カテゴリー「北欧系音楽」の記事

2020年8月 2日 (日)

麗しき組曲たち

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ようやく梅雨が明け、まぶしい日差しが戻ってきました。

さっそくに、窓外に劇的な夕暮れが展開しました。

長かった、ほんと長かった雨の日々で、首都圏では7月で雨の降らない日は1日しかなかったとか。

気持ちのいい、短めの組曲たちをテキトーにチョイスして聴きましたよ。

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  ドビュッシー 「小組曲」

   ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

        (1973 @パリ)

ブログ初期にも取り上げたこの作品に、この演奏。
アンセルメの音源にしようかと思ったけど、行方不明に。
初期のピアノ連弾作品を、アンリ・ビュッセルが編曲。
「小舟にて」「行列」「メヌエット」「踊り」の4曲は、後年のドビュッシーにはない、若々しさとシンプルながらに、いとおしいくらいの優しさがあります。
ことに「小舟にて」のフルートは、きわめてステキであります。
おフランスのエレガンスさ、そのものにございます。
 この録音の頃は、まだ放送局のオーケストラ名となっていたのちの国立菅。
ラヴェルもパリ管だけでなく、こちらのオーケストラとも録音して欲しかったマルティノンさんでした。

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 ビゼー 小組曲「子供の戯れ」

  ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

       (1972.10 @パリ)

もうひとつ、フランスから、今度はパリ管で。
ドビュッシーの「子供の領分」のカプレ編曲のオーケストラ組曲があるが、子供好きだったビゼーも、ピアノ連弾用に12曲からなる組曲があって、そこから5曲を選んで、自らオーケストレーションをしたのが、この小組曲。
「ラッパと太鼓」「子守歌」「コマ」「かわいい夫とかわいい妻」「子供の舞踏会(ギャロップ)」の5曲。
子供をモティーフした作品らしく、元気ではつらつ、そして夢見るような雰囲気にもあふれた各曲です。
「子守歌」の優しい美しさ、「かわいい夫婦」はとってもロマンティックであります。
「ギャロップ」はもう踊りだしたくなるリズムにあふれた曲で、あのハ調の交響曲の終楽章にも通じる爆発的な明るさもあり!
 若きバレンボイムとパリ管も弾んでます!

Grieg-leppard

     グリーグ 抒情組曲

  レイモンド・レッパード指揮 イギリス室内管弦楽団

       (1975年 @ロンドン)

画像は借り物ですが、やはりこの風景じゃないと、この曲は。
このグリーグの組曲も、元は同名のピアノ作品で66曲もあって、さすがに全部は聴いたことはないけれど、ギレリスやアドニのピアノでかつてよく聴いてた。
グリーグが選んだ4曲は、「羊飼いの少年」「ノルウェーの農民行進曲」「夜曲」「小人の行列」。
この作曲家ほど、北欧の、それもノルウェーの自然風土そのものを感じさせるものはありません。
哀愁と孤独感にあふれた「羊飼いの少年」、一転して、民族調の「農民行進曲」だけど、こちらもどこか寂し気で空気がとても澄んで感じる。
そして、この組曲で一番好きな「夜曲」。
まさに幻想と夢幻の合混じるえもいえない美しき音楽で、レコード時代、ジョージ・ウェルドン指揮のロイヤルフィルの演奏で、この曲を、お休み前の1曲で、聴いてから寝るということが多かった。
NHKの名曲アルバムでも、北欧の街とともにこの曲が紹介されていた。
 この夢から引き戻されるような、ユーモアあふれる「小人の行進」ですが、中間部がまたグリーグならではです。
昨年、92歳で亡くなったレッパードは、チェンバロ奏者でもあり、バロック系の指揮者とのイメージもありましたが、グリーグを得意としてました。
手兵のイギリス室内管とともに、いくつものグリーグ作品を残してくれましたが、いずれもクールさと明晰、繊細な演奏で好きです。
晩年は、アメリカのインディアナポリス響の指揮者も務めていて、廃盤も多いので、この際、見直しをはかりたい指揮者でもあります。

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  シベリウス 「カレリア」組曲

 サー・マルコム・サージェント指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1961年 @ウィーン)

フィンランドの大民族叙事詩「カレワラ」の伝承地が「カレリア」という地で、その地にある大学から英雄伝説を物語にした野外劇の付随音楽の作曲依頼を受けて書かれた作品。
ここから3曲を抜き出した簡潔な組曲がこちら。
「間奏曲」「バラード」「行進曲」の3つで、あまり有名ですな。
基調は、いずれも明るく、屈託なし。
自然の描写そのもだったグリーグに比し、強国ロシアにさいなまれ続けたフィンランドにエールを送るような音楽なのです。
でもフィンランドの厳しい自然も「バラード」では感じさせます。
 サージェントとウィーンフィルという思いもよら組合せが生んだシベリウス。
この録音のあと、ウィーンフィルはマゼールと交響曲を全部録音することになります。
マゼールよりウィーンフィルの魅力がより出ているし、「エン・サガ」などは、シベリウスの神髄が味わえる。

ちなみに、いま「カレリア」地方は、ロシアに編入されて、カレリア共和国として連邦のひとつになってしまってます。
フィンランドの一番東側です。
かつてのソ連も、いまのC国の姿と同じでありますな・・・・

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  コルンゴルト 「ロビンフッドの冒険」組曲

   アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (80年代 @ピッツバーグ)

このCDは、この演奏ではありません。
コージアン&ユタ響の全曲盤でして、イメージのために掲載。
いずれこの1枚も取り上げるかもしれません。

で、プレヴィンのピッツバーグ時代のこの演奏は、ピッツバーグ響の放送アーカイブから録音したもので、プレヴィンはこの作品の正式な録音は残さなかったはずです。
ご存じの通り、アメリカに逃れたコルンゴルトは、ハリウッドで数々の映画のために作曲をし、その数、18作にものぼります。
「ロビンフッド」は、1938年の作品で、この音楽でコルンゴルトは自身2度目のアカデミー作曲賞を受賞。
この映画音楽から4つの場面を抜き出したのがこちらの組曲で、「古きよきイングランド」「ロビンフッドと彼の楽しい仲間たち」「愛の場面」「闘い、勝利とエピローグ」の4曲。
血沸き、肉躍る、までとは言えないまでも、スクリーンを脳裏に浮かべることができるほどに写実的で、まさに活劇の音楽でもあります。
20年前にウィーンで書いた「スルスム・コルダ」というオーケストラ作品から転用されていて、登場人物たちはライトモティーフで描きわけられているので、非常にわかりやすい。
その「スルスム・コルダ」とは、「心を高く」というような意味合いで、キリスト教初期の典礼句のひとつ「主を見上げ、心を高く」というところから来ております。
まさに、ロビンフッドという勇敢な、ある意味ヒーローに相応しい意味あいをもたらす点で、ここに転用したのかもしれません。
あと、「愛の場面」では、濃厚ロマンティックなコルンゴルトサウンドが満喫できます~

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 ピッツバーグ時代のプレヴィン。
当地の放送局には、プレヴィンやヤンソンス、マゼールらの放送音源がたくさんあるはずなので、なんとかなりませんかねぇ。

Teachers

夏来りて、気分よろしく、スコッチウイスキーをちょびっと。

でも盆明けには秋来ちゃうかも。
失われた7月の夏は大きい。

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2018年11月14日 (水)

アルヴェーン 交響曲第4番「海辺の岩礁から」 ヴェステルベリイ

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お台場の夕暮れ。

ある日、芝浦サイドから、歩いてレインボーブリッジを走破し、人工の砂浜ですが、静かに波が押し寄せる浜に映る、美しい夕焼けを堪能しました。

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   アルヴェーン 交響曲第4番 ハ短調 OP.39
             「海辺の岩礁から」


       S:エリザベト・セーデルストレーム

       T:イェスタ・ヴィンベ

スティグ・ヴェステルベイ指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

               (1979.2.20 ストックホルム)


スウェーデンの作曲家、ヒューゴ・アルヴェーン(1872~1960)は、後期ロマン派と民族楽派風なタッチとが織り合った作風で、主に管弦楽作品を中心に残した人。
1960年没というと、なんだかそんなに昔の人に感じないけれど、この時代の方としては、長命だったわけです。

5曲ある交響曲を、全部聴いてはみたが、やはり、自分的には、この4番が圧倒的に素晴らしく、このブログでも今回が4度目の登場なんです。
 というのも、大野&都響で、今年、聴いてきたツェムリンスキーの作品と、自分では姉妹的存在に思っていて、その締めくくりに、ぜひにも、あらためてじっくり聴いておきたかったのだ。
そう、ツェムリンスキーの「人魚姫」に「抒情交響曲」の姉妹です。

前者はまさに、海と人魚姫の伝説の物語、そして後者は、男女の愛と別離の物語。
そして、アルヴェーンの交響曲は、岩礁の岩場、まさに、北欧の海を背景にした男女の愛とその破綻。

その作曲年は、「人魚姫」が、1903年。
アルヴェーンの「岩礁」が、1919年で、「抒情交響曲」は、1923年となります。
ちなみに、シェーンベルクの「グレの歌」は、それらの狭間の1911年。
第一次世界大戦をはさむ、これらの年代。
ヨーロッパは、そのときどうだったのか・・・

こんな風に、同じ香りを持った作品を、世の出来事で対比して、見てみると面白いものです。

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アルヴェーンは、北欧の自然・風物を愛し、小島にサマー・ハウスを持って、そこで作曲に勤しんだらしい。
岩礁の多い海辺には、小舟を出し、そこで思索に耽り、この作品も構想された。

連続する単一楽章の作品だが、そこに込められた男女の愛の様相は、4つの場面にわけられ、まさにそれが、シンフォニーともいえる。
 ピアノとチェレスタ、ハープも含む大規模な編成で、このあたりも、ツェムリンスキーを思わせます。
 しかし、ユニークなのは、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」のように、男女のソロが声楽パートして起用されるが、彼と彼女には、すなわち、テノールとソプラノには、言葉はなく、ヴォカリーズなのであります。
 「アァ~~」とか「はぁ~ん」とかでして、これがかえって悩ましく官能的。
初演時は、反道徳的とされ、それゆえに、当時、「シンフォニア・エロティカ」なんて呼ばれてしまった。
この時代の作品を聴きなれた、今のわれわれにとっては、エロティカでもなんでもなく、むしろ、作曲者がねらった、男女のソロが、まるでオーケストラの一員のような存在として、交響曲のひとつとして、ちゃんと聴くことができるのだ。

「この交響曲は二人の人間の愛の物語と関係があり、象徴的なその背景は外海へ転々と広がる岩礁で、海と島は闇と嵐の中で、互いに戦いあっている。また月明かりの中や陽光の元でも。その自然の姿は人間の心への啓示である。」

 記事のたびに載せるアルヴェーン自身の言葉。

①若い男の燃える、さいなまれるような欲求

②若い女の、穏やかで夢見るような憧れ~月明りに照らされた大きな波のうねり

③太陽が昇り、ふたりの最初で、しかも最後の幸福な一日

④強風によって揺さぶられ、悲劇的な週末が訪れる~幸福は破滅する


こんな4つの物語が、それぞれの楽章になってます。

なんど聴いても陶然としてしまう、この曲が大好きなわたくし。

レコード時代の終わりごろ、まだ健在だった、そして、クラシック好きの聖地だった、秋葉原の石丸電気で見つけたレコード。
聴いたこともない曲に、作曲者。
ジャケットのステキさもあって、何気なく購入し、そして帰って聴いてみたら、ずばり直球で大好きなサウンドだった。 
 前にも書いたかもしれないが、シェーンベルクやウェーベルンに始まり、ベルク、そして遡ってマーラーに行き着いた頃。

スウェーデン人だけの本場の演奏。
クールでクリスタルな声、セーデルストレームに、その後、ワーグナー歌手に成長するヴィンベイのこの当時はリリックな美声。
 そしてヴェステルベイの心のこもった、そしてよく旋律をうたわせた素晴らしい指揮に、ストックホルムの澄んだ音色のオーケストラ。
申し分ない演奏であります。
数年前に、スウェーデンプレスのCDを入手に、宝のようにしてます。

これを含めて、4種の音源をもってますが、あらためて、同じストックホルムのオーケストラを指揮した、N・ヤルヴィのものを聴いてみたら、てきぱきと曲が進捗し、角が取れすぎて濃密さも少なく感じた。
逆にスヴェトラーノフは、いい雰囲気だけれど、音楽の言語がロシアにすぎる感が。
で、以外といいのがウィレンとアイスランド響のクールさでした。

秋に聴く北欧の大人の音楽。

 高負担高福祉国家のスウェーデンは、 「IKEA」とか「H&M」の発祥の国でもあって、「北欧の顔」的な憧れの国ですが、移民政策にも寛容で、しかし、いまやその移民問題で治安も含め大変なことになっている。

海外のオーケストラ、ことにアメリカなどは、映像などで、そのメンバーを見るとあらゆる国のメンバーが中華系を中心に構成されている。
ナショナリズムを説くような信条は、まっぴら持ち合わせていないが、世界のオーケストラが巧くなり、そして音もグローバル化していく流れに不安を感じます。

スウェーデン産の音楽と演奏を聴いて、思うこと、これあり。

 「ウィレン&アイスランド響」

 「N・ヤルヴィ&エーテボリ響」

 「スヴェトラーノフ&ロシア国立響」

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お台場の対岸、芝浦から。
正面は、豊洲市場。
船の左手は、建設中のオリンピックの選手村。

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2017年4月22日 (土)

読売日本交響楽団名曲シリーズ サッシャ・ゲッツェル指揮

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   読売日本交響楽団 第601回 名曲シリー

 ウェーバー     歌劇「魔弾の射手」序曲

 グリーグ       ピアノ協奏曲 イ短調

 ショパン      ノクターン第20番 嬰ハ短調~アンコール

        Pf:ユリアンナ・アヴデーエワ

 ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

   サッシャ・ゲッツェル指揮 読売日本交響楽団

                (2017.4.21 @東京芸術劇場)


半年ぶり以上の、オーケストラコンサート。
そう、このようにして、徐々に、以前のようにはなりませぬが、音楽生活へ復帰中のさまよえるクラヲタなのでした。

なんたって、聴きたかったゲッツェルさん。

神奈川フィルの首席客演指揮者として3年の任期を、先シーズン終了し、最後の年は、わたくしがお休みをしてしまったので聴けなかったものの、めくるめくコルンゴルトや、ブルックナー、ベートーヴェンなどで、魅惑され尽くした指揮者。

日本が大好きになってくれた。
こうして、神奈川フィル以外にも客演してくれるようになり、ゲッツェルさんの素晴らしさを多くの方に知っていただきたい。
 ボルサン・イスタンブールフィルの芸術監督として、さらに、最近は、ウィーン国立歌劇場の常連として多忙になりつつあり、日本でのポストは当面難しいでしょう。
こうして、単発でも、客演してくれるのがうれしい。
 11月は、紀尾井ホール、来年1月はN響にも登場するみたい!

さて、独・北欧・中東欧のロマン派音楽を集めたプログラム。
アンコールにも、その流れはしっかり通っていて、それぞれのお国・民族テイストも感じさせる演目なところがいい配分。
 そして、序曲→コンチェルト→交響曲、というコンサートの王道も、ここにはあります。

ゲッツェルさん、お得意のオペラの序曲からスタート。
お互いに、まだ暖まりきれない感じのなか、柔らかな響きを意識しつつ、音楽はとてもしなやかだった。
カルロス・クライバーなみに、キビキビ行くかと思ったら、ゆったりめに、大きく歌わせることに傾注。
「魔弾の射手」じゃなくて、「オベロン」の方が、ゲッツェルさんにはよかったかも・・・。

2010年、ショパン・コンクールの覇者アヴデーエワさん。
遠目にも、なかなかの美人さんです。
そして、その華奢なお姿にも係わらず、音のダイナミックレンジは広く、音色は豊かでした。
ことに、弱音の美しさ。
オーケストラも充分に押さえつつ、彼女のキレイなピアニシモの背景を紡ぎだしていたのが、第2楽章。
この楽章が、自分的にはこの演奏の白眉だった。
北欧の抒情が、巨大なホールのなかに浮き立つような、そんなクリアかつ清らかなピアノ。
1楽章も3楽章も、静かな部分が好きだし、そこがまた、彼女のピアノと、抑制されたゲッツェルさん指揮するオーケストラのステキなところだった。

 アンコールも、息をのむほどに、美しく切ないショパンでしたね。
メランコリーの極みだけど、ベタつかず、明晰です。
オケの片隅に座って聴き入るゲッツェルさんのお姿もナイスですよ。
 
 さて後半のドヴォルザーク。
この渋いけれど、メロディメーカーとしてのドヴォルザークならではの、懐かしい豊富な旋律がこぼれだすように、ホールにあふれるさまが、眼前に繰り広げられ、魅惑されっぱなしの40分だった。

読響のダイナミックなサウンドも、芸術劇場の巨大な空間をたっぷり満たしているのがよくわかる。
ゲッツェルさんの指揮は、そんなオーケストラの能力を自発的に解放してしまう、そんな魅力を秘めている。
神奈川フィルでは、オケの力を100%引き出し、神奈フィルならではの美音のフルコースを展開して見せた。

以前は、跳躍すら見せていた躍動的なゲッツェルさんの指揮だけど、華麗でキレのよい動きはそのままに、より内面に切り込むような、より表情の豊かな指揮ぶりになってきたように思う。
そう、この曲でも、私は第2楽章の美しさと、歌謡性に息を飲みました。
牧歌的なボヘミアの森が、新緑のウィーンの森になったと思わせるような、まろやかさと、すがすがしさと、愛らしい歌の歌わせ方。

 こうして4つの楽章が、しっかりとした構成感を感じさせるようにカッチリ演奏され、さらに3楽章から、終楽章へは、アタッカで休みなく突入して、より劇性を強める効果を生んでいて、この渋い交響曲を隈どり豊かに聴かせる工夫もなされてました。

読響との初顔合わせ、メンバーのなかには、神奈川フィルからのお顔もちらほら。
もちろん、元神奈川フィルのお方も。

明後日には、かつてのゲッツェルさんのホームグランド、みなとみらいホールで、同じプログラムが。
その日の方が、きっと、もっと素晴らしくなることでしょう。

終演後は、神奈川フィル応援メンバーの数人と久しぶりにお会いし、あとは喧騒の池袋の街へ。
しかし、金曜の夜はどこも満杯で、放浪のあげく、ホールの真横でメキシカンしました。
ヨーロッパしたかったけど、メキシカンって(笑)

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しかし、アボガド率高いな。
チーズフライにも入ってるし。

あ、あと、美人さんのアヴデーエワさんのHPで、ショパンの24の前奏曲全曲の映像が観れますよ。

http://www.avdeevapiano.com/index.php/videos.html
それと、SNS大好きなゲッツェルさんのHP

http://www.saschagoetzel.com/

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2017年2月 4日 (土)

シベリウス 交響詩「タピオラ」 ハンニカイネン指揮

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最近行ってないので、過去の北海道ネタから。

本州では桜が咲いている頃、道内・美瑛あたり、雪が溶け始め、湖水の氷もなくなり始めた。

日本は南北に広い。

昨日あたり、南と北で、50℃も気温が違ったという。

 ここは、美瑛近郊の貯水湖で、車のなかからぱしゃりと撮影したもの。

寒くて、外には出られませんでしたよ。

今回も冬っぽい音楽を。

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      シベリウス 交響詩「タピオラ」 op112

     タウノ・ハンニカイネン指揮 ロンドン交響楽団

                       (1958 @ロンドン)

シベリウス、ほぼ最後の頃の作品。
1925年62歳で、「タピオラ」を仕上げたあと、1930年の最後の作品までは、楚々としたピアノ作品や、小品しか残さず、以来27年間、悠々たる隠遁生活を送った。

そんなシベリウスに、晩年の作品、とレッテルを貼るのはおかしなことだが、でも、そうとでもいいたくなるほどに、行き着いた到達境と、くみとり、尽しがたい味わいと内面の深さを感じることができる。
1年前に書かれた交響曲第7番の、究極の交響曲とも呼べそうな濃縮された音楽の在り方にも、相通じるかもしれない。

フィンランドの大叙事詩「カレワラ」は、シベリウスの音楽のひとつの源泉ともいえるが、この「タピオラ」もそう。

「カレワラ」に出てくる、森の神「タピオ」の領土が「タピオラ」。
ここに、タピオの物語が描かれるわけではなく、シベリウスが愛した、フィンランドの国土を代表とする風物、森をイメージしているわけです。

われわれが、フィンランドに対していだくのは、「森と湖の国」。

まさに、それを感じさせてくれる、神秘的で、かつクールな、ブルー系の音楽なのだ。
ちょっと晦渋な雰囲気も持ち合わせているけれど、何度も、噛みしめるように聴くと、す~っと、北欧の景色が脳裏に浮かんでくるようになる。

何度も繰り返される「森の主題」に、木管で繰り返される「タピオの主題」。
この、ともに寂しい感じの主題が絡み合いながら進行し、最後には、浄化されたような平和な和音にて曲を閉じる。

このあとに、大きな作品を残さなかったのも、このエンディングを聴くとわかるような気がする・・・・。

今日聴いたのは、前世紀末に生まれ、1968年に没したフィンランドの指揮者ハンニカイネンのもの。
少年時代に、日本コロンビアから続々と発売されたダイアモンド1000シリーズのなかの1枚で、そのいかにも北欧の孤独を感じさせる秀逸なジャケットが気になり、店頭で何度も手に取ったけれど、ついぞ買うことのなかった1枚。
 長じて、コンサートホールソサエティからCD化されたものを入手したのは、CD時代になって間もなくだった。

録音は決して、パッとしないけれど、カップリングのヴァイオリン協奏曲とともに、さりがねいなかにも、シベリウスの音楽の語法をしっかりと語りつくしているようなスルメのような演奏で、とても味わい深い。
ロンドン響を使いながらも、すこし褪せた録音が、また鄙びた雰囲気を醸し出していて、ローカル感もあるところもいい。

フィンランド政府の観光局のサイトを見ていたら、シベリウスの旅がしたくなりましたよ。

こちら→http://www.visitfinland.com/ja/kiji/sibelius-no-finland/

 

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2016年12月17日 (土)

グリーグ ペール・ギュント組曲 レッパード指揮

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ここ数年、お馴染みの東京中央郵便局、いまや、KITTEの冬の風物詩、大きな四季のツリーが今年も出現。

針葉樹は、いかにも北国を思わせる。

日本では、長野県以北。

音楽の授業で知り合う曲、「ペール・ギュント」。
全曲盤よりは、自分的には、組曲。
しかも、こちらは、室内オーケストラで綿密かつ、爽やかに演奏してる音盤。

わが大学生時代に発売されたレコード。

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グリーグ 組曲「ペール・ギュント」

  レイモンド・レッパード指揮 イギリス室内管弦楽団

                    (1975.11@ロンドン)

 

今持つCDは、2CD組のダブルシリーズで、味もそっけもないジャケットだけど、この初出レコードは、いかにもノルウェーの自然とグリーグの音楽を思わせるフィヨルドの写真で、ともかく好きだった。

ミドルサイズの室内オケで聴く「ペール・ギュント」は、ともかく新鮮で、清潔感と清涼感にあふれてる。
学究肌のレッパードは、バロックや古典派の指揮者とのイメージがあったが、70年代半ばに、グリーグの作品を集中して取上げていて、そのいずれもが、素晴らしい演奏だった。

イギリスには、指揮者もオーケストラも、元来より北欧の作曲家の演奏の伝統が確立されていて、レッパードもそんなひとりだ。
北欧情緒をにじませた演奏というよりは、抒情を大切に、しっかりと旋律線を浮かびあがらせ、大オーケストラでは埋没しがちな楽器が聴こえてきたり、暴力的なフォルテも威圧感なく、ともかく緻密で、かつ優しいタッチのグリーグ。

こんなしなやかで、美しいペール・ギュントを聴いちゃうと、この戯作のもつ荒唐無稽でダイナミックな物語の背景がウソのように感じられる。
そこがすなわち、このレッパードの演奏の特徴で、グリーグの音楽の抒情と純音楽性があふれ出てくるのでありました。

「朝」は、それこそ爽やかさの境地であり、日曜の明るい朝のムード。
「オーゼの死」のレクイエムのような静寂さと、続く「アニトラの踊り」の羽毛のような軽やかさ。
あと、なんといっても、じっくりと、しみいるような「ソルヴェーグの歌」は坦々としたなかに、巧みに緩急もつけて歌いあげた名品だと思う。

かつてレコーディングも多く、大活躍だったイギリス室内管は、最近、あまり名前を聴かなくなった気がするが、いまは、ツァハリスがその指揮台にしばしば立っている様子。
バレンボイム、レッパード、テイトあたりの時代が全盛期なのかな?
そう、レッパードとのブランデンブルク協奏曲が復活しないかしら。
ガルシア、マンロウ、ブラックなど、当時、ロンドンで活躍した錚々たるメンバーがソリストなんです。

とりとめのない記事になりましたが、この音盤、録音もなかなかに素晴らしい。

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2015年5月18日 (月)

神奈川フィルハーモニー第309回定期演奏会  小泉和裕指揮

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16日、土曜のみなとみらいは、曇天でしたが、湿度が高くて、ちょっとむしました。

広場では、横浜出身の音楽ユニット、「コアラモード」が歌ってまして、握手会にたくさんの行列が。
前にも、彼女たちをここで見ましたが、人気も出てきて、人も集まるようになってきましたね。
彼らの曲は、「七色シンフォニー」という可愛い曲で、とても音楽的ですよ。

 さて、この日は、神奈川フィルの定期。

北欧の協奏曲とシンフォニーを聴きます。

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   シベリウス   ヴァイオリン協奏曲  ニ短調

             Vn:米元 響子

   ニールセン   交響曲第4番 「不滅」

      小泉 和裕 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.5.16 @みなとみらいホール)


ともに、今年生誕150年を迎える北欧のふたりの作曲家、フィンランドのシベリウスと、デンマークのニールセン。
その代表作を同時に味わえる、魅力的なコンサートでした。
ナイスプログラミングですね。

そして、両曲ともに、曲の真髄を堪能することのできた名演だった。

2007年のシュナイトさんとのブラームス以来の、米元さん。
彼女の、決してぶれることのない、強い意志に貫かれたヴァイオリンのひとつひとつの音色が、実に素晴らしい。
強い音から、繊細な弱音まで、音の幅の表出力が鮮やかで、どれひとつとして気持ちのこもっていない音はないように聴きました。

とりわけ、2楽章は、深々(しんしん)として、胸に迫ってくる感動を届けてくれました。
この協奏曲で、一番好きなのは、この楽章なのですが、オーケストラのクールな情熱のパレットを背景に、米元さんのヴァイオリンがしっとりと、そして、だんだんと熱くなってホールに響いてゆくのを、耳をそばだてて聴きました。
そして、不覚にも、涙ぐんでしまいました。
 この楽章で、応援メンバーの仲間Aさんも、ハンカチで涙をぬぐう姿を、わたくしは見逃しませんでしたよ!

この協奏曲では、小泉さんは、譜面を置かず、暗譜で指揮しました。
編成は、さほど大きくはありませんが、オーケストラは、いろんな仕掛けがあったり、リズムが難しかったり、そして大いに幻想的なものですから、以外と難しい曲なのです。
ソロもオーケストラも、小泉さんの指揮は、きっと安心できるものだったでしょうね。

いつも思うけれど、小泉さんは、指揮中、日本の足を絶対に動かさない。
しっかり地に足が着いてます。
そして、米元さんも、しっかり、動くことなく、きれいな立ち姿での演奏でした。

 後半は、ニールセン。
この曲を実演で聴くのは初めてかも。
CDでは、ラトルやベルグルンドが刷り込み。

オーケストラの編成は、ぐっと大きくなり、ティンパニが左右に別れて、二人の奏者が構える。
爆発的な出だしから、神奈川フィルのきらめくサウンドは全開で、次いで出てくる牧歌的な、いかにも北欧らしい場面も、このオーケストラならではの繊細さと優しい音色がぴたりときます。
 ニールセンの6つの交響曲は、それぞれに個性的で面白いけれど、どの曲にも通じるとっつきの悪さ。
晦渋さをも備えもった作品たちなのです。
4つの連続した楽章は、思えば至極古典的な構成で、最後の輝かしい集結に向かって、悲劇色や、緊張、そして柔和さも併せ持つ場面が続出します。

それらの流れを、小泉さんは、しっかりと把握したうえで、オーケストラを統率していた感があり、聴いていて、その流れがとてもよく理解できました。
 CDで聴くと、最後の最後ばかりに耳を奪われてしまい、それまでの経緯や過程が、どっかへいってしまうのですが、この日の演奏は、眼前で展開されるお馴染みのオーケストラの演奏ぶりと、安定の小泉さんの指揮により、曲全体を俯瞰するようにして、詳細な場面の積み上げを楽しむことができました。

深刻な3楽章には深いものを感じ、またバルトークのような響きとも思いました。
戦乱の不安も描かれたこの楽章。
さらに、のちのショスタコーヴィチをも思い起こしました。
その不安を一掃してしまう、ティンパニ協奏曲のような終楽章は、少し眠りに入りそうな観客の方々をも覚醒させる強烈なもの。
神戸さんの鮮やかさは、いつもの通り言うにおよばす、今回は、広響からの岡部さんの来演で、ふたりが張り合うかのような、すさまじいティンパニの殴打を聴かせてくれました。
これには、ホールは湧きましたね。
間髪いれずのブラボーは、フライングぎみでしたが、その思いも分からなくなありません。
 指揮者もオーケストラも、目いっぱいの熱演・秀演でした。

抜けるように美しい響きの神奈川フィルは、北欧音楽にも適性がばっちり。
ニールセンのほかの作品や、シベリウスの全作を、今後も取り上げて欲しいです。

6月は、フランスものと、オール・プッチーニ。
楽しみが止まりません。

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2015年4月 7日 (火)

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 タスミン・リトル

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曇り空の神田川。

飯田橋駅からの眺め。

吉祥寺あたりから、隅田川までを、ところにより細くなりながら流れる神田川は、かつては、江戸城の外堀の一角であったとか。

秋葉原あたりまで行くと、桜の花びらで、流れは埋め尽くされますね。

河川管理の皆さまは、きっとたいへんでしょうが、毎春、こうして、ほのかにピンクに染まる水辺を愛でる喜びは、筆舌に尽くしがたいです。
 うす曇のこの日も、ボートに乗る方が長蛇の列をつくってました。

先週末から、関東は、寒の戻りと、菜種梅雨がやってきて、うららかな春は、ちょっと隠れてしまいました。
 ですが、おかげで、桜もがんばり中。

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  シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

       Vn:タスミン・リトル

  ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1991.9@リヴァプール)


元来、イギリスは、シベリウスを得意にする土壌があり、歴代の英国指揮者は、コリンズに始まり、みなさん、交響曲の演奏を、主なるレパートリーにしてきました。
 フィンランドよりは、南に位置しますが、それでも、連合国の最北端と、フィンランド最南端とは、ほぼ同じような緯度にあります。

島と泉に囲まれた神秘の国がフィンランド。
英国も広義にみれば、同じようなことがいえて、まして大陸でなく、孤高な島国で、かつ、いろいろな伝説もある。

気質的な符合も、こうしてあるのかもしれません。

わが国も、独自文化を築いた意味で同様ですし、シベリウスの音楽を、その北国的な自然の描写と合わせて、ごく普通に受け付けられるDNAを持っているような気がします。

 さて、今宵は、純英国産のシベリウス。

ロンドン生まれのヴァイオリニストと指揮者に、リヴァプールのオーケストラ。

シベリウスの協奏曲の演奏で、このところ、一番好きな演奏です。

タスミンこと、タスミン・リトルは、もうベテランですが、彼女が、若い頃から、そのディーリアスの演奏でもって、親しく聴いてきました。
若いころから、いまに至るまで、自国の作品を啓蒙とともに、素晴らしい感度の高さでもって演奏し続けて、かつ録音もたくさん残してきていただいてます。
 英国音楽好きにとって、タスミンの存在は、本当にありがたく、後光が射しているかのような彼女なのです。

英国以外は、EMIに、かなりの録音をしてます。

彼女のヴァイオリンは、快活かつ明るく、屈託がありません。
メニューンに師事した彼女ですが、技能的な部分と、その精神性を受け継ぎつつも、ロンドンっ子らしい、明るさでもって、誰が聴いても嫌味ない、素直な音楽造りが、そこに加わって、いつも、とても素敵なのです。

このシベリウスも、深刻さはなく、清涼かつ、わたくしには、暖かさすら感じ、そして、英国風の生真面目な情熱を感じる演奏に思えるのです。

タスミンのヴァイオリンには、民俗臭や、熱い思いは、あまり感じさせません。
その点で、名演と称されるチョン・キョンファのものと、同じ女性ヴァイオリンでも、まったく違います。
過度な主張はなくとも、タスミンの演奏は、明るい一方、淡々と、シベリウスのお国への思いや、その自然への讃歌を、充分に感じさせてくれます。

 そんな彼女のソロを、しっかり支えるハンドレーさんの指揮も、出すぎず、隠れもせずの、中庸の態勢ながら、ときに克明なサウンドでもって、おっ、と言わせてくれたりもします。
ハンドレーのシベリウスの交響曲、聴いてみたかったですね。
2008年に、惜しくも亡くなってしまいました。
何度もなんども、書きましたが、B・トムソン、V・ハンドレー、R・ヒコックスの3人の指揮者の喪失は、イギリス音楽界の最大の損失であります。

そんなこんなを思いつつ、今年生誕150年のシベリウス、1903年、38歳の作。
北欧に思いを馳せることのできる、幻想的かつ現実的な、ヴァイオリン協奏曲の傑作を聴きました。

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2015年3月 8日 (日)

神奈川フィルハーモニー第307回定期演奏会  広上淳一 指揮

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ランドマークに、一足はやく、「春」やってきました。

河津桜咲いてました。

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この日は、朝から、真冬のような寒さで、しかも、冷たい小雨も舞う曇天。

冷たい曇り空と、春先の桜。

 さぁ、これから聴く、珠玉の北欧音楽の数々に、どこか、ぴたりと符合していて、ホールに向かう足取りも軽くなりました。

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  ラーション       田園組曲

  ステンハンマル   2つの感傷的なロマンス

  シベリウス      ヴァイオリンと弦楽のための組曲 Op117

           ヴァイオリン:小林 美樹

               交響詩「タピオラ」 Op112

  グリーグ       「ペール・ギュント」第1組曲、第2組曲

  菅野 祐悟      大河ドラマ「軍師官兵衛」より「天才官兵衛」~アンコール

    広上 淳一 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.3.7 @みなとみらいホール)


ごらんのとおりの北欧音楽ばかりを集めた素敵なプログラム。

神奈川フィル、今シーズン最後の演奏会を指揮するのは、スウェーデンのノールショピング交響楽団の指揮者もかつてつとめた広上さん。

後半は、なじみのある「タピオラ」と「ペール・ギュント」で、前半は、クラヲタである、わたくしですら音源も所有したことない、初聴きの3曲。

でも、それら3つが絶品の曲であり、演奏でした。

 ①スウェーデンのラーション(1908~1986)。
序曲・ロマンス・スケルツォの3つからなる「田園組曲」は、まさに、わたくしたちが思う、すっきりとした透明感あふれる抒情あふれる北欧音楽のイメージそのまま。
静かに始まり、すぐさま快活な曲調になる序曲からして、オケはエンジンがすぐにかかり、明快な響きを引き出す広上さんのもと、のりのりでした。
 次ぐ、ロマンスの美しいこと。
かなフィルの弦楽の魅力を、コンサート開始すぐさま堪能することになります。
いつまでも浸っていたかった、そんな優しい音楽に演奏でしたね。
 フルートが小鳥たちのさえずりのような、合いの手を入れ、とても楽しい、うきうきするようなスケルツォ。
指揮者の楽しい動きを見てると、こちらも、にこにこしてしまう、そんな曲。

 ②こちらもスウェーデンのステンハンマル(1871~1927)
その歌曲を、フォン・オッターの歌でよく聴くステンハンマル。交響作品もいいですが、歌がお得意のこの作曲家らしく、まるで、愛らしいオペラアリアのような、ヴァイオリンソロのために作品です。
若い小林美樹さんの、柔軟でかつ、伸びやかなヴァイオリンにも魅惑されます。
 春の野辺に座って、去りし冬を思うような曲調の第1曲目。
艶のあるヴァイオリンです。
 哀愁溢れるメロディが、メンデルスゾーンのようにソロにもオケにも充満していた第2曲目は、どこか古典的な佇まいを感じ、とても麗しかったですね。

 ③おなじみ、フィンランドのシベリウス(1865~1957)の「ヴァイオリンと弦楽のための組曲」は、その作品番号のとおりに、作曲活動を緩めてしまう時期の直前のころ、すなわち、最後期の曲。
発表すらされなかったこの曲の初演は、1990年。
 さすがに、聴き親しんだシベリウスサウンドが、短い曲ですが、随所にあふれていて、安心感と、小品の名手であるこの作曲家の腕前に感心しました。
 3つの部分が、それぞれにまったく異なる顔を持ってます。
「田園風景」「春の宵」「夏に」のタイトルどおりの曲調で、いずれも、優しく、平易で、メロディアスでした。
美樹さんの、たおやかなヴァイオリンは、この曲でもぴたりとはまります。
とりわけ、もうじき訪れるであろう、春の宵のぬくもりと、甘い花の香りを感じさせる美しい2曲目は、とても、弦楽もソロもともに魅力的。
さらに、弦楽のピチカートにのって、細やかかつ、技巧的な名技性を発揮した3曲目も楽しく、盛り上がりました!

 以上の、前半、桂曲を聴けた喜びに、ホールの聴衆もほっこりいたしました。

 後半は、厳しい北欧の一面をみせつけるシャープな交響詩「タピオラ」。
この曲を、コンサートで聴くのは、もしかしたら初です。
音源の、かっこいい聴かせ上手のカラヤンや、ヤルヴィで聴く北欧系クールかつ熱い演奏
とも、この日のものは、あたりまえですが、異なりました。

 神奈川フィルならではの、華奢だけれど、美しい響き。
少し薄めだけど、スリムな音色が、徐々にホールを満たしてゆく、みなとみらいホールならではの体感。
けぶるような、深い森と湖の光景というよりは、われわれ神奈川県人の思う、神奈川県の海と山の自然と、横浜の街を思いたくなるような、そんなシベリウス。
都会的であり、ローカルでもあるシベリウスを堪能しました。
 どのセクションも、どの楽器も、みんなよく聴こえます。

広上さんの、愉快な(?)指揮姿と、出てくる音楽の齟齬は、面白いものでしたが、神奈フィルのシベリウスは、今年アニヴァーサリーを迎え、交響曲や協奏曲も控えてますので、大いに楽しみです。

 ⑤最後は、ノルウェーのグリーグ(1843~1907)の名曲「ペール・ギュント」。
どこをとっても、みなさん、お馴染みのメロディーやフレーズが満載。
でも、恥ずかしながら、ライブでは、初ペール・ギュント。
山田さんの秀麗なフルートに始まり、小山さんの暖かなオーボエに受け渡される「朝」を聴いて、おじさんのワタクシ、一挙に中学時代の音楽室の一隅にワープ体験しました。
そんな風に、楽しんだ35分間。
思えば、神奈川フィルも、この曲は、学校訪問のときの定番。
味わい深さも、きっと、進化させてますね。
 「オーゼの死」や「ソルヴェイグの歌」では、思わずゾクゾクして、心が震えてしまいました。
名曲・名演とは、このことを言うのですね。
広上さんの、熱のこもった指揮姿は、それは楽員さんを奮い立たせるものでもありましたが、やはり、面白い(笑)
できるだけ、楽員さんたちの熱演だけを拝見しつつ拝聴しました(笑)
 そして、神奈フィルの誇る、打楽器陣の活躍する「魔宮の宮殿」では、大興奮。
 ほんと、楽しく、美しく、充実のペール・ギュントでした♪

何度も、歓声に応えた広上さん。

素敵なスピーチをいただきました。

「日本のオーケストラが、レベルアップしているなか、神奈川フィルも例外でなく、ここ数年の充実ぶりは素晴らしくトップレベルに達した。
将来、日本の指揮界をしょって立つだろう、若い川瀬君(広上さんが師ですね)と、ベテランと若手このオーケストラを称えたい。
東京に近く、地域の皆さまとの触れ合いも大切に、みなさんで大いに盛り上げていただきたい・・・・」
こんなお言葉と、最後に、もう1曲。

 広上さんの、お弟子のおひとりの、菅野氏が担当した「軍師官兵衛」の最終話、官兵衛の死の場面で、彼が人々への感謝の気持ちを覚えつつ亡くなるシーンの音楽とのこと。

この素晴らしいプレゼントに、そして、その感動的な音楽に、わたくしは、目頭が熱くなるのを覚えました・・・・・・。

今シーズンも、これで大団円。

いつにもまして、このオーケストラを愛し、応援してきて、ほんとうに良かったなと思いながら、みなさまに、お疲れ様のご挨拶をしつつ、仲間たちと、ビールを傾けに巷に向かいました。

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横浜地ビールの、いつもお馴染みのお店。

グラスもリニュール、お料理も、春バージョン。

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春野菜とサーモンのサラダ、カツオと春鯛のお刺身、ハマチのフィッシュ&チップス、カレー風味のチキン、ほうじ茶のゼリー・・・・・。

そして、ビールたくさん。

今回も、お疲れのところ、楽員さんにも、ご参加いただき、楽しいひとときを過ごすことができました。

次の、神奈フィルは、わたくしは、ヴェルディの「オテロ」。

そして、シーズンが変わって、4月は、モーツァルトのホルン協奏曲(豊田実加さん)と、ハイドン「告別」に、シューマン「ライン」で、春の出会いと別れを味わい。

さらに、みなとみらいでは、レスピーギの「ローマ三部作」で大爆発。

春、きますね。

神奈川フィルを聴きに、横浜へ行こうじゃん!
 

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2014年8月22日 (金)

シベリウス 交響曲第3番 ラトル指揮

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相模湾の遠景に、もくもくとした雲。

四季の境目が年々曖昧になってゆき気がします。

春と秋が短く、夏と冬が長くなってます。

そして、イメージは北欧なので、冬がお似合いだけど、真夏のシベリウスも、こうした景色にはいいかも。

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  シベリウス 交響曲第3番 ハ長調

   サー・サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                     (1985 @バーミンガム)


たまには、帯付きのCD画像を。

これが出た頃は、海外盤は今ほど溢れてなくて、欲しいものは国内盤で買うしかなかった。

CDが世に出た頃は、1枚4,500円もして、それがまた輸入盤の国内仕様みたいなものでした。
そう何枚も買えないから、それこそ何度も何度も同じCDを聴いたものです。

 それが、今現在の激安のCD反乱状態。

安く手に入るのはいいことだけど、音楽の中身そのものまで、お手軽になりすぎては困りもの。
残りの音楽人生、限りある時間ですから、大切に聴いていきたいと、何故かまた思うのでした。

 シベリウスの交響曲の中で、6番と並んで、おとなしい存在の3番。
1907年の作品。
あの2番から5年が経ち、欧州ロマン派的な要素から、一歩も二歩も抜けだし、民族主義的かつ、シンプルな古典的な雰囲気が強くなってます。
 このあとの、晦渋な4番にくらべると、牧歌的・田園的でもあり、ハ長の明るさも調和にあふれてまして、聴きやすい音楽です。

しかし、2楽章、繰り返される北欧的な旋律は、内省的でもあり、4番に通じるものもあります。
弾むような第1楽章は、一度聴いたら忘れられない気持ちよさ。
3楽章形式なので、3つめの終楽章は、このシンプルで可愛い交響曲が、思いきり盛り上がるクライマックスを持ってます。

バーミンガム時代に、30代にしてシベリウスを全曲録音したラトルは、さらにデビュー間もないころに、フィルハーモニアとも5番をロ置く音してます。
ベルリンでもチクルスを行ってますので、いずれ自主制作音源でも出てくるものと思います。

バーミンガムの頃のラトルは、縛られるものもなくて、そのレパートリーも含めて、思うように、やりたい放題一直線って感じだった。
その一方で、若さに似合わない、渋い大人びた音楽造りもする面もあって、面白い存在であり、コンビでありました。
 そんな感じの演奏が、この一連のシベリウスで、リズムのよさと、キレのいい弾みかたは、実に新鮮で、一方で、あっさりとしすぎの踏み込みの弱さもあったりです。
でも、3番は、こんな風な演奏がいいかも。

2018年にベルリンを卒業するラトルは、その時点で63歳。
ベルリンの後の指揮者も気になりますが、まだまだ若いラトルの、その後も気になりますね。
バイエルン、ロンドン、シカゴ・・、妄想は楽しいものです。

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2014年1月 6日 (月)

グリーグ 「ペールギュント」組曲 ハンドレー指揮

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夕暮れの相模湾と箱根山麓。

まだお日様が明るいうちから、こうして山の向こうに沈むまで、1時間も見てました。

こんなゆっくりとした時間も自分には、とても愛おしく思えたお正月の一日。

はやくも、はじまりましたね、日常が。

みなさまも、心に、そんなゆったり感をきっと秘めて、また毎日の始まりを実感されたのではないでしょうか。

例年通り、正月明けは、新春名曲シリーズであります。

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   グリーグ 「ペール・ギュント」組曲 第1番、第2番

     ヴァーノン・ハンドレー指揮 アルスター管弦楽団

              (1986、89 @アルスター・ホール、ベルファースト)


グリーグ(1843~1907)の「ペール・ギュント」は、中学校の音楽の授業で聴きました。

その時の音楽の教科書には、絵入りで、冒険に燃えるペールは、きらきら眼の青年、故郷に残した可哀そうな老母と、彼を愛したソルヴェーグは、すがるような気の毒な眼差し。

まったく、海や山に近い国々の男たちは、故郷や肉親を顧みずに、アドヴェンチャーなのでして、それは洋の東西南北もありません。

ノルウェーの文豪イプセンの書いた物語そのままに、劇音楽とし、同時に管弦楽組曲を仕立てたグリーグ。

中学の音楽では、国民楽派というカテゴリーで習いました。
たしかに、そのとおり。
ドイツ・オーストリア・イタリア・フランスじゃない広域ヨーロッパ音楽の一環。

じゃぁ、イギリスはどうなんだ?

北欧系の音楽が、イギリスの作曲家にあたえた影響は少なからず大きい。
ディーリアス、バックス、バントック、アイアランド、

国民楽派でなく、ヨーロッパ後期ロマン主義と呼びたい。

グリーグの音楽は、北欧ならではのクールな清涼感と、優しく懐かしいメロディにあふれている一方、なかなかにダイナミックなオーケストレーションの妙も味わあせてくれます。

「朝、オーゼの死、アニトラの踊り、山の王の宮殿にて」

「イングリットの嘆き、アラビアの踊り、ペール・ギュントの帰郷、ソルヴェーグの歌」

いずれの8曲も、何故か、中学の授業で聴いたとおりの印象があり、そして、それぞれの曲名をそらんじてる自分が嬉しかったり。
同じ思いは、「くるみ割り人形」と同じ。

長じて、この曲に、北欧の澄んだ空気と、リリシズム、優しい歌、それらの半面の、厳しい環境と荒々しい生活を、より感じるようになりました。

名曲も、少年時代と、オジサン時代とで、受け止め方が変化するのはあたりまえ。

ハンドレーとアイルランドのオーケストラのクール感は、ブルー系で、とってもグリーグに相応しい桂品なのでございました。
昨日のカラヤンも、手とり足取り、明快な演奏なのですが、充分すぎる案内人に、疲れてしまいそう。
ほどよく、突き放してくれる、ハンドレー盤。

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