カテゴリー「ブリテン」の記事

2024年8月19日 (月)

ブリテン 戦争レクイエム

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今年もめぐってきた終戦の日。

79年目。

人間は、この年月、なにも反省もせずに口では平和を唱えながら、対立と憎しみの構図は増すばかり。

世界の各地は、都市化が進み、どんな都市にも高層ビルやマンションが建ち、豊かさを途上国でも甘受できるようになったが、どこの国でも都市と地方の格差は大きい。
youtubeで世界各国をめぐってバーチャルで楽しんでいるので、そんな認識が確信となっている。

そんな豊かさを世界が受け入れるようになった反面は、その豊かさが世界均一で作られたものであり、その国の独自の文化やアイデンティティと引き換えに実は得たものばかりなのではないかと思うようになった。
そう、グローバリズムの悪しき一面。
そうすることで、世界規模の企業家たち・投資家たちは、あらゆる国や体制から利益を得ることができるだろう。

そうしたグローバリストたちに世界が支配されているとわかった。

敗戦国日本は自力で復興しつつも、そうした流れのなかにあって、アメリカに従うことでの繁栄ではなかったのだろうか。。。。
出る杭は徹底的にアメリカにつぶされてきた。

価値観や、正と悪の転換。
これまでの思いや考えが一転しつつあると思うし、そうではない人も大多数だとも思うが、これだけ進んだ情報の渦に気が付かない方がかえって幸せなんだろう。

いまから63年前のブリテンの「戦争レクイエム」のときは、反戦・戦争反対は正しき流れで、世界大戦への反省がもっとも大きかった時節。
みずからが反戦の立場で従軍しなかったブリテンの良心となにかと清らかな思いの反映が、このレクイエム。
ヨーロッパのイギリスからのレクイエムであり、その国からしたら第二次世界大戦の当事者は、イギリスとアメリカとドイツだった。
あえて反論覚悟で申せば、それは戦勝国側としてのイギリス・アメリカの立場であり、ドイツを悪としてそれでも手をのばし友愛を示した戦争の一面に過ぎないと思うのだ。

敗戦国の自虐史観にあふれたドイツと日本。
そうした局面で、誰かがレクイエムを書いても欲しかった。
ブリテンがもっと長生きしてくれたならば、歴史の見直しも感じて、違うレクイエムを書いてくれたかもしれない。

存続をかけて日本が国をあげて戦争にむかっていったことは事実であろうが、無辜の民間人を大量に殺された日本という国は、戦争の最大の被害国だと思う。
これからでもいい、堂々と日本人のためのレクイエムがあってもいいと思うのです。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:ガリーナ・ヴィジネフスカヤ

   T:ピーター・ピアーズ

   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団
                ロンドン交響合唱団

   (1963.1.3~10 @キングスウェイホール、ロンドン)

いまや歴史的な作者の自演の録音は、これもまたカルショーの手になるものだった。

数年ぶりに聴いたこの曲の原点ともいえる演奏。

昨今の多彩な演奏を毎年聴いてきたが、やはりここに聴かれる演奏の真実味とシリアスさは違う。
あまりにリアルすぎるし、録音の生々しさもいまだに迫真にあふれるものだ。

この自演の録音以降、ブリテンの戦争レクイエムは、指揮者で演奏者でもあった作者の専売特許から離れ、さまざまな指揮者、様々なオーケストラ、そしてさまざまな国々で演奏されるようになり、作品として完全に独立したと思います。

リアルステックなこのブリテンの自演盤のあと、それらの新しい演奏や録音を楽しむ喜びも生まれ、演奏を聴く方に視点が移り、この音楽も本来持つ訴求力は薄まったとも思う。

3人の歌手の確信をついたすさまじい歌唱も、その後の歌手たちのうまさとはまた違った思いをいだきました。

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これ以上、戦渦が広がりませんように。

今年の後半は、世界の指導者が多く変わることもあり、その前がほんとに心配です。

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2024年5月26日 (日)

ブリテン 「春の交響曲」 ラトル指揮

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季節は春が過ぎ、初夏の趣きですが、こちらは5月のはじめの富士とネモフィラ。

いつも行く秦野の街から。

雪もまだ充分残ってますが、いまはもうだいぶ溶けてます。
このときも、静岡側はかなり融雪が進んでいたようです。

梅雨と初夏を迎えようとするいま、大慌てで「春の交響曲」を聴きました。

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  ブリテン 「春の交響曲」op.44

    S:エリザベス・ワッツ

    Ms:アリス・クーテ

    T:アラン・クレイトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               ロンドン交響合唱団
              ティフィン少年少女合唱団

    合唱指揮:サイモン・ハルシー
         ジェイムス・デイ

      (2018.9.16,18 @バービカンホール、ロンドン)

「ピーター・グライムズ」のアメリカでの上演を機に、クーセヴィツキーと親交を深めていたブリテン。
1946年、そのクーセヴィッキーの委嘱により、規模の大きな合唱とオーケストラ作品を、ということになり、構想を練ることとなった。
しかし、なかなか筆が進まず、ブリテンは精神的・肉体的に疲れていると吐露していたらしい。
構想も整い、1948年に作曲は軌道にのり、1949年春に完成。
ブリテン36歳。
同年7月に、アムステルダムで初演された。
ベイヌムの指揮、コンセルトヘボウのオーケストラに、ヴィンセント、フェリアー、ピアーズの3歌手によるものだった。
ボストンでなかったこと、コンセルトヘボウでは録音も現在に至るまでなされておらず、もっぱらロンドンのオケばかりの録音になっているところが面白い。

この作品が好きで、これまで、ガーディナーとプレヴィンの演奏を取り上げてます。
演奏会でもなかなか取り上げられませんが、もう25年も前の5月に、ヒコックスの指揮で実演に接しております。
久しぶりにあらわれたラトル卿の音盤を手に、この5月は歓喜に浸っております。
以下、以前の記事に少し手を加えて再掲します。

ソプラノ・アルト・テノールの独唱と少年合唱・合唱をともなった大規模な全4部12曲からなる合唱付き交響曲。
同時代の作曲家と違い、交響曲作家ではなかったブリテンならではの作品。

「冬から春への移りかわりと、それが意味する大地と命の目覚め」について書いたとしていて、サフォーク州の春の劇的な訪れにインスピレーションを得ている。
季節の移ろいと、その力強さ、その1年の流れを人生にもなぞらえて、聴く私たちに伝えてくれる素敵な音楽。
イギリスの春は、日本のようにゆるやかに、まったりとやってくるのでなく、劇的に訪れる。
春は、「地球と生命の目覚め」でもあるという。

16~18世紀の英国詩人12人の作品と、ウィリアム・ブレイクや友人でもあったウィスタン・ヒュー・オーデンの同時代の詩を巧みに組み合わせたテクスト。
ちなみに、ブリテンはオーデンの詩に多くの歌曲を作曲しており、CDもいくつか持ってますのでいずれ取り上げたいと思います。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①太陽への憧れを歌う冒頭から、小鳥やカッコウの声が聴かれる場面、少年合唱は軽やかに口笛を吹き、楽しい第1部。

②終戦を迎えたのも春。反戦の感情も込めしみじみとした第2部。

③スケルツォであり牧歌的・リズミカルな第3部。

④そして歓喜が爆発する、第4部フィナーレ。ここでは、ロンドンの街と英国への晴れやかな賛歌が歌われる。さらに中世イギリスのカノン「夏はきたりぬ」が少年合唱が高らかに歌い始める。
 感動にあふれるシーンで、心が解放され春から夏を寿ぐ気持ちにあふれる。

  「夏がきた、かっこうは鳴き、花は開き、木々は緑・・・・・・」

この合唱もフェイドアウトして行き、テノール独唱が「このあたりにしておこう」と口上を述べ、いきなり舞台から引くかのように唐突なトゥッテイで曲は終わる。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ラトルの歯切れのいい演奏は、この作品の持つ明快さにぴたりときます。
前半のミステリアスな雰囲気から、最後の爆発まで、その段階的な盛り上がりも緻密に練り上げられていて、オーケストラの優秀さも手伝って実に精度の高い演奏だと思います。
唯一の不満は、プレヴィンが聞かせたような微笑み、というかにこやかさかな。

現在のイギリスを代表する3人の歌手も素晴らしく、クーテの深みのあるメゾがとくに素敵だった。

このCDのよさはもうひとつ、カップリングの豪華さにもあります。
「春の交響曲」をメインに、それを「シンフォニア・ダ・レクイエム」と「青少年のためのオーケストラガイド」の名作2品で挟んでいます。
どれもその作品の決定的な名演となってます。
ラトルを初めて聴いた1985年、フィルハーモニア管との来日で青少年を聴いてます。
レクイエムは、バーミンガムとの来日で聴けなかったのですが、NHKで放送されたラトルのこの楽譜のオリジナル探しの熱心さ、思い入れのある作品なんだなと、その緊張感の高さからよくわかります。

ラトルは、戦争レクイエムは指揮しますが、オペラを指揮しません。
そして、ベルリンよりロンドン響とのコンビは最高だったと思います。
バイエルン放送響とも相性の良さを感じますが、ロンドンとの別れはもったいなかったな、と。

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(再掲)よい時代だったなぁ~無理して全部行けばよかったなぁ~

1999年5月、東京ではまったく同時期にこんな演奏会が行われた。

 ①ヒコックスと新日本フィル  エルガー「序奏とアレグロ」
                 デーリアス「ブリッグの定期市」
                 ブリテン「春の交響曲」

 ②ヒコックスと新日本フィル  ラヴェル「マ・メール・ロワ」
                 カントルーヴ「オーヴェルニュの歌」
                 V・ウィリアムズ 交響曲第5番

 ③プレヴィンとN響       ベートーヴェン 交響曲第4番
                 ブリテン「春の交響曲」

 ④プレヴィンとN響       プレヴィン「ハニー&ルー」
                                                                「ヴォカリーズ」

                  V・ウィリアムズ 交響曲第5番

私は悩んだ末に、①と④を選択しコンサートに出かけた。

まさに、その時、東京の5月は「春から夏」への一番美しい季節の真っ盛りであった。

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2023年8月26日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ジョルダン指揮

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相次いだ悲しみの訃報で、記事のUPがあとになりました。

毎年の8月の終戦の日周辺には「戦争レクイエム」を聴きます。

民間人への無差別攻撃・・・あきらかに犯罪です。
戦後78年経過、日本の政治家で「あれは犯罪だぜ!」とはっきり言える人はいません。

アメリカの政権が民主党に変って3年。
世界は、そこからおかしくなってしまった気がします。
良くも悪くも、自由主義国の盟主だったアメリカの混沌と無力化は、世界もおかしくしてしまう。
国内に向けて、アメリカファーストをつらぬいた前政権と違い、昔のように覇権的な動きを強めた現政権。
均衡が崩れ、多極化してしまった世界に、私は不安しか感じませんね。

日本はいまこそ、自立の道を歩んで国内を強くするチャンスなのに・・・・
悲しい、虚しい現実しか見せてくれませんなぁ。

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  ブリテン 戦争レクイエム

    S:ジェニファー・ホロウェイ
    T:イアン・ボストリッジ
    Br:ブライアン・マリガン

 フィリップ・ジョルダン指揮 サンフランシスコ交響楽団
               サンフランシスコ交響合唱団
               ラガッツィ少年合唱団

       (2023.05.18 @デイヴィス・シンフォニーホール、SF)

今年の5月のサンフランシスコ響のライブを同団のストリーミング放送で聴きました。

ジョルダンがサンフランシスコ響に客演するのも珍しいし、オペラの人として膨大なレパートリーを持つジョルダンのブリテンということでも新鮮極まりない演目。
バリトンはイギリスからの来演で、ペテルソンが予定されていたが渡米不能となり、地元歌手のマリガンが急遽代役に。
ブリテンの初演時の意図は、かつての敵国同士の国の歌手を共演させることにもあり、ヴィジネフスカヤ(ソ連)、ピアーズ(英)、FD(独)の3人による初演を目論んだが、ヴィジネフスカヤはソ連当局の許可が下りずにヘザー・ハーパーが代役を務めた。
レコーディングでは、当初の3人で実現していることはご存知のとおり。

ブリテンの自演レコ―ディーングから20年後にラトルがデジタル録音をするまで、作者以外のレコードはなかったが、現在はまさに隔世の感あります。
同じようにブリテンのオペラも、各劇場で上演されるようになり、普通に聴かれ、観劇される作品となりましたね。
バーンスタインの音楽も同様に多くの演奏家による様々な演奏を経て、それらがスタンダートな音楽へとなっていくことを今も確認中であります。

「戦争レクイエム」の放送があれば、毎回録音し、自身のアーカイブを充足してきましたが、正規レコーディングもふくめ、実に多くの指揮者が取り上げるようになったものです。
手持ち音源を羅列すると、ブリテン、ラトル、ハイテインク(2種)、ギブソン、ジュリーニ、サヴァリッシュ、ガーディナー、K・ナガノ、C・デイヴィス、ヒコックス、ネルソンス、ヤンソンス、小澤、デュトワ、パッパーノ(2種)、M・ウィグルスワース、ハーディング、グラディニーテ・ティーラ、ヨアナ・マルウィッツ、そしてジョルダン。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さてジョルダンのライブですが、パリからウィーンに移って音楽監督としてプリミエ級の上演すべてを指揮してます。
いずれもORFがライブ放送してくれるので聴いてきましたが、現時点では、そのすべてが最良といえるものでなく、生気あふれるパリやウィーン響時代のジョルダンらしくない面も聴かれます。
やっつけ仕事のように、テキパキと進めてしまう傾向もときにみられました。
やはり、ウィーンの国立劇場はなかなかに鬼門なのか、連日ピットに入るメンバーも一定せず、指揮者も統率しにくいのではと思いますね。
アバドがウィーンを離れることになったのは、そうした面も多分にあった。

そのジョルダン氏、他流試合とも呼ぶべきサンフランシスコの地で目も覚めるような切れ味のよさと、慈しみにあふれた優しい目線の演奏を聴かせてくれます。
ブロムシュテット、MTTによって鍛え上げられ、いまはまたサロネンにより、近世の音楽への適時性を発揮するサンフランシスコ響。
実にうまいし、金管も鳴りすぎず、全体の響きのなかに見事にそれぞれの楽器がブレンドされ、ディエスイレでは実に見通しがよく、清々しい響きだ。
シスコ響の持つヨーロッパ風の響きと乾いたシャープな音色が実に素晴らしい。
デイヴィスシンフォニーホールの音色もよく、ライブ放送の臨場感もよく出ている。

歌手ではなんといってもボストリッジの安定感が、この作品のスペシャリストである証として光ってます。
この人の声のどこか逝ってしまったかのような美声と冷たさは、かつてのピアーズの域に達したと思いますね。
あと、いま各劇場で活躍中のホロウェイの情のこもった誠実な歌唱も素敵だ。
急遽の代役マリガン氏も初めて聴くバリトンだが、英語圏の歌手だけに、明晰でかつ力強い声で、ボストリッジとの声の対比もよろしい。

という具合に褒めまくってしまったが、全般に音が楽天的に感じたことも事実。
しかし、この偉大な作品も、こうしていろんな演奏で、いろんな光が当てられるのを聴く喜びは、毎年こうして尽きることがありまえん。

Izumo

秦野の出雲大社相模分祠。

丹沢山脈の清らかな伏流水が市内のいたるところにあふれてます。

こちらでも、冷たい名水をいただくことができ、暑い日に喉を潤すことができます。

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2022年8月17日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム サヴァリッシュ指揮

Taihuu

お盆に台風8号が襲来し、悪天にみまわれました。

お休みをとって、旅をされた皆様は、まったくとんでもないタイミングでの台風直撃でした。

こちらは、家から見た、台風が去ったあっと、すぐのふたつに割れた空。

世界中、いいことがない日々、台風とともに嫌な空気を洗い去って欲しいと、この絶景を見て思いましたね。

Usagi

ガラスのうさぎ像。

東京大空襲で母と妹を失い、そこでみつけたガラスのうさぎ、二宮に疎開していた少女ですが、今度は二宮駅で無差別の機銃掃射を受け、父を失いひとりになってしまう。
近くの平塚には軍需工場があり、平塚は空襲の目的地のひとつだったが、二宮はなにもなかった町でした。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:ユリア・ヴァラディ
   T:ペーター・シュライヤー
   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 NHK交響楽団
        日本プロ合唱団連合
        東京荒川少年少女合唱隊

      (1979.5.7 @東京文化会館)

毎年、この時期に、戦争レクイエムを。
戦没者への追悼とブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いの込められた独自のレクイエム。
今年ほど、リアルに戦争が起きてしまう恐ろしさと、隣国が起こしているという日本にとっての脅威とを感じたことはない。
春にはボストン交響楽団がパッパーノの指揮でとりあげ、冒頭にU国の国家が演奏されてます。
そちらを今年は取り上げようかとも思いましたが、パッパーノ盤はすでに取り上げ済みですので、自分がこの作品を知ることとなったサヴァリッシュの演奏にしました。

1979年に演奏されたこの音源は、同日に生放送されたものをエアチェックしたカセットテープから板起こししました。
サヴァリッシュは、フィッシャー=ディースカウ夫妻をよくN響に呼んできて、数々の名演を残してくれました。
この戦争レクイエムと同時期に、ショスタコーヴィチの14番や、マーラーの4番、歌曲、さらに違う年にはバルトークの青髭、シューマンのファウスト、ドイツレクイエムなど。
いずれも権利関係をクリアして正規音源化して欲しいものばかりです。

サヴァリッシュとFDは、年齢も近く、まさに朋友。
知的な演奏を志すふたりは、レコーディングも多く、ピアニスト&指揮者としてもサヴァリッシュはFDと相性がよかった。
このライブでも、戦争レクイエムの初演者として、気合の入り方と、抑制の巧みさとで、極めて雄弁な歌唱を聴かせるフィッシャー=ディースカウ。
夫婦共演の際は、まるでFD歌唱が乗り移ったかのようなヴァラディの歌も素晴らしい。
ヴァラディはFDとは歳の差婚だったので、引退はしたものの、まだまだお元気の様子。
ハンガリー出身、ルーマニア育ちなので、ドイツものばかりでなく、イタリアもの、スラヴ系もレパートリーにありまして、メゾ領域もこなす幅広い音域を活かし、ドラマテックでありつつ、細やかなリリックな歌唱もこなせる歌手でした。
何度か舞台も経験できた好きなソプラノのひとりです。
言葉に意味を持たせつつ、これもまた知的なシュライヤーの歌声もわれわれにはお馴染みです。
ただ、イギリス系のテノールで聴き慣れたこの作品には、やや違和感も感じることは確かです。
それでもこのシュライヤーの歌唱は、真摯なサヴァリッシュの戦争レクイエムの演奏にはぴったりで、やや神経質系に傾くイギリス系のテノールよりもここでは相応しいとも感じます。

そのサヴァリッシュの指揮が、これもまた集中力と緊張感に富んだもので、理知的でいつも生真面目なその演奏スタイルから一歩も二歩も踏み出した感興の高まりを感じます。
いまのN響なら、もっと精度の高い演奏ができるとも思うが、指揮者への全幅の信頼と、ライブでの記念碑的な演奏会であることから、みんな夢中になって取り組んでいることが、当時の映像の記憶からも思い出せるし、この音源にも感じます。
つくづく思うが、NHKはこうした演奏会をはじめ、たくさんの音源や映像を保有していると思う。
ちゃんと残っているものはしっかりアーカイブ化して有償でも、もっともっと公開して欲しいものだ。

なんでも海外と比べれないいというわけではないが、英BBCが、BBC傘下のオーケストラはおろか、国内のオケ、オペラ座の音源をほぼフリーでストリーミング放送している。
ドイツの放送局各局、フランス放送、北欧・東欧の各局もみな同じ。
NHKは国民から金を取ることばかりに主眼があるようで、サービス精神はなきに等しいと思う。

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                (路傍のキバナコスモス)

過去記事から再掲載

この曲は、ほんとうによく出来ている。
編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作部分は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組みを作り上げた。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロがある。
この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、最後は、ここでも祈り。
第3曲「オッフェルトリウム」、男声ソロふたりと、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
第5曲は「アニュス・デイ」。テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
第6曲目「リベラ・メ」。打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場のリアルな緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」と歌い合う。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩が一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息は安らぎを覚える。
最後の宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンでの終結、ライブで聞いたらこのあとには拍手はいらない静寂を保ったまま、静かにホールを去りたいものだ。

70~80年代は、日本は平和でよかった。
世界は米ソの冷戦やベトナム戦争はあったが、日本は高度成長と見えてた明るい未来とに酔うようにして、国民みんなが元気で明るかった。
50年を経たいまはどうだろう・・・・
あきらかに力を誇示する国が台頭し、自由と民主主義の先生だった国も自国が分断の危機。
日本は成長を忘れたようにして、怠惰をむさぼるのみか・・・・
日本の危機、世界の危機にあるいま、ブリテンの音楽意義がある。
敵対していた国の歌手たちによる初演、ブリテンの思いを今こそ・・・・と思います。

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2022年6月 5日 (日)

ブリテン 「グロリアーナ」 P・ダニエル指揮

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英国女王エリザベス2世が、即位70周年のプラチナ・ジュビリーをむかえました。

1953年、父ジョージ6世の後を受けて即位して70年。
英国史上、一番長く君臨する君主となりました。

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                                                     (BBCより拝借)

英国は4連休となり、さまざまな祝賀行事が行われていますが、96歳の高齢に加え、体調も最近は崩し勝ちとのことで各イベントへのご登場はほとんどお休みの様子。
親しみあふれる女王なのでちょっと心配ですが、ますます健やかに英国を統べていただきたいものです。

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イギリスには1度だけ行ったことがありまして、これがそのときの絵葉書。

仕事で赴き、視察的半分なお遊び的なツアーでして、レンタカーでロンドン周辺を走り回りました。
高速に乗って少し走ると、緑の丘がポコポコと見えるなだらかな美しい光景が見れましたし、海の方へ長躯走ると、絶壁の厳しい海岸線もみることができました。

市内では運転していて、目の前にビッグベンが登場したときはびっくりしたものです。

そして、ターミナル的なところにやむを得ず車を停めてちょっと離れたら、そこには怖そうなポリスマンが立ってました。
君々!ここは駐車禁止じゃよ!と無表情で睨まれました。
こちらは、たどたどしい英語で、すいませ~ん、わからなかったんです、旅行で来てるもんですから・・・・と素直に謝りました。
そしたら、お巡りさん、態度が一変、そうかそうか、次は気を付けるんだよ、よい旅をな~って無罪放免してくれたんです。

プライド高そうな英国の人々だけど、実はフレンドリーで、日本人には優しかったのでした。

そのときの、旅は前半がパリだったんですが、ハンドルも車線も逆だし、高速なんて地獄のように怖かったし、そもそもフランス人は日本人の話す英語なんてまるきり無視して見下したような雰囲気でした・・・・

(以下、過去記事を修正しつつ引用します)

      ブリテン 歌劇「グロリアーナ」

1953年、現女王エリザベス2世の戴冠式奉祝として作曲されたブリテンのオペラが、オペラ16作中8番目の「グロリアーナ」。

スコアの献辞に「この作品は、寛容なるご許可によってクィーンエリザベス2世陛下に捧げられ、陛下の戴冠式のために作曲された」とあります。

原作は、リットン・ステレイチーの「エリザベスとエセックス」。
台本は、南アフリカ生まれの英国作家ウィリアム・プルーマーで、彼は「カーリューリバー」の脚本家。

1953年6月6日に、コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウスで、政府高官や王列関係者たちだけのもとで初演。
英国作曲界の寵児であったブリテンの期待の新作オペラではあったけれど、初演の反応は不芳で、むしろジャーナリストたちからは、果たして女王に相応しい音楽だろうか?として攻撃を受け、やがて連日非難が高まり、このオペラはなかったもののようにして忘れられていく存在となってしまった。

それは、オペラのあらすじをご覧いただければ一目了然。
物語の主人公はエリザベス1世、期せずして、1533年生まれ1603年没。
その別名が彼女を讃えるべくつけられた「Gloriana」グロリアーナ(栄光ある女人)でもあるわけです。
イングランドに黄金期をもたらせた女王は、スペイン無敵艦隊に対する勝利が栄光のピークで、このオペラはずっと後年の晩年近く、1599年から1600年のことを描いている。
登場人物たちは、そのまんま歴史上実在の人物たち。
成功続きだった女王の治世も陰りが出てきて、生涯独身だったエリザベスにも老いが忍び寄っていた時期。
エセックス公ロベルト・デヴリューを寵愛し、一方で女王から信頼を受けていた政治の中枢、ロバート・セシルとエセックス公は敵対関係にあった。
ドニゼッティのオペラにも、英国女王3人にまつわる3部作があり、エセックス公=「ロベルト・デヴリュー」があります。
アンナ・ボレーナの娘がエリザベス1世で、スコットランド女王メアリー・ステュアート(マリア・ステュアルダ)と敵対し、エセックス公ロベルト・デヴリューをめぐってもさや当てをすることとなるのがドニゼッティの一連のオペラ。

こんな背景を頭に置きながら、このオペラを味わうとまた一味違って聴こえます。

ちなみにブリテンは、このオペラから交響組曲「グロリアーナ」を編み出していて、最近そちらの演奏機会も増しているし、録音もなされるようになってきました。
ブリテン自身の指揮によるシュトゥットガルト放送録音がCD化されてますが、そこではエセックス公の1幕で歌われるリュート歌曲が、ピアーズの歌唱で収録されてまして、それはもう儚さの境地です。

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ブリテン  歌劇「グロリアーナ」

 エリザベス1世:スーザン・ブロック
 エセックス公ロベルト・デヴリュウー:トビー・スペンス
 エセックス公夫人フランセス:パトリシア・バルドン
 マウントジョイ卿チャールズ・ブラント:マーク・ストーン
 エセックス公の姉レディ・リッチ、ペネロペ:ケート・ロイヤル
 枢密院秘書長官ロバート・セシル卿:ジェリー・カーペンター
 近衛隊長ウォルター・ラーレイ卿:クリヴ・ベイリー
 エセックス公の従者:ヘンリー・クッフェ
 女王の待女:ナディーヌ・リビングストン  
 盲目のバラッド歌手:ブリンドリー・シェラット

  ポール・ダニエル指揮

            ロイヤル・オペラ。ハウス管弦楽団
     ロイヤルオペラ合唱団
  
  演出:リチャード・ジョーンズ

      (2013.6 @ロイヤルオペラハウス)


第1幕
 
 馬上試合の場面、エセックス公は従者とともに試合観戦中。
従者からの報告で一喜一憂。しかし結果は、マウントジョイの優勝。
女王から祝福を受ける彼をみて、エセックス公は、本来なら自分がそこに・・・と嫉妬をにじませる。
人びとは、エリザベス朝時代の女王を讃える歌「Green Leaves」を歌う。
そのマウントジョンとエセックス公は、やがて口論となり小競り合い。
そこに登場した女王のもとに、二人は跪き、彼女の仲裁で仲直りする。
人びとは、ここで再度「Green Leaves」を歌い、今度はフルオーケストラで、とくにトランペットの伴奏が素晴らしい。

「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」 

この讃歌は、このオペラに始終登場して、その都度曲調を変えて出てきます。

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 ②ノンサッチ宮殿にて。腹心のセシルとエリザベス。
彼は、女王に先の馬上試合での騒動の一件で、エセックス公への過度の肩入れは慎重に、と促し、女王も、それはわかっている、わたくしは、英国と結婚しています、と述べる。
 彼と入れ替わりにやってきたのは、そのエセックス公。
彼はリュートを手にして歌う。明るく楽しい「Quick music is best」を披露。
もう1曲とせがまれて、「Happy were he could finish」と歌います。
それは、寂しく孤独な感じの曲調で、ふたりはちょっとした二重唱を歌う。
オーケストラは、だんだんと性急な雰囲気になり、エセックス公はここぞとばかり、アイルランド制圧のための派兵のプランを述べ、命令を下して欲しいと懇願。
女王は、すぐさまの結論を出さず、公を退出させる。
ひとり彼女は、神よ、わたくしの信民の平和をお守りください・・・と葛藤に悩む。

第2幕

 ①ノーリッジ 訪問の御礼に市民が女王の栄光をたたえるべく、仮面劇を上演。
マスク役のテノールが主導する、この劇中劇の見事さは、さすがブリテンです。
そんな中で、結論を先延ばしにする女王に、エセックス公はいらだつ。
劇が終ると、人びとは女王のそばにいつも仕えますと、感謝の意を表明し、女王はノーリッジを生涯わすれませんと応える。
 ここでまた、Green leaves。

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 ②ストランド エセックス公の城の庭
マウントジョイとエセックス公の姉ペネロペは恋仲。ふたりはロマンティックな二重唱を歌い、そこにエセックス公夫妻もやってくるが、最初は公は姉たちがわからない位置に。
エセックス公は、プンプン怒っていて、弟君は、何故怒っているのかとペネロペに問う。
自分の願いが認められなくて、イライラしてるのよ、と姉は答える。
やがてそれは4重唱になり、愛を歌う姉、どんだけ待たせるんだとの弟とマウントジョイ、自制を促すエセックス公の妻。
しまいには、女王はお歳だ、時間はどんどん彼女の手から流れ去ってしまう・・・・と3人は急ぐように歌い、ひとり妻は、ともかく慎重にと促す。

 ③ホワイトホール城の大広間 エセックス公の主催の舞踏会
パヴァーヌから開始。やがて公夫妻、マウントジョイとペネロペ入城。
夫人は豪華絢爛なドレスを纏っていて、マウントジョイにペネロペは、弟があれを着るように言ったのよとささやく。
ダンスはガイヤールに変わり、4人はそれぞれにパートナーで踊ります。
 そこに女王がうやうやしく登場。彼女は、エセクス公夫人を認めるなり、上から下まで眺めつくす。
彼女は今宵は冷えるから体を温めましょうと、イタリア調の激しい舞曲ラヴォルタをと指示。
音楽は、だんだんとフルオーケストラになり、興奮の様相を高めてゆく。
 ダンスが終ると、女王は、婦人たちは、汗をかきましたからリネン(下着)を変えましょうと提案し、それぞれ退室。その後も、モーリス諸島の現地人のダンス。
しかし、レディたちがもどってくるが、エセックス公夫人があの豪華な衣装でなく地味なまま飛び込んできて、さっきの服がない、誰かが着てると騒ぎ立てる。
そのあと、女王が大仰な音楽を伴って戻ってくる。
そのドレスは、なんとエセックス公夫人のあの豪華な衣装。
しかも、体に合わず、はちきれそう。
唖然とする面々にあって、婦人は顔を手でおおって、隅に逃げ込む。
屈辱を受けながらも、怒りに震える夫と、姉、マウントジョイには、それでも気をつけてね、相手は女王なのよ、とたしなめる健気な夫人。
 お触れの、お出ましの声で、元のドレスに戻った女王が登場。
エセックス公に、近衛隊長ラーレイが、大変な名誉であると前触れ。
そして女王が、「行け、行きなさい、アイルランドへ、そして勝利と平和を持ち帰るのです」とエセックス公に命じ、手を差し出す。
うやうやしく、その手をとり、エセックス公は感激にうちふるえ、「わたしには勝利を、貴女には平和を」と応えます。
明日、あなたは変わります、そして今宵はダンスを!クーラントを!
女王の命で、オーケストラはクーラントを奏で、やがてそれは白熱して行って終了。

第3幕

 ①ノンサッチ宮殿 女王のドレッシングルーム。
メイドたちのうわさ話。3つのグループに分かれて、オケのピチカートに乗ってかまびすしい。エセックス公のアイルランド遠征失敗のことである。
そこに当の、エセックス公が息せき切ってやってきて、女王にいますぐ会わなくてはならないという。
女王は、まだ鬘も付けず、白髪のままで、何故にそう急くのか問いただすものの、エセックス公はいまある噂は嘘の話ばかりと、まったく当を得ない返答。
何か飲んで、お食べなさい、そしてリフレッシュなさい、とエセックス公をたしなめ帰すエリザベス。
待女とメイドたちの抒情的で、すこし悲しい美しい歌がそのあと続く。

 秘書長官セシル卿を伴って女王登場。
セシルは、アイルランドはまだものになっておらず、しかもスペインやフランスの脅威も高まってますと報告。女王は、これ以上彼を信じることの危険を感じる。
女王は命令を下します。「エセックス公を管理下におき、すべて私の命に従うこと、アイルランドから引き上げさせ、よく監視すること。まだ誇りに燃えている彼の意思をつぶし、あの傲慢さを押さえこむのよ、わたくしがルールです!」と。

 ②ロンドンの路上 盲目のバラッド歌手が、ことのなりゆきを歌に比喩して歌っている。
少年たちは、セシルやラレーのようになろう、と武勇を信じ太鼓にのって勇ましく行進中。
エセックス擁護派は、王冠を守るために働いているのだ、女王は年老いたと批判、かれが何をしたのか・・・と。
バラッド歌手は、反逆者だと?彼は春を勘違いしたのさ、と。

 ③ホワイトホール宮殿 エセックス公の公判
セシルとラレーは、彼がまだ生きていることが問題と語っていて、女王が入廷すると、エセックス公に対する処刑命令が宣告される。その最終サインは女王。
「彼の運命はわたくしの手にゆだねられたのね、サインはいまはできない、考えさせて・・」と女王は判断を伸ばすが、セシルは、恐れてはいけません、と迫る。
女王は、「わたくしの責任について、よけいなことをいうのでありません」とぴしゃりと遠ざけてしまう。

ひとりになった女王は、哀しい人よ、と嘆く。
そこへ、ラレーが、エセックス公夫人、姉、マウントジョイを連れてくる。
彼らは、女王にエセックス公の助命を懇願にやってきたのだ。
まず、夫人がほかの二人に支えられて進み出て、「あなたの慈悲におすがりします。わたくしのこのお腹の子とその父をお救いください」と美しくも憐れみそそる歌を歌う。
これには、女王も心動かされ、嘆願を聞き入れる気持ちに傾く。
 その次は、エセックスの姉ペネロペが進み出て語る「偉大なエセックス公は、国を守りました・・」、その力はわたくしが授けましたと女王。姉は、まだ彼の力がこのあなたには必要なのですと説くと、和らいだ女王の心も、一挙に硬くなり、なんて不遜なのだ、と怒りだす。
食い下がるペネロペにさらに怒り、3人を追い出し、執行命令書を持ってこさせ、サインをしてしまう。

この場面での悲鳴は、エセックス公婦人、オーケストラはあまりに悲痛な叫びを発します。
ここから、音楽は急に、暗く寂しいムードにつつまれます。

女王は、大きな判断をして勝利を勝ち取りました、しかし、それは虚しい砂漠のなかのよう、と寂しくつぶやく。

遠くでは、エセックス公が、死の淵にあるいま、みじめなこの生を早く終わらせることが望みです・・・・。とセリフで語る。
以下は、セリフの場面が多く、音楽は諦念に満ちた雰囲気です。

女王は、自分はわたくしの目の前で、最後の審判をこうして行ってきました。王冠に輝く宝石は国民の愛より他になく、わたくしが長く生きる、その唯一の願いは、国の繁栄にほかなりません、と語る。
 外では、群衆の喝采が聴こえる。

  「mortua, morutua, mortua, sed non sepulta!」
 
女王がつぶやくように歌うこちら、ラテン語でしょうか、意味がわかりません。

セシルが再びあらわれ、女王に早くお休みになるように忠告するが、女王は、女王たるわたくしに、命令することはおやめなさい。それができるのは、わたくしの死のときだけと。
そしてセシルは、女王の長命をお祈りしますとかしこまります。

弦楽四重奏と木管による、1幕でエセックス公が歌った寂しげな旋律のなか、女王は「わたくしには、生に執着することも、死を恐れることも、ともに、あまり重要な意味をいまや持ちません」と悲しそうに語る。

ハープに乗って静かに
「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」が、合唱で歌われ、それはフェイドアウトするように消えてゆきます。

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舞台では、ひとりにきりになった女王が立ちつくし、やがて光りも弱くなり、暗いなかに、その姿も消えていきます・・・・・・。

                    


このような、寂しくも哀しい結末があるオペラで、楽しい劇中劇や舞踏のシーンはあるものの、たしかに祝賀的な内容ではありません。

老いから発せらる女王の嫉妬や、時間のないことへの焦り。
そして、ある意味、醜いまでのその立場の保全。
さらに、重臣たちの完璧さが呼ぶ、あやつり人形的な立場。
しかし、これがグロリアーナ・エリザベス1世の晩年の現実で、ブリテンは、エリザベス1世の人間としての姿を、正直に描きたかったのに違いありません。

ブリテンのオペラの主人公たちが常に持つ、その背負った宿命や悲しさ、そしてそこから逃げられない虚しさ、
あがいても無駄で、そこにはまりこんでしまい、もがく主人公たち。
でもやがてその宿命を受け入れ、ときには死を選ぶ。
その彼らへの、愛情と同情、そしてそれが生まれる社会への警告と風刺にあふれたブリテンの作り出したオペラの世界。

クィーンだったエリザベス1世に対しても例外でなかったのです。

当然に、当時の保守的な英国社会は、ふとどきな作品としてネガティブキャンペーンをはります。
音楽業界も、完全にスルーして、通例だった作者自身の指揮によるデッカへのレコーディングも、この作品ばかりはなされなかったのでした。
ブリテンも、わかっていたかのように、静かにその評価を受け止めます。

しかし英国は、ブリテンを最大級のオペラ作曲家として次も評価し、ブリテンも傑作を次々と編み出す。
チャールズ・マッケラスが録音でこの作品に光をあて、2013年のエリザベス女王在位60年にコヴェントガーデンで、上演もされました。
そのときの上演が今回のDVD 。

わたくしは、コロナ禍のオペラストリーミングでこちらを観劇し、あまりにステキな上演だったものですから、本盤を入手しました。

当時の衣装をそのままに、さらに鮮やかな色彩をほどこした絢爛たる舞台。
しかし、リチャード・ジョーンズは時代を1953年に戻して、劇中劇としました。
若きエリザベス2世、現女王もオペラの最初と最後に登場します。
また、英国王室の歴代の移り変わりを冒頭にしゃれた演出にてもってきまして、王室へのリスペクトとしております。
劇中劇仕立てなので、装置も舞台のなかの舞台みたいで、適度にデフォルメされていて、モニュメント化された小道具も見て、推察して考えをめぐらす楽しみもあります。
リチャード・ジョーンズの舞台は新国や二期会、DVDでもそこそこ見てきましたが、背景や壁紙の使い方が実によろしく、スタッフたちのセンスの良さが常にひかります。
オペラの中に仮面劇があるのですが、劇のなかの劇のなかのこれまた劇が、とてもおもしろくて、群衆のカラーリングや農産物などまったくおもしろかった。
 さらに、ブリテンの筆が冴えまくる舞踏会の場面も、女王が嫉妬したエセックス公夫人の黄色いドレスがとても素敵で、旦那も黄色で、ほかの人物たちは黒、色の対比が鮮やか。
ルネサンス風の舞踏から熱狂へ向かうブリテンの音楽が、こうして舞台を伴うと最高にスリリングだった。
 3幕からは暗い影が忍び寄り、女王も老いさらばえ、果断の判断もおぼつかないし、悩みのなかに、国のためになすことを判断するシーンは光と影を巧みに使った迫真の舞台となっている。

ワーグナーソプラノとして何度か聴いたことのあるスーザン・ブロックの体当たり的な演技と、エキセントリックな歌い口も織り交ぜた迫真の歌唱がまったく素晴らしい。

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あとトビー・スペンスは、まさにあたり役。
リリックな英国テナーのいまや代表格となったトビーは、先ごろフィンジの歌唱を絶賛したばかり。

ボルドーオペラで活躍中のP・ダニエルの暖かい目線の通った指揮は、こうしたリアルなオペラにはぴったり。

このオペラのラストシーン、やはり寂しい、泣けます。
孤独とはこういうものなのだろうと。
そして、この演出で現女王がふたたび登場するラストシーンは、あまりにも素晴らしいし、まさにグロリアーナへの敬愛の賜物でありました。

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こちらは1953年の初演時とガラコンサートのコヴェントガーデンのバルコニーでの女王陛下。

こちらでその貴重な記録が確認できました。

https://www.youtube.com/watch?v=m-tWBZgbvyM

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                 (BBCより拝借)

エリザベス女王のご健康とご多幸を末永くお祈り申し上げます。

英国と日本の結びつきもますます強固になりますことを願います。

過去記事

「マッケラス指揮 グロリアーナ」

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2021年8月14日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム マルヴィッツ&ティーラ

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靖国神社の外苑の慰霊の庭には、こうした桜をモティーフにした陶板があります。

東京の開花宣言の標本木があるように、靖国神社といえば、「桜」でもあります。

各都道府県の土を実際に使用して、各都道府県の陶芸家が作成。

こちらは茨城県笠間市。

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夜間は中にある照明で、うっすらと輝きまして、とても美しいのです。

こちらは兵庫県丹波篠山。

靖国神社は国のために命を燃やした英霊たちを祀ってますが、坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作ら、幕末の志士たちも含まれてます。

戦士した方も、一般の戦没者も、終戦の日には、心から慰霊の念を込めて黙祷します。

毎年、ブリテンの「戦争レクイエム」をこの時期に聴きます。

1961年に作曲完成、1962年に初演。
今年と来年で60年となります。
心からの反戦主義者であったブリテンが、オーウェンの詩とラテン語典礼文を巧みにつなぎ合わせて作った平和希求のレクイエム。
ブリテンの見て思った戦争は、ヨーロッパ戦線でしょうが、日本の太平洋戦争はあまり視野にはなかったかもしれない。
ヨーロッパの街々が戦場となりましたが、終戦から15年を経過したイギリスにいたブリテンに、焦土と化した被爆地や無差別爆撃を受けた街の様子は届いていたでしょうか。

しかし、日本には、戦争レクイエムの22年前、シンフォニア・ダ・レクイエムを奉じてます。
皇期2600年の祝典になにごとぞ、ということにはなりましたが、結果としてはそちらも鎮魂曲として、平安を祈る音楽となっていて、ブリテン好きの日本人としてはありがたい思いです。

今年は女性指揮者たちによる「戦争レクイエム」を。
いずれも海外のネット配信を録音して個人的に楽しんでいる音源です。
 ついにバイロイトにも女性指揮者が登場し、世界のオーケストラのシェフにも女性の名前が目立つようになりました。
女性だから、ということでなく、真に実力のある指揮者たちが、ここ数年で多く輩出され、第一線で活躍するようになった。

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  ブリテン 戦争レクイエム

         S:アンネ・デロアード
       T:タデウシュ・シュレンキェール
      Br:サンミン・リー

  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団
               ハンス・ザックス合唱団
               ニュルンベルク・コンサート合唱団
               テルツ少年少女合唱団

      (2019.7.13 @マイスタージンガー・ハレ、ニュルンベルク)

1986年生まれ、ヴァイオリンとピアノを学びつつ、指揮にも興味を持ち、ハノーヴァーでピアノに加え、指揮の勉強もします。
ここでは放送フィルハーモニーにいた大植英次にも学んでます。
ハイデルベルクの劇場でオペラデビュー、次席指揮者となり、さらに次はエアフルトのオペラハウスへと移り女性初の音楽監督となる。
ここでは、座付きオーケストラを、コンサートオーケストラとしても機能させる仕組みをつくります。
ピアノのソロをつとめつつ指揮を行うコンサートも評判に。
そして、2018年には、さらにステップアップして、ニュルンベルク州立劇場の音楽監督に就任し、現在に至ります。
シーズン最初の演目は、プロコフィエフ「戦争と平和」「ローエングリン」で、その後「ピーター・グライムズ」「ドン・カルロ」も指揮。
地方のハウスから、州立劇場の指揮者に、かつてのドイツのオペラ指揮者のような叩き上げ方式の躍進ぶりです。
2000年には、ザルツブルク音楽祭初の女性オペラ指揮者として、コロナ禍の「コジ・ファン・トウッテ」を指揮したことはご存知のとおり。
しかし、先ごろ、マルヴィッツは、ニュルンベルクのポストを継続せず、任期の2023年に終了させることを発表しました。
妊娠したこと、それから、そろそろまた後のことを考えるため、と語っているそうで。

すぐれた芸術家は、先を見据えた考えや行動がとれるものです。
子育てをしながらも、次はどんなポストに就くのか、その生き方とともに、とても楽しみです。

マルヴィッツの演奏は、CDとしては「メリー・ウィドウ」がありますが、そちらは未聴。
ザルツブルクの「コジ」は視聴済み。
ネット放送で、シューベルトやベートーヴェン、悲愴、夏の野外コンサートでのガーシュインやバーンスタインなど、記事にしたローエングリンなどを聴いてますが、いずれも明快・率直でオーケストラもよく鳴らせて気持ちのいい演奏です。

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凛々しいマルヴィッツさん。

指揮姿も長身で、腕も長くピアニストならでは、指先までもニュアンスゆたか。

ブリテンの音楽のひっ迫感とのっぴきならない緊張感をみごとに引き出してる。
オペラの道を歩む指揮者として、劇性も豊かにダイナミックで、聴いていてレクイエムにはなんですが、わくわくさせてくれるし、ニュルンベルクのオケのブラスセクションの迫力と優秀さをも感じさせてくれます。
ドイツの「戦争レクイエム」という感じで、次に取り上げる、ザルツブルクの演奏とはちょっと違ったローカル感もあり。
ソロ歌手3人は、劇場の専属メンバーで、ややオペラ風に傾くところが、とくにバリトンの方がなんではありますが、合唱もふくめ、日ごろのチームをしっかりまとめ上げ、きっとおそらく、みんなが初めて戦争レクイエムを演奏したであろう方々を、見事に率いたマルヴィッツの実力は間違いないと思います。
 ドレスデンとの契約を満了後は更新しないと言うティーレマンのあととか、バイロイトとか・・・・・
勝手に妄想中。

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   ブリテン 戦争レクイエム

         S:エレナ・スキティナ
       T:アラン・クレイトン
      Br:フローリアン・ベッシュ

   ミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮

        グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
                        ウィーン放送交響楽団
        ウィーン学友合唱団
        ウォルフガンク・ゲーッ合唱団

        ザルツブルク音楽祭、劇場少年少女合唱団

  (2021.7.18 @フェゼンライトシューレ、ザルツブルク音楽祭)

演奏会の冒頭に、メンデルスゾーンの短いカンタータ「私たちに平和を与えてください」が穏やかに演奏されて、そのまま静かに「戦争レクイエム」が始まります。
グラジニーテ=ティーラは、コンサートのプログラミングがとてもうまく、その切れ味のいい音楽造りとともに、いつも驚きを与えてくれる指揮者であります。

1986年生れなので、マルヴィッツと同い年です。
リトアニアの音楽一家のもとに生まれ、チューリヒ、ライプチヒ、ボローニャ、グラーツ各地で学び、2011年にハイデルベルクの劇場指揮者からキャリアスタート。
ベルン、ザルツブルクのそれぞれの劇場を経て、オペラキャリアも積み、アメリカではシアトル、サンディエゴ、そしてロスフィルも指揮して、ロサンゼルスでは2014~16年に、ドゥダメルのもとで副指揮者となります。
同時にザルツブルク州立劇場の音楽監督となり、ザルツブルク音楽祭でも、マーラー・ユーゲントを指揮してデビューします。
2015年にネルソンスのもとでバーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者となり、2016年にはバーミンガムの音楽監督に就任。
こんな風に、その実力に裏付けられたキャリアを着実に歩むティーラさんなんです。

昨年は、第2子を身ごもりながら、コロナ感染してしまい、しかし、それも見事に完治し、赤ちゃんも生み育てるしっかりものです。
DGと専属契約も結び、CDも徐々に出始めてますが、残念ながら、バーミンガムのポストは任期満了となる2022年には更新しないと発表してます。
一部情報によると、ザルツブルクで子供たちと過ごすなか、イギリスのEU離脱で、イギリス入国手続きが煩雑になったことなどがあげられてます。バーミンガムは首席客演指揮者となって良好な関係は継続するとしてます。
 それにしても、バーミンガムは、ラトル、オラモ、ネルソンスと実力指揮者が次々と歴任し、それぞれに録音にも恵まれました。

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さて、今年のザルツブルク音楽祭の開幕をかざったミルガの「戦争レクイエム」。
昨年、本拠地バーミンガムでの演奏がコロナ禍で中止となり、今年はザルツブルク音楽祭に手兵を引き連れて凱旋する予定だった。
しかし、これもまたコロナ対策で、待機スケジュールがうまく取れず、バーミンガムの訪墺が不可となり、マーラー・ユーゲントとオーストリア放送響との演奏になりました。
劇的なマルヴィッツに比べ、ホールの響きの違いもありながら、ミルガさんの演奏は、流麗さを感じる美しいものに感じました。
ことに典礼文を歌う合唱部分の静けさ・美しさは特筆で、ラスト、「リベラ・メ」の「彼らを平安のなかに、憩わせたまえ・・・」には涙がでるほどに感動した。
この終結部に至り、冒頭のメンデルスゾーンの清らかな音楽と、ブリテンの切実な音楽とが、しっかりとつながり、関連付けられるのも実に見事なものでした。

実績ある、3人の歌手たちは、それぞれ、ロシア、イギリス、ドイツと初演のときと同じ国柄を採用していて、いかにも国際色豊かな音楽祭であります。
なかでも、スキティナのソプラノがきらりと光ってます。

ふたりの若い女性指揮者の「戦争レクイエム」、どちらも捨てがたい桂演でした。
先輩指揮者の、シモーネ・ヤングさんや、オールソップさんの演奏も聴いてみたいものです。

作曲者自身の63年の録音を原典として、作者以外の指揮による録音は83年のラトルまでなされなかった。
ブリテンのオペラも含めて、いまや、指揮者や劇場のレパートリーとして定着しました。
ブリテンの死後、いやラトルによる録音後に生を受けている女性指揮者たちが、こうしてブリテンの名作を取り上げていることに、隔世の感を抱くとともに、音楽をこうして聴いてきて、こんな多彩な楽しみができることに大きな喜びを禁じえません。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下は、毎度の再掲。
我ながら、よくまとまってるので、自分で聴くときに参照にしたりしてます。

3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。

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3つ並んだ東京、神奈川、千葉の桜。

この1都2県を行ったり来たりしてる自分です。

過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」


「デイヴィス&ロンドン響」

「ハーディング&パリ管」

「パッパーノ&ローマ聖チェチーリア」

Ninomiya

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2021年5月14日 (金)

ブリテン 「ねじの回転」 ヒコックス&ハーディング

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三田の坂の上にある三井倶楽部。(さんだ、の三田ではありません)

三井グループの関係者だけが利用できる迎賓館で、明治10年にここに設置。
財閥の巨大さを感じ取れる施設ですが、終戦後は当然のように米軍に利用権を独占された歴史があるという。

この周辺、港区一体には、各国の大使館があってそれぞれの国柄によって警備の度合いもまちまち。
日本にとっての友好国は、おまわりさんが一人もいないし、お国の魅力を伝える掲示物もたくさんあって、異国情緒を味わえる。
そうでない国は・・・・C・K・R云々、げふんごほん。。。。

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その斜め向かいには、かつて、郵政の簡易保険事務センター、昭和初期の旧逓信省貯金局庁舎の瀟洒な建物がありましたが、跡形もありません。
その建物は歴史的な文化遺産とも呼べたかもしれません。
アールデコ調のとてもヨーロピアンな建物で、ここを通るときにはよく眺めたものです。

ここが三井不動産に売却され大型マンションとなるようで。
この坂下にも大型高級マンションが次々に建ってきて、どんどん空が狭くなる東京。

この記事の最後に2008年頃に撮った写真を載せときます。

今日はブリテン(
1913~1976)のオペラ。

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    ブリテン 歌劇「ねじの回転」

アメリカに生まれ、英国で活躍した作家ヘンリー・ジェイムズ(1843~1916)が書いた同名の小説に基づくもの。

「ねじの回転」とは?
ねじは、ひとつの方向に回すことで、閉まるし緩まる。
そう、どちらかの方向に回りだしたら、もう後戻りできずに、ゆっくりでも事は進行してしまう、ある意味止められない、という意味合い。
いい方向にも、悪い方向にも・・・・

無意識の心理学を発見・確立したフロイト以前にそうした意識の流れを小説に取り入れた点で、革新性のある作家とされます。
人物たちの深層にある意識の流れが、とどまることなく、いろんな外形的な出来事の進行を通じて、思いもよらぬ、でもその心理に応じた結果をもたらすというもの。
また、郊外の壮麗な屋敷を舞台とすることから、英国のゴシック・ロマン小説の流れもあり。
以前の記事で、「次は小説も手にとってみよう」とか自分で書いてるけど、結局読んでない怠け者でありました。
今回は映像で2作視聴したので、作品への理解もひとしおでした。

「ねじの回転」は第9作目。
1954年にヴェネチア・ヴィエンナーレでブリテン指揮するイングリッシュ・オペラ・グループによって初演。
楽器持ち替えを含む13名程度の室内楽団と、ソプラノ、ボーイ・ソプラノ、テノールの6人の登場人物だけの室内オペラ。
こうした室内オペラは、これで3作目で、生涯好んだジャンルでもある。
器楽的な編成も含めた、室内編成オペラは、16作のオペラ中10作もあります。
大編成のオペラも、ピーター・グライムズやビリー・バッド、グロリアーナや真夏の夜の夢など、ともかく多彩で魅力的な世界がブリテンのオペラなのであります。

少年と少女、その少年を誘惑する幽霊がテノールで、当然にピーター・ピアーズが念頭。
欲求不満という悩める女家庭教師が主役。
こうしたいかにも的・ブリテン的な内容でありますが、無垢と邪悪との対比と闘い。
ブリテンが生涯貫いたテーマであります。
第2幕の最初に、幽霊組のふたり、クゥイントとジェスル婦人が悪だくみを語りあうシーンがあるのですが、そこで口にする言葉「The Celemony of innocence」。
これを打ち負かしてやるぜ、と話します。
「純粋・無垢な作法」とでも訳せましょうか。
ラストで、クゥイントと少年が直接対決し、それを女教師が必死に守り、少年は打ち勝ちますが、しかし魂は抜かれてしまった。
無垢な世界の敗北なのか、それとも死と引き換えに打ち破って、その魂は清らかに昇天したのか?
オペラでは、リアルに登場する幽霊たちの姿が見えることから、女教師の心理から、少年が死に至るという、ある意味事件性は薄くなっているが、そのあたりにメスを入れる演出も出てくるかもしれない。
「The Celemony of innocence」という言葉は、イェーツの詩から引かれたもの。
「再臨(Second Comming)」という詩で、キリストの循環再臨を詠った。
原作も、ブリテンの解釈も、いろんなものに読める、謎多きオペラかと思いますが、音楽はクールでありながら、かつ優しく、極めて緻密に書かれています。
 繰り返しですが、そのあたりの理解のためにも原作を読まねばなりませんな・・・・

プロローグ
  テノール独唱が、ピアノ伴奏を受けて物語の前段を語る。
 若い女教師が、二人の子供の後見人から、高給を約束しつつ、二人の世話を一切任せ、自分は手を引くことを、募集に応じてから聞かされた。
その後見人は、唯一の親族でかつハンサムだった。
家庭教師は、やる気に溢れて申し出を受け入れる。

第1幕
 郊外の邸宅に家庭教師は着任する。そこには、兄マイルズと妹フローラの二人の子供と、家政婦グロース婦人がいるのみ。子供たちは、カワユク美しく、利発で、家庭教師も気にいる。
うまくいくかと思った数日後、マイルズの学校の校長から、暴力をふるったとして退校処分の手紙が来る。
その後、家庭教師は、屋敷の一角の塔に男の姿を認め、恐怖にかられる。
さらに再びその男を見てしまい、グロース婦人に聞くと、かつての使用人のクイントではないかという。クイントは、マイルズをかわいがりすぎていたこと、前任の女教師ジェスルとも親しくしていたが、凍った道路で転倒して死に、ジェスルも自殺した旨を聞かされる。

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ある日、マイルズは勉強中に不思議な歌を歌う。
夜、マイルズはベッドから出て、塔の元までクイントに惹き付けられる。
一方、フローラは、邸内の湖のほとりから呼ぶジェスルからも呼ばれている。
二人の幽霊から再び戻ることを約束させられたところで、家庭教師と婦人に見つかり戻される

第2幕
 幽霊二人は、生前と同様に、子供たちを手にいれようと、意気投合している。怪しい会話。
日曜の教会、マイルズは、家庭教師にいつになったら学校に戻れるのか?と語るが、家庭教師は、それを挑戦と感じ、孤独感につつまれる。
ジェスルとの直接対決もあったがますます、困惑し、かつ子供たちを守ろうと決意する家庭教師。禁じられていた後見人への手紙を書くことを決心し、書き上げる。
マイルズから、クイントのことを聞き出そうとするが、クイントはマイルズしか聞こえない声で、口止めしたり、手紙を盗むことを指示する。

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 ある日、ピアノの練習中のマイルズ。やたらにうまい。
ところが一緒にいたはずのフローラがいない。
大人二人は、クイントのせいと思い、湖畔に探しに走る。そこで遊ぶフローラと遠くにジェスルの姿を認めた家庭教師はフローラを責める。
フローラは、先生なんか大嫌いと言い、家庭教師は大いに落ち込む。
 その夜、フローラはグロース婦人と過ごし、妙なことを口走るフローラに気がつき、家庭教師のいうとおりの異常に気付き、フローラを連れて去る。

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 さて、残った家庭教師とマイルズ。大いに決意し、マイルズからすべてを聞きだそうとするが、マイルズは答えない。さらにクイントは、マイルズを呼び苦しめる。
その狭間で苦しむ少年。
つにに、マイルズは「ピーター・クイント、you devil!」と叫び、教師の胸に飛び込む。
「おおマイルズ、救われたわ。もう大丈夫。二人で彼をやっつけたわ!」と家庭教師。
「おおマイルズ、もう終わりだ。お別れだマイルズ。お別れだ・・・・」とクイント。
「マイルズ、マイルズ、どうしたの?どうして答えないの?」・・・・・。
マイルズを抱きかかえる彼女。彼はこときれていた。
彼を静かに降ろし、家庭教師は、かつてマイルズが歌った不思議な歌を寂しく歌う・・・・・。

           幕

各幕ともに、8つの場からなっており、それぞれに短い間奏がついている。
この間奏は、プロローグの後の最初の12音技法による前奏曲の変奏曲になっていて15ある。
各役の没頭的な歌も特徴的で、ことにテノールによって歌われる幽霊と、無垢の少年の対話や対決は背筋が寒くなる雰囲気でヒヤヒヤする。
思わず、少年、ダメだ頑張れと声をあげたくなります。

初めて聴いたとき、少年の死は、かなりショックだった。

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    家庭教師  :リサ・ミルン      
    クゥイント :マーク・パドモア
    ジェスル婦人:カトリーン・ウィン・ダヴィース      
    グローズ婦人:ダイアナ・モンタギュー
    マイルズ  :ニコラス・カービー・ジョンソン        
    フローラ  :キャロライン・ワイズ
    語り      :フィリップ・ラングリッジ

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

                 (2004年制作)

BBCによるシネマ化で、リアル感満載の映像作品。
英国の郊外の少しばかり荒廃した舘が、リアルに舞台になっていて明るい暖色系の色彩は避けるようにして褐色の世界になっている。

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水辺のシーンとか、荒涼とした野辺とか、もうほんとに英国音楽好きならたまらない景色もありました。
 でも、怖いんです。
とくに、ジェスル婦人・・・・、歌も演技も、そのお姿もあの世の感じがよく出てる

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パドモアのクゥイントは、そんなにおっかなくなくて、いい人に見えるのは、いろんな演奏や映像でパドモアを多く見てきて慣れちゃったからか。
包容力ある家庭教師役のミルンも、そのクリアボイスは、英国音楽にはぴったりと思わせるし、おなじみのベテラン、モンタギューもいい味だしてる。
 ヒコックスの共感あふれるブリテン演奏は、ここでも安定感ある。
子供たちは、演技が本格的なもので、だんだんと、クゥイントとジェスルに取り込まれて行くさまが、とてもよく表出されてるし、歌も素敵。
迫真のラストシーンは、哀しみもひとしおで、舘の中に舞い込んだ枯葉が巻き戻しのようにして、クゥイントとともに去るところなど秀逸な映像でありました。

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    家庭教師    :ミレイユ・ドゥランシュ      
    クゥイント :マーリン・ミラー
    ジェスル婦人:マリー・マクラクリン      
    グローズ婦人:ハンナ・シェア
    マイルズ:グレゴリー・モンク        
    フローラ  :ナザン・フィクレット
    語り      :オリヴィエ・デュメ

  ダニエル・ハーディング指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
       
       演出:リュック・ボンディ
                              
             (2001.7 @エクサン・プロヴァンス音楽祭

シネマと違い、実際の舞台で上演するには、幽霊的な存在のふたりをどう扱うか?
複雑な舘の中の複数の部屋で起きるシーンをどう描きわけるか?
こんな難点を、ボンディの演出では、シンプルすぎるやり方で簡単に解決してしまった感じだ。
全体のカラーは、こちらはブルー系で、幽霊たちもシルバーからブルー。
教師と家政婦さんは黒、子供たちは白。
このあたりもよく考えらえている。
空間を狭く仕切ったり、ときに縦に広く扱ったり、ドアで他空間との仕切りや分断を表現したりと、極めて緊迫感の作り方がうまいと感じた。

Turn-10

若きハーディングの意欲あふれる指揮は、若いオケから切れ味抜群のサウンドを引き出していて、穏当なヒコックス盤に比べ、ヒリヒリするような緊張感を導きだしている。
このあたりは、劇場上演の強みでもあろうか。
それにしても、アバドに似てる。

 古楽のジャンルでも素敵な歌唱をたくさん残してるドゥランシュがブリテンを歌うとは、最初は驚きましたが、彼女は膨大なレパートリーを持ち、ここでも完全に役柄になり切って、期待が不安と恐怖に変わり、やがてうち勝とうとする強い意志を持つ女性へと、まったく見事な演技と歌唱であります。
ドゥランシュの過去記事

Turn-07

クゥイントの不気味さをうまく歌ったミラー氏、美人なマクラクリンのジェスルさんは、その出現がおっかなすぎで、貞子だった・・・
画面奥の方から、にじるようにして登場する恐怖の美人ジェスルさん。
気の毒な雰囲気ありありのグロース婦人。
ヒコックス盤の子供たちに比べると、その迫真性がやや劣るものの、こちらの二人も気の毒さにかけては秀逸。
ラストは、ここでも辛い悲しさだった。

Italy

こちらはイタリア大使館。

ものものしい警備はゼロで、周辺も閑静な雰囲気におおわれてます。

職員の宿舎も隣接してるので、散歩してると、ときおり本場もんのイタリア語を話しながら歩く皆さんに会うこともあります。

六本木方面のロシア大使館でも、職員さんや家族に出くわすことがあり、生ロシア語を聞けますが、声がデカいです・・・

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2020年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム パッパーノ指揮

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こちらは靖国神社の境内の奥にある日本庭園。

今年は、みたま祭りが中止となり、その時分に行ったけれど、ひと気は少なく、とても静かでした。

静謐な中、漂う清らかな雰囲気。

Britten-war-requiem-pappano

  ブリテン 「戦争レクイエム」

    S :アンナ・ネトレプコ
    T :イアン・ボストリッジ
    Br:トマス・ハンプソン

  サー・アントニオ・パッパーノ指揮
  
   ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/合唱団

       (2013.6.25~29 @ローマ)

 58年前に初演のブリテンの反戦への思いが詰まった「戦争レクイエム」

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。

この再演での作曲者自身の指揮によりロンドン交響楽団との録音が、長らくこの作品の犯しがたき名盤として君臨してきましたが、20年後の1983年、サイモン・ラトルの録音を皮切りに、多くの録音が行われるようになり、演奏会でも頻繁に取り上げられるようになりました。
毎年、少しづつその音源を増やし、エアチェックやネット録音も含めて15種。
昨年はついに女性指揮者マルヴィッツの放送も追加。
今年のブログは、まだ取り上げてなかったパッパーノ盤です。

サーの称号も得ているイギリス人で、両親はイタリア人、音楽の勉強はアメリカ、指揮者としては劇場から叩き上げ。
そんなパッパーノも若い若いと思ってたら、もう60歳。
コヴェントガーデンでのオペラ上演の数々や、ローマでのレコーディングを聴くにつけ、最近のパッパーノは若い頃の、イキの良さはそのままに、知的な音楽づくりながら、音が実に雄弁に語り出す恰幅の良さも感じてます。
オテロやリングなどの放送、とても感銘を受けました。
そしてともかくレパートリーが広い。

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 この戦争レクイエムは、手兵のイタリアのオーケストラを指揮して、歌手はロシア、イギリス、アメリカと、顔触れにドイツこそないものの、ブリテンの初演時の思いのように、戦った国同士のメンバーということになります。
パッパーノの明晰な音楽は、ここでも際立っていて、ローマのオーケストラから透明感あふれる響きを引き出していて、ダイナミックな劇的なシーンも濁ることのない鮮烈さを味わうことができました。
 3人のなかで、いちばん声が重たいのがなんとネトレプコ。
レパートリーも拡充して、ドラマティコになっていった時期のもので、悲壮感ただようその歌声はなかなかに際立ってる。
いつものように繊細な歌い口のボストリッジに、友愛感じるハンプソンのあたたかなバリトンもとてもよかった。

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この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです(毎年この思いは綴っているのでi以下も含めまして再褐となります。)

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」


この映像を見ると、上記の、オーケストラ編成や合唱の配置のことがよくわかります。
ネトレプコは契約の関係か、収録時いなかったのか、登場しません。

※初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65日本初演~読響)
2022年の初演60年の年には、日本でもどんな「戦争レクイエム」が聴けることでしょうか。
希望を込めて、J・ノット指揮、露・英または米・独の歌手、日本のオケと合唱で。
これぞ、ブリテンの思いの理想の結実かと!

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実際のドンパチはないものの、世界は戦争状態に近いと思います。
反目しあう国と国、人種と人種、宗教と宗教、思想と思想 etc・・・・
争いはずっとずっと絶えることはない。
それがデイリーに可視化されて見えてしまういまのネット社会は、便利なのか、ストレス発生装置なのか、むしろ情報過多でわからない。

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2020年2月 9日 (日)

ブリテン セレナード ピアーズ&ブリテン

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冬の海の夕暮れ。

相模湾に遠くの伊豆半島。

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  ブリテン セレナード

        ~テノール独唱、ホルン、弦楽のための~

   T:ピーター・ピアーズ

   Hr:バリー・タックウェル

  ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団

       (1963.12 @キングスウェイホール、ロンドン)

深い絆で結ばれたブリテンとピアーズ。
歌手ピアーズがいなかったら、ブリテンの数々のオペラの名作や、多彩な声楽曲はこれほどに生まれなかったかもしれない。

そんなピアーズと、伝説級のホルンの名手デニス・ブレインのために書かれた作品が、ホルンとテノールと弦楽のための「セレナード」。

この作品は、美しく、そして怜悧なクールさも秘めた、月の浮かぶ冬の夜空のような名曲だ。

フランク・ブリッジにその才能を磨かれ、シンプル・シンフォニーで作曲家として認められた若きブリテンは、ピアーズとも知り合い、お互いに平和を希求する心を高めあっていった。
その気持ちに沿うようにして、ふたりは戦雲を立ち込めつつあったイギリスとヨーロッパから脱出するように、アメリカに渡り、そこで作曲活動をするようになった。
 このアメリカ時代は、1939年から1942年で、ブリテンのこの活動は、イギリスでは、良心的兵役拒否として認められるところとなった。

帰国後の1943年に書かれたのが、「セレナード」で、そのあと「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」など、数々の作品の創作の森に踏み込んでいくのでした。
作曲年に、ロンドンにて、ピアーズとブレイン、ワルター・ゲールの指揮により初演。
このゲールという指揮者は、シェーンベルクの弟子で、ユダヤ系であったため、イギリスに渡り、同国とオランダにて活躍した人。
会員制のレコード頒布組織のコンサートホールに加入していたので、その名前はよく見て覚えていたし、協奏曲のレコードなどいくつか持ってました。

8曲からなる連作歌曲集で、その8曲のうち、曲の冒頭と最後の8曲目は、ホルンのソロだけ、という極めてユニークかつ印象的な構成になっている。
全編に際立つ名技性を伴ったホルンの活躍、技術的なことはわかりませんが、自然倍音だけで奏されるソロだけの部分は、夜のしじまに鳴り響くエコーのようで一度聴くと、耳にずっと残って忘れられないものがあります。
またテノールの音域とホルンの音色の絶妙なブレンドの妙と掛け合いの巧みな筆致。
あと、弦楽器の背景色のパレットは、各曲の詩の内容を描きだすようなブリテンならではの、雄弁さと淡さを感じる。

そして主役のテノールは、熱くもあり、情熱を感じる一方で、どこか醒めたような立ち位置から英国の風物を歌うような風情がある。
このあと書かれるあの没頭的な「ピーター・グライムズ」の主役のテノールとはまた違う、クールなテノールの歌曲集に思う。

英国詩を代表する詩人たちの作品をそれぞれ選択。
①プロローグ(ホルンソロ)②パストラール(チャールズ・コットン)③ノクターン(アルフレッド・テニスン)④エレジー(ウィリアム・ブレイク)⑤追悼の歌(作者不詳)⑥讃歌(ベン・ジョンソン)⑦ソネット(ジョン・キーツ)⑧エピローグ(ホルンソロ)
自然、四季、死と祈りなど、英国の市井に即した詩たちです。

繊細かつ知的な抑制も効いたピアーズの歌。
作品と恐ろしいまでに同化している。
それと、タックウェルの艶やかな音色と、難しさを感じさせない技巧の冴え。
初演者のブレインは、1957年に交通事故死してしまったので、この作品のステレオ録音は残せなかった。
それを補ってあまりあるタックウェルの本盤の演奏のすばらしさです。

そのバリー・タックウェルも、先ごろ、2020年1月16日に亡くなってしまいました。
オーストラリア出身で、ロンドン響の首席を長く務めた名手、晩年は指揮者として活動してました。
ブレインとタックウェル、そして、アラン・シヴィルは、ほぼ同じような年代で、ロンドンのオーケストラに咲いたホルンの華でありました。
そうそう、シヴィルは、ビートルズの曲でもステキなホルンを吹いてました。

タックウェルの追悼もかねて、取り上げたセレナード。
ブリテンには、同様のオーケストラ付きの歌曲として、あと「イリュミナシオン」と「夜想曲」がありまして、それらもいろんな音盤で聴いてますので、いずれまた取り上げることにしましょう。

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

Brso-2

バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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