私は、空を眺めるのが好きであります。
立ち止まって眺めてたりすると、面白いもので、他の人も何があるんだろうと同じことをしますな。
この写真は、高速疾走中にパシャリ。
もちろん、運転中はほんの一瞬眺めるだけで、こうして写真に捉えて後で見るわけ。
秋の空を眺めていたら、澄んだモーツァルトが聴きたくなった。
ワルターの40番である。
この曲と演奏に何を語ろう。
何もないや。
ウィーンフィルとのライブも後年出ているが、私には永く親しんだコロンビア響とのスタジオ録音の方が懐かしく、身近に響く。
名手を集めたとはいえ、オケはウィーンフィルに、はるかに敵わないし、録音も低音が妙に強調されていてやや作り物めいているが、そんな不満も、聴き馴染んだ懐かしさの前には、ちゃんとおさまるところに収まって感じるところが嬉しい。
いまや、前時代の響きとも言われるかもしれない
この交響曲が作曲されたのが、1788年。
ワルターの録音が、1959年。
そして今は、2009年。
この年月の経過。
作曲からこの録音までの171年は、録音から現在まで50年のクラシック音楽の演奏史を考えると実はそんなに長くないのではないかと思われるくらいに、モーツァルトがそのまま甦って微笑んでいるかのような清新な演奏に感じる。
昨今のせせこましい古楽(的)なモーツァルト演奏と比べると、なんとおおらかで、優しい表情に包まれていることか。
よく言われるように、ワルターの演奏に常にある「歌心」。
弊ブログをご覧いただくと私には、始終、歌へのこだわりがあることがおわかりいただけますでしょうか?
わたくしもこうして長じてみて、音楽に対する思いが変わってきて、常に「歌」を意識するようになった。
ワルターの40番。なかでも、第2楽章のはかなくも、自然な美しさには参ってしまう。
ワルターで聴く、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトにワーグナー、ブラームス、ブルックナー、マーラー。
なんだかみんな確認してみたくなってきた。
いまに生きるワルター、久し振りに聴いて、耳の垢がすっかり洗い流されるようでございましたよ。
最後に野球のおはなし。
こちらは、いかにも寂しげなる、横浜スタジアム。
今年も予定通り、順調に最下位を独走していて、頼もしい限りなのだ。
ワタクシは、川崎のオレンジ色の時代からのファンで、もう前世紀になってしまったが、優勝時には甲子園まで駆けつけて、その瞬間に狂喜乱舞した男でござる。
野球界でも年々格差の溝は深まるばかりで、その戦力の明らかな違いは、赤ん坊でもわかるというもの。
今年ほど、あのオレンジ色を苦々しく思う年はございません。
しかし、ベイには、あのオレンジから恭しくも頂戴した工藤がいる、仁志がいる。
この二人の職人魂は、へなちょこ球団にあって、至宝ともいえるものだったのに、仁志はともかく、工藤とも来期契約は結ばず、との発表がなされた。
クルクルなんとかという害人や、有望鶴岡を強奪され、変わりに得た工藤は、若手育成の要ともなるべき人材ではなかったのか!
あぁ、もう何も言う言葉がない。
球団社長も辞めるらしいが、そんなことはあたりまえ。
田代代行も監督はおしまい。
あぁ、へっぽこ球団に明日はあるのか
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