カテゴリー「ヴォーン・ウィリアムズ」の記事

2023年6月11日 (日)

平塚フィルハーモニー 第32回定期演奏会

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 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番 ニ長調

 ベートーヴェン     交響曲第6番 ヘ長調 「田園」 Op.68

                                    「プロメテウスの創造物」から「パストラーレ」

    田部井 剛 指揮  平塚フィルハーモニー管弦楽団

          (2023.6.11 @ひらしん平塚文化芸術ホール)

本格的なアマチュアオーケストラ、全国に多くのアマオケがあるけれど、平塚フィルほど果敢なプログラムで勝負をし、そして一般の市民リスナーも、マニアも、ともに満足させてくれるオーケストラはないと思う。
といっても、私は隣町に帰ってきたばかりなので、まだ2回目ですが、前回はしべリウスの5番とブルックナー4番。
過去演を見ても、オール・エルガープログラムとかいろいろやってる。

そして大好きな曲ばかりの本日も、幸せな気持ちにさせてくれる演奏でした。

「祈りと平安」がこの2曲のモットーだろう。
2曲を通じて、大きなフォルテの回数はほんとうに少なく、優しさと安らぎにあふれた音楽たち。
プログラミングの妙です。

V・ウィリアムズの音楽のなかでもとりわけ大好きな5番。
癒しの音楽としても、コロナ禍以降、さらにアニバーサリー年もあったので、演奏会での機会も世界的に増えている。
もうだいぶ経ちますが、プレヴィンとノリントンの指揮で、ともにN響で聴いてます。
巨大なNHKホールでなく、ほどよい規模の響きのいいホールで聴くRVW。
ほんとに美しく、哀しく、愛らしい音楽だとつくづく思った。
とりわけ、切々と歌う哀歌のような3楽章は、曲のよさに加え、平塚フィルの心のこもった演奏に涙が出そうになった。
この楽章の旋律、亡きエリザベス女王の葬儀でオルガンでひっそりと、しめやかに演奏されました・・・
終楽章の、浄化されていくようなエンディングも、指揮者とオケが一体になって、感動的で素晴らしかった。

静かに田部井さんの指揮棒が降りて、完全に静止。
普通に、わたくしは拍手をしましたが、誰も拍手せず、フライング拍手みたいになってしまった。
多くの方が、きっと初聴きで、とまどっておられました。
遠慮がちな拍手は、指揮者が袖に消えると止まってしまった。
わたしは、ひとり頑張って拍手してたけど、ひとりだけ。
オーケストラの面々も戸惑いを隠せません。
わたしの後方の方が、難しいとつぶやかれました・・・

がんばれ、平塚フィル、このような果敢なプログラムで、クラシック音楽にはいろんな曲があること、もっともっと素敵な音楽があることを広めて欲しい!!

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過度に鳴りすぎない、ナチュラルな響きのホールです。

後半の「田園」は、聴衆との呼吸も一体感も際立った安定・安心の演奏。
オケの木管、特にフルートとクラリネットが素敵だ。
ヴァイオリンもしなやかで美しい。
桃源郷のような2楽章と、平安に満ちた終楽章。
田園っていいな、名曲は名曲ならでは、ほんといい曲だなぁ~と堪能しました。
うって変わってブラボー飛びかう後半となりました。

アンコールがひとひねりあって、これがまた平塚フィルのなせる技。
プロメテウスから、まさかのパストラーレ。
快活・爽快なベートーヴェン、田園詩情で幕となりました。

楽しかった、ほぼ地元でこんな素敵な演奏会を味わえるなんて。
次はなにを演奏してくれるかな。

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ホール正面にあったかぐわしいラベンダー。

イギリス音楽に相応しい。

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2022年12月19日 (月)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番、第6番

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小田原城と相模湾に真鶴方面、遠くに伊豆の山。

神奈川の西部に帰ってきて、こんな風景が普通に見れるようになったことがありがたい。

都会の便利さや賑やかさ、華やかさを懐かしくも思うが、いまはこんな自然に囲まれて、地元民として暮らす毎日が心地いい。

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背景は国府津山に、遠くに丹沢山系の大山。

新幹線に小田急線、ともに都会への簡便な足で、毎日通うこともできるエリア。

自宅から電車で10分、高校時代を過ごしたこの町です。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲。

ことしのアニヴァーサリー、さまざまな顔を持つ交響曲を似た要素でくくって聴きました。

ロンドンを主人公にした描写的な2番と映画音楽的な南極交響曲7番。
田園交響曲たるノスタルジックな3番と英国自然の美しさ、儚さを描いた5番。

戦争の影が明らかに感じられ、内容もシビアで、あの緩やかなヴォーン・ウィリアムズの作風はどこへ行っちゃったの?と思わせる厳しい音楽があるのが、4番と6番。
9曲の交響曲は曲数は同じでも、偶数番号が緩やかで優しい口調とはならなかったヴォーン・ウィリアムズ。

これまで、どちらかといえば苦手意識のあったこの偶数番号2曲、最近では最愛の5番がやたらともてはやされるようになったこともあり、それを挟む、4,6番をとてもよく聴くようになった。

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 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番 へ短調 

  レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

         (1965.10.21 @NYフィルハーモニーホール)
         画像は借り物です

第4交響曲は、1934年の作品。
以下、過去記事に手をいれて再褐します。
創作活動は、その長い人生でまんべんなく行われたが、もっとも充実していた時期であろう。
重要なオペラ作品もいくつか書かれている。
あの美しく抒情的な第3交響曲が1921年。
そこからの13年の隔たりは、この交響曲に横溢する不協和音によってあらわされる。
前作は第一次大戦が終了して復興の時期だった。
戦渦の反省や、心の癒しを求める風潮もきっとあった。

そしてこの4番は、ヒトラーがドイツで総統に就任し、ヨーロッパがいよいよきな臭くなってきた、まさに不安の時代への突入。
大胆な和声と不安をあおる不協和音があるが、作者は「そのときのヨーロッパの外況を描こうとしたものではなく、その時、わたしに宿ったものをそういうように書いたにすぎない」と発言していてあくまで慎重だ。
でも後世のわたしたちが、こうしてCD音源を前に、ネットで時代背景などを調べるにつけ、あの時代の重苦しい雰囲気は確実に曲に、そして作者になにかをもたらしていたと思う。

いきなりシビアな音響で始まる第1楽章はかなり深刻なムードが漂う。
劇的なそうした場面と、後半の静かな定年に満ちた暗い雰囲気の対比がおもしろい。
第2楽章は、抒情的だけれど、かなりシャープなムードで、繰り返される悲壮感が重苦しくもあり厳しい。
スケルツォの3楽章もかなり劇的。
RVWらしい、ペンタトニックなムードも充分に出しつつ、曲は連続してさらにシビアな4楽章に突入して、何度も何度も同じ主要主題が繰り返しフーガのように展開され、興奮を呼び覚ます。
そして曲は最後、唐突に爆弾が落ちたかのように終わってしまう。

バーンスタインが残した唯一のヴォーン・ウィリアムズの交響曲。
なにゆえにこの4番だけを録音したのかはわからないげ、NYPOにはミトロプーロスとの演奏歴があり、そちらの伝統がオケに残っていたのだろうか。
リズミカルな場面ではバーンスタインならではの、いきいきと弾むシーンが横溢して、しかもスピーディで聴き手を興奮させるし、スポーティな雰囲気まで醸し出す。
一方で、この曲の前半部分はかなり慎重で重々しい。
バーンスタインが、時代背景の深刻さと狂気とをこの交響曲に感じて指揮していたのであろうか。
ちなみに、4番の壮絶な名演はブライデン・トムソン盤だと思います。
晩年のバーンスタインではなく、壮年期に録音されたことが幸いでもあります。


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    ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ホ短調

 サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

       (1987.4.30 @ガスタイク)

こちらも過去記事から再掲編集。
まさに戦中の音楽で、1944~47年にかけての作曲。

ヨーロッパでは、伝統的島国国家として欧州の覇権を弱りながらも維持したかった英国。
世界レヴェルでは、欧州代表としてアメリカやソ連と組み、連合国として、日本・独・伊に対峙した英国。
日本の行動はアジア解放につながり、欧州白人社会がアジア・アフリカの植民地や権益を守ろうとしたこととまっこうから対立。
しかし敗戦国となった日本と同じく、小さな島国は、独立独歩というプライドを生むとともに、気がつくと周辺の競争にあんがい競り負けていたりする。
しかし、日本とちがって極めてしたたかなグレートブリテン。
日本はあまちゃんすぎる。


戦火の交響曲第6番は、交響曲のジャンルにおいては大器晩成のRVWの75歳の最円熟期の音楽。
何度も記しているとおり、9つのRVWの交響曲は、いずれも特徴が異なり、多彩な作者の顔を見せつけてくれる。
明確な4つの楽章からなる35分あまりの、オーケストラにみによる純粋交響曲。
全編に暗い影を感じ、切なさと、人を寄せつけないまでの孤高で厳しい雰囲気。

4番と同じ感じの厳しい出だしの1楽章で、はやくも暗澹たる気分になってしまうが、あの5番の緩やかムードはどこへいった・・・。
でも、中間部に、RVWらしい牧歌的な歌が出てきて、ひとまず一安心。
しかし、ここで終わるかと思うとそれは大間違いで、暗澹さはまだ続く。
 暗いムードに覆われた第2楽章は弦によるエキゾテックなムードの晦渋な様相をのうえに、ときおり、ラッパが不穏な刻みをかけてくる。
いつ襲いくるかわからない緊張の戦火の不安な社会そのもの。

変わって、サクソフォーンがジャジーな雰囲気を出しつつ、オケが無窮動的に走り回るスケルツォ的な3楽章だが、強烈なフォルテによる打撃がかなり必要に繰り返され、最後は暗澹たるオーボエソロでとじる。
急に早いテンポで厳しく始まる終楽章は活気を呈しつつも、悲劇臭が満載で、サクソフォンのむせび泣くようなソロも無常。
中間部は暗いムードのオルガンもまじえ、最初の悲劇的なムード回顧しつつ、救いのないいまを静かに嘆く。
そして、そのまま暗さをなんどもなんども繰り返しつつ静かに終える・・・・。
不思議な交響曲だが、妙に惹かれるようになった。
4番よりも複雑な顔をしてると思う。

コリン・デイヴィスがヴォーン・ウィリアムズにおいては、ライブながら4番と6番を残しているところがおもしろい。
6番では高性能のバイエルンと熱気に満ちた一気呵成の音楽を聴かせつつ、異なる趣きを持つ4つの楽章の特徴を巧みに描いているところがデイヴィスらしいところ。
バイエルンのオケはまったくもって素晴らしい。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲あと3作、年をまたぎそうです。


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ミナカから見た小田原城。

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2022年10月12日 (水)

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲&南極交響曲

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9月最初の頃の吾妻山。

ここはコスモスが早く咲きますが、今年はやたらと早くて7月の終わりごろから咲き始めて、お盆明けにはもう萎みはじめてしまいました。

やたらと暑かった今年の夏、いろんなことがありましたが、季節の巡りがどんどん早くなっているような気がしてなりません。

今年はヴォーン・ウィリアムズの生誕150年、そして10月12日が誕生日です。

9曲ある交響曲、いずれも個性的な作品ですが、その様相からいくつかのカテゴリーに分けることができます。

田園情緒あふれる抒情的な3番(田園)と5番はすでに記事にしましたが、今回は描写的なスクリーンさえ思い浮かぶような作品をふたつ。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第2番「ロンドン」

    リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

       (2000.12.19 @オール・セインツ教会)

ロンドンという巨大な都市の一日を描いた交響曲。
過去記事を手を入れながら。
この街の風物や、住む人を通して描いてみせた4つの楽章のがっちりした立派な構成のちゃんとした交響曲。

英国作曲家たちを語る上で、二つの世界大戦の影響は避けては通れない。
長命だったRVWゆえに、二つの戦争が影を落とした作品も多く、そのひとつが「ロンドン交響曲」で、第一次大戦開始直前に書かれていて、このあと従軍してフランスで活動もしている。

活気ある都会を描きつつも、終楽章では失業者であふれるロンドンの様子が陰鬱にも表現されていて重苦しい気分にさせる。

第1楽章「テムズ河畔のロンドンの街の夜明け~市場や街の朝の雑踏」
第2楽章「大都会の郊外の静やかな夕暮れ」
第3楽章「夜想曲~夜の繁華街」
第4楽章「不安な大都会~失業者の行進」

活気あふれる都会が目覚め、生き生きとしてくる場面を巧みに描いた1楽章。
第2楽章の抒情的な音楽は、RVWならではで、3番や5番と同じ雰囲気もあり、これを聴きながら、先に崩御されたエリザベス女王を偲ぶこともできる。
夜の雑多な雰囲気を感じさせる3楽章もロンドンの街の姿だろう。
暗い雰囲気の4楽章、途中、雑踏のにぎやかさもぶり返すが、最後はまた不安に覆われ、ウェストミンスター寺院の鐘が鳴りつつ静かに終わる・・・・。


都会は賑やかで華やかだけど、その陰には不安もいっぱい。
時間だけが流れるように通り過ぎてゆくのも、いまの都会は同じく。

ヒコックスは、7番「南極」と9番を残して急逝してしまったが、シャンドスに残した残りの交響曲は、いずれも精度の高い、RVWへの共感あふれる名演ばかりで、おまけに録音も極上。
このロンドン交響曲の録音では、RVWが作曲ののちに手をいれて軽減化してしまった現行の通常版でなく、作曲当時の原典版による録音であることが画期的。
 その相違は、繰り返し的に現れる展開をもっと簡略化し、全体の演奏時間も10分ほどスリム化した現行版に対し、各楽章にいろんな局面で繰り返しやモティーフの追加を行っているのがオリジナル版。
聴き慣れたこともあるが、通常版のほうがスムーズだし、曲のイメージはストレートに伝わってくる。
でも、大きな違いは2楽章の悲しみの発露がより大きいことと、終楽章がくどいことを通り越して、ロンドンという街の大きさを巧ますじて表していること。
全体で、10分以上長い原典版。
その分、深刻さも増してます。

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   ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第7番「南極」

      S:シーラ・アームストロング

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       (1984.11 @アビーロードスタジオ)

R・シュトラウスばりの標題性豊かで、写実的な交響曲。
「アルプス交響曲」の南極バージョン。
オルガンがギンギンに鳴って大氷河の絶壁や孤高の絶景を思わせるし、ウィンドマシンも極めて寒々しい効果をあげている。
さらに、ひょこひょこ歩きのペンギンまで巧みに模写される。
ヴォーン・ウィリアムズは多彩で、教会音楽やミサも残しつつ、シンフォニストでもあったし、オペラ作曲家でもあった。
エルガーとの違いはオペラ。
具象的な劇作品の有無においてまったく違うが、英国を愛することではまったく同じ。

多彩なRVWの9つの交響曲のなかでも、いちばん交響詩的かつ映画音楽風。
「南極のスコット」という映画につけた音楽をベースに自身で5楽章編成の交響曲に編み直した交響曲

作曲者はこの作品に「Sinfonia Antartica」というイタリア語の表記を与えた。
1951年、80歳という年齢での作品!
映画は1912年に南極点を目指したイギリス、スコット隊の遭難の悲劇を描いたものだった。
このスコット隊に先んじること1ヶ月前には、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点に到達していて、アムンゼン隊は極点のみをひたすら目指したのに対し、スコット隊は学術的な研究や観察を経ながらの進行ゆえに時間の差と悲劇の遭難が生じたと言われる。

大編成のオーケストラによる「南極」の描写音楽という要素に加えて、大自然に挑む人間の努力やその空しさ、最後には悲劇を迎えることになり、その死を悼むかのような悲歌に終わる。
描写音楽に人間への警告も加えたような、こんな一大ページェント作品なのだ。

 シュトラウスのような楽天的な派手さはなく、常にミステリアスで、神秘の未知との出会いと危険のもたらす悲劇性に満ちた交響曲になっている。
氷原を表わすような寒々しく冷気に満ちたソプラノ独唱や女声合唱、おまけに滑稽なペンギンや鯨などの驚きの出会いが表現される。
怪我をした隊員が足手まといになることを恐れ自らブリザードの中に消えてゆくシーンまで、こんな悲しい場面もオーボエの哀歌を伴って歌われている。
 最終楽章では、大ブリザードに襲われ隊は壊滅をむかえてしまう。
嵐のあと、またソプラノや合唱が寒々しく響き、荒涼たる寂しい雰囲気に包まれる。
ウィンドマシンが空しく鳴るなか曲は消えるように終わってゆく・・・・

アルプス交響曲と南極交響曲をともに録音したのはハイティンクが随一だろう。
アルプス交響曲にいたっては、手持ちの音源で、コンセルトヘボウ2種、ベルリンフィル、ウィーンフィル、シカゴ、ロンドンなどとの演奏を手持ち。
それらの演奏がカラヤンのように、巧みに聴けせるのでなく、かっちりとした交響曲として壮大に起立するかのような存在として聴かせたのがハイティンク。
南極交響曲でも、探検隊彼らへのレクイエムのように慈しみを持ちつつも冷静な演奏に徹していて、長く聴くに相応しい普遍的な演奏となりました。

希望が無限なように思われる苦難を耐え忍ぶこと。
ひるまず、悔いることなく、全能と思われる力に挑むこと。
このような行為が、善となり、偉大で愉しく、美しく自由にさせる

これこそが人生であり、歓喜、絶対的主権および勝利なのである」(シェリー詩)
こちらが1楽章への引用句。

「私は今回の旅を後悔していない。我々は危険を冒した。
また、危険を冒したことを自覚している。
事態は我々の意図に反することになってしまった。
それゆえ、我々は泣き言を言ういわれはないのだ。」
  
遭難後、発見されたスコット隊長の日記。
終楽章に引用された一節。

いまの地球人にはこんな書き込みはできないだろう。
自然を制覇し、思いのままにできると思ってしまっている。
日本の山々を切り崩して行われる再生可能エネルギーなんてマヤカシものにしかすぎない。

RVWの描き、感じた自然への脅威を、人間は忘れてはならないし、自らが造った都会の暴走も意識しなくてはならないだろう。

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冠雪まえのブルーな富士。

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2022年7月20日 (水)

ワーグナーの夏、音楽祭の夏、はじまる

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平塚市の大磯町との境目にある「湘南平」。

5月でしたが、ほぼ半世紀ぶりに行きました。

戦時中には、B29をねらう高射砲が据えられたが、平塚大空襲のときに爆破されてしまった。

いまでは、恋人たちが、ここに鍵を結ぶ平和なデートスポットになっていて覚醒の感があります。

子供時代、わたしの住む隣町にも防空壕が多くあり、怖いけどもぐったりしたものですが、これは予測された米軍の相模湾上陸に備えてのものだと大人になってわかり、身震いがしました。

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目を東京方面に転じると、江の島と三浦半島が見えます。

手前は烏帽子岩に、平塚港。

天候不順なれど、夏来たり、そして国内外に音楽祭の季節。

悲しみと不安のなかにありますが、音楽界は平常運転で、夏がめぐってきました。

ヨーロッパ各地は現在、記録的な猛暑にみまわれ、イギリスでは40度を記録・・・

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夏の音楽祭といえば、わたしにはバイロイト

初めて買ったワーグナーのレコードが、突如として現れた「ベームのリング」。
そのときの予約特典が、2枚組のハイライト盤で左の画像。
そのあと、フィリップス社が既存の名盤、サヴァリッシュのオランダ人、タンホイザー、クナッパーツブッシュのパルジファルをセットにして発売。
そのときのサンプラー廉価盤が右の画像。
このとき、はじめて世評高い孤高の名盤とされた「クナのパルジファル」に接し、さわりだけだったけど、神々しい感銘を受けたものです。

こうして、ともかく私のワーグナーはバイロイトあってのもので、年末に放送されるNHKの放送を必死に録音し、あの劇場のサウンドを脳裏に刻み付けてきました。
年末でなくとも、リアルタイムでバイロイトの現地の音や映像がすぐさまに確認できるようになった現在。
コロナで変則的な上映が続いたここ2年、今年はフルスペックで予定通りの上演になるかと思いきや・・・・

2022年の上演作品は、新作が「トリスタンとイゾルデ」と「リング」、再演が「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」ということで、新演出が2本と前期ロマンテックオペラ3作が揃って上演されるという珍しい年となりました。

2020年に予定されたプリミエから2年経過してとうとう上演される、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出による「リング」。
指揮者のインキネンがコロナにかかり、オーケストラとのリハーサルがろくに出来ずに降板。
つくづくインキネンはついてない。
代わりに、トリスタンを指揮する予定のコルネリウス・マイスターがリングの任に当たることに。
マイスターは、シュトットガルト歌劇場の音楽監督として、リングを手掛けており、同劇場のサイトで、ピアノを弾きながら楽曲解説を行うマイスター氏を確認しましたが、わかりやすい解説と明快なピアノ演奏に驚きましたね。
読響の首席客演時代はパッとしなかったみたいですが、劇場叩き上げ的な指揮者として、シュタイン、シュナイダー、コバーなどと同じく、バイロイトを支える職人指揮者のようになって欲しいものです。

リングに移ったマイスターの代わりにトリスタンの指揮者に選出されたのは、マルクス・ポシュナー。
ポシュナーはミュンヘン出身で、現在リンツ・ブルックナー管の指揮者で、全曲録音も進行中。
ブルックナーの専門家みたいにしか思われてないけど、手持ちCDで、アーヘンの劇場との録音で、パルジファルと使徒の愛餐がありました。
はたして、いかなるトリスタンを聴かせてくれましょうか。

指揮者では、オランダ人はリニフ、タンホイザーはコバー、ローエングリンはティーレマンと盤石。

歌手は、変動多くて、ウォータンとオランダ人を歌う予定のルントグレンが降りて、前者はシリンスとコニチュニーに、オランダ人はおなじみのマイヤーに。
 ステファン・グールドがかつてのヴィントガッセン級の八面六臂の大活躍で、トリスタン、ジークフリート(黄昏)、タンホイザーを歌うタフマンに。
あと、フォークトは、ジークムントとローエングリン。
シャガーがジークフリートに。
 イゾルデを長く担当したテオリンがブリュンヒルデ、前のリングのブリュンヒルデを歌ったフォスターがイゾルデ、と言う具合にステキなクロスも楽しみ。

演出はどうなんでしょうね。
こんな風に、始まる前から妄想たくましくして記事が書けるのもバイロイトの楽しみです♬

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バイロイトと並んで、わたくしの夏を飾る音楽祭がイギリスの「Proms」

約2か月間にわたって、ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで催されるフレンドリーな音楽祭。

イギリス全土のBBC局をつなぐので、ロンドン以外の各地の面白いコンサートを、極東の日本でも居ながらにしてネット空間で楽しむことができる。

でも主流はアルバートホールでの演奏会で、今年、わたくしがチェックしたものは、「オラモ&BBCのヴェルレク」がファーストコンサート。
大活躍のウィルソンの英国音楽の数々、セシル・スマイスのオペラ「漂流者たち」をティチアーティのグラインドボーンメンバーで。
ヤマカズ&バーミンガムで、スマイスとラフマニフ2番。
エルダー卿とハレで、プッチーニ外套、ロイヤルフィルによる日本人作曲家の一日、ダウスゴーのニールセンシリーズ、ラトル&LSOの復活、ガードナーのゲロ夢、ペトレンコ&BPOのマーラー7番、シフによるベートーヴェン後期ソナタ、セガン&フィラ管のエロイカ、バーバー、プライス、スタセフスカヤのラストナイト。

10月末には、スタセフスカヤ&BBCで、proms2022Japanが開催されます。
プログラムは自分的にはイマイチだけど、ニッキーがやってくるので、行きたいな。

promsは、BBCのネット放送で、すべてストリーミング再生可能です。

オラモ&BBCのヴェルディのレクイエムを早くも聴きました。
タイミングがタイミングなだけに、深刻な面持ちで聴きましたが、極めて純音楽的でカチっとした演奏。
ただ歌唱陣は自分には今ひとつ。
ソプラノ歌手がドラマテックさはよいとしても、言語不明瞭な感じで不安定で、ムーディだった。

こんなこと言ってはサイトの存続すら危うくなりますが、Promsの今年の画像ひとつとっても、ここにうかがわれるのは、「多様性」。
BBCはアメリカの各局と並んで、こうしたジェンダー的なことに、そうとうにこだわりぶりを見せてます。
極東の小さな町で、世界につながったネット放送を聴く自分が偉そうなことは言えませんが、半世紀以上音楽を聴いてきた自分の耳を信じたいと思った。
なにが優先されるのか、なにが大切なのか・・・・
私は、とんでもないことに言及しているかもしれません。

Salzburg

相変わらず豪華ザルツブルグ音楽祭

フルシャ指揮のカーチャ・カバノヴァ(コスキー演出)、アルティノグリュー指揮のアイーダ、クルレンツィスの青髭公、ヴィラソン演出(?)のセビリアの理髪師、メスト&グレゴリアンのプッチーニ三部作、マルヴィッツの魔笛、ルスティオーニ指揮のルチアなどなど。
どれも映像付きで観たい聴きたい。

オーケストラ演奏会も豪奢ですので、オーストリア放送のネット配信がどれだけあるか楽しみではあります。

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現在開催中でもうじき終わっちゃうのがエクスアン・プロヴァンス音楽祭

サロネンの舞台付きマーラー復活、サロメ、イドメネオ(日本人スタッフ)、ロッシーニのモーゼとファラオ、ポッペアとオルフェオのモンテヴェルディ2作、ノルマ、ベルリオーズ版オルフェオとエウリディーチェ

夏の後半はルツェルン音楽祭
アバドから引き継いだシャイーは、今年はラフマニノフ2番とマーラー1番。
フルシャがこのところ、ルツェルンでドヴォルザークをシリーズ化して、今年は新世界。

Bregenz

湖上の祭典、ブレゲンツ音楽祭では、ウィーン交響楽団が主役。
蝶々夫人、ジョルダーノの珍しいオペラ「シベリア」、ハイドンのアルミーダ。
湖上の蝶々さん、なんかステキそうですが、ここの演出はいつもぶっ飛んでるからな。
演出はホモキだから、まあ大丈夫か、見たいな。

アメリカへ渡ると、ダングルウッド
ボストン響とネルソンスの指揮が主体ですが、毎年、オペラをコンサート形式で取り上げます。
今年は、ドン・ジョヴァンニ。
ネルソンスがふんだんに聴けるのがこの音楽祭前半で、ハルサイ、ガーシュイン、ラフマニノフ3番など、いずれもネット配信されます。
録音も抜群にいいのが、ボストン響やタングルウッドのライブの楽しみです。

日本ではサマーミューザ
聴きに行きたいけど、突然行くパターンにしないと、ほんとに行けない昨今のパターン。

Bayreutherfestspiele2022

悲しい事件はあったけど、暑さに負けるな、コロナなんて〇〇っくらえ、仕事も頑張れ。夏は音楽祭だ、ワーグナーだ!

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2022年4月 3日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番&5番

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春まっさかり。

桜も関東は終盤で、この週末が最後の見ごろ。

移動してきた実家の庭の春紅葉と桜。

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寒暖の差が大きく、今年の桜はことさらに美しく感じられました。

不穏な世界も、この桜を愛でて一呼吸して欲しいものです。

今年2022年は、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムス(1872~1958)の生誕150年。

あらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残したRVW。
あらがいきれなかった9番までの交響曲に、民謡をもとにしたお馴染みのグリーンスリーブスなどの瀟洒な作品や、タリスなどの管弦楽作品、さまざまな楽器の協奏曲作品、室内楽、器楽に、オペラ7作、そして歌曲や声楽曲も多数。
多作家であり、晩年まで意欲は衰えず作曲を続けた。

その生涯にふたつの世界大戦を体験し、その作品にはその影が大きく落としている。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽もあるし、シネマ的な優れた描写音楽もある。
9曲の交響曲には、そんな多面的なRVWの音楽の姿がしっかり反映されていて、それぞれに分類もできる。

今年、数回に分けてRVWの交響曲をその特徴をおおまかに分類しつつ聴いてみたい。

1回目は、不穏ななかに求めたい自然の優しさを。
しかし、いずれもふたつの大戦にはざまれた作品。

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     ヴォーン・スイリアムズ 田園交響曲(交響曲第3番)

       S:ヘザー・ハーパー

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

         (1971.1.8 @キングス・ウェイホール、ロンドン)

    ※ジャケットはあまりにステキなものなので借り物で、私のプレヴィン盤は全曲盤
     以下ふたつ記載も以前書いたものに少し手をいれたもの

1922年に
ボールトの指揮により初演。
全曲がゆったりしたモデラートで書かれた、田園を思い描いた心象風景そのもので、平安を求めるより内面的な音楽でもある。


北フランスにいた1916年頃から構想され、そのカミーユ・コローの風景画のような景色に大いにインスパイアされた。
第1次大戦が、しかしこの平和な交響曲に陰りを帯びさせることとなる。
構想から6年、完成した「田園交響曲」は、確かに平和でなだらかな牧歌的なムードにあふれているが、RVW独特のペンタトニックな旋律は、物悲しい北イングランド風で、戦争の悲しみをも歌いこんだ戦火で命を失った人々へのレクイエムのようでもある。

木管の上下する音形で印象的に始まる茫洋とした出だしの第1楽章。
徐々に霧が晴れてくるかと思うと、また風景はぼんやりと霞んでしまう・・・。

やはり静やかな第2楽章、長いトランペットのソロは、夜明けを切り裂くような悲しいラッパに聴こえるし戦渦のなかの慄きか、はたまたあまりに儚い夢の中に留まりたい思いもあるかのようだ。
唯一元気のある3楽章は、フルートやヴァイオリンソロ、ハープの涼やかな合いの手が美しいが、ダイナミックな舞踏曲の様相となるユニークな楽章。
そして、この曲最大の聴き所の第4楽章。ティンパニのトレモロのなか、ソプラノ・ソロが歌詞を伴なわずに入ってくる。
このミステリアスな雰囲気で始まる繊細で美しい終楽章は、心の襞に染み入る癒しと安らぎの音楽だ。
優しく、おやすみなさい、お眠りなさいと語りかけるような音楽。
最後に再度、ソプラノが歌い、消え入るように「田園交響曲」は終わる静寂が訪れる。

次項の5番とともに、心優しい音楽づくりのプレヴィンにもっとも相応しい3番。
LSOと残した交響曲全集のなかでも、もっとも最後の方の録音で、オケとも関係性でももっとも緊密だったころ。
若いプレヴィンならではの、柔軟かつ歌にこだわる歌いまわしが心地よい、まさにフィーリングに満ちた演奏。

  ヴォーン・スイリアムズ 交響曲第5番

    サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

          (1962 @ロンドン)

   ※CDが引越し荷物に埋もれジャケット画像はありません。
    PCに取り込んだCDを再生しました
    このCDはサージェントのRWVも聴けるすぐれもの

次の戦争1943年という世界大戦まっただ中に、何故にこのような平和で柔和な作品が残されたのだろうか。
この前の不協和音乱れ飛ぶ不穏な4番(1943)と戦後作品とはいえ、闘争心と暗さみ満ちた6番(1947)というシャープでキツイ交響曲にはさまれた第5番が戦中だったことを思うと作曲者の心中を推し量りがたくなるがいかがだろう。

ヴォーン・ウィリアムズは熱心なクリスチャンだった。
オペラに声楽曲に、宗教を背景とした作品も多い。
第5交響曲をじっくり聴いてみると、RVWが戦火の悲惨さを思いつつ、そんななかで、祖国への愛、とりわけ英国の豊かで緩やかな自然、そして自らの宗教観を重ねてみたのではないかと思う。

「アレルヤ」という、キャロルの旋律が随所に何度もなんども出てくる。
イギリスのキャロルのなかで、もっとも知られたフレーズ

荘重で、まさに教会旋法を思わせる第1楽章。
スケルツォの2楽章。民謡調のパッセージが明滅しつつ、とりとめのない雰囲気。
この交響曲の白眉といえる第3楽章の素晴らしさ。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
ここに、純真な祈りの心も読み取れる。
例のアレルヤも何度もくりかえされる。
この楽章だけでも、ときおり聴くことがある。
わたしが死んだら、この楽章をいくつものリクエストの中のひとつとしてかけてほしい。
宗教感・自然観・人間模様がRVWの中で昇華されたかのような素晴らしいシーンなのだから。
いま、世界に一番聴いてもらいたい音楽。
 最後にパッサカリアとして、快活に始まる終楽章も、後半は全曲を振り返りつつ、3楽章をとりわけ思いおこしつつ、浄化されたかのようにして澄み切った雰囲気で曲を閉じるが、この曲の素晴らしさを集大成したような名残惜しい、そして忘れないで欲しいと語りかけてくるような、身にしみいるようなエンディング。
泣けます。

RWVの交響曲の中では一番好きな作品。
近年、一番演奏されているRWVの交響曲だと思う。
バルビローリはRWVの交響曲をボールトのように、すべて演奏しなかった。
残された録音は、2番(ロンドン)、5番、8番だと思う。
もっともバルビローリ向きの5番をEMI にステレオ録音されてよかった。
録音は古びて聴こえるが、バルビローリの一音一音、慈しむような、かつ熱い指揮は、この音楽の持つ祈りの熱さを伝えてやまない。
3楽章には熱き感動が、ラストシーンには切ないまでの祈りがここに聴かれます。

この5番は演奏会でも、プレヴィンとノリントン、いずれもN響の演奏で聴いてます。
いまこそ、RWVの田園と5番を聴くべし時節です。

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おうちから見える桜。

デスクから首を伸ばすと見えるぜいたく桜。

でも散った花びらを掃除するのはたいへんだし、葉が茂ったあとは、虫ちゃんがやってきます。


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桜は刹那的に楽しむもので、日本特有の味わいかたも華やかで儚いものです。

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この週末は冷たい雨で、次週晴れたら桜吹雪です。

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2019年9月14日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

Cosmos-3

今年は、最初は涼しく、その後の暑さが厳しすぎたせいか、吾妻山の早咲きのコスモスは少し精彩に欠くような気がしました。

でもその名の通り、初秋に咲く、この花の色合いや佇まいはとても美しい。

Rvw

こんな教会の中で演奏された曲をネットで聴きました。

そう、英国音楽好きを自称しておきながら、こんなに美しい音楽を知らないできた。

いや、でもメロディーはなぜか知っていた。

しかも、6月から8月にかけて、イギリスでの演奏会でのものを3種類も。

  ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

        ~16人の独唱者とオーケストラのための~

 ステファン・クレオバリー指揮 ブリテン・シンフォニエッタ
                キングズ・カレッジ・コーラス
       (2019.06.29 ケンブリッジ、キングズ・カレッジ教会)

 マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団
            ハレ合唱団
            (2019.05.23 マンチェスター)

 マーティン・ブラビンス指揮 BBCスコティッシュ交響楽団
               BBCシンガーズ
             (2019.08.13 ロイヤル・アルバートホール)

短い間に、3回も演奏されます。
そう、それにはいわれがあります。

指揮者ヘンリー・ウッドの指揮活動50年を記念して、ほぼ同年代だった朋友のヴォーン・ウィリアムズは、この素敵な作品を1938年に作曲した。
ヘンリー・ウッドは、指揮者として、作曲家・編曲者として、そして、音楽プロデュースにおける改革者として、ビーチャム、さらには、ボールトやバルビローリらの先人として英国音楽界にその足跡を残した人です。
プロムス、すなわちプロムナードコンサートの第1回目の指揮者でもあり、その後もクィーンズホールから現在のロイヤルアルバートホール(RAH)に至るまで、ずっと指揮者として活躍し、いまは、プロムスの期間中、そのホールに胸像が掲げられてます。
そのウッドの生誕150年が今年だったわけです。(1869~1944)

今年のプロムスでは、ブラビンスの指揮で演奏され、6月には、キングス・カレッジを長年率いたクレオバリーのフェアウェルコンサートのなかで、そして5月には、ハレ管のマーラー2番の、驚きのアンコールで演奏されました。

このように、ウッドと所縁があることで、今年多く演奏され、放送も多く聴くことができ、この作品がことさらに好きになった次第です。
聴いたことがあるメロディ、CD棚を探しまくり、いくつかある交響曲の全曲のカップリングにもないかと思ったが、残念ながら手持ちのCDにはありません。

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作曲時に選ばれた16人の歌手とオーケストラによるこの作品、歌手たちはソロであったり、重唱であったりで、
 のちに、ソロを4人とし、合唱とオーケストラによるものへと編曲。
さらに、ヴァイオリンソロを伴うオーケストラ版にも編曲されました。
わたくしは、きっと、このオーケストラ版をどこかで聴いたのだろうと思われます。

歌詞は、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」からとられてます。
この物語は喜劇でありながら、ユダヤ人とキリスト教者との当時の微妙な関係が描かれたりもしているのですが、ヴォーン・ウィリアムズはそのあたりはスルーして、この戯曲に出てくる音楽にまつわるシーンから美しい言葉を取り上げました。

物語の概略は、ヴェニスの商人、その親友が結婚をしたがっているが資金がない、それを用立てるために、ユダヤ人高利貸しから借金をするが、期日に返すことができずに、証文通りに、心臓を差し出すことになってしまう。その裁判で、裁判官に扮した親友の婚約者の機知によって助けられ、高利貸しは財産没収とキリスト教への改宗を命じられてしまうというオハナシ。

ここで、ヴォーン・ウィリアムズが選んだシーンは、①婚約者が裁判に勝利して、家に帰ったとき、幸せにあふれた気分で月を見上げ、もれてくる音楽を聴いたときの気分、②もともと父に反発していたた高利貸しの娘が、判決で得た父の没収財産の半分を得て、婚約者のキリスト教徒の若者と駆け落ち、夜空を見ながら天体の音楽を語り合う、このふたつです。

曲の最初は、美しい、美しすぎるメインテーマが、ソロ・ヴァイオリンによって奏でられます。
そう、あの「揚げひばり」をお好きな方なら、すぐに、このメロディーは忘れられないものとなります。
優しさと慈悲にあふれた旋律です。
そのあとに、こんどは16人の重唱で。

 「月明かりが、ここにのぼり、そこに眠るなんて、
  なんて甘い想いなのでしょう
  ここに座りながら、音楽が。
  私たちの耳に忍び寄るように
  静かな夜、甘いハーモニー・・・」

ソプラノソロが、of sweet harmony と寄り添うように歌います。

このソロと、その歌詞は、曲の最後にも歌われ、まさに癒しのサウンドを持って印象的に静かに終了する重要なモティーフです。

曲は途中、ヴォーン・ウィリアムズならではの、ミステリアスな進行を伴った神秘サウンドもあらわれますが、最終は、幸福なムードのなかに終わります。
13分ぐらいの曲ですが、何度もいいますが、ほんと美しい。

「天体の音楽は人には聴こえない」とシェイクスピアの原詩にはありますが、ヴォーン・ウィリアムズは、それをわれわれの耳に届けようとしたのかもしれません。

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3つの演奏、ともに素敵です。
クレオバリーの教会での演奏は、雰囲気そのものが素晴らしく、響きもいい。
エルダーは、マーラーで歌ったソプラノがそのまま歌っているのか、ソロが素晴らしく感動的。
プロムスのブラビンスは、巨大な響きのいいホールを美しい響きで満たしてしまい、賑やかな聴衆を静まりかえらせてしまったくらいに、集中力あふれた演奏。

ボールトのCDを今度は聴いてみよう。

Cosmos-2

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年9月10日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズ グリーンスリーヴスによる幻想曲 マリナー指揮

Minegishiyama_1

青空が見たい。

お天道さまを仰ぎたい。

もうやだ、雨。

Minegishiyama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ  グリーンスリーヴスによる幻想曲

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

               (1972 @ロンドン、キングスウェイホール
                1986.4 @ロンドン)


なにかと気ぜわしく、音楽をゆとりを持って聴く時間もない今日この頃。

しばらくぶりの更新は、超短めで。

いくらなんでも降りすぎだろ、この雨は。

早く、すっきりした空が、拝めますように、そんな思いも込めて、今宵はRVW。

VWのオペラ、「恋するサー・ジョン」に採用した、「グリーンスリーヴズ」の哀愁の旋律。
原作が、いわゆるシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、作者は、この旋律についてもそこで触れているといいます。

この素敵なオペラ、ヒコックスの指揮で、聴いてますので、いつか記事にしたいと思ってます。

誰しもがイメージする、この曲のエヴァーグリーン的な要素。

それを、すっきり、さわやかに演奏したのが、サー・マリナーです。

中学生のときに、ロンドンレコードから出た新譜のサブタイトルが、「ヴォーン・ウィリアムズのさわやかな世界」・・・・、だったと記憶します。
後年、レコードとして購入し、まさにその文字通りの曲目と演奏に、ほんのひと時的な聴き方で、愛着したものでした。

後年、フィリップスに、ノスタルジックサウンドとして再録音しましたが、30秒ほど演奏時間も伸びて、少し恰幅がよくなりましたが、あの少しそっけないくらいの、爽快マリナーは健在でした。

でも、自分的には、フィリップスの録音もいいのですが、デッカのこの曲にステキなまでにマッチングした録音がプラスに働いた旧盤を愛するところです。

 早く、晴れますように・・・・・

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2015年7月 3日 (金)

ヴォーン・ウィリアムズ 「ドナ・ノビス・パーチェム」 ヒコックス指揮

Komayama_1

大磯町の高麗山と夕陽。

隣接地、湘南平は、子供の頃の遠足の地でしたが、このあたり一帯は、高句麗からの来訪者が住んでいたり、高麗寺が、家康に保護されたりと、歴史的にもゆかしい場所であります。

なにより、そして、容がいいです。

Komayama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ カンタータ「ドナ・ノビス・パーチェム」

                    ~我らに平和を与えたまえ~


     S:イヴォンヌ・ケニー    Br:ブリン・ターフェル

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

                      (1992.3 @アビーロード・スタジオ)


レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)は、クラシック音楽のあらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残した作曲家です。
運命の数字の9曲の交響曲に、お馴染みのグリーンスリーブスや、タリスなどの管弦楽作品、協奏作品、室内楽、器楽に、オペラ複数曲、そして歌曲や声楽曲も多数。

ふたつの世界大戦を体験し、その影が、その作品たちにはうかがえることもしばしば。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽も。

RVWの音楽は、もっともっと聴かれていいと思います。

そんな曲のひとつが、今日の声楽作品である、カンタータです。

「ドナ・ノビス・パーチェム」は、バターフィールド合唱協会の委嘱により作曲され、1936年10月に初演。
英国は、大国として、世界に植民地政策を敷いていた時期でもありながら、徐々に、その国力も衰退の色が出てきて、一方で、20年前の敗戦国、ドイツでは、ヒトラーがすでに政権を握り、この年の8月には、「ヒトラーのオリンピック」と言われた、ベルリン・オリンピックが行われております。
 ちなみに、日本では、2・26事件が起きた年でもあります。

そんな不穏な空気が、少しづつ流れつつあった世界。

ヴォーン・ウィリアムズは、このカンタータに、戦争の悲惨さや哀しみ、そして平和を祈る気持ちを、しっかりと込めました。

最初に、言います、自分の気持ち。

「この作品は、ほんとうに、美しく、感動的です。
泣きます、思わず、手を合わせてしまいます・・・。」

6つの部分からなるこのカンタータは、続けて演奏されます。
全体で39分。

ラテン語による典礼文、聖書、そして現代詩が交互に、または混合されて出来上がっている。
それは、まさに、後年のブリテンの「戦争レクイエム」を思わせる構成となっていて、そちらがそうであったように、祈りと悼み、そして戦争の辛さを、われわれに訴えかける力が極めて強く出来上がっていると思う。
 そして、詩の方は、RVWの作品に多くあるように、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の作品から取られております。

①「アニュス・デイ」・・・静かに、でも痛切な思いを込めて、ソプラノがアニュス・デイと歌い始め、ドナ・ノビス・パーチェムと、この曲の各章の締めに歌われるタイトルを表出する。
やがて、合唱も同じように静かに入ってきて、さらに悲しみを強く持ちながら強い音の場面となってゆく、ラテン語による第1章。

②「叩け、叩け、太鼓を」・・・・ホイットマン詩、米南北戦争時で、実弟が戦地にあり、それを思って書かれた詩。
RVWは、英国にあって、第一次大戦での思いを、この詩に重ね合わせた。
 この章は、レクイエムにおける、「怒りの日」に相当するような雰囲気で、不吉なラッパから始まり、急に激しい咆哮となり、オルガンも加わってダイナミック。
教会の中での集まり、結婚式、それらの平和な日常生活に、ドアをぶち破って、戦争へ導く太鼓や行進の響きが轟く・・・そんな詩の内容。

③「Reconcliation~和解」・・・・こちらも、ホイットマンの詩。
繊細なヴァイオリンソロにより始まるこの章は、静かで、心に沁みわたる曲調で、RVWの抒情の世界が味わえる、ほんとうに美しい音楽。
バリトンのソロと、エコーのような合唱。
 「青空は美しい、美しいから戦争も、虐殺も、時間が経過すれば、きれいに忘れられる。死と夜の姉妹の手は、たえず優しく、何度も繰り返し、この汚れた世界を洗ってくれる・・・・」

なんて、哀しいんだろ。

人間の編み出す悲惨な戦争や殺し合い、でも、どんなときにも、変わらぬ自然の美しさ。。。。

この美しい章の最後には、また、「Dona nobis percem」が歌われます。

④「二人の老兵のための哀歌」・・・・ホイットマンの詩集「草の葉」から。
この詩に寄せた曲は、1914年に書かれていて、それが転用されている。
そして同年、朋友のホルストも、この詩に、素晴らしい作品を書いてます。
 行進曲調の太鼓、低弦のピチカートに乗って歌われる合唱だけの章。
前章の戦時の太鼓の響きを引き継ぎ、息子に語りかける老兵、月の静かな光のもと、銀色に輝く横顔、それが天国では、明るく輝くだろうと・・・・。
淡々としたなかに、悲しみと、諦念が滲んだ桂章。

⑤「死の天使が、地上に舞い降りた」・・・・・英・仏・露・土で行われたクリミア戦争(1853~6)に反対した、政治家、ジョン・ブライトの反戦の名演説を、バリトン独唱で、無感情に。

 合唱とソプラノで、強い「Dona nobis percem」を挟んで、旧約のエレミア書から。
「われわれは、平和を望んだが、よいことはなかった・・・、民の娘は、いやされることがないのか。」

ここでも、繰り返し、争いの無情さを訴える章。
でも、音楽は、少しずつ、明るい兆しが。。。

⑥「おおいに愛される人々よ、恐れるには及ばない」・・・・安心しなさい、心を強くし、勇気を出しなさい。 旧約ダニエル書から。
後光が差すかのような厳かなバリトンソロで開始。
「わたしは、この場所に栄光を与える・・・」と同じくバリトンソロによる主の宣言、これは、旧約のハガイ書。

次いで、合唱で、ミカ書、レビ記、詩篇、イザヤ書、ルカ伝と、合唱が歌い継いでゆく。
平和・平安を思わせる空気が充満し、じわじわと盛り上がり、高まる感動に乗せて、ついには、栄光をと歌う!
 そして、曲は、最後に、急速に静まり、「Dona nobis percem」が、ソプラノ独唱で繰り返されるなか、合唱が絡み合い、オケは鳴りをひそめ、アカペラで進行する終結部。
 思わず、ここで手を合わせたくなる心の祈り。
Percemを繰り返すソプラノが、静かに消え入り、この天国的に美しい章は消えてゆくように終わり、優しい気持ちにつつまれて、ひとときの心の平安を味わうこととなります・・・・・・・。

でも、すぐに現実に引き戻され、喧騒と情報の渦に引き込まれる、そんな現代人なのです。

 ヒコックスの献身的なまでの感動的な指揮ぶりが、よくわかる名演。
手塩にかけたロンドン響コーラスの見事さ。
英国ソプラノの典型とも呼ぶべき、無垢でピュアなケニーの美しいソプラノ。
後の威圧的な声が想像できない、ピュアなターフェルのバリトン。
素晴らしい曲に、素晴らしい名演だと思います。

ブライデン・トムソン、ボールトの演奏も、いつか聴いてみたいと思ってます。

そして、この作品と似たような構成を持ち、ヨハネに題材を求めた「聖なる市民」が、この音盤にはカップリングされてまして、そちらもいずれ取り上げましょう。

もうひとつ、RVWのオペラも、一作を除き、ほぼコンプリートしましたので、時間はかかりますが、ゆっくりと書いて行きたいと思ってます。
すでに取り上げたお気に入り作品は、「毒のキッス」でして、これまた怖いタイトルにもかかわらず、愛らしいオペラなんですよ。(過去記事→

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2014年11月 5日 (水)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンズ指揮

Geigeki

開演15分前、人々が駅から出て、次々に、こちらに吸い込まれて行く。

そう、東京都交響楽団のA定期演奏会を聴いてまいりました。

わたくしは、この大きなホールが、街の雰囲気も併せて、どうも苦手で、できるだけ避けたいホールのひとつです。

でも、先のB定期(→RVW、ブリテン、ウォルトン)とともに、名古屋フィルのシェフで、英国音楽の演奏の希望の星、マーティン・ブラビンズの客演で、ウォルトンの交響曲のふたつめ、そして、なんといっても、ディーリアスとRVW。

ふたつの定期が、こうして関連だっていて、しかも英国音楽に特化している。

英国音楽を、こよなく愛するわたくしとしては、ホールがどうのこうの言っていられません。

Metorso

  ヴォーン・ウィリアムズ  ノフォーク・ラプソディ第2番 日本初演
                    (ホッガー補筆完成版)

  ディーリアス        ヴァイオリン協奏曲

              Vn:クロエ・ハンスリップ

  ウォルトン         交響曲第1番 変ロ短調

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

  ※P・プラキディス ふたつのきりぎりすの踊り(ヴァイオリンソロ、アンコール)

                       (2014.11.4 @東京芸術劇場)


これまた、わたくし向きのプログラム。
どの作曲家にも、強い思い入れがある。

でも、とりわけ、フレデリック・ディーリアスへの思いは人一倍強い。

本ブログでは、その心情を時おり、吐露しておりますが、亡き人や、故郷への望郷の思いと密接に結びついていて、その作品たちとの付き合いも、もう40年近くになります。

日本のコンサートに、その作品が取り上げられるのは、著名な管弦楽小作品か、「楽園への道」ぐらいで、あとはモニュメント的に、声楽作品が演奏されるぐらい。

ディーリアスのヴァイオリン協奏曲が、こうして演奏されるのって、ほんとにレアなことだと思います。
これを逃したら、生涯後悔するかも・・・、それこそ、そんな気持ちでした。

しかし、不安は、大きなホール。

でも、その思いは実は、1曲目のRVWで、ある程度払拭されてました。

そう、静かで抒情的な場面の連続する、RVWとディーリアスの曲ですが、音のディティールは、細かなところまで、しっかり届きましたし、なによりも、ホール全体に漂う、静かな集中力のようなものを強く感じ、音楽の一音一音をしっかり聴きこむことができました。

27分間にわたって、楽章間の明確な切れ目はなく、多くの時間が、ピアノの静かでゆったりムードで続くディーリアスの音楽の世界は、もしかしたら初めて聴かれる方には、とりとめもなく、ムーディなだけの音楽に聴こえたかもしれません。

ですが、ディーリアスは、そこがいいんです。

茫洋たる景色、海や山が、霞んで見える。
自然と人間の思いが、感覚として結びついている。
リアルな構成とか、形式なんか、ここではまったく関係がない。

その、ただようような時間の流れに、その音楽をすべり込ませて、静かに身を任せるだけでいい。
形式の解説など不要だ。

わたくしは、大好きなディーリアスのヴァイオリン協奏曲の実演に、遠いニ階席で、曲に夢中になりながら弾きこむクロエ嬢と、慈しむように優しいタッチで指揮をするブラビンズさん、そして神妙な都響の面々、そのそれぞれを見ながら、やがて、その実像が、ぼやけてきて、いつものように、望郷の念にとらわれ、涙で目の前が霞んで行くのに、すべてを任せました。

言葉にはできません。
ほんとうに素晴らしかった。
実演で接すると、いろんな発見も、処々ありましたが、それら細かな部分は、全体のなかに静かに埋没してしまい、いまは、もう、そのようなことは構わなく思えます。

タスミン・リトルのあとは、ハンスリップ嬢と、スコットランドのニコラ・ベネデッティがいます。
頼もしい、英国系女性ヴァイオリン奏者たち。
ちょっと踏み外すところや、元気にすぎるところは、ご愛嬌。
かつてのタスミンもそうだった。
 ただ、アンコールは、民族臭が強すぎて、ディーリアスの多国籍かつ無国籍ぶりにはそぐわなかったような気がします。
東欧の響きのように思いましたが、ラトヴィアの作曲家だそうで。

 さて、思いの強さで前後しましたが、RVW作品は、日本初演。

それもそのはず、民謡の採取に情熱を注いだV・ウィリアムズが、それらの素材を活かしたノフォーク・ラプソディを、3曲書きましたが、2番目は未完、3番目は破棄ということで、完全に残ったのは、先に聴いた美しい1番のみ。

未完の2番を、RVW協会の許しを得て、R・ヒコックスがスティーブン・ホッガーという作曲家に補筆完成を委嘱したのが、今回の作品。
2002年に完成し、一度限りの条件で初演されたのが2003年。

ヒコックスのRVW交響曲録音の、3番(田園交響曲)の余白に収められておりますが、その初演以外、しかも、海外で初となる演奏許可を、都響が取りつけたとのことです。

それは、英国音楽の達人ブラビンズあってのことだと思いますし、東京都とロンドンという関係もあってのことかもしれません。

ともかく、VWらしい、郷愁あふれる情緒豊かな音楽で、10分ぐらいの演奏時間のなかに、静かな場面で始まり、スケルツォ的な元気な中間部を経て、また静かに終わって行く、第1番と同じ構成。
親しみやすさも増して、ステキな聴きものでした。

 休憩後のウォルトンの1番。

せんだっても、尾高&藝大で聴いたばかり。
ダイナミックレンジの幅広い、繊細かつ豪快な音楽は、前半の静けさとの対比でもって、とても面白い。
しかし、この大きなホールの2階席は、音像が遠く感じ、迫力のサウンドは思ったほどに届いてこないもどかしさがありました。
前半や、この交響曲の第3楽章が、むしろ、じっくり聴けた感じがあるのは、面白いことでした。

 それでも、CDで聴き馴染んだこの作品は、やはり実演が面白い。
第二次大戦を間近に控えた頃の、不安の時代。
その緊迫感と重々しさを随所に感じつつ、最後は、輝かしいラストを迎えるわけで、交響曲の伝統のスタイルをしっかり踏襲している。
 ほんと、快哉を叫びたかった、リズムもかっこいい第1楽章では、ブラビンズの指揮ぶりを見ていると、とても明快で、オケも演奏しやすいのではとも、思いました。
 変転するような拍子が、妙に不安を駆り立てる難しい2楽章ですが、都響の完璧なアンサンブルは見事なもの。
 そして、一番素晴らしかったのは、沈鬱さと孤独感の中に、クールな抒情をにじませた静かな3楽章。
木管のソロの皆さんの柔らかい音色も印象的で、オケの音色は、透明感を失わずに、くっきり響いてます。
 一転、明るさが差し込む終楽章。
重層的に音楽が次々に盛り上がってゆくさまを、意外な冷静さで聴いておりましたが、最後の方の、トランペットの回想的なソロ(素晴らしかった)のあと、ついに出番が巡ってくる、2基目のティンパニと、多彩な打楽器の乱れ打ち。
この最後の盛りあげがあって、この1番の交響曲が、映えて聴こえるのですが、それにしても、完璧な演奏ぶりでした。

驚くほどのブラボーが飛び交いました。

指揮者を讃えるオーケストラに押されて、ひとり指揮台に立って喝采を浴びたブラビンズさん。
いい指揮者です。
ウォルトンの分厚いスコアを、大事そうに小脇に抱えて、ステージを去るその姿に、好感を覚えた方も多くいらっしゃるのでは。

名フィルの指揮者であり、ロンドンのプロムスの常連。
CDも、コアな珍しいレパートリーでもってたくさん出てます。
ブライアンの巨大ゴシックシンフォニーもあります。
名古屋での、ユニークな演目も聴いてみたいものです。

  過去記事

 ディーリアス ヴァイオリン協奏曲

  「ラルフ・ホームズ&ハンドレー」

  「アルバート・サモンズ&サージェント」

 ウォルトン  交響曲第1番

  「ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィル」

  「尾高忠明指揮 藝大フィルハーモニア」

 

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