カテゴリー「ベートーヴェン」の記事

2026年8月 2日 (日)

サマーミューザ 読売日本交響楽団 ヴァイグレ指揮

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日本のオーケストラの夏の祭典、ファスタ・サマーミューザに再び。

そう、ワーグナーですよ。

バイロイトも150周年の記念の年で、そちらは放送で例年どおり連日楽しんでます。

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  フェスタ・サマーミューザ 読売日本交響楽団演奏会

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

 シューベルト    楽興の時 第3番 ~アンコール

       Pf: 鈴木 愛美

    ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
           ~オーケストラル・トリビュート~
         ヘンク・デ・フリーヘル編 日本初演

    セバスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団

       コンサートマスター:日下 紗矢子

       (2026.7.31 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

サマーミューザでは、2023年にこのコンビで「ニーベルングの指環」フリーヘル編。
2025年には、ノットと東響で「ニーベルングの指環」マゼール編を、それぞれに聴いてますが、ともにベートーヴェンの8番との組み合わせだった。

そして、今回もワーグナーとベートーヴェンで、協奏曲とはいえ、調性にひとひねりあり、ハ短調とハ調の対比でもありました。
そのハ短調を本格的なベートーヴェンとはかくや、と思わせるピアノを聴かせたのが若い鈴木愛美さん。
私は初めてのピアニストでしたが、すでに彼女のベートーヴェンは定評があり、ファンもたくさんいらしてましたね。
ともかく一音一音がクッキリと明快で、音楽の組み立ても隙なく安定感があるのが年齢を思わせない彼女のスゴさかも。
曲が曲だから、シャープな1楽章では輪郭を際立たせたヴァイグレと読響の音も手伝い、辛口の渋い演奏にも感じた。
緩徐楽章が抒情的なベートーヴェンらしさの最たる作品が3番でもありますが、この2楽章がともかく美しかった。
静謐でありつつ透明感にあふれたピアノのソロに導かれるように柔和なオーケストラが入ってくる冒頭から、もう私はこの演奏に聴き惚れました。
ピアニストの若い、瑞々しい感性がこの楽章にはなみなみとあふれ出ておりましたし、それを優しく見つめ支える指揮者とオーケストラによる幸せな楽章。
次ぐ3楽章はあわてず騒がず、じっくりと短調と長調との橋渡し、その対比もごく自然で気負うことのない落ち着きすら感じ、そうでありながらもしっかりとフィナーレとしての完結感をオーケストラとともに表出。
実に気持ちのいい、夏の暑さも忘れてしまう爽やかかつ堂々たるベートーヴェンでした。
 この気持ちをさらに柔らかさで包み込んでくれたのがシューベルトの音楽。
シューベルトの歌声を感じさせる実にステキな演奏でありました。
誰しも優しい気持ちになります。

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オーケストラルアドベンチャーとして、コンサートの定番にもなった「リング」で高名なデ・フリーヘル(73)が2005年に手掛けたのが「マイスタージンガー」。
フリーヘル編のワーグナーは現在のところ、「リング」(1991)、「パルジファル」(1993)、「トリスタン」(1994)、「マイスタージンガー」(2005)、「タンホイザー」(2018)と未完の草稿の補完・オケ編(1996)となっており、残るは初期3作と「オランダ人」「ローエングリン」。

ということで、自分的にはその存在すらまったく圏外だった「マイスタージンガー」のフリーヘル版があることを今回はじめて知った次第で、音源も父ヤルヴィ、デ・ワールトとあることも知った。

なんたって、ヴァイグレはマイスタージンガーでバイロイト音楽祭デビューを2007年に飾り5年間、カタリナ・ワーグナーのプロダクションをすべて指揮した経緯あり、さらに今回の演奏会の事前インタビューを読んだが、ベルリン国立歌劇場の首席ホルンだった時代に、スウィトナーに率いられた引っ越し公演で東京でマイスタージンガーのピットに入っていたとの発言もありました。
私も観劇したNHKホールでのあのスウィトナーのマイスタージンガー。
指揮者として、オーケストラの一員として、マイスタージンガーばかりでなく、ワーグナーに精通しているヴァイグレですからもう安心して、その素晴らしい「ワーグナーサウンド」に酔いしれることが出来たのです。

前奏曲→①親方たちの集合→②徒弟たちの歌→②ザックスのモノローグ「にわとこの花」→③前奏曲→③洗礼「五重唱」→③各業界組合の行進→③徒弟たちの踊り→③マイスタージンガーたちの入場、ザックス入場→③ヴァルターの歌「朝はばら色に輝き」→③ザックスの戒め「親方たちを侮るなかれ」、終幕合唱

約50分に巧みに集約された構成だが、どうしても3幕ばかりになるのは歌より合唱も多く、動きが多いシーンが3幕だから。
ベックメッサーがまったく登場しないから、2幕からベックメッサーの愉快な歌のシーンや乱闘シーンは入れてもよかったかも・・・です。

それにしても、前奏曲のハ調の出だしからヴァイグレも読響も気合が入っていて、ホールすべてを解放してしまうかのような前向きかつ明るい響きだった。
読響の威力あふれる低弦にもおどろきで、これぞワーグナー、ドイツだとも思ったりもした。
親方たちを点呼するくり返しの音型のある集合シーンも点呼を脳内再生しながら聴くのも楽しかったし、オケがあんなふうに演奏してるんだな、と拝見するのも興味深いものがあり。
 ヨナンニスタークとこれもまた脳内で歌いつつ楽しんだ徒弟の歌や、ザックスの内向的なモノローグシーン。
3幕の前奏曲は絶品で、その音楽の深さとオーケストラのコクと音の厚みも堪能。
そこから抒情的な5重唱は、管楽器などで歌は代行されるが、この楽劇でいちばん美しく霊感あふれる場面なので、ずっと続いて欲しかったとも思いましたね。
そして愉快だったのが組合の行進で、業種ごとにデフォルメされた音楽だけど、ヴァイグレさんの指揮が音楽が乗り移ったみたいで顔芸や写実的な指揮ぶりを披露して、まったく飽きさせることがなく、このあたりは劇場では味わえない面白さだろう。
神妙なるヴァルターの優勝シーンから、ザックスの名演説シーン、このあたりももう、歌を伴う脳内再生で聴きつつその音楽と演奏にのめり込む自分がいて、自分が自分でバカだなぁ~と思うようにしてた(笑)
そんだけ、ワーグナーの音楽が血肉と化してる訳なんですがね、歳とともに客観視もできるようになってきたのに。
予定調和のハ長の大団円に、熱烈ブラボーを飛ばさなかった自分を褒めてあげたい。
P席だったし、まわりはおとなしかったので自分が制御できましたよ・・・・

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安心してすべてを委ねることができた日本で聴ける本物のワーグナー。

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来年に予定される、ヴァイグレによるシュテファンのオペラ、好きな界隈なので是非聴きたいところです。

まだ暑い熱気のこもる外、見上げると朧に月がのぼってましたね。

さあ、夏だ。ワーグナーだ。

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2026年6月16日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴァンスカ指揮

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いつも楽しみにしているサントリーホールのカラヤン広場の飾り花壇。

季節に応じた花を配したその見事さは、素人にはできない見事さ。

6月に聴くラフマニノフに相応しい紫陽花の色どりです。

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  東京交響楽団 第741回定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ラフマニノフ  交響曲第2番 ホ短調 op.27

   オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小川ニキティングレブ

        (2026.6.13 @サントリーホール)

昨年3月に東響に初客演したオスモ・ヴァンスカ、私もなんどかその機会を図っていた指揮者でしたが、そのときが初ヴァンスカ。
都響とのシベリウスを聴き逃してしまったが、早くも実現した1年後の東響への登場は、その素敵なプログラムとともにおおいに楽しみだった演奏会でした。

昨年夏にノット指揮で聴いたベートーヴェンの8番。
そのときにアクティブで攻めの姿勢に富んだ8番と違い、同じく比較的大きめな編成ながら、ヴァンスカの方はヴィブラートは控えめながらも、おおらかで音もたっぷりと響かせた大人な演奏だった。
東響で聴くベートーヴェンは、この1年間でマルッキの田園、ノットの第8・第9、ヴィオッテイの1番と、そのどれもがまったく異なり、オーケストラのフレキシビリティの高さもわかるわけだが、ベートーヴェンの音楽がそのアプローチの仕方でまったく違って聴こえるということも味わえたことで、会員になっているありがたみも痛感した次第。
 ヴァンスカの指揮は、その指示ぶりなどを見ていると、強弱へのこだわりと、旋律線ばかりか内声部を際立たせたりして、オーケストラもそれに瞬時に反応して、聴き慣れた音楽でも息が抜けず、耳に新しい発見を伴わせてくれる。
これは1年前に感じたことだけれど、ベートーヴェンとラフマニノフでは、それがさらに徹底されていた。

たっぷりと鳴り渡った1楽章、正確なリズムを刻みつつも低弦の動きが面白く楽しめたりもした2楽章。
ソロに向かってまるきり指揮していて、きっと緊張したろうなと思いつつも、それに応え見事だった上間さんのホルン。
スピード感あふれつつも、どの楽器もそれぞれに浮きあがるように引立って聴こえた終楽章。
ミネソタ管とのベートーヴェン全集をこれは聴いてみなくては、と思いましたね。

シベリウスやマーラーのCDを聴いてきて思うヴァンスカの音楽造りの緻密さ。
いろんな声部を巧みに響かせ、新鮮な驚きを与えつつも、旋律線は明快に澄んで聴かせる北欧の音楽家ならではの手腕。
こうした印象が、そのままラフマニノフで感じ取ることができた。
これまで数えきれないほど聴いてきたラフマニノフの2番。
プレヴィンとスラトキンは、思い入れが先行したという感情が入り込んだものだったので、それらを別格にして、これまででいちばんの演奏だったと思う。

甘さや旋律に溺れることのない、むしろ渋い演奏。
ゆったりめの運びで克明な演奏に徹した1楽章。
当然にくり返しあり、演奏時間も他音源に比べても長いのではなかったか。
ラフマニノフの音楽は、ヴィオラがとても重要な存在だと思っていて、そのあたりの思いを確信させてくれるように、そのヴィオラとチェロを浮き上がらせるように、よく鳴らしていたし、首席3人を揃え、お馴染みの青木さんがセカンドプルトにいるという豪華版は、ますますヴィオラ陣のしっかりした音に力を与えていたと思う。
 久々のコンマス・ニキティンさんもノリノリで、ヴァイオリンを立てるようにして激奏、ヴァイオリン陣は第1も第2も、今宵はともかく熱演で、気持ちよくみなさん弾いているのが拝見できました。
 速めにズバズバ進行した2楽章は、おおらかな前の楽章と対比もあざやか。
打楽器も小気味よく、ヴァンスカの指示も各奏者に向け細かに振り分けている。

甘美な旋律に溺れることなく客観性を保ちつつも、しかしラフマニノフの音楽の旋律のよさをとことん味わわせてくれたのが3楽章。
ヌヴーさんの鮮やかだけど、繊細なるクラリネットソロに導かれ、ともかくまんじりとせずに思い切り集中して聴いた。
指揮棒を置いての丁寧な指揮ぶりは、やはりソロ奏者にむけて振るので、当事者はそれこそ大変だなとも思ったが、なにがおこるか毎回わからないノット監督に鍛え上げられた東響はヴァンスカの厳しい指揮に動じることなく、完璧に応えていた。
のめり込むようにして夢中になってしまうこの楽章のクライマックスは、そこに至るまでが着実な積み重ねで浮つきがまったくなく、その流れの必然として頂点が築かれたように感じ、この音楽の真の美しさとラフマニノフが得た自信のようなものまで思いをはせることができた。
ビューティフルなプレヴィンとはまた全然違う精緻な美しさに酔った、涙も出た。
終わらないで欲しいと思った。

カッチリじっくりやるだろうと思った4楽章は、終始熱がこもり、この作品の総決算とも呼ぶべき完全無欠ぶりで興奮誘うものだったのだ。
大好きな第2主題、これはもう指揮者もオケもみんな、ここにむかってやってきたといわんばかりの気持ちいい歌いっぷり。
各章を回顧するシーン、3楽章の振り返りのあと、かなり長く感じられた休止を置いたのが印象的。
聴き手にも間違いなく緊張感が高まったのは事実で、その後から展開される怒涛のフィナーレへと期待とワクワク感が高まりました。
もうあとは、わたくし、指揮者にオーケストラのみなさまにと、きょろきょろしつつ興奮のしっぱなし。
徐々に高まり、ついにあの第2主題が高らかに!
もうダメだ、わなわなしっぱなしの大興奮。
かなりの追い込みをかけたヴァンスカの棒が振り下ろされるや否や大ブラボー大会でした。
ワタクシは慎ましく、一声のみ参加。

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いやぁ、素晴らしいラフマニノフが聴けた。
今回ライブ録音されたらよかったが、ヴァンスカさんには、ミネソタ管で正規録音を残して欲しい。
ノットやヴィオッテイとタイプのまったく異なる職人気質でありつつ、オーケストラの力を巧みに引き出すヴァンスカさん。
常連指揮者になって欲しいです。

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むかしのふくよかなイメージの強かったヴァンスカさん。
ずいぶんスリムになられました。
また登場して、シベリウスならクレルヴォやレンミンカイネン、プロコフィエフは6番やネフスキーなどをやって欲しい・・・

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関東は梅雨本番を迎えます。

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2026年5月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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気温も上がった5月の中盤。
サントリーホールのカラヤン広場も初夏の様相。

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創立80周年の東京交響楽団。
そして、新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイを迎えての初定期演奏会
たくさんの花がロビーを飾ってました。

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      東京交響楽団 第740回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調 op.21 

 マーラー    交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

    (2026.5.16 @サントリーホール)

ファンと楽員さんとに大いに愛されたジョナサン・ノットに次ぐ第4代の東京交響楽団音楽監督に就任したヴィオッテイの就任披露。

90年の隔たりのあるふたつの1番という演目で、スタートに相応しいコンサートとなりましたが、そんな初々しい新コンビの幕開けは、めったに出会えないほどの熱気と興奮とに包まれる結果となりました。

スイス出身のロレンツォ・ヴィオッテイは、今年36歳。
2023年にこのコンビの「ダブル英雄」を聴いたおりの紹介文章を再度転記編集します。
 2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
指揮者として初のプロオーケストラ指揮が日本での2014年の東京交響楽団への代役出演、新国でもトスカを振っており、ともかく日本、なによりも東響と結びつきの深いロレンツォなのでした。
グシュルバウアーやコルボでお馴染みだったリスボンのグルベンキアン管弦楽団の指揮者、そしてネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者としてすでに活動してきて、ウィーンのすべてのオケ、ベルリンフィルなど、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
2028年からはノセダのあとのチューリヒ・オペラの音楽総監督に就任予定。

ノット監督のときは対向配置がほぼ常であったが、今回はチェロがいちばん右翼で、いわゆるかつてのストコフスキー型。
妙な話ですが、これからして新鮮だった。

これからも輝かしいキャリアを築き上げ続けるであろうヴィオッテイ。
長身、ともかく長い手と足、すっきりやせ型のスリムなスポーツマンタイプで、颯爽とそしてにこやかに登場。
爽やかにも思われる第1音は澄み切った美しい東響のハーモニーによる序奏、そのあとテンポをあげて主部に突入するが、リズムの刻みが鮮やかで弾むような躍動感あふれる楽章となりました。
極端にヴィブラートを抑えたりしていないのでゆとりあふれる愉悦感も漂い心地よいのだ。
2楽章では弱音への心配りが大きく、とても大切に響かせていて、強弱の対比、リズムと緩やかな旋律との対比も面白く、ベートーヴェンの緩徐楽章がいつも美しいということを認識させてくれるような演奏だった。面白かった。
一転、きっぱりとした3楽章はまさにスケルツォの先取りと感じる鮮やかさ。
そして最後の音が終わると同時にアタッカで終楽章へ突入。
これには驚かされた、そう来たか!と思いましたよ、目が覚めるほどの効果あり、まさにベートーヴェンの意欲がそんな一瞬にも吹き出して見えた。
その終楽章がスピード感と躍動感あふれる俊敏な演奏で、これまた最高ときた。
古典の域を脱することなく感じてるベートーヴェンの1番が、こんなに作曲者のやる気の詰まった意欲作に聴こえたのが驚きの演奏。
かつて神奈川フィルで大家シュナイトさんのこの1番を聴いたことがあるが、そのときは、びっくりするくらいの大交響曲に聴こえた大人(たいじん)の演奏だった。
今宵のヴィオッテイの1番は、駆け抜ける若さと青竹のようなきっぱり感、そして音楽表現への強い気持ちを感じる、そんな前向きな演奏なのでありました。
早くもブラボー飛んでましたよ。

ベートーヴェンが1800年30歳、マーラーが1888年28歳、ともに壮年期に差し掛かったこの先やったるぜ、と意欲満々の時期の1番。
年月の経過は、通常版による4管編成でずらりと勢ぞろいしたオーケストラを眺めるだけで実感できる。
1楽章の冒頭、同じ序奏を持つ曲ながら、ヴィオッテイはこの序奏を極めて抑えて細心の注意をもって聴きとるべきような弱音で開始したので、聴き慣れてルーティン化した思いでいどんだワタクシは、緊張しつつもものすごく集中して聴くという術中にはまることになった。
ステージ外のトランペットの遠近感も見事。
そして徐々に雲間から明るさが兆すようにして、おもむろに登場するさすらう若人の歌のメロディと晴れやかさ。
冒頭からワクワクさせてくれるじゃないか。
しっかりくり返しも励行し、その後の不安の様相の中からまた起こるファンファーレは抑えめで、終楽章でのさらなる爆発を予見、楽しみにさせるもの。
かなりの猛ダッシュでラストを駆け抜けた1楽章。
 ともかくノリのよかった2楽章。
メリハリを思い切りつけるような指揮者の指示っぷりもあって、歯切れよい主部。
そして美しく愛らしくもあった中間部、優美な展開が主部の切れ味との対比で面白い。
このように、ヴィオッテイの指揮は各部のメリハリの付け方がうまく、それが嫌味やあざとさにつながらない自然さがあるというところがよい。
 コントラバスはトゥッティで一音も乱れることなく整然としていた3楽章。
ここでも強弱の対比、またシニカルさとシリアスさとの共存のマーラーの音楽の面白さもまた創出。
東響の各セクションの精度の高さも光りました。
 そしてシンバルの乾坤一擲とも呼びたくなるような一撃で始まった終楽章。
吹き荒れ具合も上々で、ヴィオッテイの大きな指揮ぶりに一糸乱れず東響もついてゆく。
それにしても、燕尾服の裏地のエンジ色が大きな動きをするたびに翻って見える。
お洒落だ。
カウスボタンのところもエンジ色で、これまたおしゃれ。
そして、これだけ指揮をしているのに、汗もあまりかかず、背中にも汗はまったく浮いてこない。
身体能力もほんとに高い人で、日々鍛えているんだろう。
 とつらつらと思っていたら、第2主題が弦によって連綿と、そしてそれが徐々に思いの丈をどんどんと込めていって情熱的になってゆく場面となっていった。
ここ、ほんとうに美しく、思い切り感動して、涙ぐんでしまった。
今宵いちばんのシーンだったと思う。
ずっと続いて欲しかった。
そして来たる第1の爆発のクライマックスはまだまだ余力を残しつつ冷静さを保つもの。
1楽章の序奏の再現ではまたあの静寂にも似たピアニシモが。
何度も書きますが、こうした場面の鮮やかな対比がマーラーの音楽の面白さを際立たせるととともに、ベートーヴェンから90年後のマーラーという作曲家の奇矯なところなのだろうし、時代の先駆けでもあったと痛感できる。
再びの美しいシーンもまたよかった。
ヴィオラ部による不穏な雰囲気の組成では、これから始まる大フィナーレを予見させ、嫌でも期待と興奮の高まりを味わう。
そして始まりましたよ、期待を裏切らないどころか、輝かしき勝利宣言のような鮮やかなクライマックスが。
オーケストラも指揮者も、新しき船出を自ら歓声を持って歌い上げるかのような眩しさ。
横一列に並んだ7つのホルンが一斉に起立し、われわれ聴衆の興奮もマックスに!
炸裂する打楽器陣、力を込め満身で弾き、奏する弦楽器に管。
眩しいエンディングにブラボーが飛び交う。
ワタシも一声参加!

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ノット前監督とはまた違ったある意味即興性にも富んだヴィオッテイの指揮。
しかし存外に緻密であることも確認できた。
マーラーの1番を実演で聴いて、こんなに心躍るような気持ちの高まりを味わったのは、ライブで初聴きの82年のドラティと読響、そして83年のアバドとロンドン響の演奏以来かもしれない。
それは東響とヴィオッテイに対する私の今現在の思いも加わってのことでもありますが。

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親譲りのオペラ指揮者としての才能を、全体の構成力と豊かな歌いまわし、聴かせ上手でもある音の鳴らし方や届け方などに大いに感じた。

ノット監督と同じように、コンサートオペラを毎年やって欲しい。
きっとやってくれるだろう。
古楽から現代まで広大なレパートリーを持つ姉とカルメンなんか話題になりそうだし、CDにしても世界展開できそう。
得意のコルンゴルトやツェムリンスキーのオペラもやって欲しい。

次のシュトラウスとラヴェルもめちゃくちゃ楽しみ

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ワタシ、お腹が空きました、このあとメシなww

おちゃめなロレンツォさんなのでした。

【過去記事】

「ヴィオッテイ&東響 英雄と英雄の生涯」

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2026年5月15日 (金)

ベートーヴェン 田園と第7 長老指揮者の若き日

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過ぎ去った春を偲んで

近場の桜をめぐって沢山写真を撮ったのでストックはたくさんあるんですが、賞味期限切れです。

天気のよい平日の早朝に、町内の吾妻山へ。

菜の花から桜の時期、休日ともなると大変な人出となるものですから平日に。

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相模湾に右手は伊豆半島、大島も左には見えます。

少し下ったところにある吾妻山神社は、倭建命と橘姫命に由来する由緒ある聖地でありますが、先ごろ不届きな輩により、神社の銅板が大量に盗まれてしまった。
心痛むことばかりが起きます。

ベートーヴェンの6番と7番を懐かしい演奏で聴きました。
現在98歳と90歳の指揮者ふたりの若いころ。

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 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op68 「田園」

  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

      (1977.6.6 @ルカ教会、ドレスデン)

もうジャケットからして泣けてくる。
田園ジャケットの大賞をあげてもいいくらい。
オリジナルのレコードジャケットだけれども、私はCD時代のブロムシュテット画像のものしか保有せず。
レコ芸の当時の広告のモノクロ写真をAIでカラー化してもらったらびっくりするくらいに美しく再現できた。
そして、刷新されたジャケットを眺めつつ、いまから49年前のアナログ最盛期、ブロムシュテット50歳のときの演奏を聴きながら、私は過去にタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見たような感動に包まれたのであります。

驚くべきは、もうじき99歳にして若々しい指揮活動を続けるブロムシュテットは、いまも変わらぬ瑞々しい音楽を作っていることで、曲は違えど、ブルックナーやブラームス、マーラーといった大作にいどんでもサラリとした淡麗系の演奏であり、かつてのドレスデンでのベートーヴェンにも同じものを感じたことだ。
ゲヴァントハウスとの全集や、いくつかのライブなどで確認したが、テンポは版や研究成果に基づくもとであろうが、あきらかに早くなっている。
私は中庸でおっとりして、すべてにおいて過不足のないドレスデンでの田園がいちばんと思う。
田園にイメージされるものが、すべて備わったエヴァ―グリーンサウンドであります。
しかも加えて、ここではまだ東ドイツ時代のドレスデンの古雅でありつつ、豊かな厚みある低音と克明でありつつも少しくすんだ音色が味わえるという喜び。
まいどのことで言いたくはないが、ウィーンフィルと同じように、かつてのドレスデンの方がよき時代のヨーロッパを感じさせ、ふたつのオーケストラはともにアナログ時代の方が好きなのであります。

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  ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92

   ズビン・メータ指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック管弦楽団

      (1974.4 @ロイスホール ロサンジェルス)

今年の4月に90歳を迎えたズビン・メータも衰えを見せることなく活躍中ですが、ときおりの体調不良でキャンセルをすることも多くなってきた。
つい先ごろも、ミュンヘンでのトゥーランドットやマーラーをキャンセルし、90歳祝賀コンサートも演目を変えるなどしたばかり。
菜食主義のブロムシュテットに、メータはカレーパワーなのかと前々から思っていた。
同時代の朋友アバドと小澤が亡きいま、私のクラシック音楽人生のよき伴侶であったメータの存在は大きいですので、ずっとお元気でいて欲しい。

70年代はじめ、ツァラトゥストラ、ハルサイ、惑星と次々に大ヒットを飛ばし、メータとロスフィルは近現代ものにおけるグラマスな演奏でもって強烈な印象を与え続けた。
デッカによる鮮やかな録音もその一助となりました。
 そんなメータが初の古典系ロマン派にいどんだことで話題を呼んだのがベートーヴェンの7番。
当時は、そんなジャンルのメータの演奏は眼中になく、私が聴けたのはそんなに昔でないCD化された音源によるものです。

ゴージャスなイメージとはほど遠い、しごくまっとうで、慎重なメータがここにはありました。
くり返しもすべて行う丁寧な演奏で、熱血漢のベト7を期待すると裏切られます。
というか、メータのこの時期のレコーディングレパートリーでリスナーに刷り込まれてしまった印象の悪影響かと思う。
イスラエルフィルとのモーツァルトなんかも、レコ芸ではけちょんけちょんにされてたけど、もともとは柔軟性あふれるメータの音楽性ですし、どんな音楽でも、その音楽をあるがままにわかりやすく聴かせるという指揮者ですから、このベートーヴェンもしごくまっとうな演奏なんです。
それでもメータとアメリカのオケらしいところは、その音色の明るさや、ホルンやティンパニの強奏ぶりで、そこはなかなかの迫力と聴く側への快感となります。
また終楽章での熱狂は冷静でありつつ、アッチェランドのかけっぷりもそこそこにあり熱いです。
ただリズム的には、全体にもっと軽やかに弾んでもいいかなと思い、全般に重厚にすぎて、そこが今風でないところか。
あっけらかんとしたロスフィルでなく、ウィーンでやったらまったく違う演奏になっていたでしょう。

長老になってもあまり変わらず、むしろサラサラ感の増したブロムシュテットに対し、メータの昨今はテンポがゆったりとなり、スケール感あふれる印象は変わらぬものの、やや弛緩した印象も与えるようになったと思う。

ふたりの偉大なマエストロのますますのご健勝を祈ります!

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2025年12月31日 (水)

東京交響楽団 特別演奏会「第九」2025 ノット指揮

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クリスマスシーズン後のサントリーホールは、新年を迎える華やかな装いになっていました。

東京交響楽団の第9の演奏会に行ってきました。

音楽監督就任12年の今年で、その契約もついに満了するジョナサン・ノット。
息のあったこの名コンビもいよいよ終了、そして秋山さん死去のあとを受けたジルヴェスターコンサートをのぞけば、この第9が最後の本格演奏会だし、最後の満員御礼のサントリーホールでした。

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  ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 op..125 「合唱付き」

       S :森田 麻央
       Ms:杉山 由紀
       T :村上 公太
       Br:河野 鉄平
     
     ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
           合唱指揮:三澤 洋史
           コンサートマスター:景山 昌太朗

       (2025.12.29 @サントリーホール)

第9を年末に聴かない自分ですので、実は10年ぶりぐらいの第9です。
若い頃は、N響でスウィトナーやシュタイン、新日の小澤の第9を聴いてましたが、いつしか年末はどこもかしこも・・という風になるので辟易としてしまい聴かなくなったのです。

しかし、この日こそ悔やんだことはありません。
ノットと東響の第9を初めて聴いて、これが毎年演奏されていたとは、との思いだったからです。
そして常にチャレンジングなノット監督だから、毎年のようにその解釈が違ったというのです。
さらには、これもノットの常で、2回ある演奏会はそのどちらもが違う演奏になるのですから。
このコンビの第9を毎年聴いていたら、毎年聴かなくては気が済まなくなるだろうし、それこそ1年を締めくくれない、そんな風になるんだろうな、と満場のホールのお客さんを見渡しながら思いました。
 そして多くがノット監督のことが好きで、別れを惜しむ思いもホールの雰囲気でひしひしと感じました。

今年のノットの第9は、オーケストラの人数を大幅に刈り込み室内オーケストラサイズにしました。
指折り数えたらオーケストラは53名、ソロ4名、合唱約80名の総勢137名。
木管・ホルンの幾多のソロや絡み合い、当時とすれば技巧の限りに書かれていて、それらが浮かび上がるようによく聴こえた。
人数少なめの弦楽器は透明感にあふれ、各奏者の音が突出してしまわないように、むしろ普段にもましてお互いよく聴き合い、切れ味抜群の集中力あふれる類まれなアンサンブルを聴かせてくれたようにも思う。
 オーケストラと合唱がほぼ対等に響き合い、お互いの音や声がとてもよく聴こえたその様子は会場で実際に聴かないとわからないものだ。
だから勢いで一気に爆発的なフィナーレに混然となってしまうことなく、音楽はむしろスコアに書いてある通りに着実に音楽的に快速クライマックスが築かれた。
ノットの指揮はたしかに慣れないとわかりにくいかもすいれないが、左手の表情付けが実にたくみで、指が少し動くとオーケストラの音が微妙に変わります。
それが実感できた演奏でもありました。

1楽章から早めのテンポでヴィブラートもほぼなしで、すいすいと曲は進行するが、ときに思わず歌わせたり、思わぬ表情をみせたりと以降の楽章も通じていろんな発見もあったりしてひとときたりとして気が抜けない。
こうした連続こそがいつものノットの音楽で、ライブ感ある自在さに東響もすっかりなじんでいるので、完璧についてゆく。

2楽章も基調は速めだけれど、中間部は少しテンポを落としてよく歌わせてみせた。
またティンパニの活躍する場面では、ティンパニの表情付けが巧みで、それがほかの楽器に流れて移っていくところが、指揮と楽員さん双方をよく見える席だったので、とても面白かった。
若き小澤さんは、この場面にとてもこだわり、ともかく細かく指示して指揮をしていたのをよく覚えている。

ヴィブラート少なめがいちばん功を奏したと思われたのが3楽章。
なんとピュアで透明感あふれる演奏なんだろうと何度も思いました。
テンポは速いけど、そんな風に感じさせないほどに流れがよく、かつよく歌う演奏。
ホルンの難所も見事に決ましたし、まったく素晴らしいホルンでした。
第9のなかで、歳を経ていちばん好きになってる第3楽章のこの快速で美しい演奏はアバドと並んでもっとも好きな演奏となりそうです。
レコーディングもされていたようなので、CD化も楽しみだ。

間髪入れず終楽章になだれ込むのも、まいどのノットスタイル。
テキパキとことは運んで、低弦による歓喜の歌ももったいぶらず、淡々と奏されながらもひとりひとるいがよく歌っている。
まるで聴衆に語り掛けるように仕草をしながら歌うバリトンの河野さん。
そして入ってきた合唱がこの日は素晴らしかった。
前回のマタイではやや混濁や言葉に疑問符があったが、この日の第九はすべてが完璧だし、言葉がすべて聴きとれるくらいに明瞭。
バスの力強さと、ソプラノの清澄さがとくに光りましたね。
三澤さんの指導のもと、さらにはやはり、ノット監督との別れと、この一瞬にかける思いが詰まった合唱でした。
 ずっと待っていたピッコロ女子がいつにも増して輝いていた行進曲と、爽快な声のお馴染みの村上さんがよかった。
女声のおふたりもオケと合唱に負けずとすばらしくよく通るお声でした。
そこから先は、もうノットの作りだす音楽の流れに完全に飲み込まれてしまい、あれよあれよという間に先のフィナーレを迎えた。

熱い拍手と歓声がすぐさま巻き起こりましたが、わたしはしばらく拍手ができず、あ、ついに終わってしまった、という思いで動きが止まってしまいました。

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いつものように少し撮影もさせていただき、拍手に応えて恒例だという「蛍の光」が始まりました。左右から合唱の一部が1階席に降りていって、そこからも歌います。
各々がブルー系のLEDランプを持ち、ステージは徐々に暗くなりました。
合唱はハミングにもなり、指揮するノットを見ていて、もう涙腺決壊。
「さようなら」は、「始まり」なのだ。

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ありがとうノットさん。

これだけ長く日本のオーケストラのポストを維持した外国人指揮者はなかった。
日本を愛し、日本のわれわれもノットさんを愛しましたね。

来年は都響や大フィルにも客演するようですが、名誉称号を得てまた東響の指揮台に帰ってきてください。

Shinbashi

アフターコンサートは、気の置けない音楽仲間と楽しく語らいました。

やっぱりみんな、「蛍の光」ではやられちゃったみたい。

よいお年を。

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2025年11月 7日 (金)

ブログ20周年 ベートーヴェン ピアノ協奏曲 ポリーニ&アバド

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ある日の平塚の虹ケ浜海岸。

かつて市営プールがあったところが開発されて、ひらつかシーテラスという施設ができました。

この先の茅ヶ崎の道の駅が予想されたとおり渋滞で週末はたいへんなことになっていて、さらにこちらも・・・

なんかもう、人を寄せるこうしたものはいらないね、と思う。

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空が焼けるまえ、富士の上に虹らしきもの、調べたら「彩雲」というらしい。

ちょっとレアな感じでうれしくなりました。

そんなわけで、このブログが2025年11月で開設20年になるのです。

自分で驚いてます。

最初の記事は、2005年11月7日で、二期会の「さまよえるオランダ人」を観劇したものです。
引退してしまったエド・デ・ワールトが指揮をした上演でした。
以来、ずいぶんと記事を起こしたもので、多い時は毎日のように音楽を聴いては書いてました。
2016年にいろんなことが重なり、ブログの継続が怪しくなり、書く気も失せてしまったことがあり、休止期間がありました。
しばしのちに立ち直り、更新のペースを緩やかにして今に至っております。

思えば、この20年でネット環境が著しく向上し、その頃は有線でつながらなければならなかったものが、いまやWifiもあり、スマホもあり、どこにいても情報発信ができ、あらゆる情報を得ることができるようになりました。
加えて、数々のツールがあり、媒体も多岐にわたり、われわれは情報の洪水のなかにあり、自己責任でもってそれらを選択して取りにいくようなったのです。
こうしてわれわれは情報に追われるようになり、知らないと不安に陥るようになったのかもしれない。
ときおり思う、携帯とかパソコンなんかない時代は何してたんだろ?
こんな便利なもの、なくても幸せだったな・・・とね。

動画も文章も、短いものが好まれ、ともがくショート化され、どんどん消化される時代。
かくいう時代に一般的でない音楽ジャンルのブログで長文を残すという、時代に逆行した行為。
どこまでやれるかわからないが、老いて指が動かなくなるまで続けようじゃないか、と思ってる。
自分がいちばんの読者で、かつての自分の記事に感心したり、驚いたりもしてる。

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   ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲

     ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

     (1992.12 1~4番、1993.1 5番 @ベルリン・フィルハーモニー)

2014年1月にアバドが亡くなり、その10年後の2024年3月にポリーニが亡くなった。
ともにミラノ生まれ、年齢こそ9歳の差はあったが、ともに切ってもきれない朋友でした。
多くの共演歴があり、録音も多数。
73年のノーノに始まり、ブラームス、バルトーク、シューマン、シェーンベルク、ベートーヴェン、そして最後がブラームスの2曲。
もっと多くの作品で共演して欲しかったし、晩年のベームよりは、ポリーニがより強靭で明晰なピアノを聴かせていた70年代にはアバドとやって欲しかった・・・と思う。
あとできれば、プロコフィエフをこのコンビで、シカゴで録音して欲しかった。

92年の年末から翌1月にかけて、ポリーニをソリストにしたベートーヴェンのピアノ協奏曲チクルスが演奏され、それがライブ録音された。
このときの演奏記録をいつもお世話になってるアバド資料館で調べてみたところ、協奏曲は1曲ずつ演奏され、そこでほかに組み合わされた演目は、ルトスワフスキ、リゲティ、ノーノ、リームなどの作品で、いかにもアバドらしい一筋縄ではいかない角度をつけた演奏会になっていた。
新年の5番のみ、田園とのプログラム。

各曲の終わりには、盛大な拍手もそのまま収録されていて、ライブの雰囲気は抜群だし、音質もベルリンのフィルハーモニーザールの響きそのままで、録音も申し分なし。
ポリーニのうなり声も盛大に聴きとれます。
ふたつのジャケット、双方を購入したのですが、あとになってトリプルコンチェルトと組み合わされて出たので、そちらも入手した。

5曲ともに、このふたりの演奏家らしく、一点の曇りもなく、明晰・明快に尽きる演奏。
表情はいずれも若々しく、重厚感など感じさせず、ベルリンフィルの音色も明るく軽やか。
バックハウスとイッセルシュテット、グルダとシュタインなどで馴染んできたベートーヴェンの協奏曲が別物に感じるくらいに鮮明で、音がクリアなのだ。
今回、ほぼ20年ぶりに聴いてみてそのように感じた。
この時期のアバドのベートーヴェンは、エアチェックでもいくつか残しているが、ブライトコプフ版による従来スタイルで、90年代末期からベーレンライター版による演奏に交響曲では切替えました。
同時に古楽的な奏法も取り入れるようになり、ポリーニとのベートーヴェンもあと数年あとだったらまた違った内容になっていたかもしれません。

今回の連続視聴でとても気に入ったのが、1~3番で、4番は聴き慣れすぎの感もあったかもしれないが、前半3曲が、いかにもベートーヴェンの若さを感じさせる瑞々しさにあふれていたのです。
ベルリンフィルから軽やかな響きを引き出すアバドの若々しい感性に、ポリーニのアドリア海の煌めきのようなブルー系の透明感あるピアノが、若い1~3番にはぴったりだった。
ことに、いずれの番号の緩徐楽章のたおやかで抒情的な美しさ、清々しい歌、とんでもなく感動してしまった。
そして、1~5番までの緩徐楽章だけを連続聴きしてみた。
歳とともに、ベートーヴェンは器楽も室内楽も静かな楽章の方が、心にふれる音楽となってきた。
そんな自分にポリーニとアバドの明るめの演奏はとてもぴったりと来るものだった。
皇帝という名前らしくない5番は清々しく端正きわまりない演奏、4番は透明感あふれる神妙極まりないものだった。

丹精で美しい造形の彫刻を思わせるようなふたりの演奏。
まとまりが良すぎて、不満を持つ向きもあろうかと思いますが、この若々しく明るい演奏はいまの初老の自分にはありがたく、豊かな気持ちにさせてくれるもので、まだがんばるぞーと思わせてくれました。

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ブログ20周年でした。

いつまで継続できるかな、目指せ30年。

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2025年10月13日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 マルッキ指揮

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急に涼しくなった土曜日のサントリーホール。

もう半袖ではとうてい無理で、ジャケットを羽織って向かいました。

2週間前にここでマタイを聴いたときは、まだ暑いと言っていたのに季節は急速に秋に向かいました。

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    東京交響楽団 第735回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

   スザンナ・マルッキ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

        (2025.10.11 @サントリーホール)

まったく性格のことなる二つの作品によるプログラムだが、案外と多いこの2曲によるコンサート。
古い自分には、かつて晩年のマルケヴィッチが日本フィルに来たときにやったように記憶している。

マタイ受難曲から田園までは81年、田園からハルサイまでは105年、バッハからストラヴィンスキーまで200年の年月の隔たりのある音楽を、2週間のうちに同じオケ同じ席で聴く妙味。
ハルサイは100年前の音楽なんだな、とも今更ながらに思った。
演奏するオーケストラのみなさんは、まさにプロだなと感心しつつ、いまも変化しつつある西洋音楽の流れを思ったものでして、未来にいまのゲンダイの音楽はどう聴かれるのか・・・などとも思いましたね。

さて、フィンランドの指揮者マルッキは、長く務めたヘルシンキフィルの名誉指揮者となっており、いっときは次のニューヨークフィルの指揮者とも言われた実力派。
自国ものと、近現代音楽に強みを持つ彼女の指揮は、おもに海外のネット配信で多く聴いてきたが、ヘルシンキとのシベリウスもさることながら「グレの歌」での濃密な大作を明快に聴かせる手腕に感心をしていました。

シベリウスの1番あたりを聴きたい気もなくはなかったが、「田園」の出だしを聴いた途端に、北欧の風を感じたのです。
一瞬、音と響きが薄く感じられ清冽な風が吹いたようにも思ったが、それが徐々に瑞々しくなり、弦楽のしなやかな美しさにステキな管楽器が唱和する、えもいわれぬ幸福感を1楽章、2楽章で味わうこととなりました。
ベーレンライター版を重視し、セカセカしてしまう田園でなく、昔から聞き馴染んできた僕らの田園がここにあった。
リズム感抜群の3楽章、ティンパニのハリのいい強打がアクセントとなった4楽章、そして誰しもを安堵させ、幸せにしてしまう感動的な終楽章。
東響のみなさんも、ほんと気持ちよさそうに演奏してた。
45分をかけた真摯で丁寧な田園、こんな田園を聴きたかった。
最後の音が鳴り終わったあとのしばしの間もありがたかった。

気分よくロビーにでると、ここは北欧か、欧米か・・・
フィンランド大使館が後援についてることもあり、背の高いいかにも北欧の方風の人が多くいらっしゃいました。

ノット監督のもと、築き上げられてきた東響の鉄壁のアンサンブルと技量に感じ入ることのできた「春の祭典」
存外に冷静沈着に始まり、その流れで淡々と進行した春の兆しは、スピード感よりは的確で確実な音楽の歩みのなかにあった。
マルッキさんの拍子は完璧で、うしろからも素人の自分がみていてもとても判然とわかりやすく、ノット監督の指揮に慣れた東響とすれば、まさにやすやすと着いていきやすい指揮だったろう。
第1部は総じて安全運転のように感じつつも要所要所で切れ味の良さと、立ち上がりの良さ、音楽の変わり身をずばりと決めてゆく心地よさがあった。
マルッキさんの躍動する指揮にあわせて、腰のあたりのお洒落なスカーフが舞い踊るのも実にステキだった

第2部での神秘感あふれる序奏とヴィオラの重奏、アルトフルートの妙技など、こんなに真剣に聴いた自分もありましたが、これらのか所に美しさを見出すことができたのも精度の高い今宵の演奏あってのもの。
そして来ました、11連打!
ここから猛然とアクセル全開、ものすごいスピード感と音圧、オケも夢中、われわれ聴き手も夢中になってしまうマルッキハルサイ。
ホルン陣のベルアップを見るだけでも興奮のワタクシ。
基本、マルッキさんの指揮棒を見つつも、オケの皆さんをそれぞれにみまわし、忙しいよ自分。
スピード感と緊張感を保ったまま生贄の踊りに突入。
巨大なうねりが何度も襲い来る、息つく間もないドラマテックな展開に熱狂の渦を巧みに作り上げる指揮者の実力とオケの力量。
最後の一音の前の一瞬の間も実に見事。
最終音のあとのホールの余韻も含めて完璧だった。

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カーテンコールでは、マルッキさんを盛大な拍手で呼び出し、にこやかにお応えでした。

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実力派指揮者マルッキ、来シーズンは都響に客演して、得意中の得意曲「青髭公の城」をやります。

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1週間後には、こんどはハマのブルックナー。

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2025年7月27日 (日)

サマーミューザ 東京交響楽団 ノット指揮

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暑い夏、始まりました、日本の首都圏オーケストラの祭典、サマーミューザ。

今年は九州交響楽団が登場しましたが、毎年もっと全国のオーケストラをここで聴けるようになるとさらによいな。

任期最後の年度なので、ノット音楽監督のオープニングはこれが最後かと思うと、今回のプログラミングの意図なども考え、ちょっと感傷的になってしまうのでありました。

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東響の本拠地のミューザ川崎。

サントリーホールの定期会員になっているので、ミューザは久しぶり。

プレトークでノット監督も世界有数の素晴らしいホールだと話してました。

どこで聴いても音がそれぞれによく、直接音と降り注いでくるような音とがどの席でもミックスされて聴こえて、とても気持ちがよいのです。

ワーグナーなどはことに相応しく、ワタクシには快感以外のなにものでもない感情が巻き起こります。

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フェスタ・サマーミューザ川崎2025 オープニングコンサート

 ワーグナー 「ローエングリン」第1幕への前奏曲

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ワーグナー(マゼール編) 言葉のない『指環』
          「ニーベルングの指環」

    ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 

        コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.7.26 @ミューザ川崎 コンサートホール)

ワーグナーでベートーヴェンを挟むプログラム。
プレトークでノットは、ローエングリンは出会いと別れの音楽と語った。
まさにいまのノット、オーケストラ、聴衆の思いです。
そんな風に思いつつ、この澄んだ音楽と、それにふさわしい清澄なる透明感あふれる演奏を聴いた。
高鳴るシンバルも慎ましく、どこか切なく感じた。
前奏曲のあと、わくわくするような伝令の登場シーンを続いて聴きたくなるのがワーグナー好きの心情。

ついでのベートーヴェン8番は、このコンビのベートーヴェン全集のトリを飾るものでライブレコーディングもされていた。
またインタビュー記事や、今回のトークでも語っていたように、この8番の驚くべき存在に着目していたとのことで、以前に日本のホテルで飛び起きてスコアを呼んで感嘆したとこと。
ウィットに富むけれど、正直極まりないベートーヴェンの作品だと。
 そして間髪いれず、即始まる勢いあふれるサウンドはいつものノット。
基調は速めのテンポで一気呵成に聴かせてしまうノット節だけれども、細部は実に緻密に練られていてすっとばして聴かせてしまうという乱雑さは皆無。
ベーレンライター版なので過剰なところはなく、切り詰められぎっしりと音の意味合いが詰まっているようにも感じた。
プチ交響曲のような存在ではなく、舞踏的な、この時期のベートーヴェンらしい朗らかさと大胆さも示すような、そんな考え抜かれた演奏だと思った。
3楽章から終楽章へは、もしかしたらアタッカで入りたかったかもしれないノットさん。
おきまりの客席の咳で終楽章へ即なだれ込むのを諦めたのが見て取れた。
こればかりはしょうがないが、この終楽章が手に汗握る迫真の演奏で、ベト8でこんな興奮するのは初めてだ。
客席の反応も同じくで、いきなりブラボーの嵐だったもの。            

2年前の2023年に、ヴァイグレと読響が同じ8番とフリーヘル編のオーケストラルアドベンチャー「リング」をサマーミューザでやっており、まったく同じ演目が期を待たずのるのは珍しいこと。
しかし、8番はおおらかで肩の力の抜けたヴァイグレの演奏だったのに対し、ノットの方はもっと刺激的でやたらとポジティブな演奏だった。
果たして、「リング」の方も同じく、オペラのベテランの安定感あるヴァイグレに対し、果敢に攻めまくったノット、さらにゴージャスなマゼール編との違いも大きく、どちらも最高の演奏であったと思うのだ。
また「ローエングリン」の次に書かれたのが「ラインの黄金」であり、「ジークフリート」の3幕以降は作曲に間が開き、作曲技法も高まっているこなどを聴くのも楽しみである。

これもまたノットの事前インタビューで読んだのですが、ノットがニュー・ヨークフィルにアルプス交響曲でデビューしたとき、時の音楽監督のマゼールが訪ねてきてリハーサルに立ち会いたい、さらにはマゼール指揮の演奏会でも、指揮中に振り返っておどけてみせた、次いでマゼールから評価を受けたことなども語ってました。
マゼールへの尊敬の思い、それから指揮することとはなんぞや、といったことなどを学んだなど謙虚に語るノット。
「東京交響楽団のプレイヤーたちが、私とともに年を重ねて変わっていくのをみてきました。こうした関係や経験、この出会い、融合、分かち合い、この喜び、このジャーニーが、願わくはみなさんの人生の一部になることを切に願っています」(ミューザブログより転載)

ノットのこの話を事前に読んでからいどんだこの演奏会、とくに「リング」は、そうした思いが詰まった、そして指揮者とオーケストラという組み合わせの実り豊かなの結実をここに観て聴いたのでした。

14時間かかる4部作を65分に凝縮した「リング組曲」。
オーケストラルアドベンチャーの方もだいたい65分の演奏時間ですが、そちらは主に抜き出しても聴かれるオーケストラ有名曲のシーンをつなぎ合わせ、歌唱の部分はそぎ落としオーケストラ作品としてとらえたもの。
マゼール版は、ワーグナーの書いた音符を忠実にそのままに、歌唱が乗る部分も活かし、楽劇の流れを65分に凝縮させたもの。
だから「言葉のない指環」となるわけでした。

この5、6月でスイスのバーゼル劇場(バーゼル交響楽団)で「リング」の通し上演を指揮してきたノット。
まさにその機運そのままに日本にやってきてくれた。

神奈川フィルでの名演から1か月。
「ラインの黄金」原初の響きの序奏からミューザで聴くワーグナーの喜びを感じる。
鳴り続ける低弦、そこに徐々に広がりゆくさざ波、透明感あるサウンドが、やはり重厚長大な一時代前のワーグナーとは一線を画したノットの新時代ワーグナーサウンドだと確信。
P席の真ん中と左右に置かれたニーベルハイムの金床は、先月の神奈川フィルの京急レールのきらびやかな音とは違い、渋いキンコンカンコンだったが、地下行きの片道だけの登場という贅沢ぶり。

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ドンナーの雷の一撃から、いきなり「ワルキューレ」の1幕の嵐に突入で、華麗な神々の入城がないのが肩透かしでよろしい。
でも喉の渇きを癒すジークムントの美しいシーンは、チェロのソロがしっかりあり、ここでも艶のあるソロがすばらしく響きました。
一気にここで1幕の歓喜あふれるエンディングがやってきて興奮するが、ここでこらえきれず拍手がおきた、ワタクシも危ないところだった。
その後の2幕前奏曲の情熱的な演奏といったらなかったし、そこから2幕ラストにつながり、ワルキューレの騎行に間髪いれずなだれこみ興奮をさらに誘う。
ワーグナーチューバを交えた8本のホルンが壮観で、ノットの指揮もむちゃくちゃ気合が入っていて、時おり力む声も聴こえましたね。
そして、この日、最高に美しく、悲しくも神々しかったウォータンの告別シーン。
リングのなかでも、もっとも好きな場面、泣いてしまう場面、父と娘の愛情をノットも「リング」の中にある様々な愛の形のひとつとして語ってましたが、ともかく素晴らしかった。

「ジークフリート」は、ウォータンがローゲを呼び出すところから「炎」つながりでミーメが幻影に恐れてワナワナするところに巧みにつながり、実にスムーズに流れるので気が付かないうちにジークフリートに入っていた。
いちばん地味なジークフリートを面白く聴かせるのは、牧歌的なシーンをナチュラルに柔和に聴かせることで、案外血なまぐさいシーンも中和されるが、東響の管の名手たちの鮮やかさを堪能できた。
オモシロかったのが、瀕死のファフナーのシーンがあったところから、やがて「黄昏」の夜明けシーンに変わってゆくところ。
「神々の黄昏」、精緻なスコアだけに、オーケストラの精度もここでは聴きものだし、黄昏で活躍するホルンセクションンやブリュンヒルデの動機を何度も奏でる管と弦の橋渡しなど、完璧な演奏でありました。
ホルンが席を立ち、舞台袖でジークフリートの角笛を吹くが、その遠近法も鮮やかで、ラインの旅の快速ぶりもまた豪華なオーケストラサウンドとともに多いに聴きものだった。
やがてトロンボーンが席を立ったと思ったら金床のあったP席左右に登場し、ハーゲンが一族郎党に呼びかけるシーンとなった。
思い切りホールが鳴りまして、実に気持ちがいいんだ、これが。
あと爽やかな3幕の頭のラインの乙女たちのシーンが来て懐かしい思いに浸っていると、ジークフリートの告別の歌につながる。
いやもう、ここ大好きなんだから、もう涙腺が危ない。
新国の上演で、このシーンでジークフリートが記憶を覚醒し、絶え絶えに歌う場面では嗚咽を漏らしてしまった自分です。
葬送行進曲も当たり前のように超素晴らしい演奏で、スタイリッシュでありつつ鋼のような強靭さを感じさせるもの。
そして演奏はブリュンヒルデの自己犠牲になるが、もうこうなると感動の嵐、感動のスプラッシュでどうにもならなかった。
脳内でブリュンヒルデの歌を再生しつつ、眼前に繰り広げらるノットと東響の気持ちの入り込んだ演奏姿に息も切らさず見入り、ドキドキがとまらない。
救済の動機の扱いも見事だったが、でもそこだけに入れ込んでしまわず、ラインの川のたゆまぬ流れと強さも意識させるようなそんな演奏。
落涙はかろうじてしなかったものの、涙が滲んできた。
炎上するヴァルハラ、そこで呼吸があって一筋の光明のように救済の動機が入ってくる・・・・のを期待したが、思いと裏腹にサクっときて終結してしまった。。。。
これがノットの自分の旧来の思い込みから脱するような思いにさせてくれる一気呵成の鮮度の高い生きた音楽なんだ。

しばしの静寂があり、盛大なブラボーと拍手の嵐。

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オーケストラをセクションごとに讃えるノット監督の信頼の眼差し。
「戦争レクイエム」に続いて、数日の間にこんなすごい演奏をやってのけたノット&東響。

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次は「マタイ受難曲」、いまから泣きそうだ。

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2025年4月 2日 (水)

東京交響楽団 定期演奏会 オスモ・ヴァンスカ指揮

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春もたけなわ、のはずの3月末でしたが、4月に入ってからも寒の戻りや曇天・雨天で悲しい桜シーズンとなってしまってます。

こちらは商業施設の中の本物そっくりの桜なので散ることなく安心。

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    東京交響楽団  川崎第99回定期演奏会

 ニールセン       序曲「ヘリオス」op.17

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

 バッハ カンタータ「楽しき狩りこそわが喜び」BWV208
         「羊は安らかに草を食み」

      ピアノ:イノン・バルナタン

  プロコフィエフ  交響曲第5番 変ロ長調 op.100

     オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

      (2025.3.30 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

コンサートマスターのニキティン急病とのことで、急遽田尻さんが本日のコンマスとのことでした。
ヴァンスカの指揮を聴くのは今回初めてで、これまでラハティ響との来日、読響、都響への来演も何故か聴くことがなかった。
いずれもシベリウスばかりで、シベリウスの専門家みたいに思われているヴァンスカですが、わたしはマーラーの10番から始まり、ついで全集も購入し、氏の緻密かつ熱いマーラーに共感をいだいておりました。

1曲目のニールセンから集中力と精度の高い演奏が展開された。
海の夜明け、昇りゆき、最後は沈みゆく太陽を描いた作品だが、静かに始まり、輝かしい中間部を経て沈黙の海を思わせるピアニシモで終わる、そのさまをまことに鮮やかに演奏してみせた。
昼からコンサートって、とくに1曲目は入り込みにくかったりするものだが、今回は最初の1音から耳をそばだてるくらいに磨きあげられた緻密さに集中でき、ピークのフォルテも神々しく、息をのむくらいの最終音まで、ほんとに美しく完璧な演奏に感じいった。

ピアノを中央に据え直して始まったベートーヴェンの3番。
イスラエル系のアメリカのピアニスト、イノン・バルナタンは恥ずかしながら、名前を聞くのも初めての方。
ベートーヴェンを中心に多くのCDも出ており、知らなかったのが悔やまれるくらいに実力をともなった素晴らしいピアニストだった。
一聴して、その美しいピアノの音に耳が惹きつけられる。
音楽にしっかり入り込んで、感じ入りながら、そして楽しみながら弾いているのがよくわかる。
その練り上げられた音たちは、緻密でどこまでも美しもあり、短調ならではの厳しさも感じさせたりで、3番という古典からロマン主義への萌芽の時期の位置関係を刻んでくれるような見事な演奏に結実していたと思う。
 ピリオドを意識した奏法でコンパクトで歯切れよいオーケストラは、ヴァンスカの思う切り詰めた簡潔なベートーヴェンにぴったり。
ただティンパニはややうるさかったかな。
バルナタンとヴァンスカが、完全に思いを一致させて、3番がベートーヴェンの意欲作であることをわからせてくれた。
一方で、2楽章のロマンあふれる演奏には、もう陶然としてしまう思いでしたね。
ほんとうに美しいピアノでした。
 別日ではアンコールもベートーヴェンだったらしいが、この日はバッハ。
何気なく、楚々とバルナタンが弾き始めたのがバッハのよく耳に馴染んだ曲だったので、驚きとともに、心に響くその誠実な演奏に、途中から泣きそうになったしまった。
聖夜の田園曲のように、心安らぎ、祈るような気持ちになる曲に演奏でございました。

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後半は、うってかわってプロコフィエフ
プロコフィエフを年代順にすべての作品を聴くシリーズ継続中のなか、ロシア時代初期から亡命時代の斬新な作風に心惹かれる一方で、祖国復帰後のソ連時代は明らかにメロディに傾きつつ、かつての大胆さが減少してしまったと感じてる。
でもプロコフィエフの音楽に通底するモダニズムや抒情が大好きで、すべてを聴き確認したい思いはかわりません。
 そんないま、かつて一番聴いてきた5番の交響曲を演奏会で体験する喜びははかりしれない。
なんといっても激しいダイナミズム、強弱の大きな落差は、スピーカーではなかなか聞き取りにくいし、近所迷惑になること必須なのだ。

そんな思いにぴったりだったヴァンスカと東響の5番だった。
その指揮姿を見ていて、ときおり屈みこむようにして、絶妙な最弱音を要求したとおもえば、最大最強のフォルテを引き出すために両手を大きく上にかかげて指揮をする。
東響は、それにこたえて完璧極まりない反応ぶりで、最高のオーケストラサウンドを聴かせてくれる。

クールな空気感を瞬時に感じさせるような1楽章は、さすがに北欧人ヴァンスカと思わせたし、楽章の最後ではこれでもかとばかりの破壊的な音でこちらも恍惚となった。
軽快でありながら、目まぐるしい激しさを味わえた2楽章は、ピアノも入り、東響の木管も大活躍で目まぐるしいくらいにきょろきょろしながら聴いた。
今回の5番の演奏の白眉だったのが3楽章。
クールな抒情性を見事に聴かせつつも、どこか不安げな様相を持つこの楽章の難しさは、プロコフィエフの色んな複雑な思いが念じこまれていることで、ヴァンスカの指揮はそれをひも解いて丁寧に聴かせてくれる緻密なものだったと思う。
中間部の哀歌などは、実に切実なもので、そこから始まる壮絶なクライマックスの作り方など、まったくもって素晴らしいものだった。
聴いていて鳥肌がたった。
一転して破天荒な雰囲気の4楽章では、木管と金管の大活躍と目まぐるしいほどの弦楽器の七変化ぶりを拝見しながら楽しんだ。
ヴァンスカのキュー出しも、極めて忙しく厳格かつ細密そのものだった。
急転直下のラストは、これまた見事な盛り上げ方で、もうワクワク感が止まらず、圧倒的なエンディングを迎えて興奮は頂点に!

素晴らしき5番を聴かせてもらった。
一連のマーラー演奏で感じていたとおり、ヴァンスカの音楽は効果を狙うような外向的なものでなく、音を緻密に磨き上げて美しい音にこだわるタイプに思っていた。
それに加えて、今回は強弱の付け方、音の出し入れなどがとてもうまく、存外にダイナミックな表現もする人だとの認識も加わりました。
都響にまたシベリウスで来演するようだし、次はマーラーも聴いてみたいものだ。

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ヴァンスカさん、いまは特定のポストは持たずに活動している様子。
これからもたびたび来日して、日本各地のオーケストラに客演して欲しい。

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2023年12月10日 (日)

デイヴィス ベートーヴェン全集

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短い秋でしたが、花々はありがたく四季を保って咲きました。

手水舎に手向けられたとりどりの菊の花が美しかった。

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比較的、温暖の地にいるものだから、ちょっと走ると日当たりのいい斜面には、みかん畑があり、いま最盛期を迎えてます。

このグリーンとオレンジの色の電車がかつての湘南電車のカラー。
大洋ホエールズのユニフォームもかつてはこのカラーリングだった。

コリン・デイヴィス「Beethoven Odyssey」、12枚のCDを毎日順番に聴きました。

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 ベートーヴェン 交響曲第1番 (1975.12)

                   交響曲第2番 (1975.12)

          交響曲第3番「英雄」(1970.9)

          交響曲第4番 (1975.2)

          交響曲第5番 (1972.12)

          交響曲第6番「田園」 (1974.12)

              交響曲第8番 (1973.3)

     サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

          交響曲第7番  (1976.4)

      サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

          交響曲第9番 (1985.7)

     S:ヘレン・ドナート  Ms:トゥルーデリーゼ・シュミット
     T:クラウス・ケーニヒ Nr:サイモン・エステス

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団
                   バイエルン放送合唱団

         交響曲第6番「田園」(1962..4)

         「プロメテウスの創造物」序曲 (1962.4)

         「レオノーレ」序曲第2番 (1962.4)

                          「レオノーレ」序曲第3番  (1976.4)

    サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

          「エグモント」序曲 (1974.12)

          「コリオラン」序曲 (1970.9)

          「レオノーレ」序曲第1番 (1970.9)

       サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

コリン・デイヴィス(1927~2013)のベートーヴェンといえば、ドレスデンとの90年代初頭の交響曲全集があり、世評が高いが、私はそちらはまだ聴いたことがありません。
そのまえに、ロンドンでの選集をなんとかして聴きたかった。
4・8番のみ持っていたが、バイエルンとの第9と併せて、これまで未CD化だったものがすべてまとめられ、さらにはスティーブン・ビショップとのピアノ協奏曲全集も一括して収められた。

レコ芸の熱心な愛読者だった若い頃、デイヴィスが70年代半ば頃から力をつけ、評論でも次々に高評価を得るようになりました。
それらのきっかけは、ボストンとのシベリウス、コンセルトヘボウとのストラヴィンスキー、そしてBBCとのベートーヴェンだったと思う。
そのとき以来、ずっと気になっていたデイヴィスのベートーヴェン、レコード発売を見守って以来45年ぶりに、それこそ番号順に1日ずつ楽しみながら聴き、毎晩至福の時を過ごした。

総じていうと、ベーレーンライター版や古楽的なアプローチとは無縁の70年代当時の、極めて堂々たる正統派ベートーヴェン。
いまや、これが新鮮に聴こえるといういまの時代を生きている自分。
当時の黄ばんでしまったレコ芸を眺めつつも、眼前で鳴っているベートーヴェンは、デイヴィスならではの、ベルリオーズで聴かせてくれたような情熱と知性のバランスのとれた極めて高水準の演奏ばかり。

1967~71年まで首席指揮者だったBBC交響楽団とは長い関係をずっと続けけれど、アンサンブルの整然とした正確さと音色の渋さなど、より上質なロンドン交響楽団と同じぐらいの実力を感じさせる。
「BBC響のベートーヴェン?」と思う方は、だまされたと思って聴いてみて欲しい。
75年にブーレーズとグローヴズに率いられて日本にやってきたとき、NHKFMでそのほとんどを聴くことができたが、そのプログラムの多彩さはいま見ても新鮮だ。
ロンドン響も含めて、そんなフレキシブルなオーケストラのベートーヴェン。

1番はすっきりと、古典の残滓残るなかにも、キリっとした厳しさもある。
2番は、その2楽章の美しさが引立ち、リズム感も抜群で、おおらかさもある。

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素晴らしかったのが3番で、目だったことはしていないが、正攻法の真っ直ぐな演奏でひとつもブレのないところは清々しく感動的でもあった。
以前にも記事にしたことのある4番は、堂々たるその導入部が、3番のあとにある立派な存在だということを意識させてくれる。
転じて5番の剛毅さはデイヴィスらしい重心の低さもあって活力みなぎる演奏で爽快。
ゆったりとした6番は、管楽器のうまさ、音色の良さも堪能でき、美しく清々しい演奏だ。
イギリスの田園風景をこの演奏でもって感じるというのも一興だ。
62年録音の旧盤は、録音が丸っこく感じるが、こちらも雰囲気ある演奏。
デイヴィスは田園がお好きだったようで、晩年にもLSOとプロムスで演奏してました。
そのLSOとの7番は、リズムのよさと、これまたデイヴィスらしい粘りの良さも加味され、克明であるとともに強靭な演奏となった。
転じて小気味よさの引立つ8番、内声部を強調したりして、あれっ?と思わせ、次の第9も感じさせる場面も初めて気が付いた。
2008年に記事にしていたバイエルンとの第9。
今回も感じた3楽章以降のテンポアップ。
でもロンドンのオケのあとに聴くと、不思議とミュンヘンのオケの方が音色が明るく感じてしまう。
1.2楽章がデイヴィスらしい粘りの聴いた名演。
終楽章は歌手のバランスがよろしくなく、エステスの声がワーグナーで聴きすぎたか、オランダ人に聴こえてしまった。

レオノーレ3曲も含め、主要な序曲がすべて聴ける。
これらも誠実かつ熱意あふれる桂演で、のちのバイエルンでの再録音も聴いてみたいと思わせる。

交響曲のなかで、気に入ったのは、3番、5番、6番です。   

70年代のイギリスのオーケストラは、録音の面からいくと、シンフォニーに協奏曲に、オペラにとおおいに重宝され、なんでも屋さんみたいな色のないイメージを与えてしまうことが多かった。
極めて思い切り大雑把にとらえれば、アングロサクソンのイギリス人は、ドイツ人と同根で、ユトレヒト・オランダもそれに近い民族といえる。
イギリスのオーケストラのフレキシビリティの高さは、まさに英国人であるからが故だと思います。
歴史的に大国として、悪しき評価も残ることをたくさんしてきましたが、文明国として先端を走り、音楽においては輸入大国だった。
そんななかで、楚々としつつも輝いていた英国音楽がわたしはずっと好きなのであります。
そして、オーケストラも指揮者も英国は多彩で柔軟な存在なのです。

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故人となったコリン・デイヴィスをとてもよく聴くようになった。
モーツァルトもベルリオーズも、そしてここで聴くベートーヴェンも、みんな誠実な演奏であり、その音楽は堅固で揺るぎない。
硬派で揺るぎない音楽造りだけれど、歌に対する思い入れは強く、声楽作品では流麗で思わぬ透明感もかもしだす。
このセットで聴いた、ミサ・サレムニスは丁寧な仕上げで、極めて美しい演奏だった。
最後は思わず涙ぐんでしまった。

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かつては、スティーブン・ビショップ、いまはスティーブン・コヴァセヴィチの若き日のピアノ協奏曲全集。
こちらも端正で、リリシズムあふれる流麗な演奏で、デイヴィスの寄り添うような優しいオケもすてきなものだ。
いつか5曲をレビューしたい。

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まさに、コンセルトヘボウとにっこりしたくなるグリュミオーとのヴァイオリン協奏曲。
シェリングとハイティンク盤との聴き比べも楽しい、極めて美しき演奏。

1か月にわたって、全部を楽しみながら聴いたデイヴィスのベートーヴェン。
終わってしまってちょっと寂しい。

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