東京都交響楽団演奏会 スラットキン指揮
ふだん、まじまじと見ないサントリーホールのホワイエのシャンデリア。
6630個のオーストリア・クリスタルからできているといいます。
世界を代表するコンサートホールとなったサントリーホール。
平日の昼公演を聴きにいきました。
シンディ・マクティー 弦楽のためのアダージョ(2002)
ウォルトン ヴァイオリン協奏曲
Vn:金川 真弓
ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 op.27
レナード・スラットキン指揮 東京都交響楽団
(2025.1.15 @サントリーホール)
セントルイス響をメジャーオケに鍛え上げた頃のスラットキン、もう45年近くも経過するけれど、その頃から聴いてきた。
よき時代のアメリカの音楽界を象徴するような指揮者。
そのセントルイスやリヨンのオケと日本に来た時に聴き逃し、さらにN響にもよく客演していたけれど、それらも何故か聴くことができず、齢80歳という超ベテランとなったいま、ようやく聴いたスラットキン。
ずっと聴いてきたスラットキンの音楽のそのままの変わらぬ印象に、若々しさと、目の当たりにした棒さばきの完璧さとに感嘆することとなりました。
スラットキンの夫人でもあるマクティーさんの「弦楽のためのアダージョ」。
9.11事件をきっかけとして作曲した交響曲第1番の2楽章にあたるという。
バーバーの同名の作品を思わせもするが、こちらはもっと深刻な悲しみの響きがあり、ペンデレツキのポーランドレクイエムの旋律が引用されている。
当然に初めて聴く曲でしたが、12分の緊張感に満ちた瞬間をまんじりともせずに味わいました。
交響曲の初演者でもあり、デトロイト響とのレコーディングもあるスラットキンの共感にあふれた指揮も見ていて感情のこもったものでした。
ウォルトン(1902~1983)のヴァイオリン協奏曲は、コンサートでは初聴き。
英国音楽好きとしては外せない作品で、エルガー、ディーリアス、モーランと並ぶイギリスのヴァイオリン協奏曲の代表作の一角。
活躍した年代にもかかわらず保守的な作風でありつつ、そこにカッコイイ近未来的なサウンドとクールなサウンドをにじませたその音楽。
金川さんの小柄ながら物怖じひとつないステージでのお姿と、抜群のテクニックに裏付けられた強靭さも感じる音色。
いくつかあるカデンツァでの完璧な技巧と集中力、この曲に必須の哀感あふれる歌い口など、表現の幅が極めて広く、ともかく見事なヴァイオリンでした。
打楽器も多数はいり、とかく派手になりかねないウォルトンの音楽ですが、スラットキンの指揮は抑制されたもので、英国音楽への造詣の深さを感じさせるノーブルでありつつ斬新さもあるその響きでした。
次はウォルトンの交響曲かエルガーが聴きたいです。
メインのラフマニノフ。
スラットキンにとって自家薬籠中の作品。
いまは失ってしまったが、N響への第1回目の88年客演時の名演奏はカセットテープに録ってそれこそテープが伸びるほどに聴いたものです。
同時にセントルイス時代の初期に録音した78年の演奏もCD時代になって即時購入し聴きつくした。
さらにデトロイトでの2009年の再録音ライブもオケと録音の優秀さでもって、かわらぬスラットキンの演奏を楽しんだ。
そして今回、日本を愛してくれたスラットキンの指揮姿に正面でずっと見入ってしまった。
指揮台を取っ払い、暗譜で指揮するスラットキンですが、音楽のすべてと同時にオーケストラを完全に掌握していて、指先や目で奏者たちを見つめ指示し、どんな細かなフレーズでもさっと反応して奏者を見つめたりOKをしたりと、ともかく完璧にすぎる指揮。
80歳の年齢に達したとはとうてい思えないキビキビした動きと反応の速さなのでありました。
もちろん残像に残っているN響ライブでの跳ねるような指揮ぶりは、もう見られませんが、出てくる音楽の若々しさは往年のものとまったく変わらずでした。
のびやかな1楽章は歌謡性に富みますが流れの良さを重視しつつロマンの表出は抑え気味。
交響曲の1楽章という位置を押えた知的な演奏の仕方だったかと。
速めのテンポでスピード感あふれる2楽章は、中間部との対比も鮮やか。
そして3楽章では、連綿とすることなく、むしろスマートに純音楽的に曲は進行し、ピーク時の盛り上がりは、それは見事だったけれど、哀愁あふれるソロ楽器のいくつかも全体のなかのひとコマ的な解釈。
なにもここで感情を爆発させたり、胸かきむしって見せたりする必要が、この楽章ではないこと、交響曲の緩徐楽章のひとつであることを認識させる演奏でした。
優秀な都響の楽員さんたちあってできたスタイルかと思ったりもした。
終楽章はエンディングにむかって熱気が帯びてゆき、最後には高らかにはじけるというライブならでは高揚感を見事に味わうことができました。
ここでもテンポは速めで、スタイリッシュな進行なのですが、これまでの楽章の主題が再現されたりするヶ所の歌わせ方の巧さは、全体を振り返りつつ交響曲の全貌を示すという鮮やかな手法で、それが最後の高みに通じることとなって、ほんとうに、ほんとうに感動した。
思わず、控えめながらのブラボー発しました。
ロシア的なもの、ロマンテックなもの、そうした演奏とは違うスラットキンの知的でスタイリッシュなラフマニノフ。
ウクライナ系ユダヤ人を父に持つ西海岸生まれのスラットキン。
アメリカ人ならではのコスモポリタン的な存在として、開放的で明快な音楽性でありつつも、複雑な音楽性を持っていると思いますね。
近年は作曲家としても活動しており、いくつか聴いたことがありますが、そちらもわかりやすく秀逸な作品でした。
大阪フィルと広響にも今回客演をする予定で、この先も元気で、またの来日を期待したいと思います。
小柄などこにもいるようなオジサンみたいだけど、ひとたび指揮台に立つとオーラがすごい
明るくユーモアたっぷり。
スラットキン&都響さん、とてもとても楽しゅうございました、ありがとう🎵
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