドラマティックな筋立てのプッチーニのオペラの中にあって、人は死んだり、病になったりすることがなく、男女の出会いと切ない別れだけがその物語の中心なので、起伏が少なめで、劇場的な効果もあげにくい・・・・、とされてます。

しかし、その音楽は、聴けば聴くほどに素晴らしく思えてきて、プッチーニらしい、親しみ溢れる、センス満点の旋律の宝庫で、ウィーンのワルツや、それのみ有名な「ドデッタの夢」の甘味なアリア、随所に口づさまれる素敵なメロディ・・・・。
2時間に満たない、3つの幕のなかに、大きなフォルテはないけれど、それらの素晴らしい音楽がたっぷり詰まってます。

このオペラを記事にするのも、これで4回目。

  「アンナ・モッフォ&モリナーリ・プラデッリ」

  「ゲオルギュー&アラーニャ@メト」

  「ガスティア&ジェルメッティ」

 
それらの中で、このマゼール盤が、指揮者とオーケストラの秀逸さでは、群を抜いてます。
イタリアのオケと、メットのオケの、オペラティックな歌心を読んだ背景は、シンフォニーオケは歯がたちませんが、先にあげた、オケの近代的な魅力では、ロンドンの優秀なオーケストラは抜群でありますし、マゼールの緩急自在、ドラマの登場人物の感情の襞に沿うような巧みな指揮ぶりは完璧なものがあります。
 トスカやトゥーランドットでは、その大がかりな表情付けで、何度も聴くことがはばかれますが、この可愛いオペラでは、そんなことがありません。
 キリ・テ・カナワのクリーミーな、柔らかく雰囲気豊かな歌とともに、もう何回も聴いて、飽くことのない演奏です。

ただ、ドミンゴの分別ありすぎの優等生的なルッジェーロ君は、世間知らずのボンボンというよりも、中年の訳知りオジサンのように聴こえてしまうという妙な贅沢もあります。
 むしろ、わたしの好きなレンドールが、狂言回し的な役割を担ってますが、彼の甘い歌声の方が、ルッジェーロにお似合いで、ドミンゴと逆にした方がよかったと思います。

以前の記事から~

>「椿姫」と「ばらの騎士」を混ぜ合わせたようなドラマ。

~銀行家の愛人の女性が、田舎から出てきた青年と真剣な恋に落ちて、リゾート地で暮らすようになった。青年は晴れて母親の許しを得て、結婚に燃えるが、女性は、自分の身の上を恥じ、涙ながらに自ら身を引く~

もといたところに、再び戻ってくるのが「つばめ」。<

別れを決めたマグダが、自分の過去の身の上を切なく話し、ルッジェーロは、涙にくれて別れを拒絶する・・・・、夕暮れのなかの、そんなセンチメンタルな幕切れに、プッチーニの音楽は冷静さを保ちつつも、極めて美しく、聴いていて涙を禁じ得ません。

マゼール追悼シリーズの最後の音楽として、ここで筆を置きたいと存じます。

Maazel_mpo

          (マゼール最後のポスト、ミュンヘンフィルのHP)
 

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2014年5月 1日 (木)

プッチーニ 「わたしのお父さん」 ネトレプコ&アバド

Tsubaki

雨にぬれた、椿の花。

先週のことですが、まだ頑張って、咲いてました。

この花が、ぼとん、と落ちてしまうのも、儚いですな。

「椿姫」を思うのは、オペラ好き、クラシック好きなわけですが、何度も書きますが、そもそも、「椿姫」なんて名前は日本だけ。
そうした方が、通名のようになっているから、いいのだけれども。

原題の「ラ・トラヴィアータ」という意味は、「道を踏み外した女」ということで、まさに、イタイ女、ということになって、日本語にすると、ちょっと議論を呼んでしまうことになる訳で、わたくしは、「椿姫」でなく、その意も不明にさせる語感の良さがある、「トラヴィアータ」と呼ぶようにしてますよ。

イタイ女性が、純なる愛に目覚め、幸福をつかむけれど、しかし、愛するがゆえに、自ら身を引いて、やがて病魔に倒れる・・・・。

そんな儚く、けなげな女性の物語なのだから、「椿姫」でよかったのかもしれないのに、原題が痛々しすぎる・・・。

Netrebko_abbado_1

  プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」~わたしのお父さん

      ラウレッタ:アンナ・ネトレプコ

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                         (2004.2・3 @フェラーラ)


こちらは、イタイ女性じゃなくて、恋人も大好き、お父さんも大好きの可愛い娘。

トラヴィアータのヴィオレッタは、もっと大人で、気配りも豊か、超おバカな義父の説得を配慮して自らが、埃をかぶった。

ジャンニ・スキッキのひとり娘、ラウレッタは、もっと娘々していて、思いきり、お父さんに甘えて、甘えまくって、恋人を公認させてしまう。

もう恋人世代じゃ、とっくになくなったワタクシは、どっちの父親にもなりうる存在であり、立場となりました。

父親は、トラヴィアータのジェルモンにも、ジャンニ・スキッキにも、なりうる、そんな単純な存在なんです。
母親の、絶対性には、父は常になれないものなのですな・・・。

前置き長すぎの、本日のこの愛らしいプッチーニのアリアは、ほんの3分くらいの曲ですが、シンプルでかつ、この短いなかに、思いきり娘の思いが詰まっていて、いつでも泣かせてくれます。

そして、本日のこの演奏は、クラウディオ・アバドが正規に残した、唯一のプッチーニなのです。
パヴァロッティと「トスカ」の一節をライブで演奏した記録がありますし、わたくしもその音源は持ってますが、DGのちゃんとした録音はこれが唯一かもです。(たぶん)

ネトレプコの声は、ちょっとおネイサン入りすぎで、カワユサや、蠱惑感は薄目。
でも生真面目ななかの一図さが、とてもよろしくて、アバドのかっちりした指揮にも合ってます。

アバドが、ヴェルディはさかんに指揮したけれど、プッチーニだけは、指揮しようとしなかった。
インタビュー記事で読んだことがあるエピソードですが、「マノン・レスコー」を指揮する寸前にまでなったことがあると。
 その時は、同時に「ペレアスとメリザンド」が、舞いこんできて、そちらを優先させたとのこと。
ヴェルディは、きっと、イタリア人として血のたぎるところがあったけれど、プッチーニには、マーラーに共感はできても、コスモポリタンとしての、イタリアの魂に火を着けてくれる存在ではなかったのでありましょう。

いいんです、マエストロ・クラウディオ。
ワタクシが、その分、プッチーニが大好きで、そのすべてを聴き倒してますから。
この、「私のお父さん」だけでも、残してくれたことに、感謝です。

娘が、数年のうちに結婚することがあれば、わたくしは、自ら、この演奏を流したいと思います。
きっと、泣いちゃうんだろな。

Abbdo_netrebko_1


過去記事

 「アンナ・ネトレプコ アリア集 アバド指揮」

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