カテゴリー「マリナー」の記事

2025年8月16日 (土)

フォーレ レクイエム マリナー指揮

Glass

戦後80年の終戦の日でした。

毎年この日は不戦の誓いを国をあげて行い、テレビやマスコミも反戦を主体にした番組や特集が組まれます。

日本は敗戦国であり、つねに反省を求められ、それは80年間変わらずにいまに至っている。

しかし、戦勝国側はどうだろう、勝ったという結果だけで彼らは正しいとされ、彼らによって奪われた無辜の民のことは一向だにされない。

私は終戦の日を迎えても、どこか虚しさを歳とともに感じてしまうのです。

写真は、もうなんども出してますが、いま住む町に東京から疎開してきた少女の像です。
先に疎開していた彼女、東京では空襲があり、父親以外、みんな亡くなったしまう。
彼女の元にひとりやってきた父親と数日を過ごしたものの、駅舎をアメリカ軍機の機銃掃射で無差別攻撃され、父親は即死。
ひとりきりになった彼女が、父の形見のガラス製のうさぎや、周りの人々に勇気づけられ強く生きてゆく。

80年も経過し、戦争すら知らない、どこと戦ったかも知らない若者たちが増え、もうそんな日本なのだから、いつまでも反省ばかりを口にする日本人でなく、多くの罪のない日本人が亡くなったことと、その彼らへの追悼の思い、日本のために戦った人々への感謝、それらだけを表明するだけでいいのではないかと思う。

怒りや自己批判はもういい、優しさと思いやりこそ、日本人の強みではないかと。

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    フォーレ レクイエム op.48

      S:シルヴィア・マクネア

      Br:トーマス・アレン

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

 アカデミー・オブ・セント・マーテイン・イン・ザ・フィールズ
                  同  合唱団

    (1993.1 @St.ジョンズ、スミス・スクエア、ロンドン)

癒しのレクイエム、フォーレを聴く。

いつもの夏のとおりに、戦争レクイエムと併せてヴェルディを聴こうかとも思ったが、静かに慎ましく過ごしたくて。

ひと月前に、ノットの指揮による戦争レクイエムを聴いたばかりで、それは淡々としたなかに、戦争のむごさよりは、許し合い、手を取り合い祈ることを感じさせる演奏なのであった。

久しぶりにかの名盤、クリュイタンスとパリ音楽院にしようと聴いた。
その名に恥じない名演で録音も色あせてはないが、歌手のこともあり、ロマンティックに過ぎるかな・・・
あと、ルチア・ポップの歌声が聴きたくて、コリン・デイヴィスとドレスデンのものも聴いた。
しかしポップ以外が重すぎ、サイモン・エステスなんてオランダ人みたいで、辛くなった。
ということで、これもまた久しぶりに聴くこととなったマリナー卿のそれこそ慎ましい演奏をとり上げることとした。

ついでに申せば、フォーレのレクイエムといえば、わたしにはコルボとベルン響、ヘルヴェッヘ、A・デイヴィス、ヒコックス、フルネ、そしてこのマリナーであります。
このマリナー盤のよいところは、その演奏に加え、カップリングに妙があるところ。
レクイエムのあとに同じフォーレのパヴァーヌ、ケックランのフォーレの名によるコラール、フローラン・シュミットのスケルツォ(フォーレの思い出に)、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌと続きます。

美しく清廉・無垢な音楽、フォーレのレクイエムほどあらゆるクラシック音楽のなかで、そのように感じられるものも少ないだろう。
宗教音楽という枠組みを超えて、天国的な音楽であることは、人種・宗教関係なく、あらゆる人間の心を動かくものだろう。
先に触れたとおり、ロマンティックにも演奏できるし、極めて宗教的に静謐な音楽にもできる、はたまたドラマテックな味わいで装うこともできるだろう。

マリナーの演奏は、そのどれでもなく、いつものマリナー卿のように、さりげなく淡々としたものです。
この淡泊さがよいし、作品によっては踏む込みが足りないとする演奏もあるかもしれない。
そんなマリナーらしい、いかにもマリナーなフォーレのレクイエム。
編成も少なめ、ニュートラルな蒸留水のようなすっきりしたアカデミーのオケとコーラス。
モーツァルト歌いのリリカルなマクネアーのピュアなピエ・イエズ、ていねいで気持ちのこもったその歌声は心を打つ。
すっかりおなじみのアレン卿のバリトンは、歌い過ぎず抑制された声が禁欲的でもあり極めて好ましかった。

パヴァーヌからフランス音楽のフォーレの後継をたどる選曲もとてもよく、心安らぎ、優しい気持ちになれます。
最後に、褒めついでに、いつものように当時のフィリップスの録音も素晴らしいです。

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古今にレクイエムは数多くあり、ルネサンス、バロック期のものは静かなものが多く、癒し系としてはカンプラのものが大好きです。
古典からロマン派となると楽器の進歩も加わり、レクイエムにも劇性が加わるようになる。
そんななかで、ブラームスは独自の存在のレクイエム。
そして癒し系統のフォーレとなりますが、近現代になるとデュリュフレやロパルツがそこに連なります。
日本の作曲家にも多くのレクイエムやそれに準ずる作品がありますが、日本の作品は先の大戦や度重なる自然災害などの死者への追悼という意味あいのものが多いです。
宗教性は薄く、われわれ日本人にはより切実なレクイエムとなっている作品ばかり。

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2025年5月24日 (土)

R・シュトラウス 「町人貴族」 マリナー指揮

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花の便りとしては遅きに失した感ありますが、ネモフィラとチューリップ。

今年の春は寒暖の差が日々激しく、あれよあれよという間に終わってしまった。

晴れの日にうまく行動できる日がなかったりで、季節の花めぐりも不発に・・・

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ブルーとチューリップの白、さわやかな色合いに癒されました。

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  R・シュトラウス 組曲「町人貴族」 op.60

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

 アカデミー・オブ・セント・マーテイン・イン・ザ・フィールズ

   (1955.7 @セント・ジョンズ・スミス・スクゥエア、ロンドン)  

静岡で観劇した「ナクソス島のアリアドネ」の余韻がずっと継続していて、手持ちの音源をとっかえひっかえ聴いていました。
そして同時に、「アリアドネ」としてオペラ独立した元作の一部であった同じ作品番号60を持つ「町人貴族」も聴いてました。
アリアドネを聴きつつ、町人貴族も何度も聴くと、いままではあまり気にしていなかった同じ旋律が見つかったり、またシュトラウスの常套として、他作からの引用などもしっかりみつかり、面白い発見もありました。

作品59の「ばらの騎士」の続く6作目のオペラ作品も、ホフマンスタールとばらの騎士での演出担当マックス・ラインハルトとの協力で企画され、モリエールの戯曲に基づくリュリのコメディ・バレエをベースに編曲や新曲の音楽をつけて劇音楽とし、くわえて悲劇とドタバタ劇を融合させた劇中劇とで「町人貴族」という大作を作り上げた。
そうして1912年に初演はされたものの、構成にやはり無理もあり成功とはいえなかった。

その後、「ヨゼフの物語」や「影のない女」を経て、劇中劇を独立させ、ドタバタの部分をプロローグとしてグレートアップさせた「ナクソス島のアリアドネ」を1916年に初演。
一方の残された「町人貴族」の劇音楽部分は、これもまた手を入れて独立の劇付随音楽作品として規模を拡大して1918年に初演。
さらにここから9曲を選びだして、組曲「町人貴族」が編み出され1920年に初演。
いまでは組曲版しか聴かれることがないかもしれない。
ちなみに、初稿の全曲録音のケント・ナガノ盤はまだ聴いたことがないので、こちらは自身の課題といたしましょう。

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成り上がりものの金持ちジュールダンを風刺した物語。
音楽や舞踏、剣術や哲学まで、貴族としての素養をつけるべく毎日毎晩金にものをいわせて励んでいるものの、まったく身に着かず状態しない。
クレオントという青年が、このジュールダンの娘のリュスィルと愛し合う仲になるが、彼は貴族ではないので、それを理由に結婚は許されず。
そこで一計を案じ、トルコの王子になりすますことになり、めでたくリュスィルと結婚してしまう・・・という他愛のないオハナシ。

①序曲(町人貴族としてのジュールダン、滑稽さと優美さ)
②メヌエット(ダンスのおけいこ中)
③剣術の先生(おおげさな身振りと緊迫感)
④仕立て屋の入場と踊り
⑤リュリのメヌエット(リュリの原曲の編曲)
⑥クーラント(宴会のお開きはカノン風)
⑦クレオントの登場(トルコ王子になりすましてリュリの原曲も活かし、異国情緒も)
⑧2幕前奏曲(ジュールダンも恋心、公爵夫人とその恋人を美しく描く)
⑨饗宴(ジュールダン主催の大宴会、食卓の音楽に料理人たちの踊り)

組曲で抜粋されたので、ストーリー性はなく脈連もない感じだが、いかにもシュトラウスらしい匠の描写性と優美さ、洒脱さあふれる音楽。
37人編成の室内オケは、アリアドネの方と同じく、ともかく軽やかさや晴朗さへのこだわりがあり、歌がないぶん、BGM風に流しつつ、わたしはPC作業など、実に軽やかにキーボード操作も進んだものです。

①のオーボエで奏でられる優美な旋律は、オペラのプロローグで作曲家が歌うモノローグに出てくる。
②のメヌエットの軽やかなフルートも、同じくプロローグで舞踏教師の登場シーンで出てきます。
さらに面白いのは、⑨の宴会での多彩な次々に供される料理の描写に、「ラインの黄金」のラインに娘たちのいる河の流れで鮭料理、自作の「ドン・キホーテ」で羊料理を、「ばらの騎士」の逢瀬の朝の鳥のさえずりで鳥レシピ(!)・・・など、ほんと面白い。

音源は実はあまり持ってませんで、マリナー盤が録音もよく、いつものマリナー&アカデミーのように、さらりとして軽快な演奏なので、何度も聴くのに過不足なくよろしい。
もっと歌いこんで巧く聴かせることもできるのでしょうが、そこはマリナー卿、紳士的な佇まいを崩さず遊び心は抑え気味にでもノーブルさをさりげなく引き出していて心地よい。

あとはテンシュテットとライナー(抜粋)を持ってるのみですが、実はエアチェックしたサヴァリッシュとウィーンフィルのライブがとても素晴らしい演奏なんです。
この作品を演奏するのに、やはりウィーンフィルは最適で、オケの柔和な響きとサヴァリッシュの清新な指揮とがうまくマッチしていて、アリアドネでもベームのあとを受けて指揮をしていたとおり、シュトラウスの持つ地中海的なサウンドを引き出す妙味を味わえます。

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5月の最終週のお天気は連日の曇空や雨予報。

梅雨の訪れも早そうで、季節の巡りはどんどん早くなり、もう若くない自分は身体を慣らすのについていけない。

みなさまも体調管理に気をつけて、やってくる厳しい夏に備えてくださいまし。

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2024年12月25日 (水)

クリスマス with アカデミー マリナー指揮

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クリスマスがやってきました。

今年ほど世界が不穏で、日本もまたその影響を受け、われわれ庶民の実生活にもその影響がおよんだ年はないでしょう。

それでも世界はクリスマスを祝い、楽しむ気持ちは忘れていません。

いろんな国々の街の様子をリアルタイムで見ることができるネット社会の恩恵。

キリスト教国でない国でも、街々は華やかなイルミネーションでキラキラしてます。

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素敵な宗教画、ヨセフとマリアに幼子イエス、そして当方の3博士。

イエスの生まれた場所、ゆかりの地などが、いま世界の紛争の当時地になっているという悲しみ。

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   1.3時を過ぎて(英キャロル)   2.神の子は今宵しも(18th)
 3.ディンドン (仏キャロル)       4.木枯らしの風は吠え(ダーク)
   5.シンフォニア(バッハ)       6.昔、ダヴィデの村に(ゴーントリット)
   7.サセックスキャロル        8.何とかぐわしい(仏キャロル)
   9.御子がお生まれに(仏キャロル)       10.キリストの幼児から(ベルリオーズ)
  11.サン・ファミーユの休息(ベルリオーズ)    12.薔薇の花がほころんだ(プレトリウス)
  13.きよしこの夜            14.静かに、静かに(独キャロル)
  15.イエスのために(プレトリウス)        16.ひいらぎと蔦は(英キャロル)
  17.聖なる3博士(コルネリウス)             18.明日が私が踊る日(英キャロル)
  19.神の子イエスさま(カートパトリック)  20.パーソナント・ホディ(独キャロル)
  21.もろびと声をあげ(独キャロル)22.りんごの木なるイエス(ボストン)
  23.あめにはさかえ(メンデルスゾーン)
       
       教会の鐘:聖バーロソミュ教会、クルカーン、サマセット州

      S:ジョシュア・ローズマリー
      T :イアン・ボストリッジ
      Br:ジェラルド・フィンリー

   サー・ネヴィル・マリナー指揮

  アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

        (1994.1.4~8 @セント・ジョンズ教会、ロンドン)

本格的なクリスマスアルバムです。
伝統的な英仏独のクリスマスキャロルを中心に、中世からバロック期の作品、バッハやメンデルスゾーン、ベルリオーズといった本格クラシカル作曲家のクリスマス作品を一堂に集めた1枚。

正直いって渋いです。
キラキラしたクリスマスのイメージを期待すると100%裏切られます。
ヨーロッパでずっと聴かれ、歌われてきた人々の伝統あるクリスマス音楽。
アメリカの楽しくワクワクするようなクリスマス音楽、日本の商業主義におかされたその場だけのメリークリスマスとはまったく異なる世界がここにありました。
マリナーとアカデミーだから、楽しくさわやかなものなのだろうと思い込んでいたら大間違いでした。

CDの冒頭と最後に、教会の清らかな鐘の音がおさめられてます。

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 聖バーソロミュー教会、いかにも英国国教会の厳かな雰囲気

滋味あふれる優しいマリナー卿に導かれ、心休まる静かなクリスマスが過ごせました。
イブや、クリスマス当日の家人が寝静まった夜更けに、しずかに聴くに限ります。
たいへんなこと、嫌なことばっかりあった年だなぁ、と思いつつも、こうして静かなクリスマスと年末を安全に過ごすことのできる幸せをかみしめることができました。

お馴染みの定番の曲も、ここでは手作り感さえ感じる温もりの優しさにあふれてました。
バッハのクリスマス・オラトリオ、ベルリオーズのキリストの幼児も、いずれもサワリにすぎませんが、充足感あふれる素晴らしい演奏です。

マリナー卿が亡くなって、もう8年ですが、たくさんあるマリナーの録音の数々、まだ聴いていない音盤もたくさんあります。
それらのうちの1枚でした。
マリナーは、アンダーソンや定番クリスマスソングなど、フィードラーやオーマンディらが何度も録音した、いわゆる「クリスマス・アルバム」を意外にも録音しませんでした。
膨大なレコーディングを残したマリナー卿の以外な一面ですが、それもまたマリナーらしいところなのかもしれません。

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まだ手にしていないマリナーの音盤で、来年の目標としては、ハイドンのネイムズシンフォニー全曲、シューベルトの交響曲全集、シューマンの交響曲全集、モーツァルトの交響曲の後半、セレナーデなど、たくさん、たくさんあります。
思えば、未聴のマリナーがあることの楽しみよ。

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よきクリスマスを🎄

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2024年4月14日 (日)

ネヴィル・マリナー 100年

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中井町の山上のひとつ。

見晴らし抜群で、富士と大山、丹沢山麓、箱根の山々、さらには相模湾も見渡せる絶景の地。

まえから来ようと思っていたけれど、自宅から割とすぐだった。

ここが整備された公園となっているのは、9年前にここにできたメガソーラーとともに開発されたものだからです。

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神奈川県西部エリアで最大規模のソーラー発電所。

ここでは趣旨が違ってしまうのでこれ以上は書きませんが、自然エネルギーはたしかに有用でしょう。

しかし、もうお腹いっぱい、これ以上、日本の自然を壊さないで欲しい。。。

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サー・ネヴィル・マリナー(1924~2016)、4月15日が誕生日で、この日100年となります。

現役のまま亡くなって、はや8年。

残された膨大な音源は、まだまだ聴きつくすことができず、これからの楽しみもたくさん残していただいた。

アンソロジー化も期待され、ヘンデルばかりを集めたボックスも出るようだ。

存命なら100歳、今日は特にマリナー卿の小粋な演奏ばかりを、さわやかな晴天の空を眺めながら聴いてみた。

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  ヴィヴァルディ 二重協奏曲集

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1982.11 @ロンドン)

500曲はあるとされるヴィヴァルディの協奏作品。
そのなかから、ふたつの楽器のための作品ばかりを納めた、これもまたマリナーらしいナイスな企画。
「2つのトランペット、ヴァイオリン」「2つのホルン」「2つのマンドリン」「2つのフルート」「2つのオーボエ」「オーボエとバスーン」。
こんな多彩な曲の詰め合わせは、なんど聴いても飽きない、バロック音楽らしい明るく屈託のなさがひかります。
ヴェネチアの少女孤児院ピエタのためにその協奏曲の大半が書かれたというが、これらの2重協奏曲もホルン以外はいずれもそうだと言います。
録音時、すでに古楽奏法は流行りだしていたけれど、ピリオド奏法などなどまったく感知せずに、いつものとおり、さらりと、爽やかに演奏してのけたマリナーとアカデミーの面々なのでした。

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  ハイドン 交響曲第83番 ト短調 「めんどり」

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1977.10 @ロンドン)

レコードで、その曲名をモティーフにしたすてきなジャケットとともシリーズ化された、ハイドンのネイムズ・シンフォニーとパリ交響曲。
全部で33曲録音されている。
生真面目にハイドンの音楽に取り組んだ、清廉でかつ新鮮な演奏は、まさにエヴァーグリーン的な存在として、いまだに特別な存在意義のあるものです。
発売当時は、某廃刊誌の月評でけちょんけちょんに書かれたけれど、CD化されて初めて聴いたワタクシの耳には、すんなりと曲は流れるが、随所に微笑みとマリナーらしい、そっけなさも味わいに感じるステキなハイドンに聴こえたものです。
あえて短調の曲をえらんだのは、名前の由来となった「めんどり」の鳴き声をマリナーの棒で確認してみたかったから。
そしてやはりマリナー、カラヤンのようなそれ風の演奏とは違い、あっさりとサラッとやってた。
いろんな技巧の詰まったハイドンの音楽の面白さを素直に感じる演奏。
70年代、アナログ最盛期のフィリップス録音も素晴らしいものでした。

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  ロッシーニ 序曲集

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1974.5 、1976、1979 @ロンドン)

モーツァルト、スッペ、オッフェンバック、ウォルフ・フェラーリ、ワーグナー・・・さまざまに残されたマリナーのオペラ序曲集のなかにあって、最高の成功作がロッシーニ。
75年に第1作が、こちらのジャケットで発売。
その後、録音を重ね、最後には現存する序曲のすべてを録音してしまった。

アバドの既成の慣習を取り払った透明感あふれるロッシーニに聴き慣れた耳には、マリナーのロッシーニはアバドほどの先鋭感はなく、アバドほどの鮮やかなまでの俊敏性は感じられず、ロッシーニ演奏の革新から一歩下がったようなイメージを与えることとなった。
でもね、いろんな指揮者の新旧のロッシーニ演奏を聴くうちに、さらには、マリナーが序曲ばかりでなく、オペラのいくつかを録音し、それらを聴くうちに、マリナーの古典音楽への清廉な解釈の延長にあるロッシーニ解釈が過分な解釈なしの、スッキリ感あふれる、そして切れ味抜群の演奏であることを見出し、いまや快哉を叫ぶようになってまいりましたね。

こんな演奏が、あたりまえに行われ、音楽レーベルも普通に企画して販売していたいまや幸せな時代。
マリナーは、カラヤンとともに、そんな時代を音楽家として生き抜いたんだと思います。

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  エルガー 弦楽のためのセレナード

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1967.11 @ロンドン)

最後は指揮者というより、アカデミーのリーダーとして、ヴァイオリンを弾きながらリードしていたかもしれない頃のマリナーの至芸。
まさにエルガーのノビルメンテな、気品と愛情あふれる柔和な世界を、きどらずに普通に再現。
慈しみあふれるバルビローリ、きりりとした背筋のびるボールト、大家たちの素晴らしい演奏ともまた違った日常感覚あふれる、まさにさわやかさ満載のエルガー。
ちょっと距離を置きつつ、でもとても親密な優しい演奏、そんなマリナーの演奏。
序奏とアレグロも素敵すぎます。
こんなエルガーを、さらりと聴かせる演奏家、いまではもうあまりいませんね・・・・

音楽への思い入れが強すぎる演奏が多すぎると感じた時に聴くマリナーの指揮。
そしてアバドもそうしたところがありました。
楽譜どおりにちゃんと安心して聴ける、そんなマリナー卿が好きでした。

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マリナー卿、ありがとう。
日本にも何度も来演いただき、かなり聴くことができました。

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日本の富士🗻

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2023年6月17日 (土)

モーツァルト ハフナー・セレナード マリナー指揮

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紫陽花は、日本固有の品種だけれども、それはガクアジサイやヤマアジサイのようで、多くある品種は、改良されて再び日本にやってきた改良品種らしい。

ともかく、日本の梅雨を彩る美しい姿です。

小田原城にはたくさんの紫陽花が咲いてましたよ。

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 モーツァルト セレナード第7番 ニ長調 「ハフナー」 K.250

       Vn:アイオナ・ブラウン

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1984.11 @セント・ジョーンズ教会、ロンドン)

13曲あるモーツァルトのセレナードのうちで、もっとも大規模な作品がハフナーセレナード。
旅にあけくれたモーツァルトがザルツブルクに長く滞在した時期、金持ち貴族のハフナー家の令嬢の結婚祝いの宴席での演奏用に書かれたもの。
当時のお金持ちの富豪や貴族たちの贅沢な嗜みだったわけで、よくいわれる、機会音楽というもの。
ホホほ、とか扇で口元を覆いながら談笑する金持ちたちが、こうした音楽に耳を傾けながら、お酒飲んだり、いいもの食ったりしてたわけで、モーツァルトの音楽がこんな風に聴かれていたと思うと、極めて贅沢なものだ。
連続して演奏されたわけでもなく、楽章は合間を置きつつ演奏されたのだともいう。
いまの現代人は、演奏会で、真剣にこうした曲を聴くわけで、機会音楽でもなんでもなく、じっと構えて受けとめるわけです。

でも、わたくしは、今回、うまいツマミを食しつつ、ビール飲んだり、ハイボールやったり、とっかえひっかえしながら、このセレナードを楽しみましよ。
セレナードといいながら、堂々たるソナタ形式やロンド形式、ギャラントなメヌエット、短調の憂いをもった場面、ヴァイオリン協奏曲的なもの、たくさんの聴きどころが詰まったバラエティ作品なのだ。
だから、こんな風にくだけた雰囲気で聴くのも楽しく、かつ真剣に聴くのもよしで、やっぱりモーツァルトの音楽はシンプルながらも懐が深いなと思った次第だ。

マリナーとアカデミーのさわやか演奏ぶりが、こうした作品では屈託なさも加わって、自然と愉悦感が漂っている。
規律正しさと高貴な微笑み、ブリテッシュ・モーツァルトの典型かと。
フィリップスの録音も演奏にそった理想的なもの。
夜に嗜み、朝に聴いたハフナーセレナード。
今朝は快晴で気持ちがイイ!

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2023年3月18日 (土)

ヴィヴァルディ 四季 マリナー指揮

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12月に開花し、まだ健在の吾妻山の菜の花。

2月終わりごろですが、そろそろ終了。

そして今年は本格的な春が、すごく早くやってきました。

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家の近くの公園では河津桜が3月初めに満開となり、いまはもう葉桜に。

色の濃い桜が早く咲き、白や淡い色調の桜はそのあと。
でも、もうちらほら咲きだしていて、ソメイヨシノ、山桜の満開ももうすぐ。

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  ヴィヴァルデイ  「四季」

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 

 アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

        (1969 @ロンドン)

わたしのような世代の聴き手には懐かしいこのジャケット。

1971年に当時のロンドンレコードから発売された「マリナーの四季」。
大ベストセラーとなりました。
申すまでもなく、当時の四季は、イムジチの独占状態で、その後にイタリア合奏団、ミュンヒンガー、オーリアコンブ、パイヤールと続き、併せて室内管弦楽団のブームが起きました。
覚えてますよ、1970年の万博でも、その室内管弦楽団がいくつも来演しました。

そのあと、直後に登場したのが、マリナー&アカデミー。
これまでの演奏と一線を画した、時代考証と楽譜の綿密な見直しを経た学術的な探求を経て、当時生まれて初めて音にされたような斬新な音楽造りでありました。
サーストン・ダートやホグウッドもその学術チームの一角にあって、マリナーが創設したアカデミー室内管の清新な演奏でもって、当時の聴き手にとっては斬新きわまりない「四季」が生まれた。
当時の自分に遡ってコメントしてる自分ですが、それがいまや、ピリオドによる古楽奏法がバロック以前の作曲家では一般化して定着してしまったいま、マリナー&アカデミーの四季は、一時代前の存在に押し戻してしまった感があります。

当時のレコ芸の付録での宇野先生の評価「奇想天外と思えるほど自由自在にスコアを取り扱い、かつて耳にしたこともないような豊かな表情を生み出した。装飾音、エコー、ロマン的な強弱法、音色の変化、オルガンの使用などがそれだが、根底に近代的な爽やかなセンスを持つので、濃厚な演出が誇張やあくどさを伴わず、かくも個性的な名演となったのである。」1975年

以前の記事での自分のコメント、「多弁なチェンバロに、驚きのオルガン使用、鮮やかな歌いまわしと極端なダイナミズム。
いや、これはこれで、いま聴いても、極めて音楽的だし、マリナーらしい清々しい爽やかさと気品がってとても気持ちがよろしい。
まだまだ鮮度を保ってる、マリナー&アカデミーの四季であります。」

温厚で緩やかな従来演奏と、その後の大指揮者たちのゴージャスな演奏と中堅・若手による俊敏で音楽的な演奏、それらの狭間にあって多彩な表現で清冽な「四季」を聴かせてくれたのがマリナー&アカデミーだと思う。

くり返しますが、いまや現代の楽器でも四季をやるときは、ピリオド奏法を意識せざるを得ない時代になり、古楽器オケでベルリオーズまで演奏できる時代となりました。
前の記事でも書きましたが、いま活躍する指揮者たちは、四季を録音しなくなりました。
やりそうなラトルでさえ振らないし、ネルソンスがやるとは思えない。

2007年にマリナーはN響に来て四季を演奏してくれました。
モーツァルトの41番の2曲のコンサート、聴きに行きましたが、レコードの演奏と同じ。
オルガンを使いつつ、まろやかでかつ爽快な演奏でした。
思えば、晩年のマリナーを何回か聴けて、いまではよき思い出です。

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国内盤の初出ジャケットで使用された絵画は、マックス・エルンスト(1891~1976)の作品。
日本だけのものだったのかもしれない。
インパクトあふれる絵で、爽やかアカデミーとはちょっと違うイメージだけど、シュールレアリスムのこの作風は、不気味だけれども、いろんな季節を織り込んでいるようにも感じる。
当時のマリナー&アカデミーの四季が与えたインパクトは、こんなジャケットにしてしまいたくなるほどに大きかったのかもしれない。
いまではジャケットは穏健なイギリス絵画になってます。

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桜の開花の早い今年、雨模様も予報され、桜好き、お花見好きのわれわれ日本人は焦燥にも似た不安と焦りを覚えている。

アバドが晩年にモーツァルト管あたりで、四季を取り上げてくれていればよかったな・・・と思います。

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2022年11月13日 (日)

ホルスト 「惑星」 マリナー指揮

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ある日の西の空の三日月。

実家に移動して来て、窓の外は毎日空が見渡せます。

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徒歩7分の海に出れば相模湾で、シーズンオフには人っ子ひとりいない静かな海を独占できる。

移転して1年も経たないうちに、都会の空は遠い存在となってしまった。

コンサートなんておっくうで、帰りのことを考えると嫌になっちゃう。

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     ホルスト 「惑星」

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

      (1977. 6.22~24  @コンセルトヘボウ)

懐かしい1枚を。

みんな物故してしまった私の好きな指揮者4人衆のひとり、マリナー卿。
92歳、現役真っ最中で亡くなって、もう6年。
ただでさえ膨大な数のマリナーのレコーディング、まだまだ聴いていない録音もたくさんありますし、愛聴盤でも当ブログで取り上げていない録音もいくつもあります。
聴いていない代表は、ハイドンのネイムズシンフォニーとモーツァルトの交響曲、セレナーデ集など。
あと、愛聴盤の代表が、この「惑星」でした。

大学時代に発売されて聴きたくてしょうがなかったけれど、学生時代ギリギリに、なんとエルガーのエニグマと2枚組で限定発売された。
それこそ、飛びつくように大学の生協で購入し、評判だったその録音の良さに、若き自分は狂喜乱舞した。

ハイティンクですっかり馴染んでいたコンセルトヘボウのオーケストラの音色と、コンセルトヘボウのホールの響きが、フィリップスの超優秀な録音でもって、しかも大好きな「惑星」が月夜が窓から見渡せる部屋の自分の安い装置から、素晴らしい音で鳴り響いたのでありました。

いつも書いていることですが、アナログ時代最盛期の70年代後半のフィリップス録音はすべてが素晴らしいと思う。
コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドン、ロッテルダム、スイス、いずれの録音会場でもクオリティの高い録音がなされていた時期。

レコード発売時のレコ芸の若林駿介さんの録音評をいまでも覚えてます。
打楽器の音が強すぎるが残響が豊かで音に艶がある・・・的な内容だったと記憶します。
CD化されたこのアナログ録音ですが、まさにそうで、加えて刺激的な強音を感じさせないで、オケの音のダイナミックな強さを体感させてくれる、いまでも素晴らしい録音だと思います。

マリナーの指揮、相変わらず丁寧で不器用なまでに指揮棒を振り分けているのがわかる丁寧な指揮。
作品が実によく書けているから、フルオーケストラ演目を指揮し始めたころのマリナーの素っ気なさもかえって新鮮に感じるし、むしろ演出過多の演奏よりずっと客観的な惑星っぽい。
イギリスのオケでも聴いてみたかったけど、ここでのコンセルトヘボとの驚きの組み合わせは成功としかいいようがないです。
分厚い響きに暖かな音色は、当時、金管に木管に名手ぞろいの奏者たちの巧みな演奏も加わり、誠に心地よく素晴らしいものです。

マリナーの「惑星」は1976年に東京フィルに来演したおりに、NHKFMで放送され体験済みでした。
日本のオケに初登場の50代になったばかりのマリナーさん。
この当時は、マリナーといえばアカデミーという具合に自身が創設した室内オーケストラでの活動をメインにしつつ、ロンドンのフルオーケストラなどへの客演を初めていた時期で、東フィルもいいところに目を付けたなと思ったものです。
 その後のマリナーのフルオーケストラへの進出と躍進ぶりは、もうここに記すまでもないでしょうあ。
いま思えば、ベルリンフィルとウィーンフィルからは呼ばれなかった(はず)。
これもまたマリナーたるゆえん。

マリアーの清涼感あふれる上品で美しい「惑星」。
秋の日に、懐かしい思いとともに聴きました。

Moon-2

失敗した皆既月食の写真。

Planets

おまけ

「惑星」ジャケット選手権

わたくしの偏見でもって選んだ惑星のナイスなジャケット。
左上から時計回りに、①プレヴィンLSO、②メータLAPO、③ショルティLPO、④バーンスタインNYPO、⑤マリナーACO、⑥ハイティンクLPO、⑦小沢BSO、⑧ノリントンSRSO、⑨プレヴィンRPO、⑩ラトルPO

レコードだと大判なので、音楽を聴くとき、スピーカーのうえに立てて聴くと、雰囲気もとてもあがりました。

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2020年9月20日 (日)

プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番

Hamamatsuchou-02

浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。

左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。

Hamamatsuchou-01

右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。

早くもこうして駅通路とつながってました。

コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・

さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。

交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。

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 プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。

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  プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

    (1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です

シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。

そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)

ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
 3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。

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  プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40

 小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)

第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。

このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。

忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
 おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)

ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
 このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。

小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。

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浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。

文化放送のビルの隙間から東京タワー。

暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。

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2018年9月24日 (月)

ドヴォルザーク 後期3大交響曲 マリナー指揮

Azumayama02

あんなに暑くて、文句ばっかりいってたのに、さすがに、暑さ寒さも彼岸まであります。

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   ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op70

          交響曲第8番 ト長調 op88

                           
  交響曲第9番「新世界より」 ホ短調 op95

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

              (1981.2、1984.3 ミネソタ)


ネヴィル・マリナーがアメリカのミネソタ管弦楽団の首席指揮者を務めたのは、1979~創立86年で、このフィリップスのドヴォルザーク録音は、その間の蜜月時代に行われたもの。

Minnesota

ミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くミネソタ管は、1903年の創立で、ミネアポリス交響楽団としてスタートし、その歴代指揮者も大物ばかり。

オーマンディ、ミトロプーロス、ドラティ、スクロヴァチェスキー、そして、マリナー、あとは、デ・ワールト、大植英次ときて、いまは、オスモ・ヴァンスカが長期にわたってその任にあります。
オーケストラ・ビルダーとして各オーケストラを鍛え上げたドラティと、ミスターSの略称で20年間親しまれた、スクロヴァチェスキー。このふたりが、ミネソタ管の根本を作り上げた指揮者ではないかと思います。
 それ以降は、数は多くはなけれど、メジャーな指揮者とともに、いい録音がいくつも残ってますし、大植英次の名前を知らしめるようになったのもミネソタ管あってのことかもです。

現在のヴァンスカ首席の元では、経営側と楽団側とのゴタゴタを乗り越え、名コンビとして、素晴らしいシベリウスを聴かせてます。(2番しか聴いたことなけれど)
大都会だけど、大きな州のなかには、湖水も点々とするミネソタ州。
アメリカの各オーケストラにも、それぞれ味があります。

ミネアポリスは、隣りのセントポールと合わせた広域都市圏としてみると、人口335万人の大都市圏となります。
メジャーリーグでは、ミネソタ・ツインズがあって、かつて西岡(ロッテ→ツインズ→阪神)が在籍したところ。
あと、プリンスの出身地でもあります。
こんな大都市が、国内にごろごろあるところが、アメリカという大国の巨大さであります。

Mineapolice

ミネソタ管の本拠地、オーケストラ・ホール(左側・グーグルマップより)

ちなみに、ミネソタ管は、2017年より、日本人指揮者の藤本亜希子さんが、副指揮者として活躍していることも、嬉しいことです。

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マリナーは、のちにアカデミーとも再録音をしているが、私は、そちらは未聴です。
ラトルが初来日したフィルハーモニア管に帯同し、8番を演奏したが、その得意とする8番をまず単独で録音し、3年後に、7番と9番を録音して、一挙に後期3大交響曲を完成させたわけです。
 国内盤でも、8番が単独で出て、そのあとは、3曲がセットで出たので、意外と入手しにくかったような印象を持ってます。

CD時代になって聴いた7、9番。
なかなか素敵なジャケットで、そのデザインは、Sylvan Steenbrink というライターで、いかにもアメリカン、といった作品ばかりで、そのサイトはかなり楽しいものでした。

早めのテンポで、こだわりなく、すいすい進む7番
でも、ときに、ティンパニの強打を見せたり、終楽章でたたみ込むような迫力を見せたりと、思わぬメリハリを展開してみせる。
でも、この7番の一番好きな楽章、2楽章のブラームスがボヘミアにやってきたかのような、内声部のほのぼのとした豊かな歌が、マリナー特有のすっきり感でもって、とても爽やかに聴くことができます。

手の内に入った感のある8番は、明るく軽快に、でも、ここはもっと歌って・・・というところも、す~っと流してしまうところもあって、まさにマリナー風。
昨今、あらゆる指揮者が好んで取り上げる8番だけど、力こぶが入り過ぎてダイナミックになりすぎたり、張り切り過ぎたフォルテでうるさく鳴らしたりという演奏もあるが、マリナーには、そんな効果を狙うような様子はさらさらなく、淡々とバランス良く4つの楽章を聴かせる。
あのメロディアスな3楽章も、楚々たる雰囲気で、これはこれでいい、と思わせます。

9番「新世界」は、繰り返しも行いつつ、これまたスッキリと見通しのいい演奏。
名旋律が次々に繰り広げられるなか、以外や新鮮な内声部が聴こえてくるところがマリナーらしい。
アメリカのオーケストラならば、身に沁みつくほどに演奏し慣れたこの曲だから、穏健なマリナーの指揮に、もっとガンガンやりたいと思う楽員もいたであろう。
そんなオーケストラをうまく抑制しつつ、最後の大団円では、オーケストラを解放させるように、かなりダイナミックな終焉を築きます。
そんななかに、8番のように、楚々たるラルゴが、無垢な感じで、高い秋空に映えたりします。

マリナー卿のドヴォルザーク、秋の始まりに相応しい演奏でした。

2年前の10月2日に、マリナー卿は亡くなりました。

Cosmos_azuma

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2016年12月24日 (土)

フィンジ 「ディエス・ナタリス」(カンタータ「クリスマス」) マリナー

Marunouchi_5

今年のクリスマス、街の雰囲気や、わたくしも含めた人々の浮かれたような便乗さわぎは、少なめに感じます。

イルミネーションもそこそこに出現していて、例年通りですが、受け取る側が慣れてしまったのか、それとも、心情的に、そうとばかり言ってられないからなのか・・・・・。

イルミ好き、観察者としては、毎年、だいたい同じ場所を巡回しますが、今年は各処とも、こう言っちゃなんですが、年齢層高め。
あっ、自分もそうかもですが、若い人よりは、そうした方々の方が多く見受けられる気もします。
 イルミに限りませんが、どこへいっても、シニア層は、みなさん元気です。
そして若者は、静かだし、いても目立たない。

こんな風に見たり、思ったりしていること自体が、自らの視線がシニア層に近づきつつあるということなのでしょうね。
みなさん、元気で、屈託なく、感性も若い。

うまいこと、いろんな意味で、ベテランズと若い人たちの、いろんな循環が生まれるといい。

Marunouchi_7

シンプルで、森の一角を思わせるツリー。

こちらは、丸の内仲通りのあるビルのエントランスです。

けばけばしいイルミよりは、基本ツリーが好きであります。

Marriner_finzi


 フィンジ 「ディエス・ナタリス」~カンタータ「クリスマス」

     テノール:イアン・ボストリッジ

  サー・ネヴィル・マリナー指揮 

       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ゼ・フィールズ

                     (1996.6 ロンドン)

ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の「ディエス・ナタリス」。

生誕の日」または、「クリスマス」という邦題。

以下、以前の自己記事からの引用です。

しばらくブログを休止して、思いだしたように書いたりしてる不完全な状態を続けていると、筆は鈍るし、音楽すら久しぶりに聴いたりするものだから、言葉に結びつけるのは、ほんとに難儀なことになりました・・・
 自分の過去記事に、妙に感心してしまったり、ほうほう、そうだな、そうだったなぁ、とか、時間があれば、自らのブログを振り返ったりもしてます。

ですから、そんななかの一品、フィンジのこの曲のコピペ、お許しください。

「ディエス・ナタリス」は、1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。
そんな長きの空間を、とこしえとも思える静けさに変えてしまう不思議さ。
この音楽に感じるのは、そんな静けさです。

弦楽オーケストラとテノールのためのカンタータ。
またはソプラノによる歌唱も可とするこの曲。
もともとはバリトンによるものですから、あらゆる声域で歌える美しい曲。

器楽によるイントラーダ(序奏)に導かれた4つの歌からなる20分あまりの至福の音楽は、いつもフィンジを聴くときと同様に、思わす涙ぐんでしまう。
イエスの誕生を寿ぐのに、何故か悲しい。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


この曲で最大に素晴らしいのは、1曲目の弦楽によるイントラーダ。
最初からいきなり泣かせてくれます。
いかにもフィンジらしい美しすぎて、ほの悲しい音楽。
何度聴いても、この部分で泣けてしまう・・・・・。
1曲目のモティーフが形を変えて、全曲を覆っている。
この曲のエッセンス楽章です。

トラハーンの詩は、かなり啓示的でかつ神秘的。
その意をひも解くことは、なかなかではない。
生まれたイエスと、イエスの前に初心な自分が、その詩に歌い込まれているようで、和訳を参照しながらの視聴でも、その詩の本質には、わたしごときでは迫りえません。

全編にわたって、大きな音はありません。
静かに、静かに、語りかけてくるような音楽であり歌であります。

楚々と歌われ、静かに終わる、とりわけ美しい最終の「挨拶」。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと


生まれきたイエスと、自分をうたった心情でありましょうか。
訥々と歌う英語の歌唱が、とても身に、心に沁みます。

いつものフィンジらしい、そしてフィンジならではの内なる情熱の吐露と、悲しみを抑えたかのような抒情にあふれた名品に思います。

わたしには、詩と音楽の意味合いをもっと探究すべき自身にとっての課題の音楽ではありますが、クラリネット協奏曲やエクローグと同列にある、素晴らしいフィンジの作品。

と、5年前の自分が書いておりますが、その詩と音楽との意味合い、まったく探究じまいであります。
が、フィンジのナイーブな音楽は、ここでもともかく魅力的で、少しの憂愁と哀感が、優しさでそっと包まれているのを感じます。

マリナーの飾らない、楚々たる指揮ぶりが、フィンジの音楽を語らずして語る。
ポストリッジの神経質なまでの繊細な歌は、フィンジのナイーブな音楽を、その詩の神聖ぶりを、そしてちょっとの多感ぶりを表出している。
すてきな演奏!

国内外に、ロクなことがありませんが、静かで穏やかなクリスマスになることを祈ります。

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