カテゴリー「モーツァルト」の記事

2026年3月17日 (火)

モーツァルト ピアノ四重奏曲 ヘブラー

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3月16日、早咲きの桜が満開の芝公園。
毎年、桜の開花が早まり、なんだか気ぜわしく感じるのは、私の歳のせいなのか・・・

春を迎えるにふさわしいモーツァルトの大好きな作品を

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 モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478

        ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493

      Pf:イングリット・ヘブラー

      Vn:ミシュエル・シュヴァルベ

      Vla:ジュスト・カッポーネ

      Vc:オトマール・ボルヴィツキー

            (1970.4 @ベルリン)

ト短調と変ホ長調というモーツァルトらしい調性によるふたつのピアノ四重奏曲が昔から好き。

いずれも3楽章からなるピアノ協奏曲の延長線上にあるような作品。
ハイドンに献呈した珠玉の弦楽四重奏のあとぐらいに書かれたが、この頃のモーツァルトは生活に困窮していて、その糧として作曲したようだが、あまり評価を得られず2曲目は少し遅れてしまったという。
そんな苦しみのなかとはまったく感じさせない、短調であっても屈託ない音楽をさらりとかけてしまうモーツァルトが好き。

「ト短調」の1番は、深刻なのは1楽章だけで、その重い雰囲気は、2楽章ですでに軽くなり、3楽章に至っては明るいロンド形式となり、爽やかなる気分になることを約束してくれちゃう。
前にも書いたが、休日の朝などにおいしい朝食を取りながら聴くとまったくよろしいのです。

くわえて冒頭から気楽に気持ちよくさせてくれるのが2番の「変ホ長調」。
ウィーンの薫り漂うギャランとさと気品を感じさせる屈託ない美しくも可愛い作品。

どちらの曲も深刻にならず、リラックスムードで聴くに限る音楽で、モーツァルトが身体や脳によろしいという効能を満喫させてくれる。

レコード時代にすり減るほどに聴いた演奏が、今宵のヘブラー盤。
モーツァルト弾きともいえるヘブラーに、ベルリン・フィルの首席たちとの共演はいまや懐かしい。
すご腕のベルリンフィルのメンバーたちは、室内楽の演奏も数々グループ化してやっていたけれど、なかでもベルリンフィル八重奏団は録音も多く親しみあり、いまでも継続する伝統あるグループだろう。
カラヤンの指揮する映像で、弦楽器の首席ポジションで必ずその姿を見ることができる3人です。
絶対的な指揮者の元から解放され、いかにも気持ちよくモーツァルトを楽しんでる3人の名手たち。
お馴染みの顔を思い浮かべて聴くのも一興だ。
これが録音された1970年の4月。
翌月には、カラヤンとベルリンフィルは大阪万博で来日し、ベートーヴェンチクルスを繰り広げましたが、小学生のワタクシは憧憬をもってレコ芸の特集を読み、カラヤンの指揮真似をしたものですよ。
そんなことを考えるのも楽しく、主役のヘブラーが浮き立つことなく、まさに4人の室内楽的な融和のなかに拡張高いピアノを聴かせてます。
ヘブラーさんは、3年前の2023年に93歳で亡くなってますが、モーツァルトばかりでなく柔和なシューベルト演奏も大好きです。
昨今の個性あふれる、いや個性を競うピアニストなどとは、次元の違う人間味あふれる豊かなあたたかいヘブラーのピアノは、ほんとうに癒しです。
この演奏、遊びの部分が少なめで真面目すぎなのが玉にきずの贅沢すぎる不満かな。

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2025年6月10日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 マリオッティ指揮

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梅雨入り間近の日曜日。

関東は好天に恵まれるのは、もしかしたら最後の週末だったかも。

新橋からサントリーホールまで、行きはいつも歩きます。

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    東京交響楽団 第731回 定期演奏会

   モーツァルト 交響曲第25番 ト短調 K.183

    ロッシーニ   スターバト・マーテル

    S  :ハスミック・トロシャン
    Ms:ダニエラ・バルチェローナ
    T  :マキシム・ミロノフ
    Bs :マルコ・ミミカ

  ミケーレ・マリオッティ指揮 東京交響楽団
                東響コーラス
    合唱指揮:辻 裕久
    コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.6.8 @サントリーホール)

悲しみの短調でつらぬかれたプログラム。
でも、そこには優しい微笑みと強い意志がありました。

ボローニャ、ローマとイタリアのオペラの殿堂の指揮者を歴任しているミケーレ・マリオッティ(45)、念願の初聴きとなりました。
ダニエーレ・ルスティオーニ(42)とアンドレア・バティストーニ(37)とならぶイタリアの若手実力指揮者トリオのひとり。
 またマリオッティは、その指揮ぶりがクラウディオ・アバドにそっくりなところも前から注目していて、ともかくこの目で耳で確かめてみたい指揮者でした。

疾風怒濤の小ト短調は、強くて意欲みなぎる出だしにすぐさま感嘆。
しかし若さで押すようなところは一切なく、落ち着きはらった的確な指揮姿、その姿にやはりアバドの動きと似たものを見た思い。
拍子をとる指揮棒は軽く握り、左手のしなやかな動きによるオーケストラのコントロールは抜群で、まさにアバドを見るようだった。
1楽章から指揮に見入るばかりだったが、小編成の東響のクリアな響きも特筆でこの曲の肝でもあるオーボエやホルンも素晴らしい。
ヴィブラートは少なめながら、ガチガチの古楽的な奏法ではなく、マイルドな響きが実に心地よかった。
柔和な2楽章、喜悦感あふれるトリオがずっと聴きたくなるほどだった3楽章、終楽章は急がずにじっくりとした仕上がりで端正そのもの。
奇をてらわず、クリアーで誠実な演奏であったことがなによりでした。

スターバト・マーテル、合唱はP席でなくステージ奥に陣取りますが、休憩後まず最初に左右袖から登場の東響コーラス。
出てくる出て来る、たくさん登場で、お隣の方々も「ずいぶんねー」と驚かれてまして、目の子で数えて男声40/女声60って感じでまさに壮観。
ステージにオーケストラと乗ることで、音の一体感と合唱だけが突出してしまうことがなくなった。
また100名規模の合唱を驚くほど精緻にコントロールを効かせつつ歌わせ、オーケストラと巧みに合わせる、そのマリオッティの手腕の見事さに感心したと同時に、合唱指揮をした辻さんの卓越した指導力も讃えたい思いだ。
英国音楽好きとしては辻さんはお馴染みの存在ですからとてもうれしい。

世界的な4人のソロ歌手たちは、指揮者の左右に。

①沈鬱な導入部、しかしオーケストラも合唱も見通しがよく明晰なので明るさすら感じる。
独唱の登場に、4人がどんな声なのかワクワクする気持ちが抑えきれず。
②そして、あの行進曲調で始まるテノールの名アリア、最高に好きな場面で軽やかなオーケストラにのって、いかにリリックな声を聴かせてくれるか。
ミロノフの優しい声は、ロシア系であるとい先入観を吹き飛ばすほどに繊細な歌だった。
パヴァロッティの朗々たる歌に耳が慣れてしまった自分には渋すぎるこの歌唱は、ややこもり気味の内省的な歌い口に感じた。
でも、あれは商業録音のなかの声であって輝かしすぎて、スターバト・マーテル本来の聖母への同情心を歌いこむこのシーンではミロノフのこの切ない歌はよいのではないかとも思った次第。
③女声ふたりの二重唱では、えも言えぬ美しいハーモニーが。
アバドのヴェルレクでも歌っていたバルチェローナほどの大物が今回の代役抜擢で聴けるとは!
4人のなかでは唯一の生粋イタリア系で、その光沢と深みある声の味わいは素晴らしかったし、そこにいまが旬のトロシャンの抜けのいい美声が加わり、桃源郷を味わうのだった。
オーケストラの後奏も実にステキ。
④バスのミミカの深いけれども軽やかさも併せ持つバスも初聴きの私には驚きでした。
この曲には欠かせない存在となりつつあるようで、ネットでたたくとマリオッティを始め多くの指揮者と共演がある。
⑤バスのミミカはスタンバイしたまま、アカペラでの静謐な合唱とのレシタティーヴォは、強弱を繰り返しこだまするような効果を持つ合唱、教会で聴くかのようなそのロッシーニの音楽も演奏も見事。

⑥一転軽やかでウキウキしてしまうようなステキな4重唱は、思わず身体が動いてスイングしてしまった自分。
羽毛のような響きと心躍るリズム感がマリオッティの指揮で見事にオーケストラから出てくる。
⑦メゾの聴かせどころ、Fac ut portem、われにキリストの死を負わしは、メゾにロッシーニが書いた素晴らしい歌のなかのひとつだろう。
ホルンの牧歌的なソロに導かれ、楚々としながらも情感あふれるカヴァティーナをバルチェローナの豊かな声で眼前に聴く喜び。
オペラだったら、長大なアリアとして発展していくのだろうが、もっと続いて欲しいと思ったものだ。
マリオッティのオーケストラも美しさの極み。
⑧金管の咆哮と緊迫感ある弦というドラマテックな開始による合唱をともなったソプラノのアリア。
絶叫にならないトロシャンのどこまでも清らかな声が実に心地よかった。
それでいて張り詰めた真っ直ぐの声にはドラマテックな強さもあり、表現の幅の広い歌手と聴いた。
そして何よりもエキゾチックな風貌で華のある雰囲気がよろしい。
愛妻を見つめサポートしたマリオッティの指揮も目が離せず・・・
⑨ソリストにて行われるアカペラ四重唱は、今回は合唱によって歌われた。
ジュリーニ、シッパース、ケルテスなどの音源もみな合唱で演奏していた。
グロリアとクレッシェンドして終わるこの章、続いてなだれ込む終曲の合唱への流れは、こうして合唱アカペラから入ることでとても自然だったし、より劇性が強まる効果があったと思った。
⑩手に汗握る演奏となった終章は、前章とともに暗譜で毎回いどむ東響コーラスの精度の高さが光る。
右に左にと、対抗配置のオーケストラへの着実な指示にもオーケストラはすぐさまに反応して、過度に走ることのないマリオッティのもとじわじわと高まるクライマックスを見事に築き上げた。
最後に冒頭の旋律が回帰し、沈滞ムードがおとずれ、そこからあらためて短いながらも劇的な展開となりドラマテックに曲を閉じるが、このあたりの持って行き方が実に素晴らしく、私を初めてする満員の聴衆は壮絶な展開に息つく間もなく聴き入り、ブラボー飛び交う歓声で曲の終わりを迎え讃えたのでありました。

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宗教音楽としてのロッシーニのスターバト・マーテルの本質をしっかりと見据え、歌に傾きすぎることもなく、すべてのフレーズを明晰にしたうえで、過度な歌への傾きも排した練度の極めて高いすぐれたマリオッティのつくり上げた演奏でした。
その流麗かつしなやかな指揮姿は、わたしにはどうしてもアバドを思わせるものでした。
チャイコフスキーとプロコフィエフのロメオのもうひとつの演奏会には、どうしても行くことができないのですが、来シーズンからヴィオッテイを指揮者に迎える東響には、マリオッティも今後とも継続して呼んで欲しい。
そして次はピットのなかでのマリオッティの指揮を聴きたいものです。

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終演後のコールも盛大なものでした。

最前列の方々は握手までできちゃって、ほぉーっという歓声も。

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また来てね、マリオッティさん。

今度はヴェルディやブラームスなんかも是非。

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サントリーホールの裏にある庭園から。

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2025年2月11日 (火)

エデット・マティスを偲んで

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またしても訃報が・・・

エデット・マティスが亡くなりました。

2月9日、ザルツブルクにて、享年86歳。

次の誕生日を迎える2日前とのこと。

もうそんなご年齢だったのか、と哀しみとともに驚きも禁じ得なかった。

そう、マティスはその若々しく可愛いお声でもって、ずっと自分の若かった時代をともにしたような歌手でしたから・・・・

ルツェルン生まれのスイス人で、なんといってもモーツァルト歌手というイメージが強い。

録音の多さも数知れず、多くの指揮者に愛され、夫君のベルンハルト・クレーとの共演も多かったです。

モーツァルトを中心に、マティスさんのいくつかの歌声を聴いて偲びたいと思います。

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ベーム指揮の「フィガロの結婚」
ケルビーノを持ち役でスタートして、ほどなくザ・スザンナと呼べるほどに、歌声も舞台姿もまさにマティスにぴったりの役柄。
プライとのコンビもばっちりで、これはわたしには永遠のフィガロ盤です。
ずっと後年、伯爵夫人も歌うようになったのは、ルチア・ポップと同じですが、やはりマティスはスザンナ。

モーツァルトのオペラでは、イドメネオ(イリア)、パミーナなどが素敵すぎますね。

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魔弾の射手のエンヒェンも素敵な持ち役ですが、わたしが案外に好きなのは、ベルリオーズのファウストでのマルグリートです。
こうした無垢なヒロインはマティスのうってつけだし、フランス語も可愛いし、ミステリアスなベルリオーズの音楽にも合います。
小澤さんも亡く、みんないなくなってしまう・・・・

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リヒターのバッハでもたくさん共演してました。
カンタータ199番「わが心は血の海に漂う」は、ソプラノソロのカンタータの名品ですが、ここでのマティスのシリアスで言葉に心血を注いだようなな歌唱は、いまこのとき、とても心を打ちます。
古楽が主流となったいまのバッハ演奏ですが、リヒターの60~70年代のこの時代の演奏は、厳しい造形がそのまま音になっていて思わず襟を正さざるをえない。

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ジャケットが70年代にすぎますが、若きバレンボイムのドイツ・レクイエムでのマティス。
これがほんとに美しくも無垢なのです。
老練なF=ディースカウとの対比もよいし、バレンボイムとロンドンフィルの作りだす以外にも渋い音楽にも一幅の可憐な花のようです。

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シューマンの「女の愛と生涯」
エッシェンバッハと録音したシューマンの歌曲はいずれも絶品で、ドイツ語の美しさが際立ち、揺れ動く感情の機微を愛で優しく包み込んでしまうような、そんな優しい歌声なんです。
ヴィブラートのほとんどない、まっすぐのお声が、実に麗しい。

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スザンナを歌っていた頃のマティスに相応しかったのが、ゾフィー役。
ベームのライブ盤では、素敵な可愛いゾフィーが聴かれます。
トロヤノスのオクタヴィアンとの声の対比もばっちり。
大人になってゆく若い女性の描き方も素晴らしいのです。
 シュトラウスでは、あとアラベラでのズデンカが持ち役でしたが、こちらは正規音源ないかも。。
そして自分にとって忘れえないのが、「4つの最後の歌」。
夫君のベルンハルト・クレーとN響にやってきて歌った。
それをエアチェックして何度も何度も聴いた高校時代。
その絶美の音楽に感嘆し、シュトラウスに目覚めていった・・・
大切なカセットテープは失われてしまい、その音源の自家製CDRもどこかに消えてしまった・・・

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ピアノの名手でもあった指揮者のクレーも、モーツァルトの指揮とピアノにかけては素晴らしいものがありました。
このモーツァルト歌曲集は、わたくしの若き日の、エヴァーグリーン的なモーツァルトの1枚。
シンプルだけれども深みのある歌曲、「ラウラに寄せる夕べの想い」をしみじみと聴きます。

バッハ、モーツァルトからマーラー、ヴォルフまで、ドイツの歌の神髄をその優しくピュアなお声でたくさん聴かせてくださいました。

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ベームとの名品、モーツァルトのレクイエムを聴きながら追悼記事を閉じます。

エデット・マティスさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2024年6月16日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 ケフェレック

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日本はいま、紫陽花の真っ盛り。

梅雨が大幅に遅れているけれど、草花はちゃんと咲き、実を結びます。

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故郷の神奈川県で、四季の移り変わりを各処で堪能してます。

こちらは開成町の紫陽花。

丹沢山系から箱根に至る山脈から出流る清流が町内を流れ、その恩恵で広がる豊かな田園地帯。

つくづく美しいと思い、ありがたく感じ、だれにも侵されたくないと思います。

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  モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K595

     アンヌ・ケフェレック

   リオ・クオクマン指揮 パリ室内管弦楽団

       (2023.2.21,24 @パリ、フィルハーモニー)

われわれ日本人がみんな大好き、そしてご本人も、日本が大好きで毎年の5月に来日してくださる。
経歴も長く、とうぜんに、わたくしもそのデビュー当時から好きになり、エラートでの録音をずっと聴いてきました。

ゴールデンウイークに開催されるラ・フォル・ジュルネ、連休は都内に出ることが難しいので、これまで一度も聴くことができなかったし、それ以外のリサイタルもチケットを買いながら所用ができていけなくなったりと、なぜだか実演で一度もお目にかかることのないのがケフェレックさんです。

昨年の新しい録音で、カップリングはK466のニ短調。
どちらもケフェレックらしい、清潔で、清廉、すがすがしい感性をいまだに感じさせる素敵な演奏。
音楽の流れ、さらにはモーツァルトのこの時期の作品に則したアゴーギグが極めて自然で、思わずハッとして聴き入ってしまった。
そうナチュラルな透明感が、巨匠風にすぎることなく、あくめでも自然の発露のように聴こえるのが、いまのケフェレックの達した領域なのだろう。
K.595の2楽章などは、その自然な美しさの典型で、過度の思い入れもなく、一聴、淡々としながらも音符のひとつひとつがクリアに磨きぬかれていて、静かな水面を見守るようなそんな印象であります。
k.466の緩徐楽章も同じく。
モーツァルトの音楽と会話するかのような3楽章も、楽しくもあり、寂しくもありで、ピアノの独白がすばらしすぎる。

このケフェレックのスタイルと、今風にピリオドを少々意識したオケが、ほんとうは合わないような気もした。
もっと歌わせて、朗々としたオケでもよかったのかと。
マカオ出身の若いクオクマンは、日本にもちょくちょく来演してうるようで、現在は香港フィルの指揮者とのこと。

ケフェレックぐらいの存在になると、出てくる音源がすべて希少なものに思います。
1枚1枚、丹念に演奏し録音された至芸品でありますね。

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75年に初めて日本にやってきて、その清楚なお姿で大旋風を巻き起こした。
高校生だったわたくしも、ハートを射貫かれ、その後レコードを何枚も買った。
バッハ、スカルラッティ、リスト、ラヴェルなどがお気に入り。
もう一度、CDで集め直そうと思う。

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1948年生れ、美しく、そのまま歳を経たケフェレックさん、いつまでもステキなピアノを弾いて欲しいです。

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2023年11月 1日 (水)

井上道義&群馬交響楽団 演奏会

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錦糸町駅からトリフォニーホールへ向かう途中のモニュメントとスカイツリー。

この日は風も少しあって、周辺に多くある焼肉屋さんの香りに満ちていまして、いかにも錦糸町だなぁと思いつつ期待を胸にホールへ。

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ホールに入って見上げると、ほれ、ご覧のとおりミッチー&ドミトリーさんが。

これからショスタコーヴィチの難曲を聴くのだという意欲をかきたてるモニュメント。

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  モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488

  ブラームス  6つの間奏曲~間奏曲第2番 イ長調 op.118-2

              ピアノ:中道 郁代

  ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 op.43

         井上 道義 指揮 群馬交響楽団

         (2023.10.29 @すみだトリフォニーホール)

コンサート前、井上マエストロのプレ・トークがあり、前日の高崎での定期演奏会が大成功だったこと、群馬交響楽団はめちゃくちゃ頑張ったし、オケの実力がすごいこと。
ショスタコーヴィチ29歳の天才の作品がマーラーの影響下にあり、パロディーも諸所あること、さらにはこの曲を聴いたら、好きになるか、嫌いになるか、どちらかだと語りました。まさにそう、ほんとそれと思いましたね。
そして、最初のアーデュアのコンチェルトもほんとステキな曲だから聞いてねと。
最後、やばいこと言わないうちに帰りますと笑いのうちに締めました。

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そして清朗かつ深みに満ちたモーツァルト。

ふわっとしたドレスで現れた仲道さん、優しい雰囲気とともに、柔らかな物腰はいつも変わらない。
オーケストラが始まると、それに聴き入り没入していく様子もいつもながらの仲道さん。
開始そうそう、タコ4を聴こうと意気込んでいたこちらは、モーツァルトの柔和な世界に即座に引き込まれ、思わずいいなあ、と密かに呟く。
オケも微笑みを絶やさず楽しんでいる様子も終始見てとれた。
 聴いていて泣きそうになってしまったのはやはり2楽章。
モーツァルトのオペラのアリアの一節のようなこの曲にふさわしく、楚々としながら、情感溢れる仲道さんのピアノ、いつまでもずっと聴いていたいと心から思った。
 ついで飛翔する3楽章、ピチカートに乗った管と会話をするピアノは楽しい鳥たちの囀りのようだか、どこか寂しい秋も感じさせる、そんな音楽に素敵な演奏。

曲を閉じ、井上マエストロと握手した仲道さん、涙ぐんでおられました。
彼女のSNSによると、きっと最後の共演となるかもしれない、感情の高ぶりを吐露されておられました。
聴き手の気持ちにも届いたそんな演奏のあと、同じイ長調のブラームスを弾かれ、静かなる感動もひとしおでした。

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この高まる感情をどうしたらいいのか、アドレナリンが充溢し、ほてった身体がアルコールを求めた。
が、しかし、ここは日曜の錦糸町だ、飲んだらあとが大変・・・
そんな風に持て余した感情を抑えつつ、電車のなかで興奮しつつ帰った夜の東海道線。

そう、めちゃくちゃスゴイ、鋼を鍛えたばかりの、すべてを焦がし尽くしてしまわんわばかりの超熱い鋼鉄サウンドによるショスタコーヴィチを聴いてしまったのだ!
ただでさえハイカロリーの音楽に、群馬交響楽団は全勢力を注いで井上ミッチーの鮮やかな棒さばきに応え、空前の名演をくり広げました。

急転直下、極度の悲喜、怒りと笑い、叫嘆と安堵、不合理性への皮肉、豪放と繊細・・・あらゆる相対する要素が次々にあらわれる音楽。
井上ミッチーの真後ろで、その指揮姿を観て聴いてひと時たりとも目が離せなかった。
ときに踊るように、舞うように、またオーケストラを鼓舞し最大の音塊を求めるような姿、音楽と一緒に沈み悩みこむような姿、そんなミッチーを見ながら、まさにこの音楽が体のなかにあり、完全に音楽を身体で表出していることを感じた。

1楽章、冒頭、打楽器を伴い勇壮な金管が始まってすぐに、もうわたしは鳥肌がたってしまった。
この音楽を浴びたくて1階の良き席を確保したが、トリフォニーホールの音響はこの位置が一番いいと確認できた。
例のフガートはオケがまた見事なもので、それが第1ヴァイオリンから始まり、ほかの弦楽に広がっていく様を目撃できるのもまさにライブならではの醍醐味で、そのあとにくる大打楽器軍の炸裂で興奮はクライマックスに達した。
マエストロの万全でないのではと危惧した体調も全開のようで安心。

両端楽章では指揮棒を持たずに細かな指示を出していたが、2楽章では指揮棒あり。
スケルツォ的なリズム重視の楽章であり、明確なタクトが一糸乱れぬオケを率いていった。
コーダの15番的な打楽器による結末は、これもまた実演で聴くと分離もよく、楽しくもカッコいいものだ。

皮肉にあふれた3楽章、悲愴感あふれる流れから遊び心あるパロディまで、聴く耳を飽きさせないが、これらが流れよく、ちゃんと関連付けられて聴くことができたのも、ミッチーの指揮姿を伴う演奏だからゆえか。
ここでも最後のコラールを伴う大フィナーレに最大の興奮を覚えつつ、もう音楽が終わってしまう・・という焦燥感も抱きつつエンディングをまんじりともせずに聴き、見つめた。
この虚しき結末に、最後、井上マエストロは、指を一本高く掲げたままにして音楽を終えた。
そこで、静止して静寂の間をつくるかと思ったら違った。
ミッチーは、くるりと振り向いて、「どう?」とばかりに、おしまいの挨拶のような仕草をしました。

そう、これぞ、ナゾに満ちた難解な音楽の答えなんだろう。

ホールは大喝采につつまれました。

なんどもお茶目な姿を見せてくれた井上マエストロ。

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最後の共演となる群響の楽員さんと、その熱演とを讃えておりました。

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スコアを差して、こちらも讃えます。

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こんなポーズも決まります。
携帯を構える私たちの方をみて、もっと撮れと促されましたし。

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井上道義さん、来年の引退まで、大曲の指揮がこのあとまだいくつも控えてます。

ますます健康でお元気に。

素晴らしい演奏をありがとうございました。

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帰り道にスカイツリー、楽員さんもいらっしゃいました

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自宅でのアフターコンサートは、焼き鳥弁当でプシュっと一杯。

ショスタコーヴィチの4番、その大音響の影にひそんだアイロニー、15番と相通ずるものを感じました。
同じく、ムツェンスクとの共通項もたくさん。

この日の演奏の音源化を希望します。

交響曲第4番 過去記事

「ネルソンス&ボストン響」

「サロネン&ロサンゼルスフィル」

「ハイティンク&シカゴ響」

「ハイティンク&ロンドンフィル」

「大野和士&新日本フィル」

「ムツェンスクのマクベス夫人 新国立劇場」

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2023年6月24日 (土)

モーツァルト オペラアリア ネトレプコ&アバド

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ひさかたぶりの東京タワー。

いつでも行ける場所が、近いけど遠い場所に。
なにごともそんなものでしょう。

日々、簡単に行ける場所は、誰でも同じでない。

そんなことはともかく、モーツァルトのオペラはいい。

しかし、モーツァルトはあの短い人生で、交響曲から協奏曲、器楽、室内楽、オペラと、なんであんなに書けたんだろ。

人類の奇跡でしょう。

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 モーツァルト 「イドメネオ」 エレクトラとイリアのアリア

        「フィガロの結婚」 スザンナのアリア

        「ドン・ジョヴァンニ」 
          ドンナ・アンナとドン・オッタービオの二重唱

     S:アンナ・ネトレプコ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ

         (2005.3 @ボローニャ)

この豪華メンバーによるモーツァルトアルバム、アバドが指揮して新規に録音したのはこの4つだけで、あとのアバドは「魔笛」からの音源。
ヴァイグレとドレスデン、マッケラスとスコットランド室内管によるものが大半です。
実はそちらもなかなか素晴らしいのですが、ここではネトレプコとアバドの4曲だけをじっくり聴きましょう。

2003年にCDでのデビューを飾ったネトレプコは、翌2004年にアバドとマーラー・チェンバーとイタリア・オペラアリア集を録音してます。
その翌年のこのモーツァルト。
イタリアオペラ集のジャケットと、今現在の20年後のネトレプコを比べると、その変化に驚きます。
それは、そっくりそのまま、その声にもいえていて、20年前のネトレプコはスーブレットからコロラトゥーラの役柄を清々しく歌う歌手だったが、いまはマクベス夫人やアイーダ、エルザだけだがワーグナーをも歌うようなドラマティコになりました。
ひととき、声も荒れがちだったが、いまはまたそれを乗り越え、神々しさも感じるゴージャスな声と美声を聴かせてます。

ただ、いまが全盛期であるネトレプコに、水を差したのがご存知のとおり、ロシアのウクライナ侵攻。
いまネトレプコは、あれだけ人気を誇り、重宝されたメットから締め出され、欧州の劇場ではイタリアかドイツの一部でしか登場していない。
前にも書いたけれど、音楽家と政治とは別の次元にあるべきと思うし、愛国心は誰にも譲れない気持ちだと思う。
非難されるべき独裁者の手先にあるのならともかく。
しかも、ロ・ウ戦争の真実なんて、西側に立脚する日本には片側の情報しか入らないから、軽々に非難もできないとも思ってる。

話しはまったく変わってしまうが、戦争のおかげで、シモノフとモスクワフィルが聴けなくなってしまったのが残念でならない。

しかし、ここで生気あふれる清潔かつ歌心あるバックを務めているアバドが、もし存命だったら、アバドはネトレプコと共演するだろうか。
わたしは、アバドだったら無為の立場で、純粋な思いでモーツァルトのコンサートアリアなどを指揮していたかもしれない。と思ったりもしてる。

アバド90回目の誕生日まであと数日。

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2023年6月17日 (土)

モーツァルト ハフナー・セレナード マリナー指揮

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紫陽花は、日本固有の品種だけれども、それはガクアジサイやヤマアジサイのようで、多くある品種は、改良されて再び日本にやってきた改良品種らしい。

ともかく、日本の梅雨を彩る美しい姿です。

小田原城にはたくさんの紫陽花が咲いてましたよ。

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 モーツァルト セレナード第7番 ニ長調 「ハフナー」 K.250

       Vn:アイオナ・ブラウン

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1984.11 @セント・ジョーンズ教会、ロンドン)

13曲あるモーツァルトのセレナードのうちで、もっとも大規模な作品がハフナーセレナード。
旅にあけくれたモーツァルトがザルツブルクに長く滞在した時期、金持ち貴族のハフナー家の令嬢の結婚祝いの宴席での演奏用に書かれたもの。
当時のお金持ちの富豪や貴族たちの贅沢な嗜みだったわけで、よくいわれる、機会音楽というもの。
ホホほ、とか扇で口元を覆いながら談笑する金持ちたちが、こうした音楽に耳を傾けながら、お酒飲んだり、いいもの食ったりしてたわけで、モーツァルトの音楽がこんな風に聴かれていたと思うと、極めて贅沢なものだ。
連続して演奏されたわけでもなく、楽章は合間を置きつつ演奏されたのだともいう。
いまの現代人は、演奏会で、真剣にこうした曲を聴くわけで、機会音楽でもなんでもなく、じっと構えて受けとめるわけです。

でも、わたくしは、今回、うまいツマミを食しつつ、ビール飲んだり、ハイボールやったり、とっかえひっかえしながら、このセレナードを楽しみましよ。
セレナードといいながら、堂々たるソナタ形式やロンド形式、ギャラントなメヌエット、短調の憂いをもった場面、ヴァイオリン協奏曲的なもの、たくさんの聴きどころが詰まったバラエティ作品なのだ。
だから、こんな風にくだけた雰囲気で聴くのも楽しく、かつ真剣に聴くのもよしで、やっぱりモーツァルトの音楽はシンプルながらも懐が深いなと思った次第だ。

マリナーとアカデミーのさわやか演奏ぶりが、こうした作品では屈託なさも加わって、自然と愉悦感が漂っている。
規律正しさと高貴な微笑み、ブリテッシュ・モーツァルトの典型かと。
フィリップスの録音も演奏にそった理想的なもの。
夜に嗜み、朝に聴いたハフナーセレナード。
今朝は快晴で気持ちがイイ!

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2023年6月10日 (土)

モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」 ハイティンク指揮

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秦野市の弘法山へ登る途上からの富士山。

秦野は山に囲まれた盆地で、丹沢連峰からの自然の恵みにあふれてます。

近いもので始終いってます、秦野名水も汲んできます。


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  モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K504

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

       (2002.9.2 @ ドレスデン)

あれだけ交響曲全集を量産したのに、ハイティンクにはハイドンとモーツァルトの交響曲の録音はとても少ない。
オラトリオやオペラは残したのに残念なものです。
貴重なドレスデンとのモーツァルトのライブ。

モーツァルトでは、あと35番と41番がその交響曲レパートリーだったかも。
日本に来た時には、ドレスデンとシカゴで41番を演奏していて、わたしもシカゴとの時に聴いてます。
堂々たるジュピターになるかと思ったら、澄み切った心境にさせてくれる孤高の演奏だった。

そのシカゴとの演奏の7年前のドレスデンライブ。
録音に潤いを求めたいところだが、演奏は渋くてマイルド。
古楽的な奏法なんて微塵もなく、毅然として美しく、ソナタ形式による3つの楽章のシンフォニックな佇まいが凛々しい。
ドレスデンも、この頃は克明なサウンドを保持していて、重なり合う楽器が美術品のように見どころ聴きどころにあふれている。

ティーレマンのあと、ドレスデンは誰が指揮をするんだろう。
スゥイトナーのプラハも久方ぶりに聴いてみた。
より柔和で、より美しい演奏であり、オーケストラでありました。

プラハを聴くと、いつも思うこと。
なんで3楽章なんだろう?37番はどこへいっちゃったんだろう。

そんなことはともかく、モーツァルトで癒されたい。

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2023年5月29日 (月)

モーツァルト 五重奏曲 K452 プレヴィン

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もう散ってしまったが、モッコウバラ。

細かい花びらがびっしり、枝垂れるように咲く春~初夏のお花です。

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モーツァルト ピアノと木管のための五重奏曲 変ホ長調 K.452

    ピアノ:アンドレ・プレヴィン

    オーボエ:ゲルハルト・トゥレチェク

    クラリネット:ペーター・シュミードル

    ホルン:フォルカー・アルトマン

    バスーン:フリードリヒ・ファルトル

                        (1985.4 @ウィーン)

シュトラウスに独占された耳を洗い流してリセットさせてくれる音楽。

やはりモーツァルトはいい。

あれこれ、頭を使うことも、詮索・研究することもいらない。

心のままに聴くことができる音楽、それがモーツァルト。

音楽の神様は偉大だ、ワーグナーやシュトラウスのような音楽も、バッハやモーツァルトのような音楽も、多様な作曲家たちも世につかわせて下さった。
いつになく、そんな風にも思いながら、このよどみない、清潔な音楽を聴いた。

1784年の作品で、ピアノ協奏曲の16番と17番に挟まれた曲。
サロンでもてはやされたモーツァルト、協奏曲的な要素を持ち込み、ピアノと管楽器との絡み合いの妙を楽しませてくれる音楽。
変ホ長調というくったくのない、深刻さもない、まったくもって明るく、のびやかな作品でありました。

3つの楽章で、冒頭は、ラルゴのまるで緩徐楽章のような前奏があって、これはピアノソナタに木管の伴奏がついたかのような印象。
あとの主部の穢れない無垢なる音楽はステキだ。
2楽章では、ピアノをともなった、木管楽器のそれぞれの魅力と持ち味が堪能できる。
朝ごはんを食べながら聴くと、実に幸せな気持ちになれる。
ピアノ協奏曲の3楽章のようなロンド形式の清潔な終楽章。

プレヴィンのマイルドなピアノに、ウィーンのまろやかな木管。
聴いていて目に浮かんでくる、ウィーンフィルの奏者たちのあの音色がここに。
それと混然一体となった、同質の音楽性を持ったプレヴィン。

音楽家プレヴィンの優しい本質がうかがえる演奏でありました。
ありがとうプレヴィン、ありがとうモーツァルト、そしてありがとうウィーン。

なんかね、これ聴いてて、ウィーンに行きたくなりました。
もうこの歳になったら無理だろうけど。

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2021年7月 3日 (土)

モーツァルト 交響曲第40番 アバド指揮

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ピークは過ぎましたが、日本の梅雨は、紫陽花。

小田原城の下には、紫陽花がたくさん咲いてました。

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幼稚園の遠足は、小田原城でした。

城内には、動物園があり、そう、日本最高齢のゾウとして平成21年に亡くなった「ウメ子」がまだまだ若かったころ。

なにもかも、セピア色の思い出です。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

        (2009.6 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

アバド2度目の40番。
2004年にアバドによって創設された、オーケストラ・モーツァルト。
アバドは、この若いオーケストラと精力的にモーツァルトを中心に録音をしました。
交響曲とヴァイオリン協奏曲、管楽の協奏曲、ピアノ協奏曲と。
交響曲は、あと36番が録音されれば後期のものが完成したのですが、29番と33番が録音されたのはうれしい。

1990年代には、ベルリンフィルと、23,25,28,29,31.35.36番です。
1980年代は、ロンドン響で、40,41番、あとゼルキンとのピアノ協奏曲。
1970年代は、ウィーンフィルとあのグルダとのピアノ協奏曲。
この70年代に、ウィーンフィルと交響曲を録音して欲しかったものですが、デッカでケルテスが録音してましたし、DGはベームの晩年の記録を残すのに全力をあげてましたね。

年代によって、アバドのモーツァルトの演奏スタイルも大きく変わっていきました。
2000年以降、マーラー・チェンバーやモーツァルト管とバロックや古典を演奏するときは、ヴィブラートを極力排した古楽奏法を用いるようになりました。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550

 クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1980.1.31 @聖ジョーンズ・スミス・スクエア)

26年の開きのある、ふたつのモーツァルトを聴いて、これが同じ指揮者によるものか?と思えるくらいに別物の演奏に聴こえます。

テンポは新盤の方が古楽奏法とあって早いが、2楽章と終楽章のくり返しを入念に行っているので、演奏時間は新盤の方がずっと長い。

 LSO(28'51"       Ⅰ.8'38"    Ⅱ.8'37"     Ⅲ.4'39"    Ⅳ.6'55")

   MO (35'05"       Ⅰ.7'48"    Ⅱ.13'34"   Ⅲ.3'57"    Ⅳ.9'46")

デジタル時代に入ったのに、ロンドン響との録音はアナログです。
その柔らかな音が、デジタル初期の堅い音でなかったのが本当にありがたい。
久しぶりに聴いて、即買い求めたレコードの印象でうけたキリリち引き締まった演奏であるとの思いはかわりません。
また数年前のblog記事とも、印象は同じ。
 <極めて、楽譜重視。それを真っ直ぐ見つめて、余計な観念や思いを一切はさまずに素直に音にしたような演奏
甘い歌いまわしや、悲しさの強調、熱さなどとはまったく無縁。
こんなに素直な演奏をすっきりしなやかにやられたら、聴く我々の心も緩やかな気持ちにならざるを得ない。
深刻な短調のモーツァルトを、胸かき乱して聴く方からすれば、この冷静な演奏には歯がゆい思いをするであろう。>

素直で自然体の演奏が、みずから語りだす音楽のすばらしさ。
凛々しくもみずみずしい、この頃から始まったマーラー演奏も、みんなそんな指揮ぶりだった。

しかし、モーツァルト管との演奏のあとに、ロンドン響を聴くと、そちらの方が細かなニュアンスが豊かで、繊細さもより感じたりもしたのだ。
客観的な演奏だと思い込んでいたロンドン響の録音。

モーツァルト管との演奏は、ほどよいピリオド奏法をとりながら、先鋭さは一切なく、しかもト短調という悲壮感や哀感はさらにまったくなし。
さりげなく、すぅーっと始まり、風が通り抜けるくらいにさらりと終えてしまう。
40番という曲に求めるイメージと大違いで、人によってはこちらの方が物足りなさを感じてしまうかもしれない。
全体に軽く、羽毛のように、ひらりと飛翔する感じなんです。
若いメンバーの感性に委ねてしまい、逆にメンバーたちは、アバドの無為ともいえる指揮に導かれて、おのずと若々しくも透明感あふれる音楽が出来上がることとなった。
ロンドンとの第2楽章も美しいが、モーツァルト管との長い第2楽章は、歌にもあふれ、楚々とした趣きがまったく素晴らしく、さざめくような弦の上に、管が愛らしく載っかって曲を紡いでゆくさまが、ほんとステキ。
ここ数日、寝る前に、この楽章を静かに聴いてから休むようにしてました。
アバドの作り出す音楽、2013年8月のルツェルンが最後となりましたが、そのあと、アバドが何を指揮し、どんな演奏を聴かせてくれただろうか?

さて、このふたつの40番、どちらが好きかというと、わたしはやはりロンドン盤でしょうか。
壮年期のアバドが、ロンドン、ウィーン、ミラノ、シカゴと世界をまたにかけて活躍していたころ、おごることなくたかぶることなく、こんな素直なモーツァルトを演奏していた。
あとなんたって、このレコードを愛おしく聴いていた自分も懐かしいから。
モーツァルト管の演奏は愛着という点でロンドン響に勝らなかった・・・・

これからもアバドのいろんな演奏は繰り返し聴いていきます。

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今年のアバド生誕週間は、ロッシーニとモーツァルトでした。

ことに、あんまり聴いてなかった、「ランスへの旅」はほんとうに面白かったし、自分にとっての新たな「アバドのロッシーニ」の発見でした。
願わくは、いろんな放送音源をいずこかで正規に音源化して欲しいものです。

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