三田の坂の上にある三井倶楽部。(さんだ、の三田ではありません)
三井グループの関係者だけが利用できる迎賓館で、明治10年にここに設置。
財閥の巨大さを感じ取れる施設ですが、終戦後は当然のように米軍に利用権を独占された歴史があるという。
この周辺、港区一体には、各国の大使館があってそれぞれの国柄によって警備の度合いもまちまち。
日本にとっての友好国は、おまわりさんが一人もいないし、お国の魅力を伝える掲示物もたくさんあって、異国情緒を味わえる。
そうでない国は・・・・C・K・R云々、げふんごほん。。。。
その斜め向かいには、かつて、郵政の簡易保険事務センター、昭和初期の旧逓信省貯金局庁舎の瀟洒な建物がありましたが、跡形もありません。
その建物は歴史的な文化遺産とも呼べたかもしれません。
アールデコ調のとてもヨーロピアンな建物で、ここを通るときにはよく眺めたものです。
ここが三井不動産に売却され大型マンションとなるようで。
この坂下にも大型高級マンションが次々に建ってきて、どんどん空が狭くなる東京。
この記事の最後に2008年頃に撮った写真を載せときます。
今日はブリテン(1913~1976)のオペラ。

ブリテン 歌劇「ねじの回転」
アメリカに生まれ、英国で活躍した作家ヘンリー・ジェイムズ(1843~1916)が書いた同名の小説に基づくもの。
「ねじの回転」とは?
ねじは、ひとつの方向に回すことで、閉まるし緩まる。
そう、どちらかの方向に回りだしたら、もう後戻りできずに、ゆっくりでも事は進行してしまう、ある意味止められない、という意味合い。
いい方向にも、悪い方向にも・・・・
無意識の心理学を発見・確立したフロイト以前にそうした意識の流れを小説に取り入れた点で、革新性のある作家とされます。
人物たちの深層にある意識の流れが、とどまることなく、いろんな外形的な出来事の進行を通じて、思いもよらぬ、でもその心理に応じた結果をもたらすというもの。
また、郊外の壮麗な屋敷を舞台とすることから、英国のゴシック・ロマン小説の流れもあり。
以前の記事で、「次は小説も手にとってみよう」とか自分で書いてるけど、結局読んでない怠け者でありました。
今回は映像で2作視聴したので、作品への理解もひとしおでした。
「ねじの回転」は第9作目。
1954年にヴェネチア・ヴィエンナーレでブリテン指揮するイングリッシュ・オペラ・グループによって初演。
楽器持ち替えを含む13名程度の室内楽団と、ソプラノ、ボーイ・ソプラノ、テノールの6人の登場人物だけの室内オペラ。
こうした室内オペラは、これで3作目で、生涯好んだジャンルでもある。
器楽的な編成も含めた、室内編成オペラは、16作のオペラ中10作もあります。
大編成のオペラも、ピーター・グライムズやビリー・バッド、グロリアーナや真夏の夜の夢など、ともかく多彩で魅力的な世界がブリテンのオペラなのであります。
少年と少女、その少年を誘惑する幽霊がテノールで、当然にピーター・ピアーズが念頭。
欲求不満という悩める女家庭教師が主役。
こうしたいかにも的・ブリテン的な内容でありますが、無垢と邪悪との対比と闘い。
ブリテンが生涯貫いたテーマであります。
第2幕の最初に、幽霊組のふたり、クゥイントとジェスル婦人が悪だくみを語りあうシーンがあるのですが、そこで口にする言葉「The Celemony of innocence」。
これを打ち負かしてやるぜ、と話します。
「純粋・無垢な作法」とでも訳せましょうか。
ラストで、クゥイントと少年が直接対決し、それを女教師が必死に守り、少年は打ち勝ちますが、しかし魂は抜かれてしまった。
無垢な世界の敗北なのか、それとも死と引き換えに打ち破って、その魂は清らかに昇天したのか?
オペラでは、リアルに登場する幽霊たちの姿が見えることから、女教師の心理から、少年が死に至るという、ある意味事件性は薄くなっているが、そのあたりにメスを入れる演出も出てくるかもしれない。
「The Celemony of innocence」という言葉は、イェーツの詩から引かれたもの。
「再臨(Second Comming)」という詩で、キリストの循環再臨を詠った。
原作も、ブリテンの解釈も、いろんなものに読める、謎多きオペラかと思いますが、音楽はクールでありながら、かつ優しく、極めて緻密に書かれています。
繰り返しですが、そのあたりの理解のためにも原作を読まねばなりませんな・・・・
プロローグ
テノール独唱が、ピアノ伴奏を受けて物語の前段を語る。
若い女教師が、二人の子供の後見人から、高給を約束しつつ、二人の世話を一切任せ、自分は手を引くことを、募集に応じてから聞かされた。
その後見人は、唯一の親族でかつハンサムだった。
家庭教師は、やる気に溢れて申し出を受け入れる。
第1幕
郊外の邸宅に家庭教師は着任する。そこには、兄マイルズと妹フローラの二人の子供と、家政婦グロース婦人がいるのみ。子供たちは、カワユク美しく、利発で、家庭教師も気にいる。
うまくいくかと思った数日後、マイルズの学校の校長から、暴力をふるったとして退校処分の手紙が来る。
その後、家庭教師は、屋敷の一角の塔に男の姿を認め、恐怖にかられる。
さらに再びその男を見てしまい、グロース婦人に聞くと、かつての使用人のクイントではないかという。クイントは、マイルズをかわいがりすぎていたこと、前任の女教師ジェスルとも親しくしていたが、凍った道路で転倒して死に、ジェスルも自殺した旨を聞かされる。

ある日、マイルズは勉強中に不思議な歌を歌う。
夜、マイルズはベッドから出て、塔の元までクイントに惹き付けられる。
一方、フローラは、邸内の湖のほとりから呼ぶジェスルからも呼ばれている。
二人の幽霊から再び戻ることを約束させられたところで、家庭教師と婦人に見つかり戻される。
第2幕
幽霊二人は、生前と同様に、子供たちを手にいれようと、意気投合している。怪しい会話。
日曜の教会、マイルズは、家庭教師にいつになったら学校に戻れるのか?と語るが、家庭教師は、それを挑戦と感じ、孤独感につつまれる。
ジェスルとの直接対決もあったがますます、困惑し、かつ子供たちを守ろうと決意する家庭教師。禁じられていた後見人への手紙を書くことを決心し、書き上げる。
マイルズから、クイントのことを聞き出そうとするが、クイントはマイルズしか聞こえない声で、口止めしたり、手紙を盗むことを指示する。

ある日、ピアノの練習中のマイルズ。やたらにうまい。
ところが一緒にいたはずのフローラがいない。
大人二人は、クイントのせいと思い、湖畔に探しに走る。そこで遊ぶフローラと遠くにジェスルの姿を認めた家庭教師はフローラを責める。
フローラは、先生なんか大嫌いと言い、家庭教師は大いに落ち込む。
その夜、フローラはグロース婦人と過ごし、妙なことを口走るフローラに気がつき、家庭教師のいうとおりの異常に気付き、フローラを連れて去る。

さて、残った家庭教師とマイルズ。大いに決意し、マイルズからすべてを聞きだそうとするが、マイルズは答えない。さらにクイントは、マイルズを呼び苦しめる。
その狭間で苦しむ少年。
つにに、マイルズは「ピーター・クイント、you devil!」と叫び、教師の胸に飛び込む。
「おおマイルズ、救われたわ。もう大丈夫。二人で彼をやっつけたわ!」と家庭教師。
「おおマイルズ、もう終わりだ。お別れだマイルズ。お別れだ・・・・」とクイント。
「マイルズ、マイルズ、どうしたの?どうして答えないの?」・・・・・。
マイルズを抱きかかえる彼女。彼はこときれていた。
彼を静かに降ろし、家庭教師は、かつてマイルズが歌った不思議な歌を寂しく歌う・・・・・。
幕
各幕ともに、8つの場からなっており、それぞれに短い間奏がついている。
この間奏は、プロローグの後の最初の12音技法による前奏曲の変奏曲になっていて15ある。
各役の没頭的な歌も特徴的で、ことにテノールによって歌われる幽霊と、無垢の少年の対話や対決は背筋が寒くなる雰囲気でヒヤヒヤする。
思わず、少年、ダメだ頑張れと声をあげたくなります。
初めて聴いたとき、少年の死は、かなりショックだった。

家庭教師 :リサ・ミルン
クゥイント :マーク・パドモア
ジェスル婦人:カトリーン・ウィン・ダヴィース
グローズ婦人:ダイアナ・モンタギュー
マイルズ :ニコラス・カービー・ジョンソン
フローラ :キャロライン・ワイズ
語り :フィリップ・ラングリッジ
サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
(2004年制作)
BBCによるシネマ化で、リアル感満載の映像作品。
英国の郊外の少しばかり荒廃した舘が、リアルに舞台になっていて明るい暖色系の色彩は避けるようにして褐色の世界になっている。

水辺のシーンとか、荒涼とした野辺とか、もうほんとに英国音楽好きならたまらない景色もありました。
でも、怖いんです。
とくに、ジェスル婦人・・・・、歌も演技も、そのお姿もあの世の感じがよく出てる

パドモアのクゥイントは、そんなにおっかなくなくて、いい人に見えるのは、いろんな演奏や映像でパドモアを多く見てきて慣れちゃったからか。
包容力ある家庭教師役のミルンも、そのクリアボイスは、英国音楽にはぴったりと思わせるし、おなじみのベテラン、モンタギューもいい味だしてる。
ヒコックスの共感あふれるブリテン演奏は、ここでも安定感ある。
子供たちは、演技が本格的なもので、だんだんと、クゥイントとジェスルに取り込まれて行くさまが、とてもよく表出されてるし、歌も素敵。
迫真のラストシーンは、哀しみもひとしおで、舘の中に舞い込んだ枯葉が巻き戻しのようにして、クゥイントとともに去るところなど秀逸な映像でありました。

家庭教師 :ミレイユ・ドゥランシュ
クゥイント :マーリン・ミラー
ジェスル婦人:マリー・マクラクリン
グローズ婦人:ハンナ・シェア
マイルズ:グレゴリー・モンク
フローラ :ナザン・フィクレット
語り :オリヴィエ・デュメ
ダニエル・ハーディング指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
演出:リュック・ボンディ
(2001.7 @エクサン・プロヴァンス音楽祭)
シネマと違い、実際の舞台で上演するには、幽霊的な存在のふたりをどう扱うか?
複雑な舘の中の複数の部屋で起きるシーンをどう描きわけるか?
こんな難点を、ボンディの演出では、シンプルすぎるやり方で簡単に解決してしまった感じだ。
全体のカラーは、こちらはブルー系で、幽霊たちもシルバーからブルー。
教師と家政婦さんは黒、子供たちは白。
このあたりもよく考えらえている。
空間を狭く仕切ったり、ときに縦に広く扱ったり、ドアで他空間との仕切りや分断を表現したりと、極めて緊迫感の作り方がうまいと感じた。

若きハーディングの意欲あふれる指揮は、若いオケから切れ味抜群のサウンドを引き出していて、穏当なヒコックス盤に比べ、ヒリヒリするような緊張感を導きだしている。
このあたりは、劇場上演の強みでもあろうか。
それにしても、アバドに似てる。
古楽のジャンルでも素敵な歌唱をたくさん残してるドゥランシュがブリテンを歌うとは、最初は驚きましたが、彼女は膨大なレパートリーを持ち、ここでも完全に役柄になり切って、期待が不安と恐怖に変わり、やがてうち勝とうとする強い意志を持つ女性へと、まったく見事な演技と歌唱であります。
→ドゥランシュの過去記事

クゥイントの不気味さをうまく歌ったミラー氏、美人なマクラクリンのジェスルさんは、その出現がおっかなすぎで、貞子だった・・・
画面奥の方から、にじるようにして登場する恐怖の美人ジェスルさん。
気の毒な雰囲気ありありのグロース婦人。
ヒコックス盤の子供たちに比べると、その迫真性がやや劣るものの、こちらの二人も気の毒さにかけては秀逸。
ラストは、ここでも辛い悲しさだった。
こちらはイタリア大使館。
ものものしい警備はゼロで、周辺も閑静な雰囲気におおわれてます。
職員の宿舎も隣接してるので、散歩してると、ときおり本場もんのイタリア語を話しながら歩く皆さんに会うこともあります。
六本木方面のロシア大使館でも、職員さんや家族に出くわすことがあり、生ロシア語を聞けますが、声がデカいです・・・
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